〔国家承認を得た国連非加盟の国と地域の一覧〕

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E6%89%BF%E8%AA%8D%E3%82%92%E5%BE%97%E3%81%9F%E5%9B%BD%E9%80%A3%E9%9D%9E%E5%8A%A0%E7%9B%9F%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%A8%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

『本項目は国家承認を得た国際連合非加盟の国と地域の一覧(こっかしょうにんをえたこくさいれんごうひかめいのくにとちいきのいちらん)である。※(この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2019年3月))という注意書きが付されている)』

『掲載基準
「国家の承認」および「国際連合加盟国」も参照
国際社会に生まれた新しい国に対してほかの国が承認を与えることを「国家承認」という[1]。本項目ではこうした承認を他の国から受けたものを掲載対象とするが、国家承認を与える側が国とされていることを確認できない場合は掲載対象から除外する。
2020年5月現在、国連には193ヵ国が加盟している[2]。本項目では、上記の国家承認を得たものであっても、これら国連加盟国は掲載対象から除外する。

1か国以上の国際連合加盟国から国家承認を受けている地域
国連総会オブザーバー資格を有する国


・ バチカン市国 [3]- 承認国数 178/193[4](2018年9月時点)
1929年のラテラノ条約でイタリアから独立承認。それ以降国土面積が世界最小の独立国として存在している。2019年時点で、国連非加盟国の中では最も多くの国家承認を得ており、1964年には国連総会オブザーバーとしての資格も得ている。
なお、2004年に投票権を除く全ての国連加盟国と同等の権利を与えられているが、この状態は国連加盟とはされておらず、日本の教科用図書においても「国連非加盟の独立国」と表記されている。
・ パレスチナ国 – 承認国数 137/193[5](2019年5月時点)
1988年に独立宣言。パレスチナ問題の解決を目指す1947年のパレスチナ分割決議によって、イギリス委任統治領パレスチナの分割及びにパレスチナ人国家とユダヤ人国家の創設が定められたが、パレスチナ人はこれを不服として第一次中東戦争に至ったために実現には至らなかった。パレスチナは第三次中東戦争以降全域がイスラエルの占領下に置かれたが、1987年に発生した第1次インティファーダの過程において、パレスチナ解放機構がパレスチナの独立宣言を出し、1994年にはオスロ合意に基づいてパレスチナ自治政府が設立された。2008年のガザ紛争以降に承認する国が増加すると、自治政府は2011年から「パレスチナ国」としての国連加盟を求める運動を展開し、同年よりUNESCOに加盟、2012年より国連総会オブザーバー国として、国連に参加している。
パレスチナを国として承認しない国々は、パレスチナ国土をパレスチナ自治区、パレスチナ政府をパレスチナ自治政府として認識し、実務関係を有している。

元国連加盟国

中華民国 – 承認国数 15(※ 南太平洋の島嶼諸国が多い)/193[6](2019年9月時点)
1912年に建国。国連発足時から「中国(China)代表」として加盟(国連原加盟国)。国共内戦の過程において、1949年に中国共産党によって中華人民共和国が建国され、中華民国の中国国民党政府が中国大陸から台湾島へ撤退すると、双方が「正統性を有する唯一の中国の国家(一つの中国)」としての地位を主張する分断国家となった。国連に「中国代表」として参加する権利は中華人民共和国建国後も中華民国が引き続き維持していたが、1971年のアルバニア決議によって、代表権は中華人民共和国のものとなり、中華民国は国連を脱退した。国連脱退後も中華民国は台湾地区の実効支配を維持しているが、中華人民共和国は他国に対して「二つの中国」を認めず、建国以来一度も統治できていない台湾の主権帰属先(台湾問題)も自国に正統性があるとの方針を貫いている。その為、国連脱退後も承認している国は主に中米やオセアニアの、中華民国から支援を受けている小国が多い。しかし、2000年代以降は中華人民共和国の経済的な影響力が増大し、他国を支援することも多くなってきたため、中華民国を国家承認する国は年々減少している。
中華民国を国として承認しない国々のうち、中華人民共和国と親しい国は台湾地区を中華人民共和国の一部(福建省・台湾省)として扱っている。一方で中華人民共和国と親しい国以外(西側諸国等)は、台湾地区を「台湾」という個別の地域、中華民国政府を「台湾地区を実効支配する政治的実体」と認識している。中華民国はそれらの国と非公式的な実務関係を有しており、事実上の大使館として機能する台北経済文化代表処を設置している。

国連に参加・加盟した実績が無い地域

・コソボ共和国 – 承認国数 107/193[7](2015年8月時点)
2008年にセルビアから独立宣言。20世紀初頭のバルカン戦争時にアルバニアの一部として独立したが、1913年の戦後処理でセルビア王国の領土とされた。ユーゴスラビア連邦人民共和国(後のユーゴスラビア連邦共和国)の体制下で1946年にセルビア人民共和国(後のセルビア社会主義共和国→セルビア共和国)の一部としてコソボ・メトヒヤ自治州(第一次)が設置され、1974年に自治権を拡大したコソボ社会主義自治州に移行されたが、1989年に成立したスロボダン・ミロシェヴィッチ政権は、セルビア民族統一主義政策の一環として自治権を縮小したコソボ・メトヒヤ自治州(第二次)を設置した。この措置に対して多く居住するアルバニア系住民が反発し、旧社会主義自治州の関係者によって1990年にコソボ共和国の建国が宣言された。1998年に勃発したコソボ紛争の結果、ユーゴスラビア連邦共和国(セルビア共和国)の主権下を事実上離脱し、国際連合コソボ暫定行政ミッションの統治下でコソボ地位問題の解決を目指していたが、2007年に国連暫定統治終了後の地位を巡る交渉が決裂したことによって一方的な独立に至った。
コソボ共和国を国として承認しない国々は、コソボをセルビアの一部(コソボ・メトヒヤ自治州)として扱っている。

・サハラ・アラブ民主共和国 – 承認国数 47/193[8](2016年9月時点)
1976年にスペインから独立宣言。1884年からスペインの植民地(スペイン領サハラ)となっていた西サハラの返還運動がモロッコとモーリタニアで高まった事を受け、1975年に三者間でマドリード協定が締結されてスペインは西サハラから撤退した。協定ではモロッコとモーリタニアによる西サハラの分割統治が定められたが、独立志向のサハラウィー人(英語版)を主体とする現地住民はこれを不服とし、1973年にポリサリオ戦線を組織してアルジェリアの支援の下で独立を宣言した。独立宣言直後から西サハラ戦争が本格化し、1979年にモーリタニアは西サハラから撤退したものの、1991年の停戦以降は、約7割に当る地域をモロッコが実効支配している。サハラ・アラブ共和国は西サハラの約3割を実効支配しているが、政府組織はアルジェリアに本拠地を置いたままとなっており、西サハラの最終的な領有権を決める西サハラ問題も未解決となっている。
サハラ・アラブ民主共和国を国として承認しない国々は、モロッコの西サハラ領有も承認していない為[9]、西サハラを「国際連合西サハラ住民投票ミッションが完了するまで主権帰属先が未定の地域」として扱っている。

・クック諸島 – 承認国数43/193[10](2015年8月時点)
2001年のニュージーランドとの共同宣言において、自由連合関係を維持しながら、主権国家として外交を行うことが宣言された[11]。元々はニュージーランドの属領の一つであったが、1965年に自治権を獲得、1973年には個別に外交を行うとの宣言も出され、そして2001年の主権国家宣言に至った。このようにして、クック諸島は現時点で独立国としての性格を強めている。しかしながら、現在でも軍事や外交の権利はニュージーランドが行使していること、クック諸島住民の国籍がニュージーランドに置かれていることから、国家の構成要件である「主権」、「人民」を満たしていないとして国家承認をしていない国が多く存在する。
クック諸島を国として承認しない国々は、クック諸島をニュージーランドの自治権を持つ一構成体として扱っている。

・ニウエ – 承認国数 18/193[12](2016年9月時点)
1974年に内政権を獲得、ニュージーランドの自由連合国となった。主権国家宣言はなされていないが、2007年に中華人民共和国が国家承認して以降は独立国であるとする記述もされるようになった[13]。しかし、同じ自由連合の立場にあるクック諸島とは異なり、先述のように主権国家宣言がされておらず、ニウエの自由連合終了権も認められていない状態にある。
ニウエを国として承認しない国々は、ニウエをニュージーランドの自治権を持つ一構成体として扱っている。

・アブハジア共和国 – 承認国数 5/193[14](2015年5月時点)
1992年にジョージアから独立宣言。1921年にソビエト連邦がアブハジア社会主義ソビエト共和国を設置したが、1931年にグルジア・ソビエト社会主義共和国内のアブハズ自治ソビエト社会主義共和国へ降格された。その後、ペレストロイカの過程でカルトヴェリ人の民族主義を強めたジョージアが1992年に憲法改正でアブハジアの自治共和国を事実上廃止すると、それに反発するアブハズ人が独立を宣言し、宣言直後に勃発したアブハジア戦争(英語版)に独立支持勢力が勝利することで、アブハジアの大多数がジョージアの実効支配下から離れた。2008年にジョージア軍の南オセチア侵攻を契機として勃発した南オセチア紛争の結果、ジョージアがアブハジアの一部で有していた支配権を獲得し、ロシアによって独立が承認された。
アブハジア共和国を国として承認しない国々は、アブハジアをジョージアの一部(アブハジア自治共和国)として扱っている。

・南オセチア共和国 – 承認国数 5/193[15](2014年3月時点)
1991年にジョージアから独立宣言。1921年にソビエト連邦がグルジア・ソビエト社会主義共和国内の自治州として南オセチア自治州を設置したが、ペレストロイカの過程においてグルジア・ソビエト社会主義共和国はカルトヴェリ人の民族主義政策強化の一環として1990年に自治州を廃止した。これに対して南オセチア自治州に多く居住するオセット人が反発し、1991年のジョージア独立直前に勃発した第一次南オセチア紛争(英語版)を経て独立に至った。2008年のジョージアによる南オセチア侵攻を契機として勃発した第二次南オセチア紛争の結果、ジョージアが南オセチアの一部で有していた支配権を獲得し、ロシアによって独立が承認された。
南オセチア共和国を国として承認しない国々は、南オセチアをジョージアの一部(ラチャ=レチフミおよびクヴェモ・スヴァネティ州・イメレティ州・シダ・カルトリ州・ムツヘタ=ムティアネティ州)として扱っている。

・北キプロス・トルコ共和国 – 承認国数 1(※トルコだけ)/193[16]
1983年にキプロスから独立宣言。1960年に独立したキプロス共和国政府はギリシャ系住民とトルコ系住民の共存を目指していたが、キプロス紛争の過程において1974年にギリシャ軍事政権の支援を受けたギリシア系民兵によるクーデターで政権が崩壊した。これに対し、エノシス(英語版)(全キプロスのギリシャへの統合)実現の可能性を恐れたトルコは「トルコ系住民保護」を名目にトルコ軍をキプロスへ侵攻させ、キプロスは北部のトルコ軍実効支配地域と南部のキプロス政府実効支配地域に分断された。1975年にトルコ軍実効支配地域はキプロス連邦トルコ人共和国を建国して連邦制によるキプロス共和国政府との再統合を目指したものの、分断以前の体制への復帰を望む共和国政府との統合交渉が決裂したことによって独立に至った。
北キプロス・トルコ共和国を国として承認しない国々は、北キプロスをキプロス共和国の一部(ファマグスタ地区・キレニア地区・ラルナカ地区)として扱っている。

国際連合非加盟国のみが国家承認している地域

・アルツァフ共和国 – 承認国数 2[17]
旧:ナゴルノ・カラバフ共和国。1991年にアゼルバイジャンから独立宣言。ナゴルノ・カラバフはロシア帝国の制圧以前からアゼルバイジャン人とアルメニア人による領土紛争の舞台となってきたが、1921年にソビエト連邦はアルメニア系住民が多く居住する同地をアゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国に帰属させる決定を下し、1923年にアルメニア人の自治州としてナゴルノ・カラバフ自治州が成立した。これに対しアルメニア人たちは度々ソ連中央政府にナゴルノ・カラバフのアルメニア・ソビエト社会主義共和国(現:アルメニア)編入を求めていたが、1985年のペレストロイカ開始後にアルメニアへの編入を求める動きはアゼルバイジャン人とアルメニア人の暴力的な衝突につながり、1988年のナゴルノ・カラバフ戦争勃発に至った。ナゴルノ・カラバフ自治共和国とその周辺地域はアゼルバイジャンの独立直後に「ナゴルノ・カラバフ共和国」の独立を宣言し、1994年の停戦によって実効支配を確実なものとしている。
国家承認していない国々は、アゼルバイジャンの一部(14の県)として扱っている。

・沿ドニエストル共和国 – 承認国数 2[18]
1990年にモルダビア・ソビエト社会主義共和国(現:モルドバ)から独立宣言。1924年にソビエト連邦がモルダビア自治ソビエト社会主義共和国をウクライナ・ソビエト社会主義共和国の自治共和国として設置したが、1940年にソ連がルーマニアからベッサラビアを獲得すると、新設されたモルダビア・ソビエト社会主義共和国の一部に組み込まれ消滅した。その後、ペレストロイカの過程でモルダビア政府がモルドバ人民族主義政策および親ルーマニア政策を強めたことに対し、旧:ウクライナ領のドニエストル川東岸に多く居住するロシア系住民が反発して独立を宣言するに至った。1992年に勃発したトランスニストリア戦争の勝利によって実効支配を確実なものとしている。
国家承認していない国々は、モルドバの一部(沿ドニエストル地域・ベンデル)として扱っている。

・ドネツク人民共和国 – 承認国数 1[19]
2014年にウクライナから独立宣言。同年に発生したクリミア危機・ウクライナ東部紛争の過程で親ロシア派が州議会を占領して建国を宣言した。同国が領土とするドネツィク州の3割ほどの地域は現在もウクライナ政府の支配が及んでいない状況にあり、政府はロシアへの編入を求めている。
国家承認していない国々は、ウクライナのドネツィク州の一部として扱っている。

・ルガンスク人民共和国 – 承認国数 1[20]
2014年にウクライナから独立宣言。ドネツク人民共和国と同様、クリミア危機・ウクライナ東部紛争の過程において親ロシア派がロシアへの編入を求めて建国を宣言した。同国は現在もルハーンシク州のおよそ半分の地域を実効支配している。
なお、独立宣言の同年、南部に位置するドネツク人民共和国と共にノヴォロシア人民共和国連邦の結成に調印したが、こちらは一切承認を受けなかった。結局は結成から1年足らずで連邦政府の廃止が発表されている。
国家承認していない国々は、ウクライナのルハーンシク州の一部として扱っている。』