独裁国家が陥る錯覚

独裁国家が陥る錯覚
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/32377884.html

『中国共産党が、また愚かな法律を出してきましたね。

・中国の専門家・評論家は、勝手にネットで社会の事情を評価してはならない。
・中華民族の感情を害する不適切な発言、服装は禁じる。

中国の法律の特徴なんですけど、具体的な基準がどこにも書いてありません。つまり、法を執行する側の解釈で、違法と判断すれば違法という事です。最初のは、言い換えると「中国人民は政府の言う事だけ聞いていればよい」という事です。異論は認めないという事ですね。この環境で国政が成立するのは、絶対に最善手を選択できる政府だけです。自分達がそうだと言いたいのでしょうが、多くの市民の犠牲を隠蔽する事で、成功を誇っている組織の言う事じゃないですよね。

次は、意味不明です。実際に、日本の浴衣を着て歩いていた中国の女子が、警察に逮捕される事件が起きているので、ようは国民服を着ろという事かと思います。しかし、人民服も、日本の軍服を参考にしたものですし、支配民族が王朝によって入れ替わっている中国において、何が国民服かは誰も断言できません。ようは、華美な生活態度は無駄があるから、控えろという事ですね。中国では、大食い系のYoutuberや、企業から請け負って商品の宣伝をするインフルエンサー、中性的な格好をする耽美系のインフルエンサーも、取締の対象になっています。贅沢は敵みたいな法令ですね。

この選択の種類が豊富だったり、豪華だったりすると、無駄が発生して、資源を食い尽くすので規制するという考え方は、恐らく経済的に追い詰められた独裁国家特有の考え方です。もちろん、相当の割合の食料が、消費される事無く廃棄される消費社会の現状を見るに、それは間違っているとまでは言えないのですが、かと言って規格品の利用しか認めないみたいな計画経済の社会になると、経済が死ぬのは、既にソ連が社会実験で実証しています。経済を人智で計画するというのは、森羅万象を支配する事並に難事です。というか、不可能です。それを、やろうとしたソ連は、管理に行き詰まって、例えば歯磨き粉の種類は3種類以外認めないとか、創意・工夫で商品が進化する道を閉ざしてしまいました。その為、肝心の規制した商品さえ、慢性的な品不足になる一方で、予想を外した結果、大量の農作物が市場に出る前に腐って廃棄されました。同じなんですよ。人が管理すれば、無駄が発生しないというのは、幻想に過ぎません。

選択の幅を制限すると、工夫や創造、進化の道まで閉ざすので、結局、経済は死ぬ事になります。消費社会や選択の幅のある社会は、無駄や失敗も発生しますが、それを土台にして多くの成果を得て、社会を前に進める事ができます。結果として、一昔前には不可能だった、省エネルギーや有害物質の排出低減などの技術が進むわけです。コストが下がる事で、新しい産業が産まれたりします。全ては繋がっているので、単品の商品で無駄が有るなしで論じても、経済は発展しません。しかし、独裁国家は、これをやりがちです。

そのクセ、立派な軍事パレード、自国が主導する国際会議の豪華絢爛、他国への援助金などは、盛りに盛るわけですよね。これこそ、その場限りの消費であって、何も残しません。この前、G7会議が日本で行われた時、習近平氏は金で子分の国家の首脳を集めて中央アジア・サミットなる会議を開いたのですが、名ばかりで、習近平の独演会をただ、我慢して聞くだけの会議でした。ただ、その絢爛豪華さたるや、ものすごいのでした。習近平氏が個人的に中国のルーツと考える唐王朝を模したレセプションが企画され、会場の様式も唐王朝時代に統一されました。照明を映えさせる為、会場になった西安市では、夜間の外出と照明が禁止され、真っ暗な中で王宮のような会場だけ照明が煌々と灯り、どれだけ金をかけたのか判らないくらい豪華でした。これは、無駄とカウントしないんですね。なぜなら、メンツを満足させるものだからです。

国際会議って、言ってしまえば事務ですよね。豪華である必要など微塵も無く、日本で行われたG7の首脳会議は、お互いに手を伸ばせば肩に手が届く距離で、実務的な意見交換をしました。これに対して、いくら金をかけて、どれだけ豪華かで競うのが独裁国家なんですね。実際、参加した5カ国の中央アジアの首脳は、声を張り上げても聞き取れないような距離の巨大な円形テーブルに座らされて、習近平氏の一方的な話を聞くだけでした。まあ、それでも、出席すれば金をくれるというのですから、そこは我慢です。会議といいつつ、意見交換なんかしてもらっては困るのですね。習近平氏の思想を、参加国の首脳が拝聴する君主と領主の関係を見せつける事が権威だと思っているわけです。

つまり、無駄とか倹約とか言っても、単に計る基準が違うだけの話で、社会の進歩があるだけ、選択肢の多い、規制の緩い社会の方が経済が回るという事です。そこを、キレイに勘違いするのが、強権で命令ができる独裁国家という事です。』