S16の辻グループ(於・台湾)は、イタリアのベルサグリエリの戦術綱要を翻訳しただけなのではないか?

S16の辻グループ(於・台湾)は、イタリアのベルサグリエリの戦術綱要を翻訳しただけなのではないか?
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 ※ 東部ニューギニアの戦いでは、敵の「飛行場」を、山越えで攻撃して、使用できなくするという「作戦」だった…。

 ※ しかし、失敗した…。

 ※ ジャングル戦なモンだから、兵站がうまく行かず、兵隊は、飲まず食わずの、餓死寸前状態、だったらしい…。

 ※ 撤退戦にも失敗して、部隊は、ほぼ「壊滅」したらしい…。

 ※ 「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と評される凄惨な状況となった」という話しだ…。

『速報です。
 「プッシュバイク」の実験に興味があり、新刊『自転車で勝てた戦争があった(仮)』の出版まで待ち切れないという人は、とりあえず下記のユーチューブ動画をご覧ください。ご感想・ご意見をお待ちします。』

『これまで1年以上、旧軍の自転車について調べてきて、今、少しばかり把握し、且つ想像していることがあります。

 たとえば……。

 S16の辻グループ(於・台湾)は、イタリアのベルサグリエリの戦術綱要を翻訳しただけなのではないか? だから、道路佳良なマレー半島のスピード作戦には適用できたが、「自転車を輜重に使う。しかもジャングル内の泥道で」という発想は、日本陸軍のどこを探してもまるで無かったのではないか。

 いわゆる日本兵の「餓死」は、「退却時の置き去り」によって発生している。インパールでも東部ニューギニアでも、攻勢が頓挫するまでは、1人も餓死などしていない。なぜ退却時に置き去りにされるかというと、1人の「独歩不能衰弱者」「重患者」を運んでやるためには、8~9人もの健全兵が必要だったからである。

 この問題を、ウィンゲート旅団はどう解決したか? 「置き去りでいい」とした。傷病兵は村に置き去りにしろとウィンゲートが厳命していた。これは騾馬(ミュール)では傷病者は運べなかったことを意味している。さらに英文ネットをながめていると、マイナー寄稿者が、暗闇の真相に光を当ててくれている。やはり、ウィンゲート挺進隊も、衛生兵が重患者をピストルで処置して竹薮に匿すということをふつうにやっていた節がある。

 ウィンゲートの最大の功績は、宣伝である。チンディッツの第一次作戦は、《8日以上の絶食によって、二度ともとの健康体には戻れなくなった廃兵》を百人単位で量産したという点でまさにインパール作戦退却フェイズの雛形だった。その失敗部分を日本側に対して完全に隠しおおせたことで、科学的懐疑力をもたない牟田口がひっかかって同じことをやれるじゃないかととびついた。

 独歩できない衰弱患者をそもそも発生させないようにするための糧食輸送、ならびに、1人の重患者を1人の健全兵だけで後送してやることのできる、当時の日本軍にも調達可能な道具があったはずだ。それはタンデム2輪の「全木製スクーター」である。

 サイドバイサイドの2輪では、どうにもならない。ここに気付いているのは世界ひろしといえどもベトナム軍だけである。だから今のベトナム軍は、特殊輜重用の自転車を国内メーカーに納品させていながら、そのディテールを、積極公開させていない。ぼやけた写真しかネットではみつからないのだ。彼らは、次の本番でもそれがじぶんたちだけのスペシャルな強みになると理解しているのだろう。』