
※ 引き続き、この人が語る「仕事論」だ…。
まだ何者でもないと認識を プライドは邪魔になる
学び×コロナ時代の仕事論(2)一橋大学教授の楠木建さん
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58437800U0A420C2I00000/



『前回、仕事にはコントロールできることとできないことがあるという話をした。無理が通れば道理が引っ込む。コントロールできないことを無理やりコントロールしようとするとロクなことにならない。無駄なことに注意や時間や労力を突っ込んだ揚げ句、後悔に明け暮れる。
だとすると、ここから2つのポイントが見えてくる。第1に、何をどこまでこちらでコントロールできると考えるかは人によって相当に異なる。仕事の中身やそれを取り巻く状況、自分の能力や持ち味に合わせて、どこまでコントロールでき、どこを所与の条件として受け入れるか。この見極めにその人の個性や仕事のセンスが如実に表れる。
仕事上での重要な成長のひとつに、この見極めが早く、的確になるということがある。自分でコントロールできると自信を持てる領分が大きくなっていく。これもまた成長である。それでも、独裁国家の元首じゃあるまいし、全部が全部コントロールできるということにはならない。』
『第2に、仕事においてはその人に固有の哲学が問われる。前回も話したように、あらゆる仕事には相手がある。仕事というのはお客(自分以外の他者)に対する価値提供に他ならない。ところがお客さんばかりはコントロールが効かない。常に結果が思い通りになるわけではない。
うまくいくかどうかはやってみなければわからない。それでも、こちらの「事前の構え」は固められる。ここにその人の仕事哲学が出る。すべてがコントロールできるのであれば、哲学はいらない。哲学がものを言うのは、コントロールできないことに直面したときだ。順風満帆の状況下では本当の自分が分からない。人間の本質は逆境においてのみ姿を現す。』
『僕の仕事哲学を一言でいうと「絶対悲観主義」ということになる。物事が自分の思い通りにうまくいくという期待をなるべく持たないようにする。何事においても「ま、うまくいかないだろうな……(でも、ちょっとやってみるか……)」と構えておく。こういうマインドセットを絶対悲観主義と呼んでいる。
「事前」と「事後」、「うまくいく」と「うまくいかない」、この2つの軸を組み合わせると、仕事には4つの成り行きというかパターンがある。
(1) 事前にうまくいくと思っていて、やってみたところ実際にうまくいった
(2) 事前にはうまくいかないと思っていたが、やってみたところうまくいった
(3) 事前にうまくいくと思っていたが、やってみたところ実際はうまくいかなかった
(4) 事前にうまくいかないと思っていて、やってみたところやはりうまくいかなかった』
『このうち僕がスキなのは、なんといっても2だ。うまくいかないだろうと悲観的に見積もっていただけに、うまくいったときのうれしさは大きくなる。喜びが上振れする。
最悪なのは3。うまくいくと思っていたところの失敗だから、ダメージが大きい。これと比べれば4のほうがはるかにマシだ。1よりも4のほうがスキなくらいだ。』
『ベルナール・フォントネル(フランスの思想家)はうまいこという。「幸福のもっとも大きな障害は、過大な幸福を期待することである。」。民主主義にして自由主義、レッセフェールの時代である。これだけ多くの人がそれなりに利害をかかえて自由意思で動いている。』
『そんな世の中、自分の思い通りにならないのが当たり前で、思い通りになることがあったとしたらそれは例外だ。負けることの方がずっと多い。もちろん、うまくいくに越したことはない。それでも、負けは負けでわりと滋味がある。「そうは問屋が卸さない、か……」などとつぶやきつつ、うまくいかなかった理由に思いをめぐらせるのはしみじみと味わい深いひとときだ。
いくら経験を重ねても勝率はたいして上がらない。それでも負け方は確実にうまくなっていく。年季の入った人の中には、負け方が実にキレイな人がいる。僕はこういう人を信用する。「負け戦、ニヤリと笑って受け止める」。これが本当のプロだ。』
『絶対悲観主義が優れているのはその運用が著しくシンプルなことにある。やるべきことは、マインドセットのツマミを悲観方向に回しておくだけ。しかも、結果と違って事前の構えだから、自分のスキなようにスキなだけ操作できる。ここぞというときは、ツマミの可動領域いっぱいまで思いっきり悲観に振っておく。
2になったら望外の喜びだ。4に転んでも(実際はこっちのほうがはるかに多い)、はじめからどうせうまくいかないだろうと思っているのだから、素直に易々と負けを受け止められる。一石二鳥、実にお得である。
はじめから仕事の結果はそうそう思い通りにならないと思っていれば、何事も自然体で気軽に取り組める。絶対悲観から楽観が生まれる。』
『反対に、「うまくやろう」と構えると息苦しくなる。「うまくやろう」はまだしも、「うまくやらなければならない」となると、どうしても肩に力が入る。「リスクを取れ!挑戦しろ!」というけれど、そもそもリスクというのは認知の問題にすぎない。
事前に成功を期待し、成功を前提とするからリスクを感じるのであって、絶対悲観主義に立てばリスクから一気に解放される。主観的にはリスクがないから、フルスイングできる。で、だいたい空振りする。それでも、バットを振らないことには何も始まらない。絶対悲観主義は気持ちよく川の流れに身をまかせるための実践的哲学である。』
『邪魔になるのはプライドだ。プライドがある人はすぐに傷つく。傷つくのはイヤで怖いから、動けなくなる。動くときも失敗を避けようとしてヘンな計画を立てたりする。で、ますます疲弊する。
僕の見るところ、若い人ほどこの落とし穴にはまりやすい。若くてヤル気のある人はやたらと「挑戦します!」というのだが、総じてプライドが高い。しくじることを受け入れられない。だから挑戦といいつつも、結果が心配で仕方がない。
僕のような者でも「こういうことに挑戦しようと思うのだが、何かアドバイスをくれないか」と聞かれることがある。僕はこう言うようにしている。「心配する必要まったくなし。絶対うまくいかないから。」決まってイヤな顔をされる。しかし、そういうことなのだ。』
『仕事には矜持(きょうじ)を持たなければならない。プライドは大切である。しかし、それはある程度の成果を出し、実績を積んでからの話だ。自分(だけ)は特別だと思い込む。それが若者といえばそれまでだが、しょせん99%はフツーの人。「自分はまだ何者でもない」という認識からスタートするに越したことはない。
若者にこそ絶対悲観主義の構えを勧めたい。気軽にフルスイングし、どんどん空振りするに若くはなし。若いときほど失敗におけるサンクコストは小さい。若者の特権は「これから先が長くある」「柔軟性がある」ではない。「まだ何にもない」ということにある。』