多くの人が意外と知らない、「地政学ブーム」の落とし穴

多くの人が意外と知らない、「地政学ブーム」の落とし穴
https://gendai.media/articles/-/107111?imp=0

 ※ この世の中には、「変えやすい事がら」と、「変えにくい事がら」がある…。

 ※ 「変えにくい事がら」の代表が、「地理的な条件」だ…。

 ※ 「変えやすい事がら」の代表は、実は、「人間の行動」だと、オレは考えている…。
 ※ 「人間の行動」は、「人間の考え」に従っている…。

 ※ つまり、「ヒトの考え(思考)」が変われば、「ヒトの行動」は変わる…。

 ※ そういう「変えにくい事がら」の中で、「ヒトは、生き残りをかけて」「より良い明日を目指して」、「頭を切り替えて」「行動し」「外部の条件に働きかけて」生きてきた…。

 ※ そういう、「地理と歴史の力の解明」が、「地政学」というものだと思っている…。

 ※ だから、「地政学本」自体に、それほど意味はない…。

 ※ 「解明」の方向性や、視点を提供してくれるだけの話しだ…。

 ※ 実際に「地理と歴史の力の解明」に取り組むことにこそ、意味がある…。

『なぜ戦争が起きるのか? 地理的条件は世界をどう動かしてきたのか?

「そもそも」「なぜ」から根本的に問いなおす地政学の入門書『戦争の地政学』が発売前から話題になっている。

「地政学」とタイトルのつく本が多く刊行されるようになり、地政学の関心を持つ人が増えている。

そうしたなかで指摘しておきたい、「地政学ブーム」の落とし穴とは?
多くの地政学本に抱いていた不満

『戦争の地政学』の執筆にあたって、あらためて「地政学」という文字が題名に入っている、近年に公刊された書籍を数十冊買いあさって渉猟してみた。カラフルな挿絵が数多く挿入されていたり、漫画の登場人物が会話をする形式であったり、趣向が凝らされていて、楽しめた。

地政学には、様々な引き出しがある。わかりやすい地図があって便利なもの、思い切った単純化を施して劇画化しているもの、詳細な国際情勢分析を施しているものなど、多様である。

地政学の視点の魅力の一つは、地理的条件が国際情勢に影響を与えているという簡明なメッセージとともに、切り口の多様さでもあるだろう。その地政学が持つ懐の深さは、今後も維持されるべきだし、発展させていくべきだ。

しかしそれにもかかわらず、私にとって不満を感じざるを得なかったのは、地政学があたかも完結した一つの学問分野であるかのように扱われている場合が、あまりに多いことだった。あるいは逆に、多様な地政学の視点を、単なる内部の混乱として扱ってしまうことが、一般化していることだった。私は、以前から、この傾向に不満を持っていた。しかし今回調べ直してみて、あらためて不満が高まった。

確かに世界情勢を図式的に理解できるのは、地政学の視点の大きな魅力だ。だがそれだけでは、世界観を一致させる人々が、互いにただ自分たちの権力欲にしたがって衝突しているだけだという極めて静的な世界の理解が、地政学の全てになってしまう。

現代世界では、武力紛争が多発している。ロシアによるウクライナ侵攻という劇的な事件による悲劇も続行中だ。この世界の矛盾が劇的に露呈している。静的なイメージでの地政学の理解は、私にとっては不満の材料でしかなかった。』

『人間の世界観をめぐる闘争

地政学をめぐる葛藤は、むしろ人間たちはこの世界をどう見るかという世界観のレベルにおける人間の闘争を映し出している。地政学をめぐる争いは、人間の世界観をめぐる争いである。

このような率直な思いから執筆したのが、『戦争の地政学』である。この問題意識をはっきりさせるため、英米系地政学と大陸系地政学という全く異なる世界観の上に成立している二つの異なる地政学の間の葛藤に、焦点をあてることにした。

地政学をめぐる議論の中で露呈している人間の世界観をめぐる闘争を把握することこそが、現代世界の紛争の状況を構造的に理解するための鍵になる、という視点を強調することにした。

地政学の視点が明らかにする国際紛争の構図は、どのようなものか、という問いに対して、二つの異なる地政学の世界観がせめぎあう構図だ、という一つの答えを示した。

二つの異なる地政学は、異なる世界観を持つ人間たちこそが、争いを起こしている様子を描き出す。地政学は、共通の世界観を持つ人々が、単なる利益計算にしたがってのみ争っているような世界だけを描写しているのではない。むしろ根本的に異なる世界観を持つ人々が、世界観をめぐるレベルにおいてこそ争っている様子を、明らかにするのである。』
『運命論的な性格を持っている地政学

地政学とは、運命論的な性格を持っているという。地理的条件などの人間にとっては外在的な要素が、人間の運命を決定しているかのように考えるからだ。これは英米系地政学にも、大陸系地政学にも、あてはまる。

ただ、異なる世界観を持つ人々は、異なる運命を見出す。同じ一つの世界を見て、運命に翻弄されている同じ人間たちを見ながら、その人間を翻弄している運命を異なる様子で描写していくのである。

人間は、確かに運命に翻弄されている。しかしその運命が何であるのかについて、人間は完全には把握することができない。少なくとも運命が露呈するよりも前に、全ての運命を完全に洞察することはできない。そこで運命論的な巨大な力を感じながら、それが何であるのかをめぐる世界観の闘争を延々と繰り広げていく。

運命を手なずけようとする人間の野心は、運命に抗おうとする人間の野心と、ほとんど変わりがなく、見分けがつかない。なぜかと言えば、結局のところ、われわれがわれわれの運命を知らないからだ。

われわれに可能なのは、そのことをよく熟知したうえで、それでもなお運命は何なのか、運命に翻弄される人間はどういう状態にあるのか、を知ろうとする努力を欠かさないことだ。

地政学の視点は、運命と呼ぶこともできるような巨大な力が、この世界に存在することを示唆する。しかし、その運命がいったい何なのかは、われわれ人間には完全には把握できない。その不確かさの中で、それでもなおわれわれは生きていく。

【関連記事】
●なぜ戦争が起きるのか…激変する世界情勢を読み解く、意外と知らない「地政学」の本質
●日本では“タブー”だった時代も…「地政学は学問分野ではない」という事実を知っていますか
●ソ連崩壊と冷戦の終焉、ロシア・ウクライナ戦争勃発…「地政学」の視点はどう役に立つのか』