クロアチアの地理

クロアチアの地理
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『クロアチアの地理(クロアチアのちり)では、クロアチアの地理について述べる。

クロアチアの位置は中央と南東ヨーロッパの一部、あるいはバルカン半島の一部、ミッテルオイローパ(英語版)の一部と定義される。クロアチアの面積は56,594km2で、 世界で127番目の大きさである。東ではボスニア・ヘルツェゴビナとセルビアに、西ではスロベニアに、北ではハンガリーに、そして南ではアドリア海にそれぞれ接していて、大部分は、緯度において42°Nから47°Nまで、経度において13°Eから20°Eまでに含まれる。クロアチアの12海里の領海は18,981km2を占め、基線の内側にある内水面積は12,498km2である。

アドリア盆地に沿ったカルパチア盆地とディナル・アルプス山脈がクロアチアの地形の大部分を成していて、クロアチアの53.42%は海抜200m以下の低地で覆われている。低地の大部分は北部地方にあって、特にスラヴォニアに多く、カルパチア盆地の一部をなしている。平地には地塁や地溝が点在していて、鮮新世にパンノニア海の水面に島々として現れていたと考えられる。比較的高い標高での土壌の集積はディナル・アルプス山脈でのリカやゴランスカでみられるが、 高地はクロアチアの全地域である程度みられる。 ディナル・アルプス山脈には、クロアチアの最高峰である1,831mのディナラ山があって、この山のようにクロアチアの全ての1,500mより高いほかの山も含まれている。クロアチアのアドリア海に面する海岸線は1777.3kmと長く、1,246の島々とその他の小島が4,058kmにも及ぶ海岸線を取り巻いていて、これは地中海で最も入り組んだ海岸線である。カルスト地形がクロアチアの半分以上を占めていて、特にディナルアルプス山脈で顕著で、沿岸部や島でも同様である。

クロアチアの領地の62%は黒海起源の河川の流域で占められている。国内を流れる最も大きな川は以下の通り:ドナウ川、サヴァ川、ドラーヴァ川、ムール川、クパ川。遺跡がアドリア海起源の河川の流域にはあるが、最も大きな川はネレトヴァ川である。クロアチアの大部分はちょうどいい暑さと湿度であり、温帯気候としてケッペンの気候区分では分類される。月平均気温は-3°Cから18°Cである。クロアチアには、その気候と地形が織りなすヨーロッパ最大の生物多様性から、いくつかのエコリージョンがある。クロアチアには4つの生物地理学による地域の分類があって、海岸沿いの地中海とそれに接している後背地、リカや ゴランスカにあるアルプス山脈、ドラーヴァ川・ドナウ川にそったパンノニア海、そして、遺跡のある大陸性の地域である。クロアチアには444もの自然保護区があって、 総面積の8.5%を占めている。クロアチアでは37,000種もの生物が発見されているが、まだ見つかっていない種も含めれば、合計で50,000から100,000種に上ると推測されている。

2011年の国勢調査によれば、クロアチアの永住者人口は4.29百万人に達している。 人口密度は1平方キロメートルあたり75.8人で、国全体の平均寿命は75.7歳である。国内に住む人々の多くはクロアチア人(89.6%)で、他の少数派民族にはセルビア人(4.5%)とその他21の民族が(それぞれ1%未満)クロアチア国民として認められている。1992年に国が再建されてから、クロアチアは20もの県に分かれ、首都はザグレブである。県はさらに127もの都市と429の自治体に分かれている。クロアチアの平均都市圏人口率は56%で、今なお都市人口の増加と地方人口の減少は続いている。クロアチアの最大都市であり首都はザグレブであって、都市そのものの中の人口は686,568人で、都市圏人口は978,161人である。スプリトとリエカの人口は100,000人以上で、さらに5つの都市で人口が50,000人を超えている。』

『自然地理

地勢
「Category:クロアチアの地形」も参照

クロアチアの大部分は低地であって、記録上では国の53.42%が海抜200メートル (660 ft)以下である。多くの低地は国の北部地域、特にスラヴォニアに多く、パンノニア海の一部をなしている。海抜200 – 500メートル (660 – 1,640 ft)の場所はクロアチアの25.61%を占め、海抜500 and 1,000メートル (1,600 and 3,300 ft)の場所は17.11%を覆っている。さらに、大陸の3.71%が海抜1,000 – 1,500メートル (3,300 – 4,900 ft)であり、たった、0.15%しか海抜1,500メートル (4,900 ft)以上の場所はない。比較的標高の高い場所が最もよく集まっている場所は、ディナル・アルプス山脈のリカや ゴランスカといった地域で見られるが、そのような場所はクロアチア国内全域で、ある程度は見られる。アドリア盆地に沿ったカルパチア盆地とディナル・アルプス山脈は、クロアチアの主な地形となっている。[17]

(※ 以下、省略。)』

『人文地理学

人口動勢

Map with red spot in upper center reflecting Zagreb’s population density of over 1200 people per square kilometer
2011 Croatian 人口密度 (人/km2)
  <30 30-49 50-69 70-89 90-119 120-200 >1200
詳細は「クロアチアの人口動勢」を参照

クロアチアの人口統計学的特徴は、1850年代以降通常10年おきに実施され、様々な統計担当部局により分析が行われる国勢調査を通じて知ることができる。1990年代からはクロアチア統計局 (Croatian Bureau of Statistics) (英語版) が国勢調査を行っており、直近では2011年4月に実施された。その調査によると人口は429万人に達しており、1平方キロメートル辺りの人口密度は75.8人、出生時の平均余命 (平均寿命) は75.7歳だった。人口は1857年の210万人から着実に増加し(2度の世界大戦を除く) 、1991年にはピークの470万人に達した。1991年以降クロアチアの死亡率は継続して出生率を越えており、人口の自然増加率はマイナスである[36]。クロアチアは人口転換 (社会の近代化に伴い、人口の自然増加の形態が変化すること。) の第4または第5段階にある[37]。年齢構成に関しては15歳から64歳のグループが最も多い。平均年齢は41.4歳で、総人口の男女比は女性1に対して男性0.93である[6][38]。

民族による人口構成はほとんどがクロアチア人によって占められており(89.6%) 、その他クロアチア憲法 (Constitution of Croatia) (英語版) により認められたセルビア人 (4.5%) や21の少数民族 (それぞれ1%未満) がいる[6][39]。クロアチアの人口動勢の歴史には下記の重要な変動が刻まれている。すなわち、クロアチア人のこの地域への到着[40]、クロアチア王国 (Kingdom of Croatia、Croatia in the union with Hungary、1102年-1526年、ハンガリー王国支配下で自治が認められていた。) 以降のハンガリー語、ドイツ語話者の増加[41]、ハプスブルク君主国による併合[42]、オスマン帝国による征服[43][44][45]、ヴェネツィア共和国支配下でのイストリア半島、ダルマチア (クロアチアのアドリア海沿岸一帯の地域で、現在のクロアチア共和国の一部。) におけるイタリア語話者の増加[10]などである。オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後、ハンガリー人は減少し[46]、同時にドイツ語話者は第二次世界大戦終盤及び戦後にいなくなり[47]、イタリア人も同じ運命をたどった[48]。19世紀後半と20世紀には大規模な経済移民 (Economic migrant) (英語版) が見られた[49]。1940年代、1950年代のユーゴスラビアの人口動勢は国内での移動と共に都市化の影響を受けた。近年のもっとも大規模な異動はユーゴスラビア紛争の結果として発生した、数十万の移民流入である[50][51]。

クロアチア語が公用語であるが、憲法で認められた少数民族の言語もいくつかの地方自治体で公式に使われている[39][52]。クロアチア語は人口の96%に通用する[53]。2009年の調査では、78%のクロアチア人が少なくとも一つの外国語 (一番多いのは英語) の知識を必要としていることが明らかとなった[54]。クロアチアの最大の宗教はカトリック (86.3%) 、ついでギリシア正教 (4.4%) 、イスラム教 (1.5%) である[55]。クロアチアの識字率は98.1%である[3]。15歳以上で学位を取得した割合は2001年以降急速に増加し、2008年には倍増して16.7%に達した[56][57]。GDPの推定4.5%は教育費に使われている[3]。初等及び中等教育はクロアチア語と憲法で認められた少数民族の言語で受けることができる。クロアチアは2010年から国民皆保険制度を採っており、GDPの6.9%をあてている[58]。2011年の平均月収は5,397クーナ (729ユーロ)[59]。2008年に雇用者数が多かったのは卸売業、小売業、製造業、建設業であった。2011年の失業率は17.4%[60]。2004年、クロアチアの世帯所得の中央値は、EU平均値ながら、EU加盟10ヶ国の購買力平価を超えた[61]。2011年の国勢調査では150万世帯が記録され、そのほとんどが自宅を所有していた[6][38]。 』

『政治的地理
詳細は「クロアチアの地域区分」を参照
Division of Croatia into 3 sections, one coastal, one upper left, and one with the rest
クロアチアの地域統計分類単位 (NUTS):
  クロアチア北西部
  クロアチア中央部及び東部
   (パンノニア)
  アドリア海沿岸部

クロアチアは最初中世に「郡 (county) 」の単位により区分された[62]。 区分方法はオスマン帝国による領土の喪失やその領土の回復、さらにはダルマティア、ドゥブロヴニク、イストリアの政治的状況の変化を反映した。伝統的な「郡」による区分は1920年代に廃止され、セルビア、クロアチア、スロベニア王国 (Kingdom of Serbs, Croats and Slovenes) 次いでユーゴスラビア王国がオーブラスチ (Oblast、スラヴ系諸国に設置されている地方行政区分の呼称の1つ。日本語では「州」と訳されることが多い。)、バナヴィナ (banovina) による区分を導入した[63]。共産党支配によるクロアチアは、第2次世界大戦後ユーゴスラビアの一部として元々あった区分を廃止し、主に農村部において市制を導入して約100の自治体に区分した。「郡 (county) 」は1992年に法制化により再導入され、特に1920年代以前の区分に対応する形で変更された。例えば、1918年、クロアチアの「聖イシュトヴァーンの王冠の地 (Lands of the Crown of Saint Stephen) 」はビェロヴァル、ゴスピチ、オグリン、ポジェガ、ブコバル、ヴァラジュディン、オシエクとザグレブの8つの「郡」に分割され、1992年の法制化では同じ領域が14の「郡」に区分された。メジムリェ郡は1920年のトリアノン条約によって割譲された同名の地域に置かれた[64][65]。(1990年のクロアチア憲法は、特に郡の名前や番号を特定することなく、政府の一部としての郡議会 (Chamber of the Counties) (英語版) あるいは郡そのもののために提供された[66]。しかしながら、郡は実際には1992年まで再設置されず[67]、最初の郡議会議員は1993年に選出された[68]。)

1992年に郡が再設置されて以来、クロアチアは20の郡と首都ザグレブに区分されており、ザグレブは郡及び都市としての権限と法的地位を同時に与えられた。(ザグレブ市とザグレブ郡は管理上1997年に分離された[69][70]。) 郡の境界線は設置以来、歴史的理由あるいは市からの要望等の理由で変更されている。直近の改定は2006年で、127の市と429の自治体に区分されている[71]。

EUの地域統計分類単位 (NUTS) によるクロアチアの区分について、それぞれのレベルで行われている。NUTS1レベル (第一種地域統計分類単位) は国全体を1つの単位とし、NUTS2レベルでは中央部及び東部 (パンノニア) 、北西部、アドリア海沿岸部の3つの地域に区分している。北西部には、ザグレブ、クラピナ=ザゴリエ郡、ヴァラジュディン郡、コプリヴニツァ=クリジェヴツィ郡、メジムリェ郡、ザグレブ郡が含まれており、中央部及び東部 (パンノニア)には、ビェロヴァル=ビロゴラ郡、ヴィロヴィティツァ=ポドラヴィナ郡、ポジェガ=スラヴォニア郡、ブロド=ポサヴィナ郡、オシエク=バラニャ郡、ヴコヴァル=スリイェム郡、カルロヴァツ郡、シサク=モスラヴィナ郡等が含まれる[72]。NUTS3レベルでの分類はそれぞれの郡及びザグレブである。NUTSの付随規格である地方行政単位 (LAU、Local administrative unit) (英語版) には2段階ある。LAU1レベルは郡とザグレブ市に対応していてNUTS3と同様であり、LAU2レベルは市及び自治体に対応している[73]。 』

(※ 一部、省略)