間接民主制のほうも、日本における選挙権の歴史は、明治憲法制定当時(明治
23年(1891年。明治維新から23年かかってる)の男子制限選挙(「直接国税
15円以上納める25歳以上の男子」。今の貨幣価値で、120万円くらいの納税額
らしい。税制が違うので、比較しづらいが、年収8000万円以上くらいではと
いう推定だ。人口の1.1%)、明治35年(1904年)の男子制限選挙「直接国税10円
以上納める25歳以上の男子」(人口の2.2%)、大正9年(1921年)の男子制限選挙
「直接国税3円以上納める25歳以上の男子」(人口の5.5%)、昭和3年(1928年)の
男子普通選挙「25歳以上の男子」(人口の20.0%)。選挙制の実施から、37年も
かけてやっと男子のみの普通選挙(納税額=財産によって左右されない、1人1 票制。ただし、男子のみ)が実現したわけだ。ここまでが、明治憲法下の話しだ。
太平洋戦争の敗戦により、1947年に「20歳以上の男女」(人口の48.7%)となっ
た。実に、選挙制の実施から56年かけて女子にも選挙権が与えられるという話
しになったわけで、今年2017年でたかだか70年の歴史なわけだ。その間、日本
国民は男女ともに上記の前提条件をクリアできる水準に達しているのか、自問し
てみる必要がありそうだな。
また、選挙権の拡大は戦争と密接に関係している。1894年が日清戦争、1904年が日露戦争、1914年が一次大戦、1945年が太平洋戦争だ。戦争で死んでいく国民からすれば、「実際に戦地で死んでくのは俺たちなのに、戦争を決定するのはぬくぬくと暮らしている金持ち連中かよ。ふざけんな!」って話しだ。1921年と1928年の拡大は、戦争の犠牲と関係なさそうだが、一次大戦に日本は直接参戦せず(中国でのドイツの権益を横取りするなど、セコい行動を取った)、戦地となったヨーロッパ向けの輸出なんかで空前の好景気となり、その利益の配分を求めて労働運動・小作争議も盛んに行われ、民主的な制度を求める風潮が盛んだった(初の政党内閣の原敬内閣もこの頃実現)。選挙制の実施から、37年経っている(約1世代)。
余談だが、歴史的な事象を考える場合、1世代-30年というのは、重要だ。
その人に与えた社会的な影響を考える場合、生まれてから成人して次世代の子孫
を作る頃までというのが一区切りになる。
次は、50年。次世代の子供が青年になる頃。その青年は、青年になるまで親の世代の社会的影響と自分の世代の社会的影響を受けて生きたことになる。
次は、60年。自分の次の世代が、さらに子孫を作る頃。3代目は、じいさん・ばあさんの社会的影響と親の社会的影響を受けつつ、自分自身の世代の社会的影響を受けて生きることになる。オレの寿命(単に生きてるだけでなく、知的活動が可能な年月。頭が使えている年月)自体あと○○年位のもんだろう。こうしてキーボードを叩いて、お前に考えてることを伝達できるのも、あと○○年位だと思う。だから、「ウザい」と思うだろうが、遺言だと思って我慢して聞け。
「親の小言と冷や酒は後でジワジワ効いてくる」と言うらしいからな。
それで、続けると、選挙制の実施からは37年、明治維新からは37+23=
60年(2世代)経ってるんで、そろそろ(男子だったら)国政に参加させても
良かろう。それ位の水準には達しているだろう(明治5年の「学制」の実施から
は、55年経っている)、という判断もあったのだろう。実際、大正デモクラシー
で都市部では新聞・ラジオが普及し、田舎でも雑誌が読まれ、ちょっとした金持
ち宅では蓄音機があったらしい(オレの親父は昭和○年、お袋は昭和○年の生まれだ。新聞を取ってたかは聞き漏らしたが、雑誌はそれなりに有ったらしい。蓄音機は、残念ながらなかったらしい)。
間接民主制の実現すらも、この位の年月がかかっている。その間黙っていても
実現される訳ではなく、まず識字率を地道に上げないといけなかった。
江戸末期、武士階級の識字率は100%。ただし、人口は全人口の1割。武士階級の識字者は、全人口比で10%。商人階級の識字率は、江戸においては70~80%。ちょっとした、丁稚になるのすら読み書きできないとダメだったらしい。人口比は、商人・職人階級が全人口の2割位か。その半分として、商人・職人階級の識字者は、全人口比で10%。農民階級の識字者は、ちょっと不明だが、村方三役はたぶん識字者だったろうと思う。自作農(本百姓)の識字率はどれ位か。半分はいかなったかも、と思う。小作農(水呑み百姓)の識字率は、おそらく零だろう。
農民階級の識字者は、全人口比でざっくり10~15%位か。全くの推量だが、識字率は全体で20~30%位か(それでも、世界的な比較で驚異的な数字という説もある)。
明治期に入ると、統計的な数字がある。というのは、徴兵制だったんで、軍隊
に入れるとき(20才)に読み書き・算術計算検査を実施したらしい。兵器の操
作方法を記してある取説が読めなかったり、砲弾の着弾計算を誤って味方の頭を
吹っ飛ばしたりされたら堪ったもんじゃないからな。
それによると、明治32年(1899年)で約50%位、1915年(大正4年)で88%位、1925年(大正14年)で98%位の数字になっている。1928年の男子普通選挙制の実施とほぼ重なるな。
ここから分かることは、間接民主制(選挙制度)の実現ですら上記のような地
道な年月の積み重ね、その間の国民(=選挙民)の育成が必要だということだ。
そのような基盤・前提が存在しないところに、形式だけ「国民主権だ!民主制だ!
選挙制度の実現だ!」と唱えて、選挙制度を実施したところで、機能しないとい
うことだ。アメリカは、民主制度の伝道者を自認し、民主制を押しつけ、非民主
制の政治システムを「独裁的だ」と言って攻撃するが、果たして民主制が機能す
る基盤・前提が存在するのかよくよく考察しないと。