ユダヤ人迫害の負の歴史、英金融街成立の影に
ロンドン 大西康平
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR23AO10T21C23A0000000/



『「英国ロンドンの金融街シティーの成立には、中世のユダヤ人迫害という負の歴史の影がさしている。十字軍の遠征とともに、国内でもキリスト教でない存在への目線が厳しくなった」。シティーの金融機関勤務の傍らで同地の公認ガイドとして活動する坂次健司さんは話す。
イスラム組織ハマスとの戦闘を激化しているイスラエル。その強硬姿勢の裏にある、欧州でのユダヤ人差別の根は広くて深い。
ロンドンの始まりはローマ帝国が1…
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『ロンドンの始まりはローマ帝国が1世紀に築いた都市「ロンディニウム」だ。城壁で囲った中心部がシティーと呼ばれた。金融街として栄えるようになったのは、1066年のウィリアム1世による征服がきっかけだ。利子をとることを禁じられたキリスト教徒に代わり、金融業の担い手としてユダヤ人を引き連れて経済発展を進めた。
11世紀末以降、キリスト教徒によるイスラム教からの聖地エルサレムの奪回を狙う十字軍が広がると、状況は一変する。国内でも「異教」への取り締まりが厳しくなり、ユダヤ人迫害が本格化した。13世紀後半にエドワード1世が英国からのユダヤ人追放令を出すまでに至った。シティーのシナゴーグ(ユダヤ教会堂)も閉じられた。
英シティーに1272年まで存在したシナゴーグの跡地
その後のロンドンの金融業の担い手となったのが、イタリア北部のミラノを中心に栄えた「ロンバルディア商人」だった。金融取引の中心地としてニューヨークの「ウォール街」と並ぶ、ロンドンの「ロンバード街」の名前の由来にもなっている。
英仏など西欧での激しい迫害は続き、ユダヤ人は中東欧への移住を余儀なくされた。そのひとつがハンガリーだ。ユダヤ系米国人の著名投資家、ジョージ・ソロス氏の出身地でもある。
しかしハンガリーは第2次世界大戦中にナチスドイツの影響を受け、ホロコーストを進めてユダヤ人を大量虐殺した。首都ブダペストにある欧州最大のユダヤ教会堂「ドハーニ街シナゴーグ」を今夏に訪問した際、中庭に並ぶ墓標の没年のほとんどが1944年か45年と刻まれていることに気がつき、背筋が凍る思いがした。
8月、ハンガリー・ブダペストの「ドハーニ街シナゴーグ」の墓標
欧州のユダヤ人差別の歴史は長くて根深いが、ハマスが支配するガザ地区には異なる宗教間の融和の物語もある。13世紀前半の十字軍では、キリスト教の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世がヤッファ(現イスラエルのテルアビブ)で、ガザ地区に駐屯したイスラム教のアイユーブ朝の君主と和平交渉を進めたとされる。エルサレムでの両教徒の共存が合意された。
今の欧州は800年ほど前の「中東和平」を再現できそうにない。政治や安全保障に対する見解の違いにとどまらない深刻な宗教対立が、複雑な地政学リスクを生み出している。
[日経ヴェリタス2023年11月5日号]
日経ヴェリタス 』