寛容な多文化主義政策が頓挫した国、オランダで何が起きたのか
https://forbesjapan.com/articles/detail/27574
『 欧米の多文化主義政策は、なぜ行き詰まってしまったのか。そして、「多文化共生社会2.0」時代に突入しようとしている日本は多文化先進国から何を学ぶべきなのか。第1回の記事では欧米の多文化共生政策の失敗を概観したが、今回はいち早く多文化主義政策を導入し、そして頓挫してしまった「自由の国」オランダの例を見てみよう。
ちなみに、多文化主義とは何を意味するのか。日本では「ゴミ出し」や近所付き合い、言語や教育などのイシューが個別に議論されても、政策としての一貫した定義はなされていない。海外の研究者の間でも定義はまちまちだが、私は「社会の文化・宗教の多様性を尊重し、マイノリティに自由と平等を保障しつつ、かれらの社会・経済統合を促す政策」とする。
移民問題が深刻化している欧州の代表例として、ドイツやフランスといった国がよく報じられるが、どこよりも寛容な多文化主義政策をとったにもかかわらず、大きく挫折している国はオランダではないかと思う。
オランダがいかに自由な国であるかを語るとき、我々は「飾り窓」に象徴される性の解放や麻薬の合法化を連想しがちである。しかし、この国の真のリベラルさは個人や集団が持つ多様な価値観や文化を尊重し平等に保護する理念と制度にあると言っていいだろう。
ちなみに、オランダが世界に誇る哲学者のスピノザも、迫害を逃れて亡命してきたハシディック系ユダヤ人「移民」の子供だった。
第二次大戦のホロコーストではポーランドに次いで多数の犠牲者を生んだオランダ。戦後は、宗教・文化・性的指向のマイノリティの権利や尊厳を重視し、高度にリベラルな社会政治制度づくりに注力した。国内では「多文化主義」という言葉は使わず、「オランダ・マイノリティ政策」と呼ばれている。
インドネシアや南米スリナムの旧植民地からの移住者や、モロッコやトルコからの出稼ぎ移民と家族を国家の一員として受け入れ、かれらの文化・宗教の自由を保護し、オランダ人と同等に公共サービスや福祉を与えてきた。
例えば、ヒンズー教やイスラム教系宗教学校など、マイノリティたちによる言語や文化の民族教育は国が全額補助した。国営放送のテレビやラジオの放送時間の20%は民族マイノリティ向けの番組に充てることが法律で義務づけられた。
さらに、民族コミュニティ内の「自治」を認め、国は一切干渉しないこととした。公の場でのヒジャブや「ブルキニ(イスラム系女性のための肌を露出しない水着)」が政教分離の原理に反するとして禁止した介入的なフランスとは対照的だ。
オランダの多文化主義政策がいかに進んでいるか。第1回の記事で紹介した「移民のための市民権指標」(ICRI)では、オランダはスウェーデンに次いで第2位である(2013年現在)。多文化政策のお手本と言われるカナダやニュージーランドよりもずっと評価が高いのだ。これは、オランダが宗教の自由に寛容で、マイノリティの権利を大きく認めているためである。』
『理想像に近いインクルーシブな多文化主義システムを作り上げたオランダだったが、現実には、移民の社会統合は進まず、オランダ人との間にできた溝は埋まらなかった。
1999年から2004年の間の平均では、15歳?64歳の生産年齢人口の移民(EU加盟国は除く)の就業率は58パーセント弱、オランダ人の就業率より2割以上低い。1973年のオイルショックや2008年のリーマンショックなど不景気のたびに移民の失業率は跳ね上がったが、とくに2世の若者層の失業は高いレベルで推移している。
移民の多くは、以下に述べるようなエスニック地区で育ったため、オランダ語が話せず、国の文化やしきたりにも疎く、低学歴・低スキルというハンディキャップを負っている。かれらのような「落ちこぼれ」を大量に出した責任は、多様性(ダイバーシティ)を尊重するあまり、マイノリティの融合をないがしろにしてきた政府にあるというのがもっぱらの意見だ。
福祉が充実したオランダでは、失業・貧困化した移民たちは国民と平等に手厚い生活保護を受けることができる。ここでもダイバーシティが重んじられる。その極端な例として、ムスリム女性の福祉をめぐる訴訟問題(2007年)がある。
ブルカ(全身を覆うベール)を常時着用しているため職に就けないムスリムの女性に対して地元の役所は生活保護の給付を拒んだ。しかし、法廷は市の処遇を差別的と判断し、女性の宗教の自由と福祉の権利を認めた。
ダイバーシティ支持派としては歓迎すべき判決だが、オランダ国民の多くは眉をひそめた。寛容もここまで度を越すと福祉に依存する移民が増え続け、福祉をお目当てに移住してくる外国人が増え、国の福祉行政が破綻するのではないかと。
オランダのアムステルダム、ハーグ、ロッテルダムなどの都市や地方の小都市には「ディッシュシティ」と呼ばれる移民居住地区が多く点在する(ディッシュとは移民たちが母国の番組を見るために外壁に取り付けた衛星アンテナのこと)。これらのエスニック地区には貧困や暴力が蔓延し、外の人間を寄せつけない隔絶された空間と化している。そのため、多文化政策失敗の象徴のように見られている。
移民たちが集住してできたエスニックタウンは世界中のどこの都市でも散見できる。米国ではロサンゼルスのリトルトーキョーやニューヨークのチャイナタウンが有名だ。元は、白人社会から差別され疎外された移民たちのサバイバル・自己防衛の空間だったのが、今では、観光スポットとして訪問者の目や胃袋を楽しませてくれる。
しかし、オランダのディッシュシティの場合、外来者を拒むように孤立し、オランダ国民から疎まれる存在になってしまった。
さらには、若者層(移民の2世たち)の中にはラディカルな宗教観やテロ思想に傾倒する者が出てきて、国民に不安を抱かせている。
中でも、2004年11月、アムステルダムの公園で、映画監督テオ・ファン・ゴッホ(画家ゴッホの子孫でイスラム教徒を敵視していた)がモロッコ系2世に暗殺された事件は社会を震撼させた。犯人の残虐な手口もさることながら、西洋を敵視する宗教的動機に、世論は「言論の自由(イスラム教による女性抑圧を映画化したゴッホ監督の表現の自由)」への挑戦と受けとった。また、「マイノリティ保護」の立場から、国内のイスラム過激派にも弱腰な政府への不信感を強めた。
移民たちの社会統合を促すという本来の目的とは裏腹に、オランダの多文化政策はかれらの孤立を深める一因となってしまった。さらには、反グローバリゼーション・外国人排斥を叫ぶ新興右翼の恰好の標的となっていく。』