意識が高くなって治療や支援が行き届いた社会だからこそ「なおすべきは、あなただ」と言えてしまわないか?

意識が高くなって治療や支援が行き届いた社会だからこそ「なおすべきは、あなただ」と言えてしまわないか? – シロクマの屑籠
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20230216/1676512245

『www.kosehazuki.net

 昨夜、「セルフケアを持てはやすなよ」という文章を見かけたので読んだ。

その前にもtwitterで前哨戦のようなフレーズを見かけていたので(参照:これやこれなど)、ああ、そのあたりが意識されるフェーズなんだなと思うことにした。私も前から関心があって、もう少し調べてから言語化したいと思っていた。このセルフケアやアンガーマネジメントの話は、たとえば『チャヴ』でルポルタージュされたイギリスで新自由主義が進んでいった話などとも、自己実現や自己充足といったモチベーションの領域の話とも、自己啓発の領域とも地続きにみえてならないからだ。
 
チャヴ 弱者を敵視する社会

作者:オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
海と月社

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魂を統治する 私的な自己の形成

作者:ニコラス・ローズ
以文社

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日常に侵入する自己啓発

作者:牧野智和
勁草書房

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これらの書籍を「セルフケア」という角度から再読し、文章にまとめるのはちょっとした仕事量にはなるだろう。そうしたわけで黙っていたのだけど、冒頭リンク先に触発され、今、自分が思っていることを殴り書きだけでもしてみたい気持ちになったので、40分一本勝負でやってみる。
 
セルフケアやアンガーマネジメントは、一般に、進めれば進めるほど好ましいとされている。それらをとおして個々の労働者は自分自身の心身を守れるし、たとえば会社の上司が自分の機嫌の悪さを部下に押し付けるような事態を追放できる。そうすることによって職場の誰もがますます健康になり、気持ちよく働けるようになり、職場のコンプライアンスも守られる。個人間の暴力を禁じ、効率的な取引やコミュニケーションを推進する社会契約の理念にもかなっているだろう。
 
だからセルフケアやアンガーマネジメントを推進するのはおかしくないし、私も原則としては反対しない。たぶん多くの人もそうだろう。
 
ただ、良かれと思ってセルフケアやアンガーマネジメントを推進している人の裏には、ダブルミーニング的にこの流れに乗っかろうとしている人や、かえってこの流れを悪用しようとしている人も、想定しておかなきゃいけないとも思う。あるいは、こうしたことが極まった社会にどんな代償が伴うのかも考えに入れておくべきとも思う。そういったことをこれから書く。
 
セルフケアやアンガーマネジメントは、職場などで誰もが加害者にも被害者にもならずに気持ちよく働くための話だ。それらが難なくできる人にとっては特に好ましい話だろう。自分のメンタルヘルスもエモーションも易々と管理できる人には大した負担にならないし、そういうことができない連中から被害や迷惑を受けることがなくなる。なんとなればそういうことができない連中を職場や社会の表舞台から追放できる。バッチリだ。なにせ職場のコンプライアンス遵守から考えても、セルフケアができない個人、アンガーマネジメントができない個人が問題なのであって、私たちはセルフケアすべきだしアンガーマネジメントすべきなのである。それらができないやつはできてから来やがれ!
 
「自分の機嫌は自分で取る」なんか最近、「感情を処理できん人類は、ゴミだと教えたはずだがな」ぐらいのニュアンスで使われてない?
— 大刀🔞・ザ・ヒュージザンバー (@DAIGATANA) 2021年1月20日

……といった具合に、セルフケアやアンガーマネジメントをちょっとハードに適用すると、職場は最高にホワイトでコンプライアンスの守られた環境になるだろうけれど、その職場はセルフケアやアンガーマネジメントができる面々だけで構成されるようになり、できない面々が立ち入れない環境に変わる。

そしてセルフケアやアンガーマネジメントがしっかり定着した職場において、それらがちゃんとできないのは会社の問題でも社会の問題でもなく、個人の問題に帰するだろう。「おい、おまえちゃんとセルフケアやアンガーマネジメントができてないな。AさんもBさんもちゃんとできているんだぞ。できていなければおれらのコンプライアンスがなってないってことになっちまう。おまえもできなきゃだめだろ、できなきゃクビにしちゃうぞ」
──こんなことを慇懃無礼な言葉で警告されるようになるんじゃないだろうか。
 
セルフケアやアンガーマネジメントといった話には、たとえ会社や社会に問題があったりしても、まずは労働者個人に問題がないか点検し、個人をなんとかしようとさせる方向性があって、ともすれば、問題の個人化を促しているきらいがあるんじゃないか、と私は警戒している。

最近耳にするレジリエンスという言葉もそうだ。あの言葉はなんとなく聞こえがいいけれども、一歩間違えると問題解決を個人に強いるためのきれいごとになりかねない。気がする。
 
それから、セルフケアやアンガーマネジメントの定着した会社や社会は、資本家や経営者にとって非常に都合が良い点にも目配りしておきたくなる。

それらがひとたび定着すれば、労働者は上司も部下も自分で自分を修理したり制御したりしてくれるし、職場はブラックではなくホワイトとみなされコンプライアンスが守られる。

コンプライアンス遵守の差しさわりになりそうな人物を敬遠し、なんとなれば婉曲に追い出すことさえ可能になるかもしれない。

ホワイトな職場やコンプライアンスの遵守された職場は、生産性や効率性の面でも優れているだろうし、職場のコミュニケーションに感情というノイズが侵入するおそれも少なくなる。

それらが労働者のメンタルヘルスにどこまで貢献するのかはさておき、資本家や経営者にとっての面倒ごとを減らしてくれるのは間違いないだろう。
 
さて、そんなセルフケアやアンガーマネジメントを念頭に置きながら、もう少し私にとって間近な領域に目を向けてみる。

問題の個人化という視点でみた場合、メンタルヘルスに対する治療や診断の普及、メンタルヘルスに対する施策のかずかずも、問題の個人化を(一面としてだが)促していたりしないだろうか。
 
どういうことか。

今日ではメンタルヘルスへの行政的介入や福祉政策が充実し、たとえばストレスチェック、労働基準監督署、失業保険制度などをとおして私たちのメンタルヘルスはモニタリングされ、健康が絶え間なく促されている。それは良いことだろう。

また、発達障害も含めた精神疾患がどんどん診断されるようになり、それらが生物学的な背景のある疾患であり、遺伝子なり脳の機能なりの水準で問題が生じていると語られている。これも良いことだろう。

特に生物学的背景が説明されるようになった結果、多くの精神疾患において自己責任論がはびこりにくくなり、親責任論がはびこることも減っている。これも良いことだろう。
 
このように、メンタルヘルスをめぐる現況はおおむね自己責任論は回避できているし個人や社会にも貢献している。

しかし、こと、問題の個人化という事態は迂回しきれていないのではないか。個人に対し診断と治療と支援がなされる。それはいい。

だがそれが制度としても常識としても一般化していくなかで、そのメンタルヘルスの問題が起こっている状況について、会社の問題や社会の問題が含まれているとしてもそちらに目を向けるのはかえって難しくなってはいないだろうか。
 
つまり会社も社会も個人もメンタルヘルスについて意識がすごく高くなり、配慮も制度も充実した結果として、ひとつひとつの個人の不適応やメンタルヘルスの増悪はあくまで個人の問題でしかないと考えられやすくなり、そのぶん、会社の問題や社会の問題や体制の問題であるといった視点が、当事者からも医療従事者や福祉従事者からも遠ざけられやすくなってないだろうか。
 
もちろん、メンタルヘルスの諸問題は医療や制度をとおして何重にもバックアップされていて、それも良いことである。

しかし何重にもバックアップされている社会がここまでできあがったからこそ、右のように言い放つことが可能になっていないか心配なわけだ──「我々社会はこれだけやっています。それでもあなたがこうなるのはあなたの問題であって、社会の問題ではないですよね? なおすべきは、あなたであって社会ではない」
 
実地の医療や制度運用において、会社が悪い・社会が悪い・体制が悪いなどとシュプレヒコールをあげる余地は少ない。

どうあれ個人は個人としてメンタルヘルスの回復と向上につとめなければならない。生物学的背景の関与する精神疾患であれば尚更だ。

そのあたりは個人の問題として対処すればいいと思う。でも、これだって、会社や社会や体制の側が「そういうのは個人の問題に帰するものなんですよー」と頬かむりするにはなんだか都合の良い状況だ。

個人の救済のためのシステムをバッチリ発展させた結果、問題が生じた個人の治療やケアをすればいいだけで会社や社会や体制を省みるにはあたらない、と思い込みやすい状況ができあがってしまっていないだろうか。
 
もちろん個人も医療も行政機構も、会社や社会や体制の頬かむりを許すために頑張っているのでなく、あくまで個人の救済のために活動しているだろう。

セルフケアやアンガーマネジメントを推進している人達にしてもそうだ。でも、そうやってミクロな個人的救済を無数に積み重なった結果、マクロなレベルではまったく異なった結果が生み出され、まったく異なった目的のために通念や制度を利用してやろうと考えるプレイヤーも現れ……みたいなことはぜんぜんあり得る。

現状を否定すべきとは言わない。が、こうした変化の行き着く先と、こうした変化で一番得をしているのは誰かといった視点で振り返ってみることも、ときには必要じゃないかと私は思う。
 
前半でちょっと触れたように、この話は人間を働かせることとそれに付随する道徳や正義や正当性の話とも接続しているはずで、しっかりまとめるなら、そのあたりの過去と現在についても併記するのが望ましいと思っている。

それと資本主義が極まってきた現在、人間そのものが資本財となっているので、その資本財である人間は当然管理されなければならないはずで、その人間を資本財として管理運用するという視点からセルフケアやアンガーマネジメントについて考えると、今回とは違った、もっとディストピアみのある文章ができあがるはずだ。

けれども40分で書ききれるのはだいたいここまでなので今日はここまで。
 
シロクマ (id:p_shirokuma) 』

ユング心理学を分かりやすく解説!フロイトとの違いもご紹介

ユング心理学を分かりやすく解説!フロイトとの違いもご紹介
https://seminars.jp/media/444

 ※ 3大巨人は、フロイト、ユング、アドラーか…。

 ※ ペルソナとか、シャドウとか、ユングの概念だったんだな…。

 ※ 「ペルソナ4」とか、Steam経由で落として、喜んで遊んでいたのに、知らんかった…。

『目次[非表示]

1 ユング心理学とは?
    1.1 ユングにとっての無意識とは?
    1.2 ユングにとっての「人の心の動き」
2 ユング心理学の代表的な思想
    2.1 集合的無意識
    2.2 タイプ論
    2.3 元型論
    2.4 アニマ・アニムス
    2.5 ペルソナ
    2.6 コンプレックス
    2.7 影(シャドウ)
3 ユングとフロイトの違いは?
    3.1 無意識に対する解釈の違い
    3.2 リビドーに対する考えの違い
    3.3 診療者・治療のやり方の違い
4 まとめ

臨床心理学に大きな影響を与え、心理学の分野で活躍した言われている精神科医の「ユング」。

ユングは、フロイトの精神分析学に心を惹かれ、それまで以上に心理学を深求していました。しかし、その後に二人は意見が対立したことで決別しています。

今回は、ユング心理学を分かりやすく解説すると共に、心理学の三代巨匠といわれているフロイトとの違いについても解説していきます。
ユング心理学とは?
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ユング心理学とは、スイスの精神科医・心理学者のカール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)が提唱した心理学のことを指します。

ユングは、『分析心理学』の創始者でフロイトと共に精神分析学を発展させていました。しかし、フロイトとは「無意識」についての意見が相違したことで距離を置くようになりました。

ユングは、「集合的無意識」といった新しい概念を生み出し、“無意識”の領域を明らかにしています。
人の心の働きは意識のコントロールや認識を超えた“無意識”の働きが大きく影響する。

このように、自分自身でも意識ができない部分が大半を占めているという考え方に基づく心理学、それがユング心理学です。
ユングにとっての無意識とは?

ユングにとっての無意識とは、「個人的無意識」と「集合的無意識(普遍的無意識)」の2つの要素に区別しています。

まず、人の心の構造を「意識」「無意識」の2つの領域に分類することができると考え、その2つの領域が対になることで『心』のバランスを保つことができると説いています。

ユングは、意識(自分の知り得る意識)と知り得ない意識(無意識)のバランスが崩れた際に、精神疾患を生じると考えています。
■ 結論
ユングにとって無意識とは、精神疾患の発生を説明する時に不可欠な要素。
ユングにとっての「人の心の動き」

ユングにとっての「人の心の動き」は、「思考」「感情」「感覚」「直観」の4つの機能があると解説しています。

4つの機能で「どれが最も働くか?」で人の心の動きをタイプ別に分けています。
意味 具体的に
思考 物事を理に適った捉え方をする心の機能。
“理屈で考えようとするタイプ” 「それを証明する根拠は?」
「この作品はいつ・どんな意図で作られた作品なんだろう?」
感情 好きか嫌いかで判断する心の機能。
“快・不快で物事を捉えるタイプ” 「この仕事はそもそも好きなことか?」
“思考”と正反対の機能をしている。
感覚 物事を「そのまま」捉える心の機能。
“あるがままで感じ取るタイプ” 「このギターのニュアンスは○○の曲と似ているかな」
「〇〇の味付けのおかげで〇〇の料理が美味しいと感じる」
直観 物事を思いつきで判断する心の機能。
“ひらめきで物事を捉えるタイプ” 「この出来事は〇〇を予知している」
“感覚”と正反対の機能をしている。
ユングにとっての「人の心の動き」

人は、「なんとなく好き・嫌い」で付き合う人を選別したり、「〇〇がこうだから好き」などのこだわりで食事を選んだり、「今でなければ後悔する」という“勘”で行動をする人とさまざまです。

ユングは、人の心の動きに注目したことにより、人間の心の特徴に気づくことができ治療や研究に役立てていました。
ユング心理学の代表的な思想

ここからは、ユング心理学の代表的な思想について解説していきます。
集合的無意識

ユング心理学の代表的な思想1つ目は、集合的無意識です。

集合的無意識は、普遍的無意識とも呼ばれていて、昔から現代まで変わらない、人間の無意識の根底となる心理構造のことを指します。

例えば、“ふくよかな体型の女性を象った土偶”があったとします。

この土偶を見たときに「優しい母親的なものを感じる」とイメージが浮かぶ場合、古代から伝わる神話・伝説、芸術、個人が見てきた夢などが影響しています。

ユングは、物事を捉えるとき『人類の心の中で脈々と受け継がれてきた“何か”がある』と説いています。

このように、想像力の原点となる無意識の領域のことを『集合的無意識』といいます。
タイプ論

ユング心理学の代表的な思想2つ目は、タイプ論です。

タイプ論とは、人間の気質を「外向的な人間(外向型)」「内向的な人間(内向型)」に分類する思想のことを指します。

外向型|意識(心のエネルギー)が外側に向いている人
内向型|意識(心のエネルギー)が内側に向いている人

外向型の人は、とても社交的で世の中の流行に敏感であり人に左右されやすい傾向があります。

一方、内向型の人は控えめで我慢強く自身の気分に左右されやすい傾向があります。(気質なので、必ず上記のような性格になるという訳ではありません。)

※ どちらが「良い・悪い」などはなく、人の性格を定義するためのものでもありません。
■ タイプ論を知るメリット
・相手がどっちのタイプかを見極めることができれば、人付き合いに役立てることができる。
?? 相手の反応を少しでも予想することができる。
元型論

ユング心理学の代表的な思想3つ目は、元型論です。

集合的無意識で“根底に想像力の原点となる出来事がある”と解説したように、それにより人間の無意識が従うこと(パターンがあること)を「元型(アーキタイプ)」といいます。

代表的な元型には、『グレートマザー』『老賢人』などがあります。

『グレートマザー』『老賢人』は、日本の縄文土器、世界の古代文明の遺跡などで表現されています。

このような土偶は、形はさまざまもので表現されていたとしても、「命を生みだす母親」「権威性があり男の成長の最終点」と、共通するイメージがあります。

人によってイメージはさまざまですが、人類の心の中は「母親元型」「父親元型」が存在しているというユングの考えです。
アニマ・アニムス

ユング心理学の代表的な思想4つ目は、アニマ・アニムスです。

アニマ・アニムスとは、集合的無意識における元型のひとつです。

「アニマ」は、男性の集合的無意識のなかの一人の女性が影響されていて、「アニムス」は、女性の集合的無意識のなかの一人の男性が影響されている思想のことです。

例えば、普段の日常のなかで、とても穏やかで大人しい男性が意外にロマンチックに憧れていたり、反対に可愛らしい顔立ちの女性が男前な発言をするといった人を見たことはありませんか?

ユングは、このような人間には「アニマ」と「アニムス」の元型があると提唱しています。

成長していく過程で元型ができ、何かの出来事のイメージが強いことで「アニマ」と「アニムス」が成熟していると説いています。
■ アニマ・アニムスとは?
アニマ:男性のなかの「女性像」「女性的」な部分のこと。
アニムス:女性のなかの「男性像」「男性的」な部分のこと。
ペルソナ

ユング心理学の代表的な思想5つ目は、ペルソナです。

ペルソナとは、人間の外的側面の心理的な“仮面(顔)”のことを指しています。

自分達が生活していくうえで、「職場での顔」「家族といる時の顔」「商談の時の顔」「〇〇会社の営業担当の顔」と場面や地位など、人によってさまざまな仮面があります。

ユングが提唱したペルソナは、人間は仮面を被って暮らしているという考えのことです。
■ ユングの教え
① 本当の自分に合ったペルソナを理解すること。
② 仮面をうまく着脱できるようになること。
 ?? 上記の2つが大切であると説いています。
コンプレックス

ユング心理学の代表的な思想6つ目は、コンプレックスです。

心理学・精神医学用語で「コンプレックス」とは、記憶・衝動・欲求などのさまざまな心理的な感情が複雑に絡み合ってできた劣等感(観念)のことを指します。

ユングが提唱しているコンプレックスは、「感情に色をつけた心的複合体」です。

簡単に解説すると、「自分は〇〇が劣っている」という劣等感を通り越して、さらなる複雑ないろんな感情が入り混じることで生じる感情のことを指しています。

なぜか自分自身でも感情をコントロールできないほど怒りが生じたり、感情的になってしまったりする複雑な心のことを、ユングが提唱する“コンプレックス”の概念に含まれます。
影(シャドウ)

ユング心理学の代表的な思想7つ目は、影(シャドウ)です。

影(シャドウ)とは、無意識の領域のなかに歪んだ形で存在するものを指しています。

例えば、下記のように思っている人がいたとします。

お金なんて汚い
稼いでる人は、なにか裏がある
お金持ちは性格が悪い

このように思っている人は「お金」に対して、なんらかの“影(シャドウ)”があると考えられます。

本当は「お金が大好き」「経営を成功させてお金を稼ぎたい」など、本当の望み(本当は生きたかったもう1人の自分)が隠れているかもしれません。

このように、ユングは無意識のなかに隠れている不健全な“心の暗部”が日常のなかで影響を及してしまうと説いています。
ユングとフロイトの違いは?

ユングとフロイトは、人が行動する時は無意識の力によって決定されるといった「精神分析学」の考え方に共通点があり緊密な関係を結んでいました。

そもそもユングは、精神分析学の創始者のフロイトから教えを受けていたが、考え方に違いが生まれたことでフロイトから離れたと言われています。

ここからは、同じ心理学(無意識)の研究をしていたユングとフロイトの違いについて解説します。

また、心理学の三大巨匠のなかに入る「アドラー」について詳しく知りたい方は下記の記事をご覧ください。
■ 関連記事
≫ 記事のタイトルを記入
無意識に対する解釈の違い

ユングとフロイトの違い1つ目は「無意識」に対する解釈に違いがあることです。

ユングにとっての無意識は、“個人的無意識”と“集合的無意識(人類が普遍的に持つ無意識の領域)”の2つの領域が存在すると言います。

一方フロイトにとっての無意識は、“個人の持つ領域”だけだと言います。

このように、ユングとフロイトは無意識に対する考え方が異なっています。
■ ユング
・意識と無意識は互いを補っている関係。
・無意識には意識とは正反対の別の自分が隠れている。

■ フロイト
・意識と無意識は対立的な関係。
・無意識は過去の記憶や衝動を入れる領域。
リビドーに対する考えの違い

ユングとフロイトの違い2つ目は、リビドーに対する考えに違いがあることです。

リビドーとは、精神分析学で用いられる用語で簡単に言えば「性欲」の衝動を生む本能的なエネルギーのことを指しています。

ユングはリビドーを“一般的な生命の一部”として使用しているが、フロイトは“人間の行動エネルギーの動機は、すべてリビドーから来ている”と説いています。

例えば、恋愛のパートナーを選ぶ際にユングは「人間は性生活も重要視しているが価値観や話し方、経済面も含めて選ぶ」、フロイトは「人間は性生活の観点のみで選んでいる」と言います。

このように、精神分析を行う時に”性”に対する考え方、重点の置き方に違いがあります。
■ ユング
・『性』は生きていくうえでの1部に過ぎない。
・ポジティブなもの。

■ フロイト
・リビドーは、ただの性的なものに過ぎない。
・ネガティブなもの。
診療者・治療のやり方の違い

ユングとフロイトの違い2つ目は、診療・治療のやり方の違いがあることです。

同じ精神分析学を研究していましたが、診療していた患者に違いがあったと言われています。

ユングは主に“統合失調症”を患っている患者を診療していました。一方フロイトは、“神経症患者”を多く診療していました。

それによって、2人の治療のやり方に大きな違いが生まれました。
ユング「夢分析」、フロイト「自由連想法」

フロイトも夢分析を用いて治療を行なってはいたが基本的には「自由連想法」を好んでいたといいます。

ユングが用いていた「夢分析」とは、日ごろ眠っている時に見た夢を語ってもらい分析していく方法のことです。

ユングにとって、夢分析は“無意識”の領域にある情報を把握することができ、患者が「何を考え」「どんなことを伝えたいのか」が把握できると言います。

フロイトが用いていた「自由連想法」とは、無意識の領域を把握するために、心に浮かんだ感情や事柄を言葉にするように促す技法のことです。
■ ユング
・夢こそが未知なものを伝えてくれる。

■ フロイト
・夢はただの願望充足である。
まとめ

ユング心理学は、「集合的無意識」といった新しい概念を生み出し、“無意識”の領域を明らかにしています。

人間の無意識こそが、意識や心を分析するためには重要な要素だと提唱し、「意識」と「無意識」のバランスが崩れた際に、精神疾患を生じると考えています。

フロイト・ユングともに心理学を追求していたが、意見が分かれたことで独自の異なる理論を提唱し治療に役立てています。

こうした研究結果をもっと自社のビジネスに活かして売上を上げたり、チームでよりよい結果を残すための学びを一緒にしませんか?』

図録▽認知症の国際比較

図録▽認知症の国際比較
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2136.html

 ※ 今日は、こんな所で…。

『“dementia”に対応する言葉としてそれまで「痴呆」とよばれていた症状が厚生労働省によって「認知症」という用語に名称変更されたのは2004年であった。その後、高齢化が進むにつれて「認知症」は誰もが罹りうる身近な病状として認識されるようになっている。
 人口当たりの認知症患者数について、OECD諸国とその他主要国の2017年の実績と20年後の2037年の予測値を図に示した。


 人口1000人当たりの認知症患者数はOECD平均で14.7人であり、日本はOECD諸国で最多の23.3人である。日本の場合人口100人に2人以上は認知症患者がいるのである。さらに、2037年にはOECD平均で17.3人、日本は38.4人に増えると予測されている。

 こうした数字だけを見るだけでも大変厳しい状況にあることが理解される。

   高齢者ほど認知症を発症する割合は高くなるので、国ごとの人口当たりの認知症患者の多い少ないは、高齢化の進展度と相関している。ページ末に掲げた相関図ではこの点を示した。日本など高齢化の進んだ国で認知症患者が多く、途上国のインドなど高齢化がまだ進んでいない国では認知症患者が相対的に少ないことは一目瞭然であろう。

   また、この相関図からは、日本は、イタリア、ドイツ、フランスといった西欧の主要国と比較して高齢化の割にはやや認知症患者が少ないことも読み取れよう。

   各国の認知症の患者数とともに死亡率のデータも掲げた。ここで死亡率は年齢調整後の値なので高齢化のバイアスが除かれた死亡率を見ることができる。認知症は、死因としてのダメージもさることながら、家族を含めた生活困難のダメージが大きいので、日本では寿命・健康ロスの大きさが3番目に深刻な病気なのである(図録<A href="2050.html">2050</A>参照)。従って死亡率だけで各国の認知症の深刻さを判断することはできないが、認知症に伴う課題の一端をうかがうことはできよう。

 少し年次が古いが「現代の殺人者」(A modern killer)と題された認知症の深刻さを指摘するOECDオブザーバーの記事(第297号、2013年第4四半期)を以下に訳出する。状況はあまり変わっていないと思われる。

 認知症は治療法が得られない破滅的な病気である。ケアはお金的にも、感情的にも負担が大きい。高齢化が進んでいる社会では医療システムへの負担も大きくなる。症状は脳にダメージを与え、人間の身体機能や認知能力を衰えさせる。

   アルツハイマー病インターナショナルによると、4秒ごとに誰かがどこかで認知症を発症する。世界的な予測によると3千6百万人もの人が認知症を患い、その40%は高所得国に暮らす。OECD諸国全体では60歳以上の5.5%が認知症を発症している。認知症とアルツハイマー病による死亡率はフィンランド、米国、アイスランド、オランダで最も高い<FONT size="2">(注)</FONT>。90歳以上の約半分が認知症を抱えている。

  <ADDRESS>

(注)2013年当時のデータ。現在では図の通り、フィンランド、英国、アイスランド、オランダ、米国の順。認知症死亡率に関しては日本はかなり低位にあることも図からうかがわれる。

   心臓病やガンといった死をもたらす主要疾患による死亡率や障害率の削減についてはOECD諸国で進歩が見れられる一方で、認知症についてはそれが当てはまらない。

   OECDでは主に次の3点の対策を図っている。すなわち、①必要な治療と診断を提供するための官民連携の手法開発、②病気の予防や対処法のイノベーションを加速するために生命科学や情報技術からの助言をひきだす仕方の検討、③罹患した患者やその家族による介護やケアを改善するための手法開発である。
  <div align="center"><img src="images/2136a.gif"></div>

   患者数データの対象国を図の順に掲げると、メキシコ、トルコ、スロバキア、韓国、ポーランド、チェコ、イスラエル、ハンガリー、アイルランド、米国、チリ、スロベニア、アイスランド、カナダ、ルクセンブルク、ニュージーランド、オーストラリア、ラトビア、リトアニア、エストニア、ノルウェー、オランダ、デンマーク、英国、スイス、ベルギー、オーストリア、スウェーデン、フィンランド、スペイン、ギリシャ、フランス、ポルトガル、ドイツ、イタリア、日本、南アフリカ、インドネシア、インド、中国、ブラジル、ロシアである。

  (2022年3月10日収録)

社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune
https://honkawa2.sakura.ne.jp/index.html

「認知症が減少」のなぜ みえてきた教育水準との関係

「認知症が減少」のなぜ みえてきた教育水準との関係
科学の絶景
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC05BG00V01C22A2000000/

『高い教育水準が認知症を抑える――。データから明るみに出たのは、20代までの学習期間や生涯を通して学ぶ意欲の大切さだ。

「日本人は認知症にならずに長生きする」。2022年春、意外なニュースが世界に流れた。認知症はどの国にとっても懸案だ。既に世界で5000万人を超える人が患い、50年には1億5000万人以上になるとされる。日本でも12年の462万人から40年には900万人を上回るとの見方がもっぱらだった。

ニュースの震源地となった東京大学や米スタンフォード大学がまとめたのは「日本は16年の510万人から43年には465万人に減る」(東大の橋本英樹教授)という推計だった。

分析は「年を重ねるとどんな病気や機能低下が生じるか」をコンピューターで探った。16年から時を進めると、60歳以上が暮らす架空の日本で認知症の人は25年に503万人、34年に490万人と減っていった。

従来予測に反する「減少」との推計は健康状態や教育歴といった個性を反映したのが影響した。ここからみえてきたのは高い教育水準が認知症を抑える期待だ。

朗報にはヒントがあった。推計からは、65歳時点で期待する残りの人生のうち、認知症を伴う期間がどれだけを占めるかもわかる。43年には大学卒業以上の男性の場合は1.4%にとどまり、高校卒は7.7%、高卒未満は25.6%だった。女性は大卒以上が15.4%、高卒が14.8%、高卒未満が24.6%。学びの機会が増えると、認知症と向き合う期間が短くなった。

治療にてこずる今は「教育問題を口にするのは社会的な影響が大きく、声を上げにくい」と漏らす専門家もいる。しかし、そうも言っていられない。学習の重要性を裏づける証拠が増えてきたからだ。

「米国の65歳以上の認知症有病率は2000年の12.2%から16年に8.5%になった」。米ランド研究所のピーター・フドミエット氏らは11月に最新の研究成果を発表した。

人口の増加と高齢化で認知症の人は身近になるが、人々が認知症になりやすくなるわけではない。真の有病率は先進国ではむしろ下がってきたとみる。

米国で減った正確な理由はわからないが「高血圧などの改善もあるが、男女とも大卒者が増えており、教育水準の向上が重要な役割を果たしたようだ」(同氏)。男性では非ヒスパニック系の白人と黒人の有病率の差も縮まった。

実は「学習の大切さは半ば常識だ」と打ち明けるこの分野の専門家は多い。論文には何年も前から、思春期を含む年代の学習期間の短さが高血圧や鬱などと共に危険因子にあがる。

認知症の多くはゴミとなるたんぱく質が脳の神経を傷めるのが原因とされる。「脳の細胞が成熟する時期の教育は脳をタフにする」「キャンパスで培った人脈を通じた生活体験や仕事、健康意識の高まりが奏功」。因果関係の評価は様々だが、真実味はある。学びの価値を誰もが自覚する時に来ている。

進路は選択の自由がもたらすが、一人ひとりが社会を支える役目を考えれば、学習期間の物足りなさを個人の問題と片づけるわけにはいかない。社会全体での備えが欠かせない。進学の機会を手にできない人もいる。国内外を問わず教育格差は不平等がまかり通る社会から生まれる。社会を作りかえていくのも認知症対策だとの認識が世界では広がりつつある。

もっとも「(教育歴が全てという)運命論ではない」(橋本教授)。これからの選択で未来は創っていける。認知症の発症リスクはいくつもあり「他を減らせば補って余りある」と量子科学技術研究開発機構量子医科学研究所の樋口真人部長は話す。

その考えを福岡県久山町で65歳以上の住民約800人を24年にわたって見守った九州大学の研究が後押しする。二宮利治教授らは認知症を予測する手がかりを見つけ、10年後の発症確率を探るチェック表を作った。教育歴が9年以下で不利になるが、糖尿病の予防などで巻き返せる。教育歴が長くても、喫煙習慣や高血圧で暗転してしまうのも貴重な教訓だ。
英国で1000人超の60年以上に及ぶ変化を追った研究陣が導いた発見は「懸念は生涯を通じて打ち消せる」。幼少期の認知能力が低いと高齢期の認知能力が下がるとの疑いが強まる中で「私たちの研究では、この関係は信じられているほど決定論的ではない可能性がある。中年期の教育や働き方、余暇活動などで悪影響を相殺しているようだ」(英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの担当者)。

最新の研究は、認知症を防ぐには健康管理だけでは足りないと物語っている。数々の壁が進路を阻む社会や教育水準の低い国ではリスクが大きく、それを被る人々は見過ごされがちだ。社会の構造問題にもメスを入れる覚悟が必要になる。

(サイエンスエディター 加藤宏志)

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脳はほどほどのお酒でも老化する 英の追跡調査で判明

脳はほどほどのお酒でも老化する 英の追跡調査で判明
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC056L20V00C22A8000000/

 ※ オレは、退院して以来、一切酒類は止めた…。

 ※ 一滴も飲んでは、いない…。

 ※ まだまだ、役割振られていて、死んでるわけにもいかないからな…。

 ※ 死んでるどころか、「再発」喰らって、「使いものにならなくなる」わけにもいかんのよ…。

 ※ しかーしだ…。

 ※ 「降圧剤」処方されて、血圧管理している…。

 ※ 血圧下がるのは、けっこうだ…。

 ※ しかーしだ…。そうすると、今度は「頭がボーっとして」、そっちのお蔭で「使い物にならなく」なるのよ…。

 ※ ヤレヤレだ…。

 ※ 酒なんか飲まなくても、脳の老化は、確実に進行しているものと思われる…。

 ※ なんとか頑張って、「使いものにならなくなる」時期を、先に延ばさないと…。

 ※ まあ、それも、限界のある話しではあるんだが…。

『どんな食事が病気の予防になるの? また、どんな習慣がアンチエイジングにつながるの? 世界中で進む、「健康」にまつわる研究について、注目の最新結果を紹介します。

今回紹介するのは、お酒好きには気になる「ほどほどの飲酒でも脳は老化する」という報告だ。

ほどほどの飲酒でも、アルコールは脳に悪影響を及ぼすことが、世界最大規模の遺伝情報や健康情報のデータベースである英国の「UKバイオバンク」の「前向きコホート研究」[注1]のデータを用いてわかった。

[注1]最初に健康な集団の生活習慣を調べて、その後、疾病の発生状況を追跡する研究。
ほどほどの飲酒でも、アルコールは脳に悪影響を及ぼす(写真はイメージ=PIXTA)

大量のアルコール摂取は、脳の萎縮や神経細胞の減少と関連することが知られているが、軽度から中程度のアルコール摂取がどのくらい影響するかはわかっていなかった。

研究では健康な中高年者3万6678人(女性が52.8%、48~78歳)の脳の画像データを使って、アルコール摂取と脳組織との関連性を調べた。アルコール摂取量は、ビール1パイント(568ミリリットル)が2単位、ウイスキーなどの蒸留酒25ミリリットルは1単位、ワイン1杯(175ミリリットル)は2単位と定義された。

解析の結果、参加者の1日あたりのアルコール摂取量は平均で1.16単位だった。脳の画像データから、神経細胞(ニューロン)の細胞体が集まる「灰白質」の体積は脳全体で平均616立方センチ、神経線維が集まる「白質」の体積は547立方センチだった。

年齢別に見ると、灰白質と白質の体積(頭の大きさで調整)は男女とも加齢とともに減少していた。また1日あたりのアルコール摂取量が多いほど、灰白質と白質の体積は減少し、軽度から中程度の飲酒でも脳の老化につながることが示唆された。

50歳の場合、1日のアルコール摂取量が1単位から2単位に増加すると、灰白質も白質も2年の老化に相当する。2単位から3単位の増加では3.5歳の老化、3単位から4単位の増加では4.9歳の老化になるという。

灰白質の減少は脳全体で見られたが、運動や判断・思考に関わる前頭葉、触覚や痛覚などの体性感覚に関わる頭頂葉などで顕著だった。白質では特に脳弓という部位がアルコール摂取との関連性が深く、この部分は記憶障害に関連しているという。ただし、脳のエリアと飲酒との因果関係はまだ明らかにすることはできないため、さらなる研究が必要だと研究者らはまとめている。

データ:Nat Commun. 2022;13(1):1175.

(文 八倉巻尚子)

[日経ヘルス2022年5月2日付記事を再構成]』

アルツハイマー病治療薬 発病前に阻止する戦略に転換

アルツハイマー病治療薬 発病前に阻止する戦略に転換
日経サイエンス
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64169110U0A920C2000000/

 ※『アルツハイマー病では多くの場合、50代で脳内にアミロイドβの蓄積が始まる。このときは何の症状もない。60代の後半から別の異常たんぱく質「タウ」が蓄積し、神経細胞が死滅し始める。すると「知人の名前が出てこない」といった軽度な認知能力の低下が起きるが、社会生活に支障はない。タウの蓄積が進むにつれて神経細胞が減っていき、ついにアルツハイマー病を発症する。一度減ってしまった神経細胞が増えることはないので、発症前にアミロイドβの蓄積を防ぐ必要がある。』

 ※「知人の名前が出てこない。」とか、日常茶飯事だぞ…。軽度の認知能力の低下に、見舞われているわけだ…。

 ※ もはや、「神経細胞の死滅」が生じている可能性が、高いわけだな…。ヤレヤレだ…。

『9月は世界アルツハイマー月間だ。日本には約600万人の認知症患者がいるとみられ、その7割をアルツハイマー病が占めている。アルツハイマー病は1906年に最初に報告されたが、100年以上たった今でも根治薬は存在しない。アルツハイマー病の治療薬を研究している理化学研究所脳神経科学研究センターの西道隆臣チームリーダーに、治療薬の今後の展望について寄稿してもらった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アルツハイマー病治療薬の研究は、転換点を迎えている。これまで患者の脳に異常たんぱく質の「アミロイドβ」が蓄積するのを防ぐ、あるいは蓄積したたんぱく質を除去する薬の開発が積極的に進められてきたが、その多くが失敗した。近年、アルツハイマー病には感染症でいう「潜伏期間」のような無症状の期間が約20年もあることが明らかになり、発症してから治療するのではなく、無症状の間に病気の進行を食い止めて発症を防ぐほうが効果的だと考えられるようになった。

アルツハイマー病では多くの場合、50代で脳内にアミロイドβの蓄積が始まる。このときは何の症状もない。60代の後半から別の異常たんぱく質「タウ」が蓄積し、神経細胞が死滅し始める。すると「知人の名前が出てこない」といった軽度な認知能力の低下が起きるが、社会生活に支障はない。タウの蓄積が進むにつれて神経細胞が減っていき、ついにアルツハイマー病を発症する。一度減ってしまった神経細胞が増えることはないので、発症前にアミロイドβの蓄積を防ぐ必要がある。

なぜ異常たんぱく質が蓄積するのかというと、分解が進まないためだ。体内のたんぱく質は、合成と分解のバランスによって適切な量に保たれている。この分野の研究は日本の「お家芸」で、大隅良典東京工業大学栄誉教授をはじめ多くの日本人研究者が貢献してきた。

私たちはマウスやラットを使った実験で、脳内でアミロイドβを分解する酵素を突き止めた。この酵素は、加齢とともに作られる量が減ってくる。さらにこの分解酵素を活性化する因子を探し、ソマトスタチンという神経ホルモンを見いだした。ソマトスタチンが神経細胞の膜にある受容体に結合すると、細胞内で一連の反応が起き、分解酵素が活性化される。ソマトスタチンに代わって受容体に結合する薬を開発できれば、アミロイドβの分解を促進できるとみられる。

幸いなことに、ソマトスタチン受容体は、ヒトの体に800種類ほどある「Gたんぱく質共役受容体」(GPCR)の一種だとわかった。一般に酵素は複数の物質に結合するが、GPCRは特定の1つとしか結合しない。このためGPCRに結合する薬は体内のほかの作用に影響せず、安全な薬になる可能性が高い。またGPCRに作用する薬は、化学的に合成できる。アルツハイマー病に対しては抗体医薬の開発も進んでいるが、抗体は細胞に産生させて作る必要があるためコストが高い。アルツハイマー病患者は5年後には日本で500万人に達するとの推計もあり、安価に製造できる薬が求められている。

(理化学研究所脳神経科学研究センター 西道隆臣)

(詳細は9月25日発売の日経サイエンス11月号に掲載)

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