中国が目指す非接触型「情報化戦争」
—物理領域•サイバー領域・認知領域を横断した「戦わずして勝つ」戦い一
https://www.nids.mod.go.jp/publication/security/pdf/2023/202312_02.pdf
『荊 元宙・五十嵐 隆幸
<要旨>
中国のサイバー領域における活動は、「軍民融合」路線の下、人民解放軍のみなら
ず、国家規模で多方面にわたって繰り広げられるようになっている。
また、古くから
認知領域での闘争を重視してきた中国は、新興メディアの普及を背景に、新旧メディ
アをパッケージ化した戦い方へと変化している。
その中国は、物理領域、サイバー領
域、認知領域といった3つの領域を横断し、敵と接触せずに目的を達成する「情報化
戦争」の能力構築を目指している。
例えば、2022年8月のペロシ米下院議長の訪台前
後、サイバー攻撃や軍事演習に合わせ、台湾の人々の心に揺さぶりをかけるディスイ
ンフォメーションが台湾社会に流布された。
だが、台湾の人々が中国の軍事的な威嚇
行為などに慣れてしまっていたため、中国が求める効果は十分に得ることができなかっ
た。
今日、台湾は中国が領域横断的な非接触型「情報化戦争」の能力を国家総動員で
構築していくための「試験場」になっている。
はじめに
中国は、2015年5月に発表した国防白書『中国の軍事戦略』において、胡錦濤時
代に提起された「情報化1条件下での局地戦争における勝利」を目標とする軍事戦略
の方針を発展させ、軍事闘争準備の重点を「情報化局地戦争における勝利」に据える
ことを明らかにした2。
この「情報化局地戦争」の特徴として、中国人民解放軍(以下、
人民解放軍)の国防大学に所属する研究者などによって同年4月に出版された『戦略
学』では、戦場空間の大幅な拡大をその一つに挙げている。
同書では、陸、海、空、
宇宙などの有形の戦場に加え、電磁スペクトラム、サイバー空間、心理•認知領域な
1原文の中国語では「信息化」だが、本稿ではそれを「情報化」と訳して用いる。
中国語では、ただ伝え聞いて
そのままの状態の情報(生の情information)を「信息」と言い、信憑性を吟味したうえで解釈を施した情報 伽
エされた情<.intelligence)を「情報」と言うが、日本語ではどちらも「情報」と表現している。
本稿が指す「情
報」とは、特に断らない限り「信息」(information)を意味する。
2中華人民共和国国務院新聞弁公室「中国的軍事戦略」『人民日報』2015年5月27日。
21
安全保障戦略研究 第4巻第]号(2023年12月)
どの無形の戦場へと戦場空間が広がり、さらにそれら領域間を横断した非線形的作戦
(Non-linear Operations: NLO)が繰り広げられ、敵と接触することのない作戦をも起
こりうると説明されている3。
この2015年版『戦略学』で示された領域横断的な作戦と同様の概念は、2012年
1月に米国防省が発表した「統合作戦アクセス構想(Joint Operational Access Con-
cept: JOAC)Jにおいて、その中心的な考え方として「領域横断的な相乗作用(Cross
Domain Synergy: CDS)Jが示されたのち\日本やNATO諸国でも同様の概念が案出
されてきた。
近年では、多くの国の軍隊でCDSについて盛んに議論が繰り広げられ
ているが、その概念について、中国やロシアは然ることながら、米国をはじめとする
NATO諸国や日本においても共通の認識が確立されておらず、ひいては個人ごとにも
異なるイメージが抱かれている。
ただし、「領域」についての認識は、米国やNATO
諸国のみならず、中国でもほぼ共通しており’本稿ではCDSの区分を準用し、物理次
元に存在する陸、海、空、宇宙の4領域は「物理領域」、情報次元はInformationと
Intelligenceとの混同を避け、かつ、実態にそく、’わせて「サイバー領域」、人間の心の中を「認知領域」として議論を進めていく。
2012年のJOAC発表後、多くの国の軍隊でCDSに対する関心が高まるなかも、飯田
3肖天亮主編「戦略学』(北京:国防大学出版社、2015年)164-166頁。また、廣瀬陽子によると、ロシアのウ
ラジミール・スリプチェンコ少将が第6世代の戦争がハイテク型の「非接触型」の戦争になると予言し、ウラ
ジスラフ・スルコフ元大統領補佐官がこれからの戦争を「非線形戦争」と呼んだと説明している(廣瀬陽子『ハ
イブリッド戦争ーロシアの新しい国家戦略ー』(講談社、2021年)38-40頁)。
4 Department of Defense, Joint Operational Access Concept (JOAC). Version 1.0, January 17, 2012.
5
CDSを提起した米国の認識は、統合参謀本部が軍事作戦下の情報出戦(Information Operations)のために示
した統合ドクトリンによると、情報の収集、処理、拡散、作用に関わるシステム(情報環境)ごとに、それら
の領域を「物理次元(Physical dimension)」、「情報次元(Informational dimension)」、「認知次元(Cognitive
dimension) Jの3つに区分している。
同ドクトリンによると、陸・海・空・宇宙の4領域は物理空間に存在
することから「物理次元」、サイバー領域は仮想空間に存在することから「情報次元」、そして人間の心の中
が「認知次元」と区分されている(Joint Chiefs of Staff, Information Operations (Joint Publication 3-13),
Incorporating Change 7, Joint Chiefs of Staff, November 20, 2014, https://irp.fas.org/doddir/dod/jp3_ 13.pdf) 〇
英国でも米国とほぼ同様に「物理次元」、「仮想次元(Virtual dimension).|>「認知次元」の3つに区分されている
(Ministry of Defence, Defence Strategic Communication: an Approach to Formulating and Executing Strategy
(Joint Doctrine Note 2/19). The Development, Concepts and Doctrine Centre, April 2019, https://assets
.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_ data/file/804319/20190523-dcdc
doctrine_uk_Defence_Stratrategic_Communication jdn_2_ 19.pdf) 〇
6り012年かJ〇AC発裁、統合参諏本部がCDSのプラジヂーズガイドを公表し、各軍種の作戦構想にもCDS
が取り入れられた(Joint Chiefs of Staff, Cross-Domain Synergy in Joint Operations: Planner’s Guide. Joint
Chiefs of Staff, January 14, 2016, https://www.jcs.mil/Portals/36/Documents/Doctrine/concepts/cross_domain
_planmng_guide.pdf?ver=2017-12-28-161956-230)〇
日本でも 2018 年12 月18 日に閣議決定された『平成 31
年度以降に係る防衛計画の大綱について(30大綱)』で「領域横断作戦」という概念が示され、それらに関す
る研究も進められている(William 0. Odom and Christopher D. Hayes, uCross-Domain Synergy: Advancing
Jointness,” Joint Force Quarterly, vol.73, 2014, pp.123-128;菊地茂雄「米陸軍・マルチドメイン[乍戦(MD0)
コンセプトー『21世紀の諸兵科連合』と新たな戦い方の模索一」『防衛研究所紀要』第22巻第1号(2019年11月)
16-58頁など)。
22
中国が目指す非接触型「情報化戦争」
将史は2000年代初頭から中国が認知領域の重要性を認識していたと指摘する?〇
たしかに、2003年8月26日付の『解放軍報』に掲載された情報化戦争における認知領域
に関する論評では、「将来の情報化戦争は、物理領域、情報領域、認知領域の3つの
領域で同時に発生する」が、戦争の情報化の程度が高まるにつれて「認知領域の地位
が拡大し高まる」と記されている。
その論評によると、中国は3つの領域すべてで優
勢を獲得することが重要だとしつつも、認知領域での優勢を獲得することで、初めて
物理領域と情報領域における優勢をより発揮することができると主張する8 *〇
また、JOAC発表とほぼ同時期、南京政治学院副教授の逮記選は「現代の戦争空間
は、物理、情報、認知の3大領域から形成され、そのなかでも認知空間は主に人間の
心理、論理的思考、価値観、精神面での知覚などから構成される」と説明した七
そしてJOAC以降、CDSについて議論が繰り広げられるなか、人民解放軍陸軍研究院の
路紅衛は、現代の戦争は物理領域、情報領域、認知領域からなる「全領域」で行われ
るようになり、そのなかでも認知領域は、物理領域と情報領域での破壊と操作だけで
はコントロールすることができないイデオロギーやアイデンティティーといった新た
な問題に対処する必要性から、陸上、海上、航空、宇宙、電磁スペクトラム、サイバー
空間に続く対決空間になったと論ずる10〇
その認知空間で繰り広げられる対抗作戦で
は、文化的コミュニケーションや世論誘導などの手段によって、敵の認知領域を破壊
すると同時に自らの認知領域を防御することで、主導権と支配権を確保することが目
指される。
この「認知対抗」の核心的な理念は、指揮官の決定能力と抵抗意思を低下
させ、敵の抵抗能力の喪失を図ることにあるという”°
さらに近年、人工知能(AI)など新興技術を駆使した「智能化戦争」への移行が取
り沙汰されている。
2017年に改訂された『戦略学』では、「智能化領域での軍事競争」
が新たな領域における軍事闘争の1つとして追加された%
2019年の国防白書『新時
代における中国の国防』では、2015年の国防白書で「情報化戦争への変化を加速して
いる」と示していた戦争形態の認識について、「戦争の形態は急速に情報化戦争へと
移り変わり、智能化戦争の端緒が見えている」という表現に更新されている%
この中
国の認識の変化に呼応するように、新米国安全保障センターのエルサ・カニア(Elsa
7飯田将史「中国が目指す認知領域における戦いの姿」FNIDSコメンタリー』第117号(2021年6月29日)
http://www.nids.mod.go.jp/publication/commentary/pdf7commentaryl77.pdfo
8陳^姦「解読信息化戦争的認知:推進中国特色軍事変革的一個新視点」『解放軍報』2003年8月26日。
9逮記選『心戦之鎭的光芒:現代戦争中的認知域作戦研究』(藩陽:白山出版社、2012年)1頁。
10路紅衛「再談現代戦争的本質特征」『国防』2019年第5期、16-17頁。
11李義「認知対抗:未来戦争新領域」『人民日報』2020年1月28日。
12肖天亮主編『戦略学(2017年修訂)』(北京:国防大学出版社、2017年)173-179頁。
13中華人民共和国国務院新聞弁公室「新時代的中国国防」『人民日報』2019年7月25日。
23
安全保障戦略研究 第4巻第]号(2023年12月)
B. Kama)らによって中国におけるAIの軍事利用の動向や「智能化戦争」について
活発に議論が行われているん
ただし、杉浦康之は、2021年時点で人民解放軍は智能
化戦争を情報化戦争に替わる軍事ドクトリンとして設定しておらず、現時点では情報
化戦争に加え、智能化戦争にも対応し得る統合作戦構想の検討に着手している段階だ
と主張する。
さらに杉浦は、2020年に改訂された『戦略学』では、2015年版と2017
年版で掲げられていた「一体化統合作戦」概念をアップデートする形で「多領域一体
統合作戦」概念が登場したことを挙げ、人民解放軍は智能化戦争を視野に入れつつも、
現時点では多領域での統合作戦を目指していると指摘する吃
なお、杉浦は、中国では他にも「領域横断統合作戦」構想など多くの概念が登場し
ているが、それらの定義は曖昧であり、軍内でコンセンサスを形成しているかは定か
でないと説明する14 * 16 17〇軍事のほかに様々な分野を組み合わせる戦いとして注目されてい
る「超限戦」も、人民解放軍の研究者が新たな戦争モデルとして提唱した造語であり、
軍の公式概念ではない”。
また、山口信治らが指摘するように、中国は「サイバー戦」
を単独のカテゴリーとして扱わず、むしろサイバーと電磁スペクトラム、そして心理
戦を一体的に情報戦として捉えているといった見方もあるI8〇
この指摘を「領域」の区
分で整理すると、物理領域を除く情報領域と認知領域で戦う方法を案出することがで
きれば、2015年の『戦略学』で説明されている「敵と接触することのない作戦」も起
こり得るということになる。
まさに、それは孫子が究極的な兵法として説く「戦わず
して人の兵を屈する」戦い方と言えよう。
ここまで主要な先行研究を概観してきたが、少なくない専門家が中国の「将来の戦争」
に関心を抱き、それについて議論を繰り広げている。
また、2014年のロシアによるク
14 Elsa B. Kania, “Battlefield Singularity: Artificial Intelligence, Military Revolution, and China5s Future
Military Power,” Center for a New American Security (November 2017), pp.1-73; Elsa Kania, “Learning
Without Fighting: New Developments in PLA Artificial Intelligence War-Gaming,China Brief vol.19, no.
7 (April2019), pp. 15-19i浅野亮「中国の知能化戦争」『防衛学研究』第62号(2020年3月)19-41頁;飯
田将史「人民解放軍から見た人工知能の軍事に対するインパクト」『安全保障戦略研究』第1巻第2号(2020
年10月)1-14頁;八塚正晃「人民解放軍の智能化戦争」『安全保障戦略研究』第1巻第2号(2020年10
月 )15—34 頁;Chris Bassler, “China’s Ambitions fbr AI-Driven Future Warfare/5 Center for Strategic and
Budgetary Assessments, January 1,2022, https://csbaonline.org/about/news/chinas-ambitions-for-ai-driven
■fUture-warfare;荊元宙、五十嵐隆幸「中国が目指すインテリジェント化戦争ー “A2/AD”作戦をモデルケース
としたAI活用についての考察一」『防衛学研究』第66号(2022年3月)3-28頁。
15杉浦康之『中国安全保障レポート2022一統合作戦能力の深化を目指す中国人民解放軍一』(防衛研究所、
2021年)22-25 頁。
16同上、25頁。
17 Josh Baughman, “‘Unrestricted Warfare’ is Not China’s Master Plan,” China Aerospace Studies Institute,
April 25, 2022, https://www.airuniversity.af.edu/Portals/10/CASI/documents/Research/CASI%20
Articles/2022-04-25%20Unrestricted%20Warfare%20is%20not%20China’s%20master%20plan.pdf;防衛研究
所編『中国安全保障レポート2021—新時代における中国の軍事戦略一』(防衛研究所、2020年)18-19頁。
18山口信治編『中国安全保障レポート2023-認知領域とグレーゾーン事態の掌握を目指す中国一』(防衛研究所、
2022 年)18-19 頁。
24
中国が目指す非接触型「情報化戦争」
リミア侵攻以降、ロシアの「ハイブリッド戦争」への関心が高まり、それに関する研
究成果も数多く発表され3、その事例を参照して¢向か「ハイブリッド戦争」を考察す
る試みも増えている2〇〇
他方、中国は伝統的に「ハイブリッド戦争」の概念と重なる「政
治戦争」を繰り広げており、敵対する国が「ハイブリッド戦争」を仕掛けてくること
に対応するため、それを研究しているとも指摘されている19 20 21 * * 24〇
しかし、「ハイブリッド戦
争」という言葉は、ロシアの軍事ドクトリンその他で正式に採用されておらず22、それ
に関する認識•理解は非常に多様で、画一的な定義はほぼ不可能である23。
とは言うも
のの、このような活発な議論は、1990年代以降の持続的な経済成長を背景に軍事力の
増強を続ける中国への関心の高まりを表しているといっても過言ではない。
これら研
究成果の多くは、米国ランド研究所のレポートで「人民解放軍には最近の戦闘例がな
いため、中国共産党の戦略指針に従って策定された作戦コンセプトが、人民解放軍が
どのように戦うのかを占う最良の指標となる」と示されているように2ゝ『戦略学』など
人民解放軍の教範類や、中国の専門家が『解放軍報』に寄稿した論考などをから「将
来の戦争」を洞察しようとするものである。
だが、2021年11月に発表された台湾の『国防報告書』によると、中国は台湾に対
する海軍艦艇や空軍機による圧力に加え、サイバー戦と認知戦を駆使し、「戦わずに台
湾を占領する」という目標達成に動いていると説明されている2七
つまり、中国は「戦争」
に至らない2犬況で、物理領域、サイバー領域、認知領域といった領域を横断し、接触
せずに目的を達成する「情報化戦争」を既に繰り広げているのである。
中国が真に「戦
わずして人の兵を屈する」ことを目指すのであれば、いわゆる戦時に至らない「グレー
ゾーン」で繰り広げられている行動を分析する意義は大きく、かつ、中国の「将来の戦争」
を考察するうえでも、台湾に対する中国の「敵と接触することのない作戦」は重要な
事例だと言えよう。
19 Williamson Murray and Peter R. Mansoor eds., Hybrid Warfare: Fighting Complex Opponents from the
Ancient World to the Present. (New York: Cambridge University Press, 2012).
20 Ross Babbage, “Stealing a March: Chinese Hybrid Warfare in the Indo-Pacific; Issues and Options fbr Allied
Defense Planners,” Center for Strategic and Budgetary Assessments, July, 2019; Laris Gaiser, “Chinese
Hybrid Warfare Approach and the Logic of Strategy/9 National Security and the Future, vol.23, no.l,2022,
https://doi.Org/10.37458/nstf.23.l.3.
21 Derek Solen, “Fight Fire with Fire: The PLA Studies Hybrid Warfare,” China Aerospace Studies Institute,
March 23, 2022, https://www.airuniversity.af.edu/Portals/10/CASI/documents/Research/CASI%20
Articles/2022-03-23%20Fight%20Fire%20with%20Fire.pdf?ver=5LsQVgQEt53Er0kLTyn0zQ%3D%3D.
22小泉悠「ウクライナ危機にみるロシアの介入戦略ーハイブリッド戦略とは何か一」『国際問題1』第658号(2017
年1・2月)40頁。
23廣瀬陽子『ハイブリッド戦争』337-341頁。
24 Edmund J. Burke, Kristen Gunness, Cortez A. Cooper III, and Mark Cozad, “Pepole’s Liberation Army
Operational Concepts5^^ RAND Corporation, 2020, https://www.rand.org/content/dam/rand/pubs/research
_reports/RRA300/RRA394- 1/RAND_RRA394-1.pdf.
2日中華民国110年国防報告書』(台北ー:中華民国国防部2021年)41-44頁。
25
安全保障戦略研究 第4巻第]号(2023年12月)
そこで本稿は、最初に新たな領域といえども既に一般的になりつつあるサイバー領
域と、まだその実体について議論が続いている認知領域の定義を確認し、そこで確認
した概念に基づき、中国の公刊資料や諸外国の専門家による分析などを用い、中国の
サイバー領域と認知領域におけるそれぞれの活動を整理していく。
そのうえで、中国
が全領域で繰り広げる「情報化戦争」の実例として台湾のケースを取り上げ、台湾に
対する「認知領域における戦い」の特徴と効果を明らかにするとともに、伝統的な物
理領域における破壊的なパワーの行使の有用性を発揮しつつも、兵士が血を流すこと
のないサイバー領域と認知領域での領域横断的な戦いを繰り広げることにより、敵と
接触せずに目的の達成を目指す中国の「情報化戦争」の実態を読み解き、最後にその
普遍性と特殊性を検討していきたい。
1.「サイバー領域」と「認知領域」の定義
本稿において「サイバー領域」とは、情報システムや情報通信ネットワーク等によ
り構成され、様々な情報が流通するインターネットその他の仮想的なグローバル空間
を指す26。
このサイバー領域において、ネットワークや重要なシステムが何者かによっ
て不正にアクセスされ、情報の窃取、流出、改ざん、無効化、破棄などの被害が多
発している。
そこで繰り広げられる不正行為が政府や生活インフラに深刻なダメ ー
ジを与えるばかりでなく、社会を混乱させて人々に心理的な恐怖を与え、さらには
人命の損失を招く事態まで発展することがあることは、セキュリティーアナリストの
ウィン・シュバルタウ(Winn Schwartau)が2000年に出版した『サイバーショック
(Cybershock)Jで警鐘を鳴らしており2、「サイバー攻撃」という用語が定着し、一定
のコンセンサスが得られている。
「認知領域」で繰り広げられる戦いについては、十分にコンセンサスが得られる段階
に至っていない。
簡潔にポイントを示しているのは、ハーバード大学のオリバー •バッ
クス(Oliver Backes)とアンドリュー •スワブ(Andrew Swab)による「対象者の考
え方を変え、それによって対象者の行動様式を変えることを目的とした戦略」との定 * * *
26サイバー空間の定義は多様だが、本稿では日本政府の「サイバーセキュリティ戦略」の定義を採用した(情
報セキュリティ政策会議「サイバーセキュリティ戦略一世界を率先する強靭で活力あるサイバー空間を目指
して一」高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部、2013年6月10日、4頁、https://www.nisc.go.jp/pdf
/policy/kihon-s/cyber-security-senryaku-set.pdf)〇
27 Winn Schwartau, Cybershock: Surviving Hackers, Phreakers, Identity Thieves, Internet Terrorists, and
Weapons of Mass Disruption. (New York: Thunder’s Mouth Press, 2000).
26
中国が目指す非接触型「情報化戦争」
義である28。
近年では、ICTやAI技術の飛躍的な発展に伴い、戦闘空間が物理的な範
囲から「人間の認知2勺を含む無形の空間に拡大し、認知領域をターゲットとした世論
操作や情報操作が一国の政府の政策決定過程や世論形成過程に影響を及ぼしているこ
とが指摘されている3〇〇
他方、古くから非伝統的な安全保障の分野では、認知領域で戦いが繰り広げられ
ていたと指摘されている。
エール大学のサミュエル・ハンティントン(SamuelP.
Huntington)は、1968年に出版した『変化する社会における政治秩序(Political
Order in Changing Societies)』のなかで、安定した伝統的社会にとって、外国の軍隊
による侵略は主要な脅威ではなくなっており、むしろ外国思想の侵入こそが脅威であ
り、例えば印刷物などの活字は、戦車よりも速く、かつ深く侵入してくると論じてい
る’ケ
こうした古くからの人間の認知に対する脅威を踏まえ、NATOとジョンズ・ホプ
キンス大学の報告書では、「認知領域における戦い」について、①国民や政府の政策
に影響を与え、②公的機関を不安定にすることを目的とした、外部勢力による世論の
武器化と定義されている28 * * 31 32〇
そして今日、サイバー領域で興隆するソーシャルメディア
を通じて物理領域と認知領域が結びついている。
ソーシャルメディアは、情報の真偽を確かめる間もなく瞬時に拡散•共有する特性
があるため、伝統的なプロパガンダと同じ内容であっても非常に小さなコストで大き
な効果を得ることができる。
とりわけインターネットや言論を統制する権威主義体制
の国家とは対照的に、表現の自由を原則として開かれた社会の実現を目指す民主主義
体制の国家は、ディスインフォメーション(disinformation ;相手を傷つけるため意図
的に拡散される偽りの情報)が拡散されやすく、それがリベラルな民主主義を脅かす
存在になると警鐘が鳴らされている33〇
そこでロシアは、民主主義体制の国家における
言論の自由に目を付け、その体制の根幹をなす「選挙」に照準を合わせ、サイバー領
28 Oliver Backes and Andrew Swab, Cognitive Warfare: The Russian Threat to Election Integrity in the Baltic
States. (Cambridge: Belfer Center fbr Science and International Affairs, 2019), p. 8.
29「認知(cognition)Jとは、もともと心理学で使われる用語であり、感覚や知覚、記憶など、生体が生得的また
は経験的に獲得した既存の情報に戻づいて、外界からの情報を選択的に取り入れ、それを処理して新しい情報
を生体内に蓄積し、さらにはこれを利用して外界に適切な働きかけを行うための情報処理の過程をいう(酒井
英明「認知」『世界大百科事典〔第21巻〕』(平凡社、1988年)568頁)。
30棄原響子『「人間の認知」をめぐる介入戦略一複雑化する領域と手段、戦略的コミュニケーション強化のため
の一考察ー』(東京大学先端科学技術研究センター、2021年7月)。
31 Samuel P. Huntington, Political Order in Changing Societies. (New Haven: Yale University Press,1968), p.
32.
32 Alonso Bernal, Cameron Carter, Ishpreet Singh, Kathy Cao, and Olivia Madreperla, Cognitive Warfare: An
Attack on Truth and Thought. (Baltimore: NATO and Joshns Hopkins University, 2020), p. 3.
33 Freedom House, “The Rise of Digital Authoritarianism: Fake news, data collection and the challenge to
democracy,October 31,2018, https://freedomhouse.org/article/rise-digital-authoritarianism-fake-news-data
-collection-and-challenge-democracy.
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安全保障戦略研究 第4巻第]号(2023年12月)
域を通じて認知領域にアクセスすることで有権者の「認知」を操作し、自国の利益を
有利に導く候補に利するようその投票行動を変えることを試み、それが成功したと評
されている’七
こうしたサイバー領域で拡散する情報が世論を左右し、政治にも影響を
与えてきていることから、近年では「人間の認知」が国家の安全保障に重大な影響を
及ぼす領域として注目を集めている。
そして、この分野で先行しているロシアに続き、
中国も政治や軍事に関する目的を達成するため、「認知領域における戦い」への取り組
みを強化している0
2.中国の「サイバー領域」における活動
(1)人民解放軍におけるサイバー作戦能力の構築と発展
中国が「サイバー戦」に着目し、その能力構築に動き出す契機となったのは、1991
年の湾岸戦争における米国の圧倒的な勝利を観察したときのことである。
中国は、米
軍のネットワーク中心の戦い(Network-Centric Warfare: NCW)のコンセプトから学
ぶ必要性を認め、その研究に着手した。
その過程で人民解放軍は、米軍が情報技術に
大きく依存していることを弱点の一つとして捉え、そのネットワークの重要なノード
(節点)に対し、非対称な攻撃を行うことでその機能を麻痺させ、「弱者が強者を倒す」
という独自の情報戦に関する方針を導き出した35。
1999年には、人民解放軍が軍内の人
材を対象として、サイバー要員の養成を始めたが、その質・量ともに十分ではなかっ
たため、情報産業から人材を探し出し、全国規模で「サイバー民兵」を組織した36。
そして、陸、海、空、宇宙に続く第5の領域としてサイバー空間への関心が高まるなか、
中国で「情報戦の父」と呼ばれる沈偉光は、敵のコンピューターシステムを破壊し、
情報の受発信機構や金融、通信、エネルギー、交通など重要インフラのネットワーク
システムを混乱させることで、敵の軍隊を戦闘不能に陥らせ、さらには国民からの信
頼をも失墜させることができると主張した37。
2013年11月の中国共産党第18期中央委員会第3回全体会議では、のちに「建国以来、
最大の改革」と評価される国防•軍隊改革が発表された38。
同会議において、インター
34 A Yang, “Reflexive Control and Cognitive Vulnerability in the 2016 U.S. Presidential Election?^^ Journal of
Information Warfare, vol.18, no. 3, Special Edition (Winter 2019), pp. 99-122.
35 John Costello and Joe McReynolds, China’s Strategic Support Force: A Force for a New Era. (Washington,
D C.: National Defense University Press, 2018), p. 2.
36林穎佑「中国近期網路作為探討:従控制到攻撃」『台湾国際研究季刊』第12巻第3期(2016年)59頁。
37沈偉光『信息邊彊:無影無形的第五邊彊』(北京:新華出版社、2003年)36頁。
38「中共中央関於全面深化改革若干重大問題的決定」『解放軍報』2013年11月16日。
28
中国が目指す非接触型「情報化戦争」
ネットが隆盛する時代に「サイバー空間」を管理する重要性が謳われた39。
この時期、『解
放軍報』の社説などで将来の戦争のニーズに応える「サイバー軍」の創設が語られる
ことはあったものの、それが公式な方針として示されることはなかった。
その方向性
が明確になるのは、2015年9月3日の第二次世界大戦終結70周年を記念する式典に
おいて、習近平中央軍事委員会主席が人民解放軍の兵力を30万人削減する方針を示
してからのことであった。
次々と発表される軍事機構改革に関する内容の特徴として、
兵力の量的削減のみならず、組織の質的転換が挙げられるが、そのハイライトの一つに、宇宙、サイバー、電子戦の任務を担う「戦略支援部隊」の新設が掲げられた。
これに
より、人民解放軍内に分散していたサイバー作戦部門が同部隊線下のネットワークシ
ステム部に概ね集約され、人民解放軍が行うサイバー領域における戦いが統一して運
用される体制が整えられたのである* 40〇
(2)国家安全部などによる「サイバー領域」での活動
近年、中国がインターネット上で、他国に対してネガティブな攻撃を仕掛けてい
ることが指摘されている。
例えば、早くも2009年12月中旬には、Googleが同社の
Gmai!サービスに対して中国から入念に計画された標的型の攻撃を受けたことを発表
している。
中国のハッカーは、友人のアカウントを使ってメールやメッセージでURL
を送りつけるほか、SNS上にURLを貼り付けた。
そして、そのURしを不用意にクリッ
クすると、悪意あるソフトウェアがパソコン内に保存されてしまい、ハッカーがいつ
でも侵入することができる4I *〇
2015年6月上旬には、中国のハッカーが米国政府の情報
システムに侵入し、機密性の高いセキュリティ一番号、セキュリティークリアランス
一覧、業務申請書など、米国政府の現職および元職員とその配偶者の個人情報2,100
万件以上がハッキングされた。
その後、2年にわたる捜査の末、米国政府は中国国籍
の男性を容疑者として逮捕している42。
最近では、2021年3月にマイクロソフト社のExchange メールサーバーが攻撃を受
け、データが漏洩している。
ハッカーは、米国国内の大学、国防関連企業、法律事務
所、感染症研究機関などセキュリティーが脆弱な情報システムに侵入し、それら機関
39「関於«中共中央関於全面深化改革若干重大問題的決定»的説明」『解放軍報』2013年11月16日。
40 John Costello and Joe McReynolds, China’s Strategic Support Force: A Force for a New Era. (Washington,
D C.: National Defense University Press, 2018), pp.1-68.
41「«極光行動»発現疑中国黒客表谷歌線索」VOA、2010年1月30日、https://www.voachinese.com/a/clues
-of-chinese-hackers-were-behind-google-attack-20100129-83080367/460439.html〇
42「渉窮美聯邦人事局資料中国駿客被捕」公視新聞網、2017年8月25日、https://news.pts.org.tw
/article/3689440
29
安全保障戦略研究 第4巻第]号(2023年12月)
の機密情報を窃取した43。その事件を受け、7月19日に米国、NATO諸国、欧州連合
(EU)、日本などは、中国政府が世界中で「無責任で悪質なサイバー活動」を行っており、
その一環としてExchange メ ールサーバーにサイバー攻撃をかけたハッカー集団を匿っ
ていることを非難する声明を発表した。
また、英国の国家サイバーセキュリティーセ
ンターは、Exchange メ ールサーバーへの攻撃に関与したハッカー集団Hafniumと関
連があるとして中国国務院を名指しし、さらに、米国や欧州の防衛産業に対する八ッ
キング行為を長年行ってきたAPT集団くくのうち、APT31とAPT40という2つのハッ
カーグループの背後に中国の国家安全部がいると名指で批判した45。
これと同時期、米
国司法省は4人の中国人を起訴した。
4人のうち3人は海南省国家安全庁の関係者、1
人は同庁が設立したフロント企業であるFHainan Xiandun (海南仙盾)」の一員であ
ることが判明し、彼らは2011年から2018年にかけて、航空、国防、教育、政府、医療、
バイオ製薬、海事などの分野に関する米国の企業、大学、政府のコンピューターシス
テムをハッキングした罪に問われた。
米国側は、彼らが中国の国家安全部から報奨を
得てハッキングを行ったと主張している43 44 45 46 *〇
(3)「軍民融合」路線の基づく国家規模の「サイバー領域」における活動
習近平政権は、胡錦濤政権期に始まった「軍民融合による発展」の政策を継承し、
さらにそれを推し進める方針を示している。
2017年12月4日に国務院から発表され
た国防科学技術工業の軍民融合に関する声明では、重点の一つにサイバー領域が挙げ
られている47。
この「軍民融合」の枠組みで、中国のサイバー領域における活動が国家
規模で発展していくことになった。
ジョージタウン大学の安全保障•新興技術センター
の調査によると、少なくとも6つの大学が、中国政府や人民解放軍の支援を受けた
APT集団と連携してサイバーセキュリティーに関する研究を行っており、最新の研究
43 Charlie Osborne, “Everything you need to know about the Microsoft Exchange Server hack?^^ ZDNET, April
19, 2021,https://www.zdnet.com/article/everything-you-need-to-know-about-microsoft-exchange-server-hack/.
44 APTとは、サイバーセキュリティー企業のファイア・アイ社がサイバー攻撃集団を区別する際に用いるコード
であり、Advanced Persistent Threat (高度で持続的な脅威)の略称である。
45 Christina Wilkie, “U.S., NATO and EU to blame China fbr cyberattack on Microsoft Exchange servers,
CNBC, July 19, 2021, https://www.cnbc.com/2021/07/19/nato-and-eu-launch-a-cyber-security-alliance-to
-confront-chinese-cyberattacks.html; John Hudson and Ellen Nakashima, “U.S., allies accuse China of hacking
Microsoft and condoning other cyberattacks,Washington Post, July 19. 2021, https://www.washingtonpost
.com/national-security/microsoft-hack-china-biden-nato/2021/07/19/a90ac7b4-e827-l leb-84a2
-d93bc0b50294_story.html.
46「美司法部起誦9名中国黒客国安化身「海南仙盾」被識破」自由亞洲電台、2021年7月19日、https://www
.rfa.org/cantonese/news/us-hackers-07192021091307.html〇
47「国務院弁公庁関於推動国防科技工業軍民融合深度発展的意見(国弁発〔2017〕91号)」中華人民共和国中央
人民政府 HP、2017 年12 月 4 日、http://www.gov.cn/zhengce/content/2017-12/04/content_5244373.htmo
30
中国が目指す非接触型「情報化戦争」
成果が速やかに技術移転できる状態にあることが指摘されている48。
また、2017年には、
米国のサイバーセキュリティー企業によって、中国国家安全部の支援を受けたAPT41
の活動が発見されている。
2012年から活動を始めているAPT41は、中国本土の経済
発展に資する情報の収集を専門とし、機械学習、自動運転、医用画像、半導体、プロセッサー、企業向けクラウドコンピューティングソフトウェアの研究開発に関連する企業
などをターゲットにしている49。
また、2020年5月にAPT41は、台湾の石油企業、プ
ラスチック企業、半導体企業に対し、ランサムウェアを用いてシステムやデータを暗
号化し、身代金を要求している弟。
さらに中国は、民間のテクノロジー企業の名義でサイバー民兵を組織するほか、大
手サイバーテクノロジー企業と協力してサイバー民兵を養成するための教室を運営し
ている。
例えば、河北省の恒水南浩科技有限公司は、表向きは民間の技術会社だが、
2006年以降、人民解放軍のサイバー民兵をリクルートしている。
また、2017年には
安天ネットワーク科技公司という民間企業もサイバー民兵部隊を設立している。
2019
年9月には、広東省の中国科学院クラウドコンピューティング産業技術革新イノベー
ション・インキュベーションセンターが「サイバー民兵教室」を設立し、サイバー民
兵の養成を始めている我。
2017年にドナルド•トランプ(Donald J. Trump)が米国大統領に就任した後、貿
易摩擦を背景に米中間の緊張が高まると、中国から米国に対するサイバー攻撃が活発
化した。
だが、米国の情報機関は、2018年になると人民解放軍によるハッキングのケー
スが無くなり、代わりに国家安全部の権限の下で活動するハッカーがそれを行うよう
になったことを発見した。
米国の情報機関によると、現在、中国の経済活動に資する八ッ
カー行為は、人民解放軍のサイバー作戦部門ではなく、中国の大手テクノロジー企業
で働くエンジニアや、国家安全部門のフロント企業や請負業者によって柔軟に展開さ
れている48 * * * 52〇
こうして今日、中国のサイバー領域における活動は、「軍民融合」路線の下、人民解
48 Catalin Cimpanu, “Chinese universities connected to known APTs are conducting AI/ML cybersecurity
research,” The Record, March 11,2021, https://therecord.media/chinese-universities-connected-to-known-apts
-are-conducting-ai-ml-cybersecurity-research/.
49胡晴美「火眼点名中共駿客団体APT41:間諜、商業犯罪双管斉下14個国家港台媒体都会被駿」『信傳媒』(2019
年 8 月 9 日)https://www.cmmedia.com.tw/home/articles/16954o
50黄彦菓「台美聯手防駿,追糸:§並起訴APT41中国網軍」iThome、2020年9月18日、https://www.ithome
.com.tw/news/1400540
51黄郁文「中共後備動員之研究:以網路民兵建設為例」財團法人國防安全研究院HP,2020年9月30日、47-48頁、
https://indsr.org.tw/uploads/Download/%E5%9C%8B%E9%98%B2%E6%83%85%E5%8B%A2%E7%89%B
9%E5%88%8A-5.pdf〇
52 Nicole Perlroth, “How China Transformed Into a Prime Cyber Threat to the U.S.,^^ The New York Times. July
20, 2021,https://www.nytimes.com/2021/07/19/technology/china-hacking-us.html.
31
安全保障戦略研究 第4巻第1号(2023年12月)
放軍のみならず、国家規模で多方面にわたって繰り広げられるようになっている。
3.中国の「認知領域」における活動
(1)広がりゆく「認知領域」における闘争の激化
中国において「認知領域」という言葉自体は新しいものであるが、その考え方は決
して新しいものではなく、むしろ伝統的に人間の心の支配を重視してきた。
例えば、
毛沢東は1938年の著書『持久戦論』のなかで、日本との戦争に勝っためには「政治、
経済、文化の進歩を促進するために努力し、労働者、農民、商人、学者などあらゆる
階層の人々を動員し、敵の軍隊を解体してその兵士を獲得し、国際的な宣伝によって
国際社会からの援助を勝ち取り、日本国民や他の被抑圧国の国民からの支持を獲得す
る。それ以外に優位に立つ方法はないだろう」と主張しているラ‘。
そして近年では、国際的に新興メディアが普及していく趨勢に伴い、中国は新旧メ
ディアを包括した「認知領域」における活動へと移行している。
中国は、偽情報を急
速かつ大量に生成し、真偽を混在させたディスインフォメーションを拡散するプラッ
トフォームとして、ソーシャルメディアの利用を重視している。
中国の認知領域にお
ける戦い方は、新旧メディアをパッケージ化して展開することで、認知領域における
戦いを優位に進めようとしているうん
例えば,FacebookPLINE.TikTokなどのソーシャ
ルメディアを利用し、個々のユーザーをターゲットにディスインフォメーションを発
信している53 * 55〇
このように中国が活動する「認知領域」が広がりゆくなか、国防大学国家安全学院
の李明海は、かつて様々なメディアが戦場の様相を大衆に伝えるツールとして注目を
集めたが、今はメディアそのものが主戦場になりつつあると指摘する。
李は、戦争は
もはや伝統的な物理領域での戦いにとどまらず、ソーシャルメディアにまで広がり、
国際的な言論空間では銃弾を言葉に代えた戦いが繰り広げられ、それが認知領域にお
ける対立の主要な手段になっていると論ずる56。
一方、国防科技大学の梁暁波は、「認
知領域における戦い」について、現代の認知理論や科学の成果に基づき、インターネッ
卜、メディア、テキスト、写真、ビデオ、デジタル等の技術を利用し、人々の思考、
53 毛沢東『論持久戰』(1938 年 5 月)http://chinatide.net/xiachao/3-2.html〇
54『中華民国110年国防報告書』44頁。
55李澄欣「“認知戦”憂慮vs押衛民主価値台湾会徹底封殺掛音和TikTok日馬」BBC News中文、2022年12月
22 日、https://www.bbc.com/zhongwen/simp/chinese-news-640629530
56李明海「透視認知戦演変趨勢」『解放軍報』2022年9月29日。
32
中国が目指す非接触型「情報化戦争」
信念、価値観、アイデンティティーで主導権を得るために繰り広げられる伝統的なイ
デオロギー闘争の一形態だと主張する57〇
中国など共産主義の国家は、その全体主義的な支配を維持するため、継続的な教育
やプロパガンダを通じて人民の心に愛国心や党への忠誠心を植え付けようとする戦術
を用いてきた。
中国などが伝統的に行ってきた対内的に人民の支持を得て、対外的に
敵の心を打ち砕き、国際宣伝に努めるという手法は、その活動の場が新興メディアに
広がろうとも、今日の認知領域における戦いの基礎となっており、そこでの闘争は激
しさを増している。
(2)人民解放軍などで活発化する「認知領域における戦い」の研究
中国では伝統的に人間の心の支配が重んじられてきたが、2000年代に入って人民解
放軍所属の研究者が将来の「情報化戦争」を論ずるなかで、物理領域やサイバー領域
と並び、「認知領域」が注目され始めた焚。
2011年に改訂された人民解放軍の軍事用語
辞典『中国人民解放軍軍語(全本)』では、「情報化戦争」や「一体化統合作戦」構想
の説明において、陸、海、空、宇宙、サイバー •電磁波空間に加え、「認知領域」が
新たな作戦領域として示された晩。
こうして人民解放軍が伝統的に重んじてきた人間の
認知に関する領域を新たな作戦領域として定義づけると、新たな戦場として公式に認
められるようになった「認知領域」への関心が高まり、科学技術の発展と重なり合う
ように、それに関連する研究が活発化していった。
2020年6月には、戦略支援部隊の
線下にある情報工学大学学長の郭雲飛が、認知領域は大国間の軍事的対決の究極の領
域になっていると指摘した。
認知領域で行われる戦闘は、人間の脳に直接的に作用し、
人間の感情、動機、判断、行動に影響を与えるばかりでなく、敵の思考や判断をもコ
ントロールすることができる。
人間の認知の場である脳は、将来の戦争における主戦
場になる可能性があり、脳をコントロールする能力が「認知領域における戦い」で勝
敗を決める鍵となり、戦争における最高レベルのパワーになると説明した。
さらに郭は、
「戦わずして勝つ」という究極の目標を実現することができるのは、物理領域や情報領
域での作戦ではなく、認知領域で行われる作戦だと主張する60〇
また、呉中和や朱小寧といった中国の研究者は、『解放軍報』の社説において、中国
は伝統的に偽情報を流布して敵を困惑させ、敵に間違った判断や決断をさせることに
57「梁暁波:認知域作戦是語源対抗新的主戦場」人民網、2022年5月17日、http://military.people.com.cn
/nl/2〇22Z〇517/c!〇!l-32423539.html〇
58董子峰『信息化戦争形態論』(北京:解放軍出版社、2004年)10—16頁。
59杉浦康之『中国安全保障レポ-b 2022J 11-12頁。
60郭雲飛「認知域作戦進入制脳権争奪時代」『解放軍報』2020年6月2日。
33
安全保障戦略研究 第4巻第]号(2023年12月)
重点を置いてきたと主張する。
彼らは、情報の不確実性によって人間の判断は容易に
乱されると論じ、認知領域における戦いで鍵となるのは、敵が行う自軍の作戦行動に
対する観察行動を混乱させ、正確な情報を得られなくすることで、状況判断の確実性
を求める敵の心を根底から崩すことにあると説明する。
そのうえで、敵からの観察を
妨害するために着意する認知領域における戦いの手法として、偽装、妨害、欺瞞、沈
黙など一般的な情報活動の要領に加えて、次の4つにも注意を払うべきであると訴え
る。
1つ目は、複雑な状況を作為することで「戦場の霧」を広げ、敵が自軍の状況を
観察できないようにする。
2つ目は、敵の観察行動を妨害し、かつ、特定の目標に対
する観察に集中させることで、真に重要な情報を獲得されないようにする。
3つ目は、
虚偽を含むナラティブを形成することで、敵が観察した結果と客観的な事実に彼らの
観察に矛盾を生じさせることで、混乱と事実誤認を招くようにする。
4つ目は、自軍
の指揮官固有の意思決定スタイルを大切にし、さらにA!のアルゴリズムの活用など、
敵に看破されない作戦行動を採ることが重要だと説明する企。
このように近年、人民解放軍では認知領域に関する研究や議論が繰り広げられてい
るが、その新たな作戦領域にかかわる部門は、軍だけにとどまらない。
中国国家イン
ターネット情報弁公室(CAC)、中国共産党の中央宣伝部と中央統一戦線工作部、人
民解放軍戦略支援部隊のほか、国務院台湾事務弁公室や民間のテクノロジー企業の下
に編成されたサイバー民兵など「認知領域における戦い」に携わっている62。
中国は、「戦
わずして勝つ」という究極の目標の実現に向けて、その能力の構築に力を入れている。
4.中国が台湾に対して繰り広げる非接触型「情報化戦争」
(1)中国の台湾に対する「認知領域における戦い」の特徴と効果
台湾の2021年版『国防報告書』によると、台湾が直面する「認知領域における戦
い」の脅威として、中国が政治的には、台湾の国際活動空間を圧迫することで、政治
的要求を受け入れさせ、経済的には、経済•貿易上の優位性を利用して台湾企業や人々
を引き込み、軍事的には、台湾海峡周辺の海•空域への侵入の頻度を高めるのと同時
に、メディアやネットコミュニティーでそれを誇張することによって強要や抑止の効
果を高め、心理面では、民衆の心を混乱させるとともに、軍人や民衆の抗戦の意思と
61呉中和、朱小寧「基于作戦決策鎚破訳認知戦密る馬」「解放軍報』2022年9月13日。
62黄文¢k「軍民魚水情結対共建暖民心」永泰新聞網、2017年1月17日、http://www.fjytxww.com/2017-01/17
/content_20557.htm.
34
中国が目指す非接触型「情報化戦争」
自衛の決意を弱めさせ、世論の支配的地位を掌握しょうとしていることが挙げられて
いる63。
かつて中国共産党は、中国国民党との内戦や朝鮮戦争において「人海戦術」で
戦いを繰り広げてきたが、今日、認知領域で繰り広げられる戦いは、「情報による人海
戦術」と表現することができる。
台湾の蔡英文総統は、民主主義の社会でディスイン
フォメーションが拡散する速度は非常に速いため、中国が認知領域で繰り広げる戦い
は、低コストで効率的な戦法であると述べ、それは台湾の存続に関わる最大の課題だ
と警鐘を鳴らしているもん
このように、中国が台湾に対する認知領域における戦いを強化している背景には、
中国経済の低迷が指摘できる。
中国の経済発展が好調だった頃は、台湾に対して様々
な優遇措置や両岸交流の促進策など、ポジティブなプロパガンダで台湾の人々の心を
惹きつけていたが、米中間の貿易摩擦や新型コロナウィルス感染症の世界規模での感
染拡大も重なり、中国経済が大きく打撃を受けると、中国はディスインフォメーショ
ンを流布することで台湾社会の分断を企て、プロパガンダの性質もネガティブなもの
へと変化している* 65〇
こうした中国の認知領域における戦いの経路を分析した台湾の専門家は、大きく「金
銭」「人」「情報」の3ルートに分けて説明する。
まず、「金銭」ルートは、台湾の住民、
ライブストリーマー(動画配信者)、広告宣伝会社などに報酬を支払い、主に台湾の若
者をターゲットに親中世論を広めることを狙っている。
2000年の総統選挙前には、台
湾の人気ユーチューバー TOP10のうち、6名が中国の金銭的な援助を受けて親中メッ
セージを流していた。
「人」ルートについては、伝統的な統一戦線工作の方式の一つで、
中国は台湾の地方の村長や学校に通う若者などを協力者として獲得し、彼らを通じで
宣伝活動を展開する。
出稼ぎで中国大陸に行く台湾の住民も、そのターゲットになり
やすい。
最後の「情報」ルートとは、新聞、テレビ、ラジオなどの伝統的なメディア
に宣伝用の広告を掲載するほか、中国共産党の「赤」い思想に染まっていないものの、
中国に対して良好なイメージを抱く「ピンク」がかった若者が、特に中国からの指示
を受けることなく、不特定多数の台湾住民に向けて自発的に中国の利する情報を発信
63『中華民国110年国防報告書』44頁。
64「蔡英文:資訊戦與認知作戦是台湾生存最大挑戦」中央通訊社、2022年8月I0日、https://www.cna.com.tw
/news/aipl/202208100290.aspx〇
65 Tzu-Chieh Hung and Tzu-Wei Hung, “How China’s Cognitive Warfare Works: A Frontline Perspective of
Taiwan5s Anti-Disinformation Wars/9 Journal of Global Security Studies, vol.7, no. 4 (December 2022), pp.
11-13, https://doi.org/10.1093/jogss/ogacO 16.
35
安全保障戦略研究 第4巻第]号(2023年12月)
するように仕向けるものである66〇
このように中国が台湾に仕掛けてくる認知領域における戦いにおいて、そこで流布
するディスインフォメーションを分析すると、
①中国の台湾侵攻に対する防衛作戦準備、②蔡英文総統の権威、③台湾と欧米諸国との関係、という3つの特徴が際立って
見えてくる。
1つ目の防衛作戦準備については、「台湾の政府は侵攻に対する準備がで
きていない」「台湾の人々は、いくら抵抗しても無駄だと考えている」といった批判が
拡散されている。
2つ目として、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー (Volodymyr
- Zelenskyy)大統領がメディアを通じて国際社会に訴え、国際社会からの支持を集
めているように、中国が台湾に侵攻した際、蔡英文が同じように象徴的な存在になる
ことを妨げるため、その権威を失墜させようとしている。
3つ目は、台湾の人々に欧
米に対する不信感を植え付けようとしている。
ウクライナに対する米国の支援が限定
的であることを見て、台湾の人々の間で「米国は台湾を見捨てるのではないか」といっ
た不安が広がっている。
こうしたディスインフォメーションが拡散する背景には、欧
米や日本のメディアが中国のコンテンツファームやフェイクニュースサイトに飛びっ
き、それを引用し、さらに人々の注目を集めるように潤色して報じていることが挙げ
られる。
中国側から発信されるディスインフォメーションの影響を直接的に受けるば
かりでなく、欧米メディアから発信されるニュースが台湾で「疑米論」が広がる要因
となっている67〇
このような中国が台湾に対して進めている認知領域における戦いは、短期的な目標
の達成を狙うものが多くを占めているが、長期的に繰り返すことで文化的な浸透を図
ることへと繋がっている。
例えば、言語である。中国と台湾では、同じ中国語でも台
湾は伝統的な繁体字を用い、中国は簡略化した簡体字を用い、その違いを一目で見分
けることが可能である。
また、同じ意味を指す言葉でも単語が異なる場合があり、日
本で「タクシー」を意味する単語が台湾では「計程車」、中国では「出租車」と表記
される。
近年、動画サービスT汰Tokを見る若者が増えているが、その配信で使われ
る中国の文字や単語が台湾でも広まり、中国と台湾で全く同じ文字や単語が使われる
ようになると、ディスインフォメーションの判別も難しくなる。
中国と台湾は文化な
どの面で共通する歴史を有するがゆえに、人間の心の中、すなわち人間の「認知領域」
66「専訪:中国融?準台湾年軽人進行反美日認知戦」Deutsche Welle中文網、2021年11月10日、https://www
.dw.com/zh/%E4%B8%93%E8%AE%BF%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%9E%84%E5%87%86%E5%8F
%B0%E6%B9%BE%E5%B9%B4%E8%BD%BB%E4%BA%BA%E8%BF%9B%E8%Al%8C%E5%8F%8D
%E7%BE%8E%E6%97%A5%E8%AE%A4%E7%9F%A5%E6%88%98/a-597647180
67 A.A. Bastian, “China Is Stepping Up Its Information War on Taiwan,” Foreign Policy, August 2, 2022, https://
foreignpolicy.com/2022/08/02/china-pelosi-taiwan-information/;沈伯洋「中国認知領麻作戦模型新探:以 2020
台湾選挙為例」『遠景基金会季刊』第22巻第1期(2021年1月)30-47頁。
36
中国が目指す非接触型「情報化戦争」
で激しい争いが繰り広げられているのである
(2)中国の台湾に対する領域横断的な非接触型「情報化戦争」の事例分析
中国が台湾に侵攻する際、第一波はミサイル攻撃だと言われているが、物理領域で
の戦いが始まる前に、目に見えないサイバー領域や認知領域において戦いが始まると
指摘されている。
しかし、1949年の分断以来、台湾海峡に「平時」は無く、常に臨戦
状態にあり、その「グレーゾーン」で繰り広げるサイバー領域や認知領域の戦いにお
いて中国は、必要により物理領域のアセットを組み合わせ、「戦わずして人の兵を屈す
る」ことを試みている。
それは、実際に軍事力を行使することなく、相手に軍事力を
誇示することでその意思に従わせようとする「強要」の効果を利用するものであり68、
その最たる事例が、2022年8月にナンシー •ペロシ(Nancy P. Pelosi)米下院議長が
台湾を電撃訪問した際、台湾社会が見舞われたサイバー攻撃であり、ペロシ離台後の
人民解放軍による軍事演習であった。
8月2日22時過ぎ、アジア歴訪中のペロシは、中国が「報復の可能性がある」と警
告するなか、台北に到着した。
その時、既に「サイバー領域における戦い」は激しさ
を増していた。
8月3日、台湾の政府は、2日に行政機関が受けたサイバー攻撃のデー
タ量の合計が過去最も多かった日の23倍に上る1万5,000ギガバイトに達したことを
発表したも%
ペロシが蔡英文ら要人と会談を繰り返した3日には、台湾の大手コンビニ
チェーン・セブンイレブンの複数店舗で電光掲示板に「ペロシは台湾から出ていけ」と、台湾鉄道各駅の電光掲示板に「ペロシを歓迎した者は、人民の審判を受ける」と中国
大陸で用いられる簡体字で表示された7〇。
そしてペロシが台湾を離れた翌日の4日、外
交部報道官が記者会見において、外交部公式サイトに中国やロシアのIPアドレスから
!分間に850万回のアクセスがあったため、サーバーがダウンしてアクセスが不能に
なったことを発表している?1〇
ペロシ訪台を受け、中国は台湾を取り囲むように6か所のエリアを設定し、「重要軍
事演習」を行うことを発表した72。
ペロシらが離台した4日以降、人民解放軍は台湾周
辺で11発のミサイル発射を行い、一部のミサイルは台湾上空を超えて台湾東部海域
68 Thomas C. Schelling, Arms and Influence. New Haven: Yale University Press, 1966, pp. 69-91.
69「因応今日政経情勢政院:公私協力共同合作防止外力不当侵擾確保政府及社会運作如常」行政院HP、2022
年 8 月 3 日、https://www.ey.gov.tw/Page/9277F759E41CCD91/7b9ee9dd-0283-4800-91ef-2781b2ba0e27o
70「広告蛍幕単日收視万900人次統一超商遭駿客鎖定」自由時報HP、2022年8月4日、https://news.ltn.com
.tw/news/politics/paper/15324830
71「有関網路流伝有心人士截取美国聯邦衆院議長襄洛西受訪影片事,外交部回應如下」中華民国外交部HP、
2022 年 8 月11日、https://www.mofa.gov.tw/News_Content.aspx?n=99&s=98255。
72「我軍在台島周辺海空域成功挙行実戦化総合演訓」藩放軍報』2022年8月5日。
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安全保障戦略研究 第4巻第]号(2023年12月)
に着弾したと報じられた73。
また、空軍機が台湾海峡の中間線を超えて飛行する事例が
激増し、国防部は5日までの統計で延べ49機が中間線を越えたと報じた74。
この演習は、
その公表したエリアを見て1995年から1996年の「第3次台湾海峡危機」以来の危機
が訪れると予想する声が上がったが、8月10日には軍事演習の全行程が終了したこと
が発表された?5〇
こうした軍事的な「強要」とサイバー攻撃に重なり合わせるように、中国は「認知
領域における戦い」を展開した。
台湾の国防部は8月8日に記者会見を開き、人民解
放軍が台湾周辺で軍事演習を行って圧力を加えるのと同時に、総統府や国防部など政
府機関の公式サイトに対してサイバー攻撃をしたことを明らかにした。
また、軍事演
習が始まる前から8月8日までの間に、272件のディスインフォメーションが拡散され、
その内容は、①台湾を武力で統一する雰囲気を醸成する、②台湾の政府の威信を損な
う、③台湾の軍隊と民衆の士気を乱す、の大きく 3つに分類できると公表された76。
このほか、軍事演習の発表前からTwitte[やWeibo (中国版Twitter)上に、「中国
は福建省で武器を大量に増産している」などの書き込みや、台湾の対岸で戦車が走行
している画像などが拡散されていた。
こうした投稿の多くは流言であり、画像なども
過去の写真や動画を合成したものであることが台湾ファクトチェックセンターから報
告されている。
これが中国や台湾のソーシャルメディアで流布している限りでは、台
湾の人々はディスインフォメーションとして目に留めないかもしれないが、欧米メディ
ァがそれを吟味することなく取り上げることでグローバル規模に拡散し、それを信憑
性が高い記事として台湾の主要メディアが引用することで、台湾の人々の感情や認知
に影響を及ぼすことになる77。
さらに軍事演習の終了直前、中国は「台湾問題と新時代の中国統一事業」と題する
白書を発表し、祖国統一に向けた指針を示した。
中国は1993年8月に「台湾問題と
中国の統一」、2000年2月に「一つの中国原則と台湾問題」という白書を発表しており、
台湾問題に関する白書は今回で3回目となる。
新たな白書では、従来の路線と変わら
ず「平和的統一と『一国二制度』は、台湾問題を解決するための基本的なアプローチ
73「共軍8月飛弾越台湾上空丘K国正:跨越領空算第一撃」中央通訊社、2022年10月14日、https://www.cna
.com.tw/news/aipl/202210140199. aspx.
74「共機49架次擾台歴年第2多24架次蘇!f 30途越中線」中央通訊社、2022年8月5日、https://www.cna
.com.tw/news/aipl/202208050392.aspx.
75「東部戦区在台島周辺海空域組織的聯合軍事行動成功完成各項任務」『解放軍報』2022年8月11日。
76「中共軍演也打「認知作戦」国防部:本月已272則争議訊息」自由時報HP、2022年8月8日、https://news
.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/4018471〇
77「看穿中国心戦四大伎倫打造資訊防禦カ」台湾事実査核中心HP、2022年8月16日、https://tfc-taiwan.org
.tw/articles/80330
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中国が目指す非接触型「情報化戦争」
であり、民族統一を実現するための最善の方法である」と謳われている78。
一方で、前
回までの白書で示されていた「統一後の台湾に軍隊や行政官を駐留させない」という
記述がなくなっており、大きく方針が転換されている。
軍事演習とサイバー攻撃が繰
り広げられるなかで発表されたこの白書についても、「認知領域における戦い」の一環
と評することができる。それには、甘い言葉で「懐柔」を図ろうとするばかりでなく、「威嚇」のメッセージが隠されていた。
中国が台湾の対岸で軍事演習を行うことに台湾の人々は「慣れ」てしまい”、それは
もはや「強要」の効果を失いつつあった。
中国は、ペロシ訪台前後に繰り広げた一連
の軍事演習やサイバー攻撃に「認知領域の戦い」を組み合わせる形で、その「強要」
の効果を取り戻すことを試みたのである。
中国がペロシ訪台を成果として掲げようと
する台湾の政権に加えた圧力は、中国の領域横断的な非接触型「情報化戦争」の一形
態だったと言えよう。
この一連の軍事演習やサイバー攻撃について、日本や欧米などのメディアは「第四
次台湾海峡危機」と呼び、その動向を注視した”°
しかし、現地・台湾の人々は、圧倒
的多数がその軍事演習を「怖くなかった」と語り、中国が軍事演習を行うなかでも普
通の生活を送っていた。台湾社会がパニックになっていたら、それこそ中国の思うっ
ぼであったが、威嚇によって屈服させようとする中国の思惑は台湾に通じなかったの
である81〇
おわりに
本稿では、サイバー領域と認知領域の定義を確認したのち、そこでの中国の活動を
整理したうえで、それに物理領域を加えた全ての領域で横断的に繰り広げられる非接
触型の「情報化戦争」について、台湾を事例にその実態を理解する手がかりを考察し * 80
78「台湾問題與新時代中国統一事業(2022年8月)」『人民日報』2022年8月11B〇
79朝日新聞のインタビューに応じた台湾の王尊彦氏(国防安全研究院)は、中国が2022年8月に軍事演習を行っ
た際、台湾社会では普段と変わらない生活が続き、市民は落ち着いていた、市民は中国の圧力に慣れている、
と述べている(「ペロシ氏訪台の批判は筋違い台湾の日本研究者が語る日台関係」『朝日新聞』2022年8月15日、
https://www.asahi.com/articles/ASQ8D6KMXQ8DUHBI02P.html)。
80 Ankit Panda and Catherine Putz, “A Fourth Taiwan Strait Crisis or an Inflection Point for the Status Quo?:
What do the events of early August 2022 in the Taiwan Strait portend for the future of the Asia-Pacific?,99
The Diplomat, August 17, 2022, https://thediplomat.com/2022/08/a-fourth-taiwan-strait-crisis-or-an-inflection
-point-for-the-status-quo/.
81小笠原欣幸「ペロシの台湾訪問が中国を「やりにくく」させた訳一軍事演習を正当化する口実を与えたのはマ
イナスー」東洋経済 ONLINE、2022 年10 月 3 日、https://toyokeizai.net/articles/-/622584.
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安全保障戦略研究 第4巻第]号(2023年12月)
てきた。
孫子が究極的な兵法として「戦わずして人の兵を屈する」と説いているように、中
国は物理領域において「戦わずして勝つ」という究極の目標の実現に向け、2015年の
『戦略学』で記述された「敵と接触することのない作戦」の能力構築に力を入れている。
それを実現するための重要な空間が、本稿でその定義やそこでの活動を整理してきた
「サイバー領域」であり、「認知領域」である。
中国は、サイバー領域において、対象
とする国のシステムやネットワークを麻痺させるとともに、その重要なデータの窃取
を試み、認知領域では、対象とする国の市民の心を捉え、その解釈や理解に影響を与
えることに重点を置いている。
今日、仮想的なグローバル空間で繰り広げられる「サイバー領域における戦い」、と
りわけ情報の窃取、改ざんなどの被害をもたらす「サイバー攻撃」については、それ
を担う機関や手法は各々の国で異なれど、一定のコンセンサスが得られている。
一方、
「認知領域における戦い」については、第1節で「対象者の考え方を変え、それによっ
て対象者の行動様式を変えることを目的とした戦略」との定義を提示しているが、十
分にコンセンサスが得られる段階に至っていない。
そこで本稿では、台湾海峡を挟ん
で対峙する中国と台湾を事例として取り上げ、中国の台湾に対する「認知領域におけ
る戦い」について考察した。
その特徴として、人々の心の中へと浸透していく経路やそこで流布するディスイン
フォメーションの内容などを挙げたが、他の国とは異なる大きな特徴として、共通の
言語を通じて対象者の心の中へと浸透できることを指摘した。
中国と台湾はともに中
国語を公用語としており、そこで繰り広げられる「認知領域における戦い」の手法は、
中華圏に限定された特殊なケースであるかもしれない。
しかし、そこで使われている
文字や単語がそれぞれ異なることから、その違いを一目で見分けることができ、それ
がディスインフォメーションの拡散を防ぐ要因の一つになっていることを指摘した。
このことは、日本でも受信したメールのフォントや文法が不自然であれば、詐欺メー
ルやスパムメールだと判断していることなどと共通している。
つまり、「人間の認知」
を操作しようとするのであれば、主に対象者の視覚を通じて情報を得なければならず、
そのためには言語は極めて重要なツールであり、文字や文法などの正確性がその成否
を左右する要素になっていると言えよう。
反対に、「認知領域における戦い」を仕掛ける側としては、対象者の言語特性のみな
らず、その習慣など文化的背景まで理解を深めなければ、期待する効果を得ることは
難しい。この問題を克服するためには、一つに対象とする国から協力者を獲得する手
40
中国が目指す非接触型「情報化戦争」
段が考えられるカヾ、それでは明らかに非効率である。
それを最も効率的に克服するこ
とができるのは、AI技術の活用なのではなかろうか。
最先端のAI技術で言語や文化
の壁を克服し、認知領域での優勢を獲得することで、物理領域と情報領域における優
勢をより確保することへと繋がり、それが領域横断的な非接触型「情報化戦争」の到
達点になることであろう。そしてその先には、中国が目指す「智能化戦争」の青写真
が描かれている。
2022年8月のペロシ訪台前後、中国は台湾に対して領域横断的な非接触型「情報
化戦争」を仕掛けたのだが、それは失敗に終わった。
現時点で中国が台湾に対して繰
り広げる領域横断的な非接触型「情報化戦争」の形態を見る限り、平素より対策を講
じ、過剰に反応しなければ、その効果を無効化もしくは低減可能であることを台湾は
証明した。
また、2014年から始まったロシアとウクライナの間の紛争を見ても、サイ
バー領域や認知領域での戦いが戦争全体の帰趨を左右したとは言い難く、むしろその
限界が示され、それだけでは戦争に勝てないことが証明されている。
だが、かつて「人
海戦術」で自らの人民の命を顧みなかった中国でも、今では少子高齢化の影響を受け、
軍隊は募集難に苦しみ、「兵士の命」の重要性が増している双。
それゆえに中国は、「戦
わずして勝つ」という究極の目標を目指し、領域横断的な非接触型「情報化戦争」の
能力を構築に努力していくであろう。
中国にとって台湾は、祖国統一のために奪還すべき領土の一部であることは変わら
ない。そして今日、その台湾は、中国が領域横断的な非接触型「情報化戦争」の能力
を国家総動員で構築していくための「試,験場」になっている。
(中共軍事事務研究所)
(防衛研究所)
82五十嵐隆幸「中共武裝力量的人力資源問題:面臨少子化及高齢化時代的中共解放軍」「中共解放軍研究学術論
文集』第3期(2021年12月)189-220頁。
〔付記〕本稿は、日本台湾交流協会2022年度「共同研究助成事業(人文・社会科学分野)」の助成を受けて行っ
た研究成果の一部である。』