スレブレニツァの虐殺から25年 ボスニア

北の国から猫と二人で想う事 livedoor版:スレブレニツァの虐殺から25年 ボスニア
http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/5192928.html

 ※「国連軍」とか、「国連の平和維持活動」なるものの、実態を余すところなく、伝えている記事だと思う…。
 絶対に、読んでおくべきと、考える…。

 『戦後欧州で最悪の虐殺:当時は国連平和維持活動部隊としてオランダ軍がスレブレニツァを警備しており、セルビア人勢力の進軍を受けて約2万人のボシュニャク人(イスラム教徒系ボスニア人)が避難していたもの22711482-9F5E-4736-960A-29978FE4F6D5_w1774_r0_sの、7月11日にセルビア人勢力がスレブレニツァを占拠した。その地域は国連によって「安全地帯」に認定され、軽武装のオランダ軍部隊600人によって守られていた。しかし、軽装備のオランダ軍は降伏し、結果的に右の写真の国連軍UN(オランダ軍)は当時、避難してきた写真の住民らを置き去りにした。

1995年7月13日に、非武装のボシュニャク人たちが近くの村クラヴィツァで殺害されたことを皮切りに、セルビア人勢力は2週間のうちにボシュニャク人の男性を、少年を含めて隔離し、次々に虐殺した。遺体はブルドーザーで穴に埋められた。中には生き埋めにされた人や、子どもの殺害を強制的に見せられた親もいたという。オランダのハーグ地方裁判所2014年7月16日、「スレブレニツァ(Srebrenica)の虐殺」で殺害されたイスラム教徒の男性や少年のうち、300人以上の死についてオランダ国家の責任を認める判決を下した。

スレブレニツァ周辺で4日間にわたり約8000人のボシュニャク人男性や少年たちがセルビア人勢力によって殺害された。この間、軽装備の国連部隊は虐殺を止めようとしなかった。後に当時のコフィ・アナン国連事務総長は、「スレブレニツァの悲劇は国連の歴史に永遠に影を落とす」と述べた。』

 ※ こういう「悲劇」の背後で、軍産・金融複合体が、蠢いていたりするのが、「この世の中」だ…。