脅しと侮辱とクレムリンの「ロボット」……ロシア外交、プーチン政権で消えたも同然
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※ 『ヌーランド氏はリャブコフ氏とその同僚の1人を、「紙を持ったロボット」と呼んだ』…。
※ 『「私にしゃべらせろ。さもなければ、ロシアのグラード・ミサイルの実力のほどを、今度こそ耳にすることになる」
「うすのろ」(そして、これに続いて罵倒語)』…。
※ 『ロシアの外交官たちはこの論調をしきりに繰り返した。翌年にロシアがジョージアに侵攻した際、セルゲイ・ラヴロフ外相はイギリスのデイヴィッド・ミリバンド外相にこう毒づいたそうだ。
「私に説教するとは、いったい何様のつもりだ?」』…。
※ 『しかし、英経済紙フィナンシャル・タイムズによると、2022年2月にロシア軍の部隊がウクライナに派遣された時、何が起きているのかラヴロフ外相が知ったのは、開戦のわずか数時間前のことだったのだという。』…。
これは、本当の話しなのか?
※ 『しかし、ザハロワ氏の登場と共に、ロシア外務省の定例記者会見は、見世物と化した。答えにくい質問をする記者に向かってザハロワ氏が怒鳴るのはしょっちゅうで、外国からの批判に同氏はしばしば侮辱でもって応えた。』…。
※ 『ロシアの駐英大使アンドレイ・ケリン氏は、ロシアの外交官が影響力を失ったという説を否定する。ケリン大使は外交官としてのキャリアを通じて、西側諸国との関係構築に携わってきた。
ケリン大使はBBCに対して、ロシアと西側の関係が破綻した責任は、ロシア政府や個々の外交官にあるという指摘を、すべて否定した。
「壊しているのは、私たちではない」と大使は述べた。「私たちは、キーウの政権とうまくいっていない。その問題について、こちらとしてはどうしようもない」。
ウクライナでの戦争は、「それ以外での手段による外交の延長なのだ」と大使は話した。』…。
※ まあ、ロシア側からすれば、「ありとあらゆる外交努力を尽くした」という話しなんだろう…。
※ 『ザハロワ氏の同僚たちも大差はなった。スイス・ジュネーヴでロシアの国連代表部の一員だったボンダレフ氏は、ロシア側がすべての提案を拒絶した会議のことを振り返る。あまりのことに、スイス側の外交担当がロシアに抗議したのだという。
「『何か問題でも?』というのがこちらの答えだった。『我々は大国で、そちらはただのスイスじゃないか!』と言い返した」と、ボンダレフ氏は言う。』
※ バチカンのローマ※※に対しても、「それで、彼は何個師団を、持っているんだ?」と聞いたという話しだからな…。
※ そうやって、「世界を敵に回して」「坂を転げ落ちるように」、国益を損耗して行くんだろう…。
※ かつての、極東のどっかの国のようにな…。
『ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の外交政策において、かつて外交官は中心的な存在だった。しかしもはやそれは、すっかり変わってしまった。
ロシアがウクライナ全面侵攻を開始するまでの1年間で、ロシアでは外交官が権威を失い、クレムリン(大統領府)の好戦的な物言いを繰り返すだけの役に成り下がった。
BBCロシア語は、西側の元外交官のほか、クレムリンやホワイトハウスの元内部関係者に話を聞き、ロシアの外交がいかに破綻(はたん)したかを振り返った。
2021年10月、アメリカのヴィクトリア・ヌーランド国務次官はモスクワを訪れ、ロシア外務省で会談に臨んだ。相手は、セルゲイ・リャブコフ外務次官。数十年来の知り合いで、付き合いやすい相手だとヌーランド氏は思っていた。
リャブコフ外務次官とやりとりするアメリカの外交担当者たちは、彼は落ち着いて交渉する現実的な実務家だと評価していた。米ロ関係にほころびが生じても、常に話のできる相手だと。
しかし、この時の様子はそれまでと違った。
リャブコフ氏はロシア政府の公式見解を紙から読み上げるだけで、ヌーランド氏が話し合いを始めようとしても応じなかった。この出来事についてヌーランド氏と話をした人物2人によると、ヌーランド氏はリャブコフ氏の態度にショックを受けたのだという。
ヌーランド氏はリャブコフ氏とその同僚の1人を、「紙を持ったロボット」と呼んだと、その2人は言う(米国務省はこの件について回答を断った)。
そして交渉の会場の外に出ると、ロシアの外交官による発言は、日に日に外交的ではなくなっていった。
「西側の制裁に唾を吐く」
「私にしゃべらせろ。さもなければ、ロシアのグラード・ミサイルの実力のほどを、今度こそ耳にすることになる」
「うすのろ」(そして、これに続いて罵倒語)
これはどれも、ロシア外務省の高官が近年口にしてきた言葉の引用だ。
いったいどうやって事態はこれほどまでになったのか。
新しい冷戦
今となってはもう想像するのも難しいかもしれないが、2000年の時点でBBCに対して、「ロシアは北大西洋条約機構(NATO)と協力する用意がある(中略)加盟さえあり得る」と発言したのは、プーチン大統領その人だ。
「私の国が欧州から離れて孤立するなど、想像もできない」。その時、プーチン氏はこう言った。
大統領になって間もないプーチン氏は当時、西側と積極的につながりを作ろうとしていた。元クレムリン幹部は、BBCにそう話した。
かつてプーチン氏を支える側近チームにおいて、ロシアの外交官は重要な立場にあった。中国やノルウェーとの国境紛争解決に尽力し、欧州諸国との協力関係深化へ向けて協議を推進し、ジョージアでの革命後に平和的な権力移譲を確保した。
しかし、プーチン氏が力と経験を蓄えるにつけ、すべての解決策を知っているのは自分だ、外交官など不要だと、そう確信するようになったのだと、アレクサンドル・ガブエフ氏は言う。ロシアから国外に亡命した同氏は現在、ベルリンでカーネギー国際平和財団ロシア・ユーラシア・センター所長を務める。
新しい冷戦が始まっているという最初の兆候は、2007年に表れた。その年のミュンヘン安全保障会議で、プーチン氏は30分間にわたり、激しい調子で演説した。いわく、西側諸国が一極世界を作ろうとしていると。
ロシアの外交官たちはこの論調をしきりに繰り返した。翌年にロシアがジョージアに侵攻した際、セルゲイ・ラヴロフ外相はイギリスのデイヴィッド・ミリバンド外相にこう毒づいたそうだ。
「私に説教するとは、いったい何様のつもりだ?」
西側当局はそれでも、ロシアと協力しようとしているつもりでいた。2009年にはラヴロフ外相とヒラリー・クリントン国務長官(当時)が両国関係を一気にリセットしようとしたし、両国は特に安全保障の面で協力関係を築いているように見えた。
しかし、アメリカ政府関係者は間もなく気づいた。ロシア側の当局者は、西側を日に日に敵対視するプーチン氏の言動を、そっくりそのまま、まねしているだけなのだと。何が起きているのか、事態は明らかだったと、バラク・オバマ政権で国家安全保障問題担当の大統領副補佐官を務めたベン・ローズ氏は話す。
ローズ氏は、2009年にオバマ大統領がプーチン氏と朝食を共にした時のことを振り返る。BGMは、民謡のオーケストラ演奏だった。ローズ氏によると、プーチン氏は両国の協力関係について話すよりも、自分の世界観を語ることに熱心だったという。そして、オバマ大統領の前任ジョージ・W・ブッシュ氏がいかにロシアを裏切ったか、語り続けたのだと。
2011年と2012年になって、「アラブの春」に伴いアメリカがリビアに関与し、ロシア各地で反政府抗議が拡大したことから、外交ではどうにもならないとプーチン氏は結論するに至ったのだと、ローズ氏は言う。
「特定のテーマについて、特にウクライナについて、(外交官は)これといった影響力を持っていないと、私は感じていた」と、ローズ氏は話した。
たとえば、ラヴロフ外相が20年近く前に任命された時、「彼には国際的な視点と、独自の姿勢があった」と、元クレムリン幹部はBBCに話した。
プーチン大統領の見方とは違うと承知の上で、クレムリンはラヴロフ外相の意見を求めることもあったのだと、前出のガブエフ氏は言う。
しかし、英経済紙フィナンシャル・タイムズによると、2022年2月にロシア軍の部隊がウクライナに派遣された時、何が起きているのかラヴロフ外相が知ったのは、開戦のわずか数時間前のことだったのだという。
ロシアの駐英大使アンドレイ・ケリン氏は、ロシアの外交官が影響力を失ったという説を否定する。ケリン大使は外交官としてのキャリアを通じて、西側諸国との関係構築に携わってきた。
ケリン大使はBBCに対して、ロシアと西側の関係が破綻した責任は、ロシア政府や個々の外交官にあるという指摘を、すべて否定した。
「壊しているのは、私たちではない」と大使は述べた。「私たちは、キーウの政権とうまくいっていない。その問題について、こちらとしてはどうしようもない」。
ウクライナでの戦争は、「それ以外での手段による外交の延長なのだ」と大使は話した。
見世物としての外交
外交政策を担当する官僚が、ひたすら影響力を失い続ける中で、その多くはロシア国内の事情に意識を向けるようになった。2015年に外務省報道官となったマリア・ザハロワ氏が、その新しい展開の代表的存在だ。
「彼女以前は、外交官は外交官としてふるまい、洗練された言葉遣いを選んでいた」。ウクライナ侵攻に抗議してロシア外務省から辞任したボリス・ボンダレフ氏はこう言う。
しかし、ザハロワ氏の登場と共に、ロシア外務省の定例記者会見は、見世物と化した。答えにくい質問をする記者に向かってザハロワ氏が怒鳴るのはしょっちゅうで、外国からの批判に同氏はしばしば侮辱でもって応えた。
ザハロワ氏の同僚たちも大差はなった。スイス・ジュネーヴでロシアの国連代表部の一員だったボンダレフ氏は、ロシア側がすべての提案を拒絶した会議のことを振り返る。あまりのことに、スイス側の外交担当がロシアに抗議したのだという。
「『何か問題でも?』というのがこちらの答えだった。『我々は大国で、そちらはただのスイスじゃないか!』と言い返した」と、ボンダレフ氏は言う。
「それこそまさに、(ロシアの)外交だ」
この態度は何よりロシア国内向けで、ロシア人を感心させるためのものだった。外交政策のアナリスト、ガブエフ氏はそう言う。
しかし、外交官にとってさらに重要な「観客」は、自分たちの上役なのだとボンダレフ氏は言う。外国要人との会談後にモスクワに送られる公電は、ロシアの外交官がいかに自国権益を熱烈に擁護したかが、その内容の中心なのだと。
ボンダレフ氏によると、典型的な外交公電の内容とはたとえばこうだ。「相手を本当に大変な目に遭わせてやった! 我々はロシアの国益を果敢に擁護した。西側は何もできず、引き下がった!」。
※ 『ボンダレフ氏によると、典型的な外交公電の内容とはたとえばこうだ。「相手を本当に大変な目に遭わせてやった! 我々はロシアの国益を果敢に擁護した。西側は何もできず、引き下がった!」。』…。
「西側の人間に思い知らせてやった」と書きつつも、「合意を形成した」などと書こうものなら、見下されて当然だったのだと、ポンダレフ氏は言う。
2022年1月にジュネーヴで開かれた夕食会では、ロシア外務省のリャブコフ氏がアメリカ当局者と会談した。元ロシア外交官のボンダレフ氏によると、ウェンディ・シャーマン米国務副長官は、期限ぎりぎりの交渉を通じてロシアのウクライナ侵攻を回避しようとしていた。
「最悪だった」と、ボンダレフ氏は言う。「アメリカ側は『さあ交渉しよう』といった感じだったのに、リャブコフ(次官)が怒鳴り始めた。『ウクライナが必要だ! ウクライナなしではどこにも行かない! さもなければ荷物をまとめて、1997年の(NATO)国境に戻りやがれ!』と。シャーマン氏は鉄の女傑だが、その彼女でさえ、これには開いた口がふさがらなかったのだと思う」
「(リャブコフ氏は)長年、とても丁寧で話しやすい相手として知られていた。それが今では、テーブルをどんどんとたたいて、でたらめをまくしたてていた」
とはいうものの、外交の場での口調や態度が前とは変わっているのは、ロシアだけではない。ロシアほどの変化ではないにしても。
2013年には、日本の人権人道担当大使だった上田秀明氏が国連の委員会の席で他の出席者を「Shut up(黙れ!)」と怒鳴りつけた。2018年にはイギリスのギャヴィン・ウィリアムソン外相が、英南部ソールスベリで起きた神経剤攻撃事件をめぐり、「ロシアはここから出て行って、黙るべきだ」と記者会見で発言した。
昨年3月には、ウクライナのアンドリー・メルニク駐ドイツ大使がオラフ・ショルツ独首相を「むっとしているレバー・ソーセージ(神経質で短気な人の意味)」と呼んだ。
アメリカが簡単に終わらせられる戦争ではない
開戦から1年半がたった今、外交を通じて戦争を終わらせられる望みはわずかにでもあるのだろうか。
BBCが話を聞いたほとんどの人が、この可能性はかなり低いという意見だった。通常は、外交官の仕事の95%は「非公式に会談し、一緒にコーヒーを飲むこと」なのだとボンダレフ氏は言う。しかし、こうした日常的な接触は今では激減してしまった、もはや話すことがあまりないからだと。
ロシアのケリン駐英大使は、ロンドンの議会議事堂に入ることを禁止されている。大使によると、ロンドンのロシア大使館では一時的に、ガスや電気がほとんど来なくなっていたこともあり、大使館の公用車の車両保険について保険会社が契約に応じようとしなかったこともあるのだという。
それでも、いつかは話し合いを始めなくてはならない。米シンクタンク、ランド研究所のアナリスト、サミュエル・チャラプ氏はこう言う。交渉の代わりになる唯一の選択肢は「絶対的な完勝」で、ウクライナもロシアも、戦場でそれを実現できそうにないからだと。
ただし、話し合いが近く始まるとはチャラプ氏は思っていない。「プーチンは権力を手にしてから、かなり劇的に変化してきた」、「正直言って、対話に応じるつもりが彼にあるのかどうかもわからない」と同氏は言う。
ウクライナ政府の関係者たちは、ロシアが示すのはまたしても譲歩の姿勢ではなく、「占領地域の併合をウクライナは認めろ」などの最後通告だけだと不満をあらわにする。そのような前提条件での交渉に応じるつもりなど、ウクライナ側にはなく、西側諸国もウクライナのその方針を表立って支持している。
ロシアは国際社会での影響力を維持するためには、外交よりも、軍隊や情報機関、さらには地経学的な国力を頼みにするつもりの様子だ。
失意の状況にありながら、なぜロシアの外交官たちはこぞって抗議辞任しようとしないのか。
「10年も20年も同じ立場にいて、ずっと同じ仕事をしてきた人間にとって、それは大変なことだ」と、元クレムリン職員はBBCに話した。「ほかの生き方を知らないのだから。恐ろしいことだ」。
元外交官のボンダレフ氏も、その気持ちはわかると話す。「戦争がなければ、私もたぶんあのまま残って、じっと我慢していたと思う」。
「仕事自体はそれほどひどいものではないので。座って、ちょっと苦しい思いをして、夕方になったら出かければいい」
(英語記事 Threats, insults, and Kremlin ‘robots’: How Russian diplomacy died under Putin)
提供元:https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-66714180 』