トレードの世界に対峙すると、謙虚になる理由

トレードの世界に対峙すると、謙虚になる理由
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/27951013.html

 ※ 今日は、こんなところで…。

『 世の中、投資ブームです。昔ながらの価値観で働いても、年功序列で給料が上がっていた時代は過去のものになり、勤めている会社も、いつ無くなるか判りません。今回の武漢肺炎のように、社会の環境変化というのは、予測できないものです。ある時代の人気企業でも、それが何十年も続く保証は、どこにもありません。

こういう時代に生きる為には、人生を会社に預けるような生き方ではなく、より能動的に生きる必要があります。資格の取得、副業など、メインスリームである会社勤めが駄目になっても、いくつかの収入の道を確保しておいて、それで食いつなぐ準備が必要です。何事も準備と覚悟のある無しで、生き方というのは、随分と難易度が変わります。

その中でもFXなどのトレードで稼ぐというのは、リスク・リワードがある、難易度の高い道です。世の中には、「何かコツみたいなものさえ掴めば、トレードで簡単に稼げる」と吹聴するブログやYoutuberで溢れていますが、アフィリエイトや情報商材で儲けたい人が誘導しているだけで、個人でトレードで勝ち続けるのは、決して簡単ではありません。ただし、不可能と言うつもりはありません。

このブログの著者のプロフィールで、自分について紹介させてもらっていますが、私も実際に数年ですが専業トレーダーで食い扶持を稼いでいた次期があります。ただ、数年前に金融庁が、日本のFXのレバレッジを25倍から10倍に下げる話を検討し始め、いわゆる海外FX業者を締め出す為に海外送金の経路に規制をかけ始めたのを期に辞めました。この環境でも稼げる人はいますが、レバレッジが下がると、それなりに資金が無いと、大きなロットを持つ事が不可能になるので、リスクに対してリターンが引き合わないし、自分には続けられないと考えたからです。

生きていくぐらいの資金は稼げるようになった時期だったので、痛かったのですが、続けていたら今頃は金持ちだったなんて絵空事を言うつもりはありません。実際にトレードで痛い目にあい、煩悶した人なら、軽々しく、そんな事を言う気にもなりません。まぁ、トレードに関して、以下の事を軽々しく言う人は、大嘘つきか、まだ、どん底を経験していないヒヨッコかのどちらかです。

ウン万円/月稼げる
誰でも稼げる
簡単に稼げる

最近は、「リスクを取らない事がリスクだ」なんて、いかにもな事を言う人もいますが、リスクなんて、必要がなければ、取らないに越した事はありません。大きなリターンをを狙えるツールには、それと同じだけのリスクが存在します。一ヶ月働いて稼ぐ額が、ものの数時間で簡単に溶ける事もあるハイリスクな世界がトレードです。そこで、専業で生きていくというのが、どれだけリスキーかは、想像にかたくありません。

実際のトレードの世界は、まさに抑制と決断の連続です。真面目に勝つトレードを継続しようとするならば、タイミングを見計らって無駄にポジションを持たない自己抑制と、チャンスにはリミッターを外して、一気に利益を獲りにいく決断を、日々繰り返す事になります。これを、一日中繰り返すのですから、半ば作業のようになり、トレードで感情が動かなくなります。逆に、トレードにスリルを感じて、アドレナリンが出ているような状態では、勝ち続ける事はできません。

抑制と決断。これを、断続的に繰り返していると、面白い事に人間は煩悩が削れてくるんですね。結局、人のあり方というのは、外部からの刺激に対して、どう感情が動いて、何を受け取り、どう行動するかという事が習慣化したものだと思います。良く言われるのは、一度逃げると逃げグセがつくとか、あの人は芯があるから何があっても大丈夫だとか、根拠は無いけど、状況に対する反応を観察して、その人の将来が予測できる事があります。そして、それは、大体当たっている事が多いです。

自分の資産を賭けてトレードをしていると、結果に対する責任は、良きにつけ悪につけ、全て自分にかかります。一切の言い訳はできません。責任を回避する事もできません。そして、世界の環境や情勢というのは、日々変化します。どこかで戦争が勃発するかも知れませんし、どこかの都市が自然災害で壊滅するかも知れません。それが、全てチャートに現れます。それを、予測する事は不可能で、誰しも脳天をかち割られるような損失を受けたりもします。

トレーダーとして生きるという事は、そういう世界からもぎ取った利益だけで、何十年も生活するという事です。アドレナリン出しながら、スリルを感じるようなトレードをしていたら、身が持ちません。その為、ゴツゴツとブサイクな形をしていた自然石が、水流に洗われて丸くなるように、長く過ごすほどに傲慢さが消えて謙虚になります。逆に言うと、そうじゃないと、やってられない世界です。理不尽さに対して、諦観し、天から降るような利益にも動じない、一見すると実に地味な人間に見えます。

ああ、誤解の無いように言っておきますと、私の言うトレーダーは、身銭を切って、自身で相場で勝負している人の事です。金融の世界では、トレードの周辺に群がって、周りを引き込んだり、手数料を目的として儲けようとする人達もいます。周りをうまく丸め込む事で、低リスクでリターンだけ得しようとする人達で、クルーザーを買ったり、高級乗用車を乗り回したり、豪邸を買って、知人を集めてパーティーを開いたりしているいわゆる金融成金とは、住んでいる世界が違います。彼らはリスクは、投資家に押し付けて、手数料で稼いでいるのです。だから、利益が出れば、いかにもな生活を始めます。あぶく銭身につかず、とはこの事です。

相場というのは、世界の経済が壊滅でもしない限り、継続する世界です。世界大戦で、世界中が戦争に巻き込まれた時期でも、相場は機能していました。人と人の間で、物資の移動、物の売り買いが行われている限り、相場が壊滅する事はありません。ただし、大荒れにはなるでしょう。そういう意味で、今が華でブィブィ言わせている人気企業よりも、存在するという意味では安定しています。

結局のところ、個人にとって世界というのは、その人がどう解釈するかという事でしかありません。よらば大樹の影で、大きな組織の中で、ほぼ一生保証された収入と待遇を目指すのが安定なのか、リスキーながらも、一企業の寿命とは比較にならないほどに強固な永続性を持つ相場という世界に身を置くのが安定なのか、それは人によるとしか言いようがありません。どちらが正解と言い切れるほど、世の中は単純じゃありません。

相場は、尽きることなく流れる水流と同じです。時に豪雨で、濁流となって、押し流され、時に日照りで厳しい時に、それまで森に蓄えられた水が清流を作ったりします。その中にいる一粒の小石として、尖ったままではいられないのです。それが、トレードの世界に対峙すると、謙虚になる理由です。』

専門家や経営者も「ノイズ」により、客観的無知を認められずに許容範囲を超えるミスを犯す

専門家や経営者も「ノイズ」により、
客観的無知を認められずに許容範囲を超えるミスを犯す
【橘玲の日々刻々】
https://diamond.jp/articles/-/292227

 ※ これは、すごく参考になった…。

 ※ ちょっと長い(3ページある)んで、ポイントのみ紹介する。

 ※『「正しい意思決定をするには高い知能がなければならない」というのはなんとも救いのない話だが、ここでがっかりする必要はない。「専門家の予測はチンパンジーと同じ」と述べて物議をかもしたテトロックは、2011年に「優れた判断力プロジェクト(GJP)」を始めた。膨大な数の予測を検証すると、ほぼつねにより正しい予測をする成績抜群のスーパースターがわずかながら存在することがわかったからだ。

 テトロックは彼らを「超予測者」と名づけた。超予測者は専門教育を受けているわけではないが、どういうわけか学界などの専門家よりも正しい意思決定ができるのだ。』

『彼ら/彼女たちはなぜ、正しい予測ができるのだろうか。テトロックはそれを、「分析的、確率的に考えられる」からだという。

 分析的に考えるとは、問題構造化することだ。「EUから離脱する国はあるか」などの地政学的問題に取り組むとき、超予測者はいきなり漫然と予測するのではなく、まず構成要素に分解する。直観に頼らず、「答えがイエスになるのは何が起きた場合か」「答えがノーになるのは何が起きた場合か」を考え、次に、そこから派生する問いをまた考える。こうして問いと答えを重ねていく。

 確率的に考えるとは、基準率つねに探すことだ。「1年以内に中国とベトナムが国境紛争をめぐって武力衝突する可能性はあるか?」と訊かれたとき、彼らは直観に従うのではなく、「過去の国境紛争が武力衝突に発展したケースはどのくらいあるのか」を考え、もしそうしたケースが稀だとすれば、まずその事実を押さえる。その後にはじめて、中国とベトナムの現状に目を向けるのだ。

 ここからわかるように、超予測者は絶対的な知的能力の持ち主ではないが、それをどう応用するかを知っているのだ。』

『このとき重要なのが「積極的開かれた思考態度」で、自分の当初の仮説に反するような情報や反対意見を積極的に探し、「反対意見が正しく自分の判断がまちがいである可能性をいつでも認める用意があり、自分と同じ意見の人よりちがう意見の人に耳を傾けるほうが有益だと考える態度」だとされる。超予測者は、新しい情報を入手したとき、当初の予測を躊躇なく修正できるのだ。』

『テトロックは、超予測者は「永遠のベータ版」だという。彼らは「試す失敗する分析する修正するまた試す」という思考サイクルが大好きなのだ。』

『裁判官や医師、難民審査の担当官だけでなく、わたしたちは自分の人生において日々、無数の選択を迫られている。その多くはささいなものだろうが、ときに重要な意思決定をしなければならないことがある。

 そんなとき、直観を信じて、バイアスやノイズで誤った結論に飛びつくのではなく、超予測者のように考え、より正しい答を見つけることができるなら、幸福な人生を実現するうえで大きな助けになるだろう。

橘 玲(たちばな あきら)』

 ※ 「超予測」の「精度」は、「判断」の正確さにではなく、「判断材料」の選択・収集の「的確さ」と、「判断」の際の「偏りのない」態度にかかっている…、という話しだ…。

「人の話を最後まで聞く」は、人間関係の奥義。

「人の話を最後まで聞く」は、人間関係の奥義。
https://blog.tinect.jp/?p=74242

 ※ 『人の話を聞く事は胆力の提示である』…。よくよく噛みしめておこう…。

 ※ 『人間、どうしてもバイオリズムなどもあって「ちょっと言い過ぎる」ような場面が時にある。』…。

 ※ 「バイオリズム」などと言う「高級なもの」じゃないが、メンタル的に不調で、ちょっと「失敗した」経験を最近したんで、語っておく…。

 ※ 月イチくらいで、かかりつけ医に診てもらっている…。それで、最近も行ったんだが、新たな薬の処方を受けた…。

 ※ そしたら、一粒飲んだだけで、「強烈な眠気(ねむけ)に襲われた」…。車の運転なんか、止めた方がいいレベルの眠気だった…。

 ※ それで、その旨すぐに連絡したら、「飲むのは、止めてくれ。」と言われた…。「分かりました。」と答えて、指示に従った…。

 ※ しかし、頭のボーっとした状態は、ほぼ一日中続いたんだよ…。

 ※ そういう頭の状態、精神状態で、あることがあって、「コールセンター」に問い合わせた…。

 ※ 普段だったら、「しごく穏当に」応対するんだが、そういうメンタル不調状態だったんで、つい「言を、荒げて」しまった…。

 ※ まだまだ、オレも「人間修行」「精神修養」が足らんのよ…。

 ※ それでも、すぐに気づいて、終わり際に「丁重に」フォローは、入れといた…。スマンかったな、お嬢さん…。まだまだ、「修行」が足りんのよ…。

 ※ そっち方面でも、「昨日の我に、今日は」勝たんとな…。

『仕事における悩み事の一位は人間関係だという。

一口に人間関係といっても色々あるが、今日は他人とうまくやっていくという観点から役立ちそうな話をしてみようかと思う。

否定から入るコミュニケーションが普通だった若い頃

のっけから恐縮だが、若い頃の僕はかなりコミュニケーションに難を抱えていたように思う。

このコミュニケーション障害がどこに起因していたかだが、原因の一つに就労前は”否定から入るコミュニケーション”割とが許されていたというのはあると思う。

学生時代のコミュニケーション作法は真剣勝負であった。

そもそも気心がある程度しれた相手としかコミュしないという事もあったとは思うが、人を認めるという作法がそこにはほぼなく、むしろ相手をdisる事が普通であった。

例えば相手が何か主張しはじめたら

「それはおかしい」

「でも、こういう事もいえるんじゃない?」

という反論が提示される場面が多く、それをキッカケにロジカルや知力でもっての殴り合いがスタートする事もしばしばあった。

進学校の生徒や医学生は一般的には高い知性を有している。

若く、プライドの塊のような彼らは兎に角鼻っ柱が強く、強烈な自己主張を提示する事が集団の中で埋没しない為にも許されるという側面があった。

このような会話に時にイラッとさせられたり険悪なムードを通り越して絶縁状態へと発展する事も多々あった。

だが、それはそれでまあ「合う人と合わない人がいる。仕方がない」と皆で諦めていた。
人の世は過ちで満ち溢れているが、それでも社会はちゃんと成立している

正直…僕はかなり長い間これを一般的な会話のお作法だと思っていたのだが、働き始めてから「これだと駄目だ」という事を幾度となく痛感するようになった。

若い医者にとにかくありがちな事の1つに、頭ごなしに患者さんやコメディカル含む同僚を説教にも近い態度でもって批判してしまう事がある。

必ずしも悪気があってそうしている訳ではないのだけど、こういう高慢な態度からは適切なコミュニケーションはまず発生しない。

正しいか正しくないかでいえば…正論をぶちまけている側にも一定の理はある。

だが、それは若さ故に真剣勝負を繰り広げる事が許された学生時代限定の行いだったと考えた方が遥かに建設的で、この態度を社会人以降にもなって続けるのはあまりにも分が悪い。

いくらやっている事が正しかろうが…社会をキチンと回せていない時点で駄目なのだ。

間違っていようが社会がキチンと回ることこそが肝心で、そういう意味では”過ち”は時に”正論”を超えるのである。

間違っていても、社会を回せている時点でエラい

医者に限らず、世の中の多くの事は正しいか・正しくないかという観点のみからは成立しえない。

人間、身体にめちゃくちゃ悪くても酒を飲んだ後で〆にラーメンを食べてしまうように、良くないムーブメントだって社会生活の大切な一要因である。

合ってるとか間違っているのかの前に、キチンと社会を回す事こそが肝心だ。

どんなに正しい行いでも社会が回らないのなら、その正しさは社会を回せないという時点で過ちにすら劣る産物でしかない。

清濁併せ呑むというフレーズがあるが、社会というのは本当にこの清濁併せ呑むという感覚がとてつもなく大切だ。

完璧な人間などこの世に居ないのだから、生きるということは許すという事と同義でもある。

だから人を許せるような人間を目指そう。

己の内なるアスペ心を爆発させて、他人の欠点や不満をあげつらう人間をやっても誰もついてきてはくれない。

正しさはある面では正義だが、それは万能ではない。

間違いであろうが社会を回せるのなら、間違いを許せるという事は時には正しさを超えるのだ。

人の話を最後まで聞けるというだけでも、強い

このように時に過ちを許せるという事が社会を回していくにあたっては肝心なのだが、それでもどうしても意見が対立する事や相手の意見を許容できない時というのはある。

例えば会社で管理職などにつかれている方で、部下が会社の方針にたてついてきた時があったとしよう。

この時「お前が正しい」というのは微妙だし、かといって頭ごなしに否定するのも冒頭の若き医大生の会話と同質である。

僕はずっと長い間、この難問をどう処理すればいいのかがわからなかった。

だが、最近になって実は会話の基本中の基本でもある「人の話を最後まで黙って聞く」という事が意外と効くという事に気がついた。

人は受け止めてもらえるだけでも、かなり満足する

繰り返しになるが、完璧な人間などこの世にはいない。

人間、どうしてもバイオリズムなどもあって「ちょっと言い過ぎる」ような場面が時にある。

だが、そういう時でも会話を止められずに最後までキチンと自分の意見を聞いてもらえると、意外と途中で冷静になれたりする。

会話を途中で遮られて意見を否定されると、頭の中は余計にヒートアップする。

だが腹の中を最後までぶちまけて、その上で相手が

「あなたの言いたいことはこういう事ですか?」

と自分の言っている事を相手にキチンと冷静に聞いてもらえたりすると、人は結構シラフに戻れる。

人の話を聞く事は胆力の提示である

人の話を最後まで黙って聞けるという胆力を示されると、多くの人は相手に尊厳のようなものを抱いてしまう。

逆に言えば、相手がどんなに凄かろうが、自分の話を全くといっていいほど聞かない相手を人は決して対等にはみない。

この手の人物は「確かにアイツの言ってる事は正しいかもしれないけどさ…」といった枕詞をつけて、ほぼ間違いなく受け入れられない。

基本中の基本でもある人の話を黙って聞くという事の本質は「俺にはお前を受け入れる胆力がちゃんとあるぞ」という態度の表出だ。

このような大きな態度を示せる人物は”器が大きい”という形容詞でもって称賛される事があるが、その器の大きさというのは実はたった数分程度の違いでしかない。

たった数分。その時間を我慢して相手に向き合えるというだけなのだが、こんな言葉にすればシンプル極まりない行いですら多くの人はできないままに人生を終えてしまう。

人の道とは実に奥深い。人間力は瞬きほどの時間ですら差が出るのである。

相手をキチンと受け止めた人の意見は、肯定も否定もちゃんと届く

こうやって相手を1人の人間として受け止めているよという態度さえ示すことができるのなら、その後に続く言葉は肯定でも否定でもちゃんと相手には届く。

「あなたはそう思うのね。けど私はそう思わない」

このように意見が完全に食い違ったとしても、お互いの間に人と人としての対等な関係がベースとしてあるのなら、経験上ではだいたいの場合において意見は落ちるところにちゃんと落ちる。

この落とし所をちゃんと作れるというのが人間関係では本当に肝心で、仮に相手が100%間違った意見を言っていたとしても「つかれていたんでしょ?じゃあ仕方がないよね」と歩み寄る余地を作ってもらえたりすると、拗れた案件ですらストンと落ちたりもする。

実は管理職に必要な能力がこの「落とし所をちゃんと作ってあげる能力」だ。プレイヤーとしてのエレガントな仕事さばきだとか、尋常ではない生産力だとかは現場では非常に重宝される能力だが、人をとりまとめる地位にいる人にとってはさほど肝心なものではない。

よく物凄く仕事はできるけど、管理職としては全然駄目だという人がいるけれど、そういう人は他人を”許す”能力に欠けている事が多い。

正論という切れ味のいい武器だけで戦っていて、落とし所を作るという柔らかさの必要性を認知していない。

この手の人物が管理職になると、現場はたいてい疲弊してしまう。

仕事はできるのに、人の気持ちが全然わからないと言われるタイプの管理職は部下とキチンとコミュニケーションをしていない。

自分は100%正しく、相手は100%間違っているという立ち振舞いは、仮にそれが本当にそうであったとしてもコミュニケーションではない。

人を管理するのに、なにも難しい人心掌握術などを使用する必要はない。

正しい・正しくないというフィルターを外し、間違いを時に必要な多様性として捉え、他人とコミュニケーションをする。

こういう胆力ある立ち振る舞いを、私達は身にまとわなくてはいけないのである。』

伝統的価値観の国際比較

伝統的価値観の国際比較 : 日本、韓国、中国、米国における儒教的価値観
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005674968

 ※ これは、すごーく参考になった…。

 ※ 漫然と、「こういうものだ…。」「こんな感じだな…。」と思ってきたことが、実は、それぞれ「仏教」「儒教」「神道」的な「世界観」に根ざすものだったとは…。

 ※ そういう「分析」「淵源」の基(もと)となる「視座(尺度=スケール)」を、手に入れた…。

 ※ ステップアップしたな…。

 ※ 「昨日の我」に、「今日は」ちょっと勝ったぞ…。

『表 1 日本の伝統的価値観尺度(JTVS)の領域別下位尺度(大渕・川嶋 , 2009a)

仏教

輪廻と法力
(11 項目)

宇宙は仏の治める多くの他方世界からなり、生命はそれらの間を
輪廻する。生命は仏の慈悲によって生成し、それは草木を含めす
べてに及ぶと(本覚思想)いった仏教的世界観。

修身と慈悲
(8 項目)

倫理と精進、慈悲と寛容、煩悩の除去などの仏教的道徳観。欲望
に負けず自らを慎むこと、感謝と思いやりの気持ちで人に接する
など、人としての正しい生き方を処方。

厭世主義
(6 項目)

人生は苦、諸行無常などの仏教的人生観。人生は苦悩に満ちてい
る、この世は絶え間なく変化するはかないものであるといった仏
教的厭世観を反映。

空と超俗
(4 項目)

この世は仮のもので空虚(諸法無我)といった世界観と、それ
故、富や名声など世間的なものに拘泥せず、清らかに生きること
を良しとする(煩悩の除去)仏教的処世観。』

儒教

忠孝と義務
(11 項目)

長幼の序、公益優先など、社会集団や人間関係の中で個人が果た
すべき責任と義務を強調する儒教的処世観。

天意・天命
(8 項目)

社会の在り方であれ、個人の成功・失敗であれ、すべては人間を
越えた天によって運命づけられ決定されている(天命思想)とす
る儒教的世界観。

恥と世間
(5 項目)

人の目を意識し、世間から非難されないよう行動すべきであると
いう集団主義的価値観、即ち、節度、集団優先、義務などを強調
する儒教的処世観。

賢君思想
(4 項目)

世の中は優れた資質の指導者によって治められてこそ意味がある
という儒教的人間観。』

神道

社会的調和
(5 項目)

対立や争いを避け「和をもって尊し」との調和優先的な神道的処
世観。

相対主義
(3 項目)

問題解決には絶対的原理に頼るのではなく、知恵を働かせ状況に
応じて柔軟な対応をするのがよいとする神道的処世観。

集団的功利主義
(3 項目)

ものごとの善悪は共同体に福利をもたらすか災厄をもたらすかとの
観点から判断されるべきであるとする神道的倫理観。

楽観主義
(2 項目)

世の中は自然に治まるべく治まっていくから、自然の流れに任せ
るのが一番であるとする神道的世界観に立脚した処世観。

歴史の内発性
(2 項目)

社会の動きは時勢というものによって決定され、人間の力の及ぶ
ものではない(超人為性)とする神道的世界観。

もののあわれ
(4 項目)

女性的で繊細な感受性が日本人の本来の心であるとする神道的人
間観。』

韓国与党代表「我々の大統領候補は確かに前科がある。しかし、公益のために犯した罪だ」

韓国与党代表「我々の大統領候補は確かに前科がある。しかし、公益のために犯した罪だ」とイ・ジェミョンの前科を擁護……これ、実は韓国人の基本的な考えかただったりします
http://rakukan.net/article/484929379.html

『韓国与党代表「李在明候補の前科4件、すべて公益のためのもの」(中央日報)

与党「共に民主党」の宋永吉(ソン・ヨンギル)代表は23日、同党の李在明(イ・ジェミョン)大統領候補の前科記録について、「すべて公益のために奔走した内容」と積極的に擁護した。

宋代表はこの日午後に中小企業中央会で開かれた「大転換選挙対策委員会職能本部発隊式」に参加し、李候補の人生を説明しながら李候補の前科4件をひとつずつ釈明していった。

飲酒運転に対しても「飲酒運転はもちろん過ちだが、飲酒運転も情報提供者の話を聞くため急いで行こうとしてそうしたという」と擁護した。

李候補は公務員資格詐称(2003年、罰金150万ウォン)、道路交通法違反(2004年、罰金150万ウォン)、特殊公務執行妨害(2004年、罰金500万ウォン)、公職選挙法違反(2010年、罰金50万ウォン)の前科記録がある。
(引用ここまで)』

『韓国与党である共に民主党の代表が「イ・ジェミョンに前科があるのは確かだが、すべて公益のための『いい前科』なのだ」と言い出しました。
 NAVERではYTN(報道専門ケーブル放送局)や中央日報の記事に1500前後のコメントがついてますね。
 当然ですが「公益のためのならなんでもありかよw」という嘲笑がほとんど。

 ただこれ、韓国人の基本的な考えかたです。
 「法律違反はしたことは間違いない。それでもこれはいい違反だから問題ない」っていう。
 正当な理由があれば違法であっても構わない。
 身近な例でいえば「被害者本位という考えに立てば、慰安合意は(実質的に)破棄しても構わない」──っていうアレ。

 大事なのは「正統性」(※ 漢字としては、「正当性」か)であって、法律はその下についてくるという考えかたなのです。
 ま、そんな考えかただろうがなんだろうが知ったこっちゃいないですが。
 国際的な関係性でもそれをやろうとするのですよ。
 唯一無二の真理であるかのようにして。

 いや、日本相手だけでなく。
 相手がアメリカでもそんなに対応は変わってませんからね。
 終戦宣言に固執してるところや、「アメリカは文面を用意している」だの「原則的に合意している」なんてのも同様です。
 「終戦宣言という絶対的に正しい事柄」を提唱しているのだから、多少の嘘は見逃されるべきくらいの気分なのですよ。

Twitterで更新情報をお伝えしています。フォローよろしくお願いします。→Follow @rakukan_vortex 』

老化は治療できる病 その為には、、

老化は治療できる病 その為には、、
http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/5303497.html

 ※ nappi10さん、いよいよ「悟りの境地」に向かわれるようだ…。

 ※ 『1日、基本的に2食で、満腹になってはいけない、美味しいものを食べたいと思う欲求を持たない事をモットーにして、腹8分目で、2分は食べたと思って施す事。これは、祖母が常に子供の筆者に言っていた事でもあり、それが今の、筆者が毎日しているキツネや鳥たちへの餌やりの原点で、早目に仕事から離れる人生設計を立てたのも、毎日の過剰なストレスから自分を早く解放する為だった。今では長寿で居たいという欲も無いが、それが社会に負担を掛けないという結果を招くという道理であれば、長生きはすべきで、良い事なのだろう。常にもう少し食べたいという欲求を我慢する事で、自分の体に負荷をかけ、筋肉痛にならない程度の運動を毎日して、筋肉や心臓にも少しの負荷を掛ける。慣れないときついが、年中、真冬でも靴下を履かない事やうつ伏せで寝る事でも体に負荷をかけ、健康で有りたい欲求を満たしている。一方、知的な欲求はブログを毎日書くことで十分満たされている。』

 ※ 『こう書くと、どこか坊さんの修行にも似てくるが、坊さんの修行も、最期を自分の力で終えるための体力、気力を維持する行いなのかもしれない。、、、暖冬の中、まだ排水溝の中で泳ぐ小さなカエルに「まだ冬眠しないのか?」と声をかける。そんな時、平和な自然の中に居られることに感謝する。』…。

 ※ 殆んど、「禅僧の修行の日々」に似ている生活をしておられるようだ…。

『老化の研究や理解はまだ黎明期とはいえ、ひと昔前と比較すると劇的な進歩をとげている。30年前から老化研究に心血を注いできた米ハーバード大学医学大学院遺伝学教授デビッド・シンクレア(David A. Sinclair)氏は、「老化の多くは遺伝子ではなく、いかに生きるかである」という。
すべての人が実践できるアドバイスがあるとすれば、食べる回数を減らすことです。一日3食も必要ありません。身体を「complacency(現状満足状態)」から脱出させないといけません。医学用語では「hormesis(ホルメシス:毒物が毒にならない程度の濃度で刺激効果を示すこと)」と言いますが、身体は殺さない程度に刺激すると強くなります。階段を歩いて上ったり、デスクの前で立って仕事をしたり、食事を抑えたりすることで、身体はサバイバルに対する脅威を覚えます。それと戦う要素が、老化や病気から私たちを守ってくれるのです。老化を減速させれば、心臓病、がん、糖尿病、アルツハイマー病など、あらゆる疾病の進行を遅らせることができます。われわれのアプローチの目的は、健康寿命を延ばし、その後、病気になったとしても数週間で死んでいく、そんな人生です。
心を落ち着かせて、ストレスをためないことです。脳をひどく興奮させると、老化を加速させます。瞑想をして精神を整えることや、記憶力を鍛えることも、老化防止につながります。

現在の医療のように、病気になってから治療を施すのでは遅すぎます。高齢になって病気になり、誰かの世話が必要になってくると、社会が機能しなくなってしまう。健康寿命を延ばすことで、高齢者がコミュニティに貢献し、若い世代に知恵を伝授することが大切です。

国民の多くが健康になれば、国全体が裕福になる。そのためには、研究費の増加や法整備の充実といった政府の後押しも不可欠です。老化を防止することは、人類が月に行くことよりも重要だと思います。参照記事より抜粋

、、、、手前味噌になるが、まさしく筆者が長年想い、実践している事と一致する。1日、基本的に2食で、満腹になってはいけない、美味しいものを食べたいと思う欲求を持たない事をモットーにして、腹8分目で、2分は食べたと思って施す事。これは、祖母が常に子供の筆者に言っていた事でもあり、それが今の、筆者が毎日しているキツネや鳥たちへの餌やりの原点で、早目に仕事から離れる人生設計を立てたのも、毎日の過剰なストレスから自分を早く解放する為だった。今では長寿で居たいという欲も無いが、それが社会に負担を掛けないという結果を招くという道理であれば、長生きはすべきで、良い事なのだろう。常にもう少し食べたいという欲求を我慢する事で、自分の体に負荷をかけ、筋肉痛にならない程度の運動を毎日して、筋肉や心臓にも少しの負荷を掛ける。慣れないときついが、年中、真冬でも靴下を履かない事やうつ伏せで寝る事でも体に負荷をかけ、健康で有りたい欲求を満たしている。一方、知的な欲求はブログを毎日書くことで十分満たされている。

こう書くと、どこか坊さんの修行にも似てくるが、坊さんの修行も、最期を自分の力で終えるための体力、気力を維持する行いなのかもしれない。、、、暖冬の中、まだ排水溝の中で泳ぐ小さなカエルに「まだ冬眠しないのか?」と声をかける。そんな時、平和な自然の中に居られることに感謝する。』

自分は優れていると信じ込んだ人は、「専門家の意見より自分の考えの方が正しい」と考えたりする…。

自分は優れていると信じ込んだ人は、「専門家の意見より自分の考えの方が正しい」と考えたりする…。

「人がワクチン接種を拒否するのは一体なぜ?」を心理学者が解説 – GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20211205-delay-vaccinated-denial-covid/

『ワクチンの接種を受けることをためったり拒否したりする「ワクチン忌避」は、新型コロナウイルス感染症の発生前からWHOによって「世界的な健康に対する脅威」のトップ10の1つに指定されているほど、公衆衛生の重大な課題となっています。そこで、人がワクチン接種をためらう理由について、心理学の専門家が解説しました。

Why do some people delay getting vaccinated or pretend COVID doesn’t exist? Paradoxically, denial of death
https://theconversation.com/why-do-some-people-delay-getting-vaccinated-or-pretend-covid-doesnt-exist-paradoxically-denial-of-death-168485

オーストラリアで行われた調査の結果、「ワクチンの接種を受ける可能性はない」もしくは「可能性は低い」と回答したオーストラリア人はわずか9%だったことから、同国のメディアは「ワクチンに対して恐怖を覚える人は記録的な少なさとなった」と報じました。
しかし、オーストラリアのシドニー工科大学で心理学を教えているロス・メンジーズ教授と、同校の臨床心理士であるレイチェル・メンジーズ氏によると、オーストラリアでは医療従事者をはじめ教師や建設労働者など幅広い職業でワクチン接種が義務づけられているため、前述のアンケートでは「ワクチンの接種に忌避感を覚える人が少なくなった」とは言えないとのこと。

またオーストラリアでは、ワクチンの接種が済んでいない人がジム・プール・小売店・美容院・ネイルサロン・パブ・動物園・映画館・劇場・美術館・ギャラリーなどに立ち入ることが禁止されています。こうした厳しい制限措置は、そこまでしなければオーストラリアでワクチンの接種者が増えないことの裏返しだと、メンジーズ氏らは指摘しています。
WHOは、ワクチン忌避が発生する原因の1つは「現状に対する満足感」であるとしています。2021年11月の時点で、新型コロナウイルス感染症により世界で500万人が命を落としているという現状は、とても満足できるようなものではないように思えますが、この矛盾は「恐怖管理理論(Terror management theory)」という理論で説明がつくとのこと。

「恐怖管理理論」とは、死という耐えがたい恐怖から逃れようとしている人は、「自分は正しくて優れている特別な存在だ」と考えるという理論です。例えば、恐怖管理理論について検証した164件の論文をメタアナリシスにより分析した2010年の研究では、死について考えた人は自分の自由や文化的・宗教的信念を守ろうとする防衛反応を見せることが分かっています。

自分は優れていると信じ込んだ人は、「専門家の意見より自分の考えの方が正しい」と考えたり、「他人は死ぬかもしれないが自分はきっと死なないはず」と思ったりします。実際に、新型コロナウイルス感染症の被害が最も大きいアメリカで実施された調査により、何らかの宗教を信じているアメリカ人の55%が、程度の差はあるものの「神がウイルスから自分を守ってくれる」と考える傾向を持っていることが判明しました。

死への恐怖を紛らわせるために自分の正しさや特別さに固執した結果、その人はワクチン接種の重要性を説く科学者の意見が受け入れられなくなり、死のリスクを低減させるはずのワクチンに対しても拒否感を覚えるようになります。このことからメンジーズ氏らは、「人々が自分自身の本当の姿を見ようとしない限り、ワクチン接種へのためらいは公衆衛生上の問題であり続けるでしょう」と結論づけました。』

〔ダニング・クルーガー効果〕

〔ダニング・クルーガー効果〕

根拠なき自信を語る部下 使い方次第では宝にも第24回 ダニング・クルーガー効果
https://style.nikkei.com/article/DGXZZO44234200W9A420C1000000

 ※ 今日は、こんなところで…。

『私には私のやり方がありますから

皆さんの周りに「根拠なき自信」を抱いている人はいないでしょうか。できもしない癖に、「私だってあれくらいの仕事は……」と大きなことを言う。その癖、ちっともやろうとせず、「なぜやらないか」の言い訳ばかりがうまい。

しびれを切らしてアドバイスすると、「私には私のやり方がありますから」と言って聞く耳を持たない。揚げ句の果てに、うまくいかないことはすべて人のせいにする。そんな人はいませんか?

自分の力量や特質を正しく把握できなければ、能力向上のスタートラインにも立てません。能力と自信とのギャップがどんどん広がり、せっかくの成長の芽をつんでしまいます。若い人に多く見られるのが残念でなりません。

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では、どうして能力が低いのに、自信だけが過剰なのでしょうか。本人の性格や育ち方もありますが、それだけではないのが人間の面白いところです。

原因を探るために、一つ皆さんに質問したいことがあります。自分の仕事の能力は、平均以上だと思いますか?

この質問、何度か企業研修などで試してみたのですが、なんと7~8割の人が「イエス」と答えるのです。そんなのあり得ませんよね。単純に考えれば、イエスとノーで半々になるはずですから。

つまり、人は誰しも、自分の能力を過大に評価する傾向があるのです。しかも、能力が低い人ほど、その傾向が強いというから驚かされます。

イグノーベル賞を受賞した心理法則

そのことに気づいた心理学者のD.ダニングとJ.クルーガーは、学生たちに実験をしてみました。ユーモアのセンスや論理思考を問う問題を出し、それぞれ自己評価をしてもらいました。その後で、「あなたのレベルは、同世代の人と比較して、どのあたりのポジションにあると思いますか」と尋ねたのです。』

『すると、成績が悪い学生ほど自分の順位を高く見積もりました。成績がよい学生は正しく、もしくはわずかに低く見積もるという傾向が見られました。これを、発見者の名前を取って「ダニング・クルーガー効果」と呼びます。2000年のイグノーベル賞を射止めた心理法則です。

さらに二人は、「なぜ能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込むのか」(Wikipedia、以下同様)も調べました。その結果、能力が低い人間には、「自身の能力が不足していることを認識できない」「自身の能力の不十分さの程度を認識できない」「他者の能力を正確に推定できない」という特徴があることが分かりました。

つまり、自分や周囲を俯瞰(ふかん)的に見る、「メタ認知」ができないわけです。身も蓋もない言い方をすれば、能力が低い人は、その低さゆえに、自分を客観的に見る力すらない。だからこそ能力が低いわけです。

逆に、能力が高い人はメタ認知ができるので、「自分ができた課題くらい、他人もできるだろう」と推測したわけです。さすが、優秀な人は自分をわきまえていますね。

無知を知る勇気を持つ

ダニング・クルーガー効果から抜け出すには、一体どうしたらよいのでしょうか。

一つは、当たり前の話ですが、客観的な評価に触れる機会を増やし、自分の認知のゆがみを正すことです。2人の研究でも、「その能力について実際に訓練を積んだ後であれば、自分の能力の欠如を認識できる」ことが分かっています。

その時に大切なのは、自分の無知や無能を素直に受け入れることです。背伸びをするのを止めて、分からないものは分からない、できないものはできないと。

無知や無能は決して悪いことではありません。伸びる余地がある証だからです。失敗にしても、途中で諦めなければ、成功への一里塚です。そんな風にポジティブに考えれば、都合の悪い評価も受け入れやすくなります。

もっと言えば、自分の無知を知っているというのは素晴らしいことです。かの有名な哲学者ソクラテスは、自らの無知を自覚することが真の知に至る道だと説きました。無知を知らないほうが、よほど恥ずかしいことなのです。』

『加えて、自分の認識に対して、「間違っているかもしれない」「他の考え方もあるかもしれない」と、常に疑いの心を持つことも大事です。「○○の視点で見たらどう見えるか」と時間・空間・人物をずらして考えるのもよい方法です。さらに知りたい人は批判的思考(クリティカル・シンキング)を勉強することをお勧めします。

時には根拠なき自信も必要

とはいえ、ダニング・クルーガー効果は悪い面ばかりではありません。程度にもよりますが、自己評価を盛り気味にすれば、自尊心を高められるからです。自信を持って行動できるようになり、やる楽しさも増します。

そのおかげでよい結果がでれば、さらに自信が高まります。そうやっているうちに、自分の実力と認識のズレがなくなる可能性があります。

また、「根拠なき自信」があるからこそ恐れを知らずチャレンジできる、とも言えます。「分相応の実力をつけてから」「私はまだ半人前なので」なんて言っていると、千載一遇のチャンスを逃してしまいかねません。

第一、未知の領域の仕事にチャレンジするときは、多かれ少なかれみんな実力不足です。それどころか、これからどんな知識や能力が必要になるかも分かりません。後で振り返ると、自分の無知さ加減にゾッとするくらいです。

どうせ、無知や無能は、やればすぐに痛いほど知らされます。勝負はそこからであり、事前の自己認識は大した問題ではないのかもしれません。

大切なのは、「必ずできる」「どうにかなる」と根拠なき自信を持って一歩踏み出すことです。時には、ダニング・クルーガー効果を逆手に取るくらいの気概が求められているわけです。』

ダニング=クルーガー効果
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E5%8A%B9%E6%9E%9C

『概要

優越の錯覚を生み出す心理学的現象は研究によって、自らの能力の低さを認識することの困難さが過剰な自己評価につながる、認知バイアスの一形態であると認識された[1]。なぜ人間は自身の不得意を認識できないのか(2003年)といった認知的不協和に関する調査は、与えられた活動の評価基準の無知に由来する自己評価の誤りの多さを示している。自身の能力に対する過大評価の傾向は、読解や診療、自動車の運転、チェスやテニスの試合など様々な場面で見られた[2]。また、この効果を定義したデイヴィッド・ダニング(英語版)とジャスティン・クルーガー(英語版)によって2012年に行われた「なぜ能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込むのか」という調査によれば、能力の低い人間には以下のような特徴があることが分かった[3]。

自身の能力不足していることを認識できない
自身の能力不十分さ程度認識できない
他者の能力高さ正確推定できない
・その能力について実際に訓練を積んだ後であれば、自身の能力の欠如を認識できる。

2005年に執筆された自身の著書「Self-insight」の中で、ダニングは自己認識欠損の類推を「日常生活の病態失認(英語版)」に適用し、身体障害者が自身の身体能力の不全を否定、或いは認識しないといった認知バイアスが存在することを発見した。「あなたが無能なら、あなたは自分が無能であることを知ることはできない。正しい答えを生み出すために必要なスキルは、正解が何であるかを認識するために必要なスキルと同じである。」[4][5]

2000年、この効果を定義したデイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーは、優越の錯覚を生み出す認知バイアスについて1999年に執筆された論文「Unskilled and Unaware of It」で、イグノーベル賞の心理学賞を受賞した[6]。 』

『研究

ダニングとクルーガーは、基礎心理学科の学生に対する優越の錯覚を生み出す認知バイアスについて、論理的推論における帰納的、演繹的、派生的な知的スキル、英語の文法、ユーモアセンスなどについての自己評価を調べることによって仮説を検証した。

自己評価のスコアが確定した後、学生達はクラスにおける自身の順位を推定するよう求められた。

有能な学生達は自身の順位を実際より低く評価したが、無能な学生達は自身の順位を実際より高く評価した。

これらの研究では、ユーモアセンス、文法知識、および論理的推論などのテストにおいてそれぞれ最も低い得点を記録した研究参加者は、それぞれ自身のパフォーマンスおよび能力を過大評価した。

ある研究参加者は12パーセンタイルのスコアにとどまったにも関わらず、62パーセンタイルに記録されたと誤った推測を行った[1][7]。

さらに、優秀な学生達は、自分達の能力を過小評価する傾向があった。

それは、自分達が容易に実行できたタスクは、他人にとっても実行は容易であると誤って推測したからである。

優秀でない学生達は、不足していたスキルの最小限の指導を受けたことで、指導によって得たスキルの客観的な改善とは無関係に、自身のクラスでの順位を正確に判断する能力を向上させた[1]。

2004年に行われた研究「読心術とメタ認知」では、優越の錯覚を生み出す認知バイアスの前提を、被験者の他者に対する感情的感受性をテストするために拡張した[8]。

2003年に行われた研究「自己評価に対する自己観の影響」では、外部の手がかりの影響を受けたときの参加者の視点の変化が示された。

この研究は地理学の知識のテストを通した研究であり、いくつかのテストは参加者の自己観に積極的に影響を与えることが意図されており、あるものはそれを否定的に影響することが意図されていた。

その後、参加者が自身のパフォーマンスを評価するよう求められると、肯定的な影響を与えるテストを受けた参加者は、否定的な影響を与えるテストを受けた参加者よりも優れた評価を下した[9]。 』

『歴史

為政
子曰:「由,誨女知之乎!知之爲知之,不知爲不知,是知也。」〈子曰く、由(ゆう)汝に之れを知るを誨(をし)へんか、之れを知るは之れを知ると爲し、知らざるは知らずと爲せ、是れ知るなり。〉
孔子, 『論語』

この効果が正式に定義されたのは1999年であるが、優越の錯覚を生み出す認知バイアスが存在することは、歴史を通じて古くから言及されている。

東アジアには「夜郎自大」という四字熟語がある。

古代中国の思想家孔子は 「真の知識は、自分の無知さを知ることである[2]」と語り、古代ギリシアの哲学者ソクラテスは「無知の知」について語っている。

他にはイングランドの劇作家ウィリアム・シェイクスピアは「愚か者は自身を賢者だと思い込むが、賢者は自身が愚か者であることを知っている[11]」(自身が作成した喜劇『お気に召すまま』より)、

生物学者のチャールズ・ダーウィンは「無知は知識よりも自信を生み出す[1]」、

哲学者で数学者のバートランド・ラッセルは「私達の時代における苦しみの一つは、確信を持っている人間は愚かさに満ちており、想像力理解力を持っている人間は疑い執拗さに満ちていることだ[12]」と、

それぞれ語っている。 』

 ※ 「一文は、無文の師」(石舟斎遺訓)も、付け加えておこう…。

進化論と戦術

進化論と戦術
https://st2019.site/?p=17942

 ※ 「恐ろしい」「戦慄の内容」が語られている…、とオレには、思われる…。

 ※ 「無限の応用が、可能である。」戦術論であると、オレには、思われる…。

『わたしたちの現実世界では、すぐ先の未来に何が起きるか――すらも、完全な予測はできないものです。
 あなたが最善だと信じて選択したコースの結果が、よくなかった――ということは、しばしばあるでしょう。

 第二次大戦の後半、旧ソ連軍は、東部戦線のドイツ軍を西へ向かって押し返すときに、北から南まで連続して延びている長大な対峙線の、どの一点を次に突破するのかは、あらかじめ決めないようにしておくことが、有効であると学びました。

 全線をほぼ同時一斉に圧迫し、すべての箇所で、浸透や突破を試みる。
 するとそのうちどこかで、ドイツ軍が防備をもちこたえられない場所が偶然に見つかり、そこで小規模な前進が成功します。
 ソ連軍司令官は、その「現にうまくいっているように見える場所」に、手元に控置していた予備のありったけの兵力を注入して、戦果を拡大しました。

 この流儀は、進化論の智恵そのもので、豊田章男氏(トヨタの会長)がさいきん言っていることにも近いものなのです。

 すなわち「脱炭素」を実現するために何か特定のアプローチ(たとえば乗用車に関しては完全な電動自動車化、発電方式に関しては再生エネ)を、政府の智恵の足りない少数者が「これがベストだ」「これしかない」と信じ込んで闇雲に選別してしまい、全国民にそれのみに限った努力をおしつけ強制せんとする流儀は、進化論的に非合理的で、みすみす国家的な不利益を背負い込み、とりかえしのつきにくい損失を国民の行く末に課してしまうおそれがあるのです。

 進化論的に政策を推進するようにしたら、このような「騙されやすい政府が善意のつもりでハマってしまう禍害の陥穽」は、避けられるでしょう。

 すなわち、脱炭素のためのあらゆる方法を、各法人・各私人がめいめい自主的に多様に考えて追究することを奨励する。そのなかから、おのずから「他の方法よりうまくいく」方法が現れてきます。だんだんとそれを見定めて、政府は、じっさいに他よりもうまくいっている方法を、手厚く応援するようにして行く。
 この流儀こそが、かつてないチャレンジとなる目的を集団的に達成するためには、いちばん合理的なのです。

 なおソ連軍式に関してもうひとつ覚えておくとよいことがあります。

 攻勢作戦において、攻撃が頓挫してまさに全滅の危機に瀕しつつある味方部隊が幾つかあっても、上級司令部ではその地点をサクッと見捨ててしまい、決して増援部隊などは送らない方針を貫いたことです。

 突破と前進に成功している箇所に全予備をまとめて投ずるのが、攻勢作戦での全線勝利の鍵なのです。
 すでに攻撃が頓挫し停滞していると判明した箇所に、貴重な有限資源をあとから分割投入してはいけないのです。

 ソ連崩壊後のロシア経済――とくに2010年よりも前――は、このソ連軍式の適用をしなかったせいでうまくいかなかったのか、それとも、まさにこのソ連軍式を経済行政に採用してしまったがために破滅的な結果を招いたものなのか、そこを知りたいとは思っているのですが、わかりません。

 さて、進化論については、ほぼすべての人が、一知半解です。
 にもかかわらず、おおぜいが、じぶんは進化論を十分に知っている と思い違いをしているところから、癌患者が伸ばせるはずの寿命を、むざむざ縮めてしまっているよ—と啓蒙する本が訳刊されています。

 キャット・アーニー氏著、矢野真千子氏tr.『ヒトはなぜ「がん」になるのか――進化が生んだ怪物』(Kat Arny“Cancer, Evolution and the Science of Life”, 2020. 邦訳/河出書房新社 2021)が、それです。

 ある経済的な恩人からわたしはこの本を頂戴したのでしたが、一読して、すべての軍司令官はこの本を読む価値がある—と、膝を叩きました。対ゲリラ作戦を組み立てるときのヒントに満ちているからです。

 人体にとって、癌細胞は「敵」です。しかし通常、36歳以下の若い人のカラダは、その「敵」が爆発的に増殖することをゆるしません。
 じつは健康な若い人も、癌細胞を体内に抱えているのです。いるけれども、国家の治安力のようなものが働いていて、その身中の敵の爆増を許していない。癌細胞があっても、それが増殖しなければ、ヒトは、健康でいられるわけです。国家のどこかに犯罪者予備軍が存在するが、その跳梁は、力のバランスによって抑止されているようなもの。見かたを変えますと、社会と敵とのしずかな共存状態になっているのです。

 成人が、もはや子どもをつくれない年齢にさしかかると、体内の癌細胞の増殖を抑える力は、弱まります。というのは、生き物のDNAにとっては、子孫を残すことが優先順位の最上位ですので、子孫を増やせなくなった年寄りの個体は、もう死んでくれてもいいからだそうです。

 それで、老人の体内を仔細に調べれば、ほぼ全員、どこかに癌細胞を持っているのが見つかるそうです。

 しかし、その癌を悪化させることなく長生きして老衰死する老人もいる。本人は、病院で医者から指摘されないかぎり、じぶんの体内に癌細胞があるとは知らないで、一生を送るのです。

 体内に癌細胞はいくつもあるけれども、それが爆発的に増殖しない。それがじつは、「健康」の真相であったのです。

 ということは、人体内の「癌細胞を根絶してやろう」という医療の目標設定は、根本的な誤りです。

 若い人のカラダがしぜんに実現できていたように、敵との共存状態を、老人になっても、できるだけ長く維持させる。癌細胞は存在しているけれども、それを爆増させないように保つ。それこそが、成人医療の目標設定であるべきだったのです。

 そこで大事なことは、敵は一枚岩ではない、というリアリティの把握です。
 敵集団の中に、必ず、マイノリティが混じっている。
 じつは、敵も「多様」であったのです。

 敵集団の中に、複数のマイノリティが混在し、敵集団の中でも「三すくみ」のような「力の均衡」状態が生じていた。それがあるおかげで、癌細胞集団ぜんたいとして正常細胞にうちかつことはできず、どの癌細胞も爆増できないでいるのです。

 もし、正常細胞に炎症(たとえば煙草を猛烈に吸えば肺は炎症状態になります)などの攪乱が加えられると、正常細胞と癌細胞の「力の均衡」が崩れ、癌細胞にとっては爆増のチャンスが到来します。

 そしてそれだけでなく、特定の癌治療薬が投与されたときにも、癌細胞集団の中の「力の均衡」が崩れて、いままで逼塞していたマイノリティの癌細胞が、驥足をのばして、あらたに爆増することになってしまうのです。

 既視感におそわれないでしょうか? 中東情勢は、これと似たところがありませんか?

 米国がイラクのフセイン体制を打倒したら、それまでイラク国内の統治者集団だったスンニ派が失業して、やむなくアルカイダを結成し、かたやイラン(シーア派本尊)を憎んでやまない米国がサウジアラビア(スンニ派本尊)を甘やかした結果、アルカイダが世界じゅうに転移し、タリバンが強化され、さらにISという変異株まで生んだ。

 米軍がISを叩けば、イランから後援されているフーシやヒズボラやハマスが元気になって、サウジアラビアやイスラエルをテロ攻撃します。

 アルカイダのテロ攻撃を受けた米国が、サウジアラビア人のビンラディンをかくまったタリバン(アフガニスタン民族主義運動にしてスンニ派)を弱めようとしたら、表向きタリバンではないという地方ボスが芥子畑経営を米軍からなかば公認され、その巨額の麻薬収益が賄賂やタリバンの軍資金となって、アフガン政府・軍・警察を骨の髄から腐敗させ、けっきょくは元の木阿弥。

 近年までの癌治療は、海外の前近代的部族社会と似たこのような「力の均衡」のリアリズムを敢えて無視してきました。そのために、癌治療の延命成績も、みすみす、悪くされていたのです。

 本書は、くりかえし、強調しています。
 ある人の体内の癌細胞は、その出現の最初から、すでに多様である、と。

 多様であるために、一種類の抗癌剤で、絶滅させることは、ぜったいにできないのです。

 本書の白眉は、この真相に気づいた医師たちが案出している、薬に耐性をつけてしまった癌細胞を爆増させないための、さまざまな新戦法です。

 たとえば、「囮薬」。

 古くからある高血圧の薬、ベラパミルには毒性はほとんどない(したがって患者にもやさしい)。それを、癌治療薬に耐性をもっている癌細胞にふりかけると、その細胞は、分子ポンプを総動員してフルスピードでベラパミル成分を外へ押し出そうとする。それにかかりきりとなるために、もはや増殖のエネルギーが残りません。

 その結果、抗癌剤に耐性のない癌細胞が数的に優越している、つごうのよい状態が維持されてくれる。
 これが、患者の寿命をいちばん延ばす—といいます。

 その耐性のない癌細胞を、敢えて全滅させない。増殖させずに存在だけさせておくのです。
 非耐性の癌細胞が腫瘍内でマジョリティとして存在し続けるから、ライバル関係の耐性癌細胞の方はいつまでも驥足を伸ばせず、爆増できない。耐性細胞は、その耐性を発揮するために余計なエネルギー消費をしていますので、そのままなら、けっして爆増はできないものなのです。

 非耐性の癌細胞を除去してしまったら、そのときは、耐性癌細胞が爆増します。なぜなら、それまで非耐性細胞の存在が、耐性細胞の増殖を抑制していたからです。耐性癌細胞にとっての「制がん剤」は、非耐性癌細胞なのです。

 この考え方を、「ゲイトンビーの適応療法」というのだそうです。

 イスラエルがガザ地区で展開している作戦は、この方針に近いようにも思えます。定期的に、ハマスの幹部だけ殺し続ける。イスラエル軍にとって、パレスチナ人を絶滅させることはたやすいでしょうが、敢えてそんなことは考えないのです。ハマスという、過激だが一面でくみしやすい分子をほどほどに除去し続けることによって、ハマスよりも有能な脅威かもしれない新手のテロ集団はガザ地区内ではいつまでも成長しないのかもしれません。

 本書は教えてくれます。植物も同じだよと。

 つまり、農薬に耐性をもつ雑草は、ふだんは、農薬に屈しやすい雑草よりも優勢になることはありません。耐性を発揮するために使わざるをえないエネルギーの消費負担が大きいからです。そのため増殖のために使えるエネルギーの余裕はなくなっていて、ずっと小さな集団のままで推移するのです。

 しかしもしも、農薬に屈しやすい雑草が根絶されてしまったなら、その瞬間から、耐性種にはライバルがいなくなるので、じぶんたちの天下となって、爆増できることになるのです。

 「カクテル療法」も、ヒントに満ちています。
 1950年代からあり、複数の抗癌剤を組み合わせる、多剤併用法だそうです。

 たとえばウイルスが三つの異なる薬に同時に耐性をつけるよう進化する確率は、1000万分の1しかないそうです。
 だから、三剤か四剤まで薬を増やせば、一個の癌細胞がすべてのメカニズムに耐性をつけることはまずありえないという考え方。

 たとえば野鼠にとって、鷹に食われないように適応する方法はあるでしょう。そしてまた、蛇に食われないように適応する方法もあるはず。しかし、鷹にも蛇にも食われないようになる、そのような都合のよい適応や進化は、なかなかできないものでしょう。

 わが国の領土である島嶼を侵略してきた敵兵を全滅させるためには、やはり空からも陸からも同時に逆襲するのが、確実になるのでしょう。

 《効いている攻撃方法を、そのままダラダラと続けてはいけない》という戒めが、最近の癌治療の化学療法の分野にはあるようで、これも知っておく価値がありそうです。

 まず「第一の薬」を与えて、その「第一の打撃」で大量に癌細胞を殺す。ただし、全滅させようと望んではいけません。全滅するまで同じ薬の投与をしつこく続けようとするのが、癌との戦いでは、最悪手になるといいます。癌は、かならず進化するからです。

 まず第一の打撃により、敵集団の個体数と遺伝子多様性を減殺するのです。

 が、少数の癌細胞は生き残っている。でも、いいのです。そいつらは、一番目の薬剤を細胞外へ追い出すのに多大なエネルギーを使ってしまっているので、疲労困憊の状態です。肩で息をついている。

 そこで、早いタイミングで、サッと別の作用機序の薬に切り替える。これが「第二の打撃」。

 第一の打撃に耐えて生き残った癌細胞は、この別種の新打撃に対応する体力の余裕を、残していません。

 念のため、さらに、第三、第四の別種の薬に、テンポよく切り替えて行き、四回連続で、たてつづけに別種の打撃を与えるようにすれば、四種のまるで成分の異なった薬に耐性を発揮して生き残るような癌細胞は、ほとんどない—という次第です。

 このとき、一番目の薬が効いているからと、それをダラダラと使い続けると、癌細胞が耐性をつけてしまうのは、時間の問題。ですから、同じ攻撃法を長く続けることは、有害なのです。

 『孫子』は、《敵が進化する》ことを、ちゃんと警告してくれていました。

 『孫子』は「拙速」を強調しました。この「拙速」は、攻める拙速ではなく、撤退の拙速のことです(詳しくはPHP刊の兵頭著『新訳 孫子』を参照)。

 遠征軍は、決して、敵国内に長くとどまったらいけないと言っているのです。
 どうしてでしょう?

 どんなに弱っちい現地軍であっても、侵攻してきた占領軍が長居をすれば、占領軍の弱点を理解するようになり、ゲリラがそこを衝けるようになるからです。敵が早く進化し、「耐性」をつけてしまうのです。

 イラクやアフガンに長居をした米軍は、どうなったでしょうか?

 「一撃離脱」の外征戦争を繰り返すようにすれば、敵が「耐性」をつけてしまうリスクはありません。
 これが『孫子』の教えなのですが、わたし以外に、誰もそこを正しく読めていませんね。残念なことです。

 アメリカ人は、中東での敗因を依然として言語化できていません。そのままですと、また同じことをやりそうですね。』

「敵対勢力を無力化する」最もバレない方法

CIAの前身・米国戦略諜報局が導き出した「敵対勢力を無力化する」最もバレない方法とは
https://biz-journal.jp/2021/11/post_263504.html 

 ※ これを「忠実に、実行している”勢力”」って、目の当たりにしてるよな…。

 ※ 今日は、こんなところで…。

『よく目にする「会社の業績を上げる方法」や「組織を効率化する方法」を明かす本や記事。その一方で「組織を崩壊させる方法」や「会社のパフォーマンスを低下させる方法」はあまり耳にすることはない。

 ただ、「ある従業員が誰にも気づかれることなく自分の会社を崩壊させる方法」は存在する。それは上司の指示に従わないことだろうか?それともライバル企業に秘密を漏らすことだろうか?

 上司に歯向かったところで職場でのあなたの居心地が悪くなるだけで、特に組織がダメージを被ることはない。ライバル企業に秘密を漏らせばダメージを与えられるかもしれないが、大抵はバレてしまう。どちらも不正解だ。

 正解は意外かもしれない。「ある従業員が誰にも気づかれることなく自分の会社を崩壊させる方法」とは、一つには「組織に従順であること」なのである。
組織を崩壊に導く「従順」な方法

 かつてCIAの前身組織である米国戦略諜報局(OSS)が、敵対勢力を内部から無力化する戦術として編み出した「サボタージュ・マニュアル」。

 『アンチ・サボタージュ・マニュアル 職場防衛篇:組織を破壊から守る9の戦術』(北大路書房刊)によると、このマニュアルは、組織人としてごく普通に行動しているように見え、誰にも感知されることなく、自分の組織を破壊するためのノウハウである。

 冒頭で触れた、「誰にも気づかれることなく会社を崩壊させる方法」とは、まさにこのマニュアルの中身なのである。

 その最初の「従順であること」とは、どんなことであっても組織で定めたやり方を守ること。たとえ明らかに上司の指示がまちがっていて、従うと会社の利益を損ねることであっても、指摘せずに放置する。これを複数の従業員が行うことで、組織は得られた利益を失うばかりか、上司は自分の間違いに気がつかず、また同じ指示をするだろう。

 それ以外にも、

・「演説」せよ
(=会議の進行を遅らせ、決議事項を十分検討できなくしたり、決議できなくするために、会議中に長々と自説を語れ。)

・できるだけ頻繁無関係な問題を持ち出せ
(=会議中に「今の君の発言で思い出したんだけど」と唐突に無関係な話を持ち出して語れ。時間を浪費させるだけでなく、話を脱線させろ。)

・通信、議事録、決議の細かい言い回しを巡って議論せよ
(=どうでもいい個所の言い回しの正確さにこだわり抜け。)

以前の会議で決議されたことを持ち出し、その妥当性を巡る議論再開せよ
(=終わったことを蒸し返し、プロジェクトの推進力を奪え。)

 などの項目がこのマニュアルには存在する。

 ここまで読んだ人であれば、自分の所属する会社にこのマニュアルを実践する人がいたら、どれほど組織の生産性が落ち、どれほど根深い害になるかを容易に想像できるにちがいない。しかも、これらの行動はよほど度が過ぎない限り見とがめられることはなく、見ようによっては仕事熱心にも映る。これがキモなのだ。

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2021/11/post_263504.html
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『もちろん、あなたの会社に上のような行動をとる人がいても、それは競合企業から送り込まれたスパイだということではない。重要なことは組織のパフォーマンスを下げ、瓦解させる方策を熟知したOSSが導き出したこれらの行動を無意識にやってしまっている人が、どの会社にも少なからずいるということである。

 『アンチ・サボタージュ・マニュアル 職場防衛篇:組織を破壊から守る9の戦術』は、組織の生産性をさげ、瓦解に追い込むこれらの「無自覚な有害人物」にどう対処すべきかがまとめられている。

 自分の会社や職場、チームを振り返れば、おそらくここで挙げたような行動をとる人物があなたの周りにも見つかるはずだ。彼らに足を引っ張られないために、本書は強力な武器を与えてくれるだろう。(新刊JP編集部)

※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2021/11/post_263504_2.html
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『キリギリスが遊んでばかりなのは間違ってない』

『キリギリスが遊んでばかりなのは間違ってない』
https://orisei.tumblr.com/post/668116446312808448/6%E5%B9%B4%E7%94%9F%E3%81%AE%E7%94%B7%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%8C%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%8C%E9%81%8A%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%B0%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%AF%E9%96%93%E9%81%95%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%84%E5%87%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E7%90%86%E7%94%B1%E3%82%92%E8%81%9E%E3%81%8F%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%81%AE%E5%AF%BF%E5%91%BD%E3%81%8C1

 『“6年生の男の子が『キリギリスが遊んでばかりなのは間違ってない』と言い出した。理由を聞くとアリの寿命が1,2年に比べてキリギリスは2ヶ月らしい。確かにそれなら私も遊ぶわ。だって冬越せないんだから蓄える必要もないしね。子供といえども侮るなかれ。新鮮な学びをありがとう。”』

 ※ 「一文は、無文の師。」(「石舟斎遺訓」一つでも知識を有する者は、全く知識が無い者の師である(だから、どんな人に対しても、謙虚に「教えを乞う」という姿勢でいることが、大切…、という教え)…。

 ※ そういう「姿勢」でいないと、「他人様は、”知恵”を授けては、くれない。」…。

 ※ 「子供」に対しても、それは同じだな…。

あんなに「本」命、だった父が…。

あんなに「本」命、だった父が…。
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※ いずれ、本も読めなくなるし、ディスプレイも見れなくなる…。

※ オレも、せいぜい励まんとな…。

※ ただ、「思考力」だけは、「鍛えれば、伸び続ける」らしい…。

※ 「脳の神経細胞」自体は、死滅していくが、「各神経細胞どうしの連結」は、死ぬまで「連結させること」ができるそうだ…。

※ それを信じて、頑張ろう…。

アメリカ白人は「生まれる前から」レイシスト

アメリカ白人は「生まれる前から」レイシストであり、
死ぬまでレイシズムの原罪から逃れることはできない
【橘玲の日々刻々】
https://diamond.jp/articles/-/248160

 ※ いやいや、「衝撃的な」記事だ…。

 ※ インパクトという点では、今年読んだ記事の中での「ベスト」だろう…。

 ※ 丸々、紹介させていただきます…。

 ※ それにつけても、アメリカ人やって行くのは、大変だ…。

 ※ 白人だというだけで、「原罪」押し付けられたり、「内なる差別意識を直視し、真摯に向き合え!」と迫られるわけだ…。

 ※ うちは、仏教、それも「曹洞禅(道元禅師のな)」なんで、「なむしゃかむにぶーつ(南無釈迦牟尼仏)…。」とか唱えて、(頭の中で、座禅して)「悟りに向かって、日々修行」していればそれでよい…。

 ※ どーせ、坊主でもない一般人が、「悟りを開く」なんて、できっこ無い…。

 ※ それでも、誰からも「地獄に落ちるぞ!」とか「人として、不適格だ!」なんて糾弾されることも無い…。

 ※ 火葬なんで、「死後の復活」とか、「死後の裁き」とか、知ったこっちゃ無いしな…。

『アメリカでBLM(ブラック・ライヴズ・マター/黒人の生命も大切だ)の反人種差別デモが過激化の度合いを増している。その背景には、奴隷制廃止から150年、公民権運動から半世紀以上たっても、依然として黒人の地位が向上していない現実がある。

 その結果、「人種問題」をめぐってアメリカの白人は2つのグループ(部族)に分断されることになった。ひとつは保守派で、「法律上は平等な権利を保証され、そのうえアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)で優先枠までつくったのだから、現在の苦境は自己責任だ」とする。これについては代表的な保守派知識人の一人ヘザー・マクドナルドの“The War on Cops(警官との戦争)”を紹介した。

[参考記事]
●日本ではほとんど報道されない、BLM運動の嚆矢となった「ファーガソン事件」の真相と背景にある黒人の犯罪率の高さ

 それに対して、アメリカ社会の「構造的な人種差別」を批判する左翼(レフト)はどのように考えているのだろうか。それを知りたくて、BLM運動以降、アメリカでベストセラーとなったロビン・ディアンジェロの“White Fragility: Why It’s So Hard for White People to Talk About Racism(白人の脆弱性:白人にとって人種主義について話すのはなぜこれほど難しいのか)”を読んでみた。

 著者のディアンジェロは1956年生まれの「白人女性」で、「ホワイトネス(白人性)」の研究で博士号を取得し、大学で多文化教育を講じるかたわら、企業などにダイバーシティ・トレーニングを提供する活動を続けている。“White Fragility(白人の脆弱性)”はディアンジェロの造語で、これがなにを意味するかはおいおい説明しよう。
アメリカ白人は、「生まれる前から」レイシスト

“White Fragility”でディアンジェロは、批判的人種理論(Critical Race Theory)にもとづいてきわめて明快な主張をしているが、それは日本人(とりわけ「リベラル」)にとって容易には理解しがたいものだ。ここではできるだけ客観的に説明し、私の感想は最後に述べることにしよう。

 ディアンジェロによれば、アメリカ社会は人種・性別・性的志向などによって階層化されており、その頂点に君臨するのは「白人、男性、異性愛者・健常者・中上流階級」という属性をもつグループだ。だが「白人女性」や「白人のLGBTQI(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィア、インターセックス)」だからといって「人種主義Racism」から逃れることはできない。

 なぜならアメリカ社会の根底には、「white」と「people of color」の構造的な差別があるから。whiteは「白人」、people of colorは「有色人種」のことだが、raceを避けている用語に「人種」の訳語をあてるのは適切ではないだろう。直訳では「(肌の)色のあるひとたち」だが、これは日本語として違和感があるので、ここでは「ピープル・オブ・カラー」とカタカナで表記する。

 この訳語にこだわるのは、ディアンジェロの世界観が「白人」と「ピープル・オブ・カラー」の二元論だからだ。「奴隷制」と「植民地主義」という負の歴史の上につくられたアメリカ社会では、この2つの集団間の「差別のシステム」があらゆるところに埋め込まれているのだ。

 ピープル・オブ・カラーには黒人(アフリカ系)、ラティンクス/Latinx(ラテンアメリカ系)、アジア系、ネイティブアメリカンなどがいるし、人種間の結婚で生まれたひとたちもいるだろう。――中南米(ラテンアメリカ)に文化的・民族的アイデンティティをもつアメリカ人は「ヒスパニック」と呼ばれていたが、彼らは「スペイン語話者」でも「スペイン出身者」でもないため、「Latino(ラテン系男性)」や「Latina(ラテン系女性)」が好まれるようになり、近年はジェンダーフリーの呼称として「Latinx(ラテン系)」という新語が「PC=政治的に正しい」とされるようになったようだ。

 白人にも同様に、アメリカ社会の主流派であるWASP(イギリス系プロテスタント)だけでなく、かつては黒人同様に扱われていたアイルランド系やイタリア系、ナチスの弾圧を逃れてアメリカに渡ったユダヤ系や、新興移民として奴隷制も公民権運動も知らないロシア・東欧系などさまざまなグループがあるし、白人とピープル・オブ・カラーの結婚も珍しくなくなった。

 だがディアンジェロは、このように人種の多様性を強調することを否定する。「人種多様性」はピープル・オブ・カラーを分断し、白人に免罪符を与え、「白人VSピープル・オブ・カラー」という構図を曖昧にするだけだからだ。

 この二元論からディアンジェロは、「アメリカでは人種主義(レイシズム)は白人だけのものである」というかなり思い切った主張をする。ピープル・オブ・カラーのなかにももちろん、他の人種に対して偏見をもつ人間はいくらでもいるだろう。だがそれは、定義上、(アメリカ社会では)レイシズムとはなり得ない。その一方で白人は、祖先の国籍や家系の歴史に関係なく、存在そのものが「レイシズム」だ。

 これは、「白人は生まれながらにしてレイシスト」というだけではない。アメリカ白人は、「生まれる前から」レイシストなのだ。なぜなら白人というだけで、妊娠から出産までのあいだに、病院や保健センターなどでピープル・オブ・カラー(とりわけ黒人)とまったく異なる扱いを受けるのだから……。

 ディアンジェロは次のように述べる。

「私はアメリカで育った白人アメリカ人だ。私は白人の考える枠組みと白人の世界観をもち、白人の経験する世界を生きてきた。私の経験は普遍的な人類の経験ではない。それは人種が重要な意味をもつ社会、人種によって深く分断された不公平な社会のなかで、とりわけ白人が経験するものだ」

 アメリカで、あるいは西欧による植民地の歴史をもつすべての文化で、白人がレイシズムと無関係に生きることは原理的に不可能なのだ。』

『ディアンジェロは生物学的な人種概念を否定する

「すべての白人はレイシストである」という前提に立つ以上、当然のことだが、ディアンジェロはトランプ支持の「白人至上主義者」だけを批判したりはしない。こうした「可視化された人種主義」はこれまでさんざん俎上にあげられてきており、それにもかかわらず人種主義はなくならないばかりか、黒人の苦境はますます強まっている。

 ここで白人のリベラルは、「それはレイシズムへの批判が足りないからだ」としてBLM運動への支持を表明するかもしれない。だがディアンジェロは、こうした態度自体が「レイシズム」だとする。“White Fragility”は、「進歩的」で「寛容」なリベラル白人の「不可視のレイシズム」への糾弾の書だ。

 従来のリベラリズムは、個人を「黒人」や「女性」などのマイノリティにグループ分けし、ステレオタイプを押しつけることを「差別」だとしてきた。それを乗り越える方策が「カラーブラインド」や「ジェンダーブラインド」で、差別をなくすためのもっとも重要な心構えだとされている。――colorblindは色盲のことで、そこから「肌の色のちがいを見えなくする」の意味に使われるようになった。

 だがディアンジェロは、アメリカ社会でポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)の中核にあるカラーブラインドを否定する。

 アメリカ社会はずっと、カラーブラインドによって人種差別を克服しようとしてきたが、ディアンジェロからすればこれは「人種のちがいがないように振る舞えばレイシズムはなくなる」という虚偽以外のなにものでもない。「人種」を見えなくするカラーブラインドによって、誰ひとり自分をレイシストだといわなくなったとしても、レイシズムは厳然と存在するのだ。

 日本でも「女だから」とか「国籍がちがうから」などの理由で個人を評価することは差別と見なされるようになってきた。「個人をグループとしてではなく、一人ひとりの個性や能力で評価する」というIndividualism(個人主義)はリベラルの大原則で、ほとんどのひとが当然だと思うだろうが、ディアンジェロはこれも否定する。「彼/彼女が黒人であることは採用・昇進になんの関係もない。なぜなら人種ではなく“個人”を評価しているから」というのは、リベラルな白人が自らのレイシズムを隠蔽・正当化するときの典型的な手段にすぎない。――さらには、「客観的な評価によってバイアスから自由になれる」という「客観主義」も否定される。バイアス(偏見)は人間の本性で、どのようなことをしてもそこからフリー(自由)になることはできないのだ。

 この「カラーブラインド」と「個人主義」の全否定は、「リベラル」にとっては驚天動地の話だろう。だがこれは、考えてみれば当然でもある。アファーマティブアクションは「人種」というグループで優遇するかどうか決めているのだから(ディアンジェロは「資格のある特定のマイノリティに白人と同等の機会を与えること」と定義する)、カラーブラインドと個人主義を徹底すればその根拠はなくなってしまう。「差別されたマイノリティ」を制度によって救済しようとするなら、「人種」という概念を認めるほかない。その意味では、ディアンジェロの一見過激な主張の方が筋が通っているともいえる。

 ディアンジェロはもちろん、生物学的な人種概念を否定する。近年の遺伝人類学や行動遺伝学では「ヒト集団」のちがいが大きな論争になっており、イギリスのリベラルな科学ジャーナリスト、アンジェラ・サイニーは『科学の人種主義とたたかう 人種概念の起源から最新のゲノム科学まで』(作品社)でこのテーマと格闘しているが、ディアンジェロは論文1本を根拠に「肌の下に真の生物学的な人種はない」と一蹴している。

[参考記事]
●アメリカでリベラルと「レフト」が衝突する「人種主義Racism」。「人種」概念の否定と遺伝的な「ヒト集団」が混乱を起こしている

 生物学的な「人種」は虚構で、「人種」概念は社会的につくられたというのが「社会構築主義」だが、その立場からすると、リベラルのカラーブラインドや個人主義は、社会的な構築物である「人種」を否定し、アメリカ社会の根底にある「構造的レイシズム」を容認することなのだ。

 ここまでくれば、ディアンジェロが「リベラル」ではなく「左翼(レフト)」である理由がわかるだろう。その批判の刃は、頑迷なトランプ支持の「白人至上主義者」よりも、彼らを口先だけで批判する「エリートの白人リベラル」に向けられているのだ。

 だがこの論理を、自分のことを「レイシズムとは無縁なリベラル」だと思っている白人は容易に理解することができない。そこでディアンジェロは、企業のダイバーシティ・トレーニングで(黒人のコーディネーターといっしょに)、白人の従業員に対して「レイシストとはあなた自身のことだ」という“事実”を伝える。すると白人たちはこの“攻撃”に驚き狼狽し、怒ったり、言い訳したり、無言になったり、席を立ったりする。こうした反応が“White Fragility(白人の脆弱性)”なのだ。
ディアンジェロは「リベラル」な白人の偽善を徹底的に批判する

 左翼(レフト)であるディアンジェロは、「リベラル」な白人の偽善を徹底的に批判する。それが、「よい白人」と「悪い白人」の二元論だ。

 リベラルを自称する白人にとって、「悪い白人」のステレオタイプは「無知、田舎者、偏見、意地悪、年寄り、南部人」で、「よい白人」のステレオタイプは「進歩的、高学歴、寛容、良心的、若者、北部人」だ。そして、トランプ支持の白人至上主義者に「悪い白人」のレッテルを押しつけることで、自らを「よい白人」に分類して安全圏に逃げ込んでいるとされる。

 ディアンジェロが述べているわけではないものの、こうした視点は映画『スキン』を見たときの違和感をうまく説明する。

 ガイ・ナティーヴ(イスラエル出身のユダヤ人)監督のこの映画では、カルト的な白人至上主義団体で育ち、顔面を含め全身に無数の刺青(タトゥー)をしたレイシストの若者が、シングルマザーとその子どもたちに出会ったことで人生をやり直したいと願い、組織と対決する。

 これは実話を元にしていて、映画としてもよくできているが(主役は『リトル・ダンサー』の少年)、ここまで白人至上主義者を悪魔化してしまうと、映画を見たほとんどの白人は、自分にはなんの関係もないことだと思うのではないだろうか。白人至上主義のカルト団体に所属する全身刺青のレイシストなど、アメリカじゅうでせいぜい数百人しかいないだろうから。

 ディアンジェロにとっては、リベラルが好む「頑迷固陋な白人至上主義者」は、白人エリートの自己正当化にすぎない。「悪い白人」を自分とまったくちがう異形の存在にしてしまえば、「よい白人である私」は人種差別とはなんの関係もなくなるのだ。

“White Fragility”では、会社のダイバーシティ・トレーニングで白人従業員が、自分はレイシズムとは無縁だと主張するときに使う科白がたくさん紹介されている。

・あなたがピンクだろうが、紫だろうか、水玉模様だろうが私は気にしない。
・あなたがたまたま黒人だったとしても、私があなたについて語ることとはなんの関係もない。
・人種を問題にすることはわたしたちを分断する。
・もしひとびとが私をリスペクトするのなら、人種にかかわらず、私もそのひとたちをリスペクトする。
・私はレイシストではない。なぜならカナダから来たから。
・私は貧しい家庭に育った(白人特権の恩恵など受けていない)。
・私はとても多様性のある職場で働いている。
・家族にピープル・オブ・カラーがいる(あるいは結婚している、子どもがいる)。
・60年代の公民権運動に参加した。
・中国から養子をもらった。
・日本に暮らしたことがあり、マイノリティがどういうものか知っている、などなど。

 ダイバーシティ・トレーニングというのは、こうした「言い訳」を一つひとつつぶして、自らの「内なるレイシズム」に直面させることなのだ。

 大企業で働く(恵まれた)白人が、白人特権(white privilege)をあっさり免責してしまうことを受け入れがたいマイノリティがいることは間違いないだろう。その意味で、ディアンジェロの主張に説得力を感じるところはあるものの、「白人女性の涙(White Women’s Tears)」という章を読むと複雑な気持ちにならざるを得ない。ここではダイバーシティ・トレーニングで、自らのレイシズムを指摘された白人女性が泣くことについて述べられている。

 黒人などのマイノリティに共感していて、レイシズムに断固反対してきたと信じている白人女性が、「あなたのその態度がレイシズムだ」といわれて混乱し、泣き出すというのは想像できる光景だ。そんなとき、まずは同席していた白人女性や白人男性が泣いている女性をなぐさめようとし、ときにはそれに黒人男性が加わって、講師であるディアンジェロを批判するのだという。

 これに対してディアンジェロは、「泣く」ということ自体が、自らの内なるレイシムズを直視することから逃げ、「女」を利用して周囲の同情を集めて自分を守ろうとする“White Fragility”の典型だとする。なぜなら「感情とは私たちのバイアスと信念、文化的なフレームワークによってつくられたもの」であり、「感情とは政治的なもの」だからだ。

 そして、泣き出した白人女性をなぐさめることは、「交通事故が起きたとき、(犠牲者である)通行人が道に倒れているにもかかわらず、(事故を起こした)車の運転手に駆け寄るようなもの」だという。これを読んだときは、アメリカの白人はこんな仕打ちにも耐えなくてはならないのかと思わず同情した。』

『「現状維持」がレイシズムなら「現状を破壊する」行為はそれがどんなものであれ反レイシズム

 ディアンジェロのダイバーシティ・トレーニングは、白人従業員にとってはかなり過酷な体験だ。だったらなぜ、企業はこんなことをさせるのか。

 それは大企業の経営者が、いつ「人種差別的」と批判されBLM運動の標的になるかわからないと戦々恐々としているからであり、白人の従業員(とりわけ中間管理職)が黒人の部下や同僚とどのように接すれば「人種差別的」と見なされないかわからなくなっているからだろう。

 そこで彼らは、藁にもすがる思いでダイバーシティ・トレーニングを受講する(自分たちはここまで努力しているという免罪符を手に入れたいというものあるのだろう)。ところがそうすると、「白人という存在そのものがレイシズムだ」といわれ、「脆弱性」をさらけ出すことになってしまうのだ。

 私はアメリカで暮らしているわけでもないし、そもそも「ピープル・オブ・カラー」として、定義上、レイシストにはなり得ないのだから、複雑骨折したようなアメリカの「人種問題」についての論評は控えるべきかもしれない。

 それでもひと言だけいわせてもらえば、ディアンジェロの論理は、キリスト教的な「原罪」とフロイト主義(精神分析)のグロテスクな組み合わせのように思える。アメリカの白人は「白さ(ホワイトネス)」という原罪を背負っているものの、それを無意識に抑圧し「白人特権」を守ろうとしている。とりわけリベラルな白人は、「悪い白人」を悪魔に見立てることで自分のなかの「悪」を外部化し、内なるレイシズムを否認・正当化しているのだ。

 しかしそうなると、どのような説明・弁解・抗議をしても(あるいは謝罪しても)、すべてが「抑圧されたレイシズム」と見なされてしまう。このロジックは自己完結しているので、逃げ場はどこにもない。

 ディアンジェロは、アメリカの(リベラルな)白人が求めているのは「status quo(現状維持)」だという。すべては、レイシズムを否認して「白人特権」という現状を守るための暗黙の策略なのだ。こうして、コリン・パウエル(ブッシュ政権の国務長官)やクラレンス・トーマス(最高裁判事)のような保守的な黒人の成功者はもちろん、バラク・オバマですら「現状維持を支え、(白人を)脅かすといういかなる意味でもじゅうぶんにレイシズムに挑戦しなかった」と批判されることになる。

 ここから、一部のBLM運動の常軌を逸した(ように見える)ラディカリズムが理解できるのではないだろうか。「現状維持」がレイシズムなら、「現状を破壊する」行為は、それがどんなものであれ反レイシズムなのだ。

 ディアンジェロのような白人知識人がこうした極端な思想をもち、それが一定の支持を集める背景には、アメリカのアカデミズの実態があるのかもしれない。ディアンジェロが認めるように、アメリカの大学教員の84%は白人で、それはまさに「構造的レイシズム」そのものだ。この事実を否認し正当化する必要があるからこそ、アメリカの白人知識人は、ごくふつうに暮らし働いている市井の白人に「レイシスト」のレッテルを押しつけようとするのではないだろうか。

 こうしたラディカリズムは、いったいどこに向かうのか? ダイバーシティ・トレーニングの目的をディアンジェロは、「白人が引き起こしたレイシズムを直視する痛みに耐えるスタミナをつけること」だという。そして、「レイシズムを(ピープル・オブ・カラーと同様に)生と死の問題だと考え、あなたの宿題をすること」が重要だとする。

 もちろん、白人であるディアンジェロ自身もレイシズムから自由になることはなく、学びが終わることもない。アメリカの白人は「生まれる前から」レイシストであり、死ぬまでレイシズムの原罪から逃れることはできないのだ。――そう考えれば、これは一種の「宗教運動」にちかい。

 自らが「原罪」を背負っていると考える白人がなにをしようと自由だが、民主的な市民社会で、なんら法を侵すことなく暮らしているひとたちにこうした「罪」を負わせるのは酷だし、ひとは自分が「悪」であることを受け入れることなどできない。このラディカルな人種理論は「人種問題」の解決に役立たないばかりか、状況をさらに悪化させるだけではないだろうか。

橘 玲(たちばな あきら)
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作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『女と男 なぜわかりあえないのか』(文春新書)。』

子どもがいてもいなくても、世界について考えるのは難しくなってると思う。

子どもがいてもいなくても、世界について考えるのは難しくなってると思う。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/

 ※ そーですか…。

 ※「世界のでき事」についての情報を、入手するのは、ちょっと前に比べると、はるかに簡単に、素早く、大量に手に入るようになったと思いますが…。

 ※ むしろ、問題は、そうやって「入手した情報」を、キチンと「位置付け、分析・解析、理解する」体制が、自分の中に構築されているのかだと思いますが…。

 ※ そういう情報の「位置付け・整理」のための「ツール(思考ツール)の構築」こそが、最重要だと考えますが…。

『リンク先の文章は、子どもを持たない大人が増えることで自分の代までしか考えない人も増え、世界の持続可能性が危機にさらされるのではないか、といった趣旨だ。「私の死んだ後のことなんかどうでもいい」と皆が考えるようになり、後々の世界に思いを馳せなくなったら、世界の持続可能性は怪しくなるだろう。欧米を中心に若い人たちが世界の持続可能性について大きな声をあげ、その槍玉に挙げられているのがそのような大人たちであることを思い出したりした。
 
セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史 (SB新書)

作者:前島 賢
SBクリエイティブ

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でもって、リンク先の筆者は「セカイ」というサブカルチャーの語彙を使って、そうした大人たちの世界観が自分を中心とした狭い範囲にとどまっていること、ために未来を志向しない自己中心的な死生観を持っていることを指摘している。親になる人が減るぶん、死後の未来について考える人も減るというのは、まあ、そうかもしれない。少なくとも人の親になり、まっとうに親を引き受けている人なら、子どもの代の未来まで考える動機が発生するからだ。
 
他方、それだけでもあるまいと思ったりもする。
 
なぜなら、人の親になるかならないかが世界の捉え方を全部決めてしまうわけではないからだ。たとえば輪廻をベースとした宗教を信じている人や、一族の先祖供養を行っている人、連綿と続く地域の葬祭行事に加わり続けている人などは、人の親になるかならないかに関わらず、自分が死んでも世界が続く世界観・死生観を生きている可能性は高い。自分の子どもという具体性の塊のような未来に比べると、これらは抽象的で、共同幻想に類するものではあるのだけれど、太古の葬祭の痕跡などが示しているように、案外そのようにできあがった世界観で生きていける・生きてしまうのが人間であるように思う。
 
なので、冒頭リンク先の主題であろう「自分の代のことしか考えない大人の増加」とは、(養子縁組も含めた)子育てに参加するしないの問題に加えて、過去から未来へとつらなるような世界を生きていない人が増えていること、死生観や世界観がそのように変わってしまっていることが大きいと私なら思う。で、冒頭リンク先の筆者が「(セカイ系に由来しているらしき)セカイ」という語彙をわざわざ選んでいるのも、そうした死生観や世界観も問題の一端であることを意識してのものだろう。
 
なら、そうした今しかない死生観や世界観が台頭し、過去から未来へと連なるような死生観や世界観が尻すぼみになっているのは何故なのか。
 
ここまでの話から、宗教の衰退や、イエ制度などと深くかかわりを持ってきた盆暮れ正月といった行事の衰退や形骸化を挙げることはたやすいし、実際、既存宗教はすごい勢いで衰退してもいる。それらが死生観や世界観に与える影響は無視できるものではないので、宗教の衰退や形骸化を、生涯未婚率の上昇と並ぶ「自分の代のことしか考えない大人の増加」の理由として挙げるのは簡単ではある。
 
でも私には、その既存宗教の衰退や形骸化も原因ではなく結果であるよう思えてならない。既存宗教が衰退したり形骸化したりしたのは、むしろ、そのような宗教と相性の良い死生観や世界観を持てない環境ができあがってしまったからのようにみえてしまう。
 
既存宗教と相性の良い死生観や世界観が持てない環境とは、どういったものなのか。
ちょっと切り口が異なるかもしれないが、アーカイブで一番これに近いことを書いたのは以下のブログ記事のものだ。 
 
blog.tinect.jp

 
「老害製造装置」というタイトルがついてしまっているが、要旨としては、いまどきの生活環境では他人とコミュニケーションする必要がないし、それは団塊世代あたりから日本人が望んできたことだ、といったことが書いてある。
 
戦後からこのかた、日本人の生活空間はイエ的で集団的なものから、個人的でプライバシーのあるものへと変わってきた。同じく、日本人の生活時間もまた、家族や同郷集団と長い時間を過ごすものから、一人で過ごす時間の長いものへ、個人それぞれのスケジュールに従うものへと変わってきた。これらの変化が日本人の意識を、あるいは社会病理性の内実をも変えていったことは想像にかたくない。
 
日本人の意識も生活実態も、血縁集団や地縁集団といった単位からは離れていき、核家族や個人といった単位に基づいたものに変わっていった。もちろんこれは人々の意識だけが変わっていったのではなく、家屋や街並みといったアーキテクチャも平行して変わっていったこと、働き方や余暇の過ごし方が変わっていったこと、ウォークマンやスマホの普及といったエンタメが変わっていったなどととも、全部つながりあった変化とみるべきなのだろう。
 
なんにせよそうやって個人化が総合的に進んだ結果、いわゆるゲマインシャフト的なものが暮らしの時空間から排斥され、旧来の宗教観がそのままアプライできる状況が珍しくなり、「自分の代のことしか考えない大人の増加」に親和的な死生観や世界観がアプライできる状況が一般的になった。
 
想像してみて欲しい。アパートやマンションの自室で365日を過ごし、親世代や子世代とのコミュニケーションにも煩わされず、自分のやりたい仕事や趣味や人間関係にすべてを費やし、スケジュールも全部自分で決められる──そういう個人生活のなかで、過去から未来へと連なるような死生観や世界観を持つのは結構アクロバティックなことではないだろうか。
 
そういう個人でも、子育てをしているうちはそうした死生観や世界観を持っていられるかもしれない。しかし子育てをしなければそうした死生観や世界観を持つことは難しいし、たかだか20年かそこらの子育て期間を終え、親子が別々に暮らすような核家族的環境(または単身世帯的環境)に戻ってしまえば、やっぱりそのような死生観や世界観を維持するのは難しくなってしまう。
 
冒頭リンク先でid:Ta-nishiさんは、
 

このまま非婚率が天井知らずに上昇を続け、非婚者がマジョリティとなり、「私が死んだ後のことなんかどうでもいい」という「無敵の人」が多数派を占めるようになった未来が訪れたとして、そのときこの世界のサステナビリティはどうなってしまうのだろうか?

と締めくくっておられるが、思うに、少子化がここまで進行してしまう前の段階で(世界の、というより現在の日本国の、と訂正はしておくけど)サステナビリティは維持できなくなっていたように思える。つまり死生観や世界観の変化も、少子化も、全部ひっくるめての話として、ある程度以上にきわまった社会契約的-個人主義的社会はサステナビリティにもともと問題を抱えていて、たとえばアメリカが移民を集めたり、東京が田舎者を集めたりするように、外部からの人口流入をあてにできなければ成立しないもののように思えてならない。
 
最近、この、サステナビリティという言葉がほうぼうで使われているけれども、国や都市によってサステナビリティのための課題は結構違っていて、たとえばニューヨークのような街はどれほど社会契約的-個人主義的社会を突き詰めようとも人口流入があれば街そのもののサステナビリティに問題はない。ニューヨークは、地球温暖化さえ回避できれば持続可能な街にみえる。
 
一方、東京や大阪のような東アジアの街はニューヨークほどには人口流入をあてにできないし、移民制度を正当化するポリティカルコレクトネスも含めた人文科学上の建付けも甘いので、地球温暖化を回避しただけでは持続可能ではない。まして、日本の町村部ともなるとサステナビリティなど午睡の夢、地域社会が丸ごと山林に沈もうとしている。
 
最後に話が脱線した。が、こんな具合に私は、今の日本の生活環境で暮らしている限り、子どもがいてもいなくても世界について考えるのは結構難しいとみているし、自分自身を顧みても、どこまで考えているといえるのか、疑わずにいられなくなる。
 
この、高度に個人化され、他人と深く付き合うことなく暮らせてしまえる社会のなかで、それでも過去や未来に連なる想像力を持てる人というのは、逆にどうやってそういう想像力を涵養しているのだろうか? あるいは、どういう想像力を持ったことをもって過去や未来に連なる想像力が持てていると定義して構わないのだろうか?
 
そのあたりが今の私にはなんだかよくわからない。たとえば地球温暖化についてニュースで見て、再生可能エネルギーを重視する企業の商品を買うよう心がける人がいるとして、それでもって過去や未来に連なる想像力を持てている人だと言って構わないものなのだろうか?
 
地球環境というマクロな視点を除外するなら、お盆や彼岸のたびに先祖の御霊をお迎えしているような、そういう生活環境で暮らしているのと比較すれば、私たちが過去や未来を肌で感じる機会と動機、いや、導線は少なくなっていると私は思わずにいられない。うまくわかってもらえるかわからないけれども、本当は、私は死生観や世界観を規定する第一要因はアーキテクチャとしての社会環境だと思っていて、宗教は、その後ろから追いかけてくるもの(またはアーキテクチャに沿って盛衰するもの)だとか思っている。死生観や世界観が変わるとしたら、それは第一にアーキテクチャが変わる時じゃあないだろうか。
 
長文になってしまったので今日はこのへんで。SNSが世界じゅうを繋ぐようになったからって、世界について考えるのが簡単になっているようには思えない。』

中国で芸能界の規制強化 なぜ?

中国で芸能界の規制強化 なぜ?
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211109/k10013334371000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_007 

 ※ 雑用に見舞われたんで、今日は、こんなところで…。

 ※ 『芸能人やアイドルの「人気ランキング」やファンによる「投票行為」は、民主的な選挙を連想させ、中国共産党の一党支配に対する批判につながりかねないとして、警戒を強めているという指摘があります。』…。

 ※ 『理由については「若者のゲーム依存を防ぐため」などと説明していますが、ここにも、政府の統制のおよばないところで不特定多数の人が集まることへの警戒があるとみられています。』

 ※ なるほど…。そこか…。

 ※ 『取材に応じた中国のゲーム制作会社の担当者は、宗教をモチーフにしたゲームの制作を進めていましたが、ある日突然、当局からとみられる通知を受け取りました。

そこには「宗教を暗示させるようなものにしてはならず、宗教色をゼロにしなければならない」と書いてあったということです。

なぜ、宗教をモチーフにすることが禁止となったのか理由は明示されていませんでしたが、この担当者は急きょ、ゲームのストーリーやキャラクターの変更に追われているということです。』…。

 ※ これについては、ちょっと語っておこう…。

 ※ 共産主義、社会主義の重要な「理屈づけ」の一つに、「弁証法的唯物論」というものがある…。

 ※ 「弁証法」は、ギリシャ哲学の昔からある「論」だが、近年はヘーゲルのそれの方が有名だ…。

 ※ 前にも、語ったことがある…。(〔弁証法ーその2〕 https://http476386114.com/2020/08/24/%e3%80%94%e5%bc%81%e8%a8%bc%e6%b3%95%e3%83%bc%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%92%e3%80%95/ )

 ※ 例の、「正-反-合」というものだ…。

 ※ それだけでは、「変化の契機」「変化のメカニズム」を説いたもので、それほど大した話しとも思われない…。

 ※ しかし、これが「唯物論」と合体して、「弁証法的唯物論」となると、一転して、「剣呑なもの」となるんだよ…。

 ※ ( 「唯物論」なんかの話し…。 https://http476386114.com/2020/08/03/%e3%80%8c%e5%94%af%e7%89%a9%e8%ab%96%e3%80%8d%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%8b%e3%81%ae%e8%a9%b1%e3%81%97%e3%80%82/ )

 ※ 『※ 非常に「ザックリ」とした理解・説明を、語っておく…。ごくごく、サワリの話だし、極めて「常識的」な話だ…。細部は、各人で肉付けされたし…。

 まず、もの事の「本質」を考察する場合、「物質的なもの」に重きをおくのか、「精神的なもの」に重きをおくのか…、という立場決定がある。

 前者が「唯物論」であり、後者が「唯心論」だ…。

 弁証法とは、もの事の「本質」に迫ろうとする方法論、あるいは、もの事の「本質」の説明のし方・やり方の一種だ…。「あるテーゼ」を立てたものに対して、それに反する「アンチ・テーゼ」をぶつけて、その両立しがたい両者の相克から、「新たなこと」(より高次の価値あるもの)が生じるものなんだ…、とする考え方だ。ヘーゲルが完成させたとされ、「正」「反」「合(正でも反でも無い、新たなもの)」という形で、説明される事が多い…。

「正」と「反」がぶつかって、「合」が生じることを、「アウフヘーベン(aufheben)」と称し、「止揚」と訳されている…。

 唯物論に立ち、弁証法的方法論に立脚し、これを「歴史」の理解に適用したものが、「唯物史観」だ…。
 歴史の展開、歴史の変遷は、「物質的なもの」を基盤として生じるもので、「正」「反」「合」のダイナミズムによって、理解できるのだ…、とか主張するわけだな…。

 ここいら辺までは、もの事や歴史の「本質」を解明しようとする、思弁的・哲学的な「考察」にとどまっているので、そんなに「現実的な力(ちから)」は、持たない…。

 しかし、世の中、そういう思弁的・哲学的な「考察」だけでは、済まないから、だんだん剣呑(けんのん)なものとなって行く…。』

 ※ 「科学的社会主義」という用語を、聞いたことがあるだろうか…。

 ※ 「資本主義から、社会主義への”移行””変化”は、科学的なものだ。」という主張だ…。

 ※ そういう論者によれば、「物理法則(水が高きから低きに流れる)と同等なほど、確かなこと。」なんだそうだ…。それを称して、「科学的」と言っている…。

 ※ そういう”主張”においては、この世界は、「唯物論」じゃ無いと困るんだよ…。
 ※ 「物理法則と同等なほど」と、言えなくなるからな…。

 ※ まあ、そーゆーこと…。

『中国政府が、芸能界やゲーム業界への規制を強化しています。

中でも標的となっているのが、アイドルなどのファンクラブです。

お気に入りのアイドルを支援する活動が、なぜ規制の対象となるのか。一見、政治には関係がないように見える業界まで神経をとがらせる習近平政権のねらいとは?

わかりやすく解説します。

(取材班 上海支局・柳原章人、小林崇、広州支局・高島浩、NW9・岡部陽介、国際部・建畠一勇)

芸能界への規制って、どんなことが行われるの?

ことし8月、中国政府によって禁止されたのが、芸能人やアイドルの「人気ランキング」や、ファンによるいわゆる“推し活”としての「投票行為」、それに未成年がアイドルにネット上でお金を送る、いわゆる「投げ銭」という行為などです。

また、テレビ局などに対しては、共産党や国家から心が離れている芸能人の起用を禁じたり、アイドル育成番組の放送を禁止したりしています。
なぜ、芸能界で規制が強化されているの?
熱心なファンによる活動が過熱していることが背景にあるようです。

ことし9月、韓国の男性アイドルグループBTSのジミンさんの誕生日を祝おうと、中国のファンが募金を募り、ジミンさんの顔写真を塗装した飛行機を飛ばす計画を呼びかけました。
多くのファンの賛同を得て、わずか1時間で日本円にしておよそ4000万円の募金が集まりました。

しかし、ネット上では批判的な意見も相次ぎ、炎上する事態となったため、当局が中国版ツイッターのファンのアカウントを一時停止しました。

人気アイドルにまつわる炎上はほかにも起きています。

中国の人気オーディション番組では、応援したいアイドルへの投票権が得られる乳製品をファンが大量に購入。

中身を飲まずに排水溝に廃棄する動画がSNS上で拡散され、炎上する事態となりました。

今回打ち出された数々の規制は、こうしたファンの過熱ぶりを沈静化させるねらいがあったとみられます。

芸能界を、中国政府が標的にしているのはどうして?

芸能人やアイドルの「人気ランキング」やファンによる「投票行為」は、民主的な選挙を連想させ、中国共産党の一党支配に対する批判につながりかねないとして、警戒を強めているという指摘があります。

また、ファンクラブなどについては、政府の統制が行き届かないところに集団が形成され、そこで政府に批判的な声があがることを警戒しているとみられています。

ファンたちの受け止めは?

今回、アイドルファンの若者を取材したところ、情報交換のためにファンどうしが集うSNSサイトを見せてくれました。

そこには、アイドルを応援するメッセージだけでなく、政府や中国社会を批判する発言も散見されました。

中には
「まるで文化大革命だ。国は一つの声しか許さない」
「中国社会はとっくに終わっている。だれも庶民の声を聞かない」
といったものまでありました。

中国政府の思惑は?

東京大学大学院の阿古智子教授は「共通の関心がある人たちがどこからともなく集まってくると、それがグループになっていく。組織化すれば集団としてさまざまな行動を起こす人たちが出てくる。もしかしたら中国共産党の政策に反対するような声が大きくなるかもしれない。政府がコントロールできない傾向があれば、事前に芽を摘んでおきたいのだろう」と、規制の背景を分析しています。

ゲーム業界の規制はどうして?

芸能界と同じ理由だと思われます。

オンラインゲームについても、多くの若者たちがインターネット上でつながるという点で共通しています。

中国政府はことし8月、未成年を対象に規制を導入すると発表。

企業がサービスを提供できる日を金曜から日曜までと法定休日のみに限定し、時間も夜8時から9時までの1時間としました。

理由については「若者のゲーム依存を防ぐため」などと説明していますが、ここにも、政府の統制のおよばないところで不特定多数の人が集まることへの警戒があるとみられています。

規制強化を受けて、どんな影響が出ているの?

早速、ゲームを競技として競い合う「eスポーツ」の分野に影響が出ています。

中国はオンラインゲームの一大市場で、eスポーツの育成にも国をあげて取り組んできただけに、業界からは困惑の声も出ています。

NHKが取材したプロのゲームプレーヤーを育成する上海の専門学校では、以前は未成年を含むおよそ100人の若者が、寮生活をしながら連日12時間以上の授業を受けていました。
しかし、規制の導入で授業が成立しなくなり、およそ8割の生徒が退学したため、廃校せざるをえない状況だといいます。

ゲーム制作会社にも影響

ゲームの対象年齢や時間だけでなく、コンテンツにも影響が及び始めているようです。

取材に応じた中国のゲーム制作会社の担当者は、宗教をモチーフにしたゲームの制作を進めていましたが、ある日突然、当局からとみられる通知を受け取りました。

そこには「宗教を暗示させるようなものにしてはならず、宗教色をゼロにしなければならない」と書いてあったということです。

なぜ、宗教をモチーフにすることが禁止となったのか理由は明示されていませんでしたが、この担当者は急きょ、ゲームのストーリーやキャラクターの変更に追われているということです。

担当者は「表現の自由が厳しく管理されると、ゲーム本来の楽しさがなくなってしまう。こんなところまで政府が介入するのはおかしい」と困惑していました。

ゲーム産業が盛んな日本への影響は?

阿古教授は「中国当局は海外から入ってくる思想をすごく警戒するので、そうした中で日本に対する見方も厳しくなる可能性がある」として、今後はゲーム産業のみならず、文化交流全体にも影響が出かねないと指摘しています。 』

人生でのスキルアップはもういい

人生でのスキルアップはもういい
http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/5295916.html

 ※ nappi10さん、「悟りの境地」に入られたようだ…。


『多少は器用な方の人間だろうが、20代になっても目指したいものが見つからなかった。
そんな自分には、当時の日本の教育の在り方も社会も受け入れ難かった。何とか留学のチャンスをつかみ、自力で好きな学校に転校、在籍を繰り返し、その合間に一人旅を楽しみ、生きてく為に懸命に働いたし、必要から語学も学び、恋愛も、結婚も離婚も再婚も経験した。

何とか一人前の人間になろうと、初めて自発的にスキルアップに励んだ時期だった。

それでも目標は見つからず、帰国して、やみくもに働いた。結果的に、無駄だと思っていた、それまでに学んだり、経験していたことの断片が繋がり、自分の適性と、それを利用できる仕事が見えてきて、30代にやっと目標が定まり、以後、会社勤務、経営へと邁進した。

その時期は、次から次へと新たなイノベーションが出現し、コンピューターだ、携帯、SNSだ、GPSだと、それらを使いこなすためのスキルアップに必死だった。

人生でしてみたかった事をほぼやりつくし、60代には余生を迎える準備に入り、今に至っている。

もう、あくせくと、生きて行くために新たなスキルアップで時間をつぶしたくはない。

何かわくわくするものにだけに日々の時間を割き、晴耕雨読の毎日でいたい。

家の周りで、昆虫やカエルを観察したり、毎日来るキツネや、冬になると来てくれるキジへの餌の用意もそれで、最近揃えた3台のカメラで、彼らや季節の変化を記録するのも楽しく、楽しいから酷暑も酷寒も苦にならないし、負けない為に鍛練もしている。

しかし社会は、新世代のコンピューターや、カード決済を押し付け、情報や手続きにスマホが無いと困るような、さらなるスキルアップを求めてくる。

もういい加減放って置いてもらいたい。

今は懸命に、シンプルで質素な生き方が出来るように、それらと、なるべく距離を置く努力をしている。つまり、ゆっくりと逆行してアナログで生きて行きたいのだ。

倉庫に機械はあるが、時間はかかっても汗を流しながら草刈りはカマで行い、除雪はスコップだ。

これまでの人生、十分に忙しく楽しかったから、残りはマイペースで、スマホ等気にせず、空を見ながら過ごして行こうと思う。

動物たちの様に、、。

禅的生き方と言う人もいるが、筆者にその素養は無い。強いて言えば、今は亡き、九州佐賀出身で実業家で武道家でもあった祖父の影響だろう。

(写真:水はけが悪く、木々が立ち枯れしていた藪に排水溝を増設すると木々は蘇った。一本には、毎年ツタが絡まり、きれいな朱赤を見せてくれる。一番上は中庭、雪が積もる頃、キジが三角形のオンコの木の中に泊りに来る 撮影:2021/11/5)』

【お寺の掲示板の深い言葉 1】「おまえも死ぬぞ」

【お寺の掲示板の深い言葉 1】「おまえも死ぬぞ」
そんな言葉をお釈迦さまは本当に口にしたの!?
https://diamond.jp/articles/-/180435

『スティーブ・ジョブズはこう語った

 ツイッターでこの写真を目にした方も多いかもしれません。投稿した方は「ここまで衝撃を受けたのは初めて」とコメントしています。いいね!とリツイート併せてすでに15万件。書き込みには共感の声が多いようです。

 自分もいつかは死すべき存在である、ということを日頃私たちは忘れてしまいがちな世の中です。「釈尊」つまりお釈迦さまは、本当にこう口にされたのでしょうか。

 釈尊の教えを伝えるとされる原始仏典『サンユッタニカーヤ』の中では、「生まれたものが死なないということはあり得ない」(中村元訳『ブッダ悪魔との対話』より)と記されています。この文言を書かれた住職はそれを直接的な物言いにしたのだと思われます。
 アップル社の共同設立者の一人、スティーブ・ジョブズさんが、亡くなる2011年の6年前にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは有名です。若いときから、座禅を行い、仏教に関心を抱いていたジョブズさんは、このときすでに癌に侵されていました。卒業式の壇上で、17歳のとき目にした本の言葉を紹介しています。

「毎日、これが人生最後の日と思って生きてみなさい。そうすればいつかそれが正しいとわかる日がくるだろう」 

【お寺の掲示板の深い言葉 1】「おまえも死ぬぞ」超覚寺(広島) 投稿者:@chokakuji [9月16日]

樹木希林の死生観

 5年半前、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞のスピーチで、癌が全身転移したことを公表した女優の樹木希林さん。今年9月15日に亡くなるまでの間、『そして父になる』『神宮希林 わたしの神様』『うまれる ずっと、いっしょ。』『あん』『海街diary』『海よりもまだ深く』『モリのいる場所』『万引き家族』、そして10月中旬公開予定の『日日是好日』など、実に数多くの作品に出演されました。

 ちなみに、「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」は禅語の1つで、どんな日であっても、とらわれを離れてありのままに生きれば、毎日は新鮮で最高にいい日だという意味です。希林さんは、全身に痛みが走ることもあったでしょうが、自然体のまま最後まで仕事を全うされました。彼女が雑誌「AERA」で語った死生観にはとても仏教的な考え方が詰まっていると思います。

――「死をどう思いますか」なんて聞かれたって、死んだことないからわからないのよ。
――死はいつか来るものではなくいつでも来るものなの。

 私たちは、自分が死ぬことを自覚したとき、初めて自分の本当にやりたいことが見えてくるのかもしれません。いつ死ぬかは分からない。だからこそ、毎日を大切に生きましょう。

(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)』

【お寺の掲示板91】自分の敵はどこにいる?

【お寺の掲示板91】自分の敵はどこにいる?
“宇宙兄弟”の兄が気付いた真実
https://diamond.jp/articles/-/284266?utm_source=daily_dol&utm_medium=email&utm_campaign=20211018

『戦争が始まる前、国民を鼓舞するため、憎むべき「敵」の姿が浮かび上がってくるものです。その「敵」は、本当はどこにいるのでしょうか。今回は、心の中の「邪魔」なもの、煩悩について考えてみます。(解説/僧侶 江田智昭)
自分の足を引っ張り続けていたのは

 これは、小山宙哉氏が青年漫画誌に連載している『宇宙兄弟』(講談社)第11巻に出てくる主人公“宇宙兄弟”の兄である南波六太[なんば・むった]の言葉です。作品の中では「俺の敵はだいたい俺です。自分の“宇宙へ行きたい”って夢をさんざん邪魔して、足を引っ張り続けたのは結局俺でした」と言葉が続きます。

 セリフの中に「邪魔」という言葉が出て来ます。この言葉は、お釈迦さまが悟りを開くことを妨害するために現れた悪魔マーラに由来していると言われています。心の中の煩悩の化身であるマーラは、美しい女性3人を送り込んで誘惑するなど、さまざまな妨害行為を繰り広げますが、お釈迦さまは全く動じません。そして、35歳の時に悟りを開かれました。結局のところ、悟りを開く上での最大の敵(邪魔)は、他者ではなく、自分自身の心の中にあったのです。

 私たちは外部に「邪魔」なものや「敵」を勝手に作り出し、それらに対してイライラしたり、憎しみを抱いたりします。しかし、「邪魔」なものは決して自分の外にあるものではありません。それはあくまで自分の心の中に存在しています。勝手に外部の存在に「邪魔」というレッテルを貼ってしまう自分自身の心の在り方が問題なのです。

 仏教の教えに真剣に触れることは、自分自身の心の中の「邪魔(煩悩)」を深くのぞくこととつながっています。だから、それは、決して楽しい作業ではありません。仏教の教えは心地良いものばかりではなく、己の心を突き刺してくるようなものも中にはたくさん含まれています。仏法に触れて、自分自身の心の闇の深さが分かれば分かるほど、「自分の敵が自分である」という事実に気付くことができるのです。

 宗教学者で僧侶の釈徹宗師が、「仏法は邪魔になるまで聞け」という言葉を紹介していました。これはつまり、仏教によって自分自身の煩悩の大きさが知らされ、その結果、「仏教の教えは自分にとって邪魔だ」と思えるほどに教えを聞きなさいということです。

 なぜそこまでしなきゃいけないのだろう、と思う方もいるかもしれませんが、そのようなプロセスを経ることによって、宗教者にとって最も大切な「生かされている」という感覚が体の底から身に付くのだと思います。ですから、「生涯聞法[もんぽう]」(生涯仏教の教えを聞き続ける)という姿勢が、仏教(特に浄土真宗)では非常に重要とされているのです。

「輝け!お寺の掲示板大賞2021」では10月20日まで皆さんのご応募を受け付けています。
この連載をまとめた第2弾となる書籍『お寺の掲示板 諸法無我』が現在発売中です。是非お手に取ってみてください。』