どういう方向でも、それが社会の多数派になると安定する

どういう方向でも、それが社会の多数派になると安定する
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/29832368.html

 ※ いつもながら、「鋭い考察」だ…。

 ※ 絶対、一読しておくべきだと考える…。

 ※ ただ、最大の眼目は、『社会が機能している貧困のうちに、経済復活させて、社会が向かっているベクトルを反転させないと、国家破綻しか道はないよという事です。』という部分だろう…。

 ※ 「貧困層」「下層国民」が「多数派になって」「社会が安定」しても、「国家崩壊」に向かうんでは、その「安定」にあまり意味は無い…。

『 少し前の記事で、中国で話題になっている「寝そべり族」について解説する記事を載せました。簡単に言うと、目前に立ちふさがる余りにも高い壁(安定した就職口、マイホームの購入、日本以上に若年層に負担がかかるのが予想される超高齢化社会)に、抗う事を止めて、全てを諦めて、今を生きる最小限の努力で日々を過ごす事を決めた若者の事を指します。

そして、そういう傾向は、世界的に起きている事も解説しました。どこの社会でも、経済的な不安・格差・貧困というのは、自殺の第一の原因なのですが、実は僅かながら日本での自殺者数というのは、減り始めています。これが、どういう事かと言うと、貧困が改善されたからではありません。貧困層が多数派になった事で、それが当たり前になったので、格差を感じて絶望したり不安に感じる感性が鈍化した結果と分析されています。

「寝そべり族」においても、それが極一部の特殊な例であれば、「怠け者」とか「負け犬」とか言われて、社会から無視されて終わりです。恐らく、本人も悲惨な未来を迎えるでしょう。しかし、珍しくもなく、ましてや、一つの層として存在感を感じる程の人数がいれば、「寝そべり族」である事を理由に、不安や苦しみを感じる事が無くなってきます。隣を見渡せば、似たような人間が大勢いるからです。何も、自分だけが特殊でなければ、格差を感じる事もなく、なんとなく安心感さえ覚えます。

つまり、貧困の固定化が起きた事で、貧困が当たり前の状態になり、それで社会が却って安定する理由になりつつあるという事です。実際、日本人が海外に出稼ぎに出たり、移民にならなくてはならなかった程、貧しかった時代には、誰も彼も貧しかったので、世の中は穏やかで、助け合う事が当たり前の安定した社会であった事が、その時代を代表する文学作品などを読むと判ります。確かに、貧しさゆえに、人身売買もあれば、タコ部屋のような奴隷労働もありましたが、人生の選択で自殺を選ぶ人は、さほど多くなかったのです。

また、逆に東京オリンピックの時の高度成長期や、所得倍増計画なんていう景気のよい話が飛び交っていた時も、10年後の自分や家族が、より豊かな生活をしている事を信じられたので、自殺者は減っています。1億総中流なんて言葉が出てきて、労働者というくくりで、特殊な仕事をしていない限り、年功序列で、勤続年数さえ長ければ、人並みの暮らしを続ける事ができると信じられた時代です。そして、この頃の人並みというのは、レベルが高いです。持ち家・マイカー・4人一家・専業主婦が、人並みの条件であり、一家の大黒柱の稼ぎで、家族を養うのが「当たり前」でした。

自殺が増えるのは、世代的な格差が誰の目にも明らかになった時、そして、環境の改善が絶望的と判断されるような変化が起きた時です。例えば、就職氷河期と言われた時代や、バブル崩壊時期には、年間の自殺者が3万人を越えましたが、不況が30年続いた最近の自殺者は、2万人ちょっとです。つまり、どんな形でも人は多数派に所属していると感じると、自殺は減り、社会は安定するのです。

それゆえ、物凄い競争社会ゆえに、高い自殺率を誇るお隣の韓国ですが、5放世代という、恋愛・結婚・出産・就職・マイホームを、早い段階で諦める若者が増えていて、珍しくなくなっています。今でこそ「国際競争力が落ちる」と社会問題として捉えられていますが、この層が多くなるに従って、却って自殺は減り、社会は安定してくると思われます。横並びになる事で、不安や不満が減ってくるからです。最近、私は、この推測が立証されるかなぁという視点で、お隣に注目しています。言っておきますが、それが国としての未来が幸せかどうかを決めるわけではありません。社会現象として、そうなると推測しているという話です。

例えば、明日の食事の心配をしなくて良くなると、社会を改革しようという学生運動が盛んになります。日本でも起きましたし、韓国でも、中国でも起きました。運動に参加している当人達は、高い意識で社会改革や革命を訴えていたとしても、社会現象として俯瞰してみると、「はしか」のように、国が成長する過程で当たり前に起きる現象だったりします。それぞれの主な原因は違っても、「古い権威と社会構造・価値観に対する反抗」で、まとめてしまえます。

そういう社会現象として変化を眺めると、貧困層が増加しても、中流が増加しても、同じように社会は安定していて、社会構造が切り替わる時に、不安定になり、自殺者も増えるという事になります。さて、それでは、「貧困も皆で渡れば怖くない」理論が成り立つかと言えば、貧困の次が無いという理由で、そうはなりません。貧困の次は、社会崩壊です。国家が破綻して、人的資産が海外へ逃げ出し、教育が崩壊し、秩序が無くなり、暴力が最大の価値を持つ無秩序が、貧困の次に来る社会です。国家が倒れるのは、この段階になってからです。ちょうど、スリランカとかレバノンを観察すれば、その状態をリアルタイムで確認できます。

両国家ともに、「この世に地獄というものがあれば、こんな世界に違いない」というレベルで、社会が崩壊しています。そして、それを立ち直させる資源も基盤も人材も、時間の経過と共に失っている状態で、更に悪化する未来しか見えてきません。つまり、社会が機能している貧困のうちに、経済復活させて、社会が向かっているベクトルを反転させないと、国家破綻しか道はないよという事です。』