[FT]クリミア「水戦争」、ロシアとウクライナの火種に

[FT]クリミア「水戦争」、ロシアとウクライナの火種に
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB300SL0Q1A730C2000000/

『ロシアに併合されたクリミア半島では6月、サイクロンの直撃を受けて河川が決壊し、数千人が避難を迫られた。

紛争の種となっている北クリミア運河(2014年、クリミア北部)=ロイター

もっとも、この洪水で干上がっていた貯水池は満杯になり、長期に及ぶ干ばつとクリミアの水の最大85%をかつて供給していた運河をウクライナがせき止めた影響による水不足は当面解消された。

ロシア軍がウクライナからクリミア半島を奪ってから7年。ロシア政府がクリミアの住民240万人への淡水の供給に苦戦していることが、宣戦布告なき戦争の火種になっている。ウクライナ東部でのウクライナ政府と親ロシア派武装勢力のさらに長期に及ぶ紛争では、死者は1万4000人に達している。

ウクライナは北クリミア運河に土のうと土で2014年に築いた今あるダムに加え、コンクリートダムを新設した。ロシアはこれをウクライナによる「ジェノサイド(集団虐殺)」だと非難している。ウクライナ政府はロシア政府が近くのドニエプル川からの水流を確保するために、軍事進攻を画策しているのではないかと恐れている。

生活向上、空約束に?

ロシアのプーチン大統領はクリミア市民に生活向上を約束したが、食料価格の高騰と欧米の経済制裁による国際社会からの孤立に加え、水不足が追い打ちとなり、実現が危うくなる恐れがある。

国営の世論調査会社はクリミアでのプーチン氏の支持率はなおロシア全体の平均よりも高いとしているが、14年の併合後に支持率を記録的水準に押し上げた熱狂的な愛国心はとっくに薄れている。

仕事で定期的にウクライナを訪れるというクリミア在住のビクトルさん(47)は「貯水池と田畑は干上がっている」と話す。「状況は年々悪化している。併合前にはこんな問題はなかったのに」。クリミア市民の大半はこの危機的状況をウクライナのせいにしているという。

クリミアとロシア本土をつないでケルチ海峡に架けられた総工費37億ドル(約4050億円)の橋は、クリミア市民がプラスチック容器に入れて持ち帰る水を運ぶトラックの経路になっている。黒海沿岸の人気リゾート地では、干ばつのピーク時には1日数時間しか水道水が出ない。北クリミア運河には草が生い茂っている。

4日、洪水の後片付けをするクリミアの住民=ロイター

灌漑(かんがい)施設がないため、クリミアの農業生産高は落ち込んでいる。コメなど水を大量に使う作物の栽培はほぼ不可能だ。

ソ連が第2次世界大戦後、復興のためにクリミアをウクライナ・ソビエト社会主義共和国に帰属替えしたのを受け、運河は1957年に着工された。これにより耕作地を開墾できるようになり、クリミアは観光地へと変貌を遂げた。

ウクライナのレズニコフ副首相兼被占領地域再統合相は「運河はロシア政府によるクリミア併合という愚行の象徴だ。ロシアはプロパガンダにあおられた住民投票の高揚感の行く末を見通せなかった」と指摘した。

さらに「なぜ水の問題について考えなかったのだろうか」と疑問を呈する。

ロシアはウクライナに運河の再開を迫る一方、総額500億ルーブル(約750億円)を投じてクリミアへの供給強化策に乗り出した。崩れかけたインフラを修復して井戸を掘り、貯水施設や淡水化施設を増設している。

ロシアの検察当局は先週、ウクライナがこの問題を巡って「重大な人権侵害」を犯しているとして欧州人権裁判所に提訴した。クリミアの首相はこれとは別に1兆5000億ルーブルの損害賠償請求を申し立てる方針だ。

水を大量破壊兵器に 
クリミアのアクショーノフ首相はフィナンシャル・タイムズ(FT)による取材に文書で回答し「ソ連時代に建設されたクリミアのインフラはウクライナに生殺与奪の権を握られており、ウクライナはこれを実質的にクリミア市民全員に対する大量破壊兵器として利用している。水をせき止めるのは国家によるテロ行為と環境破壊にあたるが、国際社会はウクライナ政権による犯罪に気付いていない」とコメントした。

ロシア海軍の艦船(23日、セバストポリ)=ロイター

レズニコフ氏は、ロシアは占領者として、ジュネーブ条約に基づきクリミア市民のために水などの必需品を確保する責任があると指摘する。ウクライナは「違法な土地略奪」により損害を被ったとして、ロシアに対して数十億ドルの損害賠償請求を起こしている。

緊張が高まるなか、ロシアは今春、クリミアとウクライナ東部2州の国境付近に数万人規模の軍と最先端兵器を展開した。ウクライナ東部でのロシアの支援を受けた親ロ派とウクライナ政府軍との紛争は8年目に入っている。

ウクライナ軍情報部門トップのキリル・ブダノフ大佐は、ロシアは運河に加え、クリミアと分離独立地域をつなぐために近隣地域も奪おうとしていると話す。ロシア軍は運河の起点があるドニエプル川沿いの町、ノバカホフカに進攻する可能性がある。

ロシアによるクリミア併合に大半が反対したクリミアの先住民族、クリミア・タタール人の一部は、水流の再開を阻止するため、ダムの近くに仮設陣営を設けている。

アリババと名乗る55歳の活動家は「これは本格的な戦争になるだろう」との見方を示す。仲間の活動家とともに、せき止められた運河を守るためなら戦闘も辞さないと話す。「田畑に身を隠せる場所はない。できるものならやってみろ」

新たなダムに近いカランチャク検問所では、ロシア軍とウクライナ軍が数百メートル離れた場所でそれぞれ前線を張っている。

黒海でも再び緊張が高まり、ウクライナだけでなく、欧米の海軍との関係も緊迫している。ロシアは6月、領有権を争うクリミア沖海域を航行していた英駆逐艦に威嚇射撃した。クリミア最大の都市セバストポリにはロシアの黒海艦隊の主力基地がある。

ロシア政府はウクライナが水の供給を回復する可能性は低いと認めつつも、クリミアの水を巡り戦争に打って出る事態にはならないと強調している。クリミアのアクショーノフ首相は「ウクライナの政治家による一連のヒステリックな声明は全て事実無根だ。彼らは単に愚かか、ロシア市民とウクライナ市民の憎悪をあおろうとする攻撃的なプロパガンダだ。『水戦争』など存在しない」と表明した。

ウクライナのレズニコフ氏は、ウクライナ政府はクリミアに飲料水など人道支援を提供する用意があると語った。親ロ派が実効支配する東部には既にこうした支援を提供している。もっとも、クリミアはウクライナ政府に支援を要請していないという。

「ロシアは自らの弱さを認めるわけにはなかなかいかない。(クリミアを併合した)判断が誤りだったと認めることになるからだ」(レズニコフ氏)。

By Roman Olearchyk and Max Seddon

(2021年7月29日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

(c) The Financial Times Limited 2021. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.

英フィナンシャル・タイムズ(FT)と日経新聞の記者が、アジアのテクノロジー業界の「いま」を読み解くニュースレター「#techAsia」の日本語版をお届けします。配信は原則、毎週金曜。登録はこちら。
https://regist.nikkei.com/ds/setup/briefing.do?me=B009&n_cid=BREFT053

【関連記事】
・米、ロシアと軍縮協議「中身あった」 次回は9月末
・[FT]ロシア、タリバンと関係構築狙う 米軍アフガン撤退で
・[FT]内向き強めるプーチン氏
・モルドバが親欧米路線加速 議会選で大統領の政党が勝利
・プーチン氏が論文 ロシアとウクライナの一体性を主張
・米企業攻撃のロシア系集団、闇ウェブのサイト消失
・ベトナム、ロシア製ワクチン大量生産へ 中国依存懸念』