治安という社会コスト

治安という社会コスト
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『先日、投稿した記事で、「ショッピング・モールは歴史的な役割を終えた」と書きましたが、それには、やはりアメリカ社会の変化が要因として大きいと言えます。アメリカのホテル業が、相当に追い詰められているという記事でも説明しましたが、間接的に効いているのが、「人が大勢集まるところに、無防備で出ると危ない」という事が、常識になってしまった事です。

州によっては、重火器の携帯が権利として認められている上、テロの標的として、人の集まる場所は襲撃の対象として絶好の条件です。そして、軽犯罪の日常化。そもそも、警察が万引き程度の犯罪だと、取り締まってくれないので、店舗は窃盗を原因として閉鎖を余儀なくされています。また、販売員の身の安全を店舗が保障できないので、閉めるという、治安を原因とした店舗閉鎖も増えています。都会の一等地にある歴史あるホテルが、移民のシェルターとして利用されるなど、経営破綻したホテルが、収容施設として使われています。

アメリカでは、既にロボットによる無人宅配というのが、実用化されつつあるのですが、案の定、配達中のロボットを狙った窃盗が増加しています。一応、警報が鳴るようになっていますが、警報というのは、それに反応する人がいるから意味があります。警察も無関心、恐らく周囲の通行人も、とばっちりをくらうのを恐れて避けるとなると、白昼堂々、バットでロボットを破壊して、荷物を強奪するなんて事が、当たり前に起きます。

こういった犯罪に対策する事は、非常にコストを押し上げます。しかし、社会が、それを当たり前とするならば、対策せざるを得ないのです。その社会で一般的と考えられる治安レベルが、どれだけ生活のコストを押し上げ、また、新しいサービスの芽を摘むかというのは、想像すると恐ろしいです。その為、私が心配するのは、「EVは発火するのは仕方ない。そういうもの。騒ぐ方が大袈裟」みたいな常識が出来上がってしまう事です。既に、中国は、そうなりつつあります。つまり、許容する危険性のラインが、著しく低い。

これは、国を挙げてEVの普及を推進した為、潜在する危険性に極端に鈍感になり、もしくは、故意に無視した為、それが常識ラインになってしまった結果です。なので、EV火災が時々起きて、人が死ぬのも、家屋が燃えるのも、それは許容できるラインになってしまいました。そうなると、メーカーも対策しません。基本的に、メーカーが安全対策に取り組むのは、「危険」と消費者に認識されると、製品が売れなくなるからです。「EVは、そういうもの」という認識になってしまうと、その問題は放置されます。売上に響きませんからね。

アメリカの小学校では、銃声が聞こえたら、頭の後に手を当てて、その場にうずくまる訓練を、防災訓練のごとき様子で行います。また、公立学校で、銃の襲撃に対する訓練を行う学校は、95%です。つまり、学校が銃撃されるのは、仕方ない事として定着してしまったので、襲われるのを前提にした対策を、せざるを得ない社会になっています。教師も射撃訓練を受けるのは、常識になりつつあります。つまり、学校内で銃撃戦になっても仕方ないという事です。

案外と、社会が諦めてしまうと、常識のラインというのは、いくらでも下がります。すると、社会が機能する為に必要なコストも上がります。常識ラインが下がり過ぎると、犯罪都市として、そもそも麻痺していきます。アメリカで、若者の死因の第一位に躍り出た、薬物汚染にしても、そもそもは、危険性を承知していながら、麻酔医が使用していたような強力な薬物を、処方薬として認可した事にあります。結果は見えていましたが、儲かるからやったのです。使用するのは、その人の自己責任という事ですね。法律的には、まったく問題が無い。結果、街なかで、痙攣して泡を吹いている重度の薬物患者が、普通に見られるようになりました。彼らの数が少ないうちは、何かしらの対策が取られますが、手に余るぐらいに増えると、基本的に放置されます。薬の為に何をやるか判らない人間で、溢れる事になります。

被害額の少ない犯罪は、放置するという方針は、ある意味行政が役割を放棄した事になります。膨れ上がる福祉予算を、どう頑張ってもカバーできないという理由があるにしても、その状態を作り出したのは、社会の常識ラインが下がった事が原因です。災害が起きると、チャンスだとばかりに、ホテルの宿泊費を上げてボッタくる「共産国」の中国、国の資産を横流しして私腹を肥やすロシア、儲かるとなると倫理観など犬に食わせろのアメリカ。どこも、社会コストは高そうです。そして、結果的に似ているのですよね。 』