41式山砲の車輪1個の重さは「31.9㎏」…。

41式山砲の車輪1個の重さは「31.9㎏」…。
https://st2019.site/?p=21508

『100kgの砲身、92kgの「砲身托架」、92kgの「揺架」などの荷重を支えて、木製の「2輪」で地面を引っ張って延々と行軍させ、段差衝撃を繰り返し加えても壊れない、そのくらいの強度を得るには、木製車輪(鉄輪帯を巻いていることにも注意)も荷馬車の車輪と同じくらいに重くなる――。

その《相場値》を知りたいと思いました。果たして「全木製自転車でインパール作戦は成功させられたか?」を考えるために……。

 ネットで調べたんですが、南北戦争中に両軍が使った「12ポンド山砲 M1841」。騾馬数頭にパーツをバラして駄載させることもできたし、騾馬1頭で曳くこともできた。ただし道路上に限る。
 車輪は1個が63ポンド=28.6kgだった。

 もうひとつ。米国で1856年から1860年にかけて、モルモン教徒たちが、北米大陸の東部から西部へ、「手押しの2輪荷車」に荷物を載せて移住した。牛馬を購入できず、人力で押し曳きした。

 この手押し荷車の車輪は直径が152センチ。重さは1輪が27kgだった。ヒッコリー材またはオーク材で、当時はボールベアリングも無し。おそらく、鉄輪帯を巻かなければこのくらいにできたんだ。しかしこれより軽くはできなかったと想像される。
 そしてその木製荷車には、荷物を113kg以上、載せられた。

 以下、兵頭の推定。もしも1944年に日本陸軍が「押して歩く」専用の荷物運搬自転車を全木製でこしらえた場合に、1814年のドライジーネのような全重23kg(これは「約50ポンド」という原文の換算にすぎまい)では、とうてい、運行衝撃に堪えるものにはならず、どうしても全体が130kgほどの「お化け自転車」にするしかなかった。

それで、積載荷物の重さ上限が100kgくらい。だから木製自転車でインパール作戦に勝とうとするのはチト無理だったかもわからんが、もしも、昭和13年以降の「統制経済」で自転車生産を禁止せず、ぎゃくに軍用モデル(ペダルなし、チェーンなし、ギアなし、サドルなし、チューブ無しでリムにソリッドゴム貼り、スポークは木製で代用、押して歩く専用)を優先増産させていたなら、1954年のベトミン並の、1台に200kgの荷物を吊るしてジャングル内の小径を1晩に40km、リレーで推進することは、ビルマでもニューギニアでもガ島でも可能であった。

コメ20kgで兵隊1人は1ヵ月生存できた。インパール作戦は4ヵ月だったから、80kgを吊るして行ったら、そいつは少なくとも餓死はしなかった。30kgもの背嚢負担重量がなければ――それも自転車にあずければ可いので――疲労から病気になることもなかったはずである。

 さらに、この発想を現代に活かすと、どういうことが可能か、考えてみた。

 「押して歩く自転車」の姿にトランスフォームする「81㎜迫撃砲」が、可能であるはずだ。
 まず、81㎜迫撃砲の主要3大パーツ、「砲身」「ベースプレート」「バイポッド」のうち、ベースプレートをABの2枚構造に分割する(発射姿勢では2重敷きとして使用する)。ABどちらも円形につくり、円周縁部にはソリッドゴムを巻く。

 このベースプレートABは、「運行姿勢」において、自転車の前輪と後輪になる。

 「砲身」の砲尾の脇には、短い管状の部品を熔接する。これは「運行姿勢」において、「自転車のヘッドチューブ」となる。

 「砲身」の砲口の脇には、短い棒状の部品を熔接する。これは「運行姿勢」において、「自転車の後輪の車軸」となる。

 「バイポッド」は、運行姿勢においては「T字」状に組み合わせ、それぞれ、フロントの「フォーク」(ただし1本棒、片側だけのカンチレバー)と、ハンドルになる。フォーク先端には「自転車の前輪の車軸」となる短い棒状の部品が熔接されている。
 ハンドルは、左側がきょくたんに長い。その方が、押して歩くには便利なので。

 この「迫撃砲トランスフォーム自転車」には、サドル、トップチューブ、シートチューブは、無い。もちろんペダルもチェーンも歯車もつかない。

 「砲身」は、運行姿勢においては「自転車のダウンチューブ、兼、シートステー」になる。

 砲身は15kg強の重さ。タイヤ(二重ベースプレート)も、2枚で15kgくらい。バイポッドは13kgぐらい。それに照準器が付属するから、トータルで45kgくらいになる。

 この45kgが、そのまま、「押して歩く自転車」になるのだ。

 従来、迫撃砲は、歩兵に担送させようとすれば、3名以上が必要で、しかも、それら歩兵は、長距離行軍ではたいへんに疲労した。

 自転車トランスフォーム迫撃砲ならば、兵1名で、何十kmだろうが、押して歩いて行けるだろう。ビルマの道の無い山岳ジャングルを、470kmくらい押していくこともできたはず。ニューギニアのオーエンスタンレー山脈越えならその半分以下の道のりだ。すべてのパーツが頑丈な鋼鉄製だから、途中で壊れることはないだろう。

 ウクライナ支援や台湾支援に必要なのは、こういうのだろうと、私は信ずる。』