戦時のステルス北戴河会議、習近平氏が演出する緊張

戦時のステルス北戴河会議、習近平氏が演出する緊張
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62749270Y0A810C2I10000/ 

『「今年の夏は普通ではない。本当に全く見えない『ステルス(北戴河)会議』だ」「政治的には戦時のような緊張感が醸し出された異例の『夏休み』になった」。中国の識者らの感想である。

この夏、主要な最高指導部メンバーの動静不明期間が異様に長く、しかも河北省の海辺にある保養地、北戴河に集まっていた証拠も一切、出ていない。国家主席、習近平(シー・ジンピン、67)は半月以上も雲隠れ。異例ずくめの8月の中国政局である。

最近は8月上旬、習の委託を受けた共産党中央組織部長が北戴河で休暇を過ごす各界の専門家らを招き、慰労する儀式が必ずあった。この公式報道で現役指導部と長老らが重要事項を巡り意見交換する「北戴河会議」の開催が確認される。今年はこれさえすっ飛ばされた。

そればかりではない。異例なのは「ポスト習近平」に関わる次世代最高指導部メンバー候補らの動きである。

■持ち場を守る次世代ホープら

2019年4月、中国重慶市を視察する習近平国家主席(右端)。左から胡春華副首相、重慶市トップの陳敏爾党委員会書記=新華社・共同
8月3日、長く次世代のホープとされてきた政治局委員で副首相の胡春華(フー・チュンホア、57)は、関係が悪化しているインドに接するチベット自治区に姿を現した。「国家貧困脱出調査指導小組」のトップを意味する小組長の身分での視察だった。貧困脱出は習政権が掲げる最重要課題の一つである。

胡春華が基盤とするのは幹部への登竜門である青年組織、共産主義青年団(共青団)だ。革命時代の高級幹部の子弟である習近平は、共青団を「貴族化」「娯楽化」といった厳しい言葉まで使って批判してきた経緯があり、胡春華とは政治的に距離がある。

一方、習自ら抜てきした子飼いが重慶トップの陳敏爾(59)、上海トップの李強(61)ら。2人は習が浙江省トップだった時代の部下で、いわゆる「浙江閥」のホープだ。

李強は7日、地元上海で庶民が外でとる朝食の事情を視察。不思議なのは、そのころ上海を訪れていた米大統領、トランプの側近である駐中国米大使、ブランスタッドに会ったという報道がなかったことだ。米大使には上海ナンバーツーである新任の市長が応対し、会談した。

「北戴河会議」の場から遠くない海辺(2014年夏、河北省北戴河で)
戦時である以上、計25人の政治局委員という要職に座る上海トップが「敵」と会談し、ステルス会議の内情を探らせるわけにはいかない。そういう意味なのか。確かにブランスタッドは米国の穀倉地帯、アイオワ州の知事を長く務めた米政界の重鎮で、来る米大統領選の票にも絡む中国の食糧購入に注目している。

重慶市トップの陳敏爾は10、11両日と14日、重慶内で中心部からかなり離れた場所を視察した。地元での報道である。

世界が今後の人事を見守る胡春華、陳敏爾、李強らが8月前半の北戴河会議の最中とされる時期に、持ち場を守り、担当の職務を粛々とこなしている。北戴河に滞在していたという証拠はない。

上海トップの李強氏も浙江省出身(2019年3月)
画像の拡大
上海トップの李強氏も浙江省出身(2019年3月)

最高指導部メンバー7人では、全国人民代表大会(全人代)常務委員長の栗戦書(リー・ジャンシュー、69)が8~11日に北京で開いた全人代常務委員会に出たニュースが流れた程度。他の6人の報道は一切なかった。

最高指導部メンバーの報道が復活したのは17日。首相の李克強(リー・クォーチャン、65)が国務院常務会議で経済政策を語り、王滬寧(ワン・フーニン、64)が共青団系の全国青年連合会の大会に出席した。この大会で習近平の祝辞は代読されたが、自身は出席していない。習が久々に姿を現したのは18日午後、安徽省の水害関連の視察からだった。

■通用しにくいトップダウン

中国が直面するのはトランプ米政権との厳しい対立だ。華為技術(ファーウェイ)制裁強化に象徴されるサプライチェーン(供給網)の分断。香港国家安全維持法が引き起こした自由主義諸国との亀裂。中国が主張する「一つの中国」さえ危うくなりかねない台湾を巡る確執。さらに南シナ海での対峙もある。

このほか新型コロナウイルス禍で傷んだ地方経済の立て直しや失業対策も重要だ。一部の地域では深刻な洪水被害も出ている。

確かに今を広い意味の戦時と捉えれば、各責任者が一斉に持ち場を離れてリゾート地の北戴河に集まり、鳩首(きゅうしゅ)会談をしていては危うい。常に臨戦態勢、常在戦場の意識を維持する必要がある。

この雰囲気は習近平サイドに好都合でもある。厳しい国内政局を有利に導くうえで、対外的な緊張感は時に助けになる。共産党の伝統は、何があっても対外的には一枚岩を装うことだ。現在の政治に意見したい元国家主席の江沢民(ジアン・ズォーミン)、胡錦濤(フー・ジンタオ)ら長老もひとまず激励するしかない。権力集中にいそしんできた習が「北戴河」を名目化、形式化する好機にもなる。

江沢民・元国家主席(中国中央テレビが2019年7月29日に放映した李鵬元首相の告別式から)
画像の拡大
江沢民・元国家主席(中国中央テレビが2019年7月29日に放映した李鵬元首相の告別式から)

16日付の共産党理論誌「求是」は習の演説を掲載した。国有企業を中心に据えた経済運営を主張し、西側資本主義への批判が含まれている。現状を考えるに示唆的だ。ただし、これは5年前の習演説なのだ。5年前の2015年といえば、いわゆる「習近平思想」が共産党規約に盛り込まれた17年の共産党大会の2年前。現在は22年の党大会の2年前であり共通性がある。

半面、5年を経て政治情勢は激変した。5年前、習は「反腐敗」という政治運動を武器に攻め続けていた。それも奏功し、「習思想」を土台に国家主席の任期制限を撤廃する憲法改正にまで突き進んだ。共産党の歴史を振り返っても驚くべき成功だ。

習はまだ満足せず、さらなる高みを目指している。前回の「習思想」と同様、今後の議論の焦点は何か。北戴河の季節の直前、布石は打った。10月の共産党中央委員会第5回全体会議(5中全会)では2035年までの超長期計画もテーマとする。22年党大会で超長期政権を固める狙いがある。

本来、習は全てをトップダウン方式で決めたい。それならば信用できる側近らだけとの密談で済む。得意とする「反腐敗」運動もこの手法だった。誰が捕まるのかは直前まで分からないのだ。

さすがに今夏はこれが通用しない。野心的な長期展望が見え隠れすれば、習と距離を置く勢力、長老らとのあつれきは強まる。そこで編み出されたのが、非常時を名目上の理由にした北戴河会議のステルス化である。実態は一段と見えにくく、極論すれば北京で密会が開かれていてもおかしくない。

■「ロングラン北戴河」で米中協議も延期か

軍事パレードを前に談笑する習近平国家主席(左)と江沢民元国家主席。右は胡錦濤前国家主席(2015年9月3日、北京)=写真 柏原敬樹
画像の拡大

一方、高級幹部らがあくまで「純粋な休暇」として静々と北戴河で過ごすのは構わないとした。しかし、そこで何ら公式の行事はなく、表向き、重要な意思決定がある会議も存在しない。こんな虚構の論理によって可視化を極度に嫌うステルス会議が成立した。

とはいえ疑問は残る。ステルス会議なのに異例のロングランになったのはなぜなのか。議論の対象となる物事の多さと重大性、そして裏での激しい駆け引きゆえだろう。直截(ちょくせつ)的ではないにしろ、今後15年の中国の行方がちらつく意見交換だけに、簡単に終わるはずもない。

影響は対米関係にも及んだ。米中両政府が15日に予定していた閣僚級の貿易協議(テレビ会議方式)がひとまず延期された。例年なら北戴河会議は12、13日ごろには終わる。米国時間で15日という設定には「北戴河の終了後、落ち着いた雰囲気で」という意味もあった。

米中の「第1段階合意」から半年以上がたつ。中国による約束履行の確認作業は今後の米中関係を見るうえで重要だ。そこには動画配信アプリ「TikTok(ティックトック)」問題など新たな対立軸も絡む。もし大方針が決まったとすれば、近く新たな動きがあるはずだ。戦時の「ステルス北戴河」という習近平の演出は奏功したのか。注目したい。(敬称略)』