革命が起きないと世の中は良くならないという危険思想

革命が起きないと世の中は良くならないという危険思想
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 ※ 世の中、須らく(すべからく)、何かの「スイッチ」押したら、「パッと、変わる」という風にはできていない…。

 ※ そんなことは、「当たり前。」の話しだし、「分かりきったこと」だ…。

 ※ それが、「政治的な思惑(おもわく)」が絡むと、「ここは、革命を起こすしかない!」とか、「革命だけが、みんなを救済する!」とかいう話しになるところが、不可思議だ…。

 ※ 単に、今ある「秩序」をチャラにして、「自分が、権力握りたい」だけの話しだろう…。

 ※ 「今ある秩序を、ぶっ壊す」と、従前より「もっと酷いこと」になるのが、関の山だ…。

 ※ そういうことを、「人類」は、何度も経験した…。

 ※ そういう「過去の歴史」を忘れる、又は「忘れたフリをする。」のは、上記の「政治的な思惑」が、あるからとしか思えない…。

『世の中の在り方を一変させるような革命というのは、滅多に起きません。しかし、なぜか革命が起きると、世の中の問題がいっぺんに片付くと考える人は絶えません。実は、日々の慎ましい工夫と創意の積み重ねで、世の中の問題は解決されてきており、革命というのは、その積み重ねの結果として、エポック・メーキングな事が、たまたま起きた結果に過ぎません。逆じゃないんですね。革命を起こせば、今までの不満が解決して、全てが素晴らしくなるわけではないです。

例えば、火力発電ですが、すっかり悪者にされて、欧州では稼働を止める事と、施設を解体する事にしか、興味が無くなっています。つまり、改良や進化が数十年前の時点で止まっているのですね。煤煙防止装置や、燃焼効率にしても、時が止まっています。しかし、今のようにエネルギー供給が不安になれば、嫌でも稼働して不足分を補わなければならない。その時に無理やり稼働させるのは、CO2出しまくりで、エネルギー効率も悪いポンコツ火力発電所です。悪と決めつけて、工夫と創意を止めた為、日本から見れば、骨董品級の施設を動かして、大気汚染を進めています。

物事には順序があり、いくら急ぐ必要があるにせよ、原因を一つの象徴に押し付けて、それを止めれば全てが解決するみたいな考え方は危険です。全ベットとして、それが空振りに終わったにしても、人はエネルギーの無い生活に戻るわけにはいかないのです。そうなれば、石炭だろうが原子力だろうが、使えるものは使って発電するしかない。それとも、数世紀前の電気の無い時代まで針を戻して生活しますか? アーミッシュと呼ばれる虚飾を排除した中世の生活を、敢えて選択して暮らしている人々も、アメリカにいるので、不可能じゃないです。

現実的には、あるものを改良していくしかない。譲れない条件を危険に晒してまで、激しく変化させる事は、恐らくは反動で、今以上のCO2排出と環境破壊を引き起こします。その時、推進派の人たちは、どう責任をとってくれるのか。恐らく、何もできません。「間違ってました。あはは」で済む話で無いのは、明白です。

革命が全てを一変させて、何もかも解決するというのは、幻想に過ぎません。混乱を引き起こす分、一時的には、何もかも今より悪くなります。地道に努力するより、そう考える方が楽なので、飛びつくだけです。革命が必要なのは、塗炭の苦しみを味わっても、やり遂げる必要がある事案が発生した場合のみです。つまり、起こすほうは、それを覚悟して、なお遂行する意思があるかどうか試されます。

中国には、「天に人が打ち勝つ」という思想があり、大規模に開発を進める事で、天災に打ち勝つ事ができるという考え方があります。その為、無謀な挑戦を試みては、最終的に自然に負ける事を繰り返してきました。三峡ダムなんかは、その象徴的な建造物です。あれも、建設する時に、人生を賭して反対し、建設を防ごうとした学者もいたのですが、結局は強行されました。ダムが引き起こす、様々な問題は、建設前から予見されていたのです。そして、今、それが徐々に露見してきています。

欧米には、思想が現実を変えるという妄執に取り憑かれていますね。思想が現実を変えると考えて、科学に対しても、無理やり思想に合わせようとする試みが何回も起きています。実際に起きた事ですが、メンデルの法則を講義したら、「学生に対する配慮が足らない」として、クビになった教授がいます。遺伝に関する法則で、劣性遺伝という結果が、生まれてしまうのは、仕方ない事実なのですが、「全ての人は、あるがままで素晴らしい」という思想に合致しないので、そういう授業をする教授は、差別主義者という事らしいです。

この話、近代遺伝学は、資本主義的でけしからん。後に、まったくの誤りが判明し、恐らく共産国で採用されてしまった為に、大飢饉を引き起こしたルイセンコ農法が、「共産主義的で素晴らしい」とスターリンに絶賛された話を思い出します。これ、敢えて誤解を恐れずに、解釈すると、選択と淘汰が発生する西洋の遺伝学は、まったく資本主義的な発想である。しかし、種子に負荷を与える事で、その特性を変化させる事ができると考えるルイセンコ農法は、意思と努力が結果を生むので、共産主義的で素晴らしい。なので、ルイセンコ農法が正しいに違いないという話なんですよ。

思想と科学的な事実というのは、本来関係が無いはずなんですが、思想が蔓延ると、思想に適合しないモノは、全て排除される方向に流れるのですね。もう、こうなると、宗教との差異は、無いと言えるでしょう。地動説を説いたら、裁判にかけられたというガリレオの話は、今の社会で起こらないとは言い切れないという事です。社会的な立場を失う程度の事は、実際に起きているわけですからね。

過去の愚行を笑う事はできますが、今の我々は、そんなに賢いのか、自問したほうが良いかも知れません。案外、似た程度の事を、現在進行系で、やっていたりするのです。』