ロシアで復活の兆しを見せるソ連式の「市民権剥奪」刑

ロシアで復活の兆しを見せるソ連式の「市民権剥奪」刑
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/29802

『ロシアの民主化活動家ウラジーミル・カラムルザが米ワシントンポスト紙に「プーチンは彼の批判者にソ連型の処罰を計画している」との論説を3月13日付で寄稿している。論旨は次の通り。

 プーチン政権が復活させていないソ連の異議抑圧の慣行はほとんどない。一連の厳しい新法が特にウクライナ戦争に関し政府を公に批判することを犯罪にしている。政治的反対は今や反逆罪と同一視されている。抑圧的なソ連の慣行だったクレムリンへの反対者の市民権剥奪も近いうちに戻ってきそうだ。

 エリツィン大統領(当時)が1993年に承認したポスト・ソ連の最初の憲法は、市民権の剥奪を明示的に禁止した。この規定は今もある。言論の自由や集会の自由を保証する法律もある。しかし、プーチン政権はこの2つの自由を否定している。クレムリンが市民権の原則を、侮蔑をもって扱う事を止めるものは何もない。

 クレムリンの法律家は間もなく、市民権の憲法上の保護を形式的に破らずに中立化する方法を考えつくだろう。ロシア議会は帰化したロシア人の市民権の解消の根拠を拡大するプーチン提案について投票を行う。更に、生まれながらのロシア市民にも措置を拡大することも提案されている。

 独裁は忠誠を愛国心と同一視する。そのような世界観では、どんな政治的反対者も必ず「反逆者」になり、市民権は政権の気まぐれで褒賞として与えられるか、罰として取り上げられる。ここでもプーチンはソ連の道を辿りそうである。

 しかしわれわれはこれがどう終わるか知っている。ソ連崩壊の直前に、政治的理由で市民権を剥奪されたすべての人がその地位と権利を公的に回復した。

 作家コルネイ・チュコフスキーは「ロシアでは永く生きなければならない。そうすると何かが起こる」と言ったことがある。彼はわれわれの国で周期的に起こる地殻的歴史変動に言及している。過去数十年、変化のペースは大きく加速した。次の変革はいつでも起こる可能性がある。

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 この論説は、特にウクライナ戦争開始後、ロシア国内で締め付けがきつくなっていること、ソ連時代の市民権剥奪という処罰も復活しそうであることを指摘している。そのようになる可能性が高いと考えられる。

 ソ連時代には、クレムリンへの反対者を収監する政治的コストが高くつく場合、彼らの市民権を剥奪することが広範に行われてきた。』

『ソ連においては市民権剥奪を禁止するものはなかったが、今はエリツィン時代のロシア憲法がそれを明示的に禁止している。この憲法を改正しないで、法律によって、帰化した人であれ出生により市民権を得た人であれ、市民権を剥奪することは憲法違反である。

 こういうことを平気でやるロシアは、いわば無法地帯になっているといってよい。このほかに、言論の自由、集会の自由などの憲法の人権条項は、今は簡単に無視され、反戦集会などは政権の弾圧で蹴散らされている。

 民主主義は人権の尊重と選挙による政権交代で担保されるが、選挙の公正性もインターネット投票の操作によって著しく傷つけられている。

プーチンが法を尊重することはない

 法の支配(Rule of Law)と法による支配(Rule by Law)は違うが、プーチンは法も支配の道具と考えているのではないかと思われる。

 日本はエリツィン時代、北方領土問題について法と正義に基づく解決をロシア側に求め続け、1993年の東京宣言にはそう書いてあるが、プーチンはそういう考えに立ち戻ることはないと思われる。

 この論説の最後にカラムルザはチュコフスキーを引用し、ロシアでは周期的に地殻変動的な変化が起きる、そして歴史の進行が加速する中、そういう変化はいつでも起こうると書いている。この観察も的中する可能性がある。ウクライナ戦争の帰趨はプーチン政権の今後に大きな変化をもたらしかねない。』

法の支配

法の支配
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%94%AF%E9%85%8D

 ※ 以下の記述は、もっぱら「国内法体系」における「法の支配」の説明のようだ…。
 ※ 「国内法における法の支配」ですら、こういうもの(多義的、多解釈の対立、収斂せずに拡散する)だ…。

 ※ いわんや、「国際法」においておやだ…。

『法の支配(ほうのしはい、英語: rule of law)は、専断的な国家権力の支配を排し、権力を法で拘束するという英米法系の基本的原理である。法治主義とは異なる概念である。

「法の支配」とは、統治される物だけでなく統治する側もまた、より高次の法によって拘束されなければならないという考え方である[1]。大陸法的な法治主義とは異なり、法の支配では法律をもってしても犯しえない権利があり、これを自然法や憲法などが規定していると考える[1]。

法の支配における「法」[注釈 1] とは、全法秩序のうち、「根本法」と「基本法」のことを指す[2]。

法の支配は、歴史的には、中世イギリスの「法の優位」の思想から生まれた英米法系の基本原理である[3]。

法の支配は、専断的な国家権力の支配、すなわち人の支配を排し、全ての統治権力を法で拘束することによって、被治者の権利ないし自由を保障することを目的とする立憲主義に基づく原理であり、自由主義、民主主義とも密接に結びついている[3]。

法の支配は、極めて歴史的な概念で、時代や国、論者により異なる様相を呈する多義的な概念である点に留意が必要である[3]。

歴史

古代

「法の支配」の原型は、古代ギリシアのプラトン[4] やアリストテレスの思想[注釈 2] を経て発展したローマ法やヘレニズム法学に求める見解や[5]、古き良き法に由来する中世のゲルマン法に求める見解もあり、一定しない。

市民の誰が支配するよりも、同一の原則である法が支配する方が適切だ。仮に特定の人々に最高権力を置く利点がある場合には、彼らは法の守護者および執行者としてのみ任命されるべきである。
— 政治学、アリストテレス、3.16

我々が自由であるために、我々は皆、法の奴隷でなければならない。(ラテン語: Omnes legum servi sumus ut liberi esse possumus)
— キケロ、[6]

中世

「法の支配」が、明確な形としてあらわれたのが中世のイギリスにおいてであることには、ほぼ異論がない[7]。

ヘンリー・ブラクトンの「王は人の下にあってはならない。しかし、国王といえども神と法の下にある」という法諺が引用されるように少なくとも中世のイギリスに「法の優位」(Supremacy of Law) の思想は存在していたとされる[8]。

中世のイギリスでは、国王さえ服従すべき高次の法(higher law)があると考えられ、これは「根本法」ないし「基本法」(Fundamental Law)と呼ばれ、この観念が近代立憲主義へと引きつがれるのである[2]。そのため、法の支配は、立憲主義に基づく原理とされている[3]。

当時はボローニャ大学で、ローマ法の研究が進み、1240年にローマ法大全の『標準注釈』が編纂されると、 西欧諸国から留学生が集まるようになり、英国にもオクスフォード大学、ケンブリッジ大学が相次いで設立されるなどしてローマ法の理論が研究され、一部持ち込まれたという時代であるが、既に英国全土の共通法ともいえるコモン・ローの発展を見ていた英国では、大陸において発展した「一般法」(ユス・コムーネ、jus commune)を取り込む必要は乏しかった。

そのため、後にローマ法に由来する主権の概念とコモン・ローとの緊張関係が問題となったが、英国では、「法の主権」の概念の下、「法の優位」が説かれたことがあった。

しかし、その思想は、封建領主と領民との間の封建的身分が前提とされた関係理論に基づいていたのであって、マグナ・カルタにおいては、バロンの有する中世的特権の保護するために援用されたのである。また、その思想は、被治者の権利・自由の保護を目的としていたわけではなく、道徳・古来の慣習法と密接に結びついた当時のキリスト教的な自然法論と親和性のあるものであったのである[2]。

以上に対し、被治者の権利・自由の保障を目的とする近代的な意味での「法の支配」は、中世以後徐々にコモン・ロー体系が確立していったイギリスにおいてマグナ・カルタ以来の法の歴史を踏まえ、中世的な「法の優位」の思想を確認する形で、16世紀から17世紀にかけて、法曹によって発展させられた[2]。

1606年、エドワード・コーク卿は、王権神授説によって「国王主権」を主張する時の国王ジェームズ1世に対し、ブラクトンの法諺を引用した上で、「王権も法の下にある。法の技法は法律家でないとわからないので、王の判断が法律家の判断に優先することはない。」と諫めたとされる[9][注釈 3]。

ここでは、コモン・ロー裁判所裁判官の専門的法判断の王権に対する優位が説かれており、中世的特権の保護から、市民的自由の保護への足がかりが得られるきっかけを作られたといえる[10]。

1610年、コークによる医師ボナム事件の判決は、コモン・ローに反する制定法は無効と判示し、司法権の優位の思想を導くきっかけを作ったとされる[11]。

1610年、トマス・ヘドリィ(Thomas Hedley)の庶民院における長大な演説によってノルマン征服以前の古き国制(ancient constitution)の伝統を理由にコモン・ローの本質が明らかにされ、以後、議会ではヘドリィによって定式化されたコモンローの優位が繰り返し説かれることになった[注釈 4]。

ここでは、「庶民」(commoner)[注釈 5]が議会に政治的参加をすることによって制定される法律の王権に対する優位が説かれており、民主主義と法の支配が密接に結びつくきっかけが作られたのである。そのため、法の支配は、民主主義とも密接に関連する原理とされている[3]。

1688年、メアリーとその夫でオランダ統領のウィリアム3世(ウィレム3世)をイングランド王位に即位させた名誉革命が起こると、これを受けて1701年王位継承法で裁判官の身分保障が規定されることによって法の支配は現実の制度として確立したのである[12]。

アメリカ合衆国における法の支配

1787年、アレグサンダー・ハミルトンらによって成文憲法として起草されたのがアメリカ合衆国憲法であるが、これは「法の支配」を成文憲法によって実現しようとするものであった。

合衆国は、イギリスが立憲君主制をとるのと異なり、共和制を採用し、執政体としては、君主に代わり大統領を選挙によって選出するものとした上で間接民主制をとって立憲主義を採用したのである。

ここでいう共和制とは、人民主権の下、選出された代表者が権力を行使する政体のことである[13]。

1803年、マーベリー対マディソン事件をきっかけに米国で発祥した違憲立法審査権は、コークの医師ボナム事件の判決にヒントを得て、「法の支配」から発想された憲法原理の一つである。

解説

法の支配における法(Law)とは、不文法であるコモン・ローおよび国会が制定する個々の法律(a law、laws)を含めた全法秩序のうち、基本法(Fundamental laws)のことを指す。基本法は、形式的意義の憲法(憲法典)と区別する意味で、実質的意義の憲法と呼ばれている[注釈 6]。アメリカ合衆国、日本では、成文憲法典を制定されているので、基本法は原則として憲法典のことを指すが、それに限定されるわけではない[注釈 7]。

法の支配は、国会が権限を濫用して被治者の自由ないし権利を侵害することがあり得ることを前提とするものであって、権力に対し懐疑的で、立憲主義、権力分立と密接に結び付いている。

ただし、どのように権力を分離するのかはその国の歴史によって異なり、合衆国のように厳格に三権に分立するというものでは必ずしもなく、イギリスのように議会と裁判所を明確に分離しないというような国もある。詳細は英国法#歴史を参照。

法の支配は、名誉革命によって近代的憲法原理として確立したものであり、上掲のヘドリィの庶民院での演説によって明らかにされているように民主主義とも密接に結びついている。

ただし、イギリスのように立憲君主制とも、合衆国のように共和制とも結びつき得るものであり、その国の歴史によって異なる多義的な概念である。ここでいう共和制とは、人民主権の下、選出された代表者が権力を行使する政体のことである[13]。

その目的は、人の支配を排し、全ての統治権力を法で拘束することによって、被治者の「権利ないし自由」を保障することである。

法の支配は、戦後現代的変容を余儀なくされており、その多義性ゆえ議論は錯綜を極めている。

ダイシーと法の支配

法の支配を理論化したのは、ダイシーの『憲法序説』であり、以後国会主権(Parliamentary Sovereignty)と法の支配がイギリス憲法の二大原理とされるようになった[14]。

ダイシーによれば、法の支配は以下の三つの内容をもつものとされる。

専断的権力の支配を排した、基本法の支配(人の支配の否定)

すべての人が法律と通常の裁判所に服すること(法の前の平等、特別裁判所の禁止)
具体的な紛争についての裁判所の判決の結果の集積が基本法の一般原則となること。

(具体的権利性)

ただし、ダイシー流の法の支配に対しては、ダイシー自身の政治思想や当時のイギリスの政治状況、例えば、コレクティビズム(集産主義)という概念を作り出し批判するのは、自身の政治信条であるホイッグを擁護する点にあるのではないか、フランスでは行政行為に司法審査が及ばないと誤解したことに端を発する行政法に対する不寛容、法の支配の第3番目の内容は国会主権を否定するに等しいなどジェニングズ(W.I.Jennings)による体系だった批判がなされているが、ダイシー流の法の支配は現在でもイギリスの公法学界において多大な影響力を有している[15]。

また、国会主権と法の支配との関係については、ハートVSロン・フラー論争を代表に議論がなされているが[16]、ダイシー流の法の支配は、国会を上訴権のない裁判所ととらえることなどにより国会主権が多数者支配を是認するものとはとらえず、コモン・ローの伝統的理解にむしろ忠実なものであるとの理解がイギリスの公法学界では通説とされている[17]。

法の支配と法治主義

大陸法系においては、ローマ法が普及するに伴い「法の支配(Rule of Law)」は衰退し、19世紀後半にドイツのルドルフ・フォン・グナイストが理論的に発展させた「法治主義」(rule by laws、独:Rechtsstaat)が浸透していった[18]。

法治主義は、法律によって権力を制限しようとする点で一見「法の支配」と同じにみえるが、法治主義は、手続として正当に成立した法律であれば、その内容の適正を問わない。
したがって、「法の支配」が民主主義と結びついて発展した原理であるのと異なり、法治主義はどのような政治体制とも結びつき得る原理である。

このような意味での法治主義を後に述べる実質的法治主義と対比する意味で「形式的法治主義」と呼ぶこともある[3]。

他方、「法の支配」の下においては、たとえ「法律(立法)」の手続を経てなされるとしても、法律の内容は適正でなければならず、権利・自由の保障こそ本質的であるとする点に法治主義との差がある。

このような違いが歴史的に生じたのは、イギリスにおいては、法とは、「古き国制」に由来する人の意思を超えたものであって、人の手によって創造され得るものでなく、発見するものであると伝統的に考えられてきたことが背景にあるとされている[19]。

もっとも、現在では、ドイツでは、法律の内容の適正が要求される「実質的法治主義」の考え方が主流となっているが、反対に、イギリスでは、アンドレ・マルモーが代表する「古き良き法と法の支配は異なる」とする論調のように、多義的な概念である法の支配に政治哲学的な価値を持ち込むこと自体を批判し、法の支配と(形式的)法治主義を同視する見解が多い。

日本での展開

日本の法体系は、長らく慣習法を基調としてきたが、近代化の推進の為、明治憲法は、プロイセン・ドイツ法に準拠することとなり[注釈 8]、以後、法体系は大陸法系を基調として、明治憲法下でも(形式的)法治主義(法律による行政の原則)は認められてきた。

その後、アメリカ法に影響を受けた日本国憲法が制定されると、日本国憲法が法の支配を採用しているものなのかが問題となったが、制定法主義をとり、判例法主義をとるものではないという前提がある以上、ダイシー流の法の支配は採用されていないという点には異論はなく、結局は多義的な法の支配の内容をどのように解するかによってその結論が導かれると解されるようになった。

現在の日本の憲法学においては、「法の支配」の内容は以下の4つとされている[3]。

1、人権の保障 : 憲法は人権の保障を目的とする。

2、憲法の最高法規性 : 法律・政令・省令・条例・規則など各種法規範の中で、憲法は最高の位置を占めるものであり、それに反する全ての法規範は効力を持たない。

3、司法権重視 : 法の支配においては、立法権・行政権などの国家権力に対する抑制手段として、裁判所は極めて重要な役割を果たす。

4、適正手続の保障 : 法内容の適正のみならず、手続きの公正さもまた要求される。この法の適正手続、即ちデュー・プロセス・オブ・ロー(due process of law)の保障は英米法の基本概念の一つでもある。

日本国憲法は、権利の保障は第3章で、憲法の最高法規性は第10章で、司法権重視は76条・81条で、適正手続の保障は31条で、それぞれ定めているので、「法の支配」を満足していると見なされている[3]。

これに対しては、日本国憲法施行の当初から、GHQによる検閲や農地改革等により権利の保障は大きく歪められ、また、最高裁の下す違憲判決の少なさから、日本において「法の支配」は十分に機能していないとする見解もある[要出典]。

このように、現在の日本の公法学において、「法の支配」という概念が広く受容されるようになったが、そのため戦前とられていた法治主義との関係が問題とされるようになった。

現在の日本の憲法学では、ドイツと同様に実質的法治主義と法の支配を統一的に理解する見解が多数であるが[20]、以下に述べるとおり両者を厳格に区別し、法の支配に一定の積極的な意義を見出す論者もいる。

佐藤幸治は、伝統的な「法の支配」における「法」という観念が自律的で自然発生的なルールという意味合いを有していることを指摘して、日本の「法律」という観念との違いに言及し[21]、法の支配を採用して、行政裁判所を廃止した日本国憲法下においても、公定力といった旧憲法下での行政法理論が生き続ける日本の公法解釈のあり方に疑問を呈するだけでなく[22]、(実質的)法治主義は行政による事前抑制に親和的であるのに対し、法の支配は司法による事後抑制に親和的で、国民の司法への積極的な参加とこれを支える多くの法曹の存在が必要であるという積極的な意義がある点に違いがあるとする[23]。

これに対して、阪本昌成は、法の観念については、佐藤と同じく自生的秩序であるとして法の支配と法治主義を厳格に区別しつつも、法の支配を主権者も法律さえも拘束するメタ・ルールであるととらえ、佐藤とは正反対に、国民に一定の行為を要求するものではありえず、むしろ法の形式に着目し、それが一般的・抽象的でなければならず、その内容も没価値的・中立的なものであることを要求するものであるとして、法の支配に政治哲学的な価値を持ち込むことに反対する。英国の公法学界の通説と結論を同じくするが、阪本の学説は、スコットランドの古典的自由主義の渓流を継ぐものなので、当然のことといえる。
国連・持続可能な開発目標2030アジェンダ

国連の2030年までに達成すべき目標として掲げる持続可能な開発目標(SDGs)のターゲット16.3において、法の支配を国家及び国際的なレベルで促進し、すべての人々に司法への平等なアクセスを提供することを謳っている。[24]

脚注
[脚注の使い方]
注釈

^ lawは、ラテン系のフランス語起源の単語の多い英語には珍しく、イングランドを支配したヴァイキングのデーン人の用いた古ノルド語の「置かれた物」という言葉が語源。それが掟(オキテ)、法という意味となった。イングランド東部にはデーン(北海帝国)支配時代の慣習法などの残ったデーンロー地方がある。
^ 政治学の項参照。
^ コーク卿の『英国法提要』・『判例集』は、現在でも法の支配に関する不朽のテキストとされ、ウィリアム・ブラックストンの『イギリス法釈義』は、このコークの法思想を19世紀に継ぐべく書かれた、英国法の体系的なコメンタリーである。イギリスの植民地であったアメリカにおいては、不文法(非成文法)である英国法を知る手段は限定されたものであった中で、『英国法提要』・『イギリス法釈義』はアメリカの法曹に広く読まれるテキストとなり、アメリカ法に強い影響を与えることになる。
^ 「古き国制」の思想は、古くはジョン・フォーテスキューが主たる論者であり、後にエドマンド・バークの「時効の憲法」(prescriptive Constitution)の思想に引き継がれていくが、バークの時代は法の支配の衰退期とされている。
^ 庶民といっても、騎士(Knights)と一定の資産を有する「市民」(Burgesses)のことを指す。
^ 憲法典のないイギリス法の訳語としては、端的に「統治構造」と訳すべきとの者もいる。
^ 成文憲法典を持つ国では、最高法規である憲法に違背した制定法は無効とされ、裁判所が合憲性を判断する違憲審査制がとられているが、成文憲法典のないイギリスでは当然のことながら違憲審査制はない。成文憲法典のある国での違憲審査制の下では、合憲性判定の基準となる「憲法」は憲法典に限られ、基本法である実質的意義の憲法全てが含まれるわけではないとするのが通説である。
^ 明治十四年の政変の項を参照。

出典

^ a b 宇野p58
^ a b c d 芦部信喜『憲法(新版補訂版)』岩波書店、5頁
^ a b c d e f g h 芦部信喜『憲法(新版補訂版)』岩波書店、14頁
^ プラトン著・森進一、池田美恵、加来彰俊訳『法律(上)』(岩波文庫)255頁
^ 佐藤幸治『憲法(第3版)』77頁、阪本昌成『憲法理論Ⅰ』59頁
^ Wormuth, Francis. The Origins of Modern Constitutionalism, page 28 (1949).
^ 佐藤幸治『憲法(第3版)』77頁
^ 上掲『現代イギリス法辞典』54頁
^ 上掲『現代イギリス法辞典』71頁
^ 上掲『現代イギリス法辞典』142頁
^ 別冊ジュリスト『英米判例百選(3版)』(有斐閣)90頁
^ 上掲『現代イギリス法辞典』8頁
^ a b アメリカ大使館資料室「アメリカ早わかり」『米国の中央政府、州政府、地方政府の概要』 (PDF)
^ 上掲『現代イギリス法辞典』51~65、127頁
^ 上掲『現代イギリス法辞典』55頁
^ 上掲「現代イギリス法辞典」75頁
^ 上掲『現代イギリス法辞典』66頁
^ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ』59頁
^ 上掲樋口・129頁
^ 芦部『憲法(第3版)』岩波書店、15頁など
^ 佐藤幸治『憲法(第3版)』81頁
^ 佐藤幸治、田中成明『現代法の焦点』有斐閣リブレ、1987年
^ 第154回国会「参議院憲法調査会」第2号
^ “「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択する国連サミット”. 外務省. 2016年11月30日閲覧。

参考文献

伊藤正己『法の支配』有斐閣、1954年
伊藤正己『英米法における法の支配』日本評論社、1950年
伊藤正己・木下毅『アメリカ法入門(第4版)』日本評論社、2008年(初版は1961年)
田中和夫『英米法概説〔再訂版〕』有斐閣、1981年
佐藤幸治『憲法(第3版)』青林書院、1995年
樋口陽一『比較憲法(第3版)』青林書院、1992年
阪本昌成『憲法理論Ⅰ』(成文堂)、1993年
戒能通厚編『現代イギリス法辞典』(新世社)、2003年
宇野重規 『西洋政治思想史』有斐閣、2013年。ISBN 978-4-641-22001-0。

関連項目

立憲主義
法治国家
国際法律家委員会
欧州評議会
法の支配ミッション
デュー・プロセス・オブ・ロー』

「ゼロコロナ」批判デモ参加者を追い詰めるIT技術 牙を剥く「監視社会」の実態

「ゼロコロナ」批判デモ参加者を追い詰めるIT技術 牙を剥く「監視社会」の実態 – 孤帆の遠影碧空に尽き
https://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/e2cfccccd29235aa959415ba2356bd18

 ※ デジタル・マルクスレーニン主義の「面目」、躍如たるものだな…。

『【抗議活動への封じ込めには、最先端技術を使って弾圧】
中国・習近平政権の「ゼロコロナ政策」への不満が、単にコロナ対策だけでなく、「白紙運動」のような自由を抑圧する現行支配体制への批判にも拡大したことは周知のところです。

この事態に政権側は、公安を大量動員して人々を威圧し、人が集まれるようなスペースを物理的に封鎖する、あるいはSNSへの規制を強化するといったデモ・集会が行えないようにする封じ込めの一方で、「ゼロコロナ」の看板は降ろさないまま、実質的に規制を緩めて住民不満のガス抜きをはかるという「硬軟両様の構え」で対応していることは、12月1日ブログ“中国 SNS規制強化と実質的コロナ規制緩和で硬軟両様の構え 死去した江沢民氏追悼にも神経使う”でも取り上げたところです。

中国共産党は、途上国の独裁国家のように、あるいはかつての天安門事件当時の中国のように、デモ隊に実弾を撃ち込んだり、戦車で踏みつぶしたりするような粗野なむき出しの暴力をつかうことなく、静かに、かつ、的確に不満分子を抑制できるほどに“洗練”されています。

****中国、「敵対勢力取り締まり」指示=ゼロコロナ抗議デモ、参加者調査か****

中国各地で厳格な行動制限を伴う「ゼロコロナ」政策への抗議活動が広がる中、中国国営新華社通信は29日、警察・司法を統括する共産党中央政法委員会トップの陳文清氏が28日に会議を開き、「敵対勢力の取り締まり」を指示したと報じた。陳氏は会議で「断固として法に基づき社会秩序を乱す違法犯罪行為を取り締まり、社会の大局的安定を確実に守らなければならない」と強調した。

中国ではこの週末、ゼロコロナへの抗議デモが各地で発生。北京市中心部でも27日夜から翌日未明にかけて若者らが集まり、「自由をよこせ」などと訴えた。ゼロコロナは習近平指導部の看板政策で、当局は抗議の動きに神経をとがらせている。当局はデモ現場に警官を配置するなど、再発防止に向け警備態勢を強化している。

ロイター通信によれば、警察当局はデモ参加者に関する調査を始めている。北京デモへの複数の参加者はロイターに対し、警察から27日夜の行動記録の報告を要求されたと証言。デモの情報をどこで仕入れたかや、集まった動機についても聞かれているという。【11月30日 時事】

*******************

前回ブログでも触れたように、地下鉄車内で乗客のスマホを公安がチェックするようなアトランダムな方法も行っていますが、世界最先端を行く「監視社会」の技術を使ってデモ参加者をピンポイントで威圧する取締りが展開されています。

****デモ参加の翌日、警察が自宅に。完璧に構築された中国監視システム****
2億台ものカメラが街のあらゆる場所に設置され、完璧に近い監視システムが構築されている中国。そんな社会の「刃」が、ここに来て一般市民に向けられる事態となっています。

今回のメルマガ『在米14年&起業家兼大学教授・大澤裕の『なぜか日本で報道されない海外の怖い報道』ポイント解説』では著者の大澤先生が、北京での抗議デモ参加者の身に起きた恐怖体験を、米有力紙オンライン版記事を引く形で紹介。

さらにこの問題は中国に限ったこととは言い切れないとし、テクノロジーの進化を享受するすべての人間に対して警鐘を鳴らしています。

中国政府の国民統制はジョージ・オーウェル『1984年』の世界そのもの
「ゼロコロナ」政策を推進してきた中国。行動制限やロックダウン(都市封鎖)などへの抗議活動が各地に広がっています。

政府は不満を沈静化させようとして、規制を徐々に解除しています。広州市は複数の地区で封鎖を解き、外食禁止を解除しました。

北京市当局もこれまで全市民に事実上義務づけてきた数日ごとのPCR検査について、長期間外出しない高齢者や幼児などは免除すると通知しています。

民衆の不満を考えて妥協しているようにみえる中国政府ですが、その一方で抗議活動への封じ込めには、最先端技術を使って弾圧しています。
以下、ニューヨークタイムズのオンライン版12月3日の記事抜粋です。

「中国の警察が電話機と顔写真を使って抗議者を追跡した方法」
中国当局は、週末に行われた抗議デモの後、全方位を見渡せる監視装置を使って、抗議する大胆な人々を見つけようとしています。

日曜日、北京で中国の厳しい共産主義政策に抗議に行ったとき、張さんは発見されないように準備して来たつもりだった。顔には目出し帽をかぶり、ゴーグルをつけていた。私服警官に尾行されそうになると、藪の中に潜り込み、新しい上着に着替えた。

その夜、20代の張さんは逮捕されずに帰宅し、事なきを得たと思った。しかし、翌日、警察から電話があった。
彼の携帯電話がデモのあった場所にあったことが探知されたので、彼が外出していたことがわかった、という。

その20分後、彼は住所を伝えていなかったにもかかわらず、3人の警官が彼のドアをノックした。

今週、中国全土の抗議者たちから同様の話が聞かれた。
警察は、顔認識や携帯電話、情報提供者を使って、デモに参加した人々を特定してきた。通常、彼らは追跡した人に二度と抗議しないことを誓わせる。

デモ参加者は、追跡されることに慣れていないことが多く、どのようにして自分たちが見つかったのか、困惑の表情を浮かべている。

さらなる反響を恐れて、多くの人が、抗議活動の調整や海外への画像拡散に使われていたテレグラムのような外国のアプリを削除している。

中国の警察は、世界で最も洗練された監視システムを構築している。街角やビルの入り口には数百万台のカメラが設置されている。

強力な顔認識ソフトウェアを購入し、地元市民を識別するようプログラムしている。特殊なソフトウェアが、拾い集めたデータや画像を解析している。

監視システムの構築は秘密ではないが、中国の多くの人々にとって、監視システムは遠い存在に感じられていた。
「何も悪いことをしていないのなら、隠すことはない」という考えのもと、多くの人がこのシステムを支持してきた。

先週行われた取調べは、その考えを揺るがすものかもしれない。中国の最も裕福な都市に住む多数の中産階級に、監視国家が正面から向けられたのは初めてのことだ。【12月6日 MAG2NEWS】

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【「何も悪いことをしていないのなら、隠すことはない」ではすまない、監視社会の負の側面】

犯罪を抑止し、社会の利便性を高める一方で、政治への不満・批判は徹底的に封殺されるという監視技術の二面性については、これまでもたびたび取り上げてきました。

ネガティブな面を気にする日本・欧米の声に対し、中国国内では「何も悪いことをしていないのなら、隠すことはない」といった寛容な対応、利便性を歓迎する風潮がこれまで一般的でした。

そのあたりは今も基本的には変わっていないのでしょうが、今回のデモ参加者は改めて自分たちがどんな社会に位しているのは、「監視」されるというのはどういうことなのかを改めて実感しているのではないでしょうか。

下記記事は6月16日ブログ“監視社会 中国で「健康コード」を乱用した抗議行動抑圧が物議 「幸福な監視社会」の実態”でも紹介したものです。

****中国人が監視国家でも「幸福」を感じられるワケ 『幸福な監視国家・中国』梶谷懐氏、高口康太氏インタビュー****

(中略)
個人情報によってレイティングされたり、個人の行動が監視カメラで監視されていたりするなど、日本人が聞くと「どうせ、中国は専制国家だから、プライバシーに無頓着で、監視されることにも慣れているんでしょ……」などと思ってしまいがちだ。しかし、実はそうではない。

そんな中国の実態を、中国経済論が専門の神戸大学経済学部教授・梶谷懐さんと、中国問題が専門のジャーナリスト・高口康太さんが現地取材を交えながら執筆したのが『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)だ。お二人に、「監視=幸福」という、一見、相反することがなぜ中国で成立しているのか? 聞いてみた。(中略)

強制ではなく、インセンティブを与える

「社会スコア」が導入されつつあるのも、強制力で従わせるのではなく、お行儀の良い行動をとったほうが「得」というインセンティブを与えることで、自然にその方向に向かわせるという狙いがある。

こうしたことから、中国では「便益(幸福)を求めるため、監視を受け入れる」、「プライバシーを提供することが利益につながる」という考え方が一般化している。

二人はどのような場面でそれを最も実感したのか?

「中国では、医療体制に問題を抱えていました。オンライン診療ができることになったことで、何時間も並んで診察を受けるといったことがなくなりました。サービスを提供しているのは大手保険会社で、個人が差し出す医療情報をビッグデータとして蓄積・解析することでビジネスに活用しています。これにより、迅速かつ低コストで、医療サービスを提供することが可能になっています」(梶谷さん)

「一つだけあげるのは難しいですが、梶谷さんのおっしゃる医療でもそうですし、顔認証だけで様々なサービスが受けられたり、自動車を駐車場に停めても勝手に精算が済んでいたりと、生活するなかでの面倒が日々少なくなっていくのを実感することができます」(高口さん)(中略)

信用スコアはもちろん、QRコード決済など、中国で新しいサービスが急速に普及する背景には、もともとそうしたインフラが整っていないということも関係している。(中略)

日本など先進国だと、先に整ったインフラや規制(ルール)が弊害となって新しいサービスがすぐに社会実装化されることは少ない。米ウーバーのサービスが「白タク」として許可されていないのは、その典型例だ。

「レギュラトリー・サンドボックス方式」と呼ばれる、規制緩和を行って新技術の実証事件を行う仕組みが、イギリスやアジアで導入されているが、中国ではまさにそれを地で行き「先にやって後で許可を得る」という形で、日常的に新しいサービスの試行錯誤が行われている。こうした環境がベンチャー企業を育み、中国発の新サービスを生む土壌となっている。(中略)

新疆ウイグル自治区というディストピア

一方で、デジタル・監視国家の負の側面もある。代表例として本書でも挙げられているのが、ウイグル人の問題だ。彼(女)らは日常生活を監視カメラやスマホのスパイウェアで管理されている。(中略)一般の中国人(漢民族)はこの問題をどのように考えているのだろう。

「私が中国に留学していた際の経験からも、マジョリティである漢民族の中には、新疆人(ウイグル人)は何をするか分からない、怖い人たちだ、という意識があるのを感じました。(中略)ですから、他地域で実施されれば激しい反発が予想される厳しい監視体制も、ウイグル人を対象にしたものである限り、抵抗なく受け入れられている面があるように思います」(梶谷さん)

「やはり、民主主義の欠如ということが問題です。同時に、99%の中国人にとって、そのリスクは捉えられていません」(高口さん)

使い方次第で、ディストピア社会も生み出してしまうが、多くの中国人にとって、それは圏外の問題なのである。

もう一点、不気味さを感じさせるのが、民意を先回りして政策を実行できるという点。
「言論の自由が保障されていないにもかかわらず、買い物の履歴やSNSの発言から情報を収集することで「民意」をくみ取り、それを政策に反映することが可能になっています」(梶谷さん)

「(中略)こうしたシステムを駆使すれば、選挙ではなく、監視によって民意を察知することも可能です。たとえば焼却場の建設計画を進めている時、住民の反発が非常に強く大規模な抗議活動が起きかねないと、世論監視システムが予測します。そうすると、地方政府は先手を打って説得したり、あるいはスピン情報を流したりという対策が打てます。場合によっては建設計画を撤回することもあるわけです」(高口さん)

これまで、社会課題などを議会で議論することで解決するという形をとってきたわけだが、情報を収集して解析すれば、そのような手間のかかる作業をしなくても、多くの人にとっての最適解が出されてしまう。

社会に対して大きな不満を持つことなく(ということは、投票率は益々下がり、今でも少ないデモなどももっと起きなくなる)、無風のまま政府によって飼いならされていく……。

テクノロジーの発達によって人の仕事が奪われるということが話題になっているが、民主主義社会を支える土台においても、人間が積極的に関与しなくてもよい状況が生まれつつあるのかもしれないと思うと、背筋が寒くなる。

中国に限った問題ではない

(中略)「ブレグジット、トランプ大統領の登場などによって、『民主主義って機能しているの?』というイメージを中国人は持っています。人に任せるよりデータに任せたほうが良いのではないかという。日本にも民主主義が機能不全だと考えている人は増えているのではないでしょうか。だからといって、中国と同じになるのがいいとは思いませんが、民主主義をバージョンアップさせるためにも、中国がどう課題に取り組んでいるかを知ることは必要不可欠でしょう」(高口さん)(後略)【2019年8月23日 WEDGE】

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【抵抗しない市民には安心と利便性を提供・・・しかし、抵抗・批判は許されない社会】

下記は、9月11日ブログ“中国 習近平国家主席が目指す完璧に設計された社会、抵抗しない市民には安心と利便性を提供”で紹介したもの。

****中国の監視国家モデル、相反する二つの顔****

習氏が目指す完璧に設計された社会、抵抗しない市民には安心と利便性を提供

(中略)3期目の新体制では、習氏の壮大なる野望の一つに注目が集まりそうだ。習氏はデータと大量のデジタル監視が支える新たな政府の在り方を目指しており、世界の民主国家に対抗する存在になるかもしれない。

中国共産党は完璧に設計された社会という未来像をちらつかせている。具体的には、人工知能(AI)企業と警察が連携して犯罪者をとらえ、誘拐された子どもを発見し、交通規則を無視して道路を横断する者を戒める社会だ。つまり、当局は市民の善行に報い、悪行には罰を与え、しかも数理的な精密さと効率性を持って実行する。

習氏がこの構想の実現にこだわるのは、必要にかられてのことだ。(中略)ここ10年は成長が鈍化。爆発的な債務の伸びや新型コロナウイルス禍に絡む厳格な規制、高齢化など人口動態の問題によって急激に失速する恐れが出てきた。

習氏はここにきて、新たな社会契約を結ぼうとしている。豊かな未来像を示すのではなく、安全と利便性を提供することで市民の心をつかむのだ。数千のアルゴリズムが脅威を制圧し、円滑な日常生活を阻害する摩擦を排除する予測可能な世界だ。

だが、世界は中国の国家監視プロジェクトの暗闇も目の当たりにした。新疆ウイグル自治区で行われているウイグル族などイスラム系少数民族に対する強制的な同化政策だ。

ウイグル人らは顔や声、歩き方まで検出され、デジタル上で徹底的に追跡される。警察が常にスマートフォンをスキャンし、宗教上のアイデンティティーや外国とのつながりを調べる。問題を引き起こすと判断されたウイグル人は刑務所か、地域にある「教育センターを通じた変革」のための施設へと送られる。その結果、第二次世界大戦以降、最大規模となる宗教マイノリティー(少数派)の投獄が起こった。

新疆が共産党の大衆監視によるディストピア(反理想郷)的な悪夢に陥っている所だとすれば、経済的に豊かな浙江省の省都、杭州はユートピア(理想郷)の極みを必死で目指している場所かもしれない。

杭州でも、新疆と同じように至る所に監視カメラが設置されている。だが、これらの監視網は市民を管理するとともに、生活を改善するためにある。集められた膨大なデータはアルゴリズムに送られ、交通渋滞の解消や食品の安全性の徹底、救急隊員の迅速な派遣に寄与している。杭州は、習氏の野望の中でも、世界に変革をもたらし得る、魅力的な一面を体現しているのだ。

杭州の中心部には、慎重に育成され、異例の成功を遂げたテクノロジー企業が集積している。(中略)ハイテク企業がタッグを組んだことで、杭州市は中国で「最もスマート」な都市に変身し、世界が追随を目指すようなひな形になった。

市が収集するデータが観光地の人の流れを管理するとともに、駐車場のスペースを最適化し、新たな道路網を設計する。市内の随所にある監視カメラは、長らく産児制限が続いた中国ではとりわけ、行方不明になった子どもの発見に寄与したとして高く評価されている。

杭州市内の「リトル・リバー・ストリート」として知られる地区で行われている「シティー・アイ」という取り組みは特に注目に値する。ここでは「城管」と呼ばれる都市管理部隊の地元支部がAIツールを使い、警察がわざわざ介入しないような任務に当たっている。具体的には、露天商人を追い払う、違法なゴミ放棄者を処罰する、駐車違反者にチケットを切るといった仕事だ。(中略)

シティー・アイは、ハイクビジョンがリトル・リバー・ストリートに警察の監視カメラ約1600台を設置し始めた2017年に運営が開始された。カメラの映像とAI技術をつなぎ、24時間体制で監視しており、何か不審な動きがあるとスクリーンショットともに自動で警告を送る。(中略)

ハイクビジョンが杭州市の路上に監視の目を提供したとすれば、アリババは頭脳を提供した。AIを駆使した「シティー・ブレイン」と呼ばれるプラットフォームが、交通量から水資源管理まであらゆる政府の任務を最適化する手助けをする。同時に、アリババのサービスやプラットフォームは、光熱費の支払いや公共交通機関の利用、融資取得といった市民生活の利便性を高め、ネット裁判所の登場で地元企業を提訴することさえも容易にした。
シティー・ブレインはとりわけ、ひどい交通渋滞で知られる杭州を変えたと言われ、国内ワーストランキングでは5位から57位へと改善した。アリババは交差点の動画データやリアルタイムの全地球測位システム(GPS)位置情報を解析するシステムを開発。同市の交通当局が信号を最適化し、老朽化する交通網の混雑を緩和できるようにした。

2019年10月には、農村地区で77歳の住民女性が洗濯中に小川に転落する事故が発生。女性を救急車に乗せた隊員は近くの病院まで最速で到着できるよう、シティー・ブレインの道案内ツールを作動させた。アルゴリズムにより、病院まで14カ所ある交差点がいずれも通過時に青信号になっていたことで、通常ではよくても30分かかるところを、12分で病院に搬送することができたと報じられた。(中略)

ウイグル人への組織的な弾圧が行われている新疆と同じように、杭州も社会管理のいわば実験場であり、何が機能して、何が機能しないのかを理解する材料を共産党に提供する。2カ所で行われている実験からは、共産党の権威に抵抗すると思われる人物を脅し、強制的に変えようとするまさに同じ技術が、党の支配を受け入れる人々を大事に扱い、安心させる手段にもなることが分かる。

習氏によるAIと独裁主義の融合は、戦争や新型コロナウイルス禍、経済減速、崩壊寸前の組織制度に見舞われる時代において、安心と効率性の世界を提供できるかに見える。

完璧につくられた社会の魅力は現実のものだ。このモデルがどこまで浸透するかは、習氏の野心とパフォーマンスのみならず、世界の民主国家が同じ問題にどううまく対処できるかにもかかっている。【9月9日 WSJ】
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抵抗しない市民には安心と利便性を提供、しかし、抵抗は許さない社会。日本や欧米的価値観からすれば抵抗・批判が許されない国民と言うのは“奴隷”ではないか・・・という話にもなります。』

人類の到達した頂点・民主主義も原理は雨乞いと変わらない。

人類の到達した頂点・民主主義も原理は雨乞いと変わらない。
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/30158520.html

 ※ この文脈で行くと、「不正があった!」と主張して、「降りることを、ゴネている」某元大統領とかは、どう位置付けられるんだろう…。

『先日、娘がテロに見舞われて爆死した、ロシア極右愛国主義の思想家のドゥーギン氏が、ロシア軍のヘルソンからの無抵抗撤退について、プーチン氏を激しく非難しています。ヘルソン付近には、ほぼ軍事訓練を受けていない動員兵が、弾除けとして前線に配置され、短期間に死体の山を築いていたのですが、その間に正規軍はドニエプル川を渡って、東岸に到達し、大部分の撤退に成功した模様です。

やむを得ない戦略的な撤退なのですが、国粋主義者というのは、結果で物事を判断して批判しますので、殆ど無抵抗でウクライナにヘルソンを明け渡した事自体が気に食わないらしく、かなり厳しい言葉で非難しています。その非難の中で、面白い表現が使われていたので、抜き出したいと思います。

「専制とは何か? 為政者に全ての権力を与える事である。為政者は危機的な状況において、人々を救ってくれること。その為には、不愉快な事も我慢してきた。しかし、もしも救ってくれないとしたら、『雨を
降らせなかった王のように犠牲になる運命だ』専制には、2つの面がある。成功に際しての、あらゆる権利。失敗に際してのあらゆる責任。そして、撤退の責任は、軍ではなくプーチン大統領にある。プロパガンダで覆い隠す事はできない。ヘルソンの無抵抗撤退は、ソ連邦崩壊以来の敗北である。欧米との全面戦争と認識し、イデオロギー的にも国家への統制を強化して、総動員体制へ移行すべきである」

以上は、ドゥーギン氏が自身のブログに掲載した檄文です。ここで、注目して欲しいのは、二重括弧にしてある一文です。つまり、独裁国家においては、結果に対する全ての栄光と責任が、独裁者個人に属するので、成功すれば英雄として称賛され、失敗すれば全ての責任を取らされるという事です。そして、雨乞いで雨を降らすのに失敗した王という例えは、昔の原始的な集落で、呪術師が干魃に際して、雨乞いの儀式をして、雨が振らなかった場合に、村人から処刑されていた事を暗喩しています。

ここに独裁国家の制度的な欠陥を見る事ができます。頂いた独裁者の采配次第で、国民全体が利益も損出も被り、それは、時には自分の命を国家に差し出す犠牲を要求するという事です。以前の投稿でも述べたように、独裁者の健康・気力が、国家の衰退とリンクするのが独裁国家です。その為、プーチン氏は、上半身裸で馬に跨って乗馬する姿や、黒いレザージャケットを着て大型バイクに跨る姿や、柔道で巨漢を投げ飛ばす姿を国民に見せなくてはならないのです。あれは、ナルシズムで、やっているわけではありません。国民が安心する為に、その姿を見る事を望み、国の治安を安定させる為に、「強い指導者」であり続けなければ、ロシアという国が綻びるので、やっているのです。

これを例えるならば、村にたった一人しか存在しない「カリスマ呪術師」に、命運を託して雨乞いの儀式をする部落と言えます。そして、雨を降らす事ができなければ、呪術師は処刑され、代わりに儀式を続ける者がいないので、天候の気まぐれで、その部落は飢餓で全滅する事になります。

では、人類が到達した最高点の政治制度と言われる民主主義とは、独裁専制と較べて、どれだけマシなのでしょうか。実は、余計なフィルターを外して見ると、独裁国家で失敗すると呪術師が殺されるのに対して、呪術師が地位から降ろされて、別の人間に交代するのが保証されている点が違うだけです。干魃が起きた時に、雨を降らせる能力があると信じられている呪術師が、雨乞いの儀式を行いますが、失敗しても、彼は殺されません。必ず次点の要員が用意されていて、交代し、今度は控えの呪術師が儀式を続行します。それが、制度として保証されているのが民主主義です。

投票で問題に対処するリーダーを決めたとしても、その人物が必ず有効に対処できるとは、限りません。うまくいかないと判断されたら、そのリーダーを降ろして、別のリーダーを頂きます。部落の将来は、特定の人物ではなく、部落で選んだ、「問題が解決できそうな」人物に、次々と交代し、そのうちの誰かが問題を解決すればよしで、できなければ、やはり全滅するのは独裁国家と同じなのです。その解決の方法は、何も祈祷を続けるだけでなく、「この地を捨てて、他所の土地へ移り住もう」でも、「用水路を築いて川から水を引いてこよう」でも、よいのです。部落が干魃で絶滅しそうという状況に対して、問題解決の方法を提示できた人物が、次のリーダーになります。

未来が誰にも確実に予想できず、どんな問題が発生するか判らない以上、特定の誰かの能力に全面依存するではなく、スペアーとも言うべき人材をストックしておいて、問題が解決するまで、トライ・アンド・エラーを繰り返す。民主主義と言っても、客観的に評価すれば、確率で生き残る精度を高めただけのシステムです。干魃が何年も続けば、どんな制度を持つ部落でも、餓死して全滅しますし、何かしらの解決策を絞り出して、犠牲者は出しても部落の一部は生き延びるかも知れません。それは、制度の優劣で決まるというよりは、制度によって、生存確率を可能な限り上げたのが、民主主義です。

その制度の特色上、選挙などに手間と費用がかかりますし、議会で論議をするので、意思決定が遅く、それは、しばしば民主政治の問題として話題になります。しかし、それでも、「オール・オア・ナッシング」の個人の資質に国家の命運を全てベットする独裁政治より、マシであると一般的に考えられています。独裁政治の最大の害悪は、呪術者が屈強なボディーガードで身辺を固めた場合、村人が打ち殺そうとしても、それが不可能になる場合がある事です。つまり、まったく問題の解決にならない祈祷を、その人物個人が諦めるまで、部落民の全てを巻き込んで続ける事が可能です。

そして、ドゥーギン氏がプーチン大統領を批判する例えとして出してきたのが、まさに『雨を
降らせなかった王のように犠牲になる運命だ』という言葉です。つまり、雨乞いに失敗した呪術師は、部落民によって誅殺されるべきだと言っているのです。雨を降らせる云々の言葉が、突然出てくるので、何事かと思いますが、ロシア正教的発想だと、国の指導者の立場は、神に選ばれた人物に下賜された権利であると考えるので、神の恩寵を失った呪術師に用は無いのです。

一見、高度に発達したかのように見える現代の政治制度ですが、原理から言うと、部落の生命を脅かす問題に対して、どう向き合うかという事に対して、確率で生存率を高めたものでしかありません。しかも、比較する対象は、原始時代の集落です。そして、恐らくは、これ以上、政治の原理的なシステムが進化する事はありません。ここで、打ち止めです。それゆえに、予測が不可能な問題に対して、特定の価値観に基づく「思想や宗教」で、政治を行ってはいけないのです。問題の解決は、是々非々の議論を経て、最も良いと思われる対処を選択するしか、やりようがありません。ここに、「神様がこう言っているから、こうするのが正しい」とか「思想的に、これが正しいから、こうするべきだ」という、根拠の無い方向性を持った硬直した考え方が、意思決定に入ってくると、部落が全滅する確率が上がります。』

中国、国連の新疆報告書を批判「反中勢力の陰謀」

中国、国連の新疆報告書を批判「反中勢力の陰謀」
対抗措置には言及せず、党大会前に安定優先
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM0195P0R00C22A9000000/

『【北京=羽田野主】中国外務省の汪文斌副報道局長は1日、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が発表した新疆ウイグル自治区に関する報告書について「反中勢力の政治的陰謀に基づくずさんな報告だ」と批判した。「内容は完全に虚偽情報のごった混ぜだ」とも主張したが、対抗措置の可能性には言及しなかった。

汪氏は「国連人権高等弁務官事務所が米国と西側の手下に成り下がったことを改めて証明した」と強調した。

報告書では新疆ウイグル自治区の刑務所や拘禁施設などに収容されている全ての人々を解放するため、迅速な措置を取るよう求めている。汪氏は「米国などいくつかの西側勢力がたくらみでっち上げたものだ」と話し「中国は当然ながら完全に拒絶する」と続けた。

中国メディアは報告書の内容を詳しく伝えていない。汪氏も「報告書は国連(の見解)をまったく代表していない」と指摘し、批判の対象を国連人権高等弁務官事務所や米国に集中させた。国内で国連への反発が広がる事態を警戒しているとみられる。

汪氏は対抗措置の可能性にも触れなかった。中国では10月に共産党幹部の人事を決める5年に1度の党大会がある。習近平(シー・ジンピン)総書記の3期目入りが正式に決まるまで、対外関係を安定させておきたい思惑があるとみられる。』

中国新疆で「深刻な人権侵害」 国連が報告書

中国新疆で「深刻な人権侵害」 国連が報告書
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB011FI0R00C22A9000000/

『【パリ=時事】国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は31日、中国新疆ウイグル自治区で「深刻な人権侵害」が行われていると指摘する報告書を公表した。報告書をめぐっては、中国政府が発表しないよう要求していたとされる。

OHCHRは報告書で「身柄拘束の劣悪な環境に加え、度重なる拷問や虐待の疑惑は信ぴょう性が高い」と指摘。ウイグル族らが置かれる状況は「国際犯罪、特に人道に対する罪に当たる可能性がある」と強調した。

一方、OHCHRは中国側の声明も同時に公表した。中国は今回の報告書について「発表に断固として反対する」と表明。人権状況の評価が「反中国勢力が捏造(ねつぞう)した偽情報などに基づいており、中国に非があることを前提にしている」と説明し、「中国の法律や政策を歪曲(わいきょく)し、誹謗(ひぼう)中傷している」と主張した。

欧米諸国は、中国が同自治区で少数民族ウイグル族らを収容所に送って洗脳したり、強制労働させたりしていると非難。日本でも、大手アパレル企業が自治区で生産された「新疆綿」の使用を中止する動きが広がっている。

バチェレ国連人権高等弁務官は5月に同自治区を視察したが、視察内容は全て非公開で、人権侵害の実態は全く明らかにされなかった。人権団体は、バチェレ氏が人権侵害を否定する中国に融和的な姿勢を取ったと批判していた。

バチェレ氏は任期満了に伴い、31日付で退任した。

【関連記事】

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・企業の人権侵害、改善・公表求める 政府が初指針
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中国・新疆で「深刻な人権侵害あった」 国連人権高等弁務官が報告書公表

中国・新疆で「深刻な人権侵害あった」 国連人権高等弁務官が報告書公表
https://www.cnn.co.jp/world/35192610.html

『(CNN) バチェレ国連人権高等弁務官は8月31日、中国・新疆ウイグル自治区でのウイグル族や他のイスラム系少数民族の待遇に関する報告書を公開した。報告書の発表は以前から待望されていた。

報告書はこの地域で「深刻な人権侵害が行われてきた」と結論付けた。その原因として、中国政府のウイグル族や他のイスラム系少数民族の地域社会を対象とした「対テロ、対過激主義の戦略の適用」を挙げた。

報告書は「強制的な医療行為や収容の悪条件を含め、拷問や虐待のパターンに関する主張は信頼できる。性的及び性差に基づく暴力の個別事案の主張も同様だ」と記した。

中国は報告書の公開に反対してきた。中国の駐ジュネーブ国連代表団は、報告書が「偽の情報とうそ」に基づいたもので、中国の法と方針を「曲解している」と述べた。

代表団はさらに「ウイグル族を含むすべての民族集団は中国国民の等しい構成員だ。新疆は法令に従ってテロと過激主義と闘う措置を実行し、テロリストによる活動の頻繁な発生を効果的に抑えている」と主張した。』

『国連の専門家委員会は4年前、100万人以上のウイグル族と他のイスラム系少数民族が「再教育」と洗脳を目的に新疆の超法規的な収容所に入れられたとの信頼できる報告があるとして、注意を呼びかけていた。

中国は当初、収容所の存在を否定していたが、その後「過激主義」への対抗手段として「職業教育訓練センター」を立ち上げていたと説明した。中国は同地域での人権侵害やジェノサイド(集団殺害)、強制労働を訴える主張を「世紀のうそ」と呼んだ。

今年5月にはバチェレ氏が訪中し、中国政府から「職業教育訓練センター」のシステムは「解体された」と断言されたことを伝えていた。同氏の訪中は人権関連の国連高官の訪問としては17年ぶりで、訪中に対する厳しい批判も起きた。

この報告書が公表された31日はバチェレ氏の退任日だった。』

米インディアナで中絶制限州法 最高裁判断後で初めて

米インディアナで中絶制限州法 最高裁判断後で初めて
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB062M00W2A800C2000000/

『米中西部インディアナ州議会は5日、人工妊娠中絶を大幅に制限する州法案を可決した。共和党のホルコム州知事が署名して成立した。米メディアによると、米連邦最高裁判所が6月に中絶の禁止を認める判断を示して以降、新たに規制を強化した州法が成立するのは初めてという。

成立した州法は性的暴行によって妊娠した場合などを除き、中絶を厳しく制限する内容で、9月半ばに施行される。

保守派の判事が多数を占める連邦最高裁は6月、中絶を憲法上の権利と認めた1973年の判決を覆した。中絶の是非は米国内で論争の的になり、11月の中間選挙の争点のひとつに浮上しつつある。

中西部カンザス州で2日に実施した住民投票では、6割が中絶規制に反対した。バイデン大統領は、中絶を禁止または制限する州に住む女性が、他州で中絶手術を受けやすくするための大統領令に署名するなど、中絶の権利保護に向けた取り組みを急ぐ考えを示している。

中絶の是非をめぐる判断は各州に委ねられている。一部の州では最高裁が判断を下せば、自動的に発効する法律が事前に成立していたため、中絶を制限する州法がすでに発効している。全米50州の半数ほどが中絶の禁止・制限措置を講じる見込みとされ、インディアナ州と同様に、最高裁判断を受けて新たに規制強化に動く州が増える可能性がある。』

合衆国最高裁判所

合衆国最高裁判所
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E6%9C%80%E9%AB%98%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80

 ※ よく、「司法権の独立」とか、「法の支配」とか言うが、このwikiに書かれていることを読めば、非常に「政治的なもの」だということが、よく分かる…。

 ※ 「三権分立」とは、そういう「政治的な緊張関係」を孕んでいるものだ…。

 ※ よって、それ自体で「安定的なもの」では無く、「常に緊張関係にある」「不安定なもの」だ…。

 ※ だから、「不断の点検、見直し」の努力が必要となる…。

 ※ そこが、正に、「国民主権」による「民主主義」の根幹だ…。

※ スゲーな…。「判例法」の国だから、米国が滅亡しない限り、連邦最高裁判所制度が滅亡しないかぎり、未来永劫えんえんと蓄積されて行くんだぜ…。

※ まあ、日本でも、他の国でも同じことだが…。

※ それでも、英米法の法体系では、「判例」の重みが違う…。重要な「法源(法的判断の、依って立つところのもの)」という位置付けだからな…。

※ 「判事」のこと、「justice」と言っているだろ…。

※ 辞書で調べると、「正義、公正、公平、公明正大、正当、妥当、当否、司法、裁判、司法官」、これみんな「justice」なんだよな…。

※ 願わくは、「アメリカ・ファースト」だけでなく、「他国」に対しても「justice」であることを…。

『アメリカ合衆国最高裁判所(アメリカがっしゅうこくさいこうさいばんしょ、英語: Supreme Court of the United States、略称: SCOTUS)は、アメリカ合衆国連邦政府の司法府(連邦裁判所)を統括する、アメリカ合衆国における最上級の連邦裁判所。

合衆国憲法第3条第1節の規定に基づき設置されている唯一の裁判所である(他の連邦の下級裁判所は連邦法に従って設置されている)。

日本では連邦最高裁判所と呼ぶことも多い。 』

『概説

合衆国最高裁判所は、その長官である首席判事(しゅせきはんじ、Chief Justice)と8人の陪席判事(ばいせきはんじ、Associate Justices)から構成される。この首席判事のことを日本では便宜上、最高裁長官(さいこうさいちょうかん)と意訳している。

詳細は「アメリカ合衆国最高裁判所長官」および「アメリカ合衆国連邦最高裁判所陪席判事」を参照

最高裁長官と陪席判事は、大統領が指名し、任命するが、任命には上院による助言と同意が必要とされる(合衆国憲法2条2節2項)。

最高裁長官と陪席判事はいずれも終身制で、本人が死去または自ら引退するまで、その地位を保証され、弾劾裁判(※ 立法府たる「国会」に設置される)以外の理由では解任されることはない(同3条1節。ただし、現在までに弾劾によって解任された最高裁判事はいない)。

なお、日本では現職の最高裁判事が年を経て最高裁長官に昇格することが多いが、アメリカでは最高裁長官と陪席判事はそれぞれ別個に任命されることになっており、長官が死去または引退した場合には外部から新たな長官が任命されるのが普通で、陪席判事が長官に昇格した例は少ない[注釈 1]。

合衆国最高裁判所は、州間の争いなどの限られた事件について第一審としての管轄権を有するが(合衆国憲法3条2節2項)、そのような事件はまれであり、ほとんどの事件は連邦下級裁判所または州最高裁判所からの裁量上訴事件である。

合衆国最高裁判所は、連邦法や州法、連邦や州の行政府の行為が合衆国憲法に反するか否かを判断する権限(違憲審査権)を有することが判例上確立されており[注釈 2]、合衆国最高裁判所によって違憲と判断された法令等は無効となる。

 ※ ちょっと説明を加えておく。

通説的には、「付随的違憲審査権」と解されている。つまり、「法律等の”直接の合憲・違憲”を審査するのでは無く、その法律等を「適用するかどうか」の過程で、「付随的に」判断する…。違憲と判断すれば、「損害賠償の請求を認めない」「刑事罰の適用を認めない」という風に処理する…。
 また、「違憲」と判断された「法律等の効力」の問題も、通説的には、「抽象的に無効とは、ならない」とされている。これを認めると、「司法府」が、「国民主権」に基づいて行使した「立法府の”立法権”」を、「覆滅」「侵害」してしまうからだ…。

最高裁長官は慣例として、合衆国憲法2条1節8項に定められた大統領の就任宣誓を執り行う。

合衆国最高裁判所は、首都ワシントンD.C.北東地区の最高裁判所ビルにある。最高裁判所ビルは、ギリシアのパルテノン神殿をモチーフとして建てられ、その両脇には川村吾蔵とジェームス・アール・フレーザーの共作による「ジャスティス(正義一対像)」がある[注釈 3]。

現在のジョン・ロバーツ長官は2005年に就任した。 』

『歴史

「アメリカ合衆国の司法制度」も参照

初代合衆国最高裁判所長官
ジョン・ジェイ

連邦最高裁の歴史を語るとき、その時々の最高裁長官の名前(「○○・コート」)でその時代を指し示すことが多い。

初代最高裁長官はジョン・ジェイである。憲法制定後しばらくは、最高裁判所が連邦政府において重要な役割を占めることはなかった。

この状況を大きく変えたのがジョン・マーシャル長官時代である。マーベリー対マディソン事件において、最高裁が違憲立法審査権を有すると宣言したほか、多くの重要な判決により、連邦政府の三権の一つとしての司法の役割を確立するに至った。

一方、州裁判所に対する連邦最高裁の優位を確立する判決を下し、判決の執行に当たり州政府の抵抗を受ける場面もあった。

また全ての判事が意見を発表するイギリスからの伝統を打ち切り、一つの多数意見を発表する慣習が作られた。

この時代に唯一の弾劾裁判が開かれ、最高裁判事サミュエル・チェイスが訴追されたが、結局上院はチェイスを弾劾しなかった。

続くロジャー・トーニー長官時代(1836年 – 1864年)は、ドレッド・スコット対サンフォード事件の裁判で知られている。

最高裁は、この判決で、奴隷制度の存続を許容し、これが南北戦争の原因の一つとなったと言われている。

南北戦争後のチェイス、ウェイト、フラー各長官の時代(1864年 – 1910年)は、南北戦争後の憲法の修正条項の解釈に取り組み、実体的デュー・プロセスの原理を発展させていった。

 ※ 「デュー・プロセスの原理」とは、「適正手続き条項」とか訳されている。

「人権侵害」の結果を、極力回避するためには、「手続き」の「適正」を重視して、それを実現・確保することが重要という考え方。「令状主義」なんかに、つながって行く…。

ホワイト、タフト各長官の時代(1910年 – 1930年)にこの理論は頂点に達し、この頃から、連邦政府にしか適用がないとされてきた権利章典の一部を、憲法修正14条を通じて州政府の行為にも適用し始めた。

ヒューズ、ストーン、ビンソンの3長官の時代(1930年 – 1950年)には、現在の新しい建物に移った。またニューディール政策を支えるために大きく憲法解釈を変更した。

 ※ 合衆国憲法(日本国憲法も、同じ)には、「明文」では、「私有財産の保障」は規定されていない…。

しかし、基本、「資本主義」に立脚しているから、暗黙の了解として、「私有財産制度」は保障されているという前提で、「国家制度」は構築されているハズだ…。

 しかし、「ニューディール政策」みたいな「社会主義寄り」の政策を実現して行くためには、「強力に財産権(私有財産)を、制限する」必要が出てくる…。

アール・ウォレン長官時代(1953年 – 1969年)は、憲法上の市民権を広く解釈した多くの判決を下し論争を呼んだ。

ブラウン対教育委員会裁判では人種隔離政策を違憲としたほか、プライバシーの権利を認め、学校での義務的宗教教育を制限した。

またミランダ対アリゾナ州事件など刑事手続における新たな判例が作られ、州政府にも適用される権利章典の範囲を広げた。

バーガー長官時代(1969年 – 1986年)には、人工妊娠中絶が憲法上の権利であると認めたロー対ウェイド事件、アファーマティブ・アクションに関するカリフォルニア大学理事会対バッキ裁判などで、多くの論争を巻き起こした。

 ※ 「平等権」というものも、重要な「憲法上の人権」と考えられる…。

そして、それは、伝統的に、「機会の平等」と考えられてきた…。

つまり、「憲法(や、社会)」が保障するのは、「機会」を与えることまでで、あとは、各人の「能力・才覚」に委ねる…。(よく言われる、「結果が出ないのは、あんたのせい。社会や制度のせいに、するな(≒自己責任)」という話しだ…。

 ※ しかし、これだと「国家制度や社会制度」のせいで、長らく「不平等な状態」を「強制されてきた者」には、あまりに過酷な話しじゃないのか…、という考えが生じてくる…。

 ※ それで、「アファーマティブ・アクション(※ そういう状態に置かれてきた人達を”優先的に、取り扱う”あるいは、”下駄をはかせる”制度)」は、「平等権」に反しないし、むしろ、推奨されるべきだ…、という考えが、出てくる…。

選挙活動における支出制限を違憲とする判決を下し、また死刑制度については、違憲から合憲へと短い間で判例を変更した。

ウィリアム・レンキスト長官時代(1986年 – 2005年)には、出訴権・労働組合の争議権・中絶権などを狭く解し、一方で連邦議会の通商条項上の権限を狭く解釈する二つの判決を出した。

2016年2月にアントニン・スカリア判事が死去し、当時のバラク・オバマ大統領(民主党派)はスカリア判事の後任候補を指名したが、共和党派の上院議員らの反対により挫折。
2017年1月に就任した共和党派のドナルド・トランプ大統領が保守派のニール・ゴーサッチを後任候補に指名し、同年4月7日に上院の同意を得るまで、合衆国最高裁判所の判事の席は約1年2か月にわたって1人空席の状態が続いていた[1]。

2021年4月9日、バイデン大統領は現行9人の定員を拡大することを含む改革について検討する超党派委員会を設置した。

大統領令に基づいて設置された委員会は、リベラル派と保守派の法学者、元連邦判事など36人のメンバーで構成され、公聴会を開くなどして180日以内に検討結果を報告する。

増員のほか、現行の終身制に代わる任期導入などについて「利点や合法性」を検討するという[2]。 』

投票権法案の可決絶望的に 米上院、バイデン氏に打撃

投票権法案の可決絶望的に 米上院、バイデン氏に打撃
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN20DZ90Q2A120C2000000/

 ※ 「フィリバスター」制限法案、ポシャったようだ…。

 ※ しかし、『議事妨害はフィリバスターと呼ばれ、長時間演説を続けて議事進行を妨げ、法案を廃案に持ち込む手法。かつては実際に演説する必要があったが、現在は形式的に議事妨害の意思を示すだけで効力を持つ。』…、ということは知らんかった…。

 ※ プロ野球の、「宣言四球」みたいなものか…。

 ※ 『民主党指導部は、フィリバスターに議場での演説を義務付け、共和党議員による演説継続が不可能になった時点で採決に持ち込めるよう規則変更を図った。民主党議員が全員同意すれば変更できたが、同党の2人が「党派対立をさらに深刻化させる」などとして反対していた。』…、ということだ…。

『【ワシントン=共同】米上院本会議で19日、民主党のバイデン大統領が公約として成立を目指す投票権擁護法案に関し、共和党の議事妨害を阻止するための規則変更が失敗に終わった。共和党議員のほか、民主党の中道派議員2人が規則変更に同意しなかった。法案を採決に持ち込む見通しが立たず、可決は絶望的になった。バイデン氏にとって大きな打撃となる。

投票権擁護法案は、共和党が優勢な各州で郵便投票の要件などを厳格化する州法が相次いで成立しているのに対抗し、民主党が提出した。全米で郵便投票や有権者登録を容易にする内容で、下院では可決済みだった。

議事妨害はフィリバスターと呼ばれ、長時間演説を続けて議事進行を妨げ、法案を廃案に持ち込む手法。かつては実際に演説する必要があったが、現在は形式的に議事妨害の意思を示すだけで効力を持つ。

民主党指導部は、フィリバスターに議場での演説を義務付け、共和党議員による演説継続が不可能になった時点で採決に持ち込めるよう規則変更を図った。民主党議員が全員同意すれば変更できたが、同党の2人が「党派対立をさらに深刻化させる」などとして反対していた。』

人権についてどのように理解すべきか―中国人専門家が「我々の考え」を紹介

人権についてどのように理解すべきか―中国人専門家が「我々の考え」を紹介
https://www.recordchina.co.jp/b888070-s25-c100-d0198.html

『 米国や米国に近い立場の日本や西欧諸国では、新疆などについて「中国での人権問題は深刻だ」とする声が大きい。しかし中国側は「人権問題が深刻なのはむしろ米国」と主張している。西南政法大学人権研究院の張永和院長はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、人権問題についての中国側の考えを紹介した。以下は、中国新聞社が発表した記事に日本人読者の理解を助けるために、若干の補足内容を追加して再構成したものだ。

【その他の写真】

■米国が強制労働を叫ぶのは、自国の黒人奴隷の記憶と関係?

米国は、新疆ウイグル自治区では綿花収獲について強制労働が存在するとして、米国企業に対して関連品の輸入を禁止した。しかし、西南政法大学人権研究院の調べによると、新疆において綿つみは、高収入を得られるので人気のある仕事だ。新疆では、綿つみのシーズンになると休暇を取る労働者もいる。工場などが追加賃金を提示する場合もあるが、綿つみの方がさらに稼げる仕事だからだ。

新疆ウイグル自治区の綿花収獲

このように、新疆にはいわゆる「強制中絶」や「強制労働」は存在しない。一つ一つの事例で分かるように、米国は新疆関連問題などを持ち出しては事実と異なる理由をつけて中国を圧迫している。米国はかつての、黒人を奴隷として綿畑で強制労働させた光景を故意に、中国の新疆に「接ぎ木」しているのかもしれない。

翻って米国は、自国に存在する深刻な人権問題をわざと無視している。そして、事実を捏造(ねつぞう)して人権問題を理由に他国を非難して、圧力を加えて制裁するのは、米国の常とう手段だ。新疆問題についても、このことが改めて示された。

■人権とは固定されたものでなく、社会の発展状況により異なる

人権とは、人類文明が共通して求めてきたものだ。どの国家もそれぞれが、自らの人権問題に取り組むことができる。そして中国の人権に対する理解や扱いも、自国の発展とともに進歩してきた。

中国は西側諸国の人権概念を認めることができる。しかし中国は、人権概念は多様と認識している。さまざまな国や地域では、人権やその他の権利は異なって理解され実現されるとの考えだ。

西側諸国の人権についての主流の考えは、「人権とは天(神)から与えられたものであり、確定したものだ」である。中国人の研究者は、人権の発展は段階的なものではないかと議論している。すなわち、国の発展段階が異なれば、社会や文化の構造が異なるので、人権の理解や人権問題で実現できることにも違いが生じるとの考えだ。中国は例えばアフリカの一部国家の人権状況や概念が西側や中国とは異なることに理解を示ことができる。

しかし西側諸国は人権について狭い理解をしている。そして西側諸国が人権問題で中国など他国を批判し続けるのは、外交などで自らが優位に立とうとする「利益」のためだ。

一方で、中国は人権問題について「発言は少なく行動は多く」の姿勢だ。2019年に中国で発表された白書「人民の幸せを図る:新中国における人権事業の発展70年」では、中国が人権関連で多くの努力と貢献をしたことが示されている。

■人権問題の論争で、中国は主導権を握ってよい

中国の人権事業の発展は現在のところ、「受動」から「能動」への転換期にある。米国など西側の一部国家は中国に対して、いわゆる「人権外交」の攻勢をかけ、常にいざこざを起こしてきた。中国は自らの潔白を示す反論をせねばならない。そのため中国は人権問題について、しばらく「受動」の状態を続けざるをえないかもしれない。

西南政法大学人権研究院の張永和院長

しかしながら中国はすでに、人権関連の作業で転換期をすでに迎えている。2020年から21年にかけては、西側諸国に存在する人権関連の構造的な問題が露呈した。新型コロナウイルス肺炎の流行に対しての西側国家の実績はひどいものだ。死亡した人が過去に経験した大戦争における戦死者よりも多いということは、人権の中でも最も基本となる生存権すら保障されていないということではないのか。

中国はこれらの問題を指摘して反論してきた。特に米国については、人権侵害が顕著だ。例えば、米国には多くの児童労働者が存在し、2003年から16年にかけて児童労働者452人が労働災害で死亡したとの、米国メディアによる報道もあった。中国は米国における人権問題の状況を総括して、相手が仕掛けた言葉の罠(わな)から飛翔して主導権を握る必要がある。(構成 / 如月隼人)』

中国式「ゼロコロナ」のカラクリ

住民の強制隔離で感染者ゼロ?中国式「ゼロコロナ」のカラクリ
習近平のこだわり、「社会面清零」号令の恐ろしさ
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68333

『中国陝西省の省都、西安市の新型コロナ感染状況がかなり深刻なようだ。2022年1月2日、3日と連続して90人以上の新規感染者が出ており、累計1700人程度となった。陽性者数の数字でいえば、欧米諸国の状況と比較して微々たるものだ。だが、恐ろしいのはウイルスではなく、「社会面清零」と呼ばれる「ゼロコロナ政策」だろう。

 1月1日に行われた西安市のコロナ感染防止コントロール指揮部のビデオ会議で、1月4日までに西安市の新規コロナ感染者をゼロに抑えるゼロコロナ政策目標が打ち出された。2日には陝西省の書記、劉国中が、社会面清零(ゼロコロナ)目標をできるだけ早く実現せよ、と通達していた。

 だが1月2日、陝西省で新たに92人の新型コロナ感染者が出ている。うち90人が西安市の住人だ。3日には西安市だけで95人の感染者が出た。西安市では12月23日に都市封鎖(ロックダウン)が始まり、8日ぶりに新規感染者が100人を切ったという意味では徐々に落ち着いてきているわけだが、それでも1月4日までに新規感染者をゼロにするなど、非科学的・非現実的な通達ではないか。
僻地の隔離施設に送られる住民たち

 だが、インターネット上に流れた西安市の「強制隔離」風景の動画を見たとき、多くの市民たちは気づくことになった。「ゼロコロナ」とはコロナウイルスを徹底排除せよ、ということではなく、コロナ感染者を社会から徹底排除し、「ゼロ」とすることだったのだ。実際、感染拡大の可能性のある「小区」(集合住宅の集まる住宅区、団地)の住民が、数万人単位で「社会」と隔絶された僻地の「収容施設」に収容されていた。』

『たとえばある小区で1人の疑似感染者が出たとする。すると、何台ものバスがその小区の前にやってきて、いきなり子供も大人も老人も病人も一緒くたにバスに詰め込まれ、小区の住人全員が漢中や安康など市の郊外の隔離施設に連行されるのである。事前告知などほとんどないため、生活に必要なものも準備できないまま、どこに連れていかれるかもわからぬままバスに乗せられる。そして、ここで2週間隔離生活しなさい、と案内された場所は、水栓がたった1つ、暖房もない不潔な部屋にパイプベッドが並べてあるだけ。今の西安の最低気温は零下5度前後だ。感染予防のための隔離といいながら、複数の人間が同じ狭い部屋に詰め込まれ、食事も人数分がない、という。

 米国の政府系メディア「ラジオ・フリー・アジア」も、西安市疾病コントロールセンターから得た情報としてこんな報道をしていた。孫春蘭副首相が、学校などで発生したクラスターのコントロール強化を現場に指示したことを受けて、西安当局は西安航空学院の数千人の学生を陝西省南部の僻地に隔離した。安康市陽県の疾病コントロール当局が7つのホテルを徴用して400人の学生を収用していることが確認されたという。ほかにもいくつかの隔離施設に分けて、西安市内の感染可能性のある人たちの隔離を行っている模様だ。

 今のところ、隔離施設には鉄条網も武装警官による厳重な見張りもなく、隔離された人が逃げ出そうと思えば徒歩でも逃げ出すことができている。一部の人たちはこの施設から逃げ出した。だが外に出てみればバスも地下鉄もない郊外だ。自宅に帰るには、徒歩しかない。道路沿いを、隔離施設から脱出した人たちがぞろぞろと歩いて帰ろうとする様子がネット動画に流れていた。だが、隔離施設から逃げ出す人が多くなれば、やがて鉄条網もできるだろうし、武装の警備もつくかもしれない。
数値目標の達成、帳尻合わせが最優先

 ここで問題の本質は、中国でコロナ対策としての「社会面清零」モデルの概念が固まったことだろう。在カナダ華人の人気YouTuber文昭が、こうした「社会面清零」措置の例の動画などを挙げて、こう解説していた。』

『「社会面清零の概念は、人と社会を分離して、強制収容キャンプモデルで管理するということだ」

 市内の居住区に住民がおらず、空っぽであれば、そもそも人がいないのだから、ゼロコロナが達成されたことになる。仮に隔離施設内で新規感染者が発生しても、それは新規感染者にカウントされない。なぜなら、彼らは社会から隔絶されたところにいるからだ。

 これは問題発言した女子テニスプレーヤーを失踪させたり、あってはならない事故を起こした高速鉄道車両を穴を掘って埋めてなかったことにするのと同じといえば同じだ。

 重要なのは、政策として打ち出された「社会面清零」が、“中央からの無茶な指示を受けた現場官僚たちが、何とか帳尻を合わせるために人民を欺くロジック”として確立したことだ。

「社会面清零」政策は根本的な防疫対策とはかけ離れており、実際のところ、感染可能リスクの高い集団を密集させて連行し、密集させて収容しているのだから、むしろ交差感染が起きやすく、感染爆発が起きやすい状況を人為的に作っている。コロナをゼロにする、という数値目標を達成するために、いかなる犠牲もいとわない。人民の健康や暮しを犠牲にしても、経済成長を犠牲にしても、社会の安定を犠牲にしても、とにかく目標数値達成に向かって邁進する。これに異論を唱える者は、反動分子であったり、階級の敵とみなされる・・・。共産党の歴史を振り返ると、この種の政策はそういう風に発展していっても不思議ではない。』

『習近平政権になって、こうした共産党の伝統的な「運動式政策」は増えている気がしていたが、この「社会面清零」政策がもつムードは、なかでも毛沢東の「大躍進」に匹敵する非合理さを感じる。
閉じ込められた人々が食料不足に

 西安市で起きているのは、単に感染者強制排除・隔離の問題だけではない。家庭に閉じ込められている人々が直面する食料不足は、社会モラルの崩壊につながりそうな危機感を醸している。西安市のロックダウン1週間を超えたあたりから、ネットでは食料不足を訴える声があふれはじめた。

 家に食料の保存、備蓄がなく飢えを感じ始めた人々が、食料を手に入れるためにルールを破って外出、警察や当局者に見つかって暴力的に取り押さえられたりする事件が起きている。食料の値段は法外に引き上げられ、ある市民の微博(Weibo)への投稿によれば、わずかな野菜、果物、数パックの牛乳を何とか買うことができたが全部で1120元(1万7000円)かかったという。これは西安市都市民の平均月収の4分の1以上に相当する値段だろう。

 ある市民はネット動画の中で、200元で購入できたものを広げていた。ピーマン10個40元、トマト6個40元、白菜2つ40元、葉もの野菜3つで40元、玉ねぎ1個40元、大根4本40元・・・。「野菜を売る奴らが国難に乗じて金儲けしている!」と強い恨みを訴えていた。西安では今、手に入る野菜のほとんどはだいたい通常の10倍以上の値段がついているとも。

 購入したくても購入できない場合も多く、一部の市民は隔離されたマンションの中で、食料備蓄のある住民に高価なたばこを差し出し、引き換えにわずかな食料をもらったり、アップルのスマートフォンと米を交換するなどしているという。「この3日間、一粒の米もたべていない」と嘆く若い女性の微信(WeChat)投稿に対し、「私は童貞だ。一度セックスの相手をしてくれるなら食料を分けてあげる」といった返信がついていたりしていた。』

『ある老女が食べ物を求めて外に出ようとしたところ、警官にとがめられて押し問答をしている様子のネット動画があった。警官は「午後には米や油や塩は配給があるので、外に出てはなりません」と言うが、老女は「今、家の中に何も食べるものがまったくないんです」と泣いて訴えていた。

 12月29日午後に、西安市新城区の小区(居住区)に、野菜や果物や肉類をいっぱいに積んだトラックが入ったという。小区には180戸あり、野菜や肉5キロが詰め込まれた180個の大きな袋を小区の住民がリレー式に運び込んでいる様子などが報じられていた。だが、のちにネットユーザーたちが、この小区の住所を検索すると、そこが陝西省人民代表と陝西省政府公務員家族の宿舎であることが判明。コロナ禍の中で官僚たちが特権をフルに活用していると非難が沸き起こり、騒然となった。
ウィズコロナへの転換は「敗北」

 中国はなぜ、ここまで徹底したゼロコロナを目指すのか。しかも1月4日までに実現という無茶な期限を設けたのか。

 理由は簡単だ。1つは春節(2月1日)の人民大移動(春運)に悪影響を与えないため。そしてもう1つは、2月4日から北京で始まる冬季五輪への影響を与えないため。先に期限が設定され、現状分析もせずに、その数値目標が上層部から投下された。現場の官僚たちは、何がなんでもその目標を達成せねばならない、というわけだ。

 2020年の春節前に武漢でコロナが発生していた当初、武漢市当局は春節移動に影響を与えるな、という中央の指示に従うためにコロナ情報を隠蔽した。それと同じ理屈だ。』

『なぜ「清零」にこだわるかというと、これは習近平のこだわりであるらしい。2021年7月ごろ、党中央でも「清零」(ゼロコロナ)から、欧米式のウィズコロナ政策に転換すべきだ、という識者の声があった。だが、表だってそう訴えた上海の感染症専門家の張文宏は、中国メディアおよび習近平のインターネット上の親衛隊「ネット紅衛兵」たちから大バッシングを受けて黙らされた。ゼロコロナは習近平自身が自ら指示した政策であり、欧米を真似て政策転換することは、中国がコロナ政策において敗北したと認めるに等しい。習近平としては絶対受け入れられない。

 2020年の武漢のロックダウンは習近平にとって成功体験だ。欧米で第2次大戦の犠牲者に匹敵する死者が出たのを横目に見ながら、いち早くコロナを封じ込め、経済を回復基調に導いたという自負があった。その政策を今更、欧米式のウィズコロナに転換できるわけがない。

 前出のYouTuber、文昭は「欧米社会はコロナ陽性者数という数字より、経済や人々の暮しを重要視して政策を決める。中国は人民にどれだけ犠牲を強いても目標数字を達成することをますます重視するようになっている。2022年1月はコロナ政策における欧米社会と中国の徹底的な分岐点を示した」と語っていた。

 感染者(の可能性がある者を含む)全員をどこか僻地に強制移住させ、社会から排除してゼロコロナだと拍手喝采するのも、貧困農村の村民全体を強制移住させて「脱貧困」達成だと胸を張るのも、ウイグル人から信仰と言葉を奪ってウイグル人も中華民族の一員だとうたうのも、香港の異見・異論者を全員駆逐して香港には愛国者しかいない、というのも、実はだいたい発想が同じである。中国共産党に不都合なものは、力づくで存在しないことにする。習近平が気に入らないものは見えないところに隠すやり方だ。

 だから、そんな見せかけの平和と安定の中で、北京冬季五輪という平和とスポーツの祭典を楽しめるのか、楽しんでいいのか、ということをやはり一人ひとりが考えてほしいところである。五輪自体がすでにぼったくり男爵たちの利権運動会に成り下がっている、と言われてしまったら、何をかいわんや、だが。』

[FT]「民主主義を兵器化」と米国を非難する中国

[FT]「民主主義を兵器化」と米国を非難する中国
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB131IG0T11C21A2000000/

『中国政府は、バイデン米大統領が主催した民主主義サミットを狙った広報キャンペーンを打ち出した。共産主義国家である中国も、世界の偉大な民主主義国家の一つとして認められるに値すると主張している。

中国は米国主導で開かれた民主主義サミットを鋭く批判した=ロイター

バイデン氏が9~10日に開いたサミットに先駆けて、中国の習近平政権は数々の白書やセミナーを通じて同国の政治制度の長所を自賛し、自らの民主的モデルを世界の他の国に押し付けようとしていると米国を批判した。

中国外務省の汪文斌副報道局長は、「公然と民主主義サミットと呼ばれるものを開いて地政学的な利益のために分裂と対立をあおり、それによって民主主義を兵器化しようとしている」と米国を非難した。

中国政府にとってさらに屈辱的だったのは、バイデン氏が招いた参加者のリストに中国が領土の一部と主張している台湾の代表や、中国が圧力を掛けている香港の民主化運動の関係者らが並んでいたことだ。

米ワシントンにあるシンクタンク、スティムソン・センターの中国外交政策専門家であるユン・スン氏は「中国が憤慨しているのは、サミットが中国を孤立させ、中国共産党の正当性を損なうものだからだ」と解説する。「そこには香港や台湾(の代表が出席していたこと)そのものではなく、もっと根深い問題がある」という。

共産党支持者は、民主主義は結局のところ手段ではなく目的だと主張する。そして新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)封じ込めやインフラ建設といった中国の成功例を挙げる。

「中国の制度は機能しており、中国を取り巻く環境にも即している」。元中国外交官で現在は北京にあるシンクタンク、全球化智庫(CCG)に務めるビクター・ガオ氏はそう指摘する。「混乱や不安定を公共の敵とみなし、経済発展のための安定を維持することで中国は幸運にも今日の体制を作り上げることができた」

国外で通用しないロジック

さらに中国の支持者は欧米、特に米国の権力の抑制と均衡の制度に重点を置いた民主主義はあまり市民の期待に応えていないと考える。

香港の親中派議員である葉劉淑儀(レジーナ・イップ)氏は、昨年民主派の議員が一斉に辞任して、立法会(議会)は変わったと指摘する。以前は議員らは多くの政府法案を阻止するべく投票していた。

葉氏は「反対派は立法会を拒否権の行使機関に変えた」と話す。「あらゆる法案を拒否し、中国に関係するものすべてに反対した。中国の一部として、香港は自国政府に反対して政府事業を差し止める議会を持つことは許されない」と同氏は説明する。

こうした主張は中国国内では評価されるが、アナリストらは政治的・市民的自由を欠く中国は海外で自国を売り込みにくくなっていると指摘する。

スティムソン・センターのスン氏は「民主主義は統治のプロセスではなく結果で定義されるべきだという考え方を中国がもてあそんでいることに海外の人は納得しないだろう。それは内輪のロジックであって、外向きには通用しない」と話す。

シンガポールの元外交官、ビラハリ・カウシカン氏は「(民主化への)政治的進化に至る道筋は1つしかないという考えは、事実上間違っている」とし、中国政府支持者に同調する。

一方で、「それを何と呼ぼうが、中国のやり方はそんなに魅力的なものとは思わない」と話す。

同氏は、習氏が「党やイデオロギー的な規律に関する自身の考えを党にのませることで、党の能力が損なわれている」間でさえ、中国の経済と人々は大きな変化を遂げていたと指摘する。

「経済が変化して人々も変わるなら、政治制度も進化しなければならない。それは私が中国に関して抱く長年の疑問の一つだ」とカウシカン氏は語った。

By Tom Mitchell

(2021年12月10日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

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日本国憲法第10条

日本国憲法第10条
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC10%E6%9D%A1

『日本国憲法 第10条(にほんこくけんぽう だい10じょう)は、日本国憲法の第3章にある条文で、国民の要件について規定している。』

『条文

第十条
    日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

解説

日本国民であること、すなわち日本国籍に関する要件をどう規定するかについては、日本国憲法は法律全て委任している。具体的には、本条を受けた国籍法により規定されている。

同法によれば、日本国籍を取得するのは、以下の場合である。

出生による取得
    出生時に両親の一方が日本国民である場合
    出生前に父が死亡した場合で、その死亡時に父が日本国民であった場合
    日本で生まれ、両親がともに不明あるいは無国籍の場合

認知による取得

帰化による取得
    帰化申請が提出され法務大臣の許可が下った場合

このほか、領土の変更に伴う国籍の変更について条約で定めることも認められる[1]。 』

「日本国は我々のもの」「帰れ」とブログ書き込み 在日女性が40代男性をヘイトと提訴

「日本国は我々のもの」「帰れ」とブログ書き込み 在日女性が40代男性をヘイトと提訴https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/kawasaki-hate22

 ※ 「言論の自由」と言っても、当然に「限界」はある…。

 ※ 「名誉棄損」や、「脅迫(害意の通知)」に該当しないように気をつけよう…。

 ※ 単に、「日本国は我々のもの」「帰れ」と言うくらいは、微妙だろうな…。

『訴えを起こしたのは、川崎に暮らす在日コリアン3世の崔江以子(チェ・カンイジャ)さん。弁護団によると投稿者は北関東在住の40代で、手紙を通じて自らの書き込みであることを認めた。』

『「愛する日本を取り戻す」とうたう匿名ブログやTwitterアカウントから繰り返しヘイトスピーチなどの被害を受けたとして、川崎市内の在日コリアンの女性が、投稿者の男性に対して損害賠償など計約300万円を求める裁判を11月18日に横浜地裁川崎支部に起こした。

(*この記事にはヘイトスピーチの文言が直接含まれます。閲覧にご注意ください)』

『訴えを起こしたのは、川崎に暮らす在日コリアン3世の崔江以子(チェ・カンイジャ)さん(48)。訴状によると、訴えの対象となったのはブログとTwitterに書き込まれたいくつかの言葉だ。

アーカイブサイトによると、男性は2016年6月、川崎で開かれたヘイトデモに抗議する崔さんを取り上げた記事を自身のブログで引用。「お前何様のつもりだ!」と名指しし、以下のように書き込んだ。

《日本国は我々日本人のものであり、お前らのものじゃない!『外国人(在日コリアン)が住みよい社会』なんて、まっぴらごめんだし、そんな社会は作らせない。思い上がるのもいい加減にしろ、日本国に仇なす敵国人め。さっさと祖国へ帰れ》

崔さん側は訴えで、「日本国に仇なす敵国人め。さっさと祖国へ帰れ」という言葉がヘイトスピーチ解消法が定める「地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」にあたると指摘。人格権に対する違法な侵害行為であると主張している。

崔さんが法務局に人権侵犯被害を申し立てたことで、記事は同年10月に削除された。しかし、男性は「個人的に恨みがあります」として、その後もブログやTwitterで崔さんに対する書き込みを計70件続けたという。

それから2020年10月までに計5回、崔さんの行動を指して「差別の当たり屋」「被害者ビジネス」と記しており、崔さん側はこの言葉が事実ではなく、社会的評価を低下させる名誉毀損に当たると主張している。

崔さんの弁護団によると、ブログサイトへの発信者情報会請求を経て、提訴に至った。長期かつ複数回にわたって執拗に攻撃を受けたとして、記事削除の5年後に提訴に踏み切ったという。

男性はブログ上で「日本国が大好き」「反日マスコミ、反日外国人、売国奴と闘う」などと記載している。弁護団によると北関東在住の40代で、手紙を通じて自身の書き込みであることを認めた。精神的な不調を理由にあげたという。

「私にとって存在を否定する言葉」
Kota Hatachi / BuzzFeed 』

『崔さんはこのほかにも「極東のこだま」を名乗るTwitterの匿名アカウントに暴力を示唆する書き込みをされたり(川崎簡裁が罰金30万円の略式命令)、職場に脅迫状を送られる(脅迫罪で刑事告訴、現在捜査中)などしており、外出時には防刃ベストをつける生活を強いられている。

弁護団の師岡康子弁護士は同日開かれた会見で、これらの被害の根本に「ネットリンチ」が存在していることに触れ、「在日、しかも女性である崔さんが攻撃の的とされている。日常生活でも恐ろしい思いを続けており、家族にも影響が及んでおり、放置できない」と話した。

同じく弁護団の神原元弁護士は「日本では差別が不法行為であるということが必ずしもはっきりしていない。裁判を通じて社会的に確立させたい」と話した。包括的な差別禁止法の制定や、者が司法に頼らずとも申告できる制度、機関の必要性にも言及した。

一方、崔さんは会見で、「祖国へ帰れという言葉は、私にとって存在を否定する言葉です。この社会にいてはいけないんだと言われている言葉です」と語り、こうも訴えた。

「ネット上の差別、ヘイト書き込みと向き合うときは、本当に孤独です。人々の生活に欠かせないツールであるネット社会で、こうやって匿名に隠れて人を人とも思わない書き込みが野放しにされているということ、被害が生じていいるけれども、被害者がとる策がほとんどないということを、ぜひ知っていただきたい」

「一方で『帰れ』という言葉は、私だけではなく、路上のヘイト街宣などで子どもたちも向けられています。差別が違法であると司法の場で示されることによって、法律や条例の運用の大きな力となり、ヘイトスピーチが野放しにされない社会になってほしいと願っています」

いまだ、崔さんを匿名で攻撃している人は少なくない。現在、このほかにも発信者情報開示請求を並行して続けているという。』

WTA、「中国撤退も辞さず」 テニス選手の安否問題で

WTA、「中国撤退も辞さず」 テニス選手の安否問題で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN19EF20Z11C21A1000000/

 ※ これは、ちょっと「幕引き」が難しくなってきた…。

 ※ 中国としては、「北京冬季五輪のボイコット」問題も絡んでくるんで、対応が難しいだろう…。

 ※ ただ単に、本人を登場させて、「私は、この通り無事です。」と言わせれば足りるという話しじゃ無いからな…。

 ※ 人権とビジネスが対立した場合には、「人権」を取る…、という「価値判断」に出られると、中国としては、打つ手が無くなる…。

『米CNNテレビの電子版は19日、中国共産党最高指導部メンバーだった張高麗元副首相と不倫関係にあったと告白した女子テニスの彭帥さんの安否が懸念されていることに関連し、女子ツアーを統括するWTAのスティーブ・サイモン最高経営責任者(CEO)が中国撤退も辞さないとの強い姿勢で適切な調査を求めたと報じた。

同CEOは「われわれはビジネスを引き揚げることも辞さない。なぜならこれはビジネスよりも大事なことだからだ」とし「女性は尊重される必要がある」と述べた。彭帥さんのものとするメールを中国国営メディアが公開したものの、内容の真偽を巡って疑問の声が上がっている。(共同)』

[FT]EU、司法の独立めぐりポーランドに罰金警告

[FT]EU、司法の独立めぐりポーランドに罰金警告
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB214B20R20C21A7000000/

 ※ ちょっと分かりにくい記事だと思う…。

 ※ 「司法の独立」の話しと、「EU復興基金の配分」の話しが混ざっているからな…。
 ※ 「司法の独立」の観点から、語っておく…。

 ※ ここでは、「民主主義」と「三権分立」が対立する…。

 ※ 民主主義からすれば、どこまでも「国民の意思」が「国政」に反映されることが望ましい…。それは、さらには、「国家の組織機構」にまでも及ぶ…。

 ※ 他方、「国民の人権の尊重・保障」という観点から、国家権力の抑制・均衡を図る「三権分立」を貫きたい考えからすれば、「司法の独立」を堅持するべきだ…、という考えとなる…。

 ※ 『ポーランドの保守ナショナリズム政党「法と正義」は政権に就いた5年前からEUと対立を続けている。同党が司法制度改革を推進し、司法に対する広範な権限を政治家に与える一連の法律を成立させてきたからだ。

同党が司法改革を通じて最高裁判事の罷免したり、判決内容次第で裁判官の処罰を可能にする懲戒機関を設置したりしたのを受けて、EUはポーランド政府をECJに提訴した。』…。

 ※ ということで、保守ナショナリズム政党「法と正義」が前者の立場から一連の「司法制度改革法案」を成立させてきたのに対し、欧州委員(司法担当)側が後者の立場から「ポーランド政府をECJに提訴した。」という話しになる…。

 ※ ことが「LGBT(性的少数者)」の扱いに絡むんで、「慣習・宗教・世界観」なんてものが影響する…。

『レインデルス欧州委員(司法担当)は20日、どんな方法で判決に従うのか8月16日までに回答するようポーランド政府に書簡で要求したと発表した。何の対応もなければ「ポーランドに金融制裁を科すようECJに求める」と記者団に語った。

ポーランドの司法の独立をめぐるEUとの対立はこれを機にさらにエスカレートしそうだ。欧州委は同日、レインデルス氏とヨウロバー副委員長(価値・透明性担当)が加盟27カ国の「法の支配」に関する広範な報告書も公表した。この中ではポーランド、ハンガリーなどで司法制度や汚職撲滅の動きに対する脅威が増していると指摘した。

EU復興基金の配分にも影響

ポーランドとハンガリーはコロナ禍からの経済再生を目的とする8000億ユーロ(約97兆円)のEU復興基金から計数百億ユーロの配分を求めており、報告書の内容が資金配分にも影響を及ぼしそうだ。

両国政府は申請に必要な復興計画を2カ月以上前に欧州委に提出したが、いまだに交渉中で最終承認を得ていない。ポーランドは復興基金から約240億ユーロ、ハンガリーは70億ユーロ強を配分するよう求めている。

ハンガリーはとりわけ厳格な審査を受けている。学校やメディアでLGBT(性的少数者)に関する描写や議論を禁じる法律を施行したためだ。ジェンティローニ欧州委員(経済政策担当)は先週、ハンガリーの復興計画承認には数週間かかるかもしれないと述べた。

ポーランドの保守ナショナリズム政党「法と正義」は政権に就いた5年前からEUと対立を続けている。同党が司法制度改革を推進し、司法に対する広範な権限を政治家に与える一連の法律を成立させてきたからだ。

同党が司法改革を通じて最高裁判事の罷免したり、判決内容次第で裁判官の処罰を可能にする懲戒機関を設置したりしたのを受けて、EUはポーランド政府をECJに提訴した。

司法改革はEU法違反

ECJは14日、裁判官の免責を剥奪する権限を懲戒機関に付与する規定などの執行差し止めをポーランド政府に命じた。翌日には同国の懲戒制度がEU法に違反するとの判決を下した。

ポーランド政府のミュラー報道官は20日、欧州委が示した文書について精査中としながら、「ポーランドで施行されている法的手続き」は他のEU加盟国とそう違っていないと述べた。

欧州委は報告書で、ポーランドの司法制度に対する国民や企業の認識がこの5年間で着実に悪化したと強調。「司法制度改革は様々な面で法の支配、特に司法の独立への重大な懸念を引き起こしている」と警告した。

報告書はハンガリー政府に対しても、政府高官の恩顧主義や身びいきの問題を放置していると強く批判し、同国の司法制度やバルガ・ジョルト・アンドラーシュ氏の最高裁長官任命に警鐘を鳴らした。

同氏の長官任命には裁判官の自治組織である全国司法評議会が経験不足を理由に反対していた。

報告書はハンガリー政府の汚職問題についても、独立した制御機構が十分に機能しておらず「組織的な検査体制」も欠けていると批判した。

一歩も譲るべきでない

欧州議会はEUの価値観を軽視し続ける加盟国にはEU基金の拠出を差し止めるなど、法の支配の侵害にもっと強い姿勢で臨むよう欧州委に迫っている。

欧州議会のリベラル会派「欧州刷新」のチョロシュ代表はハンガリーの復興計画承認に向けてEUは一歩も譲るべきではないと強調した。

チョロシュ氏はフォンデアライエン欧州委員長から「ハンガリーのオルバン首相が復興資金を不正流用しないと100%保証しない限り、復興計画を承認すべきでない」との言質を得たことを明らかにした。

欧州委の報告書はオーストリアやブルガリアの汚職、チェコ政府高官による利益相反行為についても問題視している。また、いくつもの加盟国でメディアの独立性が脅かされていると指摘し、7月にアムステルダムでオランダ人記者ピーター・デ・フリース氏が殺害された事件など、特に犯罪や汚職の調査報道に携わるジャーナリストへの襲撃も重視している。

By Sam Fleming & James Shotter

(2021年7月21日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

(c) The Financial Times Limited 2021. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.

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【関連記事】

・[FT]EU最高裁、ポーランドの裁判官懲戒制度は「違反」
・EU復興基金成立遅れ 「法の支配」条件、東欧反発
・ポーランド、中絶禁止の抗議運動が激化、政権批判強く
・東欧が揺さぶるEU コロナ禍で際立つすれ違い 』

「国会の判断」当面進展せず 自民、集約先送り―夫婦別姓

「国会の判断」当面進展せず 自民、集約先送り―夫婦別姓
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021062301123&g=pol

※ 賛成、反対…、どっちに「集約」しても、一定の支持層が離れて、票を減らすことになる…。

※ 「問題先送り」するに、如くは無い…。

※ 「一票の格差」の問題のように、最高裁から「国会の怠慢」の「お𠮟り」を受けることも無いしな…。

※ 「一票の格差」の問題の場合は、「民主制」の大前提たる「投票制度」「一票の価値の平等」の問題だ…。

※ 憲法上も明確に、「現実的に、でき得る限りの平等を図る」という価値判断が成立するところだろう…。ここに異論は、無いだろう…。

※ しかし、「夫婦同氏」「家族同氏」の価値は、人によって様々な考え・価値判断があり得るところだ…。

※ 必ずしも、「一方向に収れんする」というわけのものでも無い…。

『夫婦別姓に関する憲法判断が注目を集めた23日の最高裁決定は、別姓を認めない現行法の規定を合憲とする一方、制度の在り方は「国会で判断されるべきだ」とし、選択的夫婦別姓制度導入の是非の判断を再び立法府に委ねた。ただ、党内で賛否が伯仲する自民党は意見集約を次期衆院選後に先送りしており、当面は進展しそうにない。
自民、衆院選前の意見集約先送り 夫婦別姓、党内の溝埋まらず

 自民党の下村博文政調会長は決定後、記者団に「わが党にも多様な意見がある。衆院選が終わってから本格的に議論し、方向性を見極めていきたい」と語った。

 自民党内では昨年12月、選択的夫婦別姓をめぐる議論がまとまらず、政府の第5次男女共同参画基本計画から「選択的夫婦別氏」の文言が抜け落ちた経緯がある。同党は今年4月、新たに設けたワーキングチームで議論を再開したが、先にまとめた論点整理では「司法の判断も踏まえ、さらなる検討を進める」と記すにとどめた。

 党内の賛成、慎重両派の議員連盟は23日、それぞれ談話を発表。賛成派議連は選択的夫婦別姓について「(最高裁の)指摘を重く受け止め、一日も早く実現できるよう活発に活動する」と訴え、慎重派議連は「国民が懸念する子に与える影響や社会的混乱、財政的コストの観点から冷静かつ慎重な議論を行う」と強調した。

 別姓賛成の公明党の竹内譲政調会長は記者会見で「時代はものすごい勢いで変わっている。自民党の活発な議論を期待する」と注文を付けた。

 立憲民主党など野党は次期衆院選で別姓推進を訴え、自民党との対立軸としてアピールする方針だ。立民の安住淳国対委員長は記者団に「自民党とわれわれの一番の違い。世界標準に改めることを総選挙で訴えたい」と表明。共産党の穀田恵二国対委員長は会見で「国会で壁になっているのは自民党の一部。理屈にならない理屈で反対している。時代錯誤だ」と指摘した。』

最高裁、夫婦別姓認めず

「いつになったら選べますか」 最高裁、夫婦別姓認めず
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFE22CDF0S1A620C2000000/

『夫婦同姓を定めた民法と関連する戸籍法の規定について、最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)は23日、家事審判の特別抗告審決定で「合憲」とする判断を示した。合憲判断は2015年以来だ。婚姻や家族のあり方は時代と共に変わっていくと思っていたが、最高裁の判断は6年を経ても変わらなかった。私たちは120年以上前に作られた枠組みの中でこれからの時代を生きることになる。

すでに日本は国際社会の中で異質な存在だ。夫婦同姓を強いる国など世界中でほかに見当たらない。独メルケル首相も夫婦別姓を選択しており、今の夫の姓はザウアー氏だ。ニュージーランドのアーダーン首相とパートナーであるゲイフォード氏との間に生まれた娘は両方の姓を持つ。

日本では社会的な圧力からほとんどの妻が夫姓に変えているとして、国連は再三にわたって是正勧告を出している。名前は個人を特定するものであり、生まれたときからの名はアイデンティティーでもある。平均初婚年齢が30歳前後となった現在では男女とも婚姻前にキャリアや信用、人脈、資産を積んでおり、改姓に伴う負担は大きい。

こうした問題に対して政府が提案するのは、別姓ではなく旧姓の通称利用だ。

職場で共に働く仲間が旧姓を利用していれば、本名はなかなかわからない。だから子どもの緊急時に保育所から勤め先に親の戸籍名で問い合わせが入っても、つながりにくくなる。海外の学会に参加しようにもパスポート名と一致しない。同一人物であると証明するためには多大な手間が求められる。特に研究者など国際社会で活躍する人ほど不利益を被る。

パスポートなどを旧姓併記にしても旧姓と戸籍姓の連続性が国際的に証明できるわけではない。外務省によると旧姓を併記する国は少なく、入国時に入国管理当局から説明を求められるケースがあるという。世界的に本人認証が厳格化する中、「私は田中花子ですが、佐藤花子も私です」と言えば〝なりすまし〟と疑われても仕方がない。

企業の負担も大きい。内閣府が17年に公表した調査では旧姓使用を認めている企業は45.7%にとどまった。企業経営者らは「名字の変更や使い分けに対する負荷をビジネスの現場に押しつけており、企業の生産性を下げる一因となっている」などとしてこの春、「選択的夫婦別姓の早期実現を求めるビジネスリーダー有志の会」を発足させた。

少子化で一人っ子の多い時代、婚姻によって実家の名前は次々と消滅していく。家族や先祖を大切に思い、実家の姓を守りたい一人っ子同士が結婚できないという問題は地方で深刻だ。別姓を通すため事実婚を選択するカップルも少なくない。

だが事実婚で家族をつくることに日本の制度は十分対応できていない。先進国の中でも出生率の高いフランスなどは婚外子が半分以上を占めるが、日本は婚外子の割合が著しく低く、出生数の減少スピードは加速している。家族を守るための法律が、家族を守り継承させたいと願う人の未来を奪ってはいないだろうか。

法務省の法制審議会が選択的夫婦別姓制度の導入を答申して四半世紀。当時うまれた子どもたちは大人になり、親世代が先送りしてきた問題に直面している。

30歳未満の若者でつくるプロジェクト「#男女共同参画ってなんですか」は昨年、第5次男女共同参画基本計画策定に向けて若者の意見1000件以上をとりまとめた。最も多かったのが「選択的夫婦別姓の早期導入」だ。「現行制度ではお互いの姓のままでいたい人が結婚できない」と主張する。署名活動は5日間で3万筆を集めた。

6年前に最高裁は選択的夫婦別姓について「合理性がないと断ずるものではない」「国会で論ぜられ、判断されるべきだ」とした。だが昨年末の基本計画は、自民党内からの強い反対によって「選択的夫婦別氏(姓)」の文言が削除された上で閣議決定した。

「いつになったら選べますか」。これからの時代を生きる若い世代の問いに、一体誰が答えるのだろうか。

(編集委員 中村奈都子)』

夫婦別姓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E5%88%A5%E5%A7%93

『民法および戸籍法の規定
日本では以下の民法および戸籍法により、日本人間の婚姻の場合、夫婦は同氏と定められている。

民法 第750条(夫婦の氏)
夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

戸籍法 第74条
婚姻をしようとする者は、左の事項を届出に記載して、その旨を届け出なければならない。
一.夫婦が称する氏
ニ.その他法務省令で定める事項

これに対し、アイデンティティ喪失、間接差別、改氏の不利益[15]などの理由から、別氏のままの婚姻を選択できる制度の導入が検討され、訴訟も起きている[16][17][18][19]。
一方で、改氏する者の不利益は改善されない、別氏の間接強制になりえる、などの主張[20][21]、親子別氏の問題が発生するという主張[22]や、旧姓の通称使用拡大で十分との主張[23]、簡易に氏名変更できるようにする方が先決[24]などの反対論・消極論がある。(「#賛否の論点」参照)』

米、マスク論争再び バイデン氏「原始人」発言に批判

 ※ 基本、「個人の尊重」は、「個人の見解、判断の尊重」とほぼ等しい…。

 ※ しかし、「感染症対策」においては、また、話しが違ってくる…。

 ※ というのは、「感染するのは、あなたの自由(勝手)。感染したのは、自業自得。」だけじゃ、すまないからだ…。

 ※ 「勝手に感染して、ウイルスをまき散らされる」んじゃ、「みんなが」「社会全体が」迷惑する…。一定の割合で「重症者」「死者」が出る、となれば、なおさらだ…。

 ※ ましてや、「死に物狂い」で、最前線で、治療・処置に当たられている「医療関係者」「介護関係者」の皆様の、ご苦労はいかばかりか…。「自衛隊」の「医官」「看護隊」の皆様も、駆り出されている(それだけ、安全保障環境が、手薄になる…)。

 ※ この世の中に、「完全な自由」「無制限の自由」なんてものは、無い…。

『【ワシントン時事】新型コロナウイルスがこの1年猛威を振るった米国で、マスク着用の義務化をめぐる論争が再び過熱してきた。感染者数減少で着用義務の解除に動く保守州に対し、バイデン大統領が「ネアンデルタール人のような(浅はかな)考えだ」と批判。保守層から「侮辱だ」と反発が相次いでいる。
マスク着用義務解除は「ネアンデルタール人のような判断」、バイデン氏

 バイデン氏の発言は3日、南部テキサス、ミシシッピ両州の共和党知事がマスク着用義務の解除を決めたことを「大間違いだ」と批判する中で飛び出した。
 ミシシッピ州のリーブス知事は「米国人に(マスク着用の)手ほどきは必要ない。国民を侮辱するのでなく信頼すべきだ」と反発。共和党若手のホーリー上院議員も「これが団結を訴える政治家か。自分の考えに同意しない人はネアンデルタール人扱いか」とバイデン氏を非難した。

 米メディアによると、感染者数の減少を受け、5州がマスク着用義務を解除しようとしているが、いずれも共和党地盤の保守州。トランプ前大統領が人前でのマスク着用を拒んだように、義務化への抵抗はいまだ強い。

 だが、マスクへの対応の遅れが世界最悪の感染を招いた側面は否めず、民主党支持者には「貴重なワクチンはあなたたちに必要ない」(映画監督のマイケル・ムーア氏)と保守州を非難する声が相次ぐ。サキ大統領報道官は4日の記者会見で「大統領の発言は不満と憤慨の表れで、それは米国民がこの1年間持ち続けた感情だ」と主張した。』