〔プロスペクト理論〕

プロスペクト理論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%83%88%E7%90%86%E8%AB%96

『プロスペクト理論(プロスペクトりろん、英: Prospect theory)は、不確実性下における意思決定モデルの一つ。選択の結果得られる利益もしくは被る損害および、それら確率が既知の状況下において、人がどのような選択をするか記述するモデルである。

行動経済学における代表的な成果としてよく知られている。 期待効用仮説に対して、心理学に基づく現実的な理論として、1979年にダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによって展開された[1]。 カーネマンは2002年、ノーベル経済学賞を受賞している。』

『概要

プロスペクト理論は、たとえばファイナンスにおける意思決定などにおいて、人々が既知の確率を伴う選択肢の間でどのように意思決定をするかを記述する。期待効用理論のアノマリーを克服する理論として作成された。「プロスペクト(prospect)」という語は「期待、予想、見通し」といった意味を持ち、その元々の由来は宝くじである。期待効用理論の「期待(expectation)」という語に替わるものとして名前に選ばれた。

行動経済学における最も代表的な理論の一つとして知られており、そのモデルは記述的(descriptive)である。規範的(canonical)モデルと異なり、最適解を求めることよりも、現実の選択がどのように行われているかをモデル化することを目指すものである。個人が損失と利得をどのように評価するのかを、実験などで観察された経験的事実から出発して記述する理論である。

プロスペクト理論では、二種類の認知バイアスを取り入れている。 一つは、「確率に対する人の反応が線形でない」というものである。これは、期待効用理論のアノマリーで「アレのパラドクス」としてよく知られている。もう一つは、「人は富そのものでなく、富の変化量から効用を得る」というものである。これと同様のことを、ハリー・マーコウィッツは1952年に指摘している。』

『実験

プロスペクト理論の元となった実験は、カーネマンが「一つだけの質問による心理学(psychology of single questions)」と呼ぶ手法による。この手法は、心理学者のウォルター・ミシェル(英語版)が用いた方法を参考にしたものである。

例えば、以下の二つの質問について考えてみよう。

質問1:あなたの目の前に、以下の二つの選択肢が提示されたものとする。
選択肢A:100万円が無条件で手に入る。
選択肢B:コインを投げ、表が出たら200万円が手に入るが、裏が出たら何も手に入らない。
質問2:あなたは200万円の負債を抱えているものとする。そのとき、同様に以下の二つの選択肢が提示されたものとする。
選択肢A:無条件で負債が100万円減額され、負債総額が100万円となる。
選択肢B:コインを投げ、表が出たら支払いが全額免除されるが、裏が出たら負債総額は変わらない。

質問1は、どちらの選択肢も手に入る金額の期待値は100万円と同額である。にもかかわらず、一般的には、堅実性の高い「選択肢A」を選ぶ人の方が圧倒的に多いとされている。

質問2も両者の期待値は-100万円と同額である。安易に考えれば、質問1で「選択肢A」を選んだ人ならば、質問2でも堅実的な「選択肢A」を選ぶだろうと推測される。しかし、質問1で「選択肢A」を選んだほぼすべての者が、質問2ではギャンブル性の高い「選択肢B」を選ぶことが実証されている。

この一連の結果が意味することは、人間は目の前に利益があると、利益が手に入らないというリスクの回避を優先し、損失を目の前にすると、損失そのものを回避しようとする傾向(損失回避性)があるということである。

質問1の場合は、「50%の確率で何も手に入らない」というリスクを回避し、「100%の確率で確実に100万円を手に入れよう」としていると考えられる。

また、質問2の場合は、「100%の確率で確実に100万円を支払う」という損失を回避し、「50%の確率で支払いを免除されよう」としていると考えられる。』

『説明

上の実験を説明するために、次のようにも考えられる。

「価値の大きさは金額に比例しない。金額が2倍になると、価値は2倍にはならず、2倍弱(1.6倍ぐらい)になる」

こう考えると、「2倍の金額を半分の確率で得るよりも1倍の金額を確実に得る」ことの方が利益になるとわかる。

また、「損害額を2倍にしても損害の価値(マイナス値)は2倍にはならない」のであれば、2倍の損害のリスクを半分の確率で負う方が利益になる、とわかる。

このように、「価値の大きさは金額に比例しない」というモデルを取ることで、説明が可能となる。』

『モデル
Value function in Prospect Theory Graph.jpg

プロスペクト理論における意思決定基準は、価値関数と確率加重関数からなる。価値関数は一般的な経済学では効用関数に対応し、それを確率加重関数によって重みづけされた確率と掛けることで、意思決定者の期待を表す。

後にプロスペクト理論は、「累積プロスペクト理論」として拡張された。カーネマンはそこで、価値関数と確率加重関数の式を以下のように特定している。

価値関数:

確率加重関数:

累積プロスペクト理論の確率加重関数では、コルモゴロフ的な確率測度論でなく、ショケ積分が採用されている。

また、プロスペクト理論では、意思決定を「編集段階」と「評価段階」という、ふたつのフェイズに分けて考える。まず、編集段階において意思決定主体は与えられた選択肢を認識し、参照点が決定される。その後、「評価段階」において価値関数と確率加重関数を計算し、行動を決定する。』

范蠡(はんれい)

范蠡(はんれい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E8%A0%A1

 ※ まず、読めんかったし(人名だ…)、知らんかった…。

 ※ 兵頭大先生のご高説(「哲学者ではないシナ人の理想の人生は「范蠡」である。これは政治家、軍人、商売人を問わない。」)なんで、調べた…。

 ※『狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵(かく)る』の人だった…。

 ※ この故事自体は、あまりに有名…。

『范 蠡(はん れい、生没年不詳)は、中国春秋時代の越の政治家・軍人である。氏は范、諱は蠡、字は少伯。越王勾践に仕え、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた最大の立役者とされている。』

『略歴

越の謀臣

范蠡がどこで生まれたのか、どのような経緯で越の允常(勾践の父)に仕えるようになったのか、彼の経歴による明確な確証がない。

隣国の呉王闔閭は伍子胥・孫武らの補佐を受けて強勢を誇っていた。越王允常は范蠡の補佐で国力を伸ばしていた。

しかし紀元前496年に允常が逝去し、太子の勾践が父の後を継いだ。允常の訃報を聞いて喪中に服している越に対して、闔閭は出る杭を先んじて叩いてしまおうと判断し、欈李の戦いを起こして攻め込んできた。

しかし、欈李(現在の浙江省嘉興市海寧市)で、范蠡はこれに対して奇計を持って迎えた。その奇計と言うのは決死隊(『左伝』では罪人。こちらが正確か)を集めて敵の目の前まで行かせてそこで自ら首をはねさせるという物で、呉軍が仰天している隙を付いて越軍は呉軍を撃破した。越の武将霊姑孚が射た矢で片足を破傷したのが原因で闔閭は陣没し、太子の夫差が立った。

夫差は伍子胥の補佐を受け、越への復讐(臥薪)を狙い、それを知った勾践は今のうちにと呉を叩こうと出兵しようとしたが、范蠡はこれを諌めた。

しかし勾践は聞き入れずに出兵し、大敗してしまった。勾践は夫差に対し平身低頭で命乞いをし、更に家臣の中の文種は夫差の側近伯嚭(嚭は喜否)に賄賂を贈って夫差に勾践を助けるように吹き込んだ。

この時に伍子胥は勾践を殺す事を強弁したが、夫差はこれを取り上げず、勾践を解放し夫差の馬役人にさせた(嘗胆)。

呉を滅ぼす

国に戻った勾践は国政を范蠡に任せようとするが、范蠡は「軍事なら種(文種)は臣に及びませんが、政治にかけては臣は種に及びません」と応え、文種を推薦した。

勾践は范蠡・文種の補佐を受け、復讐を狙っていたが、表面的には夫差に対し従順な姿勢を見せて、夫差を油断させた。

更に范蠡は伯嚭に賄賂を送り、伍子胥の悪口を夫差に吹き込ませて離間を狙った。

思惑通り、伍子胥は夫差に誅殺され、夫差を諌める者はいなくなった。夫差は調子に乗って北へ出兵して天下の事を争おうとし、越の事など気に止めなくなった。

夫差は呉軍の大半を率いて北の会盟に出かけて、国許を守るのは太子・友とごく僅かの兵になった。

勾践はその隙を衝こうとして、范蠡に訊ねた。范蠡は 「よいでしょう」 とこたえた。そこで越は大軍を発し、一気に呉を襲い、太子を殺して呉を占領した。

夫差は慌てて引き返してきた。勾践は、 「まだ呉の全土を占領するには力が不足している」と判断し、一旦和睦した。

その後も夫差は無理に北へ出兵して国力を消耗した。四年後、越は呉に決戦を挑み、遂に夫差を姑蘇山に追い詰めた。夫差は降伏して命乞いしたが、范蠡は後顧の憂いを断つべく殺すよう進言した。勾践は殺すことはためらい、舟山群島に島流しにしようとしたが、その命令を受けた夫差は自殺した。

引退

悲願が達成されて有頂天になる勾践を見て、范蠡は密かに越を脱出した。

范蠡は文種への手紙の中で「私は『狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵(かく)る』(狡賢い兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまい、飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓は仕舞われてしまう)と聞いています[1]。

越王の容貌は長頸烏喙(首が長くて口がくちばしのようにとがっている)です。こういう人相の人は苦難を共にできても、歓楽はともにできないのです。どうして貴方は越から逃げ出さないのですか」と述べた。

そこで文種は災いを避けるため病と称して出仕しなくなったが、文種に謀反の疑いありと讒言する者が現われた。勾践は文種に剣を贈り、「先生は私に呉を倒す7つの秘策があると教えて下さいました。私はそのうちの3つを使って呉を滅ぼしました。残り4つは先生のところにあります。私のために先生は亡くなった父王のもとでその秘策をお試し下さい」と伝え、文種は自殺した。

伝説

范蠡は夫差の軍に一旦敗れた時に、夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(西施(せいし))を密かに送り込んでいた。思惑通り夫差は施夷光に溺れて傲慢になった。夫差を滅ぼした後、范蠡は施夷光を伴って斉へ逃げた。

越を脱出した范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。

范蠡の名を聞いた斉は范蠡を宰相にしたいと迎えに来るが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去った。

斉を去った范蠡は、かつての曹の国都で、今は宋領となっている定陶(現在の山東省菏沢市定陶区)に移り、陶朱公と名乗った。ここでも商売で大成功して、巨万の富を得た。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言う。陶朱公の名前は後世、大商人の代名詞となった(陶朱の富の故事)。このことについては、史記の「貨殖列伝」に描かれている。

浙江省紹興市諸曁市内に陶朱山がある。

評価

范蠡の見事な活躍と出処進退は後世の憧れとなり、好敵手の伍子胥と共に長く語り継がれている。

范蠡は日本でも名臣として有名である。『太平記』巻第4「呉越闘事」(西源院本の事書)には、後醍醐天皇の臣児島高徳が「天勾践を空しゅうする莫れ 時に范蠡無きにしも非ず」という句を贈ったという話がある。後醍醐天皇を勾践にたとえ、名臣が出現しないわけではないのだから諦めないようにと励ましたのである。この逸話は「児島高徳」という文部省唱歌に詠み込まれ歌われた。

范蠡を題材とした作品
小説
『越女剣』(金庸)
テレビドラマ
燃ゆる呉越(中国語版)(2006年、演:リー・クワンジェ)
争覇-越王に仕えた男-(中国語版)(2006年、主演:チェン・クン)
復讐の春秋 -臥薪嘗胆-(2007年、演:ジア・イーピン)
孫子兵法(2008年、演:張暁瀟)
三国争乱 春秋炎城(2008年、演:劉長純)
女たちの孫子英雄伝(中国語版)(2012年、演:ケン・チュウ)
脚注
^ 前漢設立の功労者である韓信が失脚した際、皇帝である劉邦に対しこの手紙の語句をそのまま引用して伝えたとされている。
関連項目
范蠡公園
典拠管理 ウィキデータを編集
FAST: 1817975GND: 122864433LCCN: n86109227VIAF: 6417933WorldCat Identities: lccn-n86109227
カテゴリ: 兵家の人物春秋戦国時代の人物中国の亡命者生没年不詳 』

「思想の2つの顔」

http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/24924101.html

 ※ 「机上空間」さんのサイトからだ…。

 ※ この論に、反論できる人は、いないだろう…。

 ※ 「思想」や、「哲学」というものは、常に「二面性」を有するから、取り扱いは要注意だ…。

 ※ 『ここまでの説明で判るとおり、人というのは、多数派で判断を丸投げして、自分で考えないで済む他者というのを、常に求めている社会的な動物であるという事です。これは、ギリシャ文明の時代でも、現代でも変わりません。インターネット上で、面白半分に、何かしらの不手際をしでかした有名人を、リンチにかけて面白がっている人間(結構、いい大人も混じっているんですよ。高校生や大学生だけじゃないんです)が、必ず発生する事を見ても、テクノロジーの進歩や、歴史の積み重ねが、人間の本質を大きく変えるわけでは無い事が判ります。』というのも、卓説だ…。

 ※ 他者に判断を丸投げして、自分は「思考停止」する…。

 ※ 実は、「脳」にとっては、一番楽な「モード」なんだろう…。

 ※ しかも、「権威筋」「権力筋」が「お墨付き」を与えてくれる場合は、「喩えようもない、安心感に包まれていること」ができる…。

 ※ これほど、楽ちんなポジションがあろうか…。

 ※ そういう「脳のモード」に入っている群衆が、一旦、行動を始めたら、押しとどめることは、できやしない…。

 ※ 「権威に従え!自分勝手に、モノを考えるな!」の権威主義は、そういう「脳のモードに入れ!」という命令だと、思った方がいい…。

 ※ そして、高度にテクノロジーが発達した現代社会では、「目に見える形での強制力」よりも、むしろ、「知らず知らずのうちに働きかけられて」、じわじわと「洗脳されて行く」ことのほうが恐ろしい…。

「リンダ問題」を解く 脳といのちに挑む量子生命科学

「リンダ問題」を解く 脳といのちに挑む量子生命科学
科学記者の目 編集委員 滝順一
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGH220OV0S0A221C2000000

『渡り鳥は微小な地磁気を検知して何千キロも飛ぶといわれる。人の体内で働く酵素は目的の化学物質やたんぱく質などを素早く、正確に見つけ化学反応を促す。生物が備える精妙な機能には、原子や分子より小さなスケールの「量子の世界」の現象が関わっているとの見方がある。量子科学技術研究開発機構(QST)の研究グループは、量子力学と生命現象の関わりを調べる科学の新領域「量子生命科学」の開拓に取り組んでいる。

原子より…

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 ※ リンダ問題、知らんかった…。

 ※ 量子論、行動学や心理学の領域にまで、影響を与えているんだな…。

リンダ問題|連言錯誤
http://uronchan.com/archives/649

合接の誤謬
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E6%8E%A5%E3%81%AE%E8%AA%A4%E8%AC%AC

【リンダ問題】事実は直感に反する?特殊な条件が正しいと思えてしまう錯覚
https://w-masukake.com/1251/

 ※ ここのサイト、「丸めがねの森」というサイトのようだ…。日常のさまざまな「認知バイアス」について、行動心理学的な立場から考察してみる…、というサイトらしい…。

 ※ 非常に参考になるようなんで、紹介しておく…。

 ※ 画像は、このサイトからキャプチャした…。

https://w-masukake.com/

精神科医が語る徳川家康の「愛着障害」

精神科医が語る徳川家康の「愛着障害」トラウマ連続の前半生、十代後半から戦闘に明け暮れ
https://biz-journal.jp/2020/09/post_179269.html

 ※ これは、非常に感銘を受けた…。

 ※ 言わずと知れた「戦国三大英傑」の一人だ…。

 ※ オレ的には、織田信長→旧秩序(アンシャンレジューム)の破壊者 豊臣秀吉→インフレ経済の大将 徳川家康→デフレ、地道経済の実行者 というような位置づけだ…。

 ※ それをこの人は、幼年期の生育環境から、ある種の「情緒的な障害」を負ったのではないか…、という観点から精神分析している…。

 ※ この「信長的なもの」「秀吉的なもの」「家康的なもの」という三類型は、日本社会のいろいろなところに、色濃く影を落とし、社会構造・組織構造の分析に応用できるように、思うぞ…。

 ※ 昨今の金融・財政政策における論争の「リフレ派」vs.「財政規律堅持派」の対立なんか、秀吉的vs.家康的という斬り方もできるだろう…。あるいは、菅新内閣の「デジタル改革」も、「信長的」なところまで踏み込めるのか!…、という観点で斬ってみるとかな…。

 ※ ただ、あまりに「土着的」なものなんで、「世界」の事象・現象には、応用・適用し難いのが、難点だ…。例えば、フィリピンのドゥテルテ氏に、「あなたは、ちょっと信長的ですな。」とか言ってみても、目を白黒だろうからな…。

 ※ この文脈からすれば、トランプ氏も「信長的」となるのか…。ドゥテルテ氏以上に、本人には通じない話しだろうが…。

 ※ ただ、安倍さんはトランプ氏と会談したとき、「是非ともドゥテルテ氏と、会うべきだ。あなたたちは、きっとウマが会う。」と言った…、という話しも聞いたぞ…。あるいは、この「三分類」を適用したか…。

 ※ 安倍さん本人は、「なぜ、トランプ氏とうまくやっていけるのか。」と聞かれたときに、「不良の扱いは、麻生さんで慣れている。」と答えたそうだが…。

 ※ さわりを、紹介しておく…。

『家康の、複雑な生い立ちと数奇な運命
 徳川家康は、戦国時代という時代背景を考えても、複雑な生い立ちと数奇な、ある意味波乱万丈の人生を送った人物であった。多くの人がイメージしている、「狡猾な狸親父」と、家康の実人生はかなり異なっている。

 家康の少年時代は、両親の庇護も愛も受けることができず、不幸な時期であった。家康は、三河国の土豪、松平家の第8代当主・松平広忠の嫡男として1543年に出生した。母は有力な領主である水野忠政の娘・於大であった。

 松平家は、隣国の大名である今川家の庇護を受けていた。ところが、生母の兄が、今川家と敵対する織田家と同盟したため、広忠は於大を離縁し、家康は3歳で母と生き別れになってしまう。

 その後の家康の運命は、二転三転する。家康は数え6歳で今川氏への人質として駿府へ送られることとなった。しかし、駿府への護送の途中で家臣の裏切りによって、尾張の織田信秀の人質となっている。

 その2年後には、父である広忠が死去した。広忠はまだ20代半ばの若さであったが、これは病死とも、家臣の裏切りによる非業の死ともいわれている。

家康の前半生は、「トラウマ」の連続
 その後家康は、今川家と織田家との人質交換によって、駿府に移された。以後、家康は駿府で生活を続けることとなり、元服後に、今川義元の姪である築山殿を妻として迎えた。

 この築山殿の生んだ嫡子信康が、のちに謀反の疑いをかけられて、織田信長によって切腹に追い込まれることとなる。正室の築山殿も殺害された。家康はこの2人の死を黙認している。

 このように家康の前半生は、現在の言葉でいうならば、いわゆる「トラウマ」の連続であり、戦国時代であることを考えても、過酷な運命に翻弄された人生であった。

 生母とは無理やり生き別れとなり、さらに尾張、駿河における人質生活は、付き従っている家臣はいたであろうが、少年時代の家康にとっては心休まらないことが多かったであろう。父親の死に目にも会えていない。精神的に不安定になることや、ぐれてしまわなかったことが不思議である。

 こうしたなかで稀なことと感じられるのは、桶狭間の戦いの後に岡崎城に帰還した家康が、ためらうことなく織田家の同盟者となり、その後20年以上にわたって律儀に同盟関係を維持した点である。

徳川家康は「愛着障害」といえなくもない……?
 それでは、こうした家康の生涯を精神医学的に検討したら、どう考えられるだろうか。何か病的な兆候は見いだせるのだろうか。それとも、まったくの健常者とするのが正しいのだろうか。

 幼児期、小児期のおける両親との離別やその後の長い人質生活に着目すると、現在の精神科医は、小児に対する病名であるが「愛着障害」(診断基準では「反応性愛着障害」)という診断を持ち出すかもしれない。

 以下に、DSM-5におけるこの「反応性愛着障害」の診断基準を示してみよう。
 
【反応性愛着障害の診断基準】(DSM-5による)

A 以下の両方によって明らかにされる、大人の養育者に対する抑制され情動的に引きこもった行動の一貫した様式
(1)苦痛なときでも、その子どもはめったにまたは最小限にしか安楽を求めない。
(2)苦痛なときでも、その子どもはめったにまたは最小限にしか安楽に反応しない。

B 以下のうち少なくとも2つによって特徴づけられる持続的な対人交流と情動の障害
(1)他者に対する最小限の対人交流と情動の反応
(2)制限された陽性の感情
(3)大人の養育者との威嚇的でない交流の間でも、説明できない明らかないらだたしさ、悲しみ、または恐怖のエピソードがある。

C その子どもは以下のうち少なくとも1つによって示される不十分な養育の極端な様式を経験している。
(1)安楽、刺激、および愛情に対する基本的な情動欲求が養育する大人によって満たされることが持続的に欠落するという形の社会的ネグレクトまたは剥奪
(2)安定したアタッチメント形成の機会を制限することになる、主たる養育者の頻回な変更(例:里親による養育の頻繁な交代)
(3)選択的アタッチメントを形成する機会を極端に制限することになる、普通でない状況における養育(例:養育者に対して子どもの比率が高い施設)

 家康の小児期に関する資料はほとんど残っていないため、この診断が当てはまるか確認することは困難である。しかしながら、後年の家康の特徴である粘り強さや我慢強さは、この診断による症状(診断項目「A」)と関係があるようにも感じられるのである。

 現実の辛い、耐えがたい出来事に対して、人はしばしばすべての感情を遮断することで対応する。この行動は意識的なものではないが、時にはすべての感情が失われたような状態になる(これを精神医学では「情動麻痺」と呼ぶ)。

 そして家康が経験したような、診断基準「C」のような経験が繰り返し起きると、その個人は周囲に起きることすべてに対して、感情的な反応を示さないようになってしまう。

 家康が生涯にわたって感情的に動揺することなく、冷静に時を待って耐えることができたのは、確証はないがもしかすると、「愛着障害」のメカニズムが働いていたのかもしれない。

 家康が、一向一揆や武士団の離反、そして嫡子・信康の自害といった危機的な状況も破綻なく乗り越えることができたのは、幼い頃の苦難と関連していたのであろう。

(文=岩波 明/精神科医)

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2020/09/post_179269_4.html
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「紙」に印刷すると間違いに気づく理由=「画面」にはない脳の働きとは?=

http://blog.ricoh.co.jp/RISB/new_virus/post_604.html

 ※ これは、けっこう経験がある人が多いのでは…。
 オレも、随分年取ってから「ディスプレイ」で文字を読むことを始めたが、どうも「記憶」に残る度合いが、違っている感じなんだよ…。
 「紙」の文字の方が、記憶に残る度合いが大きいような気がする…。
 まあ、「お前の場合は、年取ったせいだろう。」という声が聞こえてくるが…。それは、重々承知の上での話しだ…。

『「あれっ!こんなところを間違えてるよ」―。パソコン画面上で何回も確認して間違いがなかったのに、紙に印刷すると原稿のミスが…。こんな経験はだれにでもあるが、その理由がよく分からない。

 画面よりも紙のほうが、間違いに気がつきやすい。これは今まで何となく経験してきた真理だ。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、リモートワークを始めてからは、より一層それを強く感じる。リモートワークではプリンターが無かったり、あってもその能力不足で印刷に手間取ったり。だから、紙でのチェックを怠りがちになり、ミスが生じて後で大きなしっぺ返しを食らう。

 もちろんできる限り間違いを減らし、仕事はスムーズに進めたい。紙と画面それぞれにおける、脳の働き方の違いなどを調べた上で、両者の使い分けを考察してみた。

「分析」の紙vs「パターン認識」の画面
 メディア批評の先駆者、カナダのマーシャル・マクルーハン(1911~1980年)は紙のほうが間違いに気づきやすい理由について、「反射光」と「透過光」の性質の違いを指摘した。前者は本を読むとき、いったん紙に反射してから目に入る光。一方、後者はパソコンやテレビの画面を見る際、直接目に入る光を指す。

図表反射光と透過光
(出所)筆者

 紙に印刷して読むとき、すなわち反射光で文字を読む際には、人間の脳は「分析モード」に切り替わる。目に入る情報を一つひとつ集中してチェックできるため、間違いを発見しやすくなるのだ。

 これに対し、画面から発せられる透過光を見る際、脳は「パターン認識モード」になる。送られてくる映像情報などをそのまま受け止めるため、脳は細かい部分を多少無視しながら、全体を把握しようとする。細部に注意をあまり向けられないので、間違いがあっても見逃してしまう確率が高くなる。

 筆者の経験に照らすと、マクルーハンの学説には納得がいく。例えば校正作業をする場合、原稿を紙に印刷して確認すると、一文字一文字に集中してチェックできる。しかし、画面上での原稿チェックは、全体的にざっくり見るような感覚になる。もちろん、注意して確認するのだが、脳がパターン認識モードになっているため、細かい部分に集中できないように思う。

デタラメな文章も読めてしまう高性能
 もう1つ間違いに気がつかない理由として、「脳が高性能過ぎる」ことが挙げられる。「高性能がいけないの?」と不思議に思うかもしれないが、それゆえ陥ってしまう落とし穴があるのだ。下記の文章を読んでみてほしい。

 こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。

 何の問題もなく、意味を理解しながら読めるはず。しかし、よく見ると文字順がデタラメだから、意味を成す文章ではない。

 これは、「タイポグリセミア現象」といわれる錯覚の一つ。脳が「正しい単語」を瞬時に予測・補正するため、デタラメな文章でもすらっと読んでしまうのだ。普通に意味が通じて読めるだけに、単純な間違いを見落としがちだ。この現象は紙でも画面でも起こり得るが、脳がパターン認識モードになる画面ではこの罠(わな)にはまりやすい。

「4番打者」の画面だけで勝てるか?
 ここまでは脳科学の観点から、画面に比べて紙の優位な点を紹介した。既に述べた通り、原稿確認作業のように集中力を発揮して理解・分析が必要な仕事は、紙を使ったほうが正確性は高まる。

 では、すべての仕事を紙で行うほうがよいのか。無論、そうではない。画面には多大なメリットがあり、デジタル利便性の享受において紙は相手にならない。画面を制御するコンピューターは大量の文書を保管できるし、変更履歴や更新日などの自動記録も可能。紙では途方もない労力を要する作業が、画面上なら秒単位で完了することもある。

 上司や同僚と資料を共有するときにも、画面は威力を発揮する。紙の場合、必要部数をコピーした上で配布する必要がある。一方、Teamsや Zoomといったウェブ会議システムを導入すれば、資料を簡単に画面共有できる。リモートワークを中心とした「新しい働き方」が定着するwithコロナ時代、これは欠かせない機能になる。

 デジタルトランスフォーメーション(DX)が本格化する中、画面が「4番打者」の座を譲ることはないだろう。だが先述したように、集中力を要求される仕事では紙は画面にない特徴を発揮し、バントの得意なベテラン選手として活躍する。野球はホームランを打つ4番だけでは勝てない。「新しい働き方」も同じだと思う。』

 

 

前澤さんのお金配りを見て、毎日、自分が「当たらない側」だと認識するようになった。

 ※ 高須賀ブログだ…。

 『前澤さんのお金配りが教えてくれたこと
実はこれと実によく似た現象が、しかも連日Twitterで起きている。前澤さんの毎日10万円プレゼント企画である。

もともと、前澤さんは正月にお年玉と称して年に一回100人に100万円を配っていたが、このコロナ禍でなんと毎日のお金配りである。

「いやあ、天上人は違いますなぁ」

と思ってながめていたのだが、最近になって彼をみてるとイライラしている自分がいる事に気がついて驚いてしまった。

最初は彼の何にイライラするのかよくわからなかったのだが

「誰かが10万円当たったって事を、自分の脳は毎日10万円損してるように感じている」

というロジックに気がつき、とても腹落ちした。

行動経済学的に考えれば、あれは「お金配り」ではなく「損した気持ち配り」だったのだ。』

 ※ 人の「幸福感」というものの、「一側面」を突いていて、考えさせる…。

 確かに、人の心理として、「幸福」というものを、「他者との比較」で測るという側面がある…。

 しかし、そういう「人の性(さが)」に対するオレのアドバイスは、「自分というものを、見極めよ。」だ…。

 「自分」は、何を「幸福」と感じ、何を「不幸」と感じる「人間」なのか…。何を「幸福」と考え、何を「不幸」と考える「人間」なのか…。
 
 そこの「見極め」無くして、「生きること」の中身の充実も無い…。

 いずれ、「生命(いのち)は、燃え尽きて、終わりを迎える。」…。どれだけ、自分なりの「幸福」に向けて燃やすことができたのか、そこに注力したらいい…。

コンビニの支払いでバレてしまう「人としての器量」

『お客は「いい人、悪い人、普通の人」の3種類

先日、神奈川県厚木市のコンビニでアルバイトの男性店員が客の様子を写真に撮り「帰れ、デブ!」「死ね」などのコメントを添え、SNSに投稿して問題になった。客の免許証までアップしたとも報じられた。

「トンデモない、許しがたい!!」

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電話で取材した40代の男性が激しい憤りをぶちまけた。彼はコンビニを数店舗経営している。

「お前のところも大丈夫か? みたいに思われたら売り上げだって、バイト募集にだって影響が出かねない!」

話すうちに怒りが収まったのか、こんな「本音」も漏らすのだった。

「バカすぎて話にならないが、犯行理由を聞かれ『接客のストレスがたまっていた』と答えたというその言葉は、ちょっとだけわからないでもない……」

オーナーではあるが、彼は各店舗を回り、バイトたちと一緒にレジ打ちも行い、時間があれば、店員の声に耳を傾けるよう努めているという。彼の話によれば、自身の体験を含め、コンビニのレジで接客する人間のストレスは想像をはるかに上回るものだった。

「あくまでも私と、うちの店で働く者の感想ですよ。3台あるレジで働く我々は、1日1人当たり200人前後のお客様とやりとりします。ファミレス、居酒屋、美容室など、数ある接客業でもこれだけ大人数を、次々お相手する商売はあまりないんじゃないか。老若男女、客層も様々。正直に言うと、お客さんには、いい人、悪い人、普通の人の3種類いるんです」

1980年代を代表する、萩本欽一さんのテレビ番組名『欽ドン!良い子悪い子普通の子』のようだ。

声を出してくれるのが店員にはうれしい

「いい人の代表は、いわゆる<ガテン系>の皆さんです。こわもてな感じがするかもしれませんが、作業着で来店した方で、嫌な思いをしたことは一度もない。うちのバイトの子たちもほぼ例外なくうなずきます」

店の近所で作業する人たちは、お昼に、そして仕事終わりにと、工事期間中、何度かやって来る。そのこと自体もありがたいはずだが、何よりうれしいのが彼らの「フレンドリーさ」なのだそうだ。

「声を出してくれるっていうのがうれしいですね。<店のなかはポカポカしてていいねえ><このジュースうまい?><へえ、よかった><細かいお金で払っちゃっていい?><ありがとね~>。レジでのわずか数十秒間のやりとりで、こちらの緊張がすっかりほぐれる。新人なんかは特にそうですよ」

「日没が近づくと作業が終わるでしょ? この時期だと4時すぎです。朝が早いみなさんの帰宅時間で、中にはビールを買ってくださる方もいる。そういう時も<こんな時間から飲んじゃって、ごめんね~>なんて笑顔で話しかけてくれる。<とんでもないです、お疲れさまでした! ありがとうございます!>とお声をかけると、<ありがとさん~>と帰っていく。時間に追われる我々にとってホッとできる瞬間ですね」

私「作業員の方の声かけは、ナンパ目的なんじゃないんですか?」

経営者はきっぱり否定した。

経営者「レジ係が女性であろうと男性であろうと私であろうと関係なく、ごく自然にあったかく一言、言葉かけしてくれます」

私「現場の安全確認で、声を掛け合う習慣があるから?」

経営者「うーん、いい汗かいてるからかもしれませんが……」

原因はいまだ明らかになっていないようだが「いいお客さんナンバーワン」が「ガテン系」であることに間違いはない!と彼は力説する。

「悪い人」の代表は、ダークスーツ系の中堅サラリーマン

私「じゃあ、悪い人は?」

経営者「決めつけるわけじゃないですが、大ざっぱに言うとですよ。おおむね、ネクタイを締めた、ダークスーツ系の中堅サラリーマン、ですねえ。例外は、いっぱいあります、ありますよ。でもね、苦手だなあと感じる人の大半が、ネクタイでダークスーツの中堅サラリーマンだとは言えます」

私「例えば?」

経営者「声を全く出さない。イヤホン、ヘッドホンも多いですね。いらっしゃいませ、とかありがとうございますとかお声がけすると、視線を下から上にスッと動かすだけ。それだけならいいんですがね」

私「何か不都合が?」

経営者「例えば最近は電子マネーで支払う方がいるでしょう? あれ厳密に言うと、スイカなんかの交通系とワオンみたいな流通系だと決済が違うんです。<スイカですか?>とか尋ねても無視。分厚い財布を、ドカンと、レジの読み取り版に無言で押し付ける。たまにうまく作動しないこともあるんです。その時<チェッ>と、舌打ちするんです。これが続くと我々でもめげますねえ」

私「でも声を上げて、クレームつけられるわけじゃないから受忍限度じゃない?」

経営者「いきなり声を上げる方もいるんです。例えば、お釣りとともにレシートを渡す、これが原則。<お釣りとレシートです!>と言うんですが、無言で手や眉の動きで<要らない>を表現する人が多い。レジのベテランになると、そういう<ちょっとしたしぐさ>で<要る・要らない>の判断がつくようになるんですが、ごくたまにミスを犯すと、えらいことになる……」

ちょっとしたことでキレる客

事故の起きる様子はこんな感じだという。

レジ係「お釣りが~でございます、ありがとうございます!」

客「レシート?!」

レジ係「あ、失礼いたしました、申し訳ございません!!」

平謝りでお渡しすると、なんと客が目の前でそのレシートをひねり潰して放り投げ、声を荒らげたのだそうだ。

客「要る要らないは、お前が決めるんじゃない! 判断するのは俺だあ!!」

「キレる客」は珍しくないらしい。

コンビニでは切手も扱っている。82円1枚だけだって大事なお客様だから丁重に接客する。

「ここに、貼ってくんない?」と言われればスポンジで指を濡らしてお貼りする。キチンと貼ったから喜んでもらえると思ったら、激怒された!

「おい、ちょっと傾いてないか? ほら! こんなんじゃ大事な取引先に出せないんだよ。貼り直せ!!! 俺は、お前たちのそういういいかげんな態度が許せないんだよ!!!!」

改めて断っておくが、「キレるみなさん」は見た目も普通。キチンとネクタイを締めた30代から40代の、中堅サラリーマン、なのだそうだ。

将来ああいう人にはなりたくない……

でも、なぜこの人たちはレジで代金を支払いうわずか数十秒の出来事に「チェッ」と舌打ちしたり、声をあげたりするのだろう。世代的な立場、職業的役割が特段にストレスフルなのか……? この辺りは社会学者の論文が山のようにあるはずだから深追いしない。もちろん客の大半は「普通の人」なのだ。

とはいえ、1日一人平均200人ほどの接客をする、取材先経営者のコンビニのレジ係たちの「この中の何人かが突然……」と日々おびえる緊張感は想像するに余りある。そりゃあストレスもたまることだろう。

経営者「レジをやっていて思うんですが、お金を払う場面には、人格が現れやすいのではないでしょうか? 昔から『金離れがいい』とは『使いっぷりが見事』とか『金にきれい』とか、人柄を表現する時にお金が登場しますよね。うちで働いているバイトにも、しっかり勉強する将来有望な子がいるんです。彼ら、彼女たちはしっかり見ていますよ、レジでの振る舞いや人柄を。『将来ああいう人にはなりたくない』『ああいう人とは付き合いたくない』、そんなふうに話すのを聞くこともあります」

「どうせ、こんな、たかがコンビニ」などと思って“本性”を表したら、数年後、コンビニでレジ係をしていた若い人が、大事な取引先にいた! なんてことがないとも言い切れない。

コンビニのレジ。数百円の支払いだって「要注意」なのだ。

[2015年12月10日掲載の日経Bizアカデミーの記事を再構成]』

中年ナルシストの道は狭く険しい – シロクマの屑籠

 ※ まあ、そうなんだろう…。

  しかし、人間、そうそう「自分の選択したところに従って」生きられるわけじゃ無いと思うぞ…。

 大体、「何らかの役割」が、振られているもんだ…。その「役割」というものは、別に「自分が望んで」とか「自分が選択して」とかで、そうなったものじゃ無い場合が殆んどだ…。浮世の義理…、というヤツでそうなった場合が殆んどだ…。

 それで、目の前の「振られた役割」を果たすので、四苦八苦して、知らぬ間に「年取った」というのが、殆んどだ…。

 それでもオレは、「死にかけた」んで、「生きてることの有り難さ」「生命(いのち)ということの大切さ」なんかを、知ることができて、幸いだった…。

 「輝かしい人生」「輝いている生命(いのち)」とか、分に過ぎた話しだ…。
 
 今日もまた、おまんま頂いて、死ぬことも無く生きて、何かができている…。それに勝る「幸せ」は、無かろうよ…。

あの頃私は買いだめして、本能を充たし不安を防衛していた

※ https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20200827/1598538600 

『暑いのか秋っぽいのかわからない夜長に眠れなくなってしまった。少し前の思い出を書きたくなったので、新型コロナウイルスの脅威がいちばん切迫していた頃の思い出話を書く。
 
まず、参考までに3月19日付けのヤフーの記事へのリンクを貼り付けておく。
 
新型コロナ影響でコメ・パスタなど食品のストック需要が伸長(日本食糧新聞) – Yahoo!ニュース
 
あの、人々がカップ麺やパスタや缶詰をまとめ買いしていた頃、私も少しだけ買いだめしよう・買いだめしたい、と心がけていた。例の、日本社会についてまわる世間体が気になっていたから、私の買いだめは他のお客さんや店員さんにバレにくいかたちで実行にうつされた。
 
こそこそ買いだめ作戦。その内容は、「使う予定のない缶詰をひとつ余計に買う」「いつもよりパスタソースを1パックだけ多く買う」といったことを一か月ほど地道に続けるものだった。金額にして、一回あたり300円かそこらの買いだめでも、塵も積もれば山となる。この、僅かな買いだめとて、みんなが一斉にやれば店頭から品物はなくなってしまうだろうとわかっていたけれども、やりたかったから、やった。
 
やがて期待どおり、自宅の床下倉庫には買いだめた食料品がそれなりに集まった。3月~4月の時点では、集まった食料品を眺めるのはなかなかに気持ちの良いことだった。
 
この複数回にわたった買いだめは、今にして思えばすごく”お買い得”、または”コスパが良かった”と思う。なぜなら、ささやかな買いだめには大きな満足感が伴っていたからだ。
 
あの時、私は買いだめをしたいというプリミティブな欲求を抱えていた。
 
社会全体を覆う不測の事態に対して、個人に備えられることは少ない。また、備えたとしてもそれが有効であるという確証も乏しい。ちょっとぐらい食品や消耗品の備蓄があったところで、社会情勢が本当に滅茶苦茶になってしまったら足りなくなるだろう。また、オイルショックや東日本大震災を引き合いに出し、「買いだめは利口な人がすることではない」と語る人もたくさんいた。私よりも賢そうな人たちが、賢そうにそう言っていたのだから、利口な人は買いだめをしたくならないのかもしれない。
 
けれども、そうした頭でわかっていることを圧倒するように、買いだめは私の快楽となった。あるいは本能をくすぐってやまなかった。私は安心を買い漁りたくてしようがなかった、という風にも言えるだろう。
 
どうあれ、私は300円かそこらの買いだめをしては、ウキウキとした気持ちで帰宅した。スーパーマーケットや百貨店ではしばしば、「どうぞ、ショッピングをお楽しみください」というアナウンスが流れるけれども、あのささやかな買いだめの時ほど、そのアナウンスどおりに私が楽しんでいたことはなかったかもしれない。これに匹敵するのは、地方の酒屋さんの開かずの冷蔵庫のなかに、市場価格を大幅に下回るワインを発見したときぐらいである。とにかく、たった300円かそこらの買いだめのおかげで、私は買い物のたびに大きな満足をおぼえることができていた。
 
たった300円かそこらで買い物が満足感に彩られるというのは、そうざらにあるものではない。しかも、買いだめた品物はたいがい日持ちするから、後でゆっくり食べれば無駄になることはないときている。「体験にお金を払う」という視点でみるなら、これは、とてもお買い得で、とてもコストパフォーマンスの良い体験だったのではないだろうか。
 
 
不測の事態への備えだとか、経済合理性に照らし合わせるだとか、そういった視点でみるなら、私のやったことは利口なことではなかった。だが、危機管理や経済合理性のとおりに行動選択するのと、自分の快楽や本能の充足、不安の防衛まで意識して行動選択するのでは最適解は変わってくる。あの頃の私は、自分の快楽や本能の充足、不安の防衛まで手当てしたがっていたから、買いだめをしてみて私個人は良かったのだと思っている。
 
ただもし、私と同じ心境で皆が行動していたのだとしたら、個人にとっての最適解と社会にとっての最適解にはギャップがあったとは言えるだろうし、実際そうだったのだろう。』

ホントは怖い「一見、いい人」

ホントは怖い「一見、いい人」 元陸自心理教官の教え 元自衛隊心理教官の下園壮太さんに聞く(上)
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO45456050Q9A530C1000000?channel=DF140920160927&nra&page=2

実は怖い「一見、いい人」 職場で逃げられない理由 元自衛隊心理教官の下園壮太さんに聞く(中)
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO45501780R30C19A5000000?channel=DF140920160927

実は怖い「一見、いい人」 疲れたら「離れる」が鉄則 元自衛隊心理教官の下園壮太さんに聞く(下)
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO45504500R30C19A5000000?channel=DF140920160927

 ※ 非常に参考になることを、言っている…、と思われる…。書籍も発刊しているようなので、引用は控えておく…。
 特に、現代に特有の精神状況を「現代型病理」と捉えて、対処方法を考察している点が、秀逸だ(オレが知らないだけで、そういう視点からの分析は、あまたあるのだろうが…)。SNSなんかの発達により、「精神的悩み」の質が、大分昔(むかし)とは違ってしまったらしい…。なんか、「アメーバ状」に、絡む形で侵食しているらしい…。「葛藤」を引き起こしている「二項対立」の対象が、見えにくい状況になっているらしい…。
 「自分」というもののとらえ方は、各人各人で千差万別なんだろう…。オレ自身は、いろいろなものを乗せている「器(うつわ)」と捉えている…。そういう器(うつわ)を運んでいって、「何事か」を実現していく…。そういうものが、「人生」なんだと、イメージしている…。
 前にも言ったが、あまり「自分自身を見つめたり」「自分の内面深くに、降りていったりする」のも、考えものだ…。
 それよりも、器(うつわ)を運んでいって、とっとと「何かをやった方が」いいのだ…、というのが基本的なスタンスだ…。

防衛機制

防衛機制
https://cocoronokokuban.jimdofree.com/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E6%A9%9F%E5%88%B6/

※ 非常に参考になると思われる…。ほぼ丸々、引用させていただきます。画像は、このサイトからキャプチャした…(問題がある場合は、Word Press.comの方に連絡してください)。

※ というのは、「中野信子さん──心の奥にひそむ「毒親」から、自分を解放する方法( https://luxe.nikkeibp.co.jp/atcl/column/040300857/?P=1&nkns=woman%2F%3Fn_cid%3DLMNST001 )なんて記事を読んで、フロイトのことを思い出したからだ…。

※ 「精神」や、「心理」、はては「脳科学」まで…。深入りする必要は無いと思うが、多少の話しは触れておいた方がいい…。それが、「楽に生きる」「肩の力を抜いて生きる」ことに役立つことも、ある…。まあ、あまり深入りしすぎて、かえって「精神の迷宮」に入り込んで、逆に精神を病んでしまう危険性も、あるのだが…。
 よく、「自分自身を見つめろ!」とか、「自分自身と向き合え!」と言う人がいるが、考えものだと思うぞ…。人は、みんな、それぞれ「心に闇を抱えて、生きている。」…。そういう「人間の負の部分」とあまり関わり合いになるのは、考えものだ…。そういう「負の部分」とは、あまり関わり合いにならない方がいい…。
 そんな行為に自分の生命(いのち)を消耗するよりも、もっと他のことに使う方が、よっぽどいい…。生命(いのち)というものは、そうそう無制限に潤沢に与えられているものじゃないからだ…。

男性役割、いや、競争社会や上昇志向から「降りる」ことの難しさ

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/

 ※ シロクマ先生は、「精神科医」で、かつ「アニメ・オタク」「ゲーム・オタク」と言う話しだ…。だから、ブログの内容も、各方面に渡っている…。
 そして、「精神科医」としての立場から、現代社会に鋭く斬り込んで、時々「目が醒めるような斬れ味」の投稿を上げてくれる…。
 今回も、その一つだと思うので、興味がある人は読んでみてくれ…。
 あえて、サワリの紹介は、しないでおく…。

自我
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%88%91

意識・前意識・無意識と自我・超自我・エスの具体的な対応関係とは?②両者の間に存在するより複雑な構造を持った力動的で立体的な三項対立の対応関係の構図
https://information-station.xyz/10407.html