プロパガンダ

プロパガンダ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80

『この項目では、宣伝手法について説明しています。その他の用法については「プロパガンダ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
曖昧さ回避 「プロパンガス」とは異なります。
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詐欺 情報操作 プロパガンダ

表話編歴

プロパガンダ(羅: propaganda)は、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為のことである。

「ボリシェヴィキの自由」 – 裸の戯画化されたレフ・トロツキーが描かれた、ポーランド・ソビエト戦争でのポーランド側の反共プロパガンダポスター。ソビエト政権下で多数の人民が虐殺されたことを風刺している。

概要

情報戦、心理戦もしくは宣伝戦、世論戦と和訳され、しばしば大きな政治的意味を持つ。政治宣伝ともいう。最初にプロパガンダと言う言葉を用いたのは、1622年に設置されたカトリック教会の布教聖省 (Congregatio de Propaganda Fide、現在の福音宣教省) の名称である[1]。ラテン語の propagare(繁殖させる、種をまく)に由来する。

観念

あらゆる宣伝や広告、広報活動、政治活動はプロパガンダに含まれ[1]、同義であるとも考えられている[2]。利益追求者(政治家・思想家・企業人など)や利益集団(国家・政党・企業・宗教団体など)、なかでも人々が支持しているということが自らの正当性であると主張する者にとって、支持を勝ち取り維持し続けるためのプロパガンダは重要なものとなる。対立者が存在する者にとってプロパガンダは武器の一つであり[3]、自勢力やその行動の支持を高めるプロパガンダのほかに、敵対勢力の支持を自らに向けるためのもの、または敵対勢力の支持やその行動を失墜させるためのプロパガンダも存在する。

本来のプロパガンダという語は中立的なものであるが、カトリック教会の宗教的なプロパガンダは、敵対勢力からは反感を持って語られるようになり、プロパガンダという語自体が軽蔑的に扱われ、「嘘、歪曲、情報操作、心理操作」と同義と見るようになった[1]。このため、ある団体が対立する団体の行動・広告などを「プロパガンダである」と主張すること自体もプロパガンダたりうる。

またプロパガンダを思想用語として用い、積極的に利用したウラジーミル・レーニンとソビエト連邦や、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)とナチス・ドイツにおいては、情報統制と組み合わせた大規模なプロパガンダが行われるようになった[注釈 1]。そのため西側諸国ではプロパガンダという言葉を一種の反民主主義的な価値を内包する言葉として利用されることもあるが、実際にはあらゆる国でプロパガンダは用いられており[1]、一方で国家に反対する人々もプロパガンダを用いている[4]。あらゆる政治的権力がプロパガンダを必要としている[5]。

なお市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)は、戦争や人種差別を扇動するあらゆるプロパガンダを法律で禁止することを締約国に求めている[6]。

報酬の有無を問わず、プロパガンダを行なう者達を「プロパガンディスト(propagandist)」と呼ぶ[7]。

プロパガンダの種類

プロパガンダには大別して以下の分類が存在する。

ホワイトプロパガンダの例。痴漢の撲滅を目的とした大阪府警による中吊り広告。

ホワイトプロパガンダ
情報の発信元がはっきりしており、事実に基づく情報で構成されたプロパガンダ[1]。
ブラックプロパガンダ(英語版)
情報の発信元を偽ったり、虚偽や誇張が含まれるプロパガンダ[1]。

グレープロパガンダ
発信元が曖昧であったり、真実かどうか不明なプロパガンダ[1]。

コーポレートプロパガンダ
企業が自らの利益のためにおこなうプロパガンダ。

カウンタープロパガンダ
敵のプロパガンダに対抗するためのプロパガンダ[1]。

プロパガンダ技術

アメリカ合衆国の宣伝分析研究所(英語版)は、プロパガンダ技術を分析し、次の7手法をあげている[8]。

ネーム・コーリング 攻撃対象をネガティブなイメージと結びつける[注釈 2]。

恐怖に訴える論証

カードスタッキング 自らの主張に都合のいい事柄を強調し、都合の悪い事柄を隠蔽、または捏造だと強調する。

バンドワゴン その事柄が世の中の趨勢であるように宣伝する[注釈 3]。 衆人に訴える論証

証言利用 「信憑性がある」とされる人に語らせることで、自らの主張に説得性を高めようとする。 権威に訴える論証

平凡化 その考えのメリットを、民衆のメリットと結びつける。

転移 何かの威信や非難を別のものに持ち込む[注釈 4]。

華麗な言葉による普遍化 対象となるものを、普遍的や道徳的と考えられている言葉と結びつける。

また、ロバート・チャルディーニ(英語版)は、人がなぜ動かされるかと言うことを分析し、6つの説得のポイントをあげている。これは、プロパガンダの発信者が対象に対して利用すると、大きな効果を発する[9]。

返報性 人は「利益が得られる」という意見に従いやすい。

コミットメントと一貫性 人は自らの意見を明確に発言すると、その意見に合致した要請に同意しやすくなる。

また意見の一貫性を保つことで、社会的信用を得られると考えるようになる。

社会的証明 自らの意見が曖昧な時は、人は他の人々の行動に目を向ける。

好意 人は自分が好意を持っている人物の要請には「YES」という可能性が高まる。 ハロー効果

権威 人は対象者の「肩書き、服装、装飾品」などの権威に服従しやすい傾向がある。
希少性 人は機会を失いかけると、その機会を価値のあるものであるとみなしがちになる。

ウィスコンシン大学広告学部で初代学部長を務めたW・D・スコットは、次の6つの広告原則をあげている[10]。

訴求力の強さは、その対象が存在しないほうが高い。キャッチコピーはできるだけ簡単で衝撃的なものにするべきである。

訴求力の強さは、呼び起こされた感覚の強さに比例する。動いているもののほうが静止しているものより強烈な印象を与える。

注目度の高さは、その前後に来るものとの対比によって変わる。

対象を絞り、その対象にわかりやすくする。

注目度の高さは、目に触れる回数や反復数によって影響される。

注目度の高さは、呼び起こされた感情の強さに比例する。

J.A.C.Brownによれば、宣伝の第一段階は「注意を引く」ことである。

具体的には、激しい情緒にとらわれた人間が暗示を受けやすくなることを利用し、欲望を喚起した上、その欲望を満足させ得るものは自分だけであることを暗示する方法をとる[11]。またL.Lowenthal,N.Gutermanは、煽動者は不快感にひきつけられるとしている[12]。

アドルフ・ヒトラーは、宣伝手法について「宣伝効果のほとんどは人々の感情に訴えかけるべきであり、いわゆる知性に対して訴えかける部分は最小にしなければならない」「宣伝を効果的にするには、要点を絞り、大衆の最後の一人がスローガンの意味するところを理解できるまで、そのスローガンを繰り返し続けることが必要である。」と、感情に訴えることの重要性を挙げている[13]。

また「大衆は小さな嘘より大きな嘘の犠牲になりやすい。とりわけそれが何度も繰り返されたならば」(=嘘も百回繰り返されれば真実となる)とも述べた。

杉野定嘉は、「説得的コミュニケーションによる説得の達成」「リアリティの形成」「情報環境形成」という三つの概念を提唱している。また敵対勢力へのプロパガンダの要諦は、「絶妙の情報発信によって、相手方の認知的不協和を促進する」事である、としている[13]。

歴史

有史以来、政治のあるところにプロパガンダは存在した。ローマ帝国では皇帝の名を記した多くの建造物が造られ、皇帝の権威を市民に見せつけた。

フランス革命時にはマリー・アントワネットが「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と語ったとしたものや、首飾り事件に関するパンフレットがばらまかれ、反王家の気運が高まった。

プロパガンダの体系的な分析は、アテネで紀元前6世紀頃、修辞学の研究として開始されたと言われる。自分の論法の説得力を増し、反対者への逆宣伝を計画し、デマゴーグを看破する技術として、修辞学は古代ギリシャ・古代ローマにおいて大いに広まった。修辞学において代表的な人物はアリストテレス、プラトン、キケロらがあげられる。古代民主政治では、これらの技術は必要不可欠であったが、中世になるとこれらの技術は廃れて行った。

テレビやインターネットに代表される情報社会化は、プロパガンダを一層容易で、効果的なものとした。わずかな費用で多数の人々に自らの主張を伝えられるからである。現代ではあらゆる勢力のプロパガンダに触れずに生活することは困難なものとなった。

国家運営におけるプロパガンダの歴史

プロパガンダは独裁国家のみならず民主主義国家でも頻繁に行われる。写真は第二次世界大戦中にドイツ・日本の枢軸軍を「自由の女神を破壊する悪魔」として描き、戦争の大義を説こうとするアメリカ合衆国のポスター。「どうにも止まらないこの怪物を止めろ……限界まで生産せよ! これはあなたの戦争だ!」と呼びかけている。

国家による大規模なプロパガンダの宣伝手法は、第一次世界大戦期のアメリカ合衆国における広報委員会が嚆矢とされるが、ロシア革命直後のソ連[14]で急速に発達した。

レーニンは論文[15]でプロパガンダは「教育を受けた人に教義を吹き込むために歴史と科学の論法を筋道だてて使うこと」と、扇動を「教育を受けていない人の不平不満を利用するための宣伝するもの」と定義した。

レーニンは宣伝と扇動を政治闘争に不可欠なものとし、「宣伝扇動」(agitprop)という名でそれを表した。十月革命後、ボリシェヴィキ政権(ソビエト連邦)は人民に対する宣伝機関を設置し、第二次世界大戦後には社会主義国に同様の機関が設置された[16]。

またヨシフ・スターリンの統治体制はアブドゥルアハマン・アフトルハーノフ(英語版)によって「テロルとプロパガンダ」の両輪によって立っていると評された[17]。

1930年代にドイツの政権を握った国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は、政権を握る前から宣伝を重視し、ヨーゼフ・ゲッベルスが創刊した「デア・アングリフ」紙や、フェルキッシャー・ベオバハター紙による激しい言論活動を行った。また膨大な量のビラやポスターを貼る手法や、突撃隊の行進などはナチス党が上り調子の政党であると国民に強く印象づけた。

ナチ党に対抗した宣伝活動を行ったドイツ共産党のヴィリー・ミュンツェンベルク(ドイツ語版)は、著書『武器としての宣伝(Propaganda als Waffe)』において「秘密兵器としての宣伝がヒトラーの手元にあれば、戦争の危機を増大させるが、武器としての宣伝が広範な反ファシズム大衆の手にあれば、戦争の危険を弱め、平和を作り出すであろう」と述べている[18]。

ナチス党が政権を握ると、指導者であるアドルフ・ヒトラーは特にプロパガンダを重視し、ゲッベルスを大臣とする国民啓蒙・宣伝省を設置した。宣伝省は放送、出版、絵画、彫刻、映画、歌、オリンピックといったあらゆるものをプロパガンダに用い、ナチス党によるドイツとその勢力圏における独裁体制を維持し続けることに貢献した。

第二次世界大戦中は国家の総動員態勢を維持するために、日本やドイツ、イタリアなどの枢軸国、イギリスやアメリカ、ソ連などの連合国を問わず、戦争参加国でプロパガンダは特に重視された。終戦後は東西両陣営の冷戦が始まり、両陣営はプロパガンダを通して冷たい戦争を戦った。特に宇宙開発競争は、陣営の優秀さを喧伝する代表的なものである。
1950年代、中華民国政府(台湾政府)が反共文芸を推奨し、趣旨に共鳴した「中華文芸奨金委員会(中国語版)」が活躍していた。

プロパガンダポスター

満州国を天国、中国を地獄と表現したポスター

日本人を戯画にした、アメリカ人の勤労意欲を刺激する為のプロパガンダポスター、第二次世界大戦中。訳:どうぞ休みを取って下さい!

ヴィーンヌィツャ大虐殺の事実を以って共産主義の暴虐性を強調する反共主義のプロパガンダポスター 下端の文字はロシア語読みで「ヴィーニツィア」と書かれている

バターン死の行進の事実を以って旧日本軍の暴虐性を強調するアメリカのプロパガンダポスター。『あなたはこれにどう抵抗する? 日本兵がフィリピンにて捕虜5200名を虐殺。残酷な「死の行進」の詳細。人殺しジャップを殲滅するまで仕事を全うしよう!』

日本軍による日華基本条約一周年の伝単。基本国策要綱で規定された東亜新秩序建設の国是に基づき、「互助互尊」「共同防共」「互恵共栄」「顕揚文芸」を掲げている。

コーポレートプロパガンダ

コーポレートプロパガンダ(企業プロパガンダ)は、企業がその活動やブランドイメージに関する市場・消費者意見を操作するために行なうプロパガンダの一種である。

特定の人間がその企業の製品やサービスに対して支持を表明する事で、社会における好意的な印象形成に影響をもたらす。このようなコーポレートプロパガンダについてジークムント・フロイトの甥であるエドワード・バーネイズは著書「プロパガンダ(1928年刊行)」の中で詳細に解説しており、また一般大衆の稚拙さについても歯に衣着せず言及している。

バーネイズは大衆向けのイベント、メディアや有名な俳優などを多用し、その影響力を駆使して大衆の意思決定を操り、大衆行動をクライアントの利益に結びつけてきた。

叔父であるフロイトが示唆した、人間の潜在的な欲求に関する心理学理論を駆使し、バーネイズは人々に現実的には何の利益もない商品を一般大衆が自ら買い求めるように仕向ける事に成功し、そのプロパガンダの手法を進化させていった。

現実に、今日多用されているような、有名人の広告への起用や、実際には偽科学的だが一見科学的な主張のようにみえる意見を利用した広告など、悪意的な現在の大衆操作に関する知識の多くは、バーネイズの開発したミーム論を利用した広告戦略に基づいたものであり、彼の著書「自我の世紀」に、その手法の多くが言及されている。

大衆の世論操作に際してのプロパガンダの有効性について、バーネイズは次のように述べている。

もし我々が、集団心理の仕組みと動機を理解するならば、大衆を我々の意志に従って 彼らがそれに気付くことなしに制御し組織化することが可能ではないだろうか。プロパガンダの最近の実践は、それが可能であることを証明してきた。少なくともある地点まで、ある限界の範囲内で。
— エドワード・バーネイズ

企業プロパガンダは一般的に、婉曲的な表現として広告、広報もしくはPRとも呼ばれている。

国策プロパガンダ

宗教組織や企業、政党などの組織に比べて、強大な権力を持つ国家によるプロパガンダは規模や影響が大規模なものとなる。国策プロパガンダの手法の多くはナチス体制下のドイツ、大東亜戦争直前・戦中の日本、太平洋戦争直前・戦中のアメリカ合衆国、革命下のロシアやその後のアメリカ合衆国、ソビエト連邦、中華人民共和国など全体主義・社会主義の国のみならず資本主義諸国でも発達した。社会主義国や独裁国家では情報活動が国家によって統制・管理されることが多いため、国家による国内に対するプロパガンダは効率的で大規模なものとなりがちである。

どのような形態の国家にもプロパガンダは多かれ少なかれ存在するものだが、社会主義国家や ファシズム国家、開発独裁国家など、情報を国家が集中して管理できる国家においては、国家のプロパガンダの威力は強大なものがある。

また、特定のグループが政治権力とメディアを掌握している国でも同じ事が起こる。こうした国家では、国家のプロパガンダ以外の情報を入手する手段が著しく限られ、プロパガンダに虚偽や歪曲が含まれていたとしても、他の情報によって情報の精度を判断することが困難である。

さらに、こうした国家では教育とプロパガンダが表裏一体となる場合がしばしば見られる。初等教育の頃から国民に対して政府や支配政党への支持、ナショナリズム、国家防衛の思想などを擦り込むことにより、国策プロパガンダの威力は絶大なものとなる。

しかし、こうした国家では情報を統制すればするほど、また国内向けのプロパガンダが効果を発揮すればするほど、自由な報道が保障されている外国のメディアからは疑惑の目で見られ、そのプロパガンダが外国ではまったく信用されない、という背理現象も起こりうる。

また、国家のプロパガンダは国家、政府機関、政党などが直接手がけるとは限らない。民間団体や民間企業、個人が自主的、受動的、または無意識に行う例もある。

大衆の受容能力は極めて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。この事実からすれば、全ての効果的な宣伝は、要点を出来るだけ絞り、それをスローガンのように継続しなければならない。この原則を犠牲にして、様々なことを取り入れようとするなら、宣伝の効果はたちまち消え失せる。というのは、大衆に提供された素材を消化することも記憶することもできないからである。……

……大衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮でなく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決めるという、女性的な素質と態度の持ち主である。だが、この感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものなのだ。そこには、物事の差異を識別するのではなく、肯定か否定か、愛か憎しみか、正義か悪か、真実か嘘かだけが存在するのであり、半分は正しく、半分は違うなどということは決してあり得ないのである。
— アドルフ・ヒトラー「我が闘争」より

軍のプロパガンダ

部隊・装備
スウェーデン軍の軍楽隊

軍隊は国家が直接行動を命令できるため、プロパガンダに利用されやすい。このため本来軍事行動には必要の無い人員や装備が配備されている。

多くの軍隊では国民や諸外国に正当性や精強さをアピールするため、見栄えの良い宣伝用の写真や映像を多数公開しており、それらの撮影のために第301映像写真中隊(自衛隊)のような専門の部隊が編成されている。特にアメリカ軍は兵器が運用される様子から休憩中の兵士にいたるまでほぼ全ての広報写真をウィキメディア・コモンズに投稿し、ウィキペディアなどで自由に使えるようにしているが、公開されるのは軍に都合が良い写真だけである。アメリカ軍では第二次世界大戦時に隊員教育やプロパガンダ用の映画を制作するため第1映画部隊を編成し、映画業界人を徴兵扱いで多数動員していた。

第二次世界大戦時のアメリカによる日系人の強制収容に対し、日本は「白人の横暴の実例」として宣伝し日本の軍事行動は「アジアの白人支配からの解放」であると正当化した。アメリカではこれに対抗するため日系移民の志願者による部隊(第100歩兵大隊)を急遽創設した。

ブルーエンジェルス

多くの空軍では実戦部隊以外にも曲技飛行による広報活動を任務とする曲技飛行隊を有している。これは国民向けに曲技飛行を披露し軍への関心を高めることに加え、パイロットの技量を外国へ誇示する目的もある。使用する機体は既存機の流用であっても武装の撤去、スモーク発生装置の搭載、派手な塗装を施すなど実戦には不適格な改造を施したり、既に時代遅れとなった複葉機を曲技専用に配備するなど予算的に優遇されている。またアメリカ軍では空軍(サンダーバーズ)、海軍(ブルーエンジェルス)、太平洋空軍(PACAF F-16 Demo Team)など複数の部隊が併存している。なおブルーエンジェルスは、第二次大戦終結により海軍航空隊への国民の関心が低下し、予算の減額や空軍との統合など権限縮小を危惧したチェスター・ニミッツ提督が「大衆の海軍航空兵力への関心を維持しておく事」を意図して組織され、第1映画部隊はアメリカ陸軍航空軍司令官だったヘンリー・アーノルド将軍が陸軍航空軍の独立性を強調する為にも独自の撮影部隊が必要だと考え、宣伝映画を担当していた陸軍信号隊とは別の組織として映画業界人に依頼して編成されたなど、宣伝部隊でありながら純粋な広報ではなく政治的な意図で創設された例もある。

自衛隊音楽まつり。中央は“自衛隊の歌姫”三宅由佳莉

軍楽隊が担ってきた国賓栄誉礼や軍の式典での音楽演奏は、現代では録音した曲を流すことで代用できるが、多くの軍楽隊では国歌や行進曲を生演奏させるために、音楽大学などで専門教育を受けた者を演奏専業の軍人として雇用している。これは警察音楽隊や消防音楽隊の多くが一般職員の有志で編成されているのとは対照的である。軍楽隊は国民向けの広報演奏を行うこともあるが、その際は流行しているポップスなど国民の関心が高い曲を演奏することが多い。自衛隊では毎年大規模な音楽イベント「自衛隊音楽まつり」を開催しているが、その演奏曲目の中で行進曲や旧軍歌・自衛隊歌は一部に過ぎず、大半はポップス、テレビドラマのテーマ音楽、アニメソング、民謡など自衛隊とは無関係な曲である。

顕彰

戦傷は名誉の負傷とされ、パープルハート章のような戦傷章の授賞式はマスコミを通じて報道される。さらに戦死者は二階級特進の他に英雄的な扱いを受け、戦時中には英霊・軍神など神格化されることも多く、爆弾三勇士のように愛国心を煽るために軍の宣伝として利用される例が多い。

示威

自衛隊中央観閲式

観閲式・観兵式や観艦式は非実戦的な訓練や兵力の移動が必要なため軍事的には無駄であるが、軍の規律や能力をアピールする目的で定期的に行われている。また式典のための礼装用の軍服が規定されている。北朝鮮では車両や航空機の燃料を調達することも難しい状況であるが、大規模な軍事パレードは定期的に行われている[19]。

公開

板妻駐屯地の開設記念行事一般公開

軍では退役した車両や航空機を展示する広報施設を整備したり、博物館に寄贈するなどしている。自衛隊では陸上自衛隊広報センター、海上自衛隊佐世保史料館・呉史料館、航空自衛隊浜松広報館と陸海空それぞれ別の広報施設を有している。

駐屯地などの軍事施設に部外者を立ち入らせることには警備上の問題が多いが、国民の理解を得るという目的で多くの軍隊では特定の日に基地祭として公開している。特に駐屯地や基地周辺の住民に対しては別にツアーを用意していることが多い。

多くの軍隊ではマスコミを駐屯地、航空機、艦船へ招待し訓練の様子を報道させているが、これも事前にプログラムが組まれたツアーであり、軍は都合の良い部分だけをマスコミに見せることが出来る[19]。海上自衛隊ではマスコミや要人を接待する専用艦「はしだて」を保有している。

ベトナム戦争で、アメリカ政府はマスコミの前線取材に協力的でほぼ自由に行動、報道させていた。しかし、そのためリアルに悲惨な戦闘の様子や戦闘に巻き込まれた民間人犠牲者の様子が家庭へ直に報道されたり、米軍の不祥事がすぐに露見し、国内での反戦運動を誘発する結果となった。それに懲りたアメリカ政府は、以降の軍事作戦では厳しい報道制限を敷いて米軍に都合がよい報道しかなされないようにしている。

民間との相互利用

戦争映画の製作に協力することもあるが、軍が美化されるなどの作品には協力するが都合の悪い作品には協力しないなど、軍側で協力の可否や程度をコントロールしている。1964年の米国映画『未知への飛行』では、アメリカ軍の核兵器が適切に管理されていないことが前提の作品であるため協力を得られず、航空機の映像は一般公開されていた資料映像に頼っている。1978年の角川映画『野性の証明』も自衛隊が悪役であるため協力を得られず、アメリカ陸軍州兵の演習場などで映像を収録している。

アメリカ海軍が保有するF-18の飛行を体験できる移動式シアター。訓練に使うフライトシミュレータではなく座って映像を見るだけである。

「スクランブルに向かうB-58のクルー」とされたアメリカ空軍の広報用写真。B-58はスクランブル任務に就く機体ではなく実戦にも投入されていないが、最新鋭機であったため宣伝に使われた。

駐屯地の一般公開で行われた74式戦車の試乗体験(タンクデサント)。仮設の座席を取り付ける作業が必要となる。

戦争遂行のためのプロパガンダ

国家が戦争を遂行するためには、国民に戦争以外の選択肢はないことを信じ込ませるために国策プロパガンダが頻繁に行われる。アーサー・ポンソンビーは、第一次世界大戦でイギリス政府が行った戦争プロパガンダを分析して、主張される事に関する10の要素を以下のように導き出した[20]。

1、我々は戦争をしたくはない。
2、しかし敵側が一方的に戦争を望んだ。
3、敵の指導者は悪魔のような人間だ。
4、我々は領土や覇権のためではなく、偉大な使命(大義)のために戦う(正戦論)。
5、我々も誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざと残虐行為におよんでいる。
6、敵は卑劣な兵器や戦略を用いている。
7、我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大(大本営発表)。
8、芸術家や知識人も、正義の戦いを支持している。
9、我々の大義は、神聖(崇高)なものである(聖戦論)。
10、この正義に疑問を投げかける者は、裏切り者(売国奴、非国民)である。

フランスの歴史家アンヌ・モレリは、この十要素が第一次世界大戦に限らず、あらゆる戦争において共通していることを示した[18]。そして、著書『戦争プロパガンダ10の法則』の序文中で、「私たちは、戦争が終わるたびに自分が騙されていたことに気づき、『もう二度と騙されないぞ』と心に誓うが、再び戦争が始まると、性懲りもなくまた罠にはまってしまう」と指摘している。

もちろん、普通の人間は戦争を望まない。(中略)しかし最終的には、政策を決めるのは国の指導者であって、民主主義であれファシスト独裁であれ議会であれ共産主義独裁であれ、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単なことだ。(中略)とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。
— ヘルマン・ゲーリング[注釈 5] ニュルンベルク裁判中、心理分析官グスタフ・ギルバートに対して

使用されるメディア・媒体

プロパガンダには様々なメディア・媒体が利用されるが、マスメディアは、一度に多くの対象に強烈なメッセージを送ることができるため、プロパガンダの要として最も重要視されている。権威主義的国家では、インターネットメディアを含むマスメディアに対する様々な統制が行われ、実質体制の宣伝機関となっているところもある。

自由主義国家では利益関係はさらに複雑なものがあり、体制からの圧力だけではなく、私企業・外国・政党・宗教・団体の影響を受け、自主的にプロパガンダを行うこともある。また、新聞社や雑誌社、テレビ局のスタッフなどの個人的信条が影響を与えることがある。
テレビの手法

ソビエト連邦では、アメリカ合衆国の「貧富の差」を強調してアメリカの貧民街や低所得者の住宅などの映像を流すプロパガンダを行った。しかし、配給不足が慢性化するにつれ視聴者は干してある下着など生活物資の豊富さに気づき、結果的にプロパガンダとしては逆効果となった。これは北朝鮮も同様のミスをしており、韓国大統領を大々的に批判するデモを流したところ、「韓国では指導者を批判することができるのか!」と驚いたり、背景の裕福な物質を見て、韓国の豊かさを思い知ったことがある。

東西分断時代のドイツでは、イデオロギーの異なる両国が自国の優位・正統性をアピールするため、西ドイツが「赤いレンズ」、東ドイツが「黒いチャンネル」という番組をそれぞれ放送していた。これらの番組は互いの敵対する陣営で起きたニュースに関して、司会者が恣意的に批判・誹謗中傷を加えた解説を行うというスタンスを取っていた。ドイツ統一後は、いずれの番組も必要性が無くなり打ち切りとなっている。

王制国の国営放送では、定時ニュースのトップは国王の動静に関する事項であることが多い[注釈 6]。また北朝鮮などの独裁国家でも、国家指導者の動静を定時ニュースのトップとして扱うことが多い。

軍事パレード(観閲式観艦式)や兵器実験、またマスゲームや元首・指導者演説の様子をニュース映像に取り入れ、自国の軍事力、指導者の権威を宣伝する。また対立国ではこれを逆用し相手国政府の異常さと脅威を強調する[注釈 7]。

ニュース番組や討論番組などで特定の団体の構成者やその支持者を多く出演させ世論の支持が大きいように見せる。また出演者が放送局の意向に合わない意見を出すと、司会がわざと別の話題に話をそらしたり大声で相手の話を遮り妨害する。

やはりニュースで、伝えるべき情報・論議されるべき問題を黙殺しそれ以外の話題を大きく採り上げる。報じられない話題は存在しないことにされる[21]。報道しない自由も参照。

政策などで政策上の争点を限定し、世論を誘導する。

特定の政党や勢力を持ち上げ、その組織に都合のいい番組構成にする。または対立する勢力への批判を行う。

戦争報道ではエンベデッド・リポーター(兵士と一体的に行動する従軍記者)のみの同行を認める。特に湾岸戦争以降のアメリカ軍が重視している。

スローガンの流布のために人気タレントなどを起用したCMを制作し、そのファンを中心に意識の誘導を図る。

ラジオの手法

1933年当時、ドイツ国内のラジオ受信機の市場価格は大体250マルク前後であった。これに対して宣伝大臣ゲッベルスの後押しで発売された「国民ラジオ」の価格は76マルクと極めて安価であり、どれほどラジオ宣伝の重要性を認識していたかが窺える。

日本では1925年の放送局発足後、太平洋戦争における日本の降伏に伴う改組(1952年6月の民間への電波開放)まで、唯一の放送局だった社団法人日本放送協会(現在のNHKの前身)は政府の宣伝機関であった。

第二次世界大戦開戦後、ドイツはベルリンからアイルランド人のホーホー卿が対英宣伝放送を担当し、枢軸サリーと呼ばれるアメリカ女性が対米宣伝放送で活躍した。また日本も英語に堪能な女性パーソナリティ、通称:東京ローズを起用し、太平洋戦域のアメリカ軍兵士向けに宣伝放送を行った。戦後彼らは共に反逆に問われた。支那事変時の中華民国では『南京の鶯』を放送した。その後の戦争でも朝鮮戦争でのソウルシティ・スー、ベトナム戦争でのハノイ・ハンナなどのプロパガンダパーソナリティが活躍した。

ソ連では第二次世界大戦中から国外への対外宣伝を行う機関としてドイツ語や日本語によるモスクワ放送(現在のロシアの声)と呼ばれる積極的な対外放送を行った。また、アメリカもボイス・オブ・アメリカやラジオ・フリー・ヨーロッパ、ラジオ・フリー・アジアによる対外放送を行っている。

近年は頻度が減ったが、朝鮮半島の軍事境界線を挟んで、複数スタックさせた高出力の拡声器を使用した宣伝放送が相互に行われていた(拡声器放送)。

ルワンダ虐殺を煽ったラジオ局のように、普段は音楽などを流すラジオ局が政治的扇動を行うこともある。

映画の手法

アラビア海に展開するアメリカ海軍の舟艇を慰問するアメリカの女優、パメラ・アンダーソン

プロパガンダを目的として国家や軍、政治団体やその支援者が映画を直接製作したり、積極的に協力していることがある。

ソ連ではレーニンの「すべての芸術の中で、もっとも重要なものは映画である」との考えのもと、世界で最初の国立映画学校が作られ、共産主義プロパガンダ映画の技法としてモンタージュ理論が発明された。特にエイゼンシュテインの作品がその代表である。1920年代のソ連映画は当時としては非常に革新的であり、ダグラス・フェアバンクスなどのハリウッドの名士、後のドイツの宣伝相ゲッベルスを絶賛させている。また、この頃のソ連では、宣伝映画を地方上映できるよう、移動可能な映写設備として映画館を備えた列車・船舶・航空機を製造・活用している[注釈 8]。編集することで対象を操作しようとしたモンタージュ理論は現代の映画にも生かされている。『ベルリン陥落』のようにスターリンを神格化する国策プロパガンダ映画も作られた。同作はあまりにもプロパガンダ色が強く、スターリン批判によりソ連国内でも上映禁止となる。

アメリカの映画産業は政府の要請よりも利潤追求が優先される。投資家に利益を還元する目的で経営者が選ばれ、市場においても資本の合併と分割が営利を目的に繰り返される。憲法も裁判所も政府からの映画産業への介入を禁じている。しかし第二次世界大戦下には数多くのプロパガンダ的作品が製作され、『カサブランカ』(1942)は政府からのホワイトプロパガンダとの関連も指摘される。

アメリカ映画は基本的にアメリカ人の時の視点に拠っている。暴力的で敵に対して容赦をしない姿勢と、自由主義の裏側を鋭く描く自己を告発する両面でバランスを取ってきた結果として発展を遂げた。この意味でアメリカ人気質を飲み込んだ製作者が成功を収め権力と大衆の橋渡しを務める場合がある。大衆文化史におけるミッキーマウスなどがこの例である。観客も当然アメリカ人を対象としている。登場人物は英語を話し、アメリカの価値観と信条を守る不文律で形成される。映画の主題もこの原則からは不即不離の関係にある。商品として輸出される場合は音楽や文芸と同様に文化の先遣隊としての役割を果たす結果となる。また、時の視点により過去は味方として扱われた対象が、その後敵、もしくは憎悪の対象として扱われるケースも多い。

アメリカ政府は基本的に国内における人気が支持基盤に直結する点を熟知しており、大衆に対して正義、公正、真実を守るための運動を提唱し賛同を求めようとする。ここでは事実の強さ、迅速さ、正確さが優先される「ニュース」が主眼であり「映画」の順位は相対的に低い。近年はアメリカ国内における階層格差が深刻化した結果、統合させる思想面の弱体化を普遍的価値観の一つである「家族愛」[注釈 9]で代用する事があからさまになってきている半面、同時にマイケル・ムーアなどの社会告発的な映画が暗い面を指摘するなど全体としての先細りも指摘される。

満州国では満州映画協会により日満友好の国策宣伝映画が数多く製作され、日本や満州などで上映された。人気女優李香蘭は中国語が堪能な日本人であったが、中国人女優、また歌手として絶大な人気を集めた。また、同盟国である日本とドイツの友好関係を醸成するために、日独共同で「新しき土」などの映画が制作されている。
『ハワイ・マレー沖海戦』のポスター。

日本では1939年、国策に則った映画を製作させる映画法が制定されている。これにより設立された日本映画社が『日本ニュース』などのプロパガンダ映画の制作に関与。特に太平洋戦争の開戦後は戦意高揚映画と称される戦争映画が盛んに制作され、東宝が製作した『加藤隼戦闘隊』は陸軍が全面協力で実物の戦闘機が多数登場する他、円谷英二が開発した特撮技法が駆使されるなど日本映画史においても重要な作品が多数撮影されている。また予科練を描いた『決戦の大空へ』は映画だけでなく挿入歌『若鷲の歌』も大ヒットを記録した。1945年の敗戦後はこのような国策映画は撮影されなくなったが、1990年代以降、防衛省・自衛隊が『ゴジラ』など怪獣映画、『男たちの大和/YAMATO』などの戦争映画、『守ってあげたい!』などの自衛隊をテーマにした映画に協力しているが、これらは映画を利用した自衛隊の宣伝という指摘もある。

イギリスの植民地であった香港では、1997年に中華人民共和国に返還されるまで、映画の上映が始まる前にイギリス国歌の演奏が必ず行われたほか、地元資本のゴールデン・ハーベストの作品においても、イギリス植民地軍や警察は常に「正しき側」として扱われた。さらに映画の内容はイギリス植民地政府の検閲を必ず受けることとなっており、これらの映画はいわばイギリスによる植民地支配のツールの一つとして機能していた。

ドイツのナチス政権は絵画、音楽など古いメディアだけでなく、新しいメディアである映画も重視した。映画産業を積極的に支援し、ナチス政権時代には1100本に上る映画が制作された[22]。レニ・リーフェンシュタールによる『意志の勝利』や『民族の祭典』などは、その大胆な映像美から戦前は世界的に高く評価された。しかし、戦後は一転して「典型的なナチプロパガンダ」と酷評されるようになる。また、『コルベルク』のように大戦末期にもかかわらず、多くの資金や資材、多人数の軍人エキストラを動員して撮影された作品もある。

建国から15年ほど経った北朝鮮において、映画など娯楽産業の宣伝効果を知り所轄ポストの席を狙った金正日と朝鮮労働党甲山派との間で党内抗争が起こった。詳細は、甲山派#北朝鮮国内文化事業を巡る金正日との闘争を参照のこと。

俳優や女優、歌手は大衆にとって親しみやすい対象であるため、彼らへの好感を彼らが支持している対象への好感にすり替えることができる。現在もイラク戦争においてアメリカが使う手段として、キャンペーンやアピールに俳優や女優、歌手を起用したり、彼らを戦地へ慰問させ、士気を高める手法などがある。

タイでは本編上映前に、必ず国歌演奏と共に国王肖像が投影され、観客はこれに対し総員起立で表敬することが義務付けられている。

新聞報道・出版の手法

言論統制により新聞や書籍でもプロパガンダ的手法がとられる場合がある。第二次世界大戦中の日本の新聞やイギリスのタイムズ紙などが行った例では、記事の構成や社説などを操作し、対象への印象を悪化させたり、好ましい印象を与えたりする[注釈 10]。例として産経新聞は保守層と財界のために、財政支援を受ける代償として論調を転向した。

国家が書籍を検閲し、発禁処分等を行うことで反対意見を封殺することもある。ナチス政権下のドイツの焚書が代表的である。

内外を問わず白書、各種政党機関紙や団体の宣伝冊子、国営新聞や政党新聞はその政党の主張に則った報道を行うが、民間の新聞でもその新聞社の思想的背景や株主や広告主などの資金源、または個人的信条からプロパガンダとなる報道を行うこともある。アメリカでは新聞社も、立場が保守とリベラルに分かれることが許容されており、またそれが当然視されている。

また、政府のみならず企業によっても、意図的な言葉や単語の言い換え、使い換えも行われる。たとえば、第二次世界大戦後のドイツにおいては、ナチス党が自由選挙によって(つまりドイツ人の意志として)選ばれたにもかかわらず、「ナチス政権下において行われたことはナチス党とその関係者のみが行ったことで、ドイツ人の総意として行われたわけではない。つまり、近隣諸国やユダヤ人のみならず、ナチス党政権下のドイツ人もまた被害者である」という理論のすり替えがなされ、それを象徴する言葉として、「ナチス・ドイツ」という造語が「ドイツ」という国家と切り離されて使われ、結果的にこの理論を手助けすることとなっている。

写真

レーニンとスターリン。本作は合成写真と言われているが未確認で、どのように創作されたのかも憶測の域を出ていない。1922年。

1920年代に実用的な小型カメラが開発されたことから報道写真が急速に発展した。これに対応し政治家や独裁者の報道写真が新聞や雑誌、ポスターに使われるのみならず、肖像写真が出回ることになる。

例として、イタリアのファシスト党党首のベニート・ムッソリーニは、自らのサイン入りのブロマイドを全国にばらまいた他、中華人民共和国やソビエト連邦、北朝鮮などの一党独裁制の共産主義国家を中心に、独裁者の正統性や権威を高めるために合成写真が作られたり、逆に失脚した有力者を集合写真から削除することすら行われた[注釈 11]。

グラフ誌による宣伝活動

また、報道写真の発展に伴い、フォトモンタージュなど多くの撮影、編集技法や利用法が生み出される。多くの民間写真雑誌(グラフ誌)が創刊されたが、国家や軍などもその宣伝効果に着目し、機関誌や国策会社からの出版という形で世界中で創刊された。これら国策で出版された雑誌は、採算を度外視して資材や人員を投入したため、非常に技術的完成度が高いものが多い。しかし第二次世界大戦後、テレビの普及により徐々に衰退する。
国策グラフ誌の例

戦時下ドイツ
    『Signal』[注釈 12]
大日本帝国
    『NIPPON』[注釈 13]
    『FRONT』[注釈 14]
    『写真週報』[注釈 15]
琉球列島米国民政府
    『守礼の光』
    『今日の琉球』

    上記のいずれも日本語版のみ。住民向けの宣伝誌。

ソビエト連邦
    『CCCP НА СТРОЙКЕ(ソビエト連邦の建設)』[注釈 16]
    『今日のソ連邦』
    『月刊スプートニク』[注釈 17]
    『ママとわたし』[注釈 18]
中華人民共和国
    『人民中国』
    『人民画報』
朝鮮民主主義人民共和国
    『朝鮮画報』[注釈 19]

インターネットでの手法

ネット風評監視サービスも参照のこと。
1910年‐1911年にかけての満洲における疫病の犠牲者の写真 [1]。ウィキペディアで2005年 – 2009年にわたって日本軍の731部隊に投棄された遺体と喧伝された。

現実世界で既存の集団・国家・勢力が道具・手段として利用するケースの他、近年の傾向として、掲示板サイトそのものが歪んだ連帯意識・独自の思想を育み、書き込みが自由である他掲示板サイト・ウィキ(Wiki)・ブログのコメント・投票形式サイトに支持掲示板で大勢を占めている価値基準に則った記事やレスポンスを大挙書き込み(或いは不正連続投票し)、力を誇示(甚だしい場合は乗っ取りを目論む)するケースも増えつつある。

国家や団体などによるインターネット・プロパガンダ組織には、中国の五毛党、韓国のVANK、アメリカ合衆国のOEV、ロシアのWeb brigades、ユダヤのJIDFなどがある。

立場を偽ったサイトを作って情報を発信し、誤認させる[注釈 20]。
ネット掲示板などで匿名性を利用して自作自演などを行い、多数派意見を装う。
コピー・アンド・ペーストによる情報の大量頒布[注釈 21]。
賛同ウェブサイトや団体(グループ)を多数立ち上げて自分たちをあたかも多数であるかのように見せかける[24]。
検索エンジンに登録させなかったりエンジン運営者に苦情を申し入れて外させたり、検閲をおこない、利用者に情報開示を行わないなど[注釈 22]。
検索エンジンにおける検索結果・検索候補の操作[注釈 23]。
自社の広告を出稿しているポータルサイトのニュース欄において、自社のトラブルの記事を早期にトップ画面から削除するよう、また、自社にとって都合のいい記事をトップに掲載するよう、広告代理店などを使い運営会社に対して圧力をかける。
特定団体お抱えの弁護士もしくは団体幹部が、ISPやレンタルサーバーの管理者(企業)に対して、都合の悪いHPを削除するように圧力を掛ける。
ウィキペディアのような、誰でも編集可能なウェブサイトで執拗に宣伝意図を持った編集を繰り返す。また主観的な、あるいは特定利益集団にとっての視点的な記事を新規作成したり、既存の内容をそう変貌させるよう」に虚偽の内容を加筆する。あるいは情報を編集する際にニュアンスを変えたりさりげなく削除したりする、あるいは記事についての議論を起こしたり編集合戦に持ち込んだりして容易に編集できなくしたり、できるだけ有利な状態を保つようにしたりする。最近ではWikiScannerの公開によりウィキペディアでも編集者の所属する組織と密接に関わった記事の編集が大量に存在したことが発覚し、問題視された[注釈 24]。
ウィキを用いて、都合のよい情報だけを集めた「まとめサイト」を作り公開する。
一般消費者が書いていると装っているブログが、実は広告代理店から資金提供を受けて商品やサービスの宣伝をしている場合がある[注釈 25]。

外部の組織や個人を媒介とした手法

イギリスのシンクタンク「ヘンリー・ジャクソン・ソサエティー」(HJS)が実施した中国の対外政策に反対するキャンペーンで、HJSは在英日本大使館からひと月1万ポンドの資金提供を受けていた。HJSはその関係性を伝えないまま元外相のマルコム・リフキンド(英語版)に、ヒンクリー・ポイントC原子力発電所への中国企業関与に対する懸念を訴える2016年8月の新聞記事[25]の執筆者となるよう頼んでいた[26][27]。

貨幣、切手、有価証券などの手法

第二次世界大戦時、イギリスで作成されたハインリヒ・ヒムラーの肖像切手。当時のドイツではヒトラー以外の政治家肖像切手が使用されることはまれであったため、ヒムラーの切手を偽造して流通させることによってヒトラーの猜疑心を誘い、ヒムラーの失脚を謀った。

公共性や価値が高く、極めて広く流通するため、支配権の誇示に用いられる。紙幣や硬貨に国家指導者の肖像が彫刻・印刷で入れられることが多い。古代ギリシャ、古代ローマ時代より西欧では貨幣に神の横顔、後に国家元首の横顔を刻むのが伝統となっており、国内や勢力範囲の住民に統治者を意識させていた。その伝統にのっとり、イギリスやイギリス連邦各国で切手に国王(2015年現在は女王)の横顔のシルエットが入れられているのを始め、アメリカ合衆国のアメリカ合衆国ドルなど、共和制国家では歴代の国家指導者の肖像画を紙幣や硬貨に入れて使用している国も多い[注釈 26]。そのため、1979年にイラン・イスラム革命で国王が失脚したイランでは、紙幣に描かれた国王の肖像を全て塗り潰した。

逆に日本では、皇太子(徳仁親王・雅子親王妃)夫妻の肖像が記念切手に使われた例が1度だけあるのみで、在位中の天皇の肖像が硬貨に刻まれたり切手肖像になったりした事は一切ない。「“陛下のお顔が手垢にまみれるなど畏れ多い”という菊タブーがあるためである」とか、「明治天皇が自身の肖像を切手や硬貨に載せることを嫌ったからだ」といわれるが、東洋では一般的に統治者の顔を民衆に公表する伝統が無いので、歴史的に見ても統治者の肖像画も少なく貨幣に刻印することもほとんどない。

街宣車による手法

戦後、日本では国家主義や皇室礼賛を標榜する右翼団体による街宣車を使った公道での街宣活動がしばしば見られる。使用される街宣車は、大判の日章旗や菊花紋章旗を掲げ、団体名が大書された黒塗りの大型車であることが多く、取り付けられたスピーカーから大音量で軍歌や演歌を流す、あるいは自らの政治的思想等を喧伝する。こうした右翼団体(街宣右翼)の構成員は少なからず暴力団員であるために反社会的な勢力と見られることや、大音量のスピーカーを使った街宣行為が騒音として迷惑がられることも多い[誰によって?]。

選挙活動中に立候補者や政党が名前等を連呼する為に使用される選挙カーも、現代日本における一つの街宣およびプロパガンダといえる[注釈 27]。

なお、日本のように威圧的なものではないが、アメリカのロビー活動を行う団体の中はワシントンD.C.周辺などを自動車で周回し、特定の政策の宣伝活動を行う事例が存在する[28]。

集会・イベントの手法

会場の規模や装飾などの豪華さ・贅沢さ。または逆に貧弱なものを見せつけ、大衆の味方であるように装う。1934年のナチス党大会は、党大会自体が映画『意志の勝利』として記録され、政治宣伝に用いられた。
デモ・集会に支持者を大量に動員し、如何にも多数の支持を集めているかのようにメディアで演出する。逆に反対者は少数しか集まらなかったように見せる[注釈 28]。公表される参加者数は「警察発表」と「主催者発表」で大幅に異なるのが通例である。企画された演説集会の成功例としては、第二次世界大戦中にドイツで行われた「総力戦演説」がある。
式典における演説や部隊の行進、マスゲームなどの一糸乱れぬ団結力の誇示。
記念日制定や運動週間(旬間・月間)など宣伝活動の実施。
国内や国際的なスポーツ大会での国威発揚[注釈 29]。
敵対国での運動を支援し、自勢力に有利な状況を作り出す(色の革命)。

薬物乱用防止運動

ポスター・看板の手法

街頭のポスターや看板を、色や図柄で埋め尽くし強い印象を与える。
ポスターや看板を大量に設置することで、その勢力を大きく見せる。
キャッチコピーに、強い口調・表現を用いる。

音楽の手法

国歌に愛国的な歌詞や他国を攻撃するような歌詞、元首を称える歌詞を挿入し、繰り返し聞かせ、また歌わせることで洗脳していく。また、イギリスにおける「希望と栄光の国」やアメリカにおける「ゴッド・ブレス・アメリカ」などの「第2国歌」的な「愛国歌」や、共産主義国における「インターナショナル」のような「革命歌」や「党歌」をあえて制作し、戦時のみならず平時においても、国威発揚のためのツールとして、国家とともに様々な場面で流したり合唱させることも多い。いわゆる「軍歌」もこの手法の1つと言える。

日本でも戦時になると、庶民的人気を誇る「流行歌」に対する厳しい取り締まりが行われ、戦意高揚を狙った戦時歌謡や軍国歌謡が政府や軍の主導だけでなく民間でも自主的に製作され、ラジオを通じて放送された。戦後になると、左派による「うたごえ運動」として反戦歌、労働歌や革命歌などが広く歌われ、左派の政治活動と深く結びついた。

敵国の音楽を悪い文化の象徴であると喧伝する手法もあり、ナチス・ドイツではアメリカで始まり1920年代にはイギリスでも流行していたジャズをシュレーゲムジーク(ドイツ語で「変な音楽」の意)と呼び、アメリカ人が広める退廃的な文化であるというプロパガンダを流していた。ソビエト連邦など共産主義国家でも同様にジャズやロックなどの西側の音楽を敵視するプロパガンダを流していた。

ソ連や共産主義国家においては社会主義革命を正当化させ、人民の団結を奨励する「革命歌」が作られた。これらの曲は、事実上の共産党の「党歌」であり、他の共産主義国のみならず、資本主義国における左翼的な労働組合運動においても歌われることがあった。なお、ドイツのナチス党も「旗を高く掲げよ」のような「党歌」を国家内に広めた。

軍隊においても愛国心や団結精神の高揚を狙った隊歌が部隊単位で制作され、式典の際に唱和される。

代表的な「第2国歌」や「革命歌」、「党歌」としては、次のようなものがある。

「ラ・マルセイエーズ」:フランス国歌[注釈 30]
「威風堂々」(希望と栄光の国):イギリスの愛国歌、なお、現在この曲がイギリスの公共放送局である英国放送協会(BBC)で流される時には、エリザベス2世女王の画像が必ず同時に流される。
「ルール・ブリタニア」:イギリスの愛国歌
「旗を高く掲げよ」:ドイツ、ナチス党の党歌。ナチス政権下では国歌に準じる扱いを受けた。(ホルスト・ヴェッセルの歌とも)
「ゴッド・ブレス・アメリカ」:アメリカ合衆国の愛国歌
「星条旗よ永遠なれ」:アメリカ合衆国の公式行進曲
「インターナショナル」:ソ連及び共産主義国家、共産党における革命歌、党歌
「東方紅」:中華人民共和国の愛国歌
「ワルチング・マチルダ」:オーストラリアの愛国歌

かつて日本においても、君が代に代わり得る新国歌や第2国歌を作る幾つかの運動が起こり、各種の企業・団体が公募などで集めた歌より選び、世に広めようとしたが、GHQの占領政策の影響もあり、その後の世代に伝えられなかった。

「愛国行進曲」:1937年(昭和12年)
「海行かば」:1937年(昭和12年)、当時の日本政府が国民精神強調週間を制定した際のテーマ曲。敗戦までの間、玉砕を伝える大本営発表等のニュース映画で流された。
「われら愛す」:1953年(昭和28年)、壽屋(現・サントリーホールディングス)社長佐治敬三が中心となって呼びかけ公募された。
「若い日本」
「緑の山河」:1951年(昭和26年)1月、日本教職員組合(日教組)が『君が代』に代わるものとして公募し選定した。曲は軍歌調。
「この土」

芸術などの手法

第二次世界大戦時の日本では、国家の統制管理下に芸術家らをおき、政府直轄の芸術家協会(報国会)に所属させ表現を利用した。反体制主義の芸術家は投獄、協会へ所属しない者は即召集とされた[注釈 31]。日本の植民地であった台湾島での実話を基に誇張、脚色した「サヨンの鐘」など愛国美談として語られ製作されたものもある。

ナチス党政権下のドイツでは、抽象画やモダンアート、アバンギャルド芸術やコンテンポラリー・アートを「退廃芸術」と称し、かつて美術館が買い入れた作品を集め、「退廃芸術展」という美術展を各地で開催した。作品は粗末に扱われ、罵倒に満ちた解説と、国による購入価格も並べて展示された。退廃芸術展の総入場者数は300万人を超え、史上最大の観客数を集めた美術展となった。また、音楽分野でも「退廃音楽展」が開かれている。

一方で、ナチス党が奨励する芸術を集めた「大ドイツ芸術展」も開かれている。その内容はヒトラー好みの分かりやすい内容であり、その描写方法や内容は敵であるはずのソ連の社会主義リアリズムにも類似する。

プロパガンダと芸術家

古代から芸術家は権力者から庇護を受けることで芸術活動を行い、作品が後世に残される可能性が高まる。現在、名作とされる作品にも権力者の依頼により製作されたものが多くあり、その権力者を礼賛する為に制作された作品も少なくない。近代以降、芸術の大衆化により芸術家は必ずしも権力者から庇護を受ける必要はなくなったが、商業上の成功を目的として作家みずからが大衆の求めに応じる形で意図せずプロパガンダを助長する作品を製作する例も多い。また、権力や時流により不本意ながら体制を称える作品を製作せざるを得なかった芸術家もいた。逆に体制に便乗して、多少の不満は抑えて自分の才能を積極的に売り込むことを意図した芸術家もいた。

また、ロシア・アヴァンギャルド運動やプロレタリア文学のように、芸術の表現により政治的な変革を目指すといったプロパガンダと不可分な芸術活動も存在する。

一方でこうした芸術家は、プロパガンダに協力したということで、後に不当に低い芸術的評価を受けることもある。藤田嗣治は戦時中に戦争画を描いたことで、戦後になって日本の美術界を追放され、フランスで制作活動に従事せざるを得なくなった。

それに対し、体制側が自己が主張する政治信条に合わせた芸術を嗜好する傾向も見られる。たとえば、全く新しい体制を目指す場合は新進の芸術運動を保護し、復古的体制を目指す場合には復古的芸術運動を保護する。
主要な人物

ロシア・アヴァンギャルド
    カジミール・マレーヴィチ、ウラジーミル・タトリン、アレクサンドル・ロトチェンコ、エル・リシツキー、パーヴェル・フィローノフ、グスタフ・クルーツィス
映画
    ソ連:セルゲイ・エイゼンシュテイン
    ドイツ:レニ・リーフェンシュタール[注釈 32])、ヘルベルト・セルピン[注釈 33]
画家・彫刻家
    ドイツ(画家):アドルフ・ツィーグラー、イヴォー・ザリガー、マルティン・アールバハ、パウル・マーティアス・パードゥア、ルドルフ・リプス、ゼップ・ヒルツ
    ドイツ(彫刻家):ヨーゼフ・トーラク、ゲオルグ・コルベ、アルノ・ブレーカー
    フランス:ジャック=ルイ・ダヴィッド[注釈 34]
    日本:藤田嗣治 (戦争画)
    日本(漫画・イラストレーション):小松崎茂、横山隆一[注釈 35]
    アメリカ:ベン・シャーン、国吉康雄など[注釈 36]
小説・劇作家
    ドイツ:テア・フォン・ハルボウ
    日本:菊池寛[注釈 37]、海野十三、住井すゑ
音楽
    ソ連:ドミートリイ・ショスタコーヴィチ[注釈 38]
    アメリカ:マレーネ・ディートリヒ[注釈 39]
    日本:大木惇夫(作詞家、『国民歌山本元帥』などの作詞)、西条八十、山田耕筰[注釈 40]、北原白秋、高階哲夫、藤原義江、佐々木すぐる、古関裕而
写真
    ドイツ:アンドレ・ズッカ(fr:André Zucca ナチス宣伝誌『シグナル』専属カメラマン)
    アメリカ:マーガレット・バーク・ホワイト
    日本:木村伊兵衛、名取洋之助
アニメーション
    日本:瀬尾光世[注釈 41]
    アメリカ:ウォルト・ディズニー[注釈 42]、フライシャー兄弟、ウィリアム・ハンナ・ジョセフ・バーベラ(ハンナ・バーベラ・プロダクション)
漫画家
    日本:はすみとしこ(『そうだ難民しよう! はすみとしこの世界』)

旗・紋章・マーク

ナチス政権当時のドイツ国国旗。現在のドイツなど、複数の国では掲示行為自体が処罰の対象となる。

旗や紋章はその所属する立場をわかりやすくし、プロパガンダの効果を高める。古代から洋の東西を問わずに用いられてきた。軍隊の軍旗などが典型例である。ドイツのナチス党によって使用されたハーケンクロイツは特に有名であり、現在もナチスの象徴として広く知られている。そのため欧米では似通った模様の「卍」の使用すら忌避される傾向がある。

他にも共産主義の象徴としての赤旗・鎌と槌、各国の国旗などが広く知られている[注釈 43]。

建造物・像・都市計画

巨大建造物の建設は古代から為政者にとり、自己の権力を誇示し、己の世界観を視覚的に宣伝する手段として広く用いられてきた。現代でもそれは変わらず、為政者の権力を誇示し、イデオロギーを視覚的に宣伝する手段として、特に権威主義的中央集権国家でこれらの構造物が多く見られる。たとえば新古典主義建築はナポレオン・ボナパルト治世下のフランスやナチス党政権下のドイツ、ファシスト党政権時代のイタリアで多数建てられている。スターリン統治下のソ連でも、壮大な巨大建造物が国家の肝いりで次々と建てられた。それらの建築群をスターリン様式と呼ぶ。

また、古代から国家や民族の創始者とされる人物や英雄、君主、信仰対象である神や仏の像も集団の在り方を具体的に提示し権力者の権威を示すものとして用いられている。特に西欧では君主の像が古代ローマの甲冑を纏わせるなど、正統なローマ帝国継承者を想起させる演出もなされた他、君主の肖像画を公共の場に掲示して、被支配層にも君主の顔を公示する伝統がある。

一方で貧困などの不都合な事実を隠すために、立派な外観の建物やモデル村落などを作り、外国人や報道陣などに公開する場合もある。こうした見せかけだけの建物は「ポチョムキン村」と呼ばれる。
特徴

既存都市に対する都市計画・デザインについて、指導者を讃える壮麗な建築を行う[注釈 44]。:全く新規に都市を建設することについては、計画都市を参照のこと。
統一した建築様式や記念碑の巨大さで、民族性や政治性の誇示・偉大としたい文明の後継者であることの誇示・巨大建築を作らせる技術力や動員力の誇示を行う。
その勢力のお抱え建築家に主要建造物の設計を任せるケースは、過去より多くみられる。たとえばスターリンにとってのボリス・イオファン、ヒトラーにとってのアルベルト・シュペーアやヘルマン・ギースラーが知られる。シュペーアとイオファンは1937年のパリ万博で、ソ連とドイツの双方の国家出展パピリオン建物のデザインを担当し、しかもその建物が道路一本だけ隔てて向かい合うというエピソードを持つ。
シリアのクネイトラ、ドイツのドレスデン旧市街、広島市の広島県産業奨励館(原爆ドーム)、ドイツ首都ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム記念教会初代建物(「旧教会」と呼称)のように、戦災などで被害を受けた建造物は、あえてその痕跡を残すことで、被害の記憶を留める効果がある。
建造物の建設予定地の選定(即ち、元々そこに存在していた施設やモニュメントの破壊も意味する)自体が政治ショー的意味合いを持つこともある。この場合、その体制が崩壊した後に、旧体制を否定するためにその建造物を解体したり、旧施設を再建する例もみられる。
    ソ連のソビエト宮殿(未完成)は共産主義思想の敵とされた、ロシア正教会の救世主ハリストス大聖堂を破壊した跡地に建設される予定であった。ソ連崩壊後、救世主ハリストス大聖堂は再建された。
    旧ドイツ民主共和国でもやはり共産主義思想の敵である旧プロイセン王政およびドイツ帝政時代の象徴・ベルリン王宮破壊後に共和国宮殿が建設された。ドイツ統一後の2008年に解体され、「フンボルトフォーラム」という名称で旧王宮を再現した建造物が建設されている。
    ソウルにあった朝鮮王朝の正宮である景福宮は、日韓併合後に日本政府により宮殿正門の光化門をはじめとする8割以上の建物が破却され、宮殿正面に朝鮮総督府庁舎を建設して、街から宮殿を見えなくした。戦後成立した大韓民国では「旧王宮の景観改善」[注釈 45]を理由に旧朝鮮総督府庁舎を解体した。
    ルーマニアの独裁者チャウシェスク大統領が建設した大統領官邸である「国民の館」未完成のままチャウシェスク政権が崩壊したが、その後も建設工事が進められ、ルーマニア議会議事堂、博物館として利用され、ルーマニア最大の観光名所にもなっている。
これらに準じる行為として、都市や道路、広場の改名がある。特に欧州諸国では、都市の大通の名が歴史上の英雄や政治家の名に因んでいることが多い。
国の経済力や技術力を示すため、また、ランドマーク的な意味合いを持たせ、国や都市としての存在感を示すために、「世界で最も高いビル」、もしくは「世界で最も高いタワー」を建設する。
戦場において、敵勢力の戦意を削ぐ(あわよくば戦わずして、停戦・降伏交渉を促す道具とする)のを主目的としたプロパガンダ建築の場合、芸術性などは特に考慮されない。史実上の例としては、安土桃山時代の日本に於ける豊臣秀吉の一夜城(石垣山城、益富城、墨俣城)が挙げられる。

主要例
ワシントン記念塔

ソ連:レーニン像、スターリン建築やレーニン廟、指導者の銅像、ソビエト宮殿計画、オスタンキノ・タワー、ソ連国民経済達成博覧会、第三インターナショナル記念塔、コミンテルン記念塔
中華人民共和国:天安門の毛沢東の肖像画、人民大会堂、北京展覧館、上海展覧センター
中華民国:台北国際金融センター、中正紀念堂、国立故宮博物院(台湾台北市)
朝鮮民主主義人民共和国:主体思想塔、金日成の巨大像、平壌市復旧建設総合計画、凱旋門[注釈 46]、柳京ホテル
日本
    大日本帝国:八紘一宇の塔、大東亜聖戦大碑、奉安殿、大東亜建設記念営造計画、靖国神社の大鳥居
満州国:建国忠霊廟、コミンテルンとの戦闘者の記念碑(ロシア語版)
マレーシア:ペトロナス・ツインタワー
ラオス:アヌサーワリー・パトゥーサイ
パキスタン:ミナーレ・パーキスターン
インド:クトゥブ・ミナール
イラク:サッダーム・フセイン元大統領の銅像
アラブ首長国連邦:ブルジュ・ハリーファ
トルコ:アヌトゥカビル(アタテュルク廟)、アタチュルクタワー
イギリス:インド門、オベリスク
ドイツ
    ナチス・ドイツ:勝利の塔、ツェッペリンフェルト(ニュルンベルクナチス党大会会場)、オリンピアシュタディオン、世界首都ゲルマニア計画(de:Welthauptstadt Germania)
    ドイツ民主共和国(東ドイツ):ドイツ民主共和国首都ベルリンの社会主義的都心改造、ベルリンテレビ塔、スターリンシュタット(現・アイゼンヒュッテンシュタット)、カール=マルクス=アレー[注釈 47]
フランス:エッフェル塔、エトワール凱旋門、オベリスク
イタリア:エウル(ローマ新都市42)
ルーマニア:国民の館
アメリカ:自由の女神、ワシントン記念塔、リンカーン記念堂、第二次世界大戦記念碑、海兵隊記念碑(硫黄島の星条旗)、ラシュモア山の4大統領像、アラモ伝道所、アリゾナ記念館、ワールドトレードセンター (ニューヨーク)、フリーダム・タワー計画
ブラジル:バンデイランテスの丘

自然物

山、岩、海、川なども民族や国家の象徴としてプロパガンダとなる。アメリカのラシュモア山のようにプロパガンダとして自然物に手を加え、環境破壊が発生することもある。

白頭山
ラシュモア山
富士山
ライン川

ファッションの手法

ファッションは発言者の印象を大きく左右するために、イメージを向上させるために様々な工夫が施される。また、独自の衣服を着ることでイメージを定着させる方式もある。集団で独自の衣装を着、集団内での団結力の向上や、示威作用を得ることもある。黄巾の乱や紅巾の乱、ボリシェヴィキの革服[29]、ファシスト党の黒シャツ隊、国家社会主義ドイツ労働者党突撃隊の茶色開襟シャツ、毛主席語録が必携でこれを掲げて練り歩いた紅衛兵、日本の国旗や旭日旗を掲げてデモ行進する行動する保守の事例が知られる。

建国神話・英雄譚・伝説・学説の利用
「易姓革命」および「王権神授説」も参照

建国神話は国家の正当性を表すため、重要な位置を占める。また、人々に広く知られる伝説や物語はプロパガンダに利用されるものがある。ただし、革命により成立した共和制の人工国家は神話は持たない[注釈 48]。

ラーマヤーナ、マハーバーラタ、リグ・ヴェーダ、古代核戦争説#モヘンジョダロ遺跡、ヴィマナ復元研究:インド人民党政権下のインド
古事記、日本書紀、神風、義経=ジンギスカン説、復興軍神、皇国史観、神州不滅:大日本帝国。また復興軍神には楠木正成、新田義貞といった中世時代にて武家優位の趨勢であるにもかかわらず当時の天皇に忠誠を尽く通した武将が選ばれ、小学校教育の題材にもされた。
古代ゲルマン神話、北欧神話、アトランティス大陸神話、ワーグナー作楽劇、チベット・シャンバラ神話、宇宙氷説、優生学、優性遺伝、遺伝子汚染:ナチスドイツ
ミシェル・ノストラダムス師の予言集:第二次世界大戦中の英国、ナチスドイツ
新約聖書、ヨハネの黙示録:チェルノブイリ原発事故直後のソ連
旧約聖書:神聖ローマ帝国、十字軍、島原の乱、太平天国、イスラエル
檀君神話:韓国、北朝鮮
「金日成元帥」「金正日将軍」の伝説(金日成・金正日を参照):北朝鮮
バビロンの空中庭園:サッダーム・フセイン政権下のイラク
アーサー王物語:イギリス
三皇五帝神話:中国諸王朝
西遊記:清朝末期の義和団
原初年代記、スラヴ神話:帝政ロシア
スタハノフ運動、ルイセンコ学説:ソビエト連邦
ヘネッケ運動:東ドイツ
ポール・リビアの伝令活動:アメリカ合衆国

プロパガンダ研究・解説・紹介資料(書籍・ドキュメンタリー映像作品)
研究資料(書籍・論文など)

ハーバート・アービング・シラー(斉藤文男訳)『世論操作』(青木書店、1979年、ISBN 978-4-25-079038-6)、Herbert I. Schiller "THE MIND MANAGERS"
アラン・ジョベール(村上光彦訳)『歴史写真のトリック 政治権力と情報操作』(朝日新聞社、1989年、ISBN 978-4-02-255939-5)、Alain Jaubert "Le Commissariat aux Archives, Le photos qui falsifient L'histire" (1986)
鳥飼行博『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(青弓社、2008年、ISBN 978-4-7872-2028-8)
ズビニェク・ゼーマン(山田義顕訳)『ヒトラーをやじり倒せ 第三帝国のカリカチュア』(平凡社、1990年、ISBN 978-4-582-28604-5)、Zbynêk Zemann "Heckling Hitler, Caricatures of the Third Reich"(1984,1987)
佐藤卓己『大衆宣伝の神話・マルクスからヒトラーへのメディア史』(弘文堂、1992、ISBN 978-4-335-25051-4)
アンソニー・プラトカニス、エリオット・アロンソン(社会行動研究会訳)『プロパガンダ 広告・政治宣伝のからくりを見抜く』(誠信書房、1998年、ISBN 978-4-414-30285-1)、Anthony R. Pratkanis, Elliot Aronson "Age of Propaganda, The everyday use and abuse of persuasion"
ロバート・キング・マートン(森東吾・森好夫・金沢実・中島竜太郎訳)『社会理論と社会構造』(みすず書房、1961年、ISBN 978-4-622-01705-9)、Robert K. Merton "Social Theory and Social Structure, Toward the Codification of Theory and Research"(1949)
アンヌ・モレリ(永田千奈訳)『戦争プロパガンダ10の法則』(草思社、2002年、ISBN 4-7942-1129-5)、Anne Morelli "Principes élémentaires de propagande de guerre"(2001), ISBN 2-8040-1565-3
須藤遙子『自衛隊協力映画 「今日もわれ大空にあり」から「名探偵コナン」まで』(大月書店、2013年、ISBN 978-4-272-33081-2)
ジェフリー・ゴーラー『日本人の性格構造とプロパガンダ』ミネルヴァ書房 2011/04/16
池田徳真『プロパガンダ戦史』中央公論社 (1981/01)、中央公論新社 (2015/7/23)

漫画

「栄光なき天才たち」16巻「名取洋之助」(集英社)
「実録 アメリカ大統領選 陰で笑った必殺歴史の仕掛け人」(講談社)
「ゴルゴ13」(作:さいとうたかを、小学館)
    単行本120巻収録 第403話、文庫コミックス版101巻収録 『世紀末ハリウッド』 - TVアニメ化されている。
    単行本128巻収録 第424話、文庫コミックス版110巻収録 第380話『演出国家』
    単行本135巻収録 第445話、文庫コミックス版113巻収録 第388話『ダブル・ミーニング』
    単行本149巻収録 第495話、文庫コミックス版126巻収録 『ピンヘッド・シュート』
    ビッグコミック増刊ゴルゴ13シリーズ171号収録(単行本未収録)『ボリバル2世暗殺計画』

映像作品

ドキュメンタリー「撃墜 大韓航空機事件〜情報戦争の9日間〜」(1990年 NHK製作)
ドキュメンタリー「メディアと権力」 (1992年 BBC製作)本作品紹介HP(「大衆操作の天才・ゲッベルス」「テレビがアメリカ政界を変える」「タレント政治家の功罪」)
ドキュメンタリー「アメリカ情報部隊」 (NHK製作)(「作られた謎・下山事件」「占領下の米ソ諜報戦」)
ドキュメンタリー「狂気の生贄」第二部「悲劇の美人監督レニ・リーフェンシュタール」
ドキュメンタリー映画「アトミック・カフェ」
ドキュメンタリー「検証!ナチス製作映画「タイタニック」」(ヒストリーチャンネル製作) - タイタニック (映画)内の「タイタニック (1943)」も参照の事。

脚注
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注釈

^ 詳細は「ナチス・ドイツのプロパガンダ」を参照。
^ いわゆる「レッテル貼り」のこと。
^ 人間は本能的に集団から疎外されることを恐れる性質があり、自らの主張が世の中の趨勢であると錯覚させることで引きつけることが出来る。
^ たとえば愛国心を表象する感情的な転移として国旗を掲げる。
^ 宣伝相ゲッベルスの言葉とされることが多いが、ゲッベルスの言葉ではない。
^ 絶対制の国に多いが、イギリスやタイなど立憲制の国にも見られる。日本でも天皇・皇族の動きは扱いの違いこそあれ必ず報じられる。
^ NHKニュース7に見られる北朝鮮関連報道が特徴的である。
^ 例としてマクシム・ゴーリキー号など。
^ 国家が安全保障上の危機を迎える=国内で生活している愛する家族の生存権・生命・健康・財産が脅かされる→家族を守る為にも国家・連邦政府に協力し続けないといけない といった誘導構図になっている。
^ ただし日本での場合は自発的なものではなく新聞紙法による強制である。
^ 当時としては最新の特殊技術である。
^ 25ヵ国語で30ヵ国に向けて発行され、交戦中のアメリカでさえ1942年まで発行されていた。
^ 日・英・仏・西の4か国語版が有。
^ 内閣情報部の支援により東方社が発行。一時は日本語を含む16か国語で製作されていた。
^ 日本国内向けの国策グラフ誌。
^ 5か国語版が有。
^ 欧米の著名雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』を参考に創刊。日本語版も存在した。
^ 日本万国博覧会で、ソ連館の入場客に配布された。
^ 1996年まで発行されていた日本語版は、かつて日本国内にあった朝鮮総連系企業の朝鮮画報社で発行・印刷されていた。
^ 多くは何らかの公式サイトを偽装したり、全くの第三者を装ったりしている。
^ 2007年の統一地方選挙の際には、匿名掲示板2ちゃんねるやブログ等で民主党を中傷する捏造情報が大量に書き込まれ、組織的犯行として警察が捜査に乗り出す事態に発展した[23]。
^ 例として中華人民共和国におけるネット検閲、タイ王国のYouTube接続遮断などがある。
^ 例としてグーグル爆弾、サジェスト汚染(検索エンジン最適化の亜種)がある。
^ 「工作活動」と確定しているわけではない。
^ ただし、商業活動は政治宣伝とは別個に扱われることがほとんどである。
^ ただし、フランスのフランは自国の偉人、ソ連及びロシアのルーブルは都市が用いられているなど、少なからず例外がある。
^ 諸外国では候補者の戸別訪問が容認されており、こうした選挙カーの使用は、日本特有のものである。また公職選挙法の規定により、走行中の演説は出来ないので、勢い、党名と人名の連呼だけになる。
^ 会場が“広場”“公園”なら定員はあって無きが如し。また“来る者拒まず、去る者追わず”の自由参加であることがほとんどなので、その場にいる人数も一定しない。
^ 特にオリンピックに顕著である。
^ 元はマルセイユの義勇部隊の隊歌であった。
^ 兵役は経験済みなのでみな予備役である。
^ 『意志の勝利』、『オリンピア』など。
^ 『タイタニック』が有名。
^ ナポレオンに重用され、ナポレオンを讃える作品を多く描いた。
^ アニメ映画に『フクちゃんの潜水艦』。また、アメリカ軍の宣伝ビラにも無断でキャラクターが使用された。
^ 太平洋戦争中、アメリカ人画家としてアメリカの対日プロパガンダに参加。
^ 内閣情報部参与、文芸銃後運動を提唱
^ 『交響曲第2番ロ長調「十月革命に捧げる」』、『交響曲第3番 変ホ長調「メーデー」』など。
^ 歌謡曲リリー・マルレーンをカバーし、ヨーロッパ戦線の連合軍兵士を慰問した。
^ オペラ『黒船』、軍歌『燃ゆる大空』などを作曲。軍服姿を好んだため、戦後戦犯論争が起きた。
^ アニメ映画『桃太郎の海鷲』、『桃太郎 海の神兵』が有名。
^ ドナルドダックが主人公の短編アニメ映画『総統の顔』は1943年アカデミー短編アニメ賞を受賞した。
^ アメリカ同時多発テロ事件直後、アメリカでは街じゅうに星条旗が掲げられ、“団結するアメリカ市民”を印象付けた。
^ 巨大な宮殿や城、パレード用の大通りや広場など。
^ この他、同国内で広く信奉されている風水術上での問題や日本治世下時代への忌避を背景とした世論の後押しなども挙げられる。
^ エトワール凱旋門より10m高くなるように建設された。
^ 旧東ドイツ建国〜1961年の期間は「スターリンアレー」という名称。戦前のベルリンでの中心繁華街であった「ウンターデン・リンデン通り」に代わる存在かつ旧西ベルリン一の中心繁華街「クーダム通り」への対抗として整備されたが、やがて後に同じ東ベルリン内のフリードリヒ通りにその座を奪われていく
^ 例としてアメリカ合衆国とソビエト連邦、中華人民共和国、中華民国

出典

^ a b c d e f g h 松井一洋 2011, pp. 25.
^ 石井貫太郎 2004, pp. 40.
^ 今井仙一 1954, pp. 35.
^ 今井仙一 1954, pp. 40–41.
^ 今井仙一 1954, pp. 49.
^ 市民的及び政治的権利に関する国際規約第20条
^ “The Story of Propaganda | AHA”. www.historians.org. 2021年12月30日閲覧。
^ 松井一洋 2011, pp. 29.
^ 松井一洋 2011, pp. 29–30.
^ 松井一洋 2011, pp. 30–31.
^ The techniques of persuasion 1963
^ Prophets of deceit 1949
^ a b 松井一洋 2011, pp. 28.
^ en:Peter KenezのThe Birth of the Propaganda State;Soviet Methods of Mass Mobilization 1985
^ 「何をなすべきか」 1902年
^ 亀田真澄 2011, pp. 71.
^ 今井仙一 1954, pp. 24.
^ a b 石井貫太郎 2004, pp. 41.
^ a b ブログ:間近で見た北朝鮮の軍事パレード - ロイター
^ ポンソンビー「戦時の嘘 ―戦争プロパガンダが始まった―」(東晃社、1941年)。Arthur Ponsonby"Falsehood in Wartime: Propaganda Lies of the First World War"(Allen and Unwin Pub., 1928),(Paoerback,Legion for the Survival of Freedom, 1991, ISBN 978-0-939484-39-3)、ウィキクオート版
^ 「首相官邸前異状なし、報告すべき件なし」―テレビ報道の劣化 水島朝穂・早稲田大学教授 公式ウェブサイト内「今週の直言」2012年7月2日
^ 瀬川裕司 「ナチ娯楽映画の世界」 平凡社 ISBN 978-4-582-28238-2
^ ネット中傷:民主党“標的”10万件 都知事選と参院補選 毎日新聞 2007年4月27日
^ NHK総合テレビ特報首都圏「ネットの“祭り”が暴走する」、2007年7月6日放送分
^ Rifkind, Malcolm (2016年8月16日). “How China could switch off Britain's lights in a crisis if we let them build Hinkley C”. デイリー・テレグラフ 2021年1月21日閲覧。
^ British think tank funded by Japan pushing anti-China campaign into mainstream UK media The Drum 2017年1月29日
^ 英媒:日本资助英国智库展开反华公关宣传 BBC(中国語)
^ “米最高裁、リベラル派判事が退任へ 後任は黒人女性か”. BBC (2022年1月27日). 2022年1月28日閲覧。
^ イリーナ・メーリニコワ「ソヴェート映画に見るモスクワ神話」『言語文化』第2巻第1号(1999年7月)

参考文献

松井一洋「「真実」の情報はありうるか」『広島経済大学研究論集』33(4)、広島経済大学、2011年、 23-37頁、 NAID 40018794715。
亀田真澄「共産主義プロパガンダにおけるメディア・イメージ : ソヴィエトと旧ユーゴの「労働英雄」報道の例から」『東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』第26巻、東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室,東京大学大学院人文社会系研究科、2011年、 69-87頁、 NAID 120002871423。
石井貫太郎「宣伝の政治学 : 政治的リーダーシップとプロパガンダ」『目白大学人文学研究』第1巻、目白大学、2004年、 39-45頁、 NAID 110007000922。
今井仙一「<論説>プロパガンダについて」『同志社法學』第22巻、同志社大学、1954年、 24-55頁、 NAID 110000199417。
ハーバート・アービング・シラー著、斉藤文男・訳『世論操作』青木書店、1979年 ISBN 9784250790386

関連文献

貴志俊彦『帝国日本のプロパガンダ-「戦争熱」を煽った宣伝と報道』 (中公新書 2703)、中央公論新社、2022年、ISBN 4121027035
アンソニー・プラトカニス/エリオット・アロンソン著 社会行動研究会・訳『プロパガンダ ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く―』誠信書房、1998年 ISBN 4414302854

関連項目

メディア・リテラシー
情報操作 - 虚偽報道
偏向報道 - 写真編集#政治的・倫理的問題 - スピン (パブリック・リレーションズ)
教育 - 管理教育 - 絵本作家 - 子供番組
洗脳 - 児童文学 - 認知心理学
標語 - スローガン - 公共広告
伝単 - 刷り込み - パブリック・ディプロマシー
ネガティブ・キャンペーン
ドン・ブラウン - デイヴィッド・オグルヴィ - エドワード・バーネイズ
社会主義核心価値観
ウクライナにおける「ネオナチ問題」
攻撃戦だ(コンギョッチョニダ)

外部リンク
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東京大学文学部 第一次世界大戦期プロパガンダ・ポスター 益田コレクション
法政大学大原社会問題研究所 所蔵資料 プロパガンダ・ポスターなどのポスターコレクション
『プロパガンダ』 - コトバンク

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アングロサクソン・モデルの本質

アングロサクソン・モデルの本質
https://1000ya.isis.ne.jp/1366.html

 ※ 松岡正剛という人の、「千夜千冊」という「書評サイト」における書評だ。

 ※ この本、前々から読みたいと思っていた…。

 ※ 身辺が、やや落ち着いてきたんで、久々で「紙の本」だが、最近購入した。
   とっくに絶版になっているんで、古本でしか、手に入らない。
   なるべく「良品」を購入したかったんで、探したら、けっこうな値段した…。

 ※ しかし、ちょっと、期待した内容とは違っていた…。
   「アングロサクソン・モデル」という語から想像していたものは、もっと「社会システム全般」「政治システム」「思考の枠組み」みたいな内容だったんだが…。

 ※ ここで言っている「アングロサクソン・モデル」とは、英米系の「グローバル企業」における、「企業の利益獲得モデル」の話しだった。

 ※ まあ、「アングロサクソンの資本主義モデル」くらいには、広がっているが…。

『なぜイギリスに世界資本主義が集中して確立し、
そこからアングロサクソン・モデルが
世界中に広まっていったのか。

英国型コモンローと大陸型ローマ法の違い、

エクイティやコーポレート・ガバナンスの違い、

とりわけアメリカ的株主主権型資本主義との違いなど、

いろいろ考えなければならないことがある。

 数年前、ぼくは『世界と日本のまちがい』(その後『国家と「私」の行方』春秋社)のなかで、イギリスを悪者扱いした。イギリス人が嫌いなのではない。ジェントル然としながらもシャカリキにしゃべるところ、オックスブリッジの学究力、コッドピース(股袋)を発明するところ、エスティームでエスクワイアーなところ、男色やギャラントな性質を隠さないところ、大英博物館が自慢なところ、そのほかあれこれ。付き合うかぎりは、むしろ喧しいフランス人や無礼なアメリカ人よりずっと好ましく思っているほうなのだが、そういうこととはべつに、歴史にひそむ「イギリス問題」を看過してはまずいと思ってきたからだ。

 この本には「自由と国家と資本主義」というサブタイトルをつけた。それは、ヨーロッパにおける都市国家・王権国家・領主国家・植民地国家などと続いてきた「国家」の歴史が、近代においてネーション・ステート(国民国家)に向かったところで、その隆盛とともに「自由」と「資本主義」をいささか怪しいものにしたと言わざるをえないからだ。

 ぼくがそのことに関する「まちがい」をどのように描いたかは、あらためて読んでもらうこととして、さて、この「イギリス問題」を現代資本主義のしくみのほうから見たときに、しばしば「アングロサクソン・モデルの問題」というふうに議論されてきたことを、今夜は考えたい。いったいアングロサクソン・モデルって何なのか。むろんイングリッシュ・モデルということだが、ではそれって「イギリス問題」なのかどうか、そこを本書に追ってみた。著者は一橋大とロンドンビジネススクールをへて、野村総研のワシントン支店長やNRIヨーロッパ社長を務めたのち、法政大学で教鞭をとっている。

 イギリスがイギリスになったのは、ヘンリー8世がルターの宗教改革に反対し、とはいえローマ教会のカトリックの支配にもがまんがならず、一挙に英国国教会という独自路線を打ち立てたとき、それからエリザベス女王と東インド会社が世界資本主義のセンター機能をアムステルダムからロンドンに移したときからである。このときイギリスは「アングリカニズム」の国になった。大陸ヨーロッパとは袂を分かち、あきらかにブリティッシュ・ナショナリズムに立ったのだ。ナショナリズムとは自国主義のことをいう。これはカトリックの普遍主義(ユニバーサリズム)とはずいぶん違う。

 その後、イギリスはクロムウェルのピューリタン革命を通してピューリタニズムを生んだかに見えたのだが、それは「エミグレ」(移住者)とともに新大陸アメリカに渡り、いささか姿と信条を変えてアメリカン・プロテスタンティズムになっていった。そのどこかであきらかに資本主義とピューリタニズムあるいはプロテスタンティズムが結びつき、イギリスには「コンフォーミズム」(順応主義・承服主義)が残った。歴史的には、それらの前期資本主義・国教会・ピューリタニズムを含んで、アングロサクソン・モデルがつくられていったはずなのである。

 本書でアングロサクソン・モデルと言っているのは、むろん英米型の資本主義のモデルのことを言う。いまではまとめて「株主資本主義」とか「新自由主義的資本主義」と呼ぶか、もしくはそれをイギリス型のアングロサクソン・モデルとアメリカ的でWASP型のアングロアメリカン・モデルとに分けるのだが、本書では一括されている。

 この見方そのものは新しくない。旧聞に属する。しかし旧聞に属したモデルから出発してそのヴァージョンを説明したほうがわかりやすいこともある。本書はその立場をとる。英米のアングロサクソン・モデルとしての株主資本主義、ドイツの社会民主主義的な銀行資本主義、フランスのエリート率先型の国家資本主義、日本の経営者従業員平均型の資本主義というふうに、とりあえず出発点を分けるのだ。

 古典派経済学は、自由市場原理(マーケット・メカニズム)によって、個人と自由と社会のつながりがほどよく鼎立すると考えた。そう考えることで、たとえ個人が利益追求をしても「見えざる手」のはたらきによって経済社会は相互的な向上を生むという確信を樹立できた。

 ところが20世紀に入って2つの大戦を経過し、そこに政治と企業と大衆と個人の分離がいろいろ生じてくると「個人の自由」と「社会の連帯」とが合致しなくなってきた。そのうち、政治のほうがこのどちらかを重視するようになった。

 市場と「個人の自由」を連動させて重視したのは、その後は市場原理主義とも新保守主義ともよばれている「新自由主義」(neo-liberalism)である。新自由主義は、もともとイギリスのコモンローの伝統やそれを補正するエクイティ(道徳的衡平)の考え方にひそんでいたイデオロギーやスタイルを生かし、これをマーガレット・サッチャー時代に強化したものだ。

 これに対して、市場の力をなんとか「社会の連帯」に結びつけようとしたのが「社会民主主義」(social democracy)で、こちらは大陸ヨーロッパに普及していたローマ法などの伝統にもとづいてラインラント型に組み立てられ、ドイツを中心に労使共同決定スタイルをもってヨーロッパ大陸に広まっていった。

 これらのうちのイギリス型がアメリカに移行して、WASP的な資本主義となり、もっぱら株主重視の強力な自由市場的資本主義になったわけである。しかし、なぜそんなふうになったのかということをリクツをたてて説明しようとすると、これが意外に難問なのだ。アメリカ人が「人生は深刻だが、希望もある」と言うのに対して、イギリス人は「人生には希望はないが、それほど深刻でもない」と言いたがるといった程度の説明では、あまりにも足りない。

 アングロサクソンという民族は一様ではない。源流は大きくはゲルマン民族に入るし、イングランドに渡ったアングル人とサクソン人は最初は別々だった。

 アングル人はその後にイングランドの語源になり、サクソン人のほうもサセックスとかエセックスといった地名として各地に残った。エセックスは「東のサクソン王国」、ウェセックスが「西のサクソン王国」である。ウェセックス王国の首都がウィンチェスターで、9世紀にそのエグバート王がそれまでの七王国を統一し、イングランドの最初の覇権を樹立して、それをアルフレッド大王が仕上げていった。

 しかし、それでイギリスという原型ができたわけではない。1066年に北フランスのノルマンディー公ウィリアム1世がヘースティングズに上陸してイングランドを征服し、ロンドンを拠点に中央集権を敷いて、ここに多民族を配下とした「ドゥームズデー・ブック」(土地台帳)にもとづく封建制を施行したとき、やっとイギリスの原型が誕生し、ここからコモンローの伝統が育まれていった。このあたりのことは、『情報の歴史を読む』(NTT出版)にも書いておいた。

 その後、エリザベス時代やヘンリー8世時代をへて、大英帝国の規範としてのイギリスがしだいに形成されていった。そのわかりやすい頂点は、ナポレオンがヨーロッパ中を戦争に巻き込んだときイギリスがこれに抵抗し、ナポレオンもまた大陸封鎖によってイギリスを孤立化させようとしたことにあらわれた。

 以上のように、イギリスは大陸ヨーロッパとの関係で大英帝国になっていったわけだが、当然、その内的歴史にもアングロサクソン・モデルの胚胎があったとも言わなければならない。その大きな下敷きにコモンロー(commonlaw)がある。

 コモンローは、中世イングランドの慣習法にもとづいて積み重ねられていった法体系である。教会法に対して世俗法の意味で、こう呼ばれるようになった。

 イングランド王国を征服したウィリアム1世が「ドゥームズデー・ブック」によってイギリスの土地と人間のつながりをまとめていったとき、税金が確実に王国の金庫に納付されているかどうかをチェックするための大蔵省(Exchequer)が設置され、納税事務とともに民法や刑法にあたる管轄権をもった。

 これを背景に、12世紀に国王裁判所(Royal Justice)が生まれ、巡回裁判(travelling justice)の制度が確立した。不法行為法、不動産法、刑法などの封建制の基幹をなす諸法がこうして整えられていった。この巡回裁判によってあまねく浸透していったのがコモンローなのである。

 そこにはほぼ同時に、「信託」(trust)や「エクイティ」(equity)の概念が芽生え、そのまま定着していった。コモンローは成文法ではない。制定法ではない。国王をも律する「王国の一般的慣習」としての判例の集合体である。そこには権威によって書かれた文書(法典)はない。

 なぜそのようなコモンローがアングロサクソン・モデルの基本となったのか。なぜコモンローがローマ法やカノン法の継受を必要としなかったのか。3つの理由がある。

 第一には、ノルマン人によるイングランド統一以降、国王裁判所が巡回的に全土に判例を積み重ねていったため、国内の地方特有の規則や法が淘汰されていったことだ。これが多民族多言語の大陸系のヨーロッパにあっては、ローマ法などを導入して成文的統一をはかるしかなかった。

 第二には、法律家はすべて法曹学院(Inns of Court)という強力な法曹ギルドによってかためられていた。イギリスの法モデルは、大学でローマ法を学んだ者が管理するのではなく、法曹学院の成果をその出身者たちが管理するものなのだ。いまでもイギリスのロースクールは大学とは独立していて、バリスターとよばれる法廷弁護士が所属する法曹団体(Bar Council)がこれをサポートしている。

 第三には、そうした封建制がくずれて近代化が始まったのちも、大法官府裁判所がコモンローを補完するエクイティ(衡平法)という体系を接合してしまったからだった。以降、アングロサクソン・モデルはコモンローとエクイティの両輪によって資本主義ルールを確立することになっていく。

 アングロサクソン・モデルにおけるコモンローとエクイティの役割は、まことに独特だ。コモンローが支配的ではあっても、会社法・為替手形法・商品販売法といった制定法(statute law)はその後に次々に加えられていった。

 これを促進したのは「最大多数の最大幸福」を説いたジェレミー・ベンサムで、コモンローだけではあまりに合理的な解決が得られないことを批判したためだ。1875年に裁判所法がコモンローとエクイティの統合をはかったのが、その大きな転換だった。それでも、包括的な家族法、相続法、契約法、民事訴訟法などはいまなおコモンローの判例にもとづいている。

 こういう変成的なことがアングロサクソン・モデルに入りうるのは、イギリスの議院内閣制では行政府と立法府はほぼ一体になっていて、意外にも三権分立が必ずしも確立していないせいでもあろう。イギリスの議会は与党内閣の政策意思を受けて、なかば受動的に立法機能をはたしていることが多いのだ。それゆえ、内閣の意思に反して党籍を除名されれば、その議員が日本の政治家のように、政党を変えて再選に臨むなどということはまずおこらない。イギリスの政治家は党籍剥奪とともに政治生命をおえる。日本にはイギリス的な意味での本格的な政党政治家はほとんどいないと言っていい。

 では、「エクイティ」とは何なのかというと、ここでもちょっとした歴史認識が必要になる。

 今日のアメリカ型の株主資本主義では、株式のことをエクイティとかエクイティ・キャピタルと言い、株主資本をシェアホルダーズ・エクイティと言っている。けれどももともとのエクイティの意味とは衡平法から生まれた「信託」のことだった。

 エクイティという言葉も、委託者(受益者)の権利を公平に守るという意味から生まれた新概念なのである。14世紀には明確な意味をもちはじめ、ヘンリー8世の1535年に信託法(ユース法)が確立すると、大法官が「エクイティによる救済」を施すようになって、その判例がしだいに集合してエクイティの概念を普及させた。コモンローが基本的な決め事の本文(code)だとすれば、エクイティは付属文書(supplement)にあたるもの、ざっとはそのような価値観の関係だと見ていい。

 こうしてイギリスに、法律上の所有権(legal ownership)と、土地などの所有権(equitable ownership)とを区別する、汎用的なエクイティの考え方が浸透し、これがその後の株式会社における有限責任制の保護や、さらにはアングロサクソン・モデルにおける経営者の株主に対する受託者責任の重視につながっていった。

 すでによく知られているように、アングロサクソン・モデルにおいては、法人化された株式会社(共同出資企業)では、経営者(取締役と執行役員)は受託者で、会社と株主の利益に対しての忠実義務(duty of loyalty)と注意義務(duty of care)を負っている。そのぶん、広範な裁量権(執行権限)も与えられている。今日の取締役や役員の行動基準はここから発してきたものなので、ここから受託者が委託者(株主)に説明する(account for)という、いわゆる「説明責任」(accountability)も生まれた。

 こういうことはすべてコモンローとエクイティの考え方から派生したものだった。しかし、そんなことはイギリス人の自分勝手だったのである。

 以上のような特異なアングロサクソン・モデルの基本を理解するには、いったん、それとはいささか異なる大陸ヨーロッパ型の資本主義がどのようなものであるかを知っておいたほうがいい。

 そもそも「ヨーロッパ」という概念は、今日のEUに見られるごとく、地域や民族や人種や言語の実体をあらわしてはいない。古代ギリシア、ローマ帝国、ガリア地方、フランク王国、ライン川諸国(ラインラント)、イベリア半島勢力その他の、さまざまな社会経済文化が離合集散する共同体群が、あるときローマ・カトリック教会によって“統一体としてのひとつの規範”をもったことから、「ヨーロッパ」という超共同体が認識されてきたものだった。

 なかで、大陸ヨーロッパで法的な規範として重視されていったのが「ローマ法」である。風土も慣習も言語も異なる複数民族のヨーロッパ社会では、これらを統括する法典が必要だったからだった。そこはイングランドとは決定的に違っていた。いや、イングランドが変わっていた。

 たとえばドイツだが、ドイツは神聖ローマ帝国の昔から連邦制の分権国家群として成り立っていた。それが19世紀まで続いた。なぜそうなったかというと、有名な話だろうが、次のような変遷があった。

 962年にザクセン朝のオット11世が神聖ローマ帝国皇帝として戴冠したとき、いったんローマ・カトリック教会の世俗社会に対する権威が失われた。それまではキリスト教の聖職者が王国内部の大公や伯を牽制し、その力が王国ガバナンスの要訣となっていたのが崩されたのだ。しかし11世紀になって、ローマ・カトリック教会は中央集権的な教会体制を再構築し、教会の司祭職の叙任権を奪回する試みに出た。

 この叙任権問題をめぐっては激しいやりとりがあった。挙句、ローマ法王グレゴリウス7世がドイツ国王ハインリッヒ4世を破門し、1077年にハインリッヒ4世がイタリアのカノッサで法王の許しを乞うことになった。これが教科書にも有名な「カノッサの屈辱」だが、これを機会にローマ・カトリック教会はゲルマン系の諸国家を布教するにあたって、諸侯には自治権を、庶民には生活上の自由を認めるようにした。

 こうしたことがしだいにヨーロッパ各地におけるローマ法の定着を促した。加えてこの事情のなかで、そのころ成立しつつあった大学の教職者たちがローマ法を研究し、その影響をその地にもたらすという制度ができあがっていった。ドイツでは大学の教科書こそが法律になったのだ。イギリスが法曹団体によって外側から法をコントロールしたこととは、ここが大いに異なっている。

 ヨーロッパの資本主義は、12世紀の銀行業の確立から14世紀の小切手の利用や複式簿記の実験をへて、15世紀にはほぼその前提的全容が姿をあらわしていた。いわゆる商業資本主義の世界前史にあたる。

 この史的世界システムとしての資本主義が産業革命を促し、やがて強度のアングロサクソン・モデルと軟度のドイツ・イタリア型とアメリカ型などに分化していったことについては、また、それとは別に日本モデルやブリックス・モデルが登場してきたことについては、ましてそのおおもとのアングロサクソン・モデルがいったんサッチャリズムやレーガノミックスでそれなりの絶頂期を迎えながら、どうにも不具合を生じてしまったことについては、アナール派以降の説明でもウォーラーステインの説明でも必ずしも充分なものになっていない。

 そうなのだ、アングロサクソン・モデルはしばしば限界状況をきたし、それをそのたびなんとかくぐり抜けてきたというべきなのである。それがついにはエンロン事件やリーマン・ショックにまで至ったのだ。

 古い歴史の話はともかくとして、その後の現代資本主義における「イギリス問題」を見てみても、アングロサクソン・モデルがしばしば限界状況をきたすということは、決してめずらしいことではなかった。たとえば多国籍企業の時代でも、70年代から80年代にかけてのスタグフレーション(景気停滞とインフレの同時進行)の時代でも、もっと言うなら大恐慌の時代でも、そういう症状はあらわれていた。

 それらの症状が90年代以降は、たんにディレギュレーション(規制緩和)とリストラクチャリング(事業再編)とグローバリゼーション(経済管理の標準化)によって、乗り越えられようとしていたか、あるいはごまかされていたとも言えるわけである。ということは、ディレギュレーションとリストラクチャリングとグローバリゼーションの掛け声は、アングロサクソン・モデルの“ぼろ隠し”だったとも言えるわけだった。

 1993年に書かれたハムデン=ターナーとトロンペナールスの話題の書『七つの資本主義』(日本経済新聞社)には、資本主義をめぐる七つの対立が明示されていた。古くなった見方もあるが、いまなお参考になる対比点もあり、本書も踏襲しているので、あらためて掲示しておく。

①普遍主義(universal)と個別主義(particular)

 カトリックとプロテスタントに普遍主義があった。ラテン系やアジア諸国は経済的には個別主義を重視する。このいずれをもグローバリズムが覆ったのだが、その一方では地域ごとの普遍主義と個別主義の抵抗に遇った。

②分解主義(analytic rational)と総合主義(synthetic intuitive)

 要素に分解したがるのが分解主義である。つまりはスペシフィック(関与特定的 〈specific〉)にものごとを見たり、アンバンドル(切り離す)しながら事態を進めたりする。証券化のプロセスで、要素価値とリスクをアンバンドルするのがその例だ。総合主義は統合したがり、バンドルしたがりだが、ときに関与拡散(diffuse)になる。ネットワーク主義がこの傾向をもつ。

③個人主義(individualistic)と共同体主義(communitarian)

 個人主義はアングロサクソン・モデルの根底にある。ドイツ・イタリア・日本は共同体的であろうとすることが多い。このあたりのこと、エマニュエル・トッドの研究がある。しかし、ここでいう共同体主義(コミュニタリアニズム)については、いまはかなり深化し、また多様になっている。

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エマニュエル・トッド著『新ヨーロッパ大全Ⅰ』より作成

遺産相続に際して財産が平等に分配されるかどうかによって①と②に分類し、
さらに、大家族制度が支配的か、各家族制度が支配的かによって③と④に分けている。
こうして欧州諸国を4つのタイプに分類したもの。

④自己基準(inner directed)と外部基準(outer directed)

 アングロサクソン・モデルは株主や企業が自己基準をもってコーポレート・ガバナンスとコンプライアンスに当たることを前提とし、アジア型企業の多くは状況判断や社会変化に対応しようとする傾向をもつ。

⑤連続的時間(sequential)と同時的時間(synchronic)

 野球やアメフトはシークエンシャルに時間秩序が整っているスポーツゲームで、サッカーやラグビーはシンクロニックなゲームである。連続時間的な価値観は継続事業的な判断(going concern)をし、たとえばM&Aにおいても、M(merger)は合併によって新会社を設立する一方、A(acquisition)によって株式の一部取得を通して事業を継続させるという方法をとる。同時間主義はドイツや日本の徒弟制や、マンガ制作やアニメスタジオに顕著だ。

⑥獲得主義(achievemental)と生得主義(ascriptive)

 フランスではエリート養成学校グランゼコールの同窓生、なかでもENA(国立行政学院)の卒業生が高級官僚から天下って民間会社の経営者となり、政財界を牛耳ってきた。日本ならば東大法科にあたる。これが獲得主義だ。一方、生得主義は生まれながらの才能をどう伸ばすかという方向になっていった。

⑦平等主義(egalitarian)と権威主義(hierarchical)

 とくに説明するまでもないだろうが、これにタテ型とヨコ型が交差するとややこしい。たとえばフランスやドイツはヨコ型権威主義、スペインやシンガポールはタテ型平等主義の傾向がある。

 これらの対比特色のうち、アングロサクソン・モデルがどこを吸着し、何を発揮していったかというと、たとえば「分業」の思想や「株主重視」の発想は分解主義と個人主義がもたらした。「複利」の発想は連続時間的価値観から生まれた。株主資本主義は分解主義がもたらしたのである。一方、アメリカ型は保守もリベラルも自己基準的なので、集団に奉仕しながらも、個人がその集団に埋もれてしまうのを嫌うため、プロテスタントな自立性を組織的に求めようとしていく。

 これに対してドイツや日本は同時間主義的で、状況的な外部基準をおろそかにしないので、ついつい労使共同決定的になっていった。ドイツや日本にいまでも多数の中小企業群(Mittelstand)があって、それぞれが専門技術やノウハウをもって食品から自動車までを支えているのは、かつてはそれぞれのハウスバンクが機能していたせいだ。いいかえれば、ドイツや日本では、労使共同的であるから経営の透明性や説明の明示性が劣り、そのかわりに親方日の丸や業務提携が発達したということになる。逆にアングロサクソン・モデルでは、事態と機能を分解したのだから、それならつねに経営者や担当者の説明責任(アカウンタビリティ)が求められるわけである。

 こういった特色があるということは、アングロサクソン・モデルにおける「会社という法人」が、きわめて擬制的であるということを物語っている。ハイエクやフリードマンを擁したシカゴ学派などでは、会社というものははなはだフィクショナルなもので、取引関係者相互の「契約の束」(nexus)にすぎないという見解さえまかり通っていた。
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ハムデンターナーとトロンペナールス著『七つの資本主義』より

 アングロサクソン・モデルがつくりあげたしくみのなかで、無節操に世界に広がり、はしなくも価値の毀誉褒貶が激しく、最も説明がつかなくなったものがある。それは何か。会社ではない。議会や政府でもない。貨幣や通貨というものだ。

 そもそも社会は物々交換の経済をもって始まった。そこでは互酬的で互恵的な交換が通例になっていた。そこに、共同体ごとに原始的な貨幣が使われるようになった。それでもそれらはいわば「内部貨幣」であったのだが、やがてそのような貨幣に「交換手段」(medium of exchange)と「計算単位」(unit of account)があらわれてきた。そうなると、人々の異時点あるいは異地点のあいだでの消費と支払いのズレを、貨幣がしだいに保証するようになり、そのうち貨幣に「貯蔵手段」(store of value)が派生した。
 それだけならまだしも、生産に従事する労働の対価を貨幣で支払うようになって、貨幣は「もの」にくっついて動くだけではなく、「ひと」にくっついて労働や生活にも所属することになった。こうして貨幣は法律や言語に匹敵するパワーの象徴になっていったのである。

 そうした貨幣の本質をどのように議論するかということは、とんでもなく難しい。これまでもその議論をぞんぶんに組み立てたという思想はきわめて少ない。近々、ゲオルグ・ジンメルの『貨幣の哲学』(白水社)などを通して、そのあたりを千夜千冊したいと思うのだが、それはそれとして、今夜は、今日の貨幣の問題で、次のことについて言及しておかなければならないだろう。

 第一には、貨幣は地球上のいろいろな場所で発行され、使用されてきたにもかかわらず、これを通貨とし、世界通貨として金などの金属価値から切り離して不換紙幣にしてしまったのは、ひとえにイギリスとアメリカの事情によっていたということ、つまりはアングロサクソン・モデルがもたらした出来事だったということだ。明治日本が列強に伍するために「円」をつくらされたのも、イギリスの画策だった。

 第二に、今日の貨幣は政府と銀行などの「取り決め」(agreement)によってのみ、その価値が裏付けられているにすぎないということだ。これを「貨幣法制説」というのだが、そのことによってだけ、ポンドやドルや円や元やフランという「国民通貨」が成り立っているわけである。

 この国民通貨には、現金通貨と預金通貨があるのだけれど、今日ではそのいずれもが「信用通貨」とみなされている。信用通貨というのは銀行の債務としての銀行信用によって裏付けられているという意味である。これは、通貨は銀行の与信行為によって生まれ、それが同時に銀行にとっての負債に相当するということを意味する。

 第三には、貨幣が利子を生むようになったということだ。この習慣が本格的に生じたのは、イギリスが三十年戦争後のウェストファリア条約以降、国家が保有していた通貨発行権を民間銀行に委譲したことからおこった。戦費を調達するためである。このとき例のジョン・ローが大活躍したということについては、1293夜のミルクス・ウェイトらの『株式会社』(ランダムハウス講談社)でも詳しく述べた。問題は、そのとき、国家が戦費調達の代償として国債を発行し、それを銀行に引き受けさせることの見返りに、通貨発行権とともに利子を付ける権利を認めたということなのだ。

 ちなみに、この利子をこそ問題にしたのがシルビオ・ゲゼルの自由貨幣論やイスラーム経済というもので、いまでも独特の経済価値論を発揮しつづけているので、これについてもいずれ千夜千冊したいと思っている。

 第四に、通貨は世界資本主義システムが進展するなかで、しだいに為替相場と密接な関係をもつようになり、やがて固定相場制から変動相場制に移行したとき、一方では「基軸通貨」の思想をもたらし、他方では「無からつくる通貨」(fiat money)の可能性を開いてしまったということだ。

 そして第五に、ここが今夜の一番の眼目になるのだろうが、通貨の歴史は、株式が「擬似貨幣」の役割を担うことを許したということである。エクイティの発想は、ここからは金本位制でも不換紙幣制でもなく、株式本位制としての資本主義に達したということなのだ。株式は計算単位としての役割をもちえないにもかかわらず、その他のありとあらゆるパワーを吸収することができるようになったのだった。

 株式は国民通貨ではないし、銀行の負債でもない。また確定的な利子も付かない。それなのに現代の資本制は名状しがたい情報価値の評価の変動を媒介に、現代貨幣の本質である「無からつくる通貨」の可能性をもってしまったのである。

 ここにこそ、アングロサクソン・モデルがつくりだした最も強力で最も理不尽な「株式資本主義」と「市場原理型資本主義」の特徴があらわれていた。

 とりあえずの結論ではあるが、ぼくとしては以上のような見方がいいと思っている。日本のビジネスマンは、そろそろアングロサクソン・モデルに代わるモデルを構想するか、もしくはエクイティの英米的ロジックに明るくなるべきなのである。

【参考情報】
(1)本書の著者の渡辺亮は一橋大学とロンドン・ビジネススクールの出身。野村総研で企業財務調査、為替予測、アメリカ経済予測に携わったのち、ワシントン支店長をへて、ヨーロッパ社長となっている。1999年、いちよし経済研究所の社長となり、2002年からは法政大学経済学部教授になった。『ワシントン・ゲーム』(TBSブリタニカ)、『英国の復活・日本の挫折』(ダイヤモンド社)、『改革の欧州に学ぶ』(中公新書)などの著書がある。

 本書はテーマが章立てで分けられているわりに、さまざまに重複していて、実はそこがおもしろい。本来なら未整理な原稿ということにもなるのだが、それがかえってネステッドな解説の複合性を発揮したのだ。これは「ケガの功名」なのだけれど、ときに読書にはこういう僥倖をもたらすことがあるものなのである。

(2)本書に先行する本も後追いする本もいろいろある。先行例としてはハムデンターナーとトロンペナールスの『七つの資本主義』(日本経済新聞社)、ミシェル・アルベールの『資本主義対資本主義』(竹内書店新社)、ブルーノ・アマーブルの『五つの資本主義』(藤原書店)、ピーター・ドラッカーの『ポスト資本主義社会』(ダイヤモンド社)などが有名だ。後攻例はいくらでもあるから省くけれど、たとえばアラン・ケネディの『株式資本主義の誤算』(ダイヤモンド社)などはどうか。

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2010年6月11日

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1355夜 エマニュエル・トッド 経済幻想
1337夜 フリードリヒ・ハイエク 市場・知識・自由
1338夜 ミルトン・フリードマン 資本主義と自由
1293夜 ジョン・ミクルスウェイト&エイドリアン・ウールドリッジ 株式会社

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Keyperson

ヘンリー8世
クロムウェル
ジョン・ロー
フェルナン・ブローデル
ジョン・ミクルスウェイト
アルフォンス・トロペンナールス
チャールズ・ハムデンターナー

アングロサクソン・モデルの本質―株主資本主義のカルチャー 貨幣としての株式、法律、言語

ダイヤモンド社
七つの資本主義―現代企業の比較経営論

日本経済新聞社
資本主義対資本主義―フランスから世界に広がる 21世紀への大論争

竹内書店新社
五つの資本主義―グローバリズム時代における社会経済システムの多様性

藤原書店
ポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わるか

ダイヤモンド社
株主資本主義の誤算―短期の利益追求が会社を衰退させる

ダイヤモンド社
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 ※ デジタル化、IT化、ITリテラシーの発達、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)…。

 ※ これらは、全て、人の価値観を、「プロセス(結果に至る過程自体)」軽視・無視の方向へと向かわせる…。

 ※ AIによる、人の思考の「確率論」への変容もそうだ…。

 ※ そして、これでもかと流通する「煌びやかな成功者」「夢のような成功体験」の洪水のような流通が、人の「欲望」だけを肥大化させる…。

 ※ 社会は、「手っ取り早く、結果だけを手に入れようとするヤカラ」で、溢れかえる…。

『“コスパ・タイパ重視で、SNSに若い頃から慣れ親しんで「成功者」への憧れが人一倍強いZ世代が最終的に行き着く先が「パパ活」「闇バイト」「強盗殺人」なの、当然の帰結感あって最悪すぎる”』

カール・グスタフ・ユング

カール・グスタフ・ユング
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0#%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%BE%B4

『カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 – 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。ブロイラーに師事し深層心理について研究、分析心理学(ユング心理学)を創始した。

生涯

幼少期

1875年:スイス、トゥールガウ州ボーデン湖畔のケスヴィルでプロテスタント(改革派)牧師の家(ドイツ系)に生まれる[1]。少年期は己の内面に深い注意が向けられ、善と悪、神と人間についての思索に没頭する。「生涯忘れられない夢」を1879年または1880年に見られたとされる[2]。

1886年、バーゼルの上級ギナジウムへ通う。かつて言語を研究していた父にラテン語の準備をしてもらってから入学した[2]。この時期に内なる性格としての「NO.2」が現れる。またバーゼル大聖堂に神が排泄する夢を見る。更に母親の示唆によって『ファウスト』が必読書となる[2]。また『ファウスト』は後々に衝動や無意識の認識の意味をテーマに扱ったと述べている[3]。

バーゼル大学時代

1895年バーゼル大学医学部に入学。学生時代はゲーテ、カントやニーチェの著作に感銘を受け、後の心理学者としての著作に、ゲーテの『ファウスト』やニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』への言及も多くみられる。内的な基盤を持たない形式的な信仰というものに疑問を感じ、牧師という職を継ぐことを特には望まず、同名の祖父と同じ名門バーゼル大学で医学を、特にクラフト=エビングの影響で精神医学を学んだ[4]。この同名の祖父には、ゲーテの私生児だと言う伝説があった[5]。

1896年には父親が亡くなり、学費を払うのが困難になり工面に苦労する。卒業後クリニックに勤めたのも資金を得るためである側面もあるとされる[2]。

ニーチェとの関係

ユング入学の15年程前にニーチェはバーゼル大学で講師をしていたため、ユングが入学した時も、当時公務を退いておりニーチェの先輩であり友人でもあったブルクハルトによるニーチェの批判的批評を筆頭として、哲学の高尚な学生はニーチェに対して批判的な議論を行っていたという。また、ニーチェの思想をあまり理解できていない学生内でもかつてのニーチェの所作などに関して噂していた[6]。そんな中、ユングは『ツァラトゥストラ』や『反時代的考察』に感銘を受ける。No.2はツァラトゥストラがモデルとなったという[2]。また後に「ニーチェによって近代心理学を受け入れる準備」をしたと語っている[3]。『無意識の心理』(1916) ではフロイトとアドラーとの分岐点をニーチェの「自己保存の衝動(性衝動に対する)」として紹介している。更には『心理学的類型』(1921) ではニーチェの「アポロン」と「デュオニソス」がユングの類型と連関していると明記。『心理学と宗教』(1940) では「神が死んだ時代」を論じ、またニーチェの精神障害は無意識に呑み込まれて分裂症的(自分をデュオニソスと署名した)になったという分析を行っている。1934年から1939年にかけてはチューリッヒの心理学クラブにて英語にてのゼミナールで『ニーチェのツァラトゥストラの心理学的分析』を行っている。

超心理学

1895年に従妹であるヘリーから降霊術に興味を持つ。そして後々の論文「いわゆるオカルト現象の心理と病理 」に「S.W.嬢」としてヘリーをモデルとして執筆している。但し論文では親族であるということを隠ぺいするためか、1899年から翌年に研究が行われたと記している。この時期、カントの『ある霊視者の夢』も読んでいる[2]。

エービングの教科書

1899年10月国家試験に備えるためにリヒアルト・フォン・クラフト=エービングの精神医学の教科書(1890)を読んで、「自然と精神の衝突が出来事になる場所」「対立し合うものの合一」としての精神医学から衝撃を受ける。当時絶望の場として認識していたユングにとって「人格の病」と捉え「妄想観念や幻覚が精神病に特有の症状であるだけでなく、人間的な意味をもっているということを示すことであった」という部分に意味を見出したようだ[2]。

1900年7月にバーゼル大学を卒業し、「ブルクヘルツリ」病院に勤めることを決め、12月には義務である兵役として初年兵学校に行き、アールガウで歩兵としての訓練を終えてから勤める。

バーゼルでは祖父あっての孫ユングとして見られることが多く、また母と妹のしがらみもあり、バーゼルを抜け出せることはユングの喜びでもあった[2]。
「ブルクヘルツリ」時代

1901年からは、チューリヒ大学精神科クリニックの「ブルクヘルツリ」でオイゲン・ブロイラーの元で助手を務める。

オイゲン・ブロイラーは「ミュンヘンのエミール・クレペリンと並んでブロイラーは彼の専門分野においては指針を与える代表的存在」[2]であった。また1898年にオーグスト・アンリ・フォレル(1848-1931)から精神医学の教授を引き継いでおり、「フォレルの弟子として精神分析をスイスに移住したブロイラーは、この発生途上の仕事と、それゆえフロイトの夢研究にもユングの注目を促したはず」[2]。

ブロイラーは「人道主義と親切さで患者に感銘を与えた医者として、また若い医者たちを完全に傾倒させるまでにたきつけ、激励する教師として称賛されていた…人間として価値を剥奪された患者を人格として尊敬する」[7]。また患者たちと一つ屋根の中で住むことや禁酒・更に私的な自由区間がほとんどない中で勤務することを戒律としていた[7]。

ユング自身は勤務を通して「わたしたちが精神病患者に見出すものは、何ひとつ新しいもの、未知のものはない。むしろわたしたちは自分自身の存在基盤に出会うのである。」[6]と述べている。ブロイラーと同じく真摯に患者と向き合うことを行い、当時の「病んだ人格から疾患をいわば抽象し、診断と症状記述と統計で足りていた」[6]状況を超えようとしていた。また「人間の精神がその自己破壊に直面したときにどのように反応するかを知りたかった」[6]とも語っている。

1902年にブロイラーの勧めで、学位論文を書き、霊媒現象を考察した「いわゆるオカルト現象の心理と病理 (Zur Psychologie und Pathologie sogenannter occulter Phanomene)」を執筆。「E・ブロイラー教授閣下の承認を得て」と書かれていて、周りはオカルト的側面を批判する人もいたらしい一方、ブロイラー教授はユングのその側面を認めていたと言われる[2]。また「遺伝的負因者における夢遊病の一症例」、「ブルクヘルツリ病院の第一助手」という記述もある[7]。

1902年秋から1903年にかけて、ブロイラーの信任を得てパリに留学する。かつてフロイトも留学していた「力動的精神医学の新しい体系の最初の樹立者」ジャン・マルタン・シャルコーのもと改革されたサルペトリエール病院でおしていたこともあったピエール・ジャネ (1859?1947) の元で留学する。「ヒステリー」と「神経衰弱」という2つから出発する視点は後のユングの類型に影響に繋がる。また留学週に出版されたアルフレド・ビネ (1857?1911) の『知能の実験てき研究』が出版され、その「内観」と「外観」という類型論的な鍵概念から詳しく取り扱われていたのも、後のユングの「外交的なヒステリー」と「内向的な分裂病」と類型論に影響を与える。また留学中に婦人帽子制作職人となっていたヘリーに驚き、パリの街で会っている[2]。

1905年、言語連想法の研究から認められ、医長になり、精神医学の教授の資格をとり、さらにチューリッヒ大学の私講師(学校からでなく生徒からお金をとるスタイル)になる[7]。1906年「早発性痴呆の心理」、1908年に「精神病の内容」と題された論文を発表。1909年には、大学を離れて個人開業を開始する[8]。

フロイトとの関係

1900年には、ジークムント・フロイトの『夢判断』に触れるものの、当初は特に影響がなかった[9]。

ブロイラーの病院ではゲマインザーメという一般会議において所長のブロイラーが議長を行っていて、受け持ちの患者についてや論文についての議論もなされたようである。そこで「ユングに任されたこの種の最初の仕事の一つは、ちょうど出版されたばかりのジークムント・フロイトの『夢判断』に関するレポートであった」[2]。1907年からは、フロイトとの間に親交が生まれた[10]。

生理学的な知識欲を満たしてくれる医学や、歴史学的な知識欲を満たしてくれる考古学に興味を抱き、友人と活発に議論を交わし、やがて人間の心理と科学の接点としての心理学に道を定めた。精神疾患の人々の治療にあたるとともに疾患の研究も進め、特に当時不治の病とされた分裂病(統合失調症)の解明と治療に一定の光明をもたらした。ヒステリー患者の治療と無意識の解明に力を注いでいたフロイトと、親しく意見を交わした。

1911年には国際精神分析協会を設立し、その初代会長になる。フロイトでなくユングなのは、ユダヤ人以外を会長に選ぶ目的があったためである[11]。

ところが、フロイトとは別に神話研究に励むユングは、次第にフロイトとの理論的な違いを表に出し始め、1914年には国際精神分析協会を辞して、フロイトらと袂を分かつことになり[12]、チューリヒ大学医学部の私講師の職も辞任した[13]。フロイトと別れた時期から精神的不調をきたし、数々の幻覚に出会う。スイスの街並みが水没し多数の市民が溺死する幻覚を見て慌てふためき、また天上より降りてきたキリストと思しき男性が教会を破壊しつくす幻覚に出会っていたことが『赤の書』によって明らかになっている[14]。

フロイトと親交を結ぶ3年前の1904年、勤務先のチューリヒ大学に入院してきた患者のザビーナ・シュピールラインと治療を通して親しくなり、不倫関係となった。ザビーナはユングと別れた後にフロイトに師事し、精神分析家となる[15]。

その後

精神分析の運動から離れ一人研究を進め、1916年には石油王ジョン・ロックフェラーの四女イーディス・ロックフェラー・マコーミック(en, 1872年 – 1932年)の助力で「心理学クラブ」を設立して、分析心理学の確立に努める[16]。このクラブには、ヘルマン・ヘッセも訪れている[17]。このマコーミック夫人の縁でジェイムス・ジョイスを知り、『ユリシーズ』の批評も書いている[18]。

1922年にはスイスのボーリンゲンに土地を得て、塔の建設を開始する[19]。この塔は瓦焼き職人に教わったやり方で造られており、この作業によって自身の精神的不調が安定化したとしている。

1921年には代表作『心理学的類型』(『タイプ論』『元型論』とも)を公開する。

1928年、ユングはリヒャルト・ヴィルヘルムの手による中国道教の錬金術のドイツ語訳を入手し、曼荼羅に夢中になる。これにコメントを付けて、1929年に『黄金の華の秘密』というタイトルで出版した[20]。ユングは、精神的不調の回復期にあって、曼荼羅に描かれるような幾何学模様を描くことが多くなり、その折、チベットの仏僧の描く曼荼羅と自分の絵との偶然の一致に感嘆し、ここに意味を見出した。

ユング研究所

1948年に共同研究者や後継者たちとともに、スイス・チューリッヒにユング研究所を設立し、ユング派臨床心理学の基礎と伝統を確立した。また1933年からは、アスコナでエラノス会議において、主導的役割を演じることで、深層心理学・神話学・宗教学・哲学など多様な分野の専門家・思想家の学際的交流と研究の場を拓いた。開催をしたオルガ・フレーベ・カプタインは、ユングに強く協力を求め、ユングが参加できない場合は廃止も辞さない構えであった[21]。これには1951年まで出席する[22]。ここで、鈴木大拙、ミルチャ・エリアーデ、ハーバート・リードらと親交を結ぶ。

1946年に『転移の心理学』、1951年に『アイオーン』、1955年と1956年には『結合の神秘』の第1巻と第2巻が出版されている。これらは、70歳を過ぎての著作であった[23]。

1961年6月6日逝去。チューリッヒ州のキュスナハト改革派教会に葬られた。スイスでは晩年のユングは気味悪がられたが、世界的に精神病の理解には一石を投じるものとして価値づけられている。

死の直前まで、ユング唯一の一般向け著書『人間と象徴(英語版)』をマリー=ルイーズ・フォン・フランツ、ジョゼフ・ヘンダーソン、アニエラ・ヤッフェ、ヨランド・ヤコビーの4人と分担して英語で執筆し、ユング自身は担当する第1章を死の10日前に書き終えた[24]。

著作の大半は、下記のようにドイツ語でなされた。

ユング心理学の変遷

精神科医であったユングは、ピエール・ジャネやウィリアム・ジェームズらの理論を元にした心理理論を模索していた。フロイトの精神分析学の理論に自説との共通点を見出したユングはフロイトに接近し、一時期は蜜月状態(1906年 – 1913年)となるが、徐々に方向性の違いから距離を置くようになる。

ユングがそのキャリアの前半において発表した「連想実験」は、フロイトの「自由連想」法を応用して、言葉の錯誤と応答時間ずれ等を計測し、無意識のコンプレックスの存在を客観的な形にしたということで、科学的な価値を持ち、フロイトもそのために初めは喜んでユングを迎え入れた。両者の初めての邂逅において交わされた対談は10時間を超し、以後両者は互いに親しく手紙で近況や抱負、意見を伝えあった。しかし数年の交流のうちに、両者の志向性の違いが次第に浮き彫りになってきた。フロイトは無神論を支持したが、ユングは神の存在に関する判断には保留を設けた。またユングはフロイトとアルフレッド・アドラーの心理学を比較・吟味し、両者の心理学は双方の心性の反映であるとし、外的な対象を必要とする「性」を掲げるフロイトは「外向的」、自身に関心が集中する「権力」に言及するアドラーは「内向的」であるといった考察をし、別の視点からの判断を考慮に入れた。

ユングは歴史や宗教にも関心を向けるようになり、やがてフロイトが「リビドー」を全て「性」に還元することに異議を唱え、はるかに広大な意味をもつものとして「リビドー」を再定義し、ついに決別することとなった[注 1]。ユングは後に、フロイトの言う「無意識」は個人の意識に抑圧された内容の「ごみ捨て場」のようなものであるが、自分の言う無意識とは「人類の歴史が眠る宝庫」のようなものである、と例えている。

ユングの患者であった精神疾患者らの語るイメージに不思議と共通点があること、またそれらは、世界各地の神話・伝承とも一致する点が多いことを見出したユングは、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在すると考え、この共通するイメージを想起させる力動を「元型」と名付けた。また、晩年、物理学者のウォルフガング・パウリとともに共時性(シンクロニシティ=意味のある偶然の一致)に関する共著を発表した。
ユング心理学の特徴

詳細は「分析心理学」を参照

ユング心理学(分析心理学)は個人の意識、無意識の分析をする点ではフロイトの精神分析学と共通しているが、個人的な無意識にとどまらず、個人を超え人類に共通しているとされる集合的無意識(普遍的無意識)を視野に入れた分析も含まれる。ユング心理学による心理療法では能動的想像法(英語版)が行われる場合もある。能動的想像法は文字通り意識的に無意識のイメージを掘り下げる手法であり、無意識が活性化する場合があるため、経験を積んだセラピストの元で行われない限り、危険な手法である。

また、ユング心理学は、他派よりも心理臨床において夢分析を重視している。夢は集合的無意識としての「元型イメージが日常的に表出している現象」[25]でもあり、また個人的無意識の発露でもあるとされる。

夢の分析はフロイトが既に重視していたことであった。しかしユング心理学の夢解釈がフロイトの精神分析と異なる点は、無意識を一方的に杓子定規で解釈するのではなく、クライアントとセラピストが対等な立場で夢について話し合い、その多義的な意味・目的を考えることによって、クライアントの心の中で巻き起こっていることを治癒的に生かそうとする点にある。

ユングはフロイトとの決別以後[26]、自らの無意識から湧き出る元型的イメージと真摯に対峙しながらも患者への治療を続けた。これら元型的イメージは統合失調症の患者のイメージにおいても同様なパターンが見られるため、ユングは統合失調症患者であり、オカルティストであるという誤解を受けることもある。しかしその時期においても、ユングが医師として患者への治療を行い、多くの患者を癒やし、現実に導いていたことはユング心理学の理解の上で重要なことである。

ユングは人間の心の成長過程を「個性化の過程」と呼び、健常者、統合失調患者を含めた全ての人間が経験するものとした。従ってセラピー(心理療法)が終了しても、人間の個性化の過程は継続する。ユング派のセラピーでは、セラピー終了後もクライアントをサポートするためにカウンセリングを継続する場合もあり、この場合のセラピーを、「個性化」と呼ぶ場合がある。ただし、これは他の心理療法と同様、クライエントの「生き方」に介入したり指示を与えたりするものではないし、いたずらにセラピーを長引かせるためのものでもない。

また、日本においてユング心理学が隆盛を極めたのは、その心理臨床において箱庭療法を積極的に取り入れ、多くの著書を発表した河合隼雄の影響が大きい。

ナチズムや反ユダヤ主義の勃興に対する姿勢

ナチスが政権を取った1933年、ドイツ精神療法学会が改編されることになりヒトラーに反対したユダヤ人のエルンスト・クレッチマーがその会長を辞任。新たに設立された国際精神療法学会の会長にユングが就任した[27]。そのためユングはナチスに加担してクレッチマーを追い落としたと一部に言われた[注 2]。後にユングは精神療法という学問分野を守りたかったので非ユダヤ人である自分が会長職を引き受けたと述べている。実際ナチスからの影響を逃れるために国際精神療法学会の本部をスイスのチューリッヒに移し、ドイツ国内で身分を剥奪されたユダヤ人医師を国際学会で受け入れ、学会誌にユダヤ人学者の論文が掲載されるように図ってもいる。ユングはユダヤ系の師フロイトにも支援の意図について打診[注 3]しており、長年にわたってユングの秘書を務めたユダヤ人のアニエラ・ヤッフェによれば、「ナチスへの対応には甘いところがあった」が、ユングはナチスの反ユダヤ人政策には明確に反対し、ユダヤ人のドイツ脱出支援活動にも関与していたとのこと[28][29]。

ユングと超心理学

ユングはその学位論文『いわゆるオカルト的現象の心理と病理』において、従妹ヘレーネ・プライスヴェルクを「霊媒」として開かれた「交霊会」を扱ったこと(ただしこの論文では神秘的要因ではなく精神の病理的状態に帰されている)、また錬金術や占星術、中国の易などに深くコミットしたことにより、オカルト主義的な傾向を見て取られ、また新異教主義的な人々からその預言者とみなされる傾向がある。これにはおそらく母方のプライスヴェルク家が霊能者の家系として著名だった出自も影響していると思われる。また「集合的無意識」や「元型」などの一般の生物学の知見とは相容れない概念を提起することによって、20世紀の科学から離脱して19世紀の自然哲学に逆戻りしてしまったという批判がある[30]。またフロイトもユングとまだ訣別する前に、「オカルティズム」を拒絶するよう強く求めた[31]。

一方で、ユング自身は、夢に見られる元型に関して、遺伝に関連づけて言及していたくだりがある(『分析心理学』)。無意識に蓄えられている遺伝情報は莫大であり、人の心性がそれを基礎にしているからには、その生み出すものも、その起源をはるか過去に遡ることができるとする解釈も可能であり、遺伝情報内の大量の経験データの中には、人に平均して訪れる体験の体系も含まれていると考えた場合、元型の普遍性も説明できるであろう。また、そうした無意識内容を生み出す傾向、というユングの説明の付与は、人間が普遍的な基盤に立脚しながらも、決して固定された構造ではなく(これが生物学的な本能にしばられた動物と違う点である)、変化の可能性を秘めていることを示唆している。無意識と意識の調停作業はユングの言う「個体化」に結実する。

ただし19世紀末から20世紀初頭の状況は、一方では精神医学を極めて機能主義的に捉えることのみが科学的であり「心の治癒」といったものを語ることは出来ないという流れがあった一方で、アカデミズム以外でオカルティズムの大流行があったのみならず、ウィリアム・ジェームズのような学者も心霊主義の実験に乗り出すなど、心の問題に関するアプローチは現在以上に定まらないところもあった[32]。こうした問題に関してユングに批判的であったフロイトも、そもそも性理論を打ち立てるのはオカルトの「黒い奔流」に対する「堅固な城塞」を築かねばならないからだという動機を口にしており[6]、こうした問題に必ずしも安定した姿勢で臨んでばかりいたわけではなかった。またユング自身はきわめて厳格に学問的な方法論を意識して研究を進めていたという主張もあり[33]、こうした点について決定的な評価を下すことはまだ難しいといえる。

著作

ユングの著作は、『ユング全集』にほぼ全ての重要な論文(単行本を含む)が網羅されている。全20巻の構成となっている。ドイツにおいて『Gesammelte Werke von C. G. Jung』 (Walter Verlag) として出版されている(「GW」 と略する)。英語版は、ユングの監修の元に翻訳が行われている(『 The Collected Works of C. G. Jung 』)。 代表的な著作としては、以下のものがある。

『転換のシンボル』 Symbole der Wandlung, 1912, /1950, GW Bd.5.
『心理学的類型』 Psychologische Typen, 1921/1950, GW Bd.6.
『心理学と宗教』 Psychologie und Religion, 1940/1962 (GW Bd.11).
『アイオーン』 Aion, 1950, GW Bd.5-2.
『心理学と錬金術』 Psychologie und Alchemie, 1944/1952, GW Bd.12.
『ヨブへの答え』 Antworf auf Hiob, 1952/1967 (GW Bd.11).
『結合の神秘』 Mysterium Coniunctionis, 1955/1956, GW Bd.14.

ユングが登場するフィクション

映画

『危険なメソッド』
『フルメタル・ジャケット』

テレビドラマ

『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』

コンピュータゲーム

『ノスタルジア1907』
『ペルソナシリーズ』

小説

『ゆめにっき あなたの夢に私はいない』(ユングの思想に触れている)

親族

父方の曾祖父であるフランツ・イグナツ (1759?1831) はナポレオン戦争のとき、野戦医師を勤め、マンハイムに移る。その際、マンハイム劇場の近くで、ゲーテを取り巻く多くの詩人と交友。後妻となるゾフィー・ツィーグラーも詩人らと交友していてゲーテと関係を持ち私生児としてユングの祖父であるC.G.ユングを生んだという伝説がある[2]。
父方の祖父であるC.G.ユング(1794?1864:ユングと同名)はハイデルベルクで医学を勉強。その際、ベルリンの神学者フリードリッヒ・ダニエル・エルンスト・シュライエルマッハーの影響からカトリックからプロテスタントに改宗される。1817年ドイツ統一のためのデモに参加し投獄(時代のパラダイムとしてはナポレオンのくびきを落とし統一ドイツに繋がる1848年の革命「フォアメルツ」に繋がる)。その後、パリに行きアレクサンダー・フォン・フンボルト (1769?1859) と知り合いになり、スイスのバーゼル大学に紹介され後々には教授となり更には総長になる。また1848年の肖像画は今もバーゼル大学の昔の玄関にかかっている[2]。市民病院を拡大させ、精神薄弱児たちの住む家「希望の施設 (Anstalt der Hoffnung)」を作る。またバーゼル市長の娘ゾフィー・フライと三度目の結婚をし父パウルを出産。
父のパウルはアラビア語に関する研究で哲学博士を得るが、経済的な理由で教授になる道を断念しボスヴィルの牧師になる。この側面がニーチェを受け入れる準備となる[2]。
母方の祖父であるザムエル・プライスヴェルク (1799?1871) はバーゼルのレオンハルト教区の説教師。改革派の牧師仲間ではいわゆるアンティスティス(牧師長)として通っていてた。ヘブライ語の私講師として学位を得ており、アメリカにまで普及したヘブライ語の文法書の著者と見なされていた。彼によって発刊されていた月刊雑誌『モルゲンラント(朝の国)』で彼は、ユダヤ人がパレスチナに再び定住することに対して関心がある事を公言した(シオニズムに先駆ける発言)[2]。』

ユング心理学を分かりやすく解説!フロイトとの違いもご紹介

ユング心理学を分かりやすく解説!フロイトとの違いもご紹介
https://seminars.jp/media/444

 ※ 3大巨人は、フロイト、ユング、アドラーか…。

 ※ ペルソナとか、シャドウとか、ユングの概念だったんだな…。

 ※ 「ペルソナ4」とか、Steam経由で落として、喜んで遊んでいたのに、知らんかった…。

『目次[非表示]

1 ユング心理学とは?
    1.1 ユングにとっての無意識とは?
    1.2 ユングにとっての「人の心の動き」
2 ユング心理学の代表的な思想
    2.1 集合的無意識
    2.2 タイプ論
    2.3 元型論
    2.4 アニマ・アニムス
    2.5 ペルソナ
    2.6 コンプレックス
    2.7 影(シャドウ)
3 ユングとフロイトの違いは?
    3.1 無意識に対する解釈の違い
    3.2 リビドーに対する考えの違い
    3.3 診療者・治療のやり方の違い
4 まとめ

臨床心理学に大きな影響を与え、心理学の分野で活躍した言われている精神科医の「ユング」。

ユングは、フロイトの精神分析学に心を惹かれ、それまで以上に心理学を深求していました。しかし、その後に二人は意見が対立したことで決別しています。

今回は、ユング心理学を分かりやすく解説すると共に、心理学の三代巨匠といわれているフロイトとの違いについても解説していきます。
ユング心理学とは?
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ユング心理学とは、スイスの精神科医・心理学者のカール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)が提唱した心理学のことを指します。

ユングは、『分析心理学』の創始者でフロイトと共に精神分析学を発展させていました。しかし、フロイトとは「無意識」についての意見が相違したことで距離を置くようになりました。

ユングは、「集合的無意識」といった新しい概念を生み出し、“無意識”の領域を明らかにしています。
人の心の働きは意識のコントロールや認識を超えた“無意識”の働きが大きく影響する。

このように、自分自身でも意識ができない部分が大半を占めているという考え方に基づく心理学、それがユング心理学です。
ユングにとっての無意識とは?

ユングにとっての無意識とは、「個人的無意識」と「集合的無意識(普遍的無意識)」の2つの要素に区別しています。

まず、人の心の構造を「意識」「無意識」の2つの領域に分類することができると考え、その2つの領域が対になることで『心』のバランスを保つことができると説いています。

ユングは、意識(自分の知り得る意識)と知り得ない意識(無意識)のバランスが崩れた際に、精神疾患を生じると考えています。
■ 結論
ユングにとって無意識とは、精神疾患の発生を説明する時に不可欠な要素。
ユングにとっての「人の心の動き」

ユングにとっての「人の心の動き」は、「思考」「感情」「感覚」「直観」の4つの機能があると解説しています。

4つの機能で「どれが最も働くか?」で人の心の動きをタイプ別に分けています。
意味 具体的に
思考 物事を理に適った捉え方をする心の機能。
“理屈で考えようとするタイプ” 「それを証明する根拠は?」
「この作品はいつ・どんな意図で作られた作品なんだろう?」
感情 好きか嫌いかで判断する心の機能。
“快・不快で物事を捉えるタイプ” 「この仕事はそもそも好きなことか?」
“思考”と正反対の機能をしている。
感覚 物事を「そのまま」捉える心の機能。
“あるがままで感じ取るタイプ” 「このギターのニュアンスは○○の曲と似ているかな」
「〇〇の味付けのおかげで〇〇の料理が美味しいと感じる」
直観 物事を思いつきで判断する心の機能。
“ひらめきで物事を捉えるタイプ” 「この出来事は〇〇を予知している」
“感覚”と正反対の機能をしている。
ユングにとっての「人の心の動き」

人は、「なんとなく好き・嫌い」で付き合う人を選別したり、「〇〇がこうだから好き」などのこだわりで食事を選んだり、「今でなければ後悔する」という“勘”で行動をする人とさまざまです。

ユングは、人の心の動きに注目したことにより、人間の心の特徴に気づくことができ治療や研究に役立てていました。
ユング心理学の代表的な思想

ここからは、ユング心理学の代表的な思想について解説していきます。
集合的無意識

ユング心理学の代表的な思想1つ目は、集合的無意識です。

集合的無意識は、普遍的無意識とも呼ばれていて、昔から現代まで変わらない、人間の無意識の根底となる心理構造のことを指します。

例えば、“ふくよかな体型の女性を象った土偶”があったとします。

この土偶を見たときに「優しい母親的なものを感じる」とイメージが浮かぶ場合、古代から伝わる神話・伝説、芸術、個人が見てきた夢などが影響しています。

ユングは、物事を捉えるとき『人類の心の中で脈々と受け継がれてきた“何か”がある』と説いています。

このように、想像力の原点となる無意識の領域のことを『集合的無意識』といいます。
タイプ論

ユング心理学の代表的な思想2つ目は、タイプ論です。

タイプ論とは、人間の気質を「外向的な人間(外向型)」「内向的な人間(内向型)」に分類する思想のことを指します。

外向型|意識(心のエネルギー)が外側に向いている人
内向型|意識(心のエネルギー)が内側に向いている人

外向型の人は、とても社交的で世の中の流行に敏感であり人に左右されやすい傾向があります。

一方、内向型の人は控えめで我慢強く自身の気分に左右されやすい傾向があります。(気質なので、必ず上記のような性格になるという訳ではありません。)

※ どちらが「良い・悪い」などはなく、人の性格を定義するためのものでもありません。
■ タイプ論を知るメリット
・相手がどっちのタイプかを見極めることができれば、人付き合いに役立てることができる。
?? 相手の反応を少しでも予想することができる。
元型論

ユング心理学の代表的な思想3つ目は、元型論です。

集合的無意識で“根底に想像力の原点となる出来事がある”と解説したように、それにより人間の無意識が従うこと(パターンがあること)を「元型(アーキタイプ)」といいます。

代表的な元型には、『グレートマザー』『老賢人』などがあります。

『グレートマザー』『老賢人』は、日本の縄文土器、世界の古代文明の遺跡などで表現されています。

このような土偶は、形はさまざまもので表現されていたとしても、「命を生みだす母親」「権威性があり男の成長の最終点」と、共通するイメージがあります。

人によってイメージはさまざまですが、人類の心の中は「母親元型」「父親元型」が存在しているというユングの考えです。
アニマ・アニムス

ユング心理学の代表的な思想4つ目は、アニマ・アニムスです。

アニマ・アニムスとは、集合的無意識における元型のひとつです。

「アニマ」は、男性の集合的無意識のなかの一人の女性が影響されていて、「アニムス」は、女性の集合的無意識のなかの一人の男性が影響されている思想のことです。

例えば、普段の日常のなかで、とても穏やかで大人しい男性が意外にロマンチックに憧れていたり、反対に可愛らしい顔立ちの女性が男前な発言をするといった人を見たことはありませんか?

ユングは、このような人間には「アニマ」と「アニムス」の元型があると提唱しています。

成長していく過程で元型ができ、何かの出来事のイメージが強いことで「アニマ」と「アニムス」が成熟していると説いています。
■ アニマ・アニムスとは?
アニマ:男性のなかの「女性像」「女性的」な部分のこと。
アニムス:女性のなかの「男性像」「男性的」な部分のこと。
ペルソナ

ユング心理学の代表的な思想5つ目は、ペルソナです。

ペルソナとは、人間の外的側面の心理的な“仮面(顔)”のことを指しています。

自分達が生活していくうえで、「職場での顔」「家族といる時の顔」「商談の時の顔」「〇〇会社の営業担当の顔」と場面や地位など、人によってさまざまな仮面があります。

ユングが提唱したペルソナは、人間は仮面を被って暮らしているという考えのことです。
■ ユングの教え
① 本当の自分に合ったペルソナを理解すること。
② 仮面をうまく着脱できるようになること。
 ?? 上記の2つが大切であると説いています。
コンプレックス

ユング心理学の代表的な思想6つ目は、コンプレックスです。

心理学・精神医学用語で「コンプレックス」とは、記憶・衝動・欲求などのさまざまな心理的な感情が複雑に絡み合ってできた劣等感(観念)のことを指します。

ユングが提唱しているコンプレックスは、「感情に色をつけた心的複合体」です。

簡単に解説すると、「自分は〇〇が劣っている」という劣等感を通り越して、さらなる複雑ないろんな感情が入り混じることで生じる感情のことを指しています。

なぜか自分自身でも感情をコントロールできないほど怒りが生じたり、感情的になってしまったりする複雑な心のことを、ユングが提唱する“コンプレックス”の概念に含まれます。
影(シャドウ)

ユング心理学の代表的な思想7つ目は、影(シャドウ)です。

影(シャドウ)とは、無意識の領域のなかに歪んだ形で存在するものを指しています。

例えば、下記のように思っている人がいたとします。

お金なんて汚い
稼いでる人は、なにか裏がある
お金持ちは性格が悪い

このように思っている人は「お金」に対して、なんらかの“影(シャドウ)”があると考えられます。

本当は「お金が大好き」「経営を成功させてお金を稼ぎたい」など、本当の望み(本当は生きたかったもう1人の自分)が隠れているかもしれません。

このように、ユングは無意識のなかに隠れている不健全な“心の暗部”が日常のなかで影響を及してしまうと説いています。
ユングとフロイトの違いは?

ユングとフロイトは、人が行動する時は無意識の力によって決定されるといった「精神分析学」の考え方に共通点があり緊密な関係を結んでいました。

そもそもユングは、精神分析学の創始者のフロイトから教えを受けていたが、考え方に違いが生まれたことでフロイトから離れたと言われています。

ここからは、同じ心理学(無意識)の研究をしていたユングとフロイトの違いについて解説します。

また、心理学の三大巨匠のなかに入る「アドラー」について詳しく知りたい方は下記の記事をご覧ください。
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無意識に対する解釈の違い

ユングとフロイトの違い1つ目は「無意識」に対する解釈に違いがあることです。

ユングにとっての無意識は、“個人的無意識”と“集合的無意識(人類が普遍的に持つ無意識の領域)”の2つの領域が存在すると言います。

一方フロイトにとっての無意識は、“個人の持つ領域”だけだと言います。

このように、ユングとフロイトは無意識に対する考え方が異なっています。
■ ユング
・意識と無意識は互いを補っている関係。
・無意識には意識とは正反対の別の自分が隠れている。

■ フロイト
・意識と無意識は対立的な関係。
・無意識は過去の記憶や衝動を入れる領域。
リビドーに対する考えの違い

ユングとフロイトの違い2つ目は、リビドーに対する考えに違いがあることです。

リビドーとは、精神分析学で用いられる用語で簡単に言えば「性欲」の衝動を生む本能的なエネルギーのことを指しています。

ユングはリビドーを“一般的な生命の一部”として使用しているが、フロイトは“人間の行動エネルギーの動機は、すべてリビドーから来ている”と説いています。

例えば、恋愛のパートナーを選ぶ際にユングは「人間は性生活も重要視しているが価値観や話し方、経済面も含めて選ぶ」、フロイトは「人間は性生活の観点のみで選んでいる」と言います。

このように、精神分析を行う時に”性”に対する考え方、重点の置き方に違いがあります。
■ ユング
・『性』は生きていくうえでの1部に過ぎない。
・ポジティブなもの。

■ フロイト
・リビドーは、ただの性的なものに過ぎない。
・ネガティブなもの。
診療者・治療のやり方の違い

ユングとフロイトの違い2つ目は、診療・治療のやり方の違いがあることです。

同じ精神分析学を研究していましたが、診療していた患者に違いがあったと言われています。

ユングは主に“統合失調症”を患っている患者を診療していました。一方フロイトは、“神経症患者”を多く診療していました。

それによって、2人の治療のやり方に大きな違いが生まれました。
ユング「夢分析」、フロイト「自由連想法」

フロイトも夢分析を用いて治療を行なってはいたが基本的には「自由連想法」を好んでいたといいます。

ユングが用いていた「夢分析」とは、日ごろ眠っている時に見た夢を語ってもらい分析していく方法のことです。

ユングにとって、夢分析は“無意識”の領域にある情報を把握することができ、患者が「何を考え」「どんなことを伝えたいのか」が把握できると言います。

フロイトが用いていた「自由連想法」とは、無意識の領域を把握するために、心に浮かんだ感情や事柄を言葉にするように促す技法のことです。
■ ユング
・夢こそが未知なものを伝えてくれる。

■ フロイト
・夢はただの願望充足である。
まとめ

ユング心理学は、「集合的無意識」といった新しい概念を生み出し、“無意識”の領域を明らかにしています。

人間の無意識こそが、意識や心を分析するためには重要な要素だと提唱し、「意識」と「無意識」のバランスが崩れた際に、精神疾患を生じると考えています。

フロイト・ユングともに心理学を追求していたが、意見が分かれたことで独自の異なる理論を提唱し治療に役立てています。

こうした研究結果をもっと自社のビジネスに活かして売上を上げたり、チームでよりよい結果を残すための学びを一緒にしませんか?』

シリーズ「日本の仏教」第4回:権力と結びついた日本の密教

シリーズ「日本の仏教」
第4回:権力と結びついた日本の密教
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09404/

 ※ 今日は、こんな所で…。

『佐々木 閑SASAKI Shizuka経歴・執筆一覧を見る

花園大学文学部特任教授。1956年福井県生まれ。京都大学工学部工業化学科・文学部哲学科を卒業。同大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。カリフォルニア大学留学を経て花園大学教授に。定年退職後、現職。専門はインド仏教学。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。著書に『出家とはなにか』(大蔵出版、1999年)、『インド仏教変移論』(同、2000年)、『犀の角たち』(同、2006年)、『般若心経』(NHK出版、2014年)、『大乗仏教』(同、2019年)、『仏教は宇宙をどう見たか』(化学同人、2021年)など。YouTubeチャンネルShizuka Sasakiで仏教解説の動画を配信中。』

『8世紀末から9世紀初頭、中国から日本に密教がもたらされた。それ以降、天台宗と真言宗の二大密教が貴族社会の権力構造の下で対立しながら併存していくことになる。第4回は、日本の密教について解説する。』

『仏教全体を統合する思想体系の欠如

8世紀中頃(奈良時代)、日本は仏像、経典、修行のための組織であるサンガという三要素、すなわち仏法僧(ぶっぽうそう)を形式上導入することに成功し、正式な仏教国になった。しかしそれは、釈迦牟尼(しゃかむに)が創成した本来の仏教が日本に取り入れられたという意味ではない。大乗仏教で生み出された多くのブッダたちは、日本の在来の神々と同じような神秘的呪力(じゅりょく)を持った崇拝の対象であり、僧侶はそういったブッダたちの威力を引き出すための呪術儀礼執行者として重んじられていたのである。そこには、自己の煩悩を断ちきるために、サンガの中で修行に励む本来の僧侶の姿は見られない。

奈良の朝廷は、国家鎮護に効力を発揮する、仏教の呪術的な力を広く世にアピールするために、学問の場を設け、僧侶たちに仏教を学ばせた。そこでは、さまざまな仏教哲学や戒律などが6分野の宗派に分けてそれぞれ個別に教授され、それらの難解な教義を学ぶことが、僧侶としての特殊能力を保持する証しになると考えられたのである。6分野とは三論(さんろん)、成実(じょうじつ)、法相(ほっそう)、倶舎(くしゃ)、華厳(けごん)、律であり,後にこれらは「南都六宗」と総称されるようになった。

しかしそれらはあくまで国家が認定する資格取得カリキュラムのようなものであって,仏教全体を包括的に理解できるような総合的教育システムではなかった。この時期日本には,仏教全体を俯瞰(ふかん)し,その全体を一挙に把握できるような思想体系は存在していなかったのである。

法華経(ほけきょう)を頂点にあらゆる経典を階層化

このような状況が続く中、8世紀末から9世紀初頭、日本の首都が奈良から京都へと移ったちょうどその時期、仏教の核心を表す(と当時受け取られた)2種類の仏教思想が同時に中国から日本にもたらされた。1つは最澄(767〜822)が持ち帰った天台宗の教え、もう1つは空海(774〜835)が持ち帰った真言宗の教えである。この2種類の教えが、その後の日本仏教の基盤となる。

天台宗は中国で生まれた、当時最先端の宗派である。紀元後1世紀以来、インドから次々と中国にもたらされた多種多様な仏教思想を全て受け入れながら、それらの間に複雑な論理的関係性を設定して、広大な仏教世界を一括して理解しようとする宗派である。もちろんそういった多様な仏教思想は本来、インドで異なる時代に異なる人々が個別に生み出してきたものであるから、1つに統括すべきものではない。しかし天台宗はそれらを、さまざまな理論を駆使して1つにまとめようとするのである。そしてその頂点に『法華経』を置く。すなわち天台宗は、『法華経』を最上位に置き、あらゆる経典を階層的に位置づける作業によって生み出された中国独自の宗派なのである。

最澄によってこの宗派が本格的に紹介されると、日本の仏教界はこれを大いに歓迎した。今まで断片的にしか見えていなかった仏教が、1つの体系として理解できるようになったからである。

最高位の思想としての魅力

ところがその直後、空海によって真言宗の教えがもたらされた。これは天台宗のような異なる教えの集積ではなく、インドにおける仏教の変遷過程の最終段階として現れた、「密教」と呼ばれる単一の教えであった。「先に存在している思想を踏まえた上で、それを包含する、より上位の思想を案出する」という活動の繰り返しによって発展してきた仏教史の、最終段階として生み出された密教は、それまでのあらゆる仏教思想の頂点に立つべき、最高位の神秘力を持つ仏教だという自負を持っていた。

外部に救済者のいないこの世界で、自己の努力によって自己改革を目指した釈迦の教えは、その後の大乗仏教において次第に神秘性を帯びるようになり、最終段階の密教において、「宇宙的エネルギーとのつながりを自覚し、それと一体化することで仏陀になる」という、ほぼヒンズー教の教えと変わらないところにまで変貌したのである。この密教の奥義は、特定の限られた人にだけ伝授される神秘主義的な教えであり、宇宙エネルギーとの一体化の体験も、言葉で広く伝えることはできないとされた。

空海はそうした密教を、確固とした一つの体系として丸ごと日本に持ち帰ってきた。仏教を神秘的な呪術宗教として取り入れていた日本の仏教界にとって、空海の密教は最も深淵(しんえん)で効力のあるものであり、さまざまな教えを理論的につないで一体化して見せる天台宗よりも、強固で、揺るぎないものに見えた。最澄の弟子たちもそのことは十分理解していたので、自分たち天台宗の教義にも、最新の密教の教えを上乗せして、全体を密教的な色合いで覆っていったのである。

こうして日本には、異なる教えの集合体を密教的感覚で薄く覆った天台宗と、仏教史の最終段階としての密教をそのまま単一で伝える真言宗の、2つの異なる密教が並び立つことになったのである。

宗祖 総本山 教え

天台宗
最澄 比叡山延暦寺(京都市・滋賀県大津市) 法華経を最高位に置き、あらゆる経典を階層的に位置づける

真言宗
空海 高野山金剛峯寺(和歌山県) 仏教の変遷過程の最終段階。宇宙的エネルギーとのつながりを自覚
崇高な少数と一般大衆の二極構造

ここで注意しておかねばならないのは、この時代の日本人に「仏教思想は時代とともに変容してきた」という認識はなかったという点である。中国から伝えられる仏教経典は全てブッダの言葉であるから、その全てが正統なる仏教の教えであることは間違いないのだが、しかしそこには深浅の違いがあると日本人は考えた。「どれもブッダの言葉ではあるが、その中で本当にブッダがわれわれに言いたかったのはどれか」との問いに対して、天台宗は(密教的に解釈した)『法華経』であると言い、真言宗は『大日経』や『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』などの密教経典そのものであると言ったのである。「長い仏教史の最終段階で現れた、最も新しい思想が密教だ」などという歴史的視点がなかったことはくれぐれも留意しておく必要がある。

密教が持つ特徴の一つは「権威重視の傾向」である。誰もが根源的宇宙エネルギーとの一体化によってブッダになることができるとは言っても、その「根源的宇宙エネルギーとの一体化」は、特殊な資質を持つ者や、人並み外れた修行を積んだ者だけに許される特別な活動であった。それゆえ一般民衆は、その特別な人たちにお願いして、現世的な利益(りやく)を与えてもらわねばならない。密教によれば、この世には「生き仏」とも言うべき崇高な少数の人たち=宇宙エネルギーとの一体化を果たした修行者と、その崇高な人たちにお願いして幸福を与えてもらう一般民衆の2種類の人間がいるという、階層構造の上に成り立っているのである。この独特の構造は、宗教的身分制(カースト制)を認めるヒンズー教の影響を受けて成立したことからすると当然のことである。

その後に多様化する日本の仏教宗派も、皆多かれ少なかれ、密教の持つこうした特殊な様相の影響を受けていく。そのためどの宗派も、「特別な資質、資格を持つ人(あるいはそういう人たちの系譜)」と、「そういった人たちからの利益を期待して信奉する一般人」といった構造を含むようになった。第2次世界大戦中、日本の仏教諸派がこぞって天皇にブッダと同等の権威を認め、戦争遂行に協力した事実は、そういった仏教観が表現された典型的な例である。

貴族社会を支えた二大密教

8世紀以降、日本の仏教界は、天台宗と真言宗の2派を中心にして動いていく。どちらも権威性を重んじるという特性を持っていたので、当然ながら天皇を中心とした国家権力とのつながりに重点を置いた。言ってみれば、天台宗と真言宗が、天皇を引き込むための綱引きを続けたのである。その際,旧来の奈良仏教の多くは,京都に拠点を置く天台宗が奈良の仏教を軽視したことに反発して、真言宗側についた。

こうして日本の仏教は、天台宗と真言宗の二大密教が、天皇を中心とした貴族制社会の権力構造の下で対立しながら併存する状況になった。この段階の仏教の要点は以下のとおり。

律蔵にもとづいて運営されるサンガは存在せず、僧侶の生活を厳密に規定する規則は存在しなかった。これは現代に至るまで続いている特性である。
思想的には大乗仏教を継承しているが、特別な資質、資格を持つ人(あるいはそういう人たちの系譜)と、そうでない一般人との間に差別を認める、密教の構造が基本となっていた。
権力との結びつきを指向した。

300年間はこうした状況が続くが、その後、権力基盤が貴族から武士、あるいは一般民衆へと移り変わるのにつれて、この構造も次第に変化し、多様な仏教世界が生み出されていくことになる。それは次回以降に述べることにする。

バナー画像=空海の銅像(PIXTA) 』

このシリーズの他の記事

第1回:目覚めた人ブッダの誕生
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09401/

第2回:大乗仏教の登場
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09402/

第3回:国家運営の任務を帯びた日本の初期仏教
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09403/

誰(たれ)やらが形に似たり今朝の春 ― 芭蕉

誰(たれ)やらが形に似たり今朝の春 ― 芭蕉
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09601/

※ 今日は、こんな所で…。

※ 黒船が来襲するまでの江戸の昔が、一番穏やかで、平和だったのか…。

※ 世界情勢は、風雲急を告げ、緊迫の度を高めている…。

※ 芭蕉の世界に耽溺している暇(いとま)は、無さそうだ…。

『文化 環境・自然・生物 2023.01.01

深沢 眞二 【Profile】
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第1回の季題は「今朝の春」。

誰やらが形に似たり今朝の春 芭蕉
(1687年作、『続虚栗(ぞくみなしぐり)』所収)

2023年がやって来ました。今年が良い年になりますように。

現代の日本では太陽暦が用いられていますので、冬至(12月21日頃)から約10日後の1月1日はまだ冬のさなかです。しかし、江戸時代までは太陰暦が使われており、立春(2月4日頃)に近い新月の日が1月1日に当たり、「元日は春のはじまり」という感覚が一般的だったのです。そのようなわけで「今朝の春」とは「元日の朝」を意味します。

当時の年齢は「数え年」でした。この世に生まれた時が1歳で、正月が来ると誰もが一つずつ年を取ります。芭蕉は「私は誰やらの容貌に似てきたなあ。新しい年になって、また一つ年齢を重ねたら気が付いたよ」と言っていると思われます。

「誰やら」って、いったい誰でしょうか。わざと明確にせずにとぼけているらしいのですが…。おそらく「われながら父に似てきたなあ」という感慨を抱いたのではないでしょうか。

13歳で父親と死別したと推測される芭蕉は、この年の元日に44歳を迎えました。子どもの目には、親は年を取って見えるものですよね。父親が死んだのと同じぐらいの年齢を迎えた元日の朝、鏡の中にその面影を発見して懐かしさにしみじみとしながら、自分自身の老いも自覚したのでしょう。

バナー画像 : PIXTA

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俳句 与謝蕪村

深沢 眞二FUKASAWA Shinji経歴・執筆一覧を見る

日本古典文学研究者。連歌俳諧や芭蕉を主な研究対象としている。1960年、山梨県甲府市生まれ。京都大学大学院文学部博士課程単位取得退学。博士(文学)。元・和光大学表現学部教授。著書に『風雅と笑い 芭蕉叢考』(清文堂出版、2004年)、『旅する俳諧師 芭蕉叢考 二』(同、2015年)、『連句の教室 ことばを付けて遊ぶ』(平凡社、2013年)、『芭蕉のあそび』(岩波書店、2022年)など。深沢了子氏との共著に『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編・秋冬編』(三弥井書店、2016年)、『宗因先生こんにちは:夫婦で「宗因千句」注釈(上)』(和泉書院、2019年)など。

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金峯山(※ きんぷせん)寺について

金峯山(※ きんぷせん)寺について
https://www.kinpusen.or.jp/about/

『吉野山から山上ヶ岳にかけての一帯は、古くから金の御岳(かねのみたけ)、金峯山(きんぷせん)と称され、古代から世に広く知られた聖域とされました。

白鳳時代に役行者が金峯山の山頂にあたる山上ヶ岳で、一千日間の参籠修行された結果、金剛蔵王大権現を感得せられ、修験道のご本尊とされました。

役行者は、そのお姿をヤマザクラの木に刻まれて、山上ヶ岳の頂上と山下にあたる吉野山にお祀りしたことが金峯山寺の開創と伝えられています。

以来、金峯山寺は、皇族貴族から一般民衆に至るまでの数多の人々から崇敬をうけ、修験道の根本道場として大いに栄えることとなりました。

明治初年の神仏分離廃仏毀釈の大法難によって、一時期、廃寺の憂き目を見たこともありましたが、篤い信仰に支えられ、仏寺に復興して、現在では金峯山修験本宗の総本山として全国の修験者・山伏が集う修験道の中心寺院となっています。』

エクスカリバー

エクスカリバー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC

『エクスカリバー(英語: Excalibur)は、アーサー王伝説に登場する、アーサー王が持つとされる剣。魔法の力が宿るとされ、ブリテン島の正当な統治者(=イングランド王)の象徴とされることもある。同じくアーサー王伝説に登場し、アーサーの血筋を証明する石に刺さった剣と同じものとされることがあるが、別物とされることもある。

エクスキャリバー、エスカリボール、エクスカリボール、カリバーン、キャリバーン、コールブランド、カリブルヌス、カレトヴルッフ、カレドヴールッハなど様々な異称があるが、これらは英語、フランス語、ラテン語、ウェールズ語の発音の違いや写本の表記の揺れで生じたものであり、すべて同じ剣を指す言葉である。エクスカリバーはアーサー王伝説の初期から登場している。 』

『カレトヴルッフ

ウェールズの伝承にはアルスル(アーサー)の剣としてカレトヴルッフが登場する。これは「caled」(硬い)+「bwlch」(切っ先、溝)の意味であるという[1]。この剣は、タリエシン作とされる詩『アンヌヴンの略奪』(Preiddeu Annwfn)、および後世にマビノギオンに集録される『キルッフとオルウェン』(Culhwch ac Olwen, 1100年頃)に名前が見え、後者ではアルスルの最も重要な持ち物の一つとされている[2]。同書ではアルスルの戦士スェンスェアウクがアイルランドの王ディウルナッハを殺すのに使用している[3]。同じくマビノギオンに収められた『ロナブイの夢』(Breuddwyd Rhonabwy)には、カレトヴルッフと明記されていないもののアルスルの剣が鮮やかに描かれている。

見よ、彼は立ち上がった。手にはアルスルの剣を持っていた。剣身には黄金で打ち出された二匹の蛇の姿があって、鞘ばしると、蛇の首から二筋の炎が立ち上るのが見え、それがあまりにも恐ろしいありさまだったので、だれ一人として目を向けて見る者もないほどだった[4]。(中野節子訳)

後に外国の文献(モンマスをもとにした詩『ブリュ物語』など)がウェールズ語に訳される際、カレトヴルッフはエクスカリバーの訳語として使用された。

カリブルヌスからエクスカリバーへ

12世紀のジェフリー・オブ・モンマスはラテン語の偽史『ブリタニア列王史』において、アーサーの剣をカリブルヌス(Caliburnus)とした[5]。これは中世ラテン語で鋼を意味する「calibs」(古典ラテン語ではchalybs)の影響を受けているといわれる。モンマスによると、この剣はアヴァロンで鍛えられたもので、アルトゥルス(アーサー)はこの剣を手にサクソン人の軍勢470人を打ち倒したという。

アーサー王伝説がアングロ=ノルマンの詩人ウァースの『ブリュ物語』を経由してフランスの吟遊詩人に取り入れられた際、ラテン語の格語尾「us」が落ち、起源不明の「es」や「ex」が加わって古仏語のエスカリボール(Escalibor)、エクスカリボール(Excalibor)などに変化した。これらがのちに英語に入り最終的にエクスカリバー(Excalibur)となった。

フランスの詩人クレティアン・ド・トロワの『ペルスヴァル、あるいは聖杯物語』では、ゴーヴァン(ガウェイン)がなぜかエスカリボール(エクスカリバー)を持っており、次のような記述がある。「なにせ、彼(ゴーヴァン)が腰に下げているのは、まるで木を断つかのように鉄を断つ、当世最高の剣エスカリボールなのだから[6]。」この話はランスロ=聖杯サイクルの『メルラン物語』にも見られ、さらにエスカリボールという語は「鉄、鋼(achier)、木を斬るもの、という意味のヘブライ語である」という民間語源説が書き加えられている[7][注 1]。『アーサー王の死』を書いたトマス・マロリーはこの珍妙な説を取り入れて、エクスカリバーを「鋼を斬るもの」という意味とした[8]。

なお、カリブルヌスの英語形であるカリバーン(Caliburne)は『ブリュ物語』などのマロリー以前の英語作品に見える。また、この剣の別名とされることがあるコールブランド(Collbrande)は『頭韻詩アーサー王の死』にカリバーンの異称として登場する[9]。

エクスカリバーと石に刺さった剣

エクスカリバーとアーサー(1917年の図面)

アーサー王を題材にした中世ロマンスでは、アーサーがエクスカリバーを手に入れる経緯として様々な説明がされてきた。ロベール・ド・ボロンの詩『メルラン』では、アーサーは石に刺さった剣を引きぬいて王になることになっている。石に刺さった剣を引き抜くことは、「本当の王」、すなわち神により王に任命された、ユーサー・ペンドラゴンの正当な跡継ぎにしか出来ない行為だったという。ボロンの詩にはこの剣の名前は明記されていないが、多くの人がこれを有名なエクスカリバーのことだと考え、その後書かれたランスロ=聖杯サイクルの一部『メルラン続伝』でそのことが明記された[10]。ところが、さらにその後に書かれた後期流布本サイクルの『メルラン続伝』では、エクスカリバーはアーサーが王になったあとに湖の乙女によって与えられるものとされた[11]。

マロリーは、『アーサー王の死』にこの二つのエピソード(石に刺さった剣を抜いて王になる、湖の乙女から魔法の剣を受け取る)を両方取り入れており、その結果生まれた二本の剣をともにエクスカリバーとした[12]ため、混乱を招いている[注 2]。なお、「一本目の石に刺さった剣はカリブルヌスといい、二本目の湖の乙女によって鍛え直された剣がエクスカリバーである」という説明がされることがあるが[14]、マロリーにそのような記述は見られない[注 3][注 4]。

エクスカリバー

アーサーとエクスカリバーの描画、(1906年)

アーサーとエクスカリバーの描画、(1906年)
エクスカリバー、レプリカ (London Film Museum)

エクスカリバー、レプリカ (London Film Museum)

エクスカリバーの返還

エクスカリバーを水に投げ入れるベディヴィア(オーブリー・ビアズリー、1894年)

ランスロ=聖杯サイクルの『アルテュの死』で、傷付いたアーサーは騎士ギルフレ(グリフレット)にエクスカリバーを魔法の湖に投げ入れるよう命じる。二回失敗したのち、ギルフレは王の望みを果たし、湖から手が現れて剣を掴む。これを引き継いだマロリーと他の英語の作品では、ギルフレの代わりに騎士ベディヴィアが剣を湖に投げ入れることになっている。

魔法の鞘

マロリーでは、エクスカリバーの鞘は身につけているとどんなに傷を受けても血を失わない魔法の鞘であるという[16][注 5][17][注 6]。しかし、のちにアーサーの異父姉モーガン・ル・フェイが盗みだして湖に沈めてしまう[18][19]。鞘を失ったことで、アーサーはその人生の終焉を避け得ぬようになっていく。

映像作品

王様の剣 - 1963年のディズニーアニメ映画
エクスカリバー (1981年の映画) - 1981年制作の映画。
エクスカリバー (1997年の映画) - 1997年制作の映画。
エクスカリバー 聖剣伝説 - 1998年制作の映画。
    エクスカリバーII 伝説の聖杯 - 2006年制作の映画。上記作品の続編。
エクスカリバー (宝塚歌劇) - アーサー王伝説に基づいて作られた宝塚歌劇作品。
Xcalibur - カナダの3Dアニメーション、全40話。
キャメロット (ミュージカル)
キャメロット (1967年の映画)
キャメロット (1998年の映画)
魔法の剣 キャメロット - アニメ映画 

脚注
[脚注の使い方]

注釈

^ なお、ここでの鋼 achier という語は刃ないし剣も意味し、中世ラテン語の aciarium (鋭い acies の派生語)に由来する。
^ 『アーサー王の死』を抄訳した厨川文夫は、注で石に刺さった剣をエクスカリバーとしたのはマロリーの誤りだとしている[13]。
^ 石から剣を引き抜く件は冶金術の暗喩ではないかとする説もある[15]。
^ 2011年にアメリカのStarz局で放送が開始された『Camelot』では、滝の最上部の石に刺さった剣をアーサーが抜くが、それはエクスカリバーとは別物という設定になっている。後日、魔術師マーリンがエクスカリバーを入手してアーサーに届ける際、「湖の乙女に授かった」と報告するが、その乙女とは実は、マーリン自身が魔法を制御できずに溺死させてしまった、鍛冶屋の娘のことである。
^ BOOK I.CHAPTER XXV.の"be ye never so sore wounded" は、「どれほどひどく傷を受けても」という意味であると北村一真は解説する(『英文解体新書 2』p.236 研究社 2021年)。
^ BOOK II.CHAPTER XI.の "though ye have as many wounds upon you as ye may have."は「どんなにたくさん傷をうけても」という意味になる。

出典

^ R. Bromwich and D. Simon Evans, Culhwch and Olwen. An Edition and Study of the Oldest Arthurian Tale (Cardiff: University of Wales Press, 1992), pp.64-5
^ 中野節子訳『マビノギオン』JULA出版局、2000年 p.164
^ 同 p.206
^ 同 p.225
^ ジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』第9巻147章など
^ Bryant, Nigel (trans., ed.), Perceval: The Story of the Grail, DS Brewer, 2006, p. 69 ("Qu'il avoit cainte Escalibor, la meillor espee qui fust, qu'ele trenche fer come fust.")
^ Loomis, R. S., Arthurian Tradition and Chretien de Troyes, Columbia, 1949, p. 424 ("c'est non Ebrieu qui dist en franchois trenche fer & achier et fust")
^ Vinaver, Eugene (ed.), The works of Sir Thomas Malory, Volume 3, Clarendon, 1990, p. 1301 ("the name of it said the lady is Excalibur that is as moche to say as cut stele.")
^ Alliterative Morte Arthure, 2123行

^ Merlin: roman du XIIIe siècle ed. M. Alexandre (Geneva: Droz, 1979)
^ Lancelot-Grail: The Old French Arthurian Vulgate and Post-Vulgate in Translation trans. N. J. Lacy (New York: Garland, 1992-6), 5 vols
^ トマス・マロリー『アーサー王の死(キャクストン版)』第1巻9章、第2巻3章
^ 厨川文夫・圭子編訳 『中世文学集1 アーサー王の死』 ちくま文庫
^ 剣と魔法の博物館(2010年11月閲覧)等
^ デイヴィッド・デイ著/山本史郎訳:『アーサー王の世界』原書房 46頁
^ “The Project Gutenberg eBook of Le Morte D’Arthur, Volume I (of II), by Thomas Malory”. www.gutenberg.org. 2021年5月2日閲覧。BOOK I.CHAPTER XXV. How Arthur by the mean of Merlin gat Excalibur his sword of the Lady of the Lake.
^ “The Project Gutenberg eBook of Le Morte D’Arthur, Volume I (of II), by Thomas Malory”. www.gutenberg.org. 2021年5月2日閲覧。
^ トマス・マロリー『アーサー王の死』第4巻14章
^ “The Project Gutenberg eBook of Le Morte D’Arthur, Volume I (of II), by Thomas Malory”. www.gutenberg.org. 2021年5月2日閲覧。

ウィキメディア・コモンズには、エクスカリバーに関連するカテゴリがあります。

外国による偽情報見破りなど認知戦への対応急務=松野官房長官

外国による偽情報見破りなど認知戦への対応急務=松野官房長官
https://www.epochtimes.jp/2022/12/127854.html

 ※ あぶねー、あぶねー…。

 ※ この世の中、流通している「情報」は、何らかの「バイアス」が掛かっていると見た方がいい…。

 ※ このサイトの情報もな…。

 ※ だから、重要なのは、「どんな情報を、摂り入れるのか」では無い…。

 ※ 接した「情報」を、冷静・沈着に「解析・分析」できるのか…。そういう、「解析・分析能力の基盤」を、自分の中に「構築」できているのかだ…。

 ※ 「情報」とは、そういう「基盤」を構築していくための、「材料」に過ぎない…。

『[東京 12日 ロイター] ? 松野博一官房長官は12日午後の会見で、日本の防衛政策との関連で偽情報を見破るなどの「認知領域」を含めた情報戦への対応が急務であるとの見解を示した。

松野官房長官は、ロシアによるウクライナ侵略を踏まえ「わが国の防衛の観点から、諸外国との関係で偽情報の見破りや分析、迅速かつ適切な情報発信を中心とした認知領域を含む情報戦への対応が急務である」と指摘した。続けて「偽情報発信の無力化や適切な情報発信を実施するための所要の能力・体制を整備していく」と語った。

一方、一部で防衛省が人工知能(AI)技術を使い、交流サイト(SNS)を使って国内世論を誘導する工作の研究に着手した、と報道されたことに対し、松野官房長官は「報道には事実誤認があり、政府として国内世論を特定の方向に誘導するような取り組みを行うことはあり得ない」と述べた。

共同通信は今月9日、インターネット上で影響力があるいわゆる「インフルエンサー」が、防衛省に有利な情報を無意識に発信するように仕向け、防衛政策への支持を広げたり、有事で特定国への敵対心を醸成したりすることを目標にした工作の研究に着手したと伝えた。』

図録▽認知症の国際比較

図録▽認知症の国際比較
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2136.html

 ※ 今日は、こんな所で…。

『“dementia”に対応する言葉としてそれまで「痴呆」とよばれていた症状が厚生労働省によって「認知症」という用語に名称変更されたのは2004年であった。その後、高齢化が進むにつれて「認知症」は誰もが罹りうる身近な病状として認識されるようになっている。
 人口当たりの認知症患者数について、OECD諸国とその他主要国の2017年の実績と20年後の2037年の予測値を図に示した。


 人口1000人当たりの認知症患者数はOECD平均で14.7人であり、日本はOECD諸国で最多の23.3人である。日本の場合人口100人に2人以上は認知症患者がいるのである。さらに、2037年にはOECD平均で17.3人、日本は38.4人に増えると予測されている。

 こうした数字だけを見るだけでも大変厳しい状況にあることが理解される。

   高齢者ほど認知症を発症する割合は高くなるので、国ごとの人口当たりの認知症患者の多い少ないは、高齢化の進展度と相関している。ページ末に掲げた相関図ではこの点を示した。日本など高齢化の進んだ国で認知症患者が多く、途上国のインドなど高齢化がまだ進んでいない国では認知症患者が相対的に少ないことは一目瞭然であろう。

   また、この相関図からは、日本は、イタリア、ドイツ、フランスといった西欧の主要国と比較して高齢化の割にはやや認知症患者が少ないことも読み取れよう。

   各国の認知症の患者数とともに死亡率のデータも掲げた。ここで死亡率は年齢調整後の値なので高齢化のバイアスが除かれた死亡率を見ることができる。認知症は、死因としてのダメージもさることながら、家族を含めた生活困難のダメージが大きいので、日本では寿命・健康ロスの大きさが3番目に深刻な病気なのである(図録<A href="2050.html">2050</A>参照)。従って死亡率だけで各国の認知症の深刻さを判断することはできないが、認知症に伴う課題の一端をうかがうことはできよう。

 少し年次が古いが「現代の殺人者」(A modern killer)と題された認知症の深刻さを指摘するOECDオブザーバーの記事(第297号、2013年第4四半期)を以下に訳出する。状況はあまり変わっていないと思われる。

 認知症は治療法が得られない破滅的な病気である。ケアはお金的にも、感情的にも負担が大きい。高齢化が進んでいる社会では医療システムへの負担も大きくなる。症状は脳にダメージを与え、人間の身体機能や認知能力を衰えさせる。

   アルツハイマー病インターナショナルによると、4秒ごとに誰かがどこかで認知症を発症する。世界的な予測によると3千6百万人もの人が認知症を患い、その40%は高所得国に暮らす。OECD諸国全体では60歳以上の5.5%が認知症を発症している。認知症とアルツハイマー病による死亡率はフィンランド、米国、アイスランド、オランダで最も高い<FONT size="2">(注)</FONT>。90歳以上の約半分が認知症を抱えている。

  <ADDRESS>

(注)2013年当時のデータ。現在では図の通り、フィンランド、英国、アイスランド、オランダ、米国の順。認知症死亡率に関しては日本はかなり低位にあることも図からうかがわれる。

   心臓病やガンといった死をもたらす主要疾患による死亡率や障害率の削減についてはOECD諸国で進歩が見れられる一方で、認知症についてはそれが当てはまらない。

   OECDでは主に次の3点の対策を図っている。すなわち、①必要な治療と診断を提供するための官民連携の手法開発、②病気の予防や対処法のイノベーションを加速するために生命科学や情報技術からの助言をひきだす仕方の検討、③罹患した患者やその家族による介護やケアを改善するための手法開発である。
  <div align="center"><img src="images/2136a.gif"></div>

   患者数データの対象国を図の順に掲げると、メキシコ、トルコ、スロバキア、韓国、ポーランド、チェコ、イスラエル、ハンガリー、アイルランド、米国、チリ、スロベニア、アイスランド、カナダ、ルクセンブルク、ニュージーランド、オーストラリア、ラトビア、リトアニア、エストニア、ノルウェー、オランダ、デンマーク、英国、スイス、ベルギー、オーストリア、スウェーデン、フィンランド、スペイン、ギリシャ、フランス、ポルトガル、ドイツ、イタリア、日本、南アフリカ、インドネシア、インド、中国、ブラジル、ロシアである。

  (2022年3月10日収録)

社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune
https://honkawa2.sakura.ne.jp/index.html

「認知症が減少」のなぜ みえてきた教育水準との関係

「認知症が減少」のなぜ みえてきた教育水準との関係
科学の絶景
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC05BG00V01C22A2000000/

『高い教育水準が認知症を抑える――。データから明るみに出たのは、20代までの学習期間や生涯を通して学ぶ意欲の大切さだ。

「日本人は認知症にならずに長生きする」。2022年春、意外なニュースが世界に流れた。認知症はどの国にとっても懸案だ。既に世界で5000万人を超える人が患い、50年には1億5000万人以上になるとされる。日本でも12年の462万人から40年には900万人を上回るとの見方がもっぱらだった。

ニュースの震源地となった東京大学や米スタンフォード大学がまとめたのは「日本は16年の510万人から43年には465万人に減る」(東大の橋本英樹教授)という推計だった。

分析は「年を重ねるとどんな病気や機能低下が生じるか」をコンピューターで探った。16年から時を進めると、60歳以上が暮らす架空の日本で認知症の人は25年に503万人、34年に490万人と減っていった。

従来予測に反する「減少」との推計は健康状態や教育歴といった個性を反映したのが影響した。ここからみえてきたのは高い教育水準が認知症を抑える期待だ。

朗報にはヒントがあった。推計からは、65歳時点で期待する残りの人生のうち、認知症を伴う期間がどれだけを占めるかもわかる。43年には大学卒業以上の男性の場合は1.4%にとどまり、高校卒は7.7%、高卒未満は25.6%だった。女性は大卒以上が15.4%、高卒が14.8%、高卒未満が24.6%。学びの機会が増えると、認知症と向き合う期間が短くなった。

治療にてこずる今は「教育問題を口にするのは社会的な影響が大きく、声を上げにくい」と漏らす専門家もいる。しかし、そうも言っていられない。学習の重要性を裏づける証拠が増えてきたからだ。

「米国の65歳以上の認知症有病率は2000年の12.2%から16年に8.5%になった」。米ランド研究所のピーター・フドミエット氏らは11月に最新の研究成果を発表した。

人口の増加と高齢化で認知症の人は身近になるが、人々が認知症になりやすくなるわけではない。真の有病率は先進国ではむしろ下がってきたとみる。

米国で減った正確な理由はわからないが「高血圧などの改善もあるが、男女とも大卒者が増えており、教育水準の向上が重要な役割を果たしたようだ」(同氏)。男性では非ヒスパニック系の白人と黒人の有病率の差も縮まった。

実は「学習の大切さは半ば常識だ」と打ち明けるこの分野の専門家は多い。論文には何年も前から、思春期を含む年代の学習期間の短さが高血圧や鬱などと共に危険因子にあがる。

認知症の多くはゴミとなるたんぱく質が脳の神経を傷めるのが原因とされる。「脳の細胞が成熟する時期の教育は脳をタフにする」「キャンパスで培った人脈を通じた生活体験や仕事、健康意識の高まりが奏功」。因果関係の評価は様々だが、真実味はある。学びの価値を誰もが自覚する時に来ている。

進路は選択の自由がもたらすが、一人ひとりが社会を支える役目を考えれば、学習期間の物足りなさを個人の問題と片づけるわけにはいかない。社会全体での備えが欠かせない。進学の機会を手にできない人もいる。国内外を問わず教育格差は不平等がまかり通る社会から生まれる。社会を作りかえていくのも認知症対策だとの認識が世界では広がりつつある。

もっとも「(教育歴が全てという)運命論ではない」(橋本教授)。これからの選択で未来は創っていける。認知症の発症リスクはいくつもあり「他を減らせば補って余りある」と量子科学技術研究開発機構量子医科学研究所の樋口真人部長は話す。

その考えを福岡県久山町で65歳以上の住民約800人を24年にわたって見守った九州大学の研究が後押しする。二宮利治教授らは認知症を予測する手がかりを見つけ、10年後の発症確率を探るチェック表を作った。教育歴が9年以下で不利になるが、糖尿病の予防などで巻き返せる。教育歴が長くても、喫煙習慣や高血圧で暗転してしまうのも貴重な教訓だ。
英国で1000人超の60年以上に及ぶ変化を追った研究陣が導いた発見は「懸念は生涯を通じて打ち消せる」。幼少期の認知能力が低いと高齢期の認知能力が下がるとの疑いが強まる中で「私たちの研究では、この関係は信じられているほど決定論的ではない可能性がある。中年期の教育や働き方、余暇活動などで悪影響を相殺しているようだ」(英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの担当者)。

最新の研究は、認知症を防ぐには健康管理だけでは足りないと物語っている。数々の壁が進路を阻む社会や教育水準の低い国ではリスクが大きく、それを被る人々は見過ごされがちだ。社会の構造問題にもメスを入れる覚悟が必要になる。

(サイエンスエディター 加藤宏志)

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管理社会は、共産国家特有の現象ではない。

管理社会は、共産国家特有の現象ではない。 : 机上空間
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/30320875.html

 ※ 今日は、こんな所で…。

『私は、このブログで、武漢肺炎を発端にした、中国共産党が目指す、高度な管理社会について、いろいろと批判気味に書いてきました。健康バーコードを利用して、都合の悪い人間を強制隔離したり、監視カメラの顔認証システムと紐づいた、個人単位の社会信用システムの活用。デジタル人民元の普及による、個人の資産や購買履歴を丸裸にする試み。特に、社会信用システムで、中国政府が共産党にとって、有用か害かを点数で評価する「信用スコア」は、点数が悪化すれば、その個人は、公共サービスから排除される事で、一生に渡って不利益を被る事になります。例えば、公職から排除。高速鉄道や飛行機での移動禁止。親族の大学進学の取り消し。現在の職から失職。特定の場所への出入りの禁止。共産党にとって、危険分子である人間が、社会に影響を及ぼす手段を排除する事で、将来のトラブルの芽を摘むわけです。そして、立ち寄った場所などの履歴から、反共産党的な集会などに参加していれば、その組織ごと壊滅させる事を狙っています。

とても判り易い例で言うと、冬季・北京オリンピックが開催された時に、人民に交通信号を遵守させる為に行った事例があります。横断歩道で信号を無視すると、近くに設置された大型のモニターに、その人間の個人情報と、顔写真が表示されて、「この人物は、信号を無視しました」と表示されるのですね。そういう罰則を即時に与える事で、交通信号を遵守する習慣を強制的に定着させたのです。全人民の個人情報を管理し、監視カメラの顔認証システムと紐づいているからこそできる事です。

中国共産党の監視社会は、国の治安の安定をかけたガチのシステムなので、欧米の基準では考えられない程に個人のプライバシーに踏み込みます。独裁政権下では、それが許されるのです。

では、民主主義社会では、そのような事が起きないかと言えば、実は人間社会を管理する方法論というのは、思想ごときでは左右されなかったりします。形と程度は違えど、中国のような監視社会というのは、別の必要性から結果として似たような制度として出てきます。このブログの以前の投稿でも、数回取り上げましたが、ロシアとアメリカというのは、まったく社会体制の違う国として認識されていますが、社会に起きている個々の現象を観察すると、原因は違えど、双子のように似ています。つまり、問題に対応する人間の行動・想像力というのは、思想ごときでは変えられないくらい、限界があり、起きている現象だけ見れば、似ているというわけです。

では、アメリカで起きている監視社会制度とは何かと言うと、城塞街と呼ばれる、そこに住むには、一定額以上の年収を得ている富裕層しか許されない、常に警備員と周囲を取り囲む高いフェンスに守られた住宅区画全体が城塞と化した街です。城塞街が出来た原因は、アメリカの全体的な治安の悪化・犯罪の増加です。その為、街の区画全体を高いフェンスで囲み、24時間、専属の警備員が、区画に出入りする人間を監視して治安を保証する住宅地が、全米各地に出現しています。

行政が市民に押し付けたわけではないですが、セキュリティーに多額の出費を容認できる富裕層が、自らの判断で、外界と仕切られた治安の良い区画を作り出し、その中で生活を始めたのです。人によっては、プライベート・ジェットを持っていて、区画内にある飛行場から、出勤する人もいます。つまり、犯罪が存在する外界と、一切の接触なしに生活ができるわけです。

さて、ここまで裕福ではないが、上級階層に属する市民は、市の行政を乗っ取って、自分達で管理する事を始めています。そこそこ上流の人にとって、必要の無い公共サービスというのが存在します。例えば、図書館・公民館・公立病院・・・。上流の人にとって、教育も治療も、プライベートな出費で賄えます。それよりも、重要なのは、自分の財産を犯罪から守る為の警察力です。その為、そこに住む市民全体の福祉を考える市から独立して、自治管理をする新しい行政区画として独立し、そうした福祉の予算配分を思いっきり減らして、警察も民営化する事で効率化し、自分達に住みよい環境を作るというブームが起きています。

こういう行政が行われると、収入の低い層にとって、その行政区画自体が、とても住みにくくなります。安く利用できる施設が閉鎖されたり、貧民向けの救済サービスが廃止されるからです。それに頼る必要の無い、上流層にとって、そういう支出は無駄に過ぎません。結果として、低所得者が区画からの転出を余儀なくされ、残った上級市民にとっては、治安の良い街が自動的に実現できるという仕組みです。治安が良くなれば、その区画の地価も上がり、再開発も進むでしょうから、二度と戻ってこれなくなります。

国家が問答無用で人民に押し付ける監視と、市民が自由意志で創り上げた監視とでは、根本的な意味合いが違いますが、結果で見ると、その気持ち悪さは、とても似ています。アメリカでも、自身の財産と生命を守るという名分の元に、緩やかな個人の監視と、市民の選別が始まっているのです。』

「ゼロコロナ」批判デモ参加者を追い詰めるIT技術 牙を剥く「監視社会」の実態

「ゼロコロナ」批判デモ参加者を追い詰めるIT技術 牙を剥く「監視社会」の実態 – 孤帆の遠影碧空に尽き
https://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/e2cfccccd29235aa959415ba2356bd18

 ※ デジタル・マルクスレーニン主義の「面目」、躍如たるものだな…。

『【抗議活動への封じ込めには、最先端技術を使って弾圧】
中国・習近平政権の「ゼロコロナ政策」への不満が、単にコロナ対策だけでなく、「白紙運動」のような自由を抑圧する現行支配体制への批判にも拡大したことは周知のところです。

この事態に政権側は、公安を大量動員して人々を威圧し、人が集まれるようなスペースを物理的に封鎖する、あるいはSNSへの規制を強化するといったデモ・集会が行えないようにする封じ込めの一方で、「ゼロコロナ」の看板は降ろさないまま、実質的に規制を緩めて住民不満のガス抜きをはかるという「硬軟両様の構え」で対応していることは、12月1日ブログ“中国 SNS規制強化と実質的コロナ規制緩和で硬軟両様の構え 死去した江沢民氏追悼にも神経使う”でも取り上げたところです。

中国共産党は、途上国の独裁国家のように、あるいはかつての天安門事件当時の中国のように、デモ隊に実弾を撃ち込んだり、戦車で踏みつぶしたりするような粗野なむき出しの暴力をつかうことなく、静かに、かつ、的確に不満分子を抑制できるほどに“洗練”されています。

****中国、「敵対勢力取り締まり」指示=ゼロコロナ抗議デモ、参加者調査か****

中国各地で厳格な行動制限を伴う「ゼロコロナ」政策への抗議活動が広がる中、中国国営新華社通信は29日、警察・司法を統括する共産党中央政法委員会トップの陳文清氏が28日に会議を開き、「敵対勢力の取り締まり」を指示したと報じた。陳氏は会議で「断固として法に基づき社会秩序を乱す違法犯罪行為を取り締まり、社会の大局的安定を確実に守らなければならない」と強調した。

中国ではこの週末、ゼロコロナへの抗議デモが各地で発生。北京市中心部でも27日夜から翌日未明にかけて若者らが集まり、「自由をよこせ」などと訴えた。ゼロコロナは習近平指導部の看板政策で、当局は抗議の動きに神経をとがらせている。当局はデモ現場に警官を配置するなど、再発防止に向け警備態勢を強化している。

ロイター通信によれば、警察当局はデモ参加者に関する調査を始めている。北京デモへの複数の参加者はロイターに対し、警察から27日夜の行動記録の報告を要求されたと証言。デモの情報をどこで仕入れたかや、集まった動機についても聞かれているという。【11月30日 時事】

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前回ブログでも触れたように、地下鉄車内で乗客のスマホを公安がチェックするようなアトランダムな方法も行っていますが、世界最先端を行く「監視社会」の技術を使ってデモ参加者をピンポイントで威圧する取締りが展開されています。

****デモ参加の翌日、警察が自宅に。完璧に構築された中国監視システム****
2億台ものカメラが街のあらゆる場所に設置され、完璧に近い監視システムが構築されている中国。そんな社会の「刃」が、ここに来て一般市民に向けられる事態となっています。

今回のメルマガ『在米14年&起業家兼大学教授・大澤裕の『なぜか日本で報道されない海外の怖い報道』ポイント解説』では著者の大澤先生が、北京での抗議デモ参加者の身に起きた恐怖体験を、米有力紙オンライン版記事を引く形で紹介。

さらにこの問題は中国に限ったこととは言い切れないとし、テクノロジーの進化を享受するすべての人間に対して警鐘を鳴らしています。

中国政府の国民統制はジョージ・オーウェル『1984年』の世界そのもの
「ゼロコロナ」政策を推進してきた中国。行動制限やロックダウン(都市封鎖)などへの抗議活動が各地に広がっています。

政府は不満を沈静化させようとして、規制を徐々に解除しています。広州市は複数の地区で封鎖を解き、外食禁止を解除しました。

北京市当局もこれまで全市民に事実上義務づけてきた数日ごとのPCR検査について、長期間外出しない高齢者や幼児などは免除すると通知しています。

民衆の不満を考えて妥協しているようにみえる中国政府ですが、その一方で抗議活動への封じ込めには、最先端技術を使って弾圧しています。
以下、ニューヨークタイムズのオンライン版12月3日の記事抜粋です。

「中国の警察が電話機と顔写真を使って抗議者を追跡した方法」
中国当局は、週末に行われた抗議デモの後、全方位を見渡せる監視装置を使って、抗議する大胆な人々を見つけようとしています。

日曜日、北京で中国の厳しい共産主義政策に抗議に行ったとき、張さんは発見されないように準備して来たつもりだった。顔には目出し帽をかぶり、ゴーグルをつけていた。私服警官に尾行されそうになると、藪の中に潜り込み、新しい上着に着替えた。

その夜、20代の張さんは逮捕されずに帰宅し、事なきを得たと思った。しかし、翌日、警察から電話があった。
彼の携帯電話がデモのあった場所にあったことが探知されたので、彼が外出していたことがわかった、という。

その20分後、彼は住所を伝えていなかったにもかかわらず、3人の警官が彼のドアをノックした。

今週、中国全土の抗議者たちから同様の話が聞かれた。
警察は、顔認識や携帯電話、情報提供者を使って、デモに参加した人々を特定してきた。通常、彼らは追跡した人に二度と抗議しないことを誓わせる。

デモ参加者は、追跡されることに慣れていないことが多く、どのようにして自分たちが見つかったのか、困惑の表情を浮かべている。

さらなる反響を恐れて、多くの人が、抗議活動の調整や海外への画像拡散に使われていたテレグラムのような外国のアプリを削除している。

中国の警察は、世界で最も洗練された監視システムを構築している。街角やビルの入り口には数百万台のカメラが設置されている。

強力な顔認識ソフトウェアを購入し、地元市民を識別するようプログラムしている。特殊なソフトウェアが、拾い集めたデータや画像を解析している。

監視システムの構築は秘密ではないが、中国の多くの人々にとって、監視システムは遠い存在に感じられていた。
「何も悪いことをしていないのなら、隠すことはない」という考えのもと、多くの人がこのシステムを支持してきた。

先週行われた取調べは、その考えを揺るがすものかもしれない。中国の最も裕福な都市に住む多数の中産階級に、監視国家が正面から向けられたのは初めてのことだ。【12月6日 MAG2NEWS】

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【「何も悪いことをしていないのなら、隠すことはない」ではすまない、監視社会の負の側面】

犯罪を抑止し、社会の利便性を高める一方で、政治への不満・批判は徹底的に封殺されるという監視技術の二面性については、これまでもたびたび取り上げてきました。

ネガティブな面を気にする日本・欧米の声に対し、中国国内では「何も悪いことをしていないのなら、隠すことはない」といった寛容な対応、利便性を歓迎する風潮がこれまで一般的でした。

そのあたりは今も基本的には変わっていないのでしょうが、今回のデモ参加者は改めて自分たちがどんな社会に位しているのは、「監視」されるというのはどういうことなのかを改めて実感しているのではないでしょうか。

下記記事は6月16日ブログ“監視社会 中国で「健康コード」を乱用した抗議行動抑圧が物議 「幸福な監視社会」の実態”でも紹介したものです。

****中国人が監視国家でも「幸福」を感じられるワケ 『幸福な監視国家・中国』梶谷懐氏、高口康太氏インタビュー****

(中略)
個人情報によってレイティングされたり、個人の行動が監視カメラで監視されていたりするなど、日本人が聞くと「どうせ、中国は専制国家だから、プライバシーに無頓着で、監視されることにも慣れているんでしょ……」などと思ってしまいがちだ。しかし、実はそうではない。

そんな中国の実態を、中国経済論が専門の神戸大学経済学部教授・梶谷懐さんと、中国問題が専門のジャーナリスト・高口康太さんが現地取材を交えながら執筆したのが『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)だ。お二人に、「監視=幸福」という、一見、相反することがなぜ中国で成立しているのか? 聞いてみた。(中略)

強制ではなく、インセンティブを与える

「社会スコア」が導入されつつあるのも、強制力で従わせるのではなく、お行儀の良い行動をとったほうが「得」というインセンティブを与えることで、自然にその方向に向かわせるという狙いがある。

こうしたことから、中国では「便益(幸福)を求めるため、監視を受け入れる」、「プライバシーを提供することが利益につながる」という考え方が一般化している。

二人はどのような場面でそれを最も実感したのか?

「中国では、医療体制に問題を抱えていました。オンライン診療ができることになったことで、何時間も並んで診察を受けるといったことがなくなりました。サービスを提供しているのは大手保険会社で、個人が差し出す医療情報をビッグデータとして蓄積・解析することでビジネスに活用しています。これにより、迅速かつ低コストで、医療サービスを提供することが可能になっています」(梶谷さん)

「一つだけあげるのは難しいですが、梶谷さんのおっしゃる医療でもそうですし、顔認証だけで様々なサービスが受けられたり、自動車を駐車場に停めても勝手に精算が済んでいたりと、生活するなかでの面倒が日々少なくなっていくのを実感することができます」(高口さん)(中略)

信用スコアはもちろん、QRコード決済など、中国で新しいサービスが急速に普及する背景には、もともとそうしたインフラが整っていないということも関係している。(中略)

日本など先進国だと、先に整ったインフラや規制(ルール)が弊害となって新しいサービスがすぐに社会実装化されることは少ない。米ウーバーのサービスが「白タク」として許可されていないのは、その典型例だ。

「レギュラトリー・サンドボックス方式」と呼ばれる、規制緩和を行って新技術の実証事件を行う仕組みが、イギリスやアジアで導入されているが、中国ではまさにそれを地で行き「先にやって後で許可を得る」という形で、日常的に新しいサービスの試行錯誤が行われている。こうした環境がベンチャー企業を育み、中国発の新サービスを生む土壌となっている。(中略)

新疆ウイグル自治区というディストピア

一方で、デジタル・監視国家の負の側面もある。代表例として本書でも挙げられているのが、ウイグル人の問題だ。彼(女)らは日常生活を監視カメラやスマホのスパイウェアで管理されている。(中略)一般の中国人(漢民族)はこの問題をどのように考えているのだろう。

「私が中国に留学していた際の経験からも、マジョリティである漢民族の中には、新疆人(ウイグル人)は何をするか分からない、怖い人たちだ、という意識があるのを感じました。(中略)ですから、他地域で実施されれば激しい反発が予想される厳しい監視体制も、ウイグル人を対象にしたものである限り、抵抗なく受け入れられている面があるように思います」(梶谷さん)

「やはり、民主主義の欠如ということが問題です。同時に、99%の中国人にとって、そのリスクは捉えられていません」(高口さん)

使い方次第で、ディストピア社会も生み出してしまうが、多くの中国人にとって、それは圏外の問題なのである。

もう一点、不気味さを感じさせるのが、民意を先回りして政策を実行できるという点。
「言論の自由が保障されていないにもかかわらず、買い物の履歴やSNSの発言から情報を収集することで「民意」をくみ取り、それを政策に反映することが可能になっています」(梶谷さん)

「(中略)こうしたシステムを駆使すれば、選挙ではなく、監視によって民意を察知することも可能です。たとえば焼却場の建設計画を進めている時、住民の反発が非常に強く大規模な抗議活動が起きかねないと、世論監視システムが予測します。そうすると、地方政府は先手を打って説得したり、あるいはスピン情報を流したりという対策が打てます。場合によっては建設計画を撤回することもあるわけです」(高口さん)

これまで、社会課題などを議会で議論することで解決するという形をとってきたわけだが、情報を収集して解析すれば、そのような手間のかかる作業をしなくても、多くの人にとっての最適解が出されてしまう。

社会に対して大きな不満を持つことなく(ということは、投票率は益々下がり、今でも少ないデモなどももっと起きなくなる)、無風のまま政府によって飼いならされていく……。

テクノロジーの発達によって人の仕事が奪われるということが話題になっているが、民主主義社会を支える土台においても、人間が積極的に関与しなくてもよい状況が生まれつつあるのかもしれないと思うと、背筋が寒くなる。

中国に限った問題ではない

(中略)「ブレグジット、トランプ大統領の登場などによって、『民主主義って機能しているの?』というイメージを中国人は持っています。人に任せるよりデータに任せたほうが良いのではないかという。日本にも民主主義が機能不全だと考えている人は増えているのではないでしょうか。だからといって、中国と同じになるのがいいとは思いませんが、民主主義をバージョンアップさせるためにも、中国がどう課題に取り組んでいるかを知ることは必要不可欠でしょう」(高口さん)(後略)【2019年8月23日 WEDGE】

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【抵抗しない市民には安心と利便性を提供・・・しかし、抵抗・批判は許されない社会】

下記は、9月11日ブログ“中国 習近平国家主席が目指す完璧に設計された社会、抵抗しない市民には安心と利便性を提供”で紹介したもの。

****中国の監視国家モデル、相反する二つの顔****

習氏が目指す完璧に設計された社会、抵抗しない市民には安心と利便性を提供

(中略)3期目の新体制では、習氏の壮大なる野望の一つに注目が集まりそうだ。習氏はデータと大量のデジタル監視が支える新たな政府の在り方を目指しており、世界の民主国家に対抗する存在になるかもしれない。

中国共産党は完璧に設計された社会という未来像をちらつかせている。具体的には、人工知能(AI)企業と警察が連携して犯罪者をとらえ、誘拐された子どもを発見し、交通規則を無視して道路を横断する者を戒める社会だ。つまり、当局は市民の善行に報い、悪行には罰を与え、しかも数理的な精密さと効率性を持って実行する。

習氏がこの構想の実現にこだわるのは、必要にかられてのことだ。(中略)ここ10年は成長が鈍化。爆発的な債務の伸びや新型コロナウイルス禍に絡む厳格な規制、高齢化など人口動態の問題によって急激に失速する恐れが出てきた。

習氏はここにきて、新たな社会契約を結ぼうとしている。豊かな未来像を示すのではなく、安全と利便性を提供することで市民の心をつかむのだ。数千のアルゴリズムが脅威を制圧し、円滑な日常生活を阻害する摩擦を排除する予測可能な世界だ。

だが、世界は中国の国家監視プロジェクトの暗闇も目の当たりにした。新疆ウイグル自治区で行われているウイグル族などイスラム系少数民族に対する強制的な同化政策だ。

ウイグル人らは顔や声、歩き方まで検出され、デジタル上で徹底的に追跡される。警察が常にスマートフォンをスキャンし、宗教上のアイデンティティーや外国とのつながりを調べる。問題を引き起こすと判断されたウイグル人は刑務所か、地域にある「教育センターを通じた変革」のための施設へと送られる。その結果、第二次世界大戦以降、最大規模となる宗教マイノリティー(少数派)の投獄が起こった。

新疆が共産党の大衆監視によるディストピア(反理想郷)的な悪夢に陥っている所だとすれば、経済的に豊かな浙江省の省都、杭州はユートピア(理想郷)の極みを必死で目指している場所かもしれない。

杭州でも、新疆と同じように至る所に監視カメラが設置されている。だが、これらの監視網は市民を管理するとともに、生活を改善するためにある。集められた膨大なデータはアルゴリズムに送られ、交通渋滞の解消や食品の安全性の徹底、救急隊員の迅速な派遣に寄与している。杭州は、習氏の野望の中でも、世界に変革をもたらし得る、魅力的な一面を体現しているのだ。

杭州の中心部には、慎重に育成され、異例の成功を遂げたテクノロジー企業が集積している。(中略)ハイテク企業がタッグを組んだことで、杭州市は中国で「最もスマート」な都市に変身し、世界が追随を目指すようなひな形になった。

市が収集するデータが観光地の人の流れを管理するとともに、駐車場のスペースを最適化し、新たな道路網を設計する。市内の随所にある監視カメラは、長らく産児制限が続いた中国ではとりわけ、行方不明になった子どもの発見に寄与したとして高く評価されている。

杭州市内の「リトル・リバー・ストリート」として知られる地区で行われている「シティー・アイ」という取り組みは特に注目に値する。ここでは「城管」と呼ばれる都市管理部隊の地元支部がAIツールを使い、警察がわざわざ介入しないような任務に当たっている。具体的には、露天商人を追い払う、違法なゴミ放棄者を処罰する、駐車違反者にチケットを切るといった仕事だ。(中略)

シティー・アイは、ハイクビジョンがリトル・リバー・ストリートに警察の監視カメラ約1600台を設置し始めた2017年に運営が開始された。カメラの映像とAI技術をつなぎ、24時間体制で監視しており、何か不審な動きがあるとスクリーンショットともに自動で警告を送る。(中略)

ハイクビジョンが杭州市の路上に監視の目を提供したとすれば、アリババは頭脳を提供した。AIを駆使した「シティー・ブレイン」と呼ばれるプラットフォームが、交通量から水資源管理まであらゆる政府の任務を最適化する手助けをする。同時に、アリババのサービスやプラットフォームは、光熱費の支払いや公共交通機関の利用、融資取得といった市民生活の利便性を高め、ネット裁判所の登場で地元企業を提訴することさえも容易にした。
シティー・ブレインはとりわけ、ひどい交通渋滞で知られる杭州を変えたと言われ、国内ワーストランキングでは5位から57位へと改善した。アリババは交差点の動画データやリアルタイムの全地球測位システム(GPS)位置情報を解析するシステムを開発。同市の交通当局が信号を最適化し、老朽化する交通網の混雑を緩和できるようにした。

2019年10月には、農村地区で77歳の住民女性が洗濯中に小川に転落する事故が発生。女性を救急車に乗せた隊員は近くの病院まで最速で到着できるよう、シティー・ブレインの道案内ツールを作動させた。アルゴリズムにより、病院まで14カ所ある交差点がいずれも通過時に青信号になっていたことで、通常ではよくても30分かかるところを、12分で病院に搬送することができたと報じられた。(中略)

ウイグル人への組織的な弾圧が行われている新疆と同じように、杭州も社会管理のいわば実験場であり、何が機能して、何が機能しないのかを理解する材料を共産党に提供する。2カ所で行われている実験からは、共産党の権威に抵抗すると思われる人物を脅し、強制的に変えようとするまさに同じ技術が、党の支配を受け入れる人々を大事に扱い、安心させる手段にもなることが分かる。

習氏によるAIと独裁主義の融合は、戦争や新型コロナウイルス禍、経済減速、崩壊寸前の組織制度に見舞われる時代において、安心と効率性の世界を提供できるかに見える。

完璧につくられた社会の魅力は現実のものだ。このモデルがどこまで浸透するかは、習氏の野心とパフォーマンスのみならず、世界の民主国家が同じ問題にどううまく対処できるかにもかかっている。【9月9日 WSJ】
***********

抵抗しない市民には安心と利便性を提供、しかし、抵抗は許さない社会。日本や欧米的価値観からすれば抵抗・批判が許されない国民と言うのは“奴隷”ではないか・・・という話にもなります。』

〔資本主義というものに対する理解〕(再掲)

〔資本主義というものに対する理解〕(再掲)
https://http476386114.com/2020/07/07/%e7%bf%92%e8%bf%91%e5%b9%b3%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%9c%e9%a6%99%e6%b8%af%e5%9b%bd%e5%ae%b6%e5%ae%89%e5%85%a8%e7%b6%ad%e6%8c%81%e6%b3%95%e3%82%92%e6%80%a5%e3%81%84%e3%81%a0%e3%81%ae%e3%81%8b%ef%bc%9f/ 

『「資本主義」ということが言われているので、オレの理解を語っておく…。

 「資本主義」とは、「資本自由主義」ということで、「生産手段」「利益を産出するもの」である「資本」の、自由な活動を「国家として」「法秩序」として「認める」ものだと、考える。平たく言えば、「自由に利益を獲得すること」を認める、「獲得した利益を、自分のものにする(私有する)こと」を、国家として、法秩序として認めるという制度だ、と考える。

 その前提として、人間の生存・生活にとって、「私有財産(自分のものである財産)」は、必要欠くべからざるものだ…、という認識がある…。

 そのさらに前提として、そういう「私有財産」は、「人間としての尊厳」には、必要欠くべからざるものだ…、という認識が横たわっている、と考える。

 しかし、現実社会においては、こういう「自由」を制度として肯定すると、「格差」が拡大してしまう…。「自由競争」の名の下に、「利益を獲得していく」能力に差異がある以上、それに長けている者とそうでない者の差異が生じてしまうからだ…。

 その「弊害」「問題点」を鋭く抉り出したのが、カール・マルクスの「資本論」なんだろう(全部を読んではいない)…。

 「人間としての尊厳」に資するものだったはずの制度が、結局は「人間としての尊厳」を破壊してしまうことになるという、大矛盾だ…。

 さりとて、この「私有財産」を否定して、「共産革命」なるものを起こして、資本家・大地主を打倒し、彼らからその「私有財産」を実力で奪取したところで、次の問題が生じる…。

その「財産」を、どう「管理」していくのか、「誰が」管理していくのか、という問題だ…。

「国有財産」「公有財産」「共有財産」と呼称を変えたところで、「どのように・誰が管理していくのか」という問題は、消えて無くなるわけじゃない…。

 「財産」というものが、「人間の生存」にとって必要不可欠であるということは、消えて無くならないし、数が限られている以上、それの争奪戦、あるいは、「その管理権」の争奪戦は、消えて無くなるものじゃない…。

 人は、永遠にそういうことを、争っていく存在なんだろう…。』

詐欺になぜだまされる 脳の構造と対策、専門家が解説脳科学者に聞く「脳」の活性化術

詐欺になぜだまされる 脳の構造と対策、専門家が解説脳科学者に聞く「脳」の活性化術https://style.nikkei.com/article/DGXZQOUC10BFU0Q1A211C2000000?nra 

 ※ 『前頭前野のメモリのことを「ワーキングメモリ」と言います。訳すると、作業記憶。ちょっと前にしていた作業を記憶し、再び必要になったときに取り出すというもの。私はこれを「脳のメモ帳」と呼んでいます。このメモ帳の枚数は、年齢とは関係なく、誰もが3~4枚しか持っていません。私たちは、「あれ」「これ」「それ」くらいしか同時に処理できないのです。』…。

 ※ これは、もう、「確立された知見」のようだ…。

 ※ 同時に、並行して処理できるのは、「3個まで」か…。

 ※ 1個に集中していても、昨今は処理が怪しくなって来てるな…。

『誰でも年齢を重ねると記憶力が低下したり、素早い判断ができなくなってきたりするもの。脳の活動が低下しているのではないかと不安になっているときに、ちまたで横行するオレオレ詐欺や還付金詐欺などの「特殊詐欺」の話を聞くと、なぜそんなことになるの? どうしてだまされるのか信じられないと思う人も少なくないだろう。年を取って脳が老化すると、本当にだまされやすくなるのだろうか。公立諏訪東京理科大学工学部教授で脳科学者の篠原菊紀さんに聞いた。

年齢は関係ない? だまされるときの脳の仕組みとは

――今回は「だまされやすさ」について教えてください。ニュースなどで特殊詐欺の被害に遭った人のエピソードに接すると「ええっ、どうして疑わなかったの?」と思う一方、「いや、自分だってその場になればどうなるかわからない」と不安になったりもします。

年齢とともに脳の判断力も衰えてくるわけですから、やはりだまされやすくなってしまうものなのでしょうか。

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篠原さん まず、脳の特性から考えると、高齢者であることを抜きにしても、「そもそも人の脳は、複数のことを同時並行処理できない」ということが前提となります。

人を人たらしめているのは脳の「前頭前野」という部分。知覚・言語・思考など知性をつかさどる部分です。

前頭前野は、脳の別の場所に格納されている記憶や情報を意識に上げてきて、何かのミッションがあるとそのたびあれこれ検討します。この機能があるからこそ、人類はどんな状況に置かれても柔軟に適応し、あらゆる環境下で生き抜いてきました。

このように優れた働きをする前頭前野ですが、ここはコンピューターのキャッシュメモリのように必要な情報を一時的に保存して情報処理をするところ。実は、その性能には限界があるのです。

前頭前野のメモリのことを「ワーキングメモリ」と言います。訳すると、作業記憶。ちょっと前にしていた作業を記憶し、再び必要になったときに取り出すというもの。私はこれを「脳のメモ帳」と呼んでいます。このメモ帳の枚数は、年齢とは関係なく、誰もが3~4枚しか持っていません。私たちは、「あれ」「これ」「それ」くらいしか同時に処理できないのです。

ですから、いくつもの情報をどんどん入れられ、その全部が重要だ、と言われてしまうと脳のメモ帳では処理が追いつかなくなるのが当たり前です。

――ああ、特殊詐欺の加害者はその脳の仕組みをまさに利用しているわけですね。

篠原さん そう。ある人がこう言い、次に違う人から電話がかかってきてこう言い、指示される…と、情報過多にして、脳のメモ帳を使い切らせる状態を意図的に作っているのです。

詐欺の手口を考えてみてください。どれも、「大変な一大事」というインパクトの強い情報をぎゅっと詰め込みます。

・孫や息子が事故や事件を起こした。だから、示談金が大至急必要(オレオレ詐欺)

・あなたの口座が犯罪に利用されている。だからすぐにキャッシュカードを交換しないと危ない(預貯金詐欺)

・未払いの料金があるという架空の事実を口実にし、金銭を脅し取る、だまし取る(架空料金請求詐欺)

失恋をしたときだって、仕事が手につかなくなります。悲しみや後悔、その人と思い描いていた未来が失われるという喪失感。脳のメモ帳はあっという間に4枚のうち3枚が使い切られてしまう。脳の余裕がなくなってしまいます。

だから、特殊詐欺の加害者は「ストレスフルな情報や人をたくさん入れる」ことで一気に圧をかけてくる。高齢であろうとなかろうと、このテクニックのもとでやられると、人は普段通りに思考できなくなり、稚拙な判断しかできなくなります。

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『不安をあおられても、うれしいときも、だまされやすくなる

――なるほど、だます側の巧妙な手口は、脳のメモ帳の余裕をなくす手口なのですね。

一方で、脳の前頭前野は年齢とともにその働きが低下する、と前回(「人事異動は好機!ミドルも脳はアップグレードしまくり」)伺いました。高齢だからこそのだまされやすさ、というのもあるのでしょうか。

篠原さん ワーキングメモリの力は、18歳から25歳をピークに低下する傾向があります。だから高齢になるほど狙われやすい、引っかかりやすいと言えるでしょう。だます側からすると「落としやすい」ターゲットです。

ただ、高齢者一般というよりも、だます側は無数の対象に電話をかけています。おそらく、その大多数の中でも、急にストレスをかけられることに脆弱な人、ワーキングメモリの力が落ちている人が引っかかりやすいということです。

――メディアなどでは、「相手と話してしまうとだまされてしまうから、留守電にしておくことが一番」と言われています。やはり、受け答えしてしまうなかで、怪しいぞ、と我に返るのは難しいのでしょうか。

篠原さん 怪しい、と思う人のほうが多いはずですよ。でないと詐欺被害はもっと爆発的に増えているでしょう。だます側からしたら、無数の電話をかけ続けるなかで相手は、たまたま引っかかってくれた希少な人。だから、同じ人が繰り返し狙われたりするのです。
――詐欺の話で言うと、「過払い金があったのでお金が戻ります」といった還付金詐欺や、ネット上で疑似恋愛の関係を作ってお金を要求する「ロマンス詐欺」など、一見するとうれしいことと組み合わせるようなだまし方もありますよね。

篠原さん ストレスフルなことだけでなく、うれしいことも脳のメモ帳を食うのです。例えば、うつ的になりやすいイベントとして、つらい出来事だけではなく仕事の昇進などプラスの出来事でもプレッシャーになる、ということは心理学でも知られています。

――ワーキングメモリはいろんな要因で食われやすいのですね。

篠原さん その場限りのキャッシュメモリですからね。

ちなみに、だまされるときだけではありません。日常的にこんなことがありませんか。人との約束が3つ、4つ重なると最初の1つがきれいに頭から飛ぶ。2階に上がったのに、「なぜ自分はここに来たんだっけ」と用事が抜ける。会話中にいいことを思いついたのに、話し出すと内容が飛んでしまう、とか…。

――ありますあります。私は料理中に調味料のメモを見ているときに横から話しかけられるとその分量をすっかり忘れてしまいます。

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『だまされにくい判断力=ワーキングメモリを鍛えるには?

――だまされにくくするためにも、また、日々の判断力の低下に歯止めをかけるためにも、何らかの工夫をしたいのですが、おすすめの脳のトレーニング法はありますか。

篠原さん 認知症の疑いがある方の認知機能を調べる際に、ワーキングメモリの働きをテストする項目があります。そのテストを紹介しましょう。

脳のメモ帳を何枚か使う感覚を感じてもらうためなのですが、これを脳科学では「ワーキングメモリの多重使用」と呼びます。

これから言葉を1つずつ出します。そのあとちょっとした知的作業をしてもらいます。

机 ユリ 氷

この3つの言葉を覚えてください。

富士の山

この言葉も覚えてください。

では、富士の山を逆から言葉にして呼んでください。

はい、では最初の3つの言葉を思い出してください。

どうですか? 意外と出てこないでしょう? これが、脳のメモ帳を複数使う、ということです。何かを覚えて、余計なことをやって、また思い出す、というもの。このような、ちょっと「面倒くさいな」という作業を脳に課している最中に前頭前野が活性化します。

――まさに記憶と作業の組み合わせ、ワーキングメモリなのですね。

篠原さん もう一つ、人と話をする、というのも脳のネットワークを広げやすくする大切な行為です。脳には「出力依存性」という特性があります。

入力しよう、覚えよう、と思ってもさほど新しい情報ネットワークは作られないのですが、出力しようとしたときに、記憶の引き出しである「海馬」がその情報を「必要なもの」と判断し、情報ネットワークを構築しやすい状況にするのです。

面白い、と思ったこと、今日あった出来事を人にしゃべってみる。伝えてみましょう。話すのはもちろんですが、文字で起こす、というのもいいですよ。

――インプットも大事だけれど、アウトプットをすれば、よりいっそう脳が活性化するのですね。今回のお話も、読者のみなさんに「こんな面白いことが書いてあった」とSNSで広めてもらいたいですね! 

◇   ◇   ◇

次回は、話題になった「スマホ脳」。生活に欠かせなくなったスマホは果たして脳の老化につながるのか、篠原さんの意見を聞く。

(ライター 柳本 操)

篠原菊紀さん

公立諏訪東京理科大学工学部情報応用工学科教授。医療介護・健康工学研究部門長。専門は脳科学、応用健康科学。遊ぶ、運動する、学習するといった日常の場面における脳活動を調べている。ドーパミン神経系の特徴を利用し遊技機のもたらす快感を量的に計測したり、ギャンブル障害・ゲーム障害の実態調査や予防・ケア、脳トレーニング、AI(人工知能)研究など、ヒトの脳のメカニズムを探求する。

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ひらめきは一人では生まれにくい 巻きこむのが大事脳科学者に聞く「脳」の活性化術

ひらめきは一人では生まれにくい 巻きこむのが大事脳科学者に聞く「脳」の活性化術
https://style.nikkei.com/article/DGXZQOLM311ZG0R31C22A0000000?channel=ASH00002?n_cid=TPRN0016

 ※ たぶん、「ひらめき」というものは、「今までは、全く関係ないと認識されていた事がらと事がら」が、実は「深くつながっていた」ということを、発見することなんだろうと思う…。

『新たな市場ニーズを探ったり、これまでにない企画を求められたりするとき、「いいアイデアをひねり出したい」「ひらめきたい」と強く願うほど思考が硬直し、何もできなくなるといった経験は誰しもあるだろう。

公立諏訪東京理科大学工学部教授で脳科学者の篠原菊紀さんは、「自分の脳だけでひらめこうと思いすぎていませんか?」と話す。

私たちの脳は広く世界に開かれた「情報器官」である、という発想に切り替え、人と話すなどどんどんアウトプットすることも効果的だという。篠原さんに新発想の「ひらめく方法」について聞いていこう。』

『たくさん情報を入れれば、ひらめきの元は勝手に生まれてくる

――前回(「『ひらめき脳』は『居眠り』と『ながら』で作られる?」)は、「ひらめくための秘策」として、「ぼーっとすること」「まどろむこと」が効果的であるということや、ひらめくためには神経ネットワークがつながりあうための素材(情報)を入れる作業も不可欠である、ということを教えていただきました。

資料を読み込んだり、ああでもないこうでもない、と頭を抱えるプロセスも避けて通ることはできないのだなと納得するとともに、もう一つ伺いたいことがあります。「資料も読んだ。とことん考えた。けれども、いいアイデアが出てこない。最初の1行がどうしても書けない」というときがかなりの頻度であるのですが……。

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篠原さん それは、ひらめくための素材がそろいきっていないためかもしれません。

また、「これを書いたら、いいことが起きる」という達成への予感が出来上がっていたなら、あれこれ考えなくても自然と「書きはじめる」ことが起こります。その達成への予感が未完成だったという可能性もありますね。

というのも、脳科学でいうと、「やる気は行動と快感の結びつきによって起きる」からです。そのためには、「行動をしたら快感を得た」という体験を繰り返すことが重要です。体験の繰り返しによって、「まず1行書く」ことがさほど負担感なくできるようになってきます。

そして1行書いてみると、足りない情報は何かがわかり、再びリサーチする、この繰り返しで、いわゆる「脳の拡張作業」が行われていきます。

――「脳の拡張作業」。わからないことを繰り返し調べると脳の拡張が起こっていくのですか?

篠原さん 統計処理をするのだって、結局のところデータを集めて脳の拡張を行っているわけです。それを行ううちに「つながり」が自動的に生まれ、ひらめくときがやってきます。

一方で、私は最近思うのですが、「ひらめかない」「アイデアが浮かばない」「書けない」と行き詰まる方の多くは、脳を「固定的にとらえてしまっている」状態ではないかということです。

――脳を固定的にとらえる――。それはどういうことですか。

篠原さん 脳って、どんなものだと思いますか? 自分の頭蓋骨の中の臓器、とだけ思っていたら、それは違います。

脳は頭蓋骨の中だけにある「固定的なもの」ではなく、一種の「情報処理器官」であって、その情報ネットワークは世界とつながっています。インターネットしかり、SNSしかり。星空や月を眺めることによっても何らかの情報が入ってきています。

脳から始まる空間的広がりは無限である、と考えてみませんか。

何かが足りていないと思えばその情報にアクセスすればいいのです。「1行目が書けない」、すなわち情報のつながりがまだ見えてこないのなら、たくさん情報を入れれば、何らかのつながりが「勝手に」出来上がっていく。それが脳の良さなのです。』

『ひらめきに固有性や所有権を持とうとしないほうがいい

――脳はいろいろな情報処理をする「頑張り屋」だと思っていたのですが、確かに世界中の情報とやりとりしているという面もあるのですね。とても新鮮なことを聞いたような気がします。

確かに脳を固定的にとらえ、「とにかく自分の頭で思いつこう」としていたのですが、もっと他の情報ネットワークに頼っていいということですね。

篠原さん 例えば今こうして僕とあなたが話しているときにも互いに情報ネットワークをやりとりしていて、どこかでひらめきが起こり、それが伝播していくわけです。自分の脳の中で必ずしもひらめく必要はなく、ネットで気軽に情報を求めることだって「集団知」を生かすということですよね。

よく、「トップクリエーターの頭の中ではつねにひらめきが起こっている」なんて思われがちですが、そんなことはない。

個体の持っている影響力なんてそんなに大きくないのです。広くつながりあう情報ネットワークのたまたまの結節点が自分の脳で、同じようなひらめきを持つ人はそこら中にいて当たり前なのです。

――例えるなら、パソコンであってもスマホであっても、内蔵メモリにデータを詰め込むのではなく、クラウド上に保存したり、ネットワークを広げる、というようなことでしょうか?

篠原さん その通りです。

AI(人工知能)には、「教師あり学習」という、正解を教えるシステムがあります。「これはブタであり、イヌではない」というような情報の学習をとにかく数多くやっていくと、AIの中に新たなカテゴリー判断が生まれます。

最近の脳科学の見方からすると、「カテゴリーを覚えるのではなく、カテゴリーを作ることこそ脳の働きの根幹である」、ということ。となると、外界とつながり、ネットワークを広げ、情報をさかんにやりとりしないでいると脳はどんどん固定化し、ひらめきにくい脳になってしまいます。

写真はイメージ=PIXTA

僕たち学者の感覚から言っても、「発見は自分の手でしなければ」という気分にとかくなりがちなのですが、そもそも科学だって先人の知恵の蓄積を受け継ぎながらどこかの段階で誰かがひらめく、という連続で成り立ってきたわけで、もともとそういった仕組みであったことが今の時代になり顕在化してきたのだと思います。

このような考え方はこれからの企業にも必要です。市場ニーズに合わせる、というよりもニーズを新たに作り出さないといけない時代ですからね。ひらめきに固有性や所有権を持とうとするのはナンセンス。やめたほうがいいと思います。』

司教任命権で合意再延長 バチカンと中国、協調継続

司教任命権で合意再延長 バチカンと中国、協調継続
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB223AR0S2A021C2000000/

『【ローマ=共同】キリスト教カトリックの総本山バチカン(ローマ教皇庁)は22日、司教任命権を巡る中国との暫定合意を2年間延長すると発表した。国交のない両国は長年対立してきたが、2018年に暫定合意を結び歴史的和解を果たした。延長は20年に続き2度目。本合意への切り替えは見送ったが、引き続き協調することを決めた。

暫定合意の詳細な内容は明らかでないが、バチカン公式メディアなどによると暫定合意が発効して以降の4年間で、中国では双方の同意の下、6人の司教が新たに任命された。暫定合意を結ぶまで、中国は国内の司教を独自に任命し、司教任命権はバチカン元首のローマ教皇にあるとするバチカンと対立していた。

教皇フランシスコは早々に暫定合意延長の意向を示し、今年9月には改めて「中国に行く用意は常にある」と発言するなど歩み寄りの姿勢を鮮明にしていた。暫定合意は今月22日が期限だった。

バチカンは欧州で唯一、台湾と外交関係を持つが、近年は中国に接近。国交樹立となれば台湾との断交を迫られるのは必至で、台湾は警戒を強めている。』


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%B2

『欲(よく、慾、希: ἐπιθυμία, 羅: cupio, 英: desire)とは、何かを欲しいと思う心[1]。欲望、欲求などともいう。

人間(ヒト)、動物が、それを満たすために何らかの行動・手段を取りたいと思わせ、それが満たされたときには快を感じる感覚のことである。生理的(本能的)なレベルのものから、社会的・愛他的な高次なものまで含まれる。心の働きや行動を決定する際に重要な役割をもつと考えられている。

仏教などでいう「欲」は、概ね生理的(本能的)なレベルのものを指しており、精神にとって心をよくしていくもの、愛情を育てるもの、抑制するべきものとして説かれている。 』

『欲求段階説

マズローの提唱する、欲求の階層をピラミッドで表現し原始的欲求に近づくほど底辺に書いた図。

アブラハム・マズローは「欲求階層論」を唱えた。

これは、人間は、ある欲求が満たされると、より高次の欲求を満たそうとする、とするものである。

人間の欲求は、「生理的欲求」「安全への欲求」「社会的欲求」「自我欲求」「自己実現欲求」の、低次元から高次元までの、5つの階層をなしている、とし、低次元の欲求が満たされて初めて高次元の欲求へと移行する、とした。

また、生理的欲求や安全への欲求を「欠乏欲求」と呼び、自己実現を求める欲求は「成長欲求」と呼んだ。

欲求を低次なものと、より高次なものに分類した。いずれにせよ、欲求が満たされると脳内で「報酬系」が活動し快の感覚を感じる。不快を感じさせないようにする。
詳細は「自己実現理論」を参照

生理的・本能的な欲求

生物が生命を維持し子孫を残すために必要な欲求である。外界からの刺激や体内の状態に直接結びついた、短期的な欲求である。

主に身体内部の情報に基づいた欲求

呼吸:呼吸中枢が血中のO2濃度低下を感知すると、呼吸回数を変えたり気道を通じさせようとしたり、別の場所に移動したりしたくなるような欲求が生じる。

食欲:視床下部の血糖値センサーが血糖値低下を感知すると、個体に「空腹感」を感じさせ、摂食行動を促す。

飲水:視床下部の浸透圧センサーが、血清の濃度上昇を感知すると、個体に「口渇感」を感じさせ、飲水行動を促す。

排便・排尿:大腸や膀胱からの情報により、排泄したいという欲求が生じる。

睡眠欲

体温調整:体温調整中枢にて設定された温度と比較して、体温が上昇/下降した場合、涼しい/暖かい場所に移動したいと感じたり、汗をかかせたり、筋の振戦を起こさせたりして体温を調整する。

性欲:性的パートナーを見つけ、性行為を行いたいと感じる性的欲求。

主に身体の外部からの情報に基づいた欲求

逃避:不安や危機を感じた場合に逃げ出したいという欲求を生じる。

闘争:逆に、戦うことで生存しようとする欲求。

困難な状況になると、宗教に関わらず祈りや念仏等を唱えてしまう行為(「あーっ、神様、仏様、ご先祖様、キリスト様…」)等、対象がはっきりしていなくても、助けを求め、すがりたくなる感情を、生存への欲(生存欲)の一部としてとらえ、その中で、最も認知されず、研究されてもいない欲として、祈り欲という単語を提唱する人もいる。

心理・社会的な欲求

ヒトは群居性の動物であり、また高度な思考力を持つために、社会的に認められたい、知識を満足させたい、他者を満足させたい、というより高次な欲求がある。

また、欲求の内容は、後天的に身につくものであり、社会や文化の影響が大きいという特徴が見られる。

マレー(Murray)の質問紙検査・臨床心理検査・面接調査を行った調査によれば以下のような欲求が多くの人間に認められる。[2]

獲得:財物を得ようとする欲求。

保存:財物を収集し、修理し、補完する欲求。

秩序:整理整頓、系統化、片付けを行う欲求。

保持:財物を持ち続ける、貯蔵する、消費を最小化する欲求。

構成:組織化し、構築する欲求。

優越:優位に立つ欲求。達成と承認の合成。

達成:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。

承認:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。

顕示:自己演出・扇動を行う、はらはらさせる欲求。

保身:社会的な評判・自尊心を維持する欲求。

劣等感の回避:屈辱・嘲笑・非難を回避する欲求。

防衛:非難・軽視から自己を守る、また自己正当化を行う欲求。

反発:二度目の困難に対して再び努力し、克服・報復する欲求。

支配:他人を統率する欲求。

恭順:進んで他人(優越な人間)に積極的に従う欲求。

模倣:他人の行動やあり方を真似する欲求。

自律:他人の影響・支配に抵抗し、独立する欲求。

対立:他人と異なる行動・反対の行動をとる欲求。

攻撃:他人に対して軽視・嘲笑・傷害・攻撃する欲求。

屈従:罪悪の承服・自己卑下の欲求。

非難の回避:処罰・非難を恐れて法・規範に進んで従う欲求。

親和:他人と仲良くなる欲求。

拒絶:他人を差別・無視・排斥する欲求。

養護:他人を守り、助ける欲求。

救援:他人に同情を求め、依存する欲求。

遊戯:娯楽などで楽しみ、緊張を解す欲求。

求知:好奇心を満たす欲求。

解明:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。

知識・名誉・地位等を得ることによる満足感や他者から認知されたいといった欲求、ストレス発散行為を欲する動き、より美味しいもの・より良いものを求める動き、見栄・所有欲等がある。

子供の養育は、生殖欲求の一種でもあるが、ヒトの場合は「思いやりのある子に育って欲しい」など、高次な欲求にも基づいている。

ただし人間の欲求は非常に複雑な相互作用が起こるために単純に上記の欲求に行動を還元することはできない。

生理的な欲求が満たされれば、高次な欲求の方が、行動や心の動きを決める上で重要となってくると考えられる。

適応機制

発生した欲求を解消するために起こす行動(適応機制,Adjustment Mechanism)は、下記のように分類することができる。

欲求と適応機制

葛藤

接近と接近 - ラーメンも食べたいけど、ハンバーグも食べたい。

回避と回避 - 塾にいくのは嫌だし、かといって家に帰っても親に叱られる。

接近と回避 - 試験に受かりたいけど、勉強はしたくない。

障壁

物理的障壁(天候・時間・距離など) 例 - 運動したいが、外が雨でできない。

社会的障壁(法律・評判・習慣など) 例 - バイクに乗りたいが、まだ16歳以上でないので免許が取得できない。

個人的障壁(能力・容姿・思想など) 例 - 試合に出たいが、それだけの能力がない。
経済的障壁(お金・物資など)     例 - ブランド品を買いたいが、お金がない。

脳科学と欲 

科学的根拠については十分とは言えないものの、欲求を脳科学の見地から解明する研究も進められていて、低次な欲求ほど主に大脳辺縁系などの旧皮質の影響を受け、高次な欲求ほど主に前頭連合野などの新皮質の影響を受けやすいとされている。主な欲求を分類すると以下のようになる。

生理的欲求

安全安心の欲求

愛情や所属の欲求(集団欲・序列欲)

人から認められたいといった欲求

理想とする自分になりたいという自己実現の欲求

これらの多様な欲求を段階的・並行的に過不足なく(場合によっては適度な過不足状態を前提にしつつ)満たしていくことが心身の健康を維持する上では、大切である。

こういった欲求レベルには、個人差がありその基本的な欲求が強いほどそれに相応した理性的能力(大脳新皮質の前頭連合野など)も発達しやすい傾向があり、また向上心や進歩の原動力となりうるものでもある。

低次の欲求をコントロールしたりする理性に関わる前頭連合野は、最初は空っぽのハードウェアのようなものであり、しつけ・社会のルール・教育などの後天的な学習作用によって脳神経細胞(ニューロン)のネットワークを形成し理性的コントロール能力をつけていく。

また、より低次元な欲求が上手く満たされずに過剰な欲求不満状態(ストレス)となった場合に、前頭連合野における理性的コントロール能力を超えてしまい、神経症や犯罪・いじめ等の問題行動を引き起こしやすい状態となることも知られている。

哲学における欲望

「人間の欲望は他者の欲望である」(ジャック・ラカン、『精神分析の四基本概念』)
「他者が欲望するものを欲望する」(ルネ・ジラール、『欲望の現象学』)

社会と欲

社会的には、過剰な欲は犯罪の要因となることから制度を設けて制限を加えているが、経済活動の需要を喚起する必要から適度な欲を必要としている。

宗教において

仏教

比丘たちよ、この舟から水を汲み出せ。
汝が水を汲み出したならば、舟足軽やかに進むであろう。
このように貪欲と瞋恚とを断ったならば、汝は涅槃に達するだろう。
パーリ仏典, ダンマパダ, 369, Sri Lanka Tripitaka Project

海水は飲めば飲むほど喉が渇く。[3]

パーリ語において「欲」を意味する言葉には複数存在する[4]。

ローバ(lobha)、ラーガ(rāga) :貪 [4]
カーマ (Kāma) [4]
タンハー (Taṇhā) : トリシュナー [4]
ラティ (rati) [4]

仏教では、眼・耳・鼻・舌・身・意(げん・に・び・ぜつ・しん・い)の六根から欲を生ずるとする[5]。

また三界(無色界・色界・欲界)といい、このようなさまざまな欲へ執着している者が住む世界として欲界(よくかい)があり、現実世界の人間や天部の一部の神々などがこの欲界に含まれる存在であるとする。

仏教では、欲そのものは人間に本能的に具わっているものとして、諸悪の根源とは捉えないが、無欲を善として推奨し、修行や諸活動を通じて無欲に近づくことを求めており[3]、自制ではなく欲からの解放を求めている。

原始仏教では、出家者は少欲知足(しょうよくちそく)といい、わずかな物で満足することを基本とした [6]。南方に伝わった上座部仏教は、この少欲知足を基本とする[6]。

なお唯識仏教では、欲は別境(べつきょう、すべて心の状況に応じて起こすもの)で、そのはたらきに善・悪・無記(善と悪のどちらでもない)という3つの性(三性)を求めるとする。

善欲は精進して仏道を求める心であり、悪欲は貪(とん、むさぼり)として根本的に具わっている煩悩の1つとする。

しかし、大乗仏教の思想が発展すると、人間我・自我という欲に対し、如来我・仏性を得るという(つまり成仏すること)という大欲(たいよく)を持つことが重要視されるようになり、煩悩や欲があるからこそ菩提も生まれるという、煩悩即菩提という考えが形成された。したがって大乗仏教の中には欲そのものを全否定せず、一部肯定する考えもある。
少欲知足

「吾れ唯だ足ることを知る」(知足)

少欲之人無求無欲則無此患。 (中略) 有少欲者則有涅槃。是名少欲
(中略) 若欲脱諸苦惱。當觀知足。知足之法即是富樂安隱之處。

少欲の人は求むること無く、欲無ければ、すなわちこのうれい無し。 (中略) 少欲ある者はすなわち涅槃あり、これを少欲と名づく。
(中略) もし諸々の苦悩を脱せんと欲すれば、まさに知足を観ずべし。知足の法は、すなわち是れ富楽安穏の処なり。
—  大正新脩大蔵経, 涅槃部, 仏垂般涅槃略説教誡経[7] 

小欲(Appicchatā)はパーリ語で「ニーズが少ない」との意であり、転じて必要十分な量であることをさす[6]。知足(Santuṭṭhi)はパーリ語で「喜んでいる」との意であり、転じて満足から得られた喜びをさす[6]。』

8つの本能から顧客を理解する新たなフレームワーク「進化論マーケティング」【お薦めの書籍】

8つの本能から顧客を理解する新たなフレームワーク「進化論マーケティング」【お薦めの書籍】
https://markezine.jp/article/detail/39817

『マーケティングを行う上で、顧客への深い理解は必要不可欠です。しかし、昨今の顧客の購買動機は様々。顧客理解はまさに「言うは易く行うは難し」でしょう。本稿では、本能から顧客を理解するためのフレームワーク「進化論マーケティング」を解説した一冊を紹介します。

消費者がモノを買う理由の“奥の奥にあるもの”

 今回紹介する書籍は『ヒトが持つ8つの本能に刺さる 進化論マーケティング』。著者はサイエンスライターの鈴木祐氏です。

『ヒトが持つ8つの本能に刺さる 進化論マーケティング』鈴木祐(著) すばる舎 1,760円(税込)

 鈴木氏は慶應義塾大学SFCを卒業後、出版社勤務を経て独立。サイエンスライターとして、数多くの学者・専門医を取材する傍ら、科学に関する自身の知見を紹介したブログ「パレオな男」のPVは月間250万にも上るといいます。

 本書は4つの章で構成されています。第1章では、消費者の購買行動の動機である「8つの本能」を紹介。次章からは、それらの本能を刺激することで自社の商品・サービスの訴求につなげる具体的な方法を解説しています。

 本書の冒頭で鈴木氏は「多くの人がモノを売ろうとする際、“身近”なレベルで消費者の行動を理解したがる」と述べています。その上で「消費者の好み・感情・性格だけにフォーカスしていたら、より効果的な売り方を見過ごしかねない」と指摘。消費者がモノを買う理由の奥の奥を明らかにし、その後の消費行動の変化まで予測するためには、どのようなアプローチが必要なのでしょうか。

アップルやマッキンゼーも採用する「進化論マーケティング」

 鈴木氏は消費者の購買動機の深層心理を読む手段として「進化論マーケティング」を紹介しています。進化論マーケティングとは、ダーウィンの進化論をビジネスに応用した学問です。2000年代にカナダのコンコルディア大学の教授が基礎となるコンセプトを提唱。近年ではアップルやマッキンゼーなどの企業も経営手法の一つに採用しているといいます。

 進化論マーケティングの特徴は、人類史を原始の時代にまでさかのぼった上で、現代の人間の中に顕在化した欲望を“本能”をベースに捉え直す点です。たとえば「高級品を購入したい」という欲望の背景には「他人に見栄を張りたいから」などの理由があると一般的には考えられます。進化論マーケティングでは、そこからさらに一歩踏み込んで「高級品を買いたくなる“本能”とは何か」と問いを立て、その源泉にある「性的シグナリング」を探るのです。性的シグナリングとは「私は恋人として理想的な存在だ」と周囲にアピールする行為のこと。つまり「生殖本能」が関係しているという考えです。

 鈴木氏は「消費者は自身が手に取った商品について、なぜそれを選んだのかをよく理解していないことが多い」と指摘。そうした潜在的な領域を「自分のDNAを後世に受け継がせたい欲望(=生殖)」と、さらに「個体としての自分を長生きさせたい欲望(=生存)」に帰結させたのが進化論マーケティングです。

「欲望」を見極め、インサイトを正しく把握する

 鈴木氏は「生殖」「生存」という2つの根源的な本能から派生する形で、8種類の欲望のタイプを紹介。それが「安らぐ」「進める」「決する」「有する」「属する」「高める」「伝える」「物語る」です。

 たとえば「安らぐ」は、自身に危害を及ぼすものを避けたいと願う欲求のことで、行動パターンとしては「リスクを取らない」「伝統を好む」などが挙げられます。「松竹梅のようにグレードが分かれた商品で『気づいたらミドルクラスを選んでしまっていた』という選択の背景には、安らぐ欲望が存在している」と鈴木氏は語ります。

 一つひとつの消費者の行動について「8種類の欲望のどれに当てはまるのか」を見極められるようになると、より深い仮説を生みやすくなり、ひいては消費者に真に刺さる広告コピーの発案や、正確な消費者インサイトの発掘につながるというのです。

 2章以降では、8つの基礎本能を実際のマーケティング施策に落とし込む方法を解説。「消費者行動を潜在的な領域も含めて深く理解したい」と考えるマーケターの方は、本書を手に取ってみてはいかがでしょうか?』