日常言語から見た民族の多様性

日常言語から見た民族の多様性
https://honkawa2.sakura.ne.jp/9456.html

 ※ こういう問題に、「話し言葉」「書き言葉」の問題(両者は、国によっては、必ずしも一致しない)も、加わるからな…。

 ※ よく統計で出てくる「識字率」も、その国の「言語状況」抜きには、あまり意味のないデータとなる…。

 ※ 日本で「識者」が語る「話せばわかる。」なんてのは、全く噴飯ものの話しだ…。
 ※ 国内ですら、喋ってる言語が違うわけだからな…。

 ※ 当然、人は「言語」で「思考」するから、「思考形態」すら違ってくる…。

『日本は単一民族国家であるといわれることがあり、その場合のひとつの証拠として言語が日本語で統一されている点があげられる。歴史を遡ると必ずしも単一ではなく、また現在でもアイヌ民族や特別永住資格をもつ在日外国人など外国人も多く住んでいるので単一民族ではないといえるが、現在日本語で統一されている点でそう言うのであればかなり当てはまるといえよう。

 それでは他の国と比較して、単一言語で統一されているのは珍しいことなのかを調べるために、ISSPという国際共同調査の結果から日常言語の比率を国際比較した図録を作成した。

 「ISSP(International Social Survey Program)」は毎年異なるテーマで共通の調査票を用いたアンケート調査を各国の大学・研究機関が共同して行っている国際プロジェクトである。各国とも1000~2000程度のサンプルで、全国的に片寄らないように調査対象を抽出するよう工夫されている。日本ではNHK放送文化研究所が調査担当機関となっている。同様の調査に「世界価値観調査」があるが、こちらは、5年おきの参加国数がより多い国際共同調査であり、テーマを限定しない総合的な設問で行われている点が異なる。

 日常言語を聞いている設問は、34カ国が参加した2003年調査の中でも設問を設けた国が限定されており、21カ国のみで比較可能であった。

   結果は日本、台湾、韓国では同一言語を日常言語とする者が100%であった(台湾の言語については末尾コラム参照)。全国から無作為に(ランダムに)1000~2000人を選んで聞いてみても1人も主要言語以外を主たる日常言語としては使っていなかった訳である。

   ただし、広東語、客家語、標準語(官話)を同じ中国語として集計した結果であり、実は、いくつの言語で会話できるかという別の年のISSP調査の設問では台湾は複数言語会話者が世界の中でも最も多い-図録<A href="9454.html">9454</A>参照)。

 逆に、主要言語の比率が最も小さかったのは、南アフリカであり、アフリカーンス語を日常使っている者の比率は26.5%と3割以下だった(南アフリカの言語事情については末尾コラムを参照)。

 次はラトビアであり、主たる言語ラトビア語は37.2%、第3位はイスラエルであり主たる言語ヘブライ語は37.9%となっている。

 カナダとスイスも多言語国家として知られており、カナダの首位言語英語の比率は69.1%、スイスの首位言語ドイツの比率は71.5%である。

 しかし、多民族国家として典型的なロシアと米国は、首位言語の比率が高い。ロシアではロシア語が96.6%、米国では英語が95.9%と圧倒的である。もし言語使用からだけ判断するとこの2国はほぼ単一民族国家ということになる。

   ISSPの同調査では、回答者の人種・民族も調査している。以下にいくつかの国で言語比率と人種・民族比率を比較した表を掲げた。』

『ロシアのタタール人やアルメニア人などは自民族語というよりロシア語を話すようになっているのである。また、良く知られていることであるが、米国の黒人は英語を話している。

 チェコとスロバキアは今ではほぼ単一言語の国であるが1992年まではチェコスロバキアという国で多言語国家だった。

   末尾のコラムでも見ている通り、南アフリカやシンガポールなど、多民族国家でも、あるいは多民族国家であるが故に、外来語・国際語である英語に統一されつつある国もある。

日本語も、もとはといえば、古代国家としての自立・統合過程の中で、当時の多民族混在状況のなかから、当時の共通語である中国語をもとに在来言語を加味して人工的に作られた言語であるとする岡田英弘の説がある(「倭国―東アジア世界の中で」中公新書、1977年、「日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った」弓立社、1994年、など)。

 図録作成の私の意図は日本を例外として世界には多言語国家がいかに多いかを示そうとしたのであるが、実際は、むしろ意外に言語は単一性が高い状況が示された結果に終わったという印象である。日常言語から見た民族の多様性は案外小さいのだ。

 なお、スイスは多言語国家であるが、民族としてはスイス人と自らを考えていることが興味深い。

   以下に、5位までの言語比率(図録原データ)と南アフリカの6位以下を含む言語比率の表を掲げておく。』

『【コラム1】南アフリカの言語状況

1996年憲法の下では南アフリカ(南ア)の11の公用語は「平等と見なされ、公平に扱われねばならない」とされている。実際は、国民の8%しか母国語としていない英語がますます他の言語に対して支配的になりつつある。政府がくり返し在来の言語と文化を振興し保護すると約束しているのもかかわらず、英語の圧倒によって、南ア人の80%が母国語としているアフリカ系諸言語の長期的な存続が危ぶまれている。

               アパルトヘイト時代には英語とアフリカーンス語の2つの公用語だけだった。アフリカーンス語はオランダ語をもとにフランス語、ドイツ語、コイサン語(いわゆるブッシュマンとホッテントットの言葉)、マレー語、ポルトガル語の要素が加わって出来た言葉である。植民地時代以前からのアフリカ系の諸言語は都市の黒人居住区と部族のホームランドに限られた存在だった。そこですら、住民の母国語に優先して英語が教育の手段として選ばれるのが普通だった。南ア黒人は、主たる抑圧者の言語としてアフリカーンス語を拒絶するようになった。英語が進歩と権威の象徴となっていた。

               今日、黒人多数派支配がはじまって16年たつが、英語が超越的な存在になっている。ビジネス、金融、科学、インターネットの手段としてだけでなく、政府、教育、放送、新聞、広告、道路標識、消費財、音楽産業のメディアとなっているのである。そうした手段としてアフリカーンス語は時に使用される(特に西ケープ州で)が、アフリカ系の言語は決して使われない。ズールー語を話す南アのジェイコブ・ズマ大統領すべての演説を英語で行っている。議会の討議も英語である。市販薬のラベルの処方も英語かアフリカーンス語でしか記されていない。

               しかし、ほとんどの南ア黒人は英語に堪能とはいえない。これは学校で英語で教える先生たちが自分の言語で教えているわけではないからである。英語を喋らない子どもたちを助けるために、政府は昨年、少なくとも小学校低学年の3カ年間はすべての生徒が母国語で教わることを義務づけることにした。しかし、ひとつの言語が支配的とはいえない農村地域以外では、この対策は財政的にも物理的にも可能とはいえない。                 
               公用語をもっと扱いやすくするため3つにまで減らそうと主張する者もいる。3つとは、英語とアフリカーンス語と南アの4分の1が母国語としているズールー語である。しかし、ズールー語以外の者が反対している。農村地帯で育ったのでもない限り、アフリカ系の言語を話せる白人はめったにいない。卒業試験では少なくとも2言語に通じていることが求められる。しかし生まれつき英語を話すほとんどの者は、便利だが難しいアフリカ系言語より、学ぶのが優しいアフリカーンス語を選びがちである。大学ではアフリカ言語学科は閉鎖されつつある。

               こうしたどうしようもない凋落傾向からアフリカ言語を守ろうとする取り組みもなされつつある。南アで最も販売部数の多い週末紙であるサンデータイムズは最近ズールー語版をはじめた。9月には、オクスフォード大学出版が40年以上かかって、はじめての英・ズールー語辞書を発行した。

               多くの黒人エリートは、自分の子どもたちを英語を話す私立学校か以前の州立学校に通わせており、英語を唯一の国民言語として受け入れる可能性が高い。多くは、家庭でも子どもと英語で話している。シェークスピアの言葉に流ちょうなのが近代的であり、洗練され、力があるしるしなのである。

               南アの黒人言語は、150年前にインド人の入植者たちが持ち込んだ6つの言語の運命を辿るのであろうか。そうなるだろうと、ケープタウン大学のRajend
              Mesthrieは考えている。最初の100年かそこらは南アのインド人は自分達の子どもに母国語で教え、母国語で話していた。しかし、いまやだんだんと英語が「前進のための最も良い方法」と見なされるようになった、と彼はいう。

この記事が掲載していた南アフリカの言語比率の図と同じものを次に掲げる(The
Economistの図ではツワナ語とソト語が逆になっているが間違いであろう)。
 この「2001年センサス結果」と図録で掲げた「ISSP調査結果」の数値とでは、後者の方がアフリカーンス語や英語の比率が多く、アフリカ諸語の比率が小さいという違いがある。こうした異同は、前者が「母語」を調査してい。』

『【コラム2】ベルギーの言語

フランス、オランダ、ドイツに囲まれたベルギーは、オランダ語のフラマン地区とフランス語のワロン地区にほぼ二分され、言語戦争ともよばれる対立が続いたため、1993年から連邦制に移行した。

         歴史的にも名高い港湾都市のアントワープは、英語名に由来する都市名であり、現地のオランダ語ではアントウェルペン、フランス語ではアンベルスと呼ばれる。           
         オランダ語地域とフランス語地域では平均寿命もかなり異なるなど地域差が大きい。』

『【コラム3】台湾、シンガポールの言語

台湾は中国語100%といっても単純ではない。

中国語の方言は実は別言語のようなものであり相互に通じあうとは限らないのである。中国の標準的な中国語は、「国語」と呼ばれ、中国の近代化の中で、北方の中国語をもとにした標準的な書き言葉、およびそれをもとにした話し言葉である。中華民国成立の頃には確立していた。

(注)2017年ISSP調査の「あなたは会話ができるくらい話せる言語がいくつありますか」という問への答えでは、この点が明確にあらわれている。台湾人で「1言語」と回答した比率は世界最少の10%だったのである(図録9454参照)。


 「台湾に行われている公用語は標準的な中国語だが、それが普及したのは戦後のことなので、日常生活にはまだ、いわゆる台湾語の用いられていることが多い。

台湾語というと、ふつうには中華民国政府の入ってくる以前から漢人の間に行われていた言語の中でも、主流をなす福建語系の方言を指す。

(中略)台湾の漢人の言語には、このほか戦前には「広東語」という紛らわしい名称で呼ばれてきた客家語がある。

(中略)いずれにしても、いわゆる「国語」とはかなり違い、外国語のようにきこえる。
漢人が入って来る前からあった土着民の言語、いわゆる高砂(たかさご)語は、いまでは高山(カオシャン)語とよばれている。

マライ・ポリネシア系の言語で、中国語とはまったく別系統の言語である」(橋本萬太郎編著「世界の中の日本文字―その優れたシステムとはたらき」弘文堂、1980年)。

         日本統治下の特色ある台北市の街区である大稻<font>埕</font>における画家たちの青春を題材にした「ダーダオチェンの夢」というドラマでは、台湾人同士でも客家語が通じないケースや日本の敗戦後、国民党軍の支配下に入り、それまでの日本語に代わって中国語をマスターしなければならなくなった台湾人の状況が描かれていた。

         シンガポールは中国人が80%である(マレー系が10数%、インド系が1割弱)。

もともとはシンガポールの中国人は各地の方言を話していた。

母国語は「みんな福建語かカントン語か海南語か客家(はっか)語か潮州語(福建語の一種)である。それが現実である。

だから共通語としてペキン語(われわれのいう「中国語」)が採用できる。だれのことばでもないから」(岡田英弘(橋本萬太郎編1980))。

こうした中国系の人々が通い、中国語(ペキン語)で教えられていた南洋大学が英語に切り替わり、さらにシンガポール大学に統合されたという。

共通語としての中国語が共通語としての英語にシフトしているのである。公用語は英語、マレー語、標準中国語、タミル語であるが、南アフリカに先行して英語が支配的となっている。』