薄れゆく歴史的事実

薄れゆく歴史的事実
https://nappi11.livedoor.blog/archives/5456287.html

『第2次世界大戦末期の旧ソ連による対日参戦から8月9日で78年が過ぎた。

侵攻したソ連軍の攻撃で当時、日本領だった南樺太(現ロシア・サハリン南部)では、数千人もの住民が犠牲となった。

だが松野博一官房長官が6月の記者会見で沖縄を「唯一の地上戦があった地域」と述べるなど、不正確な理解は今も続く。

高齢化で数少なくなった当事者たちは「悲惨な歴史が忘れられてはいけない」と訴える。
、、旧ソ連は1945年(昭和20年)8月9日、当時有効だった日ソ中立条約を無視して対日参戦した。

旧満州(現中国東北地方)や千島列島へ侵攻し、樺太では北緯50度の国境線を越え、南樺太へ南下した。  

日本がポツダム宣言を受諾(1945年8月15日)し、無条件降伏を発表してから1週間後の8月22日、当時8歳だった西本さんは3機のソ連軍機を目撃した。「偵察機かな」。直後に爆発音がとどろいた。

ソ連軍の侵攻で、各地から緊急疎開した人たちが押し寄せていた豊原駅周辺に爆弾が落とされた。  豊原空襲では100人以上が死亡。南樺太各地で日ソ両軍の交戦が繰り広げられ、住民の集団自決が相次いだ。正確な犠牲者数は今も不明だが、南樺太からの緊急疎開船3隻が留萌沖合でソ連軍の潜水艦に攻撃され、約1700人が死亡した「三船遭難事件」を含めれば5千人を超えるとの見方もある。

f2a99b98-sだが、日本領だった南樺太で戦闘があったにもかかわらず、国内の地上戦について沖縄を「唯一」とする見解は戦後長く語られてきた。沖縄戦を説明するパンフレットなどのほか、国会質疑でも同様の表現が繰り返されてきた。

政府は過去に、「沖縄本島、その周辺のみで地上戦が行われたとする認識は必ずしも正確ではない」との答弁書を閣議決定し、この政府見解は現在も引き継がれているが、国会議事録によると、その後も閣僚や複数の与野党の議員が国会の質疑で少なくとも20回、沖縄が「唯一の地上戦」と発言。安倍晋三元首相(当時)も複数回の答弁で言及している。

第2次大戦を巡っては、硫黄島(東京都小笠原村)や北千島の占守島(シュムシュ島)でも、上陸してきた米軍やソ連軍との戦闘で日本軍人らに犠牲者が出ている。参照記事 過去ブログ:2022年8月終戦3日後に上陸作戦開始したロシア:2018年12月日ロ関係と北方領土問題の日本側の手際の悪さ:2016年6月千島列島に関するロシアの見解:2010年3月北千島占守島の戦いと領土 教科書に無い歴史:94f584eb、、、

占守島で池田末男中佐(戦死)率いる旭川第7師団第11戦車連隊(通称『士魂部隊』)が、8月17日から島に上陸するソ連軍に向け突撃、玉砕したのは、1945年8月18日だった。

残った日本兵は敗戦を受け入れ占守島は8月28日ソ連に全島制圧され、島の日本兵は捕虜に甘んじ、その後シベリアへ抑留された。

ソ連軍上陸軍令官のA・グニェチェコ少将は『日本軍が総攻撃しなかった事に感謝する。』とメッセージを伝えたと記録され、攻撃するなら断固戦うとの日本軍の姿勢に、北海道への軍事侵攻を断念したとされる。

右図の赤いラインが、8月16日以降、すでに終戦で武装解除を進めていた日本領へ攻め込んだ経路を示している。過去ブログ:2010年3月北千島占守島の戦いと領土 教科書に無い歴史: 』