【お寺の掲示板の深い言葉 1】「おまえも死ぬぞ」

【お寺の掲示板の深い言葉 1】「おまえも死ぬぞ」
そんな言葉をお釈迦さまは本当に口にしたの!?
https://diamond.jp/articles/-/180435

『スティーブ・ジョブズはこう語った

 ツイッターでこの写真を目にした方も多いかもしれません。投稿した方は「ここまで衝撃を受けたのは初めて」とコメントしています。いいね!とリツイート併せてすでに15万件。書き込みには共感の声が多いようです。

 自分もいつかは死すべき存在である、ということを日頃私たちは忘れてしまいがちな世の中です。「釈尊」つまりお釈迦さまは、本当にこう口にされたのでしょうか。

 釈尊の教えを伝えるとされる原始仏典『サンユッタニカーヤ』の中では、「生まれたものが死なないということはあり得ない」(中村元訳『ブッダ悪魔との対話』より)と記されています。この文言を書かれた住職はそれを直接的な物言いにしたのだと思われます。
 アップル社の共同設立者の一人、スティーブ・ジョブズさんが、亡くなる2011年の6年前にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは有名です。若いときから、座禅を行い、仏教に関心を抱いていたジョブズさんは、このときすでに癌に侵されていました。卒業式の壇上で、17歳のとき目にした本の言葉を紹介しています。

「毎日、これが人生最後の日と思って生きてみなさい。そうすればいつかそれが正しいとわかる日がくるだろう」 

【お寺の掲示板の深い言葉 1】「おまえも死ぬぞ」超覚寺(広島) 投稿者:@chokakuji [9月16日]

樹木希林の死生観

 5年半前、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞のスピーチで、癌が全身転移したことを公表した女優の樹木希林さん。今年9月15日に亡くなるまでの間、『そして父になる』『神宮希林 わたしの神様』『うまれる ずっと、いっしょ。』『あん』『海街diary』『海よりもまだ深く』『モリのいる場所』『万引き家族』、そして10月中旬公開予定の『日日是好日』など、実に数多くの作品に出演されました。

 ちなみに、「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」は禅語の1つで、どんな日であっても、とらわれを離れてありのままに生きれば、毎日は新鮮で最高にいい日だという意味です。希林さんは、全身に痛みが走ることもあったでしょうが、自然体のまま最後まで仕事を全うされました。彼女が雑誌「AERA」で語った死生観にはとても仏教的な考え方が詰まっていると思います。

――「死をどう思いますか」なんて聞かれたって、死んだことないからわからないのよ。
――死はいつか来るものではなくいつでも来るものなの。

 私たちは、自分が死ぬことを自覚したとき、初めて自分の本当にやりたいことが見えてくるのかもしれません。いつ死ぬかは分からない。だからこそ、毎日を大切に生きましょう。

(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)』

【お寺の掲示板91】自分の敵はどこにいる?

【お寺の掲示板91】自分の敵はどこにいる?
“宇宙兄弟”の兄が気付いた真実
https://diamond.jp/articles/-/284266?utm_source=daily_dol&utm_medium=email&utm_campaign=20211018

『戦争が始まる前、国民を鼓舞するため、憎むべき「敵」の姿が浮かび上がってくるものです。その「敵」は、本当はどこにいるのでしょうか。今回は、心の中の「邪魔」なもの、煩悩について考えてみます。(解説/僧侶 江田智昭)
自分の足を引っ張り続けていたのは

 これは、小山宙哉氏が青年漫画誌に連載している『宇宙兄弟』(講談社)第11巻に出てくる主人公“宇宙兄弟”の兄である南波六太[なんば・むった]の言葉です。作品の中では「俺の敵はだいたい俺です。自分の“宇宙へ行きたい”って夢をさんざん邪魔して、足を引っ張り続けたのは結局俺でした」と言葉が続きます。

 セリフの中に「邪魔」という言葉が出て来ます。この言葉は、お釈迦さまが悟りを開くことを妨害するために現れた悪魔マーラに由来していると言われています。心の中の煩悩の化身であるマーラは、美しい女性3人を送り込んで誘惑するなど、さまざまな妨害行為を繰り広げますが、お釈迦さまは全く動じません。そして、35歳の時に悟りを開かれました。結局のところ、悟りを開く上での最大の敵(邪魔)は、他者ではなく、自分自身の心の中にあったのです。

 私たちは外部に「邪魔」なものや「敵」を勝手に作り出し、それらに対してイライラしたり、憎しみを抱いたりします。しかし、「邪魔」なものは決して自分の外にあるものではありません。それはあくまで自分の心の中に存在しています。勝手に外部の存在に「邪魔」というレッテルを貼ってしまう自分自身の心の在り方が問題なのです。

 仏教の教えに真剣に触れることは、自分自身の心の中の「邪魔(煩悩)」を深くのぞくこととつながっています。だから、それは、決して楽しい作業ではありません。仏教の教えは心地良いものばかりではなく、己の心を突き刺してくるようなものも中にはたくさん含まれています。仏法に触れて、自分自身の心の闇の深さが分かれば分かるほど、「自分の敵が自分である」という事実に気付くことができるのです。

 宗教学者で僧侶の釈徹宗師が、「仏法は邪魔になるまで聞け」という言葉を紹介していました。これはつまり、仏教によって自分自身の煩悩の大きさが知らされ、その結果、「仏教の教えは自分にとって邪魔だ」と思えるほどに教えを聞きなさいということです。

 なぜそこまでしなきゃいけないのだろう、と思う方もいるかもしれませんが、そのようなプロセスを経ることによって、宗教者にとって最も大切な「生かされている」という感覚が体の底から身に付くのだと思います。ですから、「生涯聞法[もんぽう]」(生涯仏教の教えを聞き続ける)という姿勢が、仏教(特に浄土真宗)では非常に重要とされているのです。

「輝け!お寺の掲示板大賞2021」では10月20日まで皆さんのご応募を受け付けています。
この連載をまとめた第2弾となる書籍『お寺の掲示板 諸法無我』が現在発売中です。是非お手に取ってみてください。』

「思考停止語」

「思考停止語」を活性化させる、シンプルな方法とは?
https://diamond.jp/articles/-/284937

 ※ 世の中には、「思考停止語」というものもあるらしい…。

 ※ ・『反論のしようのない言葉』
    ・「お客さま第一」「一歩踏み込む」とか…。

   ・『形容詞だけで話をすること』
    ・「高い」「安い」「良い」「悪い」とか…。
     ・「もう少し価格が安ければ売れるはずだ」と答えた時。その「もう少し」の使い方

   ・『上司が成績不振の部下にかける「頑張れ」という励ましの言葉』とか…。

 ※ まあ、「御説ごもっとも。」な話しではある…。

 ※ 「論理性」に欠ける「語」ではあるが、人間関係を回して行く「潤滑油」の働きは、するんだろうよ…。

 ※ 人は、「論理」にて生きるのみにあらずだ…。

 ※ たっぷり、感情や「情緒的な側面」をも有する「生きもの」だ…。

 ※ そういう「両面」を、わきまえて、場面に応じて使い分けしていかんとな…。

〔「ツール」には、「限界」がある…、という話し〕

 ※ 「概念」とか、「言語」とか、果ては「数学」とか、オレは全て一種の「ツール」だと思っている…。

 ※ 思考を整理したり、もの事の「本質」を探ったり、一番の「勘所」を掴んだりするための「ツール」だ…。

 ※ そういう「目的」のために、「ツール」を「操作」して行くわけなんだが、当然、そこには「限界」というものがある…。

 ※ さらには、「日本国」「日本語」に特有の「問題」「限界」というものもある…。


 ※ 日本語においては、「漢字」特有の「造語機能」によって、「外国(特に、西洋)」由来の思想・概念を、自分の内部に取り入れて来たわけだ…。

 ※ 時には、漢字の「訳語」をつけて…。時には、それを諦めて、そのままの「発音」に似せて、「カタカナ語」に置き換えてだ…。

 ※ さらには、その「カタカナ語」の短縮形・省略形を作ったりしてだ…。

 ※ インフラストラクチャー⇒インフラ…、とかな…。

 ※ そうやって、なんとか「外国由来」の概念・思想を、「自分の内部に取り入れて来た」わけだ…。

 ※ しかし、「訳語」を当てると、今度は、その「漢字の字面」に引きずられてしまうんだよ…。

 ※ 例えば、聖徳太子の「十七条の憲法」というものがある…。

 ※ あの「憲法」は、「日本国憲法」「大日本帝国憲法」で使っている意味での「憲法」では無い…。実態は、「役人の心得」と言った感じのもので、「重大な規則・決まり」ということを強調するために、「憲」という漢字を使ったんだろう…。

 ※ 「大日本帝国憲法」の方は、明治期に「Constitution」の訳語に、「憲法」という語を当てたものだ…。

 ※ 「Constitution」とは、国家の根本を定める決まり、国家体制の形を定めたもの…、と言った感じの「語」だ…。「立憲主義」というニュアンスすら、含んでいない…。

 ※ そういう、「大日本帝国憲法」「日本国憲法」の方で「憲法」という語を学習した人は、「十七条の憲法」の方を、そっちに引きずられた感じで「捉えてしまう」んだよ…。
 ※ 数学では、「function」というものがある…。

 ※ f(x)でおなじみの、functionだ…。

 ※ これに、最初は、「函数」という訳語を当てた…。ある「函(ハコ、箱)」にドンドン変数を放り込むと、ドンドン「変換された数」が出てくる…。そういうイメージの「函」だ…。

 ※ 非常に良い訳語だったんだが、「教育漢字」の整理で、この「函」の漢字が使えなくなった…。

 ※ そこで、「関数」とした…。悪くは無いが、最初の「函のイメージ」は失われてしまった…。

 ※ プログラミングなんか学習していると、「関数」なるものが頻出する…。

 ※ どうしても、中学で学習した「一次関数」「二次関数」での「関数」の字面に引きずられて、「違和感」が生じることになる…。

 ※ ここでは、むしろ、functionを、「機能、仕組み、仕掛け」と捉える方が、いいと思う…。何かの「データ」を放り込むと、「別のデータに変換されたもの」が出てくる(「値を返す」とも、言う)…。最初の訳語の「函数」に、イメージとしては近い…。

 ※ 自分の中で、自分の感覚から、「関数」という字面から生じる「違和感」を取り去るのに、随分苦労したよ…。

 ※ 前にも語ったが、「Artificial intelligence」の訳語に、「人口知能」という訳語を当てた…。artificial⇒人工的な intelligence⇒知的な活動 だから、悪い訳語では無い…。

 ※ しかし、intelligenceに「知能」という訳語を当てたものだから、今度は、その「知能」に引きずられることになる…。

 ※ 「人工知能」≒「人間的な知能を有する人工物」と捉える人が、続出することになる…。

 ※ 山のような、「設計図」や「現場写真」を持って来て、「この”ビッグデータ”で、ひとつ「人工知能」の作成をお願いします!」と依頼して来る人の話しを、あちこちで聞いたことがあるだろう?

 ※ 経済学の方では、「名目GDPと実質GDP」「名目賃金と実質賃金」なんて概念がある…。

 ※ ここでの「実質」は、「物価の変動をも、加味した…」程度のニュアンスだ…。そういう目的に沿って、ひとつの「計算方法」を提出したもので、「物理法則」のような「確定的なもの」では無い…。

 ※ それでも、今度は、その「実質」という語に引きずられて、人々は「本来の、本当の」といったニュアンスを乗せて捉えることになる…。

 ※ 「実質賃金は、下がり続けている!」とか、「諸外国と比較して、実質賃金はなんたらかんたら!」とかの議論を、聞いたことがあるだろう?

 ※ 経済学関連で、「実質」と出てきたら、その「目的」「源流」を問え!というのが、「鉄則」だ…。

先見性のない「はずれコンサル」が増殖、彼らが発する“危険なひと言”

先見性のない「はずれコンサル」が増殖、彼らが発する“危険なひと言”
https://diamond.jp/articles/-/283988

 ※ 「コンサル」と言っているが、「ITコンサル」のことのようだ…。

 ※ 「オンライン選挙」の例は、まあ置いておくとして(国政の根幹にかかわる重大性、それと比較しての、そもそもの「オンライン」に纏わる脆弱性…、などの問題があるんで、一私企業のDX推進と同列には論じられないと考える)、「参謀」の「企画立案」における「先見性」の問題を考える上で、参考になる…。

 ※ ただ、素人の「感想」を言わせてもらえば、しょせん「コンサル」なるものは、ある局面における「策」の「企画立案」の役割を振られた者に過ぎない…。それも、相応の「報酬」と引き換えにだ…。

 ※ 「局面」というものは、時々刻々と変化していく…。

 ※ それに応じて、打つべき「策」も変化させていかざるを得ない…。

 ※ さらには、事が「デジタル化」「DX化」である場合は、そもそも、その「組織全体」に、末端の構成員の隅々までに「デジタル化」の「動因」が浸透しているのか…。日々の業務の「デジタル化」への「構成員の行動のベクトル」が、そういう方向に向かっているのかこそ、点検されるべきだろう…。

 ※ 「デジタル化」「DX化」とは、結局のところ、「コンピューター(電子計算機)」の応援・支援を受けることが可能な形態に業務執行の体制を、”変えていく”(「トランスフォーメーション」とは、そういう意味)ということだろう…。

 ※ みずほの例でも分かるように、話しは「システム要員」だけに限ることじゃ無いんだ…。

 『白紙の状態からプログラム開発をしなければならない昔のプロジェクトでは、その規模にもよるが、企画から導入まで3年ほどかかるケースもたくさんあった。

 しかし、3年という期間は、その企業のビジネスの周辺環境を一変させるには十分な時間だ。

 例えば、家電メーカー各社は、たった3年で出荷するテレビをアナログテレビからデジタルテレビに移行完了した。

 2010年には10%に満たなかったスマートフォンの所有率は、2013年には60%を超えた。

 2012年に6割ほどあった従来型の光源はLEDに取って変わられ、2015年には3割程度まで減少し、2018年には1割程度にまで落ち込んでいる。』

 『また、プロジェクトの期間が長ければ投資金額もより多く必要になる。企業は、ビジネスの環境変化への追従性を高め、システム開発の投資費用を抑制するために、より短期間で安くシステム化を実現する選択をするのが当然だ。

 こうした背景から、パッケージシステムと呼ばれるセミオーダー型のシステムを開発するIT企業が現れ、システム開発プロジェクトの工数と期間のボリュームゾーンを効率化させることに成功した。基幹業務の領域にパッケージシステムを導入する場合、現在では企画から導入までを1年ないし1年半程度で完了できるケースもざらである。

 さらに、近年はクラウド化やシステムのサービス化、アジャイル開発などの手法により、その期間はますます短くなっている。』

 『こうした環境が、もしかすると悪影響を及ぼしているのでは、と思わせるのがコンサルの先見性のレベルの低下である。』

 『しかし私は、便利な世の中になって、必要なシステムが短時間で手に入るからといって、コンサルに先見性が不要になるわけではないと思っている。

 金額の多寡によらず、システム投資をした場合、企業は「将来的に会社に収益をもたらすことが期待される」という前提のもとシステム投資にかかった費用を、「資産」として計上する。

 その後、企業は会計上、一般的には5年程度、減価償却費を負担しなければならない。サービス型やサブスクリプション型の経費扱いのシステムであっても、当初のもくろみが狂うと減価償却費とは別に追加の費用が発生するし、いざ別のシステムに切り替えようとなると案外手間が発生する。

 私が顧客であれば、自分が思い描く2年先3年先のビジネスを理解してくれなかったり、想像できなかったりするコンサルとは仕事はしない。また、買えばすぐ自分で使えるようなシステムの導入にコンサルを活用することもないだろう。

 臨機応変に対応できる身軽さやスピード感は重要だが、それだけでは本質的な変革は果たせまい。』

 『先見性のない「はずれコンサル」に共通する危険なひと言

 今、この瞬間にもさまざまな場所でさまざまな企業がDXに取り組んでおられることだろう。そうした現場で、コンサルやITベンダーが「このシステムを導入すれば御社のDXがかないます」とか「弊社のサービスで今日から御社はデジタル化できます」などとうそぶいているのを想像すると、うすら寒い思いがするのである。

 こんなひと言をささやくタイプの人たちは、「1年後、2年後なんてどうなっているか分かりませんからね。今、チャチャッとシステム化しちゃった方が得ですよ」とまで言う。』

『さらに、もっと残念に思うこともある。将来を予見したり想像したりすることを放棄し、脇に追いやるコンサルは、時に、上記とは真逆に「この先どうなるか分かりませんから、いったんここは様子を見ておきましょう」と真顔で言うのである。』

『つまり、「今できることしかやらない」コンサルと「この先どうなるか分からないから今は様子を見る」コンサルは、先見の明を持たない発想しかしないという点では考え方の根源が同じなのである。』

『もし、日本でオンライン選挙の検討が進んでいないようにみえる理由が「任期満了前に解散・総選挙があると、どうせそれには間に合わないから、オンライン投票の検討はじっくりやろう」という人のせいなのであれば。

 もし、とても重要なプロジェクトであるにもかかわらず「将来どうなるか分からないから様子を見よう」「先のことはさておき、今できることだけやればよい」と考える怠惰なコンサルがいるなら。

 私はこうした人たちに自分や会社の未来を任せたいとは決して思わない。』

いま、求められる人材とは?

いま、求められる人材とは?
https://school.nikkei.co.jp/nn/special/ntest/individual/index.html?utm_source=NKdenshiban&utm_medium=_infeed&utm_content=infeed&utm_campaign=nk_infeed&n_cid=nbsx_ds_ban_2cnt&waad=hZ7uxczU

※ こりゃあ、大変だ…。

※ せいぜい、オレも励むとしよう…。

※ 「他流、勝つべきにあらず。」

※ 「昨日の我に、今日は勝つべし。」(石舟斎遺訓)だ…。

〔アノマリー〕

アノマリー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC

『アノマリー(英: anomaly)とは、ある法則・理論からみて異常であったり、説明できない事象や個体等を指す。科学的常識、原則からは説明できない逸脱、偏差を起こした現象を含む。すでに説明できるようになった現象でも、アノマリーあるいは異常という名称がそのまま残ったものも多い。

超常現象学では、超常現象 [1] についての科学的研究を行う。計算機科学における異常検出とは、関連データから不正データを検出する手法一般に関する事柄である。

下記にアノマリーに関連する語句を示す。』

『経済学
伝統的経済理論のアノマリー

危険回避に見られるアノマリー(小さな値では、危険回避度はほとんど0でなければならない)[3]

指数的割引のアノマリー[4]
伝統的理論ではアノマリーであるが、行動経済学、進化経済学としては説明理論がある。
行動経済学が発見したアノマリー

・連言錯誤(リンダの問題) ※「リンダ問題」、アノマリーの一類型だったんだな…。

「リンダ問題」を解く 脳といのちに挑む量子生命科学
https://http476386114.com/2020/12/28/%e3%80%8c%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%80%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%80%8d%e3%82%92%e8%a7%a3%e3%81%8f%e3%80%80%e8%84%b3%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%ae%e3%81%a1%e3%81%ab%e6%8c%91%e3%82%80%e9%87%8f%e5%ad%90%e7%94%9f/

心の会計

行動ファイナンスが発見したアノマリー[5]

ロイヤル・ダッチ・シェルの株価(イギリスの株価とオランダの株価の乖離)

週末効果

季節効果

アナウンス効果

会計学が発見したアノマリー

会計発生高アノマリー

経験値から得られた格言

相場に関連する経験値が積みあがった結果、格言のように季節に連動したアノマリーがいくつも言われる[6]。

「節分天井、彼岸底」

年明けから上昇してきた相場が2月初旬に天井となり、3月初めの時期までは下げやすいことを現した格言。江戸時代から言われている[6]。

「戎天井、天神底」

大阪市北浜で言われる格言。1月にえびす神社で十日戎が開催される時期に相場が高値をつけやすく、7月に大阪天満宮で天神祭が開催される時期に相場が底値を付けやすいことを現す格言[6]。

「5月に売り抜けろ」「感謝祭で買って新年に売れ」 ※ かの有名な、「セル・イン・メイ」だ…。

ウォール街で言われているアノマリー[6]。

サザエさん効果

日曜夜のテレビアニメ『サザエさん』の視聴率が景気と連動しているという大和総研による調査報告[6]。』

〔英米の社会制度は、実は「グローバル・スタンダード」では無かった…。〕

アングロ・サクソン人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3%E4%BA%BA

『アングロ・サクソン人(アングロ・サクソンじん、Anglo-Saxons)は、5世紀頃、現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部に侵入してきたアングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称である[1]。この中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いたため、現在も英米などの英語圏白人をアングロ・サクソン人と呼ぶ[2]。このようにドイツ起源の民族であるが、現在のドイツ圏の国民をアングロ・サクソン人と呼ぶことは原則ない。ただし、ザクセン王国は20世紀初頭までドイツ帝国内に存続しており、現在も州名などに残っているため、ドイツの地域住民としてのザクセン人(サクソン人)という名称は今も用いられる。』

『歴史

409年にローマ帝国がブリタニアを放棄した後、現在のデンマーク、北部ドイツ周辺にいたゲルマン人が、グレートブリテン島に渡ってきた。彼らは先住のケルト系ブリトン人を支配し、ケルト文化を駆逐した。これが英国における最初のアングロ・サクソン人である。彼らの言葉が英語の基礎となった。

彼らはイングランドの各地に小王国を築いていった。7世紀頃には、イングランドは7つの王国(七王国)にまとまっていったが、9世紀初めには、ウェセックス王エグバートのもとで、サクソン人のウェセックス王国が強大となって、イングランド全域を支配した。それ以降、一時期はデーン人に支配され、デンマーク王の下にあった。

アングロ・サクソン人はその後また、イングランドを支配した。これは1066年、ギヨーム2世(=ウィリアム1世)によるノルマン・コンクエストまで続いた。』

『アングロ・サクソン諸国

西暦400年代のユトランド半島からブリテン諸島への移住。
Jutes: ジュート人
Angles:アングル人
Saxons: サクソン人

英語を国語・公用語とする白人主流派の先進国であるイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどをアングロ・サクソン諸国と呼ぶ[4][5]。しかし言語がアングロ・サクソン人に由来しているだけで、歴史的なアングロ・サクソン人と現代のアングロ・サクソン諸国には血統的な関係が薄い(フランク人とフランス人の違いと同じ)。アングロ・サクソン人の故地と見なされるイングランドでさえ、ユトランド半島やスカンディナビア半島などのバルト海沿岸地域にルーツを持つデーン人やノルマン人、グレートブリテン島の原住民であるブリトン人(ケルト人)などの多様な民族が入り混じって形成された国家である。当のアングロ・サクソン諸国では一般にあまり用いられておらず、自分たちがアングロ・サクソン人であるという意識も乏しい。なお、イングランドに先立つ故地であるドイツでは、アングル人という呼び方は現在殆ど行われておらず、サクソン人(ザクセン人)という呼び方は残っているものの、少なくともアングロ・サクソンと繋げて呼んだ場合、ドイツ人とは別個の集団と考えるのが通常であり、ほぼ語源発祥の地というにとどまる。』

『用法

主に大陸ヨーロッパや日本で用いられることが多い。アングロ・サクソン諸国は独特の経済や社会を形成しており、古くから研究の対象となってきた(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神等)。また、グローバル資本主義の進展とその反発により、アングロ・サクソン諸国を「特殊」な国々と規定するために、様々な比較考証が行われてきた。以下はその代表的なものである。

◎法体系におけるコモン・ロー
 
 ※ これは、前に考察した…。

 ※ 英米法における「コモンロー」は、ゲルマン法とローマ法の「すき間」を解釈で埋める仕掛けだった…。

 ※ それがまた、「判例法」重視の法体系へと、つながって行く…。

〔「英米法」というものの話し…。〕
https://http476386114.com/2021/01/11/%e3%80%94%e3%80%8c%e8%8b%b1%e7%b1%b3%e6%b3%95%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%ae%e8%a9%b1%e3%81%97%e3%80%82%e3%80%95/

◎政党制における二大政党制

 ※ 英国の保守党⇔労働党、米国の共和党⇔民主党…、に典型的に見られるものだな…。

 ※ 日本の自民党+公明党⇔野党…は、それの一変形と言えなくもない…。

『ジョヴァンニ・サルトーリの指摘では、二大政党制はイギリスや、イギリスから独立したアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどのアングロサクソン諸国で多く見られる。

二大政党制の背景には、主要な二大政党以外からは大量当選が困難な選挙制度である小選挙区制や、国民のイデオロギーや支持層が「保守と革新」など2種類または2方向に大別できること、更に両政党が比較的穏健かつ民主的であり現実的な政権交代を相互に許容できること、などが挙げられる。

二大政党制の利点には、二大政党による政策論争が国民にわかりやすく、二大政党への参加や支持が容易で、現実的な政権交代が容易なため国民に実質的な選択の余地があり、長期政権に発生しがちな腐敗防止や、政権獲得時に国民の支持を背景にした大胆な政策転換を行いやすいこと、などが挙げられる。また、中間層の有権者の支持を得る為に二つの政党の政策が似たものとなる傾向があり、少数派の意見をくみ取る政党がなくなるという問題があるが、ジョヴァンニ・サルトーリの主張ではイデオロギーの差異が小さいことは良い政治であり、この点を利点とする立場もある。

二大政党制の欠点には、二大政党の思想や政策が離れている場合にはイデオロギー的あるいは感情的な対立になりやすく、政権交代の発生時には大幅な政策変更により政治の不安定化を招く場合があること、逆に二大政党の思想や政策が接近している場合には国民に選択の余地が狭く多様な意見や思想を反映しにくいこと、同じ政党・政策・支持勢力などが長期間存続しがちなため政党内の新陳代謝や政策転換が進みにくいこと、特に二大政党間で談合や汚職などが常態化した場合には致命的な政治不信を引き起こしやすいこと、あるいは二大政党制へ誘導するための小選挙区制では大量の死票が発生すること、などが挙げられる。アーレンド・レイプハルトの合意形成型民主主義の考え方に立てば、二大政党制を基盤とする多数決型民主主義においては多党制を基盤とする合意形成型民主主義より、少数意見の代表性が相対的に低いとされる[3]。』

『ジョヴァンニ・サルトーリの指摘するアングロサクソン諸国

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国:典型的な二大政党体制。現代では共和党と民主党が二大政党である。合衆国議会および各州の議会の会派は「多数派」と「少数派」の二会派とされることが通例であり、それぞれ共和党、民主党いずれかの議員のみか、あるいはそれに若干の無所属または地域政党所属議員を加えて構成される。全国規模の少数政党も存在するが、二大政党の指名を受けない候補が大統領に当選した例は19世紀以降なく、議会の議員もほとんどが二大政党に属する。
詳細は「アメリカの政党」を参照

イギリスの旗 イギリス:1800年代以降のトーリー党(後の保守党)とホイッグ党(後の自由党)。1920年代以降は保守党と労働党。第一次世界大戦、大恐慌を挟む戦間期、第二次世界大戦の際には大連立が行われた。1980年代以降は第3勢力の自由民主党(自由党の後継政党)や、スコットランドの地域政党であるスコットランド国民党などの得票率が拡大しているが、議席数は二大政党と大差がある。1990~2000年代にはトニー・ブレアが率いる労働党が総選挙での地滑り的勝利で保守党の約2.5倍の議席を獲得した時期があり、2010年代には連立政権や少数与党政権があったものの、政権首班と「女王陛下の野党」をそれぞれ保守党と労働党が担当する構図に変わりはなかった。

カナダの旗 カナダ:1993年まではカナダ進歩保守党とカナダ自由党の二大政党制。1993年の総選挙で進歩保守党が壊滅的な大敗を喫して二大政党制が崩れたが、進歩保守党を引き継ぐカナダ保守党が2004年の総選挙で第2党となり、2006年の総選挙で政権に就いて自由党との二大政党制となった。2011年の総選挙ではそれまで第3党だった新民主党が第2党に浮上し、従来の保守・自由の二大政党制が崩れたが、2015年の総選挙では自由党が議会の第1党の座を奪回する一方、新民主党が第3党に後退したため再び自由・保守の二大政党制に回帰した。ほかにブロック・ケベコワなどが存在する。

Flag of Australia (converted).svg オーストラリア:保守連合と労働党。保守連合は自由党とオーストラリア国民党の連合だが、選挙協力と連立協定が長期化しているため、二大政党制とも呼ばれる。なお、2010年の総選挙で、労働党も保守連合も、過半数を取れなかったが、労働党が、オーストラリア緑の党などの閣外協力を得て、政権続行をした。

ニュージーランドの旗 ニュージーランド:ニュージーランド国民党と労働党。ただし 1993年の選挙制度の小選挙区比例代表併用制への変更後は多党化した。』

◎アーレンド・レイプハルトの研究による多数決型民主主義

 ※ ここで「多数決型民主主義」とは、一般には「議院内閣制」と言われているものだ…。特に「行政府」が、国会の「過半数(多数決)」の支持に立脚していることに、注目しての用語のようだ…。

『レイプハルトの業績は、

分裂社会における多極共存型民主主義モデル
比較選挙制度論
比較民主主義体制論

に大別できる。

二大政党制、小選挙区制によって特徴づけられる多数決型民主主義(majoritarian democracy)もしくはウェストミンスター型民主主義のモデルに対して、コンセンサス型、多極共存型民主主義モデルを対峙させた、自由民主主義政治体制の比較研究を主張。』

『ウェストミンスター・システム(多数決型民主主義)

議会で過半数の議席を持つ政党の党首が首相として内閣を組織する(多数決型民主主義)。過半数をもつ政党が存在せず、複数の政党により内閣が運営されるコンセンサス・システム(多極共存型民主主義)に対比する。』

◎レギュラシオン学派における市場ベース型資本主義

 ※ 様々な「資本主義」のタイプのうち、特に「市場の役割・機能」を重視し、なるべく「自由な市場」を肯定する考えのようだ…。

◎福祉レジーム論における自由主義型福祉国家論

 ※ 「福祉国家」も、様々な形態があるようだが、その中でも、「国民の自立」を重視し、企業の「自由な活動」を広く認める考えのようだ…。

 ※ 典型的には、「自助・公助・共助」の標語で表現される…。これも、散々聞いた話しだな…。

 ※「新自由主義」だ!と、叩く向きも多い…。

◎イギリス経験論とそれを元にしたプラグマティズム

 ※ これは、そもそもの「ものの考え方(哲学)』の根底にあるものだ…。

 ※ これも、演繹法⇔帰納法…で、検討した…。

後世へも影響を与えたデカルトの演繹法的思考(帰納法との違い)
https://http476386114.com/2021/02/23/%e5%be%8c%e4%b8%96%e3%81%b8%e3%82%82%e5%bd%b1%e9%9f%bf%e3%82%92%e4%b8%8e%e3%81%88%e3%81%9f%e3%83%87%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%88%e3%81%ae%e6%bc%94%e7%b9%b9%e6%b3%95%e7%9a%84%e6%80%9d%e8%80%83%ef%bc%88/

 ※ ということで、アングロサクソンの社会制度は、けっして「グローバル・スタンダード」というわけのものでも無く、「彼らの社会に根ざした」、相当に特殊な制度という側面があるようだ…。

 ※ しかし、それがまた逆に、「英米流」の特殊性で、結束する「力(ちから)」にもなって行く…。

 ※ ファイブ・アイズとか、今般のAUKUSとか、原潜技術の提供とかの「世界情勢」にも、そういうものが色濃く影を落としている…。

 ※ しかし、「アングロサクソン流だ!」とか、「英米由来の制度だ!」とか、「グローバル・スタンダードだ!」とか言われても、そこで「思考停止」しないようにしないとな…。

 ※ 何事も、「自分の頭で、考えること」が大切だ…。

 ※ そういう事情も踏まえながら、「日本国の生き残り戦略」を立てていく必要がある…。

「韓国人は事実と意見を区別できない」

「韓国人は事実と意見を区別できない」低すぎる”読解レベル”が慰安婦・竹島問題をこじれさせる
情報の片寄り見抜き方を教わらない
PRESIDENT Online

本川 裕
統計探偵/統計データ分析家
https://president.jp/articles/-/49687

『OECDが各国の高校1年生を対象にしたPISA調査(2018年)の中で、韓国は調査国中で「情報が事実か意見か」を見極める力が最低だった。統計データ分析家の本川裕氏は「慰安婦問題、竹島問題など日韓問題が解決できないのは、韓国では大人も、ネット上などの情報における意見を事実と同じぐらい重視し、両方を区別しない場合があるからではないか」という――。

情報を読み解くリテラシー、日本と韓国の実力は?

行政のデジタル化の遅れを挽回することを目指し、政府は9月1日にデジタル庁を発足させた。ところが翌々日3日には、事務方トップにあたる「デジタル監」に就任した石倉洋子一橋大名誉教授による有料画像の不正利用が発覚。遅れているのはデジタルネットワークのインフラというより、デジタルリテラシーそのものであることを露呈した。

さらに同日、菅義偉総理大臣が内閣支持率の低迷の中で総裁選不出馬、すなわち事実上の退陣を表明。携帯電話料金の値下げやデジタル庁発足を推進してきたものの、自らのコロナ対策やデジタル対応の方針で次期政権を担うという責任や意欲を放棄した格好となった。

デジタル時代対応について、菅政権は目前の狭い視野の対策に終始し、国民能力の刷新にまで及ぶ根本的なデジタル社会対応にまでは考えが至っていなかったという評価が今後下されるのではなかろうか。

国民のリテラシー(読解力)は歴史的に以下の3段階を経て発展していくと考えられる。

①文字の読み書き能力(いわゆる文盲率の低減)
②言語内容の理解力(多言語対応を含めたコミュニケーション能力)
③デジタル時代の情報見極め能力(情報過多、誤情報、偽情報への対応能力)

今年になって、OECD(経済協力開発機構)は「21世紀の読者像」(21st-Century Readers)という報告書を発表し、第3段階のリテラシーについて詳しく現状と課題を整理している。今回は、この報告書で引用されているデータを使って、デジタルリテラシーへ向けた日本の状況を見てみよう。

日本は世界43カ国の中でもっとも「疑り深い気質」

近年、なりすましメールで個人情報を聞き出し、財産の詐取や悪意ある情報拡散につなげようとするネット上の犯罪行為が横行するようになった。これは、デジタルリテラシーにかかわる象徴的な事案ともなっているので、まず、こうしたデジタル犯罪への対処に関して各国民が、どの程度、用意ができているかについてのデータを紹介しよう。

有名な携帯電話会社から「スマートフォンが当たりました。リンクをクリックしてフォームにあなたの情報を記入すればスマートフォンを送ります」というメールが届いた時、「なるべく早くリンクをクリックしてフォームに書き入れる」のは適切か、それとも不適切かという問を各国の高校1年生に聞く調査が、OECDの2018年の学力調査(PISA調査)の中で行われた。

スマホをタダでもらえるチャンスかもしれないので、日本ならdocomoなどの名の知られた携帯電話会社からのメールということもあり、他人に先取りされないようなるべく早く応募した方が良いと考える高校生がいてもおかしくない。

しかし、こうしたメールを受け取ったら、有名携帯電話会社になりすまして個人情報を詐取する手口だろうと疑うのが当然であろう。すなわちすぐ情報を返信するのは「不適切」と回答するのが正しい。図表1には、各国の回答結果を「不適切」の多い順に示した。

怪しいメールへの対応(高校1年生、PISA調査、2018年)
全ての画像を見る(4枚)

日本の高校生は75.6%と世界43カ国の中で、もっとも「不適切」とする回答が多く、疑り深い気質を示している。

子は親の鏡ともいわれる。これが高校生の結果だが、国民全体の気風の反映という側面が大きかろう。日本に次いで、中国、英国、フィンランドなどが続いており、こうした国では、なりすましメールへのガードが堅いといえよう。』

『韓国は下から3番目、なりすましメールに無防備
他方、「不適切」とする割合が比較的小さいのは、メキシコ、ハンガリー、チリといった途上国的な性格の強い国である。また、韓国は先進国にもかかわらず、47.1%と下から3位の小ささとなっており、なりすましメールへの無防備さを示している。

韓国においては、多少の危険を冒しても、ネット空間に落ちているチャンスをいち早くつかんだほうが、結局は有利だという「拙速をよしとする」考え方が根強いのだと思われる。ある意味では、これがネット先進国といわれる韓国のお国柄と判断できよう。

対照的なのは日本だ。あまりにガードが固いため、皆が参加すれば有効なデジタルシステムがなかなか実現しない結果、デジタル後進国の名に甘んじなければならないのだとも見られるのである。

日本のコロナ対策において、給付金の給付でのマイナンバーカードの活用や、コロナ感染リスクの個人間の相互監視のためのスマホのアプリの活用などが、いちいち頓挫するのも、行政の対応能力の低さだけでなく、デジタルネットワーク・システムの構築に必要なある意味で安直な協力が国民から得られないためといえるであろう。

韓国は「事実」と「意見」を取り違えていないか?
デジタルリテラシーで重要なのは、なりすましメールのような偽情報への対処にとどまらず、情報が「事実」なのか「意見」なのかの見極めである。次に、この点について見ていこう。

3年おきに行われるOECDのPISA調査の結果が公表されると、自国の子どもたちの学力が上がったか下がったかで国中が大騒ぎになるのは各国共通の現象である。2018年調査の日本の結果は、読解力、数学、科学の各科目で成績が低下し、特に読解力は2015年の世界8位から15位へと大きく順位を下げた。

わが国では、文科省も識者もマスコミも自分に都合よい理由で成績低下を説明しようとし、どの国で読解力の成績が向上し、どの国で下がったかを分析すればおのずから明らかになる読解力低下の本当の理由の追及には無頓着であることを、2020年1月の本連載記事で明らかにした。

日本の読解力の成績が下がったのは、実は、PISA調査の当局が、デジタル時代に重要となってきている成績評価の要素として、ネットなどで得られる情報の「信ぴょう性」を正しく疑えるかという点を新たに導入したからであった。

このことは、新たにどんなテスト問題が加えられたかをチェックすればわかるし、情報の信ぴょう性を疑うのが得意な英米の読解力の成績が大きく上昇したことからも明らかなのである。詳しくは昨年1月の記事を参照されたい。

情報の「信ぴょう性」を判断する場合に重要なのは、情報に含まれる「事実」と「意見」の判別である。この点に関する2018年PISA調査のテスト問題として、代表的だったのは、「ラパヌイ島設問」だった(図表2参照)。これは、アメリカの進化生物学者であるジャレド・ダイアモンドが2004年に著した『文明崩壊』の書評文(抜粋)の中に登場する「ラパヌイ島」に関する記述を読み、文中の「事実」と「意見」をきちんと分けて理解しているかを試すテスト。

パラヌイ島設問の内容
「事実」と「意見」を区別できない韓国、できる米英 (PISA調査による国際比較)
この設問に対する正答率(正しい回答の割合)を各国比較した図表3を見てみると、米国が69.0%と最も高く、英国が65.2%でこれに続いていた。逆に最も低かったのは韓国の25.6%である。

慰安婦問題、竹島問題をはじめ歴史問題をめぐる日韓問題がなかなか解決の方向に向かわないのは、韓国では「意見」を「事実」と同じぐらい重視し、両方を区別しない場合もあるからだということもこうした結果から見えてくる。

もっとも日本も少し前には尊王攘夷という「意見」が、清国のように攘夷を強行すれば国が亡びるという「事実」を圧倒し、かの渋沢栄一ですらそうだったことを思い出せば、決してひとごとではない。この点への反省が十分でなかったため、その後、太平洋戦争という無謀な歴史にも突き進んだ、と筆者は考えている。』

『求められる国民レベルでのデジタルリテラシーの向上
2018年PISA調査における米国の数学や理科の成績はそれぞれ37位、18位、英国は18位、14位とあまり高いとは言えない。読解力にしても、米国は13位、英国は14位とそう高くない。にもかかわらず「事実」と「意見」の判定については世界1位~2位なのであり、いかに、米英がこの点について敏感かがうかがわれるのである。

これが、デジタル時代の課題を意識して、新たに情報の信ぴょう性判定の問題を導入した2018年のPISA調査の読解力テストで、米国が2015年調査の24位から13位へ、英国が22位から14位へと大きくランクアップした大きな理由なのである。

「ラパヌイ島設問」に対する日本の正答率は47.9%と米英より低いだけでなく、シンガポールや香港よりも低く、あまりよい成績ではなかった。これが日本の読解力が同時期に8位から15位へと成績を低下させた要因のひとつなのだった。読解力の成績低下をよく分析すれば、広い意味でのデジタルリテラシーは日本の高校生にはなお課題が大きいことが明らかになったはずである。

文科省のように、日本の高校生の読解力の成績低下を学校へのパソコンの普及率の低さのせいにしたり、新聞やいわゆる有識者のように読書不足やスマホ中毒のせいにしたりしたのはお門違いもいいところだったのに、その点に関する反省がないのが悔やまれる。

学校における適切な学習で向上する「事実」と「意見」の判別
教育を受けていない韓国は誤答する率が高かった
図表4には、同じ2018年PISA調査の結果から、「学校で情報が主観的か、また片寄りがあるかを見抜く方法を教えられているか」と聞かれて「はい」と答えた生徒の割合と「ラパヌイ島設問」正答率との相関を見たグラフを掲げた。

この点の教育が大いに行われている米英やカナダ、オーストラリアといった英語圏諸国では、事実と意見を区別できる生徒の割合も高くなっており、途上国や韓国のようにそうした教育に積極的でない国では、同割合は低くなっている。

IT機器の普及やデジタルネットワーク・システムの基盤整備といったハード、ソフトの充実より、むしろ、若者や国民の広い意味でのデジタルリテラシーの向上を国を挙げて図っていかないとデジタル時代に真に対応したことにはならないことをこの図は示していよう。デジタル庁の事務方トップが、商用画像の不正使用を行っているような日本の状況では、この点が全く心もとないと言わざるを得ないのである。

韓国は本記事で引いたOECDの報告書の指摘に敏感に反応した。「フィッシングメールが判らない?……韓国青少年のデジタルリテラシー、OECDで最下位」と題されたハンギョレ新聞の記事(2021.5.17配信)では、なりすましメールへの韓国人高校生のあまりの無防備さに警鐘を鳴らすとともに、事実と意見の判別テストでも悪成績だったことや若者の語彙力低下が社会問題になっていることにも触れ、最後に、次のようにまとめている。

〈OECDは報告書で『インターネットのおかげで誰もがジャーナリストや発行人になれるが、情報の真偽は明確に区分しにくくなった』とし『21世紀の読解力は、知識を自ら構築して検証する能力』だと述べている。OECDは、情報が多くなればなるほど、読者は不明確さを検討し、観点を検証する方法が重要になると指摘している。(中略)
スマートフォンやSNSを通じてフェイクニュースや操作された偽情報の影響力が増大し、コロナに関する間違った情報が急速に広まっている中、利用者自らが情報の真偽を判別するデジタルリテラシーの必要性は高まっている。

漢陽大学国語教育科のチョ・ビョンヨン教授は『韓国の生徒は、教科書と問題を解く訓練のおかげで情報の把握と理解は上手だが、実際の環境においてそれを活用する能力である、情報の信頼性と価値を判断する能力は低い』とし『PISAにおいて、デジタルリテラシー教育を受けた生徒は情報の信頼性を判断する能力が高いことが表れていることからもわかるように、学校でのデジタルリテラシー教育の強化が必要だ』と述べた〉

日本でもまったく同様の状況にあるのに、こうした論調が日本ではあまり見受けられないのは残念である。

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本川 裕
本川 裕(ほんかわ・ゆたか)
統計探偵/統計データ分析家
東京大学農学部卒。国民経済研究協会研究部長、常務理事を経て現在、アルファ社会科学主席研究員。暮らしから国際問題まで幅広いデータ満載のサイト「社会実情データ図録」を運営しながらネット連載や書籍を執筆。近著は『なぜ、男子は突然、草食化したのか』(日本経済新聞出版社)。
<この著者の他の記事>「菅首相の頼みの綱」ワクチン接種率が上がるほど感染拡大する第5波の”不都合な真実”』

富士山に登ると、人生観が一変する

富士山に登ると、人生観が一変する
https://blog.tinect.jp/?p=72365

 ※「やった人生」と、「やらない人生」の絶対的な隔絶…。

 ※ これは、たぶん、本当だ…。

 ※ ただ、人生、「やった」結果、破滅(玉砕)するということもある…。

 ※ それもまた、人生の「真実」だ…。

『これに加えて富士山に登る事で何が得られるかといえば、やった人生とやらない人生の可視化である。

これは内在感覚としても間違いなく己の内に宿る。

例えば今後、僕が新幹線や飛行機でもって眺める富士山の景色は、富士山に登る前にみた景色とは完全に異なったものとなる。

外からみた富士山は銭湯の絵みたいだけど、あれを見ながら殺風景な岩景色や山頂の青さと白さを想起できるのは、登った事がある人間だけだ。

外側の美しさと内面の殺風景さ。

この二面性は実際に登った人だけが得られる心の目である。

文字や映像では絶対に得ることができない。

単に美しい景色や知識といったものなら誰でも得ることができるけど、この真理だけは富士山に登った事がある人間しか手に入れる事ができない。

ここにある種の人生の本質がある。

世の中にはこういった類のモノが実にたくさんある。

傍観する人生と、やる人生。あなたはどちらがお好きですか?

経験はとても尊く、人生をとても色鮮やかにしてくれる。

例え話を一つしよう。学園の美しいマドンナをみて

「あんな美しい人と付き合えたら死んでもいい」

というだけの傍観する人生と

実際に勇気を出して告白し、付き合って結婚し、子供を産み育て

「いや、まあ実際に腰を据えて付き合うとなると、結構大変だったよ」

と言う人生。

富士山を登ったか登らないかは、この2つの人生と同じぐらいの格差がある。

この理論を頭で理解するのは誰にでもできるかもしれないが、心の底から理解できるのは”やった側”の人間だけだ。

「富士山は外から眺める山であって、登ってて楽しい山ではない」

実際に、登った人がそういう感想を持つのはいい。

それはその人にとっての真理だからだ。

ただ、やってもいないくせに「富士山に登る意味なんてない。単なる殺風景な山でしか無いんだし」と斜に構え、したり顔でもって”やらない”人生を堂々と主張し始めるのは、とても損だ。

そういう態度は人生を物凄く毀損する。

富士山に登れば、あなたは今すぐにでも”やった側”に立つ事ができる。

そう考えると、なんだか登らない事が物凄く損に思えてこないだろうか?

さあ、あなたも富士山に登ってみよう。大丈夫、絶対に損はしないから。』

〔葉隠〕

葉隠
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%89%E9%9A%A0

 ※『毎朝毎夕、改めては死に改めては死に 、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕課すべき也。』

『二つ 二つ の場にて、早く死ぬ方に片付ばかり也。別に子細なし。』

という、「凄まじい」ものだ…。

※ 昔のサムライは、こうやって「胆力」を鍛えたものなんだろう…。

『内容

『葉隠』は一般の武士を対象にした武士道論ではなく、藩主に仕える者の心構えと佐賀藩の歴史や習慣に関する知識を集めたものであった[1]。江戸時代には公開が憚られ、一部の人々にしか知られていなかった[1]。

「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い。』

『当時、主流であった山鹿素行(古学、山鹿流とも称す)などが提唱していた儒学的武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義は山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。

赤穂事件についても、主君・浅野長矩の切腹後、すぐに仇討ちしなかったことと、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央が病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別に相手に突っかかることはできないのである」と評している。』

『この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが(鍋島綱茂は吉良義央の甥、吉茂・宗茂は義甥にあたる。

また、山鹿流は吉良氏と昵懇だった津軽・松浦両家に伝承された[3])、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩の朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身の大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。

また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしまう気概と覚悟が肝要とされていたといわれる。

そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。

これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。

浮世から何里あらうか山桜 常朝  白雲やただ今花に尋ね合ひ 陣基 』

『「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

『葉隠』の記述の中で特に有名な一節であるが、『葉隠』の全体を理解せず、ただとある目的のためには死を厭わないとすることを武士道精神と解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。[要出典]

しかしながら、そのような解釈は全くの見当違いである。「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」で始まる一節は、以下のようなものである[4]。

原文

二つ々の場にて、早く死ぬ方に片付ばかり也。別に子細なし。胸すわつて進む也。(中略)

二つ々の場にて、図に当たるやうにする事は及ばざる事也。我人、生る方がすき也。多分すきの方に理が付べし。

若図に迦れて生たらば、腰ぬけ也。

此境危ふき也。図に迦れて死たらば、気違にて恥にはならず、是は武道の丈夫也。

毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕課すべき也。

(現代語訳)

どちらにしようかという場面では、早く死ぬ方を選ぶしかない。何も考えず、腹を据えて進み出るのだ。(中略)そのような場で、図に当たるように行動することは難しいことだ。

私も含めて人間は、生きる方が好きだ。おそらく好きな方に理由がつくだろう。(しかし)図にはずれて生き延びたら腰抜けである。この境界が危ないのだ。

図にはずれて死んでも、それは気違だというだけで、恥にはならない。これが武道の根幹である。

毎朝毎夕、いつも死ぬつもりで行動し、いつも死身になっていれば、武道に自由を得、一生落度なく家職をまっとうすることができるのである。

『葉隠』は武士達に死を要求しているのではなく、武士として恥をかかずに生きて抜くために、死ぬ覚悟が不可欠と主張しているのであり、あくまでも武士の教訓(心構え)を説いたものであった[4]。』

陰謀論にハマっている人達は、たぶん、ものすごく知的な活動をしていると思ってる

陰謀論にハマっている人達は、たぶん、ものすごく知的な活動をしていると思ってる
https://blog.tinect.jp/?p=71519

『しかし断言してしまうが、アイディアというのは論理的思考では積み上がらない。

論理は理屈の解析や物事の分析には使えるけれど、こと何か新しいモノを生み出すのには全く役にたたないと言っても過言ではない。

発想力はこんな感じのわかりやすい線形思考をしていない。』

『じゃあ発想はどういう風に産まれるのだろうか?

僕が思うに、それは以下のような形をしている。』

『仕事であった最前線にいる研究者の話

なんでこんな考えに至ったのかというと、最近仕事で研究に携わる機会が多くいわゆる最前線にいる研究者達と話をする事があったのだが、ものの見事にみんなこんな感じでもって思考していたからだ。

ある人はランニングの最中に思い浮かんだ突拍子もない思いつきが今までで最高の業績に繋がったといい、またある人は趣味のガーデニングの最中に突然閃いたアイディアが自分の今までの仕事の全てだったと言っていた。

彼らはずば抜けて頭がよく当然というかロジカルやら知識も抜群に使える。

なので普通に接していると

「こんな風に知的に物事を考えられるから、凄いアイディアが思いついたのかな」

と思わされてしまうのだけど、そういう傍からみてわかりやすい知性は少なくとも研究には全く役に立たないというのである。

「知識や論理的思考は問題を解くのには使えるけど、問題を思いつくのには全然使えない」

「ぶっちゃけ論理的思考能力なんて大学を卒業できるぐらいの頭があれば十分。それに解析するのに知識が足りないのなら、他人を使えばいいだけだし」

「それよりアイディアの種みたいなのを思いつけるか、そしてそれを何かと結びつけて形にして取り出せるかの方が研究者としては大切」

「これが出来ない人間はどんなに頭がよくても研究者にはなれない」』

『陰謀論にハマっている人達は、たぶん物凄く知的な活動をしていると思ってる

この発想力の正体みたいなものに気がついてから、なんで陰謀論に人がはまり込むのかの正体のようなものがうっすらとみえてきた。

実は陰謀論にハマっている人達のやっている事は研究者達のやっている事と全く同じである。

図解するとこんな感じである。』

『Twitterのタイムラインを眺めていると、ときどきトンデモ理論が流れてくる事がある。
その多くは論理が破綻しており「なんでそんな不思議な考えに至ったの?」と思わされるものばかりなのだけど、実際の研究における発想も実は99%は使い物にならないものだという。

研究者いわく

「思いついたアイディアは実際に実験して確かめてみると大体は駄目」

「だけど、たまに上手くいく事がある」

「ヒラメキの9割はただのゴミ。研究とはそういうもの」

なのだそうだが、陰謀論に関して言えばこの「確かめてみたら駄目」というチェック機構を働かせる場所がない。

故に駄目な発想が修正される事なく流れてしまうわけである。

しかし思いついた当人は「ひょっとして、世界の真理に目覚めちゃった!?」みたいに思っていたりするわけで、知的興奮のようなものが凄く脳髄に直撃しているはずである。

たぶん、陰謀論にハマっている当人達は物凄く知的な活動をしていると思っているはずだ。

それが生産的な活動かどうかは置いといて、当人の脳の回路は研究者と同じように動いているのだからかなり楽しいに違いない。 』

『SNSで特定の思考を持つモノと馴れ合いすぎるのは思ってる以上にヤバい

実は研究の世界は普通の人が思っている以上に否定・批判の連続である。

論文を投稿すると査読といって審査を受ける事になるのだけど、一流誌になればなるほど審査員のコメントは辛辣で、褒めてもらえる事など無いに等しい。

かつては論文を投稿する度に「なんでそんな細かい所にイチャモンつけるん?もうちょっと好意的に読んでくれてもええやん」と何度も思ったのだが、最近SNSで特定の思想を加速させて狂っていく人達をみて、あの仕組みにも一定の合理性がある事に気がついた。 』

『SNSは良くも悪くも馴れ合いの世界である。

多くの人は自分の意見を否定される事を物凄く嫌がるから、自分と似たような意見を持つ人間と人間でナアナアな関係ができやすくなる。

そんな感じで集合知が形成されるようになると、実は先程の陰謀論の形成と全く同じような展開になる。

結果としてどんどん人は思想が先鋭化して、狂ってしまうのである。』

『クソリプは耳に不快だが、ある程度は必要なのかもしれない

以前からSNSはエコーチェンバー現象の危険性が指摘されていた。

これは閉鎖的空間内でのコミュニケーションを繰り返すことにより、特定の信念が増幅してしまう事の比喩だが、内部批判が働かないのだから狂った意見が定着してしまうのも仕方がないのかもしれない。

ヤバい発想とヤバい発想が組み合わさって狂った意見が形成され、それを元にまた狂った意見が形成されて…が何度も何度も積み上がっていったらどうなるかなんて言うまでもないだろう。

かつてある人が

「多く新興宗教がおかしくなるのは、信者が教祖を狂わせるからなんだよね」

「普通の人は教祖が信者をおかしくしてるって思ってるかもだけど、それ逆だから」

「1番最初に狂うのは魅力的だったはずの教祖なんよ。信者って凄いよね」

と言っていて妙に感心した事があるが、実際にインターネットのインフルエンサーの多くがおかしくなってしまうのも似たような現象だろう。

信者は教祖を否定しない。

その否定しないのが…たぶん物凄くマズい。

人間、褒められるのは気持ちがいい。

だから自分を肯定してくれる場所に身を置くたくなってしまうものだけど、そういう場所は査読が働かない論文のような場所でもある。

その世界はSTAP細胞のように細胞にオレンジジュースをかけたらiPS細胞が出来上ってしまうようなファンシーな世界に容易になりうる。

クソリプは耳に不快だが、狂わない為にはある程度の合理性はあるのかもしれない。

心の自浄作用としての小説のススメ

とはいえ普通の人が批判をキチンと受け入れられるかといったら、それは無理だ。

ではどうすればいいのだろうか?

僕が思うその回答を書いて文章を〆よう。

最近読んだ本で非常に面白かった一節に「伊勢神宮が何百年たってもキレイなのは、一定期間で遷宮する度に何度も建て直しているから」というものがあった。

<参考 LIFE SCIENCE(ライフサイエンス) 長生きせざるをえない時代の生命科学講義>

LIFE SCIENCE(ライフサイエンス) 長生きせざるをえない時代の生命科学講義
吉森 保
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価格¥1,683(2021/07/08 07:50時点)
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築何年もたった家は必ずどこかにボロがくるが、最初から建て直しをして、壊れた所をその度に取り替えていたら何百年たってもピンピンしている。

実はこの仕組こそ私達の身体で行われているものそのものである。

オートファジーといって、私達の身体は見た目が全く同じようにみえつつも、実は内部で何度も建て直しが行われている。

私達の肉体はこのオートファジーによって身体の中にある老廃物が蓄積しないようになっており、老化現象のかなりの部分がそれで防がれているのだという。

感のいい読者は気がついたかもしれないが、私達の心にもこのオートファジー現象を働かせる事ができれば心の老廃物の蓄積を防ぎフレッシュさを保てるはずだ。

じゃあどうすれば心にオートファジーを作用させる事ができるだろうか?

僕はその鍵は小説にあると思う。

かつて村上春樹さんが小説を読む効用としてこのような事を言っていた。

「小説を読むとフィクションを通じて、現実世界からちょっとだけ離れる事ができる」

「そうして物語の中を旅し終えた後であなたは現実に立ち返るわけだけど、そうして現実に戻ってきた貴方は同じ貴方なのに以前の貴方とほんのちょっとだけ変わっている」

「場合によってはモノの見方がいくらか変わったかもしれない。けど、そこにあるのは確かに以前と同じ現実である」

物語を通じて貴方という存在を離れ、別の人物としての時間を過ごす。

そうしてまた貴方の人生へと還っていく。

この心の動きはまさに心のオートファジーだ。

良い小説を読む事で貴方の心から老廃物が排出され、貴方の心は建て替えられる。

すると以前とまったく同じはずの現実が異なる彩りを呈してみえたりもする。

物語には確かにこのような現象を引き起こす力がある。

たまには上質な小説でも読んで他人の人生を追体験し、いい意味での現実逃避をしてみてはいかがだろうか?

きっと心が晴れるに違いない。

<参考 マネーロンダリング 橘玲>

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〔東照公御遺訓〕

https://www.toshogu.or.jp/about/goikun.php

 ※ この「御遺訓」を、拳々服膺したところで、「お金が、足りない…。」事態は、如何ともならない…。

 ※ しかし、なにがしかの「足し」には、なるだろう…。

 ※ 個人の場合、「時間を味方につけること」が可能だ…。

 ※ 「分かりきっている」ことには、あらかじめ「手を打って」、長い年月をかけて、備えよう…。

 ※ それと、若いうちから、万事「安上がり」なように、自分を躾けよう…。

 ※ よく「清貧」を馬鹿にする向きがあるが、自分の生活の「収支」の管理ができないのは、アホウに過ぎない…。

 ※ そういうヤツに限って、「一攫千金」狙いに出て、ビットコインみたいなものや、リスク資産、先物の相場なんかに手を出して、スッテンテンになったりするわけだ…。

 ※ ゆめゆめ、そういうハメに陥っては、ならん…。

人の一生は重荷(おもに)を負(をひて)遠き
道をゆくが如し いそぐべからず

不自由を常とおもへば不足なし

こころに望(のぞみ)おこらば困(こん)窮(きゅう)したる
時を思ひ出(いだ)すべし

堪忍(かんにん)は無事(ぶじ)
長久(ちょうきゅう)の基(もとい) いかりは敵とおもへ

勝事(かつこと)ばかり知しりてまくる事をしら
ざれば害(がい)其(その)身(み)にいたる おのれ
を責せめて人をせむるな 

及ばざるは過すぎたるよりまされり

〔ハンチントン・パラドックス〕

〝社会的挫折感〟と対峙 自信と警戒の間で揺れる中国共産党
加茂具樹 (慶應義塾大学総合政策学部教授)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/23300

『ハンチントンとは、著名な国際政治学者であるサミュエル・ハンチントンのことである。彼は、近代化(経済発展)とそれに伴う社会変動を論じた『変革期社会の政治秩序』のなかで、(ある国家において)「政治的不安定性を作り出すのは近代性の欠如ではなく、近代性を果たすための努力が欠如しているからであり」、(国家が不安定であるのは)「貧しいからではなく、豊かになろうとしているからである」という考え方を提起していた。』

『同書は、「近代性が安定を生み出し、近代化が不安定を生む」というパラドックスを検証し、その因果関係の説明を試みた。これが「ハンチントン・パラドックス」である。発展途上国はこのパラドックスに陥りやすい。ハンチントンは、経済発展と政治的不安定の関係を下表に示すように三つの段階で説明していた。これが「ギャップ仮説」と言われる。』

『第一の段階は、経済発展が都市化や教育水準の上昇、マスメディアの発展を生み、これによって(人々の)新しい要求が生まれる(これが社会的流動化)が、経済発展は社会的流動化よりも遅い速度でしか増加しないため、要求の増大と要求の充足との間にギャップが進展し、これが社会的挫折を生み出す、というものである。

 第二の段階は、社会的挫折感と政治参加の関係である。農村から都市への移動や都市内部での職業的および所得上の移動といった移動の機会に人々は恵まれると、社会的挫折感は解消される。しかし、移動の機会を得られない場合、人々は政治参加によって要求実現を目指そうとする。

 そして第三の段階は、政治参加の要求が高まっても、それに応じて政治的制度化が進んでいれば、政治の安定性は維持される。しかし、そうではない場合、政治参加の高まりに政府は適応できず、政治不安を生み出す。これが、発展途上国において経済発展に伴って政治的不安定化が深刻化することを説明する有力な考え方である。』

『(※中共の)歴代の指導部は、このハンチントンの考え方を熟知している。習指導部のなかで中央政治局常務委員会委員である王滬寧(おうこねい)は、1980年代にハンチントンのこの考え方を踏まえた論文を書いていた。だからこそ指導部は、「二つの奇跡」を実現したであるとか、「ハンチントン・パラドックス」を克服したという言説をつうじて、共産党による一党支配の優位性の物語を国内に向けて訴えるのである。』

『ただし、一党支配体制が「二つの奇跡」を実現したかどうかは疑わしい。少なくとも言えることは「これまでのところ」である。』

『習指導部は、ギャップ仮説で示される「社会的挫折感」が中国社会において高まっていることを理解している。近年、指導部は「人々の満足感、幸福感、安全感を満たさなければならない」と繰り返し確認してきた。これまでの指導部は、中国社会の主要な矛盾を「人々の日々増大する物質的、文化的な需要と遅れた社会生産の間の矛盾」と定義してきたが、習はこれを「人々の日々増大する素晴らしい生活への需要と、発展の不均衡、不十分との矛盾」と言い換えた。人々の欲求は量から質へと変化したと捉えている。

 中国経済が高度成長の段階を終えたこと、新型コロナウイルス感染症のパンデミックの影響によって、中国において「社会的挫折感」が増大し、最終的には「政治的不安定性」の増大を生む条件は整っている。指導部は、この問題に向き合っている。』

『近年、習指導部は「全過程民主」という概念を提起し、例えば重要な課題に関わる立法の過程においてパブリックコメントの重要性を訴えている。増大する政治参加の要求に応えようとする「政治的制度化」の取り組みと言っても良い。もちろん政治参加の機会は増大しても決定権は共産党が独占したままという構図に変わりなく、また社会が発する多様な要求を有効に集約できるかどうかは分からない。「政治的不安定性」が克服されるかどうかは未知数である。』

『習指導部は、一方で科学技術イノベーションを重視する。デジタルインフラ建設の推進を通じて人々の「質の高い社会」を実現したいという要求に応えるためであり、また経済発展によって多様化した社会の要求を的確に把握する能力の向上のためでもある。他方で「総体国家安全観」の提唱をつうじて、国内治安の強化という政策を推進している。

「一国二制度」の「一国」に力点を置いた「愛国者による香港統治」という対香港政策も、「戦狼外交」と揶揄されるように中国外交が「民意に拉致される」のも、中国社会が直面している「社会的挫折感」増大への警戒の反応という側面もある。また、「構造的パワー」の拡大を追求する中国外交もまた、こうした国内要因に突き動かされているといってもよい。』

サミュエル・P・ハンティントン
https://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_P._Huntington

『(Google翻訳文)「文明の衝突」
詳細は「文明の衝突」を参照

ハンティントンの「文明の衝突」の9つの「文明」の地図。

1993年、ハンティントンは国際関係理論家の間で、外交雑誌に掲載された影響力のある引用記事「文明の衝突?」というタイトルで大きな議論を引き起こしました。記事の中で、彼は、ソ連の崩壊後、イスラームは世界の西洋支配の最大の障害になるだろうと主張した。したがって、西側の次の大きな戦争は、必然的にイスラームと共にあるだろう、と彼は言った。冷戦後の地政学と「不安定の必然性」の記述は、フランシス・フクヤマが提唱する有力な「歴史の終わり」とは対照的である。

ハンティントンは「文明の衝突」を本の長さに拡大し、1996年に文明の衝突と世界秩序のリメイキングとして出版しました。この記事と本は、冷戦後の紛争は、イデオロギー的な違いではなく文化的な違いのために最も頻繁かつ暴力的に起こると考えています。

冷戦中、資本主義西部と共産主義圏東部の間で紛争が起こった一方で、世界の主要文明の間で起こる可能性が最も高かったのは、7つ星と可能性のある8番目の文明((i)西洋、(ii)ラテンアメリカ、(iii)イスラム、(iv)正教会(中国語)、(v)ヒンズー教、(vi)正教会、(vii)日本語、(viii)アフリカ人)

この文化組織は、現代世界と主権国家の古典的な概念を対比しています。現在と将来の紛争を理解するためには、文化的な亀裂を理解し、国家ではなく文化を戦争の理由として受け入れなければならない。したがって、西側諸国は、文化的緊張の不可解な性質を認識しなければ、優位性を失うことになる。ハンティントンは、この冷戦後の地政学的組織と構造の転換は、民主的普遍主義の理想とその絶え間ない軍事介入主義の押し付けを放棄することによって、西側が文化的に自分自身を強化することを要求すると主張した。この点を強調して、ハンティントンは1996年の拡大で、「民族紛争と文明衝突の新興世界では、西洋文化の普遍性に対する西洋の信念は3つの問題に苦しんでいます:それは間違っています。それは不道徳である。そしてそれは危険です。 [15]

西洋のキリスト教(カトリック・プロテスタント)との西洋文明の識別はハンチントンの当初の考えではなく、冷戦時代以前の伝統的な西洋の意見と細分化でした。批評家(例えばルモンド外交官)は文明の衝突と世界秩序のリメイキングを呼び出し、中国と世界のイスラム・正統派文化に対するアメリカによる西洋の侵略の理論的な正当化を呼び出す。

他の批評家は、ハンティントンの分類は単純で恣意的であり、文明内の内部ダイナミクスと党派的緊張を考慮していないと主張している。

さらに、ハンティントンは、紛争を引き起こす本当の因果要因として、エリートによるイデオロギー的動員と人口の満たされていない社会経済的ニーズを無視し、彼が彼によって特定された文明の国境にうまく適合しない紛争を無視し、彼の新しいパラダイムは「国家」が「文明」に置き換えられた現実主義的思考に過ぎないと主張している。

ハンティントンの米国政策への影響は、20世紀初頭のアジアの指導者に関する歴史家アーノルド・トインビーの論争の的となっている宗教理論にたとえられている。ハンティントンに関するニューヨーク・タイムズの死刑執行人は、彼の「国家や民族とは対照的に、古代の宗教帝国に重点を置いて、(世界的な紛争の源として)得た..9月11日の攻撃の後、より多くのキャッシュ. [18]

ハンティントンは、ウクライナは、よりカトリック西部ウクライナと正統派東ウクライナの間の文化的な線に沿って分割するかもしれないと書きました:

統計学者のアプローチは、ロシアとウクライナの戦争の可能性を強調しているが、文明的アプローチはそれを最小限に抑え、代わりにウクライナが半分に分裂する可能性を強調するが、どの文化的要因が予測につながる分離は、チェコスロバキアよりもはるかに暴力的かもしれないが、ユーゴスラビアよりもはるかに血まみれではないかもしれない。 [19]』

コロナ禍の5大システムトラブル、みずほ銀行だけではない「あきれた事情」

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00148/030400162/

 ※ 「木村岳史大先生」のご託宣だ…。

 ※ 非常に、本質的なところを抉って(えぐって)いると思われ、参考になる…。

 ※ ざっと一読しただけだが、「システム・トラブル」と言っているが、実は、問題は「システム」にあるのでは無い…。

 ※ 『そろそろ読者にも「木村が選ぶ5大システムトラブル」に共通する問題の本質が見えてきているのではないかと思う。そう、組織をまたぐ制度やルール、体制の欠如、丸めて言うと「仕組み」の欠如である。では、今回のみずほ銀行の「ATMにカードを吸い込まれた客を長時間放置」事件はどうか。もちろん同じことが言える。他と違い、みずほ銀行だけで「完結」するトラブルだったが、今回のような非常事態の際に誰がどう動くかという、部門をまたぐマニュアルに「バグ」があったのだ。やはり仕組みの不備である。

 冒頭でも書いた通り、休日にシステムトラブルが発生すればATMにカードを吸い込まれた大勢の客を長時間放置してしまうリスクがあると、容易に想定できたはずだ。にもかかわらず、ただちに各支店の担当者らが出向いて対応に当たったり、即座に緊急記者会見を開いたりして、カードなどを取り戻せない客を安心させる措置をとらなかった。その結果、客にとっても、みずほ銀行にとっても、今回のトラブルで考え得る最悪の結果を招いてしまったわけだ。』…。

 ※ ということで、問題の「根源」は、「システム」を包摂する、「仕組み」にある…。

 ※ オレの考えでは、世の中というものの「構造」は、「層構造」になっている…。ちょうど、マトリョーシカ(あるいは、玉ねぎ)みたいに、上部の層は、下部の層を”くるんで”(”包摂”して)いる構造になっている…。

 ※ だから、ここでの問題は、「システム」自体に存在するだけ…、という話しじゃ無い…。

 ※ オレの用語では、システムの「上部の層」、木村さんの用語では「仕組み」に存在している…。

 ※ 前に、「指揮官」というものの「資質」を、「その局面での、プライオリティの判断を、的確に下せる人材。」という観点から、語った…。

 ※ さらに、もう一つある…。それは、「事がらの”全体の層構造”を把握していて、そういう”層構造のプライオリティ”の判断を、的確に下せる人材。」というものだ…。

 ※ 『このように5大システムトラブルの問題の根っこは、システムに潜むプログラムのバグや不具合といった技術面にあるのではない。もちろん、バグや不具合が直接のきっかけとなって重大なトラブルが起こったわけだが、「きっかけ」はあくまでもきっかけにすぎない。そうではなく問題の根っこは、そのシステムを活用するビジネスやサービス全体の仕組みがきちんと設計・実装できていない点にある。

 サービス全体のきちんとした仕組みを検討せず、とりあえずつくってみたりするものだから、役に立たないどころか余計な仕事を増やすだけのシステムが出来上がるし、バグや不具合があっても放置されて重大な結果に立ち至る。そして、システムに障害など非常事態が発生した際に、サービスへの影響を極小化してリカバリーする手順やルールが、組織に「仕組みとして実装」されていないから、被害を無駄に大きくする。』…。

 ※ 『経営者など組織のトップも大いに問題がある。東証やみずほ銀行の記者会見で示されたように、経営者はシステムトラブルに対する自らの責任を自覚するようにはなっている。ただし、それは結果責任の自覚にすぎない。システムも含めたサービス全体の仕組み、ビジネス全体の仕組みや、何かあったときに被害を極小化してリカバリーする仕組みをつくるのはトップの責任だ、と心底理解している人はまだまだ少ない。トップにその自覚がないから「勝手にやっている現場の集合体」となり重大トラブルの火種を宿すのだ。』…。

 ※ しかし、現実の「指揮官」の姿は、こういうものが「現状」だ…。

 ※ 『 2020年度の5大システムトラブルは、そのことを如実に示したと言ってよい。極言暴論の熱心な読者ならよくご存じの通り、最近の極言暴論ではこの問題をいろいろな観点から取り上げてきた。まさに日本企業(そして公的機関)は「勝手にやっている現場の集合体」であり、全社的な仕組みをつくるのが苦手だ。特に複数の企業や公的機関にまたがる仕組みづくりとなると、お手上げ状態である。これはもう「日本の組織文化の病」とでも言うしかない。

関連記事:アマゾンの正論「善意は役に立たない」を理解しない日本企業、DXで赤っ恥は確実だ
関連記事:「ビジネスの仕組み」がないダメ企業ばかりの日本、そりゃ基幹系システムも最悪だな
関連記事:日本企業は「勝手にやっている現場の集合体」、だからDXは絶望的にうまくいかない 』

 ※ ということで、話しは「システム」だけ、「指揮官の資質」だけの問題じゃ、無くなってくる…。

 ※ 「日本型の組織」の特徴…、というものにも波及してくる…。

 ※ どこまで行っても、日本型の組織は、「勝手にやっている現場の集合体」で、「それぞれの階層での最適解」だけを追求するものになっている…、という話しになる…。

 ※ 「全体の層構造」の把握・認識ができていない限り、打つ手や策の立案は、「部分解」を探るものにしかならない…。

 ※ そこへ持って来て、「他人の領域については、口を出さない。」という文化・風土が、「部分解」の横行・暴走に、拍車をかけることになる…。

 『そう言えば最近、意味不明の重大トラブルが多すぎる。2020年度の新型コロナウイルス禍のさなかに発生した5つの重大トラブルをここに並べてみよう。いわば「木村が選ぶ2020年度の5大システムトラブル」である。

・新型コロナ禍対策の10万円「特別定額給付金」でオンライン申請が大混乱
・「ドコモ口座」を使った不正出金事件がゆうちょ銀行などで相次ぎ判明
・東京証券取引所のシステム障害で株式売買が終日停止
・接触確認アプリ「COCOA」の不具合を4カ月以上も放置
・みずほ銀行のシステム障害でATMにカードを吸い込まれた客を長時間放置

 こう並べてみると、読者の皆さんも改めてそのひどさにあきれるだろう。トラブルを引き起こしたのは官庁や金融機関、通信事業者といった面々で、いずれも他の企業以上にシステムトラブルやセキュリティー関連の事件事故を避けなければいけない立場にある。しかも、単なるシステム面だけの問題ではないので罪深い。あまりに愚か過ぎて、まさに意味不明である。』

 『そう言えばTwitterで、これら5大トラブルを列挙したうえで「日本のIT劣化を実感する1年だな」と締めてツイートしたら、フォロワーの人から「劣化」というのはおかしいと指摘を受けた。劣化というからには「以前は良かった」との前提が必要だが、日本のITは以前からペケだったのでは、との指摘だ。まさにその通りである。日本の政府や企業のIT利活用の駄目さ加減が、ここに来て一気に事件事故として表面化したと言ってよい。

 新型コロナ禍の対策として急きょシステムをつくらなければいけなくなったり、システムの運用面などに新たな制約が生じたりしたのかもしれないが、それはトラブルの言い訳にはならない。むしろ、開発の丸投げや保守運用体制の不備など、これまでいいかげんなことを続けてきたからこそ、新型コロナ禍という危機的状況で一気に惨事を招いたと言える。これら5大トラブルは、まさに新型コロナ禍のさなかにあぶり出された日本の惨状のショーケースなのである。』

『官のお笑いプロジェクト(失礼!)と言ってよい2つの炎上案件から振り返ってみよう。まずは、トラブル判明からあまり時がたっていない「『COCOA』の不具合を4カ月以上も放置」事件だ。新型コロナ感染の拡大防止策として導入したのに、Android版の不具合を4カ月以上にもわたって放置していたというから、これはもうあきれ果てるしかない。しかもその不具合は、陽性登録したアプリ利用者と接触しても検知・通知されないという重大な不具合である。

 原因として、官からITベンダーへ、そして下請けへの丸投げといった保守運用体制の問題などが指摘されている。もちろん、それもあるだろうが、COCOAが「とりあえずつくってみた」アプリにすぎない点も大きい。COCOAが本来の役割を果たすには、利用を促す制度面・体制面の仕組みが不可欠なはずなのにそれがない。陽性者との接触の通知が来ても保健所などですぐに検査できない状況が長く続いたというから、ひどいものだ。その程度の存在にすぎないCOCOAの不具合が放置されても、むべなるかなである。』

『とりあえずつくってみたという点では、「10万円『特別定額給付金』でオンライン申請が大混乱」事件を引き起こしたシステムも似たようなものだ。マイナンバー制度の個人向けサイト「マイナポータル」に専用フォームを設け、マイナンバーカード保有者が給付金をオンラインで申請できるようにしたまではよかったが、実際の業務を担う各自治体のシステムが間に合わない。専用フォームでは申請者の入力ミスをチェックできないという問題もあり、自治体の現場は大混乱に陥るという、トホホな事件だった。

関連記事:コロナ対策で政府のIT活用はコントなのか、透けて見える構造問題
 普通、自治体の担当者らと綿密に打ち合わせて要件を詰めてからシステムを構築し、業務がうまく回るように人的な体制面なども整えるでしょ。それを丸っきりやらずに、システムをとりあえずつくってみて、マイナンバーカードを持つ国民に「さあ使ってください」としたものだからたまらない。国民はオンラインで「電子申請」したはずだが、その裏で自治体の職員が手作業で処理するしかない事態に追い込まれた。まさに「システムの中に人がいた」状態である。』

『官のお笑い炎上案件のほうを先に見たが、企業が引き起こしたトラブルも似たようなものだ。違いと言えば、とてもじゃないが「お笑い」では済まない結果を招いたことぐらいか。中でも最も間抜けなのは「『ドコモ口座』を使った不正出金事件がゆうちょ銀行などで相次ぎ判明」事件である。NTTドコモの電子決済サービスである「ドコモ口座」を使った不正出金事件が相次いで分かり、その多くがゆうちょ銀行の口座からの不正出金だった。

 この事件では、決済サービス事業者側が厳密に本人確認をするか、銀行側がサービス連携の際に、口座や暗証番号などによる認証ではなく2要素認証を導入するかしていれば、被害の大半は防げたはずだ。ところが両者とも自らの対策を怠り、多数の不正利用を許してしまった。「相手のサービスのセキュリティーは万全のはず」との思い込みがあったのかもしれないが、連携するサービス全体でのセキュリティーを考慮しないのは、驚くべき思考停止である。

関連記事:ドコモとゆうちょ銀での不正利用は大事件、セキュリティー無視のお粗末な理由

 何が間抜けかって、人様のお金を扱うサービスを連携して提供するにもかかわらず、各企業の担当者が(時にはオンラインで)集まって、サービス全体の課題や問題点を検討した形跡がないことだ。当然「もしも」は想定されておらず、「もしも」に備える仕組みもルールも何もなかったわけだ。実は、同じことが「東証のシステム障害で株式売買が終日停止」事件にも言えるから、頭が痛いのだ。』

『東証のシステムトラブルでは、システムの再起動が可能であったにもかかわらず、取引開始時間前に受け付けていた注文の取り扱いを巡り「大きな混乱が予想される」として、終日の売買停止を選択せざるを得なかった。その結果、多くの投資家が丸1日、株式を売買する機会を奪われる結果となった。まさに重大なトラブルだが、記者会見で東証の経営陣の受け答えがあまりに「まとも」過ぎたため、私としたことが少し感動してしまうという「不覚」をとった。

関連記事:「富士通に損害賠償請求」発言から15年、東証のシステム障害会見に不覚を取った訳

 しかし、そのお粗末さは先ほどのドコモやゆうちょ銀行らと何ら変わりはない。早い段階でシステムを再起動できる状況にあったにもかかわらず、なぜ終日にわたりシステムを止めざるを得なくなったかというと、証券会社との間で明確なルールや手順を定めていなかったからだ。証券会社など市場参加者との間では、システムを相互に接続して密接に連携しているにもかかわらず、障害発生時における再起動の手順やルールを決めていなかったというから、たまげた話である。』

後世へも影響を与えたデカルトの演繹法的思考(帰納法との違い)

『◆ デカルトの大陸合理論

一方でデカルトは、経験よりも【理性】を重んじました。

経験よりも、1つ1つの事実や原理原則を丁寧に積み上げて、合理的に結論を導き出そうとしたんです。

要するに【演繹法的なアプローチ】です。

この考えは後世の哲学にも大きな影響を与え「大陸合理論」何ても呼ばれました。

大陸合理論を要約すると

理性の絶対性を主張し,理想によって得られた明晰判明な観念のみを真理としました。

経験論が重視する感覚的経験は【人間の正しい認識を阻害する要因にすぎない】とみなす点に特徴があり、理性によって論理的に展開される数学を学問の模範にした。
って感じです。

つまり《人間の感覚や経験なんか信じられるかー!!!》っていうスタンスです。

数学的に科学的に論理を構築していくスタンスです。

結局この「大陸合理論」は哲学の大きな流派の1つとなり、スピノザやライプニッツに受け継がれていきます。

そうやって、デカルトは、人間の感覚だけでなく、ありとあらゆるモノを徹底的に疑っていく事で、真理に辿り着こうとします。 』

経験論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96

フランシス・ベーコンとは?【死ぬほどわかりやすく解説】
https://uteimatsu.com/francis-bacon/

『フランシス・ベーコンはイドラを生み出した

フランシスベーコンを紹介する上で必要不可欠なのが、
「イドラ」という哲学用語です。

イドラというのは
「正しい知識をとりいれる上で障害となる思い込み」
をさしています。

フランシスベーコン は
「知識なんか生まれつき全くない、生きていく上で積み上げていくもの」
と考えていました。

これは上でも何度か言いました「経験論」という考え方です。

フランシスベーコン は
「どうすればうまく知識を積み上げれるのか?」を考え、
その上で知識の積み上げの妨げになるものを「4つのイドラ」と呼びました。

その4つがこちらです。

種族のイドラ→人間特有の思い込み
洞窟のイドラ→生きた環境による思い込み
市場のイドラ→噂による思い込み
劇場のイドラ→権威による思い込み

この4つを自分自身で認識することが、
正しい知識を得る上で大切だ、というのがフランシス・ベーコンの哲学です。

この4つのそれぞれをもっと深く知りたい方は
下の記事を読んでみるといいかもしれません。

死ぬほどわかりやすい哲学ブログ2019.12.29

イドラとは?←先入観にとらわれないために
https://uteimatsu.com/idola/
こんにちは、素人哲学者 ミルマノ(@mirumano)ですこの記事では「イドラ」という哲学用語をわかりやすく紹介したいと思います。ちなみに、このイドラを理解することができれば、固定観念や先入観にとらわれてるな〜って時に自分自身でそれに気づけるようになりま…』

『フランシス・ベーコンの名言「知は力なり」とは?

そしてもう一つ外せないのが「知は力なり」という
フランシス・ベーコンの名言です。

これは直訳すると「知識は力だよ!」っていう意味です。そのままです。
ただ実際のところ、この名言にはもっと深い解釈があります。

この名言の本当の意味は
「(観察や実験によって得た)知識こそ力だよ!!」
です。

カッコの部分が本当に重要です。
大抵の人はこの部分を知らずに
「知識が多ければ成功する」的な名言と思ってしまっています。

イドラもそうなのですが、
この名言も経験論という考え方を元にされています。

フランシスベーコン の中では
「知識というのは経験や検証、実験」を通してしか得ることができません。
逆に言えば、経験から得た知識こそが本当の知識なのです。

正しい知識が経験から得られるという経験論と、
正しい知識は理性から得られるという合理論。

この二つの思想は哲学界でも大きく議論されているジャンルになりますので、
興味がある方は調べてみてください。』

※ なんで、ベーコンの経験論が廃れた(あまり、注目されなくなった)のか、ちょっと不思議だった…。

※ この「年表」見ると、だいぶ「古い人」だったんだな…。それで、「後から生じた思想」に追い越された感じだったんだろう…。

※ しかし、「哲学」「思想」というものは、流行り廃りじゃない…。どれだけ、「根源的な問い」に答えているのかという点が、「生命線」だ…。

※ 4つのイドラとか、今現在でも、十分に通用するだろう…。

※ 科学的な「発見」「知見」の背後にも、こういう「根源的な思考・思惟」が横たわっている…。

※ そして、その科学においても、「限界」はある…。

東大教授が結論付けた「頭の良さ」の意外な正体とは

https://biz-journal.jp/2021/02/post_208990.html

 ※ 「東大教授」とか、「頭の良さ」とか、いかにもなタイトルなんで、最初は「またその手か…。ヤレヤレ…。」と思っていた…。

 ※ しかし、「意外な正体」とあるんで、ちょっと興味を引かれて、見てみた…。

商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)

膨大な情報を頭の中で、どう知性に変換すればいいのか?独学で東大教授になった著者による、情報洪水時代の今、本当に必要な頭の使い方。 –このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。

著者について
1963年生まれ。東京大学経済学部教授。中学卒業後、父親の海外転勤にともないブラジルへ。
ブラジルでは高校に行かずに独学生活を送る。大検を受け慶応義塾大学経済学部通信教育課程へ入学。
大学時代はシンガポールで通信教育を受けながら独学生活を続ける。
大学を卒業後、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士(東京大学)。
主な著書に『法と企業行動の経済分析』(第50回日経・経済図書文化賞受賞、日本経済新聞社)、『契約と組織の経済学』(東洋経済新報社)、『東大教授が教える独学勉強法』(草思社)など。 –このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
柳川/範之
1963年生まれ。東京大学経済学部教授。中学卒業後、父親の海外転勤にともないブラジルへ。ブラジルでは高校に行かずに独学生活を送る。大検を受け慶応義塾大学経済学部通信教育課程へ入学。大学時代はシンガポールで通信教育を受けながら独学生活を続ける。大学を卒業後、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士(東京大学)。契約理論や金融関連の研究を行うかたわら、自身の体験をもとに、おもに若い人たちに向けて学問の面白さを伝えている。著書に『法と企業行動の経済分析』(第50回日経・経済図書文化賞受賞、日本経済新聞社)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) –このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。

 ※ こういう「経歴」の人のようだ…。

 ※ 凡百の「物知りな人」の経歴じゃないんで、少し踏み込んで、情報収集した…。

 ※ けっこう参考になりそうなことが、載っているんで、紹介しておく…。

※ けっこう参考になりそうなんで、kindleの「サンプル本」DLして、そこからキャプチャした…。

孫子の兵法:虚実篇

孫子の兵法:虚実篇|孫子兵法家 長尾一洋
https://www.kazuhiro-nagao.com/suntzu/kyojitu.html

『夫れ兵の形は水に象る(かたどる)。水の行は高きを避けて下きに走る。兵の勝は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて行を制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に、兵に常勢無く、常形無し。能く敵に因りて変化して勝を取る者、之を神と謂う。五行に常勝無く、四時に常位無く、日に短長有り、月に死生有り。』

「そもそも、軍の形は水に喩えることができる。水は高いところを避けて、低いところへと流れる。軍も敵の兵力が充実した「実」の地を避けて、手薄になっている「虚」の地を攻めることで勝利を得る。水が地形に応じて流れを決めるように、軍も敵の動きや態勢に応じて動いて勝利する。したがって、軍には一定の勢いというものもないし、常に固定の形というものもない。敵の動きに応じて柔軟に変化して勝利をもたらすことを神業(神妙)と言うのである。これは、五行(木火土金水)にも常に勝つものはなく、四季(春夏秋冬)にも常に一定のものはなく、日の長さにも長短の変化があり、月にも満ち欠けがあるようなものだ。」』

 ※ 『兵の勝は実を避けて虚を撃つ。』原典は、これだけなんだな…。

 ※ なんか、時代小説・剣豪小説読んでると、「虚々実々の駆け引き。」とか、「虚に以ってするには、虚。実に以ってするには、実。虚に対するに実、実に対するに虚、は敗れる。」とか書いてあったような記憶があるんだが…。

 ※ みんな、後世の人たちが、勝手に解したものなんだろう…。

韓国人はなぜ、平気で約束を破るのか 法治が根付かない3つの理由

 ※ これは、白眉だ…。

 ※ 永いこと疑問だったことが、氷解し、腑に落ちた…。

 ※ 式目(律令と、日本の慣習の違いを埋める細則)が、コモンロー(ローマ法とゲルマンの慣習の違いを、埋める細則)に当たる…、との指摘も卓見だ…。

 ※ 英米法系(ゲルマンの慣習を残し、継承する)と、大陸法系(ゲルマンの慣習の断ち切り)の差異も、想起される話しだ…。

 ※ 非西欧諸国は、「ヨーロッパ近代」というものと相克した…。

 ※ 「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。」で、どの非西欧国家も、「西欧人の頭の中」「思考方法」「背景となっている思想」を、解読することを迫られた…。

 ※ その必死さ、真剣さ、それを探り出さなければ、国が潰れてしまう…、との危機意識の差異が、「自分を変えていくこと」の強弱を導いた、ということだろう…。

 ※ 結局、ヒトは、「自分の”脳”が、一番楽な思考方法」に還って行く…、ということなんだろう…。

※ しかも、韓国は、バイデン大統領登場のおかげで、ますます窮地に追い込まれるような気配だ…。
( かつて韓国の嘘を暴いたバイデン 「恐中病と不実」を思い出すか https://www.dailyshincho.jp/article/2020/11031701/?all=1&page=3

※ なにしろ、2015年12月25日の日韓慰安婦合意の「保証人」を務めたのが、他ならぬ、当時の「バイデン副大統領」だったということだからな…。
 
『興味深いのが、これらの政権批判が「もう日本を騙せないのに騙そうとしている」との戦術論に終始し、「国と国との約束を破った」という問題の本質に踏み込んでいないことです。ここに韓国の危うさがあります。

 国と国との約束を平気で破る――。こうした行動がどれだけ韓国の信用を傷つけたか、韓国人はまるで理解していない。日本からもう、まともな国として相手にされなくなったことが、まだ分かっていないのです。』

『――それにしてもなぜ、韓国人は平気で約束を破るのでしょうか。

鈴置:「いまだに儒教を社会の規範としているから」との説明が定説かと思います。不完全な人間を教えさとして「徳」ある人を作れば、社会も国もまともになる、というのが儒教の基本的な考え方です。

 法律で人の行動を規制し安定した社会を作るという法治の発想とは根っこで相いれないところがある。儒教国家にも法律はありますが、最終的な規範にはなりません。』

『京都府立大学の岡本隆司教授は以下のように喝破しています。『米韓同盟消滅』第4章第1節「儒教社会に先祖返り」から引用します。

・ちゃんとした人の間では、守るべきマナーがある。これを「礼」と言い、ある種の強制力がある。ただ、建前としては自ら律するものであって「法」のように外からがんじがらめに縛りあげるものではない。
・徳治に長らく馴染んだ人々には、法律によって国を治める――法治主義は、とても窮屈に感じられるだろう。法は柔軟性がなく、人々を細かく縛るからだ。

 儒教社会で生きてきた韓国人には法治――決まり事を守ることが苦手です。韓国も西欧型の法制度を導入はしましたが、身に付いてはいないのです。』

『――皆で決めたことを守らないと困るでしょう。

鈴置:それは日本人の発想です。法律は皆で決めたものとの認識があっての話です。外交評論家、岡崎久彦氏の『陸奥宗光とその時代』(PHP文庫)の217-218ページに鎌倉幕府の定めた法律――式目に関する鋭い指摘があります。

・式目は、唐から輸入された律令が京都以外の地域の実体とかけ離れてしまったために武家の慣習法を基礎として作られたもので、西欧におけるローマ法に対するコモン・ローの関係に似ている。
・裁判は十三人の評定衆で行ったが、成員は神社の神々に誓いをたてて、裁判に際しては厳正な態度をつらぬき、決して私的感情におぼれず、権力者をおそれず、また、一たん決定された判決に対しては、小数意見の者も共同責任を取るという起請文を書いたという。
・日本の裁判が伝統的に公正であり、とくに明治憲法、戦後憲法を通じて、裁判に腐敗がない伝統はここに求めることもできよう。』

『日本の法律の源流には武士――武装農民が仲間内のルールを成文化した式目があった。これを守らなければ困るだけではなしに、仲間外れにされてしまう。

 一方、朝鮮半島には封建時代がありませんでしたから、式目に相当する「自分たちが定めた決まり事」がない。中央集権型政権が中国から導入した律令――上が定めた法律の下、韓国人は生きてきたのです。

 韓国の知識人が時に「法を守ったり、判決に服する必要はない」と平然と語るのも、「法は自分たちが定めた」との意識が薄いからでしょう。

 与党の代表で次期大統領の有力候補が、裁判所の下した判決を公然と非難し、それが一切、問題にならないのもそのためです(「ヒトラーの後を追う文在寅 流行の『選挙を経た独裁』の典型に」参照)。』

『――国内でそうだから、外国に対しても決まり事を守らない……。

鈴置:明治維新前夜に日本の知識人が必死で国際法を勉強したのは、西欧に仲間入りさせてもらうには世界ルールの摂取が必須と考えたからです。

 幕府軍の榎本武揚が箱館戦争で死を覚悟した時、フランス人の著した『万国海律全書』を官軍の黒田清隆に託したのも、日本に1冊しかない海洋法に関する専門書が失われれば国益を損ねるとの思いからでした。』

『「国際的なルールを守らねば世界で生きていけない」との覚悟は普通の日本人にも広がっていました。大津事件(1891年)でそれが顔をのぞかせます。日本人なら誰もが学校で習う、訪日中のロシアの皇太子を滋賀県の巡査が刀で切りつけ負傷させた事件です。

 日露戦争前の日本政府は大国ロシアを恐れていました。犯人を死刑に処したかったのですが、負傷しただけでは死刑にできない。そこで日本の皇族への罪刑を適用しようとしたものの、大審院長――今で言えば最高裁長官、児島惟謙の反対で無期懲役に留まった。

 児島惟謙の主張は「法律を厳密に適用しなければ西欧から軽んじられる」という点にありました。』

『『大津事件日誌』(東洋文庫)には当時、児島惟謙が松方正義総理大臣と山田顕義司法大臣に宛てた「意見書」が収録されています。61ページから引用します。一部の漢字はひらがなに直しています。

児島惟謙のDNA
・顧みれば、我国一たび外交の道を誤りしより、其の害三十年の今日に延及し、不正不当の条約は猶未だ改正し能(あた)わざるに非ずや。且つ各国の我に対する、常に我が法律の完全ならず、我が法官のたのむに足らざるを口実とす。
・然るに、我自ら進んで、正法の依拠足らざるを表示し、たやすく法律を曲ぐるの端を開かば、忽ち国家の威信を失墜し、時運の推移は国勢の衰耗を来たし、締盟列国は、益々軽蔑侮慢の念を増長して、動(やや)もすれば非理不法の要求を為さざるを保せず。

 明治時代の日本人は徳川幕府の結んだ領事裁判権など不平等条約を国の恥と考え、一刻も早く改正したいと願っていた。児島惟謙は法律を曲げれば列強に軽んじられ、不当不正の条約の改正など夢物語だぞ、と訴えたのです。』

『日本政治史が専門の楠精一郎氏は『児島惟謙(こじま これかた)』(中公新書)で、以下のように書きました。4ページから引用します。

・当時の藩閥政府の圧倒的な権力の前には司法の権威も微弱なものでしかなかった。そうした状況のなかでの児島の示した毅然たる態度には賞賛が集まり、その後、「死刑を無理強いしようとした政府」と「法を護り司法権の独立を護った児島」という図式はなかば伝説化して、戦前に児島をもって「護法の神」とまで讃える評価を生み出した。

 大津事件を通じ神格化された児島惟謙の存在が、近代日本の法治の確立に大いに資した、との評価です。』

『1987年から1992年までの韓国在勤中に驚いたことの1つは、韓国人がしばしば「有銭無罪 無銭有罪」、つまり「裁判だってカネ次第でどうにでもなる」と言っていたことです。

「裁判官は儲かる商売」とも語られていました。裁判官におカネを払えば判決を有利に書き変えてもらえる、というのが常識だったのです。

 その頃はまだ、日本の統治下の朝鮮を生きた人が多数、存命中でした。彼らは苦い顔で、「日本から独立したら、すぐに李朝に戻ってしまいました」と説明してくれたものです。』

『――「李朝に戻った」のはなぜでしょうか。

鈴置:そこです、そこがポイントです。法治国家を作らないと国際社会で生き残れない、との覚悟が生じなかった。ここに韓国の特殊性があります。』

『韓国人が自前の近代的な国家を持ったのは1948年。朝鮮戦争の開戦が1950年ですから、東西冷戦のスタート時期と重なりました。

 西側の親分、米国とすれば韓国が自分たちの側にいるだけで十分。韓国で三権分立が機能しているかは気にも止めませんでした。そもそも弱い国が不平等条約を結ばされる時代でもなくなっていた。

 口うるさい韓国版・児島惟謙が登場する必然はなかった。政界も面倒な法治などに関心は持ちませんでした。米国の庇護の下、「まともな国か」と問われることもない甘い生存空間に安住した韓国には法治主義が育たなかったのです。

 国連や多くの国際機関から締め出されている台湾が、強制もされない国際ルールを自主的に守っているのと対照的です。1979年に米国から見捨てられた台湾は、「まともな国と見なされないと生き残れない」との緊張感を持ち続けてきたのです。

 2017年にサムスン電子の李在鎔(イ・ジェヨン)副会長に対する逮捕状請求が裁判所から棄却された際も「有銭無罪 無銭有罪」との批判が巻き起こりました。李在鎔氏は韓国一の富豪と見なされています。韓国人はいまだに「裁判もカネ次第」と信じているのです。』

『話をまとめます。韓国に法治が根付かなかったのは、儒教、封建時代の欠如、そして甘えが許された国際環境の3点と私は見ています。そして、法治意識に欠ける人々が外国との約束を軽んじるのはごく自然なことなのです。』

『――日本との約束を今、破り始めたのはなぜでしょうか?

鈴置:「国力が日本に追いついた」との自信からです。20世紀末まではなんやかんやで日本の助けを必要とした。でも21世紀に入って「日本なしでもやっていける」と判断した韓国人は、平気で日本との約束を破るに至ったのです。

 米国という補助線を引けば、それがはっきりします。韓国は米国との根本的な約束――軍事同盟さえ反故にし始めた。同盟解体に関しては『米韓同盟消滅』で詳述しています。

「日韓関係がおかしくなったのは、両国の関係が特殊だから」と韓国人は主張します。要は、植民地支配が原因だ、と日本に責任を転嫁する論理です。日本人の多くもそれに洗脳されています。

 でも、その理屈では米韓関係の急速な悪化を説明できません。韓国が日米ともに関係を悪くしたのは、韓国が自分の立ち位置を変更し始めたからなのです。』

『――しかし、わざわざ日本との関係を悪化させる必要もない……。

鈴置:「日本よりも上の国になった」と実感するためには約束を破ってみせる必要があるのです。韓国では「ルールを破ってこそ上の存在」と認識されています。

 だから韓国は1965年の国交正常化の際に結んだ日韓基本条約も、2015年の慰安婦合意もひっくり返しに来ているのです。

 前者は日本が植民地支配の不当性を認めなかった条約であり、後者は韓国が日本に対して優位に立てる慰安婦問題を消滅させる合意です。自分にとって面白くない条約や合意を堂々と破ってこそ、「上になった」と実感できるわけです。』

『――そこも象徴的ですね。

鈴置:その通りです。日本は不平等条約を改正するために法治国家の建設に全力を挙げた。一方、韓国は気に入らない条約や合意を破棄するために国際法や信義を堂々と破って、なけなしの法治を破壊する。発想も行動様式もまったく反対です。

 そんな韓国の実像にようやく日本人も気が付いてきた。韓国と交渉する気になれないのは当然です。何か合意に達しても、きちんと守るのは日本だけ。韓国はいとも簡単に反故にすることが分かったからです。

 この日本の空気の変化は見落とせません。韓国が執拗に攻撃を仕掛けてくる以上、無視もできない。となると、力による解決に向かうしかなくなってしまうのです。』

信じるのは成功ではなく自分 ポジティブ思考の神髄

信じるのは成功ではなく自分 ポジティブ思考の神髄
第21回 ポジティブ思考
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO67234960R11C20A2000000?channel=DF120320205956&n_cid=TPRN0016

『災い転じて福となす
早いもので今年もあと2週間あまりとなりました。皆さんにとって、2020年は一体どんな年だったでしょうか。よかったら少し振り返ってみてください。

私自身で言えば、新型コロナウイルス禍で講演や研修の仕事が軒並みキャンセルとなり、収入が半分以下になってしまいました(涙)。情熱を傾けて必死にやってきた仕事が、「不要不急」のなりわいにすぎないことを痛感させられた1年でした。

といった話をすると、多くの人は気の毒そうな顔をしてくれます。読者の皆さんも、多少はそう思われたと思います。いえいえ、2020年は私にとって素晴らしい年でもあるのです。

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たしかに収入の柱であった研修の仕事は激減しましたが、その分だけ本や原稿の執筆にたっぷりと時間を割くことができました。おかげさまで2冊の新刊を上梓(じょうし)することができ、現在も大作を執筆中です。まさに「災い転じて福となす」です。

加えて、講演や研修をオンライン化せざるをえなくなり、ややマンネリ気味だった中身やスタイルを一新することができました。蓄積された知見は、格好の執筆のネタとなります。

何より、久しぶりに家族とゆっくりと過ごせたのがありがたく、今後の人生についても思いをはせることができました。そうそう、大事なことを忘れていました。家族を含め、新型コロナウイルスに感染せずに、健康で1年を終えられそうなことです。

こんな風に、前向きに考えると、「また来年、頑張ってみよう」「来年も大変だろうが、どうにかなるよ」と気持ちが明るくなります。これこそが「ポジティブ思考」のなせる技です。

肯定的な面を意識的に見る

身の回りで起こる出来事そのものに良いも悪いもありません。それをどうとらえるかで、意味づけがなされます。たとえば、コップに半分入った水を見て、「半分もある」「半分しかない」と考えるのは私たち自身です。

物事の肯定的な側面(メリットや機会など)を見るのがポジティブ思考(プラス思考)であり、否定的な側面(デメリットや脅威など)を見るのがネガティブ思考(マイナス思考)です。どちらか片方が正しいわけではありませんが、現代社会では前者がもてはやされています。

不確実でストレスの多い社会においては、多少「楽観的」に考えないと前に進めなくなってしまうからです。ポジティブ思考を効かせれば、気持ちが明るくなり、物事に「前向き」「積極的」に取り組んでいけるようになります。交友関係も広がり、充実した時間が過ごせるようになります。

ビジネスにおいても同じです。有名な逸話(作者不詳)を紹介しましょう。

ある靴メーカーの担当者2人がアフリカに市場調査に行ったところ、誰も靴を履いていませんでした。それを見た1人は「靴が必要とされておらず、商売にならない」と考え、もう1人は「靴が普及できれば大もうけができる」と考えました。どちらにチャンスがあるかは言うまでもありません。

ポジティブ思考を身につけるのに、手順も方法もありません。無理やりにでも肯定的な面を見る癖をつけるしかありません。ネガティブ思考が働いてD言葉(だって、どうせ、でも……)が頭の中で点灯したら、強制的に前向きに考えみる。そうやって思考の習慣にしていくのです。

ポジティブ思考が失敗する3つの理由

ここまで読んで「よし、あしたからポジティブ思考でいこう!」と考えた人がいたら、もう少し待ってください。ポジティブに考えたために、かえって失敗するということもよく起こるからです。

よくあるのは、「うまくいくだろう」「悪いことにはならない」という信念が、「100%うまくいくに決まっている」「悪いことは絶対に起きない」と確信(思い込み)になってしまうことです。自分に都合のよい話しか頭に入らず、いつか痛い目に遭う羽目になります。

しかも、失敗したとしても、「終わったことは仕方がない」「○○がドジを踏んだから」とまったく反省しないので、始末に負えません。まさにポジティブ思考の暴走列車です。

なかには、ポジティブ風を周囲に吹かせまくり、ネガティブな考えをする人を糾弾したり無視したりする人がいます。やたらハイテンションで、とてもついて行けません。自分はそれで心地よくても、チームの和を乱すことになります。

あるいは、こういう人もいます。ポジティブな未来を描くだけで満足してしまい、行動に移せない夢想家です。成功した自分を想像するだけで、やった気になってしまうのです。ダイエットでよく起こる現象であり、身に覚えのある人もいるのではないでしょうか。

もうお分かりのように、「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。ポジティブ思考とネガティブ思考をバランスよく使ってこそ、正しい判断や行動ができます。本当のポジティブ思考とは、単に楽観的に考えることではないのです。

ホンモノのポジティブ思考とは?

頭から「うまくいくに決まっている」と考えるのも、「誰かが何とかしてくれる」と考えるのもポジティブ思考ではありません。それでは、楽観的を通り越して、楽天的になってしまいます。

物事のポジティブな面もネガティブな面も両方見た上で、「自分でどうにかできるだろう」と考えるのが、本来のポジティブ思考です。成功を信じるのではなく、自分を信じる思考法なのです。

ただし、ここで言う自分とは、あくまでも「等身大」の自分です。

無理に大きく見せたり、卑下して小さくなったりしない、「ありのまま」の自分です。それを信じて、物事に積極的に取り組んでいくのが、真のポジティブ思考なのです。

ですから、物事を悲観的に考えることが多いからといって、無理に治す必要はありません。おそらく、無理に治そうとすると、かえって混乱してしまい、余計にうまく考えられなくなります。

まずは、「悲観的に考える自分」を肯定的にとらえてはいかがでしょうか。「自分には悲観的に考える癖があるが、ここまでどうにかやってこられた。きっとこれからも、この癖とつき合いながらやっていけるだろう」といったように。

そうすることで、きっと「悲観的に考える自分」のとらわれからも自由になれるはずです。結果的に、世間がイメージするポジティブ思考に一歩近づくことができます。

堀公俊
日本ファシリテーション協会フェロー。大阪大学大学院工学研究科修了。大手精密機器メーカーで商品開発や経営企画に従事。1995年からファシリテーション活動を展開。2003年に日本ファシリテーション協会を設立、研究会や講演活動を通じて普及・啓発に努める。著書に「ファシリテーション入門第2版」「会議を変えるワンフレーズ」など。』