人的資本って何? 23年に開示義務化

人的資本って何? 23年に開示義務化、戸惑う企業相次ぐ
「人への投資」開示始動㊤
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB169QE0W2A910C2000000/

『個人の知識や技能を企業の資本とみなす「人的資本」の情報開示が一気に進む。政府は早ければ2023年3月期の有価証券報告書(有報)から、従業員への投資方針など人的資本情報の開示を義務付ける方針だ。対象は約4000社にのぼる。世界では人的資本は重要な投資情報。投資家の目は厳しさを増すが、日本では戸惑う企業も多い。情報開示を人的投資の起爆剤にできるか。開示の大変革が始まろうとしている。

「人的資本とは聞くが、正直、情報収集すら手が回っていない」。岡山県の製造業で有報を作る担当者は本音を漏らす。これまで人的投資に関する戦略的な情報を出した経験がなく、「どの程度まで書くべきか分からない」。3人で分担して作成するが、現場の負担感は大きい。

人的資本の開示に悩む企業は多く、人事コンサルティングなどを手掛けるHCプロデュース(東京・千代田)には問い合わせが急増している。同社は18年に策定された人的資本の世界初の開示ガイドライン(ISO30414)の認証取得支援を手掛ける。ISO導入講座にも応募が殺到。「来年初めの講座はすでにキャンセル待ち」と保坂駿介代表は話す。

背景にあるのが、人的資本の情報開示の義務化だ。23年3月期の有報から上場会社に加え、大規模に有価証券の募集や売り出しをする一部非上場企業の計約4000社が対象となる。
人的資本は従業員または従業員が持つ知識や技能を指す。近年、欧米を中心に従業員を「付加価値を生み出す資本」と捉える動きが広がっている。投資家が財務情報だけでは測れない企業の本質的な価値をみる材料となる。持続可能な社会に向けて人を重んじる企業が求められていることも開示を後押しする。

具体的には何を開示すればよいのか。今回、政府は新たに6つの項目の開示を求めており、女性管理職比率、男性育児休業取得率、男女間賃金格差の3つは数値の明記を義務付ける。女性活躍の推進に取り組む多様性のある組織や、男女ともに働きやすい職場であることは、付加価値の高い製品やサービスを生み出すとの考えのもと、一つの重要な投資指標になる。3項目以外では「人材育成方針」「社内環境整備方針」のほか、人的資本や多様性の「測定可能な指標と目標」について積極的な記載を求める。

多くの企業が悩むのはこの2つの方針に関する記述の仕方だ。2つは投資家が優先開示を期待している。企業の情報開示を支援するプロネクサスの薄井太執行役員は「経営戦略と人的資本投資を連動させて記載することがポイント」と話す。

「何から始めたらよいか」。相談に来た上場企業の経営企画担当者を前に、薄井氏は2つ伝えた。1つは人的資本を作る戦略と組織体制を整えること。2つ目は目標を作り実行し、従業員エンゲージメント(会社への貢献意欲)を高めてまた次の目標を作るサイクルを回すこと。「これまでは短期的で継ぎ足しをするように人事施策を進めてきた企業が多い」。相談に来た担当者は、まず長期的な人材戦略を構築するところから動き始めた。

人的資本情報の開示は欧米で先行する。米国では20年に全上場企業に開示を義務化。現在は人的資本の新たな項目の開示を義務付ける法案を審議中だ。欧州連合(EU)は14年に従業員500人超の企業に開示を義務付け、24年から第三者監査の義務化や開示対象企業の拡大を予定する。欧米では設備などの有形資産よりも無形資産の重要性が広く認識されている。

内閣官房の資料によると、国内総生産(GDP)に占める人材投資額は米国の2.1%やドイツの1.2%に対して日本は0.1%にとどまる。厚生労働省の21年度調査では企業の半数が集団研修と自己啓発の支援費用を支出していない。労働者1人当たりの研修費用は1万2000円で前年度比3000円減った。「企業は内部留保をため込み、これまで人材に投資してこなかった」(パーソル総合研究所の佐々木聡氏)

日本も変化し始めた。政府は8月、人的資本の「可視化指針」を公表した。企業独自の指標のほか、投資家が比較しやすい国内外の開示基準にそった情報開示などを求める。丸井グループ(東京・中野)は21年3月期の有報でグループ会社間異動「職種変更」の取り組みを記載。従業員アンケートの結果や今後の方針を定量・定性の両面で示している。

ただ情報の可視化がゴールではない。デロイトトーマツグループが7~8月に東証プライム上場92社を調査したところ、8割以上が人的資本情報の測定・開示の検討に着手しているが、具体的な実行段階にある企業は2割にとどまる。金融商品取引法に基づく有報は虚偽記載をした場合に罰則もある。

事業戦略を組み合わせた人材戦略を作り、投資家や従業員からフィードバックを受けて戦略を見直す。こうした循環を繰り返して「選ばれる企業」になれるか。日本経済の成長のためにも企業は意識の変革を迫られている。』