米国の分断なぜ? ゆらぐ国のかたち
読むヒント
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO66186960T11C20A1TCL000/



『米国社会に亀裂が走っている。「自国第一」を掲げる保守派と進歩派の対立は、南北戦争以来といわれるほど根深い。今回の大統領選も大接戦の末、空前の混乱を招いた。民主主義を揺るがす分断は止まるか。歴史から考える。
18世紀末、英国から独立した移民国家、多民族国家である合衆国は、自由や民主主義などの理想のもと、社会の統合を進めようとしてきた。多様な人種、文化的背景を持つ人々が、一つの国民としてまとまるのは、いかに難しいか。
転機は19世紀半ばに訪れた。商工業が発達した北部と奴隷制を柱に綿花栽培を営む南部が鋭く対立した。南部11州は連合国をつくって、合衆国から独立をはかる。1861年、奴隷制に反対する北部のリンカーンが大統領に就任したことで、南北戦争が始まる。
4年間の激戦をへて、北軍が勝ち、国家の分裂は避けられた。作家、M・ミッチェルは、この戦争を背景に、大河小説『風と共に去りぬ』(荒このみ訳)で、社会の変貌ぶりを描いた。
北部の支配を受け入れない南部の人々と対照的に、ヒロインは現実を受け入れる。「社会の混乱状態の中で八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を始め、タラ農園を維持していこうと奮闘努力する」(訳者解説)。
合衆国は戦後、国内市場を統一し工業化を進め、大国の基盤を築く。統合が進み、国民意識や愛国心が根付いたといわれる。
だが、現実は「自由と平等」の理想とはほど遠かった。奴隷は解放されても人種差別が続いた。62万人近い死者を出した戦いは、南北に深い遺恨を残した。この時代は依然として「アメリカ社会の今とつながっている」(貴堂嘉之著『南北戦争の時代』)という。
大恐慌を乗り越え、第2次大戦をへて米国は超大国になる。1960年代に入ると、ベトナム戦争や人種差別問題などで自信が揺らぐ。自由・平等の理念を、より現実に近づける動きとして、反戦や公民権運動が活発化する。進歩派の考えが浸透し、改めて米国人とは何か、合衆国とは何かが問われ始めた。
みんなアメリカを探しにやってきたんだ――68年、当時の人々の心理をサイモン&ガーファンクルが「アメリカ」で歌っている。
この歌は大陸横断のバスで旅するカップルを描く。作者は「自分たちが何者で、どこに向かっているのかを突き止めるために、旅に出た人々の物語だ」と解説する。(『ポール・サイモン 音楽と人生を語る』ヒルバーン著、奥田祐士訳)
批評家の江藤淳は、62年から2年間、米国の大学にいて、キューバ危機やケネディ暗殺、頻発する黒人暴動など、社会に亀裂が広がる様子を見た。
そこでは、より大きな自由、平等を求める運動と古い価値観がはげしく衝突していた。古い移民である自作農には、合衆国を築いた自負がある。19世紀後半から流入した新移民がつくった大都会やその考え方を嫌っているのだという。
「古い顔」が示す敵意は万事うまく行っているうちは隠れている。だが、「いったんうまく行かなくなると、それは爆発して怒りを大金持ちか、カトリック教会か、労働ボスか、インテリか、共産主義者か、どこかの外国かに注ぎかける」(『アメリカと私』)。
70~80年代、新旧の衝突は沈静化するが、90年代以降、冷戦終結などで内向き傾向が強まると、徐々に表面に現れ、保守派と進歩派の分裂が広がる。
社会構造の変化も大きい。新たな移民が増え、人口が多様化する。白人比率が急減、中南米系やアジア系が増え、影響力を増した。多様な人種、民族が言葉や文化を保ったまま社会をつくる「多文化主義」の考えも出てくる。国のかたちがゆらぎ始めていた。
これでは「一つの米国」の意識が壊れると懸念したのは歴史家、A・シュレジンガー。91年、あらゆる国籍の個人が溶け合って全く新しい国民意識を創り出す、かつての理想を取り戻せと訴えた。(『アメリカの分裂』都留重人監訳)
今世紀に入り、進歩派と保守派のミゾはさらに深まる。とりわけ、反発を強めた「古い顔」、白人労働者などが保守派に合流。白人至上主義と自国第一主義が結びついた『白人ナショナリズム』(渡辺靖著)という思想さえ広がった。4年前には、分断をあおる大統領も誕生した。
バイデン氏は、団結を強調する。積年の分裂をどこまで修復できるか。その成果が、世界の政治、経済の行方を大きく左右する。
(編集委員 玉利伸吾)』
[FT]米国にさまよう南軍の亡霊
大統領、差別見て見ぬふり
エドワード・ルース FT commentators
2020/7/1 0:00
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60958240Q0A630C2TCR000/


『かつて奴隷売買が合法だった米国の南部諸州は、差別という死んだはずの怪物が何度もよみがえり、ホラー映画と似通っているようにもみえる。ホラー映画「エルム街の悪夢」ならぬ「ディキシー(南部諸州)街の差別の悪夢」には、事件という続編が延々とあった。だが、トランプ米大統領が現在起こしているものほど非現実的なものはかつてなかった。
黒人差別の意思表示ととられることがあるにもかかわらず、南軍旗を掲揚する事例があとを絶たない=ロイター
南部連合の敗北から1世紀半以上たった今、「ヤンキー(北軍)」の大統領が敗れた南軍のために立ち上がっている。トランプ氏は6月下旬、南軍にちなんだ記念像を引き倒したいと思っている人は「我々の歴史を憎み、我々の価値観を憎み、我々が米国人として尊ぶすべてのものを憎んでいる」と述べた。
かつて敗れた南部をこれほど称賛する米国大統領は20世紀初めの大統領ウッドロー・ウィルソン以来となる。トランプ氏がこれほど大胆に南軍をたたえることができる事実は、南北戦争がいまだに米国内で決着がついていないことを示している。
■北部に統合できていない南部
大半の内戦は、一定の時間がたった後に新たな国家的コンセンサス(合意)が生まれて終わるか、全面的な決別で終わる。前者の例は、王による支配は終わったが、後に象徴としての王制が復活した1640年代のイングランド内戦だ。後者の例は1971年のパキスタン内戦で、後にバングラデシュとなる東パキスタンが新しい国家として生まれた。
米国の血みどろの内戦の結果はどちらにも属さない。奴隷制を支持していた州は分離・独立を試み、失敗した。南軍の敗北によって、米国は北部の合衆国に南部を組み込む課題を抱えることになった。残念ながら、政治と裁判所がこのプロセスを阻害した。同様のことは、現在でもよく起きる。
20世紀のある黒人作家はこう書いた。「南部の奴隷法は死に絶えたかもしれない。だが、その法は墓場から我々を支配した」。今年5月、黒人男性のジョージ・フロイドさんが警官に首を膝で押さえつけられて窒息死した事件は、米国の白人社会が突如として、状況がいかに変わっていないかを知らしめる珍しい機会だった。
■50年代と並ぶ節目の事件
フロイドさんの死に対する反応は、これまでの米国における人種不平等の物語の大きな節目に匹敵する。55年にミシシッピ州で14歳の黒人少年エメット・ティルが殺害された悲惨な事件、その数カ月後、後に公民権運動の活動家となったローザ・パークスによる、人種別に席が定められたアラバマ州のバスへのボイコット、そして活動家のジェームズ・チェイニー、アンドリュー・グッドマン、マイケル・シュワーナーが白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)に殺害された事件などに並ぶほど重要だ。
それぞれが60年代の公民権運動に道を開いた決定的な出来事だ。しかし、どの事件もフロイドさんの殺害と同様、それまで日常的に起きていたことがきっかけだ。ローザ・パークスの事件の前にも白人用の席からの離席を求められた人が何人もいたように、フロイドさんの前にも何人もが警察の暴行にあってきた。フロイドさんの死は、パークスの非暴力的な不服従と同じように歴史の転換点になった。
50年代の抗議運動は、第2次世界大戦に勝って帰還したものの、人種隔離を定めた「ジム・クロウ法」が施行されていた南部に戻って暗い虚無に陥った黒人兵士の不満も要因の一つだった。
■分断、南部を肯定する歴史観に終止符を打つ可能性も
フロイドさんの殺害もそうした大きな潮流の中での事件だ。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ、BLM)」運動は、オバマ前大統領の時代に始まっていた。しかし、トランプ氏の下で運動は後退を余儀なくされ、その不満が募るなかで起きた。
BLMが盛り上がるたびに米国が抱える根本的な問題の根深さが世界に伝わった。にもかかわらずトランプ氏は問題が存在することをなお、一切認めようとしていない。この1カ月、オーストラリアからベルギーのアントワープまで、世界各地でそれこそ無数のBLM抗議デモが起きた。米国では、メーン州からハワイ州まで、白人が暮らす小さな町をも含め、いたるところで人種の入り交じった行進が繰り広げられた。
「これほどのうねりは(68年の)マーティン・ルーサー・キング牧師殺害以来だ」。4年前に出版され、最近米ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに一気に返り咲いた「ホワイト・レイジ(白人の怒り、邦訳未刊)」の著者キャロル・アンダーソン氏はこう語る。
68年の大統領選に出馬したリチャード・ニクソンをまねるように、トランプ氏はBLMに対抗するように、秩序をスローガンに掲げて選挙活動を展開している。
だが、当時と今では条件が異なる。当時大統領候補だったニクソンとは異なり、トランプ氏は現職の大統領だ。トランプ氏はおおむね平和的なデモ参加者を「殺人犯」「国内テロリスト」「悪党」と呼び、フェンスを張りめぐらせて内にこもっている。だが、現在起きていることは最終的にホワイトハウスが責任を負うことになる。
トランプ氏は6月、フォート・フッド、フォート・ブラッグ、フォート・ベニングなど、南北戦争の南軍の将軍の名にちなむ米軍基地の名称変更を求める提案を拒否した。こうした基地は全米に10あり、すべてがかつて奴隷制を認めていた州に存在している。
米軍高官も支持していたこの提案をトランプ氏が退けたことには、事態が平和的に収束するとみている楽観主義者さえも戸惑いを隠せずにいる。南北戦争で命を落とした米国人の数は、2度の世界大戦の米国の犠牲者数の合計より多い。星条旗を敵に回して戦った男たちを現在たたえ続けることにはそれだけのリスクがかかっている。
しかし、分断をこれほど明確に浮き彫りにすることはよい方向に動く可能性もある。奴隷制を支持した南部連合を肯定的にとらえる歴史観について終止符を打つ、1世代に1度しかないような絶好のチャンスをトランプ氏は米国民に提供しているのだ。
「我々はドイツをナチスから解放した」。アンダーソン氏はこう話す。「だが南部についてはいまだ、南部連合の意識から解放できずにいる」
By Edward Luce
(2020年6月26日付 英フィナンシャル・タイムズ紙 https://www.ft.com/)
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