「うつすとも水は思はず、うつるとも月は思はず、広沢の池。」

※ 画像元のサイトは、以下のところです。
http://京都のitベンチャーで働く女の写真日記.com/kiji.html?entry=2016-01-25-01

http://www.sankei.com/life/news/180602/lif1806020025-n1.html
『アメフット部の反則問題の影響はどこまで広がるのか。7月には、同大への進学を
検討する高校生や保護者らを対象にオープンキャンパスが開かれ、秋には進学
アドバイザーによる個別進学相談、英語受験対策講座、過去の試験問題の展示などが
行われる。
受験生集めのイベントを控え、大学教員らも神経をとがらせている。
同大教職員組合文理学部支部が5月24日に出した声明には、「(オープン
キャンパスまでに)信用回復の有効な手立てを講じない限り、教職員は受験生やその
保護者からの問い合わせに真摯に応答できない」と危機感を募らせ、理事会の刷新
などを求めた。』
『さらに懸念されるのが受験者数へのしわ寄せだ。日大公式サイトによると、30
年度の一般入試志願者数は全国トップクラスの約11万5千人で、前年度より約
2500人増えている。多様な学部をそろえる日大は受験生の大きな受け皿となって
きたが、都立高校で進路指導を担当した経験がある男性教諭は「日東駒専(日大・
東洋大・駒沢大・専修大)を狙う学生は、日大が第一志望でない限り、他の大学に
流れる可能性はある」と話す。』

実は、非常に重要なことに触れていると思われる。
前回、私学助成金の観点を指摘したが、それよりももっと重要なことがある。

それは、「世間」という語で表現されてるモンだ。まあ、世の中の評価・評判と
言ったものか…。
それは、この日本社会で日々生活を送っている人々の「内心の声」「意識」
「認識」「考え」と言ったものにより構成されている。
それは、今現在生活している人のものに限定されることではない。過去、何代・
何世代にも渡って形成されて来たものに関係することだ。
過去の話しで終わることでもない。これから未来へと繋がっていくものでもある。
人の精神活動は、生物学的には脳細胞によって作り出される(と、今のところ考え
られている)。脳細胞の連結・連絡によって作り出される。
その脳細胞は、遺伝的なモンにある程度規定され、後天的な学習によって連結・
連絡が変化する(心理学の本なんかには、一卵性双生児での観察結果から、遺伝が
6割で学習の成果が4割くらいだろう、何てことが書いてある)。
言ってみれば、オレら一人一人が、情報処理能力を備えた生物学的なコンピュータ
と過去のデータを蓄積した生物学的なデータベースで、日々体外から栄養分を摂取
しつつ、せっせと排泄してる、生きてる情報処理器官な訳だよ。
その情報処理の結果、知・情・意などの様々な精神活動が生まれ、それを「生き
てるということ」なんぞと称してる訳だ。
だから、全ての人がそう言った頭脳を備えている。そう言った精神活動をして
いる。
百人いれば百人、千人いれば千人、万人いれば万人、億人いれば億人がそう言った
精神活動をしている。その全ての人が、「内心の声」「意識」「認識」「考え」と
言ったものを備えている。「千差万別」「十人十色」と言った表現は、そういうこと
を表現したものだ。人として尊重する、と言うことは、そう言った一人一人の精神
活動に敬意を払う、ってことだ(「あなたのお考えは、そうですか。なるほど
ねえ。」ということだ。
「人権」「個人の尊重」という概念の根底には、そういう考察が横たわって
いる)。
もちろん、ある程度は外部から働きかけて一定の方向に誘導することは可能だよ。
近時では、ナチス・ドイツ(「ハイル・ヒトラー!」)や大日本帝国(「天皇陛下、
バンザーイ!」)の国民に対する洗脳が記憶に新しい。過去の話だけではない。
中国共産党の毛沢東の神格化、デジタル・レーニン主義によるアメとムチによる
人民の行動規制、北朝鮮の金日成一族の神格化なんてのが絶賛進行中だ。
しかし、完全にこれをコントロールするのは、まず不可能だ。できるのは、
せいぜい監視の目が届くところでの、人々の行動に対する一定の影響ということ
くらいのモンだろう。
人の「内心」まで規制するのは、まず不可能だろう。
世の中の評価・評判というものは、そう言った日々生活を送っている人々の精神
活動が作り出す、「内心の声」「意識」「認識」「考え」と言ったもので形成
されてるモンな訳だ。
だから、一朝一夕で作り出せるモンではない。なにしろ、「脳細胞」に規定されて
いるものだからな。
人類誕生、へたすれば哺乳類誕生、いやいや生物誕生まで遡る話しかもしれない…。
後天的な学習による脳細胞の連結・連絡の方も、未だにあまりよく分かって
いない。
そういう研究成果も乏しいようだ。第一、どうやって観察するのかも確立されて
いないようだ。せいぜいが、脳のどの部分に血流が多くなるのか観察する、と言った
程度だ。
だから、上に立つ人、組織の上部の方にいる人、一定の職責に就いている人は、
こういう日々平凡に生活している人々(一般国民、衆生、パンピー、一般人…etc)の
意識に対する「畏れ」と「尊重」が絶対に必要なんだよ。
それを忘れたときは、必ず反撃・しっぺ返しを喰らう。
「一寸の虫にも五分の魂」、石舟斎遺訓の「一文は無文の師」なんてのも同根だ。
人の精神活動ってのは、他者の精神活動(及び、その結果)を以てしか鍛錬
できない。
他者の精神活動を尊重しないヤツに、自分の精神活動を成長させていくことは
できない。
お前にしてから、強い相手と戦えるのが好きだってのは、その相手の精神活動の
成果を味わうのが楽しみだ、ってことだろ?
だから、問題の本質は、相手が強いかどうかという点ではない。後輩でも、始めた
ばかりの初心者でも、そこには相手の精神活動が反映されてて、そこに思いも
寄らない(自分の精神活動からは、とても出ないようなもの)が湧出していて、
それに触れる・それを感得するのが楽しみだ、ってことだろ?
以前に、持ち回りの当番の中で、どっかの**で不祥事が生じた(集めた費用を
使い込んで、パチに使ったんだっけ? )時に、お前が「ばか**」とか発言した
ことに、オレが相当キツく叱責した(「鼻持ちならねえエリート臭が臭うぞ」とか
言ったっけ? )ことがあったろ?
あれは、こういう問題に繋がっているからなんだよ。
そりゃあ、人には能力の差が存在してるよ。しかし、だからと言って能力が
低ければ、その人のかけがえのない精神活動を全否定してもよい、というもの
でもない。
「能力」の高低なんてのは、あくまで当てているスケール(尺度)上での
物言いだ。そもそも、そういうスケールを当てることが本来的に正しいのか、
という問題がある。
また、場面が異なれば、当てるべきスケールも、当然違ってくる。「乱世の姦雄、
治世の能臣」という言葉もある。
だから、常に「一文は、無文の師」という他者に学ぶ謙虚な態度が必要なんだよ。
石舟斎遺訓について、検索してたら、また新たな名言に当たった。
ゾクっと来たんで、紹介しとくぞ。
「うつすとも水は思はず、うつるとも月は思はず、広沢の池。
(塚原卜伝作らしい)」…