進化医学から考える「心はなぜ壊れやすいのか?」
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『嫌なことやつらいことがあったあとに、「なぜこんなに落ち込むんだろう?」と思ったことはないだろうか。あるいは、家族や友人がうつ病などで苦しんでいるのを見て、“心の病い”を理不尽に感じたひともいるだろう。
精神科医であり、進化医学の提唱者でもあるランドルフ・M・ネシーの『なぜ心はこんなに脆いのか 不安や抑うつの進化心理学』( 加藤智子訳、草思社)は、そんな疑問に答えようとする試みだ。』
『を執筆した意図を、ネシーは冒頭でこう説明している。
私たちが、正常な反応であるとはいえ不必要に辛い情動を感じるのは、感じなかった場合に発生するコストが甚大なものになり得るからだ。
また、決して叶えられない欲望や、コントロールできない衝動、対立だらけの人間関係が存在することにも、進化的に見て妥当な理由がある。
しかしおそらく何よりも重要なのは、愛すること、善良でいることを可能にする、私たちのこの驚くべき力がどこからくるのか、そしてその代償としての悲嘆や罪悪感が存在する理由、さらに(実にやっかいなことに)私たちが他人にどう思われているかをむやみに気にしてしまう理由も、進化によって説明できる、ということなのだ。
原題は“Good Reasons for Bad Feelings; Insights from the Frontier of Evolutionary Psychiatry(バッドな気分のグッドな理由 進化精神医学のフロンティアからの洞察)”』
『わたしたちの身体や心は、遺伝子の伝達(複製)を最大化するよう自然選択されている
進化医学の大きな成果のひとつは、「ひとはなぜ老いるのか?」という疑問に、科学的に明快な答えを出したことだ。
それは、「若いときにより多くの子どもをつくるため」になる。』
『その前提にあるのは、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」説だ。
進化とは、より効率的に遺伝子を後世に残せる形質が自然選択されていく単純で強力な仕組みで、「利己的な遺伝子」にとっては、生き物はそのための乗り物(ヴィークル)に過ぎない。
当然、ヒトというヴィークルも、わたしたちの幸福を実現するためではなく、遺伝子の都合によって「デザイン」されている。』
『カブトムシやミバエの寿命の長さを交配によって変化させる数多くの研究では、若い時期に繁殖する個体を選択していくと、寿命が短くなっていく。
逆に、寿命が長くなるように交配させると、とくに自然環境下では、顕著に子孫が少なくなる。
ここからわかるように、自然選択は老化に非常に強く作用する。
老化を速める遺伝子は、従来いわれていたように、「影響が出始めるのが遅すぎるために自然選択による排除を免れてしまった不運な突然変異」などではなく、(そのような遺伝子の一部は)若い時期における繁殖を増やすうえで有利な条件を提供するのだ。』
『同様に、病気を進化から説明することも可能だ。
鎌状赤血球症はアフリカなどで見られる遺伝性疾患で、ヘモグロビン分子の遺伝子突然変異により、赤血球のかたちが鎌形になる。これよって赤血球の毛細血管内の循環が難しくなり、かなり深刻な慢性貧血が引き起こされる。
だがこれは潜性(劣性)遺伝で、この病気の原因となる遺伝子(鎌状変異遺伝子)を2つ保有しているときしか発症しない。
そればかりか、野生型の(正常な)遺伝子と変異型の遺伝子を1つずつもっている場合は、マラリアへの耐性が生じることがわかった。
だからこそ、マラリアが蔓延する熱帯地方でこの「病気」が自然選択されたのだ。』
『これはわかりやすい例だが、そうなると、「なぜ自然選択は冠状動脈疾患を形づくったのか? 乳がんはどうか? 統合失調症は?」という疑問が生じるだろう。
だがこれは、「病気を適応としてみる(VDAA:Viewing Diseases As Adaptations)」という誤りだとネシーはいう。』
『身体と心が病気に対して脆弱である理由を、ネシーは6つ挙げている。
ミスマッチ:わたしたちの身体や心が、現代的な環境に対応する準備ができてない。
感染症:細菌やウイルスがわたしたちよりも速い速度で進化している。
制約:自然選択には限界があり、欠陥(バグ)をただちに修正できるわけではない。
トレードオフ:身体と心の機能には利点(メリット)と難点(デメリット)がある。
繁殖:自然選択は繁殖を最大化するのであり、健康を最大化するのではない。
防御反応:痛みや不安などの反応は、脅威を前にした状況では有用だ。
わたしたちの身体や心は、健康や寿命を最大化するようにできているのではなく、遺伝子の伝達(複製)を最大化するよう自然選択されている。
すなわち、適応度を増すような機会があれば、たとえ健康と幸せを犠牲にしてでも非合理的な行動をとるように「設計」されている。
これが身体的な病気と同様に、「心の病」を考えるときの前提になる。』
『嫌な気分”が役に立つ進化的な理由
自然選択の原理はきわめて明快で、「その種における平均的な個体は、子の数がもっとも多かった個体に似てくる」。これは単なる仮説ではなく、前提がすべて真であれば必然的に成立する演繹的結論で、自然選択がつくり出すのは、「繁殖まで生き残る子の数を最大化できるような脳」ということになる。』
『“嫌な気分(bad feelings)”には、遺伝子にとっては役に立つ“よい理由(good reasons)”がある。それに輪をかけて(わたしたちにとって)やっかいなのは、自然選択が「煙探知機の原理」を採用したことだ』
『トーストをすこし焦がしただけで警報が鳴る探知機は煩わしいが、本物の火事でも警報を鳴らさない探知機より100倍もましだ。
この単純な理由から、脳は致命的な事態を避けるために、わずかなことでも大音量で警報を鳴らすよう進化した。
パートナーの些細な振る舞いに激怒するのは理不尽だが、他の男の子どもを育てさせられるという「最悪の事態」に比べれば、(「利己的な遺伝子」にとっては)どうでもいいことなのだ。』
『パニック障害はストレス調整システムの不全で、視床下部から副腎皮質刺激ホルモン(CRH)が一度に大量に放出されると、パニックの症状とほぼ同じ生理学的覚醒が起きる。
CRHは、脳の下部に位置する青斑核と呼ばれる部位の細胞を興奮させる。
青斑核にはノルアドレナリン含有ニューロンのうち80%が集合しており、ここに電気刺激を加えると、典型的なパニック発作に似た症状が引き起こされる。』
『ヒトの脳は、機会をもたらすような状況を予感すればポジティブな情動を感じ、その機会(異性との性交や食料の獲得)を実現しようとする。
それに対して、脅威や損害をもたらすような状況を予感すると、ネガティブな情動を感じてそれを避けようとする(“逃走”するか、それができない場合は、“闘争”モードになる)。
恋愛や成功(高い地位の獲得)は人生にとって素晴らしい体験なので、古今東西、ひとびとはポジティブな情動の物語を書き連ねてきた。
だがそれはネガティブな情動とコインの裏表の関係にあり、「利己的な遺伝子」にとっては、失恋や失敗によって打ちのめされることもまた「素晴らしい」のだ。
コインの表だけを手に入れることができないように、ポジティブな情動(いい気分)だけを感じることも原理的に不可能だ。
ポジティブな情動(歓喜)とネガティブな情動(絶望)はわかりやすいので、前者はポジティブ心理学、後者は精神分析学や精神医学の対象として研究されてきた。
だが、ポジティブな情動がなにもかもよいことだとはいえない。躁病や躁状態はしばしば人生を破壊してしまうが、これはポジティブな情動が過剰なのだ。
同様に、ネガティブな情動は少なければ少ないほどいいとされているが、これが過少だとやはり深刻な問題が生じる。ハイポフォビアは不安の欠如を特徴とし、ふつうのひとが怖がるようなことでも気にしない。』
『適応度を上げると逆効果になる
これ以外にもネシーは、「心はなぜこんなにかんたんに壊れてしまうのか」という問いに対して、この大部の著作で多くの興味深い議論を提起している。
それは本を読んでもらうとして、ここでは双極性障害(躁うつ病)や統合失調症のような深刻な障害がなぜ自然選択のなかで残ってきたのかについて触れておきたい。
ふつうに考えれば、こうした障害は生殖や生存の可能性を大幅に下げるのだから、自然選択によって遺伝子プールから消えていくはずなのだ。』
『有力な説明のひとつは、「これらの精神疾患には適応度を上げる効果がある」というものだ。
統合失調症が「病気」とされたのは近代以降で、それ以前はシャーマンやカリスマ的リーダーとしてより多くの配偶者を得ることができたのかもしれない。
双極性障害についても、「躁期に創造性が爆発的に上がり、異性を強烈に引きつける」というより説得力の高い仮説が提示されている。
詩人や音楽家だけでなく、スポーツ選手にも双極性障害は多いが、男性の場合、平均より多くの子どもをもうけているという研究もある。』
『こうした説明は、ADHD(注意欠如・多動症)についてはおそらく正しいだろう。
ADHDはそもそも「発達障害」などではなく、旧石器時代のように環境が日々刻々と変わるような状況では、同じやり方ことにこだわっていては生き延びることができなかった。
こうして「多動」なパーソナリティが自然選択されたのだが、近代以降の学校教育においては、子どもたちをひとつの施設に「監禁」し、一定時間着席させておくことが「教育」だとされるようになった。
この異常な環境に放り込まれたことで、かつてはどこにでもいた「多動」な子どもが「障害」と見なされ、治療の対象になってしまったのだ。』
『人類はなんのために「壊れやすい」心を進化させのか?
人類は、いったいなんのために「壊れやすい」心を進化させてきたのか。それは「高い知能」や「コミュニケーション能力」ではないかとネシーはいう。』
『人類は、いったいなんのために「壊れやすい」心を進化させてきたのか。それは「高い知能」や「コミュニケーション能力」ではないかとネシーはいう。
牛や豚などは食用に家畜化され、野生馬は競走馬へと育種された。それと同様に、ヒトは「社会」という特異な環境に適応するために、自分で自分を家畜化してきたとするのが「自己家畜化」説だ。
わたしたちは、自分と同じような高い知能をもつ生き物(他者)と集住するという、動物のなかでもきわめて特殊な環境のなかで生まれ育ち、それに最適化するように進化(自己家畜化)してきたのだ。
そのように考えれば、なぜ適応度を大きく下げるような「心の病」が自然選択のなかで残ってきたのかが説明できる。
「極端に高い精神的能力に対して選択が強く働いた結果、私たち全員が、競走馬と同じように、回転は速いが壊滅的な不具合への脆弱性を備える心をもつに至ったのかもしれない」のだ。
もちろんこれは、仮説のひとつにすぎない。』