続いては、ミャンマー方面からのエネルギー資源輸送のパイプラインだ。
ミャンマーは、昔は「ビルマ」と言って、イギリスの植民地だった。
インドを植民地支配したイギリスは、徐々にインドシナ半島方面にも支配領域を広げて行き、三度の英麺戦争を経た後、ミャンマー(ビルマ)を支配下に置いた。
まあ、ここら辺でも、見とけ(『イギリス統治下のビルマ』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E4%B8%8B%E3%81%AE%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E)
その頃から、石油が出るので有名だった。「バーマー(ビルマの英語的発音)石油」ってのが、採掘権を一手に握ってた( http://markethack.net/archives/51843808.html )
大日本帝国が泥沼の日中戦争に嵌まって行った時、インドシナ半島方面には「援蒋(蒋介石を支援し、物資(武器・弾薬を含む)を運搬するもの)ルート」と称するものがあり、真珠湾攻撃で太平洋戦争突入後、「仏印(フランス領インドシナ。ベトナム・ラオス・カンボジアは、フランスの植民地だった。英・米・仏の連合軍は、このルートを使って、蒋介石を支援した)への進駐」は、この援蒋ルートを遮断する目的があった。
ビルマの戦い
『蒋介石政府への軍需物資の輸送ルート(援蒋ルート)には以下があった。日本の参謀本部では1939年頃の各ルートの月間輸送量を次のように推定していた[1]。
- 香港ほか中国沿岸からのルート(香港ルート):6,000トン
- ソ連から新疆を経るルート(西北ルート):500トン
- フランス領インドシナのハノイからのルート(仏印ルート):15,000トン
- ビルマのラングーンからのルート(ビルマルート):10,000トン
ビルマルートとは、ラングーンの港からマンダレー経由でラシオ(現在のラーショー)までの鉄道路「ビルマ鉄道(en)」と、ラシオから山岳地帯を越えて雲南省昆明に至る自動車道路「ビルマ公路」とを接続した、全長2,300キロの軍需物資の輸送ルートの呼称である。蒋介石政府はトラックがどうにか通れるだけの山越えの道路を1938年7月に完成させていた。
1940年6月、ドイツ軍のパリ占領を機に、日本政府はイギリス政府に対して申し入れを行い、ビルマおよび香港を経由する蒋介石政府への物資輸送を閉鎖させた。さらに日本は9月の北部仏印進駐により仏印ルートをも遮断した。しかしビルマルートの閉鎖はアメリカの反発により3か月間にとどまった。再開されたビルマルートを遮断するため、日本軍航空部隊は雲南省内の怒江(サルウィン川の中国名)にかかる「恵通橋」と瀾滄江(メコン川上流部の中国名)にかかる「功果橋(現在、中国が建設した Gongguoqiao Dam がある)」を爆撃したが、橋を破壊するまでには至らなかった。
アメリカとしては、ヨーロッパでの戦局を有利に導くためには、蒋介石政府の戦争からの脱落を防ぎ、100万の日本軍支那派遣軍を中国大陸に釘付けにさせ、日本軍が太平洋やインドで大規模な攻勢を行えないような状況を作ることが必要だった。蒋介石政府への軍事援助は、1941年3月以降は「レンドリース法」に基づいて行われるようになった。さらにアメリカは、志願兵という形を取って、クレア・リー・シェンノートが指揮する航空部隊「フライング・タイガース」をビルマへ進出させた。』
援蒋ルート・マップ

だから、この頃から、物資の輸送のための陸路は、存在したんだよ。
『昆明からビルマ国境までの区間は20万人の中国人労働者によって、1937年の日中戦争時に建設され、1938年に完成した。この公路は第二次世界大戦において、イギリスが日本との開戦以前に、中国へ軍事物資を輸送するための役割を持っていた。』

1937年7月が盧溝橋事件勃発による、日中戦争の開始だ。それと、このビルマ公路の工事の着工の先後が、どうなっていたのか…。
いずれにせよ、英米及び連合国側と蒋介石の国民党政府とは、息を合わせて日本を泥沼の日中戦争に嵌めていく算段済みだった、という話しだろう。
オレがいつも言っている、水面下の大きな流れに気付いて、素早く策を打たないと、手遅れになるって話しの典型だったんじゃなければ、いいんだが…。参謀本部は、こういう動きを掴んで、分析・解析していたのか…。
『建設工事には、15000人のアメリカ陸軍兵士(その6割はアフリカ系アメリカ人)と35000人の現地人労働者が投入され、現地人労働者への報酬総額は1億5千万ドルに上った。工事中のアメリカ軍兵士の死者は1100人で、もっと多くの現地人が犠牲となった[5]。ビルマの大半は日本軍勢力下であったため、地形や地質、河川の特質など工事に必要な地理的情報は事前に満足に得られなかった。』
駆り出された黒人兵と中国兵。

ビルマ公路とレド公路、写真(細くて、まっすぐなのが蒋介石が通した、ビルマ公路)

レド公路を行く、ジープの隊列

英側が作成した動画も、ここにある。
ビルマ公路・レド公路の動画 (※ 残念ながら、スクリプト・エラーになることもあるようだ。
URLを、貼っておく。 https://www.britannica.com/topic/Burma-Road/media/85526/144571 )
日本軍の作戦

なお、作戦は図上で示せば、上記のようなものだ。
しかし、その過程で兵隊がゴロゴロ死んでんだよ。検索してて、そういう写真がゴロゴロ挙がってて、見てられなかった…。
兵隊だけじゃない。巻き込まれた民間人も、ゴロゴロ死んでんだよ…。そういう写真も、ゴロゴロ挙がってた…。
オレが何が嫌だって、そういう戦争の裏で金儲けする奴だ。
人の尊厳を、何だと思ってんだ…。
しかし、オレらが平和に、安穏に、こうして暮らしてんのは、そういう尊い犠牲の上に成立してる話しだ。それを、忘れないように噛みしめないとな…。
中国がパイプラインを敷設する下地は、こういうところにもあるんだよ(ある意味、援蒋ルートの復活・活用だ。現に、そういう記事にも出くわした)。
今回は、中国・ミャンマーパイプラインを検索してるうちに、かつての大日本帝国のインドシナ半島方面での戦いに多くヒットする形になった。
まあ、それも良かろう。歴史的でき事は、決してそれ単独で成立してるのではなく、過去から連綿と続く話しの上に成り立ってるってことだ。だから、今目の前で起こっていることのみを見ていたんでは、その本当の意味を把握することは、できないんだよ。
オマケで、この当時のアジアの様子を確認しておこう。

それで、本来のパイプラインの話しに戻ろう。
まず、ミャンマーがエネルギー資源大国であることの確認から、始めよう。
ミャンマーの石油の推移からだ。

1985年頃までは、生産が消費を上回ってたんで、輸出する余力もあったろうが、近年は豊かになって石油の消費量も増加してきたんで、とても輸出に回す余力は、無さそうだな…。
次は、ミャンマーのガスの生産と消費の推移。

こっちは、凄いな。2000年頃から2005年頃にかけて、産出量がうなぎ登りだ。新しいガス田でも発見されたか、新技術でも導入したんだろう…。それに、中国が目をつけたって訳か…。
中国だけでなく、周辺の各国が競ってパイプラインを提案して、争奪戦になったようだ…。

そういう競争に打ち勝って、中国が首尾よく落札したという訳だ。例によって、たっぷりオイシイ話しを語り、タンマリ賄賂もばら撒いたんだろう。
それで、まずミャンマーの地形を確認しておこう。

チッタゴンからマンダレーまで通すのに、南北に山脈が走ってるから山越えしなければならないし、マンダレーから昆明まではひたすら山の中だ。インダス川流域のパキスタンよりも、大変そうだな…。
予定ルートは、こんな感じ…。ミャンマー産の原油は、期待できないんで、中東から運搬してパイプラインで流す…、という計画のようだ…。しかし、それでは米のチョークポイントを掻い潜れないんじゃないか…。

気候も、確認しておこう。ヤンゴンの雨温図だ。

熱帯モンスーン気候なんで、雨季と乾季がある。5月から9月は、雨季なんで、工事は難しい感じだな…。
しかも、月の平均気温が、常時30℃以上だ…。屋外での作業は、ツラそうだな…。
工事の様子だ。港湾付近の、設備のようだ…。


こっちは、ちゃんと埋めてるようだ…。迷彩服着てるのが、監視役の軍人か…。ブヨブヨで、鍛えが足りない感じだな…。
溶接してるのが、女性のようなのも、なんとも…。実際に作業してる人数が、三人らしいな…。どれぐらいのスピードで、捗るものやら…。掘って(5mくらいは、掘ってるようだな…)、ロープでパイプを降ろして、溶接するという手順か…。グルッと溶接するのに、どれくらいの時間がかかるんだ…。鋼管の下の方は、どうするんだ…。黒服の親父は、何やらロープを握ってるが、何してんだ…。
動かないようにでも、押さえる係か…。

山に差し掛かると、こんな感じ…。こんなに森林を伐採して、雨季に大丈夫なのか…。土砂災害が、起こりまくりのような気がするんだが…。
実際、今年(2018年)の7月に大洪水の被害が出てるぞ(『ミャンマー各地で洪水、10人死亡 5万4000人超避難』 http://www.afpbb.com/articles/-/3184190 )
中国-ミャンマー・パイプラインの評価
それで、肝心のこのパイプラインの評価だ。
まず、比較的中立なのが、次の論評だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sino-Myanmar_pipelines
英文のWikiなんで、機械翻訳にかけたさわりの部分を、貼っておく。
『ペトロチャイナは、2005年12月、ミャンマー政府と30年間に天然ガスを購入する契約を締結した。[1] この契約、ペトロチャイナの親会社に基づいて、中国石油天然気集団(CNPC)との契約2008年12月25日に署名した大宇インターナショナルはから天然ガスを購入するコンソーシアム-led
シュエガス田 A-1オフショアでのブロック。[2]
石油と天然ガスのパイプラインを建設する計画が2007年4月に中国の国家発展改革委員会によって承認された[3] 2008年11月に、中国とミャンマーは米国の$
1.5十億の石油パイプラインおよびUS $ 1.04十億の天然ガスパイプラインを建設することに合意しました。2009年3月、中国とミャンマーは天然ガスパイプラインを建設する契約を締結し、2009年6月には原油パイプラインを建設することで合意した。[4]
2009年10月31日にMaday Islandで建設開始の就任式が行われた。[5] [6]
2013年6月12日にミャンマーのガスパイプラインが完成し、2013年10月21日にガスが中国に流入し始めた。[7] [8] [9] 石油パイプラインは2014年8月に完成した[10]』
『この石油パイプラインは、年間1,200万トンの原油を生産する予定です。[15] 中国の原油輸入ルートを中東やアフリカから多様化し、マラッカ海峡を通る交通を避ける。[12]
[16] 石油貯蔵タンクはKyaukphyuの港の近くの島に建てられる。[17] 石油加工の場合、中国は重慶、四川、雲南で製油所を建設する。[18]
このガスパイプラインは、天然ガスを天然ガスから最大12 bcmの年間生産能力で中国に供給することを可能にする。[12] [19] パイプラインは、A-1およびA-3
Shwe油田から供給される。[20] 中国4月2013年にパイプラインを通ってビルマのシュエプロジェクトからの天然ガスの受信を開始するであろう[21]
シュエ、シュエ-Phyu、およびマイア領域A-1とA-3の推定ブロックは、127から218を保持します天然ガスの合計bcmは、Daewoo International
Corp.が率いるグループによって運営されている。[21] また、ミャンマー石油ガス会社、GAIL、韓国ガス株式会社も含まれている。』
「大宇インターナショナル」とか、「韓国ガス株式会社」とか、韓国も一枚噛んでるようだな…。中国の、韓国取り込み策の一環だろう…。
『パイプラインの総プロジェクトは25億ドルの費用がかかると予想されています。[17]
CNPCは、2014年7月にインド洋沿岸からアジア大陸に約20億立方メートルのガスが配管されたと発表し、ミャンマー・チャイナの天然ガスパイプラインの開設1周年を祝った。[22]
ミューズとラシオを結ぶ鉄道がプロジェクトの一部です。鉄道の長さは80マイルで、41の橋梁、36の地下トンネル、7つの駅があります。[23]』
総工費は、「25億ドル(※ 1ドル100円で、2500億円。)」の予定だ。鉄道プロジェクトも、含まれてるようだ…。それを、どう捻出するのか…。何の通貨建てなのか…。金利は、どれくらいなのか…、が気になるところだ。
次は、批判的な論調のもの。大紀元なんで、当然か…(※ スクリプト・エラー、出まくることもあるようだが、気にせずクリックし続ければ、表示されるようだ…)。
『評価1』 )
『 この石油パイプラインは、雲南省昆明とミャンマー西部チャオピューを結ぶ全長約770キロメートルというもので、これが稼働すれば、中国は中東などから輸入する原油を、マラッカ海峡を経由せずに中国に運び入れることができるようになる。 中国国営メディアはこれを「中国の石油輸入戦略における四大ルートの1つ」と報じているが、ルート上に5000メートル級の山脈やメコン川、原生林などがあったうえ、ミャンマー側に年間1000万ドル(約10億8600万円)以上を支払わなければならないため、2009年に建設に着手したころは、専門家やエネルギー業界からコスト面などを懸念する声も挙がっていた。また、このルートからは石油を年間2200万トンしか供給できないことから、中国のエネルギー需要を満たすには焼け石に水との見方もあった。』
『評価2』
『 3月上旬、中国の「両会」(国会に相当)が開催されていた最中に、中国と国境を接するミャンマーのコ―カン自治区(漢民族が集住する中国語圏地域)でミャンマー政府軍とミャンマー民族民主同盟軍(以下、コ―カン同盟軍)との間で武力衝突が勃発。7000人の難民が中国雲南省南傘地域に逃げ込んだ。この戦闘ではミサイルが南傘鎮を「誤爆」して、民間人の死傷者を出した。
習政権はこの予期しなかった軍事衝突に怒り、コ―カン同盟軍に対して、自主的に停戦を宣言するよう直接要求した。さらに、コ―カン同盟軍が援助資金を受け取るために中国農業銀行に開いていた口座の1つを凍結。3月末にはコ―カン自治区にほど近い雲南省南傘地域に軍隊を集め、演習を行った。』
『評価3』
『 パキスタンは先月14日、インダス川上流のディアマーバシャダム(Diamer-Bhasha Dam)の建設に中国からの140億ドル(約1兆5755億円)の資金援助を拒否した。 同国水利電力省によると、中国側から既存のダムを担保に入れ、ディアマーバシャダムの所有権や運営、維持管理などは中国側に属するといった厳しい融資条件が出された。同省のムザミル・フセイン(Muzammil
Hussein)主席はこの条件がパキスタンの国益を損なったとして、受け入れられないとコメントした。
ネパールは同13日、「財務規則違反」や「入札数や競合社の不足」を理由とし、中国企業と合意した25億ドル(約2813億円)規模の水力発電所建設計画を中止した。ネパール当局は同26日、発電量1200メガワットの同事業を国営ネパール電力公社(NEA)に委託した。
さらに、ミャンマーでは中国主導で建設する同国北部の水力発電用巨大ダムは、総事業費36億ドル(約4050億円)に達し、発電電力の9割を中国に輸出する計画だった。2009年に着工し、2011年に前政権が国民の批判を受けて建設を中断した。中国側は積極的に建設再開を求めているが、進展は見られなかった。
近隣諸国が大規模なインフラ建設事業を中止した理由はそれぞれだった。しかし、中国からヨーロッパまで結ぶこの巨大経済圏構想の参加国らは中国から大規模インフラ建設の支援を受けるには、極めて高い対価を支払わざるを得ない、ということに気づき始めた。』
『 4日付き米ビジネス情報サイト「クオーツ(QUARTZ)」によると、北京大学HSBCビジネススクール(PHBS)の経済学教授クリストファー・バリング(Christopher
Balding)氏は同紙の取材に対し「一帯一路に参加した国々は最初、中国の投資に非常に興奮していた。しかし、今は明らかに変化が生じた。スリランカやメキシコの建設事業において中国はどのように行動していたかを目にしたからだ」と話した。
スリランカ政府は2016年、債務軽減と引き換えに、中国にハンバントタ港の99年間の運営権を与えることで合意した。
また、中国は2015年、高速鉄道の建設契約が落札から数日後に取り消されたことで、メキシコ政府に6億ドル(約675億円)の損害賠償を求めた。』
だんだん、中国の化けの皮がはがれつつある…、ってことだ。
そういう「債務の罠」的な話しだけでは、ない。
中国は、米欧日なんかの側が援助をためらうような、強権的・軍事独裁的な国家にも、エネルギー資源や鉱物資源獲得の利益のためには、ためらわず接近し、援助を申し出る。しかし、それらの国においては、内部に民族対立・部族対立なんかを抱えていることが、多々あるんだよ。
中国自身が、ウイグル民族(中央アジアルートのパイプラインの重要な結節点だ)、チベット民族(ミャンマー・ルートのすぐお隣だ。かつ、重要な水資源地でもある)なんかとの、民族紛争を抱えている。特に、ウイグル自治区は、中央アジアルートとロシアルートの結節点なんで、何としても確保しなければならない…。それで、ウイグル族の妊娠可能な女子を漢族が多く暮らす地区に強制移住させる…、なんてな強引な手を使ってまで、平定を図っているんだよ。
パキスタンで確保したかに見えるグワダル港があるバロチスタン州も、中央政府に対して分離独立運動が盛んな地区だ。
それで、派遣されている中国人達は、襲われたりしかねないんで、租界みたいなところに籠もって出歩けない、って話しだ。
こんな風に、オレから見たら、八方隙だらけで、綻びが見えまくりなんだが、一応、習近平(及び、その参謀)の眼には、「我れ、四面来油の策成れり! これで、アメリカのチョークポイントの軛(くびき)から逃れたり! あとは、ペトロ・ダラーを弱めるだけなり!」ってんで、人民元建て原油先物市場の開設(密かに、金や金鉱山の利権、も買い集めてた、って話しだ)に動いたってことなのか…。
しかし、結果は、アメの全面的な反撃に遭って、ひたすらトランプの中間選挙での敗北待ち、という状況なのは、ご存じの通りだ…。

“中国の四面来油の策(その2)”. への1件のコメント
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