飲食店、「持ち味」磨け…。

飲食店、「持ち味」磨け ミクニ流リスク管理の極意
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO60305720S0A610C2000000?channel=DF220420206042

『「振り返ると、ほぼ10年おきにうちの店は危機に見舞われてきた」と三国シェフはいう。

今から約10年前の2011年には東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故に見舞われた。約20年前の2003年には「ミクニマルノウチ」(東京・千代田)を舞台にした「食中毒」騒動が起き、それからさらに10年前は「バブルの崩壊」である。』
(※ オレの「日経平均の分析」でも、ほぼ「8年に1回」は、下げ局面が襲来している…)
『リーマン・ショック(2008年)なども含め、危機に直面する度、客足は落ち込んだが、時間の経過とともに、客足は回復。結果的に従業員の雇用や売り上げを確保し、創業以来、赤字を出さずにやってきた。』
『だが、今回ばかりは様相が違う。4月から約2カ月もの長期の間、休業を余儀なくされた経験は過去、一度もない。新型コロナウイルスの感染者や死者が世界中に一気に増えた今回のコロナ禍は「まさに前代未聞。見えない敵相手の戦争のよう」と語ってやまない。』
『オテル・ドゥ・ミクニの創業は1985年。三国シェフが30歳の時で、時はまさにバブル経済のはしりの時期。その翌年には「一億総グルメブーム」が起き、料理人が活躍するテレビのバラエティー番組などが人気を博す時代が続く。

右肩上がりできた経済が一気に崩壊し、バブル崩壊を迎えた1993年。その際のピンチを克服した三国シェフの手法がおもしろい。

「オテル・ドゥ・ミクニの隣にあった建物付きの不動産が売りに出されたので、即座に購入を決断。それまでの店舗面積を一気に3倍に拡大しようとした矢先のタイミングでのバブル崩壊でした。レストランや高級飲食店がバタバタと閉店していく中で、うちの『店舗拡大』が逆に話題を呼んだ。マスコミに取り上げられ、それで来店してくれた人たちのおかげで、何とか苦境を乗り切ることができた」と振り返る。』
『約10年前の東日本大震災と・福島第1原発事故の際はどうだったか。直後に三国シェフの脳裏にあるキャンペーンのことが浮かんだ。2001年秋の米同時テロ。その直後から地元レストランなどが取り組み始めた動きである。ニューヨークのレストランなどに2人で来店したら1人分の食事代はタダにし、その分を街の活性化や復興の原資に充てる、というもので、多くの市民が協力した。

それをヒントに、シェフは「2人で来店したら1人分はタダにし、さらに支払ってもらった料金の半額を被災地に寄付する」キャンペーンを独自に始めた。

キャンペーンを始めるにあたり、まずは当時の顧客約2万人に一斉にダイレクトメールを送付。その結果、顧客ら多くの賛同を得て、その年のオテル・ドゥ・ミクニの売り上げは「過去最高を記録」するに至る。』
『バブル崩壊やリーマン・ショック、阪神大震災や東日本大震災など過去、大規模不況や大規模災害に見舞われたが、いずれは景気も回復し、災害からの復興の道をたどってきたのが、これまでの歴史。だが、今回のコロナ禍は実態がいまだつかめておらず、特効薬やワクチンの開発もまだ。第2波、第3波の感染拡大への不安や、その備えも欠かせない。
見えないウイルスが悪さをし、人から人へと感染を広げる恐怖が付きまとい、収束する気配は現時点ではない。』
『〔「自社の強みとは何か」を念頭に〕
緊急事態宣言が解除されて以降、段階的にランチやディナーの営業を再開した。「予約客は少ないとはいえ、昼、夜とも来店してくれるだけありがたい。今年後半にかけて、閉店する店がどんどん出てくるはず」と三国シェフ。

打開策を練る上で、シェフが念頭に置くのは「自社の強みとは何か」。東京・四ツ谷の店の創業35年を筆頭に、横浜や名古屋、札幌などどこの店舗もそれなりの歴史を誇る。一定の顧客をしっかりとつなぎとめ、長らく営業してきたその実績こそが、コロナ戦に立ち向かう上での「最大・最強の武器」ととらえる。

『ウィズコロナの「新しい生活様式」に対応するため、料理や高級弁当の宅配サービスの充実化などにすでに乗り出している。一方、飲食店向けのコンサルタント業務という新たな領域にも手を広げる方針を打ち出す。「メニュー開発やスタッフ教育のノウハウ提供……。コンサル業務がうまく軌道に乗れば店のOBも呼び戻し、増員しないと」。コロナ禍と向き合いながら、三国シェフはじっとはしていない。

(堀威彦)』