1940年の5月の時点で、ベルギーとフランスに展開していたRAFの「ハリケーン」と「スピットファイア」には、…。

1940年の5月の時点で、ベルギーとフランスに展開していたRAFの「ハリケーン」と「スピットファイア」には、…。
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『Marc Liebman 記者による2024-1-9記事「High-Octane Victory ―― How New Super Fuels Powered the Allied Air War」。

   1940年の5月の時点で、ベルギーとフランスに展開していたRAFの「ハリケーン」と「スピットファイア」には、オクタン価が「81/87」の航空ガソリンが給油されていた。

 対して独空軍の「Bf-109」には「91/100」のガソリンが給油されていた。
 当初は、英空軍が、オクタン価で負けていたのである。

 まさにその5月、ロールズロイス社は「スピットファイア・マーク2」の機体に「マーリン 12型」エンジンを載せ始めた。このエンジンこそは、米国が1940年内に対英供給を開始する予定の オクタン価「100/130」ガソリン を使うことを前提に設計された最初のエンジンだったのである。

 オクタン価表示の「/」の左側の数字は、薄い混合比である巡航時のオクタン価。右側の数字は、急上昇など最大出力を発揮しようと混合比を濃くしたときのオクタン価を示している。

 オクタン価が高いほど、ガソリンエンジンのシリンダー内でノッキングが起きにくい。
 ということは、エンジン設計者をずいぶん楽にする。圧縮比を思い切って上げてもよくなるからだ。すなわち、小さいエンジンのままで、簡単に出力を増やせる。

 また、スーパーチャージャーやターボチャージャーも、組み付け易い。吸気圧を高めて、発生馬力を大きくできるのだ。

 もしノーマルアスピレーションだと、高度1万フィートでは、吸気圧が、海抜ゼロフィートの吸気圧の「三分の一」に落ちてしまう。すなわちエンジン出力も「三分の一」しか出せなくなる。過給器は、この問題をなくす。

 だから零戦の栄エンジンにも二段のスーパーチャージャーが付いていた。

 F4Uコルセアや、P-47サンダーボルトが搭載したPW製の星型18気筒エンジンの場合、ノーマルアスピレーションの2.17倍の吸気圧=65インチでも安全な設計だった。

 1943年12月7日にグラマン社が作ったF6F-3ヘルキャットのマニュアルによると、PWのR-2800-10エンジンは、高度3万4000フィートでも、吸気圧30インチが可能だと書いてある。これは驚異的だ。

 P-51マスタング戦闘機が搭載したアリソン・エンジンは、1944年以降であれば、空戦時に一時的に吸気圧70インチにすることがゆるされていた。これは海面気圧の2.34倍である。

 戦間期の1920年代から30年代、民間のレーサー機がスピードを求めたので、シェル石油はそれに応えて、鉛などを添加することにより、標準航空ガソリンを実験的に80オクタンから100オクタンに高めた。

 初期には80オクタンの自動車用ガソリンを、100オクタンの航空ガソリンにするだけで、燃料価格が100倍違った。

 しかしオクタン価の絶対的な価値を理解していたジミー・ドゥーリトルの骨折りによって、陸軍航空隊と海軍航空隊は、100オクタンガソリンを標準使用することになった。それが1938年のことだった。

 1931年にフランスから米国にやってきたユージン・フードリーが「クラック法」を開発し、原油から100オクタンガソリンを製造できるようにした。初期には手間のかかるプロセスだったが、やがて、テトラエチル鉛などの添加剤が「100/130」オクタンを実現する。

 ちょうど1940年に、米国は「100/130」ガソリンをイギリスに供給してやれるくらいの量産体制ができあがったのだった。

 「81/87」ガソリンを「100/130」ガソリンに切り替えただけで、ハリケーンもスピットも、別次元の戦闘機になってしまった。

 速力は、30ノットから40ノットも増した(高度によって変わってくる)。
 上昇率は、それまで500フィート/分だったのが、1000フィート/分になった。

 爆撃機編隊を護衛して英本土上空までやってきたメッサーは、たじたじとなった。

 マーリン12型エンジンは1150馬力を出せたし、マーリン20型は1480馬力になった。

 しかし米陸軍航空隊のマテリアルコマンドは、「100/130」でも満足をせず、1944-1に、「110/150」オクタン燃料を試作した。

 実験の結果、P-38JとP-51Bは、吸気圧が75インチまで可能になった。P-47は吸気圧が65インチまで高められると分かった。

 P-51Dは、速力が10マイル/時以上増した。
 P-38Jは、最大で25マイル/時も速くなり、上昇率は500フィート/分も向上した。

 ただちに採用と決まり、D-Dayまでに、この「100/150」燃料が、供給されたのである。

 ハイオク燃料化には困った問題も伴う。スパークプラグの寿命が縮むのだ。12時間飛行しただけで、プラグを交換しなくてはならなくなった。

 さらにまた「100/150」燃料は、油脂に強いはずの合成ゴム〔ネオプレン?〕を溶かしてしまうという難点もあった。ゴムホースやシーリングを交換する頻度が増すことになった。

 ※ブチルゴムには面白い特性があることがその後、分かっている。アンチノッキング作用があるのだ。またプラスチック爆薬に混ぜても、性状が好ましくなる。ガソリンエンジンと爆薬には、似たところがあるようだ。

 日本は対米開戦時に「87/91」ガソリンを使っていた。そして、1945年でも、まだそれを使っていた。

 米海軍は1984年まで、ガソリンエンジン「R-1820」を搭載した「T-28 トロージャン」を練習機に使っていた。これ用のガソリン「115/145」は、「100/150」燃料の質を下げたものであった。
 つまり米軍航空機のオクタン価のピークは、1944年だったのである。 』