パレスチナ問題の100年を読み解く 「三枚舌」起点に
3 Graphics
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD055E50V01C23A2000000/
『パレスチナでのイスラエル軍とイスラム組織ハマスによる衝突は、多くの民間人に犠牲をひろげながら現在も続いている。戦火は中東に封じ込められていた確執と憎悪を呼び覚ました。パレスチナ問題は民族、宗教が複雑にからみ、歴代の米大統領が何度も解決に失敗してきた難題だ。
問題の根っこには、100年以上前の英国による「三枚舌外交」がある。アラブ人には「フセイン・マクマホン協定」により、アラブ独立とパレスチナ居住…
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。』
『アラブ人には「フセイン・マクマホン協定」により、アラブ独立とパレスチナ居住を認めると約束した。
一方ユダヤ人には「バルフォア宣言」で、パレスチナへの国家建設に協力をすると表明した。
ふたつの約束は大きく矛盾するが、英国の本音はさらに別にあった。
フランスとは「サイクス・ピコ協定」で第1次大戦後のオスマン帝国の分割について取り決めを交わしていたのだ。
アラブ人、ユダヤ人、フランスと互いに相いれない約束を交わしたことが、地域の確執を深めた。
注:1947年は国連による分割案
第2次大戦でナチスドイツの迫害を受けたユダヤ人は、悲劇を繰り返さないためにも国家の建設が必要だと主張した。これに対しパレスチナのアラブ人たちは、自分たちの犠牲のうえに英国が勝手な約束をしたと反論した。
1948年のイスラエル建国はユダヤ人にとっては悲願が現実となった日だ。しかしパレスチナ人はこれを「ナクバ(大惨事)」と呼ぶ。
建国直後にパレスチナ人を支援するアラブ諸国が攻撃を開始したが、イスラエルに敗れた。これによりパレスチナ人はもともとの国連が示した分割領の大部分を失った。その後4回の中東戦争や衝突で、多くの市民が犠牲になった。
イスラエルとパレスチナというふたつの国が平和裏に共存する「2国家解決」こそ安定への唯一の道筋だ。しかし和平を求める声は暴力によりかき消され、関係国の利害も事態を複雑にしている。
仲直りしたことはないの?
問題解決へ期待が高まったのが1993年のパレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意)だ。今年はちょうど署名から30年の節目となる。パレスチナ自治に道を開き、話し合いによって解決を目指すことを確認した。米国のクリントン大統領が仲介し、ホワイトハウスでイスラエルのラビン首相、パレスチナのアラファト議長(いずれも当時)が握手した。
宗教はどう関係する?
イスラエルが首都と自認する街エルサレムを、パレスチナ側も将来の首都として期待している。さらにこの街には3つの世界宗教の聖地があり、問題を複雑にしている。ユダヤ教の聖地である「嘆きの壁」、キリスト教の「聖墳墓教会」、イスラム教の「岩のドーム」が、城壁に囲まれたわずか0.9平方キロメートルの旧市街にひしめきあっている。
日本との関わりは?
日本は歴史的なしがらみのなさから中東和平の仲介役として役割を果たそうとしている。中東問題は1970年代に石油危機を引き起こし、日本の経済社会を揺さぶった。今でも原油の9割以上を中東に依存しており、人ごととはいえない問題だ。日本の政府はパレスチナの経済自立支援や人道支援などを通じて「2国家解決」実現を後押ししている。
(編集委員 岐部秀光、グラフィックス 鎌田健一郎、デザイン制作協力 イノセンスグラフィック)
【関連記事】
・中東、イスラエル・ハマスの戦火拡大リスク 資源高騰も
・パレスチナ「100年戦争」を解く 外交関係者の必読書
・イスラエル軍「ガザ200カ所で攻撃」 南部制圧に時間も
・中東、アブラハムは死なず 対イランでイスラエルと引力 』