誰(たれ)やらが形に似たり今朝の春 ― 芭蕉

誰(たれ)やらが形に似たり今朝の春 ― 芭蕉
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09601/

※ 今日は、こんな所で…。

※ 黒船が来襲するまでの江戸の昔が、一番穏やかで、平和だったのか…。

※ 世界情勢は、風雲急を告げ、緊迫の度を高めている…。

※ 芭蕉の世界に耽溺している暇(いとま)は、無さそうだ…。

『文化 環境・自然・生物 2023.01.01

深沢 眞二 【Profile】
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第1回の季題は「今朝の春」。

誰やらが形に似たり今朝の春 芭蕉
(1687年作、『続虚栗(ぞくみなしぐり)』所収)

2023年がやって来ました。今年が良い年になりますように。

現代の日本では太陽暦が用いられていますので、冬至(12月21日頃)から約10日後の1月1日はまだ冬のさなかです。しかし、江戸時代までは太陰暦が使われており、立春(2月4日頃)に近い新月の日が1月1日に当たり、「元日は春のはじまり」という感覚が一般的だったのです。そのようなわけで「今朝の春」とは「元日の朝」を意味します。

当時の年齢は「数え年」でした。この世に生まれた時が1歳で、正月が来ると誰もが一つずつ年を取ります。芭蕉は「私は誰やらの容貌に似てきたなあ。新しい年になって、また一つ年齢を重ねたら気が付いたよ」と言っていると思われます。

「誰やら」って、いったい誰でしょうか。わざと明確にせずにとぼけているらしいのですが…。おそらく「われながら父に似てきたなあ」という感慨を抱いたのではないでしょうか。

13歳で父親と死別したと推測される芭蕉は、この年の元日に44歳を迎えました。子どもの目には、親は年を取って見えるものですよね。父親が死んだのと同じぐらいの年齢を迎えた元日の朝、鏡の中にその面影を発見して懐かしさにしみじみとしながら、自分自身の老いも自覚したのでしょう。

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俳句 与謝蕪村

深沢 眞二FUKASAWA Shinji経歴・執筆一覧を見る

日本古典文学研究者。連歌俳諧や芭蕉を主な研究対象としている。1960年、山梨県甲府市生まれ。京都大学大学院文学部博士課程単位取得退学。博士(文学)。元・和光大学表現学部教授。著書に『風雅と笑い 芭蕉叢考』(清文堂出版、2004年)、『旅する俳諧師 芭蕉叢考 二』(同、2015年)、『連句の教室 ことばを付けて遊ぶ』(平凡社、2013年)、『芭蕉のあそび』(岩波書店、2022年)など。深沢了子氏との共著に『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編・秋冬編』(三弥井書店、2016年)、『宗因先生こんにちは:夫婦で「宗因千句」注釈(上)』(和泉書院、2019年)など。

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DIGIMARC』

時間泥棒の話・・・「モモ」 : 机上空間

時間泥棒の話・・・「モモ」 : 机上空間
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/29390985.html

『ドイツ人作家のミヒャエル・エンデ氏の書いた「モモ」という児童書を、ご存知だろうか。1973年に発刊され、翌年にドイツ児童文学賞を受賞しています。私が、この本を買ったのは、学生の時でした。「ネバー・エンディング・ストーリー」(原作・はてしない物語)の映画が公開されて、ストーリーは、ともかくとして、その絵本の挿絵のようなビジュアルを、そのまま映像化した、映像としての完成度に当時、やられてしまいまして、その原作者の作品という事で購入しました。書評も高評価で、大人が読んでも面白い作品として紹介されていたのですね。当時は、ハードカバー版しか販売されてなくて、そこそこ高かった記憶があります。

人々から時間を奪う「時間泥棒」というキャラクターを設定して、主人公のモモとの対決を描いた物語で、かなり寓話的な物語です。モモというのは、まるで当時、世界的に流行していた、怒れる若者を代表するような浮浪者の少女です。従来からの価値観や大人の言う事に対して、それが真実なのか、正しいのかという疑問を持つ若者が、アメリカでも、ヨーロッパでも誕生して、彼らはお仕着せの価値観を否定し、いわゆる「ヒッピー」という自由主義者的なライフ・スタイルを啓蒙します。ウーマン・リブとか、フリー・セックスとか、マリファナとか、サイケデリックとか、精神の開放とか、型にはまらないのが新しいスタイルだとして、実際に、そういう生き方をした世代が誕生した時期ですね。

彼女は、今は廃墟と化した円形劇場に住み着いていて、見た目は小学生くらい。生まれてから、一度もクシを通した事も無いような真っ黒な巻き毛で、裸足で歩くせいで、足の裏は真っ黒。服のサイズも、まったく合っておらず、ツギハギだらけという風体です。モモという名前は、自分で付けたと言い、その他の事は、判らず、ただ、ここに住みたいと言います。周囲の住民たちは、相談して、モモの面倒を見る事にしました。

正体不明の風来坊の彼女ですが、モモは人の話を聞く才能に優れていて、心の問題を抱えた人が、彼女と会話をすると、その負担が軽くなるという極めて優れた特性を持っていました。こうして、心の安定でお返しする事で、モモは無くてはならない存在になって行きます。

しかし、そこへ「灰色の男たち」と呼ばれる存在が介入してきます。鉛のような灰色の書類カバンを持ち、灰色の煙の出る葉巻をくゆらせる、紳士のような出で立ちの男たちです。彼らは、人生に不満を抱える人間と会い、いかに時間を無駄にしているかを秒単位で説きます。そして、節約した時間を、彼らの運営する「時間貯蓄銀行」に預ければ、利子を乗せて支払うと営業を仕掛けます。

その話に乗った人々は、一秒たりとも無駄にできないと、イライラしながら働くようになり、それでも、時間はあっという間に経過してしまうので、もっと倹約しなくてはと、怒りっぽくなっていきます。こうして、灰色の男たちは、人々から時間という財産を奪って、世界を侵食していきます。

やがて、モモの元には、人々が寄り付かなくなるようになりました。時間を倹約する事に価値を見出すようになった親達が、モモが、ぐうたらの怠け者で、時間を無駄に浪費させる人間だと、会う事を禁止するようになったのです。やがて、灰色の男の一人が、モモのところにもやってきて、成功する事が大事であり、その他の事は価値が無いし、役に立たないと説得しに来ます。しかし、モモは屈する事無く、反論し、やがて、議論に詰まった灰色の男は、平常心を無くして、自分達が、人間から時間を奪う事を目的にしていて、その正体を秘密にしている事などをバラしてしまいます。

この後も、物語は続いて、時間の国の長老であるマイスター・ホラなど、キャラクターも出てきて、話は、より観念的になり、結構、子供が読むにはハードルが高い展開になっていきます。また、灰色の男たちが、人々から奪った時間は、時間の花を育成する養分になっていて、その花びらを乾燥させて巻いた葉巻が、彼らが普段から吸っているものなのでした。この辺りは、いかにもマリファナ的で、時代を感じさせます。葉巻から出る煙は、死んだ時間で、生きている人間が、この煙を吸うと、やがて灰色の男たちになってしまいます。この病気の名前が、致死的退屈症です。

この物語は、当時の風俗を取り入れながら、資本家と労働者という関係を寓話的に示しています。一般的に、資本家VS労働者というと、賃金の話になりがちですが、実は資本家が買い取っているのは、労働者という契約で縛りを課した他人の時間です。個人が持っている時間は、有限ですが、報酬を支払って、仕事として他人に任せる事で、成果は何百倍にも増やす事ができるのです。規模を大きくすれば、買い取った時間で成し遂げる成果も大きくなりますから、資本家の元には大きな対価が入ってきます。それを効率的に労働者に割り振る事で、更に事業は拡大するわけです。時間というのは、それを増やしたり減らしたりできませんが、他人の時間を報酬と引き換える事で、時間あたりの成果を増やす事はできるのです。

つまり、この物語は、チャップリンの「モダン・タイムス」と同じで、機械的に効率化の進んだ工場労働などの非人間性に対する寓話的な批判です。そして、労働の本質が、賃金の問題ではなく、時間の拘束である事に着目した、初期の作品の一つです。

この作品の時代では、労働集約化と、そこで推進させる極限までの効率化を、余りにも非人間的なモノとして批判しているわけです。しかし、今は、それよりも、たちの悪い形で、「時間泥棒」達は、我々の生活に入り込んでいます。

現在のアメリカは、GDPが世界一の最も豊かな国家のはずです。しかし、アンケート調査によると、世界平均よりも、日々、常に心配事を抱え、多くのストレス持ち、決して幸福とは言えない環境にあります。物質的には豊かになり、多くの作業が自動化されて、開放された代わりに、自分で時間をコントロールできなくなったのです。

資本主義を代表する工場労働を考えてみましょう。確かに、工場で労働している時間、最大の作業効率を求められ、しばしば、その労働は非人間的です。前述の「モモ」が寓話としていたのは、まさに、その時代の労働と時間の関係です。しかし、終業時間になれば、労働から開放され、プライベートと労働の区別は、はっきりと分かれていました。しかし、1950年代と違って、労働の主軸は、よりクリエティブな頭脳労働に移行しています。

製造ラインに、いない時には、労働の事を考える必要が一切無い、工場労働と違って、プロジェクトやマーケティング、クリエイターの仕事は、労働と時間の明確な区切りがありません。今は、スマホやタブレットなど、事務所の外でも仕事をサポートし、成果を送信したり、情報を得るツールが豊富にありますから、どこで何をしていても、仕事ができないという言い訳がたちません。つまり、フリーランスなど、場所や時間に縛られない働き方が増えたのですが、時間を自分でコントロールする事が、生産性の向上という呪文の前では、難しくなったという事です。

時間に縛られないというのは、労働をする時間が決まっていないというだけで、自炊で調理中でも、深夜に目が覚めてしまった時でも、入浴中でも、トレーニング中でも、頭で常に仕事の事を考える事は可能ですし、それをサポートするツールもあります。つまり、取り組んでいる問題を解決できない限り、我々は時間をコントロールするのが難しくなっているのです。まさに、時間泥棒に取り憑かれている状態と言って良いでしょう。

我々にとって、リラックスして、目標を持たない時間というのは、「幸福な経験・体験」に繋がる重要なものです。実際、幸福というものを、可視化するなら、過去に起きた幸せな体験の記憶であり、それは、多くの場合、自分のコントロール下にある時間において起きた事でもあるはずです。それが、仕切りの無い労働と、それを可能にするツールの発達によって、自分の制御に置けなくなってきています。

つまり、豊かさとは、高価なモノに取り囲まれる事ではなく、自分でコントロールできる時間の多さであり、その環境を作る為には、資産形成が必要だという事なのです。もし、幸福を基準に人生を過ごしたいのであれば、労働を賃金で計るのではなく、自分で時間を制御する為の手段として捉え、何者にも介入されない、自分の思い通りの時間を作る事こそが、精神的な幸せに繋がると認識するのが重要です。そして、労働における搾取とは、自分の時間を、格安で他人に売り渡す事に他ならないのだと認識するのが重要です。』

近松門左衛門の「虚実皮膜論」

近松門左衛門の「虚実皮膜論」
https://text.yarukifinder.com/kobun/4453

『近松門左衛門の「虚実皮膜論」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。

近松門左衛門の「虚実皮膜論」の現代語訳

 ある人の言はく、「今時の人は、よくよく理詰めの実じつらしき事にあらざれば合点がてんせぬ世の中、昔語りにある事に、当世受け取らぬ事多し。さればこそ歌舞伎の役者なども、とかくその所作しよさが実事じつじに似るを上手とす。立役たちやくの家老職は本ほんの家老に似せ、大名は大名に似るをもつて第一とす。昔のやうなる子どもだましのあじやらけたる事は取らず。」

ある人が言うことには、「この頃の人は、十分に論理的で事実めいたことでないと納得しない世の中で、昔話にあることにも、今の世では承知しないことが多い。だからこそ歌舞伎の役者なども、とにかくその演技が実際の在り方に似ているのを上手(な役者)とする。立役(善人の男の役)の家老職(を演じる役者)は本物の家老に似せ、大名(を演じる役者)は(本物の)大名に似る(ようにすること)をもって第一とする。(この頃の人は)昔のような子どもだましのふざけたこと(演技)は認めない。」(と。)

 近松ちかまつ答へて言はく、「この論もつとものやうなれども、芸といふものの真実の行き方を知らぬ説なり。

近松が答えて言うことには、「この論はもっとものようだが、芸というものの本当の在り方を知らない説である。

芸といふものは実と虚うそとの皮膜の間にあるものなり。

芸というものは事実と虚構との、皮膜の間(皮と肉との境目のような微妙なところ)にあるものである。

なるほど今の世、実事によく写すを好むゆゑ、家老は真まことの家老の身ぶり口上こうじやうが写すとはいへども、さらばとて、真の大名の家老などが立役のごとく顔に紅脂べに、白粉おしろいを塗る事ありや。

なるほど今の世は、(歌舞伎の役者なども)実際の在り方を念入りにまねることを好むので、家老(役)が本当の家老の身ぶり話しぶりをまねるとはいっても、だからといって、本当の大名の家老などが立役のように顔に紅脂、白粉を塗ることがあるだろうか。

また、真の家老は顔を飾らぬとて、立役が、むしやむしやと髭ひげは生えなり、頭ははげなりに舞台へ出て芸をせば、慰みになるべきや。皮膜の間と言ふがここなり。虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあつたものなり。

(いや、ない。)あるいは、本当の家老は顔を飾らない(から)といって、立役が、もじゃもじゃと髭は生えたまま、頭ははげたままで舞台へ出て芸をするならば、(観客の)満足となるだろうか。(いや、ならないだろう。)皮膜の間というのは、この点である。虚構にして虚構でなく、事実にして事実でない、この間に(観客の)満足があったものである。

 絵空事とて、その姿を描くにも、また木に刻むにも、正真しやうじんの形を似するうちに、また大まかなるところあるが、結句けつく人の愛する種とはなるなり。

絵空事といって、その姿を(絵に)描くにしても、あるいは木に彫るにしても、実物そのままの形に似せる中に、同様に大ざっぱなところもあるのが、結局人の愛するもととなるのである。

趣向しゆかうもこのごとく、本の事に似る内にまた大まかなるところあるが、結句芸になりて人の心の慰みとなる。文句のせりふなども、この心入れにて見るべき事多し。」

(芸の)工夫もこのように、実際のことに似る中に同様に大ざっぱなところもあるのが、結局(本物の)芸になって人の心の満足となる。(浄瑠璃の中の)会話の言葉なども、この心構えで見なければならないことが多い。」(と。)

【難波なには土産】

脚注

立役 善人の男の役。敵役、女形などに対する役柄をいう。
皮膜の間 皮と肉との境目のような微妙なところ。
文句のせりふ 浄瑠璃の中の会話の言葉。

出典

虚実皮膜ひにく論

参考

「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 2部」あすとろ出版 』

『難波土産』より 虚実皮膜の論
http://from2ndfloor.qcweb.jp/classical_literature/naniwamiyage.html

『原文

 ある人のいはく、
「今時の人は、よくよく理詰めの実らしきことにあらざれば合点せぬ世の中、昔語りにあることに、当世受け取らぬこと多し。さればこそ、歌舞伎の役者なども、とかくその所作が実事に似るを上手とす。立ち役の家老職は本の家老に似せ、大名は大名に似るをもつて第一とす。昔のやうなる子どもだましのあじやらけたることは取らず。」

 近松答へていはく、
「この論もつとものやうなれども、芸といふものの真実の行き方を知らぬ説なり。芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるものなり。なるほど、今の世、実事によく写すを好む故、家老はまことの家老の身振り、口上を写すとはいへども、さらばとて、まことの大名の家老などが、立ち役のごとく顔に紅、おしろいを塗ることありや。また、まことの家老は顔を飾らぬとて、立ち役が、むしやむしやとひげは生えなり、頭ははげなりに舞台へ出て芸をせば、慰みになるべきや。皮膜の間といふがここなり。虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあつたものなり。

 絵空事とて、その姿を描くにも、また木に刻むにも、正真のかたちを似するうちに、またおほまかなるところあるが、結句人の愛する種とはなるなり。趣向もこのごとく、本のことに似るうちに、またおほまかなるところあるが、結句芸になりて、人の心の慰みとなる。文句のせりふなども、この心入れにて見るべきこと多し。」
現代語訳

 ある人が言うことには、
「最近の人は、よほど理論的でもっともらしいことでなければ納得しないこの世の中では、昔話にあることを、現在では受け付けないことが多い。そうであるからこそ、歌舞伎の役者達も、とにかく演技の動きが実際に似ているのを名人だとする。成人男子役者の家老職は本物の家老に似せて、大名は大名に似ているのを第一にする。昔のような子供だましのふざけたことはやらない。」

 近松門左衛門が答えて言うことには、
「この論はもっとものようだけれども、芸というものの本当のありようを知らない考えだ。芸というものは、本当と嘘の境界にあるものなのだ。なるほどたしかに、現在は、実際の様子をよく再現することを好むから、家老は本物の家老の振るまい、話し方を再現するとはいっても、だからといって、本物の大名の家老などが、役者のように顔に紅や白粉を塗ることがあるものか(いや、ない)。あるいは、本物の家老は顔を飾り立てないからといって、役者が、もじゃもじゃとひげが生えた状態で、頭は禿げたままで舞台へ出て芸をしたら、(観客は)満足するだろうか(いや、しない)。境界というのは、ここのことだ。嘘だが嘘では無い、本当だが本当では無い、この微妙な境界部分に観客の満足があるのだ。

 絵空事といって、その様子を描くのにも、あるいは木に彫るのにも、本当の形を真似する中に、また大雑把なところもあるのが、結局人が愛する根源となるのだ。(芸の)趣向もこのように、本物を真似ている中に、また大雑把なところがあるのが、結局芸になって、人々の心の満足になる。(浄瑠璃の)台詞なども、この心構えで見るのがよいことが多い。」
作品

『浄瑠璃文句標註 難波土産』

穂積以貫 作の、人形浄瑠璃についての研究・案内書。
近松門左衛門自身が記した芸能論は見つかっておらず、近松の創作に対する姿勢を知る上で『難波土産』は非常に重要な資料である。

穂積以貫は、もともと儒学者だが浄瑠璃にハマり、竹本座の近松門左衛門との交際を持った。近松から聞いた芸論を書き留め、浄瑠璃の制作にも関わっていたようだ。
次男は近松門左衛門に弟子入りして、近松半二を名乗った。 』

 ※ まず、「きょじつひにくろん」と読むようだな…。「ひまくろん」じゃ、無いのか…。

 ※ 次に、「近松門左衛門」の記述では無く、「穂積以貫(ほづみいかん)」という人の記述なんだな…。『近松門左衛門自身が記した芸能論は見つかっておらず、近松の創作に対する姿勢を知る上で『難波土産』は非常に重要な資料である。』と言うことだ…。

 ※ 世の中、知らんことばっかりだ…。

おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉

先人の句に学ぶ/芭蕉会議
http://www.basho.jp/senjin/s0606-1/index.html

『ぎふの庄ながら川のうがひとて、よにことごとしう云ひのゝしる。まことや其興の人のかたり伝ふるにたがはず、浅智短才の筆にもことばにも尽くすべきにあらず。心しれらん人に見せばやなど云ひて、やみぢにかへる、此の身の名ごりおしさをいかにせむ。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉 芭蕉 (真蹟懐紙・夏・貞享五)

鵜飼の一夜が更けて鵜舟が帰りゆくころは、あれほど鵜飼をおもしろがっていた心が、そのまま悲しく切ない思いへと変わってゆくことだ、という意。

全体が謡曲「鵜飼」の詞章〈おもしろのありさまや、底にも見ゆる篝火に……〉〈鵜舟にともす篝火の消えて闇こそ悲しけれ〉等による表現だが、そうした典拠を必要としないところまで彫琢された描写が作者の力量である。

前書には、場所が岐阜長良川で、そこの鵜飼は見物人を集めるほど世間で知られていたこと、その興趣は世間の評判通りで筆舌に尽くせないこと、だから情趣を解する人に見せたいものだと思いつつ帰途につくが、名残惜しく去りがたい思いを禁じ得ない、という心持ちを述べる。

なおここにも古典から「あたら夜の月と花とを同じくはあはれしれらん人に見せばや」(信明・後撰・春)、「鵜舟のかゞり影消えて、闇路に帰る此身の、名残りをしさを如何にせん」を織り込むことに注意したい。

結論的には、文章と句が独立しつつ支え合って、芭蕉の志した俳文という様式はこれかと思わせるほど句文融合した作品としてよい。』

今やかの三つのベースに人満ちて…。

第四百五十一夜 正岡子規の「ベースボール」の句
(Posted on 2021年2月5日 by mihohaiku)
https://miho.opera-noel.net/archives/2467

『1936年(昭和9)2月5日は、日本職業野球連盟が設立された日で、「プロ野球の日」と定めた。7チームで初の社会人野球のリーグ戦が行われるようになった。

 太平洋戦争が始まると日本野球報告会と改名し、野球用語英語使用禁止となった。ストライクは「よし一本」、ボールは「だめ一つ」、アウトは「引け」、監督は「教師」、選手は「戦士」というふうであった。
 
 それよりずっと昔、正岡子規が第一高等中学(現在の東大)在学中にベースボールをやっていたのは、明治22年の頃で「松羅玉液(しょうらぎょくえき)」という随筆の中でベースボールを論じたのは明治29年であった。当時使われた野球用語は、今も使われているものがある。例えば、「本基(ほんき)」はホームベース、「満基(まんき)」はフルベース、「廻了(かいりょう)」はホームイン、「除外(じょがい)はアウト、という風に野球用語を考えていた。

 明治31年、子規はベースボールの歌9首作った。その中の2首を紹介する。
 「打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来る人の手の中に」

 「今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな」
 
 現代は、野球が盛んである。小学生のチーム、中学、高校、大学は学校単位で試合が行われる。そこから、さらに目指すのはプロ野球チームである。セ・リーグ、パ・リーグで各6球団、全体で12球団で日本一を争う。

 夢と希望のあるスポーツの一つである。
 
 今宵は、野球の作品を紹介してみよう。
 
  夏草やベースボールの人遠し  正岡子規 『俳句稿』
 (なつくさや ベースボールの ひととおし)

 句意は、夏草の生い茂る原っぱで草野球の試合をしている人たちを見かけましたが、今の私の身体では、草野球もキャッチボールもできません、遠い昔のことになってしまいましたよ、となろうか。
 
 碧梧桐より6歳上、虚子より7歳上の子規は、東京に出て、東京大学に入学し、夏休みには夏目漱石を伴って帰郷しては覚えたての野球をしていた。時には、碧梧桐や虚子も誘われて一緒にプレーをしたという。

 この作品は明治31年作で、この頃には結核も進んで脊椎カリエスとなり、所用のある日にはこうして外出するが、ほぼ病臥の状態であった。草野球の人たちを遠くに眺めて、懐かしく淋しく思っていたのではないだろうか。

  甲子園汗にじむ砂玉として  加古宗也 『蝸牛 新季寄せ』
 (こうしえん あせにじむすな たまとして)

 「甲子園」といえば、高校球児たちが春夏2回の全国高校野球選手権大会のことである。出場校は、北海道と東京など学校数の多い地域は2校出るなど、少しずつ変化しているが、基本は県を代表した1校の出場であるから超難関である。やっと出場できても、一度負ければ終わりとなる。

 句意は、甲子園で熱闘して負けたチームの子たちは、試合後に、汗と涙の染みた甲子園の土を丸めて、用意してきた袋に大切に詰めている。一人一人にとって汗の滲んだ甲子園の砂こそが、まさに宝石なのですよ、となろうか。

  秋ばれやバットにグローブさしてゆく さいとうあきら 『小学生の俳句歳時記』
 (あきばれや バットにグローブ さしてゆく)

 春よりも夏よりも、秋がスポーツの似合う季節のような気がしている。雨も台風もやってくるが、空は高く爽やかで湿度も少なく感じられるのが秋だ。
 
 句意は、天高く晴れ渡った日、今日は、少年野球チームの練習日だ。バットの先にグローブを差し込んで肩にかけて、四方八方から颯爽と男の子たちが集まってきましたよ、となろうか。
 
 もう40年前になるが、わが家にも少年野球チームに入っていた息子がいた。滅多に応援に行くことはなかったが、ある日見に行った。大勢のお母さんたちが見にきていた。その日、4年生の息子はピッチャーをしていたが、打たれてしまった! 』

「この貴重な銀の燭台を使って、正しい人間となるのです」

司教「この貴重な銀の燭台を使って、正しい人間となるのです」
https://www.eiga-square.jp/title/les_miserables/quotes/1

『妹の飢えた子どものためにパンを盗み、19年に渡り徒刑場に入れられていたジャン。仮釈放となったジャンだが、世間の風当たりは強く、食べるものにも困っていた。そんなジャンに、司教が食べ物と宿を提供してくれる。だが、ジャンは司教の厚意を裏切り、銀食器を盗んで逃げ出す。警察に捕まって司教の前に連れ出されたジャンを許した上に、司教はさらに銀の燭台も渡す。司教の温かい心に触れたジャンは改心する。』

『重要な部分に触れている場合があります。

司教「だが、忘れないように、兄弟よ。神の御心です。この貴重な銀の燭台を使って、正しい人間となるのです。殉教者たちの証言と、イエスの苦難と血によって、神はあなたを暗闇から連れ出してくれます。私は神のためにあなたの魂を救うのです」

Bishop: But remember this, my brother. See in this some higher plan. You must use this precious silver to become an honest man. By the witness of the martyrs, by the passion and the blood, God has raised you out of darkness. I have saved your soul for God. 』

ジャン・バルジャンの真の改心~ミュージカルでは語られないプチ・ジェルヴェ事件
https://shakuryukou.com/2021/06/12/dostoyevsky369/

シルバー川柳、キレッキレ

シルバー川柳、キレッキレ
https://orisei.tumblr.com/post/668031948341510144/%E6%82%B2%E5%A0%B1%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E5%B7%9D%E6%9F%B3%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%AC-%E3%82%8A%E3%81%B7%E3%82%89%E3%81%84%E9%80%9F%E5%A0%B1

 ※ 今日も、雑用に見舞われて、走り回った…。

 ※ こんなところで…。

※ 「私だけ伴侶がいると妻嘆く」は、ヒドかろう…。

※ 「女房から生前退位せまられる」もな…。

※ 個人における「生前退位」とは、一体何だろう…。

鎌倉から南北朝へ 「志」めぐる人間模様

鎌倉から南北朝へ 「志」めぐる人間模様
第12回日経小説大賞、天津佳之氏「利生の人」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFG050TB0V01C20A2000000

『第12回日経小説大賞(日本経済新聞社・日経BP共催)の最終選考会が行われ、天津佳之氏の「利生の人 尊氏と正成」が受賞作に決まった。鎌倉時代から南北朝時代へ移る激動期を舞台に、後醍醐天皇、帝に味方する楠木正成、北朝側に転じた足利尊氏の人間模様を描く。彼らが共有した志を、仏や菩薩(ぼさつ)が人々に利益を与えることを意味する「利生」という言葉でとらえた意欲作だ。

400字詰め原稿用紙で300枚から400枚程度の長編を対象とする第12回日経小説大賞には257編の応募があった。歴史・時代小説、経済小説、ミステリーなどジャンルは多岐にわたり、応募者は50~70代で全体の7割を占めた。

第1次選考を通過した20編から最終候補となったのは5編。受賞作「利生の人 尊氏と正成」のほか、江戸時代の茶人・小堀遠州の公金横領事件を明治時代の数寄者が推理する天野行人氏「在中庵(あん) 遠州添状(そえじょう)」、18歳で娘を産んで4年になる女性と付き合う男性を主人公とする江波年紀氏「他人の子供」、安楽死が合法化された2070年の日本を描いた森堂はっか氏「デストピア・ジャパン」、バブル期の証券マンの生活をつづった放生充氏「胸叩(たた)き」が候補に挙がった。

最終選考は4日、東京都内で辻原登、髙樹のぶ子、伊集院静の選考委員3氏がそろって行われた。5作品の内容や完成度について議論を重ねた結果、「利生の人」と「他人の子供」に絞られた。

「他人の子供」に関しては「終着させづらい物語を、ラストに手紙をうまく用いて読者を納得させている」点などが評価された一方、文章面での課題も指摘された。代わって「利生の人」が浮上。「史実の重みが物語に生かされている」「一騎打ちの場面の描き方がうまい」といった声があがった。

〈あらすじ〉
時は鎌倉末期。討幕の陰謀が発覚したことで後醍醐天皇は一時隠岐に流されるが、北条得宗の悪政への不満から、治世の主体を幕府から朝廷に取り返すという近臣たちの討幕運動は各地の勢力と結びつき、やがて幕府内にも広がる。幕府の重職にあった足利高氏(尊氏)が、帝方の楠木正成に呼応するように寝返ったことで、ついに鎌倉幕府は滅亡。後醍醐帝が京に戻り、建武の新政がはじまるなか、帝と正成と高氏は同じ「利生」の志を持った禅宗の同門であることがわかる。「民がおのおのの本分を為し、生きる甲斐のある世にする」。しかし、私利私欲がうごめく政治の腐敗は、治世者が代われど止めようがなく、尊氏と正成の運命は引き裂かれていく。
いつも確かな理想があった──天津佳之氏

あまつ・よしゆき 1979年静岡県伊東市出身、大正大学文学部卒業。書店員、編集プロダクションのライターを経て、現在は業界新聞記者。大阪府茨木市在住。
15歳の高校受験真っただ中、勉強するふりをして物語らしきものをつづり出したのが、そもそもの始まりでした。以来25年余り。気が付けば文章を書くことが生業となり、そして今、小説ということにようやく手が届いた感慨をかみ締めています。

「書かなければならない、と思うことを書きなさい」。ある人が私にくれた言葉です。書かなければならない、今の時代が必要とすることは何か。時代を知るには、その前の時代を、貫く流れを知らなければ。そう考えることが、私を歴史に導きました。そこには、この国に連綿と受け継がれてきた哲学や美学、そして先人たちの生き様がありました。もちろん、上手(うま)くいったことも、いかなかったこともあります。ただ、いつの時代も確かな理想があった。それを伝えなければという思いが、私の原点です。

鎌倉末期から南北朝期は、とかく恣意的な評価を受けてきた時代ですが、近年になり自由に論じることができる空気が醸成されてきたように思います。令和という新しい時代にあって、改めてこの時代を描くことは何がしかの意味があるのではないか。そう思い資料に当たってみると、そこには、敵味方を超えて理想を追い求めた、気持ちの良い男たちの姿がありました。どうか、それが読者の皆様に伝わればと念じて已(や)みません。

最後に、これまで支えてくれた家族と友人たちに、選考委員の先生方、関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。

辻原登氏 テーマを充全に展開

辻原登氏 

「利生の人 尊氏と正成」。〝利生〟とは衆生に神仏の利益をもたらすこと、という意味だそうだが、尊氏と正成はまさにその体現者たらんと戦った歴史上の人物らしい。テーマをタイトルとして掲げるところに作柄のまっすぐさがあり、中身もそれに充全に応えた。

「胸叩き」は、主人公のトリックスター的ずっこけぶりが面白い。作者はさらに過激にこの方向で、もうひと踏んばりを。

「他人の子供」。最初推すつもりで臨んだが、途中で変心した。エピソードにフィードバックが多過ぎて流れを滞らせる点と、筆法の品性のなさが読み手を遠ざけるかもしれない。

「在中庵 遠州添状」。遠州一代記は大変よく出来(でき)ているが、探偵物語は恐らく不要。

「デストピア・ジャパン」。私は最後に、安楽死を巡るこの近未来小説を推した。ノエルという若い主人公の女性が、肉のずだ袋を引きずって、精神が死んでいく世界を、孤独なまま横切って行く姿に強い印象を受けた。力があるから、小説の構造をもっと複雑に作った方がいい。訳が分からなくなるくらいに。

髙樹のぶ子氏 完成度の高さと安定感

高樋のぶ子氏 

「利生の人 尊氏と正成」は、以前の候補作「梅花、未(いま)だ咲かず」で菅原道真の生涯を書いた人らしく、今作も丁寧で詳しく、完成度と安定感により受賞作に推した。鎌倉幕府の重鎮であった尊氏が討幕を目指し、後醍醐天皇の新政を目指す正成へ、男として親愛の情を覚えるという傾斜が面白い。そして最後に正成を自害に追い込む運命は、戦乱のドラマとして重い感動をもたらす。今後は史料からもう少し離れて、人間ドラマを創り上げる方向を試して欲しい。

「胸叩き」も二度目の候補だったが、バブル期の証券会社の内部告発は面白かったものの、後半はサスペンスアクションのドラマのようで文章も少々荒い。会社に翻弄された男の怒りは伝わってくるが、哀(かな)しみまでは届いていなかった。問題作「デストピア・ジャパン」は、コンビニで自殺用キットが売られている近未来小説で、発想の妙と、所々にはっと胸を打たれる真実が垣間見えた。だが主人公がなぜ自殺したいのかは見えてこない。こうした小説は、この「なぜ」を読者に抱かせないだけの、異層における豪腕が求められるのではないか。

伊集院静氏 確かな歴史考察と安定した文章

伊集院静氏

今年も、このコロナ禍の中で二百五十作を超える応募があったという。こころ強い限りである。最終候補に五編の作品が残り、それぞれに才気のある作品があった。中でも一昨年それ以前に候補になられた作者が再挑戦して下さったことは喜ばしいことだった。天野行人氏の「在中庵 遠州添状」は現代に至るまでの茶人、数寄者の来歴、心情をよく書き分けていた。ただ残念なのは、小堀遠州の魅力が、他者からの評価ばかりに感じられた。遠州が、どんな人であったかを知りたかったし、添状の関与人たちがあまりに諄(くど)く思った。放生充氏の「胸叩き」は正直、面白かったし、全体のバランスが巧みで、これで受賞はいいかとさえ思った。森堂はっかさんの「デストピア・ジャパン」は作者自身のことが心配になった。テーマと当人の、時間と経験のギャップを考えさせられ、さらに不安になった。江波年紀氏の「他人の子供」は文章は自由でいいが、品性、品格に欠落があまりに目立った。これを小説としてどう考えるかは、わかれるだろう。天津佳之氏の「利生の人 尊氏と正成」は歴史考察も確かで文章も安定感があった。受賞にふさわしい。しかし私には作者が何を描きたかったか、見えなかったのが残念だった。

新選考委員に角田光代氏 第13回応募要項』