イギリス海軍の将来型空母建造計画(Carrier Vessel Future programme、CVF計画)の提案競争をタレス社の設計案が勝ち残った。自国用では原子力空母の一部電源保守管理業務と原潜関連受注が多く、水上戦闘艦としてはフランス海軍(ミストラル級)用とロシア海軍用(ロシア向けミストラル級売却問題で後にエジプト向けに振り分けされた強襲揚陸艦)の艦艇にも、21世紀以降ドイツやオランダの国防体制合法企業であるDCNSなどとも緊密に連携した国際共同開発製品が多く、西側全体ではボフォース社及びレイセオン社系列企業やロッキード・マーティンと共に、NATOの集団的国防体制構築に大きく携わっている)
イギリス空軍の将来型戦略空中給油機(Future Strategic Tanker Aircraft、FSTA)の計画でもコンソーシアム内の1社として入札に勝ち残った。
タレスUK社はイギリス陸軍の無人航空機(UAV)「ウォッチキーパー」計画を勝ち取った。
タレス社はSWARM(Stabilised Weapon And Reconnaissance Mount)遠隔操作ステーションを製作した。
タレス社はDCNS(Direction des Constructions Navales Services)社と共同でフランス海軍の多数の艦船を設計した。
主な株主
(2014年現在)
フランス政府: 26.4%
ダッソー・グループ(Dassault Group): 25.3%
歴史
タレス社の前身である「Thomson-CSF」は1893年設立の「Compagnie Française Thomson-Houston社」(CFTH)から発展してきた。厳密には、Thomson-CSF社は1968年にCFTH社から名前が変更された「Thomson-Brandt社」が電気部門に「Compagnie Générale de Télégraphie Sans Fil」(CSF)社を合併した時に生まれた。
参考:Belgium flirts with joining FCAS fighter program 参考:La Défense belge va déjà préparer l’après-F-35 参考:L’INDUSTRIE BELGE VEUT PARTICIPER À UN AVION DE 6E GÉNÉRATION
F-104、F-100、F-5の後継機を探していたNATO加盟国のベルギー、デンマーク、オランダ、ノルウェーは交渉立場を強化するためMultinational Fighter Program Group=多国籍戦闘機機プログラムグループ(MFPG)を結成、最終的にMFPGはF-16採用と引き換えに「ライセンス生産」や「整備事業」を獲得することに成功、4ヶ国の中で最も多くF-16を導入(116機)したベルギーの航空産業界は同機の製造・維持で大きな利益を獲得した。
独航空産業界の関係者は米ディフェンスメディアに「ベルギーは未来戦闘航空システム(Future Combat Air System=FCAS)プログラムの関係者と接触し、当面は正式加盟ではなくオブザーバー資格でプログラムに関与できないか協議している」と明かしており、これはダッソーがベルギーの参加を快く思っていないからだ。
ペンタゴン・ペーパーズ Pentagon Papers PentagonPapers.jpg 原題 「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」 “History of U.S. Decision-Making Process on Viet Nam Policy, 1945-1968” 作成日 1971年
正式名称は “History of U.S. Decision-Making Process on Viet Nam Policy, 1945-1968” 「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」である。ベトナム戦争からの撤退を公約して、アメリカ合衆国大統領に選出されたリチャード・ニクソン政権下の1971年に作成された報告書は、47巻構成(資料を含め約100万語)で、フランクリン・ルーズベルト大統領時代、つまりフランス領インドシナ時代に始まり、フランスのベトナム撤退以降に、ベトナム戦争を拡大させたジョン・F・ケネディとリンドン・B・ジョンソンの両大統領政権下で、アメリカ合衆国のインドシナへの政策と「トンキン湾事件」などの連邦政府による秘密工作を網羅している。
エルズバーグとルッソは窃盗、情報漏洩などの罪で起訴されたが、後にホワイトハウスの情報工作を担当した「鉛管工(プラマー)」チーム(en:White House Plumbers)が信用を失墜させる目的で、エルズバーグのかかっていたロサンゼルスの精神科医ルイス・フィールディングの事務所に侵入し、カルテを盗もうとした事が、ウォーターゲート事件の余波として判明し、「政府の不正」があったとして裁判は却下された。
1971年6月13日、ペンタゴン・ペーパーズの暴露によって、沖縄にある米軍基地「知念補給地区」(キャンプ知念) が、実際には陸軍基地にカバーされた CIA 拠点であることが明らかにされ、大きな政治問題となった。それによると、キャンプ知念は、CIA によって「沖縄ステーション」とよばれており、それが極東における不正規戦争での任務に全面的に使用可能な、自己完結型の制限区域であることを説明している[4]。
沖縄ステーションはそれ自体が準軍事的支援資産であり、極東における不正規戦争 (UW) 活動の広範囲における支援が要請される危機的状況では、その基地全体としてこの任務にあてることが可能である。キャンプ知念に位置し、米陸軍基地の表向きのもとで、武器や爆発物から医療や衣類に至るまで、あらゆる兵站物資の貯蔵、試験、包装、調達、配達に必要なすべてのタイプの施設を備えた自己完結型基地で構成されている。それは制御された領域であるため、単独個体や小グループだけでなく、小グループ訓練での秘密情報作戦の対象物を見事に収容することができる。
— The Pentagon Papers "The Strategic Hamlet Program, 1961-1963"
その年の9月28日、また同じく沖縄県読谷村残波岬の米軍基地瀬名波通信施設(ボーロー・ポイント)にある CIA 管轄の通信傍受局 FBIS が「沖縄タイムスが沖縄のCIA基地を暴露」と本国に送信した[5]。1974年に返還され、現在、公園、福祉施設、体育センター、ゴルフ場(琉球ゴルフ倶楽部)として利用されている。
「知念補給地区」も参照
参考文献
「The Pentagon Papers」 Bantam Books. As published in The New York Times. 1971 ISBN 0552649171
「The Pentagon Papers: The Defense Department History of United States Decisionmaking on Vietnam "Senator Gravel Edition"」全5巻 Boston: Beacon Press. 1971-1972. ISBN 0-8070-0526-6 & ISBN 0-8070-0522-3.
朝日ジャーナル臨時増刊2冊(後にサイマル出版から)として邦訳[要検証 – ノート]
『朝日ジャーナル』「全訳 米国防総省 秘密報告書」朝日新聞社、13巻25号1971年7月9日[6]・13巻30号1971年8月10日[7]
ニューヨーク・タイムス編 杉辺利英訳『ベトナム秘密報告:米国防総省の汚ない戦争の告白録』上・下、サイマル出版会、1972年[8]
「ベスト&ブライテスト」 デイヴィッド・ハルバースタム サイマル出版会 1976年[要検証 – ノート]
「ブレザレン」ボブ・ウッドワード、スコット・アームストロング TBSブリタニカ 1981年[要検証 – ノート]
「メディアの権力」デイヴィッド・ハルバースタム 朝日新聞社 1999年[要検証 – ノート]
「輝ける嘘」ニール・シーハン 集英社 1992年[要検証 – ノート]
「マクナマラ回顧録」共同通信 1997年[要検証 – ノート]
「戦略の本質」野中郁次郎他 日本経済新聞 2005年 ISBN 4-532-16529-6[要検証 – ノート]
「The Secret Team: The CIA and Its Allies in Control of the United States and the World」フレッチャー・プラウティ 1973年 ISBN 0-13-798173-2
脚注
[脚注の使い方]
^ “After 40 Years, Pentagon Papers Declassified In Full” (英語). NPR.org 2022年2月28日閲覧。
^ “ベトナム介入 舞台裏報告 米秘密文書を公開” (日本語). 東京新聞. (2011年1月1日) 2011年1月1日閲覧。
^ “ペンタゴン・ペーパーズ全文公開=ベトナム戦争の機密報告書-米”. 時事通信. (2011年6月14日) 2011年6月14日閲覧。
^ The Pentagon Papers, Vol. 2, Chapter 2, "The Strategic Hamlet Program"
^ 報告書は2009年4月29年にCIAが情報公開法に基づき開示。FOIA: Okinawa Times Article Reveals CIA Island Base PDF
^ “米国防総省秘密報告書(特集)”. 国立国会図書館. 2018年3月24日閲覧。
^ “米国防総省秘密報告書--ニューヨーク・タイムス特約,ベトナム介入の真実-完-”. 国立国会図書館. 2018年3月24日閲覧。
^ “ベトナム秘密報告:米国防総省の汚ない戦争の告白録 ニューヨーク・タイムス 編,杉辺利英 訳”. 国立国会図書館. 2018年3月24日閲覧。
コルビーはフランク・チャーチ上院議員が委員長を務める「情報活動に関する政府による作戦を調査する特別委員会」でCIAの秘密工作について証言、かつての仲間を慌てさせた。議会の公聴会では「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」とも証言している。(Tom O’Neill, “Chaos,” William Heinemann, 2019)
1968年3月にミ・ライ(ソンミ村)で村民が虐殺される事件が引き起こされているが、これもフェニックス・プログラムの一環だった。(Douglas Valentine, “The Phoenix Program,” William Morrow, 1990)この年の7月に少佐だったコリン・パウエルがベトナムへ入り、第23歩兵師団に配属されている。彼自身、事件後に現場を訪れて衝撃を受けたと2004年5月4日に放送されたCNNのラリー・キング・ライブで語っている。ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官に就任したあのパウエルだ。