中国SNSで「美女の避難を歓迎」投稿 ウクライナ人の対中感情悪化も

中国SNSで「美女の避難を歓迎」投稿 ウクライナ人の対中感情悪化も
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e42b88c98b49b3a4d69aa9ccd339441aa97172a

 ※ 「日本人」を名乗るのだけは、止めてもらいたい…。

ぼくらが「日本人死ね」を翻訳する理由

ぼくらが「日本人死ね」を翻訳する理由
習近平氏を怒らせる「大翻訳運動」、中国の国内向け宣伝を外国語に
https://nordot.app/910075179333795840?c=39546741839462401

 ※ 天に唾すると、わが身に還ってくる…。

 ※ 別に、「陰謀」でもなんでも無い…。

 ※ 今日は、こんなところで…。

『日本で3月に強い地震が発生すると、中国のインターネット上で「日本人死ね」などと災いを望むかのようなコメントが相次いだ。そうした声を即座に日本語や英語に翻訳する集団が登場、知られざる中国の世論が世界に発信された―。

 反米や反日感情をあおる中国当局の国内向けの宣伝などを外国語で紹介し、交流サイト(SNS)を通じて海外に知らしめる「大翻訳運動」と呼ばれる動きが中国の内外で広がっている。参加者は「中国共産党の世論工作の実態を暴き、世界に警鐘を鳴らす」と動機を説明。習近平指導部は「中国侮辱ウイルス」(中国メディア)と呼び、彼らを敵視する。(共同通信=大熊雄一郎)

 ▽翻訳の威力

 「ロシアの合理的な懸念は理解できる」。2月下旬、中国政府がウクライナに侵攻したロシアに寄り添う姿勢を示すと、インターネットには「ウクライナの美女を引き取ろう」「ウクライナ瞬殺だ」などとサッカー観戦のようなノリでウクライナを小ばかにするやりとりが展開された。ロシアと緊密な関係を強調する中国政府の方針もこうした世論の背景にあった。

会談を前に言葉を交わす中国の習近平国家主席(右)とロシアのプーチン大統領=2月4日、北京(AP=共同)

 そんな風潮に腹を立てた人たちが米国のSNS「レディット」のコミュニティーでこれらの投稿を自発的に英語に翻訳、海外に紹介したのが、大翻訳運動の始まりだった。翻訳した内容は、中国政府の対外宣伝に隠された“本音”として外国メディアの注目を集めた。

 中国の世論は翻訳を介してウクライナにも伝わり、反中感情を刺激。また中国がロシアの侵攻を容認しているとの認識が国際社会に広がった。
 「宣伝当局が築いた平和で友好的な中国イメージを突き崩した」。運動の参加者たちは翻訳の威力に手応えを感じた。

 ▽緩やかな組織

 運動の拠点となっていたレディットのコミュニティーには5万人以上が参加していたが、「個人情報を漏らした」との理由で3月に閉鎖された。

 活動の場をツイッターに移すと、党・政府の世論操作や強権的な統治に反感を持つ人が共鳴。「#大翻訳運動」「#TheGreatTranslationMovement」のハッシュタグ(検索目印)を付けて参加する人が増え、今ではフォロワーは15万人を超えている。

 少数の有志による自然発生的な運動は緩やかに組織化された。米欧や日本への憎悪をあおり、ロシアの軍事行動を後押しする中国の宣伝や、それに迎合する世論を、英語や日本語、ドイツ語、フランス語、韓国語などで発信している。

 ▽「寝そべるな」と言われても

 運動初期から参加する中国在住の20代男性が「絶対匿名」を条件に通信アプリを通じて取材に応じてくれた。仮に王さんと呼ぶ。

 不況のあおりを受けて失業した王さんはベッドに横になりながらスマートフォンをいじる日々を送っていた。あるときニュースで耳にした当局者の言葉が聞き捨てならなかった。

 その当局者は最近の若者が努力もせず、無気力だとして「寝そべり主義」と批判した。好きで寝そべっているわけじゃない―。王さんは身を起こし、自分が無職となった背景を熟考した。

都市封鎖され高速道路の通行が制限された中国上海市=3月28日(ロイター=共同)

 中国当局はここ数年、市場の安定を掲げてIT企業やネット通販、金融業界、学習塾などへの規制を強化した。活力を奪われた民間企業は大規模な解雇を余儀なくされ、さらに新型コロナウイルスの感染を徹底的に封じ込める「ゼロコロナ」政策の下で都市封鎖が繰り返され、経済活動は停滞。多くの失業者が行き場を失っている。

 「政府は失政の責任を若者に押しつけ、世論の目をそらすために米欧や日本への憎悪をあおっている」。王さんの目に、経済が失速する中で対外危機をあおりウクライナに侵攻したロシアと、自国の姿が重なった。

 王さんは「中国が台湾に侵攻すれば国民の生活は破綻する。自分たちを守るために大翻訳運動に参加した」と説明。他国に攻撃的な愛国心を育て、軍備増強に走る党・政府の実態を対外発信することで、「暴走を食い止めたい」という。

 ▽うろつくネズミ

 一方、中国当局は翻訳が武器になり得るということに気づき、強い危機感を抱いた。

 党機関紙、人民日報系の環球時報は4月、「(中国に)汚名を着せる翻訳問題が大規模化、システム化している」と懸念する専門家の論評を掲載した。「中国の国際イメージづくりと国際的な発言力の向上に深刻な影響を及ぼす」と指摘し、「中国に関する概念の翻訳の主導権」を握るべきだと訴えた。

 習指導部は「愛される中国のイメージ」形成を唱えており、大翻訳運動がそれに水を差す動きとみて神経をとがらせている。宣伝当局は米欧などの反中勢力が背後にいると主張している。

中国海南省を視察する習近平国家主席(右から2人目)=4月(新華社=共同)

 しかし王さんによると、運動参加者の大部分は中国語を母国語とし、中国政府の統治下で暮らしたことがある人たち。中国人のほか、世界各地の華僑や外国人が加わっているという。中国当局の摘発対象とならないよう、リーダーを明確にしない戦略を取っている。
 党・政府系メディアは運動参加者を「ウイルス」「うろつくネズミ」などと罵倒し、米欧主導の情報戦と見なして攻撃する。しかし参加者の主力が中国人である可能性には目を伏せているようにも見える。

 ▽専制の土壌は国民にも

 大翻訳運動が中国内の反日的言論を海外に紹介する理由について、王さんは「中国政府が反日感情を植え付けた結果、どれぐらい危険な世論が形成されているかを明らかにするため」と説明する。中国が日本の脅威を口実に軍拡に突き進むことへの危機感がある。

 日本の地震を祝うコメントが翻訳され、海外で反響が広がると、これらの投稿の大半は削除されたという。運動メンバーはこれを“成果”と考えている。

日本の地震に関する中国のネット世論を日本語で紹介する大翻訳運動のツイッター画面

 ただ運動の目的は必ずしも党を脅かすことではない。「ウクライナ美女」や「日本人死ね」を書き込んでいる人の大半は普通の庶民だ。

 王さんは「中国人の根っこには中央集権への崇拝があり、党の統治がもたらした結果に一定の責任がある」と指摘する。

 専制を受け入れ、人権を軽視する民族心理への深い反省を促すことこそが狙いなのだという。「中国当局が憎悪に満ちた宣伝を停止し、中国のネット民が侵略を支持するような愚かな言論をやめない限り、大翻訳運動は終わらない」

スマートフォンを使う若者ら=2021年6月、北京(共同)』

天に唾する

天に唾する
http://kotowaza-allguide.com/te/tennitsubasuru.html

『【読み】 てんにつばする

【意味】 天に唾するとは、人に害を与えようとして、かえって自分がひどい目に合うことのたとえ。

【天に唾するの解説】

【注釈】 天に向かって唾を吐いても空を汚すことなど出来ず、吐いた唾が自分の顔にふりかかってくることから。

『四十二章経』に「悪人の賢者を害するは、猶し天を仰いで而も唾せんに、唾、天を汚さずして、還って己が身を汚し、風に逆らって人に塵くに、塵、彼を汚さずして、かえって身に塵するがごとし」とあるのに基づく。

「唾」は「つばき」とも読む。
「天に唾す」ともいう。

【出典】 『四十二章経』

【注意】 「無礼な行い」という意味で使うのは誤り。
誤用例 「社長に向かってそんな振る舞いをするとは、天に唾するようなやつだ」

【類義】 仰いで唾を吐く/お天道様に石/天に向かって唾を吐く/天を仰いで唾する/寝て吐く唾は身にかかる

【対義】 -

【英語】 Who spits against heaven spits in his own face.((天に向かって唾を吐けば自分の顔に落ちてくる)

The stone you throw will fall on your own head.(投げた石は自分の頭上に落ちる)

【例文】 「相手を陥れるようなことばかりしていると、結局は天に唾する結果になるよ」 』

公的空間と私的空間で、それぞれ、どう行動するか。

公的空間と私的空間で、それぞれ、どう行動するか。
https://st2019.site/?p=19799

『Kamil Galeev 記者による2022-6-14記事。

   公的空間と私的空間で、それぞれ、どう行動するか。
 これには国民の違いがとても大きい。

 ロシア人は、私的空間での振る舞いで、その人の善悪を判定する。米人はそうではない。

 ロシア人の「正直」は、私的空間での正直さだけが問われる。公的空間では嘘をついても誰もとがめぬ。

 記者は大卒後、数ヵ月だけロシアの公務員であった。
 そこで知った。公務員の上司も、私的空間では政府を平然と批判するのだ。しかし、公的空間でそれをすれば、彼の人生は「詰み」だ。

 だからロシアの公人を、公的発言によって値踏みすることは、誰にもできないのである。公人が嘘をついても可い社会契約になっているので。

 私的空間での嘘も、公的空間での嘘も許さないのは、米国社会が最右翼だ。
 欧州大陸は、地域によって、その程度がいろいろだ。』

トマス・ホッブズ

トマス・ホッブズ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%96%E3%82%BA

 ※ 昨今の「情勢」は、どうも、「むき出しの力」が猛威を振るっている感がする…。
 ※ それで、この人のことを思い出した…。

『トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588年4月5日 – 1679年12月4日[1])は、清教徒革命(イングランド内戦)から王政復古期にかけてのイングランドの哲学者。

17世紀の近世哲学にあって、ルネ・デカルトなどと共に機械論的世界観の先駆的哲学者の一人であり、バールーフ・デ・スピノザなどとともに唯物論の先駆的思索を行った哲学者の一人である。

政治哲学者として側面は広く周知され、人工的国家論の提唱と社会契約説により近代的な政治哲学理論を基礎づけた人物として一般的に知られる。王太子時代のイングランド王チャールズ2世の家庭教師でもあった。 』

『概要

イングランド国教会の聖職者の子として生まれる。

1588年、スペインの無敵艦隊襲来というニュースにショックを受けた母親は産気づき、予定より早く出産した。このため「恐怖と共に生まれた」といわれる。

1608年にオックスフォード大学を卒業[2]した後、デヴォンシャー伯爵家(後のデヴォンシャー公家)に家庭教師として仕える。

1610年から1630年代にかけて貴族の子弟とともにヨーロッパ大陸へ三度旅行し、フランスやイタリアの哲学者や科学者と交流した[2]。

清教徒革命前の1640年に自分の身を案じてフランスへ亡命[2]し、後に国王となったチャールズ2世の家庭教師を務める。

最もよく知られる著作『リヴァイアサン』は、イングランド内戦が終結してオリバー・クロムウェルの統治下にあったイングランド共和国に帰国した1651年に刊行された。ベーコンやガリレオ、デカルトらと交友があった。

1655年に出版した『物体論』(De Corpore)内で円積問題の解を見つけたと公表し、数学者のジョン・ウォリスとの論争に発展した。

ホッブズの哲学は公理系を元に構築する幾何学的な考え方を元にしていたが、円積問題については終始、本質を理解することができず、誤りを自覚できずに死ぬまで激しい論争を続けた(ホッブズとウォリスの論争(英語版))[要出典]。

形而上学においては唯物論の立場に立ち、その考えは『物体論』において展開された。

また、デカルトから『省察』の批判を書くよう頼まれた時はその立場から批判を行なったが(デカルトは他の哲学者や神学者にも批判を頼み、ホッブズのそれは第三論駁と呼ばれる)、自身の哲学への不理解と解したデカルトからの反応は冷淡であった[3]。

年譜

1588年 - 4月5日、ウィルトシャー州マームズベリー近郊のウェストポートにて、イングランド国教会牧師トマス・ホッブズの次男として誕生。
1592年 - ウェストポートの教会学校入学。
1600年 - 父の死に伴って叔父フランシス・ホッブズに引き取られる。ロバート・ラティマーの私立学校に入学。
1603年 - オックスフォード大学入学。
1608年 - 2月5日にオックスフォード大学卒業[4]。第2代デヴォンシャー伯爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの家庭教師となる
1620年 - ベーコンの助手として彼の口述筆記をしたり、著作をラテン語に訳したりする。
1629年 - 自身の手によるトゥキディデスの『戦史』の翻訳を公表。
1631年 - 第3代デヴォンシャー伯爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの家庭教師となる。
1636年 - ガリレオを訪問。
1637年 - 感覚について小論文(Little Treatise)発表。
1640年 - 5月9日に『法学原理』(The Elements of Law)発表。短期議会(4月13日 - 5月5日)の進展に伴ってイングランド内の政情が不安定化したため、フランスの首都パリへ亡命。
1642年 - 『市民論』(De Cive)を匿名で発表。
1645年 - イングランド王太子(後のチャールズ2世)がパリに亡命。ホッブズが彼の数学教師となる。
1647年 - イングランド国教会の洗礼を受ける。
1651年 - 『リヴァイアサン』を出版。
1655年 - 『物体論』(De Corpore)を出版。
1656年 - 『自由、必然、偶然に関する諸問題』を発表。
1658年 - 『人間論』(De Hormine)を出版。
1668年 - 『ビヒモス』(Behemoth)を出版
1674年 - 『イリアス』と『オデュッセイア』の翻訳を発表。
1679年 - 12月4日に死去。

人工的な国家理論

『リヴァイアサン』は、ホッブズの代表的な著作であり、17世紀ヨーロッパにおける国家理論の白眉である。

この著作によって、王権神授説に立つ同時代のイングランドの王党派からは無神論者であるとされ、共和派からは専制政治擁護者と見られた。

現代に至るまでホッブズの評価は屈折しており、相反する立場から全く異なったホッブズ観が提示されている。

概要

この著作は、権威(Authority)を「いかなる行為でもなしうる権利」と定義づけており、国家の権威主義(独裁主義、専制主義、全体主義)を擁護した論説であるという側面がある。

ホッブズは前提として、人間の自然状態は闘争状態にあると規定する。

彼はまず、生物一般の生命活動の根元を自己保存の本能とする。

その上で、人間固有のものとして将来を予見する理性を措定する。

理性は、その予見的な性格から、現在の自己保存を未来の自己保存の予見から導く。

これは、現在ある食料などの資源に対する無限の欲望という形になる。

なぜなら、人間以外の動物は、自己保存の予見ができないから、生命の危険にさらされたときだけ自己保存を考えるからである。

ところが人間は、未来の自己保存について予見できるから、つねに自己保存のために他者より優位に立とうとする[5]。

この優位は相対的なものであるから、際限がなく、これを求めることはすなわち無限の欲望である。

しかし自然世界の資源は有限であるため、無限の欲望は満たされることがない。

人は、それを理性により予見しているから、限られた資源を未来の自己保存のためにつねに争うことになる。

またこの争いに実力での決着はつかない。

なぜならホッブズにおいては個人の実力差は他人を服従させることができるほど決定的ではないからである。

これがホッブズのいう「万人は万人に対して狼」「万人の万人に対する闘争」である。ただしこの前提は、友枝高彦らの批判もある(「#批判」を参照)。

ホッブズにおいて自己保存のために暴力を用いるなど積極的手段に出ることは、自然権として善悪以前に肯定される。

ところで自己保存の本能が忌避するのは死、とりわけ他人の暴力による死である。

この他人の暴力は、他人の自然権に由来するものであるから、ここに自然権の矛盾があきらかになる。

そのため理性の予見は、各自の自然権を制限せよという自然法を導く。

自然法に従って人びとは、各自の自然権をただ一人の主権者に委ねることを契約する。

だが、この契約は、自己保存の放棄でもその手段としての暴力の放棄でもない。

自然権を委ねるとは、自然権の判断すなわち理性を委ねることである。

ホッブズにおいて主権は、第一義的に国家理性なのである。

また以上のことからあきらかなように、自然状態では自然法は貫徹されていないと考えられている。

その影響と解釈

ホッブズが展開した国家理論は、キリスト教会社会のカルヴァン主義のそれに似た自然状態を想定し、そこから人工的に国家モデルをつくりあげたという点では近代国家理論のさきがけであった。

前提の自然状態を措定した上に契約神学が設定されたように、現実の国家社会との間に社会契約を設定するという理論が発展する。

このことはホッブズ以前の社会契約が既成国家の説明原理にとどまり、基本的に「支配=服従契約」と見ているのに対し、平等な個人間の社会契約による国家形成という新しい視点を開いた。

またこのような社会契約の要因として、人間の自然理性を重視していることから啓蒙主義的な国家理論であるということができる。

ホッブズの理論を批判的に継承したのは、ジョン・ロックとルソー(社会契約論)であるが、両者とホッブズとの決定的な違いは、ホッブズが自然状態において自然法が不完全であるとするのに対し、両者は自然状態において既に自然法が貫徹されていると想定していることである。

このホッブズの政治理論の性格および歴史的意義については、現在4つの主要な解釈がある。

絶対主義の政治理論説 - 以下の3点を主要な根拠として、ホッブズの政治理論が絶対主義王政を支持するものであるとする説。

    ホッブズが社会契約を服従とみなしていること。
    主権者が一者であり、主権が国家理性であること。
    主権者が国内の宗教を含めてあらゆる国内的、国際的政策を統制できるとしていること。

近代的政治理論説 - 以下の2点を主要な根拠として、ホッブズの政治理論が近代的で民主主義的な国家理論であるとする説。

    無神論的、唯物論的世界観、また理性主義に基づく平等思想を唱えていること。
    分析的に導き出したアトム的人間から構成的に人工の国家を導き出すという科学的手法をとっていること。

伝統的政治理論説 - 以下の2点を根拠として、ホッブズの政治理論が伝統的なキリスト教倫理思想に則っているとする説。

    ホッブズの自然法思想がデカルト思想に影響される前から既に形成されていたこと。
    宗教に対する言及が、無神論的立場ではなく信仰によっていると考えられること。
自然状態的政治理論説 - 以下の2点を根拠として、ホッブズの政治理論が究極的に自然状態の理論であり、闘争の政治理論であるとする説。

    自然法が個人規模での闘争を止揚して国家規模の闘争を導いているにすぎず、本質的に闘争状態であることが変わっていないこと。
    国家状態が自然法に基づくとされていること。

この中で、1.と2.の見方が古典的で、現在でも有力な説である。

著述
「w:Thomas Hobbes#Works (Bibliography)」も参照

邦訳書

選集『世界の名著28 ホッブズ』永井道雄責任編集、中央公論社・中公バックス、1979年
選集『世界の大思想13 リヴァイアサン 国家論』水田洋・田中浩訳、河出書房新社、1966年
『リヴァイアサン』水田洋訳、岩波文庫(全4巻)、1992年
『ホッブズの弁明/異端』水田洋編訳、未來社<転換期を読む>、2011年
『哲学原本』(『哲学原論』とも訳される、ラテン語:Elementa Philosophiae、英語:Elements of Philosophy)
    『物体論』『人間論』『市民論』本田裕志訳、京都大学学術出版会、各・2015年、2012年、2008年
        ラテン語原文に基づく初めての完訳で、『哲学原本』の第一部「物体論」、第二部「人間論」、第三部「市民論」を個別の単行本での出版。
    『哲学原論/自然法および国家法の原理』伊藤宏之・渡部秀和訳、柏書房、2012年
        同じく完訳だが、原文はラテン語であるが、上記版は英語版での用語表現に基づき翻訳された。
『哲学者と法学徒との対話』田中浩・新井明・重森臣広訳、岩波文庫、2002年
『ビヒモス』山田園子訳、岩波文庫、2014年
『法の原理 人間の本性と政治体』田中浩・重森臣広・新井明訳、岩波文庫、2016年
『法の原理 自然法と政治的な法の原理』、高野清弘訳、ちくま学芸文庫、2019年
『リヴァイアサン』、角田安正訳、光文社古典新訳文庫(Ⅰ・Ⅱ)、2014-2018年

批判

イギリスの思想家でケンブリッジ大学教授のアクトン卿(1834 - 1902年)は、「偉大な人物を悪者に変貌させる極めて有害なエネルギーが権力である」とし、「権力の重要性を強調する論説には非常に長い系譜があるが、政治思想史から見れば、マキャベリまたはホッブスの説の焼き直しの域を出ない」と批判している[6]。

日本の倫理学者で東京高等師範学校教授・東京帝国大学助教授の友枝高彦(1876 - 1957年)は「正義といい人類愛といい、人類の間の最も望ましい美徳であることは、昔から宗教でも道徳の方でも高調されているところである。…この事実に対する解説として自然性論というべき一派がある。それは人類は本来利己的であって同胞と協同するも親和するも畢竟利己の為に外ならないようにいうのである。…人類は互いに狼であるとホッブスのいったのは、全く利己的見地から解釈するのであって、国際間には道徳なく、ただ欺瞞、暴力あるのみと考えたマキャベリも同じ考であるといわねばならぬ」として、ホッブズの説を拒んだ[7]。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの機関誌『エコノミカ』は1929年に「現代のホッブス批評家たち」を特集した号を出版した[8]。

政治学者でハーバード大学教授カール・ヨアヒム・フリードリッヒ(1901 - 1984)は、ホッブズ自身は『リヴァイアサン』で権威を「いかなる行為でもなしうる権利」と定義づけたが、その後にさらに「いかなる人も自分がその当事者でない契約には縛られない」と付け加えていることを指摘し、その権威の捉え方は、政治の基礎としての権力をあまりに強調しすぎた点に限界があったとしている[9]。

哲学者でフロリダ国際大学名誉教授B. W. Hauptliは『ホッブズと倫理的利己主義に対する批判集』を編纂している[10]。』

男性の知らない「女性脳」の秘密とは?

男性の知らない「女性脳」の秘密とは?
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20170613-OYT8T50148/

 ※ Windows11にも、大分慣れてきた…。

 ※ 旧機改も、まあまあ安定稼働している(見てくれは、相変わらず、フルタワー+オープン・シャシーのバラック状態だが)…。

 ※ それで、最近、久々でHDDにアクセスして、保存されてるデータを覗いてみた…。

 ※ そしたら、「○○に役に立つ話し」というフォルダ群を、発見した…。

 ※ この頃(多分、Windows7使ってた頃)は、そういうことを、やっていたんだな…。
 ※ そういうところから、紹介する…。

 ※ 以下の言説は、「共感」という「情緒的なもの」に焦点を当てている…。

 ※ しかし、オレがもっと重要だと考えたのは、実は「思考方法」「問題探索・解決方法」が、違っているんだな…、ということだ…。

 ※ 『例えば、足に包帯を巻いている妻に、夫が「どうしたんだ?」と尋ねたとする。
「それがさぁ、今朝の星占いで12位だったワケ。いや~な予感がして、外に出るのが嫌だったんだけどね。でもさぁ…」などと話し出して、肝心のけがの様子がちっともわからない、なんてことになる。』…。

 ※ 『付き合わされた夫は「女は無駄な話をする」などと思ってしまうかもしれない。ところがこれ、実は無駄じゃないのだ。』…。

 ※ 『女性は、ことの経緯を語りながら、その裏で、無意識のうちにそれらを見つけ出し、そこに潜む真実を見極めようとしている。トラブルについて話しながら、頭の中では「何が悪かったのか。その表面的な原因と、根本的な原因は?」「自分にできることがあったのでは」「今、何をすればいいのか」などと考えを巡らせる。とりとめもなく経緯を語るようでいて、実は女性脳が考えていることは、意外にも合理的かつ俯瞰的で、しかも謙虚である場合が多い。』…。

 ※ 『つまり、女の話は邪魔するな、ということだ。聞き手は、たとえ関心のないストーリーであっても「わかるよ。それで?」と、気持ちよく共感しているそぶりで聞いてあげればいい。話し終えた頃には、女性の頭の中では「最適解」が出ているものだ。「解」を得た女性は、すぐに立ち上がってするべきことをする。こういう女性の対話スタイルを、私は「プロセス指向の共感型モデル」と名付けた。』…。

 ※ ここに、その「神髄」がある…。

 ※ おそらく、脳内で、「単線的」にではなく、複数の「要素」を比較検討したり、同時並列的にその軽重を推し量ったりしているんだろう…。

 ※ 「共感する」というのは、そういう「脳内活動」を妨げない姿勢保つということなんだろう…。

『 男性の皆さんは、家庭で妻と話しているときや、会社で女性の同僚とコミュニケーションをとっているときに、突然、相手の機嫌が悪くなるなどして戸惑った経験があるのではないか。それは「男性脳」と「女性脳」に明確な差があるからだとする説がある。人工知能研究の専門家で、感性リサーチ代表取締役の黒川伊保子氏が解説する。

男性と女性は、対話スタイルが違う

 私が、男女の脳の違いに気づいたのは、30年あまり前のことだ。当時、私は人工知能の開発者として、人とロボットの対話の研究を進めていた。

男性と女性の脳には明確な差が存在する(写真はイメージです)

 日本で人工知能の基礎研究が始まったのはその頃だった。見据えていたのは、30年後に迎えるであろう「人工知能時代」。「人とメカがスムーズに対話し、共に『やるべきこと』を見つけ出す時代」であった。メカの側がどのようにことばを紡いでくれたら、ストレスなく共存できるかを研究し、プログラムを作り上げるのが、私たち開発者に与えられたミッション(使命)だった。

 研究を進めるうちに、あることに気づいた。

 男性と女性では、そもそも対話のスタイルが違う。両者の対話手法を交ぜて、プログラムを作ることはできなかったのだ。

 一般的に女性は、何かを説明しようとするときに、その発端から話し始め、ことの経緯をなぞるようにして聞き手に伝えようとする。

 例えば、足に包帯を巻いている妻に、夫が「どうしたんだ?」と尋ねたとする。「それがさぁ、今朝の星占いで12位だったワケ。いや~な予感がして、外に出るのが嫌だったんだけどね。でもさぁ…」などと話し出して、肝心のけがの様子がちっともわからない、なんてことになる。

 付き合わされた夫は「女は無駄な話をする」などと思ってしまうかもしれない。ところがこれ、実は無駄じゃないのだ。 

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『女性脳は、共感で「最適解」を出す

女性の話が理解できず、けんかになった人も?(写真はイメージです)

 女性の会話や行動と、そこから得る知見をコンピューター上でシミュレーションしてみたところ、面白いことに気づいた。

女性の脳には「プロセス指向」といって、ことの経緯から細かく「暗黙知」を見つけ出す特徴があるのである。

 暗黙知とは、ことばや記号では表現しにくい「知恵」や「センス」のことだ。女性は、ことの経緯を語りながら、その裏で、無意識のうちにそれらを見つけ出し、そこに潜む真実を見極めようとしている。

トラブルについて話しながら、頭の中では「何が悪かったのか。その表面的な原因と、根本的な原因は?」「自分にできることがあったのでは」「今、何をすればいいのか」などと考えを巡らせる。とりとめもなく経緯を語るようでいて、実は女性脳が考えていることは、意外にも合理的かつ俯瞰的で、しかも謙虚である場合が多い。

 つまり、女の話は邪魔するな、ということだ。

聞き手は、たとえ関心のないストーリーであっても「わかるよ。それで?」と、気持ちよく共感しているそぶりで聞いてあげればいい。

話し終えた頃には、女性の頭の中では「最適解」が出ているものだ。「解」を得た女性は、すぐに立ち上がってするべきことをする。こういう女性の対話スタイルを、私は「プロセス指向の共感型モデル」と名付けた。

男性脳には共感する余裕がない

 一方、男性の脳には真逆の対話スタイルを好む傾向がある。名付けて「ゴール指向の問題解決型モデル」だ。最初に、結論や目的を知りたがる。ゴールから始めようとするのである。女性が好む対話スタイルとは、コミュニケーションの方向が逆なのだ。

 なぜか。一般的に男性の脳は、女性と比べ、「おしゃべり」に使えるワーク領域が小さい。男女の被験者におしゃべりをさせながら脳の電気信号を観察する実験を行うと、個人差はあるものの、対話のために使っている領域が女性脳の数十分の一しかないことが認められる。このため、男性にとって、とりとめのない長い話を漫然と受け取ることは難しい。「この話の目的はこれ」「ポイントは三つある」というように話を進めてもらうと、あらかじめ対話に必要な領域を確保しておけるので、領域からあふれてしまう「オーバーフロー」が発生しにくい。

 もちろん、これは、男性脳が劣っているという意味ではない。男性脳には、「おしゃべり」とは別の仕事があるのだ。男性脳は、「空間認知」の領域が休むことなく働いている。本人がぼんやりしているときでも、空間認知のための神経が活発に活動している。無意識のうちに、空間の広さを探り、ものの位置関係を確認し、さらに、ものの構造を見抜いているのだ。

 男性脳はその歴史的役割上、危険を察知したり、獲物を捕獲したりすることに長けている。このため、動いているものにでも、瞬時に照準が合うような機能を身につけていると考えられる。』

『女は、アドバイスに逆ギレする?

 人類の歴史で、長らく狩猟や警戒を担ってきた男性たち。その脳は、「即断即決」を好み、ぐずぐずしていられないという傾向を強めることになった。だから、話の途中に何か問題点を見つけると、即座にそれを指摘したくなるのである。しかし、女性の側は「いきなり、弱点を突いてくる」「よけいな質問を差し挟む」「話の腰を折る」などと感じてしまう。「相手に共感してもらい、話を最後まで聞いてもらううちに最適解を出そうとする」女性脳にとっては、大事なプロセスを台無しにする行為に映るわけだ。

 「女性は相談に来ていながら、アドバイスされると逆ギレする」とぼやく男性は少なくない。しかし、そんなことはない。アドバイスのタイミングが問題なのである。

 女性の話は、「共感しながら最後まで聞く」のが基本中の基本だ。そもそも、女性の言う「相談に乗ってくれる?」は、そのほとんどが「私の話を優しく共感して聞いてほしい」の意味だ。たとえば、妻が、隣の家の主婦とのトラブルを話し出したら、たとえ「君の方にも問題がある」と思っても、途中でそれを言うのは得策ではない。

 あくまでも、妻に肩入れする態度を見せ、共感するそぶりで話を聞き続ける。そうすれば、たいていは最後には妻の方が「まぁ、私も、口の利き方が悪かったかも」と自己反省の態度を見せてくれるものだ。途中で「君の口の利き方がさぁ…」などと水を差されると、女性脳の暗黙知演算がアボート(中断し、これまでの演算が全てパーになる)してしまうため、脳のショックが大きい。女性は、感情的なのではない。女性脳の扱い方を間違われると、神経信号が乱れてしまうと考えたほうが良いのだ。

「女性は感情的」なんてとんでもない

男性は共感力を身につけ、女性は結論から話せば、男女関係は円滑になる(写真はイメージです)

 「共感上手な男性ほど、女性との話は短く済む」というデータもある。男性は自身のためにも、共感上手を心がけるべきであろう。

 男性の共感という「ハンドリング」を得ることで、女性脳は、男性の想像を超える最適解を導き出してくれることがある。女性を部下やパートナーに持つ素晴らしさは、「男性とは別の解」を出してくれることにあると考えることもできるのだ。

 女性にとっても、男性脳は、女性たちの想像をはるかに超える別の解をもたらしてくれる。つまり、男女がうまく共存できれば、最も豊かで最適な解を持つ組織になりうる。それが夫婦であっても、会社のチームであっても、だ。変化に強い組織作りの基本は、男女が参画し、かつ異性の脳を理解し合うこと。「男性は共感力を身につけ、女性は結論から話すことができるようになる」ことだと言える。』

『あいづち、アイウエオ

ちょっとしたあいづちの工夫で、コミュニケーションは改善する(写真はイメージです)

 NHKの朝の情報番組でキャスターを務める井ノ原快彦さんは「あいづちは複数用意しろ」とジャニーズの後輩たちに指導するそうだ。雑誌の企画で対談した際、ご本人がそう教えてくれた。共感下手な男性はあいづちが1種類しかない、と井ノ原さんは指摘した。そういえば、「なるほど」を連発するビジネスマンは、総じて女性にモテない。

  私は、「アイウエオ」であいづちを打ちなさい、とアドバイスすることにしている。
「あ~、そうなんだ」

「いいね、わかるわかる」

「うんうん、そうなんだね」

「えっ、そうなの?」

「おっ、そうきたか」

 これをマスターできたら、手練の有働由美子アナウンサーを手のひらで転がし、お茶の間の奥様たちをとりこにする井ノ原さん並みの「対話力」を、世の男性たちも手に入れられるだろう。

相手の気持ちに言及する

 効果的に共感を示すもう一つの方法は、「相手のことばを反復する」ことだ。

 女性が「なんだか、腰が痛いのよね」と訴えたとき、いきなり「医者に行ったのか」なんて言う男性は、女性脳を理解できているとは言えない。こんなときは、相手の気持ちをそのまま口にしてみる。「腰が痛いのか、それは辛いね」というように。

 不機嫌にさせたときには、「ごめん」の前に、相手の気持ちをことばにする。約束の時間に遅れたら、言い訳をする前に、「心細い思いをさせてごめん」。「あなたって、どうしてそうなの?」と言われたら、「嫌な思いをさせてごめん」。「○○と私、どっちが大事なの?」となじられたら、「寂しい思いをさせてごめん」…である。多くの女性の機嫌は、これでかなり「快方」に向かうはずだ。男性の皆さん、ぜひお試しください。』

儒教

儒教
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E6%95%99

 ※ やれやれ、やっと読んだよ…。

 ※ 随分時間を食われた…。

 ※ しかし、「一度は自分の中で、概略をつかんでおこう。」と思っていた…。

 ※ 東アジア(及びアジア)の国家の問題、国家制度の問題を考える上で、不可欠の「論点」だからな…(最後の方で、リー・クアンユーの言説も出てくる)。

 ※ ベトナムが、「儒教文化圏の国家」とは、知らんかったよ…。

『儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系。

紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に亘り強い影響力を持つ。

その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教(中国語版)ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。』

『概要

定義

中国やその周辺の東アジア諸国で信仰・研究されていた宗教、または学問。

一般に孔子が創始者と目されるが、古代から伝わる神話や制度、習俗などの集合体である。孔子以後は経書の解釈を行う学問、または社会規範や習俗として行われた。
 
略史

アニミズムやシャーマニズムを背景に成立し、東周・春秋時代に魯の孔子やその後の儒者によって自覚された。

主な教義として、堯舜・文武周公の古の聖賢の政治を理想として[1]「周礼」を復活させることや、家族や君臣の秩序を守ることなどが挙げられる(#教義・学説を見よ)。

孔子やその弟子たちの教団は儒家と呼ばれ、諸子百家の一つに数えられる。

また、儒教を自らの行為規範にしようと、儒教を学んだり、研究したりする人のことを儒学者、儒者、儒生などと呼ぶ[注釈 1]。

孟子は徳によって天下を治め(王道政治)、武力による覇道を批判し、禅譲と放伐により歴史が推移してきたとする徳治主義を主張した。

時の為政者に法家、老荘思想や道教などが信仰されたこともあり、儒教は弾圧されることもあったが、前漢になると保護され、新・後漢で国教とされた。

唐代には仏教が広く信仰され、再び影を潜めた。

宋代には朱子学が起こり、より哲学的な宋明理学体系が生み出された。

朱子学は政治と密接な関係を持ち、「修己治人」(有徳者が為政者となる)や「修身・斉家・治国・平天下」(自分・家・地方を治め得る人物が天下を握る)「経世済民」(世を治め人々を救う)といった教えがあり、科挙受験のために必要不可欠となった。』

『教典

詳細は「経書」を参照

五経

儒教の経典は『易』・『書』・『詩』・『礼』・『楽』・『春秋』の六芸(六経)である。
春秋時代になり、『詩』・『書』・『春秋』の三経の上に、『礼』・『楽』の二経が加わり、五経になったといわれる。

『詩』・『書』・『礼』・『楽』の四教については「春秋を教うるに礼楽を以てし、冬夏は教うるに詩書を以てす」、『礼記·王制』における「王制に曰く、楽正、四術を崇び四教を立つ。先王の『詩』・『書』・『礼』・『楽』に順いて以て士を造()す」という記述がある。

孔子は老聃に次のようにいったとされる。孔子は詩書礼楽の四教で弟子を教えたが、三千人の弟子の中で六芸に通じたのは72人のみであった[2]。

漢の武帝のとき、賢良文学の士で挙げられた董仲舒は儒学を正統の学問として五経博士を設置することを献策した。

霊帝のとき、諸儒を集めて五経の文字を校訂、太学の門外に石経を立てた。

このとき作られた熹平石経は183年(光和6年)に完成し、『易経』『儀礼』『尚書』『春秋』『公羊』『魯詩』『論語』の七経からなった。

経 伝 記 注疏
易経 周易正義
尚書 尚書孔安伝 尚書正義
詩経 毛詩 毛詩正義
楽経
儀礼 礼記 儀礼注疏、礼記注疏
周礼 周礼注疏
春秋 春秋公羊伝 春秋公羊伝注疏
春秋左氏伝 春秋左氏伝注疏
春秋穀梁伝 春秋穀梁伝注疏
論語 論語注疏
孝経 孝経注疏
孟子 孟子注疏
爾雅 爾雅注疏
四書

朱熹

宋代に朱熹が『礼記』のうち2篇を「大学」「中庸」として独立させ、「論語」、「孟子」に並ぶ「四書」の中に取りいれた。

「学問は、必ず「大学」を先とし、次に「論語」、次に「孟子」次に「中庸」を学ぶ」。これを道統説という。

朱熹は、「『大学』の内容は順序・次第があり纏まっていて理解し易いのに対し、『論語』は充実しているが纏りが無く最初に読むのは難しい。『孟子』は人心を感激・発奮させるが教えとしては孔子から抜きん出ておらず、『中庸』は読みにくいので3書を読んでからにすると良い」と説く[3]』

『教義・学説

儒教は、五常(仁・義・礼・智・信)という徳性を拡充することにより五倫(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)関係を維持することを教える。


人を思い遣る事。白川静『孔子伝』によれば、「狩衣姿も凛々しい若者の頼もしさをいう語」。「説文解字」は「親」に通じると述べている。
「論語」の中では、さまざまな説明がなされている。孔子は仁を最高の徳目としていた。


利欲に囚われず、すべきことをすること。


仁を具体的な行動として、表したもの。もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していた。のちに、人間の上下関係で守るべきことを意味するようになった。


ただ学問に励むだけでなく道徳的認識判断力であることともされている[4]。智は『論語』では知と表記され意味としては聡明、明智などの意味がある[5]。


言明を違えないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。

この他にも、忠義、孝、悌という教えもある[6]。

人性論
天人の辨
義利の辨

名分論
命定論
形神論
正統論
復讐論
道統論
理気論
儒仏道論争
朱陸論争
格物致知
未発已発
良知
無善無悪
万物一体論
井田論
封建論
今文・古文
道器論 』

『制度・習慣

礼儀

子曰く、「詩に興り、礼に立ち、楽に成る。」孔子曰く、「礼に非ざれば視ること勿かれ、礼に非ざれば聴くこと勿かれ、礼に非ざれば言うこと勿かれ、礼に非ざれば動くこと勿かれ。」

周礼は五礼て、つまり吉礼、凶礼、賓礼、軍礼、嘉礼です。

吉礼によって国家の天神、祖霊、地神を祭り、凶礼によって国家の苦難を哀憚し、救う。
賓礼によって周王室と他国あるいは国家間を友好親善たらしめ、軍礼によって国家同士を協調させ、嘉礼によって万民を互いに和合する[7]。

五礼のうち、とくに吉礼(祭祀)、凶礼(喪葬)、嘉礼(冠婚)などを中心として取り上げ、殷周信仰や古来の習俗。

周礼 解説 名系
吉礼 天地鬼神の祭祀(邦国の鬼神につかえる) 郊祀、大雩、朝日、夕月、祓禊
凶礼 葬儀・災害救済(邦国の憂いを哀れむ) 既夕礼、士虞礼
賓礼 外交(邦国に親しむ) 士相見礼、燕礼、公食大夫礼、覲礼
軍礼 出陣・凱旋(邦国を同じくする) 大射、大儺
嘉礼 冠婚・饗宴・祝賀(万民に親しむ) 飲食之礼、婚冠之礼、賓射之礼、饗燕之礼、脤膰之礼、賀慶之礼

冠服制度

『論語』に「顔淵、邦を為めんことを問う。子曰く、夏の時を行ない、殷の輅に乗り、周の冕を服し、~(顔淵は国の治め方について聞いた。孔子は言った、夏王朝の暦を使い、殷の輅と呼ばれる車に乗り、周の冕という衣装を着て、~)」という記述がある[8]。

孔子が、周の冕(祭礼用の服)を模範としているのだ。

また、同じ論語の泰伯篇には、普段の衣服を質素にする代わりに祭礼用の衣服(黻冕)を豪華にした禹王を褒めている[9][出典無効]。

易経に、「黄帝堯舜衣裳を垂れて天下治まるは、蓋し諸を乾坤に取る(黄帝と堯と舜が天下を治めた時は、その衣装のデザインを天地の色に倣った)」[10] とある。

乾とは天、坤とは地の事であるから、乾坤とは天地を意味している。

では天地とは何色であるのだろうか。

『周易』坤卦に「天は玄にして地は黄」とある。

つまり、天の色は赤黒(玄)く、地の色は黄色いとされていたのだ。

ゆえに、祭礼用の衣装である冕服(袞衣)の衣(上半身)は赤黒く、裳(下半身)は黄色くされていたのである。

また、『書経』には虞皇の衣服についても書かれている。日 月 星辰 山 龍 華虫 宗彝 藻 火 粉米 黼 黻の十二である。それが『輿服制(車に乗る時用の衣服)』の始まりである。

この冠服制度は“礼制”に取り入れられ、儀礼の表現形式として中国の衣冠服制度は更に複雑化していく。

衛宏『漢旧儀』や応劭『漢官儀』をはじめとして、『白虎通義』衣裳篇や『釈名』釈衣服、『独断』巻下、『孔子家語』冠頌、『続漢書』輿服志などの中に、漢代の衣服一般に関する制度が記録されているが、それらはもっぱら公卿・百官の車駕や冠冕を中心としたものである。

『儀礼』士冠礼・喪服や、『周礼』天宮司裳・春宮司服など、また『礼記』冠儀・昏儀などの各篇は、周代の服装に関する制度である。

孔子廟

詳細は「孔子廟」および「日本の儒教#関連史蹟」を参照

中国では現在においても、孔子を崇敬する人は多い。

中国の各地に孔子を祭る廟がある。これを文廟といい、孔子廟・孔廟・夫子廟ともいう(特に魯の故地の孔子の旧居跡に作られた孔廟が有名)。

中国国内の孔子廟の多くは文化大革命時に破壊されたり損傷を受けている。

日本でも、江戸時代に、幕府が儒教(特に朱子学)を学問の中心と位置付けたため、儒教(朱子学)を講義した幕府や各藩の学校では孔子を祀る廟が建てられ崇敬された。

湯島聖堂が、その代表である。』

 ※ 湯島の聖堂も、「孔子廟」の一つか…。

『歴史(古代・中世)

起源

儒(じゅ)の起源については、胡適が「殷の遺民で礼を教える士」[11] として以来、様々な説がなされてきたが、近年は冠婚葬祭、特に葬送儀礼を専門とした集団であったとするのが一般化してきている。

東洋学者の白川静は、紀元前、アジア一帯に流布していたシャーマニズムおよび死後の世界と交通する「巫祝」(シャーマン)を儒の母体と考え、そのシャーマニズムから祖先崇拝の要素を取り出して礼教化し、仁愛の理念をもって、当時、身分制秩序崩壊の社会混乱によって解体していた古代社会の道徳的・宗教的再編を試みたのが孔子とした[12]。

孔子とその時代

詳細は「孔子」を参照

顔回

春秋時代の周末に孔丘(孔子、紀元前551年‐紀元前479年)は魯国に生まれた。

当時は実力主義が横行し身分制秩序が解体されつつあった。

周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて孔子教団を作り、戦国時代、儒家となって諸子百家の一家をなした。孔子と弟子たちの語録は『論語』にまとめられた。

孔子の弟子は3000人おり、特に「身の六芸に通じる者」として七十子がいた[13]。

そのうち特に優れた高弟は孔門十哲と呼ばれ、その才能ごとに以下の四科に分けられている。

徳行 - 顔回・閔子騫・冉伯牛・仲弓
言語 - 宰我・子貢
政事 - 冉有・子路
文学(学問) - 子游・子夏

その他、孝の実践で知られ、『孝経』の作者とされる曾参(曾子)がおり、その弟子には孔子の孫で『中庸』の作者とされる子思がいる。

孔子の死後、儒家は八派に分かれた。

その中で孟軻(孟子)は性善説を唱え、孔子が最高の徳目とした仁に加え、実践が可能とされる徳目義の思想を主張し、荀況(荀子)は性悪説を唱えて礼治主義を主張した。

『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』といった周の書物を六経として儒家の経典とし、その儒家的な解釈学の立場から『礼記』や『易伝』『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』といった注釈書や論文集である伝が整理された(完成は漢代)。

焚書坑儒

性悪説を唱えた荀子。その思想は法家の韓非子や同じく法家で秦の丞相である李斯に批判的に継承された

秦は商鞅の変法によって伝統で氏族社会を解体し、韓非子に代表される法家思想によって中華統一の基盤を整備した[14]。

始皇帝が六国を滅ぼし中国を統一すると、法家思想を尊んでそれ以外の自由な思想活動を禁止し、焚書坑儒を起こした。

ただし、博士官が保存する書物は除かれたとあるので、儒家の経書が全く滅びたというわけではなく、楚漢の戦火を経ながらも、漢に伝えられた。

また、焚書坑儒以降にも秦に仕えていた儒者もおり、例えば叔孫通は最初秦に仕えていたが、後に漢に従ってその礼制を整えている。

国教化

董仲舒

陳勝・呉広の乱後、項羽を倒して中華を再統一した劉邦は、漢(前漢)を建国した。

そして地域差のある氏族制解体に対応するため、郡国制を採用し、黄老思想(黄老刑名の学)によって民力の休息を図った。

この政策は文帝・景帝にも引き継がれた[14]。

道家系の黄老思想が流行る中で、叔孫通が漢の宮廷儀礼を定め、陸賈が南越王を朝貢させ、伏生が『今文尚書』を伝えるなど、秦の統治下にありながら儒を保管していた学者たちが活躍した。文帝のもとでは賈誼が活躍した。

武帝のとき、漢は匈奴から河西四郡を奪うなど積極的な政策に転じ、無為を尊ぶ黄老思想は衰退し、代わって儒者が重用された。

班固『漢書』によれば儒者・董仲舒は五経博士を設置することを献策した。武帝はこの献策をいれ、建元5年(紀元前136年)、五経博士を設けたという(ただし、『史記』には董仲舒が献策したとの記述がなく、儒家思想が国家の学問思想として浸透して儒家一尊体制が確立されたのは前漢末から後漢初にかけてという説もある)。

武帝のときに儒学者が台頭したのは事実であり、儒者で初めての丞相の公孫弘のように、武帝の好む法家思想を儒教でコーティングする者が登用された[15]。

また、五経博士が設置されたことで、儒家の経書が国家の公認のもとに教授され、儒教が官学化した。同時に儒家官僚の進出も徐々に進み、前漢末になると儒者が多く重臣の地位を占め、丞相も儒者が独占する状態になる。

前漢の経学は一経専門であり、流派を重んじて、師から伝えられる家法を守り、一字一句も変更することがなかった(章句の学)。

宣帝のときには経文の異同や経説の違いを論議する石渠閣会議が開かれている。この会議で『春秋』では公羊家に対して穀梁家が優位に立った。

董仲舒ら公羊家は陰陽五行思想を取り入れて天人相関の災異説を説いた。

前漢末には揚雄が現れ、儒教顕彰のために『易経』を模した『太玄』や『論語』を模した『法言』を著作している。

こうして儒教は権力にすり寄り、天という人格的な主催神を持つ宗教へと変貌した[15]。
前漢末~後漢、災異思想・神秘主義により経書を解釈した緯書が流行した(「経」には機織りの「たていと」、「緯」は「よこいと」の意)。緯書は七経(六経+孝経)に対して七緯が整理され、予言書『讖書』『図讖(としん)』と合わせて讖緯が成立し、新の王莽も後漢の光武帝も盛んに利用した。

一方、桓譚・王充ら無神論者の思想家を唱え、合理主義的な立場から讖緯を非難した。

古文学と今文学

前漢から五経博士たちが使っていた五経の写本は、漢代通行の隷書体に書き写され『今文経』と言われる。

これに対し、孔子旧宅の壁中や民間から秦以前のテキスト、『古文経』が発見された。

前漢末、劉歆が古文経を学官に立てようと、今文経学と学派争いを引き起こした。

平帝のときには『春秋左氏伝』『逸礼』『毛詩』『古文尚書』が、新朝では『周官』が学官に立てられた。

後漢では、古文経が学官に立てられることはなかったものの、民間において経伝の訓詁解釈学を発展させて力をつけた。

章帝のとき、今文経の写本の異同を論じる白虎観会議が開かれたが、この中で古文学は攻撃に晒されながらも、その解釈がいくらか採用された。この会議の記録は班固によって『白虎通義』にまとめられた。

古文学は、今文学が一経専門で家法を頑なに遵守したのに対し、六経全てを兼修し、ときには今文学など他学派の学説をとりいれつつ、経書を総合的に解釈することを目指した。
賈逵は『左氏伝』を讖緯と結びつけて漢王朝受命を説明する書だと顕彰した。

その弟子、許慎は『説文解字』を著して今文による文字解釈の妥当性を否定し、古文学の発展に大きく寄与している。

馬融は経学を総合して今古文を折衷する方向性を打ち出した。その弟子、鄭玄は三礼注を中心に五経全体に矛盾なく貫通する理論を構築し、漢代経学を集大成した。

今文学では古文学説の弱点を研究して反駁した。

李育は『難左氏義』によって左氏学を批判し、白虎観会議に参加して賈逵を攻撃した。

何休は博学をもって『公羊伝』に注を作り、『春秋公羊解詁』にまとめた。

『公羊墨守』を著作して公羊学を顕彰するとともに、『左氏膏肓』を著作して左氏学を攻撃した。一で『周礼』を「六国陰謀の書」として斥けた。

何休は鄭玄によって論駁され、以後、今文学に大師が出ることもなく、今文学は古文学に押されて衰退していった。

三国時代・晋代

魏に入ると、王粛が鄭玄を反駁してほぼ全経に注を作り、その経注の殆どが魏の学官に立てられた。

王粛は『孔子家語』を偽作したことでも知られる。

西晋では杜預が『春秋左氏伝』に注して『春秋経伝集解』を作り、独自の春秋義例を作って左伝に基づく春秋学を完成させた。『春秋穀梁伝』には范寧が注を作っている。

玄学

この時代老荘思想と『易』に基づく玄学が隆盛した。

玄学の側からも儒教の経書に注を作るものが現れ、王弼は費氏易に注して『周易注』を作り、何晏は『論語集解』を作った(正始の音)。

呉には今文孟氏易を伝えた虞翻、『国語注』を遺した韋昭がいる。

西晋末には永嘉の乱が起こり、これによって今文経学の多くの伝承が途絶えた。

東晋になると、永嘉の乱で亡佚していた『古文尚書』に対して梅賾が孔安国伝が付された『古文尚書』58篇なるものを奏上したが、清の閻若璩によって偽作であることが証明されている(偽古文尚書・偽孔伝という)。

この偽孔伝が鄭玄注と並んで学官に立てられた。

南北朝時代・南学と北学

南北朝時代、南朝の儒学を南学、北朝の儒学を北学という。南朝ではあまり儒教は振るわなかったが、南朝梁の武帝のときには五経博士が置かれ、一時儒教が盛んになった。

南学では魏晋の学風が踏襲され、『毛詩』「三礼」の鄭玄注以外に、『周易』は王弼注、『尚書』は偽孔伝、『春秋』は杜預注が尊ばれた。

あまり家法に拘ることもなく、玄学や仏教理論も取り込んだ思想が行われた。

この時代、仏教の経典解釈学である義疏の学の影響を受けて、儒教の経書にも義疏が作られはじめた。

ただし、儒教では漢魏の注についてさらに注釈を施すといった訓詁学的なものを「疏」と呼ぶようになっていった。

南朝梁の費甝の『尚書義疏』や皇侃の『論語義疏』があるが、『尚書義疏』は北方に伝わって北学でも取りあげられ、唐の『尚書正義』のもとになり、『論語義疏』は亡佚することなく現在まで伝えられている。

北朝でも仏教・玄学が流行したが、わりあい儒教が盛んであり、特に北周ではその国名が示すとおり周王朝を理想として儒教を顕彰し、仏教を抑制した。

北朝では後漢の古文学が行われ、『周易』・『尚書』・『毛詩』「三礼」は鄭玄注、『春秋左氏伝』は後漢の服虔の注、『春秋公羊伝』は後漢の何休の注が尊ばれた。

その学風は保守的で旧説を覆すことなく章句訓詁の学を墨守した。

北魏には徐遵明がおり、劉献之の『毛詩』を除く経学はすべて彼の門下から出た。その門下に北周の熊安生がおり、とりわけ三礼に通じて『礼記義疏』などの著作がある。熊安生の門下からは隋の二大学者である劉焯・劉炫が出た。

隋代

北朝系の隋が中国を統一したので、隋初の儒学は北学中心であったが、煬帝のとき、劉焯・劉炫の二劉が出、費甝の『尚書義疏』を取りあげたり、南学系の注に義疏を作ったりして南北の儒学を総合した。

劉焯の『五経述義』、劉炫の『春秋述義』『尚書述義』『毛詩述義』は唐の『五経正義』の底本となった。

在野の学者に王通(文中子)がいる。彼は自らを周公から孔子への学統を継ぐものと自認し、六経の続編という「続経」を作った。偽作・潤色説もあるが『論語』に擬した『中説』が現存している。唐末、孔孟道統論が起こる中で再評価され韓愈の先駆者として位置づけられた。その儒仏道三教帰一の立場、みずからを儒教の作り手である聖人とする立場がのちの宋学に影響を与えた。

隋の文帝は初めて科挙を行い、従来の貴族の子弟が官吏となる体制から、試験によって官吏が選ばれるようになった。これにより、儒学者がその知識をもって官吏となる道が広がったのである。

唐代

唐が中国を再統一すると、隋の二劉が示した南北儒学統一の流れを国家事業として推し進めた。

隋末混乱期に散佚した経書を収集・校定し、貞観7年(633年)には顔師古が五経を校定した『五経定本』が頒布された。

さらに貞観14年(640年)には孔穎達を責任者として五経の注疏をまとめた『五経正義』が撰定された(二度の改訂を経て永徽4年(653年)に完成)。

永徽年間には賈公彦に『周礼疏』『儀礼疏』を選定させている。これにより七経の正義が出そろい、漢唐訓詁学の成果はここに極まった。

こうして正義が確定される一方、中唐(8世紀中葉)になると注疏批判の動きが生じた。

『春秋』では啖助・趙匡・陸淳が春秋三伝は『春秋』を注するものではないと懐疑を述べ、特に『左伝』を排斥した。『周易』では李鼎祚が王弼注の義理易に反対して鄭玄を始めとする漢代象数易を伝えた。『詩経』では韓愈撰と仮託される「詩之序議」が「詩序」の子夏制作を否定している。

唐代は一概に仏教隆盛の時代であったが、その中にあって儒教回帰を唱えたのが、韓愈や李翺たちである。

韓愈は著書『原道』で、堯舜から孔子・孟子まで絶えることなく伝授された仁義の「道」こそ仏教・道教の道に取って代わられるべきものだと主張している。

李翺は『復性書』において「性」は本来的に善であり、その性に復することで聖人になれるとした。

その復性の教えは孔子から伝えられて子思が『中庸』47篇にまとめ、孟子に伝えられたが、秦の焚書坑儒によって失われ、道教・仏教が隆盛するにいたったのだと主張している。
彼らの「道」の伝授に関する系統論は宋代の道統論の先駆けとなった。

彼らは文学史上、古文復興運動の担い手であるが、古文運動家のいわゆる「文」とは「載道」(道を載せる)の道具であり、文章の字面ではなく、そこに込められた道徳的な精神こそが重要であるとして経文の一字一句にこだわる注疏の学をも批判した。このことが宋代の新しい経学を生む要因の一つとなった。

また、唐代は儒教・仏教・道教の三つが鼎立していることから、三教鼎立時代とも呼ばれており、劉禹錫(772年-842年)は仏教・儒教の教養を併せ持った詩僧との交流が深かったことや、当時の朝廷では道教が優遇政策がとられていた

が、玄宗は道教の『老子』仏教の『金剛般若経』儒教の『孝経』の注釈書を著するなどをしたことから、この三教鼎立時代は人的にも思想的にも実り多い交流が行われていた時代であったと言える[16]。』

『歴史(近世)

宋代

宋ははじめ唐の継承を目指し、儒学でも注疏の学が行われた。

聶崇義の『三礼図』、邢昺・孫奭らの『孝経疏』『論語疏』『爾雅疏』がある。

南宋になると、漢唐の注疏にこの三疏と『孟子疏』が加えられて『十三経注疏』がまとめられた。

また、宋代では『周礼』が過去の王朝と比較しても知識人たちの関心を惹いた。宋初三先生の一人の石介は『周礼』を大義名分を解く『春秋』とともに「万世の大典」とした。また『周礼』は科挙制度の改善にも利用された。唐宋八大家の一人であった欧陽脩は『周礼』の「教民、興学、命士の法」に対して深い共感を持った[17]。

道統論

しかし、宋の天下が安定した仁宗のときになると、唐末の古文復興運動が共感され、漢唐時代は否定されるようになった。

漢唐時代には細々と伝承されてきたとする孔子の道に対する系譜が作られ、自己をその最後に置く道統論が盛んになった。

例えば、古文家の柳開は「孔子 – 孟子 – 荀子 – 揚雄 – 韓愈」の系譜を提出し、石介はこれに隋の王通を加えた。

ここに孟子の再評価の動きが起こった。

宋初、孟子を評価するものは少なく宋代前期の激しい議論を経てその評価が確定された。
王安石は科挙改革で従来の『孝経』『爾雅』に代わって『孟子』を挙げ、南宋になると孫奭撰と仮託されて『孟子注疏』が編まれている。

人性論としても伝統的な性三品説から性善説が主張されるようになっていく。逆に性悪説の荀子や性善悪混説の揚雄は評価の対象から外されていった。

漢唐訓詁学の語義のみを重視する解釈学を批判し、その中身である道徳精神を重視する学問が打ち出された。胡瑗・孫復・石介は「仁義礼楽を以て学と為」し、後に欧陽脩によって宋初三先生と称されている。

新学

神宗のときになると、このような前人の主張を総合し、体系的な学問が新たに創始された。

その代表が王安石の新学である。

王安石は『周礼』『詩経』『書経』に注釈を施して『三経新義』を作り、さらに新学に属する学者たちが他の経書にも注を作った。

これら新注は学校に頒布されて科挙の国定教科書となり、宋代を通じて広く読まれた。

王安石は特に『周官新義』を重んじ、『周礼』に基づく中央集権国家の樹立を目指し、さまざまな新法を実施した。

新学に異議を唱えたものに程顥・程頤らの洛学(道学)、蘇軾・蘇轍らの蜀学、張載らの関学があった。

12世紀を通じてこれらの学派は激しく対立したが、南宋になると、新学優位から次第に道学優位へと傾いていった。

天論

この時代、「天」をめぐる考え方に大きな変化が現れた。

それまでの天は人格的であり意志を持って人に賞罰を下すとされたが、宋代以降、天は意志をもたない自然的なものであり、天と人とを貫く法則にただ理があるとされた。

その先鞭をつけたのは中唐の柳宗元の「天説」・劉禹錫の『天論』であり、北宋においては欧陽脩の『新唐書』五行志・王安石の『洪範伝』・程頤の『春秋伝』などに見られる。
程頤の理・程顥の天理は後の朱熹に影響を与えた。

このような天観の変化によって『易経』を中心として新しい宇宙生成論が展開された。

邵雍は「先天図」を作って「数」で宇宙生成を説明し、周敦頤は「太極図」に基づいて『太極図説』を著し、「無極→太極→陰陽→五行→万物化生」の宇宙生成論を唱えた(朱熹は無極=太極と読み替えた)。

また張載は「太虚即気」説を唱え、気が離散して流動性の高いあり方を「太虚」、気が凝固停滞してできているものを「万物」とした。

この気には単なる宇宙論にとどまらず道徳的な「性」が備わっており、「太虚」の状態の性を「天地の性」として本来的な優れたものとし、「万物」の状態の性を「気質の性」として劣化したものとした。

こういった唐宋変革期のパラダイムシフトは南宋になると体系的な思想として総合され、朱子学が形成されることになる。

南宋時代

宋代は北方を金代に占領され、南渡することになった。

この時代、在朝在野を問わず新学と洛学が激しく争った。

南宋初、程頤の直弟子である楊時は北宋亡国の責任は王安石の新学にあるとして科挙に王安石の解釈を用いるべきではないと高宗に進言し、『三経義辯』を著して『三経新義』を批判した。

程頤に私淑した胡安国は『春秋』に注して『胡氏春秋伝』を著し、『周礼』に基づく新学を批判した。

謝良佐の弟子である朱震は邵雍の『皇極経世書』、周敦頤の『通書』といった象数易と『程氏易伝』や張載の『正蒙』といった義理易を総合して『漢上易伝』を著し、王安石や蘇軾の易学に対抗した。

新学を重んじた重鎮秦檜の死後、高宗によって新学の地位は相対化された。

朱熹

孝宗のときには、後に朱子学と呼ばれる学術体系を構築した朱熹が現れる。

洛学の後継者を自認する朱熹は心の修養を重視して緻密な理論に基づく方法論を確立した。

彼は楊時の再伝弟子という李侗との出会、胡安国の子の胡宏の学を承けた張栻(湖湘学派)との交友によって心の構造論・修養法(主敬静座)への思索を深め、40歳の時、張載の言葉という「心は性と情とを統べる」と程頤の「性即理」による定論を得、一家を成して閩学(びんがく)を起こした。

宇宙構造を理気二元論で説明し、心においても形而上学的な「理」によって規定され、人間に普遍的に存在する「性」と、「気」によって形作られ、個々人の具体的な現れ方である「情」があるとし、孟子に基づいて性は絶対的に善であるとした。

そして、その「性」に立ち戻ること、すなわち「理」を体得することによって大本が得られ万事に対処することができるとし、そのための心の修養法に内省的な「居敬」と外界の観察や読書による「格物」とを主張した。

経学では、五経を学ぶ前段階として四書の学を設け、『四書集注』を著した。

さらに『易経』には経を占いの書として扱った『周易本義』、『詩経』には必ずしも礼教的解釈によらず人の自然な感情に基づく解釈をした『詩集伝』、「礼」には『儀礼』を経とし『礼記』を伝とした『儀礼経伝通解』を著した。

『書経』には弟子の蔡沈に『書集伝』を作らせている。

朱熹の弟子には、黄榦・輔広・邵雍の易学を研鑽した蔡元定と『書集伝』を編纂した蔡沈父子、『北渓字義』に朱熹の用語を字書風にまとめた陳淳などがいる。

同時代、永康学派の陳亮や永嘉学派の葉適(しょうせき)は、聖人の道は国家や民衆の生活を利することにあるとする事功の学を唱えて自己の内面を重視する朱熹を批判した。江西学派の陸九淵は心の構造論において朱熹と考えを異にし、心即理説にもとづく独自の理論を展開した。朱熹・陸九淵の両者は直に対面して論争したが(鵝湖の会)、結論は全く出ず、互いの学説の違いを再確認するに留まった。

また、朱熹は経書を用いて科挙制度を批判した人物としても知られていることから教育分野にたいして積極的に取り組んでいた人物であるといえる。

朱熹は科挙をただ暗記するだけの学問であると批判した。

というのも当時の科挙は『五経正義』という唐代に成立した国の注釈書を暗記することが科挙の対策であったためである。

朱熹は学問には過程があるとして、「日常的しつけ」から「理論および社会的行動」へという過程をさだめさらにそのためのテキストもさだめた。

その内容は8歳で学ぶ段階では『小学』を15歳以降は『四書』と『五経』を定めた[18]。

道学

陸九淵の学は明代の王守仁によって顕彰され、心学(陸王心学)の系譜に入れられた。

この時代、洛学の流派は朱熹の学を含めて道学と呼ばれるようになり一世を風靡した。一方、鄭樵・洪邁・程大昌らが経史の考証をもって学とし、道学と対峙している。

寧宗の慶元3年(1197年)、外戚の韓侂冑が宰相の趙汝愚に与する一党を権力の座から追放する慶元の党禁が起こり、趙汝愚・周必大・朱熹・彭亀年・陳傅良・蔡元定ら59人が禁錮に処された。

その翌年、偽学の禁の詔が出され、道学は偽学とされて弾圧を受けることになった。

朱熹は慶元6年(1200年)、逆党とされたまま死去した。偽学禁令は嘉定4年(1211年)に解かれた。

理宗はその廟号「理」字が示すとおり道学を好み、朱熹の門流、魏了翁・真徳秀らが活躍した。

真徳秀の『大学衍義』は後世、帝王学の教科書とされている。度宗のときには『黄氏日抄』の黄震、『玉海』『困学紀聞』で知られる王応麟がいる。いずれも朱熹の門流で学術的な方面に大きな役割を果たした。

元代

従来、金代では道学は行われず、モンゴルの捕虜となった趙復が姚枢・王惟中に伝えたことによって初めて道学が北伝したとされてきたが、現在では金でも道学が行われていたことが知られている。

元代、姚枢から学を承けた許衡が出て、朱子学が大いに盛んになった。

元は当初、金の継承を標榜しており南宋は意識されていなかった。

許衡はクビライの近侍にまで至り、朱子学を元の宮廷に広めた。

南人では呉澄が出て朱子学を大いに普及させた。彼は朱子学にも誤りがあるとして理気論や太極論の修正を行い、陸九淵の学の成果を積極的に導入している。

許衡と呉澄の2人は後に元の二大儒者として北許南呉と称された。

元代、科挙で一大改革が起こった。

漢人採用の科挙において依拠すべき注釈として『十三経注疏』と並行して朱子学系統の注釈が選ばれたのである。

これによって朱子学の体制教学化が大いに進んだ。

また、金代(1115年-1234年)に成立した全真教においては、儒教道教仏教の一致を唱えており、儒教的な徳目をも取り込んでいった。このような宗教が広まることで庶民の間にもその宗教は広まっていく[19]。

明代

明を興した太祖朱元璋のもとには劉基や宋濂といった道学者が集まった。

劉基は明の科挙制度の制定に取り組み、出題科目として四書を採用し、また試験に使う文章に後に言う「八股文」の形式を定めた。

宋濂は明朝の礼制の制定に尽力した。宋濂の学生には建文帝に仕えて永楽帝に仕えることを潔しとしなかった方孝孺がいる。

永楽帝は胡広らに道学の文献を収集させて百科事典的な『四書大全』『五経大全』『性理大全』を編纂させ、広く学校に頒布した。

この三書はその粗雑さが欠点として挙げられるが、一書で道学の諸説を閲覧できる便利さから科挙の参考書として広く普及した。

『四書大全』『五経大全』の頒布により科挙で依拠すべき経羲解釈に『十三経注疏』は廃され、朱子学が体制教学となった。

明代前期を代表する道学者として薛瑄・呉与弼が挙げられている。

薛瑄は、朱熹が理先気後とするのに対して理気相即を唱え、また「格物」と「居敬」では「居敬」を重んじた。

呉与弼は朱熹の理論の枠内から出ず、もっぱらその実践に力をそそいだとされるが、その門下から胡居仁・婁諒・陳献章が出た。

胡居仁は排他的に朱子学を信奉しその純化に努めた人物である。

婁諒は、居敬と著書による実践を重んじたが、胡居仁にその学は陸九淵の学で、経書解釈も主観的だと非難されている。

陳献章は静坐を重んじたことで知られており、胡居仁からその学は禅だと批判された。陳献章門下には王守仁と親交が深かった湛若水がいる。

王陽明

明代中期、王守仁(号は陽明)は、朱熹が理を窮めるために掲げた方法の一つである『大学』の「格物致知」について新しい解釈をもたらした。

朱熹は「格物」を「物に格(いた)る」として事物に存在する理を一つ一つ体得していくとしたのに対し、王守仁はこれを「物を格(ただ)す」とし、陸九淵の心即理説を引用して、理は事事物物という心に外在的に存在するのではなく、事事物物に対している心の内の発動に存在するのだとした。

「致知」については『孟子』にある「良知」を先天的な道徳知とし、その良知を遮られることなく発揮する「致良知」(良知を致す)だとした。

そこでは知と実践の同時性が強調され、知行同一(知行合一)が唱えられた。致良知の工夫として初期には静坐澄心を教えたが、ともすれば門人が禅に流れる弊があるのを鑑み、事上磨練を説いた。

道学の「聖人、学んでいたるべし」に対し、人は本来的に聖人であるとする「満街聖人」(街中の人が聖人)という新たな聖人観をもたらした。

王守仁の学は陽明学派(姚江学派)として一派をなし、世に流行することになった。

この時代、朱熹の理気二元論に対し異論が唱えられるようになり、気の位置づけが高められ、理を気の運行の条理とする主張がなされた。

道学的な枠組みに準拠しつつこの説を唱えた代表的な人物として羅欽順がいる。

王守仁などは生生の気によって構成される世界を我が心の内に包括させ、世界と自己とは同一の気によって感応するという「万物一体の仁」を主張した。

さらに、このような気一元論を徹底させたのは王廷相である。

彼は「元気」を根元的な実在として朱熹の理説を批判し、「元気の上に物無く、道無く、理無し」として気の優位性を主張し、人性論においては人の性は気であって理ではなく、善悪を共に備えているとした。

理に対する気の優位性が高まるなか、気によって形作られるとされる日常的な心の動き(情)や人間の欲望(人欲)が肯定されるようになっていく。

王守仁も晩年、心の本体を無善無悪とする説を唱えている。

弟子の王畿はこれを発展させて心・意・知・物すべて無善無悪だとする四無説を主張したが、同門の銭徳洪は意・知・物については「善を為し悪を去る」自己修養が必要とした四有説を主張してこれに反対している。

以後、無善無悪からは王艮の泰州学派(王学左派)で情や人欲を肯定する動きが顕著になり、明末の李贄(李卓吾)にいたっては「穿衣吃飯、即ち是れ人倫物理」(服を着たり飯を食べることが理)と人欲が完全に肯定された。

さらに李贄は因習的な価値観すべてを否認し、王守仁の良知説を修正して「童心」説(既成道徳に乱される前の純粋な心)を唱えることで孔子や六経『論語』『孟子』さえ否定するに到った。

東林学派

社会・経済が危機的状況に陥った明末になると、社会の現実的な要求に応えようとする東林学派が興った。

彼らは陽明学の心即理や無善無悪を批判しつつも人欲を肯定する立場を認め、社会的な欲望の調停を「理」としていく流れを作った。

彼らが行った君主批判や地方分権論は清初の経世致用の学へと結実していく。

その思想は東林学派の一員である黄尊素の子で、劉宗周の弟子である黄宗羲の『明夷待訪録』に総括されることになる。

朱元璋の六諭

明代は儒教が士大夫から庶民へと世俗化していく時代である。

朱元璋は六諭を発布して儒教的道徳に基づく郷村秩序の構築を目指し、義民や孝子・節婦の顕彰を行った。

明代中期以後、郷約・保甲による郷民同士の教化互助組織作りが盛んになり、王守仁や東林学派の人士もその普及に尽力している。これにより儒教的秩序を郷村社会に徹底させることになった。

一方、王守仁と同時代の黄佐は郷村社会で用いられる郷礼を作るため朱熹の『家礼』を参考に『泰泉郷礼』を著した。

朱熹の『家礼』は元から明にかけて丘濬『家礼儀節』の改良を経ながら士大夫層の儀礼として流行していたが、明末、宗族という家族形態とともに庶民にまで普及した。

王艮の泰州学派には樵夫や陶匠・田夫などが名を連ねており、儒教が庶民にまで広く浸透した姿が伺える。

明代は史書に対する研究が盛んな時代であったが、中期以後、経書に対する実証学的研究の萌芽も見られる。梅鷟は『尚書考異』を著し、通行の「古文尚書」が偽書であることを証明しようとした。陳第は『毛詩古音考』を著し、音韻が歴史的に変化していることを明言し、古代音韻学研究の道を開いている。

清代

明朝滅亡と異民族の清朝の成立は、当時の儒学者たちに大きな衝撃を与えた。

明の遺臣たちは明滅亡の原因を、理論的な空談にはしった心学にあると考え、実用的な学問、経世致用の学を唱えた。

その代表は黄宗羲や顧炎武、王夫之である。

彼らはその拠り所を経書・史書に求め、六経への回帰を目指した。そのアプローチの方法は実事求是(客観的実証主義)であった。彼らの方法論がやがて実証的な古典学である考証学を生む。

一方、顔元は朱子学・陽明学ともに批判し、聖人となる方法は読書でも静坐でもなく「習行」(繰り返しの実践)であるとする独自の学問を興した。

「格物」の「格」についても「手格猛獣」(手もて猛獣を格(ただ)す)の「格」と解釈して自らの体で動くことを重視し、実践にもとづく後天的な人格陶冶を主張した。

顔元の学は弟子の李塨によって喧伝され、顔李学派と呼ばれる。

こういった清初の思想家たちは理気論上、一様に気一元論であり、朱子学や陽明学の先天的に存在するとした「理」を論理的な存在として斥け、現実世界を構成する「気」の優位を主張して人間の欲望をも肯定している。

このように明代中期以後、気一元論の方向性で諸説紛々たる様相を見せている理気論はその後、戴震が「理」を「気」が動いた結果として現れる条理(分理)とし、気によって形成された人間の欲望を社会的に調停する「すじめ」と定義するにいたって一応の決着を見る。

考証学

清の支配が安定してくると、実学よりも経書を始めとする古典を実証的に解明しようとする考証学が興った。

毛奇齢は朱子学の主観的な経書解釈を批判し、経書をもって経書を解釈するという客観的な経書解釈の方向性を打ち出し、『四書改錯』を著して朱熹の『四書集注』を攻撃した。
閻若璩は『尚書古文疏証』を著して「偽古文尚書」が偽書であることを証明し、「偽古文尚書」に基づいて「人心道心」説を掲げる朱子学に打撃を与えた。

胡渭は『易図明弁』を著し朱子学が重視した「太極図」や「先天図」「河図洛書」といった易学上の図が本来、儒教とは関連性がなかったことを証明した。

彼らの学は実証主義的な解釈学たる考証学の礎を築いた。

乾隆・嘉慶年間は考証学が隆盛した時代である。

その年号から乾嘉の学と呼ばれる。

顧炎武の流れをくむ浙西学派がその主流であり、恵棟を始めとする蘇州府を中心とする呉派、徽州府出身の戴震らの影響を受けた皖派(かんぱ)がある。

彼らは音韻学・文字学・校勘学や礼学などに長じていた。

特に後漢の名物訓詁の学を特徴とする古文学に基づいており、漢学とも呼ばれる。

一方、黄宗羲の流れをくむ浙東学派は史学に長じ、その代表である章学誠は六経皆史の説を唱えて、経書の史学的研究に従事した。やや後れて阮元を始めとする揚州学派が起こり、乾嘉漢学を発展させている。

道光以降になると、常州学派の前漢今文学が隆盛した。

彼らは今文経(特にその中心とされる『春秋公羊伝』)こそ孔子の真意を伝えているとし、乾嘉の学が重んじる古文経学を排除して今文経、ひいては孔子へと回帰することを目指した。

その拠り所とする公羊学に見られる社会改革思想が清末の社会思潮に大きな影響を与え、康有為を始めとする変法自強運動の理論的根拠となった。 』

『歴史(近現代)

洋務運動

アヘン戦争の敗北により西洋の科学技術「西学」を導入しようという洋務運動が興った。
洋務派官僚の曽国藩は朱子学を重んじて六経のもとに宋学・漢学を兼取することを主張し、さらに明末清初の王夫之を顕彰して実学の必要を説いた。

張之洞は康有為の学説に反対して『勧学篇』を著し、西学を導入しつつ体制教学としての儒教の形を守ることを主張している。

孔教運動

康有為

変法自強運動を進める康有為は、『孔子改制考』を著して孔子を受命改制者として顕彰し、儒教をヨーロッパ風の国家宗教として再解釈した孔教を提唱した。

康有為の孔教運動は年号紀年を廃して孔子紀年を用いることを主張するなど従来の体制を脅かし、清朝から危険視されて『孔子改制考』は発禁処分を受けた。

変法派のなかでも孔教運動は受け入れられず、これが変法運動挫折の一因となる。

しかし、辛亥革命が起こると、康有為は上海に孔教会を設立して布教に努め、孔教を中華民国の国教にする運動を展開した。

彼らの運動は信仰の自由を掲げる反対派と衝突し、憲法起草を巡って大きな政治問題となった。

その後、1917年、張勲の清帝復辟のクーデターに関与したため、孔教会はその名声を失った。

康有為が唱える孔子教運動には、弟子の陳煥章が積極的に賛同し、中国・アメリカで活動した。この他に賛同した著名人として厳復がいる。

現代

新文化運動

1910年代後半になると、争いを繰り返す政治に絶望した知識人たちは、文学や学問といった文化による啓蒙活動で社会改革を目指そうとする新文化運動を興した。

雑誌『新青年』を主宰する陳独秀・呉虞・魯迅らは「孔家店打倒」をスローガンに家父長制的な宗法制度や男尊女卑の思想をもつ儒教を排斥しようとした。

一方、雑誌『学衡』を主宰する柳詒徴・呉宓・梅光迪・胡先驌ら学衡派は、儒学を中心とする中国伝統文化を近代的に転換させることによって中西を融通する新文化を構築することを主張している。

清末から隆盛した今文学派による古典批判の方法論は古籍に対する弁偽の風潮を興し、1927年、顧頡剛を始めとする疑古派が経書や古史の偽作を論ずる『古史弁』を創刊した。

顧頡剛は「薪を積んでいくと、後から載せたものほど上に来る」という比喩のもと、古史伝承は累層的に古いものほど新しく作られたという説を主張し、堯・舜・禹を中国史の黄金時代とする儒教的歴史観に染まっていた知識人に大きな衝撃を与えた。

さらに銭玄同は六経は周公と無関係であるばかりでなく孔子とも無関係である論じ、孔子と六経の関係は完全に否定されるに到った。

新儒家
    熊十力
    梁漱溟
    牟宗三
    唐君毅
    杜維明

中華人民共和国時代

マルクス主義的無神論を掲げる中華人民共和国が成立すると、「儒教は革命に対する反動である」として弾圧の対象とされた。

特に文化大革命期には、批林批孔運動として徹底弾圧された。

多くの学者は海外に逃れ、中国に留まった熊十力は激しい迫害を受け自殺したといわれる。儒教思想が、社会主義共和制の根幹を成すマルクス主義とは相容れない存在と捉えられていたためとされる。

なお毛沢東は『三国志』を愛読し、曹操をとりわけ好んだといわれるが、曹操は三国時代当時に官僚化していた儒者および儒教を痛烈に批判している。

再評価と「儒教社会主義」

だが、21世紀に入ると儒教は弾圧の対象から保護の対象となり再評価されつつある。

孔子を、その思想を別論として、国際的に著名な教育者と評価し、2004年、中国国外の大学などの教育機関と提携し、中国語や中国文化の教育及び宣伝、中国との友好関係醸成を目的に設立した公的機関を孔子学院と名付け世界展開を進めている。

また、2005年以降、孔子の生誕を祝う祝典が国家行事として執り行われ、論語を積極的に学校授業に取り入れるようになるなど儒教の再評価が進んでいる。

文化大革命期に徹底的に破壊された儒教関連の史跡及び施設も近年になって修復作業が急速に行われている。

ほかにも改革開放が進む中で儒学や老荘思想など広く中国の古典を元にした解釈学である国学が「中華民族の優秀な道徳倫理」として再評価されるようになり国学から市場経済に不可欠な商業道徳を学ぼうという機運が生まれている。

国家幹部は儒教を真剣に学ぶべきだという議論も生まれている[20]。

ダニエル・A・ベル(Daniel A Bell)北京清華大学哲学教授によれば、近年、中国共産党は「儒教社会主義」または新儒教主義(宋の時代にもあった)を唱えている[21]。』

『東アジア周辺諸国の儒教

朝鮮

詳細は「朝鮮の儒教」を参照

朝鮮の儒学者

朝鮮は本家中国以上に儒教文化が深く浸透した儒教文化圏であり、現在でもその遺風が朝鮮の文化の中に深く残っている。

それだけに、恩師に対する「礼」は深く、先生を敬う等儒教文化が良い意味で深く浸透しているという意見もある。

李氏朝鮮の統治階層であった両班は自らを儒教の継承人と見做し、儒教の浸透に深く関わった。

李退渓:嶺南学派
李栗谷:畿湖学派

ベトナム

19世紀末の科挙の風景

漢王朝(北属期)の時代に儒教が伝播したが、当地から著名な儒家を輩出することはなかった。

10世紀に李朝が成立すると儒教制度が本格的に導入され、政治領域をはじめ教育、学術、文芸、文化風俗などにおける影響力が強くなった。

しかしながら、仏教や道教と比較して絶対的優位とはならなかった。

15世紀に後黎朝が成立すると、仏教・道教に対する儒教の優位性が確立され社会の各階層に浸透した。

これに伴いベトナムは東南アジア的な性質を徐々に失い、中国文化圏としての色彩を強めるに至った[22]。

18世紀から19世紀にかけては儒教の影響が最も強くなった。

17世紀から19世紀にかけて馮克寛・黎貴惇・呉時任・阮文超・嗣徳帝などの著名な儒家を輩出した。

琉球

「Category:琉球の儒教」を参照
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この節の加筆が望まれています。 (2021年6月)

日本における儒教

「日本の儒教」を参照

日本では儒教は学問(儒学)として受容され、国家統治の経世済民思想や帝王学的な受容をされたため、神道や仏教に比べても、宗教として意識されることは少ない(次節を参照)。

ただし、年賀状のような儀礼がほぼ「儒教文化圏」に限られるように、自覚されない文化的行為の中に儒教的な考え方(価値観・社会規範などの広義の宗教)が東アジア共通のものとして基底的にあると考えられる。

儒学の伝来

日本に儒教が伝来したのは、5世紀の五経博士によってである。

朱子学は漢籍に紛れて輸入され、僧侶に学ばれた(五山文学)。

藤原惺窩と林羅山は仏教から朱子学に転じ、徳川幕府に仕えた。

近世の代表的な朱子学者として、谷時中・南村梅軒・野中兼山・新井白石・室鳩巣・雨森芳洲などがいる。

新井白石や荻生徂徠は政治にも深く関与した。

朱子学は寛政異学の禁により官学化された。

朱子学は庶民にも広く学ばれ、大坂では町人により懐徳堂が開かれた。

朱子学批判

山崎闇斎や貝原益軒は朱子学を学びながらもそれに疑問を呈するようになっていった。

中江藤樹は陽明学に転じ、道学を教え近江聖人と呼ばれた。

弟子の熊沢蕃山は農本思想を説いた。

山鹿素行は聖学を創始し、孔子本来の教えに立ち戻ることを主張した。

伊藤仁斎は道徳とは性即理(本然の性)によるのではないとし、日常的生活実践としての忠恕を重視した。

荻生徂徠は礼楽刑政の道とは聖人が制作したものであり、その制度を現在の政治に実現することを説いた。

徂徠の弟子には文人の服部南郭や、『経済録』の太宰春台がおり、後世には本居宣長や、海保青陵らの経世家に影響を与えていった。

懐徳堂では中井竹山らが朱子学を教えたが、中井履軒など朱子学に疑念を呈するものや、富永仲基や山片蟠桃など、儒学を始めとする宗教を否定する合理主義者が現れた。

幕末の儒学

昌平坂学問所の佐藤一斎は朱子学のほかに陽明学を修め、渡辺崋山・佐久間象山・横井小楠ら幕藩体制秩序の破壊を試みた弟子を輩出した。

陽明学者の大塩平八郎は、大塩平八郎の乱を起こして、幕府に挑戦した。

尊王思想は古学派にも萌芽が見られ、本居宣長・平田篤胤・頼山陽・蒲生君平・高山彦九郎・林子平らによって展開されていった。

朱舜水を招いて朱子学を研究していた水戸徳川家では、『大日本史』編纂の過程から水戸学が形成され、藤田東湖・藤田幽谷らが尊王思想を展開した。

会沢正志斎は『新論』で尊皇攘夷思想を体系化し、幕末の志士に伝えていった。

吉田松陰はその一人であり、孟子・水戸学・陽明学を松下村塾で教え、弟子からは高杉晋作ら倒幕の志士が現れた。

近代の儒学

明治維新の志士たちは水戸学や陽明学を信奉していたから、明治以後にも研究が行われた。

井上哲次郎は朱子学、陽明学、古学を研究した。

漢学者の元田永孚は教育勅語を起草したが、天皇の教えという形を取りながら、実質的には儒教道徳を説いた。

天皇制国家と国家神道が作られてからも、政府中枢に漢学者がおり、たとえば安岡正篤は終戦の詔勅に関与した。

民間右翼の中に儒学を元に尊王思想を説くものもあった。

村岡典嗣や津田左右吉や和辻哲郎らは日本の儒教を研究した。

戦後の儒学

戦後は、江戸時代に近代化に反対した人々の思想という位置づけがなされ[23]、丸山真男らによって批判的に研究されたほか[24]、マルクスの「アジア的停滞性論」も広く受け入れられた[25]。

そのため、歴史的な存在として儒教が学ばれたり、ビジネスマンの処世術・教養として『論語』が読まれるに留まる。』

『儒教に関する研究と論点

東アジアの近代化と儒教

宗教社会学者のマックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で西欧の近代化の原因はプロテスタンティズムにあるとしたが、その他の地域でも同様の研究を行っている。

アジアについては、『儒教と道教』で「儒教は合理主義的だったが、プロテスタンティズムのような厳格さを持たなかったため、東アジアは近代化しなかった」という趣旨のことを述べている。

また、マルクス主義では、「アジア的生産様式」によって中国では「アジア的停滞」が引き起こされ、近代化は起こらなかったなかったという。

カール・ウィットフォーゲルは、それが「アジア的専制」を産み出したという。

一方で、1990年代以降、中国の改革解放の成功やアジア四小竜の台頭を迎えると、リー・クアンユーや李登輝などは儒教が近代化の原因だと述べた[26]。

儒教は宗教か

儒教の長い歴史の間には、古文・今文の争い、喪に服する期間、仏教との思想的関係、理や気の捉え方など様々な論争がある。

現在の学術研究、特に日本における論争のひとつに“儒教は宗教か否か”というものがある。

現在、“儒教は倫理であり哲学である”とする考えが一般的[27] だが、孟子以降天意によって総てが決まるとも説かれており、これが唯物論と反する考えになっているという指摘もある。

加地伸行などは、宗教を「死生観に係わる思想」と定義した上で、祖先崇拝を基本とする儒教を宗教とみなしている[28]。

しかし何れにせよ、その唱える処は宗教に酷似している為、広義の宗教と結論づける事も可能なのである。

儒教が宗教かが法廷で問われた例として至聖廟を巡る裁判があり、日本の最高裁は至聖廟を宗教的施設との判断を示した[29]。

「zh:儒教 (宗教)」も参照
文献

概説書

加地伸行 『儒教とは何か』 中公新書、増補版2015年 ISBN 978-4121909893
加地伸行 『沈黙の宗教-儒教』 筑摩書房〈ちくまライブラリー〉/ 改訂版・ちくま学芸文庫、2011年
串田久治 『儒教の知恵-矛盾の中に生きる』 中公新書 ISBN 978-4121016850
鈴木利定 『儒教哲学の研究』 明治書院 ISBN 9784625483028
T・フーブラー、D・フーブラー 『儒教 シリーズ世界の宗教』 鈴木博訳 青土社 ISBN 9784791752980
狩野直禎編 『図解雑学 論語』ナツメ社、2001年、ISBN 4816330461
緑川佑介 『孔子の一生と論語』 明治書院、2007年、ISBN 9784625684036
土田健次郎編 『21世紀に儒教を問う』 早稲田大学出版部〈早稲田大学孔子学院叢書〉、2010年、ISBN 9784657102225
永冨青地編 『儒教 その可能性』 早稲田大学出版部〈早稲田大学孔子学院叢書〉、2011年、ISBN 9784657110145

伝記

白川静 『孔子伝』 中公文庫、1991年 ISBN 4122041600
諸橋轍次 『如是我聞 孔子伝』(上下)、大修館書店、1990年
金谷治 『孔子』 講談社学術文庫、1990年、ISBN 978-4061589353
武内義雄 『論語之研究』 岩波書店、1939年、ASIN B000J9BC3Q、復刊
津田左右吉 『論語と孔子の思想』 岩波書店、1946年、ISBN BN07038153、復刊
宮崎市定 『論語の新しい読み方』 礪波護編、岩波現代文庫、2000年、ISBN 4006000227

五経

易経
    今井宇三郎 『易経』 全3巻:明治書院〈新釈漢文大系〉
    (上)ISBN 9784625570230、(中)ISBN 9784625570247、(下)ISBN 9784625673146
    本田済 『易』 新版:朝日選書〈中国古典選〉、1997年 ISBN 9784022590107
    高田眞治・後藤基巳 『易経』 岩波文庫
    (上)ISBN 9784003320112、(下)ISBN 9784003320129
書経
    加藤常賢 『書経 (上)』 明治書院〈新釈漢文大系〉 ISBN 9784625570254
    小野沢精一 『書経 (下)』 明治書院〈新釈漢文大系〉 ISBN 9784625570261
    池田末利 『尚書 』 集英社〈全釈漢文大系〉
詩経
    石川忠久 『詩経』 全3巻:明治書院〈新釈漢文大系〉。他に新書漢文大系(抄訳版)がある。
    (上)ISBN 9784625571107、(中)ISBN 9784625571114、(下)ISBN 9784625673009
    白川静 『詩経国風』 平凡社東洋文庫、ISBN 9784582805185
    白川静 『詩経雅頌』 平凡社東洋文庫 全2巻、(1) ISBN 9784582806359 、(2) ISBN 9784582806366
礼記
    竹内照夫 『礼記』全3巻:明治書院〈新釈漢文大系〉
    (上)ISBN 9784625570278、(中)ISBN 9784625570285 、(下)ISBN 9784625570292
    市原亨吉など 『礼記』全3巻:集英社〈全釈漢文大系〉
    『礼記』 「漢文大系」冨山房、初版1913年。改訂版1984年
    桂湖村 『礼記』(上下)、漢籍国字解全書:早稲田大学出版部、初版1914年
    安井小太郎 『礼記』 「国訳漢文大成」国民文庫刊行会、初版1921年
    下見隆雄 『礼記』 明徳出版社〈中国古典新書〉、初版1973年
春秋
    春秋左氏伝
        鎌田正 『春秋左氏伝』全4巻、明治書院〈新釈漢文大系〉
         (1) ISBN 9784625570308 、(2) ISBN 9784625570315 、(3) ISBN 9784625570322、(4) ISBN 9784625570339
        竹内照夫 『春秋左氏伝』全3巻、集英社〈全釈漢文大系〉
        小倉芳彦 『春秋左氏伝』全3巻、岩波文庫
         (上)ISBN 9784003321614、(中)ISBN 9784003321621、(下)ISBN 9784003321638
    春秋公羊伝
        林羅山訓点 菜根出版(復刻)
        『世界文学全集 3 五経・論語』、公羊伝(日原利国訳) 筑摩書房、1970年
            日原利国著 『春秋公羊伝の研究』 創文社〈東洋学叢書〉、1978年
    春秋穀梁伝
        野間文史著 『春秋学 公羊伝と穀梁伝』 研文出版〈研文選書〉、2001年、ISBN 9784876362011

四書

大学
    宇野哲人 『大学』 講談社学術文庫 1983年 ISBN 4061585940
    金谷治 『大学 中庸』 岩波文庫 2004年 ISBN 4003322215
    赤塚忠 『大学・中庸』 明治書院〈新釈漢文大系〉 1998年 ISBN 4625570026
中庸
    島田虔次 『大学・中庸』 朝日新聞社〈中国古典選〉、1967年 / 朝日文庫(上下)、1978年
    宇野哲人 『中庸』 講談社学術文庫 1983年 ISBN 4061585959
    俣野太郎 『大学・中庸』 明徳出版社〈中国古典新書〉、1968年
論語
    吉田賢抗 『論語』 明治書院〈新釈漢文大系 1〉、初版1960年、ISBN 4625570018。新書漢文大系(抄訳版)がある
    吉川幸次郎 『論語』 各(上下) 新版:朝日選書〈中国古典選〉、1996年 / 改訂版・角川ソフィア文庫、2020年
    金谷治 『論語 新訂』 岩波文庫、1999年、ISBN 400-3320212。ワイド版2001年
    宮崎市定 『現代語訳 論語』 岩波現代文庫、2000年、ISBN 4006000170
    貝塚茂樹 『論語』 中公文庫、改版2020年、ISBN 4122068487
    加地伸行 『論語』 講談社学術文庫、2004年、増訂版2009年
孟子
    小林勝人 『孟子』 岩波文庫(上下) ISBN 978-4003320419&ISBN 978-4003320426
    貝塚茂樹 『孟子』 中公クラシックス。抄訳版
    内野熊一郎・加藤道理 『孟子』、明治書院〈新釈漢文大系〉。新書漢文大系(抄訳版)がある。
    宇野精一 『孟子』 集英社〈全釈漢文大系〉/ 講談社学術文庫、2019年

関連古典

周礼
儀礼
    池田末利編訳、全5巻:東海大学出版会〈東海古典叢書〉
爾雅
孝経
    加地伸行 『孝経』 講談社学術文庫、2007年
    栗原圭介 『孝経』 明治書院〈新釈漢文大系〉、ISBN 9784625570353
荀子
    金谷治 『荀子』 岩波文庫(上下)、ISBN 9784003320815&ISBN 9784003320822
    藤井専英 『荀子』 全2巻:明治書院〈新釈漢文大系〉。ほかに新書漢文大系(抄訳版)がある。
    金谷治・佐川修 『荀子』 全2巻:集英社〈全釈漢文大系〉
大戴礼記
    栗原圭介 『大戴礼記』 明治書院〈新釈漢文大系〉、ISBN 9784625571138

史書

史記
    孔子世家
    仲尼弟子列伝
    孟子荀卿列伝
    儒林列伝
漢書
    董仲舒伝
    儒林伝
孔子家語
    宇野精一訳 『孔子家語』 明治書院〈新釈漢文大系〉 ISBN 9784625570537。新書漢文大系(抄訳版)がある。
    藤原正訳 『孔子家語』 岩波文庫 ISBN 9784003320228

論語集解

渡邉義浩主編『全譯 論語集解』汲古書院 上・下 2020年

朱子学

朱子 『論語集註』
    笠間書院 ISBN 978-4305001559。真田但馬・吹野安編
    簡野道明編、明治書院 ISBN 978-4625733017、新版2003年
    『論語集注』土田健次郎訳注、平凡社東洋文庫 全4巻
『近思録』
    湯浅幸孫訳著、新版・たちばな出版(選書版)
     (上)ISBN 978-4886926036、(中)ISBN 978-4886926043 、(下)ISBN 978-4886926050
    市川安司訳著 『近思録』 明治書院〈新釈漢文大系〉 ISBN 978-4625570377
『「朱子語類」抄』 三浦國雄訳注、講談社学術文庫 ISBN 9784061598959
島田虔次著 『朱子学と陽明学』 岩波新書 ISBN 9784004120285

陽明学

王陽明 『伝習録』 溝口雄三訳、中公クラシックス ISBN 9784121600820

朝鮮の儒教と儒学

    史料に朝鮮王朝での五礼(吉礼、嘉礼、賓礼、軍礼、凶礼)の礼法を記した「国朝五礼儀」、世宗在位期間の歴史を記録した「世宗荘憲大王実録」がある。

日本の儒学

荻生徂徠 『論語徴』 小川環樹訳註、全2巻:平凡社東洋文庫 ISBN 9784582805758&ISBN 9784582805765
伊藤仁斎 『論語古義』
    子安宣邦著『論語古義』子安宣邦『仁斎論語 『論語古義』現代語訳と評釈』ぺりかん社 上・下
    『日本の名著13 伊藤仁斎』貝塚茂樹責任編集、中央公論社 1977年、新版・中公バックス 1983年。現代語訳のみ 』

ロシアは「ファシズム」なのか?

ロシアは「ファシズム」なのか?
現在のヨーロッパやロシアの状況を表わす用語は「反リベラリズム」
【橘玲の日々刻々】
https://diamond.jp/articles/-/303403

『アメリカやヨーロッパの右派・保守派にとって、プーチンは「退廃的なアメリカ・リベラリズムと多文化主義を退け、イスラム過激主義と激しく戦い、キリスト教の価値を守り、西側の「政治的正しさ(PC)」を批判し、グローバル・エリートが普通の人々に対する悪事を企んでいるという思想を支持する、白人世界の指針」だとされてきたのだ。

 だがこれは、プーチン(クレムリン)が欧米社会に大きな影響力を行使してきたということではない。欧米の右派もロシアも、「政治的には、ヨーロッパ統合よりも国民国家と強い指導者を優先する。地政学的には、大西洋をまたぐ多国間組織に否定的な姿勢を示し、「諸国家のヨーロッパ」を擁護する。経済的には、グローバリゼーションよりも保護主義を好み、文化的には移民を拒み、昔ながらの国民的アイデンティティと、いわゆる伝統的価値の保護を求める」という反リベラリズムを共有しているのだ。』…。

『こうしてラリュエルは、「ロシアは(西欧の)社会変革者として行動しているのではなく、むしろ、ヨーロッパとアメリカ社会の疑念と変質のエコーチェンバーなのである」と述べる。

ロシアを「ファシズム」と批判する者は、ロシアを「見知らぬ他者」として、「自由で民主的」な西欧社会と比較する。これは典型的な「俺たち/奴ら」の二分論だが、この構図はリベラルな西欧社会を正当化するのに都合がよかった。逆にいえば、だからこそ「リベラルなエリート主義」を嫌悪する勢力は、「反リベラリズム」としてのロシアに接近したのだ。』…。

『だが、西欧とロシアはまったく異なる社会ではなく、むしろ「ロシアは西側の連続体」だとラリュエルはいう。「ソ連ないしポスト・ソヴィエト期のロシアは、様々なかたちで西側の鏡として機能している」のだ。

 ロシア革命以降の1世紀、ロシアは「社会主義、全体主義、民主主義、新自由主義、そして現在は反リベラリズム」の実験によって、西側全体の発展、行き過ぎ、過ち、失敗を増幅してきた。ロシアは例外ではなく、今日ロシアで起こっていることは、「異なる規模で西側でも観察されるより広いグローバルな潮流」に深く結び付いている。』…。

 ※ ロシアの「内面」に降りて行って、いろいろ「理解しよう」と試みているようだ…。

 ※ しかし、「それで、何?そういう内面の分析が、何の役に立つ?」という話しだ…。
 
 ※ ヒトは、内面でいろいろ考えたり、思ったりして生きて行く…。

 ※ そういう「内面」を、探っていたりしても「キリが無い」…。

 ※ 社会秩序を保っていくためには、そういう「内面」は「さておいて」、外部に表れている「行為」だけを、「取り扱う」ことにしたんだ…。

 ※ それが、「近代」というものだ…。

 ※ いくら内部で「高邁な思想」に耽っている御仁でも、高速道路200キロで爆走されたりしたんじゃ、堪ったものじゃない…。等しく、免停にでもしないとな…。そういう話しだろ?

アマチュアたちは戦略を語る。プロたちなら兵站について考究する。

アマチュアたちは戦略を語る。プロたちなら兵站について考究する。
https://st2019.site/?p=19622

『Michele A. Flournoy 記者による2022-5-23記事「How to Prepare for the Next Ukraine」。
   「アマチュアたちは戦略を語る。プロたちなら兵站について考究する(Amateurs talk strategy. Professionals study logistics)」と言ったのは、WWII後に統合参謀本部議長になったオマー・ブラドリーである。』

フランスの新首相にボルヌ労働相、女性2人目

※ この記事貼るのを、忘れていた…。

フランスの新首相にボルヌ労働相、女性2人目
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR16D1H0W2A510C2000000/

 ※『昔、パリでのフォーラムに参加したとき、日本人参加者から提起された生産性をいかに向上させるといった問題にフランスの論客はあまり関心がなさそうだった。終盤、ism(主義)の問題が提起され、彼らは瞬時に目覚めてしまった。議論が大好きな人たち。』…。

 ※ ちょっと、笑ってしまった…。

 ※ 前に語った、デカルト(演繹法)vs.ベーコン(帰納法)にも通じるような話しだ…。

 ※ 法体系的にも、ローマ法vs.英米法だしな…。

 ※ しょせん、英も米も、プラグマティズム(実用主義)だ…。

 ※ 欧州人からしたら、プラグマティズムとは、単なる「無原則・無理論」で、「脳無し」というところなんだろう…。

 ※ しかし、戦争の戦略、戦術、兵器の発明、新技術の発明なんかで、ことごとく「やられて」しまって来た…(ICTは、ことごとく英米系の発明)。まあ、切歯扼腕なんだろう…。

 ※ そもそも、「産業革命」は、英国発だしな…。

 ※ 日本国も、「サムライの国」なんで、究極の「プラグマティズム」だ…。

 ※ 戦国大名は、プラグマティズムじゃなければ、生き残れなかった…。

 ※ 欧米の波が襲来した時もな…。「たった四杯で、夜も眠れ」なかった…。

 ※ それで、大急ぎで、国を挙げて、技術を「取り込んだ」…。

 ※ だから、むしろ、英米とのほうが相性はいいんだと、思う…。

『【パリ=白石透冴】フランスのマクロン大統領は16日、新首相にエリザベット・ボルヌ労働相(61)を任命した。女性が仏首相になるのは1991~92年、ミッテラン政権下のクレッソン氏に続いて2人目。マクロン氏は6月に国民議会(下院)選挙を控えており、左派有権者へのアピールという側面がありそうだ。

マクロン氏は4月の大統領選で再選しており、新内閣で2期目に臨む。数日内に残る新閣僚の顔ぶれも明らかにする。同氏はツイッターで「環境、教育、労働――。新しい政府は妥協せず行動を続ける」などと発信した。

ボルヌ氏は記者団を前に「我々は環境問題に直面しており、迅速に行動しなければならない」とあいさつした。

ロシア系ユダヤ人を父に持つボルヌ氏は中道左派社会党ロワイヤル環境相(当時)のもとで2014~15年に働くなど左派系の経歴を持つ。マクロン氏が初当選した2017年から閣僚入りし、交通担当相、環境相、労働相を歴任した。

2020年に就任し新型コロナウイルス対策などにあたったカステックス首相は同日辞表をマクロン氏に提出し、受理された。

多様な観点からニュースを考える

※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。

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上野泰也
みずほ証券 チーフマーケットエコノミスト
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ひとこと解説

6月に行われる国民議会(下院)選挙をにらんだ人選であることは明らかだ。

記事にある通り、左派有権者へのアピールをマクロン大統領は強めたいのだろう。

急進左派の有力政治家メランション氏が社会党や共産党などと左派連合を組み、下院選での勢力拡大を狙っている。

ボルヌ氏は「女性の地位向上への闘いを止めるものは何もない」と決意を表明しており、女性有権者を引きつける効果も期待できる。

足元の世論調査によると、下院選ではマクロン大統領の与党連合が勝利する見通し。

なお、仮に何らかの波乱が起こり、与党が下院選で過半数割れになって首相を選出できない場合には、「コアビタシオン」と呼ばれる一種のねじれ状態に陥る可能性がある。

2022年5月17日 7:41

柯 隆のアバター
柯 隆
東京財団政策研究所 主席研究員
コメントメニュー

ひとこと解説

フランス経済についてまったく知らないが、しゃれて品があって好感が持てそう。もともとフランスは経済の国ではなく、文化の国という印象が強い。昔、パリでのフォーラムに参加したとき、日本人参加者から提起された生産性をいかに向上させるといった問題にフランスの論客はあまり関心がなさそうだった。終盤、ism(主義)の問題が提起され、彼らは瞬時に目覚めてしまった。議論が大好きな人たち。大統領と首相の相性はたいへん重要になる

2022年5月17日 8:24 』

人間の本質は、科学の進歩では変わらない。 机上空間

人間の本質は、科学の進歩では変わらない。 机上空間
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/28648044.html

『 現在、恐らく人類の歴史の中でも、特筆するくらい教育というものが、広く一般の市民にも提供されています。

識字率という学力の基本から、高度な科学知識まで、本人の学ぶ気持ち次第で、好きなだけ学ぶ事が可能です。

もちろん、そもそも、学校が機能しないほど内政が荒れている国も、ありますが、ちょっと昔まで、文字が読める事が特権階級の権利だった事に比べれば、広く教育が行き渡っていると言えるでしょう。

しかし、それでは、個々人の知能が底上げされたかと言えば、実は我々が知っている多くの事は、過去に先達が解明した正解を知識として学んだという事に過ぎなかったりします。

その知識は、正しい事が実証されているので、それが常識化しているという事は、確かに学力の底上げにはなっています。

しかし、だからと言って、私達の殆どは凡人であり、観察から万有引力の存在に気がついたり、磁気という力の存在に気がついたりできるわけではありません。

解明された知識を説明されて、それを真理として記憶しているだけです。つまり、ギリシャ時代の賢人と較べて、知っている事は多いでしょうが、知能が優れているわけではないという事です。

つまり、本質的な知力という部分で、今が過去よりも優れているとは、言えないという事です。今回のロシアのウクライナ侵攻でも、それを裏付けるような事実が出てきています。

これは、ロシアの国営放送が、真剣にニュースとして流しているものですが、ウクライナの軍隊が、「黒魔術」を使って、保有している武器の威力を高めている証拠が見つかったと報道しています。壁か床に描かれた、禍々しい象徴的なサインと共に、ウクライナ軍が黒魔術を使っていると言っているわけです。

さらには、ウクライナでは、アメリカの開発した攻撃的な人格を作り出す薬で、戦意高揚を行っているというニュースも、事実として流されています。つまり、ウクライナ軍の志気が高いわけではなく、薬でドーピングした結果として抵抗が続いているという話ですね。これは、戦争を始めて既に2ヶ月が経過しても、当初の目的を達成できていない言い訳として利用されています。

さらに、さすがに話がバカバカし過ぎて、しかも証拠として採用されていた画像が、いわゆる都市伝説系のサイトからコピーしたものである事もバレて、記事としては削除されましたが、ウクライナ軍が動物と人間を、バイオテクノロジーで掛け合わせたキメラ部隊を編成しているというのもありました。

何がしたいのかと言えば、ウクライナ軍は悪魔的な手段を使っている。我々は、そうした非人道的な連中と正義を掲げて戦っていると、プロパガンダをしたいわけです。つまり、我々が戦っているは、悪魔的な手段を使っている邪悪な存在であって、それゆえ戦果が出ていない。しかし、この戦争は、正義の為であるから、続けなければならないという論理ですね。

どこのアニメの設定ですかという話ですが、自分達が他国を蹂躙して、人を殺しているという事実から目を背けたい人は、こんな突拍子もない与太話でも、自分で暗示をかけて信じてしまうのですね。

「ウクライナ人は、悪魔のような人間だから、何をしても良い」という自己正当化を行います。こういう場合、過去に学んできた知識や、積み重ねた学習というのは、殆ど役に立ちません。信じたい事を信じるだけです。

何度も繰り返しますが、私達が近代と呼ぶ科学や技術の多くは、正しさが過去に立証されたものを、知識として学んだものに過ぎず、個々の人間が、それを観察や思考から導き出す程の知能を備えている事を担保するものではありません。多くの事を知っていますが、それは正しいと教えられた事を記憶しているだけです。

つまり、現代でも黒魔術でも強化人間育成剤でも、時々の都合によって、真剣に存在が喧伝され、それを信じる人がいるという事です。

その場合、基準になるのは、科学的な証明ではなく、周りで多く信じられいているかどうかです。

こんなプロバガンダを流布する国が、仮にウクライナを制圧した場合、ウクライナ人に何が行われるかは、想像に難くありません。何しろ、相手を人間と思っていないのですから、ウクライナ人という存在自体を歴史から消しにかかるでしょう。文化も歴史も、根こそぎ破壊するはずです。

ウクライナが抵抗を続ける事を、「愚か」だとか、「戦争がしたいの?」とか言う人がいますが、白旗を上げた瞬間に何が行われるか、ウクライナ人は、ソ連時代に支配された経験から知っているのです。

容赦の無い民族浄化と、あらゆる富の収奪です。全てのウクライナ人は2級市民として、ロシアから奪われる、ただ生きるだけの存在になるはずです。

今の時代に、中世かと思われるような蛮行がまかり通るとは、いくらなんでも想像力が豊か過ぎるでしょうと思われるかも知れませんが、ロシアの国営放送が自国民に向けて放送している「真実」されるニュースを見ていれば、それがありえる事が理解できます。

基本的に、信じたい事に知能で抗って、真実を追求できる人は、全体の一部だという事です。』

『笑ゥせぇるすまん』が描いた「不愉快な真実」とひとびとが求める「公正世界信念」

『笑ゥせぇるすまん』が描いた「不愉快な真実」とひとびとが求める「公正世界信念」
【橘玲の日々刻々】
https://diamond.jp/articles/-/302362

 ※ 『因果応報は「善行は正当に評価され、悪行は報いを受ける」ことで、これも「公正さ」の重要な要素です。仏教(正しくはヒンドゥー教)の輪廻とは、いちどの人生で因果応報が達成されない矛盾を解消するために、時間軸を過去と未来に引き延ばしたものです。』…。

 ※ なーる、鋭い視点だ…。

 ※ 逆に、キリスト教なんかの「一神教」における、「終末思想」は、この世の不公正を、あの世で「正してくれる」という、「救済思想」というわけだ…。

 ※ ニーチェなんかは、そこを突いて、「神は、死んだ!」「あの世での救済に、問題を先送りするのでは無く、今現在のこの世を”力強く”生きることを、考えるべきだ!」と獅子吼したというわけだ…。

 ※ 『なぜここまでして「公正さ」にこだわるかというと、「不公正な世界」がものすごく不安だからです。悪がはびこり、どれほど正しい行ないをしても裏切られるだけなら、そんな社会は苦しくて誰も生きていくことはできないでしょう。――これは社会心理学で「公正世界信念」と呼ばれます。』…。

 ※ なるほど…。そして、その「公正世界信念」「公正世界神話」が崩れると、社会は、一気に「不安定化」する…、というわけだな…。

『漫画家の藤子不二雄A(本名・安孫子素雄)さんが88歳でお亡くなりになりました。

『笑ゥせぇるすまん』(当時は『黒ィせぇるすまん』)を知ったのは高校生のときで、クラスの友人が持っていたものを読んで衝撃を受けました。登場人物はサラリーマン、学生、老人などさまざまですが、共通するのは小さなこころの「きず」を抱えていることで、それを喪黒福造がグロテスクなまでに拡大し、(ほとんどの場合)破滅へと追い込まれていきます。

 10代の頃は理解できませんでしたが、いまなら「どんなに幸福に見えても、ひとはみな転落の縁を歩いている」という「不愉快」な事実が、このダークなキャラクターが長く愛された理由であることがわかります。「人間はこんなにこわれやすいんだよ」というメッセージに、逆に安心感を覚えた読者も多かったでしょう。

 もうひとつ、初期の作品を読み返して気づいたのは、その巧妙な設定です。

 わたしたちは無意識のうちに、世界は「公正」であるべきだと思っています。「悪は滅び、最後には正義(善)が勝つ」ことは、神話・宗教からハリウッド映画まですべての物語の本質で、もちろんマンガも例外ではありません。

 因果応報は「善行は正当に評価され、悪行は報いを受ける」ことで、これも「公正さ」の重要な要素です。仏教(正しくはヒンドゥー教)の輪廻とは、いちどの人生で因果応報が達成されない矛盾を解消するために、時間軸を過去と未来に引き延ばしたものです。

 なぜここまでして「公正さ」にこだわるかというと、「不公正な世界」がものすごく不安だからです。悪がはびこり、どれほど正しい行ないをしても裏切られるだけなら、そんな社会は苦しくて誰も生きていくことはできないでしょう。――これは社会心理学で「公正世界信念」と呼ばれます。

『笑ゥせぇるすまん』のなかにも、因果応報の話はたくさんあります。競馬で一発当てて借金を返そうとしたり、売れはじめた役者が水商売の女と縁を切ろうとしたり、そんな弱さを喪黒福造は見逃しません。

 しかしより印象に残るのは、こうした因果応報では説明できない物語です。

 最初期の「ともだち屋」では、内気で人見知りのため彼女はもちろん友だちさえないない22歳の独身サラリーマンが、喪黒福造に絶世の美女の写真を見せられ、彼女とつき合えるかもしれないという希望に胸をふくらませます。「化けた男」では、29歳の妻子のいる真面目なサラリーマンが、通勤電車で読む週刊誌の記事でちょっとした非日常(アバンチュール)を空想し、息抜きにしています。

 どちらも本人になんの非もありませんが、それでも喪黒福造の「いたずら」によって闇へと堕ちてしまいます。「人生は不条理で、世界は公正につくられているわけではない」のです。

 誰もが夢を求めていた1960年代に、マンガでこの「真実」を描いたのは途方もない慧眼でした。ご冥福をお祈りいたします。

『週刊プレイボーイ』2022年4月18日発売号に掲載

橘 玲(たちばな あきら)
橘玲のメルマガ 世の中の仕組みと人生のデザイン 配信中

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は、『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』 (小学館新書)。

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出処は不明… ロシアの「黒いプロパガンダ」を広めているのは誰か

出処は不明… ロシアの「黒いプロパガンダ」を広めているのは誰か
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/04160601/?all=1

『「ロシアのウクライナ侵攻は、許されざる行為である。が、しかし……」というトーンでこの問題を語る人がいる。「しかし」のあとに続くのは「ウクライナにも悪いところがある」の場合もあれば、「そんな建前は別として、まずは占領を受け入れよう」という場合もあるようだ。

 前者の代表例は鳩山由紀夫元首相や鈴木宗男参議院議員だろう。鳩山氏はウクライナ側の外交努力が足りないと批判し、鈴木氏はロシアへの経済制裁に疑問を呈している。

 SNS時代の情報戦という面も見せている今回の戦争に関する報道や言説を読むうえで、「プロパガンダ」の性質を知っておくべきだ、と指摘するのは公文書研究の第一人者である有馬哲夫氏だ。

 一口に「プロパガンダ」と言っても、「真贋」「白黒」とを分けて考える必要がある、というのだ。以下、有馬氏の特別寄稿である。

 ***

【写真】プーチン大統領と事実婚状態とされる元五輪金メダリスト「アリーナ・カバエワ」
「ウクライナのプロパガンダを信じるな」という人たち

 毎日ロシアのウクライナ侵略に関するニュースが飛び交っている。そのなかで、かつてないほどプロパガンダという言葉が使われている。

「情報が錯綜していて、どれが事実でどれがプロパガンダなのかわからない」「ウクライナ側だってプロパガンダをやっているのだからむやみに信じてはいけない」などというコメントがネット記事やSNSに見られる。

 だが、どうもプロパガンダというものがよく分かっていないのではないか、少なくとも、きちんと整理できていないのではないかと思われる。そこで、プロパガンダ・リテラシーの一環として、プロパガンダとは何か、どのような種類があるか、どのように機能するのかを述べてみたい。

 まず、プロパガンダの定義であるが、多くの定義を集約すると「意図をもって、特定の見方や考え方に誘導する宣伝のこと」に落ち着く。重要なのは、プロパガンダとは必ずしも嘘ではないということだ。ある事実を繰り返し強調して、ある見方や考え方に誘導するのもプロパガンダだ。だから、「ウクライナ側だってやっている」は正しい。

 ただし、ウクライナがプロパガンダにより目指しているのは、ロシアの侵略の不当性、ウクライナ側が防衛することの正当性、ロシア軍の虐殺の非人道性を訴えることなので、あまりプロパガンダだとは感じない。プロパガンダが導こうとしている見方と客観的事実の間にギャップがないからだ。

 これに対し、ロシア側のプロパガンダの目的は、戦争目的の正当性とウクライナ側のロシア系住民に対するジェノサイドの不当性を訴えること、ロシア軍のウクライナ住民に対する虐殺や暴行を否定することなどだ。これらはいずれも客観的事実に反している。ロシア側は侵攻前から今日に至るまでウクライナについてさまざまな主張をしているが、そのほとんどが嘘であることが西側のメディアや政府によって示されてきた。

 ロシア側のプロパガンダの送り手は、受け手を事実と反する見方や考え方へと誘導しようとしている。端的にいえば、嘘をついて騙そうとしている。私たちは、こういうものをプロパガンダだと強く感じる。

『日本人はなぜ自虐的になったのか』
有馬 哲夫 著

ネット書店で購入する

イーロン・マスクの貢献

 ここで問題なのは、私たちは、どうやって事実を知るのかということだ。私たちは実際の戦場にいくことができない。だから、誰かが、メディアを通じて送ってくる情報によってしか、事実を知ることができない。知ることができなければ無いのと同じだ。

 ここで情報戦が重要になってくる。つまり、自陣営にとって都合のいい情報をどれだけ多く国際社会に流通させることができるかだ。それに成功すれば、送り手は受け手に自分にとって都合のいい情報で「事実」を認定させることができる。送り手に都合が悪い事実がいくらあっても、それが受け手に伝わらなければ、なかったことになる。

 ウクライナ側が西側において情報戦で優位に立っているのは、情報発信においてロシアに優(まさ)っているからだ。ウクライナ政府の公式発表、ゼレンスキー大統領自身によるヴィデオメッセージ、ウクライナ国営テレビの報道に加えて、ウクライナの住民たちのスマホなどによる情報発信、そして、なんといっても圧倒的な量の西側メディアの特派員の報道。西側の人間はそれらから事実を認定する。

 これに対し、ロシア側は、西側においては、ロシア政府の声明や国営テレビ局の映像くらいしか情報発信できていない。だから、不利な事実が次々と認定されている。

 といっても、ロシア国内やその友好国に関しては、ウクライナ側と西側の情報がシャットアウトされていて、ロシア側の情報しか届いていない。だから、ロシア側の望んだ通りの事実認定がされている。

 かつて、クリミア半島やウクライナ東部を侵略したときは、通信インフラと放送を乗っ取って、ロシア側の情報だけが流れるようにして成果を上げた。

 しかし今回は、テスラ社長のイーロン・マスクがスターリンクの回線をウクライナ側に提供したため、ロシア軍はこういったことが出来ていない。だから、ロシア側は情報戦においても守勢に回っている。』

『黒いプロパガンダと白いプロパガンダ

 これを補うようにロシア側がしきりに行っているのがブラック・プロパガンダだ。これは、情報源を隠して行うプロパガンダをいう。情報源を明らかにして行うものはホワイト・プロパガンダという。『第一次世界大戦におけるプロパガンダ・テクニック』を書いたアメリカの政治学者ハロルド・ラスウェルが提唱した区別だ。

 政府声明は、出処が明確なので、ホワイト・プロパガンダにあたる。ホワイト・プロパガンダにおいて、虚偽は禁物だ。なぜなら、それによって出処が信用を失うからだ。信用されない政府声明は無視されるだけでなく、政府そのものの信用を失墜させる。

 ロシア側はホワイト・プロパガンダでも嘘をついているが、それは国民に嘘をついているからだ。政府声明なので、国民の知る所となるが、対外的に本当のことをいえば、国内向けにいっていることが嘘だとわかってしまう。ここは国際社会からいかに非難を浴びようとも、国民にいっていることと同じこと、すなわち嘘をいわざるをえない。

 セルゲイ・ラブロフ外相やワシリー・ネベンジャ国連大使が明らかに嘘だとわかることを対外的声明や国連でのスピーチで堂々といってのけるのはこのためだ。ロシア側はホワイト・プロパガンダでは窮地に追い込まれている。

 そこで、ロシア側はブラック・プロパガンダで戦果をあげようとする。これは、ロシアが出処だと分からなくして、ロシアに有利な見方や考え方に誘導しようとするプロパガンダだ。方法としては、西側の有力メディアを買収して行うもの、西側の著名人や政治家に自分の意見だとして言わせるものがある。

 かつてGHQが日本のすべての新聞に「太平洋戦争史」という、日本人に先の大戦に関して自虐的歴史観を植え付けようとするプロパガンダ記事を掲載させたが、これはGHQが情報の出処だということを明らかにしたホワイト・プロパガンダだった。

 これでは不十分だったのか、GHQはほぼ同じ内容を「真相はかうだ」というタイトルで、自分達が制作したことは隠して日本放送協会に放送させた。これが功を奏したとみえて日本人はいまだに自虐的歴史観から抜け出せずにいる(詳しくは拙著『日本人はなぜ自虐的になったのか 占領とWGIP』新潮新書)。

 このように、出処が分かれば受け手は嘘だと見抜きやすい。ところが、それをわからなくすれば、プロパガンダなのかメディアの解説なのか、著名人や政治家の意見なのか分からなくなる。もともと影響力があるメディアや人物だけに、引っかかる人が多くでてくる。ブラック・プロパガンダを流す側の狙いはこれである。

テレビ局の買収方法

 具体的な手法はさまざまだ。

 ロシアの有力者のコンスタンチン・マロフェーエフ氏は2013年、アメリカのフォックス・ニュースの元ディレクターと契約し、ギリシャやブルガリアでテレビ局買収を計画したといわれている。GHQが占領中日本放送協会を使ったことを思い起こさせる。

 現在では、どの国も、外国勢力が出資することによってその国のテレビ局をコントロールすることができないよう法律で外資の比率を制限しているが、それにも抜け道がある。日本でさえ、スター・チャンネルやフジ・テレビの外資比率が法定値より上回っていたことが発覚してスキャンダルになっている。

 テレビ局を買収するまでもなく、大金を出して番組枠そのものを買う事だってできる。新聞やネット・ニュースのスペースならはるかに安くつく。

 そうして「買い取った」紙面やコラムや番組枠で、これもまた買収した著名人や政治家にロシアにとって都合のいいことをいわせれば、プロパガンダとして大きな効果を上げることができる。日本では、外国勢力に協力する著名人や政治家がこのような形でプロパガンダをすること、それを放送することは、マスコミ倫理に反しているとはいえるが、取り締まる法律がないので違法ではない。

 ましてやツイッターやブログは個人の裁量が極めて大きい。こうした場でロシアの主張に近いことを発信している人は、意識的か無意識かは別として、ロシアのブラック・プロパガンダを流すのに貢献している。』

『レフチェンコ事件の教訓は

 かつて、このようなブラック・プロパガンダ工作が露見したことがあった。

日本に駐在していたKGB将校スタニスラフ・レフチェンコが1979年にアメリカに亡命したあと、日本でなにをしていたかアメリカの下院情報特別委員会で証言し始めた。

それによれば、彼は200人以上もの、マスコミ関係者や政治家を操って、情報収集と親ソプロパガンダ工作を行わせていた。それらの中には朝日新聞、テレビ朝日、共同通信、産経新聞の幹部、社会党、自民党の有力議員がいた。その人数の多さと、豪華な顔ぶれは驚くほどだ。

 この事件は大変なスキャンダルになり、マスコミを賑わせたが、だれも罪に問われず、うやむやになってしまった。前にも述べたように、このような行為を取り締まる法律がなかったからだ。そして、大きな騒ぎになったのに、このあとも立法化の動きは起こらなかった。

 現在、日本のメディアでせめぎ合っているのは、ウクライナ側のホワイト・プロパガンダとロシア側のブラック・プロパガンダだといえる。このような視点で毎日の報道を見ると、いままで見えてなかったものが見えてくるのではないか。

 冒頭で紹介した「情報が錯綜していて、どれが事実でどれがプロパガンダなのかわからない」とか「ウクライナ側だってプロパガンダをやっているのだからむやみに信じてはいけない」といっている人は、本人も知らないうちにロシア側のブラック・プロパガンダに引っかかっているのかもしれない。

 テレビに出ているコメンテーターなどの中にも、不思議なほどロシア側の主張に近いことを繰り返している人がいるようだ。そうした人は何らかの事情があり、積極的にブラック・プロパガンダに協力しているのかもしれない。

有馬哲夫(ありまてつお)
1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学社会科学総合学術院教授(公文書研究)。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書に『原発・正力・CIA』『日本人はなぜ自虐的になったのか』など。』

ナッシュ均衡

ナッシュ均衡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%9D%87%E8%A1%A1

『ナッシュ均衡(ナッシュきんこう、英: Nash equilibrium)は、ゲーム理論における非協力ゲーム一種であり、いくつかの解の概念の中で最も基本的な概念である。数学者のジョン・フォーブス・ナッシュにちなんで名付けられた。

ナッシュ均衡は、他のプレーヤーの戦略を所与とした場合、どのプレーヤーも自分の戦略変更することによってより高い利得を得ることができない戦略の組み合わせである。ナッシュ均衡の下では、どのプレーヤーも戦略を変更する誘因持たない

ナッシュ均衡は必ずしもパレート効率的ではない。その代表例が囚人のジレンマである。 』

『定義

『純粋戦略ゲームにおけるナッシュ均衡

支配戦略均衡

「囚人のジレンマ」も参照

純粋戦略ゲーム (Pure strategy game) とは、参加者 (プレーヤー) が必ずどれかの戦略を選ぶゲームである。

例えば、以下の表は、二人のプレーヤー Pa と Pb がそれぞれ戦略(A1 または A2)と(B1 または B2)を選べるときの、それぞれの利得を示す。並んだ数字の左側は Pa の利得、右側は Pb の利得である。

Pa/Pb B1 B2
A1 5, 2 2, 4
A2 4, 6 1, 6

まず Pa の利得に注目すると、Pb がどちらの戦略を選ぼうが、Pa は A1 戦略を選んだ方がより大きな利得を得ることができる。このような関係が成り立つとき、A1 は強支配戦略であると表現する。支配するとは、ある戦略を選ぶことが他方の戦略を選ぶより有利であるという意味である。

次に Pb の利得に注目すると、Pa がどちらに戦略を選んでも、B2 戦略を選んだ方が B1 戦略のとき以上の利得を得られる。Pa が A2 戦略を選んだ場合には B1 と B2 は同等になるので、このような関係のとき B2 は弱支配戦略であるという。

結果として、Pa にとっての最適戦略は A1、Pb にとっての最適戦略は B2 となり、両者ともここから戦略を変更しても利得は減る。この組み合わせ (A1, B2) が支配戦略均衡となる。

Pa、Pb が (A1, B2) という戦略をとった場合、Paは戦略を変更して A2 をとれば利得が 2 から 1 へ減少してしまうため、戦略を変更する誘因持たない。同様に Pb も、戦略を変更して B1 をとれば利得が 4 から 2 へ減少してしまうため、戦略を変更する誘因持たない。従ってこの例では支配戦略均衡はナッシュ均衡である。

なお、Pa、Pb が (A2, B1) という戦略をとった場合の利得は (4, 6) となり、ナッシュ均衡における利得と比べて Pa、Pb ともにより大きな利得を得ることができる。この場合、Pa がより大きな 5 の利得を得るため A1 に戦略を変更する誘因を持つため、ナッシュ均衡ではない。すなわち、このゲームは囚人のジレンマゲームである。また、(A1, B2) から (A2, B1) への戦略変更は、パレート改善であり、ナッシュ均衡 (A1, B2) はパレート効率的ではない。

逐次消去による均衡

相手の戦略によってどの戦略が最も大きな利得を出すかが変化する場合、他の戦略すべてを支配できる戦略が存在しない場合がある。

そのような場合、他から支配されている戦略(被支配戦略)を消去していくことで残った戦略の組み合わせを支配戦略均衡と定義できる。支配戦略によってナッシュ均衡が定義できる場合、それは消去によって定義されたものと一致する。

Pa/Pb B1 B2 B3
A1 5, 2 2, 4 4, 0
A2 4, 6 3, 6 2, 5
A3 3, 3 1, 2 7, 2

B3 は B2 に支配されているため、B3 を消去。

Pa/Pb B1 B2
A1 5, 2 2, 4
A2 4, 6 3, 6
A3 3, 3 1, 2

A3 は A2 に支配されているため A3 を消去。

Pa/Pb B1 B2
A1 5, 2 2, 4
A2 4, 6 3, 6

B1 は B2 に支配されているため B1 を消去。
Pa/Pb B2
A1 2, 4
A2 3, 6

支配戦略均衡は (A2, B2)。

純粋戦略ナッシュ均衡

他のプレイヤーの戦略によらず最大利得をもたらす戦略の組合せも被支配戦略の逐次消去によって求まる戦略の組合せも支配戦略均衡であるが、ゲームの設定によっては上述した2つの方法では均衡を求めることができない。

ナッシュ均衡の定義によれば他のプレイヤーの戦略を最適反応であると仮定したうえで自身の最適反応を求めればよいので、支配戦略均衡が存在しない純粋戦略ゲームにおいてもナッシュ均衡を見つけることができる。

たとえば上の3×3の標準形ゲームの (A1, B3) の利得を (4, 0) から (4, 5) に変えればどの戦略も逐次消去されず、支配戦略均衡が求まらないが、

Pa/Pb B1 B2 B3
A1 5, 2 2, 4 4, 5
A2 4, 6 3, 6 2, 5
A3 3, 3 1, 2 7, 2

相手の戦略を所与としたときに最大利得をもたらす戦略(最適反応)を組み合わせていくと、唯一 (A2, B2) が最適反応の組合せになっていることがわかる。従ってこのゲームには純粋戦略ナッシュ均衡が一組存在する。

混合戦略ゲームにおけるナッシュ均衡

混合戦略ゲームとは、参加者が行動確率的に選ぶような戦略をとることでナッシュ均衡に到達する非協力ゲームのことである。

このようなゲームでは純粋戦略ナッシュ均衡が必ずしも存在せず、ナッシュ均衡は各参加者の行動確率として表される。

有限の(=プレーヤーの数と各プレーヤーの戦略の数が有限の)混合戦略ゲームでは少なくとも1つのナッシュ均衡が存在することはナッシュの定理で証明されている(ナッシュは、この証明を角谷の不動点定理を応用することによって得た)。

以下では具体例を用いて混合戦略ナッシュ均衡を求めてみる。2人のプレイヤー Pa と Pb はそれぞれ2つの戦略から1つを選択するが、相手がどの戦略を選択するかはわからないため、各プレイヤーが確率的に相手の行動を予測する。

すなわち Pa は相手 (Pb) が確率 q で B1 を選択し、Pb は相手 (Pa) が確率 p で A1 を選択すると予想しているとする。

Pa/Pb B1
確率 q B2
確率 (1 ? q)
A1
確率 p 1, 2 0, 0
A2
確率 (1 ? p) 0, 0 2, 1

この表のゲームにおいて Pa の得る利得の期待値は:

A1を選択:1 × q + 0 × (1 ? q)
A2を選択:0 × q + 2 × (1 ? q)

一方、 Pb の得る利得の期待値は:

B1を選択:2 × p + 0 × (1 ? p)
B2を選択:0 × p + 1 × (1 ? p)

ここで最適反応をとるとは相手の行動確率に関して期待利得がより大きな戦略を選ぶことであるから、以下のように各プレイヤーの行動をまとめることができる。

Pa/Pb p > 1/3 p < 1/3 q > 2/3 p=1, q=1 p=1, q=0
q < 2/3 p=0, q=1 p=0, q=0

なお、p=1/3, q=2/3 のときはそれぞれ期待利得が相手の行動に関して無差別なので、平面上に各軸を行動確率(pとq)として各プレイヤーの最適反応をグラフで表わすことができる(これを均衡経路という)。

混合戦略ナッシュ均衡とはこの図における均衡経路の交点であり、従って混合戦略ナッシュ均衡において Pa は (1/3, 2/3) を選択し、Pb は (2/3, 1/3) を選択する。

ここで分析したゲームは一般的に両性の争い(英語版)と呼ばれるものである。』

政策不確実性指数の最近の動向

政策不確実性指数の最近の動向
https://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/19022801.html

 ※ オレの言ってる、「パラメータ」の「神髄」がここにある…。

 ※ 頭のいいヤツは、大したものだな…。

『政策不確実性指数のとらえ方

この政策不確実性指数を開発したのは、ノースウェスタン大学のBaker、スタンフォード大学のBloomそしてシカゴ大学のDavisの3人の経済学者です。

彼らは政策の不確実性を定量化するため新聞報道の頻度に注目しました。政策をめぐる不確実性が蔓延しているときには、恐らくそのことについて報じられることが多いはずだと考え、政策の不確実性に言及する記事をカウントし、その件数の大小から政策の不確実性の度合いを捉える方法を考案しました。

彼らがどのようなことについて書かれた記事を集めたかというと、大きく分けて4つあります。

1つ目に、が政策を決めるかという不確実性です。

2つ目に、どういう内容の政策がいつ取られるのかという不確実性です。

3つ目に、政策効果に関する不確実性です。例えば、為替介入の効果があるのかないのか、あるいは中央銀行が新たに導入した政策の効果は大きいか小さいかという不透明性です。

4つ目に、政策が取られなかったことで生じる経済の先行き不透明性です。

ここで着目する政策は、経済政策だけに限りません。安全保障政策が経済の先行きを不透明にする場合もあります。

このため、彼らは安全保障政策も政策分野の1つとして含めています。例えば、2002年に米国がイラク攻撃をする可能性が高まった中で、連邦準備制度理事会(FRB)のグリーンスパン議長は「米国の安全保障政策によって経済の先行きに不確実性が増している」と警告しました。これは安全保障政策における2つ目と3つ目のことを端的に表す一例です。

政策不確実性指数の作り方

米国の指数を作るために、彼らは主要10紙に掲載された記事の中から、3つのカテゴリーの用語を少なくとも1つずつ含む記事を収集しました。

1つ目は「経済」に関するカテゴリーの用語(economiceconomy)、2つ目は「不確実性」に関するカテゴリーの用語(uncertainuncertainty)、3つ目は「政策」に関するカテゴリーの用語(regulationlegislationcongresswhite housedeficit、federal reserve)です。そして収集された記事の件数を基に指数を算出しました。

ここで重要なのは、「政策」に関するカテゴリーの用語です。これら6語は彼らが思いつきで選んだ用語ではありません。彼らやリサーチアシスタントの学生が実際に多くの新聞記事を読んで得られた結果を基に選び出された用語セットです。

彼らがどのようにしてこれらの用語を採用したかというと、まず「経済」と「不透明」のカテゴリーの用語を含む記事の中からランダムに約3700記事を抽出します。

そしてその記事1つ1つを読み、その記事が先ほど挙げた4つの不確実性について書いているかどうか判定します。もし、そのことについて書いていれば、そこで使われている政策に関係する用語を漏れなく記録します。

この作業を全ての記事について行うことにより、政策の不確実性について書かれた記事ではどういう用語がよく使われているかが分かります。

彼らは出現頻度が高い15個の用語を特定しました。その15語を「政策」のカテゴリーの用語候補として採用し、それらを使って約32000通り用語セットを作りました。

そして、それぞれの用語セットについて人間が記事を読んで判定した結果とコンピュータによる記事の分類結果を照合したところ、両者がもっとも似通うのが先ほどの6語からなる用語セットでした。このことから用語数が多ければ多いほど良いというわけではないことが分かります。

先ほど示した用語セットを基に作った指数と人間が記事を読んで判定した結果を基に作った指数は合致しません。

例えば、1987年のブラックマンデーのときは、人間による判定結果を基にした指数の方が低いです。

一方、2010年代前半の「財政の崖」の時は、逆に人間による判定結果を基にした指数の方が高いです。

しかし、全体的に見ると、両者は期間を通じておおむね似た動きをしています。このため、1980年代から現在までずっと同じ用語セットを使っています。

個別政策の指数の作り方

彼らは、通商政策、財政政策、金融政策など特定の分野に焦点を当てた指数も作っています。

具体的には、先ほどの3つのカテゴリーの用語に加え、関心のある政策分野に関係する用語を検索条件に追加して記事検索を行い、そうして得られた記事を基に指数を作ります。
例えば、通商政策不確実性指数を作る場合、「経済(Economy)」「政策(Policy)」「不確実性(Uncertainty)」のカテゴリーの用語に加えて、通商政策に関する用語を検索条件に追加で入力し記事検索を行います。

全体の指数を作るときとの違いは、記事を収集する新聞の数です。全体の指数では主要10紙に掲載された記事が利用されていますが、個別の政策の指数では地方紙を含む2000以上の新聞に掲載された記事が利用されています。

これまで述べてきた手法を用いて、彼らは米国以外の国の指数も作っています。しかし、そのときに起こる問題の1つは、「政策」に関するカテゴリーの用語をどう選び出すかです。

日本の政策不確実性指数の作り方

日本では主要4紙(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞)に掲載された記事を基に指数を作っています。

どういう用語を使っているかというと、Economyのカテゴリーは「経済」「景気」の2つ、Uncertaintyのカテゴリーは「不透明」「不確実」「不確定」「不安」の4つです。

そして、Policyのカテゴリーは「税制」「課税」「歳出」「財政」など32個の用語です。
ここで、Policyのカテゴリーの用語は米国のように実際に新聞を読んで選び出したものではありません。

米国のPolicyのカテゴリーの用語を決めるときに候補に挙がった15個の用語に対応する日本語を採用しています。

本来は米国と同様の方法で用語セットを作るべきですが、現在は対応できていません。しかし、私たちはこれから約2000記事を1つ1つ丁寧に読み、用語セットの改良を行おうと計画しています。

EconomyとUncertaintyのカテゴリーの用語については、新聞社が提供している英語版の記事を利用して、日本語版の記事と照合することにより利用頻度が高い用語を選び出しています。

私たちも、個別の政策の不確実性に関心があったので、財政政策金融政策通商政策、そして為替政策の不確実性指数を作りました。作成方法は米国と全く同じです。

すなわち、Economy、Policy、Uncertaintyのそれぞれのカテゴリーの用語に加えて、個別の政策に関係する用語を検索条件に入力して記事検索を行います。

例えば、通商政策不確実性指数を作るために、私たちは「貿易摩擦」「通商摩擦」「通商問題」「非関税障壁」などの用語を採用しました。

これらの用語は、1987年以降の「経済白書」や「経済財政白書」を注意深く読み、通商政策について書かれているところでよく出てくる用語から選び出したものです。全体の指数を作るときと同様に朝日、日経、毎日、読売の4紙から記事を収集しています。

(※ 以下、省略)』

〔年下の「師匠」から、「伝達」されたこと…。〕

 オレには、9才年下の「師匠」がいる…。

 と言っても、こっちが勝手に「師匠」だと思っているだけの話しだ…。

 某大学で、工学関係の准教授をしている…。

 「サイエンス」関連の分野での、「師匠」だと勝手に思っている…。

 濃密に「交流」したのは、もう40年近くも前の話しだな…(彼もまだ、”講師”だった)。期間も、たかが一年、二年くらいのものだ…。

 その「師匠」から、「伝達」されたことを書いておく…。

 「伝達」と言っても、別に「指導」を受けたり、「師事して」伝授されたというわけではない…。

 オレが、その人の「言」を、自分の中に「取り込んで」、発酵・育成した感じのものだ…。

 1、「コンピュータって、結局は、”計算機”ですよ…。」

 この「言」が、その後のオレの「コンピューティング」人生を、方向づけた…。

 未だ、NECのPC-98で、DOSの時代だった…。まさか、その後自分が、パーツ買って組み立てたり、「コンピュータ・アーキテクチャ」に興味と関心を持って、「CPUのアーキテクチャ」関連の記事を読み漁ったりすることになるとは、思ってもいなかったよ…。

 「師匠」、恐るべしだ…。

 2、「原子とか、分子とか、「粒子」と捉えられがちですが、実は、”エネルギー”が”塊りになったもの”…、という側面もあるんですよね…。」

 これも、「言われた時」は、意味がよく分からなかった…。

 アインシュタインの「E=mc2」を踏まえての「言」、だったんだろう…。

 その後、「相対性理論」とか、「量子力学」関連の文献を読んだり、「量子コンピュータ」関連の文献読んだり、「量子暗号通信」関連の文献読んだりして、そっちの分野関係の「知識」が深まると、だんだん意味が分かってきた…。

 3、「パラメータ」という概念…。
 
 これも、別にその「意味」の「解説」を受けたというわけのものでは無い…。

 何かの話しの途中で、「その場合、”パラメータ”は、○○ということが考えられますね。」といった感じで、出てきた「言」だ…。

 どうも、ある「サイエンス現象」の「関数化、数式化」を考える場合に、「直」では「立式・数式化」が難しい時に、「間接的に」別の「変数・関数」を立てて、それで「代替させて」行く…、という風に使うもののようだ…。「媒介変数」とかいう「訳語」を、当てている…。

 それを、オレは、勝手に「拡張」させて、「ある現象」を捉えようとする場合に、「直」では難しいんで、その現象に「影響を与えて」いる「背後の事象・現象」を抽出して考える…、というような感じの「イメージのもの」という風に、「解釈し直して」使っている…。

 別に、「師匠」の発明品ではないが、非常に有用で、役に立つんで、「それで、いいんだ。」…。

 最後の「言」は、「現在進行形」だ…。今般のウクライナ事態でも、「なぜ、踏み切ったのか。」「プーチンの頭の中は、どういうものなのか。」を、考察・分析しようとする時、「何を、パラメータに使えばいいのか?」「この現象・事象を捉えるためには、何が最も有用なのか?」という「斬り口」、「方針」の「方向づけ」を与えてくれる…。

 こういう風に、「師匠」の「言」は、言われた「その時」は、こっちの理解不足もあって、すぐには「ピンとこない」ものが多い…。

 しかし、長い年月の後、周辺の知識の習得や、理解が進むことによって、「ジワジワと、効いてくる」ものなんだ…。

 「師匠」、恐るべし…。

 こないだ、久々で、メールをやり取りする機会があった…。それで、「あんたに言われた、○○という”言”、未だに忘れていないよ。」と送信すると、「そんなこと、言ったことありましたっけ?」と言っていたがな…。

 まあ、そういうモンだ…。

「生命科学的思考で不安と向き合う」

 ※ NHKの「視点・論点」、けっこう参考になるものもあるんで、「録画」したものを時々視てる…。

 ※ 「生命科学的思考で不安と向き合う」という回も、そういう感じで視たものの一つだ…(今日、視た)。

 ※ 放送日は、去年の6月17日、午前4:40からの放送だったようだ…。

 ※ そんな朝早く、視る人いるのか、という感じなんだが、まあ、「録画」して視てる人が殆どなんだろう…。

 ※ リチャード・ドーキンスって人の、「利己的な遺伝子」という著作で語られている、「生物は、自己の生存と種の保存のために、形作られている。」という生物観・人間観に立脚している…。

 ※ 放送中に使用している「画像」(マトリックス)が参考になったんで、NHKプラスに上がってないか探した…。

 ※ しかし、探せなかった…。

 ※ どうも、最近放送した5回くらいまでしか、出てこなかった…。

 ※ 仕方ないんで、スマホで撮影したテレビ画面を、パソコンに取り込んで、キャプチャした…。

 ※ 盛大に「モアレ」が出てるのは、そういうわけ…。

※ 上記の説に従えば、ヒトは、「生存を脅かすことに直面すると、”不安”に駆られるように、形作られている(そういう、”仕組み”が、生物としてビルトインされている)…。

 だから、「不安」になることは、決してマイナスの側面ばかりでは無い…。「生存が危険にさらされていること」を、警告してくれている「ありがたいもの」という側面もある…。

※ しかし、それに「飲み込まれてしまって」、「何も手につかなくなったり」「平常心を失ったり」しては、マズい…。

※ そうならないためには、そういう「警告回路」がビルトインされていることを、しっかり認識して、客観的に対処する必要がある…。それを、「辛事は、理をもって処す」と表現している…。

※ しかし、あらゆる事がらに対して、「理をもって処す」のは、また行き過ぎだ…。

※ 逆に、「幸事(うれしいこと、喜ばしいこと)は、情をもって処して」、心の底から喜んで、時には「感情」を解放してやる必要もある…。

※ まあ、そういう生物観・人間観に立つわけだ…。

※ 他方で、ドーキンスは、同一書の中で、上記のようにも言っている…。

※ 「完全な自由意志」が存在するのかについては、一大哲学論争があり、それこそ「不可知論」に属するようなテーマでもある…。

※ しかし、人間社会の「制度」は、ある程度の「自由意志」を肯定するものとして定められている…。ドーキンスも、そういう立場に立つものなんだろう…。

※ 秩序ある安定した世界においては、「自分が希望する世界」とのズレは、あまり生じないから、「なぜ?」とか、「どうして、そうなのか?」という「主観的命題」は、認識されにくい…。

※ しかし、その安定・秩序が崩れて、カオスな世界に放り込まれると、「自分が希望する世界」とのズレが発生し、「なぜ違うのか?」「どうして違うのか?」という疑問が発生しやすくなり、「主観的命題」も認識されやすくなってくる…。

※ だから、「カオスな世界」に放り込まれることも、「悪い側面」ばかりでは無い…。そういう、「気づきの構造」をも備えたものであることを、しっかり認識して、「事に当たれば」いいだけの話しだ…。

※ ヒトの認識における視野を、2軸で斬ると、こういうマトリックスとなる…。

※ すなわち、「空間的視野」と「時間的視野」だ…。

※ 空間的視野は、文字通り、生物が生存していく世界で、「目に見えているもの」の世界だ…。

※ しかし、ヒトにはそういう視野だけが見えているのでは無い…。

※ 「言語」を操り、「文字」を発明したから、「過去からの知識の集積」をも、利用することが可能となった…。

※ すなわち、「時間的視野」をも、手に入れた…。

※ そういうヒトの「視野」は、万人に共通ではあるが、そこには当然「差異」というものもある…。

※ 例えば、「ヒトの赤ちゃん」を考えてみよう…。

※ まだまだ、「育っていない」し、「社会的な教育・訓練」も不十分だから、その「空間的な視野」も「時間的な視野」も、ごく狭いものに限られる…。

※ しかし、それも、決して「悪いこと」では無い…。

※ 「生存し」「生き残っていく」ためには、視野を限定して、余計なことを考えず、ただただ「生き残っていく」ことに、特化することは、「生存戦略」としては、正しいこととなる…。

※ ただ、そういう「視野」の広狭は、その構造を充分認識しておく必要がある…。

※ 自分の今現在の「視野」が、どういうものなのか…。今認識している「範囲」は、「目的」にとって、最もふさわしいものなのかどうか、絶えず意識しておく必要がある…。

※ 「目的」に合わせて、自在に「視野」の範囲を、広くしたり、時には「狭く」したり、自在に操る必要がある…。

※ この人、著作物も出しているようなんで、紹介しておく…。

★《続・読書余論》戦前版の『偕行社記事』集積・他

★《続・読書余論》戦前版の『偕行社記事』集積・他
https://note.com/187326mg/n/n4d9ad2f32515

 ※ 『お詫びがあります。

 わたしが若いときにシャーペンで書き抜いた防研史料のメモの総ボリュームが意外にありまして、またしても字数がオーバーフローしてしまいました。

 というわけで、次回、『水交社記事』の摘録を集積するときに、ここに載せ切れなかった防研史料の残余メモを附録することに致します。

 ひとつ、ご諒承ください。』

 ※ 氏は、「note」という媒体で、配信サービス(※ 有料)も行っている…。

 ※ そっちの媒体は、「字数制限」があるのだろう…。

 ※ 『わたしが若いときにシャーペンで書き抜いた防研史料のメモの総ボリュームが意外にありまして、またしても字数がオーバーフローしてしまいました。』…。

 ※ 自分の頭で考えるということは、そういうことだ…。デジタルとか、DXとか、全く関係ない…。

 ※ ちょっとスゲー話しだと思うんで、紹介しておく…。

『相手の領域に足を踏み入れてこそ、自分の影響力を発揮できる』とする考え

『相手の領域に足を踏み入れてこそ、自分の影響力を発揮できる』とする考え
https://sincereleeblog.com/2022/01/19/haittekunna/

『拙著、特に日韓比較論において、『日本人は線を守る、韓国人は線を破る』という話を書いてきました。

デジタルタイムズというネットメディアによる新刊書籍紹介を偶然読みましたが、韓国で「線を超える韓国人、線を引く日本人」という題の本が出版されると聞いて、びっくりしました。著者さんについてはよく分かりませんが、同じことを考えていて、しかも表現がここまで同じだなんて、面白いものです。でも、よく読んでみたら、決定的に違う部分があったので、その部分を本題にしたいと思います。

本を読んだわけでもないし読む予定もないので、本エントリーはあくまで記事で紹介されている部分だけを範囲にしたいと思います。いわば、ソースはデジタルタイムズであり、『線を超える韓国人、線を引く日本人』という本ではありません。読んでない本にああだこうだ言うつもりはありません。以下、引用します。<<~>>が引用部分となります。

<<韓国人は他人に自分の影響力を投射しようとする存在で、日本人は他人の影響力を受け入れようとする存在だと見る傾向がある。韓国の公演場は大騒ぎになるが、日本はせいぜい拍手を打つ程度だ。韓国にはいろいろな種類のヨク(※相手に攻撃性を持つ低俗な言葉)があるが、日本には特にヨクと言えるものがない。韓国人たちは大勢が集まるMMORPGを楽しむが、日本人は一人でコンソールゲームに熱中する。韓国には「プロ・不便ラー(※何でも不便だと文句を言う人)」が多いのに、なぜ日本人は空き家に戻ってきても挨拶をするのだろうか。

日本人は異世界を背景にしたアニメの中で葛藤を免れ、幻想の世界に逃避するが、韓国人は「イカゲーム」「ミナリ」で見られるように、痛みを伴う現実を直視して「関係」から脱出口を探そうとする。「ひきこもり」が日本人口の1%に達するという。彼らは社会活動を拒否し、親の助けを借りて生きていく。他人に被害を与えるかもしれないという恐怖に包まれ、他人の接触を避ける極度の「注意深さ」のためだ。

著者は、このような日韓の違いは「関係」に対する態度に由来すると説明する。韓国人は自分と他人の立場を自由に行き来できると思うが、日本人は自分を他人と明確に区​​別される存在とみなし、互いに被害を及ぼさないようにする。つまり韓国人は関係で線を超え、日本人は線を引くという説明だ・・>>

まず、アニメとゲームの部分ですが、『日本でもMMORPGやる人はやるし、韓国でもコンソールゲームやる人はやります』と言ってしまえばそれで終わりです。日本には、前から蓄積されてきたコンソールゲーム文化があり、韓国にはありませんでした。イカゲームなども、『似たような設定の作品』なら日本のほうが先です。こういう論拠は、あまり意味は無いでしょう。

繰り返しになりますが記事に書いてある部分だけだと、『韓国人は自分と他人の立場を自由に行き来できると思うが、日本人は自分を他人と明確に区​​別される存在とみなし、互いに被害を及ぼさないようにする』は、間違っていません。韓国人の場合、その『行き来』を邪魔されると、『私たちの関係はこの程度だったのか』と怒ります。借りたものを返さない心理とも、関係があります。『相手の領域にまで行き来できる』を紐帯関係、いわば『情(ジョン)』だと思いこんでいる人たちが多いですから。

私は、いままで拙著にこう書いてきました。韓国人は線を『破る』、日本人は線を『守る』、と。破った結果はどうなるのか。個人レベルだと優越感が味わえるかもしれませんが、社会全体で見るとストレスだけです。私はそれを『疲れる』と表現してきました。守った結果どうなるのか。私はそれを『楽』だと表現してきました。

なにせ、単に「超える」だけならともかく、結果は『相手をコントロールすること(ある種の上下関係を作る)』になります。引用部分にも影響力がどうとかの話がありますが、『他人の領域に入ってこそ、自分の影響力が大きくなる』と思っている人が多すぎで。

韓国にいたとき、生まれて、育ちながら、私は『韓国人』という定義を無数に強要されてきました。日本に来て、まだ5年ですが、私が感じた『これだけは守って欲しい』たる雰囲気(これはこれで書き方が変ですが、なんとなく感じられるオーラというかなんというか)は、『周りに迷惑をかけるな』だけでした。もちろん、ちゃんとした合法的手続きも含めて。そういうのも自分の守るべき線ですから。政治への直接的な関与(投票)以外では、日本の皆さんと同じ権利を享受できましたが、本当に『迷惑をかけるな』、いわば『線を守れ』だけです。

『超える(肯定的なイメージがある)』と見るか、『破る(否定的なイメージがある)』と見るか。『守る(肯定的)』と見るか、『引く(どことなく否定的なニュアンス)』と見るか。私は何の迷いもなく、『破る』と『守る』の差ですよ、と答えます。そう書いてきたし、これからも書いていきます。最後に余談ですが、韓国のニートに関するエントリーを書いたばなりなので、引きこもっている人に関する部分も、あまりピンときませんでした。』