陰謀論にハマっている人達は、たぶん、ものすごく知的な活動をしていると思ってる

陰謀論にハマっている人達は、たぶん、ものすごく知的な活動をしていると思ってる
https://blog.tinect.jp/?p=71519

『しかし断言してしまうが、アイディアというのは論理的思考では積み上がらない。

論理は理屈の解析や物事の分析には使えるけれど、こと何か新しいモノを生み出すのには全く役にたたないと言っても過言ではない。

発想力はこんな感じのわかりやすい線形思考をしていない。』

『じゃあ発想はどういう風に産まれるのだろうか?

僕が思うに、それは以下のような形をしている。』

『仕事であった最前線にいる研究者の話

なんでこんな考えに至ったのかというと、最近仕事で研究に携わる機会が多くいわゆる最前線にいる研究者達と話をする事があったのだが、ものの見事にみんなこんな感じでもって思考していたからだ。

ある人はランニングの最中に思い浮かんだ突拍子もない思いつきが今までで最高の業績に繋がったといい、またある人は趣味のガーデニングの最中に突然閃いたアイディアが自分の今までの仕事の全てだったと言っていた。

彼らはずば抜けて頭がよく当然というかロジカルやら知識も抜群に使える。

なので普通に接していると

「こんな風に知的に物事を考えられるから、凄いアイディアが思いついたのかな」

と思わされてしまうのだけど、そういう傍からみてわかりやすい知性は少なくとも研究には全く役に立たないというのである。

「知識や論理的思考は問題を解くのには使えるけど、問題を思いつくのには全然使えない」

「ぶっちゃけ論理的思考能力なんて大学を卒業できるぐらいの頭があれば十分。それに解析するのに知識が足りないのなら、他人を使えばいいだけだし」

「それよりアイディアの種みたいなのを思いつけるか、そしてそれを何かと結びつけて形にして取り出せるかの方が研究者としては大切」

「これが出来ない人間はどんなに頭がよくても研究者にはなれない」』

『陰謀論にハマっている人達は、たぶん物凄く知的な活動をしていると思ってる

この発想力の正体みたいなものに気がついてから、なんで陰謀論に人がはまり込むのかの正体のようなものがうっすらとみえてきた。

実は陰謀論にハマっている人達のやっている事は研究者達のやっている事と全く同じである。

図解するとこんな感じである。』

『Twitterのタイムラインを眺めていると、ときどきトンデモ理論が流れてくる事がある。
その多くは論理が破綻しており「なんでそんな不思議な考えに至ったの?」と思わされるものばかりなのだけど、実際の研究における発想も実は99%は使い物にならないものだという。

研究者いわく

「思いついたアイディアは実際に実験して確かめてみると大体は駄目」

「だけど、たまに上手くいく事がある」

「ヒラメキの9割はただのゴミ。研究とはそういうもの」

なのだそうだが、陰謀論に関して言えばこの「確かめてみたら駄目」というチェック機構を働かせる場所がない。

故に駄目な発想が修正される事なく流れてしまうわけである。

しかし思いついた当人は「ひょっとして、世界の真理に目覚めちゃった!?」みたいに思っていたりするわけで、知的興奮のようなものが凄く脳髄に直撃しているはずである。

たぶん、陰謀論にハマっている当人達は物凄く知的な活動をしていると思っているはずだ。

それが生産的な活動かどうかは置いといて、当人の脳の回路は研究者と同じように動いているのだからかなり楽しいに違いない。 』

『SNSで特定の思考を持つモノと馴れ合いすぎるのは思ってる以上にヤバい

実は研究の世界は普通の人が思っている以上に否定・批判の連続である。

論文を投稿すると査読といって審査を受ける事になるのだけど、一流誌になればなるほど審査員のコメントは辛辣で、褒めてもらえる事など無いに等しい。

かつては論文を投稿する度に「なんでそんな細かい所にイチャモンつけるん?もうちょっと好意的に読んでくれてもええやん」と何度も思ったのだが、最近SNSで特定の思想を加速させて狂っていく人達をみて、あの仕組みにも一定の合理性がある事に気がついた。 』

『SNSは良くも悪くも馴れ合いの世界である。

多くの人は自分の意見を否定される事を物凄く嫌がるから、自分と似たような意見を持つ人間と人間でナアナアな関係ができやすくなる。

そんな感じで集合知が形成されるようになると、実は先程の陰謀論の形成と全く同じような展開になる。

結果としてどんどん人は思想が先鋭化して、狂ってしまうのである。』

『クソリプは耳に不快だが、ある程度は必要なのかもしれない

以前からSNSはエコーチェンバー現象の危険性が指摘されていた。

これは閉鎖的空間内でのコミュニケーションを繰り返すことにより、特定の信念が増幅してしまう事の比喩だが、内部批判が働かないのだから狂った意見が定着してしまうのも仕方がないのかもしれない。

ヤバい発想とヤバい発想が組み合わさって狂った意見が形成され、それを元にまた狂った意見が形成されて…が何度も何度も積み上がっていったらどうなるかなんて言うまでもないだろう。

かつてある人が

「多く新興宗教がおかしくなるのは、信者が教祖を狂わせるからなんだよね」

「普通の人は教祖が信者をおかしくしてるって思ってるかもだけど、それ逆だから」

「1番最初に狂うのは魅力的だったはずの教祖なんよ。信者って凄いよね」

と言っていて妙に感心した事があるが、実際にインターネットのインフルエンサーの多くがおかしくなってしまうのも似たような現象だろう。

信者は教祖を否定しない。

その否定しないのが…たぶん物凄くマズい。

人間、褒められるのは気持ちがいい。

だから自分を肯定してくれる場所に身を置くたくなってしまうものだけど、そういう場所は査読が働かない論文のような場所でもある。

その世界はSTAP細胞のように細胞にオレンジジュースをかけたらiPS細胞が出来上ってしまうようなファンシーな世界に容易になりうる。

クソリプは耳に不快だが、狂わない為にはある程度の合理性はあるのかもしれない。

心の自浄作用としての小説のススメ

とはいえ普通の人が批判をキチンと受け入れられるかといったら、それは無理だ。

ではどうすればいいのだろうか?

僕が思うその回答を書いて文章を〆よう。

最近読んだ本で非常に面白かった一節に「伊勢神宮が何百年たってもキレイなのは、一定期間で遷宮する度に何度も建て直しているから」というものがあった。

<参考 LIFE SCIENCE(ライフサイエンス) 長生きせざるをえない時代の生命科学講義>

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築何年もたった家は必ずどこかにボロがくるが、最初から建て直しをして、壊れた所をその度に取り替えていたら何百年たってもピンピンしている。

実はこの仕組こそ私達の身体で行われているものそのものである。

オートファジーといって、私達の身体は見た目が全く同じようにみえつつも、実は内部で何度も建て直しが行われている。

私達の肉体はこのオートファジーによって身体の中にある老廃物が蓄積しないようになっており、老化現象のかなりの部分がそれで防がれているのだという。

感のいい読者は気がついたかもしれないが、私達の心にもこのオートファジー現象を働かせる事ができれば心の老廃物の蓄積を防ぎフレッシュさを保てるはずだ。

じゃあどうすれば心にオートファジーを作用させる事ができるだろうか?

僕はその鍵は小説にあると思う。

かつて村上春樹さんが小説を読む効用としてこのような事を言っていた。

「小説を読むとフィクションを通じて、現実世界からちょっとだけ離れる事ができる」

「そうして物語の中を旅し終えた後であなたは現実に立ち返るわけだけど、そうして現実に戻ってきた貴方は同じ貴方なのに以前の貴方とほんのちょっとだけ変わっている」

「場合によってはモノの見方がいくらか変わったかもしれない。けど、そこにあるのは確かに以前と同じ現実である」

物語を通じて貴方という存在を離れ、別の人物としての時間を過ごす。

そうしてまた貴方の人生へと還っていく。

この心の動きはまさに心のオートファジーだ。

良い小説を読む事で貴方の心から老廃物が排出され、貴方の心は建て替えられる。

すると以前とまったく同じはずの現実が異なる彩りを呈してみえたりもする。

物語には確かにこのような現象を引き起こす力がある。

たまには上質な小説でも読んで他人の人生を追体験し、いい意味での現実逃避をしてみてはいかがだろうか?

きっと心が晴れるに違いない。

<参考 マネーロンダリング 橘玲>

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〔東照公御遺訓〕

https://www.toshogu.or.jp/about/goikun.php

 ※ この「御遺訓」を、拳々服膺したところで、「お金が、足りない…。」事態は、如何ともならない…。

 ※ しかし、なにがしかの「足し」には、なるだろう…。

 ※ 個人の場合、「時間を味方につけること」が可能だ…。

 ※ 「分かりきっている」ことには、あらかじめ「手を打って」、長い年月をかけて、備えよう…。

 ※ それと、若いうちから、万事「安上がり」なように、自分を躾けよう…。

 ※ よく「清貧」を馬鹿にする向きがあるが、自分の生活の「収支」の管理ができないのは、アホウに過ぎない…。

 ※ そういうヤツに限って、「一攫千金」狙いに出て、ビットコインみたいなものや、リスク資産、先物の相場なんかに手を出して、スッテンテンになったりするわけだ…。

 ※ ゆめゆめ、そういうハメに陥っては、ならん…。

人の一生は重荷(おもに)を負(をひて)遠き
道をゆくが如し いそぐべからず

不自由を常とおもへば不足なし

こころに望(のぞみ)おこらば困(こん)窮(きゅう)したる
時を思ひ出(いだ)すべし

堪忍(かんにん)は無事(ぶじ)
長久(ちょうきゅう)の基(もとい) いかりは敵とおもへ

勝事(かつこと)ばかり知しりてまくる事をしら
ざれば害(がい)其(その)身(み)にいたる おのれ
を責せめて人をせむるな 

及ばざるは過すぎたるよりまされり

〔ハンチントン・パラドックス〕

〝社会的挫折感〟と対峙 自信と警戒の間で揺れる中国共産党
加茂具樹 (慶應義塾大学総合政策学部教授)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/23300

『ハンチントンとは、著名な国際政治学者であるサミュエル・ハンチントンのことである。彼は、近代化(経済発展)とそれに伴う社会変動を論じた『変革期社会の政治秩序』のなかで、(ある国家において)「政治的不安定性を作り出すのは近代性の欠如ではなく、近代性を果たすための努力が欠如しているからであり」、(国家が不安定であるのは)「貧しいからではなく、豊かになろうとしているからである」という考え方を提起していた。』

『同書は、「近代性が安定を生み出し、近代化が不安定を生む」というパラドックスを検証し、その因果関係の説明を試みた。これが「ハンチントン・パラドックス」である。発展途上国はこのパラドックスに陥りやすい。ハンチントンは、経済発展と政治的不安定の関係を下表に示すように三つの段階で説明していた。これが「ギャップ仮説」と言われる。』

『第一の段階は、経済発展が都市化や教育水準の上昇、マスメディアの発展を生み、これによって(人々の)新しい要求が生まれる(これが社会的流動化)が、経済発展は社会的流動化よりも遅い速度でしか増加しないため、要求の増大と要求の充足との間にギャップが進展し、これが社会的挫折を生み出す、というものである。

 第二の段階は、社会的挫折感と政治参加の関係である。農村から都市への移動や都市内部での職業的および所得上の移動といった移動の機会に人々は恵まれると、社会的挫折感は解消される。しかし、移動の機会を得られない場合、人々は政治参加によって要求実現を目指そうとする。

 そして第三の段階は、政治参加の要求が高まっても、それに応じて政治的制度化が進んでいれば、政治の安定性は維持される。しかし、そうではない場合、政治参加の高まりに政府は適応できず、政治不安を生み出す。これが、発展途上国において経済発展に伴って政治的不安定化が深刻化することを説明する有力な考え方である。』

『(※中共の)歴代の指導部は、このハンチントンの考え方を熟知している。習指導部のなかで中央政治局常務委員会委員である王滬寧(おうこねい)は、1980年代にハンチントンのこの考え方を踏まえた論文を書いていた。だからこそ指導部は、「二つの奇跡」を実現したであるとか、「ハンチントン・パラドックス」を克服したという言説をつうじて、共産党による一党支配の優位性の物語を国内に向けて訴えるのである。』

『ただし、一党支配体制が「二つの奇跡」を実現したかどうかは疑わしい。少なくとも言えることは「これまでのところ」である。』

『習指導部は、ギャップ仮説で示される「社会的挫折感」が中国社会において高まっていることを理解している。近年、指導部は「人々の満足感、幸福感、安全感を満たさなければならない」と繰り返し確認してきた。これまでの指導部は、中国社会の主要な矛盾を「人々の日々増大する物質的、文化的な需要と遅れた社会生産の間の矛盾」と定義してきたが、習はこれを「人々の日々増大する素晴らしい生活への需要と、発展の不均衡、不十分との矛盾」と言い換えた。人々の欲求は量から質へと変化したと捉えている。

 中国経済が高度成長の段階を終えたこと、新型コロナウイルス感染症のパンデミックの影響によって、中国において「社会的挫折感」が増大し、最終的には「政治的不安定性」の増大を生む条件は整っている。指導部は、この問題に向き合っている。』

『近年、習指導部は「全過程民主」という概念を提起し、例えば重要な課題に関わる立法の過程においてパブリックコメントの重要性を訴えている。増大する政治参加の要求に応えようとする「政治的制度化」の取り組みと言っても良い。もちろん政治参加の機会は増大しても決定権は共産党が独占したままという構図に変わりなく、また社会が発する多様な要求を有効に集約できるかどうかは分からない。「政治的不安定性」が克服されるかどうかは未知数である。』

『習指導部は、一方で科学技術イノベーションを重視する。デジタルインフラ建設の推進を通じて人々の「質の高い社会」を実現したいという要求に応えるためであり、また経済発展によって多様化した社会の要求を的確に把握する能力の向上のためでもある。他方で「総体国家安全観」の提唱をつうじて、国内治安の強化という政策を推進している。

「一国二制度」の「一国」に力点を置いた「愛国者による香港統治」という対香港政策も、「戦狼外交」と揶揄されるように中国外交が「民意に拉致される」のも、中国社会が直面している「社会的挫折感」増大への警戒の反応という側面もある。また、「構造的パワー」の拡大を追求する中国外交もまた、こうした国内要因に突き動かされているといってもよい。』

サミュエル・P・ハンティントン
https://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_P._Huntington

『(Google翻訳文)「文明の衝突」
詳細は「文明の衝突」を参照

ハンティントンの「文明の衝突」の9つの「文明」の地図。

1993年、ハンティントンは国際関係理論家の間で、外交雑誌に掲載された影響力のある引用記事「文明の衝突?」というタイトルで大きな議論を引き起こしました。記事の中で、彼は、ソ連の崩壊後、イスラームは世界の西洋支配の最大の障害になるだろうと主張した。したがって、西側の次の大きな戦争は、必然的にイスラームと共にあるだろう、と彼は言った。冷戦後の地政学と「不安定の必然性」の記述は、フランシス・フクヤマが提唱する有力な「歴史の終わり」とは対照的である。

ハンティントンは「文明の衝突」を本の長さに拡大し、1996年に文明の衝突と世界秩序のリメイキングとして出版しました。この記事と本は、冷戦後の紛争は、イデオロギー的な違いではなく文化的な違いのために最も頻繁かつ暴力的に起こると考えています。

冷戦中、資本主義西部と共産主義圏東部の間で紛争が起こった一方で、世界の主要文明の間で起こる可能性が最も高かったのは、7つ星と可能性のある8番目の文明((i)西洋、(ii)ラテンアメリカ、(iii)イスラム、(iv)正教会(中国語)、(v)ヒンズー教、(vi)正教会、(vii)日本語、(viii)アフリカ人)

この文化組織は、現代世界と主権国家の古典的な概念を対比しています。現在と将来の紛争を理解するためには、文化的な亀裂を理解し、国家ではなく文化を戦争の理由として受け入れなければならない。したがって、西側諸国は、文化的緊張の不可解な性質を認識しなければ、優位性を失うことになる。ハンティントンは、この冷戦後の地政学的組織と構造の転換は、民主的普遍主義の理想とその絶え間ない軍事介入主義の押し付けを放棄することによって、西側が文化的に自分自身を強化することを要求すると主張した。この点を強調して、ハンティントンは1996年の拡大で、「民族紛争と文明衝突の新興世界では、西洋文化の普遍性に対する西洋の信念は3つの問題に苦しんでいます:それは間違っています。それは不道徳である。そしてそれは危険です。 [15]

西洋のキリスト教(カトリック・プロテスタント)との西洋文明の識別はハンチントンの当初の考えではなく、冷戦時代以前の伝統的な西洋の意見と細分化でした。批評家(例えばルモンド外交官)は文明の衝突と世界秩序のリメイキングを呼び出し、中国と世界のイスラム・正統派文化に対するアメリカによる西洋の侵略の理論的な正当化を呼び出す。

他の批評家は、ハンティントンの分類は単純で恣意的であり、文明内の内部ダイナミクスと党派的緊張を考慮していないと主張している。

さらに、ハンティントンは、紛争を引き起こす本当の因果要因として、エリートによるイデオロギー的動員と人口の満たされていない社会経済的ニーズを無視し、彼が彼によって特定された文明の国境にうまく適合しない紛争を無視し、彼の新しいパラダイムは「国家」が「文明」に置き換えられた現実主義的思考に過ぎないと主張している。

ハンティントンの米国政策への影響は、20世紀初頭のアジアの指導者に関する歴史家アーノルド・トインビーの論争の的となっている宗教理論にたとえられている。ハンティントンに関するニューヨーク・タイムズの死刑執行人は、彼の「国家や民族とは対照的に、古代の宗教帝国に重点を置いて、(世界的な紛争の源として)得た..9月11日の攻撃の後、より多くのキャッシュ. [18]

ハンティントンは、ウクライナは、よりカトリック西部ウクライナと正統派東ウクライナの間の文化的な線に沿って分割するかもしれないと書きました:

統計学者のアプローチは、ロシアとウクライナの戦争の可能性を強調しているが、文明的アプローチはそれを最小限に抑え、代わりにウクライナが半分に分裂する可能性を強調するが、どの文化的要因が予測につながる分離は、チェコスロバキアよりもはるかに暴力的かもしれないが、ユーゴスラビアよりもはるかに血まみれではないかもしれない。 [19]』

コロナ禍の5大システムトラブル、みずほ銀行だけではない「あきれた事情」

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00148/030400162/

 ※ 「木村岳史大先生」のご託宣だ…。

 ※ 非常に、本質的なところを抉って(えぐって)いると思われ、参考になる…。

 ※ ざっと一読しただけだが、「システム・トラブル」と言っているが、実は、問題は「システム」にあるのでは無い…。

 ※ 『そろそろ読者にも「木村が選ぶ5大システムトラブル」に共通する問題の本質が見えてきているのではないかと思う。そう、組織をまたぐ制度やルール、体制の欠如、丸めて言うと「仕組み」の欠如である。では、今回のみずほ銀行の「ATMにカードを吸い込まれた客を長時間放置」事件はどうか。もちろん同じことが言える。他と違い、みずほ銀行だけで「完結」するトラブルだったが、今回のような非常事態の際に誰がどう動くかという、部門をまたぐマニュアルに「バグ」があったのだ。やはり仕組みの不備である。

 冒頭でも書いた通り、休日にシステムトラブルが発生すればATMにカードを吸い込まれた大勢の客を長時間放置してしまうリスクがあると、容易に想定できたはずだ。にもかかわらず、ただちに各支店の担当者らが出向いて対応に当たったり、即座に緊急記者会見を開いたりして、カードなどを取り戻せない客を安心させる措置をとらなかった。その結果、客にとっても、みずほ銀行にとっても、今回のトラブルで考え得る最悪の結果を招いてしまったわけだ。』…。

 ※ ということで、問題の「根源」は、「システム」を包摂する、「仕組み」にある…。

 ※ オレの考えでは、世の中というものの「構造」は、「層構造」になっている…。ちょうど、マトリョーシカ(あるいは、玉ねぎ)みたいに、上部の層は、下部の層を”くるんで”(”包摂”して)いる構造になっている…。

 ※ だから、ここでの問題は、「システム」自体に存在するだけ…、という話しじゃ無い…。

 ※ オレの用語では、システムの「上部の層」、木村さんの用語では「仕組み」に存在している…。

 ※ 前に、「指揮官」というものの「資質」を、「その局面での、プライオリティの判断を、的確に下せる人材。」という観点から、語った…。

 ※ さらに、もう一つある…。それは、「事がらの”全体の層構造”を把握していて、そういう”層構造のプライオリティ”の判断を、的確に下せる人材。」というものだ…。

 ※ 『このように5大システムトラブルの問題の根っこは、システムに潜むプログラムのバグや不具合といった技術面にあるのではない。もちろん、バグや不具合が直接のきっかけとなって重大なトラブルが起こったわけだが、「きっかけ」はあくまでもきっかけにすぎない。そうではなく問題の根っこは、そのシステムを活用するビジネスやサービス全体の仕組みがきちんと設計・実装できていない点にある。

 サービス全体のきちんとした仕組みを検討せず、とりあえずつくってみたりするものだから、役に立たないどころか余計な仕事を増やすだけのシステムが出来上がるし、バグや不具合があっても放置されて重大な結果に立ち至る。そして、システムに障害など非常事態が発生した際に、サービスへの影響を極小化してリカバリーする手順やルールが、組織に「仕組みとして実装」されていないから、被害を無駄に大きくする。』…。

 ※ 『経営者など組織のトップも大いに問題がある。東証やみずほ銀行の記者会見で示されたように、経営者はシステムトラブルに対する自らの責任を自覚するようにはなっている。ただし、それは結果責任の自覚にすぎない。システムも含めたサービス全体の仕組み、ビジネス全体の仕組みや、何かあったときに被害を極小化してリカバリーする仕組みをつくるのはトップの責任だ、と心底理解している人はまだまだ少ない。トップにその自覚がないから「勝手にやっている現場の集合体」となり重大トラブルの火種を宿すのだ。』…。

 ※ しかし、現実の「指揮官」の姿は、こういうものが「現状」だ…。

 ※ 『 2020年度の5大システムトラブルは、そのことを如実に示したと言ってよい。極言暴論の熱心な読者ならよくご存じの通り、最近の極言暴論ではこの問題をいろいろな観点から取り上げてきた。まさに日本企業(そして公的機関)は「勝手にやっている現場の集合体」であり、全社的な仕組みをつくるのが苦手だ。特に複数の企業や公的機関にまたがる仕組みづくりとなると、お手上げ状態である。これはもう「日本の組織文化の病」とでも言うしかない。

関連記事:アマゾンの正論「善意は役に立たない」を理解しない日本企業、DXで赤っ恥は確実だ
関連記事:「ビジネスの仕組み」がないダメ企業ばかりの日本、そりゃ基幹系システムも最悪だな
関連記事:日本企業は「勝手にやっている現場の集合体」、だからDXは絶望的にうまくいかない 』

 ※ ということで、話しは「システム」だけ、「指揮官の資質」だけの問題じゃ、無くなってくる…。

 ※ 「日本型の組織」の特徴…、というものにも波及してくる…。

 ※ どこまで行っても、日本型の組織は、「勝手にやっている現場の集合体」で、「それぞれの階層での最適解」だけを追求するものになっている…、という話しになる…。

 ※ 「全体の層構造」の把握・認識ができていない限り、打つ手や策の立案は、「部分解」を探るものにしかならない…。

 ※ そこへ持って来て、「他人の領域については、口を出さない。」という文化・風土が、「部分解」の横行・暴走に、拍車をかけることになる…。

 『そう言えば最近、意味不明の重大トラブルが多すぎる。2020年度の新型コロナウイルス禍のさなかに発生した5つの重大トラブルをここに並べてみよう。いわば「木村が選ぶ2020年度の5大システムトラブル」である。

・新型コロナ禍対策の10万円「特別定額給付金」でオンライン申請が大混乱
・「ドコモ口座」を使った不正出金事件がゆうちょ銀行などで相次ぎ判明
・東京証券取引所のシステム障害で株式売買が終日停止
・接触確認アプリ「COCOA」の不具合を4カ月以上も放置
・みずほ銀行のシステム障害でATMにカードを吸い込まれた客を長時間放置

 こう並べてみると、読者の皆さんも改めてそのひどさにあきれるだろう。トラブルを引き起こしたのは官庁や金融機関、通信事業者といった面々で、いずれも他の企業以上にシステムトラブルやセキュリティー関連の事件事故を避けなければいけない立場にある。しかも、単なるシステム面だけの問題ではないので罪深い。あまりに愚か過ぎて、まさに意味不明である。』

 『そう言えばTwitterで、これら5大トラブルを列挙したうえで「日本のIT劣化を実感する1年だな」と締めてツイートしたら、フォロワーの人から「劣化」というのはおかしいと指摘を受けた。劣化というからには「以前は良かった」との前提が必要だが、日本のITは以前からペケだったのでは、との指摘だ。まさにその通りである。日本の政府や企業のIT利活用の駄目さ加減が、ここに来て一気に事件事故として表面化したと言ってよい。

 新型コロナ禍の対策として急きょシステムをつくらなければいけなくなったり、システムの運用面などに新たな制約が生じたりしたのかもしれないが、それはトラブルの言い訳にはならない。むしろ、開発の丸投げや保守運用体制の不備など、これまでいいかげんなことを続けてきたからこそ、新型コロナ禍という危機的状況で一気に惨事を招いたと言える。これら5大トラブルは、まさに新型コロナ禍のさなかにあぶり出された日本の惨状のショーケースなのである。』

『官のお笑いプロジェクト(失礼!)と言ってよい2つの炎上案件から振り返ってみよう。まずは、トラブル判明からあまり時がたっていない「『COCOA』の不具合を4カ月以上も放置」事件だ。新型コロナ感染の拡大防止策として導入したのに、Android版の不具合を4カ月以上にもわたって放置していたというから、これはもうあきれ果てるしかない。しかもその不具合は、陽性登録したアプリ利用者と接触しても検知・通知されないという重大な不具合である。

 原因として、官からITベンダーへ、そして下請けへの丸投げといった保守運用体制の問題などが指摘されている。もちろん、それもあるだろうが、COCOAが「とりあえずつくってみた」アプリにすぎない点も大きい。COCOAが本来の役割を果たすには、利用を促す制度面・体制面の仕組みが不可欠なはずなのにそれがない。陽性者との接触の通知が来ても保健所などですぐに検査できない状況が長く続いたというから、ひどいものだ。その程度の存在にすぎないCOCOAの不具合が放置されても、むべなるかなである。』

『とりあえずつくってみたという点では、「10万円『特別定額給付金』でオンライン申請が大混乱」事件を引き起こしたシステムも似たようなものだ。マイナンバー制度の個人向けサイト「マイナポータル」に専用フォームを設け、マイナンバーカード保有者が給付金をオンラインで申請できるようにしたまではよかったが、実際の業務を担う各自治体のシステムが間に合わない。専用フォームでは申請者の入力ミスをチェックできないという問題もあり、自治体の現場は大混乱に陥るという、トホホな事件だった。

関連記事:コロナ対策で政府のIT活用はコントなのか、透けて見える構造問題
 普通、自治体の担当者らと綿密に打ち合わせて要件を詰めてからシステムを構築し、業務がうまく回るように人的な体制面なども整えるでしょ。それを丸っきりやらずに、システムをとりあえずつくってみて、マイナンバーカードを持つ国民に「さあ使ってください」としたものだからたまらない。国民はオンラインで「電子申請」したはずだが、その裏で自治体の職員が手作業で処理するしかない事態に追い込まれた。まさに「システムの中に人がいた」状態である。』

『官のお笑い炎上案件のほうを先に見たが、企業が引き起こしたトラブルも似たようなものだ。違いと言えば、とてもじゃないが「お笑い」では済まない結果を招いたことぐらいか。中でも最も間抜けなのは「『ドコモ口座』を使った不正出金事件がゆうちょ銀行などで相次ぎ判明」事件である。NTTドコモの電子決済サービスである「ドコモ口座」を使った不正出金事件が相次いで分かり、その多くがゆうちょ銀行の口座からの不正出金だった。

 この事件では、決済サービス事業者側が厳密に本人確認をするか、銀行側がサービス連携の際に、口座や暗証番号などによる認証ではなく2要素認証を導入するかしていれば、被害の大半は防げたはずだ。ところが両者とも自らの対策を怠り、多数の不正利用を許してしまった。「相手のサービスのセキュリティーは万全のはず」との思い込みがあったのかもしれないが、連携するサービス全体でのセキュリティーを考慮しないのは、驚くべき思考停止である。

関連記事:ドコモとゆうちょ銀での不正利用は大事件、セキュリティー無視のお粗末な理由

 何が間抜けかって、人様のお金を扱うサービスを連携して提供するにもかかわらず、各企業の担当者が(時にはオンラインで)集まって、サービス全体の課題や問題点を検討した形跡がないことだ。当然「もしも」は想定されておらず、「もしも」に備える仕組みもルールも何もなかったわけだ。実は、同じことが「東証のシステム障害で株式売買が終日停止」事件にも言えるから、頭が痛いのだ。』

『東証のシステムトラブルでは、システムの再起動が可能であったにもかかわらず、取引開始時間前に受け付けていた注文の取り扱いを巡り「大きな混乱が予想される」として、終日の売買停止を選択せざるを得なかった。その結果、多くの投資家が丸1日、株式を売買する機会を奪われる結果となった。まさに重大なトラブルだが、記者会見で東証の経営陣の受け答えがあまりに「まとも」過ぎたため、私としたことが少し感動してしまうという「不覚」をとった。

関連記事:「富士通に損害賠償請求」発言から15年、東証のシステム障害会見に不覚を取った訳

 しかし、そのお粗末さは先ほどのドコモやゆうちょ銀行らと何ら変わりはない。早い段階でシステムを再起動できる状況にあったにもかかわらず、なぜ終日にわたりシステムを止めざるを得なくなったかというと、証券会社との間で明確なルールや手順を定めていなかったからだ。証券会社など市場参加者との間では、システムを相互に接続して密接に連携しているにもかかわらず、障害発生時における再起動の手順やルールを決めていなかったというから、たまげた話である。』

後世へも影響を与えたデカルトの演繹法的思考(帰納法との違い)

『◆ デカルトの大陸合理論

一方でデカルトは、経験よりも【理性】を重んじました。

経験よりも、1つ1つの事実や原理原則を丁寧に積み上げて、合理的に結論を導き出そうとしたんです。

要するに【演繹法的なアプローチ】です。

この考えは後世の哲学にも大きな影響を与え「大陸合理論」何ても呼ばれました。

大陸合理論を要約すると

理性の絶対性を主張し,理想によって得られた明晰判明な観念のみを真理としました。

経験論が重視する感覚的経験は【人間の正しい認識を阻害する要因にすぎない】とみなす点に特徴があり、理性によって論理的に展開される数学を学問の模範にした。
って感じです。

つまり《人間の感覚や経験なんか信じられるかー!!!》っていうスタンスです。

数学的に科学的に論理を構築していくスタンスです。

結局この「大陸合理論」は哲学の大きな流派の1つとなり、スピノザやライプニッツに受け継がれていきます。

そうやって、デカルトは、人間の感覚だけでなく、ありとあらゆるモノを徹底的に疑っていく事で、真理に辿り着こうとします。 』

経験論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96

フランシス・ベーコンとは?【死ぬほどわかりやすく解説】
https://uteimatsu.com/francis-bacon/

『フランシス・ベーコンはイドラを生み出した

フランシスベーコンを紹介する上で必要不可欠なのが、
「イドラ」という哲学用語です。

イドラというのは
「正しい知識をとりいれる上で障害となる思い込み」
をさしています。

フランシスベーコン は
「知識なんか生まれつき全くない、生きていく上で積み上げていくもの」
と考えていました。

これは上でも何度か言いました「経験論」という考え方です。

フランシスベーコン は
「どうすればうまく知識を積み上げれるのか?」を考え、
その上で知識の積み上げの妨げになるものを「4つのイドラ」と呼びました。

その4つがこちらです。

種族のイドラ→人間特有の思い込み
洞窟のイドラ→生きた環境による思い込み
市場のイドラ→噂による思い込み
劇場のイドラ→権威による思い込み

この4つを自分自身で認識することが、
正しい知識を得る上で大切だ、というのがフランシス・ベーコンの哲学です。

この4つのそれぞれをもっと深く知りたい方は
下の記事を読んでみるといいかもしれません。

死ぬほどわかりやすい哲学ブログ2019.12.29

イドラとは?←先入観にとらわれないために
https://uteimatsu.com/idola/
こんにちは、素人哲学者 ミルマノ(@mirumano)ですこの記事では「イドラ」という哲学用語をわかりやすく紹介したいと思います。ちなみに、このイドラを理解することができれば、固定観念や先入観にとらわれてるな〜って時に自分自身でそれに気づけるようになりま…』

『フランシス・ベーコンの名言「知は力なり」とは?

そしてもう一つ外せないのが「知は力なり」という
フランシス・ベーコンの名言です。

これは直訳すると「知識は力だよ!」っていう意味です。そのままです。
ただ実際のところ、この名言にはもっと深い解釈があります。

この名言の本当の意味は
「(観察や実験によって得た)知識こそ力だよ!!」
です。

カッコの部分が本当に重要です。
大抵の人はこの部分を知らずに
「知識が多ければ成功する」的な名言と思ってしまっています。

イドラもそうなのですが、
この名言も経験論という考え方を元にされています。

フランシスベーコン の中では
「知識というのは経験や検証、実験」を通してしか得ることができません。
逆に言えば、経験から得た知識こそが本当の知識なのです。

正しい知識が経験から得られるという経験論と、
正しい知識は理性から得られるという合理論。

この二つの思想は哲学界でも大きく議論されているジャンルになりますので、
興味がある方は調べてみてください。』

※ なんで、ベーコンの経験論が廃れた(あまり、注目されなくなった)のか、ちょっと不思議だった…。

※ この「年表」見ると、だいぶ「古い人」だったんだな…。それで、「後から生じた思想」に追い越された感じだったんだろう…。

※ しかし、「哲学」「思想」というものは、流行り廃りじゃない…。どれだけ、「根源的な問い」に答えているのかという点が、「生命線」だ…。

※ 4つのイドラとか、今現在でも、十分に通用するだろう…。

※ 科学的な「発見」「知見」の背後にも、こういう「根源的な思考・思惟」が横たわっている…。

※ そして、その科学においても、「限界」はある…。

東大教授が結論付けた「頭の良さ」の意外な正体とは

https://biz-journal.jp/2021/02/post_208990.html

 ※ 「東大教授」とか、「頭の良さ」とか、いかにもなタイトルなんで、最初は「またその手か…。ヤレヤレ…。」と思っていた…。

 ※ しかし、「意外な正体」とあるんで、ちょっと興味を引かれて、見てみた…。

商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)

膨大な情報を頭の中で、どう知性に変換すればいいのか?独学で東大教授になった著者による、情報洪水時代の今、本当に必要な頭の使い方。 –このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。

著者について
1963年生まれ。東京大学経済学部教授。中学卒業後、父親の海外転勤にともないブラジルへ。
ブラジルでは高校に行かずに独学生活を送る。大検を受け慶応義塾大学経済学部通信教育課程へ入学。
大学時代はシンガポールで通信教育を受けながら独学生活を続ける。
大学を卒業後、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士(東京大学)。
主な著書に『法と企業行動の経済分析』(第50回日経・経済図書文化賞受賞、日本経済新聞社)、『契約と組織の経済学』(東洋経済新報社)、『東大教授が教える独学勉強法』(草思社)など。 –このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
柳川/範之
1963年生まれ。東京大学経済学部教授。中学卒業後、父親の海外転勤にともないブラジルへ。ブラジルでは高校に行かずに独学生活を送る。大検を受け慶応義塾大学経済学部通信教育課程へ入学。大学時代はシンガポールで通信教育を受けながら独学生活を続ける。大学を卒業後、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士(東京大学)。契約理論や金融関連の研究を行うかたわら、自身の体験をもとに、おもに若い人たちに向けて学問の面白さを伝えている。著書に『法と企業行動の経済分析』(第50回日経・経済図書文化賞受賞、日本経済新聞社)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) –このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。

 ※ こういう「経歴」の人のようだ…。

 ※ 凡百の「物知りな人」の経歴じゃないんで、少し踏み込んで、情報収集した…。

 ※ けっこう参考になりそうなことが、載っているんで、紹介しておく…。

※ けっこう参考になりそうなんで、kindleの「サンプル本」DLして、そこからキャプチャした…。

孫子の兵法:虚実篇

孫子の兵法:虚実篇|孫子兵法家 長尾一洋
https://www.kazuhiro-nagao.com/suntzu/kyojitu.html

『夫れ兵の形は水に象る(かたどる)。水の行は高きを避けて下きに走る。兵の勝は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて行を制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に、兵に常勢無く、常形無し。能く敵に因りて変化して勝を取る者、之を神と謂う。五行に常勝無く、四時に常位無く、日に短長有り、月に死生有り。』

「そもそも、軍の形は水に喩えることができる。水は高いところを避けて、低いところへと流れる。軍も敵の兵力が充実した「実」の地を避けて、手薄になっている「虚」の地を攻めることで勝利を得る。水が地形に応じて流れを決めるように、軍も敵の動きや態勢に応じて動いて勝利する。したがって、軍には一定の勢いというものもないし、常に固定の形というものもない。敵の動きに応じて柔軟に変化して勝利をもたらすことを神業(神妙)と言うのである。これは、五行(木火土金水)にも常に勝つものはなく、四季(春夏秋冬)にも常に一定のものはなく、日の長さにも長短の変化があり、月にも満ち欠けがあるようなものだ。」』

 ※ 『兵の勝は実を避けて虚を撃つ。』原典は、これだけなんだな…。

 ※ なんか、時代小説・剣豪小説読んでると、「虚々実々の駆け引き。」とか、「虚に以ってするには、虚。実に以ってするには、実。虚に対するに実、実に対するに虚、は敗れる。」とか書いてあったような記憶があるんだが…。

 ※ みんな、後世の人たちが、勝手に解したものなんだろう…。

韓国人はなぜ、平気で約束を破るのか 法治が根付かない3つの理由

 ※ これは、白眉だ…。

 ※ 永いこと疑問だったことが、氷解し、腑に落ちた…。

 ※ 式目(律令と、日本の慣習の違いを埋める細則)が、コモンロー(ローマ法とゲルマンの慣習の違いを、埋める細則)に当たる…、との指摘も卓見だ…。

 ※ 英米法系(ゲルマンの慣習を残し、継承する)と、大陸法系(ゲルマンの慣習の断ち切り)の差異も、想起される話しだ…。

 ※ 非西欧諸国は、「ヨーロッパ近代」というものと相克した…。

 ※ 「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。」で、どの非西欧国家も、「西欧人の頭の中」「思考方法」「背景となっている思想」を、解読することを迫られた…。

 ※ その必死さ、真剣さ、それを探り出さなければ、国が潰れてしまう…、との危機意識の差異が、「自分を変えていくこと」の強弱を導いた、ということだろう…。

 ※ 結局、ヒトは、「自分の”脳”が、一番楽な思考方法」に還って行く…、ということなんだろう…。

※ しかも、韓国は、バイデン大統領登場のおかげで、ますます窮地に追い込まれるような気配だ…。
( かつて韓国の嘘を暴いたバイデン 「恐中病と不実」を思い出すか https://www.dailyshincho.jp/article/2020/11031701/?all=1&page=3

※ なにしろ、2015年12月25日の日韓慰安婦合意の「保証人」を務めたのが、他ならぬ、当時の「バイデン副大統領」だったということだからな…。
 
『興味深いのが、これらの政権批判が「もう日本を騙せないのに騙そうとしている」との戦術論に終始し、「国と国との約束を破った」という問題の本質に踏み込んでいないことです。ここに韓国の危うさがあります。

 国と国との約束を平気で破る――。こうした行動がどれだけ韓国の信用を傷つけたか、韓国人はまるで理解していない。日本からもう、まともな国として相手にされなくなったことが、まだ分かっていないのです。』

『――それにしてもなぜ、韓国人は平気で約束を破るのでしょうか。

鈴置:「いまだに儒教を社会の規範としているから」との説明が定説かと思います。不完全な人間を教えさとして「徳」ある人を作れば、社会も国もまともになる、というのが儒教の基本的な考え方です。

 法律で人の行動を規制し安定した社会を作るという法治の発想とは根っこで相いれないところがある。儒教国家にも法律はありますが、最終的な規範にはなりません。』

『京都府立大学の岡本隆司教授は以下のように喝破しています。『米韓同盟消滅』第4章第1節「儒教社会に先祖返り」から引用します。

・ちゃんとした人の間では、守るべきマナーがある。これを「礼」と言い、ある種の強制力がある。ただ、建前としては自ら律するものであって「法」のように外からがんじがらめに縛りあげるものではない。
・徳治に長らく馴染んだ人々には、法律によって国を治める――法治主義は、とても窮屈に感じられるだろう。法は柔軟性がなく、人々を細かく縛るからだ。

 儒教社会で生きてきた韓国人には法治――決まり事を守ることが苦手です。韓国も西欧型の法制度を導入はしましたが、身に付いてはいないのです。』

『――皆で決めたことを守らないと困るでしょう。

鈴置:それは日本人の発想です。法律は皆で決めたものとの認識があっての話です。外交評論家、岡崎久彦氏の『陸奥宗光とその時代』(PHP文庫)の217-218ページに鎌倉幕府の定めた法律――式目に関する鋭い指摘があります。

・式目は、唐から輸入された律令が京都以外の地域の実体とかけ離れてしまったために武家の慣習法を基礎として作られたもので、西欧におけるローマ法に対するコモン・ローの関係に似ている。
・裁判は十三人の評定衆で行ったが、成員は神社の神々に誓いをたてて、裁判に際しては厳正な態度をつらぬき、決して私的感情におぼれず、権力者をおそれず、また、一たん決定された判決に対しては、小数意見の者も共同責任を取るという起請文を書いたという。
・日本の裁判が伝統的に公正であり、とくに明治憲法、戦後憲法を通じて、裁判に腐敗がない伝統はここに求めることもできよう。』

『日本の法律の源流には武士――武装農民が仲間内のルールを成文化した式目があった。これを守らなければ困るだけではなしに、仲間外れにされてしまう。

 一方、朝鮮半島には封建時代がありませんでしたから、式目に相当する「自分たちが定めた決まり事」がない。中央集権型政権が中国から導入した律令――上が定めた法律の下、韓国人は生きてきたのです。

 韓国の知識人が時に「法を守ったり、判決に服する必要はない」と平然と語るのも、「法は自分たちが定めた」との意識が薄いからでしょう。

 与党の代表で次期大統領の有力候補が、裁判所の下した判決を公然と非難し、それが一切、問題にならないのもそのためです(「ヒトラーの後を追う文在寅 流行の『選挙を経た独裁』の典型に」参照)。』

『――国内でそうだから、外国に対しても決まり事を守らない……。

鈴置:明治維新前夜に日本の知識人が必死で国際法を勉強したのは、西欧に仲間入りさせてもらうには世界ルールの摂取が必須と考えたからです。

 幕府軍の榎本武揚が箱館戦争で死を覚悟した時、フランス人の著した『万国海律全書』を官軍の黒田清隆に託したのも、日本に1冊しかない海洋法に関する専門書が失われれば国益を損ねるとの思いからでした。』

『「国際的なルールを守らねば世界で生きていけない」との覚悟は普通の日本人にも広がっていました。大津事件(1891年)でそれが顔をのぞかせます。日本人なら誰もが学校で習う、訪日中のロシアの皇太子を滋賀県の巡査が刀で切りつけ負傷させた事件です。

 日露戦争前の日本政府は大国ロシアを恐れていました。犯人を死刑に処したかったのですが、負傷しただけでは死刑にできない。そこで日本の皇族への罪刑を適用しようとしたものの、大審院長――今で言えば最高裁長官、児島惟謙の反対で無期懲役に留まった。

 児島惟謙の主張は「法律を厳密に適用しなければ西欧から軽んじられる」という点にありました。』

『『大津事件日誌』(東洋文庫)には当時、児島惟謙が松方正義総理大臣と山田顕義司法大臣に宛てた「意見書」が収録されています。61ページから引用します。一部の漢字はひらがなに直しています。

児島惟謙のDNA
・顧みれば、我国一たび外交の道を誤りしより、其の害三十年の今日に延及し、不正不当の条約は猶未だ改正し能(あた)わざるに非ずや。且つ各国の我に対する、常に我が法律の完全ならず、我が法官のたのむに足らざるを口実とす。
・然るに、我自ら進んで、正法の依拠足らざるを表示し、たやすく法律を曲ぐるの端を開かば、忽ち国家の威信を失墜し、時運の推移は国勢の衰耗を来たし、締盟列国は、益々軽蔑侮慢の念を増長して、動(やや)もすれば非理不法の要求を為さざるを保せず。

 明治時代の日本人は徳川幕府の結んだ領事裁判権など不平等条約を国の恥と考え、一刻も早く改正したいと願っていた。児島惟謙は法律を曲げれば列強に軽んじられ、不当不正の条約の改正など夢物語だぞ、と訴えたのです。』

『日本政治史が専門の楠精一郎氏は『児島惟謙(こじま これかた)』(中公新書)で、以下のように書きました。4ページから引用します。

・当時の藩閥政府の圧倒的な権力の前には司法の権威も微弱なものでしかなかった。そうした状況のなかでの児島の示した毅然たる態度には賞賛が集まり、その後、「死刑を無理強いしようとした政府」と「法を護り司法権の独立を護った児島」という図式はなかば伝説化して、戦前に児島をもって「護法の神」とまで讃える評価を生み出した。

 大津事件を通じ神格化された児島惟謙の存在が、近代日本の法治の確立に大いに資した、との評価です。』

『1987年から1992年までの韓国在勤中に驚いたことの1つは、韓国人がしばしば「有銭無罪 無銭有罪」、つまり「裁判だってカネ次第でどうにでもなる」と言っていたことです。

「裁判官は儲かる商売」とも語られていました。裁判官におカネを払えば判決を有利に書き変えてもらえる、というのが常識だったのです。

 その頃はまだ、日本の統治下の朝鮮を生きた人が多数、存命中でした。彼らは苦い顔で、「日本から独立したら、すぐに李朝に戻ってしまいました」と説明してくれたものです。』

『――「李朝に戻った」のはなぜでしょうか。

鈴置:そこです、そこがポイントです。法治国家を作らないと国際社会で生き残れない、との覚悟が生じなかった。ここに韓国の特殊性があります。』

『韓国人が自前の近代的な国家を持ったのは1948年。朝鮮戦争の開戦が1950年ですから、東西冷戦のスタート時期と重なりました。

 西側の親分、米国とすれば韓国が自分たちの側にいるだけで十分。韓国で三権分立が機能しているかは気にも止めませんでした。そもそも弱い国が不平等条約を結ばされる時代でもなくなっていた。

 口うるさい韓国版・児島惟謙が登場する必然はなかった。政界も面倒な法治などに関心は持ちませんでした。米国の庇護の下、「まともな国か」と問われることもない甘い生存空間に安住した韓国には法治主義が育たなかったのです。

 国連や多くの国際機関から締め出されている台湾が、強制もされない国際ルールを自主的に守っているのと対照的です。1979年に米国から見捨てられた台湾は、「まともな国と見なされないと生き残れない」との緊張感を持ち続けてきたのです。

 2017年にサムスン電子の李在鎔(イ・ジェヨン)副会長に対する逮捕状請求が裁判所から棄却された際も「有銭無罪 無銭有罪」との批判が巻き起こりました。李在鎔氏は韓国一の富豪と見なされています。韓国人はいまだに「裁判もカネ次第」と信じているのです。』

『話をまとめます。韓国に法治が根付かなかったのは、儒教、封建時代の欠如、そして甘えが許された国際環境の3点と私は見ています。そして、法治意識に欠ける人々が外国との約束を軽んじるのはごく自然なことなのです。』

『――日本との約束を今、破り始めたのはなぜでしょうか?

鈴置:「国力が日本に追いついた」との自信からです。20世紀末まではなんやかんやで日本の助けを必要とした。でも21世紀に入って「日本なしでもやっていける」と判断した韓国人は、平気で日本との約束を破るに至ったのです。

 米国という補助線を引けば、それがはっきりします。韓国は米国との根本的な約束――軍事同盟さえ反故にし始めた。同盟解体に関しては『米韓同盟消滅』で詳述しています。

「日韓関係がおかしくなったのは、両国の関係が特殊だから」と韓国人は主張します。要は、植民地支配が原因だ、と日本に責任を転嫁する論理です。日本人の多くもそれに洗脳されています。

 でも、その理屈では米韓関係の急速な悪化を説明できません。韓国が日米ともに関係を悪くしたのは、韓国が自分の立ち位置を変更し始めたからなのです。』

『――しかし、わざわざ日本との関係を悪化させる必要もない……。

鈴置:「日本よりも上の国になった」と実感するためには約束を破ってみせる必要があるのです。韓国では「ルールを破ってこそ上の存在」と認識されています。

 だから韓国は1965年の国交正常化の際に結んだ日韓基本条約も、2015年の慰安婦合意もひっくり返しに来ているのです。

 前者は日本が植民地支配の不当性を認めなかった条約であり、後者は韓国が日本に対して優位に立てる慰安婦問題を消滅させる合意です。自分にとって面白くない条約や合意を堂々と破ってこそ、「上になった」と実感できるわけです。』

『――そこも象徴的ですね。

鈴置:その通りです。日本は不平等条約を改正するために法治国家の建設に全力を挙げた。一方、韓国は気に入らない条約や合意を破棄するために国際法や信義を堂々と破って、なけなしの法治を破壊する。発想も行動様式もまったく反対です。

 そんな韓国の実像にようやく日本人も気が付いてきた。韓国と交渉する気になれないのは当然です。何か合意に達しても、きちんと守るのは日本だけ。韓国はいとも簡単に反故にすることが分かったからです。

 この日本の空気の変化は見落とせません。韓国が執拗に攻撃を仕掛けてくる以上、無視もできない。となると、力による解決に向かうしかなくなってしまうのです。』

信じるのは成功ではなく自分 ポジティブ思考の神髄

信じるのは成功ではなく自分 ポジティブ思考の神髄
第21回 ポジティブ思考
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO67234960R11C20A2000000?channel=DF120320205956&n_cid=TPRN0016

『災い転じて福となす
早いもので今年もあと2週間あまりとなりました。皆さんにとって、2020年は一体どんな年だったでしょうか。よかったら少し振り返ってみてください。

私自身で言えば、新型コロナウイルス禍で講演や研修の仕事が軒並みキャンセルとなり、収入が半分以下になってしまいました(涙)。情熱を傾けて必死にやってきた仕事が、「不要不急」のなりわいにすぎないことを痛感させられた1年でした。

といった話をすると、多くの人は気の毒そうな顔をしてくれます。読者の皆さんも、多少はそう思われたと思います。いえいえ、2020年は私にとって素晴らしい年でもあるのです。

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たしかに収入の柱であった研修の仕事は激減しましたが、その分だけ本や原稿の執筆にたっぷりと時間を割くことができました。おかげさまで2冊の新刊を上梓(じょうし)することができ、現在も大作を執筆中です。まさに「災い転じて福となす」です。

加えて、講演や研修をオンライン化せざるをえなくなり、ややマンネリ気味だった中身やスタイルを一新することができました。蓄積された知見は、格好の執筆のネタとなります。

何より、久しぶりに家族とゆっくりと過ごせたのがありがたく、今後の人生についても思いをはせることができました。そうそう、大事なことを忘れていました。家族を含め、新型コロナウイルスに感染せずに、健康で1年を終えられそうなことです。

こんな風に、前向きに考えると、「また来年、頑張ってみよう」「来年も大変だろうが、どうにかなるよ」と気持ちが明るくなります。これこそが「ポジティブ思考」のなせる技です。

肯定的な面を意識的に見る

身の回りで起こる出来事そのものに良いも悪いもありません。それをどうとらえるかで、意味づけがなされます。たとえば、コップに半分入った水を見て、「半分もある」「半分しかない」と考えるのは私たち自身です。

物事の肯定的な側面(メリットや機会など)を見るのがポジティブ思考(プラス思考)であり、否定的な側面(デメリットや脅威など)を見るのがネガティブ思考(マイナス思考)です。どちらか片方が正しいわけではありませんが、現代社会では前者がもてはやされています。

不確実でストレスの多い社会においては、多少「楽観的」に考えないと前に進めなくなってしまうからです。ポジティブ思考を効かせれば、気持ちが明るくなり、物事に「前向き」「積極的」に取り組んでいけるようになります。交友関係も広がり、充実した時間が過ごせるようになります。

ビジネスにおいても同じです。有名な逸話(作者不詳)を紹介しましょう。

ある靴メーカーの担当者2人がアフリカに市場調査に行ったところ、誰も靴を履いていませんでした。それを見た1人は「靴が必要とされておらず、商売にならない」と考え、もう1人は「靴が普及できれば大もうけができる」と考えました。どちらにチャンスがあるかは言うまでもありません。

ポジティブ思考を身につけるのに、手順も方法もありません。無理やりにでも肯定的な面を見る癖をつけるしかありません。ネガティブ思考が働いてD言葉(だって、どうせ、でも……)が頭の中で点灯したら、強制的に前向きに考えみる。そうやって思考の習慣にしていくのです。

ポジティブ思考が失敗する3つの理由

ここまで読んで「よし、あしたからポジティブ思考でいこう!」と考えた人がいたら、もう少し待ってください。ポジティブに考えたために、かえって失敗するということもよく起こるからです。

よくあるのは、「うまくいくだろう」「悪いことにはならない」という信念が、「100%うまくいくに決まっている」「悪いことは絶対に起きない」と確信(思い込み)になってしまうことです。自分に都合のよい話しか頭に入らず、いつか痛い目に遭う羽目になります。

しかも、失敗したとしても、「終わったことは仕方がない」「○○がドジを踏んだから」とまったく反省しないので、始末に負えません。まさにポジティブ思考の暴走列車です。

なかには、ポジティブ風を周囲に吹かせまくり、ネガティブな考えをする人を糾弾したり無視したりする人がいます。やたらハイテンションで、とてもついて行けません。自分はそれで心地よくても、チームの和を乱すことになります。

あるいは、こういう人もいます。ポジティブな未来を描くだけで満足してしまい、行動に移せない夢想家です。成功した自分を想像するだけで、やった気になってしまうのです。ダイエットでよく起こる現象であり、身に覚えのある人もいるのではないでしょうか。

もうお分かりのように、「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。ポジティブ思考とネガティブ思考をバランスよく使ってこそ、正しい判断や行動ができます。本当のポジティブ思考とは、単に楽観的に考えることではないのです。

ホンモノのポジティブ思考とは?

頭から「うまくいくに決まっている」と考えるのも、「誰かが何とかしてくれる」と考えるのもポジティブ思考ではありません。それでは、楽観的を通り越して、楽天的になってしまいます。

物事のポジティブな面もネガティブな面も両方見た上で、「自分でどうにかできるだろう」と考えるのが、本来のポジティブ思考です。成功を信じるのではなく、自分を信じる思考法なのです。

ただし、ここで言う自分とは、あくまでも「等身大」の自分です。

無理に大きく見せたり、卑下して小さくなったりしない、「ありのまま」の自分です。それを信じて、物事に積極的に取り組んでいくのが、真のポジティブ思考なのです。

ですから、物事を悲観的に考えることが多いからといって、無理に治す必要はありません。おそらく、無理に治そうとすると、かえって混乱してしまい、余計にうまく考えられなくなります。

まずは、「悲観的に考える自分」を肯定的にとらえてはいかがでしょうか。「自分には悲観的に考える癖があるが、ここまでどうにかやってこられた。きっとこれからも、この癖とつき合いながらやっていけるだろう」といったように。

そうすることで、きっと「悲観的に考える自分」のとらわれからも自由になれるはずです。結果的に、世間がイメージするポジティブ思考に一歩近づくことができます。

堀公俊
日本ファシリテーション協会フェロー。大阪大学大学院工学研究科修了。大手精密機器メーカーで商品開発や経営企画に従事。1995年からファシリテーション活動を展開。2003年に日本ファシリテーション協会を設立、研究会や講演活動を通じて普及・啓発に努める。著書に「ファシリテーション入門第2版」「会議を変えるワンフレーズ」など。』

「ルールを破るべき時がある」自衛隊特殊部隊の危機対応術

「ルールを破るべき時がある」自衛隊特殊部隊の危機対応術
吉野 次郎
日経ビジネス記者
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00087/102800109/?P=1

『黙ってルールに従う人を軽蔑する『邦人奪還』の主人公、藤井義貴3佐は伊藤さんの分身ですよね。

伊藤祐靖氏(以下、伊藤):私はルールを絶対視する人を軽蔑しているわけではありません。ルールに従うことは大切です。ただし非常時は異なります。平時に作られたルールに従っていたら、目的を達成できない状況が非常時です。それでも平時のルールを守ろうとする人は、頭がぶっ壊れているのではないかと思う。非常時は職務権限を与えられている人物が、状況に合った新しい規則を作るべきです。

 敵兵と対峙しているときに、自衛隊法の何条で禁じられているから対抗できないなどとびびっている上官は、物事を決断する立場にいてはいけません。

伊藤祐靖(いとう・すけやす)
1964年、東京都に生まれ。日本体育大学を卒業し、海上自衛隊に入隊。防衛大学校指導教官、護衛艦「たちかぜ」砲術長、護衛艦「みょうこう」航海長、特殊部隊「特別警備隊」先任小隊長などを歴任。2007年に2等海佐で退官。フィリピンのミンダナオ島で自らの技術を磨き直し、現在は各国の警察、軍隊への指導で世界を巡る。国内では警備会社などのアドバイザーを務めるかたわら私塾を開き、現役自衛官らを指導している。

赤信号を守るか、命を救うかで迷う?

産業界でも、かつて日商岩井(現・双日)の米駐在員が会社の金で勝手に創業当時の米ナイキ(当時の社名はブルーリボンスポーツ)を倒産から救うなど、内規を無視した現場の判断でピンチを乗り切ったという「美談」が存在します。けれども平時のルールを非常時に破っていいとなると、現場が混乱して収拾がつかなくなる恐れはありませんか?

伊藤:そうした無秩序な状態に陥らないためにも、ルールを作ったときの精神に立ち返ってしっかりと判断する必要があります。目的を達成するためなら、ルールがどのように障害となっており、無視していいかどうかを見極めるわけです。何でもかんでも無視すればいいわけではありません。非常時に対応できるよう、日ごろから訓練を通じてルールに縛られることなく行動する習慣を身に付けねばなりません。

 例えば瀕死(ひんし)の重傷者をクルマに乗せて運転していたとしましょう。信号を無視してまで一刻も早く病院に到着しなければならないとき、赤信号に従うべきでしょうか。「赤信号で止まる」というルールが作られたのは、交通事故を起こさせないためでしょう? 右を見て左を見て、ほかのクルマが通る様子がなく、事故を起こさないとの確信があれば救命を優先し、自己責任において赤信号を無視すべきではないでしょうか。その結果、後から罰せられるのなら、罰せられればよい。

非常時に仕事を任せられる適性を持つのはどのような人だと思いますか?

伊藤:私心がなく、保身に興味がない人です。そういう人は「アメとムチ」では動かず、社会ルールに従う気がありません。平時においては厄介者として扱われます。平時の社会を動かすのは、残りの9割の「普通の人々」です。普通の人は保身に走るため、非常時にはルールに縛られて決断ができません。そこで厄介者の出番となるわけです。平時と非常時に、両者をうまく使い分ける人事を発令できるトップが求められます。

伊藤さんが現役の自衛官だったころ、非常時に平時のルールに従う理不尽な場面に遭遇したことはありますか?

伊藤:1999年に能登半島沖を航行していた北朝鮮の工作船を、当時乗務していた護衛艦「みょうこう」で追跡していたときのことです。一緒に追跡していた海上保安庁の巡視艇から「燃料が少なくなってきたので帰投する」との無線連絡があったときには逆上しました。燃料がなくなったって、沈むわけじゃない。それよりも日本人を拉致しているかもしれない不審船の追跡を優先すべきではないか。あのときは平時のルールで行動している巡視艇を撃沈してやろうかと思いました。

 とはいえ、後から振り返れば、ルールに従うのが苦手な私でさえ、あのときは従っていました。だから海上保安庁の連中を非難できません。

伊藤祐靖氏が初代先任小隊長を務めた海上自衛隊・特別警備隊(写真:共同通信)

部下に命を捨てさせるマナー

どういうことでしょう。

伊藤:みょうこうから激しい警告射撃を受けた不審船は停止し、立ち入り検査を実施する隊員たちが乗り移る段階を迎えました。自衛隊として初めての経験です。私は命令を伝える末端の自衛隊幹部として、立ち入り検査を担う隊員たちに突入を命じることになりました。ただ隊員たちの訓練も装備も不足しています。不審船内で北朝鮮の工作員と銃撃戦となり、果ては船ごと自爆され、隊員たちが死ぬ可能性があることは明らかでした。

 隊員の1人から「本当に行く意味があるのでしょうか?」と問われ、私は「うるせーな、行って来い」と言ってしまった。平時のルールに従ったという点で、私は海上保安庁と同じことをしてしまいました。一生の恥だと思っています。

 あのときの私には、部下に命じる前に命令を発した政府の上層部になぜその命令を出したか確認する義務がありました。「確実に隊員が死ぬことが分かっているから命令を撤回してほしい」と訴えたかったわけではありません。命を投げ捨てる覚悟を前提に、自衛官は給料をもらっているわけですから。

 ただ上層部には「我が国は拉致されている真っ最中の自国民をいかなる犠牲を払ってでも奪還するのだ。そのヒストリーを創るために立ち入り検査を命じているんだ」と言ってほしかった。それを部下に伝えて、出撃させるべきでした(編集部注:結局、隊員たちが乗り移る直前に不審船が再度動き出し、最終的に取り逃がす。これをきっかけに政府は特殊部隊の創設を決意した)。非常時に重大な命令を発する人間は、何のために命じるのか、部下に説明するのがマナーです。「本当はこんな命令を発するのは嫌なんだけど、ルールで決まっているから」という雰囲気をプンプン匂わせてしまうような人間は、仕事を変えるべきです。

上官、あるいはビジネスの世界で言うなら上司から疑問が多い命令や指示が出されたら、部下はどう振る舞えばよいでしょう。

伊藤:当然、部下であっても上司にミスを指摘すべきです。丁寧にご注進してもいいし、乱暴に「あんたね、そんなことも知らないのかよ」と指摘してもよい。言葉とタイミングを選んで、上司から「間違えた。指示を撤回する」という言葉を引き出す努力をすべきです。

 もちろん私は現役の自衛官時代、波風を立てる目的で上官に意見していたわけではありません。部下が最高の能力を発揮できる環境を整えるという目的、志があればこそ、上司をも動かさねばならないときがある。単に上司からの言葉をそのまま部下に伝える中間管理職は失格です。

 また会社でも部下からの指摘に聞く耳を持たない上司は、本気で任務に取り組んでいないと言えます。本気で売り上げを増やしたい、業績を伸ばしたいと思うのなら、ミスを指摘してきたのが入社したての新人であっても、上司は指摘が当たっている可能性を排除してはなりません。

 そのためにも上司は部下が意見を言いやすい雰囲気づくりに努める必要があります。特殊部隊ではドーベルマンのような風貌の隊員も珍しくありませんでした。そうした屈強なメンバーでも、階級も年齢も上の私には意見しづらいのが実情です。意見を率直に言い合える雰囲気を整える必要があると感じ、私は隊内で敬語を禁じるなどの工夫をしていました。

「ボクシングしながら上司に実況中継」の理不尽

特殊作戦中は、いちいち最前線の隊員が上官の指示を仰いでいる時間的な余裕がない場面も多そうです。

伊藤:事態が刻一刻と変化しているときは、変化への対応能力が勝負を決します。隊員が上官と無線でやり取りしている時間は無駄でしかありません。また上官に状況を報告したところで、現場に漂う臭いから恐怖、隣の隊員の目が引きつっている様子まですべて伝えられるわけがない。上官は最前線の隊員に権限を与え、彼らに判断を任せるのが合理的です。

 指示を受けなくても的確に判断が下せるようにするために、私は日ごろから自分の方針や好みを隊員たちに徹底的に理解させていました。その上で作戦の目的をはっきりさせれば、いざというとき部下は自ら考え、行動できるようになります。

 上司はいったん権限を委譲したら、作戦行動中は不安や恐怖心をぐっと抑え、最前線の隊員たちへの口出しを我慢しなければなりません。不安に耐えられず部下に報告を求めたら、ただでさえてんてこ舞いの現場の混乱が増すだけです。隊員たちはボクシングをしながら、自ら実況中継をしなければならない羽目に陥ります。また報告を求められた部下は信頼されていないと思い、モチベーションが下がります。

 とはいえこれはあらゆる現場に最適な管理法ではありません。私は3つの管理法があると思っています。

詳しく教えてください。

現場に権限を与えない選択肢も

伊藤:1つは今説明したように現場の部下が自ら考えて判断を下せるように訓練するというもの。加えて、一定の条件を満たせば、それから先は特定の行動について現場の判断に任せるという権限委譲の仕方もあります。これが2つ目の現場管理法です。例えばタクシー会社が運転手との間で、「燃料が4分の1まで減ったら、後は運転手の判断でいつでも燃料を補充してよい」と取り決めるといったことです。勝手に行動されたら困るけれども、毎回許可を求められても困る場合などに有効です。

 そして3つ目が、現場からすべての報告を受け、すべてについて指示するという管理の方法です。実はこの方法を各国の海軍が採用しています。陸戦隊である特殊部隊を除き、海上自衛隊も同様です。特殊部隊以外の海上自衛官は基本的に、船舶や航空機に乗って行動します。通信技術の発達で、動画など膨大なデータを船舶などから本部に送ることができるようになりました。そのため、地球の裏側に派遣されていても、現場で何が起きているのか手に取るように分かり、本部で的確な状況判断が可能となっています。

 企業でもこの3つの現場管理法をうまく使い分ければいいのではないでしょうか。社長なり部長なりがきっちりと業務を分析して、どの管理スタイルが自社に合っているのか、判断すればよいでしょう。』

合理的で優秀、なのに「伸びしろ無し」と判断される就活生

合理的で優秀、なのに「伸びしろ無し」と判断される就活生
損得勘定がうまいことのメリット、デメリット
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00077/092800021/?P=1

『新型コロナで大波乱となった2020年の就活も、多くの企業で内定式が行われる日を迎えました。
 就活支援の特別編として、「保全性」「拡散性」「受容性」の高い学生の方々に対して就活のアドバイスをしてきました。今回は「弁別性」を取り上げます。来年以降も活用できる内容と自負しておりますので、就活継続中の方も、来年就活の方も、ぜひ引き続きご覧ください。

 「弁別性」の高い人は、何らかの根拠(データ、経験)を基に「必要」か「必要ではない」かを常に考え、「必要」と判断したものを直ちに選択します。
 合理性や投資・費用対効果を重んじ、効率的に物事を進めようとします。

 こう言うと、よくいる「コスパ」指向の人のようですが、「弁別性」が高い人は、それとはひと味違う凄みを感じさせます。

 「それって意味あるの?」が彼らの口癖です。
 そう問われた相手が、「まだ分からないけど、やってみたい」と答えようものなら、「意味のないことはやらない」とバッサリと切り捨てることも。

 「白か黒か」の線引きが明確で、幅というか、“アソビ”がないのです。

 また、自分の部屋には、機能性重視で必要なものしか置きません。最近流行のミニマリスト的な面もあります。

 自分自身に、こうした思考・行動特性を感じる方は、FFS理論(※)でいえば「弁別性」が高い人、と言えます。

※5つの因子とストレス状態から、その人が持つ潜在的な強みを客観的に把握することができる理論(開発者:小林 惠智博士)。詳しく知りたい方は書籍『宇宙兄弟とFFS理論が教えてくれる あなたの知らないあなたの強み【自己診断ID付き】』か、こちら。

 合理性を重視する「弁別性」の特性は、ビジネスの世界ではたいていの場合有利に働きます。

 「弁別性」の高い人は、好き嫌いといった感情に左右されにくく、根拠に基づき最適解を求めようとします。物事を客観的に判断し、ゴールに最短距離で到達する方法を選べる人は、組織でも高く評価されることが多いでしょう。

 ところで、「合理的」とよく似た言葉に、「論理的」があります。

 合理的思考と論理的思考。どちらもビジネスパーソンには必要な思考です。よく似た意味なので混同しやすいのですが、FFS理論ではこの2つを明確に区別しています。

 まず、2つの言葉の意味を辞書で確認してみます。

論理的=1:論理の法則にかなっているさま
合理的=1:道理や論理にかなっているさま
    2:物事の進め方に無駄がなく能率的であるさま

 どちらの言葉も、「1:論理の法則にかなう」という意味は共通していますが、「合理的」にはさらに「2:無駄なく、能率的である」という意味があります。

 1と2の大きな違いは、1の論理的な思考は、基本的に訓練によって身につけることができるのに対し、2の合理的な思考は、訓練では身につけることができない、ということです。

 FFS理論が定義する「合理的」とは、意図せずとも「ムダなく、能率的にしてしまう」状態のことを指します。無意識のうちに、ムダを省いてしまうのです。つまり、合理的思考は、訓練で身につく能力というよりも、「弁別性」という個性に起因する能力と考えるのです。

 さらに言えば、合理的思考を備えた「弁別性」の高い人は、論理的思考とも相性がいい。つまり、他の因子が高い人よりも、訓練によって論理的思考を身につけやすいのです。論理的思考は、仮説・検証を繰り返して方針を導いたり、物事を構造的に捉えて全体像を客観的に捉えたりするうえで必要な能力です。

 さて、今回のテーマである就活に話を戻すと、「弁別性」の高い学生は、就活でも論理的・合理的思考を披露できるため、一次面接くらいまでは難なくクリアしていきます。

 ところが、それより先になると、内定まで進む学生と、苦戦する学生とに分かれます。

 面接官に好印象を与えるはずの論理的・合理的思考を備えながら、就活に苦戦する学生がいるのはなぜでしょうか。

 それは、弁別性の「合理的である」という特性が、うまく活かせば強みとなる一方で、それが裏目に出ると、機械的で冷たい印象を与えたり、「損得勘定で動く、自己都合な人」と思われたりするからです。特に、未熟な人の場合、「弁別性」の特性がネガティブに出ることがあります。

志望動機に熱い思いが感じられない
 内定が決まらず、就活に苦労したTさん。面接ではこんなやり取りがありました。

面接官:「なぜうちの会社に興味があるの?」

Tさん:「御社は業界トップで、知名度があるので、もし自分が営業に配属されたとしても、楽に働けそうだと感じました。また、育成環境が整っていることも安心です。有給消化率、離職者の少なさ、報酬額とその伸び率も魅力的に感じました」

 あなたが面接官だったとしたら、この志望動機を聞いて、どんな印象を受けるでしょうか。

Tさんは、その会社の魅力を伝えたつもりかもしれませんが、面接官にしてみれば、「Tさんにとってこの会社が、いかに都合がいいかを並べただけ」に聞こえたでしょう。

 合理性を重んじる「弁別性」の高い人は、「何をやりたいか」よりも、「いかに楽に稼げるか」で会社を選ぶ傾向があります。投入する時間と労力が、効率よく換金される組織、というわけですね。

 ですので、会社を選ぶ基準は、勤務体系や教育、福利厚生など、仕事というよりも労働条件になりがちです。

 労働条件が変われば、「白(行きたい会社)」が「黒(行きたくない会社)」に変わることもあるので、会社を絞り切れないことも多いのです。

 Tさんの志望動機には、もしかしたら会社や将来の仕事に対する熱い思いがあったのかもしれません。しかし、そこを打ち出さなかったため、内定獲得に至らなかったと考えられます。

自分に必要ない人間とは付き合わない
 合理性を重視する(してしまう)「弁別性」が高い人は、面倒な人間関係を避けようとする傾向があります。

 「役に立たない」と判断した相手とは、たとえ同じサークルの仲間でも、わざわざ関係を構築しようとはしません。人間関係も白か黒かに分けるので、自分に必要ない相手と思えば、バッサリと切り捨ててしまうこともあります。

 誤解してほしくないのですが、このタイプの特性が「悪い」というわけでは決してありません。それは個人の生き方の選択肢の1つとして、十分納得できるものです。

 ただし、すべてを自己都合で切り捨てていると、本人の気づかぬうちにチャンスを逃して、よりよい結果につながらなかったりします。

 経験豊富な面接官には、そうしたこともお見通しです。「この学生は、社内の人間関係や仕事先との付き合いを「合理的」にやりすぎてしまいそうだな……」と見抜いて、「これまで人間関係を避けてきたみたいですね」と、切り込んでみたりします。

 学生側は図星を突かれて、「え?」と一瞬口ごもりますが、嘘をぱっとつける個性ではないため、「そんなに人間関係って大事ですか?」「どんな人でも、必要であれば、仲良くなることができますよ」と、言わなくてもいいことを口走ってしまうのです。

 情報を基に物事を判断する「弁別性」の高い人にとって、条件の提示は自然かつ当然の行為です。ところが、「人間関係も条件次第で判断する」ところを面接官に暴露してしまえば、「この学生は機械的で冷たい」という印象を与えかねません。

 そもそも「弁別性」の高い人が人間関係を避けたがるのはなぜでしょうか。  人間関係につきものの「感情」を煩わしく思うからです。好き嫌いといった感情が絡めば、客観的な判断がしにくくなります。

 例えば、仲間と旅行に出かけるとします。
 「弁別性」の高い人は、「最短・最速でムダのない方法で行きたい」と考えます。乗り継ぎや徒歩での移動手段、宿泊施設も含めてあらゆる情報を集めて、その中から一番合理的な行き方を選択しようとします。

 一緒に旅行する仲間が皆、同じようなタイプなら問題はありませんが、中には“鉄オタ”がいて、「ローカル線でゆっくり旅したい」と言い出すかもしれません。あるいは「僕はホテルとか決めてからの旅行って全然したくないんですよ」という人もいるでしょう(例えばこの方。「『自分を嫌いな上司』の真実が分かる本」)。

 ところが、「弁別性」の高い人は、「ローカル線の旅なんて時間のムダ」と考えて、仲間の気持ちに思いを寄せることなく、仲間の意見を却下しがちです。

ビンセントは、良くも悪くも他人に容赦がない(10巻#94「いつも心に万歩計を」)
 人と交流しなくて済むように、学生時代は部活には参加せず、帰宅部を選択する人も多いでしょう。家で誰にも邪魔されず、読書三昧で過ごすこともしばしばです。

 アルバイトも、面倒な人間関係を避けて、効率重視で選びます。例えば、システム開発のアルバイトのように、自宅で一人でできて、時給の高いアルバイトを好みます。

 私の学生時代の知り合いは、「ハッカー的な仕事」を請け負っていましたが、彼も「弁別性」の高いタイプでした。時間や場所を自由に選択できて、時給も相当高いので、彼にとっては最適なアルバイトだったはずです。
 また、そのために必要と判断すれば、高度なスキルの獲得も厭いません。

「できる。でも、伸びしろがない」と思われる
 無難に何でもこなす「弁別性」の高い人は、就活でも「優秀」と評価されます。

 とはいえ、「いま優秀」なだけでは即採用、とはなかなかなりません。
 面接官が採用したいと思うのは、「地頭の良さ」は当然ですが、潜在的な可能性、すなわち「伸びしろ」のある人です。

 伸びしろとは具体的に何なのかといえば、入社後の新しい環境における対応力、つまり「素直さ」や「感受性の豊かさ」です。採用においては、これらの要素が重要視されるのです。

 ところが、最短・最速で生きて来た証としての「ムダのなさ」には、その辺りの要素があまり感じられません。
 そこが、面接官への印象を悪くしてしまうことがあります。「そこそこ優秀だけど、入っても伸びしろがないな」と思われるわけです。

 また、感情を持つ人間の営みであるビジネスには、理不尽さがつきまといます。
 誰もがスパッと物事を割り切って、投資対効果を最大化できる最適解を選んでいるわけではありません。

 例えば、一緒に働く仲間の気持ちをくみ取ったり、悩んでいる相手に寄り添い、飲みながら愚痴を聞いたりすることも時には大切です。「弁別性」の高い人には、ムダに思えるかもしれませんが、「人としての余裕」を感じられるかどうかも、採用面接では問われるのです。

ムダを嫌い、合理性を重んじるのは正しい。けれど
 就活中の「弁別性」の高い学生の方へのアドバイスとしては、まず、そんな自分を「理解」していただきたいと思います。

 就活ではよく「自己理解」という言葉が使われますが、自分の「ムダが嫌い」「コスパを意識する」ところで止めていないでしょうか。さらに奥に入って、「(他人がちょっと引くくらい)合理性を重視する」ところまで、見つめてほしいのです。
 それが、おそらくあなたが常にうっすら感じている、周囲との違和感の原因です。

(これは「拡散性」「凝縮性」が高い方にも当てはまります。「受容性」「保全性」が高い人が多数派の日本社会では、その他の3因子が高い人は、どうもうまくかみ合わないことがある、と感じがちなはずです)

 「自分は周りの人とは違う」という感覚はあっても、その違和感の原因が何なのか、はっきりと把握している人は少ないのではないでしょうか。そこを言語化できることこそが本当の「自己理解」です。

 「弁別性」の高い人は、とにかくムダを嫌い、合理性を重んじます。
 しかし、世の中は皆、そんなに合理的に動いているわけではありません。まずは、そのことを認識する必要があります。

 自己理解を深めるためにおすすめしたいのは、「他者理解」です。他者との違いを相対的に理解することで、一層の自己理解につながっていきます。

 例えば、「拡散性」の高い人は興味関心が最大のモチベーションになり、自分が「面白い」と思うことにはテンションが上がります。
 「保全性」の高い人は、効率や合理性よりも、仲間と一緒であることを好みます。
 「受容性」の高い人は、相手の幸せが自分の幸せと感じます。周りの人たちの気持ちをおもんぱかるため、周りの人たちの気持ちに影響されて、一喜一憂しやすいのです。

 以上、合理性を好む「弁別性」とは対照的な因子を紹介しましたが、このように見てみるだけでも、人の個性はそれぞれ違うことが分かります。違うということは、個性の異なる相手とは誤解も生じやすいということです。

 「合理的である」という弁別性の特性は、それがネガティブに出た場合、「機械的で冷たい」という印象を相手に与える恐れがあります。面接ではそのことに留意しながら、自分の特性をポジティブに表現できるように心がけてみましょう。

 つまり、データに基づいて先を読める先見性と、何事にも合理的に対応できる能力。これが「弁別性」の高いあなたの武器なのです。

割り切れない人間関係にも学ぶべきことはある
 就活までにまだ余裕がある1、2年生の方々には、ぜひ、矛盾をはらんだ「人」という存在との密な関係を体験していただきたいと思います。

 未熟なうちは、自分の損得だけで計算して、最適解を見つけようとします。しかし、経験の浅い自分だけの判断基準で割り切っても、いい結果が得られるとは限りません。しょせん、そこそこのレベルで終わってしまいます。

 「弁別性」の高い人が成長するには、社会で揉まれる中で、合理性だけで割り切れないことがあることを学びつつ、一見すると「役に立たない」と思うことを大切にすることで、長期的には成功に近づくことを理解する必要があります。

 そんな曖昧で割り切れないものを受け入れるのは、非合理的だと思うかもしれません。しかし、「弁別性」が高く「優秀だ」と他人から評価されている人は、自分の下手な計算よりも、計算を超えた人との縁や人間関係によって結果が最大化することを、実証により知っています。

 ですから、何事にも都合を考えず、誘われるままに体験してみることも大切なのです。しかも、できるだけ密に関わって、泥臭い体験にあえて飛び込んでみることです。

 割り切れない状況を理不尽だと感じたり、やっている意味が分からないと悩むこともあるでしょう。

 そのようなときは、自分で納得のいく新たな判断基準で線引きすれば、理不尽さを解消できます。つまり、曖昧模糊とした状況や関係にも、「何らかの意味はある」と割り切ればいいのです。

 理不尽と感じるのは、自分が決めた判断基準に合わないからです。だったら、理不尽のラインを少しずらして、「理不尽に見えるが、意味はあるはず」という認識に変えればいい。

 なんだかムチャクチャを言っているようですが、実は、合理性がないと行動するのが辛い「弁別性」の高い人は、何か「理由がある」と思えさえすれば納得でき、力を発揮する、という強みも持っているのです。

無人のはずの月基地に人影が……
 「理不尽なことにも意味がある」と認識する。これは具体的にどういうことでしょうか。

 これを教えてくれるのは、人気漫画『宇宙兄弟』に登場するNASA宇宙飛行士のビンセント・ボールドです。彼の登場シーンから、「弁別性」の高い学生が参考にすべき振る舞いを紹介しましょう。

 ビンセントはムダなことが大嫌い。「弁別性」が高いタイプです。(ビンセントの「弁別性」の高さを解説した過去記事はこちら→「褒めてくれない“冷たい上司”とストレスなく付き合うには」)。

 前回、「リモートワークのストレス」について解説した際にも書きましたが、『宇宙兄弟』の最新刊(38巻)では、主人公の宇宙飛行士・南波六太(ムッタ)と同僚のフィリップ・ルイスが、他の仲間が地球へ帰還した後も、2人だけで月面残留を余儀なくされています。いわゆる「リモートワーク」の状態です。

 しかも、彼らが取り組む月面プロジェクトは非常に難易度が高く、2人はかなりのストレス状態に追い込まれています。

 ムッタとフィリップが、滞在中のムーンベースから、少し離れた小型基地へと移動したときのこと。2人が建物に足を踏み入れると、無人のはずの基地内に、人影がありました。

「誰かがいる」と思った相手の正体は、管理用ロボットでした。2年前、この基地の建設に関わった日本人宇宙飛行士の紫三世が、後からやってくる宇宙飛行士を驚かそうと仕込んだイタズラだったのです。

“アソビ”を受け入れたビンセント
 ビンセントは、かつてムッタがアスキャン(宇宙飛行士訓練生)時代の指導教官だった人物です。ムッタが知るビンセントは、ムダをトコトン嫌い、自分にも相手にも厳しい合理主義者でした(ただし、見込んだ相手には手を差し伸べる優しさがあります)。

 普段のビンセントなら、「イタズラなど時間のムダ」と一蹴しそうです。それなのに、紫のイタズラを容認したことに、ムッタは驚いたのです。

 合理主義者のビンセントが、紫の“アソビ”を受け入れたのはなぜでしょうか。

ムッタとフィリップがストレス状態にあることは、ビンセントも気づいていました。今後の作業を成功させるためには、「何かガス抜きになるようなことが必要かもしれない」と思っていたところに、紫が2年前に仕掛けたイタズラの話を聞いたのでしょう。「これは2人にとって気分転換になる」と明確に判断したのだと推察します。

 イタズラを「馬鹿らしい」と切り捨てるのではなく、ムッタとフィリップには「意味のあるイタズラ」として、受け入れる合理に到達したのです。

「弁別性」が「素直さ」を持てば鬼に金棒
 現実の世界でも、実際に超アナログなサービス業に身を置き、「泥臭いことを受け入れることの合理」に行き着いた「弁別性」の高い人物を2人ほど知っています。

 彼らは、普段はドライな面は一切見せません。どちらかと言えば、ニコニコしています。

 相手が話しやすいよう、笑顔でうなづいたり、自ら盛り上げ役を買って出たりして、和気あいあいとした雰囲気を作っていきます。その結果、短期間に親密な人間関係を構築することができているのです。

 彼らも若い頃は、ドライな個性ゆえに損をした経験がありました。自己都合で人間関係を割り切っていては誰もついてこないことを学び、「仲間を作る合理」にたどり着いたのです。

 仲間と親密な人間関係を築くことで、仕事をスムーズに進めることができ、その結果として「最短を実現している」、ということです。

 この原稿の中ほどで、面接官が学生の皆さんに期待しているのは将来的な伸びしろであり、それは新しい環境に対応できる「素直さ」や「感受性の豊かさ」である、と書きました。

 「素直さ」や「感受性の豊かさ」と聞いて、「自分は何事にも白黒つけたい性質だから、自分には無理だ」と思う人もいるかもしれませんが、それは違います。

 私がお伝えしたいのは、自分の個性を活かすための素直さを持っていただきたい、ということです。

 何事にも合理的に対応できる能力は、ビジネスの世界では強みです。

 その合理性を、自分の損得勘定だけに使うのではなく、一緒に働く仲間や顧客の幸せのために使うことを学びましょう。割り切れない他者との関係にも意義を見出し、ある程度の理不尽も飲み込む合理にたどり着いたとき、大きく成長できるはずです。

 自己都合の割り切りをしている限り、「弁別性」の強みは発揮されません。状況に合わせて条件を変え、必要であれば曖昧さや理不尽さも受け入れられるよう視座を高めていく。これが「弁別性」の素直さだと私は考えます。

© Chuya Koyama/Kodansha
(構成:前田 はるみ)

38巻#358「National Aeronautics and Surprise Administration, NASA」
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https://www.nikkeibp.co.jp/seminar/nb/201012/

ビジネスの成否は優先順位の見極め 試される決断力 第15回 重点思考

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO64211970U0A920C2000000?channel=DF120320205956

『意思決定はジレンマとの戦い

私が経営スタッフだった頃、役員会にかける提案の資料づくりをよくやらされました。どこから突っつかれても説明できるよう、膨大なデータと分析を要求されたものです。何度上司に持っていっても、「○○が足りない」「△△も用意しておいてくれ」と言われ、キリがありません。

揚げ句の果てに、「これじゃあ分からん。誰が見ても判断できるような資料を用意しろ」と言われる始末。「だったら小学生に役員をやらせたら?」と思わず言いそうになりました。

もちろん、必要な情報がないと判断はできません。しかしながら、すべての情報を集めて判断することはできず、それをやっていたら機を逸してしまいます。合理性に限界がある「限定合理性」の中で意思決定をするのがリーダーの仕事です。

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それに、多くの場合、意思決定にはジレンマを伴います。感染症の拡大を防止しようとすると、経済にダメージを与えてしまう、といったように。健康と経済のどちらを優先するか、まさに決断が求められます。

方策を考えるときも同じです。打ち手をいろいろ考えても、全部できるわけではありません。総花的にやるよりは、効果的な策に集中したほうが、得られるものが多くなります。

そのために必要となるのが「重点思考」です。「今何が重要か?」「中でもどれが大事か?」と、優先順位をつけて考えるのです。そうやって、大胆にメリハリをつけ、要領よく進めていかないと仕事は回りません。

多面思考と重点思考をセットで使う

先回は「多面思考」を取り上げ、いろんな視点・視野・視座から考えること重要性をお話ししました。ところが、多面思考をやればやるほど、考えがまとまらなくなる恐れがあります。

そんなときは、「どの視点・視野・視座を優先させるか?」を決めないといけません。つまり、多面思考は重点思考とセットにして使わないと、実際にはうまくいかないのです。

たとえば、「〇〇すればもっと売り上げが伸びる」と主張する人がいたとしましょう。その考えが浅いと思ったら、多面思考で考えを広げることを促すようにします。

「売り上げだけでいいの? 利益は考えなくてもいい?」(視点)、「短期的にそれでよくても長期的には?」(視野)、「自社によくても競合はどう出るだろうか?」(視座)といったように。あるいは「他に?」だけでもよいかもしれません。

そうやって、いろんな観点で考えられたら、次は重点思考の出番です。「なかでも、どの視点が重要?」「どのアイデアが最も望ましい?」と問いかけて、考えを絞り込んでいきます。

ここで大切なのが、2つの思考をきっちりと分けることです。両者を混ぜて使うと、それぞれの良さを台無しにしてしまいます。多面思考をやっていうちに、「分かった。△△すればいいんだ」と早合点をしてしまう「飛びつき病」が悪い例の典型です。

特に大人数で議論しているとそうなりがちです。「意見を発散する(広げる)ステージと収束する(絞り込む)ステージを混ぜない」という会議の原則を忘れないようにしましょう。

重要なことに資源を集中する
重点思考を進める上で大事なのが、重要なものを見極めることです。

重要とは、物事の本質や根本に大きく関わる、価値の極めて高いことです。大げさに言えば、それによって自分たちの行く末が決まるようなものです。

ビジネスに当てはめると、目的の達成に大きく貢献したり、その成否に多大な影響を与えたりすることが、重要なものに他なりません。つまり、目的をはっきりさせることが、重要なものを見極めるための一番のポイントとなるわけです。

ビジネスでは、重要な20%によって結果の80%が生み出されているという「パレートの法則」が働くことがよくあります。上位20%の顧客(商品)が売り上げの80%を占めている、20%のセールスパーソンが全体の80%の販売を担っている、重要な20%の業務が仕事の80%の成果を生み出している、といったように。

だったら、重要なものに資源を集中するのが効率的です。残りは完成度を少し落としたり、アウトソーシングをしたり、もっと効率的なやり方に切り替えることを考えます。

そもそも、人はマルチタスクができるようにデザインされていません。多くの人は、シングルタスクで一点集中するほうが仕事の効率も高まります。

マネジャーの一番大切な仕事とは?
この考えを組織全体で進めていくのは大変です。目的を理解していない人がいたり、瑣末(さまつ)なことにとらわれる人がいたりして、「何が重要か?」のベクトルがそろわないのです。

そこで大切になってくるのがマネジャーです。

マネジメントを日本語で「管理」と訳したために、マネジャーの役割を勘違いしている人がいるかもしれません。部下に仕事を割りつけて進捗をチェックするのが本務ではありません。それはコントロールであってマネジメントではありません。

動詞のmanageは「どうにかする」「何とかする」というのが原意です。たとえば、海外から来たお客様に今夜の接待を申し出たとこと、I can manage by myself(自分でどうにかしますから)と辞退されることがあります。Manageとはそんなときに使う言葉です。

一番しっくりくる日本語は「やりくり」だと思います。与えられた資源(ヒト・モノ・カネ)をやりくりして、どうにか組織の目標を達成する。それがマネジャーの本務です。

そのためには、「何を目指しているのか?」「今何をすべきか?」が共有できていないと始まりません。つまり、マネジャーの一番大切な仕事は、「何が重要か?」、言い換えると仕事の優先順位をブレずに全員に徹底させることです。重点思考の旗振り役に他ならないのです。

平時はもちろんのこと、非常事態になればますますそうなります。右往左往する現場に的確に方向性を示せないと、組織の力がひとつになりません。不透明で不確実な時代に生きるからこそ、重点思考が私たちに求められているわけです。』

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『視点・視野・視座の違いとは?
思考力を鍛える研修で、私がよく尋ねる質問があります。「視点・視野・視座は、それぞれ何を意味していて、どこが違うのでしょうか?」というものです。できれば、読者の皆さんも、少し考えてから先を読んでみてください。

何も思い浮かばない人には、ヒントを差し上げます。「視点が新しい」「視野が広い」「視座が高い」とは言いますが、「視点が広い」「視野が高い」「視座が新しい」といった言い方はあまりしません。そこに3つの違いが現れているはずです。

会社の業績の話を例に解説するとこうなります。視点とは、業績や会社の「どこを見るのか?」です。売り上げ、利益、商品、業務、組織など、経営を見る視点はたくさんあります。

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2つ目の視野は「どんな範囲で見るか?」です。今期だけを見るのか長期的に見るのか、国内だけを見るのかグローバルに考えるのか、販売だけを見るのか経営全体を見るのか……。時間、空間、人間、システムの広がりを指すのが視野です。第6回の分析思考を思い出してください。

そして、「どこから見るのか?」が視座です。同じものを見ても、見る立場やポジションによって見えるものが違ってきます。現場の人間は細部がよく見えるのに対して、経営者は全体を俯瞰(ふかん)的に見ます。年齢、性別、国籍などによっても視座が変わってきます。

視点、視野、視座を変えて、いろんな方向や角度から考えるのが「多面思考」です。そうすることで、深く、柔らかく、緻密に物事を検討することができます。

対義語を活用して多面思考を実践する
日常生活では、3つの違いはそれほど意識する必要はありません。要は、いろんな観点から考えればよいだけです。一番お手軽なのが、相反する2つの観点で見ることです。

アイデアの採否を検討するときに使う「プロコン表」が、まさにこれに当たります。

ホワイトボードや紙の真ん中の線を書き、左のスペースに賛成の理由(Pros:良い点やメリット)を、右に反対する理由(Cons:悪い点やデメリット)を挙げていきます。左右を見比べて、トータルでどちらが優勢かを判断します。

賛成と反対をあわせて賛否といいます。メリットとデメリットは損得です。このように熟語の中には、意味が正反対の言葉をセットにしたものがたくさんあります。対義語と呼びます。

他にも、男女、長短、善悪、新旧、利害、公私、自他、入出、遠近、内外、主従、難易、増減、需給、動静、因果、攻守など、数え上げればキリがありません。

観点を3つにすれば、衣食住、心技体、人物金、知情意、守破離、報連相、正反合、走攻守、大中小などがあります。4つでは、起承転結、老若男女、加減乗除、喜怒哀楽、冠婚葬祭などがあり、時間のある方は調べてみてください。

これらはすべて多面思考の切り口として使えます。新しい事業を立ち上げるなら、人物金の3つの観点で考える、といったように。日本語は多面思考を実践するのに便利な言葉なのです。

ビジネス・フレームワークを活用する
熟語にある切り口はテーマを選ばず、一般的に使えるものばかりです。それに対して、ビジネスに特化した切り口があります。「ビジネス・フレームワーク」と呼ばれているものです。

経営学の理論や経営コンサルタントのノウハウを凝縮したもので、労せずして多面思考ができるのがありがたいです。今やビジネスには欠かせないツールと言っても過言ではありません。

フレームワークに関しては、以前の連載「フレームワークで働き方改革!」で詳しく解説をしました。そのとき取り上げなかったものをひとつだけ、多面思考の例として紹介したいと思います。

多くの企業では、これからどのようにビジネスを継続していくか、根本的な見直しをせまられています。そのためには、企業を取り巻くマクロな環境を分析することが欠かせません。

そのためには、政治、経済、社会、技術の4つの側面から多面的な分析が必要です。英語の頭文字をあわせて「PEST」と呼びます。

まずは政治(Politics)、すなわち政府の方針、政策、法改正、規制強化(緩和)などの変化やその兆しを洗い出します。次に、経済(Economics)で、成長率や失業率などの各種の経済指標が分析の手がかりとなります。

3つ目に社会(Society社会)です。ここには、人口、文化、暮らしなど社会情勢に関わる幅広いものが入ります。そして最後に、新しい技術開発や投資動向を見る技術(Technology)です。

もちろん、これ以外の要因もありますが、この4つを押さえておけば、ほぼ全体がカバーできます。大きく世の中の動きを見誤ることはないでしょう。

選択肢を多面的に考えてベストを選ぶ
ここまで述べた話とは別に、多面思考にはもうひとつ違った使い方があります。

皆さんは物事を決めるときに、どうやって決定をしますか。日々の買い物とパートナーの選択とでは大きく違ってくるとは思いますが、おおむねA・Bどちらのやり方が多いでしょうか。

A あれこれ調べたりせず、自分にピッタリなものを見つけたら、「これだ!」と決め打ちする。
B 候補を複数洗い出して、いろんな観点から比較をして、そのなかで最善のものを選ぶ。
もうお分かりのようにBが多面思考です。別にAがダメなわけではありません。私の知人に数千万円の中古マンションを、情報誌を見るなり実物も見ずに購入したツワモノもいます(しかも家族に一切相談なし!)。今も気に入って住んでいますから、よほどビビッと来たんでしょう。

ところが、ビジネスの場合、Bのほうが意思決定の質が高まることが、海外の研究で明らかになっています。Aだと確証バイアス(自分の意見に都合のよい情報ばかり集めてしまう癖)が働きやすくなり、比較する選択肢がないと検討のヌケモレが発生しやすいからです。

もし、皆さんの部下で、Aの決め方をする人がいたら、柔らかく指導をしてあげてください。

たとえば、「我が社は○○をすべきです」と言ってきたら、「それはいいけど、他にどんな手を考えた?」と尋ねるのです。相手がけげんな顔をしていたら、「それしか考えないで、なぜこれがベストと言えるの?」と二の矢を放ちましょう。しつこく繰り返せば多面思考が身につくはずです。』

何が本当の問題か 論点をしっかり探り出す3つの条件 第13回 論点思考

『御社の本当の問題は何ですか?
会議の生産性を高めたいので、ファシリテーションのスキルを身につけさせたい。私のところに舞い込む研修の依頼の典型です。研修担当者は、会議の生産性が低いことや議事進行が下手なのが問題だと思っているのです。スキルを習得すれば解決できるのではないかと。

そう言われたら、依頼通りに研修をやればお金はいただけます。ところが、そんなことをすると、後で面倒がおきないとも限りません。大抵は問題を見誤っているからです。

先日も同様の依頼があり、会って事情を聞くことにしました。待ち合わせの喫茶店に行ってビックリ、連絡をくれた担当者やその上司を含め5人も打ち合わせに現れたのです。しかも、挨拶もソコソコに、フルカラーの分厚い資料を渡され、なぜこの研修をやることにしたのか、背景やストーリーを説明し出します。ひとりずつ順番に自分が担当するパートを。

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ところが、「ここにある〇〇とは何ですか?」「なぜ△△なのですか?」と素朴な質問をするとしどろもどろに。いちいち5人でコソコソと相談が始まります。要は、カタチだけ立派で中身がまったくつめられていない。私は、こういう仕事の仕方を“会社ごっこ”と呼ぶことにしています。

もうお分かりのように、会議で分かりやすく症状が出ているだけで、組織や仕事のやり方そのものに問題があるのです。1回の研修をやったからといって、変わる話ではありません。

結局、それを指摘してしまったために、この話は流れることになりました。早い話、コーヒー代650円で会社の大元の問題を気づかせてあげたというわけです。相手は「さすが先生、とても勉強になりました」と喜んでいましたが……。

事実を元にして適切な論点を見いだす
問題を解決する上で一番大切なことは、真の原因を見つけることでも、優れた解決策を考えることではありません。「何が問題か?」を正しくとらえることです。そこを間違ってしまっては、すべての努力が水泡に帰してしまいます。

物事を考えるに際のテーマ(お題)を「論点」(イシュー)と呼びます。まずは論点が何かをしっかりと吟味して、最善の論点を見いだすのが「論点思考」の考え方です。

論点は問い(質問文)で表すと分かりやすくなります。「どうやったら会議の生産性が上がるか?」「わが社の一番の問題は何なのか?」といった具合に。論点を設定することは、問いを立てることに他なりません。ちょっとやってみましょう。

仮に、「今月の売り上げが前年比50%ダウンした」とします。皆さんは、どのような論点を設定して問題解決を図りますか。言い方を変えると、この会社が解決すべき問題は何でしょうか。

多くの方は、「どうやったら売り上げが回復するか?」を考えると思います。ダメだとはいいませんが、事実の裏返しが必ずしも論点ではなく、他に考えられないでしょうか。

たとえば、「さらなる売り上げ低下を防ぐには?」という論点も設定できます。あるいは、「低成長下で収益体質をつくるには?」「落ち込む分をカバーする新たな事業とは?」でも構いません。いろんな問いが立てられます。果たして、どれが望ましい論点なのでしょうか。

優れた論点を選ぶ3つの条件
残念ながら、適切な論点を導くためのシステマティックな手法はありません。本稿で紹介しているすべての思考法は、論点が定まったあとで活躍するものです。「どう考えるか?」(How)の技法は山ほどあっても、「何を考えるか?」(What)は自分で見いだすしかありません。

センスを磨くための方法はあります。情報収集に努める、幅広い教養を身につける、現場感覚を持つ、いろんなことに疑問を抱くようにするなどなど。だからといって目の覚めるような問いが立てられる保証はなく、試行錯誤を繰り返すしかありません。

とはいえ、立てた問いを評価することはできます。良い問いの1つ目の条件は、論点が本質をついており、「考えるだけの価値があるか?」です。売り上げ低下の話で言えば、それが一過性でないのなら、事業構造の変革そのものを論点にするほうが賢明です。

2つ目に、「新しい視点で物事を問い直しているか?」です。論点がありきたりだと、結論もありきたりになります。マンネリ化した論点だと、取り組むファイトがわいてきません。みんなを「え!」と驚かせた上で、「ナルホド」とうならせる斬新な視点がほしいところです。

3つ目に、「自分事としてかじ取りできる論点になっているか?」です。新型ウイルスのまん延や世界の景気の落ち込みは、個人や一企業がどうこうできる話ではありません。「それらにどう対処していくか?」「苦境を逆手にとった新しい事業とは?」であれば自分事になり、コントロール可能です。たとえ難しくても、自分事として解決できる論点を設定するようにしましょう。

論点が持つパワーを高めるには?
だからといって、3つの条件を兼ね備えた論点が一発で出てくるわけではありません。まずは、思いつく論点を付箋などに書き出して、数を増やすことに専念します。視点を替えたり、抽象度を替えたり、前提を疑ったりしながら。この作業を「クエスチョン・ストーミング」と呼びます。

そうやって100個くらい論点がたまったら、先ほどの基準でふるいにかけていきます。10個くらいまで絞り込めればOK。残ったものをブラッシュアップしていきましょう。問いの文章を洗練させることで、論点が持つパワーが大きく違ってきます。

たとえば、「売り上げが回復できるか?」といったクローズド質問(Yes/No型)と、「何が回復につながるか?」といったオープン質問(5W1H型)を相互に転換する手があります。

文頭に、「我々は」「あなたは」と主体を加えると、考える人の当事者意識を高める効果があります。文末の「できるか?」(Can)「したいか?」(Will)「べきか?」(Should)「ねばならないか?」(must)によっても、問いの意味が大きく変わってきます。

あるいは、「もし(仮に)……」「あえて……」と仮定法を使うと、思考の制約を打ち破ることができます。さらに、「最高の」「究極の」「本当に」「圧倒的な」といったパワーワードを加えると、問いの力が大いに高まります。そうやって、考える意義が最も高く、みんなが心から取り組みたい思える論点をつくることが、優れた問題解決の出発点となります。』

西岡壱誠『「考える技術」と「地頭力」がいっきに身につく 東大思考』

『(2020/8/21)
その本は西岡壱誠『「考える技術」と「地頭力」がいっきに身につく 東大思考』(東洋経済新報社)。著者は現役の東大生。2年前、『「読む力」と「地頭力」がいっきに身につく東大読書』(同)で東大生の読書法をわかりやすく披露し、これがベストセラーになった。その後も『「伝える力」と「地頭力」がいっきに高まる 東大作文』(同)を刊行、東大在学のまま思考法や勉強法、その指導法などを教えるビジネスを展開する会社を起業している。

今回の本は東大生の思考法に焦点を当てる。著者は偏差値35から2浪して東大に合格した。その方法論はシンプルで、「頭のいい人のやり方、思考法をパクリまくった」のだという。その思考法を「誰でも再現可能な思考法、もともとの頭の出来に関係なく実践可能なテクニック」として5つの思考回路にまとめたのが本書だ。

著者によれば、東大生の特徴は日常生活の解像度が高いことだそうだ。だから「一を聞いて十を知る」というように物事が相互に関連づけられ、様々な視点で発想することや目的を明確にして説明したり、事の本質をとらえたりすることができる。その思考回路を著者なりに分解すると、原因思考上流思考目的思考裏側思考本質思考の5つになる。

原因思考は物事をすべて結果ととらえ、その原因は何かを知ろうとする思考法。原因を知ることで物事が関連づけられ、丸暗記せずに多くのことを覚えておけるようになる。上流思考は原因と結果より前に、そもそも何があるのかを探る思考法で、背景まで知ることで話を簡単に要約できるようになる。このように5つの思考法を相互につなげ、日常の解像度を高めて、あらゆる局面を学びにつなげることで、問題を解決できる思考力が高まっていくと著者は書く。

※ ここいら辺は、非常に参考になると思われる…。

欄外を活用して、ちょっとした思考法の練習問題を入れたり、思考法を鍛えるのに適した本のブックガイドが本文に合わせて紹介されていたり、参考書と問題集を合わせたような、きめ細かい編集になっている。仕事を始めたばかりの人や、仕事で考えがまとまらなかったり、アイデアが出なくて困っていたりする人には、自分の思考習慣を見直すきっかけになるうえ、もう一歩進んだ学びにつなげていける一冊だ。「このところ大きく売れる本が出ていないが、この本は2週続けてベストテンに入ったので注目している」と店舗リーダーの河又美予さんは話す。』

武器としての図で考える習慣

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO63070230W0A820C2000000?channel=DF030920184323

『(2020/8/28)
ビジネス街の書店をめぐりながら、その時々のその街の売れ筋本をウオッチしていくシリーズ。今回は定点観測している八重洲ブックセンター本店だ。目立った売れ筋は出ていないが、ビジネス書を含む法経書全体でみると、法律の本や実務書、資格取得の教科書などが幅広く売れて、売り上げを下支えしている。そんな中、書店員が注目するのは、ビジネスでは図で考えることが大きな武器になると説く元戦略コンサルタントの一冊だった。

その本は平井孝志『武器としての図で考える習慣』(東洋経済新報社)。著者の平井氏は現在、筑波大大学院ビジネスサイエンス系教授として経営戦略論を教える。ベイン・アンド・カンパニーやローランド・ベルガーで長く戦略コンサルタントとして数々の事業戦略や新規事業開発を手がけてきた、いわばビジネスを考えるプロだ。その著者が「図で考える」メソッドを整理し、紹介したのが本書だ。副題に「『抽象化思考』のレッスン」とある。

パワポではなく紙とペン1本で
「図で考える」と言われると、多くのビジネスパーソンがすぐ思い浮かべるのは、プレゼンテーションソフトのパワーポイントだろう。だが著者は、「パワーポイントには思考の流れを阻害する要因が潜んでいる」という。「画面の上の様々なコマンドボタンと図の往復作業で思考が寸断され、図形やフォントの選択で迷い、思考が途切れがちになります」と指摘する。「図で考える」とは、「手で考える作業であり、自分自身との対話」。「目の前の紙から意識がそれるのはダメで、図と思考をシームレスに、かつ瞬時に切り替えられる利便性があるべき」なのだ。それゆえ必要な道具は、紙1枚とペン1本と言い切る。

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上りエスカレーターを2階で降りた正面の特設ワゴンに陳列する(八重洲ブックセンター本店)
ビジネス書35冊をイラスト化 使える読書ガイド
ビジネス書コーナーのメインの平台に展示する(三省堂書店有楽町店)
アウトプットで成長を 精神科医が説く仕事術

全体は大きく2部で構成され、前半では「なぜ図を使うと考えが深まるか」を解き明かし、基礎的な図の書き方を紹介する。後半は実践編として図を書く上で役立つ4つの型を提示、思考の切り口に応じた型の使い方などを自らの経験や実際的なビジネス事例に基づいて解説していく。

基礎となるのは概念図
余計な情報がそぎ落とされ問題の本質が現れる。思考が見える化できる。ヌケモレのない全体像がとらえられる。これらが図で考えると考えが深められるポイントだ。基礎となるのは概念図。1枚の紙の上に丸や四角や線を書いていく図で、試行錯誤をしつつ、新たな着想を得たり、問題の構造を見つけたりするために書くものだ。基礎編では、この概念図で図を眺めては思考に戻り、また図に戻って思考を深めるにはどうすればよいか、そのやり方や注意点が語られる。

実践編で示される4つの型は「ピラミッド」「田の字」「矢バネ」「ループ」。それぞれ何を考えるのが得意な型なのかを説明した上で、論理の幅を広げたり深めたりするときの活用法が具体例と共に解き明かされる。図で考えるときの頭の働かせ方がよくわかる書きぶりだ。本書に収められた図は実に135枚。シンプルな図が多いので、参考にしたくなる例図集にもなっている。「思考法の本はいろいろと出ているが、図で考えるという切り口が意外に新鮮に映ったのかもしれない」と、ビジネス書を担当する川原敏治さんは話す。

コロナ後の世界情勢に高い関心
それでは、先週のランキングをみておこう。

(1)コンタクトレス・アプローチ テレワーク時代の営業の強化書 長尾一洋著(KADOKAWA)
(2)「話すのが苦手、でも人に好かれたい」と思ったら読む本 権藤優希著(きずな出版)
(3)お金って不思議。金運はこうして動き出すの ミラクルマネーの法則 尾崎友俐著(幻冬舎)
(4)サクッとわかるビジネス教養 地政学 奥山真司監修(新星出版社)
(5)大前研一世界の潮流2020~21 大前研一著(プレジデント社)
(八重洲ブックセンター本店、2020年8月17~23日)

1位はウィズコロナ時代の営業手法を説いた本。会わずに売れる営業手法を伝授する。2位は、口べたでも、人づきあいが苦手でも円滑なコミュニケーションができるようになる心の持ちようやスキルを解説した本だ。3位には、金運をつかみたい人に、そのための考え方や習慣を説いた女性起業家の本が入った。店頭の実売で上位だったのは4位と5位の本。ビジネス教養書シリーズの一冊で地政学をテーマに世界情勢をイラスト解説した本と、大前研一氏が世界の政治・経済・産業動向のこれからを読み解いた本だ。パンデミックが広がった世界がこれからどうなるのか、そこへの関心は高いようだ。今回紹介した「図で考える」思考法の本は7位だった。

(水柿武志)』

何が本当の問題か 論点をしっかり探り出す3つの条件

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO63174360Y0A820C2000000?channel=DF120320205956

※ 思考方法の話しだ…。

※ また、貼っておくか…。

『御社の本当の問題は何ですか?
会議の生産性を高めたいので、ファシリテーションのスキルを身につけさせたい。私のところに舞い込む研修の依頼の典型です。研修担当者は、会議の生産性が低いことや議事進行が下手なのが問題だと思っているのです。スキルを習得すれば解決できるのではないかと。

そう言われたら、依頼通りに研修をやればお金はいただけます。ところが、そんなことをすると、後で面倒がおきないとも限りません。大抵は問題を見誤っているからです。

先日も同様の依頼があり、会って事情を聞くことにしました。待ち合わせの喫茶店に行ってビックリ、連絡をくれた担当者やその上司を含め5人も打ち合わせに現れたのです。しかも、挨拶もソコソコに、フルカラーの分厚い資料を渡され、なぜこの研修をやることにしたのか、背景やストーリーを説明し出します。ひとりずつ順番に自分が担当するパートを。

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チコちゃん人気 「問いの深さ」が核心 

ところが、「ここにある〇〇とは何ですか?」「なぜ△△なのですか?」と素朴な質問をするとしどろもどろに。いちいち5人でコソコソと相談が始まります。要は、カタチだけ立派で中身がまったくつめられていない。私は、こういう仕事の仕方を“会社ごっこ”と呼ぶことにしています。

もうお分かりのように、会議で分かりやすく症状が出ているだけで、組織や仕事のやり方そのものに問題があるのです。1回の研修をやったからといって、変わる話ではありません。

結局、それを指摘してしまったために、この話は流れることになりました。早い話、コーヒー代650円で会社の大元の問題を気づかせてあげたというわけです。相手は「さすが先生、とても勉強になりました」と喜んでいましたが……。

事実を元にして適切な論点を見いだす
問題を解決する上で一番大切なことは、真の原因を見つけることでも、優れた解決策を考えることではありません。「何が問題か?」を正しくとらえることです。そこを間違ってしまっては、すべての努力が水泡に帰してしまいます。

物事を考えるに際のテーマ(お題)を「論点」(イシュー)と呼びます。まずは論点が何かをしっかりと吟味して、最善の論点を見いだすのが「論点思考」の考え方です。

論点は問い(質問文)で表すと分かりやすくなります。「どうやったら会議の生産性が上がるか?」「わが社の一番の問題は何なのか?」といった具合に。論点を設定することは、問いを立てることに他なりません。ちょっとやってみましょう。

仮に、「今月の売り上げが前年比50%ダウンした」とします。皆さんは、どのような論点を設定して問題解決を図りますか。言い方を変えると、この会社が解決すべき問題は何でしょうか。

多くの方は、「どうやったら売り上げが回復するか?」を考えると思います。ダメだとはいいませんが、事実の裏返しが必ずしも論点ではなく、他に考えられないでしょうか。

たとえば、「さらなる売り上げ低下を防ぐには?」という論点も設定できます。あるいは、「低成長下で収益体質をつくるには?」「落ち込む分をカバーする新たな事業とは?」でも構いません。いろんな問いが立てられます。果たして、どれが望ましい論点なのでしょうか。

優れた論点を選ぶ3つの条件
残念ながら、適切な論点を導くためのシステマティックな手法はありません。本稿で紹介しているすべての思考法は、論点が定まったあとで活躍するものです。「どう考えるか?」(How)の技法は山ほどあっても、「何を考えるか?」(What)は自分で見いだすしかありません。

センスを磨くための方法はあります。情報収集に努める、幅広い教養を身につける、現場感覚を持つ、いろんなことに疑問を抱くようにするなどなど。だからといって目の覚めるような問いが立てられる保証はなく、試行錯誤を繰り返すしかありません。

とはいえ、立てた問いを評価することはできます。良い問いの1つ目の条件は、論点が本質をついており、「考えるだけの価値があるか?」です。売り上げ低下の話で言えば、それが一過性でないのなら、事業構造の変革そのものを論点にするほうが賢明です。

2つ目に、「新しい視点で物事を問い直しているか?」です。論点がありきたりだと、結論もありきたりになります。マンネリ化した論点だと、取り組むファイトがわいてきません。みんなを「え!」と驚かせた上で、「ナルホド」とうならせる斬新な視点がほしいところです。

3つ目に、「自分事としてかじ取りできる論点になっているか?」です。新型ウイルスのまん延や世界の景気の落ち込みは、個人や一企業がどうこうできる話ではありません。「それらにどう対処していくか?」「苦境を逆手にとった新しい事業とは?」であれば自分事になり、コントロール可能です。たとえ難しくても、自分事として解決できる論点を設定するようにしましょう。

論点が持つパワーを高めるには?
だからといって、3つの条件を兼ね備えた論点が一発で出てくるわけではありません。まずは、思いつく論点を付箋などに書き出して、数を増やすことに専念します。視点を替えたり、抽象度を替えたり、前提を疑ったりしながら。この作業を「クエスチョン・ストーミング」と呼びます。

そうやって100個くらい論点がたまったら、先ほどの基準でふるいにかけていきます。10個くらいまで絞り込めればOK。残ったものをブラッシュアップしていきましょう。問いの文章を洗練させることで、論点が持つパワーが大きく違ってきます。

たとえば、「売り上げが回復できるか?」といったクローズド質問(Yes/No型)と、「何が回復につながるか?」といったオープン質問(5W1H型)を相互に転換する手があります。

文頭に、「我々は」「あなたは」と主体を加えると、考える人の当事者意識を高める効果があります。文末の「できるか?」(Can)「したいか?」(Will)「べきか?」(Should)「ねばならないか?」(must)によっても、問いの意味が大きく変わってきます。

あるいは、「もし(仮に)……」「あえて……」と仮定法を使うと、思考の制約を打ち破ることができます。さらに、「最高の」「究極の」「本当に」「圧倒的な」といったパワーワードを加えると、問いの力が大いに高まります。そうやって、考える意義が最も高く、みんなが心から取り組みたい思える論点をつくることが、優れた問題解決の出発点となります。』

「まだ大丈夫。なんとかなる」と考えたい空気が流れている

https://comemo.nikkei.com/n/n4ee9e7f0a3da

『「まだ大丈夫。なんとかなる」と考えたい空気が流れている
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池永寛明(大阪ガス エネルギー・文化研究所)
2020/08/26 11:53

“まだ大丈夫。うちとこは、なんとかなる。”
緊急事態宣言が解除されても、お客さまは帰ってこない。ソーシャルディスタンス対応でいろいろな場所の制約があるが、大丈夫、お客さまは必ず来てくれる。工場の稼働は2分の1、大丈夫、今までもうまくいった。来店客は3分の1だが、なんとかなる、イベントやキャンペーンをうったら、元に戻る。前期はオンライン講義、後期はなんとか大学の教室で対面講義したい、そうでないと来年の受験に影響する。インバウンドは当面無理だが、私のところは国内旅行客が中心だったから、落ち着いたら来てくれるはず、きっとなんとかなる…。実質的にコロナ禍に入った3月から、半年が経った。現況は厳しく、これからのことが予想できないが、「まだ大丈夫。なんとかなる」という空気が所々で流れている、なぜか。

サービスの現場は厳しい。
ある都心の飲食街では、2割の店がすでに閉じた。秋冬にかけて、さらに増えるという。それも突然の閉店が多い。経営者が行方不明となるケースもある。コロナ禍が心配、不安。「コロナ禍はこれからどうなるのか、いつまでつづくのか」「お客さまはいままでのように来てくれるのだろうか」「これから補助金が無くなったら、家賃と人件費は払えるのだろうか」「弁当や仕出しなど新しい分野に取り組んだが、やはり今までのやり方で頑張る。」「当面しんどいが、まだ大丈夫、なんとかなる」という声がでる。

今までどおりいくとは思えない。
多くの会社でテレワークが普通となって都心に通勤する人々が少なくなり、「ちょっと一杯」「親睦会」が減り、「接待」をしないできない状況がつづいている。それは3日とか1週間といった実験的トライアルではなく、1ヶ月2ヶ月3ヶ月半年つづき、それで普通となった。今までとちがう飲食スタイルとなったことは明らかであるのに、いままでどおりにお店が戻るとは思えない。

しかしこんな状況でも、厳しい業種のなかでも、売り上げをのばしている企業・店・人がいる。苦戦している企業・店ばかりではない。二極化・三極化どころではない。各社・各店バラバラになろうとする。今までのように、同じ方向に進んでいくという展開シナリオは描けない。なぜか。コロナ禍前とコロナ禍以降の前提条件が変わった。
各企業・各店舗・各人ごとに、状況はちがう。“コロナ禍前に、なにを考え、なにをしていたのか”と、“コロナ禍に入って、なにを考え、なにをしてきたのか”によって、それぞれの現在とこれからはちがってくる。にもかかわらず、“みんなと同じ”と考えようとする、そして“なんとかなる”と考えようとする。

画像1

“コロナ禍で大きく変わらない”
という「先生」たちがいる。「コロナ禍といっても、大きくは変わらない。元に戻るよ」と語る「有識者」と呼ばれる大学教授や評論家が多い。彼らの言説は対症療法、その場対応の方法論や一般論が多く、参考にならない。「過去」に生きる先生方にとって、コロナ禍にあてはめる「過去」が見当たらず、機能不全をおこしている。
みんな同じことをいう。テレビやオンライン講義で社会的不安をあおることを避けようとしているのかもしれないが、市場・社会の現場に立っていない先生たちは「現在」がどのように成り立ち、構造が変化していこうとしているのかというメカニズムをつかめないので、人の心を打つことを語れない。

画像3

社会観・市場観・生活観がずれている。
「観」はその人・その組織がそれまで取り組んできた事柄や試行錯誤によってつくられる。現在は過去に埋めこまれている。自分・自組織だけ見て、他人・他組織・市場を見ていないと、全体が見えてこない。内と外の過去から現在の流れを見つめ、「変化」を読み解かないと、未来は見えない。
いつからか、日本は全体がどうなっているのか、過去から現在の時間軸でどうなったのかをつかみ、なにをすべきかを考えないようになった。

虫の目で自分・自組織の現在を見てばかりいては、未来は見えない。市場全体の現在がなぜそうなったのかという構造と関係性をつかまないと、未来は見えない。鳥の目で見れなくなった日本人。部分ばかり見て、全体が見えなくなった。「鳥」と「魚」の目で、市場全体を俯瞰して過去から現在の流れと構造をつかまないと、未来が拓けない。あきらかにコロナ禍前からコロナ禍に大断層(リセット)がおこっている。にもかかわらず今までどおりで、「なんとかなる」わけがない。』

ひとつ上の視点からモノ考える 大切なビジネス思考法 第1回 メタ思考

『ところが、同じやり方で考えても、さほど違った答えはでてきません。同じ考え方の人が集まって議論をしても、目新しい結論は期待薄です。それどころか、何度やっても同じ結論になり、「ほらやっぱりこれでいいんだ」と、余計に慣れ親しんだ考えから離れられなくなります。

つまり、「よく考えろ」と言われたら、まずは考え方そのものを点検し、それとは違う考え方をしなければいけません。思考法を切り替えないと、よく考えたことにならないのです。』
『そこで質問です。皆さんは、どれくらい考え方のバリエーションをお持ちでしょうか。たとえば「思考法」と呼ばれる考え方のメソッドをどれくらい使いこなせますか。その数が少ないから、いつもワンパターンの答えしか出せないのではありませんか。』
『知識や情報をいくら集めても、それ自体が答えを出してくれるわけではありません。KKD(勘・経験・度胸)に頼っていたのでは、新たな問題に対処できなくなります。今私たちに求められているのは、思考法を巧みに駆使すること。それがあって初めて、適切な答えが見いだせます。』
『一つ簡単な例を挙げましょう。先ほど、「よく考えるとは何をすることなのか?」という問いを立てました。このような考え方を「メタ思考」と呼びます。

メタ思考とは、物事を一つ(以上)の上の立場から俯瞰(ふかん)して考える思考法です。このケースで言えば、上司から「よく考えろ」と指示をされたときに、

・「何をすればよく考えたことになるのか?」(定義、状態など)
・「何のためによく考えないといけないのか?」(意味、目的など)
・「よく考えることで何が生まれるのか?」(効用、便益など)
を考えるようにします。分かりやすく言えば、“そもそも論”です。物事を考える前に、「何を考えるのかを考える」ことで、テーマ自体を問い直すのです。あたかも、2人の会話を天井から第三者の視点で眺めて見ているようにして。』
『メタ思考を駆使すれば、物事の本質や気がつかなかった食い違いが発見できます。これこそがメタ思考の一番の効果です。』
『〔俯瞰的に考えれば本当の解決策が見つかる〕
メタ思考が役に立つもう一つの場面があります。意見が対立しているときです。皆さんに簡単なクイズを出しますので、先を読む前に一度考えてみてください。

孫娘がかわいくて仕方がないお婆ちゃんは、ねだられるままにオモチャを買ってあげます。そうやって甘やかすせいで、娘は母親の言うことをちっとも聞きません。「やめてちょうだい!」と何度も言うのに、お婆ちゃんは知らん顔。どうすれば、両者の対立が解消できるでしょうか。

すぐに思いつくのは、購入量(金額や回数)を減らしたり、購入するものを限定したりして、両者痛み分けにする案です。悪くはありませんが、満たしきれなかった欲求が火種となって、問題が再燃する恐れがあります。

こんなときこそ、メタ思考で考えてみましょう。両者の言い分を俯瞰的に見た上で、共通する関心事を見つけ出すのです。』
『たとえば、「何のためにお婆ちゃんはオモチャを買うのか?」「お母さんは何を嫌がっているのか?」を考えてみます。多分、お婆ちゃんは孫娘をかわいがりたいだけです。甘やかさない方法でできればお母さんから文句が出ません。遊園地に連れていったり、大好きな料理をつくってあげたり。

さらに、もう一段レベルを上げてみましょう。「なぜ、お婆ちゃんはそんなに孫娘をかわいがりたいのか?」を考えてみるのです。

ひょっとすると、お婆ちゃんは寂しさを紛らわせたくて、何か生きがいを求めているのかもしれません。だったら、新しい趣味を持つ、ペットを買う、友人との交流を増やすなどの手が考えられます。これならお母さんも大歓迎。お婆ちゃんの問題解決にお母さんが協力することもできます。

こんなふうに、メタ思考で使うことで、両者の対立を超えた本当の解決策が見えてきます。両者の言い分を俯瞰的に眺めるメタ思考ならではの技です。』
『〔考え方の変革は生き方の変革につながる〕
こんな風に、本連載では問題解決に役立つ思考法を、哲学、心理学、教育学、経営学など幅広いジャンルから集め、応用事例とともに分かりやすく紹介していきます。

心に響いたものがあれば、とにかく一度使ってみてください。思考法を知っているだけでは意味がなく、使ってみないと自分のものになりません。そうやって、考え方の引き出しを少しずつ増やしていくのが上達の近道です。

私たちは、日々あふれかえるほどの問題に直面しています。しかも、問題が複雑化・高度化する一方で、一筋縄では対処ができない問題が山積しています。

残念ながら、すべての問題がスッキリと解決できる魔法の方法はありません。いろんなやり方を駆使して、トライ&エラーで進めていくしか手がありません。そのためには、思考法のバリエーションを増やし、試行錯誤の回数を増やすしかないのです。

「人間は考える葦(あし)」(パスカル)であり、考えることは生きることです。多彩な思考法を習得することで、働き方や人との関わり方、ひいては生き方やあり方を見直すキッカケとなれば幸いです。』

 ※ オレがいつも言っている、「世界は、層構造になっている。」にも通じるような話しだ…。
 目先の「現象」にのみ囚われるのでは無く、常に「それが拠って来たるところ」(その現象の、発生原因となっていること)を抽出するように考え続けること…、そういう「頭の働かせ方」が大切なんだ…。
 そして、「その抽出したもの」が、他の「現象」へ適用できるのか…、どの程度の「応用範囲」があるのか、常に「現象」に適用してみて「確かめる」こと…。そうやって、「抽出したもの」の精度を磨いて行くんだ…。