イスラム世界の衰退は「微積分学」を拒否したから

イスラム世界の衰退は「微積分学」を拒否したから
https://toyokeizai.net/articles/-/615506

 ※ そういうことを、言っている人もいる…。

 ※ ツールを使いこなせない文明は、敗者となる…。

『2022/09/13 16:00

イスラムが西欧に敗北する契機になったもっとも象徴的な事件は、1571年にキリスト教国側の連合艦隊(ローマ教皇庁・スペイン・ヴェネツィアで構成)がオスマン帝国艦隊を破ったレパントの海戦とされている。しかし、実はもっと大きな歴史上の分岐点があったと、在野の物理学者である長沼伸一郎は説く。(本稿は『世界史の構造的理解』から一部を抜粋し、再編集しました)。

イスラム社会で「立法権」を持つのは

現在の日本(というより一般に民主主義国)では、基本的に「主権在民」つまり「主権は一般市民がもっている」という建前になっている。この「主権」というのは、要するに、最終的に「立法権」をもっているのは誰か、ということである。

(※ 厳密に言えば、国家行為の「最終的な決定権」。)

立法権は、国や社会の姿を規定する権限として、国内社会の最終的な力であり、それをもつ者が国の主人である。中世国家や独裁国の場合、立法権は君主がもっているが、民主国では民衆が自身の代理人として選んだ議員や代議士が、議会や国会で法律をつくるのであり、それゆえ立法権は最終的には民衆がもっていることになるわけである。  

その意味で、立法権を誰がもっているのかは、その国の社会構造をみるうえでもっとも重要なポイントとなるが、それならばイスラム社会では誰が立法権をもっているのだろうか。

まず原則論として言うならば、イスラム社会において立法権は人間の手にはない。イスラム法(シャリーア)の場合、憲法制定に相当する作業は、ムハンマドによってイスラム法が定められたときに全て行われたのであり、その根幹部分を人間が変えたりつくったりすることは許されていない。  

しかし、それではさすがに時代や状況の変遷に対応できなくなってしまうので、その際にはどうするかというと、法律の基本そのものには手を加えず、それを「どう解釈するか」によって、時代や状況の変化に対応している。』

『その意味では「法の解釈権」が、立法権に準じる権限であり、それをもつ者が「主権者」にもっとも近い立場にあることになる。そして法の解釈権をもつのは、意外なことに、イスラム社会では伝統的に、君主ではなくイスラム法学者で、最盛期には彼らがその役割を担っていたのである。  

彼らイスラム法学者は「ウラマー」と呼ばれるが、彼らを「宗教家」と呼ぶのは必ずしも妥当ではない。むしろ彼らは一種の知識人なのであり、さらに言えば彼らは数学者や天文学者、地理学者などと同等のカテゴリーに属する存在である。

イスラム世界では現代の産業社会と違って、単一の分野だけに職人的に精通しているだけの専門家は、必ずしも知識人としての高い尊敬を得ることはできず、いくつかの分野を修めた者でなければ「賢者」や知識人とはみなされなかったが、ウラマーというのは、本来そうした知識人全般を指すものなのである。  

つまり言葉を換えれば、イスラム法学者はそれら複数の学問分野の1つとしてイスラム法学を修めた人物なのであり、現実にはさすがに天文学者とイスラム法学者を兼ねている人物は稀だったようだが、もしそういう人物がいたとしても何ら奇異なことではなかったのである。

ウラマーは微分積分を受け入れなかった

ところがこのウラマーは、歴史の大きな流れのなかで近代西欧の新しいテクノロジーに対応することができなかった。彼らは代数学などでは高いレベルを誇っていたが、西欧が生み出した画期的な新兵器である「微積分学」を受け入れることができなかったのである。
この新兵器は、それを使えば天体であれ砲弾であれ空気の分子であれ、とにかくこの世の「動く物体」について、その未来位置を正確に予測して対応することができ、言葉を換えれば森羅万象の動きをすべてコントロールする能力を人類に与えた。

これはそれまでの数学とは次元の違うほどの威力をもつもので、その力がついには人類を月に送り届けることを可能にしたのであり、それをもつかもたないかは文明の能力として決定的な差となって現われる。そのため、それに乗り損ねたことは、イスラムが近代テクノロジーから脱落する致命的な要因となってしまったのである。』

『では、なぜイスラムがそれに乗り損ねたかというと、それは、1つには皮肉にも彼らがむしろ高いレベルの数学をもっていたため、そのプライドが逆に災いしたこともあるが、西欧キリスト教文明が世界を「調和的宇宙=ハーモニック・コスモス」と考えたがるバイアスをもっていることが、大きく影響している。

これは、西欧が古くからもつ一種の性癖である「すべての現象は幾何学的にきれいな形に調和している」と仮定する考え方から生まれた発想であり、彼らは宇宙も幾何学的に整合性がとれた形をしているだろうと見なす傾向が強い。ところがその一方で微積分学は、問題が幾何学的にシンメトリー性を強くもっているほど威力を発揮する、という特性をもっているのである。

微積分学の弱点―「三体問題」が解けない

西欧キリスト教文明はそのような「ハーモニック・コスモス信仰」をもともと強くもっていたため、微積分学が現われたときに、他の文明よりも強力にこのツールに惹かれたといえる。たしかにそれは短期的には有効で、人類は物理的にも経済的にも巨大なエネルギーを解放して手にすることができた。

ところがそのエネルギーをどうコントロールするかという段階で、無視していたその弱点がもろに表面化することになり、現代文明はそれに苦しめられているのである。  

さらに、実はこの微積分学には弱点もあった。それは、微積分学では「三体問題」が解けないということである。

「三体問題」とは、同程度の大きさの天体が3個あると、それらの各天体の未来位置は予測できなくなってしまうという数学上の難問である。各惑星が太陽に比べてサイズ(質量)が小さい場合には、各惑星同士の引力は全体からみれば小さなものとして無視し、それぞれの軌道をばらばらに分解したうえで、微分積分を用いて未来位置を算出することができる。

しかし惑星のサイズや質量が大きくなって太陽と差がなくなってくると、それぞれの軌道をばらばらに分解して計算すると、実際の位置と齟齬が生じてしまう、というより問題自体がまったく解けなくなってしまうのだ。

しかし当時の啓蒙思想家たちは、この難問は例外的な障害であって、普通のほとんどの問題はこれを避けて通れると考え、いわばそこから逃げる格好で見切り発車をしてしまった。ところが実際には、むしろばらばらに分けて解くことができない三体問題のような問題のほうが一般的だったのである。』

『なぜそういうことになるのかの詳細は拙著『物理数学の直観的方法〈普及版〉』(2011年、講談社)に詳しく書かれており、とくに「作用マトリックス」という技法を使うとそれが直観的に把握できるので、興味がおありの読者はそちらを参照していただきたいが、とにかくそうだとすれば、先ほどの成功体験に基づく「すべてをパーツに分割して扱える」というドグマは根本から揺らいでしまうことになる。

翻ってイスラム文明を眺めると、彼らにはそういう「世界は幾何学的に完全な形になっている」といった「調和的宇宙=ハーモニック・コスモス」への信仰をもたなかった。

そのため、かえって微積分学や天体力学の弱点が素直にみえてしまったのかもしれないが、とにかく彼らはキリスト教文明ほどには天体力学や微積分学に惹かれることはなく、結果的にその流れに乗り遅れることになった。その結果は重大で、それまではイスラム世界は西欧の先生だったが、ついには知的世界の地位において西欧に逆転されてしまったのである。

うわべだけの中東民主化は失敗を避けられない

イスラム世界のウラマーは本来ならば、テクノロジーに対応できる「テクノ・ウラマー」とでも呼ぶべき集団をもっているべきだった。そういう集団を実装しない限りイスラム世界は立ち直ることができず、表面的に西欧の民主社会をもち込もうとしても、結局はそれは根無し草に終わり、むしろ攘夷浪士のようなテロリストを生み出す結果だけを招いてしまうのである。

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 こう考えると、現在の中東世界の混乱もよくわかる。つまりこの種の「テクノ・ウラマー」を育成してそれを中核にする以外、やはりイスラムは立ち直ることができないという理屈になるのだが、欧米のこれまでの中東政策はその根本をまったく理解せず、そういった方針を実行したこともない。

そのため失敗するのは当たり前の話だったのであり、筆者はこれを踏まえていないうわべだけの中東の民主化は、今後もすべて失敗するであろうと断言してはばからない。

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