米国陣営に戻るフィリピン、墓穴を掘った中国

米国陣営に戻るフィリピン、墓穴を掘った中国
編集委員 高橋徹
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD098HE0Z00C23A3000000/

『超多忙な国家指導者にとって異例の長さの滞在は、しっかり成果を伴った。2月8〜12日に就任後初めて日本を訪問した、フィリピンのマルコス大統領である。

240人もの企業関係者を同行し、日本の官民から130億ドル(約1兆7500億円)規模の投資や援助を引き出した。岸田文雄首相との首脳会談では、人道支援や災害援助で自衛隊をフィリピンへ派遣する際の手続きを簡素化する取り決めを交わした。

マルコス氏は1月、…

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『マルコス氏は1月、先に中国を訪れて習近平(シー・ジンピン)国家主席と会談し、228億ドルの対内投資や、南シナ海の領有権争いの「平和的解決」に向けたホットライン開設の約束を取り付けていた。訪問の順番、経済や安全保障の合意内容で日本は見劣りするようにみえる。

ところがフィリピンの有力紙インクワイアラーは「日本からの授かり物」と題した社説でこう論評した。

「何十億ドルもの投資を約束しながら、狭いパシグ川にかかる2〜4車線の橋しか実行せず、さらに悪いことに、我が国の排他的経済水域と国際的に認められている海域で沿岸警備隊員を一時失明させる軍事レーザーを使用した他の国とは違っている」

日本より一足早く訪問した中国で、マルコス氏㊨は228億㌦の巨額投資の約束を取り付けたが…(1月4日、北京)=ロイター

「他の国」は言うまでもなく中国への当てこすりだ。そしてレーザーの使用とは2月6日、フィリピンが実効支配する南沙(英語名スプラトリー)諸島のアユンギン礁付近で起きた事件を指す。

フィリピンはそこに艦船を座礁させ、海軍部隊を駐留させている。この日、補給物資を輸送中の巡視船が中国海警局の艦船から緑色のレーザーを照射され、乗組員が視力を一時的に失った。

前後の脈絡を整理すれば、事件の意味合いが浮き彫りになる。

4日前の2月2日、フィリピンはオースティン米国防長官を首都マニラに迎え、米軍が自国内で巡回駐留できる拠点を新たに4カ所追加し、9カ所に増強する安保協力拡大に合意した。2日後の同8日からは大統領の訪日を控えていた。重要な外交日程の谷間を狙ったレーザー照射は、日米への接近に対する威圧の意図が明らかだった。

1月の大統領の訪中時に発表した共同声明には「意見の相違を適切に管理していく」と明記してあった。その舌の根も乾かぬうちの出来事である。フィリピン外務省が「首脳会談での合意を乱し、失望させる行為」と非難したのは当然だ。

フィリピン側が事件を公表したのは2月13日。発生から1週間もすぎてからだったのは、12日のマルコス氏の訪日終了を待っていたのだろう。中国に反発しつつも、無用に刺激するのは避ける配慮がうかがえる。それでもマルコス外交は、2022年6月に就任する前の見立てからは大きく異なっている。

マルコス氏は大統領選で、ドゥテルテ前大統領の長女で副大統領選に出馬したサラ・ドゥテルテ氏と共闘し、異例の高支持率を誇った前大統領の路線継承を掲げた。

その前のアキノ政権が南シナ海を巡る中国の主張には根拠がないと国際的な仲裁裁判所に提訴し、全面勝利をもぎ取ったにもかかわらず、ドゥテルテ氏は判決を「紙切れ」と呼んで棚上げにした。長年の同盟国でありながら、人権無視の麻薬犯罪捜査を批判した米国に激しい敵意を示し、経済支援を目当てに中国へ急接近した。

ドゥテルテ前大統領㊧は中国の習近平国家主席と何度も会談し、巨額の経済支援を取り付けたが、実現した案件は少ない(2018年11月、マニラ)=ロイター

そんな外交姿勢をマルコス氏は「我が国の唯一の選択肢」と持ち上げた。21年10月、大統領選への出馬申請の直後にわざわざマニラの中国大使館へ足を運び、大使と会談してみせた。ところが大統領就任が決まると「我々の領有権が1インチたりとも踏みにじられることを許さない」と発言し、対中姿勢を一変させた。

「変心」はなぜか。2つの要因が挙げられる。

第1に、ドゥテルテ氏の親中路線は、お手本というより「反面教師」の側面が強かったことだ。

同氏は19年に日本経済新聞社が主催する国際交流会議「アジアの未来」に登壇した際、「ある国が海全体を自分たちのものだと主張するのは正しいことなのか」と中国に不満を述べつつも「フィリピンは中国の友好国。どこの国とも戦争をする余裕はない」と近隣の大国と付き合う〝処世術〟を披露した。

経済協力という実利の追求は、同時に軍事・外交上の緊張の緩衝材にもなり得るとの計算は働いただろう。しかし任期中に足しげく訪中し、数百億ドルの投資の合意文書を交わしたにもかかわらず、実現した案件は半分もないといわれる。他方で海上での威嚇や人工島の軍事化、領有権を争う島々での一方的な行政区の設置といった中国の不穏な動きが止まることはなかった。

「ドゥテルテ氏の経験は、中国が信頼できないパートナーであることを証明した」とオーストラリア国立大の太平洋エンゲージメントマネジャー、マッコイ・ポピオコ氏は指摘する。

第2に、米国との同盟関係を基軸とする外交・安保の実務を担ってきた外務省や国防省が、「親中嫌米」のドゥテルテ氏とつかず離れずの距離をとり続けたことだ。

たとえば外務省は、20年9月の国連総会でのドゥテルテ氏の演説に、南シナ海の問題解決は国連海洋法条約や仲裁裁判決に基づくとの主張を盛り込ませた。また同氏が側近の元国家警察長官が米国から入国ビザ発給を拒まれたことに腹を立て、20年2月に米軍の寄港や合同演習の根拠になる「訪問軍地位協定(VFA)」の破棄を一方的に通告した際には、国防省や国軍が懸命に取りなし、最終的には破棄を撤回させた。

南シナ海への中国の進出は歯止めがかからない(フィリピンが実効支配を続けるパグアサ島)=ロイター

「ドゥテルテ政権の6年間は、伝統的な外交・安保戦略に対する『ストレステスト』だったが、何とか乗り切った」と政策研究大学院大の高木佑輔准教授は評する。

1月にマルコス氏を北京に迎えた習近平氏は、父のフェルディナンド・マルコス元大統領時代の1975年に両国が国交を樹立した史実に触れて「この友情はかけがえのないものだ」と語りかけた。だがマルコス氏は、独裁者だった父が86年の民衆蜂起「ピープルパワー革命」で失脚したのは、国軍の離反が決定的だったことを熟知している。米国を重視する国軍の意向を無視し、親中路線を続ける選択はなかった。

マルコス外交は単に先祖返りしただけではない。比シンクタンク、ストラトベースのビクター・マンヒット社長は「マルコス氏は米国との関係をリセットした以上に、他の友人や同盟国に目を向ける必要性を認識している」と話す。

日本と合意した自衛隊派遣の手続き簡素化は、その先により広範囲な合同軍事演習を可能とするVFAの締結が視野に入る。訪日後の2月22日、今度はオーストラリアのマールズ副首相兼国防相をマニラに招いて国防相会議を開き、防衛閣僚会議の定例化に合意した。フィリピンは豪州ともVFAを締結済み。日本が加われば、南シナ海での4カ国演習や共同パトロールが可能になり、対中抑止力は一段と増すだろう。

対する中国は、不思議に思えるほどの失策続きだ。中国の公船は20年4月にもフィリピン海軍の船にレーザーを照射する事件を起こした。先に触れたように、同年2月にドゥテルテ前政権が米国にVFA破棄を通告しており、そのままなら半年後の8月に自動的に失効するはずだった。そうなれば米軍はフィリピンに入れず、年300回を超す演習や訓練ができなくなる。中国には願ってもない展開だった。

ドゥテルテ氏は時間切れ前に、破棄通告の効力を保留し、最終的には実行を思いとどまった。国防省や国軍からの説得が奏功した理由のひとつに、レーザー照射事件があったとされる。

米国が日本、韓国、豪州、フィリピン、タイという5つの同盟国と個別に連携する従来の構図は、自転車の車輪になぞらえ「ハブ・アンド・スポーク」と呼ばれる。フィリピンが米豪日との連携強化に動くことで、今後は「スポーク・トゥー・スポーク」の図式も加わる。アジアの安保枠組みは重大な転換点に差し掛かっている。

それを後押ししたのは、タイミングをわきまえない「力の誇示」や、振りかざすだけの空手形で、一時は立ち位置が揺らいだフィリピンを米国側へと押し戻した中国であろう。より強固になる対中包囲網は、自らが掘った墓穴と評さざるを得ない。

=随時掲載

高橋徹(たかはし・とおる) 1992年日本経済新聞社入社。自動車や通信、ゼネコン・不動産、エネルギー、商社、電機などの産業取材を担当した後、2010年から15年はバンコク支局長、19年から22年3月まではアジア総局長としてタイに計8年間駐在した。論説委員を兼務している。著書「タイ 混迷からの脱出」で16年度の大平正芳記念特別賞受賞。

【関連記事】

・フィリピン、対艦ミサイル初配備へ 中国の海洋進出警戒
・フィリピン大統領、安保で日米傾斜 南シナ海領有権重視
・[社説]日米はフィリピンとの戦略連携を着実に 』

米陸軍の戦技開発コマンドDEVCOMは、ウクライナ人の実践から着想を得て…。

米陸軍の戦技開発コマンドDEVCOMは、ウクライナ人の実践から着想を得て…。
https://st2019.site/?p=20958

『Defense Express の2023-3-10記事「Based on Ukrainian Military’s Experience, the US Army is Experimenting With Dropping Grenades from Drones, China Begin Production of ‘Flying’ Mortars」。

   米陸軍の戦技開発コマンドDEVCOMは、ウクライナ人の実践から着想を得て、マルチコプターから小型爆弾を正確に投下するシステムの研究に本腰を入れる。
 2月22日から24日にかけて、手榴弾をどのくらい正確に落とせるかの実験をした。

 投下母機にはSkydio社の「RQ-28A」というクォッドコプターが用いられた。
 投下メカニズムはDEVCOMが自作した。

 いっぽう中国でも、大型のマルチコプターから82ミリ迫撃砲弾を連続して8発、投下できるようにするシステムが、開発中である。』

戦争をしているわけでもないのに 食料配布600食が24分ではけた

戦争をしているわけでもないのに 食料配布600食が24分ではけた
https://tanakaryusaku.jp/2023/02/00028415

『毎月第2・第4土曜夕方、東池袋公園で行われる食料配布(主催:TENOHASHI)には、今回も多くの人が食べ物を求めて列をなした。大蛇がうねっているような列である。

 主催者が用意した600食は24分間ではけた。全員に行き渡った。

 配布開始は午後6時。先頭の男性(70代)は午後2時から待った。

 午後4時から並んでいるという男性(62歳=写真・中段)に話を聞いた。

 食料配布(炊き出し)に並ぶようになったのは1年くらい前から。

 冷凍倉庫でコンテナ卸の仕事をしていたが、非正規社員だったこともあり、あっさりと解雇された。賃金の安い外国人労働者に取って代わられたのである。

食べ物を手にした男性の嬉しそうな表情が忘れられない。=25日夕、東池袋公園 撮影:田中龍作=

 男性は無収入となり食料配布や炊き出しのお世話になるようになった。ほぼ毎日、都内のどこかで炊き出しや食料配布があるため、食事にはありつける。電車には乗らず歩いて会場まで行く。

 蓄えを取り崩しながらのネカフェ暮らしだ。

 「非正規は簡単に仕事を失うからね」。無念そうな表情で語った。

 労働者を皆殺しにするような勢いで雇用破壊が進む。仕事を失えばカネがなくなる。カネがなくなれば食えなくなる。至ってシンプルだ。

 田中はウクライナにいた頃、ボランティア団体の炊き出しに並ぶ人々をよく目にしていた。戦争で仕事や住まいを失った結果、大勢の人が食えなくなる。戦争がもたらす惨劇である。

 戦争をしているわけでもないのに、人々が食えなくなる国ニッポン。この国は確実に滅亡に向かっているのではないだろうか。

用意した食料がもの凄いスピードではけていった。=25日夕、東池袋公園 撮影:田中龍作=

   ~終わり~

   ◇
『田中龍作ジャーナル』はかつてない財政危機に見舞われています。危急存亡の事態です。

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田中龍作の取材活動支援基金 』

国会議員の950円豪華格安税金ランチがこちら→

国会議員の950円豪華格安税金ランチがこちら→
https://www.fx2ch.net/archives/56076

『3: 2023/02/13(月) 12:16:51.12 ID:BJh8rarwM
俺らの1日分の食事やんけ

5: 2023/02/13(月) 12:17:01.54 ID:L+mofIl90
なんでポテサラ2つもあんだよ

12: 2023/02/13(月) 12:18:40.96 ID:N7/P6d8j0
食いすぎだよな
寿司いらんだろ

19: 2023/02/13(月) 12:19:56.26 ID:amr06brAM


鉄火丼、フライ、ポテサラ、おでん

寿司、うどん、ポテトサラダ

2食分やんけ

27: 2023/02/13(月) 12:21:12.25 ID:dlV5Dj/Jp
金持ってるやつからちゃんと取れよ

32: 2023/02/13(月) 12:22:01.43 ID:ShqwGeiZ0
見事なほどの炭水化物コラボ

33: 2023/02/13(月) 12:22:10.54 ID:YCRCjHkgd
そりゃ眠くなるわ 食い過ぎ

34: 2023/02/13(月) 12:22:16.61 ID:aAhSEgRwd
意味解らん何でこれが950円やねん

37: 2023/02/13(月) 12:22:43.07 ID:TwMVwk3la
そりゃ頭下げて選挙頑張るわw

42: 2023/02/13(月) 12:22:59.24 ID:plpSnFufM
税込み(意味深)

45: 2023/02/13(月) 12:23:18.21 ID:4WGtK8ug0

42

50: 2023/02/13(月) 12:23:42.33 ID:v1bV/Kf+a

42
うまくて草 』

意識が高くなって治療や支援が行き届いた社会だからこそ「なおすべきは、あなただ」と言えてしまわないか?

意識が高くなって治療や支援が行き届いた社会だからこそ「なおすべきは、あなただ」と言えてしまわないか? – シロクマの屑籠
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20230216/1676512245

『www.kosehazuki.net

 昨夜、「セルフケアを持てはやすなよ」という文章を見かけたので読んだ。

その前にもtwitterで前哨戦のようなフレーズを見かけていたので(参照:これやこれなど)、ああ、そのあたりが意識されるフェーズなんだなと思うことにした。私も前から関心があって、もう少し調べてから言語化したいと思っていた。このセルフケアやアンガーマネジメントの話は、たとえば『チャヴ』でルポルタージュされたイギリスで新自由主義が進んでいった話などとも、自己実現や自己充足といったモチベーションの領域の話とも、自己啓発の領域とも地続きにみえてならないからだ。
 
チャヴ 弱者を敵視する社会

作者:オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
海と月社

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魂を統治する 私的な自己の形成

作者:ニコラス・ローズ
以文社

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日常に侵入する自己啓発

作者:牧野智和
勁草書房

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これらの書籍を「セルフケア」という角度から再読し、文章にまとめるのはちょっとした仕事量にはなるだろう。そうしたわけで黙っていたのだけど、冒頭リンク先に触発され、今、自分が思っていることを殴り書きだけでもしてみたい気持ちになったので、40分一本勝負でやってみる。
 
セルフケアやアンガーマネジメントは、一般に、進めれば進めるほど好ましいとされている。それらをとおして個々の労働者は自分自身の心身を守れるし、たとえば会社の上司が自分の機嫌の悪さを部下に押し付けるような事態を追放できる。そうすることによって職場の誰もがますます健康になり、気持ちよく働けるようになり、職場のコンプライアンスも守られる。個人間の暴力を禁じ、効率的な取引やコミュニケーションを推進する社会契約の理念にもかなっているだろう。
 
だからセルフケアやアンガーマネジメントを推進するのはおかしくないし、私も原則としては反対しない。たぶん多くの人もそうだろう。
 
ただ、良かれと思ってセルフケアやアンガーマネジメントを推進している人の裏には、ダブルミーニング的にこの流れに乗っかろうとしている人や、かえってこの流れを悪用しようとしている人も、想定しておかなきゃいけないとも思う。あるいは、こうしたことが極まった社会にどんな代償が伴うのかも考えに入れておくべきとも思う。そういったことをこれから書く。
 
セルフケアやアンガーマネジメントは、職場などで誰もが加害者にも被害者にもならずに気持ちよく働くための話だ。それらが難なくできる人にとっては特に好ましい話だろう。自分のメンタルヘルスもエモーションも易々と管理できる人には大した負担にならないし、そういうことができない連中から被害や迷惑を受けることがなくなる。なんとなればそういうことができない連中を職場や社会の表舞台から追放できる。バッチリだ。なにせ職場のコンプライアンス遵守から考えても、セルフケアができない個人、アンガーマネジメントができない個人が問題なのであって、私たちはセルフケアすべきだしアンガーマネジメントすべきなのである。それらができないやつはできてから来やがれ!
 
「自分の機嫌は自分で取る」なんか最近、「感情を処理できん人類は、ゴミだと教えたはずだがな」ぐらいのニュアンスで使われてない?
— 大刀🔞・ザ・ヒュージザンバー (@DAIGATANA) 2021年1月20日

……といった具合に、セルフケアやアンガーマネジメントをちょっとハードに適用すると、職場は最高にホワイトでコンプライアンスの守られた環境になるだろうけれど、その職場はセルフケアやアンガーマネジメントができる面々だけで構成されるようになり、できない面々が立ち入れない環境に変わる。

そしてセルフケアやアンガーマネジメントがしっかり定着した職場において、それらがちゃんとできないのは会社の問題でも社会の問題でもなく、個人の問題に帰するだろう。「おい、おまえちゃんとセルフケアやアンガーマネジメントができてないな。AさんもBさんもちゃんとできているんだぞ。できていなければおれらのコンプライアンスがなってないってことになっちまう。おまえもできなきゃだめだろ、できなきゃクビにしちゃうぞ」
──こんなことを慇懃無礼な言葉で警告されるようになるんじゃないだろうか。
 
セルフケアやアンガーマネジメントといった話には、たとえ会社や社会に問題があったりしても、まずは労働者個人に問題がないか点検し、個人をなんとかしようとさせる方向性があって、ともすれば、問題の個人化を促しているきらいがあるんじゃないか、と私は警戒している。

最近耳にするレジリエンスという言葉もそうだ。あの言葉はなんとなく聞こえがいいけれども、一歩間違えると問題解決を個人に強いるためのきれいごとになりかねない。気がする。
 
それから、セルフケアやアンガーマネジメントの定着した会社や社会は、資本家や経営者にとって非常に都合が良い点にも目配りしておきたくなる。

それらがひとたび定着すれば、労働者は上司も部下も自分で自分を修理したり制御したりしてくれるし、職場はブラックではなくホワイトとみなされコンプライアンスが守られる。

コンプライアンス遵守の差しさわりになりそうな人物を敬遠し、なんとなれば婉曲に追い出すことさえ可能になるかもしれない。

ホワイトな職場やコンプライアンスの遵守された職場は、生産性や効率性の面でも優れているだろうし、職場のコミュニケーションに感情というノイズが侵入するおそれも少なくなる。

それらが労働者のメンタルヘルスにどこまで貢献するのかはさておき、資本家や経営者にとっての面倒ごとを減らしてくれるのは間違いないだろう。
 
さて、そんなセルフケアやアンガーマネジメントを念頭に置きながら、もう少し私にとって間近な領域に目を向けてみる。

問題の個人化という視点でみた場合、メンタルヘルスに対する治療や診断の普及、メンタルヘルスに対する施策のかずかずも、問題の個人化を(一面としてだが)促していたりしないだろうか。
 
どういうことか。

今日ではメンタルヘルスへの行政的介入や福祉政策が充実し、たとえばストレスチェック、労働基準監督署、失業保険制度などをとおして私たちのメンタルヘルスはモニタリングされ、健康が絶え間なく促されている。それは良いことだろう。

また、発達障害も含めた精神疾患がどんどん診断されるようになり、それらが生物学的な背景のある疾患であり、遺伝子なり脳の機能なりの水準で問題が生じていると語られている。これも良いことだろう。

特に生物学的背景が説明されるようになった結果、多くの精神疾患において自己責任論がはびこりにくくなり、親責任論がはびこることも減っている。これも良いことだろう。
 
このように、メンタルヘルスをめぐる現況はおおむね自己責任論は回避できているし個人や社会にも貢献している。

しかし、こと、問題の個人化という事態は迂回しきれていないのではないか。個人に対し診断と治療と支援がなされる。それはいい。

だがそれが制度としても常識としても一般化していくなかで、そのメンタルヘルスの問題が起こっている状況について、会社の問題や社会の問題が含まれているとしてもそちらに目を向けるのはかえって難しくなってはいないだろうか。
 
つまり会社も社会も個人もメンタルヘルスについて意識がすごく高くなり、配慮も制度も充実した結果として、ひとつひとつの個人の不適応やメンタルヘルスの増悪はあくまで個人の問題でしかないと考えられやすくなり、そのぶん、会社の問題や社会の問題や体制の問題であるといった視点が、当事者からも医療従事者や福祉従事者からも遠ざけられやすくなってないだろうか。
 
もちろん、メンタルヘルスの諸問題は医療や制度をとおして何重にもバックアップされていて、それも良いことである。

しかし何重にもバックアップされている社会がここまでできあがったからこそ、右のように言い放つことが可能になっていないか心配なわけだ──「我々社会はこれだけやっています。それでもあなたがこうなるのはあなたの問題であって、社会の問題ではないですよね? なおすべきは、あなたであって社会ではない」
 
実地の医療や制度運用において、会社が悪い・社会が悪い・体制が悪いなどとシュプレヒコールをあげる余地は少ない。

どうあれ個人は個人としてメンタルヘルスの回復と向上につとめなければならない。生物学的背景の関与する精神疾患であれば尚更だ。

そのあたりは個人の問題として対処すればいいと思う。でも、これだって、会社や社会や体制の側が「そういうのは個人の問題に帰するものなんですよー」と頬かむりするにはなんだか都合の良い状況だ。

個人の救済のためのシステムをバッチリ発展させた結果、問題が生じた個人の治療やケアをすればいいだけで会社や社会や体制を省みるにはあたらない、と思い込みやすい状況ができあがってしまっていないだろうか。
 
もちろん個人も医療も行政機構も、会社や社会や体制の頬かむりを許すために頑張っているのでなく、あくまで個人の救済のために活動しているだろう。

セルフケアやアンガーマネジメントを推進している人達にしてもそうだ。でも、そうやってミクロな個人的救済を無数に積み重なった結果、マクロなレベルではまったく異なった結果が生み出され、まったく異なった目的のために通念や制度を利用してやろうと考えるプレイヤーも現れ……みたいなことはぜんぜんあり得る。

現状を否定すべきとは言わない。が、こうした変化の行き着く先と、こうした変化で一番得をしているのは誰かといった視点で振り返ってみることも、ときには必要じゃないかと私は思う。
 
前半でちょっと触れたように、この話は人間を働かせることとそれに付随する道徳や正義や正当性の話とも接続しているはずで、しっかりまとめるなら、そのあたりの過去と現在についても併記するのが望ましいと思っている。

それと資本主義が極まってきた現在、人間そのものが資本財となっているので、その資本財である人間は当然管理されなければならないはずで、その人間を資本財として管理運用するという視点からセルフケアやアンガーマネジメントについて考えると、今回とは違った、もっとディストピアみのある文章ができあがるはずだ。

けれども40分で書ききれるのはだいたいここまでなので今日はここまで。
 
シロクマ (id:p_shirokuma) 』

「セルフケア」を持てはやすなよ

「セルフケア」を持てはやすなよ
https://www.kosehazuki.net/entry/2023/02/15/%E3%80%8C%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%B1%E3%82%A2%E3%80%8D%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%AA%E3%82%88 

 ※ 「人間の精神・身体」というものは、「限界」がある…。

 ※ その「限界」を超えると、「壊れて」しまう…。

 ※ オレが、「死にかけて」、「あの世」に行かずに済んだのは、単に「運が、良かった。」だけの話しだ…。

『2023-02-13 日記 考え事

 月曜日。今日は仕事でとても煮え切らない、腹立たしいとも悲しいとも違う、形容しがたい虚無感を覚える出来事があった。言葉で表現することがはばかられるような出来事だ。婉曲的に、平たくいえば、多忙な働き方を強いられることで健康を損なう人がたくさん出たことの帰結のようなことが起こった。

 そこで最終的に共有されたのは、「みなさんも抱えこまないように気をつけましょう」という耳触りのいい忠告だった。

セルフケアは大切だと思うし、方法はどうであれ自分の機嫌を自分でとっていけたらいいなと感じるけれど、セルフケアを持てはやしすぎると「社会に不満を持ってしまうのは自分のセルフケアが足りないからだ」的な話になりかねないから少し警戒している
— 八月 (@koseee_) 2023年2月12日

 ちょうど昨日から「セルフケア」の話をぐるぐる考えていたせいか、今日はいろいろな出来事にさらされて情緒がめちゃくちゃになった。

 セルフケア・セルフラブの定義はとても難しいので、とりあえずここでは日常的に使われている「自分の機嫌を自分でうまくとって、自分を大切にして、自己肯定感を上げてうまく生きましょう」程度のニュアンスで簡単に解釈しておきたい。

そのうえで、それ自体の重要性はとても分かる。とても大切だとも思う。頑張った自分へのご褒美として高価な買い物をすることや、嫌なことがあった時に食事やアクティビティに課金して息抜きをすることは、私自身もよく実践する。自分のために時間やお金を使って自己を高めていくことは否定しない。世をうまく生きていく処世術であり、自分自身をフラットに保つ防衛策としても有用だから、日々を健やかに生きるために少なからず必要だと思っている。

 私がなんだか嫌だな~と思っているのは、こういうセルフケアをできること=仕事ができる人、いい男・いい女の条件であるかのような言説が、急速に強くなっていること。(とりわけ女性については、美容や身だしなみを整えることといった美意識までもがセルフケアに取り込まれているところがグロテスクだ。このあたりの話は今回は触れないでおく。)

そうして挙句の果てには「自分で自分の機嫌をとれない(セルフケアできない)人が悪い」という風潮になってしまうことを恐れている。セルフケアを「やって当然」と思われてしまう。セルフケアは自分が自発的にやってこそ有意義なものであるはずで、他者から過剰に押し付けられてやるようなものではない。誰かに言われてやったり、誰かに搾取されるものでもない。

 これについての違和感はずっとあって、自分自身の中でこの違和感が具現化したのは就活期間だった。

どの御社で面接しても「お休みをどうやって過ごしますか」「息抜きやストレス解消法は何ですか」という質問をされる。要するに自分で自分をケアできますか?という問いだ。
もっと露骨に「職場の人間関係で悩みがあって、上司に相談してもなかなか解決できなかったとき、どうやって気持ちを切り替えますか?」と聞かれたこともある。まるで、弊社ではそこまでのケアは期待できないので、自分自身で何とかできる人を採用したい、と言っているかのようだった。(当時は「セルフケア」なんて言葉はそこまで流通していなかったはずだ。いつからそんな言葉で呼ばれるようになったんだ。)

 話は逸れるが、思えば、ストレス社会という言葉は自分の記憶のかぎりでは小中学生の時からあって、そのうちに「ストレス耐性」とか「スルースキル」とかがちらほら聞かれるようになった。

まるでストレスに圧しつぶされる人の方が「ストレス耐性」や「スルースキル」がないから悪いみたいな、個人の能力に責任を押し付けるみたいな感じがして心底嫌悪していた。その延長にセルフケア・セルフラブはあると思う。

 仕事ができる人は、自分で自分の機嫌を取って、気持ちを切り替えられる人!ストレスをため込まないからストレス耐性もある!嫌なことは適度に受け流せるから、気持ちの余裕があって、アンガーマネジメントもできる!

 本当にくそくらえって思ってしまう。

 話を戻して、セルフケア・セルフラブの一件については、竹田ダニエルさんの一連のツイートがとても分かりやすく参考になった。

日本での「セルフケア・セルフラブ」が完全に資本主義的な「消費を通した自己実現」、さらには「自分の機嫌は自分で(金を使って)取る」という構造に回収されてしまっていて本当に良くないと思う https://t.co/VCBQ9BEbKf
— 竹田ダニエル (『世界と私のA to Z』発売中) (@daniel_takedaa) 2023年2月8日

 特にこれはそうだなと思った。

ケアとは基本的にお金がかかるものだ。私たちが自分で自分の機嫌を取ろうとするとき、そもそも社会(例えば職場)がするべき対処をしてくれていたら要らなかったケアがたくさんあったはずで、なのに私たちはセルフケアをさせられている側面がある。ストレスやハラスメントがあってつらいけれど、職場はまともな対応してくれないから、自分で気分転換するしかない。気持ちの問題だから。課金してでもそれをする。それが社会人として望ましいから。そんな雰囲気をあちこちに感じる。なんでも個人のセルフケアに責任を押し付けることで、得をするのは誰なんだろうか。

 ところで、近年持てはやされている「アンガーマネジメント」という胡散臭い言葉にも同じことを思っている。社会で働くうえで感情のコントロールは大事だ。確かにもともとの性格的に怒りやすい、感情的になりやすい人はいる。そういう人は感情をコントロールすべきだ。

 そんな「アンガーマネジメント」も最近、「セルフケア」と同じように自己責任の話に取り込まれているように思える。

というのは、この社会で発生する怒りはすべて個人の性格や気質に起因するものとは到底思えないし、職場の劣悪な環境のなかで理不尽な扱いをされ続け、余裕がなくなった故に感情的になることはよくある。

それなのに何でも個人のコントロールの問題みたいされているような状況がある。アンガーマネジメントとセルフケアは本来別物として考えるべきだが、自己責任の名のもとに都合よく持ちだされている感じだ。怒りの根本原因を作った社会(例えば職場)に、「まあまあ、怒りを抑えて」と言われているような気分だ。

 セルフケアの問題は海外でも認識されるみたいだけど、とりわけ日本についていえば、そもそも広義のケア(育児、メンタルヘルス、介護など)が軽んじられている背景もあるし、自分で自分をケアできるのが有能な社会人云々〜と持てはやしたほうが、多方面に都合がいいんだろうなと、普段社会で生きていて感じている。

自分をケアして当たり前、潰れたらセルフケア不足。反吐が出る。

セルフケアやアンガーマネジメントだけじゃなく、ほかにも似たような言葉はたくさんあって、「愛され力」とか「後輩力」とかもそうだ。私たちがうまくいかなかったときに「〇〇力がないあなたが悪い」と責任のすべてを個人に収斂させるような、やたら耳触りのいい言葉を信用して持てはやしてはいけないと思った。

そして、それらができない、それらの力を持っていない自分を責めてはだめだ。それらを持てはやすときに、いったい誰にとって都合がいいのか、ちゃんと考えなきゃいけない。
 セルフケアの押し付けなんて書くから大層だけれど、実際、緩やかな押し付けは本当に普段からあると感じる。

例えば業務過多で忙しく、疲れた顔をしていると上司から「ちゃんと寝ろよ」「ちゃんと食べろよ」と言われる。これだけならとても気配りのできる上司だし、部下に「最低限自分の生活を律しようね」と諭しているだけだ。

でも、過酷な職場環境のなか、悲鳴を上げて訴えても「ちゃんと寝ろよ」「ちゃんと食べろよ」と言われ続けることが、私の職場では起きている。ちゃんと寝食できるように調整するのが管理職の仕事なのに。

 もちろん、自分たちにまったく責任がないとは言わない。職場や上司がすべて悪いなんて思わない。もっと仕事を早く切り上げる工夫ができるかもしれないし、早く帰ればしっかり食事ができるかもしれない。その人自身が十分に仕事をできていないだけの可能性もある。

全ての場合において、上司や職場が悪者ではない。万事において自分以外の他者を悪者にして自己責任から逃れたいわけでもない。

でも個人では絶対にどうにもならない状況というものが確実にあって、それさえ個人の責任にされてしまうことが往々にしてある。そういうものに異議を唱える必要があるし、まずはそういう状況を少しずつ認識できるようにならないといけない。

 今日は仕事でとても煮え切らない、腹立たしいとも悲しいとも違う、形容しがたい虚無感を覚える出来事があった。言葉で表現することがはばかられるような出来事だ。婉曲的に、平たくいえば、多忙な働き方を強いられることで健康を損なう人がたくさん出たことの帰結のようなことが起こった。

 健康を損なった人たちは、セルフケアが足りなかったんだろうか。スルースキルがなかった?アンガーマネジメントが下手で、愛され力や後輩力がなかったんだろうか。少なくとも職場で起こった件については、日ごろから問題視されていて、みんな改善を要求していて、それでも職場が対応しなかったゆえの結果だと思った。それでもすべて個人のせいにして、そういうことにして、全部個人のせいにすれば、社会(例えば職場)はとっても楽なんだろうけど。

  まじめな話をしてしまったので、最後に今日食べたおいしいお菓子を貼ります。RAU さんのお菓子です。これは自分を慰めるためじゃなくて、単純に食べたくて買いました。おそらく。

 私などよりも大変有意義にこの問題に言及くださっている記事がありましたのでシェアさせていただきます。とても勉強になります。

2月16日追記:
はてなブックマークでのコメントありがとうございました。
以下返信です。(IDコール失礼します!)

>id:inujin さま
ありがとうございました。自発的なセルフケア・セルフラブはブックマークで他の方に言及いただいたようにクイア・アイ的に大切にしたいところ、社会から要請されることにはもやもやしています。(以前にもブクマいただいておりありがとうございました。その際は返信等できておらず申し訳ありません…!)

> id:p_shirokuma さま
ありがとうございます。すでに都合のよい資本財として管理されているような気がするこの頃です…。管理というより消費されているだけかもしれませんが…

>id:hatsan8 さま
ありがとうございます。主体的なセルフケアは大事ですしよくやるのですが、社会から押し付けられたり、例えば職場でつぶれてしまったときなどに「セルフケアが足りない!」等と責任転嫁される風潮は違うよな~と思う次第です…

> id:roirrawedoc さま
ありがとうございます。一緒にするなといいますか、例えば職場で長時間労働やハラスメントが横行して潰れる人がいる場合に、職場として何も対策をしてこなかったのに「セルフケアが足りない」等と個人のケアにすべて責任を押し付ける感じが嫌だな、と思います。もちろん、自発的なセルフケアは生きるために大切だとは思っています。

> id:tvxqqqq さま
ありがとうございます。記事では掘り下げませんでしたが、クィア・アイ的な、自身を高めるためのの主体的なセルフケアはとても大切だと思います。私自身も実践します。ただ、個人のものであったはずのセルフケアが社会に求められ、健康な労働力としてやって当然のものとして扱われ出した最近の感じについては「個人のセルフケアにタダ乗りしやがって」と思っています。

> id:narukami さま
ありがとうございます。実際、セルフケアは主体的に行えばとてもポジティブなものなので厄介だなと思っています。ストレスに弱い人にすべての責任があるように仕向け、ストレスを生み出す側(例えば職場など)が個人のセルフケアに依存する社会は生きづらいですね。

> id:tecepe さま
ありがとうございます。そうなんです、自発的なセルフケアだからこそ有意義なんですよね。

~ (id:hazukikose) 2日前
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引きこもりで40歳超え…宮台真司教授を襲撃した男の敗北感と一発逆転への願望

引きこもりで40歳超え…宮台真司教授を襲撃した男の敗北感と一発逆転への願望
https://biz-journal.jp/2023/02/post_332451.html

 ※ 世の中には、こういう「闇」も潜んでいる…。

 ※ どこで、誰が、「密かに、恨みの刃(やいば)を研いでいる。」のか、知れたモンじゃ無いんだ…。

『昨年11月に東京都立大学・南大沢キャンパスで同大学教授で社会学者の宮台真司さんが男に刃物で切りつけられ重傷を負った事件で、容疑者とみられる男性が昨年12月に自殺していたことがわかった。1日付NHK NEWS WEB記事によれば、死亡時に41歳だった男性は高校を中退した後は家に引きこもりがちで、外部との接触や職歴は確認できず、両親が用意した別宅で過ごしていたという。

 著書やメディア出演の機会も多い著名な社会学者として知られる宮台さんは、容疑者とされる男性の死亡を受け、1日配信のインターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」の番組内で

「気持ちのふんぎりがつきにくい。動機がわからないので釈然としない気持ちで、問題を解決できたという気持ちにならないまま先に進むのが残念だ」

と語っているが、全国紙記者はいう。

「犯行が無差別的なものだったのか、宮台さん個人を狙ったものなのかは不明であり、動機はわからない。

その前提で話をすると、宮台さんの著書『終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル』『世紀末の作法』『まぼろしの郊外』がベストセラーとなり気鋭の社会学者として宮台さんのメディア露出が増え始めた当時、容疑者の男性は中学・高校生だった。この世代には宮台さんの本を読んで大きな影響を受けた人も少なくなく、男性もその一人だった可能性はゼロではないだろう。

 宮台さんはイベントなどでかなり過激な表現を使うこともあり、著書では徹底的にロジックを突き詰めて冷徹な目線で社会現象を分析して斬っていき、人々や事象を類型化したり、ときに実名をあげて人物や組織、特定のカテゴリーの人々を批判することもある。

そのため、読んだ人のなかには、自分が批判されたと思い込んだり、反論の余地がないほどに的を射る批判をされたと思い込んで宮台さんに勝手な恨みを抱く人もいるかもしれない」

 事件を受けて警視庁は公開捜査に乗り出し、昨年12月12日に初めて防犯カメラの映像を公開したが、前出NHK NEWS WEB記事によれば、その映像公開の頃から男性は食事をとらなくなるなど様子が変わり、同月17日に別宅内で遺体で発見されたという。また、2日1日付「集英社オンライン」記事によれば、男性の母親はキリスト系の宗教の信者で近隣住民などを熱心に勧誘していたといい、男性の国民年金も親が負担していたという。

“8050問題”への不安と焦り

 なぜ男性は犯行におよんだのか。精神科医の片田珠美氏は次のようにいう。

「宮台真司さんを襲撃した容疑者として警視庁が行方を追っていた男が自殺したため、動機の解明は極めて難しくなりました。

 ただ、この男が無職で、引きこもりがちだったという報道がありますので、そういう患者さんを数多く診察してきた精神科医としての長年の臨床経験から申し上げると、『今に見ていろ、俺だって』と思っている方は一定の割合で存在します。もちろん、みながみなそう思っているわけではありません。

 なぜこんな気持ちになるかというと、やはり鬱屈した日々を送っているからですね。

この男も、野球の強豪校で有名な私立高校に進学したものの、その頃から引きこもりがちになったということですので、何らかの挫折体験があったのかもしれません。

その後、就労できないまま年齢だけ重ね、気づいたら40歳を超えていたわけです。両親とも70歳を過ぎているそうですから、“8050問題”に直面するのは時間の問題です。そのことに対する不安と焦りがあったとしても不思議ではありません。

 当然、敗北感にもさいなまれますので、一発逆転させて見返したいという願望が生まれやすいのです。だからこそ、『今に見ていろ、俺だって』という心境になり、世間をあっと驚かせるような大きな事件を起こしてやろうと考えることがあります。

どんな事件を起こそうとするかは、だいたい2つの流れに別れるようです。無差別殺傷、もしくは有名人襲撃で、宮台さん襲撃犯は後者を選んだのでしょう。

 なぜ宮台さんを襲撃したのかについては、容疑者が死亡している以上推測するしかないのですが、宮台さんが有名な社会学者で、若い頃から常に注目を浴びる存在だったということは大きいと思います。宮台さんの何らかの発言に怒りと反感を覚えたのかもしれません。

 だからといって宮台さんを刃物で襲って重傷を負わせていいわけでは決してないのですが、容疑者本人が『あいつはあんなけしからんことを言っているのだから、成敗してもいい』と正当化した可能性は十分考えられます。

 こういう事件が起きると、『自分も宮台さんと同じ目に遭うのは嫌だから、発言を慎もう』と考え、萎縮する言論人が出てくるのではないかと危惧します。しかも、容疑者の自殺という形で幕引きとなり、動機の解明もできないでしょう。本当にいたたまれない事件です」

(文=編集部、協力=片田珠美/精神科医)

片田珠美/精神科医:外部執筆者

広島県生まれ。精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。人間・環境学博士(京都大学)。フランス政府給費留学生としてパリ第8大学精神分析学部でラカン派の精神分析を学ぶ。DEA(専門研究課程修了証書)取得。パリ第8大学博士課程中退。京都大学非常勤講師(2003年度~2016年度)。精神科医として臨床に携わり、臨床経験にもとづいて、犯罪心理や心の病の構造を分析。社会問題にも目を向け、社会の根底に潜む構造的な問題を精神分析学的視点から分析。

Twitter:@tamamineko

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2023/02/post_332451.html
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“コスパ・タイパ重視で、SNSに若い頃から慣れ親しんで「成功者」への憧れが人一倍強いZ世代が最終的に行き着く先が…。

 ※ 今日は、こんな所で…。

“コスパ・タイパ重視で、SNSに若い頃から慣れ親しんで「成功者」への憧れが人一倍強いZ世代が最終的に行き着く先が…。
https://orisei.tumblr.com/post/707477337048055808/hkdmz-%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%91%E9%87%8D%E8%A6%96%E3%81%A7sns%E3%81%AB%E8%8B%A5%E3%81%84%E9%A0%83%E3%81%8B%E3%82%89%E6%85%A3%E3%82%8C%E8%A6%AA%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%A7%E6%88%90%E5%8A%9F%E8%80%85%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%86%A7%E3%82%8C%E3%81%8C%E4%BA%BA%E4%B8%80%E5%80%8D%E5%BC%B7%E3%81%84z

 ※ デジタル化、IT化、ITリテラシーの発達、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)…。

 ※ これらは、全て、人の価値観を、「プロセス(結果に至る過程自体)」軽視・無視の方向へと向かわせる…。

 ※ AIによる、人の思考の「確率論」への変容もそうだ…。

 ※ そして、これでもかと流通する「煌びやかな成功者」「夢のような成功体験」の洪水のような流通が、人の「欲望」だけを肥大化させる…。

 ※ 社会は、「手っ取り早く、結果だけを手に入れようとするヤカラ」で、溢れかえる…。

『“コスパ・タイパ重視で、SNSに若い頃から慣れ親しんで「成功者」への憧れが人一倍強いZ世代が最終的に行き着く先が「パパ活」「闇バイト」「強盗殺人」なの、当然の帰結感あって最悪すぎる”』

逮捕された山田容疑者は「生活保護で暮らす」長谷川容疑者は「親子3人で生活」周辺住民が語る

逮捕された山田容疑者は「生活保護で暮らす」長谷川容疑者は「親子3人で生活」周辺住民が語る
https://news.yahoo.co.jp/articles/8e19edff37cef592aab7be8d9c022cb239b1a67e

 ※ こういうヤツの生活を支えるために、オレらが必死で納めた税金が、使われているわけだ…。

 ※ 釈然と、せんな…。

『昨年12月に東京都中野区の住宅で起きた強盗傷害事件で24日、警視庁は新たに、ともに職業不詳の山田雅也容疑者(22)と長谷川将司容疑者(26)を逮捕した。

 山田容疑者と同じアパートに住む50代男性は「(山田容疑者は)昨年の5月ごろに引っ越してきた」といい「朝4時ごろから足音だったり、家具を動かすような音がうるさくて、夏ごろに一度注意したことがある」と話した。男性は「普段は何をしているの? って聞いたら『生活保護を受けて暮らしている。病院で診断書をもらえれば簡単に受けられる』と言っていました」と振り返った。長谷川容疑者と同じアパートに住む70代女性は長谷川容疑者について「とび職だったと思う」といい「親子3人で暮らしていた」と語った。』

図録▽認知症の国際比較

図録▽認知症の国際比較
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2136.html

 ※ 今日は、こんな所で…。

『“dementia”に対応する言葉としてそれまで「痴呆」とよばれていた症状が厚生労働省によって「認知症」という用語に名称変更されたのは2004年であった。その後、高齢化が進むにつれて「認知症」は誰もが罹りうる身近な病状として認識されるようになっている。
 人口当たりの認知症患者数について、OECD諸国とその他主要国の2017年の実績と20年後の2037年の予測値を図に示した。


 人口1000人当たりの認知症患者数はOECD平均で14.7人であり、日本はOECD諸国で最多の23.3人である。日本の場合人口100人に2人以上は認知症患者がいるのである。さらに、2037年にはOECD平均で17.3人、日本は38.4人に増えると予測されている。

 こうした数字だけを見るだけでも大変厳しい状況にあることが理解される。

   高齢者ほど認知症を発症する割合は高くなるので、国ごとの人口当たりの認知症患者の多い少ないは、高齢化の進展度と相関している。ページ末に掲げた相関図ではこの点を示した。日本など高齢化の進んだ国で認知症患者が多く、途上国のインドなど高齢化がまだ進んでいない国では認知症患者が相対的に少ないことは一目瞭然であろう。

   また、この相関図からは、日本は、イタリア、ドイツ、フランスといった西欧の主要国と比較して高齢化の割にはやや認知症患者が少ないことも読み取れよう。

   各国の認知症の患者数とともに死亡率のデータも掲げた。ここで死亡率は年齢調整後の値なので高齢化のバイアスが除かれた死亡率を見ることができる。認知症は、死因としてのダメージもさることながら、家族を含めた生活困難のダメージが大きいので、日本では寿命・健康ロスの大きさが3番目に深刻な病気なのである(図録<A href="2050.html">2050</A>参照)。従って死亡率だけで各国の認知症の深刻さを判断することはできないが、認知症に伴う課題の一端をうかがうことはできよう。

 少し年次が古いが「現代の殺人者」(A modern killer)と題された認知症の深刻さを指摘するOECDオブザーバーの記事(第297号、2013年第4四半期)を以下に訳出する。状況はあまり変わっていないと思われる。

 認知症は治療法が得られない破滅的な病気である。ケアはお金的にも、感情的にも負担が大きい。高齢化が進んでいる社会では医療システムへの負担も大きくなる。症状は脳にダメージを与え、人間の身体機能や認知能力を衰えさせる。

   アルツハイマー病インターナショナルによると、4秒ごとに誰かがどこかで認知症を発症する。世界的な予測によると3千6百万人もの人が認知症を患い、その40%は高所得国に暮らす。OECD諸国全体では60歳以上の5.5%が認知症を発症している。認知症とアルツハイマー病による死亡率はフィンランド、米国、アイスランド、オランダで最も高い<FONT size="2">(注)</FONT>。90歳以上の約半分が認知症を抱えている。

  <ADDRESS>

(注)2013年当時のデータ。現在では図の通り、フィンランド、英国、アイスランド、オランダ、米国の順。認知症死亡率に関しては日本はかなり低位にあることも図からうかがわれる。

   心臓病やガンといった死をもたらす主要疾患による死亡率や障害率の削減についてはOECD諸国で進歩が見れられる一方で、認知症についてはそれが当てはまらない。

   OECDでは主に次の3点の対策を図っている。すなわち、①必要な治療と診断を提供するための官民連携の手法開発、②病気の予防や対処法のイノベーションを加速するために生命科学や情報技術からの助言をひきだす仕方の検討、③罹患した患者やその家族による介護やケアを改善するための手法開発である。
  <div align="center"><img src="images/2136a.gif"></div>

   患者数データの対象国を図の順に掲げると、メキシコ、トルコ、スロバキア、韓国、ポーランド、チェコ、イスラエル、ハンガリー、アイルランド、米国、チリ、スロベニア、アイスランド、カナダ、ルクセンブルク、ニュージーランド、オーストラリア、ラトビア、リトアニア、エストニア、ノルウェー、オランダ、デンマーク、英国、スイス、ベルギー、オーストリア、スウェーデン、フィンランド、スペイン、ギリシャ、フランス、ポルトガル、ドイツ、イタリア、日本、南アフリカ、インドネシア、インド、中国、ブラジル、ロシアである。

  (2022年3月10日収録)

社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune
https://honkawa2.sakura.ne.jp/index.html

国民年金は誰が負担? 半分は税金、保険料未納なら損

国民年金は誰が負担? 半分は税金、保険料未納なら損
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO13628890T00C17A3PPD001/

 ※ 上記を見れば、明らかだが、「国民年金」は、基本、納付された「年金積み立て金(保険料)」で賄われている。

 ※ その不足分(必要額の2分の1くらい)を、「国庫負担金(税金)」で、補っている。

 ※ だから、GPIF(集めた年金の原資を、運用しているお役所みたいなところ)が、「運用に失敗して」「巨額の損失」でも出さない限り、「破綻する」ということは、まず、「考えられない」…。

 ※ 世界共通の仕組みだから、日本国の運用機関が「破綻」するような「経済変動」ならば、各国の「年金の運用機関」が、みんな「巻き込まれて」、大変な騒ぎとなるような事態だ…。

 ※ リーマン・ショックの時は、年金運用機関じゃなかったが、米国の「住宅金融公庫」みたいなものが、「破綻」しかけた…。

 ※ それで、巨額の「公的資金」を投入して、「火消し」した…。

 ※ そういうことの「後遺症」が、10年近くも続いた…。

 ※ 日本では、「バブル崩壊」の後遺症を引きずって、未だ回復できないところへ、世界経済が全体に低迷して、その余波を受けて、ずっと低迷し、今現在に至っている(「失われた20年(30年)」)…。

 ※ 「コロナ・ショック」にも、襲われたしな…。

 ※ それでも、国民年金制度が、「破綻」するとは、誰も思っていない…。

 ※ 騒いでいるのは、一部のマスコミと、何かと理由をつけて「保険料」を支払いたく無いヤカラだけだ…。

『20歳になると年金制度の対象になりますが、国民年金保険料の納付率は6割強にとどまります。厚生労働省の「国民年金被保険者実態調査」によると、滞納理由で多いのは「保険料が高く、経済的に支払うのが困難」という回答です。保険料は年間で20万円に迫ります。収入が少なければ負担は大きいでしょう。

次いで「年金制度の将来が不安・信用できない」「納める保険料に比べて十分な年金額が受け取れない」の順です。若い世代で高く、50代を上回ります。お茶の水女子大の学生が大学生などに実施した調査でも年金制度に不満を感じる人は多く、理由として約9割が「そう思う」と答えたのが「将来もらえるか不安」でした。「受給額が見合わない」も6割が肯定しています。若い世代は保険料が払い損になるかもしれないと考える人が多いようです。

現役世代の保険料を高齢者の年金に充てる賦課方式が日本の年金の基本です。しかし年金額すべてを保険料で賄うわけではありません。現在の年金制度の体系は1986年に始まり、当初から税金を投入しています(国庫負担)。

最初は基礎年金の3分の1で、04年に2分の1に引き上げられることになりました。12年には消費増税による税収を2分の1の維持に充てることになり、国庫負担2分の1は恒久化が決まりました。

14年度の公的年金の財政収支でみると、国庫負担は約11.8兆円です。これには国民年金発足前の給付にかかる費用の一部などが含まれるので国民年金と厚生年金の拠出金合計の2分の1を上回りますが、約10.9兆円が基礎年金の給付に使われているとみられます。

つまり保険料を払っている払っていないにかかわらず、買い物の際に払う消費税などの一部は年金の支払いに使われていて、これは今後も続きます。払い損を理由に保険料を払わず、払っておけばもらえたはずの年金を受け取れないとしたら、税金が払い損になりかねません。

年金財政には年金積立金という存在もあります。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が運用し百数十兆円にも上ります。この一部も年金給付に使っています。金額が積み上がったのは「団塊世代が保険料を多めに払ったためで、これがないと現役世代の保険料はもっと上がっていた」との見方があります。

厚生労働省は14年の財政検証に基づき、年金の世代間の給付と負担の差を試算しています。様々な経済状況下で各年齢の人が平均余命まで生きたと仮定し、満額払った保険料に対して受け取る年金の総額を出しました。「国民年金はすべての世代で保険料の払い損はないという結果でした。半分が税金で支払われているからです」とみずほ総合研究所の堀江奈保子上席主任研究員は指摘しています。

社会保険で損得が議論になりやすい代表例は年金でしょう。払う金額ともらう金額がある程度分かり、多くの人が受け取るからです。年金は終身でもらえるので長生きするほど得なことは確かです。もちろん、それにはきちんと保険料を支払うという前提があります。
[日本経済新聞朝刊2017年3月4日付]』

年金と消費税に見る不公平

北の国から猫と二人で想う事 livedoor版:年金と消費税に見る不公平
https://nappi11.livedoor.blog/archives/5384208.html

 ※ 確かに、こういうグラフを見ると、「ギョッとする」…。

 ※ しかし、そういう時こそ、立ち止まって、よくよく冷静に考えよう…。

『右の表を見て、良く言われるのは、「老人に金使いすぎ、医療負担が重荷、、」等などだが、日本の人口の年齢構成からみて当然のことである。

実際筆者は年金受給者で、途中から自営になった経歴から、決して十分な受給ではないが、貯める必要はないからすべてを消費に回している。

多くの受給者がそうだろうと思えば、この一群は、日本の巨大な消費経済の中でも顕著な巨大消費組織であり、膨大な医療従事者、福祉従事者をけん引し、其の産業は薬品、関連機器、維持費、人件費を消費し、さらに関連する企業、産業は無数にある。年金として吐き出される財政は巨大なマーケット(市場)を構築しているのだ。これも国内経済の重要なファクター(要因)なのだ。

これを賄う一つが消費税だが、筆者が問題とするのは、なんでもかんでも一律で掛けることへの不公平さだ。

一例をあげれば、キジの冬の餌を最近買ったが、15キロ詰の価格が税込2千数百円ほどだったのが量販店で税込3千円ほどに値上がりしていて、会計で「間違いでは?」と言ったほどだ。

運賃や原材料の高騰が原因だとは分かるが、ペットでもない、野鳥の餌への消費税には疑問を感じるが、売る方も識別できないだろうから無理な注文かもしれないのだが、一方で動植物保護の重要性も言われる社会である。

また、バスも無い地域での車にも高額な税金がかかり、過疎な地域はより過疎になり、人口減少の地方自治体の財政不足が加速し、病院も維持が困難になり、過疎に拍車をかける。こんな矛盾を上げれば切りがないだろうが、政治とは、こういう事への配慮や対策を指すのではないのか?

政治家はあてにできない。関係する企業がもっと声を上げるべきだろう。』

東京23区でシェア7割の「火葬場」が相次ぐ値上げ「話し合いに応じず」と困惑する同業者の声

東京23区でシェア7割の「火葬場」が相次ぐ値上げ「話し合いに応じず」と困惑する同業者の声
https://news.yahoo.co.jp/articles/817d6bf0ad62e41b55bfaf6acfe0a55b18f19856

 ※ 東京23区の「火葬場」の8割近くが「民営」で、しかも、シェア約86%の企業が「中国系資本」とは、知らんかった…。

 ※ 亡くなった人の「火葬」までが、料金高騰で、多額の「火葬料」を要求されるんじゃ、堪ったモンじゃないな…。

『2021年1月、東京都23区にある火葬場の7割を運営する企業「東京博善」が、火葬料金の値上げを実施した。2022年6月には、火葬料金とは別に「燃料調整費に沿ったサーチャージ型の変動型料金」の請求も始まり、都内の火葬料金は値上げの一途をたどっている。

 全国的に見れば、大半の自治体の火葬場は公営だ。しかし、東京都の場合、23区内に9カ所ある火葬場のうち、公営は2カ所、民営が7カ所。東京博善は、そのうち6カ所の火葬場を運営しており、23区内の火葬の大半を引き受けていることになる。だが業界関係者によれば、2020年3月、同社が「広済堂ホールディングス」に完全子会社化されて以降、かなり強引な値上げがおこなわれ始めたという。広済堂ホールディングスは、中国系資本が大株主となっている。

 佐藤葬祭代表の佐藤信顕氏はこう語る。

「現在、東京博善の火葬料金は、骨壷の料金まで含めて1体9万9000円ほど。これは業者から見ても、非常に高い値段です。本来、都内での火葬料金は1体7万円弱が相場ですが、同社は約3万円も値上げしています。

 ここまでひどい価格になったのは、『広済堂』に完全子会社化されてから。通常、値上げする場合は業界内で『1年後に値上げします』といった根回しをして、業界各所の同意を取ったうえでおこないます。しかし、東京博善はそういった慣習をいっさい無視して、2020年秋ごろ、いきなり『3カ月後に値上げします』と、一方的な通達を出したんです」

 当時はコロナ禍の真っ只中で、葬祭業界は厳しい時期を迎えていた。業界内で「今はやめてほしい」「もう少し話し合いを」といった声があがったが、同社は「話し合いはもうしました」と、にべもない態度だったという。

 結果、2021年1月には、一般向けのもっとも安い「最上等」の大人料金を5万9000円から7万5000円と、1万6000円の値上げを実施した。

 なお、23区内にある民営火葬場で、東京博善以外が運営しているのは、板橋区にある戸田葬祭場のみ。こちらも2022年4月から火葬料金が値上げとなったが、最上等の火葬料5万9000円、骨壷1万3970円だったところを、火葬料8万円、骨壷無料という価格に変更された。実質、約7000円の値上げと考えても、やはり東京博善の値上げ幅は大きい。

「東京博善は、6月から『燃料サーチャージ』という、謎の追加料金まで発生しています。ほかの火葬場ではいっさい導入されていないシステムです。業界内で『おかしいでしょ』と追及されても『決定事項なんです』と返ってくる。とにかく、ぜんぜん会話にならないんです。

 値上げの理由として想像できるのは、コロナ禍で葬儀場が使えなくなったことです。火葬場は、葬儀場経営と火葬経営で成り立っているので、葬儀場が使えないのは痛手でしょう。ただ、東京博善はすでに約100億円の現金資産を持っていました。にも関わらず、値上げでさらに利益を出していく形にしてしまったんです。

 以前は、業界内のつき合いとして、忘年会や懇親会でお互い顔を出す仲でした。コロナでそうした会もなくなりましたが、仮に今後、復活しても、東京博善さんはもう顔を出せないんじゃないですかね。それぐらいの強硬ぶりです。もう、利益だけを追求するような外資系企業になっています」(佐藤氏)

 23区内の火葬場の7割を押さえているだけあり、無理が通るというわけか。状況を打開するには、どんな手があるのだろうか。

「行政の調査指導が入れば、企業側は無視できません。『料金の妥当性を説明せよ』と行政側が命令すれば、東京博善は当然、行政の許可を得て運営している企業なので、説明する必要があるんです。

 同社は値上げを続けて大儲けしていますが、火葬とは、そもそも公共事業ではなかったのか? とあきれます。利益ばかりを追求する姿勢は、どう考えてもおかしい。本当に妥当な金額といえるのか、早く行政が調査に入ってほしいですね」(佐藤氏)

 こうした批判が上がっていることを、東京博善はどう受け止めているのか。同社にコメントを求めたところ、2021年1月の価格改定について、こんな返答が返ってきた。

「実に10年ぶりの改定であり、人件費および燃料費等の高騰の中、改定を行ったものでございます。また、改定内容としては最上等と呼ばれる火葬炉に限っており、特別室などの料金は値下げを行っております。これは火葬をお待ちいただく方の解消を意図しているものです。なお、他の民間斎場もすべて価格改定(値上げ)を行っており、弊社の火葬料金が、他の官営、民営の斎場の火葬料金と比べても相当額であることを申し添えさせていただきます」

 加えて、2022年6月から導入された「サーチャージ型の変動型料金」についても、こう説明している。

「ご火葬には燃料としてガスの利用が不可欠であり、施設全般では多くの電力も使用している状況です。昨今の世界的な燃料費/電力費の高騰は想定される範囲を大幅に上回っており、公共的社会インフラを維持する弊社の経営に及ぼす影響は甚大なものになっております。これは葬儀業界に限らない社会現象として認識しており、多くの企業が値上げの傾向にある中、弊社はガス・電気の供給会社が公表する原料・燃料費調整単価に基づき、2か月ごとに料金を設定させて頂く形を取りました。今後、当該調整単価がなくなり次第、本変動料金も終了することを予定しております。なお、これらの料金改定につきましては、その詳細を葬儀組合様への説明のほか、葬儀社向け弊社ホームページ等で、事前にご説明のうえ、実施させて頂いているものです。概ね葬儀社様には事情をご理解いただいていると考えており、高すぎるとの批判は一部葬儀社様のご意見であると考えおります」

 公共的な役割の強い「火葬」という事業。利用者が困るような状態にだけは、なってほしくないものだが……。』

納骨堂“閉鎖” 遺骨引き取り要請に契約者 戸惑いや憤り 札幌

納骨堂“閉鎖” 遺骨引き取り要請に契約者 戸惑いや憤り 札幌
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221025/k10013869001000.html

 ※ 「人口減少」の一断面だ…。

 ※ それと、人々の「墓」や「供養」に対する意識の変化も、あるだろうな…。

 ※ もはや、「先祖代々の墓」なるものが、成立し得る「基盤」が無くなってしまっている…。

 ※ 若いヤツは、どんどん「都会」「都市部」へと「移住」して行く…。

 ※ そこに職が集中し、そこでしか職を見つけられない…、となれば如何ともし難い…。

 ※ いくら、じいさん・ばあさん、とうちゃん・かあちゃんが「盆・暮れには、帰って来るのかい?」なんて言ったところで、空しい(むなしい)だけの話しだ…。

 ※ そういう状況で、「墓」や「お寺」だけが存立し続けるハズが無い…。

『札幌市東区にある納骨堂が、運営する宗教法人の資金不足で差し押さえられたあと競売にかけられ、建物を明け渡すよう裁判所から求められています。

宗教法人は、納骨堂が閉鎖されるとして、契約者に対し、遺骨を引き取るよう呼びかけていて、契約者からは戸惑いや憤りの声や費用の一部の返還を求める声が上がっています。
建物の明け渡しを求められているのは、札幌市東区にある屋内型の納骨堂「御霊堂元町」です。

運営する宗教法人「白鳳寺」などによりますと、納骨堂は10年前の2012年に開業し、市内の葬儀会社などから合わせて2億円以上を借り入れて設置・運営してきました。

しかし、資金不足で借入金の返済が滞ったことから建物と土地を差し押さえられ、競売にかけられた結果、ことし8月、市内の不動産会社が1億円余りで落札しました。

宗教法人は、納骨堂が閉鎖されるとして、770基余りの納骨壇の契約者に対し、遺骨を引き取るよう呼びかけていますが、連絡できていない人もいることなどから、今も多くの遺骨が納められているということです。

宗教法人は現在、事業の継承を目指して建物と土地を落札した不動産会社との間で協議を続けているとしていますが、今後のめどは立っていません。

宗教法人「白鳳寺」の太田司代表は、NHKの取材に対し「このような事態になったことをおわびしたい。雨風や雪をしのげて一年中お参りができる納骨堂なら利用しやすいと考えていたが、契約者の募集が十分にできず、借入金を返済するだけの収入が得られなかった」と話しています。

また、建物と土地を落札した不動産会社の担当者は、建物にある遺骨について、今後、契約者が引き取ることができるよう対応するとしていますが、「宗教法人の負債解消の道筋が立たないと事業の継承は難しい」としています。

不動産会社からの申し立てを受けて、当初、建物の明け渡しに向けた裁判所による強制執行が24日に行われる予定でしたが、宗教法人などからの要望を受け来月21日に延期されました。

納骨堂の契約者は

札幌市内の61歳の女性は去年5月、この納骨堂に亡くなった夫の遺骨を納めました。

生前、夫が明るい雰囲気を気に入っていたことが理由でした。

しかし、今月に入って運営する宗教法人が契約者を対象に開いた説明会で「納骨堂は閉鎖になるので遺骨を引き取ってほしい」と突然、告げられました。

女性は今月20日、遺骨を引き取るため、息子と納骨堂を訪れました。

女性は、納められていた夫の遺骨を「一緒に家に帰ろう」と声をかけながら取り出し、遺骨を自宅に持ち帰りました。

女性は「納骨したときにはこんなことになると全然思いませんでした。魂入れもしてもらっているので夫の魂がどこに落ち着くのだろうと不安もあります」と話していました。

また、女性の息子は「空っぽになった納骨壇を見て、心も空っぽになったという気がしています。コロナも少し落ち着いて、何かしようとしていたときにこんなことになって悲しみと怒りでいっぱいです」と話していました。

女性は自宅に戻ると、夫の写真が飾られている棚に遺骨を置き、息子と2人で手を合わせていました。

女性は契約の際、納骨壇を使用する料金として70万円、永代供養費として80万円、年間の管理費を20年分前払いする形で11万8500円と、合わせて160万円余りを支払っていました。

しかし、説明会では、宗教法人側から「財源がないのでお金を返すことはできない」と説明を受けたということです。

今後、引き取った遺骨をどうするかは決まっておらず、納骨堂を継続して利用できるようになるか、永代供養費や前払いした管理費が返金されることを望んでいます。

女性は「返せるものは骨だけだと言われたので、みんなあぜんとしました。今はすごい悲しいです」と話していました。

また、女性の息子は「ちゃんと調べて親に伝えていれば、こんな風にならなかったのかと後悔もあります。父も、私たちに申し訳ないという気持ちが強いのではないかと思います」と悔しさをにじませていました。

弁護士に相談相次ぐ

札幌弁護士会の弁護士には、今月に入ってからこの納骨堂の契約者から「支払った永代供養料はどうなるのか」といった相談が複数寄せられているということです。

消費者問題に詳しい札幌弁護士会の猪野亨弁護士は「永代供養という契約で永代供養料を徴収しているのでその責任が果たせないことになると、その分は債務不履行になるので返還しなければならない」としています。

また、建物や土地が競売にかけられて市内の不動産会社が落札したあとも宗教法人が契約をしていたケースがあったと報告されているとして、「経営破綻し、納骨堂が第三者の手にわたっているという状況を隠して契約するということは相手をだましていることになる」と指摘しています。

これについて宗教法人の代表は、「競売で落札した不動産会社が事業を継続してくれることを前提にそのまま募集を継続していた」と話しています。

納骨堂選びの注意点は

葬儀や墓の準備などいわゆる「終活」の事情に詳しい一般社団法人「終活協議会」の竹内義彦理事によりますと、納骨堂が経営不振のため閉鎖されるケースは、数は多くないものの各地で確認されていて、選ぶ際には注意が必要だとしています。

竹内さんは、「複数の納骨堂に資料請求をして運営年数のほか、契約数が事業計画に沿ってしっかりと伸びているか、過剰な広告になっていないかどうかなどを確認することが必要だ。また、管理費を分割ではなく一括で支払うよう求められるなど、ちょっとおかしいと思ったら終活が専門の団体や自治体などに確認してほしい」と話しています。』

今の日本は若者にとって、ガチで怖いだけの場所。

今の日本は若者にとって、ガチで怖いだけの場所。
https://blog.tinect.jp/?p=78050

 ※ もっと、「生命(いのち)の使い道」ということを、考える方がいいのでは…。

 ※ 「時間は、平等で、残酷なもの。」だぞ…。

 ※ 文句垂れようが、不満をぶちまけようが、不貞腐れようが、時間は残酷に過ぎていく…。

 ※ いずれ、老いて衰えていく…。

 ※ そういう「自然の摂理」から、逃れられる人間はいない…。

 ※ まだまだ、身体が効いて、頭が使い物になっている間に、その「貴重な時間」を、君はどう使うつもりなのか…。

 ※ 「その貴重さ、かたじけなさ」を、「失いかけて」初めて認識するんだ…。

 ※ その時には、「もう、遅くて、手遅れ。」になっているんじゃ、あまりに悲しい…。

『「そういえばコロナで婚姻数ってどうなったんだろう」と思い検索してみたところ、予想通りというか凄い事になっていた。

(出典:婚姻数急減「人と会えなかった2年」の深刻な影響)

「リモートワークは出社しなくていいからラクチンだし、不快な人間関係も無くなるから幸せ」

「これが一生続けばいいのに」

自分はもう中年近いという事もあってか、どちらかといえばそのような意見を聞くことが多い。

コロナは持たざるものにあまりにも厳しい

けど、人間関係がまだ発達途上にある人間からすれば、正直これはたまらないだろう。

生きることは苦であると説いたのはブッダである。

私達は誰もが自分自身の欲望を持っており、その欲望はしばしば他人と対立する。

対立した欲望は軋轢を産み、そこにザラザラとしたものをもたらす。ここに暴力性が皆無だという人はいまい。

しかし、同時にこの暴力の中にしか無いものがあるのも事実である。

私達は誰かと合うことで暴力性に触れて疲れる。そして自分一人の時間を作ってそれを癒やし、また暴力の渦へと突っ込む。

そうして私達はその暴力の渦の中から、豊かに生きるにおいて大切なものを獲得していく。

気の合う友人知人は当然として、パートナーに仕事の技術やコネ、承認欲求などなど…暴力の渦には魅力的でキラキラしたものが沢山詰まっている。

我々は皆、この暴力性に満ちた社会の狩人だ。

ブッダがいう通り、確かに生きる事は苦そのものではあるが、その苦から強制的に隔離された先にあるのも、残念ながらまた苦である。

何も持たぬものにとって「誰とも繋がれず、何も獲得できない」というのは繋がる苦以上のシンドさがあるに違いない。

婚活アプリは地獄そのもの

「とはいえ現代はネットが発達したんだから、結婚したいんならアプリとか使えばいいんじゃない?」

そう思われる方も多いだろう。確かにだ。

日本は諸外国と違って自粛はあくまで「お願い」であり、破って何かしたところで国から罰される事は無い。

しかし婚活アプリには別の地獄があるようだ。その事を痛感させられたのが下の記事である。

28歳年収650万非モテ男がマッチングアプリ始めた結果がヤバすぎる

この記事は婚活アプリでマッチングを試みた男が自尊心をメタメタにやられて惨敗したという悲しいものだ。

この記事の「この男側にも問題がある」というのは確かに事実だろうが、そもそもである。

28歳で年収が650万もある婚活男がマッチすらスタートできないというのは相当におかしい。

何が問題なのか。一つには選択肢があまりにも多すぎる問題があげられる。

選択肢が多すぎると人は何も選べなくなる

選択肢が多すぎると逆に人は選べなくなる。この事を証明したのがジャム実験だ。

<参考 選択の科学 シーナ・アイエンガー>

これはスーパーの試食で数種類のジャムと何十種類ものジャムを試食させるのを比較すると、数種類のジャムのみしか用意されてない時の方が売れ行きが良いという事が判明した実験である。

この例がわかりにくかったらジャンケンを考えてみれば良い。グー・チョキ・パーしか選択肢が無かったら

「この前はグー出して負けたから、パーを出そう」

とか

「コイツはなんかチョキを出しそうな顔をしてるから、グーにしよう」

という風に”考えた”上で”決断”がしやすい。

しかしである。逆にジャンケンの手が1000個あったらどうだろう。

戦略を考えようにも、あまりにも手が多すぎて何も考えられないのではないだろうか?

更に言えばだ。多くの人はそもそも1000個も選択肢があるジャンケンというゲームなんて”プレイしない”。

くじ引きとかサイコロとか、他のもっと手軽にできる勝負に流れるのが普通である。

選択肢がいろいろあることは一見すると大変に良い事のように思えるが、実際には多すぎる選択肢は人間を”思考”と”決断”から遠ざける。

そして人は当たりくじをハズレと誤認するようにすらなる。

多すぎる選択肢があると当たりくじですらボケてみえる

多すぎる選択肢の問題は”思考”と”決断”を難しくし、人の目を曇らせる。

そもそもである。この28歳年収650万男はデータから客観的に考えればどう考えても”当たり”だ。

大吉ではないかもしれないが、小吉~末吉ぐらいには及第点なはずだ。少なくとも凶や大凶ではない。

仮に選択肢が目の前に数個だけ用意されており、かつ選べる回数が1~2回程度であったなら…この人が選ばれない理由は多分ない。

それが目の前に膨大な選択肢と際限ない選択回数を提示されてしまったら…この当たりくじは見事にハズレにみえるようになる。

異常な環境にさらされると、普通の人間はそこそこの選択肢を”選べなくなる”。

ジャムなら…気に入らなければ捨てればいい。コンテンツなら…早送りなりネタバレを参照するなりで、ある程度は気苦労を減らしつつ、次に行けば良い。

だが結婚となるとそうはいかない。

結婚は基本的には皆一度きりで終わらせたい性質のものである。だからみな普通に大当たりを引いて、サッと終わらしたいと誰もが思ってしまう。

そんな条件下で膨大な選択肢を停止されると、目の前にある小吉や末吉が途端にハズレにみえるようになる。

選択肢多すぎ問題は人間の目に歪んだ色眼鏡をかけさせるのである。

アンパンマンみたいな分かりやすい世界じゃないと、人間は安心できない

僕が思うに、この28歳男性には基本的には何も問題はない。

そりゃ女性扱いが手慣れていないのは事実だろうが、そもそも初心者なのだからそういうものだろう。

これから徐々に慣れていけばいいだけの話である。

しかしこの記事への言及をみると、男性への批判が殺到している。

なぜみんなこんなにも男性が悪いと避難してしまうのか。

この現象は公正世界仮説から読み解くことが可能だ。

公正世界仮説は人間の行いに対して、公正な結果が返ってくると考えてしまう私達の持つ認知バイアスだ。

これがあるから、私達は成功した人間は「成功するに値する事をしたから成功した」と思い、失敗した人間を「失敗するような悪い事をしたに違いない」と思い込む。

原因と結果は必ずしも一致しない

本当の事をいえばだ。原因と結果は必ずしも一致するようなものではない。

極悪非道な事をやって幸せになる人間もいれば、物凄く真っ当に誠実な事をやって不幸になる人間もこの世にはいる。

しかし私達の脳はこの現象を基本的には認めたがらない。

そんな世界を認めてしまったら、いったい何が正しくて何が間違っているのか訳が分からなくなるからだ。

だから物語では基本的には正義は勝つものだし、悪は負ける。アンパンマンは脳に優しい物語なのである。

先の婚活話にも公正世界仮説が働いているからなのか、婚活男をバッシングする意見が物凄く散見される。

「失敗した人間は、失敗した原因があるに違いない」

そう思わないと、人間は安心できない。だから婚活男の粗を探し、失敗した原因を必死で探し出し、それを指摘して”安心”する。

「こいつが婚活に失敗したのは、こいつに悪い所があるからだ。あー、スッキリした」

と、そこで9割ぐらいの人が物語をアンパンマン化して納得して終わらせる。

失敗した人間は失敗するに値する人間だと認知できないと、脳は納得できないのである。
ってか、チャレンジしただけで本当はエラくないか?

しかしである。改めて考えてみて欲しいのだが、この婚活男はそもそもちゃんと戦に挑んでる時点で、かなり立派ではないだろうか?

そういう戦に挑んで、おまけに惨敗報告というこの世で最もツライ行為をやって、それで誰かから説教されるだなんて…ちょっと世の中が修羅すぎるにも程があるのではないだろうか。

昨今の若者は草食化が加速しているとよく言われている。

実際、「20代の若者のデート経験なし4割」という内閣府の報告もある。

これをもって「最近の若者はガッツが足りない」と言う人がとても多いのだが、冷静に考えてみて欲しい。

物凄く厳しい環境に晒されていて、その逆境にも関わらず勝負に挑んで、それで負けたら自己責任と言われるような社会で…果たして人間は挑戦なんてできるのだろうか?

本来なら、この婚活男性に本当にふさわしいのは「よく頑張った」という賞賛、あるいは「自分がいい女の子を紹介してあげるから、はよ私に連絡しな」という大人の手引のように自分は思う。

少なくともよっていたかって袋叩きにしているようじゃ、駄目じゃないかと自分は思う。
キレイで清潔な社会は、この世で最も怖い場所になった

当メディアでも執筆なさっている熊代先生の”健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて”という本がある。
健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて
健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

熊代 亨
イースト・プレス
価格¥1,980(2022/09/16 17:15時点)
発売日2020/06/17
商品ランキング12,979位

この本を通じて、熊代先生は現代日本がいかにキレイで清潔になっていっているかを書いている。

この本を読んでいた当初、僕は単純に「まあ、キレイな方が色々と便利だし、そういう方向に社会が流れるのも仕方がない」としか思わなかった。

しかし最近、キャンセルカルチャーやらコロナに伴う道徳警察の発生のようなものをみるようになって、自分はこの綺麗すぎる社会は若者にとってメチャクチャに怖い場所になってしまったのではないかと思うようになった。

何かをやったらぶっ叩かれるのは昔からの常ではあるが、現代の透明度合いはちょっと異常である。

イキることすら許されないし、誰も挑戦した事を褒めてくれない

ちょっと前まではバカッターといって、アルバイト中の若いのが不謹慎な行動をインターネット上にアップしてイキリまくっていた姿が散見されたけど、最近の若者は本当に静かである。

これは単にしつけが行き届いて若者が行儀よくなったというよりも、もうバカすらやれない位に現代日本はクリアになりすぎていて、徹底した恐怖の目が行き届いて、何かやろうにも恐怖で身がこわばるような環境になってしまったと考えるほうが妥当ではないだろうか?

社会が不潔だった頃はよかった。バカをやったら仲間からは称賛されつつも、有識者から「そういう事はやっちゃ駄目だぞ」と裏に呼び出されつつも「けどまあ、自分も若い頃はそういう事をやったもんだ」と秘密裏にやらかしを処理してもらえた。

こうして人はヤンチャを程よく発散できていた。また年配者も「若いってそういうもん」と、表ではキチンと説教はしつつも、裏で挑戦を褒めていた。

しかし冒頭であげた婚活事例のように、現代ではヤンチャをやろうにも加害と避難され、かつ誰も年配者は後始末も手引もしてくれない。

それどころか本来なら支援すべきはずの大人がよっていたかって若者を叩く側に回るのだから…冗談抜きで僕は今の日本は若者にとって、ガチで怖いだけの場所になっているのではないかとすら思う。

それこそ世界で一番ヤバイかもしれないぐらいに、だ。

本当に、難しい世の中である。

こんな世の中で挑戦しろとか結婚しろという方がムチャだ。

救いはもう、ペットにしかないのかもしれない。

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テレワークで行き場失う承認欲求

テレワークで行き場失う承認欲求 偉さ誇る時代の終わり テレワークと承認欲求(上) 同志社大学政策学部教授 太田 肇
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXZQOCD237TV023052022000000

『2022/7/4

 新型コロナウイルス禍を受けて、半ば強制的にテレワークが導入されてからおよそ2年が経過した。コロナ禍が落ち着きを見せるとともに大都市圏では通勤ラッシュが復活し、オフィスにもにぎわいが戻ってきた。会社が対面での働き方に戻し、出社を求められるようになった会社員も多いだろう。

テレワークの普及で管理職が「偉さ」を誇る時代は終わりつつある(写真はイメージ)

 各種の調査から分かってきたのは、テレワークでどうしてもできない仕事はさほど多くないという事実だ。営業や窓口業務のほか、製造や建設現場の仕事ですらリモートでこなせるようになっている。むしろテレワークの定着を妨げる「見えない壁」が社会的・心理的な要因の中にあることが分かってきた。

 拙著『日本人の承認欲求 テレワークがさらした深層』(新潮新書)は、社員の承認欲求、とりわけ職場という共同体の中で自分の存在感を示そうとする日本人特有の表れ方がテレワークの普及を妨げていることを明らかにした。さらにテレワークだけでなく、組織のスリム化やムダの削減といった改革にも少なからぬ影響を与えている。

 その一端は次の調査結果からもうかがえる。パーソル総合研究所(東京・港)が2020年3月にテレワークを行っている人を対象に行った調査では、回答者の4分の1以上が「私は孤立しているように思う」「私には仲間がいない」と答えた。テレワークの頻度が高いほど孤立感も強くなる傾向がみられた。

 なかでも管理職がテレワークの影響を強く受けていることは、「必要がないのに出社を命じられる」「リモート飲み会の開催を執拗に迫られる」といった部下が口にする不満の声からもうかがえる。

 管理職の承認欲求はこれまであまり注目されてこなかったが、他の欲求に勝るとも劣らない力で人の態度や行動に影響を及ぼすことが明らかになってきた。わが国特有の組織・社会構造によって欲求が前述した独特の表れ方をすることもわかってきた。

 「序列」意識させる大部屋オフィス

 本人がどれだけ意識しているかはともかく、日本企業の管理職にとって会社は自分の「偉さ」を見せびらかす場であり、それによって承認欲求を満たしているといってよい。地位の序列は「偉さ」の序列であり、大部屋で仕切りのないオフィスは序列を見せびらかすのに適した構造になっている。部下は上司の一挙手一投足に注目し、ひと言ひと言に耳を傾けてくれる。自分が仕切る会議やイベントは管理職にとってはハレの舞台だ。

 程度の差はあれ、非管理職や若手社員も意識は同じだ。社内での地位は低くても下請け企業や取引先に会社のブランドをひけらかすことがある。若手社員も新人が入ってきた途端にがぜん張り切り、先輩風を吹かす。先輩が新入社員を公私両面で指導するメンター制度も、メンティー(指導される側)はともかくメンター(指導する側)のモチベーションは明らかにアップする。

 背景にタテ社会と共同体型組織

 自分の「偉さ」を見せびらかすことによって承認欲求を満たす日本人サラリーマンの志向と行動特性は、日本の組織・社会特有の構造から生じている。

 一つは、わが国がいわゆる「タテ社会」(中根千枝著『タテ社会の人間関係』)だということである。社内の上司と部下の関係だけでなく、元請けと下請け、顧客と店舗、さらには取引先との間でも上下関係ができ、そこから「偉さ」の序列が生まれる。敬語や言葉遣いにそれが象徴的に表れる。要は「対等」という概念がないのだ。接待や宴会は「偉さ」を見せびらかす場でもある。

 もう一つは会社がイエやムラのような共同体としての性格を備えていることである。日本企業はいまだに終身雇用の枠組みを残しており、転職や中途採用などメンバーの入れ替わりが少ない。メンバーが固定化すると、自然に「偉さ」の序列ができる。

 このようなタテ社会と共同体型組織は、かつての工業社会、とりわけ少品種大量生産型システムとは相性がよかった。決まったものを正確に作るには、軍隊のような上意下達の規律正しい組織が効率的だった。単純な事務作業が中心のオフィスも同じだ。』

『ところが、ネットの世界は基本的にフラットである。テレワークはタテよりヨコの関係で進められる。これまで管理職が担ってきた情報の集約、伝達、仕事の配分といった仕事の多くは不要になり、組織の階層は少なくて済む。当然、管理職の数も減る。その結果、「偉さ」の源であるシンボルが消滅していく。

 テレワークだと物理的にも、社会的・心理的にも共同体の境界があいまいになる。上司からすると自分の存在を認めてくれる部下は目の前にいないし、部下は社外の人たちとネットワークを築いていく。情報・ソフト系の企業などでは、もはや会社の内と外との境界さえわかりにくくなっている。そのようななかで自分の「偉さ」を示そうとすると部下たちは離れていくか、下手をするとパワハラ扱いされるのがオチだ。

 健全な承認欲求を原動力に

 とはいえ、「見せびらかしたい」という意識は米国の心理学者アブラハム・マズローのいう「尊敬の欲求」(承認欲求の一部)からくるもので、それ自体を否定すべきではない。そもそも「欲求」である以上、食欲や性欲などと同様に捨て去ることは難しい。問題は人格的な上下関係に基づく「偉さ」を誇るところにあり、人格的に対等な関係の中で個々人が能力や業績、個性などを認められる場をつくればいいわけだ。

 ある機械メーカーでは、製造した機械に製作者の名前を入れて出荷するようにしたところ、若手の離職者がほぼゼロになった。毎月研究会を開いてメンバーが順番に自分の実績や得意なことを発表している職場では、メンバーの帰属意識や一体感が目にみえて高まったという。

 新たに表彰制度を取り入れた会社では「社員が失敗を恐れず挑戦するようになった」「社員のモチベーションが上がって業績がV字回復した」といった声が聞かれる。

 スポーツや芸能などの世界を見れば分かるように、「自分をアピールしたい」という欲求は活躍と成長の原動力にもなる。コロナ下のテレワークで従来の価値観や行動様式が通用しなくなった今こそ健全な形で承認欲求を満たせる場を広げていきたい。
太田肇(おおた・はじめ)
同志社大学政策学部・同大学院総合政策科学研究科教授。神戸大学大学院経営学研究科修了。経済学博士。専門は組織論、とくに「個人を生かす組織」について研究。日本労務学会常任理事。組織学会賞、経営科学文献賞、中小企業研究奨励賞本賞などを受賞。『「承認欲求」の呪縛』(新潮新書)、『「ネコ型」人間の時代』(平凡社新書)、『公務員革命』(ちくま新書)、『「見せかけの勤勉」の正体』(PHP研究所)、『個人尊重の組織論』(中公新書)、『「超」働き方改革』(ちくま新書)、『同調圧力の正体』(PHP新書)など著書多数。近著に『日本人の承認欲求 テレワークがさらした深層』(新潮新書)。』

記者も狙われた、ロシアのスパイ120人が日本潜入 手口を徹底解説

記者も狙われた、ロシアのスパイ120人が日本潜入 手口を徹底解説
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00372/081800010/?n_cid=nbpds_top3

『吉野 次郎

日経ビジネス記者

警視庁は先ごろ、ロシアのスパイとみられる人物がハイテク企業周辺の路上で社員に声をかけているとして、各社に注意を促した。飲み友達になるなどして社員を手なずけ、最終的に社外秘の資料を持ち出させる。そんな巧みな人心掌握術を身につけるロシアのスパイらが日本各地で暗躍する。彼らを監視していた警視庁OBによると総勢約120人に上る精鋭たちである。

日本を舞台に太平洋戦争直前まで暗躍していたソ連の伝説的スパイ、リヒャルト・ゾルゲのいわば後輩たちだ。先輩から後輩へと受け継がれたたらし込みのテクニックを知ることが、身を守る第一歩となる。警察に逮捕され、「スパイの協力者」の汚名を着せられてからでは遅い。

実は記者もスパイから接触を受けていた。

 「あの人たちはのんびりしていて気持ちよさそうだね」

 東京・港区虎ノ門を歩いていた記者に、スーツ姿の見知らぬ白人男性が、英語で気さくに話しかけてきたのはある秋の日のことであった。

 ベンチで日なたぼっこする人々に視線を向けながら、季節についてとりとめもない話を振ってきた後、「申し遅れました。私はイワン・クラコフスキー(仮名)。『ワーニャ』と、愛称で呼んでほしい」と言って、旧共産国の駐在武官だと記された名刺を差し出した。
記者は路上で見知らぬ白人男性から話しかけられた。写真はイメージ(写真:アフロ)

 この旧共産国では、駐在武官のポストが軍諜報(ちょうほう)部門の「指定席」になっていることは知っていた。このためワーニャが軍所属のスパイであろうことは、すぐに察しがついた。

 そのころ記者は、サイバー防衛政策に影響力を持つ自民党の国防族などを取材していた。旧共産国のスパイが興味を持ちそうな内容の署名記事が多かっただけに、ワーニャが記者の身元を分かっていた上で、偶然を装って話しかけてきた可能性もあると感じた。

 そんな直感はおくびにも出さないまま記者も名刺を渡し、世間話に付き合ってみた。雑誌記者という職業に興味津々の、来日間もない駐在武官を演じるワーニャは、一通り話し終えてもまだ話し足りないそぶりで、再会を提案してきた。

銀座でスパイと腹の探り合い

 数日後、銀座の日本料理店で再会したワーニャは、会話の端々で記者の暮らしぶりについて探りを入れてきた。

 「あなたが今住んでいる家の家賃はいくらくらいですか?」「支払いに苦労していませんか?」

 ワーニャ自身は高級住宅に住んでおり、自由に使える資金が豊富にあるという。記者からカネで情報を買う意思があることを、それとなく伝えてきているようだった。

この記事の連載
吉野次郎の新ニホン論

ありきたりの正論や定説にとらわれていないか。慣れ親しんだバイアスを捨て去り、この国が抱える様々な…(※ 無料は、ここまで。)
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「昭和たたき」なぜ今 迫られる変革、学び直しがカギ

「昭和たたき」なぜ今 迫られる変革、学び直しがカギ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD1628O0W2A610C2000000/

 ※ 『歴史の大局をみれば「もはや昭和ではない」より「もはや徳川ではない」の方がしっくりくる。』…。

 ※ ホントだよな…。

 ※ ザンギリ頭を叩いてみて、よくよく考えよう…。

 ※ しかし、オレは自分のことを、「令和(の世、にもかかわらず)のサムライ」だと思っているがな…。

 ※ そういう意味じゃ、「江戸」を引きずって、生きているわけか…。

『もはや昭和ではない――。内閣府は6月に公表した男女共同参画白書にこんなフレーズを載せて「脱・昭和」を呼びかけた。令和のいま、働き方や女性活躍といった文脈では「昭和たたき」とも言える表現が噴出する。脱・昭和の現状と課題を識者らに聞いた。
働き方や育児・介護の役割分担「昭和のまま」

「新しい上司が頭昭和でほんとやだ」「滅私奉公で昭和的な働き方」――。ツイッターにあふれる職場への愚痴を見ると、「昭和」は1つのキーワードになっている。新型コロナウイルス感染「第7波」下でもテレワークをさせてもらえない、残業をいとわない姿勢が評価される。そうした働き方を象徴する表現として登場する。

「昭和の社会モデルをアップデートしてこなかったばかりに、ひずみがあちこちで起きている」。こう話すのは健康社会学者の河合薫さん(56)だ。著書「コロナショックと昭和おじさん社会」では、新卒一括採用で終身雇用の男性正社員が企業の中心メンバーだった昭和のモデルと実態の食い違いが、コロナ禍で明るみに出たと記している。
(注)内閣府の資料より作成

2020年2月に政府は感染拡大を防ぐため、全国の小中学校などの一斉休校を要請した。河合さんは子どもの世話で仕事を続けられないと困惑する母親たちの姿を見て、「これが女性活躍を掲げる令和の姿か」と疑問を抱いたという。

昭和時代は専業主婦の妻が介護や育児を担う役割分業が主流だった。今も女性が家族のケアを中心的に担う構造が続くことに、河合さんは「共働きが主流になって久しいのに、価値観もシステムも昭和のまま」と指摘する。
「昭和世代も変化の必要性実感」 人手不足やデジタル化が外圧

「長時間労働で休みが取れない」「社内飲み会に参加が必須」は昭和的イメージ――。企業向けのビジネスチャット機能サービスを手掛けるワークスモバイルジャパン(東京・渋谷)が22年4月、全国の中小企業に勤める20~59歳の正社員に行った調査では、39.4%が自身の勤め先を「昭和的」だと評価した。このサービスの導入を検討する経営者には昭和時代に社会人になった世代が多い。

実際は、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)によると「少子化による人手不足やコロナ禍のデジタル化といった社会変化を外圧に、昭和世代の間にも『新しい知識を学ばなければ生き残れない』という危機感がある」とする。「昭和からの脱却」というワードは、変化の必要性を感じている昭和世代にも受け入れられやすいと分析する。

それでは平成生まれは昭和をどのように受け止めているのだろうか。毎月200人超のZ世代(1990年代半ば以降生まれ)に話を聞く「シブヤ109ラボ」所長の長田麻衣さん(31)は「教科書で学んだ、誰もが豊かになった右肩上がりの良い時代とのイメージも強い」と話す。

「高成長期に『24時間働けますか』と頑張ったり、バブル景気に沸いてキラキラしたお立ち台で踊ったり。不景気しか知らない私たちが昭和レトロを楽しむのは、当時の明るい雰囲気を楽しむ要素がある」と語る。

一方で、「『結婚して子どもを産むべき』『プライベートを多少犠牲にしても働くべき』といった私的領域への干渉の強さが昭和の感覚なのかなと思う」とする。「そういった空気に、窮屈だと感じている若者が多い」という。

昭和の慣習や考え方をどう乗り越えればよいのか。牛窪さんは「学び直しが一つの解となる」と語る。あらためて今の時代に目を向け、デジタルトランスフォーメーション(DX)による生産性向上、SDGs(持続可能な開発目標)を意識した商品開発、多様性重視の組織作り、などの今日的な課題に向き合うことが結果として脱・昭和に結びつくという。
高度成長期への意識変化促した「もはや戦後ではない」 
今年度の男女共同参画白書は、昭和時代の意識や家族の形の前提が大きく変化した実態をデータで示した。2020年の婚姻件数は戦後最少で、40年前に比べて単身世帯の割合はほぼ倍になった。サラリーマンの夫と専業主婦からなる世帯数が大幅に減少し、共働きが大半になった。
白書に記した「もはや昭和ではない」は、1956年の経済白書の「もはや戦後ではない」をなぞっている。戦後復興は終わり、高度経済成長が始まったとのメッセージは当時の流行語にもなった。

「もはや徳川ではない」 歴史家・磯田道史氏の話

磯田道史 国際日本文化研究センター教授

昭和の遺産を生かしつつ、負の遺産からの脱却を目指す時期に来ている。変革のために過去を否定するのは日本史でも世界史でもよく見られる。明治は江戸の世を「因循姑息(いんじゅんこそく)」と呼び、世襲や因習を文明の知識や技術で変えようとした。明治初期の素朴な進歩思想だ。根底には、人間社会は知性と理性で自由や権利を獲得していく方向へ発展する、との考えがあった。

令和の今、日本で起きているのは江戸期以来400年続く「イエ意識」の最終崩壊だ。墓じまいがその象徴だ。1600年代に家族農業をやるために普及した男女別の役割ルールが消滅しつつある。歴史の大局をみれば「もはや昭和ではない」より「もはや徳川ではない」の方がしっくりくる。
(松浦奈美)』

反社会的宗教団体を法規制”10個の基準”とは?

反社会的宗教団体を法規制”10個の基準”とは?フランス「反カルト法」は日本でも可能?
https://www.fnn.jp/articles/-/396825

『日本だけでなく、世界各国で活動を続ける「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)。
なかでも、フランスでは…

UNADFI(カルト被害者と家族を守る協会)元副会長ジュグラ氏:

1980年から85年にかけて、入信した子供と連絡を取りたくても、どうしても取れない両親が出始めました。このような経験をした両親らによって意識が高まり、フランスでは政治レベルまで問題意識が高まったのです

こう語るのは、元弁護士でありフランスで「反セクト法」なる法律を作るきっかけとなった団体「カルト被害者と家族を守る協会」の元副会長ジュグラ氏。

「反セクト法」の「セクト」とは社会的に警戒を要するカルト団体のこと。
つまり「反セクト法」とは、「反カルト団体法」という意味になるのだが、立法のきっかけとなった、この協会が生まれた理由は…

UNADFI元副会長ジュグラ氏:

子供が統一教会に入り、連絡が取れなくなった両親たちから始まりました。しかも、政府が興味を持ったのは、極右政党の幹部の1人がフランスの統一教会の代理人だったのです

実はフランスでも、きっかけは旧統一教会であり、これまた日本と同じく政界とのつながりがあったからだという。

旧統一教会と政界の関わり

日本では、安倍元首相の銃撃事件以来、様々な政治家が旧統一教会との関係について、言い訳とも、開き直りとも取れる発言を繰り広げてきた。

自民党 福田達夫総務会長:
統一教会さんと関係があるのではなくて、統一教会で信教の自分の自由を行使している方が応援してくれているんだけど、「これは統一教会さんから応援を受けてくれるということになるのかねぇ…」とかいう話もありまして

自民党 木原誠二官房副長官:

政府として“反社会的勢力”という言葉をあらかじめ限定的かつ統一的に定義することは困難であると考えておりまして…

政治家のこれらの言い分に、国民は納得できるのか?
フランスの「反カルト法」できるまで

そこで今回、Mr.サンデーでは法案成立のきっかけとなった団体の関係者と専門家たちを緊急取材。果たして、日本でも同じような法律は作れるのか?

そもそも、旧統一教会がフランスに広がったきっかけは何だったのか?

教えてくれたのは大阪大学大学院法学研究科の島岡教授。

大阪大学大学院法学研究科 島岡まな教授:

いわゆる1968年のパリ革命ってご存知でしょうか?パリ大学の学生が校舎に石を投げた、それが始まりなんですよ。それまで権威とされてきた教授とかが権威が落ちて、学生が中心になってきた。やっぱり不安を感じるじゃないですか、それぐらいの大きな出来事があると。鬱になったり、そういう人が増えた時にスッと入り込んできたのが統一教会だと言われています

時は、1960年代…                                    日本で学生運動の嵐真っ只中だった頃、フランスでもまた学生運動が広がり、不安を抱える人々が増えていたという。

大阪大学大学院法学研究科 島岡まな教授:                       その人たちを集めて、慰めるような感じで広まって、70年代にかなりフランス社会に浸透してきたらしいんですよね、統一教会が

しかも、その時のフランスは…

同志社大学神学部 小原克博教授:
当時できた言葉ですけど、“マインドコントロール”みたいなことをして、進路を大きく変えてしまったりとか。学業放棄であるとか、職場に来なくなって宗教活動にのめり込んでいったりとかですね、人生が大きく変わっていくような人たちが出てきました

こう語るのは、同志社大学で神学を教える小原教授。

では、日本の政治家たちがあれほど難しいと言っていた問題に、フランスはどう立ち向かったのか?

大阪大学大学院法学研究科 島岡まな教授:
「問題を“信教の自由”とは全く切り離して、それは全く侵せないっていうことが大前提で、それとは別に、このような指標があれば、これは信教ではなくて。実はもう反社会団体なんですよっていう、そういう切り込みで浸透させていった」
“教え”ではなく“反社会的”かどうかで判断

1995年、フランス政府が行ったのは「いい宗教」か「悪い宗教」か、教えの内容を判断するのではなく、その団体が反社会的な行動をしているかどうかでジャッジをする方法だった。

判断基準となるのは、以下の10項目。

①精神的不安定化

②法外な金銭要求(献金など)

③元の生活からの意図的な引き離し

④身体に対する危害

⑤子供の強制的な入信

⑥反社会的な説教

⑦公共の秩序を乱す行い

⑧重大な訴訟違反

⑨通常の経済流通経路からの逸脱(高額な物品販売など)

⑩公権力への浸透の企て

日本でカルトと言われる団体にも当てはまる活動ばかりだが、フランスではこの1つにでも該当すれば「セクト」、つまり「カルト団体」のリストに載ることとなり、1995年当時その数は172にも上ったという。

確かに、こうした団体のリストがあれば政治家が、信教の自由などとは関係なく、付き合ってよいかどうかを判断出来る。こうした準備を元に「反セクト法」がフランスで施行されたのが2001年。それ以来…

同志社大学神学部 小原克博教授:

きちんと国家が監視の目を光らせているぞというようなものが非常に強く伝わった結果だと思うんですけれども、少なくとも表に出てこなくなったという点では、一定の効果があったというふうに言っていいと思いますね

そして、表に出なくなった理由については…

UNADFI元副会長ジュグラ氏:

統一教会は、フランスで得られるものはたいしたことはない。なのでここに投資しても意味がないとなったのでしょう

大阪大学大学院法学研究科 島岡まな教授:

日本みたいに、やりやすいからこそどんどん増えたわけであって、やりにくかったら普通やめますよね。無駄なことやってもしょうがないから

こうしたことからフランスでは旧統一教会の規模が縮小していったという。
良いことばかりにも思えるが、専門家の主張には異なる点もある。小原教授は、こうした法律の日本への導入については、慎重さも必要だという。

同志社大学神学部 小原克博教授:
フランスの場合は日本とは違う形で、非常に厳格な政教分離をしてきたっていう歴史があるので、こういったもの(法律)も成立できるわけです。日本の場合、そもそも政教分離をどう考えるかっていうところの議論をしないと、こういった強烈な法案、法律って作れないと思うんですよ

確かにフランスでは、1世紀以上前から政教分離が徹底され、例えば大統領の就任式でも、アメリカの様に聖書に手を置くなどといった宗教的な式典は一切ない。さらに難しいというのが…

同志社大学神学部 小原克博教授:
それが過剰に適用された場合に、いわゆる信教の自由が侵害されるのではないか。それから、実際にはセクトかどうかっていうのは、どうしても曖昧な部分がありますので、それが無制限に広がっていった場合に、結果的に魔女狩り的なものへと道を開くのではないかというですね

逆にカルトと見抜けなかったのが、後に教祖が死刑にまでなったオウム真理教だという。
同志社大学神学部 小原克博教授:
(当時は)専門家もですね、オウムは非常にユニークな宗教なんだからいいんじゃないかみたいな、非常に肯定的な意見を言った人も結構いますし。問題があるかっていうことをきちんと見分けるっていうことが非常に難しいと。それがオウムが教えてくれた教訓の1つなんですね

どんな専門家を集めてもある団体をカルト認定することの難しさ。しかし、だからといってこうした問題を見過ごしていていいのだろうか?

大阪大学大学院法学研究科 島岡まな教授:

だから(宗教本体ではなく)違法行為を中心に考えればいい。フランスと全く同じような切り口でやっていけばいいと思いますし。本当に困っている人を助けましょうっていう精神なので。ぜひそのカルト法は必要だと思っています

もともと、「我が子を取り戻したい」と願う親の訴えで始まったフランスの「反セクト法」。
その成立に尽力した協会の元副会長は取材の最後に、こう言い切った。

UNADFI元副会長ジュグラ氏:
各国政府は、宗教という仮面の裏に“権力を握りたい”という思惑があることを認識しないといけません。カルトは自立した個人の人格を全否定し、自由意思を侵害しているのです

(「Mr.サンデー」7月31日放送分より)
Mr.サンデー

フジテレビ情報制作局が制作する日曜夜のニュース・情報番組。毎週・日曜日よる10時放送中。キャスター:宮根誠司/三田友梨佳 ゲスト:木村太郎(ジャーナリスト)など 』

日本の国民の税負担率。世界でみると多い? 少ない?

日本の国民の税負担率。世界でみると多い? 少ない?
https://financial-field.com/tax/entry-147052

『消費税や所得税、固定資産税や贈与税など、大抵の国では生活するためには必ず税金を負担しなければなりません。

日本では消費税率が2019年に10%に引き上げられるなど、過去に比べて税金の負担が重くなったと感じている人も多いのではないでしょうか。

そこで、日本における国民の税負担率は主要諸国のなかではどの程度の水準にあるのでしょうか。詳しく解説します。

FINANCIAL FIELD編集部

執筆者:FINANCIAL FIELD編集部

高橋庸夫

監修:高橋庸夫

ファイナンシャル・プランナー

目次 [非表示]

1 日本国民の税負担率はどれくらい?
2 主要諸国との比較からみえる日本の税負担率
3 対GDP比の国民負担率は主要諸国と遜色ない?
4 情報をしっかり読み取ろう! 国民負担率の国際比較から分かること

日本国民の税負担率はどれくらい?

国民の税負担率とは、その国に暮らしている国民が、所得に対してどれだけ税金を負担しているかという指標です。

ここでいう税負担とは、消費税や所得税といった租税負担に加えて、健康保険や年金のような社会保障負担も含まれます。日本では、毎年財務省から過去の実績、その年の実績見込み、そして来年度の見通しが同時に発表されます。

財務省が令和4年(2022年)2月に公表したデータによれば、令和3年度(2021年度)における国民の税負担率は、実績見込みの数値で48.0%です。これは令和2年度(2020年度)の実績負担率47.9%を超える過去最高を記録する見通しです。つまり、日本国民が背負っている税金や社会保障費の割合は増えているということになります。

主要諸国との比較からみえる日本の税負担率

それでは、主要諸国と比べて日本の税負担率はどのような位置づけにあるのでしょうか。比較検討が可能な令和元年(2019年)の数値で、主要諸国と日本の税負担率を比べてみましょう。

財務省が公表した国民負担率の国際比較によれば、アメリカが32.4%にすぎない一方で、ドイツでは54.9%、スウェーデンが56.4%、フランスに至っては67.1%という高い水準が並んでいます。イギリスも46.5%と日本の2019年度時点の税負担率44.4%より高水準を記録しており、この国際比較によれば日本の税負担率は決して多いとはいえないようです。

また、経済協力開発機構(OECD)加盟国の国際比較では、日本の国民負担率は36ヶ国中25番目という水準です。ちなみに、最も高いルクセンブルクの国民負担率は、何と93.4%と記録されています。

対GDP比の国民負担率は主要諸国と遜色ない?

日本で公表されている国民負担率は、税金と社会保障を国民所得で割り出して算出しています。ただし、この計算方法は日本独自の規格で、諸外国は対国内総生産(GDP)比から国民の税負担率を算出するのが一般的です。この対GDP比からみた国民負担率の場合、日本は諸外国とほとんど変わらない水準となります。

つまり、一見すると日本は税負担の少ない国のようにみえますが、諸外国と同様の計算方法で割り出した場合、日本国民が背負っている税金の負担割合は意外と大きいということです。

また、超高齢社会の到来で、日本の税負担や社会保障負担はさらに大きくなると予想されています。2019年時点では主要諸国と同水準でも、高齢化が進んだ未来では税率の高い欧州諸国より日本の国民負担率は大きくなっているかもしれません。

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情報をしっかり読み取ろう! 国民負担率の国際比較から分かること

国民負担率の国際比較は、日本の税負担が世界でどの程度なのかを知ることができます。ただし、日本は諸外国とは計算法が異なる数値を公表しているので、単純に財務省が発表している数字をみているだけでは、本当の意味での国民負担率は分かりません。

高齢化が進めば、税の負担率はさらに高くなると予想されるので、情報をしっかり読み取りながら今後もデータを注視していく必要があるでしょう。

出典

財務省 国民負担率の国際比較 https://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/futanritsu/sy202202b.pdf 

財務省 国民負担率の国際比較(OECD加盟36ヵ国) https://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/futanritsu/sy202202c.pdf 

執筆者:FINANCIAL FIELD編集部

監修:高橋庸夫
ファイナンシャル・プランナー』