「想定外」禁物の地政学有事 ビジネスパーソンの心構え

「想定外」禁物の地政学有事 ビジネスパーソンの心構え
学び×海外安全マニュアル(3)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOKC0835Y0Y2A400C2000000/

『危機管理のプロに「海外での安全」に関する極意を聞くシリーズ最終回のテーマは、リスク分析の専門家が語る、海外で事業展開する企業やビジネスパーソン向けの危機対処法です。有事が発生した際の行動など、英国ロンドンに本拠地を置くコンサルティング会社、コントロール・リスクス・グループのパートナーで日本法人の代表を務める岡部貴士さんに聞きます。

当社はグローバルに事業を展開する企業が直面する複雑な問題、リスクへの対応を支援しています。

スウェーデンの民主主義・選挙支援国際研究所(IDEA)によると、世界の国・地域の約5割、人口にして全体の3分の2の人々が「民主主義の後退した国」に住んでいるそうです。権威主義体制の国では現地当局の政策の予見可能性が低かったり、ときに権力者が非合法的な意思決定をしたり、治安が急激に悪化したりするケースがあります。現在、グローバルに事業展開する企業は難しいかじ取りを求められています。

「モノ、カネ、人、情報」 への影響

ただ、リスクは天から降ってくるものではありません。企業・組織のトップの認識が重要で、地政学的な有事が発生したときに「モノ、カネ、人、情報」にどのような影響が及ぶのか、詳細に検討する必要があります。自社の進出地域の政情に不安があるとすれば、現地の担当者にリスクの洗い出しを丸投げするのではなく、調達・供給網、現地社員や関係先、人権に及ぶ影響を考えることが重要になります。

法律ができてから受動的に対応する「コンプライアンス」ではなく、自社が収集・分析したリスク情報に基づく自主的・能動的な意思決定の「インテリジェンスに基づく経営判断」の企業体質をつくれるか。トップの心構えが問われています。

ウクライナ情勢を見てもわかるように、事業展開先の国が他国から侵略・攻撃された場合、従業員や工場など人的・物理的被害が想定されます。周辺国においても、反戦デモ等に参加した従業員の拘束や戦線拡大に伴う物理的被害、エネルギー不足での大規模停電といった事態も念頭に置く必要があります。

こうした海外拠点でのリスクシナリオを、事前になるべく網羅的に検討していた会社は、今回のウクライナの事態発生にも比較的スムーズに対応しています。一方で、事態の発生後に急きょ、リスク対応部門が今後のシナリオを予想した会社も多かったと思います。

シナリオ分析にあたっては、未来を「当てる」ことが重要ではなく、あらゆる可能性とシナリオについて、なるべく幅広くリスト化しておくということがスタートになるでしょう。「全くの想定外」という事態をいかになくすかが重要です。

そのためには日ごろから情報収集が欠かせません。クライアント向けに提供している情報は、公開情報はもとより、世界各地に張り巡らしたインテリジェンスのネットワークで得られたものを含みます。

危機対応に重要な「3Rs」

「危機・危険の前兆」は見つけられます。当社では、世界中の安全情報や有事に関する情報を網羅的に示したプラットフォームツールを会員向けに提供しています。誘拐事案や強盗が発生した場所、反体制派のデモ活動が起きた場所、テロが発生した地点などを地図上に示したものです。現地情報の収集を海外駐在員に丸投げする会社も多いのですが、本社側のリスク管理として実施できる情報収集・分析の仕事は多くあります。

リスク情報管理ツールのイメージ画像、世界のどの地域で危険事案が起きているか見ることができる=コントロール・リスクス提供

実際、このツールを使って「駐在予定の社員の家から、勤務先のオフィスビルまでの経路を調べたところ、以前テロが発生した道路を通ることがわかった」というケースがありました。赴任前にこういったリスクの把握に使うことができるのです。

危機対応には「3Rs」という言葉があります。英語の「Readiness(レディネス=予防)」「Response(レスポンス=対応)」「Recovery(リカバリー=回復)」の頭文字である3つのRをとったものです。

レディネスは危機に対応するための準備の段階で、事業継続計画(BCP)を作成したりシミュレーションの訓練をしたりすることです。非常に重要なフェーズで、危機管理の巧拙はレディネスの善しあしにかかっています。

レスポンスは主にステークホルダー(利害関係者)を念頭に置いた対応です。海外拠点で内部不正が起きたとします。起きてしまったことは変えられないので、どう対応すべきか検討しなければなりません。日本ではなく海外であること、同じ職場で働く同僚であっても、異なる文化・言語背景を有することを忘れてはいけません。

通用しない「日本の当たり前」

実際、海外の現地法人で会計処理に不審な点があることに気付き、直接、その現法で働いていた担当者を社員が厳しく問いただしたところ、後日見知らぬ人々に囲まれ命の危険を感じるような怖い目にあったというような事例はよく発生しています。

上司が担当者に不審点を確認・注意するのは業務上、当然の行為です。ただ、文化・言語や生活水準の異なる海外では、職場にも日本とは異なる流儀や宗教・文化的にタブーとされる言動もあるので「日本では当たり前」は通用しません。海外ではこうしたケースでも、直接担当者に聞くのではなく、現地の文化や商慣習に詳しい専門家に相談しながら不正調査を行うことが一般的です。

また、メディア向けの対応もレスポンスに含まれます。事件・事故に巻き込まれた場合やトラブルが発生し損害が生じた際の情報開示や補償等でも、地域・文化に合った方法で的確かつ素早く対応する必要があります。

リカバリーは危機の発生後に「ビジネスを元に戻す」目的で行う対応です。国・地域ごとの事情や事態の状況を見つつ、事業再開の時期やその可否も含め、より現実的かつ効果的な対応が求められます。場合によってはBCPの再検討や、企業の体制見直しに及ぶこともあります。

海外では、テロや紛争などの危険に巻き込まれる可能性もある=ロイター

銃声が聞こえたらどこに逃げる?

企業の依頼で駐在員向けに派遣前研修を提供しています。研修では危機管理シミュレーションの一環として、「歩いていて銃声が聞こえたらどの建物に逃げますか」という質問をしています。もし駆け込める場所に外食のマクドナルドの店舗と地元の商店があったら、どちらに逃げたらいいでしょうか。

外国人を狙ったテロ事件だとすれば、米国発の企業の店舗に逃げ込むとその後犯人集団に狙われやすくなる恐れがあります。一概には言えませんが、こういった事態でのとっさの判断について駐在予定者の方々と一緒に議論し考えています。各種ケースに基づいた訓練は安全に対するリスク感度を高め、いざというときの助けになるはずです。

また、研修で強調しているのは「誘拐、強奪にあっても抵抗しない」ということです。たとえ大事な資料を入れているカバンを奪われそうになっても抵抗しないでください。すぐにカバンを渡して、命だけは最低限守ってください。日本のビジネスパーソンは機密情報や機密資料の入ったカバンを奪われそうになると抵抗して奪い返そうとする傾向が強いですが、自分と会社の双方にとって何が最悪な事態かを考えてほしいのです。命を失うことは自分自身にとって最悪のシナリオであるだけではなく、会社にとっても最悪のシナリオです。

会社側の備えとしては、資料を紙ベースで持ち歩かせないような電子化への取り組みや奪われた情報をバックアップできる体制、サイバーセキュリティーの強化などで電子化された情報を容易に盗まれないようにする仕組みが重要です。命の危険を顧みずに会社の情報を守った話が美談になるなど、今の時代の企業文化として論外です。

新型コロナウイルスの流行拡大という危機に日本企業はこの2年半リソースを投じてきました。パンデミックも有事の一つですが、対応にリソースを投じすぎたあまり、海外における安全対策とリスク感度が鈍っていないかが懸念されます。海外出張や駐在の増加が始まれば、日本企業の危機管理能力が再び問われる場面が増えると思います。進出拠点、関係先のある地域に危機が潜んでいないかを今後、改めてチェックする必要があります。

=おわり

(山下美菜子が担当しました)

グラフィックス 鎌田多恵子

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