プリゴジン氏の造反事件は、構造的にナチス・ドイツに似ている。

プリゴジン氏の造反事件は、構造的にナチス・ドイツに似ている。
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/31844481.html

『さて、プリゴジン氏の造反事件は、終わってみれば一日で決着が付き、突然に本人がモスクワ進撃を停止させるという結末を迎えました。これは、外から見ると、何かしらの裏切りにあった人物の行動に見えます。それまで、本人が出演して投稿した動画の内容を見ても、国防軍批判が芝居や冗談とは見えず、深刻な対立と、恐らくは明確な算段があって起こした内乱と思われるからです。外から見ると、ハシゴを外された人間の行動に見えますよね。

ただ、これによって、「プリゴジン氏の功績を考慮して、処罰しない」と公式に発表している処遇ですが、プーチン政権が存続している限り、必ず殺されます。それが事件として表に出てくるかどうかは別にして、何年かけてでも必ず殺します。これは、断言できます。彼が造反した事で、ロシア国内のスッカスカの防衛体制、実戦での国防軍の弱さ、最終的に処断する事ができず、免責と引き換えに、モスクワ進撃を止めてもらったプーチン氏の弱腰。独裁者として作り上げたイメージが虚構である事が、バレてしまいました。彼が権力の座から追われたならともかく、続投しているので、プリゴジン氏は自分の死刑執行書にサインをした事になります。これを、許せるなら、そもそも独裁者ではありません。
彼に決起を決断させ、迅速に意思が挫かれたのが、何によるものなのか、真実は表に出てこないでしょう。ロシア国内で手引した人物がいるはずです。反プーチンなのかも知れないし、反国防省なのかも知れないし、歴史の闇に埋もれてしまう気がします。国家反逆を企てた人間を、過去の功績を理由にして、許すなんて事が成立するはずがありません。この表面的な、空々しい取引も、どう考えてもおかしい。

プーチン氏の私兵とも言えるワグナーと、国防省という軍事力の二重構造を見ていて、似ているなぁと思ったのは、ナチス・ドイツのSSと国防軍の関係です。あれも、戦場で戦う国軍とは別に、ある程度の軍事的な行動が可能な、軍隊とは、まったく別系統の指揮に属する集団でした。お互いに毛嫌いしていたのも同じです。戦争という生命を賭けた闘争をしている中で、指揮系統が別なのですから、仲良くなれるわけが無いのです。主に占領地の制圧という、拷問や抵抗者の拘束という、どちらかと言うと汚れ仕事を引き受けていたのも、ワグナーと似ています。何よりも、SSはヒトラーの権力を維持する為に存在した、公に設置された私兵部隊だったという事です。ワグナーは民間軍事会社で、傭兵ですが、国軍以上に戦闘で活躍しているので、もはや存在感としては、国の機関の一部とみなされるべきでしょう。

結局、独裁者は、自国の軍隊を信用出来ないのです。自分の政権を超法規的な方法で、打倒できるのは、自国の軍隊です。独裁者は、憲法を変え、裁判官を罷免し、議会を停止させて、自身の権力を守る事ができますが、1つだけ例外があります。自国の軍隊が反旗を翻した場合、権力を捨てて逃げるしか無いという事です。そして、二度と表舞台に出てこれなくなります。その為、自身の意向を軍事活動に反映し、国軍と対立して牽制する私兵を置かざるをえない。それが、公式に政府の機関としてあるか、否かの違いだけで、これは独裁者が必ずやる事です。独裁者と言えど、その権力を守るのは、あくまでも政治的な国家体制であって、軍隊という制度によって統制されている剥き身の暴力が自身に牙を剥いた時には、ただひたすら逃げるしかないのです。逃げれなかったら、ルーマニアの独裁者だったチャウシェスク氏や、イラクのフセイン氏のように、国内で裁かれて殺されるしかありません。

それゆえ、独裁者個人の命令で動く準軍隊を必ず持っています。何なら、少年兵時代から、目にかけて優遇し、彼個人に対して忠誠を誓う私兵集団です。というのは、若年者というのは、やはり洗脳しやすいのです。しかも、若さゆえに情熱的で打算がありません。利用するなら若者というのは、どの独裁者でも、やっている事です。毛沢東は、文化大革命で紅衛兵と呼ばれる学生を焚き付けて、内乱を起こしましたし、それを習う習近平氏は、授業で習近平思想を学ぶ事を必修とし、まもなく大学の試験でも、思想テストみたいな課目が設けられます。もちろん、ここで反政権的な事を書けば、いかに優秀な成績でも落とされます。ヒトラーは、少年兵部隊のヒトラー・ユーゲントを組織しました。そこでの勲章と自分の命を天秤にかけられる価値観の人間を育て、私兵として利用する為です。

戦時下でなければ、若者に思想教育をするだけで済みますが、戦争が起きれば、真っ先に軍事訓練の対象者となり、命を知らない鉄砲玉として戦場で消費されます。一度、勲章なんぞを授与されれば、頬を紅潮させて、孫の代まで自慢し、独裁者の偉業を称えるような思想的なファンを養成するのが、目的です。そういう滅私奉公する暴力装置を身近に置かないと、独裁者は安心できない。それは、プーチン大統領も同じという事です。

そうすると、そういう立場の人間が自分に弓を引いた場合の処遇は、自ずから決まってきます。「許されるはずがない」のです。今は、国軍がウクライナ侵攻に出払っていて、自分を守る盾が無いので、「許るす、許さない」の話になっていますが、権力が守られれば、必ず殺害という方法で、プリゴジン氏は排除されます。駒は独裁者の意図通りに動くから価値があるのであって、自分で考え始めた駒は、もう駒として使えないという事です。今回の件で、ワグナーの構成員も、全て無罪放免とされていますが、恐らく既にFSB辺りが、人質の意味も含めて、彼らの家族の拘束と、実家の捜索など、立件して処罰する為の処置は行われているはずです。

こういう行為は、外目には愚かに見えますが、大衆を支配するという意味では、実に有効です。今でも、愛国無罪みたいな超法規的な権威として中国で利用されているのは、赤い表紙の手帳のような本である「毛沢東語録」です。かつて、紅衛兵と呼ばれた青年達は、この本を翳して、毛沢東の権威を後ろだてとして、国内で無法な暴力行為を繰り返しました。この本を翳して、「革命」と口にしていれば、資本家や教養人と目された人物をリンチにかけて、場合によっては殺しても処罰されなかったのです。普通ならば、このような忌まわしい行為の先導になった書物は、忌避されると思いますが、「毛沢東語録」は、今でも政府に抗議活動をする時に、人々が翳すアイテムです。恐らく、その中身を1ページでも読んだ人は少数でしょうが、取締に来た武装警察に翳して抗議する事が、今でも行われています。

つまり、「お天道様は見ている」みたいな効果を期待して、武力で対抗できない相手に対して、盾にしているのです。一度、確立した権威というのは、このように利用しがいのあるもので、そこに理屈はありません。地方に行くと、毛沢東を神として祀る施設もあります。今でも、大躍進政策で数千万の餓死者を出し、文化大革命で国内の分断を利用して、権力を維持した毛沢東を、彼ではなく、彼を取り巻く官僚たちが悪かったと考える人は、そこそこの数がいます。思想教育とは、このように強固な価値を社会に植え付けてしまうのです。』