物事は記号化したほうが生きやすい。
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/32954365.html
『少し前に故安倍前首相の国葬儀になった件で、反対派としてAbema TVに出演して、その異常な態度で、正気が疑われて話題になった杉並区議会議員で、自ら宣言する中核派に所属している洞口朋子氏ですが、恥ずかしながら、最近になって知りました。ちなみに、未だに国葬と言っている人がいますが、国葬儀です。国葬は皇室の方にしか適用されません。国葬儀は、故吉田前首相の葬儀の取り扱いで、国会で問題化して、審議の結果、閣議決定で取り扱いを決めて良いという国会決議が出ています。なので、安倍首相の国葬儀の決定は、正規の手順を踏んだものであり、今更、憲法違反などの批判は当たらないものです。もし、閣議決定が独裁だと言うのであれば、国会で議論して国葬儀に関する法律を先に改正する必要があります。
国葬儀の扱いする事について、Abema TV上で、ひろゆき氏と議論になったわけですが、洞口氏の論拠になっているソースが、まんま中核派の機関紙の主張のまんまで、洗脳されているレベルで信じ込んでいるんですよね。つまり、機関紙で書いてある事が、全て真実であって、根拠が、それしかなく、自身で検証する意思すら無いのです。中核派と言えば、警察庁から「極左暴力集団」の指定を受けている団体です。暴力革命を目指していて、数々のテロ事件を起こしています。テレビのでの発言を抜粋すると、「安倍政治のせいで、どれだけ大勢の人々の未来が奪われたか、命が奪われたか」、「日本が中国を侵略しようとしている」、「岸田政権は核兵器を日本に配備する事を計画している」とか言い始めるわけですよ。同席している出演者の皆様も、異形のモノを見るような目つきで洞口氏を見ていました。彼女の中では、それが「常識」として存在するようで、その根拠が中核派の機関紙であり、論拠を示せと促されても、自分では何も考えていないのですね。機関紙に書いてある事が、絶対真実なので、そうに違いないという事でしかない。
この番組の中で一番、背筋が凍ったのは、ひろゆき氏が「あなた(洞口氏)のような考え方の人が、国葬儀反対派として活動されていると、反対派の人々が頭のおかしい人に見られると思うんですよね」と話を振った時、洞口氏は、キョトンとして、「何を言っているのか理解できない」という表情をしたのですね。これ、演技とかフリとかではなく、絶対にガチです。つまり、聖典である中核派機関紙の文言を、まったく疑うこと無く信じているから、指摘が理解できなかったのですね。この時、本当に恐怖を感じました。思想に凝り固まった集団の剥き身の狂気に触れた気がしました。
こういう事は、全ての流布する思想の中にあって、宗教などにも存在します。例えば、イスラム教でブタ肉を食べる事は禁忌とされて、ハラール食という作法を守った食品が表示の上、販売されていたりします。で、そもそも何でブタ肉を食べてはいけないかというと、イスラム教発祥の地である中東で、飼育するのに綺麗な水が大量に必要なブタという飼育動物が、環境に適していなかっただけなんです。無理に飼おうとすると、貴重な水資源を浪費してしまう事になります。なので、禁忌として飼育と、その先にある食卓への供給を宗教的に禁じたわけです。つまり、その環境で暮らす為の知恵を、宗教的禁忌として、全ての人が実践するように習慣づけただけなんですね。しかし、宗教上の禁忌とする事で、その実行は徹底され、意味など理解していなくても、むしろ意味など知らないから、厳格なルールとして今でも縛られているわけです。
例えば、キリスト教の福音派では、ダーウィンの進化論を否定していて、州によっては学校の授業で教えるのを禁止していたり、学校に通うと授業で習うので、わざわざ通わず、ホームスクールという手段で、自宅で私的に雇った家庭教師から学習して、後に認定試験を受けて学歴を整える教育をしている家庭があります。この理由も、聖書に人類は神が作った、のみならず全ての生物は神が作ったと書いてあるから、信じている事と違う事を教える学校への通学を拒否するという事です。最近では、その理由に、公立学校では子供の身の安全を確保できないという何とも法治国家としては悲しい理由も追加されています。武器による暴力もありますが、一番、親が心配しているのはドラッグの蔓延です。学校に通わせると、なかなかの確立で麻薬中毒になる確率が高いので、通わせない親が増えています。
宗教系の場合、その理由は、「教典にそう書いてあるから」。宗教なので当たり前かも知れませんが、書いてある事が真実で、それ以外の事は受け付けないのですね。なので、考える前に真実が確定している事なので、記号として遵守する事が当然という思考になっています。
未来が不確定な人生において、どんな事でも「言い切られる」と、実は精神的には楽になります。その事については、あれこれと不安を抱えなくても済むからです。仮に矛盾する事が起きても、「神が信仰心を試しておられる」で、全て解決してしまえます。宗教も狂信的な思想も、その行動が似てくるのは、「考えるまでもなく、絶対の正解が示されている」から、自分で考えなくて良いからです。「この壺を買えば、幸福になれる」、「お布施をすれば、その分だけ徳が積めて、災いから逃れられる」のように、複雑な原因が交錯する社会に対応して生きるより、「これだけ守っていれば、全部オッケー」と信じたほうが、とても楽です。
こう考えると共産主義が、人々の信仰心まで踏み込んで、宗教を否定した理由も判ります。思想に人々の心を縛りつけておくには、それより上の概念があっては困るのです。思想に即した体制や理想、スローガンが、世の中の絶対的な正解であり、それ以外の心の拠り所を持つ事は罪なのです。思想に殉ずる事が、人生の目標になるくらいでないと、強烈な縛りの中に留めておくことができません。なので、強烈な自己批判や、お互いに在り方を批判し合う「総括」などの儀式を行い、粛清という手段で断罪して、罰するわけですね。結果として、死人も出ます。
何十年、何百年と続く思想や宗教では、必ず記号化した教えが出てきます。それを、行っていれば「立派」であるとされる事です。また、同じ価値感を持つ集団に属している事を、確認する作業でもあります。そもそも、どうして、そうなのかは考える事すら禁じられていて、それが正しいと盲信する事が、その集団に属する者の義務になっています。疑問を持つ事は、不敬であり罪だったりします。アメリカがイスラエル支持に回るのも、エルサレムをユダヤ人の土地とすると聖書に書いてあって、国民の25%が福音派の信徒であり、政財界の有力者がユダヤ人だからです。簡略に言えば、「聖書にそう書いてあるから、それが正しいんだよ」という事です。その為に、何万人も殺されたり、拷問されたり、人生を破壊されたりしているわけです。人が争う理由や原因というのは、とどのつまり、さほど高尚でもなく、単に信じている事が違うからだけだったりします。
そして、別の記事で既に解説しましたが、多くの類人猿の中で、ホモ・サピエンスが、他の全ての種を滅ぼして、唯一生き残った理由は、こうして、物事を概念化して、その思想の下に何万人という単位で結集する事ができるからです。せいぜい、群れという規模でしか集団で暮らす事ができない他の類人猿など、組織化された数千の集団の前では、いくら種としての能力が優れていても、滅ぼされる対象でしかありません。つまり、人類が生存競争に勝ち抜き、文明を築いた源泉が概念化・抽象化する能力であり、その違いにより異なる集団同士が殺し合うわけです。世の中から戦争が無くならない理由が、ホモ・サピエンスが生き抜けた理由でもあるので、残念ながら未来永劫に戦争は無くならないのです。』