おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉

先人の句に学ぶ/芭蕉会議
http://www.basho.jp/senjin/s0606-1/index.html

『ぎふの庄ながら川のうがひとて、よにことごとしう云ひのゝしる。まことや其興の人のかたり伝ふるにたがはず、浅智短才の筆にもことばにも尽くすべきにあらず。心しれらん人に見せばやなど云ひて、やみぢにかへる、此の身の名ごりおしさをいかにせむ。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉 芭蕉 (真蹟懐紙・夏・貞享五)

鵜飼の一夜が更けて鵜舟が帰りゆくころは、あれほど鵜飼をおもしろがっていた心が、そのまま悲しく切ない思いへと変わってゆくことだ、という意。

全体が謡曲「鵜飼」の詞章〈おもしろのありさまや、底にも見ゆる篝火に……〉〈鵜舟にともす篝火の消えて闇こそ悲しけれ〉等による表現だが、そうした典拠を必要としないところまで彫琢された描写が作者の力量である。

前書には、場所が岐阜長良川で、そこの鵜飼は見物人を集めるほど世間で知られていたこと、その興趣は世間の評判通りで筆舌に尽くせないこと、だから情趣を解する人に見せたいものだと思いつつ帰途につくが、名残惜しく去りがたい思いを禁じ得ない、という心持ちを述べる。

なおここにも古典から「あたら夜の月と花とを同じくはあはれしれらん人に見せばや」(信明・後撰・春)、「鵜舟のかゞり影消えて、闇路に帰る此身の、名残りをしさを如何にせん」を織り込むことに注意したい。

結論的には、文章と句が独立しつつ支え合って、芭蕉の志した俳文という様式はこれかと思わせるほど句文融合した作品としてよい。』

今やかの三つのベースに人満ちて…。

第四百五十一夜 正岡子規の「ベースボール」の句
(Posted on 2021年2月5日 by mihohaiku)
https://miho.opera-noel.net/archives/2467

『1936年(昭和9)2月5日は、日本職業野球連盟が設立された日で、「プロ野球の日」と定めた。7チームで初の社会人野球のリーグ戦が行われるようになった。

 太平洋戦争が始まると日本野球報告会と改名し、野球用語英語使用禁止となった。ストライクは「よし一本」、ボールは「だめ一つ」、アウトは「引け」、監督は「教師」、選手は「戦士」というふうであった。
 
 それよりずっと昔、正岡子規が第一高等中学(現在の東大)在学中にベースボールをやっていたのは、明治22年の頃で「松羅玉液(しょうらぎょくえき)」という随筆の中でベースボールを論じたのは明治29年であった。当時使われた野球用語は、今も使われているものがある。例えば、「本基(ほんき)」はホームベース、「満基(まんき)」はフルベース、「廻了(かいりょう)」はホームイン、「除外(じょがい)はアウト、という風に野球用語を考えていた。

 明治31年、子規はベースボールの歌9首作った。その中の2首を紹介する。
 「打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来る人の手の中に」

 「今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな」
 
 現代は、野球が盛んである。小学生のチーム、中学、高校、大学は学校単位で試合が行われる。そこから、さらに目指すのはプロ野球チームである。セ・リーグ、パ・リーグで各6球団、全体で12球団で日本一を争う。

 夢と希望のあるスポーツの一つである。
 
 今宵は、野球の作品を紹介してみよう。
 
  夏草やベースボールの人遠し  正岡子規 『俳句稿』
 (なつくさや ベースボールの ひととおし)

 句意は、夏草の生い茂る原っぱで草野球の試合をしている人たちを見かけましたが、今の私の身体では、草野球もキャッチボールもできません、遠い昔のことになってしまいましたよ、となろうか。
 
 碧梧桐より6歳上、虚子より7歳上の子規は、東京に出て、東京大学に入学し、夏休みには夏目漱石を伴って帰郷しては覚えたての野球をしていた。時には、碧梧桐や虚子も誘われて一緒にプレーをしたという。

 この作品は明治31年作で、この頃には結核も進んで脊椎カリエスとなり、所用のある日にはこうして外出するが、ほぼ病臥の状態であった。草野球の人たちを遠くに眺めて、懐かしく淋しく思っていたのではないだろうか。

  甲子園汗にじむ砂玉として  加古宗也 『蝸牛 新季寄せ』
 (こうしえん あせにじむすな たまとして)

 「甲子園」といえば、高校球児たちが春夏2回の全国高校野球選手権大会のことである。出場校は、北海道と東京など学校数の多い地域は2校出るなど、少しずつ変化しているが、基本は県を代表した1校の出場であるから超難関である。やっと出場できても、一度負ければ終わりとなる。

 句意は、甲子園で熱闘して負けたチームの子たちは、試合後に、汗と涙の染みた甲子園の土を丸めて、用意してきた袋に大切に詰めている。一人一人にとって汗の滲んだ甲子園の砂こそが、まさに宝石なのですよ、となろうか。

  秋ばれやバットにグローブさしてゆく さいとうあきら 『小学生の俳句歳時記』
 (あきばれや バットにグローブ さしてゆく)

 春よりも夏よりも、秋がスポーツの似合う季節のような気がしている。雨も台風もやってくるが、空は高く爽やかで湿度も少なく感じられるのが秋だ。
 
 句意は、天高く晴れ渡った日、今日は、少年野球チームの練習日だ。バットの先にグローブを差し込んで肩にかけて、四方八方から颯爽と男の子たちが集まってきましたよ、となろうか。
 
 もう40年前になるが、わが家にも少年野球チームに入っていた息子がいた。滅多に応援に行くことはなかったが、ある日見に行った。大勢のお母さんたちが見にきていた。その日、4年生の息子はピッチャーをしていたが、打たれてしまった! 』

「この貴重な銀の燭台を使って、正しい人間となるのです」

司教「この貴重な銀の燭台を使って、正しい人間となるのです」
https://www.eiga-square.jp/title/les_miserables/quotes/1

『妹の飢えた子どものためにパンを盗み、19年に渡り徒刑場に入れられていたジャン。仮釈放となったジャンだが、世間の風当たりは強く、食べるものにも困っていた。そんなジャンに、司教が食べ物と宿を提供してくれる。だが、ジャンは司教の厚意を裏切り、銀食器を盗んで逃げ出す。警察に捕まって司教の前に連れ出されたジャンを許した上に、司教はさらに銀の燭台も渡す。司教の温かい心に触れたジャンは改心する。』

『重要な部分に触れている場合があります。

司教「だが、忘れないように、兄弟よ。神の御心です。この貴重な銀の燭台を使って、正しい人間となるのです。殉教者たちの証言と、イエスの苦難と血によって、神はあなたを暗闇から連れ出してくれます。私は神のためにあなたの魂を救うのです」

Bishop: But remember this, my brother. See in this some higher plan. You must use this precious silver to become an honest man. By the witness of the martyrs, by the passion and the blood, God has raised you out of darkness. I have saved your soul for God. 』

ジャン・バルジャンの真の改心~ミュージカルでは語られないプチ・ジェルヴェ事件
https://shakuryukou.com/2021/06/12/dostoyevsky369/

シルバー川柳、キレッキレ

シルバー川柳、キレッキレ
https://orisei.tumblr.com/post/668031948341510144/%E6%82%B2%E5%A0%B1%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E5%B7%9D%E6%9F%B3%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%AC-%E3%82%8A%E3%81%B7%E3%82%89%E3%81%84%E9%80%9F%E5%A0%B1

 ※ 今日も、雑用に見舞われて、走り回った…。

 ※ こんなところで…。

※ 「私だけ伴侶がいると妻嘆く」は、ヒドかろう…。

※ 「女房から生前退位せまられる」もな…。

※ 個人における「生前退位」とは、一体何だろう…。

鎌倉から南北朝へ 「志」めぐる人間模様

鎌倉から南北朝へ 「志」めぐる人間模様
第12回日経小説大賞、天津佳之氏「利生の人」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFG050TB0V01C20A2000000

『第12回日経小説大賞(日本経済新聞社・日経BP共催)の最終選考会が行われ、天津佳之氏の「利生の人 尊氏と正成」が受賞作に決まった。鎌倉時代から南北朝時代へ移る激動期を舞台に、後醍醐天皇、帝に味方する楠木正成、北朝側に転じた足利尊氏の人間模様を描く。彼らが共有した志を、仏や菩薩(ぼさつ)が人々に利益を与えることを意味する「利生」という言葉でとらえた意欲作だ。

400字詰め原稿用紙で300枚から400枚程度の長編を対象とする第12回日経小説大賞には257編の応募があった。歴史・時代小説、経済小説、ミステリーなどジャンルは多岐にわたり、応募者は50~70代で全体の7割を占めた。

第1次選考を通過した20編から最終候補となったのは5編。受賞作「利生の人 尊氏と正成」のほか、江戸時代の茶人・小堀遠州の公金横領事件を明治時代の数寄者が推理する天野行人氏「在中庵(あん) 遠州添状(そえじょう)」、18歳で娘を産んで4年になる女性と付き合う男性を主人公とする江波年紀氏「他人の子供」、安楽死が合法化された2070年の日本を描いた森堂はっか氏「デストピア・ジャパン」、バブル期の証券マンの生活をつづった放生充氏「胸叩(たた)き」が候補に挙がった。

最終選考は4日、東京都内で辻原登、髙樹のぶ子、伊集院静の選考委員3氏がそろって行われた。5作品の内容や完成度について議論を重ねた結果、「利生の人」と「他人の子供」に絞られた。

「他人の子供」に関しては「終着させづらい物語を、ラストに手紙をうまく用いて読者を納得させている」点などが評価された一方、文章面での課題も指摘された。代わって「利生の人」が浮上。「史実の重みが物語に生かされている」「一騎打ちの場面の描き方がうまい」といった声があがった。

〈あらすじ〉
時は鎌倉末期。討幕の陰謀が発覚したことで後醍醐天皇は一時隠岐に流されるが、北条得宗の悪政への不満から、治世の主体を幕府から朝廷に取り返すという近臣たちの討幕運動は各地の勢力と結びつき、やがて幕府内にも広がる。幕府の重職にあった足利高氏(尊氏)が、帝方の楠木正成に呼応するように寝返ったことで、ついに鎌倉幕府は滅亡。後醍醐帝が京に戻り、建武の新政がはじまるなか、帝と正成と高氏は同じ「利生」の志を持った禅宗の同門であることがわかる。「民がおのおのの本分を為し、生きる甲斐のある世にする」。しかし、私利私欲がうごめく政治の腐敗は、治世者が代われど止めようがなく、尊氏と正成の運命は引き裂かれていく。
いつも確かな理想があった──天津佳之氏

あまつ・よしゆき 1979年静岡県伊東市出身、大正大学文学部卒業。書店員、編集プロダクションのライターを経て、現在は業界新聞記者。大阪府茨木市在住。
15歳の高校受験真っただ中、勉強するふりをして物語らしきものをつづり出したのが、そもそもの始まりでした。以来25年余り。気が付けば文章を書くことが生業となり、そして今、小説ということにようやく手が届いた感慨をかみ締めています。

「書かなければならない、と思うことを書きなさい」。ある人が私にくれた言葉です。書かなければならない、今の時代が必要とすることは何か。時代を知るには、その前の時代を、貫く流れを知らなければ。そう考えることが、私を歴史に導きました。そこには、この国に連綿と受け継がれてきた哲学や美学、そして先人たちの生き様がありました。もちろん、上手(うま)くいったことも、いかなかったこともあります。ただ、いつの時代も確かな理想があった。それを伝えなければという思いが、私の原点です。

鎌倉末期から南北朝期は、とかく恣意的な評価を受けてきた時代ですが、近年になり自由に論じることができる空気が醸成されてきたように思います。令和という新しい時代にあって、改めてこの時代を描くことは何がしかの意味があるのではないか。そう思い資料に当たってみると、そこには、敵味方を超えて理想を追い求めた、気持ちの良い男たちの姿がありました。どうか、それが読者の皆様に伝わればと念じて已(や)みません。

最後に、これまで支えてくれた家族と友人たちに、選考委員の先生方、関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。

辻原登氏 テーマを充全に展開

辻原登氏 

「利生の人 尊氏と正成」。〝利生〟とは衆生に神仏の利益をもたらすこと、という意味だそうだが、尊氏と正成はまさにその体現者たらんと戦った歴史上の人物らしい。テーマをタイトルとして掲げるところに作柄のまっすぐさがあり、中身もそれに充全に応えた。

「胸叩き」は、主人公のトリックスター的ずっこけぶりが面白い。作者はさらに過激にこの方向で、もうひと踏んばりを。

「他人の子供」。最初推すつもりで臨んだが、途中で変心した。エピソードにフィードバックが多過ぎて流れを滞らせる点と、筆法の品性のなさが読み手を遠ざけるかもしれない。

「在中庵 遠州添状」。遠州一代記は大変よく出来(でき)ているが、探偵物語は恐らく不要。

「デストピア・ジャパン」。私は最後に、安楽死を巡るこの近未来小説を推した。ノエルという若い主人公の女性が、肉のずだ袋を引きずって、精神が死んでいく世界を、孤独なまま横切って行く姿に強い印象を受けた。力があるから、小説の構造をもっと複雑に作った方がいい。訳が分からなくなるくらいに。

髙樹のぶ子氏 完成度の高さと安定感

高樋のぶ子氏 

「利生の人 尊氏と正成」は、以前の候補作「梅花、未(いま)だ咲かず」で菅原道真の生涯を書いた人らしく、今作も丁寧で詳しく、完成度と安定感により受賞作に推した。鎌倉幕府の重鎮であった尊氏が討幕を目指し、後醍醐天皇の新政を目指す正成へ、男として親愛の情を覚えるという傾斜が面白い。そして最後に正成を自害に追い込む運命は、戦乱のドラマとして重い感動をもたらす。今後は史料からもう少し離れて、人間ドラマを創り上げる方向を試して欲しい。

「胸叩き」も二度目の候補だったが、バブル期の証券会社の内部告発は面白かったものの、後半はサスペンスアクションのドラマのようで文章も少々荒い。会社に翻弄された男の怒りは伝わってくるが、哀(かな)しみまでは届いていなかった。問題作「デストピア・ジャパン」は、コンビニで自殺用キットが売られている近未来小説で、発想の妙と、所々にはっと胸を打たれる真実が垣間見えた。だが主人公がなぜ自殺したいのかは見えてこない。こうした小説は、この「なぜ」を読者に抱かせないだけの、異層における豪腕が求められるのではないか。

伊集院静氏 確かな歴史考察と安定した文章

伊集院静氏

今年も、このコロナ禍の中で二百五十作を超える応募があったという。こころ強い限りである。最終候補に五編の作品が残り、それぞれに才気のある作品があった。中でも一昨年それ以前に候補になられた作者が再挑戦して下さったことは喜ばしいことだった。天野行人氏の「在中庵 遠州添状」は現代に至るまでの茶人、数寄者の来歴、心情をよく書き分けていた。ただ残念なのは、小堀遠州の魅力が、他者からの評価ばかりに感じられた。遠州が、どんな人であったかを知りたかったし、添状の関与人たちがあまりに諄(くど)く思った。放生充氏の「胸叩き」は正直、面白かったし、全体のバランスが巧みで、これで受賞はいいかとさえ思った。森堂はっかさんの「デストピア・ジャパン」は作者自身のことが心配になった。テーマと当人の、時間と経験のギャップを考えさせられ、さらに不安になった。江波年紀氏の「他人の子供」は文章は自由でいいが、品性、品格に欠落があまりに目立った。これを小説としてどう考えるかは、わかれるだろう。天津佳之氏の「利生の人 尊氏と正成」は歴史考察も確かで文章も安定感があった。受賞にふさわしい。しかし私には作者が何を描きたかったか、見えなかったのが残念だった。

新選考委員に角田光代氏 第13回応募要項』