中東秩序のニューノーマル 「アラブの春」前に回帰

中東秩序のニューノーマル 「アラブの春」前に回帰
客員編集委員 脇祐三
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD155SS0V10C23A6000000/

『中東の政治秩序が、ほぼ「アラブの春」の前に戻った。民主化を弾圧したシリアはアラブ連盟に復帰し、民主化を進めたチュニジアは独裁に回帰する。サウジアラビアはイランとの断交を解消し、トルコでは長期政権がさらに続く。いずれも米国が望む展開ではない。人権重視などバイデン政権の外交は中東では歓迎されず、影響力回復をめざしたブリンケン国務長官のサウジ訪問も両者の隔たりを示した。

5月19日、サウジのジッダで開催したアラブ連盟首脳会議にシリアのアサド大統領が出席した。「アラブの春」で噴き出した反政府運動と政権側の弾圧が内戦に発展し、アラブ連盟がシリアの参加資格を停止してからおよそ11年半。米政府は「アサド政権と関係を正常化することはないし、他国がそうすることも支持しない」(パテル国務省副報道官)と強調した。しかし、今の中東の国々は米国の意思に縛られることはない。首脳会議でアサド大統領は「外国の介入が最小限の中で、地域の問題を整理し直す好機だ」と語った。

サウジ、カタール、トルコなどは内戦でシリアの反政府勢力を個別に支援していた。民主化のためではない。アサド政権が崩壊する事態も視野に入れ、シリアにおける自国の影響力を拡大しようと考えたからだ。しかし、15年のロシアの軍事介入によって状況は決定的に変わった。倒れる可能性がなくなったアサド政権と絶交を続けても得るものはない。むしろ、関係を修復して政権とロシアに貸しをつくり、シリアに対するイランの影響力を抑え、内戦後の政治プロセスや復興プロセスに自国が関与できるようにすることが重要だ。
反政府勢力に深く関与していなかったアラブ首長国連邦(UAE)が真っ先にシリアとの関係修復の流れをつくった。サウジもその流れに乗った。カタールはシリアの政権と国民の和解が先決との建前を保ちつつ、「アラブ諸国の合意は妨げない」としてシリアのアラブ連盟復帰を容認した。エジプトのシシ大統領は以前から「過激派の活動を抑え込むために、シリアの政権のガバナンス再確立が必要」という立場だ。

経済優先で湾岸のデタント

サウジにとってもシリアとの関係修復は安全保障の面で重要なテーマだった。自国の南に位置するイエメンの内戦では、イランの支援を受ける武装組織フーシ派が広い地域の実効支配を続け、サウジ国内への攻撃を繰り返す。自国の北に位置するシリアでは、内戦が続いている間にイランの革命防衛隊や、その影響下にあるレバノンのシーア派民兵組織ヒズボラが拠点を広げていた。イラン系の勢力に挟まれているような状況からの脱却がサウジの課題であった。

サウジはイエメンでは泥沼化した軍事介入の出口を探り、シリアとは関係を正常化する。16年に断交したイランとの関係を、中国の仲介で正常化したのは、対シリア、対イエメンを含めた安全保障環境の改善につながり得るからだ。そして2国間の対立・緊張を和らげることは湾岸地域全体の投資環境、ビジネス環境の改善にもつながる。

23年3月のサウジ・イラン関係の正常化に先立ち、21年1月にはサウジ、UAE、バーレーン、エジプトの4カ国が17年に断交したカタールとの関係正常化で合意した。「ガルフのデタント(湾岸地域の緊張緩和)」と呼ばれる歩み寄りの重要な契機になったのは、コロナ禍と原油価格暴落が重なった20年の経済危機だ。20年にUAEやバーレーンがイスラエルと外交関係を結んだ背景にも自国の経済を活性化する狙いがあった。経済的利益を優先する大きな流れは続く。

21年には、当時のイラクの政権の仲介でサウジとイランの2国間の交渉が始まり、今回の正常化につながっていく。いったんは大きく変わったように見えて、結局、元のさやに収まったような中東の政治地図。その背景にあるのは、経済と安全保障の実利を優先する流れである。

「アラブの春」で最初に独裁政権を倒し、14年にアラブの中で最も民主的で権力の分散に力点を置いた憲法を制定したチュニジアの政治も、コロナ禍の観光産業などへの打撃、若年層の失業率上昇、食料・エネルギー価格高騰の中で大きく旋回した。22年7月の国民投票で承認された新憲法は大統領に強大な権力を付与する内容で、サイード大統領による新たな独裁の道を開いた。22年に解散された議会で議長を務めていた最大政党アンナハダのガンヌーシ党首は23年4月に逮捕され、5月に実刑判決を受けた。

産油国の資金力が政治資本に

欧米が批判するチュニジアの政治の逆戻りを、サウジやUAEは肯定する。議会の最大政党だったアンナハダは、エジプトで「アラブの春」後に生まれ13年夏に倒されたモルシ政権と同じく、イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」を基盤とする。エジプトの13年政変の背後には、同胞団のような組織の影響力拡大を警戒するサウジやUAEの指導者の声もあった。チュニジアの政治の旋回でも似たような構図が浮かび上がる。

21年の原油価格回復、22年の原油や天然ガスの価格急騰で、サウジ、UAE、カタールなどの資金繰りが好転し、これらの国々の対外援助の余力がよみがえった。各国はその資金力を周辺諸国への影響力を強める「政治資本」として使う。

エジプトをはじめとして、輸入に多くを頼る食料やエネルギーの価格高騰で外貨資金繰りが厳しくなった国は少なくない。各国政府は国際通貨基金(IMF)の支援を求めて交渉するが、融資の条件などをめぐって交渉には時間がかかる。それと比べると、有力産油国の首脳に頼んで、相手国の中央銀行や政府系ファンドから自国の中央銀行に数億ドル、数十億ドル単位の預金をしてもらうのは、話がはるかに早い。中東では最近、こういうやり方で自国の外貨準備を確保する「デポジット外交」が目立つ。

5月の大統領選挙で勝利したトルコのエルドアン大統領(6月12日)=AP

トルコのエルドアン政権は10年代にムスリム同胞団への対応などをめぐって関係が悪化したサウジ、UAEとの関係修復を進めた。その見返りとして、UAE側は対トルコ投資ファンドを設定、サウジの政府系基金はトルコ中銀に50億ドルの預金をした。サウジの預金について米国のシンクタンク、ワシントン近東政策研究所はサウジのジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏が18年にイスタンブールのサウジ総領事館内で殺害されたとみられる事件の裁判をトルコ側が棚上げする見返りと指摘している。

20年を超える長期政権の終わりが近いと、多くの西側メディアが報じたトルコのエルドアン大統領は結局、23年5月の大統領選で勝利した。その一因は外貨準備の枯渇を防ぐ助けになったアラブの有力産油国からの資金導入かもしれない。

アラブ政治の中心、サウジに

アラブ連盟へのシリア復帰の話を決めた外相会合は連盟の本部があるカイロで開いた。これに続く、アサド大統領自身が表舞台に復帰するアラブ連盟首脳会議はサウジで開催し、サウジのムハンマド皇太子が会議を仕切った。アラブ政治の中心がサウジに移ったという印象は強い。

バイデン政権も近年、ぎくしゃくしがちなサウジとの関係の立て直しに動く。ブリンケン国務長官が6月6〜8日の3日間、サウジを訪問したのは、中東における米国の影響力回復につなげるためだ。長官はムハンマド皇太子と1時間40分にわたり「オープンで率直な意見交換をした」という。双方が主張を譲らなかったことがうかがえるが、議題は何だったのか。米国側の説明によると、サウジとイスラエルの関係正常化を仲介する米国の努力、イエメンやスーダンなどの地域紛争、人権問題などが含まれていたという。

サウジアラビアのムハンマド皇太子㊨と会談するブリンケン米国務長官(7日、サウジ・ジッダ)=ロイター

トランプ前政権が仲介したUAEやバーレーンとイスラエルの正常化合意のような目立つ成果がバイデン政権の中東外交にはない。だから、サウジとイスラエルの正常化を重要な目標に位置付ける。これに対してサウジは「イスラエルとの正常化はパレスチナ問題の解決に向けイスラエルとパレスチナの合意ができた後」との原則論を変えない。皇太子の円滑な王位継承が優先事項であり、異論が出やすいイスラエルとの正常化を急ぐ必要はない、というのがサウジ側の本音であろう。

カショギ事件の責任問題もからむ「人権」の問題は最も微妙なテーマだ。6月8日の記者会見で、ブリンケン長官は「人権は常に米国のアジェンダである」と強調し、今回の訪問では「人権問題の進展が両国関係を強化することを明確にした」と説明した。これに対してサウジのファイサル外相は「われわれが何かをするのは、われわれの利益のためだ。プレッシャーが有用であるとは、だれも思わないので、われわれはそれを検討するつもりはない」と、人権問題に関する米国側の圧力をかわした。

このやり取りの中で、ブリンケン長官が言及する人権と両国関係強化の部分には注意が要る。米議会、特に上院を握る民主党に人権重視とサウジ批判の声が強いので、サウジ向けの武器売却などが議会の承認を得にくい。だから、人権問題への対応が必要と言っているのだろう。

案件ごとに相手を選ぶ中東諸国

サウジが求める原子力分野での協力でも米議会を納得させることが重要だ。米国の原子力関連技術の供与には相手国との原子力協力協定の締結が不可欠。その前提となる、独自のウラン濃縮や使用済み核燃料の再処理をしないという原則について「もしイランが核兵器を持てば、自国も核兵器を持つ」という立場のサウジは応じにくい事情がある。しかも、人権問題で進展が乏しいと米議会が協力協定を認めることはさらに難しくなる。

ブリンケン長官は「原発が欲しければ人権重視を」と働きかけたつもりだろうが、サウジ側からは「他にも協力を申し出ている国がある」という反応だったという。原子力分野での中国との協力の可能性を示唆したものとみられる。
中国の習近平主席㊧と握手するサウジのムハンマド皇太子(22年12月、リヤド)=ロイター

ムハンマド皇太子はブリンケン長官と会談した翌日にロシアのプーチン大統領とリモートで石油政策での連携継続などについて話し合った。バイデン政権へのある種の当てつけにも見える。ファイサル外相は中国やロシアとの連携について「米国との長年の安全保障に関するパートナーシップに対する脅威ではない」と強調する。

米国と中ロの双方から距離を置くのではなく、自国の利益を第一に考え、案件ごとにどちらとも連携する。「グローバルサウス」と総称されるようになった新興国・発展途上国の行動パターンはサウジにも他の中東諸国にも当てはまる。その変化に米国の政権のほうが追い付いていない。

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渡部恒雄
笹川平和財団 上席研究員
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別の視点

中東の秩序が、米国抜きに、域内のダイナミクスで形成されている事実は、米国にとってはプラスとマイナスの両面があります。

自国の影響力の低下とロシアや中国の影響力の上昇で、産油国が期待する原油の増産をしてくれないことはマイナスです。

一方で、かつての湾岸戦争、イラク戦争、イスラム国との戦いのように、大規模な軍事介入をせずにすみ、ウクライナ支援や対中対抗のインド太平洋での軍事力構築に集中できることはプラスです。

現在の米国の懸念は、中東での影響力の低下よりも、かつてのように中東に大規模な軍事力を投入しなくてはならないような事態が起こることと考えられます。それは日本にとっても深刻な事態です。

2023年6月19日 8:00 』