クリエイティブとは躁鬱の波乗りピカチュウである
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『たまに「普通の会社務めが無理だと思ったのでクリエイティブを志した」という人をみかけるが、その手の人種はメンタルがあまり強くはなさそうで終わりなき気分変調の荒波に耐え続けられるとはとても思えない。
夢がない話で恐縮だが、個人的には気分変調と仕事パフォーマンスの相関関係が弱い会社務めの方が多分向いているのではないかと思う。
サラリーマンは最低でも会社に通ってれば何とかなる。クリエイターではそんな芸当、絶対にできない。
クリエイティブとして長く生き続ける為には、普通の会社務めをしていたら意識しなくてもいい事をかなり意識してメンテナンスする必要がある。
躁鬱の波を己の生活リズムでもっていい塩梅に調整できないと生き残れないといってもいいかもしれない。
これは言葉で聞く以上に実行難易度は高く、ライターの10年生存率がそれを裏付けている。
クリエイティブとはいわば躁鬱の波乗りピカチュウだ。荒波を乗りこなせなかったピカチュウは、濡れ鼠となって放電して死ぬのである。』
『<3月のライオン 一巻より>
「他人が説得しなけりゃ続かないようならダメなんだ。自分で自分を説得しながら進んでいける人間でなければダメなんだ」
「進めば進む程道は険しく周りに人はいなくなる。自分で自分をメンテナンスできる人間しか、どのみち先へは進めなくなる」』
※ 人は、器の上に「何ものか」を乗せて、どっかに運んでいる…。それは、「自分というもの」なのかもしれない…。
※ 器の上には、「いろんなもの」が乗っている…。その都度その都度、その乗っている何ものかを繰り出して、人生の「切所」「難所」を凌いでいく…。
※ 年とるにつれて、乗っているものは、多くはなるが、古びてきて、「使い物にならなく」も、なっていく…。
※ それでも、どっかへと運んで行く必要がある…。
※ そのうちに、運んでも行けなくなって、「いのち」を使い果たし、あの世へと旅立って行く…。