オランダにおける移民労働者等統合化政策

オランダにおける移民労働者等統合化政策
(財)自治体国際化協会 CLAIR REPORT NUMBER 133 (January 31,1997)
https://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/pdf/133-1.pdf

『はじめに
第1章 オランダにおける戦後の移民史
第2章 エスニック・マイノリティの現状
第3章 オランダにおけるエスニック・マイノリティ政策の流れ
第4章 エスニック・マイノリティ政策における中央政府及び地方自治体等の役割
第5章 オランダのエスニック•マイノリティ政策の具体的展開
第6章地方自治体とエスニック・マイノリティ
本稿の結びにあたって
財団法人自治体国際化協会
(調査部)
目次
はじめに———————————–1
第1章 オランダにおける戦後の移民史——————…–3
第1節 戦後オランダへの移民流入の概観—————-一……3
第2節 インドネシア及び南モルッカ諸島系移民—————3
第3節 地中海沿岸諸国からの外国人労働者—————–4
第4節 スリナム系移民及びアンティル系移民—————-5
第5節 庇護申請者及び難民——–……————–5
第6節 オランダにおける外国人の総数——————-7
第2章エスニック・マイノリティの現状———————8
第1節 エスニック・マイノリティの定義——————8
第2節 エスニック・マイノリティの状況——————8
第3章 オランダにおけるエスニック・マイノリティ政策の流れ———-I〇
第1節 エスニック•マイノリティの処遇に関する基本認識———-!〇
第2節 エスニック・マイノリティに関する政策の変遷————1〇
第4章 エスニック・マイノリティ政策に関する中央政府及び地方自治体等の役割ー…13
第1節 オランダの行政システム———–…… ——-13
第2節 中央政府におけるエスニック・マイノリティ政策所管省庁とその役割ー—16
第3節 地方自治体等の役割————————17
第5章 オランダのエスニック•マイノリティ政策の具体的展開———-18
第1節エスニック・マイノリティ政策の基本方針—————18
第2節 各分野におけるエスニック•マイノリティ統合化政策———19
第3節 民間非営利団体の役割———————–34
第6章 地方自治体とエスニック・マイノリティ—————35
第1節 アムステルダム市の事例—————— 35
第2節ユトレヒト市の事例———————–37
第3節 ハーグ市の事例——–……—-……—……—–38
本稿の結びにあたって————————- 39
参考資料1——————————–——40
参考資料2 …… 43
参考文献等一覧 45
オランダに関する収集文献・資料等一覧—————— 47
はじめに
このレポートは、平成8年6月にC LA IR調査課が内なる国際化等に関連してヨーロ
ッパで実施した調査の結果をとりまとめたものである。
我が国の内なる国際化の現状については、平成5年度に学識経験者等からなる地域国際
化懇話会が設置され、平成6年度まで2か年にわたる検討結果が報告書としてとりまとめ
られている。しかしながら、同懇話会では、諸外国が同様な課題に対してどのように対処
しているかという点については体系的に取り組むことが出来なかったため、平成7年度に
アメリカにおける最近の動向を実態調査した。
本年度は、昨年度に引き続き、外国人労働者等の受け入れに関して長い歴史を持ち、我
が国と共通点も多いオランダとドイツに焦点を当てながら、ヨーロッパの状況を調査し、
日本の自治体の参考になる事項を取りまとめることとした。本稿は、オランダにおける移
民労働者等の社会的統合化政策の現状を記述したものであり、CLAIR本部の竹内文紀
(調査部調査課)が執筆した。
このレポートの作成にあたっては、調査の成果を十分に盛り込むよう努めたものである
が、更に詳細な情報が必要な場合は、巻末の文献リストから適宜必要な資料を探し出し、
それを参照して補っていただければと思う。これらの文献は、CLAIRの図書館に保管
されている。

1調査期間
1 9 9 6/6/4 一 ! 9 9 6/6/2 0
2調査団の構成
平山義康(前調査部長)、水田寿雄(調査課、愛媛県)、竹内文紀(同左、鹿児島
県)、泉清隆(同左、長崎県)
3 調査項目
(1) 人口、移民流入状況に関する統計データ
(2) 移民等に対する政策措置の概要
(3) 移民等の処遇において地方自治体が果たす役割
—1—
4情報収集の相手方機関名等
< Hague>
Ministry of Interior(2500 EA)
Vereniging van Nederlandse Gemeenten(VNG) (2500GK)
< Utrecht >
Centraal Orgaan opvang asielzoekers(COA)(Joseph Haydnlaan 2 3533 AE)
Utrecht University(European Research Centre on Migration and Ethnic Relations: ERCOMER)
(Heidelberglaan 2. 3584 CS)
< Nijmegen >
Institute for Sociology of Law(6500 KK)
※ ただし、当該機関関係者へのインタビューはアムステルダム(Amsterdam)で実施。
—2 —
第1章 オランダにおける戦後の移民史
第1節 戦後オランダへの移民流入の概観
人口動態学的に見た場合、オランダ王国(以下「オランダ」と言う)への移民流入につ
いては、次のような3つの大きな流れがあると言われている。
最初の大きな流れは、19 4 8年から19 6 2年にわたるオランダの旧植民地であった
インドネシア及び南モルッカ諸島注,からの移民の流入である。その数は2 5万人〜3 0万
人とも言われる。
2番目の流れとして、19 6 0年代の外国人労働者の流入を挙げることができる。これ
らの外国人労働者の出身国は、イタリア、スペイン、ポルトガル、トルコ、モロッコ、ユ
ーゴスラビア、チュニジアなど主として地中海沿岸の国々であった。
最後の大きな流れは、19 7 5年のスリナムの独立に伴うスリナム系移民の流入である。
このような移民流入の流れとは別に19 8 0年代後半以降増加しているのが、各国から
の庇護申請者と避難民の流入である。
戦後のオランダにおける移民の流入を概括すれば、上記のようになる。最近の難民流入
の状況を含め、移民流入の各局面における特色を以下の第2節から5節にかけて簡単に記
しておくこととしたい注し
第2節 インドネシア及び南モルッカ諸島系移民
オランダの旧植民地であったインドネシアからの移民には、インドネシアに居住してい
たオランダ人とその家族が含まれている。彼らのオランダへの移住は、インドネシアから
オランダへの引き上げというケースが大半であり、その数は約2 5万人にのぼるとされて
いた。移住人口だけ見ればかなりの数であるが、その多くはオランダ人入植者とその混血
家族であったため、これらの移民の大半は早い時期にオランダの社会へ同化し、その存在
が後日社会問題化することはなかった。
次に南モルッカ諸島系移民であるが、その主流は旧オランダ東インド会社に雇われた軍
人とその家族であり、その数は約4万人程度であったとされている。
彼らは19 4 9年のインドネシア独立の際に、インドネシアからの分離独立を主張し、
現地における武装解除にも応じなかったことから、オランダ政府は、彼らをオランダへ移
送した上で、武装解除させ、5 0のキャンプに収容するという措置を採るに至った。
住’モルッカ諸島(Molucca Islands)とは、インドネシアとNew Guinea島との間にある諸島であり、
Spice Islandsとも呼ばれた。面積83,675kn!。地図上の位置については参考資料1を参照のこと。
西 第2〜4節については、下平好博他著「外国人労働者と社会保障」:社会保障研究会編
1991年 第10章「オランダの移民労働者と社会的統合政策」を参考にした。
—3 —
南モルッカ諸島系移民(以下「モルッカ人」という)たちは、将来南モルッカ諸島の分
離独立が認められれば帰国できると信じ、オランダでの不自由なキャンプ生活を受け入れ
ていた。しかし、オランダ政府は南モルッカ諸島のインドネシアからの分離独立を認めな
かった。オランダ政府は19 5 9年、モルッカ人の定住権を認め、就労を通じての自活の
道を開いた。また、その子女にもオランダ人と同じ学校に就学する機会が与えられた。
先に述べたとおり、オランダに移住したモルッカ人は4万人程度であり、数としてはさ
して大きいものではない。しかし、オランダの移民史・移民問題の中で、モルッカ人の存
在は重要な位置を占めている。それは、オランダ政府が自分たちに対して採った措置に不
満を持つモルッカ人たちが、政治的に過激化し、暴力による異議申し立てを繰り返すよう
になったからである。1966年に発生したモルッカ人たちによるインドネシア大使館焼
き打ち事件は、これを象徴する一つの事件であったと言われている。このような状況の中
で、インドネシアにもオランダにも帰属意識を示さないモルッカ人たちのオランダ社会へ
の同化は遅々として進まなかったとされている。
第3節 地中海沿岸諸国からの外国人労働者
外国人労働者の受け入れはオランダ以外の西ヨーロッパ諸国でも行われていたが、オラ
ンダがこれに踏み切ったのは他の西ヨーロッパ諸国と比較するといくぶん遅い。
オランダが外国人労働者を受け入れざるを得なくなった背景として、戦後の経済復興の
過程における労働力の不足、オランダ人自身のダーティワークの忌避等が挙げられている。
外国人労働者の導入は主として、2国間協定の締結に基づくものであり、その協定締結
状況を示すと表1のようになる。
表1 オランダと各国との2国間協定締結状況
協定締結年次 協定締結国
1 9 6 0年 イタリア
1 9 6 1年 スペイン
1 9 6 3 年 ポルトガル
1 9 6 4 年 トルコ
1 9 6 9 年 モロッコ
1 9 7 0年 ユーゴスラビア、チュニジア
19 6 7年から19 6 8年の経済不況により外国人労働者の受け入れが規制された時期
を別にすれば、19 6 0年代から19 7 0年代の始めにかけて、外国人労働者の数は増え
続けていった。しかし、オランダ政府は1 9 7 3年、オイルショックによる経済の停滞や
それに伴う失業の増加を背景に外国人労働者の採用を中止するに至った。
—4 —
当初、外国人労働者のオランダでの就労は、オランダ政府にとっても、雇用主にとって
も、あるいは外国人労働者自身にとっても一時的なものとして捉えられていた。
19 6 7年、オランダ政府が「1年以上の継続雇用」、「家族用住宅の確保」、「犯罪
歴がないこと」を条件に外国人労働者に家族の呼び寄せを認めて以降、トルコ人やモロッ
コ人を中心にオランダでの家族の再統合が行われ、定住化が進んでいった。
第4節 スリナム系移民及びアンティル系移民
オランダの旧植民地であったスリナム注3からの移民流入は戦前からあった。それは主と
して、スリナムの中産階級の子女のオランダ留学であったと言われている。また、オラン
ダ領アンティル諸島注’からの移民の流入の直接的な契機は、戦前栄えた石油産業の合理化
に伴う大量の余剰人員の発生であったとされている。19 5 4年にオランダ政府がスリナ
ム、アンティル両地域の住民にオランダの市民権を与えたことにより、両地域からの移民
の流入は本格化することになった。
19 7 0年代に入り、アンティル系移民(以下「アンティル人」という)の人口増加は
ほぼ自然増の範囲に留まっているのに対して、スリナム系移民(以下「スリナム人」とい
う)は19 7 0年代に入り急増している。19 7 0年当時、約2 8千人だったオランダの
スリナム人の数は、1 9 7 5年には約10万人に達している。この急増の主な理由は、1
9 7 5年11月2 5日のスリナムの独立に伴う駆け込み移民の大量発生である。スリナム
独立時の移民は、当時のスリナムの人口の3分の1に達したとも言われた。オランダ政府
は全国9 0力所にスリナム人たちを受け入れる仮設センターを設け、地方自治体に対して
もこれらのスリナム人のための特別な住宅を用意するよう指導するなど所要の対応を迫ら
れた。
1970年代にオランダへ移住したスリナム人は、1950年代、60年代にオランダ
に移住したスリナム人と異なり、学歴水準が低く、中産階級の出身者は少ない。また、駆
け込み移民の時期がオイルショックに伴う経済不況の時期であったこともあり、1970
年代にオランダに移住したスリナム人たちが、オランダ到着後すぐに就労することは難し
かったようである。
第5節 庇護申請者及び難民
外国からオランダへの人口の流入という点に関して最近特徴的なのは、庇護申請者
(asylum seeker)と避難民の増加である。ユトレヒトにある庇護申請者の入所施設の担当者
によれば、庇護申請者とは政治的迫害等を理由にオランダで保護を申請した者のことであ
り、避難民とはその中で国連の難民条約等の規定に該当する者を指すとのことであった。
由 スリナムの地図上の位置については参考資料1を参照のこと。
由 アンティル諸島の地図上の位置については参考資料1を参照のこと。
庇護申請者は毎年相当数に上るが、そのうち難民と認定されるのは一部分であるとのこと
であった。1 9 9 4年1月1日現在で、オランダ国内にいる避難民の数は約6 4, 0 0 0
人田となっている。また、庇護申請者の増加はここ数年顕著なものとなりつつある。19
8 6年以降の、オランダにおける庇護申請件数の推移は、図1のとおりである。
図1部 オランダにおける庇護申請件数
1986 5865
1987 13.460
1988 7486
1989 13.898
1990 21.208
1991 21.615
1992 20.346
1993 35.399
1994 52.576
ヨーロッパ各国の庇護申請件数は表2のとおりである。ここに取り上げられている国で
みると、オランダはドイツに次いで庇護申請件数が多いことが分かる。
表2注’ヨーロッパ諸国の庇護申請件数
朽ンタ、、 卜、、イッ へ、、”- 7ランス イキ、、リス テ、、ンマ-ク 加一デン ノルウエ-
1986 5865 99.650 7650 23.400 4800 9300 14.600 2700
1987 13.460 57.400 6000 24.800 5150 2750 18.100 8600
1988 7486 103.100 5100 31.600 5100 4650 19.600 6600
1989 13.898 121.300 8100 58.750 10.000 4600 32.000 4450
1990 21.208 193.050 12.950 56.000 30.000 5300 29.350 3950
1991 21.615 256.112 15.220 44.829 57700 4583 26.495 2976
1992 20.346 438.191 1Z754 30.000 24.600 13.876 19.108 4689
1993 35.399 322.559 26.883 26.507 28.500 14.351 37581 12.876
1994 52.5761 1272101 14.340 1 26.044 I 32.830 I 66501 18.507 I 3881
注5 オランダ調査時に訪問したVNG(Vereniging van Nederlandse Gemeenten)で入手した Aliens A
statistical summary 1994 に基づ く 数値0
注« Aliens A statistical summary 1994:Ministry of Justice より0
注’ Aliens A statistical summary 1994:Ministry of Justice より0
—6 -—
オランダにおける、1 9 9 3年、1 9 9 4年の庇護申請者の出身国の上位は表3のとお
りである。これを見ると、庇護申請を出した者の出身国は、ボスニアヘルツエゴビナ、イ
ラン、イラク、ソマリア、旧ユーゴスラビア地域などが多い。
1 9 9 3、1 9 9 4年のオランダへの庇護申請者の国籍(上位10力国)注8
1 9 9 4年の上位10か国
国名 数
! ボスニアヘルツェゴビナ 8635
2 イラン 6075
表3
19 9 3年の上位10か国
国名 数
! ボスニアヘルツェゴビナ 4938
2 旧ユーゴスラビア 4691
3 ソマリア 4330
4 イラク 3229
5 イラン 2610
6 スリランカ 1902
7 アフガニスタン 1503
8 ザイール 1305
9 ルーマニア 1085
10中国 8 9 6
3 ソマリア 5393
4 旧ユーゴスラビア 4106
5 イラク 2858
6 ルーマニア 2762
7 アフガニスタン 2527
8 ザイール 2180
9 スリランカ 1811
10アンゴラ 13 7 3
第6節 オランダにおける外国人の総数
これまで述べた移民の流入を一つの背景として、オランダでは、1 9 9 2年1月1日時
点で、約7 3 2千人の在留外国人が生活している。同日時点でのオランダの総人口は
約15,12 9千人であり、オランダにおける在留外国人数は人口全体の約4. 8%とな
っている。日本の場合、199 1年12月31日現在の外国人登録者数は約1、219千
人注9であり、全人口に占める外国人の割合は0. 9 8%であった。オランダの全人口に占
める外国人の割合は、日本と比較した場合、かなり高い水準にあると言うことができる。
注9
注8 Aliens A statistical summary 1994:Ministry of Justice より。
財団法人入管協会「平成7年度版 在留外国人統計」1995年の数値による。
—7 —
第2章エスニック・マイノリティの現状
第1節 エスニック・マイノリティの定義
オランダの移民労働者等の統合化政策は、エスニック・マイノリティ(ethnic minorities)
を対象としたものである。「エスニック・マイノリティ」とは、外国籍であれ、オランダ
国籍であれ、社会的•経済的地位の低い移民を指す用語である。
これは、1 9 7 9年、政府の諮問機関の一つである政策科学審議会(Wetenschappelijik
Raad het Regeringsbeleid)が政府に提出した報告書の中で、それまで別個に扱われていた植
民地系移民と外国人労働者を一括して捉える言葉として初めて用いられた。そして、19
8 3年にオランダ政府が公表した「マイノリティ問題メモランダム」(“Minderhedennota”)
の中では、「エスニック・マイノリティ」は南モルッカ系移民、スリナム・アンティル系
移民、外国人労働者とその家族、ジプシー、避難民を指す言葉として定義づけられた。
第2節エスニック・マイノリティの状況
19 9 2年の時点におけるエスニック・マイノリティの出身国別内訳は、表4のとおり
である。表4の出身国別の内訳を簡略化したのが、図2である。エスニック・マイノリテ
イの総数は約1,。 3 4千人であり、オランダの人口全体の約6. 8%を占めている。第
1章の第6節においては、19 9 2年1月1日時点におけるオランダの在留外国人数は約
7 3 2千人であり、全人口の約4. 8 %を占めると記述した。在留外国人数とエスニック・
マイノリティの数の間には、3 0 2千人の差が生じているが、これは主としてスリナム人、
アンティル人等のオランダ国籍を有する植民地系移民の取り扱いによる。
つまり、スリナム人、アンティル人等の多くはオランダ国籍を有しているために、外国
人としては扱われない。しかし、前述したエスニック・マイノリティの定義に照らせば、
これらのオランダ国籍を有する植民地系移民の多くは、その社会•経済的地位の低さ等の
理由によりエスニック・マイノリティというカテゴリーに含まれることとなる。このよう
な植民地系移民は数十万という単位で存在しており、オランダにおける在留外国人数とエ
スニック・マイノリティ数の差異はこのようなところから生じている。
つけ加えて言えば、エスニック・グループであっても、「エスニック・マイノリティ」
としては取り扱われず、従って政策措置の対象とはならないグループも存在する。例えば、
中国籍のエスニック・グループは、オランダ社会の中である程度の地位を築いており、ー
般的にはエスニック・マイノリティには含まれないものとされている。
表5の出身国別の内訳を簡略化したのが、次ページ表6である。
エスニック・マイノリティの中で大きな比率を占めているのは、スリナム人(2 5%)、
—8 —
トルコ人(2 3%)、モロッコ人(19%)、アンティル人(9%)であり、この3つの
エスニック・グループだけで、全体の約76%を占めている。スリナム人、アンティル人
は、植民地系の移民であり、トルコ人、モロッコ人は19 6 0年代から19 7 0年代のは
じめにかけてオランダにやって来た外国人労働者とその家族が中心である。
表4 オランダにおけるエスニック・マイノリティ数注’°
出身国等 人口数(単位:人) 比率(単位:%) 比率累計(%)
スリナム人 2 6 2, 8 3 9 2 5% 7 6%
トルコ人 2 4 0, 8 1 0 2 3%
モロッコ人 1 9 5, 5 3 6 1 9%
アンティル人等 9 0, 6 5 0 9%
イタリア人 3 2, 8 1 8 3% 1 3%
スペイン人 2 9, 0 4 6 3%
ユーゴスラビア人 2 7,1 7 7 2.6 %
カーボベルデ人 1 4, 3 3 0 1.5 %
ポルトガル人 1 2, 5 8 7 1.4 %
ギリシャ人 1 0, 3 6 9 1 %
チュニジア人 5,631 0.5 %
モルッカ人 3 5, 0 0 0 3.5 % 11 %
キャラバン居住者 3 0, 0 0 0 3%
ジプシー 3, 5 0 0 0.5 %
避難民等 4 4, 0 0 0 4%
総 計 1,。 3 4, 2 9 3 10 0% 10 0%
図21 9 9 2年外国人等内訳注”
モロッコ人(19%)
アンティル人等(9%)—
南ヨー ロッパ
出身者(12%)—-
トルコ人(23%)
スリナム人(25%)
その他(12%)
g 表4は、海外調査時にオランダ内務省で収集した資料をもとに作成したもの。出典は
Martens,Roijen & Veenman(1994) 0p.20,33とされている。カーボベルデについては、参考1
の地図、キャラバン居住者については参考2の記述を参照のこと。
物 図2についても海外調査時にオランダ内務省で収集した資料をもとに作成したもの。
第3章 オランダにおけるエスニック・マイノリティ政策の流れ
第1節 エスニック・マイノリティの処遇に関する基本認識
第1章に記したとおり、歴史的な経緯、政治的理由により多くの植民地系移民がオラン
ダに移住してきたこととは別に、オランダは戦後の経済復興の過程で相当数の外国人労働
者を受け入れてきた。外国人労働者のオランダ国内における就労は一時的なものであり、
いずれは母国に帰還するという考え方は、多くの外国人労働者が、オランダに家族を呼び
寄せ、定住していく中で、崩れていくこととなった。
オランダにおけるエスニック・マイノリティ政策は、19 7 0年代末からオランダ社会
への「統合化」を目指した方向へと動き始める。19 7 0年代末から19 8 0年代の始め
にかけて出された政策答申•政策資料において、エスニック・マイノリティは独自の文化、
価値観を持ち、オランダで生活していくためには、社会的な支援が必要な存在として捉え
られている。また、それらの答申や資料では、外国人労働者を含む移民労働者の滞在長期
化により、オランダ社会そのものについても、「多文化社会」へと移行していくことを避
けられず、それに対応していく必要があるとの指摘がなされている注12。1 9 9 4年に出
された「Policy on the integration of ethnic minorities J注”においても、エスニック•マイノリ
ティのオランダ社会における平等な権利の取得、社会参加を促進していくことの必要性が
強調され、エスニック・マイノリティとオランダ社会の現状を相互受容の過程として捉え
ている。
第2節 エスニック・マイノリティに関する政策の変遷
オランダにおけるエスニック・マイノリティ政策の変遷を、19 7 0年代以降に出され
た各種政策答申等を中心に概観してみる注”。
1 9 7 0年代前半
外国人労働者の定住は顕著なものとなりつつあったが、政府は「オランダ社会には外国
人労働者は今後も必要である」との認識を示し、外国人労働者の一時的就労・本国への帰
還という従来の基本政策を堅持する姿勢を見せていた。オランダ政府は、19 7 4年に、
注” Fact Sheet on the Netherlands:Welfare work for Minorities (I ):Ministry of WelfareJlealth and
Culture
注” Policy on the integration of ethnic minorities:Minister of Interior 1994
第2節は、下平好博他著「外国人労働者と社会保障」:社会保障研究会編1991年 第10
章「オランダの移民労働者と社会的統合政策」を参考にした。
— 10 —
外国人労働者に2年間の就労の後に帰国する義務を課す(帰国の際には5千ギルダー注15
が公費から支払われる)外国人労働者のローテーションシステムを導入しようとしたが、
議会によって否決されている注如。
従前の外国人労働者政策を維持しようとする中央政府に対して、現実に多くの移民労働
者を抱え、その対応に苦慮していた自治体からは、その姿勢に批判が続出した。
1 9 7 0年代後半
オランダ政府の政策は、外国人労働者の数を規制する方向へと動き出す。1 9 7 6年に
新規の労働許可証の発行が中止されるとともに、外国人労働者を雇う使用者本人を対象に
した雇用許可制度の創設を内容とする「外国人労働者雇用法案(“WetArbeidBuitenlandes
Werknemers”)」が議会に提出され、紀余曲折を経た後、19 7 8年に成立する。この法案
の趣旨は、外国人不法労働者を摘発し、また企業が雇う外国人労働者数に上限を設定する
ことであった。
1 9 7 9 年
政府の諮問機関の一つである政策科学審議会(Wetenschappelijke Raad voorhethet Regerin
sbeleid)は、オランダの移民政策を根本的に見直す報告書を提出した。「エスニック•マ
イノリティ」(“Etnische minderheden”)と題するこの報告書は、外国人労働者を含む移民労
働者の滞在が決して一時的なものではなく、オランダが近い将来多民族社会に向かわざる
えないという認識に立ち、移民の定住を前提にした、「雇用」「教育」「住宅」の各分野
での積極的な社会統合政策の必要性を強調していた。この報告書は、1 9 8 0年代のオラ
ンダの移民政策に大きな影響を与えた。
19 8 1年
オランダ政府は、19 7 9年の政策科学審議会の報告書に対する暫定的な回答として、
「マイノリティ問題メモランダム草案」(“Ontwerp Minderhedennota”)を発表し、各界から
広く意見を求めた。その草案は、移民問題を政府の政策の最優先課題とし、マイノリティ
の社会経済的なギャップを解消するために、積極的な社会的統合政策を講じる旨を謳って
いた。
1 9 8 3 年
オランダ政府は、「マイノリティ問題メモランダム」(“Minderhedennota”)を公表し、移
民政策の方向を次のように定めた。
注”ギルダー(NLG):オランダの通貨単位。1ギルダーは、約65.88円〜65.99円(平成8年12月
17日現在)。
注” TEMPORARY EMPLOYMENT OF MIGRANTS IN EUROPE :REEKS RECHT &
SAMENLEVING より。
— 11 —
(1) 南モルッカ系移民、スリナム・アンティル系移民、外国人労働者とその家族、ジ
プシー、難民を「エスニック・マイノリティ」として位置づける。
(2) エスニック•マイノリティの、「社会経済的地位の改善」、「人種差別の撤廃と
法的地位の改善」、「独自の文化的アイデンティティの保持」を今後の移民政策の政
策目標とする。
(3) 19 8 5年以降、オランダに5年以上合法的に滞在する外国人にも地方自治体レ
ベルでの選挙権、被選挙権を与える。
1 9 8 9 年
政策科学審議会が「移民政策」(“Allochtonenbeleid”)と題する新しい報告書を発表し、そ
の中で、過去1〇年間のオランダの移民政策を振り返り、次のような総括が行われた。
(1) 外国籍のエスニック・マイノリティにも政治的権利(地方自治体の議会における
選挙権)が認められた注”こともあり、オランダに定住するエスニック・マイノリテ
ィの法的地位は格段の向上をみた。その結果、公営住宅をはじめ、エスニック・マイ
ノリティの公共施設•公共サービス活用状況は過去10年間において著しく拡大した。
(2) エスニック・マイノリティの失業問題に関しては十分な成果を挙げることができ
ず、エスニック•マイノリティの間の失業は激増し、エスニック•マイノリティの過
度の福祉依存を生みつつある。
⑶ エスニック・マイノリティ第2世代の教育機会については拡大しつつある。しか
し、オランダ人子女との間には依然として大きな学歴格差があり、加えて学校教育の
みではエスニック・マイノリティの社会的・経済的地位の改善は困難であることが明
らかになった。
政策科学審議会は19 8 0年代の移民政策を総括した上で、今後のエスニック・マイノ
リティの社会的統合化政策は、「雇用」、「学校教育」、「成人教育」に重点を置くべき
と提唱している。
19 9 0年代以降
1 9 9 4年、議会の求めに応じて政府が作成した政策資料・が公表された。過去の政
策の評価を行い、今後とりうる政策の提言を行っている。
1 9 9 6年1月1日からは、新しい移民が速やかにオランダ社会へ適応していくことを
目指したさらに効果的な統合化プログラムなども実施されることとなった。
注” オランダは19 8 3年に憲法を改正し、地中海諸国からの外国人労働者に対して選挙権を
与えることを決定した。
注町 Policy on the integration of ethnic minorities:Ministry of Interior 1994 より
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第4章 エスニック・マイノリティ政策に関する中央政府及び地方自治体等の役割
エスニック・マイノリティ政策は、教育、雇用、住宅あるいは入国の管理など多岐に及
んでおり、オランダでは、内務省、法務省など中央政府の諸官庁、地方自治体など様々な
機関が関与し、役割を分担しあっている。
第1節 オランダの行政システム
エスニック・マイノリティの統合化政策等における中央政府、地方自治体の役割を考え
る前に、オランダの行政システムについて簡単に触れておきたい注”。
まず、オランダの行政システムは、中央政府、州、地方自治体の3つの行政組織により
構成される。中央政府の責任(役割)の一部は、ある程度の自治権を持つ州や地方自治体
に委任されている。州や地方自治体は、その管轄地域において、上級政府から要求がない
かぎりにおいて、自由に権益を主張することができる。中央政府、州、地方自治体の権限
の概要等は、以下のとおりである。
!中央政府
オランダは議会制を敷く立憲君主国家であり、国家元首はベアトリックス女王である。
オランダの憲法において、政府は国王及び大臣によって構成されることとなっている。
国王は神聖不可侵の存在とされ、大臣は政治上の責任を負うこととされている。
国会は上下両院で構成され、上院は州議会によって間接選挙された議員7 5名により、
下院は18歳以上の有権者による普通選挙で選出された議員15 0名で構成される。国
会は予算設定権(政府とともに予算を設定する権利)、審議権(政府に対して、独立し
た審査権を持つ)、質疑権(現在あるいは将来の政策について、大臣もしくは次官に質
疑を行う権利)の行使により、執行部の権限を監督する。下院はこの他に修正権(法案
を修正する権利)、立法提案権(議員が独自の法案を提案する権利)を持つ。
国家の最高諮問機関として枢密院があり、議会に提出される法案は全てその見解に委
ねられることとなっている。枢密院の議長は、国家元首たる王が務めることとなる。
政府の存否は、下院に依拠する。内閣が下院の過半数の支持を得られない場合、内閣
は辞職しなければならない。組閣は幾度かの話し合いによって行われる。女王は上院、
下院の議長、枢密院の副議長、両院の各政党党首らと討議し、その結果に基づいて首相
を指名することとなる。
中央政府の基本的な役割は国家政策の制定である。中央政府が公共事業を推進してい
・ 第1節については、財団法人自治総合センター編「オランダの地方行政事情」1995年を参
考にして作成した。
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ない場合は、州や地方自治体は、追加の公共事業を推進する場合がある。
外交政策、国防、価格、所得政策、司法、交通法規等は中央政府の所管であり、これ
らの分野における自治体の議決は、違法であるかもしくは一般の利益に反するとして、
無効とされる場合がある。
政府の任務は、多くの条項の中に定められ、中央政府と地方自治体(または州)との
共同責任で執行される。地方自治体または州は、通常法律で定めることを執行する責任
がある。地方自治体は、例えば国家補助政策、教育政策の施行において重要な役割を果
たしている。地方自治体や州は、中央政府の監督下にあるが、地方自治体は、中央政府
の政策をある程度自由に執行することができる。また、中央政府は、地方自治体の監督
をしばしば州に委任している。
2州政府
オランダには現在12の州がある。各州の行政は州議会と州参事会及び元首によって
任命される弁務官が担当している(各州の行政区画については図3参照)。
州議会は最高の州権力を持ち、4年ごとに直接選挙され、州内の立法当局を代表する。
州議会の議席数は州の人口に比例する。各州議会は、議員の中から日常の行政を担当す
る参事会のメンバーを3人〜8人選出する。州参事会の任務は、州議会の決議、条例の
制定・執行、州の任務の範囲内において中央政府の決議を執行すること等である。また、
参事会のメンバーは国会上院の議員選出も行う。
元首によって任命される女王弁務官は、州議会及び州参事会の議長を務める。また、
女王弁務官は必要に応じて自治体を訪問し、所管大臣に報告を行う。地方自治体の首長
任命の際にも、仲介役として重要な役割を果たしている。
州は中央政府や地方自治体に委任されていない、その他の任務に当然責任を負うもの
であるが、その中でも、特定地域の水利管理に責任を持つ公共団体である水利当局の監
督は、州の重要な任務の一つとなっている。また、州は地方自治体の監督にも責任を持
ち、州の参事会は地方自治体の予算を承認しなければならないものとされている。
今日では、中央政府の政策を実施するために、州は、地域計画、老人のケアや福祉の
整備を通して、環境保護、基本構造的計画の分野における重要な任務を負っているが、
州の総予算は、地方自治体の総予算の1〇分の1にしか相当しないのが現状である。
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図3 オランダの各州の行政区画
,フローニンへン州
フリースラント州
フレーヴォラント州
ノ ールトホラント州
ユトレヒト州
ザイドホラント州
ゼーラント州
〜-ぺ
ドレンテ州
オーフェルアイセル州
ヘルダーラント州
ノ ールトブラバント州
リムブルフ州
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3地方自治体
地方自治体の行政は、地方議会と参事会及び首長によって行われる。地方議会の議員
の場合に限り、オランダに少なくとも5年間合法的に居住していることを条件として、
外国人にも選挙権が与えられている。
各地方議会は議員の中から数名、参事会員を選出する。首長は元首によって6年の任
期で任命され、再任もありうる。参事会は地方自治の日常の行政を担当し、首長は市議
会と参事会の両方で議長を務める。参事会はまた、地方自治体に関する中央政府と州の
決定について、立案及び実施の責任を負う。
地方自治体の業務は、幼稚園•小学校などの管理、各種保険、社会福祉サービス、住
宅、劇場•図書館など文化施設の管理など多岐にわたっている。地方自治体は、中央政
府の支所としての性格の有しているが、現実に果たしている役割は、それをはるかに上
回っていると言われている。。
最近の傾向としては、工場進出や住宅建設、輸送、環境問題の処理に複数の地方公共
団体が参加するケースが増えており、各自治体が共通の問題を処理する、自治体の枠を
超えた広域的な公共団体が作られている注20。
特定の活動分野において、権限が中央政府、州、地方自治体にまたがっている場合に
は、中央政府が法律の整備、資金の調達等を担当し、州政府は地方自治体の活動調整等
に責任を持ち、地方自治体が関係部門の権限行使に責任を持つなどの形で役割・責任の
分担がなされる。
第2節 中央政府におけるエスニック•マイノリティ政策所管省庁とその役割
中央政府の中で、エスニック•マイノリティ政策に関係している主な省庁は以下のとお
りである。
1 内務省(Ministry of Interior)
エスニック•マイノリティの統合化政策の調整。庇護申請者、避難民、人道的見地か
ら滞在している者を含む全ての合法的滞在者を取り扱う。
2 法務省(Ministry of Justice)
合法的資格を持たない者、不法移民等を取り扱う。
3 福祉・保健•文化省(Ministry of Welfare,Health and Culture)
新しい移民に対する政策、移民者のために活動している組織に関する活動基盤の整備
等を取り扱う。
4 教育、科学省(Ministry of Education and Science)
エスニック・マイノリティに対する教育施策等を取り扱う。
g 近隣の地方自治体間の協力が一般的であり、協力の分野は上に挙げたものの他、音楽学校、
コンピューターセンター、公立図書館など様々であり、自治体間の協力はかなりの事例がある
とされている。( Municipalities In Dutch Public Administration より)
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第3節以降の地方公共団体の果たす役割の部分とも関係するが、近年、エスニック・マ
イノリティの統合化政策に関する権限は、中央政府から、地方公共団体をはじめとした各
種組織(民間団体を含む)に分散されていく傾向にある。
第3節地方自治体等の役割
エスニック・マイノリティの統合化政策の推進にあたり、地方自治体は重要な役割を果
たす存在となっている。19 9 4年に出されたエスニック・マイノリティの統合化政策に
関する資料では、社会の全ての構成員が自らの発展に責任を持つこと、これまで中央政府
が持っていた権限•責務を地方自治体をはじめとする他の組織に分散させていくことが強
調されている。
エスニック・マイノリティ統合化政策に係る責任分担に関して、中央政府は、政策の解
釈・履行の責任の多くは、地方自治体が負うものと考えている。自らが果たすべき役割に
ついては、地方自治体に対する支援の他、①法令、政府組織の修正と調整、②利用可能な
資源(財源)の公正な分配と効果的使用、③政策効果を評価する手法と基準の設定等であ
り、そのような役割を果たす中で生じた問題を解決していくことにあるとしている。
このような中央政府の考え方を受け、現実にオランダの地方自治体は、教育、雇用、住
居等の各分野で、エスニック・マイノリティ統合化政策推進のための不可欠な存在となっ
ている。
中央政府と地方自治体が協力したエスニック・マイノリティ統合化政策推進に関して、
最近様々な方策が採られ始めている。1例を挙げれば、福祉・保健•文化省などの担当領
域において採用された政策手法は、4つの主要都市注”と協力して政策を遂行することで
あった。
この政策手法は、3つの基本的部分から構成されている。それは、問題の分析、問題を
処理する方法を開発すること、用いた政策手法の再評価である。このような政策手法の創
設は、各省庁に一定期間、そのようなプロジェクトを採用した都市に援助を与えることを
認めるものとなっている。ここで言う援助とは、本質的なもの(知識や技術などの移転等)、
あるいは行政的なもの(財政的支援など)のいずれかである。
それぞれの都市ごとに一つのテーマが選択され、各省は4年間にわたり、それぞれの都
市で利用可能な、合計2 0 0万NLGの援助をすることとなっている注22。合意事項につ
いては、最近、大臣と関係する地方議会の間で署名がなされている。
注”アムステルダム、ハーグ、ロッテルダム、ユトレヒトの4都市。
・ ロッテルダムでは「就学前の準備」というテーマのプロジェクトも遂行しており、
教育•科学省が、期間中、合計2 5 0万NLGの援助を行うことに同意している。』
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