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「唯物論」なんかの話し…。

唯物論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E7%89%A9%E8%AB%96

弁証法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95

唯物史観
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E7%89%A9%E5%8F%B2%E8%A6%B3

 ※ 非常に「ザックリ」とした理解・説明を、語っておく…。ごくごく、サワリの話しだし、極めて「常識的」な話しだ…。細部は、各人で肉付けされたし…。

 まず、もの事の「本質」を考察する場合、「物質的なもの」に重きをおくのか、「精神的なもの」に重きをおくのか…、という立場決定がある。
 前者が「唯物論」であり、後者が「唯心論」だ…。

 弁証法とは、もの事の「本質」に迫ろうとする方法論、あるいは、もの事の「本質」の説明のし方・やり方の一種だ…。「あるテーゼ」を立てたものに対して、それに反する「アンチ・テーゼ」をぶつけて、その両立しがたい両者の相克から、「新たなこと」(より高次の価値あるもの)が生じるものなんだ…、とする考え方だ。ヘーゲルが完成させたとされ、「正」「反」「合(正でも反でも無い、新たなもの)」という形で、説明される事が多い…。
「正」と「反」がぶつかって、「合」が生じることを、「アウフヘーベン(aufheben)」と称し、「止揚」と訳されている…。

 唯物論に立ち、弁証法的方法論に立脚し、これを「歴史」の理解に適用したものが、「唯物史観」だ…。
 歴史の展開、歴史の変遷は、「物質的なもの」を基盤として生じるもので、「正」「反」「合」のダイナミズムによって、理解できるのだ…、とか主張するわけだな…。

 ここいら辺までは、もの事や歴史の「本質」を解明しようとする、思弁的・哲学的な「考察」にとどまっているので、そんなに「現実的な力(ちから)」は、持たない…。

 しかし、世の中、そういう思弁的・哲学的な「考察」だけでは、済まないから、だんだん剣呑(けんのん)なものとなって行く…。

長い長い休み “僕たちは勉強したかった”

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200730/k10012534931000.html?utm_int=news_contents_netnewsup_002

 ※「勉強」や「学習」というものが、「学校に行って、机に向かい、椅子に座って、先生のお話を聞きながら、ノートを取ること。」だと思っている限り、ライト兄弟にも、エジソンにも、本田宗一郎にもなれんだろう…。

『型コロナはさまざまな形で私たちの暮らしに影響を与えています。3月からの一斉休校で、子どもたちの学習も大きな影響を受けました。中でも、親が働きに出なければならないひとり親の家庭や生活が苦しい家庭では、深刻な事態になっていることがわかってきました。あるアンケート調査には“勉強したかった”という、叫びにも似た声が寄せられました。(ネットワーク報道部記者 野田綾)

突然の休校 募る不安
アンケートを行ったのは、埼玉県の一般社団法人「彩の国子ども・若者支援ネットワーク(通称・アスポート)」です。この団体は、自治体からの委託を受けて、ひとり親の家庭や生活が苦しい家庭、そして親が心の問題を抱えている家庭などを対象に、学習教室を開き、子どもたちを支援しています。

子どもたちの居場所でもあり、親の心の支えにもなっていましたが、学校が休校になった3月上旬以降は教室を開くことができず、必要に応じて行っていた家庭訪問もできなくなりました。

学習支援員の土屋匠宇三さんは、子どもたちの様子を直接知る機会がなくなり、大きな不安を感じました。

そこで子どもたちの様子をアンケート形式で尋ねることにしました。緊急事態宣言が解除される直前の5月下旬、教室に通っていた小学3年生から高校3年生の559人の家庭を対象に、休校中の生活で困ったことを聞きました。

回答を寄せた128人の子どもやその親から多く聞かれたのは、「学習の遅れ」に対する不安でした。新型コロナの影響で、多くの家庭で学習に遅れが出ていましたが、アスポートの教室に通っているのは、もともと親が学習に目を配る余裕がない家庭の子どもたちばかりです。

アンケートからは、土屋さんが心配していたとおりの状況に陥っていたことがうかがえました。
アンケートから見えたものは
まずは勉強の時間についての回答です。

最も多かったのが、「1時間未満」で31人。
次いで「2時間未満」が30人。
アンケートに答えた子どものうち半数近くが、1日2時間も勉強していませんでした。

そして運動の時間。
82人、全体の6割以上が「1時間未満」と回答しました。

では、多くの時間を何をして過ごしていたのでしょうか。

テレビを見ていた時間を尋ねると、全体の3割以上が3時間以上見ていたと答えました。

そしてゲームについても、全体の3割以上が3時間以上していたと答えました。

自由記述欄で不安に思うことを尋ねると、感染や家計に関するものもありましたが、いちばん多かったのは、勉強に関するものでした。

「勉強の遅れが心配」
「高校に入れるか不安」
「べんきょうがぜんぜんわかりません」
「勉強に追いつけているか心配」
「どんな勉強をしたらいいかわからない」

母親からも、「勉強ができる子だったのに、休校でゲームに夢中。これからが心配」といった声が寄せられました。

子どもたちは、「勉強したい」という気持ちはありながらも、誰もいない家にぽつんと取り残されたり、逆に、親が家にいても心の問題を抱えているため勉強を見てもらうことができなかったりして、ついテレビを見たりゲームをしたりしてしまっていたのです。

そして「勉強が遅れる」という不安が募り、ストレスを感じてまたゲームをしてしまうという悪循環に陥っていたことがうかがえました。
大切なのは、不要不急のおしゃべり
子どもたちを家で孤立させたくないという思いから、土屋さんたちは、教室を開けない間、それぞれの家庭に週に2回は電話をかけ、困ったことはないか、様子を確認しました。

そこから見えてきたのは、「勉強はしたいけど1人ではうまくできない」というもどかしい気持ちでした。

電話をかけて「気にかけているよ」と伝え、雑談をすることで、不安で凝り固まっていた気持ちが少しずつとけていくのを感じました。そして、雑談の最後には、勉強についても少しずつ意欲を見せ、質問もしてくれるようになっていったといいます。

一方で、親も苦しんでいる様子でした。コロナ禍でもパートで働きに出なければならなかったり、自分の心の病気のために勉強を見てあげることが難しかったりして、不安を感じていたのです。

そこで土屋さんたちは、ビデオ通話で子どもたちの宿題を見てあげたり、子どもたち一人一人に合った学習プリントを用意して各家庭に送ったりして、オンラインでの指導を開始しました。

子どもたちに学習への意欲を取り戻させたり、親のストレスを減らしたりすることができたと感じています。

対面でなければ聞き出せない悩みも
一方で、直接会えないと聞き出せなかった悩みもありました。5月下旬に家庭訪問を再開。地域の社会福祉協議会と協力して、支援が必要な家庭に弁当を届けたりしながら、親子に直接話を聞けるようになりました。

つながりが絶たれないように支援を続けてきたつもりでしたが、この時、オンラインではくみ取りきれなかった家庭内のストレスに気がついたといいます。

教室の再開で子どもたちには笑顔が
6月に入り、学習教室が再開。子どもたちは、たまっていた宿題を手に、教室に戻ってきました。ある中学1年の女の子は、学校から出された小学校の復習の課題を1人ではできずに悩んでいました。父子家庭で、父親は仕事が忙しく、子どもなりに気をつかって相談できないまま、宿題が進まない状況が2か月も続いていたのです。

アスポートの学習支援員は、彼女が小学生の時に特に苦手だった算数をマンツーマンで教えました。2か月もの間、解けずにいた問題は、少しサポートしてあげただけで、どんどん解けるようになったといいます。

学習の機会を失わせないで
土屋さんは、学習指導の後に子どもたちが見せてくれる笑顔と「楽しかった」ということばに希望を感じています。

今、新型コロナの感染が再び拡大していますが、どのような状況でも、子どもたちの学習の機会を失わせてはいけない。そのために、私たち大人が、知恵を絞っていく必要があると強く感じました。』

〔ライト兄弟の話し〕(兵頭二十八氏のサイトより)

『Shilo Brooks 記者による2020-3-14記事「Why Did the Wright Brothers Succeed When Others Failed?」。
     ライト兄弟はどちらも大学に行ってなかった。「ライト・フライヤー」を製作するのにかかった費用は1000ドル未満。今日の価値で2万8000ドルである。この資金は、本業の自転車の製造販売で得たものだった。
 本拠地はオハイオ州のデイトン。田舎である。

 「ライト・フライヤー」は初飛行こそ852フィートだったが、ちょっと改造したら連続40マイル飛べるようにもなった。

 おなじ頃、大学教授であり、スミソニアン博物館長であったサミュエル・ラングレーは、米国防省からの資金も得て、7万ドル(今日の200万ドル相当)の「エアロドーム」を設計・製作。初飛行に臨んだが、すぐにポトマック川に突っ込んだ。

 じつはライト兄弟はじつはとても恵まれていたのである。
 牧師であったオヤジのミルトンが、兄弟の知識への探求欲を、助長したのだ。このミルトンの読書好きの生活態度がなかったならば、「ライト・フライヤー」は生まれもしなかったろう。

 そして母親のスーザンが、大卒だった。彼女は子供のおもちゃを自分で製作したという。
 一家の本棚にはあらゆるジャンルの書籍が充実していた。

 両親は兄弟に、読書によってじぶんでじぶんを教育しろ、と促した。
 兄弟は、それがおもしろいと思って「飛行」に挑んだのである。

 20歳代後半になってウィルバーは、鳥の解剖学や動物の運動についての書籍を読むようになった。
 飛行機の制御に必要な三軸操舵を考案するためだった。鳥の羽を模倣して、翼面をねじる方式が選ばれた。

 ウィルバーはスミソニアンから、ラングレーおよびオクターヴ・シャヌートの著した空力学のパンフレットを取り寄せ、ノースカロライナで実験を開始した。
 すぐに兄弟は気がついた。スミソニアンの気圧表は、信用ができないと。

 そこで彼らは独自に風洞をこしらえ、じぶんたちで必要なデータを取り直したのである。
 オーヴィルいわく、これらはまったく、楽しみのためにやってたのだと。

 飛行機のための小型で強力なエンジンをこしらえてくれる職人もみつからなかったから、兄弟は、自転車ショップの手代の助けを借り、じぶんたちでエンジンも製作した。

 プロペラ形状についての兄弟間の討論は深更におよんだ。真実に到達したいという欲望だけが2人を動かしていた。

兵頭二十八の放送形式』

 ※ 凄く、いいね…。「真実に到達したいという欲望だけが2人を動かしていた。」…。なんとも心に、突き刺さる…。


 ヒトは、確かに「いろんな欲」を持っている…。
 しかし、この「真実に到達したいという欲望」だけは、ヒトの有する特権だ…。
 そう言えば、エジソンも小学生の時は「劣等生」呼ばわりされたんじゃなかったか…。
 GE(エジソンが作った会社だぞ…。知ってたか?)は、ついに「電球事業」を売却して、創業以来のその分野から撤退した…、という話しを最近聞いた気がする…。


 万物は流転し、人は栄枯盛衰をくり返す…。
 しかし、「真実に到達したいという欲望」に取り憑かれたヒトだけが、何事かを成し遂げる…。
 アメリカには、このタイプの「偉人」が多く出るな…。日本だと、本田宗一郎がこの系譜か…。

ひとつ上の視点からモノ考える 大切なビジネス思考法 第1回 メタ思考

『ところが、同じやり方で考えても、さほど違った答えはでてきません。同じ考え方の人が集まって議論をしても、目新しい結論は期待薄です。それどころか、何度やっても同じ結論になり、「ほらやっぱりこれでいいんだ」と、余計に慣れ親しんだ考えから離れられなくなります。

つまり、「よく考えろ」と言われたら、まずは考え方そのものを点検し、それとは違う考え方をしなければいけません。思考法を切り替えないと、よく考えたことにならないのです。』
『そこで質問です。皆さんは、どれくらい考え方のバリエーションをお持ちでしょうか。たとえば「思考法」と呼ばれる考え方のメソッドをどれくらい使いこなせますか。その数が少ないから、いつもワンパターンの答えしか出せないのではありませんか。』
『知識や情報をいくら集めても、それ自体が答えを出してくれるわけではありません。KKD(勘・経験・度胸)に頼っていたのでは、新たな問題に対処できなくなります。今私たちに求められているのは、思考法を巧みに駆使すること。それがあって初めて、適切な答えが見いだせます。』
『一つ簡単な例を挙げましょう。先ほど、「よく考えるとは何をすることなのか?」という問いを立てました。このような考え方を「メタ思考」と呼びます。

メタ思考とは、物事を一つ(以上)の上の立場から俯瞰(ふかん)して考える思考法です。このケースで言えば、上司から「よく考えろ」と指示をされたときに、

・「何をすればよく考えたことになるのか?」(定義、状態など)
・「何のためによく考えないといけないのか?」(意味、目的など)
・「よく考えることで何が生まれるのか?」(効用、便益など)
を考えるようにします。分かりやすく言えば、“そもそも論”です。物事を考える前に、「何を考えるのかを考える」ことで、テーマ自体を問い直すのです。あたかも、2人の会話を天井から第三者の視点で眺めて見ているようにして。』
『メタ思考を駆使すれば、物事の本質や気がつかなかった食い違いが発見できます。これこそがメタ思考の一番の効果です。』
『〔俯瞰的に考えれば本当の解決策が見つかる〕
メタ思考が役に立つもう一つの場面があります。意見が対立しているときです。皆さんに簡単なクイズを出しますので、先を読む前に一度考えてみてください。

孫娘がかわいくて仕方がないお婆ちゃんは、ねだられるままにオモチャを買ってあげます。そうやって甘やかすせいで、娘は母親の言うことをちっとも聞きません。「やめてちょうだい!」と何度も言うのに、お婆ちゃんは知らん顔。どうすれば、両者の対立が解消できるでしょうか。

すぐに思いつくのは、購入量(金額や回数)を減らしたり、購入するものを限定したりして、両者痛み分けにする案です。悪くはありませんが、満たしきれなかった欲求が火種となって、問題が再燃する恐れがあります。

こんなときこそ、メタ思考で考えてみましょう。両者の言い分を俯瞰的に見た上で、共通する関心事を見つけ出すのです。』
『たとえば、「何のためにお婆ちゃんはオモチャを買うのか?」「お母さんは何を嫌がっているのか?」を考えてみます。多分、お婆ちゃんは孫娘をかわいがりたいだけです。甘やかさない方法でできればお母さんから文句が出ません。遊園地に連れていったり、大好きな料理をつくってあげたり。

さらに、もう一段レベルを上げてみましょう。「なぜ、お婆ちゃんはそんなに孫娘をかわいがりたいのか?」を考えてみるのです。

ひょっとすると、お婆ちゃんは寂しさを紛らわせたくて、何か生きがいを求めているのかもしれません。だったら、新しい趣味を持つ、ペットを買う、友人との交流を増やすなどの手が考えられます。これならお母さんも大歓迎。お婆ちゃんの問題解決にお母さんが協力することもできます。

こんなふうに、メタ思考で使うことで、両者の対立を超えた本当の解決策が見えてきます。両者の言い分を俯瞰的に眺めるメタ思考ならではの技です。』
『〔考え方の変革は生き方の変革につながる〕
こんな風に、本連載では問題解決に役立つ思考法を、哲学、心理学、教育学、経営学など幅広いジャンルから集め、応用事例とともに分かりやすく紹介していきます。

心に響いたものがあれば、とにかく一度使ってみてください。思考法を知っているだけでは意味がなく、使ってみないと自分のものになりません。そうやって、考え方の引き出しを少しずつ増やしていくのが上達の近道です。

私たちは、日々あふれかえるほどの問題に直面しています。しかも、問題が複雑化・高度化する一方で、一筋縄では対処ができない問題が山積しています。

残念ながら、すべての問題がスッキリと解決できる魔法の方法はありません。いろんなやり方を駆使して、トライ&エラーで進めていくしか手がありません。そのためには、思考法のバリエーションを増やし、試行錯誤の回数を増やすしかないのです。

「人間は考える葦(あし)」(パスカル)であり、考えることは生きることです。多彩な思考法を習得することで、働き方や人との関わり方、ひいては生き方やあり方を見直すキッカケとなれば幸いです。』

 ※ オレがいつも言っている、「世界は、層構造になっている。」にも通じるような話しだ…。
 目先の「現象」にのみ囚われるのでは無く、常に「それが拠って来たるところ」(その現象の、発生原因となっていること)を抽出するように考え続けること…、そういう「頭の働かせ方」が大切なんだ…。
 そして、「その抽出したもの」が、他の「現象」へ適用できるのか…、どの程度の「応用範囲」があるのか、常に「現象」に適用してみて「確かめる」こと…。そうやって、「抽出したもの」の精度を磨いて行くんだ…。

曾子曰、吾日三省吾身(吾、日に三たび吾が身を省みる)

論語『曾子曰、吾日三省吾身(吾、日に三たび吾が身を省みる)』解説・書き下し文・口語訳
https://manapedia.jp/text/1857

『曾子曰、吾日三省吾身、

為人謀而忠乎、

与朋友交言而不信乎、

伝不習乎。

曾子曰く、吾(われ)、日に三たび吾が身を省みる。

人の為に謀りて忠ならざるか、

朋友と交わりて信ならざるか、

習わざるを伝うるか。

曾子がこうおっしゃいました。
私は1日に3回我が身を振り返ります。1つ目は人のために真剣に物事を考えてあげただろうかということ。2つ目は友人と接するときに誠意を持っていられただろうかということ。そして3つ目はまだ自分がきちんと理解できていないことを、受け売りで人に教えはしなかっただろうかということです。』

「うつすとも水は思はず、うつるとも月は思はず、広沢の池。」

※ 画像元のサイトは、以下のところです。
http://京都のitベンチャーで働く女の写真日記.com/kiji.html?entry=2016-01-25-01

http://www.sankei.com/life/news/180602/lif1806020025-n1.html
『アメフット部の反則問題の影響はどこまで広がるのか。7月には、同大への進学を
検討する高校生や保護者らを対象にオープンキャンパスが開かれ、秋には進学
アドバイザーによる個別進学相談、英語受験対策講座、過去の試験問題の展示などが
行われる。
受験生集めのイベントを控え、大学教員らも神経をとがらせている。
同大教職員組合文理学部支部が5月24日に出した声明には、「(オープン
キャンパスまでに)信用回復の有効な手立てを講じない限り、教職員は受験生やその
保護者からの問い合わせに真摯に応答できない」と危機感を募らせ、理事会の刷新
などを求めた。』
『さらに懸念されるのが受験者数へのしわ寄せだ。日大公式サイトによると、30
年度の一般入試志願者数は全国トップクラスの約11万5千人で、前年度より約
2500人増えている。多様な学部をそろえる日大は受験生の大きな受け皿となって
きたが、都立高校で進路指導を担当した経験がある男性教諭は「日東駒専(日大・
東洋大・駒沢大・専修大)を狙う学生は、日大が第一志望でない限り、他の大学に
流れる可能性はある」と話す。』

実は、非常に重要なことに触れていると思われる。
前回、私学助成金の観点を指摘したが、それよりももっと重要なことがある。

それは、「世間」という語で表現されてるモンだ。まあ、世の中の評価・評判と
言ったものか…。
それは、この日本社会で日々生活を送っている人々の「内心の声」「意識」
「認識」「考え」と言ったものにより構成されている。
それは、今現在生活している人のものに限定されることではない。過去、何代・
何世代にも渡って形成されて来たものに関係することだ。
過去の話しで終わることでもない。これから未来へと繋がっていくものでもある。
人の精神活動は、生物学的には脳細胞によって作り出される(と、今のところ考え
られている)。脳細胞の連結・連絡によって作り出される。
その脳細胞は、遺伝的なモンにある程度規定され、後天的な学習によって連結・
連絡が変化する(心理学の本なんかには、一卵性双生児での観察結果から、遺伝が
6割で学習の成果が4割くらいだろう、何てことが書いてある)。
言ってみれば、オレら一人一人が、情報処理能力を備えた生物学的なコンピュータ
と過去のデータを蓄積した生物学的なデータベースで、日々体外から栄養分を摂取
しつつ、せっせと排泄してる、生きてる情報処理器官な訳だよ。
その情報処理の結果、知・情・意などの様々な精神活動が生まれ、それを「生き
てるということ」なんぞと称してる訳だ。
だから、全ての人がそう言った頭脳を備えている。そう言った精神活動をして
いる。
百人いれば百人、千人いれば千人、万人いれば万人、億人いれば億人がそう言った
精神活動をしている。その全ての人が、「内心の声」「意識」「認識」「考え」と
言ったものを備えている。「千差万別」「十人十色」と言った表現は、そういうこと
を表現したものだ。人として尊重する、と言うことは、そう言った一人一人の精神
活動に敬意を払う、ってことだ(「あなたのお考えは、そうですか。なるほど
ねえ。」ということだ。
「人権」「個人の尊重」という概念の根底には、そういう考察が横たわって
いる)。
もちろん、ある程度は外部から働きかけて一定の方向に誘導することは可能だよ。
近時では、ナチス・ドイツ(「ハイル・ヒトラー!」)や大日本帝国(「天皇陛下、
バンザーイ!」)の国民に対する洗脳が記憶に新しい。過去の話だけではない。
中国共産党の毛沢東の神格化、デジタル・レーニン主義によるアメとムチによる
人民の行動規制、北朝鮮の金日成一族の神格化なんてのが絶賛進行中だ。
しかし、完全にこれをコントロールするのは、まず不可能だ。できるのは、
せいぜい監視の目が届くところでの、人々の行動に対する一定の影響ということ
くらいのモンだろう。
人の「内心」まで規制するのは、まず不可能だろう。
世の中の評価・評判というものは、そう言った日々生活を送っている人々の精神
活動が作り出す、「内心の声」「意識」「認識」「考え」と言ったもので形成
されてるモンな訳だ。
だから、一朝一夕で作り出せるモンではない。なにしろ、「脳細胞」に規定されて
いるものだからな。
人類誕生、へたすれば哺乳類誕生、いやいや生物誕生まで遡る話しかもしれない…。
後天的な学習による脳細胞の連結・連絡の方も、未だにあまりよく分かって
いない。
そういう研究成果も乏しいようだ。第一、どうやって観察するのかも確立されて
いないようだ。せいぜいが、脳のどの部分に血流が多くなるのか観察する、と言った
程度だ。
だから、上に立つ人、組織の上部の方にいる人、一定の職責に就いている人は、
こういう日々平凡に生活している人々(一般国民、衆生、パンピー、一般人…etc)の
意識に対する「畏れ」と「尊重」が絶対に必要なんだよ。
それを忘れたときは、必ず反撃・しっぺ返しを喰らう。
「一寸の虫にも五分の魂」、石舟斎遺訓の「一文は無文の師」なんてのも同根だ。
人の精神活動ってのは、他者の精神活動(及び、その結果)を以てしか鍛錬
できない。
他者の精神活動を尊重しないヤツに、自分の精神活動を成長させていくことは
できない。
お前にしてから、強い相手と戦えるのが好きだってのは、その相手の精神活動の
成果を味わうのが楽しみだ、ってことだろ?
だから、問題の本質は、相手が強いかどうかという点ではない。後輩でも、始めた
ばかりの初心者でも、そこには相手の精神活動が反映されてて、そこに思いも
寄らない(自分の精神活動からは、とても出ないようなもの)が湧出していて、
それに触れる・それを感得するのが楽しみだ、ってことだろ?
以前に、持ち回りの当番の中で、どっかの**で不祥事が生じた(集めた費用を
使い込んで、パチに使ったんだっけ? )時に、お前が「ばか**」とか発言した
ことに、オレが相当キツく叱責した(「鼻持ちならねえエリート臭が臭うぞ」とか
言ったっけ? )ことがあったろ?
あれは、こういう問題に繋がっているからなんだよ。
そりゃあ、人には能力の差が存在してるよ。しかし、だからと言って能力が
低ければ、その人のかけがえのない精神活動を全否定してもよい、というもの
でもない。
「能力」の高低なんてのは、あくまで当てているスケール(尺度)上での
物言いだ。そもそも、そういうスケールを当てることが本来的に正しいのか、
という問題がある。
また、場面が異なれば、当てるべきスケールも、当然違ってくる。「乱世の姦雄、
治世の能臣」という言葉もある。
だから、常に「一文は、無文の師」という他者に学ぶ謙虚な態度が必要なんだよ。
石舟斎遺訓について、検索してたら、また新たな名言に当たった。
ゾクっと来たんで、紹介しとくぞ。
「うつすとも水は思はず、うつるとも月は思はず、広沢の池。
(塚原卜伝作らしい)」…