「ファイブ・アイズ」の源流 米英情報協力の舞台裏

「ファイブ・アイズ」の源流 米英情報協力の舞台裏
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/32669

『第二次世界大戦開戦時において、通信傍受・暗号解読に最も秀でていたのは英国、次いで米国だろう。ただし大戦を通じてその立場は入れ替わることになる。同分野で意外と日本は健闘しており、その次ぐらいに位置するかもしれない。

 それに対して日本の同盟国であったドイツの通信傍受活動は低調であった。ドイツの暗号解読組織は英国に比べると、質量面で劣っていたと考えられる。問題は組織が小規模で乱立していたことで、これらは最後まで統合されなかった。最も規模の大きい海軍情報部B局が1000人程度、国防軍最高司令部暗号部が800人、外務省暗号解読局が300人という規模であった。

 人員は不明だが、さらに小規模で国内の電話盗聴を行う航空省のゲーリング調査局があったが、それぞれの連携は取れておらず、優秀な人材も集まらなかったため、暗号戦では連合軍に後れを取り続けた(英国の政府暗号学校≪GC&CS≫は戦争末期に約1万人、米軍の通信情報部は約2万人の規模だった)。

 戦争中から英米の指導者や軍人は、枢軸国に勝利するための鍵は暗号解読にあることをよく理解しており、お互いのノウハウを共有すればより効率的に戦えると考えていたようである。

最初の協力の契機は1941年2月であった。この時、英国の政府暗号学校(GC&CS)は、ドイツのエニグマ暗号を解読することができたが、日本の外交暗号(パープル)を解読することができず、英国は極東の拠点であるシンガポールが日本軍に攻撃されることを常に警戒していた。

 それに対して米国陸軍通信情報部(SIS)は、エニグマ暗号を解くことはできなかったが、日本のパープル暗号を解くことができた。ここに米英の協力の余地が生まれ、SISの暗号解読官たちがGC&CSの本部、ブレッチリー・パークを訪問し、パープル暗号の解読法を英側に伝授した。

 ただ狡猾な英側は、SISにエニグマ暗号の解読については教えなかったようである。この時期の英国の暗号解読記録を注意深く追っていくと、2月15日の時点から、急にそれまで解読できていなかったロンドン、モスクワ、ベルリンの各日本大使館と東京のやりとりが記録され始めており、GC&CSはこの時期にパープル暗号の解読に成功したようである。
開始した米英の協力

戦後はソ連の傍受へ

 その後、真珠湾攻撃によって米国が第二次世界大戦に参戦すると、やはりドイツのエニグマ暗号を解く必要性が生じる。

米側が特に問題視したのは、米国と英国を結ぶ大西洋のシーレーンが、ドイツのUボートに脅かされているという状況であった。

そこで米海軍通信情報部(OP−20G)長カール・ホールデン大佐は、GC&CSに対してドイツ海軍のエニグマ暗号の解読について協力を要請することになる。その結果、42年10月2日に米英の間で「ホールデン協定」が結ばれた。

 これは史上初めてのインテリジェンス協定であり、米海軍が日本海軍の暗号を解読し、GC&CSがドイツ海軍の暗号を解読して、それぞれの解読情報を共有するというものであった。

ただしここでも英側の狡猾さが表れ、GC&CSは米海軍のみにエニグマ暗号の解読情報を提供し、米陸軍にはそれを秘匿していたのである。』

『その後、米陸軍通信情報部はGC&CSと米海軍が暗号解読の分野で協力していることを知り、まず米陸軍から米海軍に対してエニグマ暗号解読についての情報提供を求めたが、米海軍は英国との協定を理由にそれを拒否している。

そこで米陸軍もGC&CSに対して直接情報協力を申し出ている。43年5月24日にはワシントンでGC&CSと米陸軍通信情報部の間でBRUSA協定が結ばれた。これによってGC&CSと米陸海軍の間で、日独の暗号解読に関する情報はすべて共有することが確認されたのである。
 こうして米英間で通信傍受情報を共有する制度的な枠組みは整ったが、双方はお互いのことを完全に信用していたわけではなかった。

英側では、米国が陸軍と海軍が分かれて暗号解読を行っており、また双方の関係もあまり良くなかったため、常に作業の非効率化や情報漏洩への懸念があった。

他方、米側は、老獪な英国がまだ秘匿している事項があるのではないかと不信を抱いていたのである。特にGC&CSが自分たちの暗号を解読し始めるのではないかという疑惑が常に米国側について回ることになる。

 しかし戦争を通じて、GC&CSが米国の暗号を密かに解読することはなかった。むしろ両国に共通した懸案は、「同盟国」であったソ連の暗号解読である。

米国は43年、英国でも44年までにはソ連暗号の解読作業に着手していたが、ソ連の赤軍暗号は強固でなかなか解読できず、また戦争中は日独のものが優先されたため、ソ連暗号の解読はほとんど進んでいなかった。

そのため日本の降伏によって第二次世界大戦が終結すると、米英両国は対ソ通信傍受協力を進めることに合意し、これに「バーボン計画」というコードネームが与えられた。

 前任者のルーズベルトとは異なり、米トルーマン大統領は当初、通信傍受情報を重視していなかった。しかしながら徐々にその価値を認め、日本降伏後の9月12日、トルーマンは自ら戦後世界における英国との情報協力について話し合いを進めることを命じたのであった。

左からチャーチル、トルーマン、スターリン。大戦終結後、米英は対ソ通信傍受協力を進め、UKUSA協定締結に至った(BETTMANN/GETTYIMAGES)

日独は現在でも対象国

暗号解読は今なお続く

 46年3月5日、米英の間で、UKUSA協定が結ばれた。本協定こそが、戦後の米英の通信情報協力の根幹となったものであり、その基本原則は現在も踏襲されている。

 UKUSA協定がそれまでのホールデン協定やBRUSA協定と異なるのは、後者が戦争遂行の必要性から締結されたものであるのに対して、前者は平時からソ連(ロシア)を含む、アングロサクソン諸国以外の全ての国の暗号を解読するというものである。

この協定によると、日独も引き続き暗号解読の対象となっている。

 米空軍情報部長、チャールズ・カーベル少将は、UKUSA協定について米英の間に完璧な情報交換の制度が成立したと高く評価した。そして49年にはカナダ、56年には豪州とニュージーランドの通信傍受情報部がこの協定に参加することによって、現在にも続くファイブ・アイズの体制が築かれたのである。』