ミャンマー メディア、「亡命」先で発信
グローバルウオッチ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM26D3Y0W3A920C2000000/
『2021年2月の軍事クーデター以降、ミャンマーの独立系メディアの多くは東隣のタイをはじめとする近隣国に拠点を移した。民主派への国軍の弾圧でジャーナリストが標的になったためだ。編集拠点を国外に移しても国内の取材網は維持しており、なお緊迫した状況が続くミャンマー情勢を伝えている。
主にオンラインでの映像報道を続けている「ミッジマ」の幹部、トーゾーラッ氏(53)はそうしたジャーナリストの一人だ。22年…
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『主にオンラインでの映像報道を続けている「ミッジマ」の幹部、トーゾーラッ氏(53)はそうしたジャーナリストの一人だ。22年9月からタイに拠点を置きながら、ミャンマーとタイの国境地帯にある山中で若手ジャーナリストを対象とした研修プログラムを実施している。
「ミャンマーの国内各地から集まったジャーナリストが合宿し、ジャーナリズムの基礎からスマホでの動画撮影や編集のような実践的な技術まで学ぶ。彼らは知識を持ち帰り、それぞれの場所で報道を続ける」(トーゾーラッ氏)。これまでの1年間で15人ずつ計4回のトレーニングを終えた。
ミャンマーとタイの間は民主派勢力に協力する少数民族武装勢力が押さえ、国軍の支配が及ばない。このルートを使えば、当局に知られることなく国境を行き来できる。
トーゾーラッ氏は「片足を国外に移しても、もう一方の足は国内に置き続けている」と話す。クーデター以後も、最大都市ヤンゴンから農村部まで、身分を明かさずに取材を続ける記者とのネットワークを維持している。
「身の安全を守るため(現場の記者は)少人数のチームごとに別々に動いている。一部の記者が逮捕されても、組織全体が摘発されて国内での取材が継続できなくなる事態を防ぐためだ」という。
独立系メディアにとって、弾圧に耐えながら報道を続けることは初めての経験ではない。ミッジマのほか「ビルマ民主の声(DVB)」や「イラワジ」といった独立系メディアは旧軍事政権期の1990年代にミャンマーの国外で発足しており「亡命メディア」と呼ばれた。
11年の民政移管で国軍出身のテインセイン大統領が率いる政権が発足すると、政権側から「招待」されるかたちで国内に拠点を移した。だが、10年もたたずに軍事クーデターが起き、再び「亡命」を強いられた。
無論、以前とは異なる点もある。この10年間でスマホやSNSが普及し、誰もが情報を発信できる時代になった。クーデター以後、少しでも実情を伝えようとSNSを中心とした小規模メディアが多数生まれた。
他方、通信アプリ「テレグラム」などで国軍支持派が「反体制派」の記者らの個人情報をさらす嫌がらせが頻発している。実家を捜索したり差し押さえたりして記者の家族に圧力をかける事例は「過去の軍事政権と比べても苛烈だ」(トーゾーラッ氏)という。
独立系メディアに所属していたあるジャーナリスト(40)は、クーデター直後の21年3月に逮捕された。扇動罪で有罪判決を受け、逮捕から1年半後に解放された。その後、ミャンマーから逃れた人々が多数住むタイ北西部のメソトに脱出し、ジャーナリストとしての活動を再開した。
なぜジャーナリストを続けるのか。そんな素朴な質問を投げかけると、目に涙を浮かべながらこう答えた。
「逮捕後に尋問されたが、同じ部屋に拘束されていた人が私の名前を呼んで『息ができない、助けて』と訴えていた。さらに(拷問で)家族を失った遺族に、警察当局の待遇は悪くなかったと噓を言うよう強制された。こんなに不条理なクーデターを放置できない」
民主化指導者のアウンサンスーチー氏が率いた国民民主連盟(NLD)政権期には、同政権が抱える問題にも矛先を向けた。同党幹部に会った時に「民主化が実現したらまた汚職問題を追及すると伝えたが、『それでも全然構わないから、身の安全に気をつけてほしい』といわれた」と明かす。
国軍当局の弾圧は厳しいが、ミャンマーのジャーナリズムにはそれに立ち向かう力強さがある。問題は経済的に持続できるかどうかだ。トーゾーラッ氏は「(報道ライセンス剝奪などの影響で)収益の半分を占めていた広告収入が無くなった。ウクライナ情勢に関心が移り、欧州各国の政府からの支援も細っている」と危機感を強める。
ミャンマーの問題を伝えたい現地記者の思いに便乗し、取材協力を求める外国報道機関が「リスクに見合った報酬を払っていない」という批判もある。厳しい環境で働くジャーナリストに対し、外国報道機関が果たすべき役割も問われている。
(タイ北西部メソトで、新田裕一)』