『無理ゲー社会』橘玲に聞く 「自分らしく生きる」が生んだ絶望

『無理ゲー社会』橘玲に聞く 「自分らしく生きる」が生んだ絶望
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00290/091500019/?n_cid=nbpnb_mled_mre

 ※ 残念ながら、読んでも「課題解決」「問題解決」には、あまり役立たない…。

 ※ 「問題提起」「課題提起」本だな…。

 ※ それと、「覆面作家」ということだから、「一人で書いている」とは限らないよな…。「橘玲」という「チーム」かもしれない…。

 ※ 特に、こういう「社会派もの」「社会問題提起もの」は、チームによる「役割分担」になじみやすい…。

 ※ 全体の構成考える「企画・立案班」、足で稼ぐ「取材班」、それを統括して一本にまとめる「文章作成班」…。ざっと考えても、この程度は思いつく…。

 ※ 「田中角栄研究 その金脈と人脈」で名高い「立花隆」さんも、「チーム」を編成していた…、という情報を最近見た…。

 ※ 大体、世の中そういうもの…、と思っておいた方がいい…。

 ※ 参考になったのは、『『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)に書いたのですが、人生の土台には「金融資本(お金)」「人的資本(働いて労働市場からお金を手に入れるための資本)」「社会資本(人間関係)」の3つの資本があると考えています。この3つの資本を持っていれば、人生はある程度うまくやっていくことができる。

 3つの資本の中で、最もシンプルなのは金融資本です。攻略は難しいけれど、理屈は単純で理解しやすい。その次が人的資本(働き方)で、最も難しいのが社会資本です。著作で扱う内容も、その3つの資本の区分に沿って、だんだん難易度が高いところへと進んできたわけです。 』という部分が一つ…。

 ※ 『しかし、皆が気づいていない本当の問題は、次にやってくる「評判格差社会」です。国家はイーロン・マスクから税を徴収できますが、6000万人のTwitterのフォロワーを移転することはできない。「お金は分配できても評判を分配することはできない」という問題に対して、これまで解を出せた人はいません。』という部分が、もう一つ…。

 ※ これを言ってる人に、初めてお目にかかった…。

 ※ しかし、もっと「根源的な問い」を問うて、思索するべきなのでは…。

 ※ 「そもそも、人の”幸福”って何?」…。

 ※ 「”評判”って、Twitterのフォロワー数で測れるものなの?」…、とかな…。

富士山に登ると、人生観が一変する

富士山に登ると、人生観が一変する
https://blog.tinect.jp/?p=72365

 ※「やった人生」と、「やらない人生」の絶対的な隔絶…。

 ※ これは、たぶん、本当だ…。

 ※ ただ、人生、「やった」結果、破滅(玉砕)するということもある…。

 ※ それもまた、人生の「真実」だ…。

『これに加えて富士山に登る事で何が得られるかといえば、やった人生とやらない人生の可視化である。

これは内在感覚としても間違いなく己の内に宿る。

例えば今後、僕が新幹線や飛行機でもって眺める富士山の景色は、富士山に登る前にみた景色とは完全に異なったものとなる。

外からみた富士山は銭湯の絵みたいだけど、あれを見ながら殺風景な岩景色や山頂の青さと白さを想起できるのは、登った事がある人間だけだ。

外側の美しさと内面の殺風景さ。

この二面性は実際に登った人だけが得られる心の目である。

文字や映像では絶対に得ることができない。

単に美しい景色や知識といったものなら誰でも得ることができるけど、この真理だけは富士山に登った事がある人間しか手に入れる事ができない。

ここにある種の人生の本質がある。

世の中にはこういった類のモノが実にたくさんある。

傍観する人生と、やる人生。あなたはどちらがお好きですか?

経験はとても尊く、人生をとても色鮮やかにしてくれる。

例え話を一つしよう。学園の美しいマドンナをみて

「あんな美しい人と付き合えたら死んでもいい」

というだけの傍観する人生と

実際に勇気を出して告白し、付き合って結婚し、子供を産み育て

「いや、まあ実際に腰を据えて付き合うとなると、結構大変だったよ」

と言う人生。

富士山を登ったか登らないかは、この2つの人生と同じぐらいの格差がある。

この理論を頭で理解するのは誰にでもできるかもしれないが、心の底から理解できるのは”やった側”の人間だけだ。

「富士山は外から眺める山であって、登ってて楽しい山ではない」

実際に、登った人がそういう感想を持つのはいい。

それはその人にとっての真理だからだ。

ただ、やってもいないくせに「富士山に登る意味なんてない。単なる殺風景な山でしか無いんだし」と斜に構え、したり顔でもって”やらない”人生を堂々と主張し始めるのは、とても損だ。

そういう態度は人生を物凄く毀損する。

富士山に登れば、あなたは今すぐにでも”やった側”に立つ事ができる。

そう考えると、なんだか登らない事が物凄く損に思えてこないだろうか?

さあ、あなたも富士山に登ってみよう。大丈夫、絶対に損はしないから。』

屏風(びょうぶ)の数え方 : 知っていると教養人っぽい!?

屏風(びょうぶ)の数え方 : 知っていると教養人っぽい!?
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h01096/

『「一■の屏風が、宴席に華やかさを添えた」――さて、■に入る漢字はなんでしょう。「枚」でも「個」でもありません。知らなくても生きていけるけれど、知っているとちょっと使ってみたくなる。 

屏風(びょうぶ)の「屏」は「おおって防ぐ」「さえぎる」などの意味。もともとは、風をさえぎり、外からの視線を避けるための道具だったが、平安時代の頃から屏風に絵を描くことで、芸術的な価値のある調度品として発展した。

現代の一般家庭には無縁の存在だが、高級な旅館に泊まったり、ホテルの宴会場などでは目にすることも。うっかり「素晴らしい屏風が2枚飾ってありました」などと言って恥をかかないための基礎知識。

屏風は「扇(せん)」と呼ばれる縦長の画面を6枚つなぎ合わせた「六曲屏風」が基本形。右側が「第一扇」で、左へと視線を動かすことを想定して描かれている。「二曲」「四曲」「八曲」と画面の数にはバリエーションがある。

屏風を数える単位は「隻(せき)」。ちなみに「隻」は単数を示す助詞で、「隻眼の武将・伊達政宗」のように、「本来は対であったものの片側」を指す言葉。

六曲一隻

「二隻」の屏風で一組になっているものを「一双(いっそう)」という。

江戸時代初期に俵屋宗達(たわらや・そうたつ)が描いた「風神雷神図」は、最も有名な屏風絵と言っていいだろう。向かって右の「右隻(うせき)=風神」から「左隻(させき)=雷神」へと視線を動かして鑑賞する。

二曲一双

京都・建仁寺「風神雷神図」(高精細複製品 / 国宝である本物は国立京都博物館に寄託されている)(PIXTA)

バナー写真 :PIXTA

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美術館』

〔東照公御遺訓〕

https://www.toshogu.or.jp/about/goikun.php

 ※ この「御遺訓」を、拳々服膺したところで、「お金が、足りない…。」事態は、如何ともならない…。

 ※ しかし、なにがしかの「足し」には、なるだろう…。

 ※ 個人の場合、「時間を味方につけること」が可能だ…。

 ※ 「分かりきっている」ことには、あらかじめ「手を打って」、長い年月をかけて、備えよう…。

 ※ それと、若いうちから、万事「安上がり」なように、自分を躾けよう…。

 ※ よく「清貧」を馬鹿にする向きがあるが、自分の生活の「収支」の管理ができないのは、アホウに過ぎない…。

 ※ そういうヤツに限って、「一攫千金」狙いに出て、ビットコインみたいなものや、リスク資産、先物の相場なんかに手を出して、スッテンテンになったりするわけだ…。

 ※ ゆめゆめ、そういうハメに陥っては、ならん…。

人の一生は重荷(おもに)を負(をひて)遠き
道をゆくが如し いそぐべからず

不自由を常とおもへば不足なし

こころに望(のぞみ)おこらば困(こん)窮(きゅう)したる
時を思ひ出(いだ)すべし

堪忍(かんにん)は無事(ぶじ)
長久(ちょうきゅう)の基(もとい) いかりは敵とおもへ

勝事(かつこと)ばかり知しりてまくる事をしら
ざれば害(がい)其(その)身(み)にいたる おのれ
を責せめて人をせむるな 

及ばざるは過すぎたるよりまされり

香港紙創業者の保釈認めず 香港最高裁

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM014OX0R00C21A2000000/

『【香港=木原雄士】香港終審法院(最高裁)は9日、香港国家安全維持法違反で起訴され収監中の香港紙創業者・黎智英(ジミー・ライ)氏の保釈を認めない決定を下した。保釈を認めた高等法院(高裁)の決定を不服とする検察当局の上訴を認めた。黎氏の収監は長引く可能性がある。

黎氏は2020年12月に詐欺罪や外国勢力に中国への制裁を求めたとして起訴され、刑事施設に収監された。高裁は保釈金支払いや自宅滞在を条件にいったん保釈を認めたものの、同12月末の最高裁の決定で再び収監されていた。

黎氏の保釈をめぐっては中国共産党の機関紙、人民日報(電子版)が「反乱分子は中国本土で法律の懲罰を必ず受けるべきだ」と批判し、中国当局の介入を示唆した。香港国家安全法には起訴後の保釈を制限する規定があり、検察当局は安易な保釈を認めるべきではないと主張していた。

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音声SNSのクラブハウス、中国で利用規制か

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM08BGA0Y1A200C2000000/

 ※ 自由に、「ものが言えん。」ということは、自由に「ものが考えられん。」ということだ…。

 ※ 自由に「ものが考えられん」で、「生きてる価値」「人としての価値」は、あるのか…。

 ※ 「権威主義」とやらは、根本的に、そこのところを「省みないと」な…。

『【香港=木原雄士】米企業が運営する音声SNS(交流サイト)の「Clubhouse(クラブハウス)」が8日夜、中国本土で利用できなくなった。複数の香港メディアが報じた。ウイグルやチベットなど政治的に微妙なテーマも自由に議論できるとして話題になっていたが、中国当局が規制に乗り出した可能性がある。

クラブハウスは招待制のSNSで「room」と呼ばれるテーマごとの部屋で参加者が音声だけの会話を楽しむ仕組み。米テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)が参加し、中国でも急速に注目度が高まっていた。

中国当局は国内でフェイスブックやツイッターといったSNSの利用を制限し、ネット上の言論も厳しく統制している。クラブハウスは当局の監視が及ばない例外的なSNSとみられていたが、8日午後7時(日本時間午後8時)ごろから使えないという報告が相次いだ。

ロイター通信によると、規制前のクラブハウスでは、中国語の利用者が新疆ウイグル自治区の収容所や台湾の独立、香港国家安全維持法などの政治的なテーマを議論していた。

多様な観点からニュースを考える
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村上臣
リンクトイン日本代表
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別の視点 1ヶ月後くらいには、中国版Clubhouse(コピー版)が出てくるでしょう。これまでも検索やTwitter、Youtubeといった米国発の革新的なアプリは拡大すると規制され、当局のポリシーに沿った現地版が開発されるということを繰り返してきました。それが国内の膨大なユーザーの利用を経てブラッシュアップされ、本家を超えた利便性を持って国際版として輸出される。そのような未来もあるのかもしれません。
2021年2月9日 9:34いいね
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青山瑠妙
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科 教授
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ひとこと解説 音声だけで会話するクラブハウスアプリのおかげで、世界のどこからかわからないが、見知らぬ人たちが中国語で政治を熱く語っていた。朝顔の花一時のような自由であったが、中国の若者から惜しまれる声が多く聞かれている。
2021年2月9日 8:22 (2021年2月9日 8:35更新)
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小平龍四郎
日本経済新聞社 編集委員
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ひとこと解説 軍政下のミャンマーでもヤンゴンで働く方々がクラブハウスで毎晩、現地の情勢を発信しています。東南アジア各地や日本の学生がそれに耳を傾け、「明日は何が起きるのか」と警戒を強めています。クラブハウス参加者の中には「軍当局に聞かれるとまずいのであまりはっきり言えないのですが・・・」と前置きをした上で発言する方もいらっしゃいます。
逆に言えば、それだけ生々しい現実や鋭い批判が飛び交っているということ。中国の規制は、音声SNSの力やパワーを認めたことにもなります。アンドロイド版も出たら、所得の低い発展途上国でも利用者が広がるのではないでしょうか。
2021年2月9日 8:35いいね
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‘「クィーンズ・ギャンビット」再び’

http://blog.livedoor.jp/goldentail/

※ 「机上空間」さんが、再度「クィーンズ・ギャンビット」について、書いておられる…。

※ 今度は、内容に踏み込んでの、「感想」のようだ…。

※ 前にも言ったが、そっち方面はからっきし…、ではある者である…。

※ それでも、そういう「感想」を持たれた氏の、「人間としてのヒダヒダ」は、十分に感じ取れる…。

※ 却って「抜き出し」は、そういう「香り」を損ねる嫌いがあると考えるので、引用は二節だけにとどめておく…。

※ 『数々の名シーンで構成される「クィーンズ・ギャンビット」ですが、私が一番印象に残っているのは、初対戦の前に、偶然、ベスがボルコフ一行とエレベーターに乗り合わせるシーンです。ボルコフ達は、ベスに気がついていますが、ロシア語が判らないと思って、ズケズケと言いたい放題を言います。ベスは、ソ連の優れたチェスの研究書を読む為に、ロシア語をマスターしていたので、会話が理解できました。寡黙に周りの話を聞いていたボルコフですが、最後に「彼女も我々と同じだ。これ以外に生きる術が無い」と呟いて、エレベーターを降ります。

ボルコフらのチェスプレイヤーには、監視として常にKGBの人間が付きまとっていて、国の面子の為にチェスをやらされている不自由さから、自立する為にチェスで勝ち続けるしかないベスに、同類の匂いを嗅ぎ取っていたのでしょう。いいシーンです。』

 ※ 『勝負がついた後、ベスは空港へ向かう車から「少し歩きたい」と申し出て降りるのですが、公園で楽しみの為に屋外で辻チェスをする現役を引退した老人達のいる場所に向かいます。この時のファッションは、完全に白のクィーンを彷彿とさせる出で立ちです。栄光や自己実現や面子の為ではなく、楽しみの為にチェスを指す老人の群れの中で、「ぜひお手合わせを」と試合を始めるところで、ドラマは終わります。』

ドラマ 「クィーンズ・ギャンビット」 : 机上空間

http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/24817154.html

※ 久々で、「机上空間」さんのサイトから紹介する…。

※ 米国大統領選の「混乱」を見て、「民主主義」というものの将来に、深い失望を覚えられたようで、暫くお休みなさっていたようだった…。

※ しかし、最近、また活動を再開されたようだ…。

※ オレ自身は、「将棋」や「チェス」や「囲碁」と言ったものには、全く疎く、そっち方面は、からっきしだ…。

※ しかし、「人生」というものや、「人間性の本質」といったものに触れている、含蓄深い話しが語られていると思うので、一部を紹介する…。

 『女性を主人公にする事で、ドラマとしては、さらに深みを増す演出になっています。というのは、チェス大会は、当時としては珍しく実力だけで勝負がかけられる世界で、ローカルな地方の大会は別にして、メジャーな大会では男子の部・女子の部という区分けがありません。年齢の制限も無くなるので、少年対老人といった対戦も普通に起きます。レーティングという戦果を表す数字が、評価の全てなので、その他の要素は考慮の外なのです。』

『それゆえ、チェスに魅了された選手というのは、敗北感で心理的に打ちのめされる事が多く、心を病む人が絶えないんですね。物凄くIQが高く、思考力においては優れている人々なのですが、容赦の無い勝負の世界での挫折感で、アルコール中毒や、家庭崩壊で廃人になる率が高い世界です。それでも、まるでパチンコ中毒のように、チェスを止められないのです。その上、男女差が無いとは言え、当時、趣味以上に没頭する女性プレイヤーは皆無の状態で、完全な男性社会です。それゆえ、ドラマの設定としては盛り上がるわけですね。』

『題名になっている「クイーンズ・ギャンビット」ですが、ギャンビットというのは、ポーンを敢えて犠牲にする事で、駒の展開や陣形を優位に整えるオープニング全般を指す言葉です。ポーンはチェスにおいて、「兵卒」と訳される自陣から見て2列目に8個並ぶ、前進しかできず、斜め前の駒しか取れない駒の事です。犠牲にするポーンをどれにするかで名前が付いていて、クィーンの駒の前にある白のポーン(チェスでは先手が白と決まっています)を、2マス進めてd4という盤面の位置へ動かす事から始まる展開を、クィーンズ・ギャンビットと言います。

ポーン(特徴の無い平凡な駒)を犠牲にして、クィーン(オールマイティーに前後斜め全ての方向へ動ける駒)を活かすクィーンズ・ギンビットは、このドラマで最初期の導師的立ち位置の用務員の老人から少女のヒロインに向けられる「才能は犠牲を要求する。お前の中には大きな怒りがある」という言葉と呼応しています。チェス以外に興味を示さなくなったヒロインは、実力で活路を切り開くのと引き換えに、一般的な生活や魂の平穏、幸福からどんどんと遠ざかっていきます。』

『ちなみに、フィッシャーの要求した賞金の100万ドルですが、金銭欲からではなく、敬意を表すのに、フィッシャーが賞金の金額以外の手段を知らなかった為と言われています。それくらい、浮世離れした生活をしていたわけです。後に、この出来事が縁で知り合ったツィタにフィッシャーは求婚しているのですが、これは断られています。ツィタによると「チェスの世界を極めるということは、他の全てを諦める事と同義なのを、フィッシャーを見ていて感じた。自分には無理である事を思い知った」と語っています。』

『クィーンズ・ギャンビットの題名は、このチェスの神様と言われた人物が生きた人生が語る「突出した才能は大いなる犠牲を伴う」を暗示しています。ドラマ中盤での栄光と反比例するヒロインの生活の荒れっぷりは、まさにフィッシャーの伝聞される人生を投影しているかのようです。』