中山元文科相、政界引退を表明

中山元文科相、政界引退を表明
旧希望の党は「絶望の党」に
https://nordot.app/822800277204172800?c=39546741839462401

『政治団体「希望の党」は解散したと説明。衆院議員を通算8期務めた政治生活を振り返り「選挙や後援会活動にエネルギーを費やさざるを得なかった。政策、政治をやりたかった」と述べた。』

 ※ ここが、「地盤・看板・カバン」を有する「世襲議員」との最大の違いだ…。

 ※ 彼らは、盤石の「当選基盤」を有し、粛々と当選回数を重ねることができる…。

 ※ そして、時間も経済的にも「余裕」があるから、「勉強時間」「学習時間」を持つこともできる…。 

 ※ 「政策通」にもなるわけだよ…。

 ※ そして、議員の世界では「当選回数至上主義」だから、着々と「政務官」「副大臣」「大臣」のステップを、上って行く…。または、「党の重要ポスト」を経験して行く…。

 ※ 世の中、そーゆうことになっている…。

『中山成彬元文部科学相(78)は18日、宮崎市で記者会見し、19日公示の衆院選に立候補せず、政界を引退すると正式表明した。所属する希望の党が政党要件を失ったのを受け、発言機会が減ったことを理由に挙げた。小池百合子東京都知事らが設立した旧希望の党に関しては「自民党にものを申せる勢力をつくりたかったが、失速して『絶望の党』になってしまった」と残念がった。

 政治団体「希望の党」は解散したと説明。衆院議員を通算8期務めた政治生活を振り返り「選挙や後援会活動にエネルギーを費やさざるを得なかった。政策、政治をやりたかった」と述べた。』

中山成彬の家族は?父親・母親や兄弟について
https://akasannbiz.com/2021/10/07/nakayamanariaki/

『中山成彬さんの実家は、田畑合わせて一町三反の農家で、米・さつまいも・菜種・養蛮などを経営していました。

両親は朝早くから夕方まで働き詰めだったそうです。

中山成彬さんは、4人の弟妹の長男になります。

こちらは、母親の画像になります。

引用:http://nakayamanariaki.com/contents/wp-content/uploads/2014/11/shounen.pdf
非常に綺麗な方ですね。

中学3年時に校長先生から「この子をラサール高から東大に行かせて同郷の森永貞一郎さんの様に大蔵省を目指せ」と父親が強く勧められて、中山成彬さんはラサール高校に進学されます。

父親は高校2年生の時に、破傷病に似たウイルス氏病という風土病に掛かり、1週間で43歳で亡くなりました。

「期末テストの筈だから知らせるな」と父親が言われてたので、父親の死に目には遭えなかったそうです。

その時、母親は38歳だったそうです。

そして、一番下の兄弟は7歳と幼く、長男として帰って農家を継ぐ事を決めますが、担任の「授業料、寮費を免除し、奨学金も支給する」と言う言葉や「親父があんなに将来を楽しみにしていたのだから、家のことはみんなで加勢するから」と言う親戚中の励ましもあり、学業を続けられたそうです。』

付加価値生む人材乏しく 博士号取得、欧米の半分以下

付加価値生む人材乏しく 博士号取得、欧米の半分以下
データが問う衆院選の争点
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC118D70R11C21A0000000/

『人口減少の制約を超えて成長を続けるにはイノベーションにつながる発想が欠かせない。日本は高い付加価値を生み出せる人材の育成で世界に後れを取る。博士号の取得者は欧米の半分以下の水準にとどまる。未来への投資を怠れば停滞は避けられない。国の成長の礎となる教育・研究の針路を探り直す必要がある。

「日本の教育をどう改善するか、考えてほしい」。2021年のノーベル物理学賞を受賞する米プリンストン大学の真鍋淑郎上席研究員。授与決定後の5日の記者会見で表情を引き締める場面があった。日本の研究環境について問われ、好奇心に基づく研究が減っているとも指摘した。

自然科学の世界で日本の地盤沈下は顕著だ。研究者の間で引用される回数が上位1%の「トップ論文」のシェアはわずか2%(17~19年平均)。国別の順位は20年前の4位から9位に下がった。

産業界でもイノベーションを担える先端人材が乏しい。付加価値をもたらす働き手が増えなければ生産性や賃金を押し上げる力は高まらず、成長の道筋はかすむ。

経済産業省によると、IT(情報技術)でも特に付加価値の高い人工知能(AI)などを専門とする人材は30年に27万人以上不足する見通しだ。科学や数学など「STEM」と総称される分野の教育を受けた人がそもそも少ない問題もある。

米国は大学院で最先端のテクノロジーを学んだ若者の力をビジネスにいかす太い流れができている。米スタンフォード大学の報告書によると、19年に北米でAI研究の博士号を取得した人の66%は産業界に進んだ。割合は10年時点の44%から急上昇した。

世界ではデジタル時代の次の扉を開く「量子革命」の競争が激化している。原理的にスーパーコンピューターをはるかにしのぐ計算能力を持つ量子コンピューターや、安全性の極めて高い量子暗号通信などが主戦場だ。米国では関連の新興企業の上場や資金調達のニュースが相次ぐ。

横浜国立大学の堀切智之准教授は量子暗号通信のスタートアップ、LQUOM(ルクオム、横浜市)を20年に立ち上げ、テクニカルアドバイザーの立場に就いた。「人材を育てるところから始める必要がある」と危機感を隠さない。

国内では大学院の博士号の取得者が06年度をピークに減っている。直近の18年度は人口100万人当たり120人(人文・社会科学系を含む)と米英独の半分以下。優れた頭脳の育成を競う世界の潮流に逆行してきた。

若手研究者の多くは不安定な任期付きポストに就く。限られた期間で成果を求められ、大胆な研究に挑戦する気風は失われた。閉塞感が強まり、野心的な研究を志す若者が減る。悪循環がとまらない。

経済的な後押しも乏しい。内閣府が20年にまとめた調査結果によると、米国では博士課程の学生の9割が大学や国からの支援を受けていた。日本は4割弱にとどまる。年間の平均受給額も米国の270万円強に対し、日本は約78万円だった。

日本の教育に対する財政支出は国内総生産(GDP)比で3.0%にとどまる。経済協力開発機構(OECD)加盟国平均の4.4%を下回り、比較可能な38カ国で最も低い。初等・中等教育向け、高等教育向けのいずれも大きく見劣りする。

13年に安倍晋三政権で始まった教育再生実行会議は9月に廃止が決まった。入試改革が頓挫するなど、教育・研究の環境整備は迷走も目立つのが実情だ。

岸田文雄首相は8日の所信表明演説で「成長戦略の第一の柱は科学技術立国の実現」と訴えた。立憲民主党も政策集に「研究開発のあり方を質量ともに変革」と盛り込んだ。しかし具体論も含む政策論争には発展していない。国の基盤となる人材育成の骨太な戦略は見えないままだ。

(AI量子エディター 生川暁、マクロ経済エディター 松尾洋平)

【関連記事】

・DX担い手、米の1割 AIに必須「STEM」人材へ投資急務
・衆院選「地盤・看板・カバン」の壁 世襲候補は8割当選
・「衆院選は体制選択」自民、野党共闘批判 立民は政権交代訴え

衆院選2021 https://www.nikkei.com/special/shuin2021?n_cid=DSREA_shuinsen202109』

「思考停止語」

「思考停止語」を活性化させる、シンプルな方法とは?
https://diamond.jp/articles/-/284937

 ※ 世の中には、「思考停止語」というものもあるらしい…。

 ※ ・『反論のしようのない言葉』
    ・「お客さま第一」「一歩踏み込む」とか…。

   ・『形容詞だけで話をすること』
    ・「高い」「安い」「良い」「悪い」とか…。
     ・「もう少し価格が安ければ売れるはずだ」と答えた時。その「もう少し」の使い方

   ・『上司が成績不振の部下にかける「頑張れ」という励ましの言葉』とか…。

 ※ まあ、「御説ごもっとも。」な話しではある…。

 ※ 「論理性」に欠ける「語」ではあるが、人間関係を回して行く「潤滑油」の働きは、するんだろうよ…。

 ※ 人は、「論理」にて生きるのみにあらずだ…。

 ※ たっぷり、感情や「情緒的な側面」をも有する「生きもの」だ…。

 ※ そういう「両面」を、わきまえて、場面に応じて使い分けしていかんとな…。

真鍋淑郎、「世界で最もぜいたくにコンピュータを使った男」の知られざる研究半生

真鍋淑郎、「世界で最もぜいたくにコンピュータを使った男」の知られざる研究半生
真鍋淑郎 2021年ノーベル物理学賞受賞者インタビュー【中】
https://diamond.jp/articles/-/284204

 ※ はぁ…。この人、フォン・ノイマンの「孫弟子」だったんだな…。

 ※ フォン・ノイマン―ジョセフ・スマゴリンスキー―真鍋淑郎…、という「系譜」か…。

 ※ 『「コンピュータの父」ともいわれるフォン・ノイマンが、コンピュータを応用する最適な分野として気象予測を選び、プリンストン高等研究所に世界中から優秀な若手研究者を呼び集めていた。』…。

 ※ ある意味、フォン・ノイマンの「慧眼」が取らせた「ノーベル賞」という側面もあるな…。

 ※ 『大ざっぱな計算だが、40年間の滞米生活で気象研究のために使った研究費はざっと150億円。このうち約半分をスーパーコンピュータの使用料が占め、年間当り平均で2億円近くをコンピュータ代に使ってきた勘定になる。これだけ膨大な資金を、日本からやってきた一人の気象学者に注ぎ込むアメリカの研究体制――真鍋はつくづく、この国の持つ多様性というか、懐の深さを痛感せずにはいられない。』…。

 ※ 『給料も天国だった。日本の中央気象台の大卒初任給が8200円だったのに対し、米国気象局の給与は月額600ドル。当時の為替レート(1ドル=360円)で換算すると21万6000円に相当し、日本に比べてなんと26倍の高給を食んでいたことになる。』…。

 ※ 「ノーベル賞(人類の進歩と幸福に貢献したと評価できる研究に与えられる)」なんてものは、そういう中から、生まれるんだな…。

 ※ もちろん、「気候モデル」における「大気の3次元柱モデル」の計算処理と、スパコン(それも、ベクター型)の潤沢な使用が、ピッタリとマッチした(スパコンの潤沢な使用≒ノーベル賞級の研究成果の叩き出し…、というものでは無い)という側面があるのだろうが…。

 ※ 一方、「日本型研究システム」とは、『 97年9月末に赴任して以来、地球フロンティア研究システムでの研究は4年になろうとしているが、自由闊達な雰囲気とはほど遠い何かを感じざるをえない日々を過ごした。それはスマゴリンスキーのような名伯楽がいるいないという単純な理由ではなく、日本の社会システム全体にどっかりと根を下ろす『見えざる壁』ともいえる存在によるものだった。

 真鍋自身の経験に照らして、理由はいくつか挙げられる。まず、国の科学研究費配分の問題がある。日本では官僚が予算を取って、能力や業績に関係なく悪平等で研究費を配分する。大御所といわれる先生のもとには多くのカネがつき、気に入られた子分だけにカネが流れる仕組みだ。

 そこには、米国流のピア・レビューが働かない。日本では相手を批判すると面子をつぶすのではないかと恐れ、研究で最も重要な建設的批判が起こらない。お互いに批判を水際で止めて曖昧にしてしまうため、そこそこの研究成果で満足し、大きなブレークスルーにつながる芽を摘んでしまっている。』…、というようなシロモノらしい…。

 ※ まあ、「ノーベル賞級」の「頭脳」を招聘したとしても、「システム」がこれじゃあ、「ノーベル賞級の研究成果」は、生まれないだろう…。

『戦後の就職難で渡米、最高の上司と研究環境との出会いで
1~2年の滞在予定が40年に延びた

「世界で最もぜいたくにコンピュータを使った男」――地球フロンティア研究システムの真鍋淑郎・地球温暖化予測研究領域長の研究者人生を振り返るとき、これほど的を射た表現はほかに見当たらない。

 大ざっぱな計算だが、40年間の滞米生活で気象研究のために使った研究費はざっと150億円。このうち約半分をスーパーコンピュータの使用料が占め、年間当り平均で2億円近くをコンピュータ代に使ってきた勘定になる。これだけ膨大な資金を、日本からやってきた一人の気象学者に注ぎ込むアメリカの研究体制――真鍋はつくづく、この国の持つ多様性というか、懐の深さを痛感せずにはいられない。

 愛媛県新宮村に生まれた真鍋は代々医者の家系に育った。祖父も父も兄も医者という家庭環境のなかで、当然自分も医者になるものと小さいころから思い込んでいた。旧制三島中学(現県立三島高校)4年修了時に大阪市立医大に合格し、入学手続きをとって医者になるための勉強をスタートした。

 ところが、どうもこの世界が自分の性分に合わないことに気づき始めた。まず日本の医学教育が暗記中心の学問であることに幻滅を感じた。それに医者は緊急事態に対して冷静で的確な判断を求められるが、そういう状況になればなるほど平静でいられなくなる自分を意識した。

 本人の言葉を借りれば、「記憶力は悪いし手先は不器用だし、いざとなると頭にカッと血が上って何をしていいかわからなくなる性分」が、入学早々から心の内で医者への道を断念させていた。ほとんど「腰掛け状態」だった医大生活の1年後、たまたま大学が旧制から新制に切り替わる時期に当たり、この機会をとらえて自分に合った学問の分野に進路変更しようと決心した。

「とにかく自分の性格から考えて、時間を十分にかけ、じっくり問題に取り組める研究者の道が一番合っていると思った。データに基づいて自然現象の謎を解くことには子どものころから興味があり、これらの条件を満たせるのは物理学の世界ではないかと考えた」

 新制に替わった東京大学の試験に受かり、1949年春、第一期生として入学した。その際の喜びとは裏腹に、真鍋が有能な医者になることだけを楽しみにしていた父親のがっかりした顔が、脳裏に残っていまだに忘れることができないという。

 専門課程に進む際、真鍋には理論物理学に進むか、地球物理学に進むか二つの選択肢があった。東大に入学した年、湯川秀樹博士が日本人初のノーベル物理学賞に輝き、理論物理学が脚光を浴びている時期でもあった。しかし、「数学のできる優秀な人でないと理論物理学は無理」とあきらめて、地球物理学を最終的な専攻科目に選んだ。』

『大学院時代に米国気象局からスカウト

日本に職が無く「1~2年の予定」で渡米

 学部から大学院に進み、天気予報の精度を高める研究に没頭しながら博士号取得に向けたいくつかの論文をまとめた。そうした博士課程修了直前の58年初め、米国海洋大気庁(NOAA)の前身である米国気象局のジョセフ・スマゴリンスキー博士から招待状が届いた。真鍋が55年に発表した論文が彼の目にとまり、「アメリカでいっしょに仕事をする気はないか」という渡米を勧める誘いの手紙だった。

 当時の日本は、まだ敗戦の爪痕も生々しい戦後の混乱期で、大学を出てもほとんど職がないのが実情だった。まして専門が気象予測となると就職先も限られ、中央気象台(気象庁の前身)に入るか、大学に残って学者の道を歩むか、選択肢がきわめて限られていた。

 ところが、最も大きな受皿になるはずの中央気象台は、陸軍や海軍の気象部に在籍していた『残党』を抱え込み、ほかに行き場のない職員であふれ返っていた。仮に真鍋がそこに入っても、「10年後、20年後もペーペーのまま」の可能性が高く、とても就職しようという気持ちが起きなかった。

真鍋淑郎、「世界で最もぜいたくにコンピュータを使った男」の知られざる研究半生2001年9月29日号誌面

 一方、この時期のアメリカは「スプートニク・ショック」の真っただなかにあった。旧ソ連に人工衛星の打上げで先を越され、国を挙げて追いつき、追い越せと、科学技術予算が湯水のように付いた時代だった。61年にはケネディ大統領が「アメリカは今後10年以内に人類を月に送る」と宣言し、自然科学の分野は研究予算も研究レベルも黄金時代を迎えようとしていた。

 加えて、コンピュータも日進月歩の発展を遂げるスタートラインにあった。「コンピュータの父」ともいわれるフォン・ノイマンが、コンピュータを応用する最適な分野として気象予測を選び、プリンストン高等研究所に世界中から優秀な若手研究者を呼び集めていた。「今思うと研究者には夢のような時代」に、一大学院生だった真鍋にも正式にお呼びがかかったのである。

 招待状を送ってくれたスマゴリンスキーはノイマンの最も若い弟子に当たり、そのころすでに米国気象局で、数値データに基づいた長期予報の研究に携わっていた。日本で職がないことを考えると、この誘いは真鍋に魅力的なものと映り、とりあえず「1~2年のつもり」で招きに応じる決意をした。』

『背水の陣で渡ったアメリカに

理想の研究環境があった

 いざ現地に赴いてみると、そこは『天国』のようであった。日本だけでなく、ヨーロッパやインドなどからやってきた若い研究者にものびのびと研究させ、競争心を刺激し合う自由闊達な研究風土にあふれていたからだ。

 給料も天国だった。日本の中央気象台の大卒初任給が8200円だったのに対し、米国気象局の給与は月額600ドル。当時の為替レート(1ドル=360円)で換算すると21万6000円に相当し、日本に比べてなんと26倍の高給を食んでいたことになる。

 渡米した当時の心境を、真鍋は今こう振り返る。

「あの招待状は、今からみればたいへんすばらしいチャンスのように思えるが、本人の気持ちはそんな浮ついたものではなかった。むしろ日本に職がなく、背水の陣でアメリカに渡ったというのが正直なところだった。でも実際に行ってみると、外国から来た青二才の若者に好きなように研究させてくれた。多額の研究費も出て、研究一筋の毎日を送ることができた。20代後半にあの環境で研究できたことが今の自分につながっていると思う」

 コンピュータの発達と歩調を合わせるように、真鍋の気象研究は未開拓の分野を切り開いていった。気象局、そして地球流体力学研究所(GFDL)で、常に世界最高速のスーパーコンピュータを使い続け、それまでどちらかというと考古学的な学問だった気候変動の研究を、理論に基づいて数値モデル化する「大気科学」の土俵に乗せていく『先兵』の役割を果たした。

 そうした地道な研究の成果が、やがて67年の温暖化予測の先駆けとなる記念碑的な論文に結びつき、さらに69年の大気・海洋結合モデルへと発展していった。初め1~2年つもりで始めた米国生活は、研究三昧の日々が続くうちに10年、20年……と積み重なり、いつしか40年の長きに及んだわけである。

 もちろん、それは真鍋が「生涯の恩人」と仰ぐスマゴリンスキーの陰の支えがあったからこそ可能だったともいえる。GFDL初代所長で真鍋より7歳年上のこの気象学者は、今もプリンストン近郊で悠々自適の毎日を送っているが、この恩人を語る時の真鍋の表情はいつにも増して輝いて見える。

「こんな上司に仕えたら最高と思わせる典型的な人物だ。いい研究をすると徹底的にほめてくれるし、成果が上がらなくても決して『クビだ』などと批判的なことは言わない。しかも、部下に対して『雑用はしなくていい。それはオレ一人でたくさんだから、ともかく君たちは研究に没頭するように』と口癖のように言っている人だった。」

最高の上司との出会いでスピード出世

36歳で『大統領任命対象公務員』に昇格

 真鍋は渡米してから昼夜兼行で、ひたすら研究三昧の日々を送ったが、最初の8年間ほどはこれといった論文も書けず、精神的に不安定な状態が続いた。米国気象局は1年ごとの契約更新だっただけに、「今年中にほかの仕事を探して出ていくしかないかもしれない」と思い詰めた時期が何回かあったが、スマゴリンスキーは「いい研究をやっている」とほめるばかりで、叱責することは皆無といってよかった。』

『実際の研究でも、雑用のすべてを彼1人でこなしてくれた。特に真鍋らが感謝してやまなかったのは、他の研究所との争奪戦を繰り広げながら、常に最新鋭のコンピュータを導入してくれるその類い稀な力量にあった。

「数値モデルの計算に、その時々の最高速のスーパーコンピュータを使い放題使えたのは、本当に研究者冥利に尽きる喜びがあった。しかも、アメリカは専門家による相互評価(ピア・レビュー)が厳しい国だから、研究の提案書作成はたいへんな仕事だが、それも彼が一手に引き受けてくれた。GFDLで獲得した研究費の3分の1を私のグループに配分してくれて、やりたい研究が好きなだけできて、いい結果が出るとほめてくれる、こんなすばらしい上司がいますか?」

 もちろん真鍋が「成果が上がらないと居づらくなる無言の圧力があった」と述懐するように、真鍋自身の実力や努力が認められたからこそ、クビにならず研究生活を続けられたのだろう。スマゴリンスキーの軍団は、彼がトップを務めていた30年間というもの、80数人の少数精鋭主義を貫いており、そこからはずされなかった真鍋も優秀な研究者だったことは間違いあるまい。

 運も実力のうちというが、優れた上司に巡り合えた真鍋は自らの能力とも相まって、トントン拍子で出世の階段を上った。「日本人だからといって差別待遇を受けることは一度もない」まま昇級に昇級を重ね、36歳までの10年間で公務員としての職階であるガバメント・サービス・グレード(GSG)の11から16までを一気に駆け上がった。

 アメリカの公務員制度では、GSG16以上はポリティカル・アポインティ(大統領任命の対象)になる。真鍋は最速で『スーパーグレード』とも呼ばれる16に到達したわけだ。

 ビザも最初は短期就労(H1)ビザに始まり、次に一時雇用の公務員としてグリーンカード(永住権)を取得した。さらに70年代半ばには、「アメリカの市民権がないとグレードが上がらない」とのアドバイスを受け、実際に市民権を取って国籍を日本からアメリカに移してしまった。

 真鍋はスマゴリンスキーがGFDL所長を辞任したとき、後任に立候補しようとしたことがある。結果的に立候補を断念したが、それは日本人ゆえに差別待遇を受けたためではなく、「(所長の)公募に打って出ると言ったら、家族全員に反対された」からで、日本人に門戸が閉ざされているわけではなかった。』

『日本に帰って感じた

アメリカとの大きな違い

「自由闊達」という言葉がふさわしい40年間の滞米生活を総括して、真鍋はこんな感想を語る。

「スマゴリンスキーの管理能力がすばらしかったから研究所が有名になり、研究費も潤沢について好きな研究を好きなだけやれた。10年先、20年先を見据えた長期的な気候変動を研究テーマに選んだ彼の炯眼(けいがん)にも支えられ、初めのうちは数こそ少なかったが、独創性の高い論文を書くことができた。最初の10年間で数値モデルをつくり、それ以降はモデルを適用してさまざまな切り口を見つけ出していった。やはり駆け出しのころの彼の処遇のおかげで今日があり、その点は感謝しようにもし尽くせないものがある」

 こうした40年間の満ち足りた米国での研究生活と、現在の地球温暖化予測研究領域長の立場を重ね合わせながら、真鍋は「40年前の気象局の雰囲気と、地球フロンティア研究システムの今とが似ている」と、一瞬の夢から覚めたような表情でポツリとつぶやいた。ある種、草創期の張り詰めた緊張のようなものを感じるらしいが、じつはそれが似て非なるものであることを真鍋は知悉(ちしつ)している。

 97年9月末に赴任して以来、地球フロンティア研究システムでの研究は4年になろうとしているが、自由闊達な雰囲気とはほど遠い何かを感じざるをえない日々を過ごした。それはスマゴリンスキーのような名伯楽がいるいないという単純な理由ではなく、日本の社会システム全体にどっかりと根を下ろす『見えざる壁』ともいえる存在によるものだった。

 真鍋自身の経験に照らして、理由はいくつか挙げられる。まず、国の科学研究費配分の問題がある。日本では官僚が予算を取って、能力や業績に関係なく悪平等で研究費を配分する。大御所といわれる先生のもとには多くのカネがつき、気に入られた子分だけにカネが流れる仕組みだ。

 そこには、米国流のピア・レビューが働かない。日本では相手を批判すると面子をつぶすのではないかと恐れ、研究で最も重要な建設的批判が起こらない。お互いに批判を水際で止めて曖昧にしてしまうため、そこそこの研究成果で満足し、大きなブレークスルーにつながる芽を摘んでしまっている。

 真鍋にしてみれば日本の現状がなんとも歯痒くて仕方がないようだ。

「私が若い日にアメリカに渡り、自由にのびのび研究ができたような環境が日本にもできないものか。私が行ったころは、アメリカでクビになったら研究者としてのキャリアは終わり、もう食えないという背水の陣でやっていた。アメリカに渡る今のインド人や中国人の留学生のほうが背水の陣で必死にやっている。今や日本のほうが給料は高いし、無理にアメリカに行くこともないが、アメリカの環境は研究者にとって最も適したものだと思わざるをえない。その原点は、外国から来た人間を差別なく受け入れ、同じ土俵で才能の違った人間を徹底的に競わせる『多様性』の文化にあるのかもしれない」

 若き日への憧憬と現状への不満との狭間で、やはり真鍋の思いは40年の長きを過ごしたアメリカに向かうようである。(文中敬称略)
きし・のぶひと/1973年東京外国語大学卒業、読売新聞社入社。横浜支局を経て経済部に勤務、大蔵省、通商産業省、日本銀行、経団連機械、重工クラブなどを担当。91年読売新聞社を退社、知的財産権などをテーマに執筆。』

首相動静(10月6日)

首相動静(10月6日)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021100600220&g=pol

 ※ 各「宮邸」回って、就任の「ご挨拶のご記帳」とかもするんだな…。

 ※ これも、知らんかったわ…。

 ※ 皇居周辺に居住しないといけないわけだ…。

 ※ 江戸時代に「江戸城」周辺に大名屋敷があったのと、同じ「構図」だ…。

 ※ 大体、「各宮邸」自体が、「大名屋敷跡」じゃなかったか…。

 ※ 「皇居」や「各宮邸」がある限り、「東京一極集中」は是正されない「構造」になっているわけだ…。

 ※ まあ、京都の人は未だに、「天子様は、いつ「都(みやこ)」に、お帰りになられるのか?」と言っているらしいが…。

『午前8時現在、東京・赤坂の衆院議員宿舎。
 午前9時8分、同議員宿舎発。
 午前9時22分、東京・三番町の宮内庁分庁舎着。就任の記帳。
 午前9時28分、同所発。
 午前9時39分、東京・元赤坂の赤坂御用地着。三笠宮東邸、三笠宮邸、高円宮邸で就任の記帳。
 午前9時54分、同所発。
 午前10時10分、東京・東の常陸宮邸着。就任の記帳。
 午前10時15分、同所発。
 午前10時27分、官邸着。同28分から同31分まで、報道各社のインタビュー。
 午前10時32分から同48分まで、尾崎哲駐リトアニア大使、浅利秀樹駐ウルグアイ大使、中原淳駐ホンジュラス大使らの新任あいさつ。同49分から同11時15分まで、甘利明自民党幹事長。
 午前11時20分から午後0時10分まで、遠藤利明同党選対委員長。
 午後2時2分から同9分まで、臨時閣議。同10分から同11分まで、茂木敏充外相。
 午後3時16分、官邸発。
 午後3時24分、皇居着。内奏、副大臣認証式。
 午後5時38分、皇居発。
 午後5時47分、官邸着。
 午後6時19分から同20分まで、副大臣と記念撮影。同28分から同35分まで、副大臣会議。
 午後7時13分から同25分まで、政務官に辞令交付。同32分から同33分まで、政務官と記念撮影。同38分から同45分まで、政務官会合。
 午後8時3分、官邸発。
 午後8時8分、東京・赤坂の衆院議員宿舎着。
 午後10時現在、同議員宿舎。 』

江戸東京散策用大名屋敷現住所一覧(第一次資料、修正中)
http://zacfc2.blog20.fc2.com/blog-entry-8479.html?sp

〔閣議書には、未だに「花押」が用いられている…。〕

内閣法制局長官近藤正春外12名を願に依り免ずることに関する閣議書(令和2年9月16日付)
https://yamanaka-bengoshi.jp/wp-content/uploads/2020/12/%E5%86%85%E9%96%A3%E6%B3%95%E5%88%B6%E5%B1%80%E9%95%B7%E5%AE%98%E8%BF%91%E8%97%A4%E6%AD%A3%E6%98%A5%E5%A4%96%EF%BC%91%EF%BC%92%E5%90%8D%E3%82%92%E9%A1%98%E3%81%AB%E4%BE%9D%E3%82%8A%E5%85%8D%E3%81%9A%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E9%96%A3%E8%AD%B0%E6%9B%B8%EF%BC%88%E4%BB%A4%E5%92%8C%EF%BC%92%E5%B9%B4%EF%BC%99%E6%9C%88%EF%BC%91%EF%BC%96%E6%97%A5%E4%BB%98%EF%BC%89.pdf

 ※ これは、知らんかった…。

 ※ 大臣に任命されそうな人は、「練習」しておかんとな…。

花押
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E6%8A%BC

『無理ゲー社会』橘玲に聞く 「自分らしく生きる」が生んだ絶望

『無理ゲー社会』橘玲に聞く 「自分らしく生きる」が生んだ絶望
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00290/091500019/?n_cid=nbpnb_mled_mre

 ※ 残念ながら、読んでも「課題解決」「問題解決」には、あまり役立たない…。

 ※ 「問題提起」「課題提起」本だな…。

 ※ それと、「覆面作家」ということだから、「一人で書いている」とは限らないよな…。「橘玲」という「チーム」かもしれない…。

 ※ 特に、こういう「社会派もの」「社会問題提起もの」は、チームによる「役割分担」になじみやすい…。

 ※ 全体の構成考える「企画・立案班」、足で稼ぐ「取材班」、それを統括して一本にまとめる「文章作成班」…。ざっと考えても、この程度は思いつく…。

 ※ 「田中角栄研究 その金脈と人脈」で名高い「立花隆」さんも、「チーム」を編成していた…、という情報を最近見た…。

 ※ 大体、世の中そういうもの…、と思っておいた方がいい…。

 ※ 参考になったのは、『『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)に書いたのですが、人生の土台には「金融資本(お金)」「人的資本(働いて労働市場からお金を手に入れるための資本)」「社会資本(人間関係)」の3つの資本があると考えています。この3つの資本を持っていれば、人生はある程度うまくやっていくことができる。

 3つの資本の中で、最もシンプルなのは金融資本です。攻略は難しいけれど、理屈は単純で理解しやすい。その次が人的資本(働き方)で、最も難しいのが社会資本です。著作で扱う内容も、その3つの資本の区分に沿って、だんだん難易度が高いところへと進んできたわけです。 』という部分が一つ…。

 ※ 『しかし、皆が気づいていない本当の問題は、次にやってくる「評判格差社会」です。国家はイーロン・マスクから税を徴収できますが、6000万人のTwitterのフォロワーを移転することはできない。「お金は分配できても評判を分配することはできない」という問題に対して、これまで解を出せた人はいません。』という部分が、もう一つ…。

 ※ これを言ってる人に、初めてお目にかかった…。

 ※ しかし、もっと「根源的な問い」を問うて、思索するべきなのでは…。

 ※ 「そもそも、人の”幸福”って何?」…。

 ※ 「”評判”って、Twitterのフォロワー数で測れるものなの?」…、とかな…。

古代ゲノミクスは、日本の集団の三者起源を明らかにする

古代ゲノミクスは、日本の集団の三者起源を明らかにする
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.abh2419

※ この図見ると、凄いな…。

※ 弥生人には、古代東アジア人由来のDNA成分(黄色)が、殆んど入っていない…。

※ DNA解析から判断すると、弥生時代に大陸から「渡来した渡来人」と「縄文人」が「混血した」ものでは無い…。

※ むしろ、「古墳時代」に「古代東アジア人由来のDNA成分(黄色)」が注入され、現在の「日本人のDNA」を形成した…、ということのようだ…。

※ そして、「古代東アジア人由来のDNA成分」に入っている「中央ステップ遊牧民由来の成分(濃い灰色)」が「弥生人」にも、「古墳人」にも全く入っていないことも、注目に値する…。

※ 「古代東アジア人」で、「中央ステップ遊牧民」と混血する前の人々が、日本列島にやって来た…、ということなのか…。

※ 「青みがかった灰色」は、バイカル湖近辺に居住していた「古代東アジア人」由来のもののようだ…。

※ 「現代の日本人」の「DNA」は、「黄河近辺に居住の古代アジア人(黄色)」「バイカル湖近辺に居住の古代アジア人(青みがかった灰色)」「縄文人(赤色)」の混合であるということだ…。

※ しかし、その肝心の「縄文人(赤色)」は、どこから来たんだ?

※ 他のアジア大陸には、全く見当たらないようだが…(わずかに、中国の南方地域に存在する。しかし、黄色、濃い灰色と混じっていて、全部赤色では無い…)。

※ ということで、「日本人(縄文人)の起源」は、相変わらず「謎」のままということのようだ…。

『(※ 翻訳は、Google翻訳)

要約

先史時代の日本は、過去3000年の間に、採餌から湿った稲作、そして国家形成に向けて急速な変革を遂げました。日本本土の人口は、先住民族の縄文狩猟採集漁師と弥生農家の後継者から二重の祖先を導き出しているという長年の仮説。しかし、農業移動とその後の社会文化的変化によるゲノム的影響は不明である。農業前期と農業後の12の古代日本ゲノムを報告します。我々の分析によると、縄文は数千年にわたる実効人口の少ない1000人を維持しており、20,000年から15,000年前の大陸集団との深い相違があり、海面上昇を通じて日本の海面化を見た時期である。稲作は、北東アジアの祖先を持つ人々によって導入されました。予想外に、帝国古墳時代の東アジアの祖先の後の流入を特定します。これら3つの祖先成分は、現在の集団を特徴付け続け、日本のゲノム起源の三者モデルを支持している。』

『紹介

日本列島は少なくとも38,000年前から人間によって占領されてきました。しかし、その最も根本的な文化的転換は過去3000年以内にしか起こっていないが、その間、住民は急速に採餌から広範囲にわたる稲作から技術的に高度な帝国国家(1,2)に移行した。 これらの急速な変化は、ユーラシア大陸からの地理的孤立と相まって、日本をアジアの農業普及と経済の激化に伴う回遊パターンを研究するユニークな小宇宙となっています。農業文化が到来する前は、縄文文化に属する多様な狩猟採集漁団が占めていたのが、その陶器の使用が特徴でした。縄文時代は、最後の氷河最大(LGM)に続く最古のドライアス(3)の間に始まり、最も初期の陶器の破片は約16,500年前(ka前)に続き、これらの集団は世界で最も古い陶磁器のユーザーの一部となっています(2)。縄文の従属戦略は様々であり、人口密度は空間と時間(4)を経て変動し、セデンティズムに向けた傾向が示された。この文化は弥生時代(3年前)の始まりまで続き、水田稲作の到来が群島の農業革命につながった。その後、小船時代が始まり、1.7年前から始まり、政治的中央集権の出現と、地域を定義するために来た帝国の治世が見られました(1)。

近代日本人の起源に関する永続的な仮説は、日本人の集団が先住民族の縄文の子孫であり、その後、弥生時代に東ユーラシア大陸から到着する二重構造モデル(5)を提案している。この仮説は、もともと形態学的データに基づいて提案されたが、広くテストされ、分野を越えて評価されている[(6)で最近のレビューを参照してください。遺伝学的研究は、現在の日本の集団内の集団階層を同定し、少なくとも2つの日本列島への移動の波を支えている(7-10)。これまでの古代DNA研究では、今日の日本人集団に対する縄文人と弥生個体の遺伝的親和性も示している(11~15)。それでも、農業移行後の州の形成段階の人口動態の起源と影響はほとんど知られていない。歴史的言語的観点から、原発ジャポニック言語の到来は、弥生文化の発展と湿米栽培の普及に対応する理論を示している(6)。しかし、考古学的文脈とその大陸の所属は、弥生と古墳時代の間で明確である(1);知識と技術の普及が大きな遺伝的交流を伴っていたかどうかは、依然として不可解である。

ここでは、8000年の前および原始史に及ぶ12の新しい配列を持つ古代日本のゲノムを報告します(図1および表1)。私たちの知る限りでは、これは最も古い縄文個体と帝国古墳時代の最初のゲノムデータを含む、群島からのタイムスタンプ付きゲノムの最大のセットです。また、5つの出版された先史時代の日本のゲノムを分析に含めます:3人の縄文個体(後期縄文時代のF5とF23、最終縄文時代のIK002)(12-14)、そして九州の北西部の弥生文化に関連する2人の2人の個人は、その他の考古学的な特徴ではなく明確に表わされています。

弥生文化との関連 (15, 16)この形態学的評価(16)にもかかわらず、この2人の弥生個体は縄文と比較して現在の日本人集団に対する遺伝的親和性が高いことを示し、大陸群との混和が既に弥生後期(15)によって進められたことを示唆している。これらの日本のゲノムを、中央および東の草原(17、18)、シベリア(19)、東南アジア(12)、東アジア(15、20、21)にまたがるより大きな古代ゲノムデータセットと統合し、縄文時代の農業前の個体群とそれに続く移行と混和をより良く特徴付けることを目的としています。 今日、群島の遺伝的プロフィールを形成している。

図1.古代日本人の場所、日付、ゲノムカバレッジのサンプリング。

(A) 考古学的遺跡は、この研究で新たに配列された個々のゲノムの円と、以前に報告された場合は三角形でマークされています(表1および表S1を参照)。色は、日本の前とプロトヒストリーの3つの異なる期間を表しています: 縄文, 弥生, 古墳.(B)各個体は、y軸上のx軸と中央値年齢(存在する前の年)に全ゲノムカバレッジでプロットされる。9人の縄文個体は、年齢に基づいて5つの異なるサブ期間に分かれています(注S1を参照):初期(JpKa6904)、早期(JpOd274、JpOd66、JpOd282、JpOd181、JpFu1)、ミドル(JpKo2)、後期(JpKo13、JpHi01、F23、F5)、および最終(IK0)。

関連カルチャ
サンプル ID 日付範囲
と中央値
(CAL B.P.) カバレッジ MTDNA
汚染率
(%) 分子性 マウントDNA
ハプログループ Y染色体
ハプログループ 参照。
この研究で新たに配列された
縄文 JpKa6904 8646–8991;8819 7.51 1.46 XX N9b3 – –
JPOD274 6119–6289;6204 1.56 1.13 XY M7a D1b1d1 –
JPOD6 5934–6179;6057 1.18 1.55 XX N9b3 – –
JPOD181 5751–5917;5834 1.83 0.91 XY N9b1 D1b1d1 –
JPOD282 5737–5902;5820 0.96 1.38 XY M7a1 D1b1d1 –
JPFU1 5478–5590;5534 1.13 2.15 XX M7a1 – –
JPKO2 4294–4514;4404 2.47 1.44 XX N9b – –
JPKO13 3847–3978;3913 1.81 1.50 XX N9b1 – –
JPHI01 3685–3850;3768 0.88 1.45 XX M7a1a – –
コウファン JpIw32 1347–1409;1378 4.80 0.41 XY B5a2a1b O3a2c –
JPIW31 1303–1377;1340 1.44 0.63 XX D5c1a – –
JPIW33 1295–1355;1325 1.54 0.75 XX M7b1a1a1 – –
以前に公開されました
縄文 F23 3550–3960;3755 34.82 1.20 XX N9b1 – (14)
F5 – 3.74 2.45 XY N9b1 D1b2b (14)
IK002 2418–2720;2569 1.85 0.50 XX N9b1 – (12)
弥生 Yayoi_1 – 0.01 2.92 XX M7a1a4 – (15)
YAYOI_2 1931–2001;1966 0.07 2.33 XY D4a1 O (15)

表 1.古代日本語データの概要

業績

先史時代と原史時代の日本の古代ゲノムの時系列

私たちの最初のスクリーニングは、群島全体の6つの考古学的遺跡から発掘された14の古代骨格遺跡に焦点を当てた(注S1を参照)。これらのサンプルの12個(表1)には高レベルの内因性ヒトDNAが保存され、その後、0.88×から7.51×まで、さらにショットガン配列が高い範囲に保存された(図1および表S1)。12個のサンプルのうち9つは縄文文化に関連しており、群島の西と中央部と縄文時代の4つの異なる段階(初期、初期、中、後期縄文)を表しています(図1)。残りの3つのサンプルは約1.3カ前にさかのぼり、古墳時代に入った。

我々は、新たに配列されたすべてのゲノムが死後の損傷パターンを示していることを確認する(図.S1)と低レベルの現代人汚染(<2.15%)(表1および表S2)。我々の親族関係分析は、個人のすべてのペアが無関係であることを確認します(図。S2)。すべての縄文人のミトコンドリアハプログループは、N9bまたはM7aのクレードに属し、この人口(11-14、22)と強く関連しており、今日の日本国外では珍しい(23)。

3人の縄文雄(表S3)は、現代の日本の人口に存在するが、他の東アジア系では殆ど存在しないY染色体ハプログループD1b1に属している(24)。

対照的に、Kofun個体はすべて現在の東アジア人(25)で一般的なミトコンドリアハプログループに属し、単一の古墳男性はO3a2c Y染色体ハプログループを持っており、これは東アジア全域、特に中国本土(26)にも見られる。

東ユーラシア人口統計のより広い文脈の中に我々のデータを置くために、我々は以前に出版された古代からのゲノムデータと古代日本のゲノムを組み合わせた(表S4と図。S3)と現在の個人。この研究を通じて、現代の日本人の人口は、1000ゲノムプロジェクトフェーズ3(28)のサイモンズゲノム多様性プロジェクト(SGDP)(27)またはJPT(すなわち東京の日本語)のデータによって表されます。

しかし、我々は、この標準的な基準セットによって完全にキャプチャされていない、今日の群島全体に先祖の異質性が存在していることに注意してください。この研究で分析された他の古代および現在の人口は、主に地理的または文化的文脈のいずれかによってラベル付けされています。

異文化期間間の遺伝的区別

我々は、統計fを用いて、古代と現代(SGDP)の両方の日本人集団からの個人のすべての対比の間の共通の遺伝的ドリフトを見て、時系列データ内の遺伝的多様性を探った3(Individual_1、Individual_2;ムブティ)(図2A)。

我々の結果は、縄文、弥生、古墳の3つの異なる群集を非常に明確に定義し、最後に現代の日本人個人とグループ化し、文化的変化がゲノム変化を伴っていることを示唆している。

縄文データセットでは空間的および時間的な変動が大きいにもかかわらず、12人の間で非常に高いレベルの共有ドリフトが観察される。弥生の人は互いに最も密接に関係しており、また、小船の個人よりも縄文に対する親和性が高い。古墳と現代の日本人は、この指標によってほとんど区別がついておらず、過去1400年間の遺伝的連続性のレベルを暗示しています。

図2.日本における遺伝的多様性

(A)ペアごとのアウトグループfのヒートマップ3古代と現代の日本人の間の統計比較(B) 日本の古代の個人(縄文、弥生、古墳など)と大陸古代人(色のシンボルとして提示)を可視化する主成分分析(PCA)を、現在の東ユーラシア人112人(濃い緑色で強調表示された灰色の円)に投影した。

(C) AD混合物分析から選ばれた個体(K = 11;K = 2からK =12までの完全な写真)がイチジクで提示される。 S5およびS6)は、別個の縄文祖先成分(赤色で表される)、バイカル地方およびアムール川流域(水色で表される)および広東アジアの成分(黄色で表される)からの古代サンプルに共通する成分を示す。

中央の草原で最も支配的な灰色の成分は、古代と現代の日本のサンプルには存在しません。中央と下の行は、各地理的地域から選択された古代東ユーラシアの人口を示しています:中国南部(左から:梁島1、梁島2、西口順)、黄河(YR)(中新石器時代、YR_MN;後期新石器時代、YR_LN;後期新石器時代、Upper_YR_LN;青銅器時代後期/鉄器時代、YR_LBIA。そして鉄器時代、Upper_YR_IA)、中国北部(水海、ビアンビアン、ボーシャン、小河)、西遼川(WLR)(中新石器時代、WLR_MN。後期新石器時代、WLR_LN;青銅器時代、WLR_BA。ハミンマンガ出身の中新石器時代の個体、HMMH_MN。そして、WLR_BAとWLR_BA_oとは異なる遺伝的背景を持つ青銅器時代の個体、アムール川(AR)(旧新石器時代、AR_EN歳、鉄器時代、AR_IAとAR_Xianbei_IA)、バイカル(旧新石器時代、Shamanka_ENとLokomotiv_EN)、中央草原(植物、CentralSteppe_EMBA、Okunevo_EMBA)。

さらに、主成分分析(PCA)を用いて、古代日本の個体から大陸集団までのゲノムワイド常染色体親和性を調査した。南アジア・中央アジア、東南・東アジア、シベリアのSGDPデータセットにおける現在の集団の遺伝的変異に古代の個体を投影した(図2Bと図。S4)。

私たちは、古代日本人の個人がPC1に沿ってそれぞれの文化的指定に分離することを観察します。すべての縄文個体は、他の古代の集団だけでなく、現在の東南アジア人や東アジア人から離れて、緊密なクラスターを形成し、持続的な地理的孤立を示唆しています。

2人の弥生個体はこの縄文団群の近くに現れ、(15, 16)に報告されているように縄文との遺伝的および形態学的類似性を支持する。しかし、東アジアの人口へのシフトは、弥生における追加の大陸祖先の存在を意味する。東ユーラシアの古代の個人は、PC2で南から北に地理的なクラインを示しています:中国南部、黄河、中国北部、西遼川、悪魔の門洞窟、アムール川、バイカル。古墳時代の3人は、黄河クラスターの多様性の中に入っています。

ヒト起源配列データセットを用いたAD混合物解析は、縄文期末以降の群島への大陸遺伝子の流入の増加を支持する(図2Cおよびイチジク)。S5およびS6)。

縄文は、弥生の高いレベルでも見える、古墳と日本人のレベルが低下している、はっきりとした祖先成分(図2Cの赤で表される)を持っています。新しい先祖の成分は、アムール川流域とその周辺地域で見られるプロファイルに似た割合で、弥生に現れます。これらには、北東アジア人(水色で表される)で支配的な大きな成分と、より広い東アジアの祖先(黄色で表される)を表す別の小さな成分が含まれます。この東アジアの構成要素は、古墳時代と現代の日本の人口に支配的になります。

縄文系の深い発散

縄文と他の集団との分離(図2)は、以前の研究で提案された東ユーラシア人の間で明確な系統を形成するという考えを支持している(13, 14)。

この発散の深さを探るために、異なる数の混和事象を持つTreeMixを使用して、縄文の系統的な関係を17の古代および現在の集団と再構築しました(図3Aと図。S7) (29).

我々の結果は、縄文が上旧石器時代の東ユーラシア人(天元とサルキット)と古代東南アジアの狩猟採集者(ホアビンヒアン)の初期の発散の後に出現したが、現在の東アジア人を含む他のサンプルの分裂の前に現れたと推測する。

古代ネパール人(チョコパニ)、バイカル(Shamanka_ENとLokomotiv_EN)からの狩猟採集者、そしてプリモリー地方のチェルトヴィ・ボロタ洞窟(悪魔の門洞窟)、 そして更新世アラスカ(USR1)。さらに、fを用いた対称モデルの公式テストを通じて、この木の他の2つの深く発散した狩猟採集系統間の縄文の位置を確認する4(ムブティ、 X;ホアビンヒアン/DevilsCave_N、縄文)(図。S8、A、B)。

これらは、縄文時代の初めから私たちのデータセットのすべての東アジアの個人が以前に発散ホアビンヒアンよりも縄文に対する親和性が高いが、DevilsCave_Nと比較して親和性が低いことを示しています。

これは、縄文がホアビンヒアンと東アジア関連の系統の混合物である以前に提案されたモデルではなく、東ユーラシアの3つの異なる狩猟採集系統の推論された系統をサポートしています[3(縄文;ホアビンヒアン、DevilsCave_N)=0.193、Z = 61.355; テーブル S5] (12, 30)。

また、テストされたすべての移行モデルにわたって縄文から現代の日本人への遺伝子の流れを一貫して推測し、遺伝的貢献は8.9%から11.5%(図。S7)。これは、AD混合物分析から推定される現在の日本人個人における9.31%の平均縄文成分と一致している(図2C)。これらの結果は、縄文の深い相違と現在の日本人の祖先のつながりを示唆している。

図3.縄文系統の人口統計学的歴史

(A) 2回の移行モデルの下で TreeMix によって再構築された最尤系統樹。この木は、古代(太字)と現在の(斜体)集団の間の系統的関係を示しています。色付きの矢印は、移行経路を表します。移行の重みは、移行エッジから派生した祖先の割合を表します。m = 0 からm = 5 までの他のすべての移行モデルは、図に示されています。S7.(B) 中石器時代と新石器時代の狩猟採集者のための ROH スペクトル 8.8-ka-ka-old JpKa6904を含む.ROHの全長は、8.8歳の縄文個体のN(x軸)とT(y軸)の異なる組み合わせの下でのモデルのフィッティングの0.5から100 Mbまでの範囲の異なる均質性断片の異なるサイズに対してプロットされる。バルーンプロットの各点は、ログを表します10-スケールされた近似ベイズ因子(aBF)は、最も高い尤度を持つモデルと他の各モデルの間の尤度を比較します。aBF = 0 の点は、尤度が最も高いモデルです(N = 1000 とT = 20 ka 前)。S10)。NA は、aBF が 0 の尤度のためにモデルの測定不可能であることを意味します。(D) アウトグループfの比較3Fを使用して測定された3つのサブ期間に分けられた縄文データセットの統計結果3(Jomon_Sub期間、X;ムブティ)(イチジチを参照)。拡張分析の場合は S12)。3つのサブピリオドは次のとおりです: 初期縄文 (JpKa6906);初期の縄文(JpFu1、JpOd6、JpOd181、JpOd274、およびJpOd282)中、後期、および最終縄文(F5、F23、IK002、JpHi01、JpKo2、およびJpKo13)のマージされたグループ。

我々は、縄文系統の出現のタイミングを推定するために集団遺伝的モデリングを適用する。

我々のアプローチは、ゲノム全体のホモ接合性(ROHs)の実行のパターンを利用して、最も古く、最も高いカバレッジサンプルであるJpKa6904で観察されたROHスペクトルに最も適した人口統計シナリオを特定します(注S2を参照)。

ROHの分布は、有効な母集団の大きさと、個人内のハプロタイプの2つのコピー間の最新の共通祖先への時間を反映する(31, 32)。8.8歳の縄文はROHの高いレベルを運びます, 特に短いROHの最も高い頻度で (最近の近親交配ではなく人口の影響による) まだ報告されています (図 3B) (33).

このパターンは、縄文個体の間で強い共有遺伝的ドリフトと相まって(fig.S9)は、縄文集団が深刻な人口ボトルネックを受けたことを意味する。

母集団の大きさと分割時間のパラメータ空間を求めて、我々の推定値は、15〜20年前の間に縄文系統の出現を配置し、その後、少なくとも初期縄文期まで、約1000の非常に小さな人口サイズの維持を行う(図3Cと図。S10およびS11)。これは、LGM(34,35)の終わりに海面上昇と本土への陸橋の断絶と一致し、まもなく群島の縄文陶器の最初の出現に先立つ(2).
その後、縄文が血統の発散後に大陸上旧石器時代の人々と接触したかどうか尋ねたが、列島で孤立する前に、統計fを使用して4(ムブティ、 X;縄文、漢/大/日本語(イチジク)S8、C~E)。テストした上旧石器時代の個人のうち、Yana_UPだけが、それぞれ漢、大、または日本語よりも縄文に有意に近い(Z>3.366)。

この親和性は、これらの参照集団を他の東南アジア人および東アジア人(表S6)に置き換えても検出可能であり、縄文と古代北シベリア人の祖先間の遺伝子流れを支える、LGM(19)以前の北ユーラシアで広く普及している集団である。

最後に縄文集団内の時間的および空間的変動の可能性を調べた。

縄文期の初期、早期、中期期段階の段階で定義される3つの時間群は、古代および現在の大陸集団との遺伝的ドリフトの同様のレベルを示し、これらのサブ期間にわたって群島の外からの遺伝的影響をほとんどまたは全く意味しない(図.3Dおよび図。S12)。

このパターンは、さらに、任意の重要な遺伝子の流れの欠如によってバックアップされ、統計fで観察4(ムブティ、X;sub_Jomon私、sub_Jomonj)、iとjは3つの縄文群の任意のペア(図。S13)。

これらの縄文個体は、同様に、地理(すなわち、サンプルが配置されている異なる島:本州、四国、礼文島)によってグループ化された場合、大陸集団に対する遺伝的親和性の多様性を示さない(図。S14)。

縄文個体の中で観察可能な唯一の違いは、本州に位置する部位間の親和性がやや高く、本州と他の島々の間の遺伝子流れが制限されたインシュラー効果を意味する(図示.S15)。全体として、これらの結果は縄文集団内の限られた空間的および一時的な遺伝的変異を示し、何千年もの間、アジアの他の地域からほぼ完全に孤立するという考えを支持している。
弥生時代の水田稲作の分散

弥生文化に関連した群島の南西部の2人(図1)(15)は縄文と大陸の祖先の両方を持つことがわかった(図2)。

我々のqpAdm分析は、縄文系統の一部としてこれら2人をグループ化する形態学的評価とは対照的に、弥生が縄文の非混合子孫であるモデル(P = 0.00003)を拒絶した(16)。

縄文の祖先の成分は、群島に稲作を持ち込んだ人々によって導入された可能性があります。

私たちは、最初に、古代東ユーラシアの集団が、fを使用して縄文よりも弥生に対する遺伝的親和性が高いかどうかをテストしました4(ムブティ、 X;縄文、弥生)(図4Aと図。S16)。

大陸のサンプリングされた古代の集団のほとんどは、養殖が最初に長江渓谷(すなわち、湿米の架空の起源)から広がった黄河流域(20)からの集団を含む弥生に有意な親和性を示さない(36)。

しかし、養殖と文化的関係のない集団(Z>3.0)では、中国東北部の西遼川流域(WLR_BA_oとHMMH_MN)、バイカル(Lokomotive_EN、Shamanka_EN、UstBelaya_EBA)、北東シベリア(Ekven_IA)などで、弥生に対する過剰な親和性が検出された。

この親和性は、2人の個人(WLR_BA;では観察できません。Z = 1.493) 他の青銅器時代西遼川個人(WLR_BA_o)と同じ考古学的遺跡から来た人(20).この2人は、WLR_BA_o(1.8±9.1%)(20)よりもイエローリバー関連の祖先(81.4±6.7%)がはるかに高く、これは、テストされた古代黄河の個体数が弥生が運ぶ非縄文祖先の主要な源である可能性は低いことを意味します。

図4.弥生時代の遺伝的変化

(A)fからの結果を強調する地図4(ムブティ、 X;縄文、弥生);縄文よりも弥生に近い大陸古代集団(Z>3.0)は赤い三角形で表され、両方の集団と対称的に関連している人は灰色の円で表されます。(B) 縄文と、西遼川(WLR_BA_o又はHMMH_MN)またはバイカル狩猟採集者(Lokomotiv_EN)の青銅器時代又は中新石器時代の個人の二元的混和をモデル化した弥生の遺伝的祖先。垂直バーは、qpAdm によって推定される ±1 SE を表します。混合比率の値を表 S7 に示します。(C) 弥生と縄文の地理的位置との間の遺伝的ドリフトの相互関係弥生部位からの球面距離は、ハバーシン式(93)で測定される。地図は、赤い矢印と異なる色の円で縄文のサイトで弥生の考古学的遺跡をマークします。

これら6つの大陸祖先の潜在的な源をさらに見分けるために、我々は縄文の双方向混合物として弥生をモデル化し、それぞれをqpWave(表S7)を用いてモデル化した。混合モデルは自信を持ってサポートされていました(P > 0.05) これらの 3 つ: バイカル狩猟採集者とアムール川の祖先の高レベルを持つ西遼中新石器時代または青銅器時代の個人 (20).これらのグループはすべて、支配的な北東アジアの祖先成分を共有しています(図2Cと図。S17) (20).55.0の混合分率±10.1%、 50.6±8.8%、または58.4±縄文入力の7.6%は、これら3つそれぞれがそれぞれ第2のソースとして使用されたときにqpAdmによって推定され(図4Bおよび表S7)、西遼中新石器時代の個人が単一の源泉(S7)に合併されたときに61.3±7.4%の割合が返された。

我々は、fによってさらに確認する4(ムブティ、縄文;Yayoi_1、Yayoi_2)縄文の祖先のレベルは、これら2人の弥生個体(Z=1.309)の間で同等である。

これらの結果は、この北西部九州の地域に関連する弥生コミュニティへの先住民の狩猟採集者と移民の貢献の比率がほぼ等しいことを意味します。

このパリティは、ユーラシアの地理的極端な日本を反映したイギリスとアイルランドの群島(37-40)を含む多くの地域で最小限の狩猟採集者の貢献が観察されている西ユーラシアの農業移住と比較すると特に顕著です。

私たちの混和モデルで使用される西遼の人口は、自ら稲作を実践しませんでしたが、日本に広がる農業の架空のルートのすぐ北に位置しており、その結果は重みを与えています。
山東半島(中国東北部)に続いて遼東半島(朝鮮半島北西部)に入り、朝鮮半島を経由して列島に到達する(41)。

さらに、弥生文化が群島に広がった様子を、グループ外で調べた。3弥生と縄文の各人との間の遺伝的親和性を測定した統計我々は、共有遺伝的ドリフトの強さは、弥生個体の位置(P = 0.00697)からの距離と有意な相関関係を有することを発見した。図4C);縄文遺跡が弥生遺跡に近づくほど、縄文の個体は弥生と遺伝的なドリフトを共有する。この結果は、朝鮮半島(41,42)を介した米の導入を支援し、続いて列島南部の縄文群と混和した。

古墳時代の移民の遺伝的祖先

歴史的記録は、古墳時代の大陸から群島への継続的な人口移動を強力に支援する(1)。

しかし、3人の古墳個体のqpWaveモデリングは、弥生個体(P<0.05;表S8)に適合した縄文と北東アジアの祖先の双方向混和を拒絶した。

したがって、古墳は、私たちのアウトグループfからサポートされているように、その祖先の構成要素の面で弥生とは遺伝的に異なっています3、PCA、およびAD混合物クラスタ(図2)、および以前の形態学的研究(43,44)からも。

古墳個体の遺伝的構成に寄与した追加の祖先群を同定するために、我々は、fを用いて、古墳と各大陸集団との間の遺伝的親和性を試験した。4(ムブティ、 X;弥生、古墳)(図5Aと図。S18)。私たちのデータセットの古代または現代の人口のほとんどは、弥生よりも古墳にかなり近いことがわかります。この知見は、ゲノムをこれら2つの期間から分離する6世紀の間に群島への追加の移動を意味する。

図5.古墳時代の遺伝的変化

(A)fからの結果を強調する地図4(ムブティ、 X;弥生、古墳);Zスコアが>3.0の弥生よりも古墳にかなり近い大陸の古代と現在の集団は赤い三角形で表され、両方の集団に対称的に関連するものは灰色の円で表されます。テストされた人口は、年齢に応じて、上石器時代(紀元前16,000年 >)、縄文(紀元前16,000年から3000年まで)、ポスト縄文(紀元前3000年から現在まで)、そして現在の4つの異なる期間に分かれています。現在のパネルでは、青い三角形で漢が強調表示されます。(B) 縄文・北東アジア(WLR_BA_o・HMMH_MN)・漢の三者混合をモデル化した古墳個体の遺伝的祖先垂直バーは、qpAdm によって推定される ±1 SE を表します。混合比率の値は、表S10に示されている。

我々は、弥生の双方向混和と我々のfから同定された集団の適合をテストすることによって、この移行の原因を狭めようとした4Kofun に著しく近い統計 (表 S9)

この混合モデルは、テストされた59個の集団のうち5人に対してP>0.05で確実にサポートされていました。

次に、qpAdmを適用して、弥生とこれらの各ソースからの遺伝的貢献を順番に定量化しました(表S9)。

双方向の混合モデルは、異なる参照セットからのサポートの欠如のために、その後、追加の 2 つの集団で拒否されました。

残りの3つの人口(漢、韓国、YR_LBIA)は、古墳(図示)への20〜30%の貢献を示しています。S19)。これらの3つはすべて強い遺伝的ドリフトを共有しています(図の緑色の正方形で強調されています。

S17)は、そのAD混合物プロファイルにおける広く東アジアの祖先の主要な構成要素を特徴とする(図示。S6)。古墳個体のさらなる祖先の源を更に選別するために、弥生の祖先を縄文と北東アジアの祖先に置き換えて三者混合をテストしました(表S10)。

漢だけが、モデル内の祖先の源としてうまくモデル化された(図5B)、可能な双方向混合モデル(表S11)よりも三方向混合の適合性が著しく優れている。

縄文の祖先がサンプリングされた弥生と古墳の集団の間で約4倍希釈されていることを考えると、これらの結果は、国家形成段階が東アジアの祖先を持つ移民の大量流入を見たことを示唆している。

次に、弥生と古墳時代の両方で観測された大陸祖先が、北東と東アジアの祖先の中間レベルを有する同じ源源に由来する可能性を探る(表S12)。

黄河流域(YR_LBIA)(20)の青銅器時代後期と鉄器時代の個体の人口であるKofunの双方向混合物に合わせる候補は1人しか見つからなかった(20)、これは参照セット(ネスト、P = 0.100;表S13)全体で一貫していなかった。

縄文(Z=2.487)の排除に弥生との統計的に有意な遺伝子の流れを示さないにも関わらず(図4A及び図一覧)。S16)、YR_LBIAと縄文の双方向モデルも弥生に合うことがわかります(表S14)。

この黄河の集団は、qpAdmによって推定されるように、約40%の北東アジアおよび60%の東アジア(すなわち、漢)祖先を有する中間遺伝的プロフィールを有する。

したがって、これは、これらの集団の37.4±1.9%および87.5±0.8%の入力を持つ、特定のモデルで弥生と古墳の両方に適合する中間遺伝的プロファイルである(表S14)。これらの結果は、単一の源からの連続的な遺伝子の流れが弥生と古墳の間の遺伝的変化を説明するのに十分かもしれないことを示唆している。

しかし、我々のより広範な分析は、単一の遺伝子流源が2つの異なる移動の波よりも可能性が低いことを強く示唆している。

まず、AD混合物で同定された北東アジアと東アジアの祖先の比率は、弥生(1.9:1)と古墳(1:2.5)の間で全く異なっていた(図2C)。

第二に、大陸親和性におけるこのコントラストは、異なる形態のf統計でも観察可能であり、北東アジアの祖先との間に有意な親和性を有する弥生の繰り返しパターンがある(図4A及び図同図)。S16)、古墳個体は漢や古代黄河の集団を含む他の東アジア人と緊密なクラスターを形成している間(図5Aとイチジク)。S17およびS18)。

最後に、私たちは、日付によって古墳個体の混合物の年代測定から2パルスモデルのサポートを見つける(fig.S20) (45).中間集団(すなわち、YR_LBIA)を伴う単一の混和事象は、現在(B.P.)の213年前に1840±発生したと推定され、これは弥生期(〜3カ前)の発症よりはるかに遅い。

対照的に、2つの異なるソースを持つ2つの別々の混和イベントが想定される場合、結果として得られる推定値は、縄文と北東アジアの祖先の間の混合物のための八世と古墳時代(紀元前825年±3448±、縄モンと東アジアの祖先の175年 ±の紀元前175年と一致するタイミングに合理的に適合します。S20)。これらの遺伝的知見は、考古学的証拠と歴史的記録の両方によってさらに支持されており、期間中に大陸から新しい人々が到着したことを記録しています(1)。

現在の日本語における古墳の遺伝的遺産

3人の古墳は、図2に示すように、現在の日本人と遺伝的に類似している。これは、古墳時代以降の日本の集団の遺伝的構成に大きな変化がないことを意味します。現在の日本のサンプルで追加の遺伝的祖先のシグナルを探すために、我々は大陸集団がfを用いて古墳に対して現代のゲノムに対して優遇関係があるかどうかをテストした。

4(ムブティ、 X;古墳、日本語)(イチジク。S21)。古代の集団の中には、日本よりも古墳に対する親和性が高いものもあるが、こがんに存在する祖先の追加の源泉としてqpAdmによって支持される者はいない(注S3および表S15を参照)。

予想外に、古代や現代の人口は、古墳の排除に現在の日本人と追加の遺伝子の流れを示していません。我々の混合モデリングは、現在の日本人集団が縄文や弥生の祖先を増やさず、また現在の東南アジア人や東アジア人、シベリア人に代表される祖先を導入することなく、Kofunの祖先によって十分に説明されていることをさらに確認する(表S16)。

また、現代の日本人の人口は、古墳個体(表S17)の三者混合と同じ先祖の成分を持ち、古墳個体(図示)と比較して、現代の日本人における東アジアの祖先のレベルがわずかに増加していることも分かる。S22)。

これは、遺伝的連続性の一定のレベルを示唆していますが、絶対的ではありません。古墳と現代日本人の集団との間の連続性の厳密なモデル(すなわち、古墳系統に特有の遺伝的ドリフトがない)は拒絶される(表S18)(46)。

しかし、我々は、日本の人口(15.0±3.8%)の縄文祖先の希薄化は、古墳個体(13.1±3.5%)に比べて(図示.S22)、前の弥生及び古墳時代とは対照的に、大陸移動により縄文の祖先が著しく減少した(図4及び5)。「混和しない」モデルを用いて、小船と日本人の間の遺伝的なcladalityを「混和しない」モデルでテストしたところ、古墳が日本人とのクレードを形成していることがわかった(P=0.769)。

これらの結果は、状態形成期間によって確立された3つの主要な祖先成分の遺伝的プロファイルが、歯科および非メートル頭蓋形質(47,48)からも支持されるように、現在の日本の集団の基礎となっていることを示唆している。

議論

我々のデータは、現在の日本人集団の三祖先構造の証拠を提供する(図6)、縄文と弥生起源の確立された二元構造モデルを改良する(5)。

縄文は、現代日本人の中でユニークな遺伝的要素の根底にあるLGMに続いて、日本列島内の長期的な孤立と強い遺伝的ドリフトのために独自の遺伝的変異を蓄積しました。

弥生時代は、少なくとも2.3カ前から始まるアジア本土からの実質的な人口移住で、この孤立の終わりを告げています。

しかし、その後の日本の前産原始史の農業と国家形成段階の間に群島に到着した人々のグループ間には明確な遺伝的区別があります。弥生の人の遺伝データは、古墳の東アジアの祖先を広範囲に観察しながら、形態学的研究(5,49)から支持された群島における北東アジアの祖先の存在を記録しています。縄文、弥生、古墳の各文化を特徴づける先祖は、今日の日本の人口形成に大きく貢献しました。

図6.ゲノムは、先史時代と原始の日本における文化的転換と並行して移行する。

縄文は、日本列島における強い遺伝的ドリフトと長期的な孤立のために非常にユニークな遺伝的プロフィールを持っていました。米の栽培は、弥生時代に北東アジアの祖先(WLR_BA_oとHMMH_MNに代表される)を持つ人々によってもたらされました。移住のさらなる波は、古墳時代に列島に広範囲にわたる東アジアの祖先(漢に代表される)をもたらしました。それ以来、この三者の祖先構造は、群島で維持され、近代日本人の遺伝的基盤となっています。

縄文の祖先は、東南アジアで、他の古代・現代の東アジア人(12~14)との深い相違をもとに生まれたものと提案されている。この発散のタイミングは、以前は18〜38カ前(14)の間であると推定されていました。

8.8歳の縄文個人のROHプロファイルによるモデリングは、この日付を20〜15年前の範囲内の下限に絞り込みます(図3)。

日本列島はLGM(28年前)(34)の初めに朝鮮半島を通じてアクセス可能になり、大陸と群島の間の人口移動を可能にしました。その後の海面上昇による韓国海峡17~16カ前の拡大は、縄文系の他の大陸からの孤立につながり、縄文陶器生産の最も古い証拠とも一致している可能性がある(2)また、縄文が初期縄文期間中に1000人の有効母集団規模を小さく保ち、その後の期間や群島の異なる島々でのゲノムプロファイルの変化をほとんど観察していないことも示しています。

農業の普及は、多くの地域で観察された狩猟採集者の人口からの最小限の貢献で、ヨーロッパの大部分で新石器時代の移行に記載されているように、人口の置換によってしばしばマークされます(37–40)。

しかし、先史時代の日本の農業移行が、九州の先住民縄文と新しい移民からの遺伝的貢献にほぼ等しい、置換ではなく同化の過程を伴っているという遺伝的証拠を見つける(図4)。

これは、少なくとも群島の一部が弥生時代の初めに農業移民に匹敵する大きさの縄文集団を支持したことを意味し、一部の縄文コミュニティ(50-53)が実践する高い座りっぱなしの度合いに反映されている。

弥生によって継承された大陸成分は、アムール川の祖先の高いレベル(すなわち、WRL_BA_oとHMMH_MN)の西遼川流域の中新石器時代と青銅器時代の個人によって私たちのデータセットで最もよく表されます(20)。

この地域からの集団は、時間と空間において遺伝的に異質である(20)。中新石器時代の移行(すなわち、6.5〜3.5カ前)は、イエローリバーの祖先が25%から92%に増加したが、アムール川の祖先が時間の経過とともに75%から8%に減少し、キビ養殖の激化に関連することが特徴である(20)。

しかし、アムール川流域からの人々の明らかな流入により、約3.5カ前に始まった青銅器時代に再び人口構造が変化します(fig.S17) (20).

これは、トランユーラシア語と中新言語サブグループ(54)の間で集中的な言語借用の始まりと一致する。弥生に対する過剰な親和性は、遺伝的に古代アムール川の集団や現在のタンギシック語圏集団に近い個体(図4と図)で観察可能である。S17)。

我々の知見は、米農業の広がりは西遼川流域の南に始まったが、遼東半島のどこかに住んでいたが、さらに北の人口から祖先の主要な構成要素を導き出す人々によって群島に湿った稲作が導入されたことを意味する(55)。

古墳文化の最も顕著な考古学的特徴は、エリートを鍵穴型のマウンドに埋葬する習慣であり、その大きさは階層的な階級と政治的権力を反映している(1)。

この研究で配列された3人のKofun個体は、それらの騒動(注S1を参照)に埋葬されておらず、彼らが下位の人々であることを示唆している。

彼らのゲノムは、東アジアの祖先が多い人々の日本への到着と弥生集団との混和を記録している(図5と図。S17)。この追加の祖先は、複数の祖先成分を持つハンによって分析されるのが最も良い。最近の研究では、新石器時代以降に大陸で形態学的に均質になった人々(56)は、古墳時代の移民がすでに非常に混合されていたことを意味すると報告されています。

数行の考古学的証拠は、弥生小船移行中に朝鮮半島南部から日本に新たな大規模集落が導入されたのを裏付けている。

日本、韓国、中国の間の強い文化的、政治的親和性は、中国の鏡や硬貨、鉄生産用の韓国の原料(1)、金属器具に刻まれた漢字(例えば剣)(57)など、いくつかの輸入品からも観察可能である。

海外からのこれらの資源へのアクセスは、群島内のコミュニティ間で集中的な競争をもたらしました。これにより、黄色海沿岸などの大陸の政治との政治的接触が促進され、支配のために(1)。

したがって、コファン時代を通じて、継続的な移動と大陸への影響が明らかになっています。我々の知見は、この状態形成段階における新しい社会的、文化的、政治的特徴の出現に関与する遺伝的交流を強く支持する。

この分析には注意点があります。

第1に、弥生文化に関連する骨格遺跡が縄文(16)と形態的に類似している地域の後期弥生個体は2人に限られている。他の地域や他の時点からの弥生個体は、異なる祖先プロファイルを有し得る,例えば大陸様または古墳様祖先。

第二に、私たちのサンプリングは、同じ埋葬地から来た3人のKofun個人の場合と同様に、ランダムではありません(表S1)。弥生と古墳集団の遺伝的祖先の時間的および地域的な変動を追跡し、ここで提案された日本の集団の三者構造の包括的な見解を提供するために、追加の古代ゲノムデータが必要となる。

要約すると、我々の研究は、農業と技術主導の人口移動が大陸の残りの部分から何千年もの孤立を終えた前後の、日本列島に住んでいた人々のゲノムプロファイルの変化を詳細に見ています。これらの孤立した地域からの個体に対する古代のゲノミクスは、主要な文化的転換がヒト集団の遺伝的構成に及ぼす影響の大きさを観察するユニークな機会を提供する。』

「日本人の3人に1人は日本語が読めない」

「日本人の3人に1人は日本語が読めない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd92cfec0cf3fd57c0f2bd8ffc99f4645c4cba6c?page=1

『知識社会においては学歴によって社会が分断され、知能の格差が経済格差につながるという残酷な側面がある。そうした中で、「初歩的な事務作業さえできない大人がたくさんいる」という現実もある。最新刊『無理ゲー社会』で、リベラル化する社会の生きづらさの正体を解き明かした作家・橘玲氏が、仕事のリテラシーに関する国際的な調査結果をもとに考察する。

【グラフ】アメリカの成人の「仕事のリテラシー」調査結果。成人の3分の1から半分は、そもそも仕事に必要なスキルをもっていない

 * * *
 知識社会においては、当然のことながら、もっとも重要な能力は「知能」だ。問題なのは、知能の分布に大きなばらつきがあることだ。これはあまりに危険な事実なので、リベラルな社会は知能のちがいを「学力」で隠蔽し、「教育によって誰もが知能≒学力を伸ばせる」という壮大な教育神話をつくりあげた。

 心強いことに、ヒトの知能(IQ)は年々上昇しつづけているらしい。この現象は1980年代にジェームズ・フリンによって発見されたため、「フリン効果」と呼ばれている(近年では、先進国ではフリン効果が止まったともいわれる)。

 先進国は教育に莫大な予算を投じ、さらに知能指数も上がっている。不吉なのは、それにもかかわらず、「初歩的な事務作業さえできない大人がたくさんいる」という調査結果が相次いでいることだ。

 そのなかでもっとも大規模なのが、2011~12年にOECD(経済協力開発機構)が実施した「国際成人力調査」PIAAC(ピアック:Programme for the International Assessment of Adult Competencies)だ。

 ヨーロッパでは若者を中心に高い失業率が問題になっているが、その一方で、経営者から「どれだけ募集しても必要なスキルをもつ人材が見つからない」との声があがった。プログラマーを募集したのに、初歩的なプログラミングの知識すらない志望者しかいなかったら採用のしようがない。そこで、失業の背景には仕事とスキルのミスマッチがあるのではないかということになり、実際に調べてみたのだ(*)。』

『【*拙著『もっと言ってはいけない』(新潮新書)参照。PIAACの問題例を含むより詳しい説明は拙著『文庫改訂版 事実VS本能 目を背けたいファクトにも理由がある』(集英社文庫)を参照】

 私がこの調査に興味をもったのは、その結果をどのように解釈しても、次のような驚くべき事実(ファクト)を受け入れざるを得ないからだ。

【1】日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない(正しく読解できない)
【2】日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない
【3】パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない
【4】65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない

 さらに驚くのは、この惨憺たる結果にもかかわらず、すべての分野で日本人の成績は先進国で1位だったことだ(*)。

【*より詳細に見るとそうともいえない。16~24 歳の数的思考力では日本はオランダとフィンランドに抜かれて3位、ITスキルでは、パソコンを使えず紙で解答した者を加えた総合順位ではOECD平均をわずかに上回る10位、16~24歳では平均をはるかに下回る14位まで落ちてしまう】

 OECDの平均をもとにPIAACの結果を要約すると、次のようになる。

【1】先進国の成人の約半分(48.8%)はかんたんな文章が読めない(正しく読解できない)
【2】先進国の成人の半分以上(52%)は小学校3~4年生以下の数的思考力しかない
【3】先進国の成人のうち、パソコンを使った基本的な仕事ができるのは20人に1人(5.8%)しかいない

アメリカ人の半分は仕事に必要なスキルをもっていない
 アメリカ教育省は、仕事に必要な成人のリテラシーを計測するために、1985年、1992年、2003年に大規模な調査NAAL(National Assessment of Adult Literacy)を行なった(*)。

【*参考:American Institutes for Research (2007) Literacy in Everyday Life: Results From the 2003 National Assessment of Adult Literacy, U.S. Department of Education】』

『この「全米成人識字調査」では、「文章リテラシー」「図表リテラシー」「計算リテラシー」を得点によって「基礎未満」「基礎」「中級」「優秀」に分類している。たとえば「計算」では、その基準は次のようになっている。

基礎未満(Below Basic):数字を2つ加えてATMの入金伝票を完成させる
基礎(Basic):メニューの価格を見てサンドイッチとサラダの合計額を計算する
中級(Intermediate):事務用品カタログの1ページと注文票を使って、注文する事務用品の合計額を計算する
優秀(Proficient):社員の所得と家族の構成によって健康保険料の月額がどのように変化するかを示す表を使って、ある社員の年間の健康保険料を計算する

 ここからわかるように、「基礎」的な能力(足し算ができる)だけでは一般的な事務作業にはまったく対応できない。事務の仕事に応募する最低限のスキルは「中級」以上なのだ(これは「文章」や「図表」も同様)。

 図表2が、アメリカの成人の「仕事のリテラシー」だ。この調査結果が示すように、成人の3分の1から半分は、そもそも仕事に必要なスキルをもっていない。──より正確には、アメリカの成人の43%は文章課題で、34%は図表課題で、55%は計算課題で事務系の仕事をする能力がない。

 仕事のスキルは誰がもっていて、誰がもっていないのか。それを示したのが図表3で、計算課題の習熟度(「基礎未満」「基礎」「中級」「優秀」)の割合を、学歴(「高校中退」「高卒」「大卒」)別に集計している。

 高校中退では、高度な事務作業に必要な計算スキルをもつ者は1%しかいないが、大卒は31%もいる。一方、高校中退では89%が一般的な事務作業に必要な計算スキルがないが、大卒では26%だ。

 これを見れば、学歴による社会の分断が必然だとわかるだろう。知識社会というのは、定義上、知能の高い者が大きなアドバンテージをもつ社会であり、知識社会における経済格差は「知能の格差」の別の名前なのだ。』

『【プロフィール】
橘玲(たちばな・あきら)/1959年生まれ。作家。国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。その他の著書に『上級国民/下級国民』『スピリチュアルズ「わたし」の謎』など。リベラル化する社会の光と影を描いた最新刊『無理ゲー社会』が話題に。

※橘玲・著『無理ゲー社会』(小学館新書)より抜粋して再構成 』

ソフトウエアの「中の人」が消える

ソフトウエアの「中の人」が消える、日本企業が犯した愚かな過ちの本質
2021.9.2
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木村 岳史=日経クロステック/日経コンピュータ
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00322/082300009/?n_cid=nbpnb_mled_mre

『普通ならブラックボックスには必ず「中の人」がいるものである。何の話かと言うと、ソフトウエアのことだ。ソフトウエアはとても便利だが、それを利用する人を「無知」にする。なぜ無知になるかは単純な話で追々説明するが、利用者が無知になっても大丈夫なようにするのが、中の人である。ところが日本企業や官公庁のシステムでは往々にして、その中の人がいなくなる。これはもう真夏の夜の怪談より恐ろしい。

 ソフトウエアによってブラックボックスが生じるというのは、企業システムでは常識だと思っていたが、どうやらそれも分からない「非常識」な人も多いようだ。なぜそう言えるのかというと、これも後で改めて触れるが、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)の一大ブームが日本企業の間で続いているからだ。本当に後が怖いのに、後先を考えずに導入を進めるIT部門などの愚かさを見せつけられると、ブラックボックス化の問題を認識していないのだと思わざるを得ない。

 そんな訳なので、まずはソフトウエアが生み出すブラックボックスについて説明しよう。ソフトウエアによるブラックボックス化は3つの領域で起こる。1つ目はコンピューターシステム自体のブラックボックス化だ。もっと正確に言えば、ソフトウエアは自分より下位レイヤーのハードウエアやソフトウエアをブラックボックス化する。

 つまりこういうことだ。今、業務アプリケーションなどを開発している技術者は、コンピューターが「なぜ動くのか」について分かっているだろうか。恐らく分かっている技術者はほとんどいないだろう。つまり、自分がつくっている業務アプリがなぜ動くのかも分かっていないはずだ。コンピューターのハードウエア上では全てのソフトウエアがデータと共に、0と1のビットとして論理回路などで処理されるが、そうしたコンピューター処理の原理をしっかり説明できる人は少ない。

 ソフトウエアの領域でもそれは同じことだ。業務アプリを開発する技術者は、いわゆるOSやミドルウエアがどんな働きをするかという概要と、それを利用するためにはどうすればよいかを知っていればよく、その中身(ソースコード)は知らなくてよい。ITベンダーの製品なら全く知らないし、オープンソースソフトウエア(OSS)でも中身を知る人は限られている。業務アプリを開発する技術者でさえこうであるから、業務アプリを利用するユーザーに至っては全く知るよしもない世界である。

 だがコンピューターの黎明(れいめい)期には、そうではなかった。業務アプリを書く技術者もハードウエアやOSなどに精通している人が多かったし、中にはユーザー企業の技術者なのに独自のプログラミング言語を開発してしまう人もいた。時代は下ってインターネットが普及し始めた頃は、ネットワーク技術者でもないのに通信プロトコルを熟知する人がごろごろいた。そして今、その辺りの下位レイヤーは全てブラックボックス化され、業務アプリの技術者は知るよしもない。つまりその分、技術者は無知になったのである。
パソコン画面の「こちら側」までブラックボックス化

 さて、2つ目のブラックボックスだ。こちらは1つ目のテクノロジーサイドと違って、業務サイドのブラックボックス化だ。こちらは極めて分かりやすい話だ。例えば、企業そして官公庁などの基幹系システムは、その組織の業務のやり方や業務プロセスなどをソフトウエアの機能として組み込んでいる。以前に人が紙とペンとそろばんなどで行っていた個々の業務や、一連の業務の流れ(プロセス)がシステムによって機械化されている。

 随分前の話だが、日本企業にコンピューターシステムが導入され始めた頃を知るシニア技術者から、当時の話を聞いたことがある。昔、企業には社内の業務に精通した「生き字引」みたいな人が何人かいた。初めてシステムを導入する際には、そうした生き字引たちの協力も得て、自社の業務プロセスなどをほぼ全てあぶり出したそうだ。

 あぶり出した業務プロセスは紙に書いて、システム導入プロジェクトの推進室の壁一面に貼り出したとのこと。で、壁に貼り出された業務プロセスを眺めながら、会計処理など各業務のプロセスのどの部分を機械化(システム化)するのかを、業務担当者やITベンダーの技術者などを交え、かんかんがくがくの議論をして決め、会計などのシステムを順次構築していったという。

 そんな訳なので、企業システムの黎明期には、多くの日本企業で業務プロセスが完全に見える化されていた。それを基に業務の一部をソフトウエアによりシステム化したものだから、システム導入によって業務はものすごく効率化された。ただ、業務プロセスなどがソフトウエアの機能として組み込まれた途端、ブラックボックス化も進んだ。業務担当者は時を経るに従って、システム化する前にやっていた業務を忘れてしまうからだ。

 しかも半世紀近くの時を経て、今やソフトウエアでブラックボックス化された業務の範囲は広大になった。特に大企業では、従業員はパソコン画面の「向こう側」で処理されている業務プロセスについてほとんど無知と言ってよい。そういえば、システム化の進んだ大企業では、従業員が自社の業務を知らな過ぎることにIT部門が危機感を持ち、ソフトウエアのブラックボックスの中で粛々と処理されている業務プロセスを、何らかの形で従業員に「見せよう」というプロジェクトを進めていると聞いた。

 このソフトウエアによる業務のブラックボックス化は、もう行き着く所にまで行き着いた感があったが、さらに「延長戦」があった。それが日本で一大ブームのRPAの導入である。RPAではご存じの通り、システムからデータを「コピペ」して他のシステムに入力するなどの作業を自動化するソフトウエアロボットを多数つくり出す。これによりパソコン画面の向こう側だけでなく、「こちら側」に残されていた業務までをブラックボックス化してしまうわけだ。

 ソフトウエアロボが代行する作業の多くは、単純作業だけれどもシステム化できなかった領域だから、目先の業務の効率化への貢献度は大きい。人海戦術でデータ入力などをしてきた企業では、コンピューター黎明期のシステム導入に匹敵するくらいの効果があったりする。だから、業務の変革でも何でもないのに「我が社のDX(デジタルトランスフォーメーション)の成果だ」と悪ノリする経営者は多い。しかも、既存のシステムだけでなくRPAで業務を二重にブラックボックス化する恐ろしさに気づいていないのだ。

ブラックボックス化しても「中の人」さえいれば

 ソフトウエアによるブラックボックス化の3つ目の領域は、ソフトウエア自身のブラックボックス化だ。これは1つ目に挙げた「下位レイヤーのハードウエアやソフトウエアのブラックボックス化」とは意味合いが全く違う。抽象度を高くして述べたので「何のことだ」と不審がる読者もいると思うが、種明かしをすれば「何だ、そのことか」と言うだろう。例のトホホなブラックボックス化である。

 つまり、基幹系システムなどのソフトウエアが長年の改修作業でスパゲティ化して、改修を担当する技術者以外はプログラムコードを「解読」できなくなる現象である。そういえば、「2025年の崖」で有名になった経済産業省の「DXレポート」では、基幹系システムでのこのブラックボックス化を、企業のDXを阻む深刻な問題として取り上げていたな。

 こちらのブラックボックス化が深刻な問題となるのは、2つ目に挙げた業務のブラックボックス化ともつれ合うように進むからだ。業務のブラックボックス化が進行するのは、単に業務担当者がシステム化以前の業務を忘れてしまうからだけではない。その後の業務の変化もブラックブックス化に寄与する。業務の変化は、新商品の発売に伴ってのことかもしれないし、法制度対応のためかもしれない。はたまた何らかのカイゼン活動の「成果」を取り入れたのかもしれない。いずれにせよ、そのたびにソフトウエアは改修されていく。

 結果として、業務はどんどん変わり複雑になっていくが、その複雑さの大半はソフトウエアの機能として、つまりシステムで処理されるから、従業員の仕事が複雑になっていくわけではない。ただし業務プロセスなどはますます分からなくなっていく。しかも、こうした業務の変更に伴うソフトウエアの改修などによって、ソフトウエアもどんどん訳が分からなくなる。技術者不足や緊急の改修要求などのせいで場当たり的な改修が繰り返されるケースが多いから、いつの間にか担当の技術者以外には理解できないスパゲティ状態となる。

 ただし、ソフトウエアによるブラックボックス化は、ただちに大きな問題になるわけではない。記事の冒頭で書いた通り、ブラックボックスには「中の人」がいるからだ。中の人とは、ハードウエアやOS、ミドルウエアなどの場合で言えば、それらの製品を開発・保守しているITベンダーの技術者たちだ。一方、2つ目と3つ目、つまり業務のブラックボックス、そしてスパゲティ化によるソフトウエア自体のブラックボックスでは、システムの保守運用を担う技術者が中の人に相当する。

 中の人がいるからといって、安心してよいというわけではない。中の人が突然いなくなることもあるからだ。あっ、そうだ。「突然いなくなる」というのは表現がおかしいな。十分に時間があったにもかかわらず、事の重大性を認識しようとせずに放置し、そのうちに中の人がいなくなるケースがほとんどだ。3つの領域のブラックボックスの全てで中の人がいなくなり、「このシステム、どうするんだ」とぼうぜんとしている企業もあるから、まさに中の人の消滅は真夏の夜の怪談より恐ろしいのだ。

RPA導入が恐ろしい理由は「中の人」の不在

 基幹系システムなどを利用する業務担当者から自身の絡む業務プロセスが見えなくなっても、保守運用を担当する技術者はブラックボックスの中の人として、少なくとも自身の担当する範囲の業務を把握している。プログラムコードがスパゲティ化して他の技術者にはソフトウエアがブラックボックスになっても、担当の技術者は自身がぐちゃぐちゃにしてきたコードだから、そのコードに手を入れられる。

 そんな訳なので、これらのブラックボックスの中の人である技術者は、本来ならとても貴重な存在だ。ところが、その価値はあまり認知されておらず、中の人が「外の人」だったりする。何の話かと言えば、IT部門が丸投げ体質で、システムの保守運用をITベンダーの常駐技術者に頼り切っているケースだ。これは企業だけでなく官公庁でもおなじみの話。自分たちの業務もシステムも「外の人」しか知らないのだから本当に恐ろしい。

 で、この中の人ならぬ外の人がいなくなるという事件が起こる。例えば、企業なら毎年のように保守運用料金の値下げをITベンダーに要求し続けた場合に起こり得る。ITベンダーは当初、値下げ要求をのんで常駐技術者の人数を減らすなどして対応するのだが、そのうち採算面で耐えられなくなり、常駐技術者の疲弊や不満も限界に達する。ついにITベンダーが撤退を通告し、ブラックボックスの中の人は誰もいなくなる。これは「本当にあった怖い話」だ。

 ちなみにRPAによる業務のブラックボックス化の場合、そもそも初めから中の人がいない。RPAの導入前にデータの入力業務などを担っていた人は、派遣など非正規雇用の人が多く、RPA導入から時を置かずにいなくなってしまう。正規雇用の従業員も別の業務に就くから中の人ではない。RPA導入を支援した技術者も中の人を続けることはない。かくして中の人がいないままソフトウエアロボは動き続ける。さて将来、何が起こるか。乞うご期待、である。

 もう1つのブラックボックス、つまりハードウエアやOS、ミドルウエアなどの中の人がいなくなるというのは、なかなか想定しにくいかもしれない。だが、これは極めて頻繁に発生する。何せ日本企業は最新の製品、最新バージョンのソフトウエアを使いたがらない。古い製品、古いバージョンのソフトウエアを使い続けているうちに、ITベンダーが製品に対する保守サポートを停止し、開発や保守に携わった中の人である技術者も担当を外れていなくなるというわけだ。

 企業によっては、3つのブラックボックスの全てで中の人がいなくなったという悲惨な話もある。中堅クラスの企業での悲話だが、随分前に構築した基幹系システムを延々と使っているうちに、ハードウエアやOSなどはサポートが切れた。それでも問題ないと判断して使い続けているうちに、今度は基幹系システムのブラックボックスの中身を知る唯一のIT担当者が退社し、中の人は消滅してしまった。社長が事の重大性に気づいたときは、まさに後の祭りだったという。

 さて、いかがだったであろうか。この「極言暴論」ではブラックボックス化問題を何度か取り上げているが、今回は「中の人問題」の観点でまとめてみた。結局のところ、企業が何もしなくても、いつまでも中の人として献身的に尽くしてくれる技術者やITベンダーなどいないということだ。付加価値の少ない基幹系システムにはITベンダーに中の人が大勢いるパッケージソフトウエアやクラウドなどをそのまま使い、どうしても独自システムが必要ならば自社で中の人を育てるしかない。そう思うが、いかがか。』

みずほは本当に安泰か

みずほは本当に安泰か 預金集まる強固な構図
編集委員 前田昌孝
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD3156V0R30C21A8000000/

『みずほ銀行が今年5回目のシステムトラブルという大失態を演じても、みずほフィナンシャルグループの株価が堅調なのは、預金がメガバンクに集まる構造がそう簡単には崩れそうにないからだ。フィンテック企業のサービスは便利そうでも、顧客獲得に難航しており、メガバンクを脅かすほどでもない。ただ、メガバンク3行のなかでみずほの地位は相対的に低下傾向。危機感を持たなければ、将来は厳しいかもしれない。

6月中旬に12人余りまで減っていたイスラエルの新型コロナウイルスの新規感染者数(7日移動平均)が、再び8000人台まで増えてきたことは、コロナとの戦いに油断が許されないことの表れだ。ただ、日本では8月24日に新規感染者数(同)の前日比伸び率が峠を越え、8月28日に前日比の増加人数がピークアウトした。

まだ新規感染者数(同)が2万人台と多いため、とても安心できる状態ではないが、数値の変化からは感染急拡大の収束への第一歩が始まったとも読み取れる。8月31日の日経平均株価が前日比300円強上昇して2万8089円と、7月15日以来およそ1カ月半ぶりの高値を付けたのは、長いトンネルの向こうに光が差し込んだのと無関係ではない。

こんな回復相場なのに、メガバンク3行のなかで、みずほフィナンシャルグループだけは同2.5円安の1543円と軟調に推移した。とはいえ、年初来の株価上昇率は配当込みで20.7%と、三井住友フィナンシャルグループの22.0%と大差なく、配当込み東証株価指数(TOPIX)の9.9%を大幅に上回る。

いろいろあっても銀行口座には、給与振り込みや公共料金・クレジットカードの自動引き落としなどのサービスがのりで貼り付けられているため、既存顧客が雪崩を打って他行に移るようなことはない。株価の動きはこんな顧客の諦めを見透かしているようにも見える。

実はマイナス金利政策のなかで銀行が欲しがっているかどうかは別として、メガバンクには二重の意味で個人の預金が集まりやすくなっている。一つは政府がどう旗を振ろうが、個人マネーが「貯蓄から投資へ」と動くことはなく、国民がひたすら銀行預金を積み増していることだ。

個人金融資産のなかで株式や投資信託の比率が上下することがあっても、多くのケースでは「株価が上がったから比率上昇」「株価が下がったから比率低下」となっているだけだ。元本ベースでは筆者が証券記事を書いてきたこの37年間、個人とリスク商品との関係はほとんど変わっていない。

グラフは日銀が3カ月ごとに公表する資金循環統計をベースに、個人金融資産がどんな要因で増えてきたかを分析したものだ。リーマン・ショック前の2007年6月末から21年3月末までの動向を見ると、この間に増えた個人金融資産290兆円(1655兆円から1945兆円へ増加)のうち、87.6%に当たる254兆円は普通預金の増加が占めている。

一方で定期預金が36兆円減少しているから、銀行預金の増加分は差し引き218兆円ということになるが、とにかく個人は投資などにはたいしてお金を振り向けないのだ。コロナ禍に苦しめられた19年12月末から21年3月末までの1年3カ月間をみても、普通預金の増加は61兆円と、個人金融資産の増加分の56兆4000億円を5兆円近く上回っている。

もう一つは預金先としてメガバンクが選ばれていることだ。表のように、国内預金全体に占めるメガバンクなど都市銀行のシェアは過去10年間で4.9ポイント、過去20年間で9.4ポイント増加した。(第一)地方銀行も過去20年間で17.5%から21.3%へ3.8ポイント増加した。

メガバンクへの預金集中は、地方に住む親が死亡し、都会に住む息子や娘に預金が相続されているからだと説明されてきたが、データを見る限り、それだけではないようだ。同じ預金でも、メガバンクや地方の中核となる地方銀行に移している様子が顕著だ。

預金保険制度によって1金融機関当たり元本1000万円とその利息までは保証されることになっているが、リーマン・ショックなどを経て、何が起きるかわからないと考え始めた個人は、お金のことでいろいろと悩まされることがないような行動を、無意識のうちにとっているのかもしれない。

だからというわけではないが、フィンテック企業が提供するサービスにそれほど関心を示すわけではない。支払う段になってパスワードの入力を要求されるなど使い勝手が悪いスマートフォンのバーコード決済は、値引きなどの特典があるときを除いて大して使われているようには思えないし、PayPal(ペイパル)やpring(プリン)の個人間送金サービスも、活用しているのはごく一部だ。

ペイパルは米国で定評があるサービスだが、利用者が少ないためなのか、懇親会費の集金などに便利だった「マネープール」のサービスを9月30日にやめることになった。バーコード決済最大手のPayPay(ペイペイ)が10月から加盟店手数料を有料化するのも、これまでの拡大路線からの転換を意味している。

証券ベンチャーが顧客獲得に苦しみ、赤字から抜け出せないのは、8月11日公開の本欄「LINE証券空前の赤字 証券ベンチャー苦悩続く」で触れたばかりだが、記事でも取り上げたテーマ株投資のFOLIO(フォリオ)がSBIグループの傘下に入ることになった。ゴールドマン・サックスなどとともに70億円の出資をしていたLINEは、評価損計上を迫られた可能性がある。

とにかくお金に関することには、個人は保守的だ。みずほの度重なるシステムトラブルにはあきれるばかりだが、それでもみずほの看板は信用度の点で、フィンテック企業の手に届くようなものではない。構造変化があるとしても今後10年、20年とかかるのではないか。

クリックするとビジュアルデータへ 』

少子化克服は「百年の計」 出生率1.5の落とし穴

少子化克服は「百年の計」 出生率1.5の落とし穴
人口と世界 成長神話の先に(3)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFE2575A0V20C21A5000000/

 ※「価値」とか、「目的(目標)」とかは、対立する…。

 ※ ジェンダー・フリーを叫んで、「女子の選択肢を増やそう!」ということと、「少子化の抑制」は、両立が困難だ…。

 ※ 世の中、全てが「こちら立てれば、あちら立たず」の関係にある…。

 ※ 結局のところ、「妥協の産物」「まあまあ、そんなに酷くは無いところ」に落ち着かせる他は無い…。

 ※ 人によって、「価値観」って、異なるからな…。

『「子どもがいなければもっと自由に生きられる」。韓国の大手エンターテインメント企業の女性管理職(41)は結婚時、夫と話し合い子どもを持たないと決めた。

【前回記事】労働輸出国で細る若年層 移民政策、国の盛衰占う
【関連記事】経済成長・高齢化・移民… チャートで見る人口減の世界

子どもは好きだが、教育費は増すばかり。あるソウルの有名学習塾の費用は月500万ウォン(約50万円)。不動産の高騰や厳しい雇用環境も子育ての足かせとなる。周りには結婚すらしない人も多く、小学校教諭の姉も「非婚宣言」した。

韓国は2020年の出生数が過去最少の27万2400人。女性1人が生涯に産む子どもの推定数(合計特殊出生率)は0.84で世界最低水準だ。

超少子化に陥る分水嶺とされる出生率1.5を長く下回った後に回復した国はほぼない。子どもが少ないのが当たり前の社会になり、脱少子化が困難な「低出生率のわな」に陥る。1.34の日本も直面する現実だ。

なぜ少子化が進むのか。人口学者が指摘するのは、女性の教育と社会進出だ。男女格差が縮小するのは社会にとって大きな前進だが、女性にばかり育児の負担がかかる環境が変わらないと、働きながら望むように子どもを産み育てられない。

「フルタイムで働きながら子育てなんて考えただけで疲れる」。バンコクの女性大学院生(35)は嘆く。タイの20年の出生率は1.5で低出生率のわなの瀬戸際に立つ。

タイ女性の大学進学率は58%で男性の41%を上回る。英HSBCによると、大部分の国民が高等教育を受ける国で高出生率の国は一つもない。だが女性の教育を後戻りさせるわけにはいかない。

福祉国家フィンランドも出生率が10年の1.87から急減し、20年は1.37。少子化対策が手厚いはずの同国の急降下は大きな謎とされる。非政府組織(NGO)の人口問題連盟の調査ディレクター、ベンラ・ベリ氏は「女性は男性にもっと平等に家庭に参加してほしいと考えている」と指摘する。

ヒントはどこにあるのか。少子化対策の優等生といわれてきたフランス。ここ数年は出生率が下がりつつあるが、それでも1.8台を維持する。子育て支援などの家族関係社会支出は国内総生産(GDP)比で2.9%と日本の約2倍だ。

フランスは少子化対策を重視する(病院を視察するマクロン仏大統領)=ロイター


きっかけは1870年の普仏戦争だ。直前まで欧州で人口最大だった仏がドイツに逆転され、敗戦も喫した。仏が少子化対策を「国家百年の計」とした背景には、この苦い記憶がある。仏は家族のあり方も大きく変え、1999年に事実婚制度PACSを導入した。2019年に仏で生まれた子の6割が婚外子だ。

制度を変えても社会に根付くには時間がかかる。儒教思想が根強い韓国でも着手した。韓国政府は4月、家族の定義を見直す方針を打ち出した。婚姻や血縁などによる家族の定義を民法から削除し、事実婚カップルらも家族と認める。

「産めよ殖やせよ」と声高に叫ぶ時代ではない。それでも安心して子育てができる社会をつくるには一定の出生率の維持が欠かせない。社会全体の生産性を上げなければ経済や社会保障は縮小し、少子化が一段と加速する悪循環に陥りかねない。百年の計をいまこそスタートさせる時だ。』

少女よ大志を抱け 「理系は男性」の偏見さよなら

少女よ大志を抱け 「理系は男性」の偏見さよなら 
思い上がれない女性たち(2)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOKC29DH10Z20C21A7000000/

『「少年よ大志を抱け(Boys, be ambitious)」は1876年に札幌農学校の初代教頭に就いたクラーク博士の名言だ。それから月日は流れたが、果たして現代の「少女」はどうか。自分の信じる道を大手を振って歩めているだろうか。

「母親から、そんな男の子ばかりの進路はやめなさいと言われるんです」。一般社団法人「Waffle」には、女子中高生からこうした相談が舞い込む。2019年設立のWaffleはIT(情報技術)分野におけるジェンダーギャップの解消を掲げ、オンラインでのプログラミング教室やアプリコンテストを実施する。

Waffleの共同代表を務める田中沙弥果さん(左)と斎藤明日美さん(東京都千代田区)
代表理事を務める田中沙弥果さんは「男の子と同じようにプログラミングを楽しんでいた女の子が、10代になると一気に遠慮がちになる。背景にあるのが社会のジェンダーバイアス(性的偏見)」と話す。IT関連のイベントに集まるのは男子が大半で参加することに引け目を感じたり、大学で理系に進むことを親や教師が不安視したりする。「このもったいなさすぎる状況をなんとか変えないと」

工学部、いまだに女性15%

経済協力開発機構(OECD)が実施する15歳の国際学習到達度調査(PISA)では女子の学力は男子を上回る。25~64歳で大学などの高等教育を卒業した比率はOECD平均で女性が約41%、男性が約35%だった。一方で課題となっているのが、STEM(科学・技術・工学・数学)分野における女性進出の遅れだ。

特に文理の選択を早く迫られる日本では、「女性らしくない」という偏見が人生の選択肢を狭めている。文部科学省によると、大学の理学部における女子生徒の割合は約28%。工学部に至っては約15%にとどまる。

2年待ったけど誰もやらなかった

Waffleの田中さんは外国語学部を卒業した「文系」だが、留学先の米国で初めてITの「クールな姿」を目にして女性の視野を広げたいと思い立った。最初は10代女子向けの活動を立ち上げてくれるエンジニアなどを探して奔走したが、2年間たっても本腰を入れようという人や団体は現れない。しびれを切らして自ら起業した。

田中さんと、もうひとりの共同代表である斎藤明日美さんにも、かつて「女性らしさ」をめぐる葛藤があった。田中さんは中学に進学すると「『モテ』を意識して自分から手を挙げなくなってしまった」。斎藤さんは入学した大学の農学部で女性が圧倒的に少なく、男子学生を立てて一歩引いていることに疑問を感じた。そんな思いが原動力になっている。
Waffleがこれまでに開いたプログラミング教室は26回、参加者は約130人に上る。好きなK-POPを紹介するウェブサイトを作成するなど、女子学生は思い思いの関心を形にしていく。Waffleとの出会いで、理系の大学に進む一歩を踏み出せたとの声も届いた。斎藤さんは言う。「女の子はもっと自分の進む道に自信を持っていい。そんな気持ちを応援できる、あたたかい居場所をこれからも作ってあげたい」

日本の若者は世界的にみても、男女ともに自分を肯定的に捉えられていないといった調査もある。内閣府が18年に各国の13~29歳の男女に調査したところ、「自分自身に満足している」の項目に「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と答えた日本の若者の割合は約45%。最も高い米国の半分程度だった。

自分の現状や進む道を肯定的に捉えられなくなるのは、周囲の環境や何気ない言葉などに原因がある。課題解決の糸口は、幼少期にもありそうだ。

ネジに「かわいい!」

乳幼児向けの玩具を手掛けるピープルで商品企画を担当する上原麻里衣さんは、モニターとして開発に参加した6歳前後の女の子を前に、本物のネジや工具を見せて驚いた。女の子たちは武骨な道具に飛びつき、口々に「かわいい」と思わぬ反応をみせた。

女の子向けのDIYおもちゃ「ねじハピ」のドライバー

従来のDIY玩具といえば「大工さんセット」といった男の子向けがほとんど。聞けば、最近はDIYに取り組む母親の姿を家庭で目にしたり、女性が工具を駆使して家を改装したりするテレビ番組が人気を集めたりしているという。

18年に発売した「ねじハピ」は、電動ドライバーで箱や家を組み立てる。パステルカラーを使い、ねじを星形にするなど女の子も興味を持てる見た目にした。一方で電動ドライバーの使用感は本物さながらで、ネジも150個以上使う。

娘の興味を大事にしたい

購入の後押しをしているのが「興味のあることを応援したい」という親心だという。「最近の父母世代は男女のイメージに関係なく、欲しがる娘を受け入れ可能性を広げてあげたいと思っているのでは」(上原さん)とみる。

人生の初期段階で可能性が狭められることは、特定分野の人材不足や男女の賃金格差につながる。少女が様々な分野で「大志」を育める環境づくりが急務だ。

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多様な観点からニュースを考える
※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。

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岩間陽子
政策研究大学院大学 政策研究科 教授

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貴重な体験談 母親が持っているバイアスは、すごく大きいと思う。「男の子はこういうもの、女の子はこういうもの」という自分の価値観を必死で子供に投影してくる。

日本の女の子は、毎日母親と戦い続けなければ、自己実現すらできない。

周り道に思えても、孤立した子育てを社会に解放して、母子が孤立しない環境を作り、「今、社会はこういう人間を求めている」というのが子育ての現場に届くようにすることが必要。

父親が子育て参加、母親が社会参加し、社会全体が子育てに関わる仕組みを作っていかなければ、今の日本の子育てから自己肯定感のある人間を作るのは難しいと感じている。学校の先生も案外世間知らずです。大人が子育てに関わってください。

2021年8月24日 9:21いいね
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野崎浩成
東洋大学 国際学部教授

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分析・考察 「リケジョ」という言葉が死語になるような世の中を目指したいものです。
そのためには、ねじハピのような「入口」の環境づくりをするとともに、卒業後の「出口」の環境整備も必要です。

たとえば、男職場の象徴とも言える建設・土木の現場における仕事環境の見直しです。国交省は「ドボジョ(土木女子)」をキーワードに業界への働きかけを行うほか、ゼネコン各社は現場での女性専用トイレやパウダールーム設置などハード面の配慮と育休などのソフト面での改善を図っていますが、大きな変化は見られないようです。

環境・制度面での見直しは当然として、女性が自然に働きやすさを感じるための、周りの意識変革が必要条件だと思います。

2021年8月24日 8:01 (2021年8月24日 9:19更新)
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村上臣
リンクトイン日本代表

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分析・考察 いまビジネスの世界ではダイバーシティが大きな課題となっており、そのための社員トレーニング等が盛んに行われています。代表的なものに「無意識のバイアス(アンコンシャス・バイアス)」を認識して打破するといったものがあり、採用や昇進をより適切に行うことが期待されています。

このバイアスがどのように形成されるかについては諸説ありますが、家庭や教育環境に起因するものが大きいと考えています。間接的に影響を与えているメディアの役割は重大です。安易に「女性役員」「リケジョ」「美しすぎる女性議員」などとはやし立てることは、このバイアスを社会のコンセンサスとして追認することにつながります。

2021年8月24日 9:06いいね
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中空麻奈
BNPパリバ証券 グローバルマーケット統括本部 副会長
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別の視点 男女機会均等法が施行されたのが1986年。と思っていたら、その源流となる勤労婦人福祉法の制定は1972年に遡る。ほぼ50年前の出来事だ。ということは男女機会均等という案については、50年前から“気が付いていた”ということになる。

にも拘わらず、50年経っても、いまだに、こうした記事が出てしまう寂しさ。潜在的な思い込みや因習を根本から変えるには時間がかかる。「なんで男性には一般職採用がないんだろう?」と同じゼミの男の子が嘆いていたことを今も思い出す。

2021年8月24日 9:06いいね
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大湾秀雄
早稲田大学 教授
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分析・考察 男がヒーローで女は助けられるお姫様という筋書きの絵本など、子供の頃から教えられる性別役割分担でジェンダーバイアスが植えつけられる。

「女性らしくしなさい」という親の教えは、しゃしゃり出ず控えめに行動し、結婚市場で有利になるよう、大学での専攻も、主婦や母親志向をシグナル出来る家政学、教育学、文学が好まれる。

こうした傾向は日本や韓国でとりわけ強く、職業選択における男女格差とそれによる賃金格差を生んでいる。

日本人女性は国際比較で自己奉仕バイアスが低いことも示されているが、失敗すると反省を促し、成功すると周りに感謝するよう教える教育のせいだろう。これもキャリア選択やメンタルヘルスに影響を与えている。

2021年8月24日 7:50いいね
13 』

個人情報漏洩の企業責任、甘さ目立つ日本

個人情報漏洩の企業責任、甘さ目立つ日本 対策遅れも
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC04AML0U1A800C2000000/

 ※ オレも、今般の身内の不幸に際して、提出書類の収集のために、随分と役所の窓口を訪れた…。

 ※ その時感じた感想は、「随分、”個人情報”の管理は、厳重なものなんだな…。」と言うことだ…。

 ※ 特に、”マイナンバー”については、凄かった…。まず、殆んど”本人”以外は申請できないくらいに、ガチガチに固めている…。

 ※ ある場面では、「家族全員の”承諾書”の提出が、必要です。」と言われた…。

 ※ 「個人情報」と言っても、住所、氏名、年齢、性別くらいのものだ…。書類提出目的も、年金関係とか、保険関係とか、半ば”公的”なものだ…。

 ※ そういう提出関係で、なんでそんなに厳重にする必要があるんだ…、と思った…。
 ※ それに反して、企業関係(民間)の管理に関しては、記事にある通りユルユルだ…。
 ※ このチグハグさは、解せん話しだな…。

『個人情報の漏洩問題に関し、日本と欧米で企業への罰則の格差が目立っている。欧米当局はセキュリティー対策が手薄な企業に巨額の制裁金など厳しい姿勢で臨むが、日本では企業の責任が問われる例が少ない。データ漏洩の被害者の不満が募るうえ、一部の専門家は「日本企業の対策の甘さを招き、結果的に国際的な競争力も低下させかねない」と懸念している。

個人情報保護委員会、取り合わず
「本当にこれで対応は終わり?」。婚活マッチングアプリ「Omiai」を利用していた会社員の20代女性は驚いた。同サービスを運営するネットマーケティングは5月、外部からの不正アクセスを受け最大で約171万アカウント分の運転免許証やパスポートなどの画像データが漏れた可能性があると公表した。

同社からデータ流出の恐れがあると知らされた女性は、すぐに個人情報の削除を要請。だが8月にやっと届いた返信は「調査のため削除できない」との内容で、不安が消えなかった。「個人情報保護委員会にも問い合わせたが、取り合ってもらえなかった」という。

ネットマーケティングはこの件に関し「被害者のデータは、ネットから遮断したサーバーに保存している」と説明。「非常に申し訳なく思っている。対象者が非常に多く、非常に多くの問い合わせを頂いたことなどから一部で対応が遅れてしまった」などと話す。

日本の個人情報保護法では、個人情報を漏洩した企業の責任を問うハードルが高い。同法は企業に適切な情報管理を行うよう義務付けるが、一部の例外を除きデータ漏洩自体を直接罰する規定はない。法令違反が明らかなら個人情報保護委員会が改善を求める勧告や措置命令などを出し、その命令に違反すると罰金などが科せられる仕組みだ。

違反が疑われる場合に、個人情報保護委員会が指導や助言などの行政処分を下すこともできる。だが現在と同じ手続きになった2017年から21年3月までに、最も重い「命令」が出されたのは2件で、勧告は5件のみ。指導や助言は800件以上あるが「ほとんどの場合、企業名は非公表」(影島広泰弁護士)だ。

被害者が自力で民事裁判を起こし、情報漏洩による精神的苦痛やプライバシーの侵害を主張して損害賠償を求めることは可能だ。ただ弁護士費用や裁判の準備で少なくとも数十万円以上のコストが見込まれ「実際に裁判に踏み切る人は少ない」(金田万作弁護士)。

勝訴しても、過去に裁判で認められた賠償額は1件あたり数千円が相場で、割に合うとは言い難い。04年にブロードバンド「ヤフーBB」の約450万件の顧客情報が流出した際、損害賠償訴訟を起こしたのは、たった5人だった。

欧米では高額制裁相次ぐ
欧米では対照的に、データ漏洩を起こした企業に当局が高額の制裁金を命じる例が相次ぐ。代表的なのが欧州の一般データ保護規則(GDPR)だ。

GDPRは18年5月の施行以来、欧州各国の当局が企業などに制裁金の支払いを命じた例は計約700件に及ぶ。例えば英国当局は19年、英航空大手ブリティッシュ・エアウェイズ(BA)が大量の顧客情報を流出させた問題で、約1億8千万ポンド(約270億円)の制裁金を科すと発表。その後、新型コロナウイルス禍による業績低迷を受けて2千万ポンド(約30億円)に減額されたが、セキュリティーの甘さが巨額な制裁につながると示された。

米国でも、企業の責任を問う動きが厳しさを増す。20年施行のカリフォルニア州消費者プライバシー法(CCPA)では不適切な管理によって個人情報が漏洩した場合、当局による執行対象となるだけでなく消費者は1人あたり100~750ドルの損害賠償を企業に請求できると定めた。「同様の規定は他の州や連邦レベルでも検討されている」(ディパロ真紀・米国弁護士)という。

消費者の信用評価を手掛ける米エクイファクスが17年にサイバー攻撃により約1億4千万人の個人情報を流出させた問題では、同社が19年、米連邦取引委員会(FTC)などに7億ドル(約770億円)の制裁金を支払うことで合意した。うち最大4億2500万ドルが、消費者への補償に充てられる。

情報漏洩の責任を巡る日本と欧米の差は、企業の対応力の違いにも反映している。

日本IBMによると、データ漏洩が起きてから会社がそれに気づき、被害拡大防止の対策を完了するまでに、日本企業は平均で288日かかっていた。ドイツ企業(160日)の約1.8倍に及び、対応が遅さが目立つ。日本IBMの小川真毅・セキュリティー事業本部長は「(日本は)規制が緩いため、経営層が重要課題と認識しないこともある」と話す。

各国の個人情報保護法制度に詳しい杉本武重弁護士は「日本の漏洩事案は、欧州などの基準から考えれば巨額制裁の対象になりうる場合も少なくない」と指摘する。日本法だけの対応に慣れてしまうと、海外向けのビジネスで当局からの制裁対象となるリスクが高まる可能性もある。

個人情報の取り扱いを巡っては、経済界などに「規制や罰則が厳しすぎると事業活動を萎縮させかねない」との懸念もある。だが消費者のプライバシー意識が高まり、”世界基準”の対策が求められる場面は増えている。顧客層などを勘案しつつ、日本法にとどまらない対応も必要とされる。

(渋谷江里子)

22年施行の改正保護法 実効性が課題

欧米に比べ個人情報保護ルールが緩いと指摘されることもある日本だが、徐々に変わりつつある。2022年4月に全面施行する予定の改正個人情報保護法では、企業の情報漏洩への対応が強化される見込みだ。

不正アクセスで個人情報漏洩が起きた際、個人情報保護委員会への報告や個人への通知が義務付けられる。現行法では委員会への報告は「努力義務」、個人への通知は「望ましい」とされるにとどまっていた。

企業への罰則も強化された。最大50万円だった罰金が1億円まで引き上げられ、20年12月から先行施行されている。

ただ改正法の運用には課題も残りそうだ。企業への罰金が適用されるのは、委員会からの命令に違反した場合や個人情報を不正な目的で第三者に提供した場合など、限定的な運用になる可能性がある。現行法でも企業が罰金を命じられたケースは公表されていない。法改正がどこまで実効性を伴うかが問われる。』

屏風(びょうぶ)の数え方 : 知っていると教養人っぽい!?

屏風(びょうぶ)の数え方 : 知っていると教養人っぽい!?
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h01096/

『「一■の屏風が、宴席に華やかさを添えた」――さて、■に入る漢字はなんでしょう。「枚」でも「個」でもありません。知らなくても生きていけるけれど、知っているとちょっと使ってみたくなる。 

屏風(びょうぶ)の「屏」は「おおって防ぐ」「さえぎる」などの意味。もともとは、風をさえぎり、外からの視線を避けるための道具だったが、平安時代の頃から屏風に絵を描くことで、芸術的な価値のある調度品として発展した。

現代の一般家庭には無縁の存在だが、高級な旅館に泊まったり、ホテルの宴会場などでは目にすることも。うっかり「素晴らしい屏風が2枚飾ってありました」などと言って恥をかかないための基礎知識。

屏風は「扇(せん)」と呼ばれる縦長の画面を6枚つなぎ合わせた「六曲屏風」が基本形。右側が「第一扇」で、左へと視線を動かすことを想定して描かれている。「二曲」「四曲」「八曲」と画面の数にはバリエーションがある。

屏風を数える単位は「隻(せき)」。ちなみに「隻」は単数を示す助詞で、「隻眼の武将・伊達政宗」のように、「本来は対であったものの片側」を指す言葉。

六曲一隻

「二隻」の屏風で一組になっているものを「一双(いっそう)」という。

江戸時代初期に俵屋宗達(たわらや・そうたつ)が描いた「風神雷神図」は、最も有名な屏風絵と言っていいだろう。向かって右の「右隻(うせき)=風神」から「左隻(させき)=雷神」へと視線を動かして鑑賞する。

二曲一双

京都・建仁寺「風神雷神図」(高精細複製品 / 国宝である本物は国立京都博物館に寄託されている)(PIXTA)

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美術館』

〔葉隠〕

葉隠
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%89%E9%9A%A0

 ※『毎朝毎夕、改めては死に改めては死に 、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕課すべき也。』

『二つ 二つ の場にて、早く死ぬ方に片付ばかり也。別に子細なし。』

という、「凄まじい」ものだ…。

※ 昔のサムライは、こうやって「胆力」を鍛えたものなんだろう…。

『内容

『葉隠』は一般の武士を対象にした武士道論ではなく、藩主に仕える者の心構えと佐賀藩の歴史や習慣に関する知識を集めたものであった[1]。江戸時代には公開が憚られ、一部の人々にしか知られていなかった[1]。

「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い。』

『当時、主流であった山鹿素行(古学、山鹿流とも称す)などが提唱していた儒学的武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義は山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。

赤穂事件についても、主君・浅野長矩の切腹後、すぐに仇討ちしなかったことと、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央が病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別に相手に突っかかることはできないのである」と評している。』

『この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが(鍋島綱茂は吉良義央の甥、吉茂・宗茂は義甥にあたる。

また、山鹿流は吉良氏と昵懇だった津軽・松浦両家に伝承された[3])、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩の朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身の大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。

また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしまう気概と覚悟が肝要とされていたといわれる。

そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。

これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。

浮世から何里あらうか山桜 常朝  白雲やただ今花に尋ね合ひ 陣基 』

『「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

『葉隠』の記述の中で特に有名な一節であるが、『葉隠』の全体を理解せず、ただとある目的のためには死を厭わないとすることを武士道精神と解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。[要出典]

しかしながら、そのような解釈は全くの見当違いである。「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」で始まる一節は、以下のようなものである[4]。

原文

二つ々の場にて、早く死ぬ方に片付ばかり也。別に子細なし。胸すわつて進む也。(中略)

二つ々の場にて、図に当たるやうにする事は及ばざる事也。我人、生る方がすき也。多分すきの方に理が付べし。

若図に迦れて生たらば、腰ぬけ也。

此境危ふき也。図に迦れて死たらば、気違にて恥にはならず、是は武道の丈夫也。

毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕課すべき也。

(現代語訳)

どちらにしようかという場面では、早く死ぬ方を選ぶしかない。何も考えず、腹を据えて進み出るのだ。(中略)そのような場で、図に当たるように行動することは難しいことだ。

私も含めて人間は、生きる方が好きだ。おそらく好きな方に理由がつくだろう。(しかし)図にはずれて生き延びたら腰抜けである。この境界が危ないのだ。

図にはずれて死んでも、それは気違だというだけで、恥にはならない。これが武道の根幹である。

毎朝毎夕、いつも死ぬつもりで行動し、いつも死身になっていれば、武道に自由を得、一生落度なく家職をまっとうすることができるのである。

『葉隠』は武士達に死を要求しているのではなく、武士として恥をかかずに生きて抜くために、死ぬ覚悟が不可欠と主張しているのであり、あくまでも武士の教訓(心構え)を説いたものであった[4]。』

テレ朝社員、午前4時頃にカラオケ店出ようとしてビル2階から転落

テレ朝社員、午前4時頃にカラオケ店出ようとしてビル2階から転落…五輪「打ち上げ」で宴席
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210810-OYT1T50103/

 ※ こいつら、一体何をやっているんだ…。

 ※ 『女性社員は9日午前4時頃、1人で先に退店しようとした際、1階出入り口が閉まっていたため、2階の窓から店の看板をつたって下りようとして転落した』とか、前代未聞だな…。

 ※ 素面(しらふ)でも難しい「芸当」を、酔っぱらっていたら、できるわけないだろう…。

 ※ 「著しく自覚を欠く行動」とか、そういうレベルの話しじゃ無いだろう…。

『テレビ朝日の東京五輪の番組担当スタッフ10人が閉会式後の8日夜、東京・渋谷のカラオケ店で飲酒を伴う宴会を開き、20歳代の女性社員がビルから転落して左足骨折の重傷を負っていたことがわかった。

テレビ朝日

 警視庁渋谷署とテレビ朝日によると、10人は社員6人と外部スタッフ4人で、8日夜から打ち上げと称してカラオケ店で飲酒。女性社員は9日午前4時頃、1人で先に退店しようとした際、1階出入り口が閉まっていたため、2階の窓から店の看板をつたって下りようとして転落したという。「人が落ちてきた」と通行人が110番した。

 テレビ朝日は「著しく自覚を欠く行動があったことは大変遺憾」としている。』

「絶賛」される日本のコンビニ

「絶賛」される日本のコンビニ 五輪海外メディアが「死ぬほどおいしい」 重労働など「影」の部分も知って
https://www.tokyo-np.co.jp/article/122511

『東京五輪で来日した海外メディアが、競技以外に興味を募らせているものがある。街中の至る所にあるコンビニエンスストアだ。総菜や日用品の品ぞろえ、質の高さは日本独特のようで、記者らがインターネット上で積極的に発信している。しかし、「ニッポン、スゴイ」と浮かれてばかりいられない。コンビニ業界にはさまざまな課題が山積している。(榊原崇仁)

カナダ放送協会の記者がウェブサイトで執筆したコラム

 「五輪における極上の食事は、いかなる時もセブン―イレブンだ」。カナダ放送協会のサイトに、そんな見出しのコラムが掲載された。執筆したデビン・ハーロウ記者はツイッターで連日、コンビニで購入した食事を写真入りで紹介し、「サンドイッチコーナーはトロントのどの飲食店より上かもしれない」などと書いている。

 シンガポールのジャーナリストは「ローソンのフライドチキンは死ぬほどおいしい」とツイート。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)にも「コンビニに誘惑されない日はほとんどない」と記したコラムが載った。

 米国生まれのコンビニが日本に登場したのは1974年。東京・豊洲にできたセブン―イレブンの1号店がそうだ。現在、主要コンビニ7社の店舗数は約5万6000店にまで増え、年間売上高は10兆円を突破した。

◆「中食なかしょく」充実 品ぞろえで日本が圧倒

 日本のコンビニにはどんな特長があるのか。流通アナリストの渡辺広明さんが挙げるのは、総菜類や弁当類に代表される「中食」の充実ぶりだ。

 海外のコンビニでもホットドッグやサンドイッチなどを扱ってはいるものの、渡辺さんは「向こうと違うのは圧倒的な品ぞろえとおいしさ。日本の場合、ニーズに合わせた開発にたけており、店頭に並ぶ商品も客の好みに応じて、頻繁に入れ替えている。品質の高い中食を用意するため、専用の工場で加工して1日2、3回、できたてを配送してもいる」と解説する。

 米国で13年暮らした明治大の海野素央教授(異文化間コミュニケーション論)は「あちらの店は女性のストッキングや男性の下着は扱ってないし、書籍もなかった」と振り返る。

 「治安が悪い所だと、出入り口のドアが鉄格子状になっていた。窓にも鉄格子が取り付けられ、『人を殺すのをやめよう』と書かれたポスターもあった。そんな店に行っていた人が日本のコンビニを訪れたら衝撃を受けるはず。夜に1人で買い物をする女性がいるなど、安全面に対する意識が全く違うから」

◆夜中の酔客対応、収入面でも苦労

 その一方、武蔵大の土屋直樹教授(人事管理)は「日本のコンビニ業界は労働環境が厳しい。賃金水準が低いのに、従業員はトイレの清掃や夜中の酔客対応にも追われる。丁寧なのが当たり前と思い込み、上から目線で物を言う客もいる」と説明する。

 さらに「オーナーも苦労が絶えない。コンビニの従業員は大変との認識が広まっていて人手を確保しにくい。自分や家族が夜中に店に出るケースが目立つ」と語る。また、本部へのロイヤルティー(加盟店料)として粗利益の多くを取られてしまい、収入面でも苦労しがちになる。

 海外メディアに「光」の部分が持ち上げられ浮かれる空気が広まっても、「影」の部分から目をそらすわけにはいかない。土屋さんは「労働環境の問題が知られるようになればコンビニ各社も重い腰を上げ、改善に向けた努力をするはず」とし、「スゴイ」の裏にある苦労に多くの人が関心を寄せるべきだと訴えた。

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