精神科医が語る徳川家康の「愛着障害」

精神科医が語る徳川家康の「愛着障害」トラウマ連続の前半生、十代後半から戦闘に明け暮れ
https://biz-journal.jp/2020/09/post_179269.html

 ※ これは、非常に感銘を受けた…。

 ※ 言わずと知れた「戦国三大英傑」の一人だ…。

 ※ オレ的には、織田信長→旧秩序(アンシャンレジューム)の破壊者 豊臣秀吉→インフレ経済の大将 徳川家康→デフレ、地道経済の実行者 というような位置づけだ…。

 ※ それをこの人は、幼年期の生育環境から、ある種の「情緒的な障害」を負ったのではないか…、という観点から精神分析している…。

 ※ この「信長的なもの」「秀吉的なもの」「家康的なもの」という三類型は、日本社会のいろいろなところに、色濃く影を落とし、社会構造・組織構造の分析に応用できるように、思うぞ…。

 ※ 昨今の金融・財政政策における論争の「リフレ派」vs.「財政規律堅持派」の対立なんか、秀吉的vs.家康的という斬り方もできるだろう…。あるいは、菅新内閣の「デジタル改革」も、「信長的」なところまで踏み込めるのか!…、という観点で斬ってみるとかな…。

 ※ ただ、あまりに「土着的」なものなんで、「世界」の事象・現象には、応用・適用し難いのが、難点だ…。例えば、フィリピンのドゥテルテ氏に、「あなたは、ちょっと信長的ですな。」とか言ってみても、目を白黒だろうからな…。

 ※ この文脈からすれば、トランプ氏も「信長的」となるのか…。ドゥテルテ氏以上に、本人には通じない話しだろうが…。

 ※ ただ、安倍さんはトランプ氏と会談したとき、「是非ともドゥテルテ氏と、会うべきだ。あなたたちは、きっとウマが会う。」と言った…、という話しも聞いたぞ…。あるいは、この「三分類」を適用したか…。

 ※ 安倍さん本人は、「なぜ、トランプ氏とうまくやっていけるのか。」と聞かれたときに、「不良の扱いは、麻生さんで慣れている。」と答えたそうだが…。

 ※ さわりを、紹介しておく…。

『家康の、複雑な生い立ちと数奇な運命
 徳川家康は、戦国時代という時代背景を考えても、複雑な生い立ちと数奇な、ある意味波乱万丈の人生を送った人物であった。多くの人がイメージしている、「狡猾な狸親父」と、家康の実人生はかなり異なっている。

 家康の少年時代は、両親の庇護も愛も受けることができず、不幸な時期であった。家康は、三河国の土豪、松平家の第8代当主・松平広忠の嫡男として1543年に出生した。母は有力な領主である水野忠政の娘・於大であった。

 松平家は、隣国の大名である今川家の庇護を受けていた。ところが、生母の兄が、今川家と敵対する織田家と同盟したため、広忠は於大を離縁し、家康は3歳で母と生き別れになってしまう。

 その後の家康の運命は、二転三転する。家康は数え6歳で今川氏への人質として駿府へ送られることとなった。しかし、駿府への護送の途中で家臣の裏切りによって、尾張の織田信秀の人質となっている。

 その2年後には、父である広忠が死去した。広忠はまだ20代半ばの若さであったが、これは病死とも、家臣の裏切りによる非業の死ともいわれている。

家康の前半生は、「トラウマ」の連続
 その後家康は、今川家と織田家との人質交換によって、駿府に移された。以後、家康は駿府で生活を続けることとなり、元服後に、今川義元の姪である築山殿を妻として迎えた。

 この築山殿の生んだ嫡子信康が、のちに謀反の疑いをかけられて、織田信長によって切腹に追い込まれることとなる。正室の築山殿も殺害された。家康はこの2人の死を黙認している。

 このように家康の前半生は、現在の言葉でいうならば、いわゆる「トラウマ」の連続であり、戦国時代であることを考えても、過酷な運命に翻弄された人生であった。

 生母とは無理やり生き別れとなり、さらに尾張、駿河における人質生活は、付き従っている家臣はいたであろうが、少年時代の家康にとっては心休まらないことが多かったであろう。父親の死に目にも会えていない。精神的に不安定になることや、ぐれてしまわなかったことが不思議である。

 こうしたなかで稀なことと感じられるのは、桶狭間の戦いの後に岡崎城に帰還した家康が、ためらうことなく織田家の同盟者となり、その後20年以上にわたって律儀に同盟関係を維持した点である。

徳川家康は「愛着障害」といえなくもない……?
 それでは、こうした家康の生涯を精神医学的に検討したら、どう考えられるだろうか。何か病的な兆候は見いだせるのだろうか。それとも、まったくの健常者とするのが正しいのだろうか。

 幼児期、小児期のおける両親との離別やその後の長い人質生活に着目すると、現在の精神科医は、小児に対する病名であるが「愛着障害」(診断基準では「反応性愛着障害」)という診断を持ち出すかもしれない。

 以下に、DSM-5におけるこの「反応性愛着障害」の診断基準を示してみよう。
 
【反応性愛着障害の診断基準】(DSM-5による)

A 以下の両方によって明らかにされる、大人の養育者に対する抑制され情動的に引きこもった行動の一貫した様式
(1)苦痛なときでも、その子どもはめったにまたは最小限にしか安楽を求めない。
(2)苦痛なときでも、その子どもはめったにまたは最小限にしか安楽に反応しない。

B 以下のうち少なくとも2つによって特徴づけられる持続的な対人交流と情動の障害
(1)他者に対する最小限の対人交流と情動の反応
(2)制限された陽性の感情
(3)大人の養育者との威嚇的でない交流の間でも、説明できない明らかないらだたしさ、悲しみ、または恐怖のエピソードがある。

C その子どもは以下のうち少なくとも1つによって示される不十分な養育の極端な様式を経験している。
(1)安楽、刺激、および愛情に対する基本的な情動欲求が養育する大人によって満たされることが持続的に欠落するという形の社会的ネグレクトまたは剥奪
(2)安定したアタッチメント形成の機会を制限することになる、主たる養育者の頻回な変更(例:里親による養育の頻繁な交代)
(3)選択的アタッチメントを形成する機会を極端に制限することになる、普通でない状況における養育(例:養育者に対して子どもの比率が高い施設)

 家康の小児期に関する資料はほとんど残っていないため、この診断が当てはまるか確認することは困難である。しかしながら、後年の家康の特徴である粘り強さや我慢強さは、この診断による症状(診断項目「A」)と関係があるようにも感じられるのである。

 現実の辛い、耐えがたい出来事に対して、人はしばしばすべての感情を遮断することで対応する。この行動は意識的なものではないが、時にはすべての感情が失われたような状態になる(これを精神医学では「情動麻痺」と呼ぶ)。

 そして家康が経験したような、診断基準「C」のような経験が繰り返し起きると、その個人は周囲に起きることすべてに対して、感情的な反応を示さないようになってしまう。

 家康が生涯にわたって感情的に動揺することなく、冷静に時を待って耐えることができたのは、確証はないがもしかすると、「愛着障害」のメカニズムが働いていたのかもしれない。

 家康が、一向一揆や武士団の離反、そして嫡子・信康の自害といった危機的な状況も破綻なく乗り越えることができたのは、幼い頃の苦難と関連していたのであろう。

(文=岩波 明/精神科医)

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2020/09/post_179269_4.html
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〔ヒエログリフは実は表音文字だった…。〕

※ 兵頭二十八氏のサイトからの情報だ…。

『古代エジプト学者のシャンポリオンの大発見は、ヒエログリフは実は表音文字だという気づきだった。太陽のシンボルは「ラー」と読まれたかもしれない。それが「ラムセス」という王名の頭にある! 「やったぞ」と叫んで隣の部屋に駆け込んだシャンポリオンは気絶したという。』

 ※ スゲー話しだ…。これだから、世の中恐ろしい…。


 「固定観念」が、いかに人の「認識力」を曇らせるのか…、という話しでもある…。


 そもそも、「文字」とは、「表音」か「表意」かしか無いものなのか…。古代から連綿として続く、世界中に散らばっている、各地域の全ての「文字」は、完全に上記の二つに「分類」されきるものなのか…。


 こういう「文字」の話しを聞くと、いつも本邦の「稗田阿礼」の話しを、思い出す…。
 オレの考えでは、ヒトは、おそらく「文字」以前から、綿々と「一族」「民族」の「記憶」を、後生に「伝承」したものと思う…。
 しかし、そういうものは、「研究」の対象にはできず、「歴史学(文字通り、「文献学」だ…)」の研究対象には、できない…。


 しかし、ヒトは、「文字無くして」も、「考え続けた」ものに、決まっている…。そして、その「考え続けた結果」を、他者に伝えたものに決まっている…。
 だから、「歴史学」には乗らない、膨大な数の、天文学的な数の「考え続けた結果」を、産み出したものに、決まっている…。


 残念ながら、そういう「膨大な考え続けた結果」に、アクセスすることは、今となっては、できないがな…。