フランソワ・ギゾーは、封建主義についてこう定義した。
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『Kamil Galeev 記者による2023-8-24記事。
フランソワ・ギゾーは、封建主義についてこう定義した。
それは、領民からはけっして受け入れられない、おそらく唯一の専制形態である、と。
では領民が受け入れる専制・圧政とは何か。
ひとつは神権政治。ひとつは君主制である。これらは領民から、好んでもらえるのだ。
比較して、封建領主は、領民からは常に憎まれる。
違いは何か?
君主制や神権政治の為政者は、彼自身に領民を服属させようとしているのではない。
そうではなく、彼個人よりももっと上位の、大きな、優越した存在の代理人としてふるまう。わかりやすくいえば、神の代理人になりきる。
もちろん、その神聖は、イデア上の存在だ。
スターリンも、そのようにふるまった。スターリンは、より大きなイデアのための、あくまで奉仕者の筆頭として、当座の必要だとして絶対的な権力を揮っていた。そのスタンスには共産党の誰も異論を唱え得ない。ロシア国民も、そう出られると、反抗し難い。
人民は個人には跪拝するものではない。人民は、永遠のイデアにしか、服従したくはないのだ。
だから、独裁者は、高いイデアの代理人としてふるまうことで、より容易に、天下を支配できる。
かたや、ナルシシズムが大きいパーソナリティだと、この演技がうまくできない。
「トランプ流」の弱点は、そこにある。トランプは、自分が奉仕しようとこころがけている何か高尚な永遠の価値があるんだという説明や演技をしない。ただ、ありのままの自分自身を大衆に売るだけのセールスマンなのである。
価値のすべてはトランプ本人から、1個のリアル人格から気まぐれに発せられるのだという政策の売り方をすると、「正当性」はとことん卑小化せざるをえない。敵対陣営がトランプを支持する大衆に圧倒されてしまう流れも、期待することはできない。なかんずく、インテリは従う気をなくする。
スターリンですら、正しさが自分個人から出ているという政策の売り方はしなかった。スターリンにできないことを、トランプは、「できるのだ」と思い込んでいる。
※それは、インテリやエリートやエスタブリッシュメントに「反抗する」というスタンスをとるかぎり、米国の低劣な無産大衆から支持される。
社会が大衆化している国内では、それは選挙戦術として有効だ。
その運動が盛り上がれば盛り上がるほど、米国社会は諸外国から景仰されるような「規範」ではなくなって、国内も2階層に分断され、ロシアと中国は大喜びだ。』