ナゴルノ・カラバフ

ナゴルノ・カラバフ
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座標: 北緯39.815278度 東経46.751944度

曖昧さ回避 この項目では、アゼルバイジャン共和国の地域について説明しています。1991年に独立宣言を行った国家「ナゴルノ・カラバフ共和国」については「アルツァフ共和国」をご覧ください。

ナゴルノ・カラバフ自治州(1923年 – 1991年)の領域(クリーム色)
「アルツァフ共和国」(クリーム色)、及びアルツァフ共和国が領有権を主張していたアゼルバイジャン共和国実効支配地域(オレンジ色)の領域(1994年 – 2020年)
2020年以降の「アルツァフ共和国」(NKR)の領域(クリーム色)。桃色は2020年ナゴルノ・カラバフ紛争におけるアゼルバイジャン共和国の占領地、斜線部は停戦協定でNKRからアゼルバイジャン共和国へ返還された地域。

ナゴルノ・カラバフ(アルメニア語: Լեռնային Ղարաբաղ, ラテン文字転写: Leṙnayin Ġarabaġ, アゼルバイジャン語: داغليق قاراباغ, ラテン文字転写: Dağlıq Qarabağ, ロシア語: Нагорный Карабах, ラテン文字転写: Nagorniy Karabakh)は、アゼルバイジャン共和国の西部にある地域(ナゴルノ・カラバフ自治州[1])である。

名称について

「カラバフ(英語版)」という名は地域中部の山岳地帯に当たり、「黒い庭」を意味するアゼルバイジャン語をロシア語で表した言葉である。

「ナゴルノ・カラバフ」という呼称は、カラバフ地方の東部山岳地方に対してロシア語でナゴールヌィ・カラバフ(Нагорный Карабах, 高地カラバフ)と名付けられたことが元になっており、「山地の黒い庭」を意味する[1]。現地のアルメニア語やアゼルバイジャン語には基づいていない。

また、アルメニア人が使う呼称としてアルツァフ(アルメニア語: Արցախ)があるが、これはかつてナゴルノ・カラバフを治めていた紀元前に存在したアルメニア王国のアルツァフ州(英語版)や10世紀に建国されたアルツァフ王国に由来する。アルツァフ自体の語源は、アルメニア王アルタクシアス1世に由来する[2]。

概要

ソビエト連邦崩壊後は国際的にはアゼルバイジャン共和国の一部とされているが、アルメニア人が多く居住しており、隣国アルメニアとアゼルバイジャンの対立の火種となっている。

ナゴルノ・カラバフ紛争最中の1991年9月2日[1]に「アルツァフ共和国」(別称「ナゴルノ・カラバフ共和国」)としてアゼルバイジャンからの独立を宣言したが、国際連合加盟国から国家の承認は得られていない。

アブハジア、南オセチア、沿ドニエストル共和国以外に独立を承認している国はなく、しかもいずれも一部・未承認国家であるため、あくまで事実上独立した地域である。承認を受けた3か国とは「民主主義と民族の権利のための共同体」を結成している。

地理

面積は約4,400平方キロメートル[3]で、中心都市はステパナケルト[1][4]。アルメニア高原の東端に位置し、3,000メートル級の山地に囲まれ、標高1,000 – 2,000メートルの高地にある。クラ川やアラクス川の流域を見下ろす地である。森林に恵まれ、高地には高山性植物が群生している。人口は約14万7000人で、その9割以上がアルメニア人系である[1]。
歴史

ナゴルノ・カラバフを含むカラバフは、古くからアゼルバイジャン人とアルメニア人による領土紛争の舞台となっており、ロシア帝国崩壊後に両民族がアルメニア第一共和国とアゼルバイジャン民主共和国を建国すると遂には軍事衝突(アルメニア・アゼルバイジャン戦争(英語版))にまで発展した。

その後、両者は労農赤軍(ソ連軍)の圧力によって1920年末までに共産化し、ソ連の構成体であるアルメニア社会主義ソビエト共和国とアゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国になった。

だが、アルメニアがソ連の構成体となる時にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国がナゴルノ・カラバフとシュニク地方をアゼルバイジャンに割譲することを提案すると、追放されたアルメニア革命連盟が反ボリシェヴィキ運動を激化させ、1921年4月26日にはナゴルノ・カラバフを含むアルメニア南部において山岳アルメニア共和国の独立を宣言したが、赤軍との熾烈な戦闘の末に同年7月13日に消滅した。

帰属が確定したのは共産化の翌年である1921年7月4日のことで、現地のボリシェヴィキによる国境画定交渉によってナゴルノ・カラバフはアルメニア領とされた。

しかしアゼルバイジャン側は猛反発し、翌日にはアゼルバイジャンへの帰属として決定が覆されてしまった。

こうしてアゼルバイジャン領となったナゴルノ・カラバフのアルメニア人には自治権が与えられることとなり、1923年7月7日に当時のソ連邦共産党書記長であったヨシフ・スターリンがアゼルバイジャンに帰属する自治州であることを確定させ[1]、アゼルバイジャン内の自治州としてナゴルノ・カラバフ自治州が設置された。

民族を混在させることでソ連内の火種であった民族主義を弱体化させる狙いがあったとみられるが、結果的に民族主義は解体できなかった。

自治州成立後もアルメニア人はソ連の政局が変わる度にアルメニアへの編入を求めた。

1985年にミハイル・ゴルバチョフが共産党書記長に就任してペレストロイカなどの自由化政策が開始されるとアルメニアへの編入運動は一層大きくなった。

1988年以降[1]、アルメニアとアゼルバイジャンは衝突し始めた。

ソ連崩壊後に民族主義は再燃し[5]、ナゴルノ・カラバフ自治州はアルメニアへの合流を求めてアルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ共和国)として1991年9月2日に独立宣言を発し、1990年代のナゴルノ・カラバフ戦争にまで発展した。

この戦争で約3万人が死亡、推定100万人が避難した。

1994年の停戦後、アルメニア側が、北部と東部の一部を除くナゴルノ・カラバフの大半と、アルメニアとの間に挟まれた地域(ラチン回廊など)を含む周辺は、ナゴルノ・カラバフ外の東側の一部を含めて実効支配するに至った。

その後も膠着状態は続き、軍事衝突(2014年アルメニア-アゼルバイジャン紛争(英語版)、 2016年ナゴルノ・カラバフ紛争(英語版) -4日間戦争(英語: Four-Day War)とも、2020年7月アルメニア-アゼルバイジャン紛争(英語版))も断続的に発生していたが、2020年の大規模な衝突でアルメニア側は実効支配地域を多く失った。

2020年紛争で領土を大きく減らしたものの、その後も独立状態を保っている。

この地域の近隣には、アゼルバイジャン側のカスピ海からジョージアに向けた石油と天然ガスを輸出するパイプラインがあり、2020年ナゴルノ・カラバフ紛争に至る対立・衝突は世界経済にも影響を与えた[6][7]。

アゼルバイジャンは人種的に近いトルコの支援を受ける一方、アルメニアはロシアの軍事基地を後ろ盾に持つ。

そして、トルコとアゼルバイジャンがイスラム教国、ロシアとアルメニアがキリスト教国であることも事態を複雑化させている[7]。

脚注
[脚注の使い方]

出典

^ a b c d e f g 「自治州紛争1週間 アゼルバイジャン攻勢 アルメニア領にも飛び火」「スターリンの線引き争いの種 住民9割超、アルメニア系」『読売新聞』、2020年10月5日、朝刊、国際面の記事・地図参照。
^ Lang 1988, p. x
^ 『ナゴルノ・カラバフ』 - コトバンク
^ 「ナゴルノカラバフ紛争1カ月/止まらぬ戦闘 見えぬ解決/停戦合意 三たび破棄」『毎日新聞』、2020年10月31日、朝刊、国際面の記事及び添付地図。
^ 田中宇. “解けないスターリンの呪い:ナゴルノカラバフ紛争”. 2023年3月13日閲覧。
^ “Armenia and Azerbaijan fight over disputed Nagorno-Karabakh”. BBC 2020年9月28日閲覧。
^ a b 『日本経済新聞』、2020年9月30日、朝刊、10面。

外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、アルツァフに関連するカテゴリがあります。

「ナゴルノ・カラバフ:国家のようで国家でない地域」(Hinako Hosokawa),Global NewsView/2017年7月

参考資料

この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2023年3月)

Lang, David M (1988). The Armenians: a People in Exile. London: Unwin Hyman. ISBN 978-0-04-956010-9
Ali; Ekinciel (1 August 2015). Karabakh Diary (1 ed.). Russia: Sage. ISBN 9786059932196

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最終更新 2023年3月13日 (月) 11:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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