
※ まず、これを見てくれ…。
※ 「世界の気候区分」だ…。
※ ユーラシア大陸に注目すると、東が「湿潤地域」で、西が「冷涼地域」ということが、見て取れると思う…。
※ そして、東西の中央は、「乾燥地域」だ…。
※ 「シルクロード」とは、「交易路」と考えた方がいい…。
※ その場合、東の「植生が豊かな地域」の文物を、西の「やや植生が乏しい地域」へ運んで行く「交易」の道があって、それを「乾燥地域の遊牧の民」が仲介した…、という構図になっていたらしい…。
※ そういうことを言っている文献を、最近読んだ…。

※ 「四大文明」の配置だ…。
※ それぞれの「地域」でも、「農作物」「文物」の生産量の大小があっただろうから、そういう「各領域」においても、それぞれ「交易」は行われたんだろう…。


※ ユーラシア全域における「東西の交易路」と、「地形」を見たものだ…。
※ 山岳地帯においても、「谷伝い」に運搬したり、「やや傾斜の緩いところ」を伝って行ったりしたんだろう…。
※ 「1世紀ごろ」とあるんで、それこそ「漢帝国」と「ローマ帝国」との間で、「交易」が行われたものだろう…。

※ 地形を除いて「交易路」だけ表示したもの…。
※ オレらが知っている「シルクロード」だけでなく、「海路」も、「東南アジアルート」も、「チベットーインドー今のパキスタン辺りのルート」もあったことが、分かるな…。


※ 地形の衛星画像での確認…。交易路は、ほぼ「乾燥地帯」に当たっている…。


※ 長い年月の間には、存在していた「湖」が、「干上がって」「消滅する」なんてことも起きたようだ…。
ロプノール
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%97%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%AB






※ こんな感じで、ラクダを使って「運搬」したものか…。1992とあるから、1992年の撮影か…。

※ 中国の雲南省・青海省からミャンマー北部、バングラデシュ・ブータン・チベット辺りのルート…。
※ こうしてみると、ミャンマー北部も「シルクロードの一部」だったんだな…。


※「海路」に焦点を当てた画像…。
※「陸路」を運んで、「沿岸」の「港」に出て、一気に「舟運」したんだな…。

※ 中継都市を入れたマップ…。
※ 「メディナ」「メッカ」「ジェッダ」もあるんで、「ムハンマド」「イスラム」の発生すら、この「交易路」と無関係ではなかったと思われる…。


※ 仏教みたいな「宗教」も、この「交易路」を「伝搬」したもののようだ…。
※ 「南伝仏教」「北伝仏教」とは、そういうことだったんだな…。


※ 正倉院の「御物」も、このルートを辿って伝えられたものが多いんだろう…。